最近、録音機Roland R-09HRを購入した。これは単体のままでかなり高精度の録音が出来るので、今のところとても気に入っている。私は録音、特に生録が好きでいろいろ楽しんできたが、また楽しみが増えた感じである。
私の音楽好きは子供の頃だったらしく、小学入学以前からいろんなところで歌わされた記憶がある。十八番は「長崎のザボン売り」であった。
レコードを通じて西洋音楽にふれたのも小学生の頃からでゼンマイ式の蓄音機、電気式蓄音機などでSPレコードを聴いていた。この頃は音楽そのものより再生装置をいじくる方が楽しかった時期である。多くの童謡、民謡、謡曲等のSPレコードの中にブッシュ弦楽四重奏団、カザルスのバッハ等のレコードもあり、こりゃ何の音楽なのだ?と疑問に思いつつも時折聴いていた。このころのレコードの一部はLPでも再発されたので買い換えて懐かしく聴いた。
この時期、東北大学で電子工学を学んでいた兄がどういう経緯で引き受けたのか分からないが、小学校から依頼されて備品としてオープンテープレコーダーをセットアップし納入?したことがあり、この間、自宅でいろいろ調整していたが、今話した内容を直ぐに聞き返すことが出来ることに大きな驚きを感じた。このときの経験が私を録音好きにしたルーツである。この録音機の値段を聞いたが15万円に近かったように記憶している。このころの大卒の初任給は1.5万円程度と昭和史の本にあったから大変な額である。
実際に自分用にテープレコーダーを購入したのは5年ほど経って、高校生の頃で、バス通学を自転車に替えて約一年貯金、さらに親から前借りしてし、やっとの事で購入した。ナショナル製のオープンリールテープレコーダーで4万円ほどで目が飛び出た。音には満足出来なかったがラジオの深夜の音楽番組を録音しては聴いていた。約10年使用、メカは全部廃棄したが、そのケースは今私の大工道具入れに再生されている。
1971年に卒業し、給料をいただくようになってからオーディオにかなり入れ込んだ。録音機として購入したのはソニー製のカセットデッキであった。このころはまだカセットは黎明期であり音域は狭く、ノイズ、回転ムラが大きくて閉口した。
私の音楽好きは子供の頃だったらしく、小学入学以前からいろんなところで歌わされた記憶がある。十八番は「長崎のザボン売り」であった。
レコードを通じて西洋音楽にふれたのも小学生の頃からでゼンマイ式の蓄音機、電気式蓄音機などでSPレコードを聴いていた。この頃は音楽そのものより再生装置をいじくる方が楽しかった時期である。多くの童謡、民謡、謡曲等のSPレコードの中にブッシュ弦楽四重奏団、カザルスのバッハ等のレコードもあり、こりゃ何の音楽なのだ?と疑問に思いつつも時折聴いていた。このころのレコードの一部はLPでも再発されたので買い換えて懐かしく聴いた。
この時期、東北大学で電子工学を学んでいた兄がどういう経緯で引き受けたのか分からないが、小学校から依頼されて備品としてオープンテープレコーダーをセットアップし納入?したことがあり、この間、自宅でいろいろ調整していたが、今話した内容を直ぐに聞き返すことが出来ることに大きな驚きを感じた。このときの経験が私を録音好きにしたルーツである。この録音機の値段を聞いたが15万円に近かったように記憶している。このころの大卒の初任給は1.5万円程度と昭和史の本にあったから大変な額である。
実際に自分用にテープレコーダーを購入したのは5年ほど経って、高校生の頃で、バス通学を自転車に替えて約一年貯金、さらに親から前借りしてし、やっとの事で購入した。ナショナル製のオープンリールテープレコーダーで4万円ほどで目が飛び出た。音には満足出来なかったがラジオの深夜の音楽番組を録音しては聴いていた。約10年使用、メカは全部廃棄したが、そのケースは今私の大工道具入れに再生されている。
1971年に卒業し、給料をいただくようになってからオーディオにかなり入れ込んだ。録音機として購入したのはソニー製のカセットデッキであった。このころはまだカセットは黎明期であり音域は狭く、ノイズ、回転ムラが大きくて閉口した。