南斗屋のブログ

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関東大震災・横浜地方裁判所の崩壊

2023年04月10日 | 歴史を振り返る
関東大震災・横浜地方裁判所の崩壊
(はじめに)
 関東大震災というと、東京の被災のイメージが強いですが、震源に近い横浜も甚大な被害を受けています。横浜の被災状況について書かれたものとして、今井清一『横浜の関東大震災』(2007年)があります。

(横浜地方裁判所は崩壊)
関東大震災により、横浜地方裁判所は一瞬のうちに崩壊しました。末永所長をはじめ108人が圧死。左右両翼に突き出した木造部分は倒壊を免れ、同所にいた長岡熊雄判事は難を逃れました。

(長岡熊雄判事)
長岡熊雄判事の経歴は、『人事興信録』データベースによると次のとおりです(第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)。
明治五年十月 (1872)生
明治三十四年日本法律學校を卒業し、判檢事登用試驗に合格。
同三十六年判事。
前橋區兼同地方裁判所
長岡區新潟地方裁判所
東京地方兼同區裁判所
千葉地方裁判所
函館地方兼同區裁判所
長野地方裁判所
橫濱地方裁判所←ここで被災
橫濱地方裁判所部長
東京地方裁判所監督・東京區裁判所監督・東京控訴院部長
昭和二年現職水戸地方裁判所長に轉ず
 その後、横浜地方裁判所所長となります。

(横浜地方裁判所の慰霊碑と『震災略記』)
現在の横浜地方裁判所入口横に関東大震災の慰霊碑があります。これは1935(昭和10)年9月1日に建立されたもので、当時の所長が長岡熊雄でした。慰霊碑の建立に合わせて、『横浜地方裁判所震災略記』も出版されました。
 『横浜地方裁判所震災略記』はインターネットで全文読むことが可能です。
 




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