私がほぼ一日も欠かさずにこの徒然日記を続けているルーツ、エネルギーは、「いつまで続くか分からない、画一的で余裕の乏しい、ワンパターン生活の中で非日常的な事を考える貴重な時間」だからと言うこと。この時間があるから、余裕のない時間の中で、何とか、毎日、リフレッシュが出来ている、と言うことだと思う。
更に、単に自分のノートやパソコンのディスクに積み重なっていくだけでなく、ホームページに掲載することで何人かの方々に読んでいただき、時には意見を交わす。これも一つの活力源となっている。
時間的な余裕と言うことを考えると、学生の時も時間を作ってはいろんな事をやっていたから、今思いだしても暇だと思ったことはあまりなかった。勿論、今から見れば夢のような時間を持っていた事になるだろうが、その当時はそんな自覚はあるはずもない。
社会に出てからは総体的に見れば、仕事でほぼ雁字搦めの毎日を続けて来たし、振り返ってみれば年をとるに従って余裕が無くなってきた様に思う。こんな生活も慣れてしまえばそれほどストレスではない。
そうは言ってもリフレッシュの時間は当然必要だ。刺激の乏しいワンパターンの日常生活は人の気持ちを徐々に萎えさせていく。だから、気付いているか否かは別として誰でもそう言う時間を必ず持っているはずである。
私の場合にはまとまった時間はとれないので生活の合間合間にその時間を上手く分散させて来ている。その楽しみにもいろいろあるが、その一つにこの徒然日記・ミニ随想があるし、時折秋田を離れられる出張もこれに相当する。
「日常生活の中の非日常的な時間」と言うのはとても貴重なのだ、と最近とみに実感するようになった。
更に、単に自分のノートやパソコンのディスクに積み重なっていくだけでなく、ホームページに掲載することで何人かの方々に読んでいただき、時には意見を交わす。これも一つの活力源となっている。
時間的な余裕と言うことを考えると、学生の時も時間を作ってはいろんな事をやっていたから、今思いだしても暇だと思ったことはあまりなかった。勿論、今から見れば夢のような時間を持っていた事になるだろうが、その当時はそんな自覚はあるはずもない。
社会に出てからは総体的に見れば、仕事でほぼ雁字搦めの毎日を続けて来たし、振り返ってみれば年をとるに従って余裕が無くなってきた様に思う。こんな生活も慣れてしまえばそれほどストレスではない。
そうは言ってもリフレッシュの時間は当然必要だ。刺激の乏しいワンパターンの日常生活は人の気持ちを徐々に萎えさせていく。だから、気付いているか否かは別として誰でもそう言う時間を必ず持っているはずである。
私の場合にはまとまった時間はとれないので生活の合間合間にその時間を上手く分散させて来ている。その楽しみにもいろいろあるが、その一つにこの徒然日記・ミニ随想があるし、時折秋田を離れられる出張もこれに相当する。
「日常生活の中の非日常的な時間」と言うのはとても貴重なのだ、と最近とみに実感するようになった。