福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

時間について2015(7)待てない!!! 危険ドラッグ、スマホは現代の麻薬 

2015年07月31日 11時37分26秒 | コラム、エッセイ
 かつて脱法ハーブと、今は危険ドラッグと称するが、それが原因とみられる交通事故が頻発した。私のファイルにも以下の事故が記録されている、
―――――――――――――――――――――――――――――――-
2012..5月大阪市の商店街を車が暴走歩行者をはねる
   10月愛知県春日井市でワコン車が女子高生をはねて死亡させる
2014 .1月香川県で小学生を跳ねて死亡させる
   2月福岡市の繁華街で、車が次々と衝突、15人が重軽傷
   5月渋谷の交差点で信号無視の車が横断中の女性をはねて死亡させる
   6月池袋で車が歩道を暴走し、8人が死傷
   7月赤羽の交差点で、車がタクシーに衝突、2人に軽傷を負わせ、約200m暴走
   他に、板橋区でダンプが30分ほど蛇行、他車と接触,運転の男性(23)は意識
  がもうろう状態であった。
   立川市では軽乗用車が麟走して電柱に激突、運転の30代男性が即死した
―――――――――――――――――――――――――――――――-

 危険ドラッグは覚醒剤や大麻と似た作用があるにもかかわらず、「違法ではない」という触れ込みで、若者を中心にまたたく間に広まった。眠くなったり、疲れたりしたときに使うと、スキッと目が覚め、楽しい気持ちになる、と言う。

 危険ドラッグが絡む車の暴走事故は3年ほど前から目立ち始めた。2013年に全国で起きたドラッグ絡みの交通事故で逮捕・送検されたのは40人だった。
 私は何故ドラッグ関連では交通事故が多いのか? ドラッグには車を運転したくなるような薬理作用があるのか??などと疑問を感じていたが、そんなことでなくドラッグを車で買いに行き、待てずに車の中で吸う人が多いからだ、と理解した。要するに直ぐに吸いたい、車は他人の目に触れ難いから便利である。そのまま運転し事故をおこすのだ。この、待てないところが問題である。
 さいわい、危険ドラッグとして取り締まりが厳しくなったためか、最近はドラッグ関連の事故はほとんどない。

 一方、スマホは現代の麻薬、と称する人もいるようだ。言い得て妙ある表現である。確かに、スマホが手放せないような、病的と言わざるを得ない状態に陥っている様な若者も多い。歩行中も、バスの停留所、新幹線や車中、駅や新幹線でも分秒を惜しんでスマホである。現代の若者はこれほど時間を大事にしているのか!!! まるで二宮金次郎並みだ、と驚くばかりである。私も時間を惜しんで活動している方だと思うが、完敗である。
 いや、彼らはほぼ病気なのだ、と私は思っている。スマホに集中していると顔つきも違う。般若の顔である。

 私のスマホは長くても5分程度かな?あんな小さな画面を見ながらものを考えるなど、到底無理である。コンピューターなら2画面合わせると50インチ以上であ理、ゆったりと考えられる。

 脱法ドラッグ、スマホ、ともに現代の麻薬である。
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時間について2015(6)寿命短縮に結びつくもの

2015年07月30日 03時44分56秒 | コラム、エッセイ
 この世はあらゆることが不平等である。ただ、例外は一つだけ。それは時間で、誰にとっても平等に過ぎ去っていく。しかし、平等なはずの時間もやはり不公平である。それは「死」をもって時間が止まってしまい、もう二度と与えられることはない、という純然たる事実である。
 人間にとって寿命とは何なのか?寿命を規定する因子なんなのか?
 経済的、文化的レベルの影響は大きいようである。生活習慣の寿命に与える影響は、それが甚だしく不自然でなければ影響は小さいようである。

 寿命に与える各種の因子について分析した以下の論文は興味深い。
 1979年6月とやや古いが、放射線医学の雑誌に載った「リスク・カタログ」という論文が米国において寿命を短縮している因子を提供している。以下がその結果である。
 (なお、以下の図表はwww2.ttcn.ne.jp/honkawa/1820.htmlを参照し、引用させていただいた)



 この研究は非科学的な放射線障害の恐れを否定するために書かれたものであるが、著者はさらにデータを一般化して、様々なリスクを寿命の短縮日数に換算して示した。とてもわかりやすい。

 米国で寿命に影響を与える最も大きなリスクは、未婚、特に男性の未婚であり、9.6歳寿命を短縮すると計算されている。次ぎに、左利きが9歳の短縮、喫煙(男)が6.2歳短縮となっている。肥満による被害は、30%体重超過で3.6歳、20%体重超過で2.5歳の寿命短縮になると計算されている。違法薬物使用よりも合法薬物による寿命短縮の方が大きい。

 未婚自体が短命に結びつく理由として、未婚を招きやすい年収、不安定就業、生活態度、持病等の諸条件が総合的に未婚の影響として現われている可能性がある。これは人種別の寿命の差、生活地域による寿命の差が経済力を含む生活レベルの差に由来していたことが分かったと同じと考えることができるのではないか?

 左利きがなぜこれだけの差になったのかは不明である。
 大統領は暗殺に関連しているらしい。職業としては炭坑夫が危険であることが示されている。

 私ども医療関係者が意識しなければならないのが、喫煙(男)、肥満、合法薬物による寿命短縮である。米国の主要な医学雑誌(JAMA)には合法医薬の誤用で年間75,000人の死亡があると、という論文が掲載されている。わが国では薬物療法のリスクについてのデータは見られないようである。

 わが国で同様の検討した場合どうなるか?米国に比較して経済的な格差が小さいからこの論文のほどの差異はでないかもしれない。
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徒歩通勤2015(5) 富山県・石川県を通過した 

2015年07月29日 05時42分08秒 | 徒歩通勤 ウォーキング
 平成13年3月から始めた徒歩通勤、実績が積算できる歩数計「平成の忠孝」の積算開始が4月7日からだから、約2年4ヶ月かかって先日Σ6940Kmに達し、富山県、石川県を通過し、いま福井県の海岸線上を歩行している。



 北海道海岸線には約1年、秋田は37日、山形は10日で踏破した。新潟は45日、富山・石川県の海岸線609Kmを通過するのに70日かかった。平均8.7Km/日で、頑張っている割には意外と歩いていない。師と仰ぐ伊能忠敬は40Km/日ほどだったという。

 富山県は私にとっては馴染みの薄い県であった。富山はたしか昭和41年ころ北陸地区大学オーケストラ演奏会へ参加した際に一度訪れたことがある。44年も前のことで、その時の記憶は殆ど残っていないが、モーツアルトの交響曲35番「ハフナー」で私のヴィオラの調弦がくるって第一楽章は十分に弾けなかったこと、どこかの寺の本堂に雑魚寝したこと、神通川を眺めたこと、だけは若干記憶に残っている。
 その後は日本内科学会、血液学会で富山市を2度訪れたことがあった。

 2010年には新潟大学46卒同級会が小川温泉「ホテル小川」を会場に開催され、出席した。富山市は広大な富山湾に接し、高岡、射水、滑川、魚津、黒部などの、名前だけ知っている土地が並ぶが、今回海岸線を通過しながら初めてその位置関係を知ることが出来た。

 石川県は金沢市には何度か訪れた。日本内科学会、血液学会の他、金沢大学は当時は骨髄移植の研究が盛んであり、この研究会に出席のためであった。金沢は道路も狭く、こじんまりとした古い城下町との印象を受けた、何度か見た兼六園、金沢城址の見事さは忘れられない。
 今年3月14日北陸新幹線の東京・金沢間が営業運転を開始した。そのために今最も注目されているのが金沢市で、雑誌のフラビアや記事でいろいろ紹介されている。直接訪れたのは数回に過ぎないし、市についてなにも知らないが、なんとなくノスタルジアを感じる街である。
 
 私にとっては金沢を知る前から、輪島の地名は幼少の時から知っていた。わが家には20セットほどの輪島塗の見事な膳のセットがあり、年に何度かの節目の時に用いられた。幼少の頃の、何も知らない私の目から見ても金で縁取りされ、装飾された漆器は素晴らしいものであり、未だに頭から離れない。膳のセットは私が20歳の頃に人手に渡って今はないが、いつかは訪れてみたいと思い続けている街である。
 まだその機会はないが、いま朝の連ドラで輪島を舞台としたドラマが放映されている。ドラマ自体はドタバタで興味は沸かないが、輪島塗に関連したシーンは興味深い。主役の希を演じている女優の表情もとてもいい。
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東京五輪と震災復興(2) 森元首相をトップに据えたオールドジャパン体制が問題

2015年07月28日 05時49分58秒 | 時事問題 社会問題
 大体、今回の新国立競技場の不祥事の責任者は誰なのだろうか。事業主体は日本スポーツ振興センターであるが,そこを所管する下村文科相が「明確な責任者がどこなのか分からないままここまで至ってしまった」と発言したが、問題である。

 五輪・パラリンピック組織委員会委員長の森元首相は「批判されて迷惑している」と言い、新国立競技場のデザインを採用した委員会の安藤氏は「自分はデザインを選んだだけ、経費については関与してない」と述べている。

 今回の五輪は復興の意義を強く押し出し、オールジャパン体制でいく、とされていたが、組織委員長に森元首相をトップに据えたことでオールドジャパン体制になった。私はこれが第一の問題と思っている。招致の時はあれほど若者のアスリートたちの活躍が目立ったのに。

 委員長就任当時76歳の元総理を会長に据えたのは、いかにも時代遅れだ。五輪は6年後だというのにこんな方を押す方も押す方、受ける方も認める方も異常である。私自身は組織は老齢化が問題、若返りが必要、との考えに立つ。
 森氏の年齢自体も問題でいつまで活躍できるか分からないし、もともと失言が多い方である。私は首相在任以降のことしか知らないが、彼の言葉は実に軽い。本当に軽い。今回の件についても「国がたった2500億円も出せなかったのかという不満はある」と漏らしている。

 政治の中枢にいた方の経済観念はどうなっているのだろうか。
 一般的に団塊の世代とそれ以前の方々は日本が右肩上がりの経済復興を実感しながら生活してきた方々だから、経済観念は甘いように思われる。お金がどこからか湧いてくるとでも思っているのだろう。

 五輪の経済波及効果は19兆4千億円の経済波及効果、述べ21万人の雇用の創出効果という試算もある。これが東京都に一極集中する。舛添知事は、2月26日の施政方針演説で「東京五輪・パラリンピックの開催準備を起爆剤にして経済に力を与え、その果実が全国に浸透していく。それこそが首都東京の使命」と、五輪の目的は経済効果だという露骨な表明している。

 やはり、被災地の復興は二の次という判断なのか。
 日本世論調査会か公表した全国世論調査では、東京五輪は震災復興に役立つかとの質問に「役立つ」、「どちらかといえば役立つ」が57%,「役に立たない」は40%だった。過半数が「役立つ」と答えているものの、4割もの人が懸念を示しているのは無視できない。ましてや被災たちは、もう、諦めムードである。

 今後、五輪関連施設の建設がはじまれぱ、機材や資材や人材は東京に集中し、地方の活力はむしろ低迷する可能性すらある。
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東京五輪と震災復興(1) 新国立競技場建設問題

2015年07月27日 17時17分15秒 | 時事問題 社会問題
 2020年の東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の建設計画について、安倍首相が突然白紙に戻した。総工費が当初見込みの1300億円から2520億円に膨らんだことによる批判を受けて判断した、らしい。その決断はいいと思う。だが遅きに失した。

 2020年東京五輪は、誘致の段階から問題があった。
 五輪誘致は東日本大震災被災地に夢や希望をもたらす一方、「復興を遍らせる」という懸念があった。現に、最近の五輪の話題の中で東日本大震災との関連を論じる論調は見ることはない。
 被災地の人たちが「震災が利用されている」と思うのも無理はない。安倍首相がIOC総会での演説で、復興を強調し、一方で原発事故の汚染水漏れについて「状況はコントロールされている」と述べたことが「招致のために、うそをついた』と誰しもそう思った。それでも当時は震災と五輪の関連は生きていた。

 東日本大震災は終わってない。私から見て復興は道半ばである。

 少なくとも東京では、東京五輪組織委でも、「あれはもう終わったことさ」といわんはかりの空気が漂っているように見える。組織委に新設された被災地復興事業チームの構成は、兼務の課長1人だけ。被災他に向き合う態勢としては、あまりに手薄ではないか。昨年の第1回理事会の資料でも、復興関連計画は「大会を通じた被災他支援の取り組みについて検討を進める」と1行書かれているだけ、という。復興五輪にかける組織委の本気度はこんな程度なのだ。

 最近の話題の流れは新国立競技場の建設問題である。主会場の競技場の建築費が当初推定予算が1300億円、それが2600億円に膨らんだ。考え難い規模である。

 ちなみに、過去のメインスタジアムの建設経費は資料によると、1996年アトランタ246億円、00年シドニー414億円、04アテネは旧施設を改修、08年北京502億円、12年ロンドン828億円であった。新国立競技場1300億円は始めから異常である。

 日本のどこにこれだけの施設を建設する費用があるのだろうか??
 私は日本人の、政治家の金銭感覚がズレているような気がしてならない。
 経済再建をうたいながら毎年の国の予算は右肩上がりに増加している。しかも、税収とほぼ同額の国債発行で賄っていて、国の借金は1000兆円ほどにも達している。社会保障費は抑制開始し始めたと言えど実効性は疑問である。国民皆保険の理念・発想は相変わらず右肩上がりで経費は年々膨らんでいく。

 こんな発想があるのだから競技場の建築費が1300億円から2600億円に跳ね上がっても関係者は焦りもしない。第一、責任者はどなたのだ? 森元首相だろうが自覚は一切ないようだ。ここに至ってやっと首相が重い腰を上げた。内閣支持率ともリンクした決断だったが、経済問題からではなく、保身のためである。現に10日の国会答弁では計画を進めると述べながら、15日には見直しを表明している。この変わり身は、論理的というよりは政治的な思いつきである。一体、何なのだ?
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