本書は虐待ー大阪二児置き去り死事件」からインスピレーションを得て書き上げた小説、フィクションである。
著者の山田詠美氏は1959(昭和34)年生れ。明治大学文学部中退。1985年『ベッドタイムアイズ』で文藝賞。1987年には『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞。1989(平成元)年『風葬の教室』で平林たい子文学賞、1991年『トラッシュ』で女流文学賞、1996年『アニマル・ロジック』で泉鏡花文学賞、2000年『A2Z』で読売文学賞、2005年『風味絶佳』で谷崎潤一郎賞を受賞。現代を代表する人気作家の一人である。
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本作のモチーフは、2010年の大阪二児置き去り死事件。
参考文献として 杉山 春著のルポ「虐待」が挙げられている。本書はあくまで、作者目線の創作小説。悲惨な事件の報道では、娘が何故そこまでひどいことをしたのかは理解できなかったが、登場人物が巧みに関連つけら説明されている。双方を読めば事件の理解がしやすくなる。
育児放棄などの母親たちにまつわる問題だけでなく、DV、性的虐待、子どもの人格否定、マザコン、性を媒介に関与する男たちの罪深さ、が多様に描かれている。
ストーリーの構成として、■ 子供を放置した娘の母、すなわち祖母 ■ 子供を放置した当該の娘、■ 死亡した幼児、の3者の視点から事件までの経過が語られる。
祖母と娘は子供時代から「自分は守られていて安心できる。」という感覚を欠く家庭での生活が描かれ、この辺から事件の芽が始まっているように思われる。
今、フィクションという形で関係者が互いにつながった状態を読み、罪を犯した娘がその奥に何を抱えていたかを少しだけ理解はできたような気する。
この物語を通じて、セフティーネットがない日本の社会の現実、「公助」がいっそう注目されるべきだが、日本人は他者を思いやる想像力を失い、冷たくなった。
「自助」が「自己責任」と名前を変えて押し付けられるようになった。
「真のつみびとは誰なのか」。
虐待や貧困といった不幸は世代間連鎖する。人は生まれた環境によってスタートラインが各々異なる。
苦境に陥っても助けを求める声を上げることもできず、ただ逃げまどい、あるいは立ちすくんで何もできない。犠牲になるのは、女性や子供という弱き者たち。
著者は母親だけに責任があるのではなく、様々な負の連鎖が積み重なって事件が起きたと考える。虐げられて、精神に異常をきたした祖母、粗野な男達に、都合のいい女として利用されてきた母親の心の叫びが、著者の多彩な表現で描かれていく。
こんな事件が生じた際に「自己責任」と責めることは簡単。しかし、それは何の問題の解決にもならない。 女性たちを責めて追い詰め、重い判決を下しても、何も変わらない。そこまで追い詰めた環境にこそ、そういう日本の社会そのものこそ第一の原因がある。
このような悲劇を減らすためにはどうすべきなのか、
筆者はこれまで語りえずにいたあらゆる事柄を言語化して、代弁している。
著者の山田詠美氏は1959(昭和34)年生れ。明治大学文学部中退。1985年『ベッドタイムアイズ』で文藝賞。1987年には『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞。1989(平成元)年『風葬の教室』で平林たい子文学賞、1991年『トラッシュ』で女流文学賞、1996年『アニマル・ロジック』で泉鏡花文学賞、2000年『A2Z』で読売文学賞、2005年『風味絶佳』で谷崎潤一郎賞を受賞。現代を代表する人気作家の一人である。
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本作のモチーフは、2010年の大阪二児置き去り死事件。
参考文献として 杉山 春著のルポ「虐待」が挙げられている。本書はあくまで、作者目線の創作小説。悲惨な事件の報道では、娘が何故そこまでひどいことをしたのかは理解できなかったが、登場人物が巧みに関連つけら説明されている。双方を読めば事件の理解がしやすくなる。
育児放棄などの母親たちにまつわる問題だけでなく、DV、性的虐待、子どもの人格否定、マザコン、性を媒介に関与する男たちの罪深さ、が多様に描かれている。
ストーリーの構成として、■ 子供を放置した娘の母、すなわち祖母 ■ 子供を放置した当該の娘、■ 死亡した幼児、の3者の視点から事件までの経過が語られる。
祖母と娘は子供時代から「自分は守られていて安心できる。」という感覚を欠く家庭での生活が描かれ、この辺から事件の芽が始まっているように思われる。
今、フィクションという形で関係者が互いにつながった状態を読み、罪を犯した娘がその奥に何を抱えていたかを少しだけ理解はできたような気する。
この物語を通じて、セフティーネットがない日本の社会の現実、「公助」がいっそう注目されるべきだが、日本人は他者を思いやる想像力を失い、冷たくなった。
「自助」が「自己責任」と名前を変えて押し付けられるようになった。
「真のつみびとは誰なのか」。
虐待や貧困といった不幸は世代間連鎖する。人は生まれた環境によってスタートラインが各々異なる。
苦境に陥っても助けを求める声を上げることもできず、ただ逃げまどい、あるいは立ちすくんで何もできない。犠牲になるのは、女性や子供という弱き者たち。
著者は母親だけに責任があるのではなく、様々な負の連鎖が積み重なって事件が起きたと考える。虐げられて、精神に異常をきたした祖母、粗野な男達に、都合のいい女として利用されてきた母親の心の叫びが、著者の多彩な表現で描かれていく。
こんな事件が生じた際に「自己責任」と責めることは簡単。しかし、それは何の問題の解決にもならない。 女性たちを責めて追い詰め、重い判決を下しても、何も変わらない。そこまで追い詰めた環境にこそ、そういう日本の社会そのものこそ第一の原因がある。
このような悲劇を減らすためにはどうすべきなのか、
筆者はこれまで語りえずにいたあらゆる事柄を言語化して、代弁している。