福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

四季2016(11) 台風10号岩手で人的被害

2016年08月31日 05時30分19秒 | 季節の話題
 台風10号は岩手県の沿岸部に上陸したあと北海道に抜けた。秋田県は少なくとも大きな被害は免れた。米作農家、果樹農家はほっと安堵したことであろう。

 台風10号による大雨で、北海道や岩手県など各地で浸水や堤防の決壊が相次いだ。
 岩手県岩泉町の認知症の症状のある人が共同生活を送っている高齢者グループホームでは、川が氾濫して9人が亡くなった。自力での避難が難しい方々が短時間で溺れたのだろうと推測される。一方、隣接する介護老人保健施設では3階建ての上階に避難して難を逃れている。おそらく、グループホームの方まで配慮が及ばなかったのかもしれない。この明暗がことの恐ろしさを物語る。

 平屋の建物の屋根近くまで流木が押し寄せ、コントロール不能状態の水流のすさまじさを物語る。

 今後、災害の危険をどう捉えていたのか、避難計画や、職員の対応など根掘り葉掘り報道されるだろう。いたずらに準備不足などを騒ぎ立てるのでなく、しっかりと検証してほしい。

 岩手県は私の郷里である。岩泉町は数回訪れた。山々が連なり風光明媚なところである。少ない平地に住宅が建っている。この景色、状況は特に岩泉町付近に特徴的ではない。岩手県の山岳地方に共通する構造であり、広げて考えれば日本全体の構造である。
 国土は狭く、高地が多いために一般的に河川は急峻である。森は豊かであるが、保水能力は決して多くはない。そのためにゲリラ的豪雨があればどこにでも水害、土砂崩れ、人的被害が生じうる。ゲリラ的豪雨の頻度は最近増している。数年前、広島、仙北でも被害が生じた。

 地震に関しては対策が進んでいるように見えるが、これからは全国的にゲリラ的豪雨による洪水対策を河川ごとに行わなければならない。その土地に雨がさほど降ってなくとも河川上流域の豪雨で下流域の水位が上がることも少なくない。

 1時間雨量が50mmを超すと災害が起きやすい。岩泉町では29日からの雨量は約250mmに達していたという。

 病院、診療所等は通院の便を図るために市街地に作られるが、老健施設、グループホームは郊外に作られることが多い。しかも、条件のよくない平坦地に建てられることも少なくない。建物が崖と河川に挟まれていることもある。災害時、お年寄りや障害者の施設が被害を受け易い背景はここにある。安上がりに施設を作らざるを得ない事情も垣間見える。施設の立地環境を踏まえた、各施設ごとの、実効性のある災害被害防止計画を作らなければ同じようなことが繰り返される。

 わが国は世界的に見ても突出した災害大国でもある。
 地震、風水害、火災など防災意識を高めておかねばならない。
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四季2016(11) 変な台風、10号接近中

2016年08月30日 12時49分15秒 | 季節の話題
 変な動きをする迷走台風10号がやっと方向を定めたらしい。本日午後から本州東側海岸線に沿って北上し始めた。
 予報では東北の中間地点を横断して日本海・朝鮮半島に向かうとのコースがずっと表示されていた。これにはびっくりしたが、私はその予想のコースには乗らんと確信している。
 非論理的で、私独自の「正常バイアス」的感覚であるが、偏西風に逆らって西向きに動けるのだろうか??東北の背骨の一つである奥羽山脈に沿っての北上ならまだしも横切る??これはちょっと考え難い。今までこんなコースはあっただろうか。
 
 その後、進路を北に変え徐々に速度を上げ、上空の強い風に乗る形で日本列島太平洋側に近付き岩手県付近で上陸した。
 31日朝方にかけて記録的な大雨となるおそれがあり、低地の浸水、土砂災害、河川の増水や氾濫、高波高潮に厳重な警戒が必要だ。北日本中心に大雨・暴風・高波・高潮に厳重な警戒が必要だという。

 8月に台風が4つ上陸したのは1962年以来で、8月としては過去最多となった。また、直接東北地方に太平洋側から上陸するのは統計がある1951年以降に例はない、とのこと。もしこのまま東北地方太平洋側へ上陸すれば、観測史上初となる。



 ところで、我が家のネコたちが7匹とも朝から騒いで落ち着かない。毎朝5:40頃に私が朝食を給餌するのであるが、今朝は彼らの様子がおかしい。うわの空で朝食への食いつきも良くない。結局、今朝はいつもの半分くらいの量で早々に切り上げた。

 私どもは台風に関する情報はTV、ラジオで得ている。だからせまり来る台風は五感よりは情報で理解している。彼らにはそんな便利なものはない。だからこそ嵐の前の不穏な大気の動き、気圧などを彼らの五感で察知するのであろう。自然界の動物たちにもこのような感覚は備わっているとされる。自由に動ける鳥たちは事前に安全地帯に避難するという。
 我が家の猫どものうち3匹はパンの小片を投げると両手でうまくキャッチする。時に100発100中捕獲する。次なる就職口としてサーカスへ売り込もうと考えていたが、今日の様子から見ると気象庁に売り込むのもいいか、と考えている。


(パンの小片を上手にキャッチする雪音。パンを目で追って超真面目な表情が可愛い)

 台風10号は本日の夜半に最も東北地方に近接し、横断する可能性もまだ取り下げられていない。私もトマト棚、ダリアに不安がある。果樹農家の方々はさぞや不安であろう。大事にならないことを念じつつ、私は「エイ、こんな晩は寝ちまえ・・」と20:30寝床に入った。ネコどもはまだ騒いでいる。
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四季2016(10) ついに秋 夜長も楽しみにしている

2016年08月29日 05時16分37秒 | 季節の話題
 私は自分で勝手に8月14日から秋にしている。
 今年の秋は朝夕の雲、風に秋の気配が目立つが、まだ連日日差しは強く、日中の気温が高く、夜間も相変わらず寝苦しい日々が続く。私の家族たちは「もう秋、秋・・」と騒ぐ私を冷ややかな目で見ているが、そんなに大きく矛盾しているわけではない。秋は空から徐々に近付いてくる。

 暦の上でも立秋は私の秋の定義より早い。2016年の立秋は8月7日であった。暑さもピークを迎える時期であるが、暦の上では「秋に入る日」とされている。
 立春からちょうど半年、この日から立冬の前日までが秋。暦の上では秋であるが、日中はまだ残暑が厳しく1年で最も気温が高くなる時期である。それでも夏の風と秋の涼やかな風が混在し、空を見上げると、巻雲、いわし雲やうろこ雲が広がって秋が見えている。

 東北地方の梅雨明けは7月29日であった。
 今年は梅雨の間は気温が低く、秋田は雨が多かった。畑や庭への散水は昨年の半分にも満たず、私には楽だったし、涼しやすく快適であった。しかし、梅雨明けした途端に猛暑が襲ってきた。散水の要も機会も増えた。
 連日猛暑日続きで、自己判断で熱中症です、と言ってくる患者が増えた。

 間もなく台風10号が上陸しそうである。いつもなら台風一過とともに猛暑も、さすがに一段落するのであるが、私は右肩あがりに暑くなる日々が好きだから、逆向きの秋の夕暮れは大きな喪失感を伴う。だから、秋は五感が敏感になる。夏の間はそれほど気づかなかった夜の孤独感が一段と心にしみる。

 日は短く暗くなりかける中、静かに届く風の音、虫の声がある。耳をすませば、コオロギなどの秋の虫が鳴きはじめている。
 私の畑作業は終わりに向かう。秋の花はまだ咲くが、作業も細かいことはなくなる。今年の反省をもとに来年に向けて心の中で準備に入ることになる。

 外仕事から解放される分、自室で過ごす時間が増えてくる。
 今年の秋は何に取り組もうか、またマーラー、ブルックナーに再チャレンジしようか、何を集中的に読もうか、今年こそ司馬遼太郎か、などと思案することを楽しんでいる日々である。
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徒歩通勤2016(7) 福岡県通過 佐賀県に入った

2016年08月28日 11時27分41秒 | 徒歩通勤 ウォーキング
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。歩行実績が積算できる歩数計「新・平成の忠孝」の積算開始が4月7日からだったから、約3年余かかってΣ9537Kmに達し、九州の福岡県の海岸線461Kmを終了し、本日佐賀県に入った。
  
 福岡県に入ったのが7月6日であった。福岡県の海岸線は461Kmでこれを52日で通過したから8.9Km/dayとなる。山口通過時は7.9Km/day、島根県は約5.3Km/day、鳥取県は約5.0Km/dayであったから1日の平均時歩行距離は徐々に伸びている。天候が歩行通勤に適してきたためで、10Km/dayの目標値に近くなった。歩数にしてみると積算開始から現在まで9620歩/dayとなる。1万歩/dayの目標値に近くなった。福岡県の海岸線はもう一度通過することになる。

 私は旅行嫌いで、観光にも土地の味覚にもそれほど興味がない。福岡は遠い存在である。
 2003年4月、福岡市で日本内科学会総会が開かれ出席した。学会の内容はま完全に忘れているが、市民参加のアトラクションとして西村由紀江のコンサートが組まれていた。当時、西村由紀江については名前も知らなかったが、観ることも食べることにもそれほど興味なかったので、時間つぶしに参加した。

 彼女は純白のドレスに身を包みとても清楚な感じで、私の10mほどの近くでピアノに座った。私は彼女の持つ雰囲気に一目で魅了された。ピアノソロも見事であったが、弾き語りでピアノ伴奏付きの物語を二本演じた。語りの口調も上手であったが適宜挿入されるピアノ演奏の効果は抜群であった。私は息もつくのも忘れて、・・はいささかオーバーだが、それに近い状況で彼女の姿、表情を見つめ続けた。
 その後、彼女をNHK教育TVの日曜美術館で時に見たが、福岡の時にみた印象が再現されることはなかった。

 その演奏会からホテルに戻る時、鶴舞公園のベンチでアラブ系?と思われる30代ほどの男性が猫を胸に抱いたまま微動だにしていなかった。しばらく見ていたが、いつまでも動かなかった。おそらく日本に来て恵まれない条件のもとで働いているのだろう、猫を抱いて何を思っていたのか。
 
 私にとって福岡の印象を思い出すといえばまずこの二つである。もう一つ挙げるとすればホテルから10分ほどでいける福岡国際空港であった。屋上の観覧場所は滑走路からそれほど離れておらず、国際国豊かなデザインの航空機が10-15分間隔で離着陸するのを2時間ほど眺め続けた。これほどいい条件で航空機の離着陸を見たことはなく、朝夕空港に通った。これも忘れられない。

 いま通過中の佐賀の海岸線は長崎までの距離が比較的短く175Kmである 最近、多少意欲の減退も感じている。無理せず20日間かけて通過したい。
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男鹿・八郎潟の観光施設(2) 男鹿真山伝承館 4年ぶり2回目

2016年08月27日 15時24分52秒 | 旅行・出張報告


 8月20日(土)、3歳になる孫とその両親共々男鹿水族館GAOに出かけ、その後、なまはげの男鹿真山伝承館に立ち寄った。4年ぶり2回目の訪問である。

 私共、新潟大学医学部昭和46年卒業生は結構結束が強く、ほぼ毎年の如く同期会を開いている。各県出身者が持ち回りで会を開いている。2012年は秋田があたった。会はゴルフ大会、次いで講演、懇親会、時には翌日オプショナルミニツアーを組む。この時のミニツアーは男鹿巡りを行った。参加者は10名。この時に、男鹿真山伝承館でなまはげ行事の再現を見た。参加者には結構評判が良かった。

 なまはげは、昭和53年に国の重要無形民俗文化財に指定された行事で、毎年、大晦日の晩に男鹿半島のほぼ全域で行われる。伝承館では、この由緒正しい真山地区のなまはげ習俗を再現して見せてくれる。伝承館の建物は明治40年の民家で、寄贈されこの地に移されたもの。当時の住宅の様子を伝える貴重な遺産となっている。
 伝承館の隣には資料館があり、男鹿60の地区に及ぶ多種多様なナマハゲの面や衣装の実物を展示する「なまはげ勢揃いコーナー」、「神秘のホール」、「伝承ホール」、本物のナマハゲ衣装を身につけることができる「なまはげ変身コーナー」などがある。同じなまはげと言っても手の込んだものから簡素なものまでいろいろで、中には笑いを誘うような表情を持つものまであった。

 秋田の伝統なまはげには、子どもや嫁が怠けないよう戒める意味合いがあるとされる。仕事や勉強をサボり、長い時間いろりで暖を取っていると皮膚に赤い斑点が出てくるが、これを剥ぎ取る、ということに由来しているらしい。新嫁や子供たちがターゲットになっているのは意味深である。県内では男鹿半島だけでなく、能代や象潟など日本海沿岸の各地に同様の行事か伝わっている。

 伝承館ではなまはげが怖いと激しく泣き叫んだ子供がいた。最近は、なまはげを幼児虐待だと批判する意見もあるという。一方ではゲームなど仮想空間では放任しているのが一般的である。伝承館で味わうなまはげの体験は観光客目当ての仮想の体験とはいえ、子供の成長過程ではある程度の「怖いこと」を疑似体験させる必要がある、と思う。

 3歳の孫は耐えて泣かなかった。
 私の自室のドアには鬼の面が吊るしてある。孫が4人集まることがあり、そんな時私は早々に引きこもるが私の部屋には入ってこない。鬼の面の効果抜群である。孫たちが大騒ぎしてコントロール困難な時は「男鹿の鬼に電話する・・」というと治る。いつまで効果あるかわからないが、孫たちの心の隅には「怖いこと」としてバッチリ残っているようだ。成長後も、「怖いこと」、「痛いこと」などを友人らに強要しないように、何らかの、前向きの記憶として残ることを期待している。
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