遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   ”日本語はなぜ美しいのか”黒川伊保子著
を読みました。首をかしげるところもないわけではありません。著者の言う”発音体感”は日本語のみにあるのではなく、英語にもあるように思うからです。たとえば日本語のラ行のことばは流転、輪廻、のように回転や螺旋を意味することばが多いのですが、英語でもringとかrollngとか回転にかかわることばが多く見受けられます。けれども全体としては読み応えがありました。著者は子どもたちが早期に英語教育を受けることは母語喪失の危険があると説いていますが、今日は語り手としての立場で紹介しましょう。

    その①
日本語は世界でもめづらしい母音を主体に音声の認識をする国である。

    その②
風土と意識と身体感覚とことばがしっかりむすびついた母国語(日本語)はことばに込められた情感が深い。ひとびとが暗黙のうちに情感で共鳴しあうので意味ではなく”感じ”で伝え合うことが多くなる。   

    その③
母語は親が子へ、息遣いやまなざしまでもつかって、全身全霊で伝えるもの。わが子にことばを与えるということは、宇宙を授けるのと一緒なのである。

    その④
ことばを構成しているのは音韻であり、音韻を構成しているのは発音体感である。発音体感はことばの本質である。
例 おおきい ちいさい ぬくぬく ひえびえ さらさら ころころ
ことばは音韻のならびであり、、その発音体感が、潜在脳にしっかりとことばの象をつくりあげる。ソクラテスはこのことばの象と、実体の事象が合致する言語こそ美しいといった。

    その⑤
わたしたちは.....事象に似た発音体感をあじわうために、言い換えれば魂の共鳴を感じるがために、ことばをしゃべっているのかもしれない。わたしたちは対話によって、意味を超えたより深いものを交換しているのだ。ソクラテスの論を借りればそれのできる言語とできない言語があり、それができる言語こそ美しいのである。

   
    いかがでしたか?
音韻のひびき、ひびくのは母音だけですが、そのひびきで共鳴しあう、親子が交感する、語り手と聴き手が交感する......とてもうつくしいイメージが浮かんできます.......意味を超えたより深いもの......それはいったいなんでしょうか。







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