南斗屋のブログ

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伊能忠敬の帰府届・寛政12年10月22日

2022年10月22日 | 伊能忠敬測量日記
〈はじめに〉
伊能忠敬は蝦夷地測量を行い寛政12年10月21日に無事江戸に到着。翌22日には早朝から一日かけて帰府届を蝦夷地担当の役人に提出しています。掛りトップの松平信濃守以下11名に回覧しており、全員の名前が測量日記には記されています。帰府届及び全員の名前をご紹介します。

【帰府届】
私儀、蝦夷地測量の件、御用が済みまして昨21日に帰着仕りましたので、お届けいたします。
津田山城守知行所下総国佐原村元百姓
  浪人 伊能勘解由
十月廿二日
この書付を次の方々へ差し出して回覧した。
松平信濃守(木挽町、築地)
石川左近将監様(霞関)
坂本傅之助様(下谷中御徒町)
三橋藤右衛門様(飯田町堀留)
羽太庄左衛門様(築土明神下五軒町)
鈴木甚内様(根津七軒町)
水越源兵衛様(白山)
細見権十郎様(白山)
寺田忠右衛門様(下谷御徒町御先手組屋敷)
村上三郎右衛門様(下谷三枚はし)
津田様
村田鉄五郎様(本所御台所町)

(コメント) 
・帰府届にある「伊能勘解由」は伊能忠敬のことです。隠居前は、「伊能三郎右衛門」を名乗っていましたが、この名前は伊能家の当主の名のりであり、隠居により伊能忠敬の長男(伊能景敬)が名乗っています。隠居時に「勘解由」と名乗ることを決め、文書は一貫して「伊能勘解由」名義で
です。
・伊能忠敬は測量を自主事業としてやっていたかのように理解されている向きもありますが、この帰府届を見れば、蝦夷地測量の件は「御用」、つまり幕府公認の事業であったことは明らかです。書付を回覧した
松平信濃守以下11名はプロデューサーのようなもので、ここに名前が記されてあるのは、映画のエンドロールのクレジットのようにも見えます。

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