福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

録音機、Roland R-09HRまで(1)AMからFMエアチェックへ 

2008年06月30日 06時23分48秒 | コラム、エッセイ
 最近、録音機Roland R-09HRを購入した。これは単体のままでかなり高精度の録音が出来るので、今のところとても気に入っている。私は録音、特に生録が好きでいろいろ楽しんできたが、また楽しみが増えた感じである。

 私の音楽好きは子供の頃だったらしく、小学入学以前からいろんなところで歌わされた記憶がある。十八番は「長崎のザボン売り」であった。

 レコードを通じて西洋音楽にふれたのも小学生の頃からでゼンマイ式の蓄音機、電気式蓄音機などでSPレコードを聴いていた。この頃は音楽そのものより再生装置をいじくる方が楽しかった時期である。多くの童謡、民謡、謡曲等のSPレコードの中にブッシュ弦楽四重奏団、カザルスのバッハ等のレコードもあり、こりゃ何の音楽なのだ?と疑問に思いつつも時折聴いていた。このころのレコードの一部はLPでも再発されたので買い換えて懐かしく聴いた。

 この時期、東北大学で電子工学を学んでいた兄がどういう経緯で引き受けたのか分からないが、小学校から依頼されて備品としてオープンテープレコーダーをセットアップし納入?したことがあり、この間、自宅でいろいろ調整していたが、今話した内容を直ぐに聞き返すことが出来ることに大きな驚きを感じた。このときの経験が私を録音好きにしたルーツである。この録音機の値段を聞いたが15万円に近かったように記憶している。このころの大卒の初任給は1.5万円程度と昭和史の本にあったから大変な額である。

 実際に自分用にテープレコーダーを購入したのは5年ほど経って、高校生の頃で、バス通学を自転車に替えて約一年貯金、さらに親から前借りしてし、やっとの事で購入した。ナショナル製のオープンリールテープレコーダーで4万円ほどで目が飛び出た。音には満足出来なかったがラジオの深夜の音楽番組を録音しては聴いていた。約10年使用、メカは全部廃棄したが、そのケースは今私の大工道具入れに再生されている。

 1971年に卒業し、給料をいただくようになってからオーディオにかなり入れ込んだ。録音機として購入したのはソニー製のカセットデッキであった。このころはまだカセットは黎明期であり音域は狭く、ノイズ、回転ムラが大きくて閉口した。

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朝日新聞「夕陽妄語」の執筆者 加藤周一氏から学ぶ

2008年06月29日 07時48分45秒 | コラム、エッセイ
 評論家の加藤周一氏が朝日新聞に1984年以来連載している「夕陽妄語」は、社会、政治、文学、演劇、音楽と多岐にわたる随筆で、私は10数年来これを読むのを楽しみにしている。

 氏の随想、文章そのものはとても硬い。しかも、見事なほど完成されている。そう簡単には入りこめない格調の高さがある。ある時期までは私は掲載文のタイトルだけは読んだものの、内容を読むことは殆ど無く、どちらかといえば毛嫌いし、敬遠していた、と言っていい。それが急に身近に感じられ求めて読むようになったのは、ある時、彼が医師であり、しかも血液学を専攻していたという氏の経歴を知ってからである。

 同じような感覚はアトリオン室内合奏団を聴くときにも感じる。この合奏団の賛助会員になってから以降、私にとってとても身近な存在となり、その演奏を求めて聴き、心から楽しめるようになった。賛助会員になる前とは聴き方がすっかり違ってしまった。この様に、極めて細い糸であっても繋がっていると言う事には前向きの意味がある、と思う。
 
 加藤氏の経歴を見ると、大正8年東京生まれ、東大医学部卒で血液内科に入局、とある。彼は日本医事新報のインタビューに、「医学は汲めども尽きせぬ程面白く、魅力ある世界でした。実験を行えば結果が出ました。しかし私にとって、戦争とファシズムがなぜ、どのように起こったかを検証するのに比べれば、小さいことに思えました」と書いている。これは私のメモなので何時の号に掲載されたのか、分からない。

 広範な問題と取り組むには彪大な時間が必要だったし、極度に専門化した医学研究と両立させるわけにはいかなかったので、彼は結果的に血液学から離れたとのことであった。政治、経済、歴史、宗教、文学、芸術、あらゆる事象を手中に収め、安保条約や日本の近代思想史、ヨーロッパの現代思潮、あるいは源氏物語絵巻についても造詣が深い。どれを読んでも教えられることばかりである。

 氏の経歴を知った後も、氏の論評はとてもクールに感じられるが、その合理的批判精神は、医学を礎にして成り立っていることをあらためて感じている。一方、レベルは全く異なるから比較するのもおこがましいが、似たような道を歩みながら、今でも優柔不断、中途半端な知識に甘んじている私は、学問から学び取るべき思考、方法論すらも身に付けられなかったからなのだろう。

 氏は医学から離れて久しいが、医師のあり方について「今後、ますます難しくなるだろう。倫理など、医学の外の間題が多くなったので、はみ出した部分にも教養がないといけない。ただし、教養とはたくさんの知識を身につけることではなく、問題を洞察できる能力のことです」と同紙に述べている。この点については全く同感である。

 しかし、氏ですらこの大きな問題については両立できなかったことではないか、と批判的に思うと共に、やりたいことの多くを捨てている今のような環境の中に、私自身が何時までいて良いのか、これで良いのか、いつ道を変えるべきなのか、と若干の焦りと共に思うこのごろである。

 氏の著書はリストを見れば数10点に及ぶ。そのいくつかを読んでみたいと思っているが、その前に時間の問題を解決しなければ何ともならない。

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岩手・宮城内陸地震の影響  栗駒高原牛乳の配達も本日から再開

2008年06月28日 07時42分47秒 | 近況・報告
 6月14日朝の岩手・宮城内陸地震の影響は秋田在住の私にとっては大きな被害はなく、牛乳の配達が止まった程度であった。

 秋田市は震度4で、病院の壁や床に若干の亀裂が入ったり、最上階の病棟では机の位置がずれたり、本が棚から落ちた程度はあったが、幸いなことに院内で人的な被害はなかった。一時エレベーターが全機停止したが、閉じこめられた方は居なかった。自宅も殆ど影響がなかった。
 私自身は当日東京出張であった。院内に大きな被害がないのを確認後、空路で上京、行程にほぼ影響なかった。翌日は新幹線で仙台に向かい所用をすました後、新幹線で帰秋したが、地震当日全面的運休翌日にもかかわらず定時運行であった。

 唯一影響があったのは定期的に配達を受けている栗駒フーズの「栗駒高原牛乳」が届かなくなったことである。
 これは秋田県県南の湯沢市皆瀬にある会社で、地熱を利用した殺菌がセールスポイントである。全国的にも名が知られつつあるようだ。県南地区も震度は大きかったはずである。販売店からの連絡では地震で断水となり、一時製造ラインを停めたとのことであった。
 給水は翌々日には再開したとのことであるが、ラインやビンの洗浄用の水質の安全が確かめられるまで停止とし、福島県の某微生物研究所に依頼した皆瀬湯元地区の水質分析結果報告が届くのを待ったとのこと。22日夜に異常がないことが判明、23日より製造出荷が再開した、とのことであった。

 我が家は週2回配達を受けているので本日朝から配達になった。牛乳瓶のくびには輪ゴムで小さな挨拶がつけられ、最後は「合掌」で締められていた。

 私に関連した地震の影響は小さかった。しかし、私の郷里の県南地区が大きく被災したことについては決して心穏やかではない。まだ、数人の方々が行方不明である。
 私に今できることと言えば被災地に義捐金を送ることくらいしかない。昨日から院内で募金が始まった。四川の募金よりは若干多めに・・と思っている。

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「後方病院として指定」する場合、必ず事前にご連絡下さい

2008年06月27日 07時41分36秒 | 医療、医学
 本日は秋田市医師会第120回定時総会であった。18:30からであったが30分ほど遅れて参加した。予定の第1から第12号議案は執行部の提案の通り全て承認された。

 その他と言うことで発言が求められたので「要望事項」として以下の点を述べた。これは某病院院長と私の間で何度か話題になった懸案事項であるが、本日はその院長が欠席であったために私から話題にした。

 厚労省の医療費抑制政策の中で在宅医療が重視され、在宅医療を支える地域の診療所にも種々の加算が認められている。その中で、在宅療養支援診療所の指定があり、診療所側にとって必ずしもメリットだけではなく厳しい点もあるが、比較的厚く診療報酬が認められている。
 この場合、診療所が施設基準取得のために書類を提出する必要があるが、その中に「緊急時に入院出来る体制」を記入する項目があり、連携医療機関の名称等を記入することになっている。この場合、入院を引き受ける連携医療機関の同意書や印鑑等は求められておらず、その病院の名称を記入するだけで良い様になっている。

 書類上求められていないが、各々の診療所では従来からの病診連携を背景に、互いに納得の上でこの「緊急時に入院出来る体制」についても連携関係を維持している。しかし、最近この書類をめぐって病院の救急の現場で様々なトラブルが発生し、管理者を悩ませている。

 要するに、この書類を診療所側が県に提出する際に病院側に連絡がないまま書類を作成し届け出ている例があり、患者がその書類のコピーを持参して突然来院し、入院治療を求めて来る場合がある。病院としては重症患者であれば診療も入院もお断りすることはないが、全く関知していない書類を楯に入院を求められても直ぐには対応出来ない厳しい状況もある。しかも、そのようなケースは多くは夜間帯に生じることで診療所の院長に連絡しようにも繋がらず、患者も救急診療担当者も路頭に迷うことになる。

 書類作成時に確かに入院を引き受ける病院の承諾は求められていない。しかし、これは医療人同士の常識の問題であり、互いの立場を考えた場合には決して名前を記入してそれでヨシとする問題ではない。

 と言うことで、本日は秋田市医師会に善処をお願いした次第である。

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秋田LL大学園合同開校式記念講演「これからを豊かに安心して生きる」

2008年06月26日 06時08分31秒 | 秋田の話題
 秋田県長寿社会振興財団 (LL財団)が企画する秋田LL大学園と言うのがあって、県内三カ所で開校となるが、本日はその合同開校式が秋田の中央シルバーエリアで行われた。
 LL財団は理事長は県の健康福祉部長が就任しているから、県の健康福祉部の一事業らしいが、私にはその関係とか背景はよく分からない。似たような組織に「老人クラブ連合会」というのもあるが、これとの関係はどうなっているのだろうか?

 秋田LL大学園はこのLL財団の事業の一つで、平成2年度から続いているのだという。そのコンセプトは「高齢期を充実して過ごすための入門講座として位置づけ、時代に即した教養を身につけ、レクリエーション活動や社会活動を促進して、高齢者の健康づくり、また楽しく学びながら仲間づくりもできるもの、として開設している」とのことである。参加資格は県内に在住する60歳以上の方々とある。確かに、良い企画だと思う。

 本日は20年度の開校式と言うことで私が記念講演を依頼された。光栄なことである。4月の時点では時間的に折り合わず一度はお断りしたが、担当の方の熱意が感じ取れたので時間調整の上で引き受けた。

 高齢者のこのような会では、ほぼ全て希望演題として「これからを健康に生きるには」と言った内容で依頼される。確かに高齢者の方々は健康に特別関心が強いことは理解出来るが、高齢者の方々一人一人が個性的人生の達人者であり、ある面では人生のエリートであること、大部分の傷害や疾病は年齢関連だから、一般的な健康指導など先ず殆ど意味がない。

 だから私は健康指導は殆どせず、「健康寿命は今更何してもそう延びないし、決して長くはない。いずれ寿命はつきる。その間安心して生きるにはどうすればいいのか」という視点で、「健康で長生きの呪縛からの解放」「上手な医療機関の利用法」「社会資源の利用法」「財産管理等委任契約について」「成年後見制度について」「遺言書」「尊厳死宣言書」・・について話す。最後には「どうせ死ぬならガンで・・」と付け加える。

 ここまで準備していれば先ず一安心、後はお迎えが来るまで楽しく過ごせばいい。今日はそんな内容で話した。90分、100名近くの方々は実に熱心に聴いて下さった。
 医師の講演だから「またも健康教室か」と思うのは当然であるが、内容的には「不健康教室」だったからかえって聴く方々にとって新鮮だった、と思う。

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