福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

宗教2019(5)ローマ教皇の来日(4) 来日は何だったのか 不遜ながら感想を

2019年11月30日 08時47分08秒 | 時事問題 社会問題
 11月23日から26日の日程で、教皇が38年ぶりに来日し、過密なスケジュールをこなし離日された。
 信者の数は世界では12億人を数える。日本では約44万人にとどまるが、宗派にかかわりのない人々を巻き込んで熱烈な歓迎を各所で受けた。
 天皇、首相他の要人とも会われた。

 歴代の法王の発言は世界に大きな影響を与えてきた。キューバ危機の回避にヨハネ23世が、冷戦時代の終焉にヨハネパウロ2世の働きが大きかったことは国際政治の世界ではよく知られている。現教皇フランシスコはさらなる影響力を世界に及ぼしている、との評価もある。
 しかし、本当だろうか?たまたまこれらの問題が解決の兆しにあったからでないか?私はそう思う。
 法王は2017年にトランプ米大統領、2019年はプーチン大統領の訪問を受けるなど、世界の指導者とも交流を持つ。彼ら要人にとって教皇との面会は人道上の免罪符になる?のではないか。その上での冷戦の再来である。

 フランシスコ教皇の言葉は立派である。
 なぜ立派なのか?
 私は具体的には知り得ないが、個人としても魅力的なお人柄だ、と言われているし、敬虔な修行者であると言う。教皇が首長であるバチカン市国はローマ市内にある微小な国に過ぎず、軍隊もなく、経済力も小さく、他国々から見たら何もないに等しい。
 教皇には宗教を通じた人間のあり方の信念がある。この、信念がありながら何もないことが逆に説得力を持つ。

 しかしながら、私は宗教は政治・経済に及ぼす影響力はほとんど無だと思っている。宗教によって平和が維持されたことはない。宗教の歴史は戦いにまみれている。

 法王は、私たちが見失ったもの、見過ごしているものを取り戻し、再発見しなくてはならないと警鐘を鳴らす。経済、政治、あるいは「いのち」の認識を新たにしなくてはならないと訴え続けている。お言葉は美しい。

 今回の来日中、法王は被爆地である長崎と広島を訪れた。戦争は「いのち」を奪う。彼は戦争が、核がこの世から無くなるために動いている。ならば、なんで今ころの来日なのだろうか。

 彼は死刑に対しても、一貫して批判してきた。刑罰として「いのち」を奪うということは、人間に与えられた能力を超えている、と強く戒める。

 これまでの人間社会は強者、弱者を生んできた。法王は、こうした世界のありようを再構築しようと呼びかける。新しい世界を作る英知は「弱き者たちの知性」にある、と説く。それが法王の動かない信念らしい。

 死刑にも弱肉強食の社会構造にも、私はこれでいいとは思っていない。おそらく大多数の人たちも同じだろう。だから、教皇が発する言葉に感じ入るのだ。

 法王が、世界の人々に送った公的書簡には次のような一節がある。
 「私たちはこの世界を無償で与えられ、他者と分かち合うべき、神からの贈り物であることに気づきます。この世界は与えられたものであるゆえに、効率性と生産性をただただ個人の利益のために、単なる功利的視点で現実を眺めることは、もはや私たちにはできません」。
 この世界は、力のある者たちによって独占されるために存在しているのではなく、人々によって分かち合われるために存在している、と言う。法王が考えている「世界」とは、同時代の人々にとっての世界であるだけでない。過去から受け継いだ世界であり、未来に受け継いでいかなくてはなうない世界なのだ、と言う。

 教皇のメッセージを行動につなげて行くことが重要だ。新聞の論調も識者の論調もみんなそう言っている。軽い、軽すぎる。
 
 しかし、教皇が離日した今、誰の心の中にお言葉が残り、誰の行動が変わったのだろうか?人間は知があるから、地球にとって進行性に恐ろしさが増す、怖い存在なのだ。
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本:上前純一郎著 狂気ピアノ殺人事件(3) 参考になる記述

2019年11月29日 05時16分09秒 | 書評
 本書には事件前後の犯人の心理変化、裁判過程で明らかになった社会としての騒音対策などの事柄が記載されているので参考になる。
 それらのいくつかをあげてみた。
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 ■作曲家団伊玖磨氏の意見
 事件から2力月ほどたった10月25日号のアサヒグラフに作曲家の團伊玖磨氏は日本
の住宅環境の中にピアノを持ち込む愚をこう述べている。 
 「ピアノという楽器は他の楽器に較べて一段と巨大な楽器である。本来この楽器は天井の高い石造建築の30畳平均のサロンの中で演奏されるために発達して米た。その楽器を日本の佳宅、わけても団地のように隣室や階上や階下に別の家族が住んでいるような小部屋に持ち込んで弾くという事は根本的に誤りなのである。例えるなら銭湯の浴場でプロ野球を興行しようとする程の無茶で無理な事なのである・・・。」

 ■騒音被害者の会のアンケート結果と配布パンフレットの記載
 騒音被害者の会は事件後、渋谷駅前で「第二第三のピアノ殺人事件を起こさないようにするには・・ 」のアンケート調査を行なった。71通の答えのうち、法による規制49、話し合いによる解決は14であった。

 またアンケート用紙にはつぎのような呼びかけが印刷されていた。 
▶︎ 生活の発達しているフランスでは、夜中に水洗トイレの水を流すと軽犯罪法に触れるといいます。
▶︎ 西ドイツでは、絨毯を叩く日は金曜日と決め、お互いにルールを守っています。
▶︎ カナダでは、訓練した犬でなければ飼うことはできない規則になっています。
▶︎ アメリカでは、他人の家の前で自動車のエンジンをかけたままにすると、パトカーが飛んできて重い罰金をとる仕組みになっています。
▶︎ ニューヨーク市の騒音条例は厳しく、街頭放送、車内のラジオの音、アイスクリーム売りの鐘の音まで規制しています。とくに市条例で日をひくのは、市民が騒晋の苦情を申し出ると奨励金が出るということです。
▶︎ 日本では反対に、苦情をいう人は「少しくらいの音を気にするようでは社会生活をする資格がない」とお説教されます。諸文明国とは雲泥の差です。
▶︎ ソ連では、低い音や単調な音を連続的、または継続的に聞かせて、音を拷問の道具にしたと聞きました。
▶︎ ナチスは独房に入れた囚人に雨だれの音を聞かせ、拷問を行なったと聞きました。

 ■この事件の前、1973年10月、埼玉県朝霞市のアパートで、ステレオの音がうるさいと注意された若い会社員が、逆ギレし苦情を申入れた隣室の夫婦を果物ナイフでめった剌しにして重傷を負わせた。ピアノ殺人事件の犯人はこの事件を知っていたがために強く苦情を言えず忍耐を選んだ。結果として耐え難く憎悪を募らせた。

 ■ などなど・・・・・・。
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 騒音に敏感な人は、騒音とともに発汗や頭痛、動悸などの自律神経症状をきたしやすく、音による恐怖感から不眠症や神経症、時にはうつ状態にも陥いる。ステレオやピアノの場合、騒音の発生源が近所の個人であることが多く、時には強い憎悪の気持ちを抱く。

 多くの被害者は苦情を言っても通用しないために、諦めて自ら別環境を求めて転居などする場合が多い。

 私も騒音ノイローゼの一人であり、この事件が生じた際には強い衝撃を受けた。今読み返しても同様である。人ごととは思えない。
 私も騒音から逃れる努力はしてきた。今の住宅環境は静寂であることは満足している。また、市井の騒音にはノイズキャンセリングヘッドフォンが大いに役に立って私の悩みを救っている。騒音に関しては筆が進むがこの辺にしておく。


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本:上前純一郎著 狂気ピアノ殺人事件(2) 私と犯人はとても似ている

2019年11月28日 17時56分24秒 | 書評
 本書の初発本は1972年文芸春秋社から出版されている。

 本の題名が「狂気・・」とあるが、私は決して犯人は「狂気の沙汰で」とは思わない。市井に音が溢れ過ぎている。そちら側の方が狂気なのだと思いたい。
 雑音・騒音は公害である。しかも、音公害は最も賛同者を得難い。音の感受性に個人差が大きいからである。特に騒音源となっている人は感受性がもともと欠如しているからほとんどクレームが通用しない。あたかもクレームをつける側に非があるように扱われる。だから私は騒音から逃げる道を選んできた。

 私の場合、ある程度環境整備できるようになってからの50年ほどは騒音との戦い・忍耐の日々であった。
 思い出すまま記述すると、以下のごとくである。

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 ■ 私は自身が出した音以外は全て騒音である。たとえ美しい音楽であっても変わりない。音楽でも他人から聞かされるのは辛い。
 ■ 陶器が接触したり割れたりする衝撃音は嫌と感じる前に体が反応してしまう。
 ■ 秋田に来てから3度転居した。2回はいずれも道路に面している住宅で、車、特に大型車のディーゼルエンジン音、走行音、タイヤ音などはストレスで転居の原因因子であった。
 ■ 最初の住宅の隣にM電気店の店舗がオープンしたが、営業時間中ずっと店の前のスピーカーから音楽が流れていた。商業地だから鳴らすことは責められない、のだそうだ。これは決定的であった。
 ■ 3度目が今の住宅である。メインの道路からは奥まっており、細い道を50m入った突き当たりである。したがって、交通騒音は皆無である。隣家の音もない。しかしながら冬季には除雪の悩みが大きい。しかし騒音よりはいい。
 ■ 我が家に一定時間停車する車、宅配などにはエンジン停止をお願いしている。
 ■ かつては犬害もあったが死んだらしい。
 ■ 我が家では窓を開けるが、秋田市中心部にある病院の私の居室の窓は一人でいる時は開けることはない。市井の音がどうしても飛び込んでくる。かつては音に無神経な方々と同室になっていたが、その方々の診療スケジュールをチェックし、同じ時間を同室で過ごさないようにしていた。
 ■ 我が家では私がいる場合は、洗濯機、掃除機、換気扇の使用は禁止している。
 ■ エアコンは今年購入したが私にはちょっとうるさい。それが嫌で私はまだスイッチを入れていない。熱気に耐える方が楽。
 ■ TV等の音は最弱にしてもらう。家族が楽しむ場合、私はヘッドフォンを用いる。
 ■ 車は静粛性を重視してマツダのロータリーエンジン車を選んだ。ガソリン播き散らし車であったが、選択は正解であった。
 ■ 最近は静粛性を重視してプリウスにしているが、めったに乗らない。
 ■ 我が家の暖房は燃料は灯油であるが、静粛性を重視して煙突式、自然排気式でモーター音は聞こえない。FFはうるさい。
 ■ 台所の換気扇、浴室の換気扇を私は使わない。
 ■ 就寝、起床などは家族とはずらしている。0:00-2:00の間に起き、静かな朝を過ごす。通常の会話は苦にならない。
 ■ 騒音の多いところ、市井、タクシー、バス、新幹線などでは騒音消去効果が大きいソニーのノイズキャンセリングへッドフォンを着用する。ノイズキャンセリングへッドフォンは6台目。

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 一般的に40-45ホンで睡眠障害などが出ることもあるとされているが、音に過敏な人と鈍い人で比較はできない。

 私はこんな自分を困ったものだと思う。病的だ、とまで思う。しかし、体が自然と反応し不快になるからやむを得ない。
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本 上前純一郎著 狂気ピアノ殺人事件(1) 文春文庫1982年 文芸春秋社

2019年11月27日 05時35分32秒 | 書評
 私は今、終活の一環として古い蔵書を引っ張りだして電子化するとともに、興味のあったものから順次読み返している。
 30-50年前に読んだ本が大部分であるが、それらを改めて読むと当時と違った一面から味わい直すことができる。
 もう一つの目的は、世に大きな影響を与えた重大事件などについて詳細を知りたいと思い、求めて読み返している。重大事件といっても新聞などを通じて概要は知れるが表面的なものでしかない。だから、フィクション、ノンフィクションなどの作品があればそれを通じて事件とその背景を見つめ直そうという目標があるからである。

 本書も自炊の順番となり、電子化するとともに37年ぶりに改めて読み直した。

 当事件は騒音に極めて敏感な、無職の中年男性が階下の住人3名を刺殺した事件である。当時はそれなりに社会に衝撃を与えたが、生活環境の静けさを求める動きに対して大きな影響は残さなかった。
 私はこの事件の犯人に酷似し、騒音にとても敏感である。そんな自分から見てこの事件は極めて衝撃的であった。当時、数回は通読した。

 事件は1974年8月神奈川県平塚市の団地で発生した。
 被害者は33歳女性、8歳長女、4歳次女で、いずれも刺殺体で発見された。夫は出勤していて難を免れた。
 犯人は46歳。事件の3日目自首、ピアノの音が煩かったから殺した、と供述した。

 犯人は騒音に対して神経質なことから住居を何度も転々としていた。今回の犯行前には騒音から逃れるために真剣に自殺も考えたが、自殺しても何も状況は変わらないだろうと考えを変え、犯行に及んだ、という。

 被害者のうち、4歳次女は滑りのよいアルミサッシの窓枠を遊び道具の一つとして大きな音で頻繁に開閉して被害者の神経を逆撫でした。さらに8歳長女は早朝から夜まで時間に関わらず頻回にかつ長時間にわたってピアノを練習した。
 犯人は数回母親に対して苦情を言つてきたが、その度に聞き入れることなく、逆に無職であること、経済的に余裕のなさそうなことをバカにするような態度を取られた。

 犯人は階下の騒音に耐え難く、早朝から公園とか図書館に避難して時間を過ごした。そのうち階下の家族が立てる騒音は自分に対する嫌がらせだ、と思いこむようになり、機を見て3人を刺殺した。

 犯人は逮捕後も裁判中も反省の態度を見せず、今後も騒音に悩むくらいなら死んだほうがマシ、と自ら死刑を望んだ。
 1975年横浜地裁は残虐な殺害であったと死刑を言い渡した。騒音に悩む支援団体や弁護士の控訴の勧めも受けれず、1977年死刑が確定した。

 犯人は刑務所の中でも隣の独房のトイレを流す音などにも敏感に反応しトラブルを頻回に起こした。彼は早期の死刑執行を望んだが、今に至るまで執行されていない。現在収監中の死刑囚の中では2番目の長期収監者となっている。

 騒音を嫌う私から見ると、犯人は死刑執行されるよりも遥かに厳しい生活環境での生きることを強いられているように思われてならない。犯人の現在の気持ちなど知りようもないが、煩い環境の中で生き続けることがさぞや辛いだろうと同情する。
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宗教2019(4) ローマ教皇(3) 全ての予定を終え本日離日された

2019年11月26日 05時27分38秒 | 時事問題 社会問題
 ローマ教皇は本日、全ての予定を終えられローマに向けて離日された。
 その動きはNHKニュースでも逐一報じられた。どこに行かれても大歓迎を受けられた。

 ローマ教皇は国際協調に力を注いだ、と言われているが、私はいささかクールにみている。
 ローマ教皇の教えの基本は「貧困」、「平和」、「核」にある様だ。 

 近年、核軍縮への取り組みは後退している。自国第一主義が優先されている。

 ■ 米ロの中距離核戦力(INF)全廃条約は8月に失効。
 ■ 両国間の新戦略兵器削減条約(新START)も2021年に期限を迎えるが、存続が危ぶまれる。
 ■ 2021年に期限を迎える核不拡散条約(NPT)の再検討会議が開かれるが、核保有国と非保有国の溝は深まる一方である。

 核に関しての最近の動きは不穏であるが、教皇はどう感じられているのか?直接の言及はなかったように思う。
 核軍縮を目指す教皇は若い時から訪日の希望を持っていた。やはり被爆地に対しての思い入れはあったのだろう。今回実現したのは、長崎・天草の潜伏キリシタンが世界文化遺産に登録されたことも関連があるかもしれない。
 被爆地からのメッセージの発信が予定されている。カトリック信者が多数犠牲になった長崎の地に立ってのメッセージは強い力を生む(?)だろう。長崎でのミサは信者も多く大規模なになると予想されている。

 ローマ教皇の発言を新聞紙上で追ってみた。
 教皇の思いにどう応えるか。唯一の戦争被爆国である日本の責任と役割は大きい。

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 ■ 平和の実現にはすべての人の参加が必要。
 ■ 核兵器の脅威に対し一致団結を。
 ■ 13億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会のトップ、フランシスコ教皇が長崎と広島を訪れ、核兵器廃絶を訴えた。核の国際的な枠組みが危機にある中、被爆地から発せられた呼びかけをしっかりと受け止めたい。
 ■ 長崎の爆心地に立って「核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことを証言している町だ。
 ■ この場所はわたしたちを無関心でいることを許さない。
 ■ 広島でのスピーチで「戦争のために原子力を使用することは犯罪」、「核戦争の脅威で威嚇しながら、どうして平和を提案できようか」、と述べた。この根源的な指摘を無駄にしてはならない。
 ■ わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にある。相互不信の流れを壊さなければならない。
 ■ 世界の指導者に向かって「核兵器は安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではない」と説いた。
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 教皇の言葉は今後さらに明らかになっていくだろう。なぜ教皇の言葉は重いのか?

 安倍政権は、日本が米国の「核の傘」に守られていることを理由に核禁条約に背を向け続け、核保有国と非保有国の橋渡し役を掲げるが、成果は見えない。

 ローマ教皇はこういう日本の姿勢を暗に批判して、離日した。
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