福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

無精髭(2) 髭の効用はいろいろ

2023年09月26日 15時09分31秒 | コラム、エッセイ
 イチロー氏が大リーグで大活躍していた頃、いつも無精髭でいる理由を問われて、「なめられないように」と応えていた、という。「日本に帰れ!!」コールを浴びせられ辛かった時期に、童顔の彼が少しでもワイルドな雰囲気を備えようと思ったからと推察する。異国で活躍するためには、こんな気負いも必要だったに違いない。

 一般的な日本の男たちは毎朝髭をそる。無精髭は他人にいい感じを与えない。私も他人の無精髭ヅラなど見たくもない。私は自分の顔を鏡で見ることも滅多にないから自分の無精髭に対しての不快感はない。
 私は若いときから髭そりについては、全て仕方なくであった。
  
 今、無精髭ではなく、本格的に髭を蓄える男性が増えているらしい。「男性」性をアピールするのに手っ取り早いからであろう。

  戦国武将や明治の元勲は、権威の象徴として髭を蓄えていた。 

 近年は個性が求められ、自分らしさを示すツールとして若者を中心に髭スタイルが広がった。それが中年層にも受け入れられ、社会全体の許容度が上がった。

 ただ、勘違いしてはいけない。
 私のような「単なる無精髭」がだらしない印象を与えることは、今も変わらない。

 髭を整えると、なりたい自分に一歩近づくことができる。なりたい自分とは、「貫禄をつけたい」 「ワイルドになりたい」「・・・・」などなど。

 たとえば、口髭だけのスタイルは貫禄ある印象に。丸顔、面長など顔の形に合った髭にすることを心がける。丸顔ならあご髭ともみあげをつなげるとシャープになる。髪が薄い人は、髭を蓄えることで頭に視線が行きにくくなる・・・など。

 男性の髭は上手に活用すればある種のコンプレックスの解消にもつながるだろう。
 
 さっぱりと剃るもよし。 個性的に整えるもよし、である。

 最近では毛根を取り去り、顔をつるつるにする若者も増えているという。うまくいかないで後遺症に悩んでいる方も少なくない様子。

 私の髭剃り道具は簡便単純、かつ安価である。


 髭が短い時は電気髭剃りがいい。T型のは刃とホルダーの間に毛が挟まってすぐ切れなくなって効率が悪い。今回伸ばし過ぎたので初めて直刄のカミソリを用いてみた。ちょっと怖かったが出血することもなく綺麗に剃れて感激した。もっと早く使っておけば良かった。
 
 今後、髭剃りのストレスから解放されそうである。

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無精髭(1) 効能はいろいろ

2023年09月25日 17時48分29秒 | コラム、エッセイ
 私はものぐさである。とりわけ髭を剃るのが嫌いである。
 しかしながら日本では無精ヒゲは社会生活の中では会う方々へ失礼になる。だから、現役の頃は毎日または隔日に、短い時には電動カミソリで、長くなった場合にはT型の安全カミソリで剃っていた。

 引退してからは髭剃りの頻度はどっと減った。週一くらいになった。病院内の業務中には無精髭を隠す目的でマスクを着用した。

 そのうち、放置していた顎髭は20cmほどにまでなった。

 何故ヒゲを生やしたか。私にとって都合が良い効能があったからである。
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(1)要するに、ものぐさで面倒だと言うこと
(2)自ら別人になったような気分を味わい得たこと
(3)他人から無視されるようになった。他人から見れば、まことにむさ苦しい、見苦しいジジイに見えるからであろう。自由人を自認する私には好都合である。
(4)に当時はクロスバイクで通勤していたが髭が風に当たってそよぐのが気持ちよかった。
(5)ネコどもが親しげに寄ってくるようになった(?)・・・・・。
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 それが二つの理由で頓挫した。
(1)2016年9月鼠径ヘルニアの手術には全身麻酔が必要で、気管内に入れたチューブを顔面に固定できないから麻酔科医から髭を落とすよう指示された。約3年間の結晶が泡と消えた。

(2)2020年COVID-19流行とともにマスク着用が当たり前となり、髭が伸びていると顔面に密着せずに装着効果が失われるから感染予防のためにも髭を伸ばせなくなった。

 本年5月以降はCOVID-19が5類になったこともあって真面目な髭剃りは時々サボっている。

 先日、ヒゲという漢字が分からなくて国語辞書を引いた。
 ヒゲには3種類の漢字があった。髭はくちひげ、鬚はあごひげ、髯はほほひげを指すという。 日本語というか、漢字というか、繊細な分類と表現に改めて驚いた。

 かつての偉人達は 髭と鬚をのばしていて形良く整えている。流行もあったかも知れないが、恐らく、ある種のエリート意識とか威厳の表現に用いていたと思う。
 
 一方、イスラム社会では男達は髭、髯、鬚 の二者または三者をほぼ全員生やしている。ここでも結構よく手入れされている。この社会では男はヒゲを伸ばさないと一人前に扱われないとか。

 どっちにせよ無精髭は全く評価されないようである。


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敬老の日に思う(9) 昔話、おとぎ話はなぜハッピーエンドか 老人の環境が厳しかったから

2023年09月24日 06時10分05秒 | 人権問題
 太古の昔話、「舌切り雀」や「笠地蔵」、「かちかち山」、「かぐや姫」や「桃太郎」は子のいない老夫婦単独世帯、加えて 一人暮らしの老人の話も少なくない。家族ともども和気藹々といった展開の話題はほとんどない。
 
 昔話の老人は貧乏で、いつもあくせく働いている。

 更に、昔話の老人は、もし子や孫がいても、「姥捨て説話」に代表されるように、「冷遇」を受けていることが多い。
 要するに昔話の老人の地位はとても低かった。
 にもかかわらず、 彼らは、物語の「主役」となっている。しかも、ほとんどがハッピーエンドである。

 昔の人、少なくとも古典文学に描かれた1700年もの昔の平均寿命は30歳程度であっただろうが、無事に成人を迎えた者は長生きで70歳以上の長寿者も少なくなかった。 
 その時代、その長命者が問題であった。健康で働けるうちはなんとか生きられたが、一度健康を害すると世話されることなく一気にどん底に落ち、野垂れ死してしまう。死体も埋葬されることもなく放置されていた。

 昔話の老人の特徴は「貧しさ」と「孤独」にあった。

 そういう時代では、現世はどんなに努力しても状況が改善することは期待できず、来世には幸せになれるだろうという期待しながら生きるという状態であった。

 そういう中では現世では「思いがけないきっかけで一気に幸せになれたら・・・」という夢と共に生きるしかなかった。現代で言えば、高額の宝くじの一等に当るという夢のようなものである。

 一枚のふんどしによって富を得たり、枯れ木に灰を振りかけたら花が咲き殿様から巨額の褒美をもらう・・・、これらは全て庶民の夢、幻想であったのだ。

 昔話の多くは不衛生、不潔、寒さと飢え、物乞いと餓死、エログロ、残虐行為・・なども伝えている。多くは明治時代にこれらは削ぎ落とされ、子供の教育用にハッピーエンドになるように改変されていた。

 これらの原典をに触れると「現代に生まれて良かった」、とつくづく思う。
 それでも現代の老人はいろいろ問題を抱えているものだ。
 いや、老人だけではない。どんな年代のヒトも、どんな時代であっても、生きるには常に困難が伴うものだ、と思う。

 敬老の日を機会にいろいろ考えた。
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敬老の日に思う(8) 老人の地位は低く食糧危機には食われた!!!!

2023年09月23日 08時34分04秒 | 時事問題 社会問題
 1687年に「捨て病人」の禁令が出るまでは、病人を捨てても罪に問われなかったという。元気な老人を捨てることは流石になかったにしても、瀕死の老人を、山中に捨てることは、現実にあったに違いない。

 「姥捨て」伝説や昔話が全国にあるのは、⚫︎「病人に対する穢れ意識」と⚫︎「極端な貧しさ」、⚫︎「慢性的な食料不足」という背景があったからだろう。

 有史以来、日本はたびたび飢饉に襲われており、文献に記録をとどめた凶作や飢饉は、古代から江戸時代までに「約3年に一度の割合」(菊池勇夫『飢饉』)という。

 つい200年前の「天明の大飢饉」下の東北地方では、子に捨てられて餓死した親もいた。それどころか、死にそうな息子を食べようと隣家の男に「殺してくれ。肉を半分やる」 と言って殺させて肉を塩漬けにした父親もいた(橘南谿「東遊記 補遺』)。

 「母が餓死したらあげますから・・」と、餓死者の肉を求める者もおり、「親は子が死せば食はん事を思ひ、子も親の肉を食んとす」というような極限状態が繰り広げられていた (高山彦九郎『北行日記』)。

 老人が捨てられる理由の一つに食糧不足による極限状態があった、と考えられる。不潔で飢えた状態で自分についたしらみをかじっていたのに「白米を盗んで噛んでいる」と誤解され捨てられた親もあり、凄まじいまでの貧しさと食料不足、家族の中の老人が「みじめな立場」 「低い地位」があった。

 老人に家族がいる場合には、子供の世話になっているだけに食糧難の時代には精神的にはむしろつらかったのだろう。

 1878年、来日したイギリス人旅行家女性イザベラ・バードは、福島県会津村で、「年配の男性が貧しくて体力も衰えて大家族を養えず、首を吊った」 という話を聞き、「家族がいる者が自殺する話はよくあること」と書き記している(大島ひかる)。

 現代の統計でも、自殺者の「ほとんどが三世代同居の老人で、全体の60%強を占め」、「一人暮らしの老人の自殺者は全体の5%以下に過ぎない」という。

 心身両面の衰えを自覚し、同居する家族に「看護や介護の負担をかけることへの遠慮が生じる」こと、更に、信頼する身内から理解されず、冷たく疎外されているわびしさこそが、老人にとって耐えられない自殺の原因になっている。

 太古の頃は貧しさで老人は阻害され、現代では看護や介護への負担、老人特有の寂しさなど、老人問題はいつの世でも困難を抱えてきた。

 現在も社会保障の面で主役を演じ、国を、国民を、家族を悩ませている。



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敬老の日に思う(7) 庶民は超貧乏 生きるのも困難

2023年09月22日 18時52分47秒 | 時事問題 社会問題
 私は昔話、おとぎ話、童話から、大昔の庶民は『老人』を大切にしていたというイメージを抱いていた。しかし、そうではなかった。自活力、生活力を失いつつある老人は、段階的に「疎まれていった」厳しい現実があった。

老人は遺棄されていた??殺されていた??
 1945年に出版されたシモンズの書籍によると、老人の遺棄に関して情報のある39社会中、18で老人遺棄を実施していた。
 さらに老人殺しについては44社会中、 「頻繁にある」、「かなり頻繁にある」が11社会、「時として存在する」 が11社会もあった(大島ひかる)。

 また、「老人は社会の資源か? 社会の重荷か?」という1981年に発表されたある論文によると、57の未開社会のうちの84%は老人を「冷遇」「 侮蔑・財産奪取・
隔離・放置・遺棄・殺人など」していた様である。そこでは老人殺しは19%で見らた。
 その大多数では「扶養と老人殺しとが共存している」といい、きっかけは老人が「健康」を失った時という。
 つまり、健全な老人は、尊敬愛着の対象(?)となるものの、「老人に心身の衰えや、老衰・痴呆などの症状が現れ始めると、彼らは社会の荷物となり、冷たくあしらわれた」(青柳まちこ)。

 要するに無文字社会における老人は基本的に「社会のお荷物」であり、老人が大事にされるのは、農耕や漁撈などによる安定した食の供給があり、土地の所有権などの体系が確立し、年功序列や階級など「複雑化」した社会になってから、というわけ。

老人たちが貧しい理由
 日本列島に人が住み始めたのは3万年以上前、農耕が始まったのが3500年ほど前といわれ、それ以前は食の確保は極めて不安定だったと思われる。
 これは昔話の老人たちが判で押したように不安定な暮らしをしていることにも表れている。

 柳田國男の『日本の昔話』(全106話)には、老人が主人公となっている話は28話。それらではその日暮らしというのがほとんどで、金持ちだった老人の話は皆無。
 働く老人の話は17話。 さらにその中で老夫婦共働きは4話。生業が分かる15話中、苗代の見回りが1話、畑仕事が1話、山で畑仕事が3話、山で竹・薪・柴木を刈るなどの山仕事が7話、川で雑魚捕りや山で鹿狩りが1話、約73%が山仕事であった(大島ひかる)。
 これでは、ほとんど食うにやっとの収入しか得られなかっただろう。

 上記の如く、昔の庶民の老人の特徴は「食うに困る」ほどの貧しさである。

 昔話だけではない。
 文字後の歴史にもまた、昔話以上に、書かれた当時の厳しい現実が描かれている。
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