永山則夫著「無知の涙」は「ノート1」から「10」まで10章で構成されている。さらに散文調の記述と詩で記述される。
「ノート1」で、永山則夫は文章を書くことで「自分の世界を確立する積もりだ」と書いている。何か書きたい大きな欲望が湧いてきていると言うことを示唆する記述である。
読み進めると、「囚人と言えど私は人間である」、「人間失格者が人間であることを忘却したら一体全体どう成るのだ」などなどと人間の権利の要求などが畳み込む様に、頻回に記述されている。普通の環境にいる人以上に社会に向けて問題提起している面がある。獄中生活と言う,自業自得でありながら国家権力で自由を奪われていると言う特殊な環境の中で、国家や社会に対する恨みを連ねた気持ちは、分からない訳ではない。
「ノート4」になると、自ら犯した犯罪をふり返りながらも、「自分は決して狂っているのではない」、「あまりにも騙されすぎた自分であった」、「このまま沈黙を守ったまま死ぬのだとしたら情けない」、「法廷で怒鳴ってやりたい衝動にかられ、やり切れなくって筆を取る」、などの記述が見られる。
永山は自分を客観視しようとする理性と、邪悪なるものへ怒りを覚える人間としての尊厳を兼ね備えている事を言いたかったのだろう。すごい自己顕示欲である。
いま「ノート5」にさしかかったところであるが、この時点で私は「無知の涙」から一時離れる事とした。
永山の文章ははっきり言って読み難い。私が知らない様な難解な言葉,言い回しが次々と出てくる。彼は獄中で「資本論」を始めとする各種の書籍、哲学書、罪と罰等の文学書を読破したとされるが、覚えたてと思われる難解な言葉を各所に散りばめていてとても読み難い。参考にした本からの長文の引用も見られる。難解な言葉,意味深い引用文を並べている自分に陶酔しているような感じがしてならない。
勾留されて初めてまとまった時間を読書に費やし、次々と頭に入って来る知識を吐露したかったのかもしれない。この事からも永山の性格や心理状態がうかがえる。
永山の「無知の涙」記述からだけでは彼の人生がどんなものだったのか、どんな過程をへて4人も殺害する事件を起こしたのか、その動機は何だったのか・・・を十分読み取る事は出来ない。
永山を知るには永山以外の人物による評価が必要がある。それで、佐木隆三著「死刑囚永山則夫」と永山の詳細な精神鑑定を行いながら裁判では取り上げられなかった鑑定医・石井義博氏の手記を記録した、堀川 惠子著「封印された鑑定記録」に乗り換えて読んでいる。
「無知の涙」の存在には驚き、圧倒された。
私は永山の解読力、文筆力は一般的にいわれているほどは低くなかった、と思う。逮捕後に如何に努力したからと言って僅か2年余で「無知の涙」を上梓し、後に文学賞を受けるに至った作品を書き上げるなど、私の理解を超えた人物である。永山は1990年に死刑が確定、1997年に死刑が執行されたが、この間、毎朝、刑の執行におののきながらも執筆し続けた事も驚異である。彼は本当に「死ぬために書き続けた」と思う。
刑が執行された時にかなり暴れ、抵抗したとの事である。その事は周囲のものに予告していたとされる。心に思っている何かの,最後の表現だったのではないか。
それだけに、永山をもっと知りたいと思っている。