福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

徒然日記・ミニ随想を書く時間は「日常の中の非日常的な、大切な時間」(2)

2006年01月31日 06時06分25秒 | 未分類
 私がほぼ一日も欠かさずにこの徒然日記を続けているルーツ、エネルギーは、「いつまで続くか分からない、画一的で余裕の乏しい、ワンパターン生活の中で非日常的な事を考える貴重な時間」だからと言うこと。この時間があるから、余裕のない時間の中で、何とか、毎日、リフレッシュが出来ている、と言うことだと思う。

 更に、単に自分のノートやパソコンのディスクに積み重なっていくだけでなく、ホームページに掲載することで何人かの方々に読んでいただき、時には意見を交わす。これも一つの活力源となっている。

 時間的な余裕と言うことを考えると、学生の時も時間を作ってはいろんな事をやっていたから、今思いだしても暇だと思ったことはあまりなかった。勿論、今から見れば夢のような時間を持っていた事になるだろうが、その当時はそんな自覚はあるはずもない。
 社会に出てからは総体的に見れば、仕事でほぼ雁字搦めの毎日を続けて来たし、振り返ってみれば年をとるに従って余裕が無くなってきた様に思う。こんな生活も慣れてしまえばそれほどストレスではない。

 そうは言ってもリフレッシュの時間は当然必要だ。刺激の乏しいワンパターンの日常生活は人の気持ちを徐々に萎えさせていく。だから、気付いているか否かは別として誰でもそう言う時間を必ず持っているはずである。
 私の場合にはまとまった時間はとれないので生活の合間合間にその時間を上手く分散させて来ている。その楽しみにもいろいろあるが、その一つにこの徒然日記・ミニ随想があるし、時折秋田を離れられる出張もこれに相当する。

 「日常生活の中の非日常的な時間」と言うのはとても貴重なのだ、と最近とみに実感するようになった。

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自伝 秋田大学時代(1973-1985)仙台上空で富士山が見えた

2006年01月30日 04時57分06秒 | 自己紹介・自伝
 国立公園のバンフからカルガリーに戻り、空路バンクーバーに移動、ここでJALに乗り換え、アンカレッジ経由で帰国の途についた。家内には暖かそうな革製の手袋、子供達にはエアカナダのマークの入ったボーイング727のミニテュアを購入したように記憶している。

 海上を飛行していたときは夜間で暗闇の中、かすかに海の上と認識出来るものの、殆ど何も見えない状態で約6時間ほど、カムチャツカ半島脇を通過していると思われる頃に夜が白々と明け始めた。行けども行けども海ばかり、狭い座席にじっと耐えているとさすがに地球は大きいものだと感心した。
北海道東端を通過、三陸から仙台上空を通過する頃は丁度朝8時頃で快晴であったが、方向転換のためにバンクしたときに関東地方の景色も朧気に見えたが、その向こうに富士山の頂上がくっきりと見えた。まだ仙台上空である、いくら何でも富士は見えないだろう、富士山に似た山が東京以北にもあるのか?と当初は思ったが、どう考えても富士以外はあり得ない。実際には成田に近づくにつれ本物の富士と分かったがこれはショックであった。

 数時間飛んでも殆ど景色が変わることのなかった広大な海や北米国大陸を始め、カナダの広大雄大な自然、ゆったりとした街作り、低い人口密度など、わずか二週間であったが別世界を味わってきた状態で日本の狭さを目の当たりにし、この瞬間にもとの生活に戻る現実を自覚した。これと似たようなことは秋田-大阪便を利用したときに眼下に能登半島がそっくり見えたときにも味わったことも思いだした。
 成田に降り、昼頃のJRにて秋田に移動、特急の座席で数時間、秋田に着く頃はもうすっかりいつもの自分にもどり、翌日から多忙な通常の生活に戻った。

 私にとってこの時のカナダへの旅は、初めての外国旅行であった。国際血液学会のことは何にも覚えていないが、その後の自分にとって、地球とか自然環境とか、国家についてもいろいろ考えさせられた。とても有意義な体験として今でも確実に活きている。
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自伝 秋田大学時代(1973-1985) (2)

2006年01月30日 04時54分03秒 | 自己紹介・自伝
自伝 秋田大学時代(1973-1985) (2)
仙台上空で富士山が見え、狭い日本を実感
 国立公園のバンフからカルガリーに戻り、空路バンクーバーに移動、ここでJALに乗り換え、アンカレッジ経由で帰国の途についた。家内には暖かそうな革製の手袋、子供達にはエアカナダのマークの入ったボーイング727のミニテュアを購入したように記憶している。
 海上を飛行していたときは夜間で暗闇の中、かすかに海の上と認識出来るものの、殆ど何も見えない状態で約6時間ほど、カムチャツカ半島脇を通過していると思われる頃に夜が白々と明け始めた。行けども行けども海ばかり、狭い座席にじっと耐えているとさすがに地球は大きいものだと感心した。北海道東端を通過、三陸から仙台上空を通過する頃は丁度朝8時頃で快晴であったが、方向転換のためにバンクしたときに関東地方の景色も朧気に見えたが、その向こうに富士山の頂上がくっきりと見えた。まだ仙台上空である、いくら何でも富士は見えないだろう、富士山に似た山が東京以北にもあるのか?と当初は思ったが、どう考えても富士以外はあり得ない。実際には成田に近づくにつれ本物の富士と分かったがこれはショックであった。

 数時間飛んでも殆ど景色が変わることのなかった広大な海、北米国大陸を始め、カナダの広大雄大な自然、ゆったりとした街作り、低い人口密度など、わずか二週間であったが別世界を味わってきた状態で日本の狭さを目の当たりにし、この瞬間にもとの生活に戻る現実を自覚した。これと似たようなことは秋田-大阪便を利用したときに眼下に能登半島がそっくり見えたときにも味わったことも思いだした。
 成田に降り、昼頃のJRにて秋田に移動、特急の座席で数時間、秋田に着く頃はもうすっかりいつもの自分にもどり、翌日から多忙な通常の生活に戻った。

 私にとってこの時のカナダへの旅は、初めての外国旅行であった。国際血液学会のことは何にも覚えていないが、その後の自分にとって、地球とか自然環境とか、国家についてもいろいろ考えさせられた。とても有意義な体験として今でも確実に活きている。
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徒然日記・ミニ随想を書く時間は「日常の中の非日常的な大切な時間」(1)

2006年01月29日 09時10分21秒 | 未分類
 先日のある会合で、連日更新している私の徒然日記がちょっと話題になった。「何故一日も欠かさずに続けることが出来るていのか?どれだけの時間をかけているのか?続けているエネルギーは何なのか・・・」等、問われた。今まではそんな時には「継続は力なり」という言葉を引用して、それが私の大好きな言葉だし、性格に合っているから実践出来ているのだろう、と説明してきたが、最近は「極めてワンパターンの生活の中で、非日常的な体験が出来る時間だから、続いているのだと思う」と答えている。

 生活記録を具体的な時間を付けて記録し始めたのは、ほぼ30年も前の向浜公園脇での刑事による職務質問であった。私にとって3回目のこの職質は大きなショックで、連日の記録を遺しておくことは保身のためにも重要と自覚したからである。このことは何度か記載した。
 ここ10数年間分の記録は電子媒体への記録だから直ぐに呼び出すことが出来るし、それ以前の記録も自宅の本箱の何処かにあるはずである。幸いにその後職質等を受けていないが、いろいろなところでこの記録は役立っている。

 作製方法は実に簡単。一ヶ月単位で呼び出してある昨年の記録に、エクセルで比較的詳細に作っている予定表のデータを移植し、若干加筆するだけだから数分程度で完成する。この作業は昨年の今日、何をしていたのか、何を考えていたのかを再確認出来るのも愉しい。

 「光陰矢の如し」と言われるが、日常の時間の経過は驚くほどの速さであり、私にとってこの記録がなければ殆ど記憶に残らない、失われた日々となってしまう。昨年一年間のことを想い出そうとしても節目節目のことが若干出てくるだけ。記憶に頼るだけなら昨年の大部分、私が存在しなかったのに等しい。そんな人生なら実につまらないじゃないか。

 大好きな真夏、炎天下で過ごすのが好きな私であるが、殆ど記憶がないまま秋になり、あれよあれよと言ううちに新年を迎え、もう一月も経過した。私の記憶力が乏しくなってきているのだろうが、ハードディスクが代わりにしっかりと記憶してくれているから有り難い。炎天下でテニスを楽しんだし、バイクで走った事もキチンと記録されている。この徒然日記を呼び出すと毎日しっかりと地に足をつけて生きていた事が分かる。そんな効能も感じるとれる日記である。
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モーツアルト誕生日 クラクフの教会で聴いた「アヴェ・ヴェルムコルプス」

2006年01月28日 07時05分02秒 | 音楽談義
 本日1月27日はモーツアルトの誕生日である。しかも今年は生誕250周年記念の節目にあたる。先日1月22日(日)、秋田文化会館大ホールで「青少年音楽の家」主催の演奏会が開催されたが、戴冠式ミサ曲が最後の曲だったので、もしアンコールが唱われるとしたらモテット「アヴェ・ヴェルムコルプス」かもしれない、と言う期待を持ちつつ拍手していたが、予想通りこの曲が演奏された。

 「アヴェ・ヴェルムコルプス」というのはアヴェ・マリアと同じで、同じ歌詞に多くの作曲家が作曲している。その中ではモーツァルトの作品がよく知られているが、グノーの作品も割と歌われる機会が多い。

 曲は弦楽4部とオルガン伴奏を持つ四部合唱曲で、46小節からなる小品で僅かに2-3分の曲である。さりげない前奏から静かに歌い出される響きは、楽器も声楽も特別目立つような扱いは一切無いために、終始とても静かで美しい。ゆっくりゆっくりと奏でられるので歌詞は譜面でもないと全く聴き取れず、アカペラ風に聞こえてしまう。モーツァルトの死の半年前に友人のある音楽家のために書かれたもので、若くして彼自身が達した枯淡の境地なのかも知れない。レクイエムの一部やクラリネット協奏曲第二楽章と通じるものがあり、とても安らぎを感じさせる曲である。

 先日の演奏は私のイメージからすれば、やや元気が良く明るい曲想で唱われた。それでも私は十分に堪能した。
 この曲を聴くとどうしても思い出されるのは、平成12年9月中旬、ポーランドのクラクフの古い教会の中で、20数名ほどの中年男女の、一見旅行者と思われる方々が、礼拝堂の中で静かに静かに、神に捧げるが如くに、無伴奏で唱った「アヴェ・ヴェルムコルプス」である。歌い終わったときに礼拝堂の各所から静かな拍手があり、その静かな拍手がその場の雰囲気を一層高めた。数100年もの歴史を持つ教会の、暗く高い天井、ステンドグラスを通してのほのかな光が、複雑に彫刻された柱、マリア像を浮かびあがらせる、そんな素晴らしい状況の中にさりげなく聴こえて来たこの曲。私は30数年もこの曲を聴いてきたが、その時の素晴らしいイメージを凌駕する演奏、機会にはまだ出会っていない。おそらく、演奏会やCD等如何に求めても再現されることのない、最初で最後の機会だろうと思う。
 あの日、あの時、偶然にあの場で居合わせたあの旅行者達が唱った「アヴェ・ヴェルムコルプス」、私は忘れることの出来ない素晴らしい一瞬を持つことが出来たこと、この曲を聴く度に思い出すこと、をとても幸せに感じている。
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