遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   民主党の小沢一郎幹事長が平成17年11月、沖縄県宜野座(ぎのざ)村で約5200平方メートルの土地を購入していたことが18年1月28日、登記簿や衆院の資産等報告書で分かった。建物もない「原野」で、使途は分かっていない。土地は米軍普天間飛行場の移設予定地に近い....

産経新聞の2010.1.29のニュースです。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100129/crm1001290151003-n1.htm

普天間に決まった.....普天間に土地を買っていた。......偶然と思いたいけれど、あまり賢くありません。米軍基地は国外移転に向けてがんばってほしかった。


   小沢鋭仁環境相と中国の周生賢・環境保護部長は22日、北海道千歳市で会談し、春先に中国大陸から飛来する黄砂対策で連携を強めることを確認した。......
 .....小沢環境相は、途上国の温暖化対策を支援するために12年までに官民合わせて1兆7500億円を拠出する「鳩山イニシアチブ」の一環として、資金協力する姿勢を見せた。黄砂は中国が排出しているのに なぜ日本が資金を出すのか、理解できません。


   民主党の存在理由はあると思うけれど、口蹄疫のミスといい 今回のことといい あまりに無神経で切ない。日本の国益を守ってほしいと願うのみ.....


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   縄文の神について考えていました。仏教伝来以前、それより昔、天津神(アマテラスオオカミの御一統)以前の神、それ以前、日本を治めた国津神よりもっと昔の.....精霊があまねく自然におわした頃のはるかな記憶が、わたしたち日本人の魂の奥底に地底の水脈のごとく今も脈々と流れているように思います。それは日本の縄文時代---狩猟採集文化が世界的にみても例を見ない長いものだったことに起因しているのでしょうか。

  「昔話の死と誕生」を読み返して気になったところを、まとめておきます。

1 狩猟採集文化の宇宙像
  自然=神 意識と無意識がつながっている、生と死がつながっている、霊的なものと肉体(実存) 自然と人間 見えるものと見えないものがつながっている、円環をなす一元的宇宙像

2 農耕牧畜文化の宇宙像
  自然界と人間界が並列している、神々の崩壊 自然は異界となり始祖神は異界の魔となる。→自然神に代わる人格神・キリスト・仏陀の登場によりひとびとは神を得る。生と死 人間と自然 霊と肉体 光と闇が対立する人間中心の二元的宇宙像

3 科学技術文化の宇宙像
  自然は物質、素材となる、人間も物質であるという意識を持つが、創造力により神に近い存在と自らを考え、素材としての自然を破壊する。自然の否定 神の否定 霊の否定 

4 きたるべき第四の宇宙像
  科学技術文化の行き詰まり→霊と肉体(実存)自然と人間の調和 全体性の回復

第四の宇宙像 あたらしい文化の出発に際して 重要な役割を果たすのは狩猟採集の宇宙像ではないか.....松居友さんはこのように語りかけます。....わたしたちは、人間の原点だった狩猟採集文明の宇宙像を吟味し復活させ、さらに農耕牧畜文化と科学技術文化の中で異界に押し込まれたものを回復させ、そのうえにそれらを包括したより大きな宇宙像を生み出し、その宇宙像を基にして、あたらしい文化の創造に着手しなければならない。

もっとも重要な鍵は、昔話をはじめとして実はすべての芸術や哲学や宗教が絶えず語り続けてきたように ”生”と”死”である。

......この本が書かれたのは1988年のことでした。それから20年あまり、たしかにあたらしい息吹は感じます。医療についても近代医学だけでなく、さまざまな代替医療が取り入られるようになりました。一時は科学的でないと排斥されたスピリチュアルなことがオーラの泉などから社会的に市民権を得るようになりました。地球を癒そうという動きが起こりました。

    けれども いいことばかりではありません。お金や利権と深く結びついた宗教、科学の衣をまとったカルト的スピリチュアリズムが跋扈しています。本来 地球・自然は”やさしく” ”癒して”あげるものではありませんでした。物質と科学の文明はますます行き詰まり、人類は自らの生き残りのために方向転換をやむなくされたのですが それだけでなく わたしたちの血のなかに潜んでいる太古の畏怖...喜び....二元的な相対立する宇宙観ではなくつながっている包括的な宇宙観が自らを癒しながら 鎖をほどきながら 目覚めようとしている.....と見ることもできます。文明のもとは個々のひとの内省であり、つなぎゆく手であるような気がしています。

    とすれば10年前の語りはじめに、語りについて 「ひとの魂の奥底に流れる共通の意識のとびらをたたくこと」 と定義したのは間違ってはおらず わたしもまた原点により深く回帰するときがきたのかな....と気持ちをあたらしくしました。
   

 

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    おはなし会.....鳩椋十さんの野犬アカの話を語ろうと間際までやってみたのですが、このところの仕事の忙しさで間に合いませんでした。小学校三年生のクラス 手白のさるを語りました。群馬の方言は秩父の方言に似ています。子どものころ聞いた方言はからだのなかにすこうし残っていて出てくるリズムやイントネーションに任せました。

    とちゅうで男の子がひとり泣き出しました。ごしごし目をこすっているようすがいとしかったです。だいぶ前のことですが 幼稚園でクラスの半分が泣いてしまったことがあります。淡々と語っていても 間違ったとしてもいっしょうけんめい子守をした手白、おじいさんに叱られた手白に子どもの気持ちが重なってしまうのでしょう。

    時間があまったので権現堂の伝説をやさしくして語りました。終わったあと熟年の女性の教師の方がじっと目をみて「よいお話をありがとうございました」とドアの外まで見送ってくださいました。人柱...ということばについて ものがたりのなかで説明したのですが、学年文庫の整理とそうじをしていると、人柱について 子どもたちに説明していました。

    子どもたちはやさしいです。10年前より幼くなっているように思います。幼くてもひとつの魂、魂という面から見ればおとなでもこどもでも同じことです。異論があるかもしれませんが、子どもだから....という気持ちはすてて、ひとつの魂に向き合うつもりで 語ってゆきたいと思います。


 

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    口蹄疫について、かなり深い陰謀があるようです。隣国、わが国の宗教団体がからんでいるとか......。

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    和牛はまさか全滅!? 夫は牛スジの煮込みが好きでした。スジを煮込むとき、丹念にアクをとります。アメリカやオーストラリアなどの輸入牛をつかったときもあるのですが、とってもとってもアクが出て辟易しました。いい和牛のスジはアクが出ません。そしてとても美味しいのです。畜産農家のみなさま わたしは牛は食べませんが どうかあきらめないで日本の畜産、安全な食のため がんばってください。




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