「思い出のマーニー」は好きな映画のひとつである。.... が、気になる点がいくつかあるので書いてみる。
いわゆるネタバレですので ご注意ください。
杏奈について
(善意で)触れられたくないところをついてきた 近所の少女に「太っちょブタ」と 叫んだこと。
その子はたしかに 太っていたが なぜ 太っちょぶた なのか? あのことばを聴いてぎょっとした女性は少なくないと思う。
杏奈という少女の 軸 がよくわからない。思春期の揺れ動く心理? かもしれないが ブレブレで 杏奈という少女がよくわからない。
ばあや と 双子の女中について
マーニーをいたぶる悪の化身のような三人 なぜこの三人があれほどまで 意地がわるいのか ただのコマとしての配置なのか
宮崎監督は 一方的な悪というものはほとんど描かなかった。悪人もきわめて魅力的だった。
ナウシカに対する トルメキアのクシュナ もののけ姫のエボシ御前 ラピュタの海賊のばぁちゃん ハウルの荒地の魔女
みな軸があった。 生き方ににじみ出ていた。人物が生きていた。
米林監督は女性を描くのが巧みというけれど それは うつくしい少女にかぎるのだろうか。宮崎監督の女性像には監督の
女傑である母上が投影しているというが 熟年の女性もうつくしい。
主人公がいきいきと生きて ものがたりが まわりだすのと ものがたりのスジ 舞台回しのために人物を配置するのは
まったく 違う と思う。
マーニーについて
マーニーは実に魅力的だった。原作の主人公は 杏奈であるのに アニメでも杏奈に比重がおかれるはずなのに 監督の愛ゆえか
マーニーの救済のものがたりになっている。
「どうしてわたしを置いていってしまったの!?どうしてわたしを裏切ったの!」
「ああ杏奈、わたしの大好きな杏奈、お願い!わたしを許してるって言って!」
「もちろんよ、許してあげる!あなたが好きよ」
全てをうけいれ ゆるす 全き愛につつまれマーニーが 歓喜の表情で光のなかにとけてゆくとき思わず 泣いてしまう。
実は このとき 杏奈も マーニーをゆるすことで 義母をゆるし 自分を許し 救われている。
ここが この映画のクライマックス で このシーンですべてをOKにしてしまってもいいのだが。
あとで わかるのだが どうしてわたしをおいていってしまったの これは 実は 杏奈の母 マーニーの娘にかぶっている。
マーニーは身体を壊し 娘を施設に入れた。娘はマーニーをうらんだまま 杏奈を残して 事故死。
マーニーは杏奈を育てようとするが 杏奈を残して病死。杏奈は義母に引き取られる。
マーニーは悲嘆と後悔のうちに亡くなったであろう。そのマーニーが娘と孫娘に ゆるされ 天上に上るシーンでもあったのだ。
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マーニーの老後はあのような映像 あのような声として 出してほしくなかった。
久子 という 画家 また あの老人 めがねの少女は とってつけたような存在だった。
画家よりも 老人に語らせたかった。
映画でも なんでも 人間が生きていれば 見るに足る。その人間が個人の枠をこえて (架空であっても 現在=今 とつながっている)
歴史のなかで社会のなかで環境のなかで 世界を変えようと自分のいのちを賭けて戦っているなら
わたしたちの血を騒がせ もしかしたら 社会にインパクトを与えるほどのちからとなる。 優れた映画 選れた文学 秀れた音楽とはそういうものだ。
宮崎アニメの秀作はまさにそういうものだった。その宮崎アニメの稼いだお金が....あのワンシーンに費やされたことを
わたしは どのように 感じているのだろう。
ホットロード .... 春山がよかった原作の春山はもっとエッジがきいてたけど コレはコレでよかった レナちゃんがよかった
木村ヨシノ なんとかしてくれ おろかな身勝手なおんな でもかわいいおんなをもっと見せてよ。終盤 映画は一挙にダレる、残念ながら.....
長すぎる。 教訓はいらない 浮いたことばでなく 映像で見せてくれ いのちを。
それから 特殊なありがちなシチュエーション 離婚とか 不倫とかからくる不幸 孤独じゃなくてね もっと普遍的な孤独
を描いてほしいものだ。 闇のなかで自分よりも大切なひとをみつけた....というときめきをゾクゾクするほど 感じさせてほしい。