福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

映画『里湖~八郎潟物語~」を観た いろいろ知ったが・・

2011年10月31日 12時47分17秒 | 映画評
 去る10月21日18:00から秋田市文化会館小ホールにて映画『里湖~八郎潟物語~」が上演された。
 私は秋田県の歴史を殆ど知らないので良い機会と、興味しんしん観に行った。主催は映画『里湖~八郎潟物語~」上映する会とのこと。会場は100人ほどだったろうか。

 八郎潟は、日本で琵琶湖に次ぐ第2番目に大きい湖であった。水は清み、ワカサギなどの魚が『水一升に魚4合』と言われるほど豊かに獲れ、周辺の住民達は湖と一体となった生活をしていた。人々は伝説の八郎太郎を通して、八郎湖に対して親しみと感謝の念を育んできた,とされる。「里山」はよく使われるが,「里湖」」と呼ぶのに接したのは初めてである。それだけ親しまれていたと言うことであろう。

 そんな八郎潟に重大な転機が訪れたのは昭和32年,食糧増産の国策として農地を増やすだけでなく、日本の未来の農業モデルとなる農村建設を目的として大干拓工事が始まった。干拓は堤防を作りその中の水を抜いて新たに陸地を作ることで、埋め立てとは異なる。「潟」だから出来る工法である。工事は20年かけて行われ、湖底を大地として広大な農地が誕生した。干拓後、八郎湖は面積が1/5になり、海と湖の間に水門が作られ淡水湖になった。
 以降、モデル農業として作られたはずの大潟村は国の減反政策の影響を受け波乱を迎えたが、新たな農産物を生み出すなど見事に適応した様に私には思える。しかし、端から見た第三者の無責任な意見なのかもしれない。

 一方、八郎湖は自浄作用が低下して水草は激減、生態系が崩れ、アオコが発生するなど水質が悪化、平成18年には湖の水質ランキングでワースト3であった。外来魚の繁殖などもあり,現在の湖の状況は深刻そうに見える。
 この程度の基礎知識しかなかったので勉強のために映画を見に行った。

 監督は男鹿市船川港生まれの岩崎雅典氏、浅利香津代氏が男鹿弁でナレーションを担当していた。八郎湖の歴史、工事の様子、八郎湖を元のきれいな湖に戻そうとする活動、大久保小学校の取り組みなどが次々と紹介され、多くの関係者の方々の思いを知ることが出来た。

 ただ、大部分を学者、地元の漁業関係者等のインタビュー,小学校の活動状況を通じて生の声で伝える手法で進めていたので、私にはやや物足りなかった。この方法も数多くの中の一つであろうが、もう少し問題点を濃縮し、情報として国民に広く発信していく手法もありだな、と感じられた。
 映画終了後、西木正明氏、岩崎雅典氏,他2名の方をシンポジストとして<八郎湖シンポジウム>「八郎湖の未来を語る」が企画されていたが、私は時間が無く、聴講しなかった。今となれば、惜しい機会を逃した,と思う。
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クロスバイク(6)取り締まり強化(2)遅きに失したし,今回も姑息的対応だ

2011年10月30日 05時10分28秒 | コラム、エッセイ
 いま歩道は人と自転車が乱雑に行き交い、歩行者は危険な状態に置かれている。

 警察庁は歩道での歩行者の安全を重くみて、幅3メートル未満の歩道は自転車の通行の許可を見直すことを決めた。さらに、歩道上の自転車を一方通行にすることも含んでいる。自転車の一方通行は事故を減らしたり,歩行者が迷惑することの軽減に一定の効果があろう。しかし、この発想は正しくない.自転車は何処を走ろうと始めから左側通行となっている。

 1970年と78年に道交法が改定され、車道での自転車の安全を守るために特例として自転車歩行者道が認められた。問題は例外のはずの自転車歩行者道がどんどん増やされ、今や歩道の半分近くにまで広がった。そして、歩行者・自転車間の事故の急増である。何でこの様なことになったのか?それは,いままで道路行政の中で姑息的な対応しかして来なかったことの結果である。

 自転車の安全を守るために歩道を走らせたことが過ちのスタートであり、自転車問題はこれで一件落着としたのかどうかは分からないが,走り方の指導や規制の徹底を図ってこなかったし、ズルズルと自転車歩行者道を増やしてった。結果的に,自転車は歩道走行すべしと言う風潮が出来上がってしまっている。自転車は車道走行が原則だよ,と言っても「ウソでしょう」と言う返事が多い。自転車は、車からは邪魔者扱いされ,歩行者からは迷惑者扱いで行き場を失っている。

 歩道を自転車が走ることによって歩行者が安心して歩けなくなったし、歩行者間との事故が増えた。私は秋田市内では歩道を歩くことは殆ど無いので実感していないが、かつて東京駒込の日本医師会館に頻回に出張していた頃、駒込駅から会館に至る迄の数100mの歩道は私にはとてもストレスであった。歩行者をよけて歩くだけでも嫌なのだが、前後から次々と自転車が走ってきて,私は完全に邪魔もの扱いであった。東京の方々は歩行者も自転車乗りもそんな環境を受け入れている様に思えてならない。

 自転車の安全を守るためには,車道にこそ手をつけるべきだった。そして、ドライバーの対自転車面での安全意識を作りあげるべきであった。
 いまの車道は一応白線が引いてあって自転車用にスペースが確保されている。ところが,確保されている路幅はせいぜい50-60cm、場所によっては10cmほどしかない。しかも左側には歩道との間に10cmほどの段差があるかブロック状の構造で歩道と分離されている。だから、心ないドライバーが自転車側に寄って来ると自転車は逃げ場を失い、多くの場合は転倒することになる。
 歩行者の安全確保についてはドライバーのマナーもかなり良くなってきていると思うが,対自転車では必ずしも良いとは言えない。
 
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クロスバイク(5)自転車走向の取り締まりが強化される。良いことだが、一方的だ

2011年10月29日 05時38分46秒 | コラム、エッセイ
 10月26日の新聞は自転車関連記事が目立った。警察庁が10月25日、自転車の交通ルール遵守を全国の警察署に指示したから取り上げられたもの。
 従来、自転車についてもいろいろな規定はあったが、これまで積極的に取り締まってこなかった。心ない自転車乗り、歩行者を巻き込む事故も生じており、今回方針を転換した。私はとても良いことだと思っている。

 自転車取り締まり強化に関連する記事は、見出しだけ見ると自転車が全て悪者になっている。
 朝日新聞社説は「危ない自転車 歩道は歩行者に返そう」、秋田さきがけは一般記事で「歩道の自転車 走行ルール無視後絶たず」,河北新報も記事で「自転車 車道走行を徹底」として記述している。同様の見出しで内容がほぼ同じ記事は岩手日報、福島民報にもあった。自転車がワル扱いされている。
 一方、この日は自転車に関して別口の記事の掲載もあった。 朝日新聞「自転車用ナビ続々 街めぐり人気で需要高まる」、河北新報「自転車専門店化 東北で加速」である.  
 自転車愛好者の一人として喜ばしいことだと思った。

 自転車は軽車両であることから、私は車歩道が分離されている道路では可能な限り車道の左端、白線があればその外側を走る。しかし、車道走行が無理なほど狭い道路で交通量が多いときにはバックミラーで後方の車を確認しつつ、やむを得ず歩道に避難する。その際、歩行者がいれば十分減速する。要するに、私は交通法規に則った、かなり模範的な自転車ユーザーの一人である。

 ところが、自転車はかなり多いが、車道を走る自転車は極めて少ない。殆ど私だけ。しかも、歩道を走る自転車は結構我が物顔であり、スピードも速い。車道を走っている私を歩道走向のスポーツタイプの自転車が抜いていくことも希ではない。そのような歩道を高スピードで走る自転車に肝を冷やした歩行者は少なくないだろう。

 道路交通法で自転車は車道の左側を車と同じ方向に走るべきである。
 昭和45年(1970)の道路交通法改正で「第63条第4項」に「自転車は車道通行が原則であるが、指定歩道なら歩道通行してもよい」とある。例外的対応として自転車も歩道を走ることができることになったが、問題はこの条項が拡大解釈され、「自転車は歩道走向すべし」と言う風潮を作り上げたことである。特に、車のドライバーが「何で自転車が車道を走ってるんだ」と自転車を邪魔者扱いし,とても危険である。ここまで、ほぼ全国民が「自転車は歩道」と思い込んでしまった今となっては、自転車を車道に戻すことは強力な法的対応をしなければ出来ない。

 やっと今になって警察庁が取り締まりを強化することになったのであるが、多くの自転車が歩道走行しているのはそれなりの土壌があったためで、わが国の道路行政の問題の結果である。それなのに「自転車をワルとして取り締まる」だけでは片手落ちである。
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国民皆保険制度(15)混合診療(6)の意義を明快にしてくれた原告へ感謝を

2011年10月28日 18時52分32秒 | 医療、医学
 平成16年当時、小泉首相は医療に競争原理を持ち込み,株式会社として医療機関を経営できるようにするために混合診療の全面解禁を求めてきた。この際には、日医が中心となって各医療関係団体に呼びかけ国民運動を展開し、その実現を阻止した。そして、混合診療ではない仕組みとして「保険外併用療養費制度」が18年に開始し,保険診療外であろうと一定の効果が認められるような診療行為は保険診療と併用できるようにした。

 控訴審で東京高裁は2009年9月29日に、前判決と逆に原告患者側の請求を退けた。理由として、保険医療機関及び保険医療養担当規則第18条で「保険医は特殊な療法又は新しい療法等については厚生労働大臣の定めるもののほか行つてはならない」とされており、保険医が保険外診療を行なうことは禁止されているが、高裁は「混合診療を原則として禁止したものと解するのが妥当」と判断を示した。
 これに対して原告側が控訴し最高裁で争われたが、昨日、最高裁の混合診療禁止を合法との判断を下した。

 混合診療は,確かに一部の患者に利する部分もあるが、ひとたび混合診療が認められれば、医療の安全性、公平性に対する基準が損なわれるばかりでなく、患者の経済力で受けられる医療に格差が生じ、その考えは持てるものの論理で助長されていく。結果として公的給付が縮小され、やがて相互扶助の理念に立つ国民皆保険制度としての意義は縮小し、制度自体が崩壊していくことになる。

 混合診療を禁止する根拠として国は保険医療療費担当規則を設けているが、「混合診療」という文言は使っておらず法的根拠として曖昧であった。それが、今回最高裁の判断が出たことで明快になったと言えよう。

 腎臓がんを患った原告の方は手術後に半年ほどで頭と頸の骨に転移が見つかったとのことであるが、今でも元気でおられる。ご自身は、これは混合診療を受けた効果であると思っているとのことである。そして、「基本的人権を侵害する行政から国民を守る姿勢を放棄した判決と言わざるを得ない」と述べ、敗訴はしたものの4/5人の裁判官が現行制度に疑問を投げかけ改善を促したことを評価した。

 この原告の方は病気になった上にこの様な長期の裁判に耐えて闘って来られた。結果として混合診療の位置づけが明快になった。原告に最も感謝しなければならないのは我々医療関係者である。
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国民皆保険制度(14)混合診療(5)は合法の最高裁判断が下された

2011年10月27日 13時13分42秒 | 医療、医学
 混合診療と言う言葉は一般の方々にそう馴染みがあるとは考えられ無いが、本日の新聞紙上では「混合診療は適法」と見出しを付けて最高裁判決が出たことを各紙が論じた。

 混合診療は慣用されてはいるが、法律用語ではなく、従って定義ははっきりしているとは必ずしも言えない。要するに、混合診療とは健康保険で給付が認められている医療と給付対象外の医療とを同時に行う事を示し,日本の国民皆保険制度の中では原則的に認めていない。そして、混合診療を行った際には健康保険の給付対象になる診療費を含めて全額自己負担となる事になっている。
 例えば、乳がんの手術は保険適応であるが、乳房の形を整えるための手術は治療行為ではなく美容整形に相当するとして保険診療では行えない。これを同じ入院期間に行うと、乳がんについての治療費用を含め、全医療費が自己負担になる。

 従来から混合診療は患者に利することから認めて欲しいとの意見は聞かれていたが、原則論が貫かれてきた。これに異を唱えた患者から裁判が起こされ、一度は混合診療は禁止は違法、との判断が成され驚いたが、この度、「日本の健康保険制度の中で混合診療の原則禁止は違法ではない」との最高裁の司法判断が初めて下された。

 原告は腎臓がんに罹患した方で、2001年から保険診療の「インターフェロン療法」と、自由診療の「活性化自己リンパ球移入療法」を併用していたが、2005年病院から混合診療にあたるので続けられない、と告げられた。これに対し、「自由診療の併用で保険診療分まで認められなくなるのは不当であり、患者には混合診療を受ける権利がある」と訴えたもので、以後、本日まで「混合診療の原則禁止」に法的な根拠があるかどうか、憲法違反ではないか、が争点となっていた。

 2007年11月7日、東京地裁で出された判決では、「健康保険法は個別の診療行為ごとに給付対象かどうかを判断する仕組みであり、保険を適用するかどうかは個別の診療行為ごとに判断すべきで、併用しても本来保険が使える診療分まで自己負担にすると言うことに法的根拠はない」とし、更に「判決はあくまで法の解釈上の判断で、この判断が混合診療を容認をしたのではない」、とも述べていた。
 要するに、「一部別物を上乗せしたからと言って、全体を否定することに法的根拠はない」と言いながら、「上乗せして良いか否かは司法の判断では出来ない」と言っている。保険診療そのものの解釈も,混合診療についての部分も報道から得られた範囲の情報ではよく理解できない判決であった。

 この地裁の判決は、世界に類をみない、わが国独自の保険皆保険制度の根幹を揺るがしうる判決であった事から、国は控訴していた。
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