蓮如上人の「白骨の章」の一節、『されば、未だ万歳人身を受けたりと言うことを聞かず。されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。・・・』は私の好きな文章の一つである。 上人の時代に、「朝の紅顔、夕の白骨」はあまりにも時間経過が早すぎる。火災で焼け死ぬ以外には無かろうが、人が火災で白骨になる事はあるまい。
私は講演などでこの言葉からスタートする事が多いが、その際には「朝の紅顔、夕の屍」、と置き換えている。命のはかなさを示すこれ程の良い言葉はない。今回の東北沿岸部を襲った未曾有の津波による犠牲者の方々は水に呑まれる数分前までは紅顔であっただろう事を考えると言葉が出ない。
医療が救命・延命を至上の目的とし、「病気を治すこと」「命を長らえさせること」が大きな目的になったのは、いつ頃からだろうか。私は不勉強にして古いことをまだあまり知らないので何とも言えないが、大きなエポックは第二次世界大戦直後の抗性物質の発見、普及でなかったかと思う。抗生物質の劇的な効果は、従来なら到底助からない様な重症患者が次々と助かるようになり、驚きをもって迎えられた、と思われる。
もともと医学研究はより科学的であることを志向してきたが、近代科学の方法論を実際に手に入れたのは20世紀の初頭からと思われる。それ以降、医療を語る際に科学とか技術といった言葉を多用するようになり、医学・医療界は科学至上主義へと向かって行った。そして、20世紀後半には、それまでならば死亡したであろう状況にある患者の救命、延命すら可能になってきた。医学研究、医療は共に細分化の一途を辿ったが、この頃から医師は「病気を診て人を診ない」とか「臓器を診て人を診ない」と一般社会から批判を受けるようになった。更に、臓器移植、人工授精、体外受精など等を通じ医科学は生命倫理の領域にまで踏み込むようになった。
ただ、この動きを通じ、医師だけでなく、医師の姿勢を批判する社会も国民も、医療を病気を「治す」学問、技術としか見ていなかった。進歩、発展、成長は善なのだという、右肩上がりが人に幸せをもたらすと言う価値観と、科学技術への信仰が、人には生老病死があるということすら忘れさせてしまった様である。しかし、人は誰もが老い、そして死ぬ。時には齢若くして病で死ぬ。いかに医科学が発達したといえども、今まで老い死ななかった人は一人もいない。しかも、人の人生はすべてが個別であり、死に向かう姿も個別である。
この辺の理解は医療関係者であっても一致していない。ましてや、医療関係者と患者家族の間には大きな溝がある。患者側の医療にかける期待は往々にして大きく膨らみ現実からかけ離れつつある。この乖離が、医療事故、医事紛争に発展する素地となる。
私は講演などでこの言葉からスタートする事が多いが、その際には「朝の紅顔、夕の屍」、と置き換えている。命のはかなさを示すこれ程の良い言葉はない。今回の東北沿岸部を襲った未曾有の津波による犠牲者の方々は水に呑まれる数分前までは紅顔であっただろう事を考えると言葉が出ない。
医療が救命・延命を至上の目的とし、「病気を治すこと」「命を長らえさせること」が大きな目的になったのは、いつ頃からだろうか。私は不勉強にして古いことをまだあまり知らないので何とも言えないが、大きなエポックは第二次世界大戦直後の抗性物質の発見、普及でなかったかと思う。抗生物質の劇的な効果は、従来なら到底助からない様な重症患者が次々と助かるようになり、驚きをもって迎えられた、と思われる。
もともと医学研究はより科学的であることを志向してきたが、近代科学の方法論を実際に手に入れたのは20世紀の初頭からと思われる。それ以降、医療を語る際に科学とか技術といった言葉を多用するようになり、医学・医療界は科学至上主義へと向かって行った。そして、20世紀後半には、それまでならば死亡したであろう状況にある患者の救命、延命すら可能になってきた。医学研究、医療は共に細分化の一途を辿ったが、この頃から医師は「病気を診て人を診ない」とか「臓器を診て人を診ない」と一般社会から批判を受けるようになった。更に、臓器移植、人工授精、体外受精など等を通じ医科学は生命倫理の領域にまで踏み込むようになった。
ただ、この動きを通じ、医師だけでなく、医師の姿勢を批判する社会も国民も、医療を病気を「治す」学問、技術としか見ていなかった。進歩、発展、成長は善なのだという、右肩上がりが人に幸せをもたらすと言う価値観と、科学技術への信仰が、人には生老病死があるということすら忘れさせてしまった様である。しかし、人は誰もが老い、そして死ぬ。時には齢若くして病で死ぬ。いかに医科学が発達したといえども、今まで老い死ななかった人は一人もいない。しかも、人の人生はすべてが個別であり、死に向かう姿も個別である。
この辺の理解は医療関係者であっても一致していない。ましてや、医療関係者と患者家族の間には大きな溝がある。患者側の医療にかける期待は往々にして大きく膨らみ現実からかけ離れつつある。この乖離が、医療事故、医事紛争に発展する素地となる。