7/6の公演 わたしらしく生きるために 今わたしがカタリたいこと にそなえ 一昨日 資料つくりをしました。ところが きのう印刷にかえようとしたところ 改憲素案がまちがっていることに気づきました。2005年案と2012年案がまじってしまったのです。徹夜の作業が水のアワとなりましたが あらためて 自民党案のスサマじさと 現行憲法がどのように国民を守ろうとしているかがよくわかりました。
憲法はほかの法律とは違います。国が規則を国民に課するのが民法などですが 憲法は国民を守ることを 国に求めているのです。この憲法は世界的に見ても 古びていません。そしてGHQのお下げ渡しではなく 原案をつくったのは日本の民間組織 憲法研究会でした。大正デモクラシー ワイマール憲法 さまざまな叡智を結集した原案にGHQが10項目を追加したのです。
このことは公演が終わったら 随時 UPしてゆくつもりです。
だから押し付けられたのではない。それに押し付けられたと仮にしても ダレが押し付けられたのか?
国民ではありません。権力者ならびに天皇制が このままではいけない と 言われたのが現行憲法でした。
明治憲法は天皇が主役でした。国が主役でした。臣民は国のため(軍部・官僚)天皇陛下のために存在し 死地にも赴いたのです。それはしなくてはならない義務でした。
(こころのうちでは 親や家族や愛するもののために 行ったとしても)
戦後 手にした あたらしい憲法ではじめて 国民が主役になりました。ひとりひとりにわけへだてなく 生存権 基本的人権があることをたからかに宣言した憲法です。
人権は 他の人の権利を侵さない範囲において ひとしく みなが持っているのです。
自民改憲案では この基本的人権がバッサリ 切られているのです。
自民党案では
公共の福祉 ⇒ 公益及び公の秩序 個人 ⇒ 人
に置き換えられています。似ていますが 意味はまったく異なります。
公共の福祉 とは 他者の基本的人権を侵さないこと 公益及び公の秩序とは すなわち 国のことです。
個人とはかけがえのない ひとりのひとであり ひととは民衆 国民 人間 をひとくくりにしたことばです。
天皇陛下は国の象徴から国家元首になります。
つまり まがりなりにも 国民が主役だったはずなのに 主体は 国 天皇陛下に 徐々になってゆく....そんな恐ろしさがあります。
そのほかにもさまざまな 仕掛けが施された 恐るべき法案.....あとで じっくり その隠された目的を検証しましょう。