福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

国の原子力行政と下北半島(2) 六ヶ所村

2014年03月31日 06時56分23秒 | コラム、エッセイ
 六ヶ所村は、下北半島の太平洋岸に位置する。
 泊港ではイカの有数の漁場である。貧しく中学生も漁に出て生活を支えた。高校進学率10%以下、漁のない時期には男たちは出稼ぎで生活を支えていた。
 高度経済成長のまっただ中、下北半島は日本の隆盛とは関係なかった。

■むつ小河原開発計画
 1969年、経団連視察から巨大開発の話が持ちかけられた。六ヶ所村近辺に大規模の石油産業を誘致する話で、その経済効果は当時で5兆円とされ、10万人以上が働く産業になると言う計画であった。
 この計画は雇用の場が出来れば家族が一緒に暮らせる、と言う期待が高まった。一方、公害などの問題から反対運動も激しく生じ、地域は賛成・反対派に二分された。開発は住民の立ち退きも必要であったが土地は高く売れ、東京から不動産業、銀行まで進出した。1973年の選挙で開発推進派の候補が当選、巨大開発が一気に進むものと期待された。

 しかし、この年第一次オイルショックが生じ、小河原に進出する企業は皆無であった。
 土地は荒れ果て、住民は土地を売った保証金も使い果たした。就職口もなく破産して地域を離れた家族も少なくない。

■六ヶ所村 核燃料サイクル施設誘致
 1979年、荒廃した六ヶ所村近辺に核燃料サイクル施設、再処理工場を誘致する計画が持ち上がった。地域は再び賛成派・反対派に二分され対立した。1985年の選挙では将来地域が生きて行くためには核燃でも発電所でも誘致したいとする開発推進派の候補が勝利した。

 1988年建設開始、村民の亀裂は残ったままであったが、数100億円の電源交付金が入り全国有数の豊かな自治体になり、村議の多くは建設業者によって占められた。

 全国の原発で各廃棄物が大量に生じるが、日本のエネルギー政策はガラスで固化し、核燃料サイクル施設で再処理を行い、プルトニウムは繰り返し利用する予定であった。
 1995年実験炉であるもんじゅで冷却材であるナトリウム漏洩による火災事故を起こし、さらにそれが一時隠ぺいされたことから、物議を醸した。現在開発は止まっている。

 使用済み核燃料、海外から返還される高レベル廃棄物も六ヶ所村近辺の核燃料サイクル施設に集められた。関根浜でも3000本貯蔵されている。
 3.11原発事故後、原子力政策を根本から見直す方向であった。核燃は再処理しない方がコストが安くつくが、国は再処理継続とした。しかし、再処理工場自体は20回も稼働が延期されていてうまく行っていない。

 核燃廃棄物は過去の分も、将来発生して行くであろう分も含めてまだ回答の無い問題である。未処理の核燃処理の方法も埋める場所も決まっていない。このままでは六ヶ所村は核燃貯蔵庫となってしまう。

 核燃処理が決まらないうちから安倍政権は原発を我が国のベースロード電源と位置づけの再稼働の方向にある。

 むつ小河原開発の対立と混乱の日々から30年、地元は国家石油備蓄基地、風力発電基地などのエネルギー関連施設が集中している。そのため税収は多く、全国でも有数の豊かな自治体となった。住民も豊かになり家族が一緒に暮らせるようになった。しかし、住民の間の亀裂は未だに埋まっていない。
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国の原子力行政と下北半島(1) 原子力船むつ

2014年03月30日 18時23分22秒 | コラム、エッセイ

 徒歩通勤では伊能忠敬が歩いたとされるルートに沿って北上している。数日前に青森県を通過していま北海道の海岸線を歩行し始めてている。


 通過する県について地図を見ながらその土地について少し情報を集めている。福島、宮城、岩手では東日本大震災と原発事故関連の文献を読んだ。

 青森県通過時、特に下北半島に関してはわが国の原子力政策で大きく変貌した地である。この間、国の原子力行政についての文献を読んだ。

■原子力船むつ問題
 むつは日本最初の原子力船。原子炉を動力源とする船は意外と少なく世界でも4番目の船であった。母港として横浜港に断られ、むつ市の大湊港へ移された。名称は進水時の母港である大湊港があるむつ市にちなんでいる。

 1969年に進水、1974年に核燃料搭載した。港では大反対運動が生じむつの船体を漁船が取り囲み出港できない状況にあったが、大嵐の夜、小さな漁船は危険であり引き上げざるを得なかったが、むつはその隙に無理矢理出港した。 太平洋上で出力上昇試験が開始されたが、試験開始早々、わずか1.4%の低出力放射能漏れが生じた。この放射線漏れで地元むつ市の市民は帰港を拒否したため、港に入れず沖に漂泊した。

 4年後に佐世保で修理したが、佐世保港、大湊港での母港化反対運動により帰る場所を失ったままであった。長い話し合いの末に鈴木善幸氏が中に入り、「原子力を動さない」、「6ヶ月で出て行く」条件で大湊港に入港させた。しかし、受け入れる港は無かった。

 最終的にむつ市関根浜港が新母港として決まった。関根浜に入港するまでに実に7年を要した。1988年1月関根浜に入港、しかし、むつは1992年廃船となり、220億円の建設費をかけて整備した関根浜港は5年間しか使われなかった。1993年に原子炉が撤去された。取り外された原子炉室はむつ市のむつ科学技術館で展示されている。

 むつ市も交付金がのために母港を市内の何処かにおきたかったのだろう。大湊が不可能と判断したむつ市は太平洋側の関根浜を選んだ。政府は地元の説得に中川長官を派遣、見返りに漁港の整備を約束した。関根浜にはいろいろな思惑の他に多額の交付金が飛び交った。

 むつ問題さえ無ければ、貧しいながらも漁業も地元の人間関係もうまくいっていた。地域には保証金23億円が転がり込み、多い人は1億円以上も手に入れたと言われている。中央から投資を勧める業者が山のように押し寄せた。投資した会社の計画倒産などで保証金は瞬く間になくなっただけでなく、保証金に匹敵する借金を抱え離散した家族も少なくない。一時的に大金を握った人の末路は悲惨だったとされる。

 漁場は荒廃し、関根浜の住民の心も荒廃した。むつを巡る政府の政策はいまでは「海殺し政策」と呼ばれている。

 私が医師になって間もなくの頃、青森県はむつ問題で大荒れに荒れていた事を思い出す。高度成長期に入った日本の景気から取り残されていた下北半島に巨額の交付金が提示された事で地域が賛成派・反対派に二分して争った。
 地域の方々でなければ到底理解できない複雑な想いが交錯しただろう。

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南京事件:習近平国家主席ドイツでの発言 対日徹底対決姿勢を一層明確にしたが・・

2014年03月29日 02時27分08秒 | 政治・経済 国際関係
 本日報道された共同通信によるニュースによると、ドイツ訪間中の習近平国家主席は昨日、3月28日にベルリンで講演し、日中戦争時に旧日本軍が南京を占領した際に起きた南京大虐殺に言及し、「日本は30万人以上の住民を虐殺した」と強調した。習主席は更に「日本軍による侵略戦争で中国人に3500万人以上の死傷者が出た」とも述べ、日本を名指しで批判した。

 講演はドイツのシンクタンクが主催。政財界の要人や外交関係者ら約200人が訪れた。
 ホロコーストの歴史を近隣諸国と和解したドイツで、習主席が歴史問題をめぐって日本批判を展開し、安倍政権と徹底対決する姿勢を一層鮮明にした事になる。中国が「抗日戦争の勝利70周年」と位置付けし、来年の9月に行われる慶事に向け、国際社会での対日包囲網構築の動きを強める構え、と考えられる(共同通信)。

 南京大虐殺の犠牲者数をめぐり日中間で論争がまだ続いている。このような中、一国の代表者がまだ結論を得ていない事件の犠牲者を都合の良い数値を並べた事には問題がある。

 日中両国の有識者による歴史共同研究委員会の2010年の報告書は、南京事件で「30万人以上」が犠牲になったとする中国側主張と、日本側の「20万人を上限として4万人、2万人などの推計がある」と併記されている。南京事件そのものに対する両国の解釈の違いがあって同じ土俵で論じる事が出来ないためにこのような大きな差が生じている。

 これの信憑性は私には分からない。文献を読み解くしかないが、1937年当時の南京の人口は20万-25万人と記録されていた事からも中国側の「30万人以上」は納得出来ない数値である。

 中国のいろいろな文献とか論評を読んでいると、中国では自分達に取って不都合な部分はかくし、都合良い部分のみを抜き出し、都合良く解釈し、更にそれをごり押しする傾向がある。私もそれを感じる。

 今回も、中国はいま国内の人権抑圧に対し国際的に批判を受けているがこれらには一切語らなかった。
 世界第二の経済力を背景に軍備を拡張し、周辺国にやりたい放題の難題を突きつけている。経済力に見合ったバランス感覚を伴う「責任ある大国」になるにはまだまだ道が遠い。それ以上に、一党独裁、経済格差、人権侵害、情報操作等の国内問題によって一気に立場が変わりうる可能性を秘めている危うい国でもある。
 歴史的史実は適正な評価は必要であるが、変えようとしても不可能である。いま中国に求められるのは内憂に対する適正な対応である。
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違いが分からない(7) レコードやCDに名盤など無い 

2014年03月28日 10時54分44秒 | 音楽談義
 私は音楽全般が好きである。いわゆるクラッシック音楽と言われるジャンルが中心であるがあまりこだわらない。

 ジャズ関連にも伝説的な名演奏、名録音があると言うが、私にはよく分からない。
 いわゆるクラシック音楽とジャンルの雑誌や書籍を読んでいると幻の名盤、名演奏と言われる貴重な、歴史的な録音があると言う記事を目にする。「世界最高の名盤」、「20世紀最高の演奏」と言う言葉を用いている評論家もいる。
 私は少なくとも芸術の分野、特に音楽の世界には名演奏・名盤と言うことはあり得ないし、そう思ってはならない、と思う。これが最高と評価した時に時間が止まるのであり、他の演奏の真の価値が分からなくなる。「最高の演奏」の中にフルトヴェングラー、ハイフェッツ、 カザルスらの名前が挙げられていると一体何なのだ?と思ってしまう。歴史的価値なら私にも分かる。

 私にとっては現存の音楽家のライブ放送が良い。画像を伴ったTVのライブ放送はもっと良い。ベストは演奏会そのもので聴く事である。ただ、秋田では演奏会の機会が乏しいのが残念である。

 私は「違いが解らない」。ただ、確実に解る方はいる、と思う。
 かつて筑波大学で教授職にあった方がラジヲ出演された時の言葉が印象的であった。若い時からピアノのソリストになることを夢見て、周囲からもそのように嘱望されていていたが、受験期に多少の迷いが生じ、某音楽大学教授に演奏を聴いていただいた。その際、わずか2小節の試奏しただけで、音楽の道でなく学問の道に進む様提言されたとのことであった。

 私のように中途半端に、不真面目に聴いている者には到底知ることが出来ない超高度の世界が音楽にもあるのだ・・、と思うしかない。

 ブルックナーの交響曲七番は好きな曲であるが、これには「原点版」、「ハース版」、「ノバーク版」がある。資料を見ながらそれぞれの演奏を聴き比べたことがあるが、私には違いが全く解らなかった。どの版でも十分楽しめた。
 年に一回「NHKのど自慢」の全国チャンピオン大会が開かれるが、全員にグランプリ賞をあげたくなる。素人の歌唱力も判断できない。

 違いが解らないことは、広く楽しめる事でもある。だから、意外と幸せなことかもしれない。 
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徒歩通勤2014(5) 身は労すべし やすめ過すべからず・・(貝原益軒)



2014年03月27日 02時12分08秒 | 徒歩通勤 ウォーキング
 「身は労すべし やすめ過すべからず。凡そわが身を愛しすべからず」は貝原益軒の言葉である。自分自身を甘やかす筋肉は消え去るのだ、と言っている。

 私も歳である。やはり自分に合わせた健康づくりは意識している。太り気味なのが悩みの一つである。
 2年ほど前から可及的にバイクや車から離れ自転車通勤にした。更に昨春からは徒歩通勤にした。体を動かす事は好きであるが、もう激しい運動は出来ない。その点、歩行は通勤時間帯を利用すればわざわざ時間を作る必要もない。

 何をやるにしても時間は必要である。通勤に片道1時間余かかる。時間を無駄にしない様にラジオ深夜便の録音を聴く。昨年まではiPod nanoをノイズキャンセリングヘッドフォンに取り付けて用いていたが、今春からはiPod shaffleをイヤーパッドの中にセットした。これで利便性が一層高まった。

 歩行は手軽に出来る割に効果が大きいとされる。体重減の効果はあまりないが、心肺機能には良いだろう。高齢者の場合には内臓の機能も大事だが下肢機能の維持は思いがけない事故を防ぐためにも重要である。普通に生活していると、人間の下肢の筋肉は一年に1%ずつ細くなる。これは、すべての人に共通の加齢変化である。この計算だと120歳まで生きた方は寝たきりとなる。桜美林大の柴田博教授は、75歳以上の高齢者では、普通に歩く時の速度が速い人ほど、その後の人生の生活機能がよく保たれた、と指摘している。

 日常の診療において患者の体を観察すると、広い年代に渡って太っちょも痩せも「グニョグニョ・ブヨブヨ」として張りがない方が多い。要するに、筋肉不足と肥満の合併である。ロダンの「考える人」は座っているのに、あの筋肉量、緊張感ともに素晴らしい。トレーニング等で無理に作り上げた筋肉ではない。肉体労働の結果であろう。一つの理想の姿である。

 筋量の減少は二十代後半から始まり、生涯進む。とはいえ筋肉自体を失って行くわけではなく、細胞がやせ衰えて機能が低下するだけである。だから、「いくつになっても筋トレは重要」と云う。歩行の他に、スクワットや踏み台昇降のような下半身の筋トレを加えればより効果的という。

 私自身も上下肢は多少筋肉質であるが、ハラはブヨブヨで情けない。分かっているが左下腹部にヘルニアがあってあまり不用意に腹圧はかけられない。だから、ハラは諦めている。
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