福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

COVID-19(2021)(32) COVID-19感染者激減 弱毒化変異でも生じたのか

2021年11月30日 07時35分14秒 | 未分類
 COVID-19は欧米やアジアので最急増しているが、何故か我が国を含む100ヶ国で感染者が激減している。その原因は明確には特定出来ない。 

 いろいろ要因が考えられる。
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 ■SARSの時のような独自の弱毒化変異が生じた??
 ■ワクチンの効果で集団免疫形成
 ■不顕性感染者の急増で集団免疫形成
 ■予防対策の効果
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 COVID-19のワクチンは2回目接種から約2週間後に効果が強まり、効果は6~8カ月とみられる。しかし、それにだけではなく、免疫担当細胞のメモリー能力で長期的な免疫力も形成されると思われ、これが感染時にブースター効果を発揮すると思われる。この部分はワクチン接種後に上昇する抗体値では推し量ることができないために意外と論じられていない。

 我が国では7月から64歳以下の人の接種が急激に進み、ワクチンによる数千万人の集団免疫ができた。実態は不明だが、同時に若年者の多くが不顕性感染した、と思われる。若い人の「不顕性」感染は検査で確認された人の10倍??近くはいたのではないだろうか。この両者で国内で集団免疫効果が強く表れ、8月半ば以降に感染者が急減した可能性がある。

 英国やイスラエルなどワクチン接種が先行した国では、ワクチン効果による免疫力が弱まり始めた時期デルタ型が流行し、接種した人も感染する「ブレークスルー感染」が増えた。日本ももっと早く接種が進んでいれば同じような状況になったかもしれない。
 さらに日本は衛生思想が高い国である。基本的な感染対策、手洗い、うがい、マスクなどが文化として定着している。マスクを着用し、密集を避け、十分換気する。緊急事態宣言解除後も会食を控えるなど対策を緩めていない。人出は増えても多くの人々が用心し続けていることが染者数を少なくしている効果がある、と思われる。

 COVID-19ワクチンの効果は6~8カ月とみられるから3回目の接種は必要である。
 追加接種は12月以降に始まる見込みで、接種するタイミングも良く、高い効果が期待できる。オミクロン株が蔓延する前に、あまり時間をかけずに一気に接種を進めるべきであろう。 




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COVID-19(2021)(31) 新幹線の乗客急増 新株オミクロンで長女一家のイラつきも急増

2021年11月29日 17時24分15秒 | コラム、エッセイ
 COVID-19は、何故か一部の国で感染者激減している。その原因は明確には特定出来ない。私は独自の弱毒化変異でも生じたのか??と思っている。
 その例として、2003年に世界的に流行し大きな脅威となったSARSは、我が国で感染者が出る前に、ワクチンなどは開発されていなかったにもかかわらず、流行が突然終焉した。その原因はSARSウイルスの弱毒化の突然変異ではないかと思われている。

 COVID-19に関しては、菅首相が辞意を表明した頃から我が国の感染者数は突然激減方向にシフトした。8月には1日2万人を超える新規感染者が報告されていたが、11月に入ってからも減り続け、昨日の全国の集計は1日150人程度である。これは我が国だけの現象でなく減少傾向は100ケ国以上で見られている。他方、欧米やアジアの一部ではワクチンの接種率が上がっているのに感染者が急増し、各種の生活や行動制限が再び加えられている。

 政府は9月30日をもって、COVID-19対策の緊急事態宣言と、まん延防止を重点措置を全面解除した。緊急事態から重点措置への切り替えも見送った。
 秋田県の佐竹知事は11月22日、年末年始を控え「県では以前のような自粛要請はしない」と述べた。感染対策を成した上で往来するよう求める。
 東京などで今後、感染が急拡大した場合には帰省自粛の再要請を検討する。知事はワクチンを2回接種しても「感染する恐れはある」として、「忘年会、クリスマスなどでは、気を緩めず感染対策を怠らないようにしてほしい」と求めた。

 私の近辺での変化というと秋田新幹線の乗客増が挙げられる。
 私は週に一度金曜に大曲中通病院の内科の診療応援をしている。秋田新幹線は昨年春以降乗客が激減し私がいつも利用している客車にはせいぜい2−3人しか乗っていなかったが、11月に入ってから乗客が漸増し、11月26日は往復とも座席の約半数が埋まった。こんな混雑は1年半ぶりのことである。乗客の様子から見ると殆どが旅行者と思われた。

 感染者急減と国の対策の改定を受けての変化であろう。

 我が家の長女は横浜在住である。長女は秋田が好きで休みのあることに一家でに帰省していたが、昨年春以降来秋していない。かなりの欲求不満状態にあると思われる。
 今年の年末年始は帰省可能かもしれないと、我が家でも先方でも期待を膨らませていた。

 しかし、最近、アフリカで見つかった新変異株オミクロンの急速な伝播が伝えられ様相が一変しつつある。政府は水際対策を強化した。ニュースによると成田空港でアフリカからの乗客に陽性者が出た、という。
 オミクロン株の感染力、毒力などはまだ分かってはいないし、国内の対策にも変化は見られない。しかし、再び行動制限が敷かれる可能性は十分ある。

 長女一家、特に孫と長女の落胆は目に見えるようである。
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季節の話題2021(27) 息子一家の人海戦術で落ち葉掃除あっという間に終了、感激した

2021年11月28日 18時24分31秒 | 季節の話題
 紅葉は美しい。

 
 ただ、季節の移ろいを楽しむにはそれなりの努力がいる。この紅葉の楽しみの後に来るのが落ち葉の掃除である。それが、我が家の庭は落ち葉が半端でなく毎年私が一人で苦労してきた。

 本日昼、息子一家6人がタイヤ交換のために来た。我が家のガレージにタイヤを預かっているし、広場があるから作業しやすいからである。いつもなら孫たちは家の中で本を読んだりゲームをしたりして過ごし、私が非力ながらタイヤ交換の手伝いをするのであるが、今回は孫たちがなかなか家に入ってこない。

 気になって外に出てみるとタイヤ交換は男の孫を助手に次男が進めている。
 他の女の孫たちは?嫁さんの指導のもとで落ち葉掃除を始めている。
 こうなれば私も黙ってはいられない。家の周りの整理は私の分担領域だからである。掃除道具を出したり、使い方を教えたり、廃棄用の袋を用意したり、やることはいろいろあった。女の孫は3人、各々が箒を持って、家内と嫁さんとともに年齢に応じた働きをしていた。私はびっくりした。


(働く孫たち)

(落ち葉が掃除され綺麗になった庭)

 やることは流石にチャチな部分はあったが、女性5人のパワーは私一人のそれとは比較にならないものがあった。みるみる落ち葉が集められ、90Lの大型の資源ごみ袋詰めが6袋出来上がった。その間、次男と孫は余力もあったのであろう、自分の車のタイヤ交換に続いて我が家のプリウスのタイヤも交換してくれた。


 庭掃除はここ10数年は私が黙々と何日もかけて、ネコの手も借りたい状況で借りないでやってきたが、本日の体験は夢の様である。しかも、私にとって初めての嬉しい体験であった。
 今日改めて、「次男を育ててよかった、いい嫁さんを得られてよかった、孫も産んでくれてよかった、・・・」と心から実感した。
 それだけ時間がかかっている。苦節40年、その代わりに私が老化した。作業パワーが確実に落ちてきているだけにとても助かった。

 私は口には出さなかったが、激しい降雪で手が回りきれない時に今日の様に人海戦術で除雪にきてくれないかな・・とちょっぴり欲を出してしまった。今日の出来事が今日だけで終わらない様願いながら。

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作曲家 小林亜星氏の作品にハマる (2)

2021年11月27日 08時04分56秒 | 音楽談義
 作曲家小林亜星氏は請われて1974年俳優デビューした。氏の独特の体型から向田邦子氏の作品の中で太ったお父さんのイメージにふさわしいと周辺から強く説得され恐る恐る応じたという。
 結果的に、俳優としても成功し、「寺内貫太郎一家」はシリーズ化されることになった。

 今回、この小文は私の録音に残っている以下の曲と今年7月16日ラジオ深夜便am1:00「母を語る 作曲家小林亜星さんをしのんで」を聴き直しながら、氏の意見を参考に綴った。
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ピンポンパン体操、イエイエ、赤いキッス、夜が来る、北の宿から、あわてんぼうのサンタクロース、振り向かないで、この木なんの木、人間ていいな、魔法使いのサリー、野に咲く花のように、ひみつのアッコちゃん、ガッチャマンの歌、狼少年ケン、やんちゃりか、一二の三のご挨拶、キングコング、かぜよひかりよ、花の子ルンルン、りんごがひとつ、幸せくん、恋待草、アンジェにお任せ、ゆかい痛快怪物君、夢を勝ち取ろう、ターンAターン、未知というなの船に乗り、金魚うり、北の宿から、

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 普通、音楽家の人気や功績の物差しはレコードの売上枚数や受賞数が評価されるが、亜星氏はその枠に当てはめては評価出来ない様である。
 誰もが親しみやすく、口ずさめる名曲をこれだけつくった人は他に思いつかない。

 子供の合唱を用いた作品も素晴らしい。言葉がピチピチ跳ねる、生きている。

 彼の作品を機会があったらもっと広範に味わってみたい。

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作曲家 小林亜星氏の作品にハマる (1)

2021年11月26日 04時56分25秒 | 音楽談義
 私は音楽全般が好きである。いわゆるクラッシック音楽もいい。特に弦楽器の音色が好きで、ヴァイオリンやチェロも下手ながら弾くこともある。が、日本の歌も劣らず好き。長唄、民謡を含めて何でもござれであるが、とりわけ歌謡曲が好きである、その中では子供たちが歌う元気な歌、悲しげな人生を歌う演歌もいい。

 作曲家の小林亜星氏が85歳で今年春亡くなった。氏に関しては作詞の阿久悠久氏とのコンビで、1976年の日本レコード大賞を受賞した「北の宿から」の作曲家であることは知っていたが、氏についての知識はそれほどなかった。

 先日まとめて氏の作品を聞く機会があった。NHK−FM「歌謡スクランブル」で氏の作品が特集された。
 20曲ほど聴いただけなのでコメントするのもおこがましいが、放送で流された氏の曲を聴いてみると、この曲もあのCMソングも氏がつくっていたのかと驚くことばかり。氏の曲は何も知識のない私の心と耳に、がっしりと残っていた。
 たまたま録音していたのでこのひと月の間に何度も何度も聞き返し、氏の作品を一部であるが味わうことができた。

 今回はこの番組と今年7月16日ラジオ深夜便「母を語る 作曲家小林亜星さんをしのんで」を聴き直した。

 1932年生まれの氏が生涯に残した曲は6-8千曲とも言われる。祖父が医師であった事から最初は医学部に進学したが音楽の道を諦められず経済学部に転部、卒業後は一時商社に就職するも一月も経たずに退社、服部正氏に弟子入りし作曲を学んだ。

  CM音楽に関しては、依頼されるとだいたい2曲つくって依頼主に選んでもらっていたというから、実際の作曲数がどのくらいに及ぶか、わからない。依頼を受けると頭の中で構想を練り、取りかかると2時間もかからずに作品が生まれた、という。
 亜星氏の持論は「音楽は楽しめるものでなくてはいけない」ということ。そのためには「メロディーが生きていなくてはいけない」。だから、曲づくりの最初の段階では無伴奏で、歌いながら「幸せな気分」を味わいながら作ったという。

 確かに、氏の曲は「インパクトがあり覚えやすい」、「明るくて短くて、一度いたら耳から離れない」という印象である。
 自らが全盛期と振り返る2070年ごろはCM依頼がどんどん舞い込み、1日3曲くらつくっていた。
 その中でも「この木なんの木」はCMはつくられてから半世紀ほど経った今も現役で流され、世代を超えて強い人気がある。

 当然のことだろうが氏は歌もうまい。豊かな低音で聞かせる。「夜が来る」「りんごがひとつ」「金魚うり」などで聞くことができる。

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