福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

体毛考(1):生える場所によって差別される気の毒な臓器


2014年05月31日 14時44分16秒 | コラム、エッセイ
 私には、髪の毛などの体毛が過不足なく生えていて不満は一切ない。あえて不満を言えば髪の毛とヒゲが伸びてきて定期的に刈り取らなければならないこと位である。怠け者の私にとってはその対応が実に面倒くさい。 

 ただ、考えてみれば、いや、別に考えなくても良いことではあるが、体毛側に言わせてみれば、同じ一人の個体に生えているのに、生える場所によって全く別の扱いを受けている、これは何なのだ!!! 不平等でないか?基本的毛権の侵害だ、と思っているに違いない。いや、必ず思っているはずだ。

 同じ毛なのに、人間の毛は、毛髪、耳毛、鼻毛、脇毛、胸毛、陰毛、脛毛、ヒゲ、眉毛、睫毛、指毛・・などとこと細やかに名前をつけられているが、これは差別をする為に付けているとしか思えない。これらの名称はきちんと広辞苑にも載っている。

 一方、ネコなどの場合、頭の毛、しっぽの毛とか大雑把には言うが毛髪、尾毛など明確な分類や名称はない。ネコの体毛の名前など広辞苑にも載っていない。動物の場合の体毛は何処に生えていてもほぼ平等に扱われている。人の毛よりなんと幸せなことか。

 ところで、何でわれわれには毛が生えているのだろうか。保温のため??

 地上で暮らす哺乳類の中で人間は体毛がとても少ない。かつては全身毛に覆われていたとされるが本当だろうか。私はそんな人に会ったことはない。僅かに「雪男」の絵として残っているだけ。人間の場合、「雪男」の様な毛むくじゃらの時代が本当にあったとする根拠や事実はあるのだろうか?

 体毛は人間の歴史のかなり早いうちに大部分が退縮してしまった、とされているが本当だろうか。人の場合、新生児は若干の頭髪以外は殆ど毛がない状態で、あっても産毛の状態で生まれてくる。人間の発達段階で全身の毛が退縮したのであれば、胎児の一時期毛むくじゃらの時期があるのではないだろうか。

 頭髪、眉毛、睫毛以外の体毛は性徴と密接な関連があり、成熟にするにしたがって、必要なところに生えてくる。
 人間の場合の体毛は保温の為ではない、種の保存の為にある。
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作家 渡辺淳一氏が死去された(2) 死をきっかけに改めて氏の作品に触れたい

2014年05月30日 15時34分20秒 | コラム、エッセイ
 作家の渡辺淳一氏に関して、その作品についてWikipediaを検索してみた。私の予測は大幅に外れそこには多数の作品がリストアップされていた。小説、歴史・伝記小説、随筆などここの作品を上げることは不可能なほどの数で驚いた。

 角川書店 が1995-1997 年にかけて頒布した渡辺淳一全集は24巻もある。その後も作品を発表しているからその数は驚くばかりである。映像化された作品も30本もあるようである。氏はその筋の評価では粋な遊び人だったともされる。どんな生活ぶりだったのだろうか、と改めて思う。

 氏は1970年には「光と影」で直木賃、80年には「遠き落日」で吉川英治文学賞を受けている。
 私にとっての氏の最高の作品はこの「小説・心臓移植」であるが、実際その後の作品はあまり読んでいなかった。徐々に氏の作品が「エロス」の方向にシフトしつつあったことも距離を置いた理由の一つであった。同じ医療関係であることで、解剖学的、生理学的知見、精神心理学的知見が表現されることに一種の気恥ずかしさがあったからである。

 「失楽園」、「愛の流刑地」、「ひとひらの雪」などで男と女の性愛の世界を描き続けた。実際に本を手に取ったり映像を見たことはまだないが、名前は知っている。氏の作品には「無影燈」、「白き手の報復」、「麗しき白骨」、「麻酔」など医療関連の題名が多い。

 荻野吟子の伝記小説「花埋み」は既に読んだが、野口英世の伝記「遠き落日」、乃木希典夫妻の生涯を綴った「静寂の声」、与謝野鉄幹・晶子夫妻を取り上げた作品もある。

 エッセー作品はでのベストセラーも多い。「鈍感力」「欲情の作法」などがある。

 氏は人間の愛と性を描き続けた。嫌らしい情痴小説と言われたこともあるようであるが、「エロス」には「生きる」エネルギーとともに「死」の影がつきまとう。氏は作家としての生涯を通じて、その点を表現し続けたのではないだろうか。

 私にとっては強烈な存在感があった作家である。氏の死を機会に上記に上げた作品を中心に読んでみたい、と考えている。
 今なら氏の言いたかったことが分かるかもしれない。
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作家 渡辺淳一氏が死去された(1) 初期の「小説・心臓移植」はむさぼる様に読んだ

2014年05月29日 13時46分31秒 | 書評
 この4月30日に作家の渡辺淳一氏が前立腺がんのため自宅で死去された。享年80歳であった。
 私は自分以上の年齢の方の訃報に接してもそれほど驚くことはない。氏の場合も「お亡くなりになったか・・」と淡々と感じただけであった。一方、自宅で死去された、と言う事には興味を引かれた。最終的な状況は分からないが、作品が「エロス」を描いた氏らしい最後かな、と思った。「エロス」には「生きる」ことと濃厚に関連しており、「生きること」の究極の到達点は「死」だからである。覚悟なさっていたのであろう。

 私は学生の時に氏の存在と作品を知った。
 1968年8月8日に日本初の心臓移植が札幌医科大学で実施された。

 私は当時新潟大学医学部の学生であった。この心臓移植成功にいたく興味を感じ、心を踊らせながら新聞や文献、図書館の資料などで綿密にフォローしていた。40年以上も前の事であるが、当時の事はいまでも鮮明に覚えている。当初この心臓移植手術は世界で8番目と言う事もあって脚光を浴び、日本中が注目する事となった。しかしながら、移植後3ヶ月ほどで患者が死亡した。

 患者の死を機会に一気に倫理上の問題点、隠蔽工作などが明らかになり、社会的にもバッシングたの対象になった。
 この18歳の患者の病状が心臓移植の適応患者ではなかった可能性も発覚、溺死したとされる21歳のドナーの蘇生自体もかならずしも適切な処置をほどこしていたわけではないことなどが明らかになった。

 和田教授は大阪の漢方医らによって二人のいのちを奪った罪で刑事告発された。結果的に不起訴となったが、この一連の経過は和田心臓移植事件と呼ばれ、わが国の心臓移植は大幅に遅れ、第2例目が行われるまで31年を要した。

 当時、氏は札幌医科大学の整形外科の講師で、69年に「小説・心臓移植」発表したが、学内の反発が強く辞職を余儀なくされ、上京して専業作家となった。
 「小説・心臓移植」は後に「白い宴」と改題された。また、当時、北海道新聞は治療の推移を熱狂的に報道したが、後に報道姿勢を振り返った書籍を出版した。これも手に入れ隅々まで、何度も何度も読み返したものである。また、後に移植学会、病理学会でも種々の検討が行われたが、その学術論文も多数読んだ。

 私にとっての氏の最高の作品はこの「小説・心臓移植」であるが、実際その後の作品はあまり読んでいなかった。「小説ダブル・ハート」、小説「 リラ冷えの街」、 伝記小説「花埋み 」程度であった。徐々に氏の作品が「エロス」の方向にシフトしつつあったことも距離を置いた理由の一つであった。

 今回氏の訃報を聞いて 小説「花埋み 」を読み返してみた。見事な完成度の高い作品である。
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社会保障は消費税増税でよくなるのだろうか?(2) 10%へ消費税増税後も疑問である 

2014年05月28日 15時10分31秒 | 医療、医学
 8%になった消費税増税分、5兆円は社会保障のために回される事になっているが、一般会計に組み入れられるのと何ら違いが無い。

 消費税率は、法律では来年10月に10%に引き上げると定めている。最終判断は「経済状況の好転」を条件としているが、この引き上げで更に2.8兆円が国の増収となる。
 一方、国は社会保障を厚くすると言いながら以下の様な緊縮策を計画している。すべて実行されれば3.5兆円軽減することになる。要するに消費税は上げるが社会保障は一層薄くする、と言う事だから、政府の消費税増税に関する説明はやはり欺瞞と言うべきでなかろうか。
―――――――――――――――――――――――

■70-74歳の患者負担1割→2割。
■入院給食の自己負担化。
■一定所得ある利用者の介護保険自己負担1割→2割。
■介護保険施設の食費住居費補助縮小。
■年金の特例水準解消。
■年金のマクロ経済スライド縮小。
―――――――――――――――――――――――


 税率が10%に上げるのは、今年7-9月期まで一の国内総生産(GDP)の成長率が伸びている事が条件である。消費税増税法案の付則では、成長率を「名目3%、実質2%」としている。これは決して楽なハードルではない。だから消費税10%にはならない可能性がある。

 私は消費税増税は社会保障改革のためには直接役に立たないと思う。だから、社会保障の面からは8%であろうと10%でもかまわない。

 ただ、再増税をやめる場合の影響は大きい。政府は「税率10%」を前提に、構想を練っている。従って、10%へのアップをやめる場合は、想定より少ない財源で予算配分を考え直さなくてはいけない。社会保障への影響は小さいが財政健全化と言う意味では問題の先送りになる。

 国の財政を考えれば、再増税は避け難いが、景気が失速しては元も子もない。
 安倍首相はアベノミクスの成果でいい気分にあると思う。しかし、消費税増税はアベノミクスのブレーキ役になりうる。首相の悩みはまだまだ続く。

 どちらにせよ,消費税増税と社会保障改革は目的と結果の面で乖離が生じている。
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社会保障は消費税増税でよくなるのだろうか?(1) 消費税増税分はどこに行く??

2014年05月27日 04時38分55秒 | 医療、医学
 消費税増税の大義名分は「消費税の増収分5兆円はすべて子育て・医療・介護・年金といった社会保障のために使われる」であった。野田総理の時に消費税増税案が国会を通過した。野田総理の説明は熱を帯びており、消費税増税 → 社会保障の充実、と言った図式で論じられていた。

 安倍政権では消費税増税を実施した。安倍総理の説明は様変わりしている様な気がして聞いていた。消費税増税 → 社会保障の充実ではないのでは??と思わせたが、政府公報では相変わらず消費税増税によって財源が確保されたり、充実するかのように宣伝している。

 その説明は本当だろうか??
 ■消費税増税分のお札や小切手に色でもついていて消費税がどのように社会保障の経費として使われるか分かるのであれば、政府の言う事をフォローして納得と、安心の納税が出来るのだが・・・。

 現実にお金には色がついていない。だから、この面での追求は出来ない。

 ■もう一つは、増税分5兆円が、従来の社会保障費にそっくり上乗せされるのであれば、納得出来る。しかし、社会保障費の総額は殆ど増えていない。すると、消費税増税分はどこに行くのか??

 ■消費税増税収入5億円の使途の8割以上に相当する4.2兆円は、「年金の国庫負担分2分の1の恒久化」として約3兆円、「既存の社会保障の安定財源確保」として1.3兆円振り向けられる事になっている。なるほど、消費税増税分は確かに社会保障に回される事になる。しかしながら、これらの経費は増税前から別の予算が組まれてすでに実施してされている分である。従って、これが単に消費税に名前が置き換えられただけでないか。

 要するに、消費税増税分が名目上で社会保障のために回される事になるが、それまでその名目で用いられた経費がそっくり一般会計に戻されるから,実質的には消費税増税分が社会保障費に名目上で置き換わっただけで一般会計に組み入れられるのと何ら違いが無い、ということになる。

 国の財政は複雑でよく分からない。そうは言えど、政府の説明は欺瞞と言うべきでなかろうか。

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