11月23日から26日の日程で、教皇が38年ぶりに来日し、過密なスケジュールをこなし離日された。
信者の数は世界では12億人を数える。日本では約44万人にとどまるが、宗派にかかわりのない人々を巻き込んで熱烈な歓迎を各所で受けた。
天皇、首相他の要人とも会われた。
歴代の法王の発言は世界に大きな影響を与えてきた。キューバ危機の回避にヨハネ23世が、冷戦時代の終焉にヨハネパウロ2世の働きが大きかったことは国際政治の世界ではよく知られている。現教皇フランシスコはさらなる影響力を世界に及ぼしている、との評価もある。
しかし、本当だろうか?たまたまこれらの問題が解決の兆しにあったからでないか?私はそう思う。
法王は2017年にトランプ米大統領、2019年はプーチン大統領の訪問を受けるなど、世界の指導者とも交流を持つ。彼ら要人にとって教皇との面会は人道上の免罪符になる?のではないか。その上での冷戦の再来である。
フランシスコ教皇の言葉は立派である。
なぜ立派なのか?
私は具体的には知り得ないが、個人としても魅力的なお人柄だ、と言われているし、敬虔な修行者であると言う。教皇が首長であるバチカン市国はローマ市内にある微小な国に過ぎず、軍隊もなく、経済力も小さく、他国々から見たら何もないに等しい。
教皇には宗教を通じた人間のあり方の信念がある。この、信念がありながら何もないことが逆に説得力を持つ。
しかしながら、私は宗教は政治・経済に及ぼす影響力はほとんど無だと思っている。宗教によって平和が維持されたことはない。宗教の歴史は戦いにまみれている。
法王は、私たちが見失ったもの、見過ごしているものを取り戻し、再発見しなくてはならないと警鐘を鳴らす。経済、政治、あるいは「いのち」の認識を新たにしなくてはならないと訴え続けている。お言葉は美しい。
今回の来日中、法王は被爆地である長崎と広島を訪れた。戦争は「いのち」を奪う。彼は戦争が、核がこの世から無くなるために動いている。ならば、なんで今ころの来日なのだろうか。
彼は死刑に対しても、一貫して批判してきた。刑罰として「いのち」を奪うということは、人間に与えられた能力を超えている、と強く戒める。
これまでの人間社会は強者、弱者を生んできた。法王は、こうした世界のありようを再構築しようと呼びかける。新しい世界を作る英知は「弱き者たちの知性」にある、と説く。それが法王の動かない信念らしい。
死刑にも弱肉強食の社会構造にも、私はこれでいいとは思っていない。おそらく大多数の人たちも同じだろう。だから、教皇が発する言葉に感じ入るのだ。
法王が、世界の人々に送った公的書簡には次のような一節がある。
「私たちはこの世界を無償で与えられ、他者と分かち合うべき、神からの贈り物であることに気づきます。この世界は与えられたものであるゆえに、効率性と生産性をただただ個人の利益のために、単なる功利的視点で現実を眺めることは、もはや私たちにはできません」。
この世界は、力のある者たちによって独占されるために存在しているのではなく、人々によって分かち合われるために存在している、と言う。法王が考えている「世界」とは、同時代の人々にとっての世界であるだけでない。過去から受け継いだ世界であり、未来に受け継いでいかなくてはなうない世界なのだ、と言う。
教皇のメッセージを行動につなげて行くことが重要だ。新聞の論調も識者の論調もみんなそう言っている。軽い、軽すぎる。
しかし、教皇が離日した今、誰の心の中にお言葉が残り、誰の行動が変わったのだろうか?人間は知があるから、地球にとって進行性に恐ろしさが増す、怖い存在なのだ。
信者の数は世界では12億人を数える。日本では約44万人にとどまるが、宗派にかかわりのない人々を巻き込んで熱烈な歓迎を各所で受けた。
天皇、首相他の要人とも会われた。
歴代の法王の発言は世界に大きな影響を与えてきた。キューバ危機の回避にヨハネ23世が、冷戦時代の終焉にヨハネパウロ2世の働きが大きかったことは国際政治の世界ではよく知られている。現教皇フランシスコはさらなる影響力を世界に及ぼしている、との評価もある。
しかし、本当だろうか?たまたまこれらの問題が解決の兆しにあったからでないか?私はそう思う。
法王は2017年にトランプ米大統領、2019年はプーチン大統領の訪問を受けるなど、世界の指導者とも交流を持つ。彼ら要人にとって教皇との面会は人道上の免罪符になる?のではないか。その上での冷戦の再来である。
フランシスコ教皇の言葉は立派である。
なぜ立派なのか?
私は具体的には知り得ないが、個人としても魅力的なお人柄だ、と言われているし、敬虔な修行者であると言う。教皇が首長であるバチカン市国はローマ市内にある微小な国に過ぎず、軍隊もなく、経済力も小さく、他国々から見たら何もないに等しい。
教皇には宗教を通じた人間のあり方の信念がある。この、信念がありながら何もないことが逆に説得力を持つ。
しかしながら、私は宗教は政治・経済に及ぼす影響力はほとんど無だと思っている。宗教によって平和が維持されたことはない。宗教の歴史は戦いにまみれている。
法王は、私たちが見失ったもの、見過ごしているものを取り戻し、再発見しなくてはならないと警鐘を鳴らす。経済、政治、あるいは「いのち」の認識を新たにしなくてはならないと訴え続けている。お言葉は美しい。
今回の来日中、法王は被爆地である長崎と広島を訪れた。戦争は「いのち」を奪う。彼は戦争が、核がこの世から無くなるために動いている。ならば、なんで今ころの来日なのだろうか。
彼は死刑に対しても、一貫して批判してきた。刑罰として「いのち」を奪うということは、人間に与えられた能力を超えている、と強く戒める。
これまでの人間社会は強者、弱者を生んできた。法王は、こうした世界のありようを再構築しようと呼びかける。新しい世界を作る英知は「弱き者たちの知性」にある、と説く。それが法王の動かない信念らしい。
死刑にも弱肉強食の社会構造にも、私はこれでいいとは思っていない。おそらく大多数の人たちも同じだろう。だから、教皇が発する言葉に感じ入るのだ。
法王が、世界の人々に送った公的書簡には次のような一節がある。
「私たちはこの世界を無償で与えられ、他者と分かち合うべき、神からの贈り物であることに気づきます。この世界は与えられたものであるゆえに、効率性と生産性をただただ個人の利益のために、単なる功利的視点で現実を眺めることは、もはや私たちにはできません」。
この世界は、力のある者たちによって独占されるために存在しているのではなく、人々によって分かち合われるために存在している、と言う。法王が考えている「世界」とは、同時代の人々にとっての世界であるだけでない。過去から受け継いだ世界であり、未来に受け継いでいかなくてはなうない世界なのだ、と言う。
教皇のメッセージを行動につなげて行くことが重要だ。新聞の論調も識者の論調もみんなそう言っている。軽い、軽すぎる。
しかし、教皇が離日した今、誰の心の中にお言葉が残り、誰の行動が変わったのだろうか?人間は知があるから、地球にとって進行性に恐ろしさが増す、怖い存在なのだ。