福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

こころと体2024(8) 優柔不断・ウジウジ人間の処世術(5) 過去の失敗を生かす

2024年03月26日 07時13分13秒 | こころと体
 「過去の失敗はすんだこと、忘れよう」と自分に言い聞かせるのに忘れられない。何かのきっかけがあるたび過去の失敗がよみがえる。

 過去の失敗がいつまでも自分を縛り、嫌な気分になるのは実際には「失敗したこと」をしっかりと受け止めていないから。
 こんな現状を認めないで、「忘れるんだ、気にしないようにしよう」、と無理に意識すると、失敗のイメージをよけい深く刻み込んでしまう。

 過去の失敗から解放されるには、その失敗をきちんと認め、総括すること。

 どんなことが在ったか、そのとき自分が何を感じたか、自分に腹が立った、相手に恨みを感じた、などを否定せずに認めること。埋れていたものをきちんと取り出すことで、過去の自分も、今の自分も納得させることができる。

 過去の失敗を忘れずに事実を認め、失敗した自分を否定しないことで初めて、「失敗を生かす」ことができる。

 プレッシャーは生かせる、と言われても、「自分にそんなことできるかな?」「たぶん無理だろうな」と感じてしまう自分がいる。

 自分を一旦どん底まで落としてみることは、開き直りにつながる。開き直りは「これ以下にはなりようがない」という地点を確かめること。そこに立てばマイナスが、プラスの課題や目標に変わる。

 「自信」とは何か。
 自分をどれだけ信じられるか、それが自信。
 本当の自信とは、「自分は何ができて、何ができないのか」を理解して受け入れているということ。それが本当の強さである。 そして他人を受け入れることにもつながる。

 本当に強い人間は、自分の弱さを知っている。そして弱さを認めている。 それがまさに「自信」。
 私が心理学の本などを読み始めたのは、こんな苦しさの中であった。本から受け取る内容なんて微々たるもの。読み続けて読み続けて、今になってやっとその効果が出てきた様な気がする。
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こころと体2024(7) 優柔不断・ウジウジ人間の処世術(4) 講演会など(2) 

2024年03月25日 08時02分05秒 | こころと体
 私は人前でに出ることは苦手であったが、立場上避けることはできなかった。

 新型肺炎の発生時にはすでに引退していたが、インフルエンザ蔓延期、とりわけ新型インフルエンザ発生時には県医師会感染症担当としてラジオやTVで県民向けの啓蒙活動も何10回もこなした。ある日の夕方にはNHK、民放3社の番組にほぼ同じ時間帯に登場したこともあった。

 ラジオやTV番組ではあらかじめ原稿を用意するのであるが、原稿の存在を考えさせないような口調で説明するのは大変であった。

 講演・講話も多かった。その場合は、ほとんどの場合、事前に用意したスライドを映しながら行なった。聴いてく下さる方に話している内容をわかりやすく提示する目的もあったが、基本は自分のために用意したカンニングペーパーの様なものである。

 優柔不断・ウジウジ人間であってもいろんな乗り越え方がある。
 くれぐれも「これじゃダメだ」と自分を否定しないこと。「良くも悪くも今の自分を肯定する」こと。「実力以上に格好良くやろうと思わないこと」これが大切な基本であろう。

 「自分は自分だ、他人からどう見られようと関係ない」といくら思っても、どうしても人と比べてしまう。私は自意識過剰人間であった。
 他人の視線や、他人の評価が気になり、私は人の前ではいつもビクビクしていた。

 これは仕方のないことだ。私は子どもの頃からずっと、他の子供と比べられ、評価されてきた。特に優秀であった兄といつも比べられたことがトラウマになった。

 もちろん、他人の目がまったく気にならないとしたら、他人の気持ちも他人の存在も気にならないということになり、他人を平気でふみにじりかねない自分になる。ヒトは一人で生きているだけでなく、他人の中でも生きているのだから。

 他人の目に映る自分が気になるから、自分のイヤな部分は隠したい。そう思うのは自然なこと。
 私も、それでもみんなに受け入れてもらわなければと、必死で別の自分を演じていた。本当は断りたい。一人でいたほうが気楽でいい。でも断れない。 そのあと一人になると、猛烈な自己嫌悪におちいった。

 私が心理学の本などを読み始めたのは、その苦しさの中であった。本から受け取る内容なんて微々たるものだ。読み続けて読み続けて、今になってやっと効果が出てきた様な気がする


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こころと体2024(6) 優柔不断・ウジウジ人間の処世術(3) 講演会など(1)

2024年03月24日 11時20分00秒 | コラム、エッセイ
 置かれた環境に尻込みすることなく、自分の持てる力を100%出し切っている人はほとんどいない、だろう。
 もしこの力を数値化できるとすれば面白いが、極めて困難で信憑性もない。あえて言えば、せいぜい数%-数10%程度と思われる。多くの人は周辺の状況がプレッシャーになり自分の能力を発揮できないのではないか??  と思っているが、他人のことはよくわからない。

 しかしながら、数少ないだろうが、特別な人たち、例えば、各界のプロとして天才的な感覚を持った人や、芸術家として表現の舞台をつかんだ人、アスリート達などは、ここぞというときに力を発揮する不思議な力を体得している、と思われる。

 音楽の分野でも数多くの演奏家、ソリストたちの演奏を聴いたが、実演の場で私にもわかるような明らかなミスで演奏がダメになった例に遭遇したことはない。これは特筆すべき、驚くべきことである。

 この様な演奏家は置かれている立場を生かして自分を表現し、高みに持っていくような強靭な心理構造を持っているとしか思えない。その背景には、各演奏家の性格もあるだろうが、幼少の時からの厳しい自己修練、練習が基礎になっていることは確かであろう。

 10数歳ながら多くの難曲を弾きこなし、アメリカのカーチス音楽大学に進学した日本人の某ヴァイオリニスト少女は毎日8時間練習するという。そういう背景をもとに力が発揮できる様になるのであろう。

 私は何の特技もない凡才であるが、立場上講演会や講話、各種の挨拶などは多数こなしてきた。私の場合は、何も難しい修行をしたわけではない。
 ただ、講演などの場合、十分な下準備をすることであったが、それでも時にはうまくいかなかったこともあった。

 私は通常は話すことに支障を感じることはないが、肝心の場面になると、とたんに消極的になり、口数が減る。例えば、会合などで突然指名されたりすると、言葉が出てこない。

 だから、聴衆の前で一定時間「内容のある話」をする講演は、苦手であった。が、どうしても断ることのできない講演依頼もある。引き受けざるを得ない時は、きちんと準備した。
 
 よく原稿やメモも何もなしで、流れるように話す講演上手の人がいるが、そういう人を心からうらやましく思う。私にはその能は全くない。


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こころと体2024(5) 優柔不断・ウジウジ人間の処世術(2) 階段から飛び降りる

2024年03月23日 07時15分52秒 | こころと体
 私は決断力がない。
 そういう私が大きな決断するにあたっては、まず資料を十分に集め検討する。十分検討を進めれが取捨選択が進み、ほとんど二者択一の状況まで進められる。そこまで進めばどう決断しても納得できるものになる。

 その時点から先は自分で決められないから、階段の中段から飛び降りる様な気持ちで二者のうちの一方を無理やり選択し決めてしまう。その後はその選択した結論に向かって迷うことなくまっしぐらに進んでいく。

 私は周辺の人たちや環境因子に流されつつフラフラと生きてきたが、自分が決断した・・・という事象の大きなものを思いつくままに挙げると以下の如くである。
 第三者から見ればどうでもいいものも含むだろうが、一つ一つの選択は神剣であった。

(1)家族の大反対を押し切って初代のネコを家に入れた。
(2)ネコと離れに転居。
(3)激しい腹痛を我慢し盲腸周囲膿瘍、腹膜炎に。
(4)中二の時に中高一貫校を退学した。
(5)新潟大学医学部を選択した。
(6)生涯のパートナーを選んだ
(7)専門領域として血液疾患の臨床を選び秋田大学で修練した。
(8)医療法人の中通病院に移った。
(9)分不相応な楽器を購入した。
(10)未成年の頃からの懸案であった膀胱頸部硬化症の手術を受けた。
(11)退職後は家内の補助に徹することに。
(12)などなど・・・・・。

 
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こころと体2024(3) 優柔不断(3) 参考となった書物(2) 超ウジウジ人間のサンプル

2024年03月22日 06時27分41秒 | こころと体
 主人公がウジウジ型の2作品の紹介。

(8)『めぞん一刻』高橋留美子著 全15巻(小学館)
 作家高橋留美子氏の長編漫画。ボロアパート「一刻館」の美しい若後家管理人(響子)と無職の入居者(五代)を中心とした物語。二人とも典型的ウジウジ型人間で互いに意識し合っているのだが、煮え切らない。登場人物も多岐に渡るがその構成も描写も素晴らしい。

 本作品は30年以上前にも一度読んだ。その時は物語として新鮮な驚き感じたが、今回はウジウジ型の主人公たちを思い出し、自分の姿を主人公たちに重ね合わせながら一月ほどかけて再読した。

 この様なウジウジ型の、発展性の乏しい人間同士の模様を15巻にも及ぶ長編漫画として描いた作者の構成力、怒りや悲しみの心情の描き方などに改めて感心した。この様な漫画は男性作家には描けないのでは??

 作品の全体の推進力となっているのは、管理人響子の持つ大人の魅力と天性の「はぐらかし」の性格。さらに上をいくウジウジ人間の五代。二人とも好人物で、周りの人々、環境にに流されて思いを告げることもできない。

 終盤になって、五代と響子はいい雰囲にになる。管理人室で優柔不断の五代を前に響子はどうやって相手に肝心な台詞をいわせたか。立ち上がった響子は、窓に近づきカーテンをすっと開ける。色っぽい後ろ姿。響子は「私からお願いしなきゃいけないんですか」と。ここに至れば五代は決断せざるを得ない。本心を言葉にしないことで相手をじらし、肝心な発言を引き出す大人の技法だ。

 今回、再読してウジウジ型人間の悩みと人間的魅力の一面を再確認した。ウジウジ型人間も捨てたものではない。

(9)「おいしいコーヒーのいれ方」村山由佳著 全19巻(集英社文庫)
 1994年から続き、26年もの歳月をかけてグダグダと話を進めて昨年完結した長編物語。著者の村山由佳氏自体がウジウジ型ではないかと勘繰った。

 家庭の事情で同居を始めた高校生の「勝利」と、5歳年上の従兄弟の「かれん」の恋物語。家族や同僚、味方やライバルも含め、たくさんの人に見守られてきた二人。

 「勝利」はスポーツを好む魅力的人物なのだが肝心なところでは超ウジウジ型人間。「かれん」は可憐で清純な魅力的女性。私は3年ほど前にこの作品のその存在を知り、17巻をまとめて読んだ。
 
 男性向けの雑誌は恋愛のプロセスを直線的に早く進めようと煽るものも多い中、「勝利」と「かれん」の恋はじれったいくらいゆっくり進む。私は「勝利」の態度にイライラしながら止めるにもやめられず全19巻を読み切った、ということ。
 主人公に自分を重ね合わせて、自分の問題点を見るような味わいが無ければ、シリーズの数冊で読むのをやめていたであろう。

 自分の姿の一部をより客観的に示しているような作品である。


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