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リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年4月~その2

2011年04月30日 | 昔語り(2006~2013)
切手になったラスベガスの自由の女神

4月15日。金曜日。寝つきが良くなくて、最後に片目を開けて時計を見たのが午前7時ちょっと過ぎ。やっとぐっすり眠ったと思ったらすご~くヘンな夢を見ていた。きのうドン!と降って来た超特急の仕事を超特急でやっつけてベッドに飛び込んだせいかなあ。といっても、認知症の研究だったから、あまり夢とは関係がなさそうだけど。後でDream Dictionaryでちょっと調べてみてみたら、どうやら自愛とか自己受容とかいう意味合いがあるらしい。なるほど、しばらくゆらゆらしていたもんね、ワタシ。元の能天気な自分に戻れたと言うことかな。でも、極楽トンボが墜落しないように羽をばたつかせなければらないのは、極楽にも地獄の風が吹いて来ることあるってことか・・・。

いつものように新聞サイトを見ていたら、あっと驚く?珍ニュース。アメリカ郵便公社(USPS)が去年12月に発行した44セントの普通切手の図柄になった「自由の女神」の写真がニューヨークの港に立っているものではなくて、実はラスベガスのホテル「ニューヨーク・ニューヨーク」の外に立っている1/2サイズの「模造品」のものだったという話。切手収集家が気づいたそうだけど、すごい観察眼だな。もっとも、切手を見たら、銅像の顔の青緑色の色調が均一にきれい過ぎて何となくうそっぽい感じはする。MSNBCの記事なんか、「若いラスベガスのモデルはフレッシュな顔だが、124歳のニューヨーカーは老けていて、鼻や頬にしみが見える」と。2度読み直して、うわ、巧妙なtongue in cheek(皮肉たっぷり)の表現だ、これ。

ニューヨークのご本家はスターテンアイランドへ行くフェリーから見ただけだけど、ラスベガスの自由の女神はホテルの敷地の角にあるから、すぐ足下から見上げられる。初めてラスベガスに行ったときの印象が「大人のテーマパーク」だったので、自由の女神も何となく軽く見えた。後で東京湾のどこかにあるらしい自由の女神を見たときにはさらに軽くなって見えたな。(ダイエットしたのかもしれないけど・・・。)それはともかく、期せずしてファイバーグラスのコピーが普通切手に「採用」された当のホテルは「ラスベガスのカジノリゾートして初めて郵便切手になったことはとても名誉なことです」と大喜び。一方、指摘された間違いをあっさり認めたUSPSは(画像を提供したGetty Images社のせいにしながらも)「1847年から切手を発行して来て、間違いはごくごくわずかですよ」とけっこう涼しい顔。この「ラスベガス版自由の女神」の切手、もう30億枚も印刷してしまったので回収はせずにそのまま流通させるとか。郵便事業の財政が厳しいからなのかどうかは知らないけど、ま、おおらかでいいよね。ふむ、来月シアトルに行ったら記念?に何枚か買って来ようかなあ・・・。

さて、明日は2丁先のメインストリートの「Punjab Market」と呼ばれるインド系商店街でシーク教徒の始祖の生誕祭を祝うパレードがあって、例年、我が家のあたりは駐車する場所を探す車が行き交い、「ハッピー何とか」というバナーを引っ張った飛行機が午後いっぱい我が家の上空をぐるぐる低空飛行する。最近は、インド系人口が郊外のサレーに集中したあおりで商店街が寂れつつあるせいか、ひと頃のように飛行機が4機もぶんぶん飛び回るようなことはなくなったけど、イライラさせられることには変わりはないから、トラックのバッテリの充電がてら郊外のメープルリッジまで脱出することにした。園芸センターをのぞいて、ママのご機嫌伺いをして、マリルーとロバートの家で食事をして、帰りは午前様だろうから仕事は休み。たまには遠出して、違った風景を見て、もやもやをふっ飛ばさないとね。

食べまくり、しゃべりまくりで息抜きとガス抜き

4月17日。日曜日。天気はいいのにまだちょっと低温。ゆうべ(というよりけさ)の帰宅は午前2時半。週末でもさすがにこの時間になると交通量が少ないから、ハイウェイを110キロでぶっ飛ばして、何と40分で家に着いた。普通に行くと1時間半はかかるのに。

きのうは朝食後にすぐ家を出て、まずはマリルー推薦の園芸センターへ。いやあ、でっかい。フレーザーバレーの農場地帯を行くとオランダ語名前の看板や郵便受の表札が目に付く。このあたりが開拓された頃にオランダ系の人たちがまとまって入植して来たんだろうと思うけど、この園芸センターも「Amsterdam」という名前。何棟もくっついた巨大な温室が「売り場」。花壇を作るシーズンだから、パンジーやペチュニア、マリゴールドといった花の苗がずら~っと並んでいる。頭の上では日が差したり、陰ったりするたびに、屋根がギイギイと音を立てながら開いたり、閉まったり。でも、連休前の週末だし、このところ平年より低温だったせいもあってか、あまり人が入っていなかった。カレシが「ボクが植えるから好きなのを選びなよ」というので、ミックスカラーのマリゴールド、金柑とかパパイヤとか果物の名前がついたネメシア、それとヘリオトロープを、カレシに言われた通り「つぼみができかかっているもの」を選んだ。たしかについきれいに花が咲いているものを選びがちだけど、それでは庭に植える頃には花が終わっているよね。花の苗は「青田買い」に限るということかなあ。

次はママのところ。この前会いに来たときと比べると格段にかくしゃく度が上がっている。室内では歩行補助器は不要だし、ほんのちょっと耳が遠いけど、記憶もずっとシャープ。なんとなくボケたように感じられたのは、やっぱり怪我と入院で一種の薬漬け状態になっていたせいなんだろうな。来月には94歳。この分だと100歳の誕生日パーティの計画を始めて大丈夫みたい。カレシが「エリザベス女王からバースデイメッセージがもらえるね」と言ったら、「その頃にはチャックの代になっているんじゃないのかしらね。あの子は失敗作だったわねえ。お祝いなんか欲しくないわよ」とママ。チャックと言うのはもちろんチャールズ皇太子。ふむ、ママの見立ては厳しいなあ。(ウィリアム王子については、「とってもいい子ねえ。ダイアナはいいお母さんだったのねえ」という評価。)ま、エリザベス女王はいたって健康そうだから、母后のように100歳になってもまだ現役で女王をやっているんじゃないかと思うけどな。ママが折れた大腿骨を支えるのに股関節から膝上までスチールの棒が入っていると言ったら、カレシ曰く、「へえ、筋金入りなんだ」と言ったのでママも大笑い。まさに、ママは筋金入りの「強い女性」だよね。

ママはカレシがトイレに入っている間にちょっと声を落として「Are you doing OK?(うまく行ってる?)」と聞いてくれて、うんと言ったら、「Good(良かった)」と。ずっと昔、カレシが結婚して半年もたっていない前妻を離婚してワタシと結婚すると言ったときに、一番先に(アジア人である)ワタシの「動機」に疑問を投げかけたのはママだったらしい。でも、実際にワタシが海を渡ってきて、週末ごとに顔を合わせるようになって、まっ先にその「動機への疑問」を捨ててワタシを家族に受け入れてくれたのもママだったと思うし、ワタシたちの関係がどうしようもないと思うところまで来ていたときにも、ママは無条件でワタシの味方になってくれた。(義弟、義妹、甥や姪たちもそうだった・・・今考えたら、孤立無援になったカレシがちょっとかわいそうだったかな。)今になってすばらしいお姑さん(と義家族)に恵まれていたんだと感動しているちょっとずれた「嫁」のワタシだけど、ママには100歳なんていわずに、できることならワタシが死ぬまでいて欲しい。

ママの夕食の時間になったところでお暇して、さらに先のマリルーとロバートの家へ。まだ雪をかぶっているゴールデンイアズの山が見えて、心地のいい家。階下を間借りしているマリルーの親友のブレンダも加わって、ローストビーフをおなか一杯食べ、リッチなトライフルをデザートにたっぷり食べて、そのまま窓際のテーブルでワインを飲みながら、政治情勢に始まって、ああだこうだとおしゃべりなんだかディベートなんだか。ロバートとカレシの間に熱烈な論議が始まり、ロバートが席を立っている間にブレンダとカレシが熱烈な論議を始め、とにかくにぎやか。夜中をすぎたところで、ロバートがブレンダと議論を戦わせていたワタシの肩をポンと叩いて、「おい、これで世界の問題の半分は解決したぞ」と言うので、「あ、おめでとさん」と握手。ワタシも久しぶりに熱く語りまくって、ガス抜きをした気分。ああ、ちょっと気持がすっきりして、やっぱり「ここ」がワタシの居場所なんだなあ、ワタシはひとりじゃないんだなあと、つくづく幸せな気分。

さて、気分が少し晴れたところで、やる気を奮い起こして、仕事にかからなきゃ・・・。

六十肩なんてありえるの?

4月18日。月曜日。いい天気で、気温も少しは上がって来たような気配。正午ぐらいにのんびりと起きて、やっと1日。分残っていたシリアルとミルクで朝食。今日はどうしても買い物に行かなければ、明日の朝食がない(といっても、ベーコンポテトにするとか、いっそのこと自家製の塩鮭で朝粥というのもわるくないんだけど)。

とにかくまずは今日の夕方が期限の仕事を片付けて納品しないことには次に進めないから、そそくさとオフィスに引っ込んで、仕事、仕事。やっぱりまだどこかで何となく欝っぽい自覚症状があって、仕事に気が入らない。何とかエキスがどうの、薬効がどうのと、ちんたらちんたら。それでも、午後4時には完了して「送信」をクリック。やったぁ~。木曜日の朝に寝ている間に来た通販の注文品。保管している郵便局は6時まで開いているから、ね、すぐに行かないと。カレシは「うん、うん」と生返事。へ、明日でもいいの?カレシ曰く「温湿布のパッドがいる!」と。だったら取りに行って来なきゃ、向こうから歩いて来ないけど。(どうして男ってこういうことになると腰が重いんだろうなあ。若いオンナノコのことになると俄然軽~くなっちゃうのに・・・。)

それでも観念?してか、近くの郵便局まで車で行ってひと抱えもある(だけどわりと軽い)段ボール箱を引き取って来た。中身はカレシの新しい(底が)屋外/室内兼用のスリッパと、車のバッテリが上がったときにジャンプスタートさせるための小さな非常用電池2個、そしてカレシお目当ての温湿布のパッド。カレシは2ヵ月くらい前に背中を掻こうとして肩のすぐ下の筋肉がガキッと行ったのが、直るどころかだんだんに肩まで痛むし、寝返りをしたときに痛みで目が覚めるようになったとこぼしていた。四十肩とか五十肩と言うのはよく聞くし、ワタシは40代後半に同じように筋肉をガキッとやったのがこじれて右肩がガチガチに凍ってしまったことがあるけど、カレシはもう60代の終わり近く。ふむ、六十肩と言うのは聞いたことがないなあ。

六十肩は聞かないけど、どうも経過はワタシの四十肩とよく似ている。ワタシの場合はガキッとなってから完全に肩が凍結するまでに1年とちょっとで、一時は手術の案も浮上したけど、理学療法で対処と言うことになって、近くの療法士のところに週1回通って解凍するまでに約1年半。何しろ上腕が脇についたまま頑として動かない。動くのは肘から先だけで、腕を曲げても首を傾げなければ指が耳たぶに届かない。あのときがさすがに一生このままかと思って暗澹とした気分だったな。でも、腕のいい療法士が少しずつ解凍してくれて、最後には95%機能回復。そのときに補助的な運動具として教えられて作ったのが今でもオフィスにあるロープとプリーを使った簡単なしかけ。プリーを取り付けてある柱を背に、ロープの両端を持って、水平に腕を広げて、プリーの力で腕を上げたり下げたりするだけなんだけど、けっこう利き目がある。

温湿布のパッドは電子レンジで温めて何度も使えるジェルタイプで、これで十分に肩を温めてからロープでの自家療法をやろうというわけ。療法士の説明を思い出しながら、背中を伸ばせ。腕は肩で持ち上げない。一方の手でゆっくりロープを引いてもう一方の腕を持ち上げる。痛みを感じたらそこで引く手を止めて、ゆっくりと腕を下ろす。は~い、よくできました。実際のところ、カレシの左腕は水平までは上がるけど、それより高くは上がらないから万歳ができない。ふむ、思ったより進行していたな。前後には動くし、利き腕ではないから、痛み以外はあまり支障がなくて、腕が上がらなくなっているのに気がつかなかったんだろうな。ワタシも利き腕でない方だったから、車のギアシフトができない以外に不便があまりなくて、気がついたときには完全冷凍になっていた・・・。利き腕でないからふとした怪我をしやすいのかもしれないけど。

というわけで、即席療法士になって、とりあえず最低1日。1回、ジェルパッドでしっかりと温めてからロープ運動を日課にしなさい、と処方箋?を出した。だって、最悪の場合にがっちりと固まってしまって手術が必要なんてことになったら、待機リストに載って、いつまでも、いつまでも・・・。(ワタシの膝の手術は承諾のサインをしてから待機すること1年だった。)人の助言は聞かない主義のカレシもさすがにそんなことになったらたまらないと思ってか、まじめにワタシの指示を聞いて、くそまじめな顔でロープを引いて、カラカラとプリーを回しているからおかしくなる。んっとに、もう、男ってのは・・・。

複雑怪奇?それともただ変なだけ?

4月19日。火曜日。やっと春が定着したかというような天気もよう。春眠と言うわけじゃないけど、起き抜けからもやっと眠い。どうもせっかくぐっすり眠っていたのに、カレシのドタドタと階段を駆け下りる足音で目が覚めたらしい。カレッジの学生か誰かが家の外に車を止めようとしていたので、飛び出して行って追い払ったということらしい。(居住者専用区域で学生は駐車できないのはたしかだけど、そう杓子定規にしなくても・・・。)ここのところ、カレシもなんかちょっとヘンな時がある。肩の調子が思わしくなかったせいか、それとも他にストレスになっていることがあったのか、それはカレシのみぞ知る。ストレスがかかるとパニックを起こしやすい、ある意味でアスペルガー的な面があるけど、簡単にそうと言い切れない複雑な面もあるから、ま、そういう「性格」と受け止めて、最善の対応をするのが良策。

もちろん、何事も経験ということで、毎日観察しながら付き合っていないとなかなかそこまではわからない。最近の若い人たちはすぐに「価値観が違う」と言って投げ出そうとするようだけど、実際は価値観とは別の次元の「性格」の問題だと思うんだけどな。カレシはイギリスとスコットランドを主に、ウェールズ、オランダ、ドイツの血が入っている「雑種」なんだけど、思考パターンにはすごく日本的だなあと感じるところがけっこうある。おおむね悲観的な性格で、自己主張が苦手で、被害者意識が強くて、マイナス思考に陥りやすい。カナダと言う「欧米社会」で生き辛さを感じていたらしいのはそのせいかもしれないな。ワタシが根本的に楽観的な性格で、行動で自己主張するたちで、叩かれてもおいそれとは引っ込まない曲がり杭だから、よけいにそう感じるのかもしれないけど、それでワタシには日本の社会は生き辛かった。でも、カレシが日本で生き易さを感じるのかとなると、他人に合わせることを自分の主体性に対する脅威と感じるらしいから、答は「ノー」だと思うな。

ま、人間というのはほんとに心理的に複雑怪奇な動物で、その複雑さもまさに千差万別だと思うから、誰であっても人種や文化という要素を外して、ひたすら個々の「人間」として付き合おうとする所以で、「○○人」と言う括りは単に「平均的」あるいは「多数派的」○○人の総称でしかないんだけど、人間はおもしろいもので、他には「同じ」を求めつつ、自分は他とは「違う」と主張したがる人たちも多いように思う。その人の「かくありたい自分」像が反映されているのかもしれないけど、心の深いところに自分は埋没したくない、自分を認めて欲しいというか、一種の「見捨てられ不安」とでも言えそうな気持があるのかもしれない。人間はほんとにパラドックスの塊だな。

そんなヘンなことを眠たい頭でつらつら考えながらの朝食の後、コーヒーを飲みながらしばらく『On The Road』の続きを読み、コンタクトレンズを入れたり、夕食の食材を決めたりの一定のことを済ませてから、いつものように血圧を測ったら、99/58。そんなのありえないとばかりに深呼吸をして、もう一度測ったら101/60。おいおい、いくらなんでもこの年では低すぎじゃないのかなあ。リラックスし過ぎかなあ。リラックスのし過ぎといっても、ここんところ数週間はかなりの精神的ストレスが続いていて、ちょっと欝っぽい感じだったんだけどなあ。ワタシの心臓、だいじょうぶなの?脳にたっぷりと血を送っているのかいな。ふむ、ちゃんと血が巡っていないから、いつも哲学にも禅問答にもならないようなことがいつも頭の中をぐるぐる巡っているのかなあ。あんがい、血圧が低すぎると怖い病気になるんじゃないかと大まじめに気にしてみたら、少しは上がったりして。

ああ、ほんとに人間という動物は生理的にも複雑怪奇だけど、あっちでもこっちでも常識から外れて、血気盛んなワタシは・・・う~ん、ただのヘンな人かもしれないな。

おかげで血の巡りも良くなって

4月20日。水曜日。今日もいい天気。普通に起きて、普通に朝食をして、普通に朝にすることをして、今日はなんだ、普通じゃないのという血圧。きのうはトレッドミルでスピードを上げてばんばん走ったから、血の巡りも少しは良くなった感じ・・・。

今日はダウンタウンへのお出かけデー。来月のコンサートがちょうどシアトルでの会議と重なってしまったでの、別のコンサートに変更してもらいに行くついでに所得税申告書を税務署に送信する承諾書を会計事務所において来るつもりだったのが、カレシが濡れ落ち葉よろしく一緒に来るというので、ついでのついでに貯め込んであった使い終わりのプリンタやコピー機のトナーのカートリッジをStaplesのリサイクル箱に入れて来ようと言うことになって、デスクの下やクローゼットをかき回して集めること8個。運びやすいように箱から出してバッグに積めたので、オフィスは空き箱の山。あ~あ、市のリサイクルデポに持って行かないと、足の踏み場もないごみ屋敷になってしまいそう・・・。

ダウンタウンではまず運よくStaplesのまん前に駐車。道路は一方通行で、駐車規制の標識を見たら、道路の右側は朝と午後のラッシュ時間帯が駐車禁止、左側は朝だけ。しめしめ、3時を過ぎても止めておける。重たいバッグを担いで店の中の窓際にあるリサイクルボックスにカートリッジをどさどさと放り込み、ついでにカレシが持ってきたインクジェットのカートリッジの山も放り込んだら、レジの人が「リサイクル、ありがとうございます」と、Stapesのえらく派手なエコバッグをくれた。(回収したカートリッジにトナーを詰めて再生して自家ブランドで売るのかもしれないな。)派手すぎるバッグをトートに押し込んで、その足でバンクーバー交響楽団のボックスオフィスへ。来月14日。のチケットを27日。のVSOポップスの「コットンクラブの夕べ」というジャズコンサートのチケットに交換してもらった。次は会計事務所へ行って受付の人に封筒を渡し、最後のHマートへ回って、主にアジア系の野菜類を調達。車に戻ったら、メーターにはまだ40分も残っていた。ちょっともったいない気もするけど、用事は全部済んでしまったし・・・。

グランヴィルからそのまま橋を渡ってブロードウェイまで来た頃、カレシが「駐車スペースがあるかどうか良く見て」と命令。え、何で?ときょとんとするワタシ。「Danielに行くためだよ」とウィンクするカレシ。あ、そっか。カレシがワタシの分まで食べてしまったチョコレートの埋め合わせね。ここでも午後の駐車禁止のない側にある店のすぐ近くに止められて、おまけにメーターには20分も残っていて、ダウンタウンで使い残した時間の半分を回収した形。ダークチョコの詰め合わせと、復活祭だからおまけに鶏卵サイズのダークチョコのイースターエッグの袋。ふむ、10個くらいは入っていそうだな。こんなにチョコを食べたら鼻血が出るぞ(と、子供の頃によく母に言われたっけ)。でも、ダークチョコは酸化防止作用のあるポリフェノールが豊富だからヘルシーなんだとか。ココアがヨーロッパに登場したときは「滋養ドリンク」扱いだったくらいだし・・・。

食材をフリーザーから出すのを忘れてでかけたので、今日のとっさのメニューは冷蔵庫をかき回して、白菜とたけのことねぎのチゲにししとう、山菜入り粟がゆの完全ベジタリアン。粟はもの珍しさにつられて買ったものだけど、カレシが「米のご飯よりいい」と大いに気に入って、今ではキノアやカーシャ(そばの実)、韓国の七穀米などと並んで我が家の雑穀料理の定番のひとつ。たしかに白米よりも栄養価は高そうだし、ご飯よりも軽くてさらりとした食感がいい。でも、日本にいた頃には粟を見たことも、食べたこともなかったなあ・・・。

総選挙の行方、ホッケーの行方

4月21日。木曜日。今日もいい天気で、どうやらやっと春らしい感じになってきた。明日から復活祭の週末だもんね。朝食のテーブルで、今年は春が遅いなあと言う話をしていた。たしかに。でも、去年は5月、6月になって雨がちで低温だったような気がする。早々にオリンピックに合わせて来てしまって、息切れしちゃったのかもしれないけど、去年は夏でもあまり長時間クーラーをかけることがなかったような気がする。そのせいで、イチゴもラズベリーもブルーベリーも地物の季節が短かったし、トウモロコシなんかやっと地物が出て来たと思ったら、あっという間に内陸産のものに代わったし・・・。

週末はのんびりと思っていたら、終業時間の間際に駆け込みでばたばたと2件。ま、割と小さいから良いかと思っていたら、日本が始業時間になったとたんにばたばたとまた2件。やれやれ、四連休はあっけなく「仕事日」になってしまった。でも、腕まくりをしてがんばれば二連休くらいは確保できるかな。もっとも、だらけなければの話だけど。エイギョウはやりたくないぐうたらな極楽とんぼは、秋の日のヒグマのように川上で大きな口を開けて、遡上してくるサケが飛び込んでくるのを待っている。なんかちょっとしまりのない構図だけど、それで20年以上もけっこう豊漁でやって来れたのは奇跡といえば奇跡なのかもしれない。

さて、総選挙の投票日まであと10日。ほど。保守党の支持率はほとんど変化がないけど、先ごろ自由党のイグナチエフがインタビュー番組で、「保守党が過半数を取れずに第一党になった場合、自由党は他党の協力を得て政権を組織することができる」と言ったのは命取りになりそうな大失策。保守党に「それみろ、やっぱり連立政権を作るつもりでいるじゃないか」と攻撃する材料を与えてしまったのは大失策だと思うな。イギーは「連立の意図ではなくて、カナダ憲法の仕組み上、可能だということを説明しただけ」と釈明しまくっているけど、国民にとっては、第二党が連立政権を作れるかどうかよりも、その「連立」の中にカナダからの独立を党是に掲げるケベック連合が関与することの方が問題なんだけどな。なにしろ、ケベック連合は、出て行くと言いながら夫の生活にあれこれ口出しする妻のような鬱陶しい存在なんだもん。

選挙戦終盤で党首が「禁句」を口にして旗色が悪くなって来た自由党に代わって、社会主義を掲げる万年野党の新民主党が野党第一党になりそうな雲行きになって来た。特にケベックで支持率を伸ばしていて、地盤を侵食されているケベック連合が大慌てらしい。新民主党のレイトン党首はモントリオールの英語圏地区の生まれで、世論調査でもハーパー首相に次いで「信頼できる」政治家の評価を得ている。やれやれ、イギーはさっぱりだねえ。世論調査でも自由党の支持率はじりじり下がり、一方でイギーの信頼度は低迷しっぱなし。毛並みはいいし、経歴だって名門ハーヴァード大学の教授だった「有識者」なんだけどねえ・・・。

ハーパーはクールで(油断がならないけど)頭脳明晰な実務家と言う印象で、レイトンは(ちょっと油断はならないけど)真摯な人間という印象だけど、イグナチエフは油断がならないどころか、いつも「こんなこともわからないのか」とイライラしているような印象で、しゃべっているのを聞いているだけでこっちまでイライラして来る。前の選挙のときから保守党の広告で「マイケル・イグナチエフはあなたのために帰って来たのではありません」なんて攻撃されてるけど、ほんとに何だってハーヴァード大学教授の職を投げ打ってまでカナダに帰って来たのかなあ。ま、どうなるかは投票箱を開けてのお楽しみだけど、すぐに離婚する!と騒ぐ我の強い奥さんはなしにしてほしいな。

ところで、バンクーバー・カナックス。プレーオフで3連勝して第1ラウンド通過にあと1勝なのに、シカゴで7対2の大負けの後、帰ってきて今夜は5対0の大負け。おいおい、どうなってんの、キミたち?選挙よりこっちの方が気になるじゃないの。優勝候補チームが第1ラウンドで早々に敗退しちゃったら、暴動が起きるかもしれないよ。プロスポーツは強いもの勝ちなんだから、しっかりせんかい、こら。

翻訳者はつらいよ

4月22日。金曜日。今日はグッドフライデイ。キリストが磔刑になった日。まあまあの天気。国境は朝からアメリカへショッピングに出かける車が長蛇の列。昼前にはもう待ち時間が3時間半になったとか。週末いっぱい48時間以上出かければ1人400ドルが免税になるし、今はカナダドルが高いし、アメリカ側はモノの種類が豊富で値段も安め。だけど、3時間半ものろりのろりと進んでいたら、どれだけのガソリンを燃やすことになるやら。おりしも今日はアースデイなんだけど・・・。

この週末は元々遊ぶ気満々だったので、仕事に捕まったとは言え、「ごちそうモード」はそのまま。まず今日はコーニッシュヘンを丸ごと1羽使って「サムゲタン風ポトフ」を作ってみる。近頃のコーニッシュヘンはずいぶん大ぶりになったから2人で1羽。昔はもっとやせていて小ぶりだったのでスーパーのパッケージにも2羽入っていたもんだけど。空っぽのおなかにもち米や刻んだナツメやにんにく、しょうが、にら、さらに銀杏や松の実、クコの実を詰め、今回は粉末の高麗人参茶をたくさん使って、大なべでゆっくり。後で付け合せにする大根や青梗菜、にんじん、ねぎを入れて、仕上げはスープをちょっと煮詰めて少しとろみをつけたソース。柔らかくなった鳥は包丁でえいっと左右2つに切り分けて、野菜とソースを添えてできあがり。デザートはチョコレートのイースターエッグ。本物の卵くらいの大きさで、中空だけどかなり厚い。何だか太りそうな予感・・・。

体がぽかぽかしたところで、クライアントからという質問に回答を書く。校正、編集を経た後でも、ときたま発注元から質問が来ることがあって、当然「アフターサービス」として対応する。社内で扱えない翻訳だけ外注するところや英語人社員がいるところから質問が来ることはまずなくて、見直しだけしてそのまま採用するところと、書き直しをするところがある。後者の場合、ウェブサイトなどでみごとな「日本的英語」に書き直されているのをときたま見つけることがよくある。英語を母語とする人が訳したものでもおかまいなしで、英語人の同業者たちが「何でヘンな英語に直すんだ」と口を尖らせる所以だけど、どうも「英語ができる」日本人は他人の翻訳を頭から信用しないところがあるらしい。ま、ワタシは翻訳会社の校正を経て発注元に納品された時点で、後は「そちらの責任でお好きなようにどうぞ」という方針だし、翻訳者の名前が出ることはないから、いくらだも気の済むように書き直してもらってかまわないんだけど。

そうやって書き直された英語を見ると、くそまじめというか几帳面というか、なくても良いと判断して入れなかった単語が入っていたり、英語では不要の語を漢字はこうだからと入れたり、書き直し作業の心理状態を想像するだけで実におもしろい。日本人の「英語観」も時代と共に変化していて、若い人ほど「あ=A」、「い=B」といったバイナリ思考の傾向が強くなっているように見える。たぶんゆとり教育を受けたデジタル世代なんだろうけど、訳がその人が知っている「あ=A」でないと「間違っている」と言い出す人もいるから、機械翻訳以前の「化石的翻訳者」はため息の連発。まあ、たいていの場合は「間違い」の指摘や疑問に対してきちんと根拠を説明すればわかってくれるから、こういうバイナリ族はまだ極端な例だと思いたいけど・・・。

だけど、英語、されど英語で、ときにはええっと絶句するような質問も飛び出すからおもしろい。きちんと英語らしい英語に訳したものを書き直して、添削してくれと言って来たところがあったし、レビューを頼まれたらしい英語の先生らしい人が150項目も「英文法の誤り」を指摘して、真っ赤なファイルを送ってきたところもあった。このときはどれも英語の先生の方が間違っていたんだけど、相当の自信を持って書き直したらしい長い小節は支離滅裂の意味不明。さすがに頭に来たから、カレシにレビューのレビューをやらせて、英語で批評を書かせたら、翻訳会社は何となくうれしそうだったからおかしかった。きっと前にも「英語の権威」の先生にいじめられていたんだろうな。あの英語の先生、まだ翻訳のレビューの仕事をやってるのかなあ。

一番ケッサクだったのは、冠詞や定冠詞を取ってもいいかと言う質問。きれいな写真入りのパンフレットの英語版を作ろうとしたのはいいけれど、英訳がレイアウトにうまく収まらなかったらしい。「このtheは外していいですか」って、それはできない話っすよ。ダメダメ!ま、その代わりに日本語原稿に散りばめてあったくすぐったくなるような美辞麗句の形容詞の訳をがんがん減らして、すっきりさっぱりの文書にしてあげたけど、これは英語をビジュアルに「見て」いた特殊な例かな。ここまできたらもう言語のコミュニケーションって何なんだろうと疑問を抱いてしまうけど、翻訳稼業もなんだか太鼓持ちみたいなところがあって、つらいところだよねえ、ったく・・・。

ものは言い様とはよく言ったもので

4月23日。土曜日。まあまあの天気。予報の最高気温はまだちょっと低めだけど、最低気温の方はほぼ平年並みになって来た。いよいよ本格的な庭仕事の季節。外で忙しいカレシを横目にワタシは少しは静かな環境で仕事に集中できる・・・かな?

やや重い腰を上げて、仕事の算段。テーマはどうやらお金の話。まあ、一応はお金と法律に関することがワタシの「専門分野」ということになっている。と言っても、ワタシは門前の小僧。昔、翻訳者志望の若い日本人女性たちと話をしたことがあって、「大学はどちら?」と聞かれたから、行かなかったと答えたら、「うっそぉ。ありえな~い」と言われてびっくりしたことがあった。ありえないって、目の前に10年以上フリーでちゃんとご飯を食べられるだけ稼いでいる人間がいるんだから、ありえないはずがないでしょうが。ま、ずっと昔の同僚でなんにつけても「Never!」を連発する人がいたから、「ありえない」という驚愕表現もありえるんだろう。あのお嬢サマたちも今頃は「アラフォー」と呼ばれる年令になっているけど、その後どうなったのかな。ちゃんと学歴にふさわしい専門分野で夢を叶えたかな。まっ、それはどうでもいいとして、お金と法律と科学の仕事はおもしろいから「専門」にやる分野・・・。

原発事故のおかげで福島県の人たちがあちこちで心ない差別やいじめを受けているという。住居が避難区域に指定されて早々に立ち退かなければならない人たちが、引越し業者に断られて動くことができないというニュースもある。ワタシは絶対にそういうことが起きると思っていたから驚かないけど、法務省が「根拠のない思い込みや偏見で差別することは人権侵害につながる」という声明なるものを出したということはそれだけ深刻だということなんだろう。だけど、人権侵害に「つながる」って言い方は何なんだろうなあ。人権侵害に「つながる」ということは、放射能を検出したけど「直ちに」健康に害はないと言うのと同じで、福島から来た子どもをいじめても「直ちに人権侵害にはならない」と言っているように聞こえるけど、じゃあ、どこまでやったら人権侵害になるのかな。まったく、事なかれ主義者が「まあまあ、そこは事を荒立てずに・・・」(あまり表立ってやってもらっては困る)と言っているようで、やな感じ・・・。どうして「根拠のない思い込みや偏見で差別することは人権侵害です」とはっきり言えないんだろう。

社会が未発達で教育水準の低いところでは「根拠のない思い込みや偏見」による差別が起こり得るというのはわかる。所詮人間も動物だから、未知のことや自分が理解できないことに対して不安や恐怖を感じるのは当然だと思う。でも、そういう動物的感覚を理性と知性を育てることで克服しようとして来たのが人間で、その手段が教育だったんじゃないのかな。「考える」ということは洪水のような情報を弁別して取捨選択する能力でもあると思う。それがなければ溢れる情報に踊らされるだけの「無知」な人間になってしまう。世の中の「いわれのない」偏見や差別は人々の無知に根ざしていることが多い。だけど、世界的にも教育水準の高い日本は知的にも先進国であるはずなのに・・・。福島県人に対する差別のニュースは海外のメディアにも載るようになってきたけど、ここでも「偏見に満ちた海外メディアの報道」と批判するのかな。

どこで見たか忘れたけど、原発の最初の水素爆発のニュースが海外で大々的に取り上げられていたときに、日本のマスコミは1日。中東京圏の「計画停電」のニュースばかり集中的に流していて、その後別の爆発があったときにも「停電」のニュースが多かったのは情報操作があったからではないかとコメントしている人がいた。日本で国内と海外のニュースを読み比べる人がどれだけいるか知らないけど、わざわざ元からでっち上げ記事満載のタブロイド新聞の記事を例に挙げて、海外のマスコミは嘘の報道をしているとか、おもしろおかしく騒ぎ立てているとか書き立てていたのは日本のマスコミの方。最近になって水素爆発が起きた頃は危機的な状況だったと政府が認めたとか何とかいう記事を流していたけど、原発から国民の注意を逸らそうという意図があったかどうかは政府と東電とマスコミのみぞ知る。ま、「ものは言い様」というし・・・。

極楽とんぼ亭:復活祭の日曜ディナー

4月24日。復活祭の日曜日。小雨もよう。あちこちで子供たちを集めてイースターエッグハントの行事がある。そのトップはホワイトハウスのエッグハントで、庭園のあちこちに「隠された」2000個もの色をつけた固ゆで卵を招待された子供たちが探し回る。要領よく次々と見つける子もいれば、なぜかひとつも見つけられなくて泣き出す子もいて、例年のことながら見ていてほほえましい。どこのでも見つけられない子や幼い子は大人が誘導してやるので、最後はみんな卵を見つ出してハッピーエンド。

復活祭は初期のキリスト教がヨーロッパに伝播する過程で土俗信仰の春(再生)を祝う行事が取り入れられたものだそうな。北欧の冬至を祝う風習を取り入れたクリスマスと合わせて。みごとなマーケティング手法のお手本みたいなものだと感心する。ま、それはそうとして、グッドフライデイに続いて、復活祭もちょっとだけご馳走を・・・。

前菜はだいぶ前にコースディナーのアミューズブーシュとして作って好評だったアスパラガスのしょうが風味ポタージュ。付け合せのアスパラガスを蒸すときに切り落とした下の方を冷蔵庫にためておいて、まとまったらスープにする。しょうがをひとかけら落として、ピューレにする前に取り出して、仕上げはミルクかクリームとしょうがのリキュール。

[写真] 鴨の胸肉ロールのコンフィ、蒸し野菜添え
メインは鴨の胸肉のコンフィ。皮を取って、バタフライにして、燻製にした胸肉の薄切りを巻き込んで、ひたひたの鴨の脂に沈めて、ゆっくりとオーブンで調理。(その間に仕事をひとつ片付けて納品。)付け合せは春らしいレインボーにんじんと小いもを蒸しただけのかなりシンプルな料理。鴨をふたつに切ったら、思いがけなくきれいな渦巻き模様になっていた。燻製にかなりの塩気があるので、タイムやオレガノで風味をつけるだけで塩は使わない。コンフィはローストすると硬くなりがちな腿肉で作ることが多いけど、胸肉でもおいしい。

[写真] 五色豆サラダ(ひよこ豆など5種類の豆とたまねぎ、かいわれ)
サラダ担当のカレシが量り売りの豆を少量ずつ買ってきて、前の夜から水に漬けておいて、ゆでたのを冷やして「五色豆サラダ」にした。早めに作っておいてドレッシングの味をなじませる。ひよこ豆、ピント豆、白いんげん、赤いんげんと、もうひとつ名無しの豆。量り売りなので、品番しか書かなかったから、どれがどれかわからなくなってしまったそうな。でも、缶詰の豆を使ったものよりさっぱりした口当たりでおいしかった。

復活祭に欠かせないのがチョコレートでできたウサギと卵。Lサイズくらいのダークチョコの卵は袋に10個か12個入っていたはずだけど、いつの間にか「イースターバニー」が食べてしまったみたい。

さて、明日は極楽とんぼ亭のシェフの誕生日なんだけど、どうしようか・・・。

極楽とんぼ亭:マイハッピーバースデイのディナー

4月25日。誕生日。しっかり仕事をしてゆっくりと休みにするはずが、だらだらしているうちに今日まで繰り越してしまった。(誰か、ねずみのねじを巻いてくれないかなあ・・・。)まあ、とりあえず、とにかくまじめに仕事をして、終わったのが午後4時。は、間にあった・・・。

誕生日のディナーのメニューは朝方ちょっと目が覚めたときに何となくイメージしてあったので、急いでフリーザーをかき回して必要なものを出してきて、水を張ったボウルに入れておいて解凍。その間に36年の年季入りの電気釜を持ち出して来て、ご飯を炊き、いろいろと下ごしらえを始める。

今日のメニュー:
 アミューブーシュ(アスパラガスのムース)
 ムール貝入りの茶碗むし
 オレンジラフィーのフライパン焼き
 ミニ茶巾寿司の取り合わせ
 (サラダ)

[写真] きのうの復活祭のディナーの前菜にしたアスパラガスとしょうがのポタージュがほんの少しだけ残ってしまったので、後で何かに使おうと取っておいた。1人分のカップ一杯にもならないから思案していて思いついたのが、寒天で固めてゼリーにすること。粉末の寒天をスティックの半分くらい使って、スープと合わせてシリコーンのマフィン型に入れて冷やし、アスパラガスの穂先を半分に割ってさっとゆでておいたのを飾りに載せたら、おしゃれなムースができあがった。

[写真] ミニの茶碗蒸しは卵1個で作る。殻なしのムール貝を2個解凍しておいて、卵汁に1個ずつ。蒸し器にかけて最後のあたりで飾りににんじん、クコの実(中国名からゴジベリーと呼んでいる)、かいわれと刻みねぎを載せてちょっと春らしい感じ。

[写真] オレンジラフィーは寿司に使う分を切り分けておいて、ひと口サイズを2枚ずつ、塩とこしょうで下味。しめじと長ねぎといっしょにフライパンに入れてバターで焼き、お皿にカレシ菜園産のレタスのつまみ菜を敷いて、魚には緑色の枝豆とオレンジ色のとびこで彩りをつけた。

[写真] 今日のメインはミニサイズの茶巾寿司。材料はまぐろ、さけ、すずき、オレンジラフィー、ほたて、とびこ、明太子、サーモンキャビア。ラップにねたを広げて、ひとつまみのご飯を載せ、包んでぎゅっとひねる。サーモンキャビアだけは力を入れるとつぶれてしまうので、急遽焼き海苔を出して来てミニチュアの握りを作り、ついでに余ったとびことねぎで小さなのり巻。かいわれを散らしたお皿に並べたらけっこうサマになっている。わさびを別に出したら、カレシには「ご飯をたくさん食べないでいろいろ食べられる」と好評。

復活祭四連休の最終日のディナーは春に生まれたワタシらしい?彩り。「レストランへ行くより楽しめた」と、バスケットの中に最後に残ったイースターバニーをくれたカレシ。あの、ワタシ、バースデイガールなんだけど。でも、自分の誕生日にこれはと思うものを即興で作って食べるのもなかなかいい趣向だったな。

遠い目、遠い空、遠い道のり

4月26日。火曜日。今日からまた1年がんばろう・・・なんて意気込むわけではないけど、誕生日の翌日はいつも何となく改まった気分になるから不思議。自分が曲がりなりにもこんだけ生きて来たということを実感するからかなあ。生きているって、やっぱりいいよね。生きていればこそいろんなことができるし、もっといろんなことをやれる可能性も生きてくるわけだし・・・。

きのうの今日で、ご馳走三昧の連休明けの休養の日。仕事の予定が入っていないと言ったら、「今日がきのうだったらよかったのにな」とカレシ。まあ、そこはフリーの自営業の宿命ってもんで、仕事のある日は週日、仕事のない日は週末。そういえば、高校を出て就職した会社では誕生日に休みをくれた。でも、船舶代理店で入港する船の予定に合わせて船積書類のタイプをするのが仕事だったから、週日だったワタシの誕生日は「休日出勤」で夜遅くまで残業。当時の労働基準法では女性と未成年者の深夜勤務は禁止されていたのに、船は勤務時間内に入港して、勤務時間内に出港してくれないからと、夜遅くまで残業。夜中を過ぎたこともあって、1ヶ月に100時間くらい残業したけど、午後7時になれば誰かが勝手にタイムカードを押してくれるから、記録上は「退勤」。残業代は1円も払ってもらえなかった。10ヵ月後に辞める理由ができて「辞める」と言ったら、「来月は忙しいからいてほしい」と来た。おじさんたち、冗談がきついよ・・・。

実はその気になれば3月の末までいることもできたんだけど、ま、血気盛んな19歳のこと。課長のたっての懇願?を一蹴して、なぜか抱えきれないほどのプレゼントともらって、「おめでとう」と言われて退職。家に帰って母に「結婚退職だと思われたんでしょ」と言われてびっくり仰天。社会デビューしたばかりでやりたいことがたくさんあるのに、結婚なんて冗談じゃない。おもしろがって笑ってはいたけど、内心は大人ってなんて気持悪いことを考えるんだろうとむかむかしていた。昭和40年代の19歳は今と違ってまだまだ初心だったということかなあ。成人してから、札幌で再就職した外資系企業も別の意味でびっくりが多かった。スウェーデンの会社で、営業所開設のための募集人数は「1名」。大学卒業予定の応募者が何十人もいたのに高卒のワタシが実務経験を買われて採用になったし、学歴が同じなら男女の賃金格差がなくてけっこう高給だったし、貸し切りバスで行って温泉に1泊する毎年の社員旅行に参加するのに「出張」の名目で飛行機で行ったし、もちろん残業なんかない。もう、何もかもが雲泥の差だった・・・と、遠い目。

カレシを英語教室に送り出して、プレゼントにもらった天体望遠鏡にレンズを付けて筒先を窓の外に向けた。まだ日があって明るいんだけど、んんん?何にも見えない。いや、何か見えてはいるけど、望遠鏡を向けた方にあるのは木の枝で、見えているのは幾何模様的な楕円形の何か。ヘンだなと思うと、まず分解して中をのぞいて見たくなるのがワタシ。鏡筒の先をぐいとひねったらリングが外れ、筒先が取れた。筒の中をのぞいたら、ふむ、主鏡はちゃんとある。おかしいなあと思って手にしていた筒先を見たら、あら、斜鏡があるべきところにあるのは接着剤の跡だけ。反射望遠鏡は斜鏡がなければ、エンジンはあってもバッテリのない車と同じで100%無用の長物。いくら子供用とはいえ、接着剤で取り付けるというのはすごい手抜き。光学機器ではちょっと知られたメーカーなんだけどなあ・・・。

教室から返って来たカレシに望遠鏡は欠陥品だったと伝えたら、「キミが見ていたカタログのが売り切れだったんで、探してシアーズのサイトでデザインとスペックが同じのを見つけたんだけど、値段がカタログの半分だったからヘンだと思ったんだ」と言う話。とりあえずダウンタウンのシアーズへ持って行って返品して、返金してもらうことにした。「おもちゃみたいなのじゃなくて、まともなものを選びなよ」と言うカレシ。う~ん、でも大人用だと初心者向きでも高いよ。卓上型はなさそうだし、本格的なのだともっともっと高いよ。「いいよ」とおおようなカレシ。じゃあ、三脚式のしっかりしたのを買ってもらおうかなあ。「いいよ。トラックに積めるから」。いや、そんなに大きくはなくてもいいんだけど、やっぱり口径が4インチか5インチくらいあった方がいいかなあ。それならちゃんとアルビレオが見えると思うけど、うんと高いよ・・・。

プレーオフ第1ラウンドで3連勝の次に3連敗して、もう後がなくなったバンクーバー・カナックス、もしも負けて怒ったファンの暴動が起きたら大変と警察が警戒する中、第7戦を延長ピリオドでやっとこさ勝ち抜けた。スタンレー杯への道のりはまだ遠いのに、やれやれ・・・。

ラニーニャの春は荒れもよう

4月27日。水曜日。正午前に起きたので、シーラとヴァルが掃除に来る頃までに朝食を終わって、食器を食洗機に片付けて、掃除の準備完了。「やけに早いわねえ」とシーラ。「雨が降るんじゃないの」とヴァル。ま~さか~。

しばしホッケー談義に花を咲かせた後、家の掃除にかかった2人を残して、IGAまで魚と野菜の買出しに行く。午後のうちに行くと魚のカウンターが営業中なので、これを何枚、あれを何尾というように選んで防水紙に包んでもらえる。カウンターが閉まった後はトレイにパッケージしたものを買えばいいんだけど、普通に売れるものしかないし、何よりもこのトレイがめんどうくさい。そのままフリーザーに入れると場所をとるし、外してパッケージし直すと一度に大量の空トレイを捨てることになる。今日はけっこういいものがあって、アメリカなまず、スティールヘッド(ます)、ひらめ、ロックフィッシュ、オヒョウ、アヒ。包んでくれたおばさんが「今日は大漁でいいわねえ」。

このスーパーでは年に1度か2度、有名ブランドの食器やグラスをくれるキャンペーンをやって、レジで買い物10ドルごとに1枚スタンプをくれる。期間内に貯まった枚数に応じて商品を無料でもらえるしくみで、キャンペーン用に特注したものだろうけど、これまでにロイヤルドルトンやヴィルロイ&ボッシュ、ジノリといったブランドの食器やグラス、カトラリー、ボウル、ロースターといったものをかなりもらっている。また白い食器が並んでいたので見たら、今度はカーラのグラタン皿やキャセロール、ロースター。うん、カーラってドイツのブランドだったかな。どれもまっ白できれい。特に2.1リットル容量のポットのようなキャセロールが気に入ったけど、必要なスタンプは70枚。でも、キャンペーン期間は7月の中旬過ぎまでなので、何とか貯まりそうかなあ。

大きなトートバッグ2つとさらに予備のエコバッグ2つに買い物を詰めてもらって、カートを押して外へ出たら、うわっ、土砂降りの雨。来たときはそんな気配はなかったのに。それっとカートを押して駐車場の車のところまで走って、大急ぎでトランクに詰めたけど、髪の毛はびっしょり。背中もジャケットの雨が滲み込んで冷たいのなんのって。トートバッグの一番上になっていたシリアルの箱やスタンプのカード、レシートまで濡れてしまった。ヴァルが雨が降るかもなんて言ったからかもしれないな。車の中でも髪の先から滴がぽたぽた。でも、10ブロックも行かないうちに小降りになって、家につく頃にはほぼ止んでいたから、なんだか濡れて損しちゃった・・・。

出かける前には10度を超えそうになっていた玄関ポーチの温度計が6度に下がっていた。もう5月だというのに、6度はないだろうと思うけど、ラニーニャの春は荒れ模様。郊外の農場地帯では低温のせいで地面が水漬け状態のおかげで作付けができないでいるとニュースで言っていた。ああ、今年もイチゴもブルーベリーもとうもろこしも旬の季節は短そう。ジャガイモはすでに数週間の遅れが出ているそうだし、園芸品も3週間くらい遅れているそうで、園芸センターでは閑古鳥が鳴いているらしい。「苗の方は少しくらい低温でも気にしないけれど、この天気では人間の方が庭に出る気になれないんですよね」とは、園芸センターの店長のコメント。うん、趣味の園芸ってお天気のいい日にやるもんだもんね。

さて、ホッケーの方は、今日モントリオールが第7試合延長戦でボストンに負けて8強が揃い、明日からプレーオフ第2ラウンドが始まる。土俵際のうっちゃりで切り抜けたバンクーバーはナッシュヴィル・プレデターズと対戦。予想ではバンクーバーが5試合で勝つそうだけど、ま、競馬の予想と同じで、どんな番狂わせがあるかわからない。総選挙の方だって、新民主党がどういうわけか津波のような上げ潮に乗ってしまって、獲得議席数の予想はめちゃくちゃ。金曜日の期日前投票には前回選挙のときよりも35%も多い200万人が全国各地で長打の列を成して投票したと言うからすごい。レイトン党首は遊説先で盛んに「私が首相になった暁には・・・」とやり始めたし、それを自由党のイグナチエフは「レイトンは首相になるのに必死なあまり・・・」とやり返して、何だか荒れ模様の雲行き。どうなるんだろうなあ、ホッケーも、選挙も・・・。

人災も天から降ってきた大災害?

4月28日。木曜日。外でモーターの音がしてかなり早くに目が覚めた。すぐ外のようだから、ガーデナーのジェリーが歩道の芝生を刈りに来ているんだろうと思っているうちにうとうと。11時半くらいに起きてみたら、カレシはとっくに起き出していて、キッチンのテーブルにジェリーの請求書が置いてあった。今月は2回で税込み53ドル76セントなり。

歩道と車道の間の芝生は市有地なんだけど、芝刈りは境界を接する家のオーナーの義務ということになっていて、我が家は角地だから全長が50メートル近い。昔はカレシが手押し式の芝刈り機で刈っていたけど、けっこう手間がかかるもので、15年くらい前に芝刈り機が壊れたのを機会に向かいのマージョリーの芝生を刈りに来ていたジェリーに我が家の側も刈ってもらうことした。だいたい4月~11月ぐらいまで1週間おきくらいに来て、月末にその月の請求書を郵便受けに入れて行ってくれる。家の前後の庭も全面芝生と言うところが多いから、芝刈り代行サービスを利用する人はかなりいるだろうな。市に固定資産税を払っているのに市有地の芝生を自腹を切って刈るというのも何だかなあと思うけど、ま、週末を芝刈りに費やさずに済むことのメリットの方が大きいような気がする。

日本ではゴールデンウィークの始まり。駆け込みでどさどさっと仕事を置いて行かれたけど、ま、ぼちぼちやることにして、まずは第1四半期の統合売上税の申告。連邦税と州税に分かれていたときは、連邦税だけを抽出するのにかなり手間がかかったけど、統合された今はレシートから売上税の数字を拾って、電卓でピコピコっとやるだけでいい。仕事のログから3月末までの売上額を拾い出して、カナダ歳入庁のサイトにアクセスして、事業者番号と会計期間と送られて来ていたアクセス番号を入力して、画面のフォームに数字を打ち込む。カナダ国内での仕事がないから売上税の徴収額はゼロ。実際に入力する数字は売上額と経費にかかった税金の額だけだから申告手続きは1分で完了。今期も経費にかかった売上税12%が全額還付される。遅ればせながら6月末に統合売上税に関する州民投票があるけど、廃止派が勝って元のように2つの売上税に別れることになったら、まためんどくさいことになるなあ。しかも、合わせて12%は変わりがないのに、還付されるのは連邦税5%だけになるし・・・。

新聞サイトを回っていたら、原発関連の賠償を巡ってすでに訴訟が起きているらしく、東京電力側が原子力損害賠償法にある「異常に巨大な天災地変」による賠償免責に該当するという見解を出していると言う記事があった。契約書などによく出て来る「Force majeure(不可抗力)条項」に似た条項だろうけど、要するに、福島原発の事故は巨大地震と巨大津波と言う「異常に巨大な天災地変」によるものだから、東電には賠償責任はないと言うことらしい。放射能汚染も風評被害も精神的苦痛もみんな補償すると言っているエダノさんは「責任は東電にある」と言ってるけどな。東電としては、社長がわざわざ福島まで行って土下座して謝って回って来たんだから、もういいじゃないかってことなのかなあ。雁首そろえてせ~のと頭下げて、謝ったんだから後は水に流せって、それはないんじゃないかい?

東電は常務以上の役員報酬を50%カットすると発表したのに大臣がそれじゃ足りんと言ったら、社長が「50%は大変厳しい数字」(だからこれでカンベンしてよ~)」と言ったそうな。去年の役員報酬は平均して3400万円だそうだから、半分になっても1700万円で、飢え死にする心配はないと思うけどなあ。役員の半分の半分ももらっていない社員なんか年収を20%も減らされるそうなのに、リッチな役員には事態が収束して落ち着くまで報酬をゼロにする!と言うくらいのガッツはないのかあ。1700万円になったら厳しいって、あんた・・・。

そういえば、何日か前にニューヨークタイムズに日本の原発政策と事業での官僚、電力会社、原子炉メーカー、監督官庁の「呉越同舟」ぶりを書いた長い記事があった。かなり深くリサーチしてあって、監督する立場にある官僚が電力会社に天下りし、技術者が保安院などの監督官庁に「天上がり」して、それぞれの馴れ合いで利益を追求した結果、「原発の安全」は二の次、三の次になっていたという話が、わかりやすく書かれていた。原子力損害賠償法の免責理由には「巨大な天災地変」があるのはわかるけど、まさか「巨大な人災」も天から降ってきた災難のうちだとは思ってないだろうなあ・・・。

花嫁はみんな世界一美しい

4月29日。金曜日。なぜか寝入りばなにカレシのいびきがすごくて、寝付いたのはそろそろ外が明るくなる頃。せっかく眠ったのに、復活祭の四連休のおかげでごみ収集日が金曜日に移動して、早朝からリサイクルトラックが来てドシャンガシャン。静かになったと思って寝直したら、ごみのトラックが来てゴーッ。しばらくして反対側から収集するのにまたゴーッ。結局、2人とも正午前に起き出した。ま、いい天気だし、今日はいろいろと予定があるから、いっか・・・。

早寝するつもりが、寝酒にレミを傾けているうちに午前3時を過ぎて、ロンドンでウィリアムとケイトの結婚式が始まる時間。(ウィリアムは未来のカナダ国王でもある。)テレビをつけたら、ちょうどケイトがウェストミンスター寺院に到着するところ。うん、シンプルでいいドレスだなあ、花嫁はこの日みんなきれいで輝いているよねえ、なんてぶつぶつ言いながら見ていたら、向かいのカレシがしょぼい冗談を言ったり、関係のない皮肉を言ってみたり、とにかくワタシの注意を逸らそうとする。ワタシの方は理由はわかっているし、理解できているつもりだけど、やっぱりうるさいから、グラスを持ってテレビのまん前に移動して「立ち見」。(カレシはあきらめずにワタシの回りをうろちょろ・・・。)

大司教が正式に結婚の成立を宣言したところまで見て切り上げたけど、ワタシは愛し合っていることが伝わってくるカップルには、王子も庶民も関係なく心から祝福を送りたい。浮気や暴力のような不幸せが待っていると知っていて結婚する人はいないはずだと思う。(お金や生活の安定が狙いなら話は別かもしれないけど、それでもやっぱり幸せになれると思って結婚するんだと思う。)どれだけ愛し合っていても、未来にどんなことが待ち構えているかは誰にもわからない。でもまあ、あの2人はきっと幸せにやって行くという気がするな。

起きて昼のニュースで改めて結婚式のビデオを見ながら朝食。きらびやかで豪華な結婚式を望むわけではもちろんないけど、ああ、ワタシも家族や友達の祝福に包まれて、花嫁として輝いて、華やぐ結婚式をしたかったなあ・・・と、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、心の奥の奥でチクンと感じる。まあ、40年近くも経ってしまった今となっては、夢は純粋にきれいな夢のままで心の中にしまっておくのが良いことはわかっているから、来世に生まれ変わったら、結婚の誓いで臆せず、迷わず、心から「I do」と言ってくれる王子様を見つけることにしよう。でも、そうは思ってもどんな人なのかまったく想像がつかないから不思議だな。あんがい、来世で恋に落ちてみたら、全面改訂版の「カレシVer. 2」だったりしてね。まっ、それも悪くはないと思うけど・・・。

朝食後、ダウンタウンに欠陥望遠鏡を返品しに行き、隣のビルにある眼科に行って2人揃っての検眼の予約を入れ、Whole Foodsによって買い物。カレシが毎年の恒例になった観があるボランティアの感謝状をもらいに行くので、早めの夕食を済ませて、モールまで送ってもらい、終わってから迎えに来てもらうまでの2時間半、銀行へ行ったり、買い物をしたり、ウィンドウショッピングをしたり・・・なんだか1日。中歩き回っていたもので、ひざも股関節もだるくて痛い。はあ、花嫁だ結婚式だと乙女チックな夢を見ているような年かいな・・・。

食べ物の恨みとえんどう豆とプリンセス

4月30日。土曜日。4月最後の日。ということは、もう1年の3分の1が過ぎたってことか。早いね、ほんと。5月と言えば初夏だろうに、カナダの大平原のマニトバでは時ならぬ大雪。積雪量が多かったために融雪で河川の水位が上がって、大規模な洪水が予測されて必死に対策を講じているのに、この大雪でさらに水量が増えるんだろうな。土嚢を積み増しても間に合わない地域が出てくるんだろうな。地球温暖化の顕著な特徴は台風やハリケーンのような熱帯性の暴風雨や、集中豪雨や豪雪、竜巻といった異常気象がさらに異常化することだそうだけど・・・。

今日は何とか平年並みの14度。カレシは庭仕事に午後いっぱい大車輪。夕食の支度の時間になって、ひと抱えもありそうなビーツの葉を持って入って来て、一挙手一投足に「イテテ・・・」。うん、庭仕事は全身運動だもんね。体中がコチコチだと言いながら、それでも「気分がすっきりしていい」とご機嫌。ビーツの葉は黄色のピーマンといっしょにごま油で炒めて、炒りごまをパラパラ。お皿にちょこっと載ったのを見て、「えっ、あれだけがこれだけになっちゃうのか」とびっくり。まあ、葉っぱの野菜は調理するとすごく減量するけど、ボリュームが減るおかげで、サラダで生食するよりもずっとたくさんの量を食べられるという利点がある。

カレシには調理した野菜はあまり好きではないという「偏食」があって、にんじんでもカリフラワーでも生で食べたがる。それでいつも何種類もの野菜が入った大量のサラダを作っていたのが、最近になって生野菜の硬い繊維質が少々負担に感じられるようになって来たらしい。元々ストレスが消化器系統にてきめんに現れる性質なんだけど、加齢と共に胃の消化能力が低下して来たのかもしれない。柔らかい摘み菜だけにしたり、みじん切りにしてサルサにしたりと、けっこう自分で工夫しているものの、一度に食べられる野菜の量が少なくなるから、今度は野菜不足になりそうだとうるさい。そこで始めたのが、「葉っぱ野菜は調理すればサラダよりもたくさん食べら
れて効率的!」という洗脳作戦。まあ、軽く蒸した野菜は何でも食べるから、「生食偏向」の原因はどうやらこてこてのイギリス人だったおばあちゃんがママに伝授したイギリス式のくたくたになるまで茹でた野菜の食感が嫌いということにあるらしい。ワタシもイギリスのパブで大量に盛られて出て来るべちゃべちゃのグリーンピースに閉口して、旅行から帰ってきてしばらくは見るのも嫌だったっけ。食い物の恨みは恐ろしいと言うから・・・。

今日はホッケーのプレーオフ第2回戦の第2試合。試合が終わらないうちに行けば酒屋は空いているだろうと予測して、第2ピリオドが半分過ぎた頃に出かけた。まず、土曜日の夕方というのに、交通量が少ない。うん、みんなテレビにかじりついているということ。酒屋へ行ってみたら、案の定、閑古鳥が鳴いている。スタッフが試飲会などをやるコーナーにある大きなテレビで試合を見ながらなにやら仕事をしている。テレビの音声を広い店内中に流しているので、レジでは客待ちのスタッフがホッケー談義。のんきといえばのんき。土曜日でもあるから、試合が終わった後でどっと客が来るんだろうな。バンクーバーが勝てば、ビールは飛ぶように売れるはず。まあ、しばしの憩いみたいなものか。ワイン1ケースとジンやウォッカを買い込んで、レジの人に「第3ピリオドが始まる前に帰らなきゃ」と軽口を叩いての帰り路は、「みんなどこへ行ったの?」というくらい閑散としていた。ほんとうにピリオドが始まる寸前に帰り着いてしまった。もっとも、その後、同点に持ち込まれて、延長ピリオド2回で負けちゃったけど・・・。

真夜中のランチはここのところジンを切らして飲めなかったマティニ。ウィリアムとケイトの背景や馴れ初め、交際のドキュメンタリーを見ながら、ふと、ケイトさんもグリーンピースをくたくたになるまで茹でるのかなあと思った。カレシ曰く、「あたりまえだろ、イギリス人なんだから」。でも、ウィリアムはイートン校や大学の寮でそういうのを食べ慣れているだろうから、愛妻料理をおいしいよって言いながら食べるんだろうなあ。「お姫様とえんどう豆」の現代版か・・・。


2011年4月~その1

2011年04月16日 | 昔語り(2006~2013)
昔、租界と言う言葉があった

4月1日。金曜日。小雨模様。今日から4月。懸案の仕事が確定しないままで日本が週末に入ったから、少なくとも日曜日の夜までは完全週休2日。といったところ。きのうの朝牛乳を使い切って、買いに行くのをすっかり忘れてしまったので、今朝の朝食は卵とトースト。カレシがスクランブルエッグにするというのを、ワタシがきのこがたくさんあるからオムレツにしようと提案して、最終的にワタシがきのこを炒め始め、カレシが卵を溶いて入れ、ワタシが形を整えて、きのこオムレツができあがって、オレンジジュースにトーストに乗せたオムレツにコーヒーが今日の朝食・・・。

仕事がないんだから家事のひとつもやればいいのかもしれないけど、仕事の時間はワタシの時間と言うことにしてあるから、やる仕事がなければその時間はまったくの「フリータイム」。(だから、いずれ引退しても「専業主婦」になるなんてありえないわけ。)ワタシのフリータイムだから、せっかく休みの週末はここぞとばかり「だらけモード」。小町横町をのぞいて、「外国人配偶者持ち」の人への食文化の違いに関するトピックを読んでみる。「食についての好みを共有できないこの悲しさ」と言うけど、食べることは生物の基本的な営みだから、好みを共有しなければならないものではないと思う。もちろんどの国にも特有の「食文化」というものがあるけど、根本的には人種や文化にかかわりなく「何でも食べる(食べてみる)人」と「食べなれたものしか食べられない人」がいるだけではないのかな。「味覚のツボ」が一致すれば、他のところでわかり合えていなくても、一組の男女としてやっていけるのではないかという気がする。裏を返せば、味覚のツボが一致していなくても、愛情があれば好みの違いを尊重し合えるんだろうと思う。まあ、「共有」と言っても、必ずしも双方向の取引を意味しているわけでもないようだけど。

日本に住んでいる小町の住人の特徴のひとつに、海外組が「日本人は~」と言う表現を使うと即座に「みんながそうではない。ひと括りにするな」と反応するのに、海外のことになると「欧米人は~」とこれまたえらく大雑把な括りをする性向がある。ステレオタイプ化は人種や文化を問わないけど、共通しているのはいつも密に接触している人たちについてはあまrそういう括り方をしない傾向があることかな。たとえば、通勤や買い物で毎日東京の雑踏の中を往来している人たちは、いやでも他人は自分と違うことに気がつくだろうと思う。違いが見えるからこそ、誰それは非常識だの、マナー違反だの、うざいだのと言えるんだと思う。だけど、海を隔てた「外国」の雑踏の中の「違い」は見えない。それでたまたま会った人や映画やテレビで見たことがその国の代表になってしまう。逆に、日本の日常から遠く離れて暮らしている日本人にも日本の細かな違いは見えなくなるから、「日本人は~」というくくりになってしまうんだろうな。森の中を歩いて1本1本の木を見ているのと、遠くから森を見ているのとでは、見えるものが違っていてあたりまえだと思うけど。

ところが森の中を歩いていても木を見ないのか、あるいは歩きやすい遊歩道をひたすら歩いているのか、森の木が1本1本違うことがわからないらしい人たちもいる。植民地時代にはあちこちにヨーロッパ人の「租界」ができて、外国に住んで生活しているのにまるで自国で暮らしているかのように振舞う人たちがそこにいた。植民地時代は終わったけど、二十一世紀になってもある意味で「租界」は健在なように思う。たとえば、人種の壁、文化の壁、言葉の壁、制度の壁を挙げて「○○(人)は~」と不興をかこっている人たちは、日本人にしろ、何国人にしろ、精神的な「租界」に住んでいるのかもしれない。まあ、それが快適でいいというのなら、Never the twain shall meetでもしかたがないかな。どこかにひょっと思いがけなく一致する「ツボ」はあるのかもしれなけど、食べる人と、食べず嫌いの人とがいるわけで・・・。

政治的配慮って何なんだ

4月2日。土曜日。正午ぎりぎりに起床。うっ、まぶしい。道路向こうの桜は散り始めている。完全に休みの週末は、ほんとに何にもしないで、食べて、ぐうたらして、また食べて、寝て・・・。もっとも、一度燃え尽きたワーカホリックの焼けぼっくいだから、いつまでのんびりとだらけモードでいられるかはわからない。

新しいコンピュータをセットアップしてもらってから1ヵ月。旧システムからの引越しもほぼ完了。何かふわふわと頼りならないキーボードにも慣れたし、Windows 7とOffice 2010の勝手もわかったし、タッチスクリーンの操作もコツがつかめた。全体的に「なかなかいい」。特に「いい」のがあれこれとのぞきまわっていて見つけたゲーム。おなじみのソリテアの他に目新しいものがいくつかあって、中でも「Mahjong Titans」というのにがっちりはまってしまった。要は、亀とか猫といった6種類のパターンに積み上げた麻雀の牌をペアを探して取り除いて行ってクリアするゲームで、両側を挟まれている牌はだめと言うルール。ソリテアもそうだけど、これもマウスを使わずに指先で画面をタッチするだけで遊べるから快適そのもの。ジグソーパズルのような感じもして、こういう模様合わせ的なパズルが大好きなワタシは1回やってすっかり病みつき。し~らない。

ゲームをひと休みして新聞サイトを見ていたら、産経にスーツ姿で皇居のお堀を泳いで渡った男が逮捕されたと言う記事があった。震災の政府の対応を批判する「直訴状」を持っていたそうな。どういう「批判」なのかわからないけど、政府や役所のもたつきぶりにしびれを切らしたとしたらわからないでもないな。同じサイトにワシントン支局長が地震と津波で大被害を受けた仙台空港の復旧に空軍の特殊パラシュート部隊を送り込んだアメリカ軍に度肝を抜かれたという話を書いていた。実戦を経験した部隊はやることが違うと感心している。続けて、原発事故処理での日米首脳会談で、日本の外務省の発表とホワイトハウスの発表の表現に微妙な違いがあることを指摘していて、次々と連鎖して発生する問題に有効な手を打てないでいる日本側にアメリカが苛立っていると推測していておもしろい。原発事故や同時テロを経験して、着々と対策を立ててきたアメリカの協力をためらう「合理的理由」を政府に問いかけている。メンツの問題と言うなら言語道断だ、と。

同じ産経のサイトに内閣の原子力安全委員会が原発事故処理に当たっている作業員の「造血幹細胞」の採取は不要と決めたのは作業員の命よりも政治的配慮が優先されたのではないかという記事があった。事前に造血幹細胞を採取しておけば、万が一大量に被爆して造血機能が破壊された場合でも移植して造血機能を回復させることができるそうで、医学の専門家が内閣に直参して採取を提言していたと言う。それを不要と決めた委員会は、作業員への精神的、身体的負担増や国際機関の合意がないこと、国民の理解が十分に得られていないといった理由に挙げているそうだけど、ある野党議員の見方では「被曝を前提とするほど危険な場所で作業していることになれば、国民の不安感や諸外国の不信感をあおることになりかねないという政治的配慮があるのではないか」ということだった。つまり、そんな危険な作業じゃないから心配ないと言いたいのかな。だったら、原発は安全でクリーンだよ、放射能が出ていても健康には害はないよ、と安心させるのと同じじゃないの?

もしもワタシが作業員だったら、造血幹細胞を採取しておいてもらった方が、たとえ「万が一」のことがあっても命が助かる可能性があると思って少しは気が楽になると思うけどな。国民に不安感を与えないためとか何とかいう「政治的配慮」で生き延びられる可能性を奪われるのはやりきれない。「万が一」は決して「ゼロ」ではないんだから。日本の人はそういう自分たちのメンツが何よりも大事な政府や官僚にもっともっと憤らないと、1日。わずか2食で毛布1枚のごろ寝という過酷な条件で、放射能を浴びながら事態の収束に努めている人たちがかわいそう。

誰が言ったのかには諸説があるけど、民主主義においては「The people get the government they deserve(国民はその程度に相応の政府を持つ)」と言われる。そうだとしたら、日本国民のメンツにかかわる問題だと思うんだけど。

仕事人間に仕事がないとどうなる

4月3日。日曜日。よく眠ったけど、ヘンな夢を見ていた。オフィスのようなところから道路に出て、車に乗り込んで、ダッシュボードにあるメモの住所へ向かっていた。道路なのになぜかやたらと歩行者がたくさん歩いていて、みんなてんでにぶらぶらと車の前を横切るもので、運転しにくいったらない。なぜか車に知らない人(男!)が乗っていて、ワタシが「カレシを迎えに戻らないと」と言ったら、「歩いて行くだろうからいいよ」と言い、ワタシが「住所の場所は遠いから歩いては行けないよ。戻らなきゃ」と言ってハンドルを切ったところで目が覚めた。何だったんだろうな。それよりも、車の後部席にいつの間にか乗っていた男、いったい誰なんだろう。いきなり人の夢に出て来て、名乗りもせずに運転しているワタシに指示したりして、ちょっと失礼だと思うけど・・・。

曇りがちでちょっと肌寒い日。カレシは庭仕事。ワタシは遊び仕事。先々週だったか、ニューヨークの会社から小さい仕事が入って来て、何か見覚えがあると思っていたら、たいぶ前に同じ会社のサンフランシスコのオフィスに出したトライアルの原稿と同じ、尻切れトンボの契約書。トライアルならそう言えばいいのに。改めて訳すこともないので、トライアルでやって「A」の評価をもらった文書と同じだから無料ですと元の翻訳を送っておいた。トライアルと言わずにトライアルをやらせるなんてちょっと人が悪いと思うけど、この分野は「無料トライアルはノー」という人が多いらしいし、こっちのレートに同意したし、何か予期される案件があって人を集めておきたかったのかもしれない。先週ファイルに入れるので最新のレジュメを送れと言って来た。お、脈がありそうかな。アメリカの主要都市の他に、ロンドンやパリ、フランクフルト、ストックホルムにもオフィスがある会社だし、法律分野の仕事をもらえそうだし、ここは送っておこうか。

庭仕事で食欲倍増したカレシは、早くから「腹が減った~」。ちょうど良く今夜はボリューム料理。鶏のもも肉を使って実験的にサムゲタン風に煮込んでみることにした。シンガポールで買って来たアジア料理の本に基本的なレシピがあるし、ちょっとググってみたらバリエーションとでも言うのか、「サムゲタン風何とか」がたくさんある。それをざっと見渡して、我が家の「試作品」は、鶏ももともち米、しょうがとにんにく、大根と長ねぎ、冷凍庫にあったぎんなん、ナツメの代わりにプルーン、そしてスライスした高麗人参。塩で味付けして、白コショウを少々。少しとろみのある、あっさり味のスープができ上がった。これにカレシが庭から採ってきたビーツの葉とシメジを炒めたのに照り焼きにしたイワナを載せて、何風だかわからない「晩御飯」。でも、カレシは「もっとないの?」というくらい「サムゲタン風チキンスープ」がいたく気に入って、実験は成功。高麗人参ともも肉がまだ残っているから、次は「サムゲタン風七穀粥」なんて作ってみようかな。(ついでに、もち米の袋を眺めて、ちょこっとお餅ができないかなあと夢想しているワタシ・・・。)

何となく体中がほかほかとした気分になって、オフィスに戻ったら、先週からの未確定案件は「なし」で確定したとのメール。お、と言うことは明日の夜までは休みの延長。なんかうれしくなって、またぞろゲームを始める。どうしちゃったんだろうな。この何週間かで、一気に仕事への情熱が冷めてきたのではないかと言う危惧の念が一瞬だけにしろ頭をもたげてくる。どうしたんだろうな、21年もがんばって仕事をして来たのに。もっとも、ワタシは自分のことを「翻訳家」と呼んだことはないし、漠然とでもファッショナブルな職業に就いている気分になったこともないから、たぶんワタシの情熱は自力でのんびりとした老後を送れるための「金稼ぎ」の方に向いていたのかもしれないけど。ま、仕事が入って来るまで、おいしいものを作って食べて、遊んで、大いにだらけて、エネルギーを蓄えて次の波に備えよう。(ニューヨークにレジュメを送ってしまったし・・・。)

うん、まずはきんぴらごぼう作りから始めようか。ゲーム三昧はそれからということにして・・・。

放射能は困るし、電力不足も困る

4月4日。月曜日。雨。ずいぶんよく降った。ワタシもずいぶんよく寝た。午前3時を過ぎると眠くなって来て、普通に4時過ぎにベッドに入ると、すと~んと眠ってしまう。仕事がないから脳もリラックスしているんだろうな。いつもなら就寝時間ぎりぎりまでこき使われているからなあ。

今日も仕事戦線は静かな気配。どこも予算の新年度でもあるし、原発問題が落ち着くまでには数ヵ月はかかるというし、ひょっとしたらしばらくは静かな状態が続くかもしれないな。ということは、この数年の間ずっと棚上げして来た「趣味」を再開しても大丈夫ってことかな。そう言ったら一番乗り気なのがカレシで、どこそこへ行こうだの、何それをしようだの、今からもうぬれ落ち葉になりそうな気配。ま、ほんとうに急に仕事が途絶えるようなことがあっても、65歳定年まであと2年のところまで来ているし、それまでの生活を十分に補填できるだけの蓄えもあるし、二人とも完全に隠居になったときのためのミニ予行演習みたいなものだと思えばいいかな。濡れ落ち葉は外(ボランティア)に出て日に当たれば適度に乾くだろうし・・・。

新聞を見ると、アメリカの景気は割と良い方向に向かっているようなのに、カナダドルは相変わらずのバカ上がりで、今日の対米ドルレートは1ドル3セント以上。福島原発の問題で原油や天然ガスの需要増を見込んでいるのかな。その対米ドルで日本円が下がって来ているから、こっちはダブルパンチ。秋には対米ドルで90円くらいまで下がるかもしれないというから参っちゃうなあ、もう。だけど、そんなに円安に振れていいのかな。もちろん、日本の政府としてはこれからソニーやトヨタにプレステやアニメやプリウスをじゃんじゃん輸出してもらって稼いでもらわなければならないから、輸出の足かせになる円高は望まないだろう言うことはわかるけど。

わかるんだけど、円安になったら輸入しているものの価格が上がる。日本はこれから原子力に代わる発電源として石油や天然ガスが必要になるだろうし、被災地の復興のための建設資材も国産だけでまかない切れるはずがないし、放射能汚染が広がればこれまで以上に食料品を輸入しなければならなくなるというときに、円安になったら困らないのかな。どれも日本国内の生産で十分にまかなえるから大丈夫ということなのかな。輸入価格が上がるということは、日本国内の消費者にとっては生活物資が値上がりするということで、国産品がみんな安全だと言い切れるかどうかわからない状態では、間に合ってますも何もないだろうに。その上で復興の財源にすると言って消費税率を上げられたら、生活者の家計にはダブルパンチ。もっとも、円高をいいことにあれもこれもと買い占められたら、今度はこっちが困るかもしれないな。

新聞にLos Angeles Timesから転載した記事があって、福島原発で作業状況や、食品や魚から検出された放射能のデータ、政府の対応などを長々と伝えていたけど、その中で全国紙の読売新聞が実施した原発に関する世論調査の結果を月曜日に発表したという一節があって、福島原発事故による不安にもかかわらず、回答者の半数近くが現存の原発を維持することを支持していたと書いてあった。えっ、原発反対が多数じゃないの?と思って、早速読売のサイトを探してみたら、あった、あった。(URL) 「今後、国内の原子力発電所をどうすべきか」という問いに、46%が「現状を維持すべきだ」と答えている。記事には電話による全国調査とあるだけで、調査対象者の人数や誤差限界の数字が記載されていないから、統計としての有意性にちょっと問題があるけど、それでも、東電が喜びそうな意外な結果。ふむ、放射能が飛んで来るのは怖いけど、さりとて電気をふんだんに使えないと生活に支障が出るし・・・二十一世紀の選択は難しいな。

新聞記事、最後に「ちょっとポジティブなニュース」として、NHKが漂流する屋根の上から救助されたワンちゃんが飼い主と再会したと報道したという一節で閉められていた。歴史的な悲惨な災害でみんな暗い気持になっているときだからこそ、アップビートな話で締めくくっているのは、いかにもハッピーエンドが好きなアメリカ人らしい。

だから円高にしなきゃと言ったでしょ

4月5日。火曜日。雨は止んだけど、けっこう肌寒くて、午後になっても10度まで行かない。予報を見ても、最低気温が零度近くまで下がっている。ずっと東部や大西洋岸で大雪を降らせて暴れていたラニーニャ嬢が今頃になって「そういえば、あっちの方へはご無沙汰だったわ~」なんて思い出したわけじゃないだろうな。温室では野菜の苗がどんどん伸びているってのに、今頃こっちへのこのこと来られても迷惑なんだけど。(冬中だって来られたら迷惑だけど・・・。)

朝食後、まずメールだけチェックして、(中サイズの)トートバッグを担いでモールに急行。金曜日の夜に買い物に行ったときにチェックした私書箱に「保留メールあり」のカードが入っていたので、まずは溢れた郵便物の引き取り。モールは水曜日から金曜日の3日。だけ午後9時まで開いているから、その時間前に買い物に行けば私書箱を溢れさせることはないんだけど、スーパーが真夜中まで開いているもので、つい早く行きそびれる。今日もカウンターのお嬢さんに「保管料を取った方がいいんじゃない?」と言ったら、「ほんとねえ。We should!」とウィンク。ずっしりと重い(ほとんどがカタログの)郵便物の束を引き取って、今度はスーパーへ。金曜日の夜に行ったときにカレシが自分のリストに書いてあったオレンジジュースを買い忘れて、今朝の朝食が最後。増量するのにグレープフルーツも使ってしまったから、明日の朝のために緊急調達。トートバッグが重くて肩に食い込むので、とりあえず冷凍のを1個だけ。

帰り道の地下鉄駅の前に食べ物の屋台が出ていて、焼きそばや牛丼、その他アジア食を売っている。近くにカレッジがあるからけっこう需要があるだろうな。屋台といえばホットドッグが定番だったのを、市がコスモポリタンなバンクーバーでそれはないだろうと、エスニックフードの屋台を奨励し始め、メニューや衛生管理などの審査をして営業許可を出している。出店場所は抽選か何かで決まるらしい。きのうからダウンタウンで新たに19台が営業を始めたそうで、ラジオ局のサイトがそれぞれの出店場所のリストを載せていた。ギリシャ、ベトナム、インドと結構バラエティがある中に「たこ焼き」を見つけてびっくり。場所はペンダーストリートの800番地台のブロック。「和風」ホットドッグで成功したJapadogの二匹目のドジョウになるかな。たこ焼き大好きのカレシを引っ張って行ってみなきゃ・・・。

早い夕食を済ませて今日から再開する英語教室へカレシを送り出して、ゆっくりと新聞めぐり。ロイターズに「円安は日本経済の重荷になるかもしれない」という分析記事が載っていた。平時なら円安は日本企業の強い味方だけど、今は円高の方がトリプル災害からの復興に貢献するのではないかと言う話。ほら、きのうワタシが言った通りでしょ?と、わりと鼻高々にカレシを相手に円高推進論をぶってみたら、経済学専攻だったカレシは「それはそうだけど」と肯定しておいて、「でも、日本じゃ誰もキミの言うことなんか聞いてないよ」と否定。ま、そりゃそうだな。ワタシは経済学者じゃないし、えらい評論家でもないし、いや、ワタシという人間が日本には存在してないもんね。それでもやっぱり円高に誘導すべきだと思うんだけど、あんがい外国投資家が東電とか日本株を売り払って東京市場から逃げ出しているせいで円安に振れていることもあり得るし、実際はどうなるんだか・・・。

放射能汚染した水を大量に海に放出したせいで、農業に次いで今度は漁業が風評被害。そうなると思ったけど、築地が茨城の魚の引取りを拒否したという話。築地市場としても売れそうにないからしょうがないということなんだろうけど、フランスの研究所と大学が予測した汚染水の拡散を見ると、放射性物質の濃度は薄まりはしても、「汚染水」は仙台湾まで届いて、さらに広がって行く。大地震と大津波であれだけの被害を受けた宮城の人たちが、また今度は放射能汚染という災害に見舞われる(現に、漁ができなくなっている)わけで、すごくやりきれない気持になる。政府は農業も漁業も、すぐに「補償する」といとも簡単に言っているけど、この分だとものすごい額になるんじゃないのかな。身内から借りたとはいえ借金率200%の国のいったいどこにそんなお金が埋まっているんだろうな・・・。

いろいろ比較研究してみると

4月6日。水曜日。いい天気だけど、やっぱりまだちょっと低温。寝ても寝てもまだ寝たりない気分で、正午過ぎに起床。カレシが階段の下から「今日は1ドル4セントだってさ」と、昼のニュースで流れたばかりの対米ドルレートを教えてくれる。ああああ。仕事なんかしたくなっちゃうなあ、もう。円高と同じで、カナダドル高は輸出産業にはきつい。かく言うワタシも端っこの端っこだけど、一応は輸出ビジネスだから「働けど、働けど・・・」みたいになってしまう。何とかしてくれないかなあ。

でもまあ、もうすぐ復活祭の連休だし、高くなったカナダドルを持ってみんな大挙して国境の南へショッピングに行くんだろうから、消費者が潤うと言うことではいいことなのかな。ワタシもどさっと来た通販カタログを見てネットで越境ショッピングしようかな。もちろん、みんなが南へ行ってしまうと肝心のカナダ側のビジネスが困るし、アメリカドルが安くなればアメリカ人はカナダに遊びに来なくなって観光産業も困ってしまう。つまり、あちらが立てばこちらが立たずで、国際経済はややこしい。年末でには1ドル10セントくらいまで行くと言う予想もあるから、しばらくはヒマな方が気が楽かもしれない。

原発危機も、見ていると何だかあちらを塞げばこちらで漏れるみたいなことになっているようで、Damned if you do, damned if you don’tというか、すべてが「苦渋の選択」らしい。Bloombergのコラムでウィリアム・ペセクが「日本人も怒りを抑える限界に来ている」というような、なかなかおもしろい洞察をしていた。データを改ざんしたり、リスクを過小評価したりの毒企業なのに、役員たちは今も給料をもらっているし、首にもならないでいる。ソフトバンクの孫社長が100億円もの私財を寄付したのに、東電の役員からは新聞記事になるような寄付があったという話は聞かないのはどういうことだ、という論調。たしかに原発危機対処の手際の悪さや「不安を煽らないように」という一見ありがたい理屈を建前にした「隠蔽体質」を傍から見ているとじれったくなる。でもまあ、いろんなビジネス文書を翻訳していると、何も東電だけじゃないし、財界だけじゃないし、それに昨日今日始まったことでもないことはわかるんだけど。

ヒマな方が気が楽だなんて言っていたら、Talk of the devil(噂をすれば)で、あ~あ、右からも左からも仕事の話。アメリカから来た日本語のテープ起こしを含むプロジェクトはかなり大きそうだけど、サンプルを聞いてみたら全然わからなくて愕然となった。英語なら何年も上級秘書として口述テープのタイプをやっていたからまだ自信はあるけど、日本語の口述タイプはやったことがない。それでもかっては同時通訳だってできたんだから聞き取れるはずだと思うんだけど、日本語で話をしているのはわかるのに、いくら音量を上げて、耳をかっぽじって聞いても、意味のある言葉として聞き取れない。日本語を耳で聞くことがほとんどないから、ボケてるのかもしれないけど、こりゃだめだ。翻訳の方ならやれると返事をしておこう。それにしてもなあ・・・。

読売の見出しに『海外の大衆紙、恐怖心あおる誇張報道』というのがあった。読売くらいの大新聞なら、欧米のいわゆるタブロイド紙と呼ばれる大衆新聞が日本の(東電みたいな会社にお勤めのリーマンおじさんたちが電車の中で読んでいるエロっぽい写真満載の)大衆週刊誌と同じようなもので、無知な人たちが読むものだということぐらい知っていそうなもんだけどな。ふむ、海外のマスごみに注意を逸らそうとしたりして、何か魂胆があるんじゃないの?怪しいな。まあ、CNNもビジュアルに似たようなことをやってるけど。それにしても、この3週間はジャーナリズムの比較研究のような面もあって、ワタシには大いに勉強になった。

夕食後、遠い方のスーパーへ野菜や魚の買出し。魚もたくさん、野菜もたくさん。何日か前に日本から飛来したと思われる放射性よう素が海草や雨から検出されたというニュースがあったけど、ワタシが(自分の周囲を)見る限りでは放射能が怖いからと言って魚や野菜を敬遠している人はいないな。マクドナルドよりも数が多いと言われるスシ屋の商売に香港の場合と同じような影響が出ているのかどうかは知らないけど、日本からの食料品の輸入はほんとに微々たるものなので、輸入停止になっても日本食産業以外は気づきもしないだろうと思う。今ホットなニュースはカナダ連邦議会の総選挙。カナダ人が自分たちの政府を選ぶイベントだからカナダのメディアと国民の関心が集中するのは当然だと思うけど。

翻訳者はマゾヒスト・・・NOT

4月7日。木曜日。いい天気。起床は正午前。きのうの真夜中のランチに即席サムゲタン風お粥を作って食べたせいか、すごく快適に眠った気がする。

Globalの正午のニュース。日本で大きな余震。津波なし。原発に異常なし。窒素を注入する作業を継続中。韓国では放射能雨を心配して学校が休校。カナダドルの対米ドルレートはまた上昇。総選挙は保守党、自由党ともちょっとした「ダメージコントロール」モード。この好天は週末まで続き、気温も上昇。ただし、来週はまた雨になってやや低温。NHLホッケーは地元カナックスがこともあろうに最下位チームに2連敗したあげく、プレーオフ直前になってフォワードのトレスが4試合も出場停止になって、監督もGMもいたくおかんむり・・・エトセトラ、エトセトラ。うん、ワタシはGlobalローカルの昔ながら?の1時間のニュース番組が好きだな。

大きな事件や事故や災害のニュースが「煽り」のような印象を与えるようになったとすれば、ケーブル放送に「24時間ニュース専門ネットワーク」ができ始めて以来じゃないかと思う。毎日24時間ニュースを流し続けるといっても実際は15分くらいのサイクルだから、事故や災害の映像がテレビの画面に約15分おきに、これでもかというように繰り返し、繰り返し映し出される。映像が悲惨であればそれだけ見ている人の感情に与える衝撃は大きい。日本に同じ形式のチャンネルがあるかどうか知らないけど、なじみの薄い人たちが煽情的に感じるのはありだと思うな。カナダのCTVやイギリスのBBC Worldを見慣れているワタシだって、「もういいよ」と言う気分になることが多いもん。

もういいよとげんなりした協会の理事会選挙もなんとか無事に終わって、国籍条項だの公職選挙法だのを持ち出した真性KYのご仁は大差の最下位で落選。やれやれと思ったら、駅裏の赤ちょうちんおじさんはまだひと言多い。昔、(一緒に飲むには楽しい人だけど)石頭の一言居士のアメリカ人会員がいたけど、この日本人会員もそれに勝るとも劣らない一言居士だなあ。おまけに軽妙洒脱な切り口が売りだと思っているような節もある。それで駅裏の赤ちょうちんの中年サラリーマンを連想してしまうわけで、それが実際の人柄なのか、あるいは「ネット人格」なのかどうかは実物を見たことがないからわからない。それでも「もういいよ」というくらいわずらわしいから、しばらくはKillフィルタを外さずにおこう。

ほんとにコミュニケーションは難しい。言語と文化を共有する人間同士でさえツーカーで通じ合えずに誤解や軋轢が生まれるんだから、同じ言語をしゃべっていても文化が違えばうまくカチッとはまらないところがあるだろうし、文化が同じでも言語が違えば同じようなものだろうと思う。言語も文化も違うとなったら、やっぱり高飛びのバーのように一段も二段も高くなってあたりまえなのかもしれないな。好きでやっているとは言え、2つの言語、2つの文化の石壁の間にがっちりと挟まれて、イタリアの諺のように「Traduttori traditori(翻訳者は裏切り者)」と疑いの目で見られながらも、言語、文化その他諸々の「異種」コミュニケーションの取り持ちに苦心している翻訳者も通訳者も、ちょっとマゾっぽいところがあるのかもしれないという気がして来たけど・・・。

森の外にいる人には森しか見えない

4月8日。金曜日(だよね)。今日も好天で、気温も春らしくなってきた。きのうカレシが「下着がなくなった」と言い出したので、今日はまず洗濯機を回す。この1年以上新しい下着がいると言ってなかった、アナタ?「下着がない」とか「新しいのがいる」と言い続けていれば魔法みたいにボッと現れるとでも思っているのかなあ。案の定、洗濯機を回しておいてモールにあるデパートに買いに行くはずだったのに、天気がいいから庭仕事をしたいので、買い物は夕食後にしよう、と。ま、金曜日はモールが午後9時まで開いているけど、行く方に賭けるか、行かない方に賭けるか・・・。

去年の夏に連邦と州の売上税を統合したHSTが導入されてから反対派が要求していた住民投票。どうやら7月上旬に郵便投票で賛否を問うことが決まった。施行から1年後と、後出しもいいところだけど、地元ラジオ局がネットでやっている世論調査ではHST廃止に賛成と反対がほぼ互角になっている。へえ、去年はあれだけ猛烈な反対が巻き起こって、キャンベル州首相の引退につながったのに、やっぱり喉もと過ぎればと言うことなのかな。元々HSTの打撃を受けたのは州税のPSTが非課税だったものだけで、日常のたいていのものはそれまで連邦税(GST)5%と州税7%だったのが合わせて12%の売上税になったにすぎないから、結局はさほど大きな影響を感じなかったのかもしれないな。遅ればせの住民投票、どんな結果が出るか・・・。

市役所が住宅地で抗議活動のための構築物や看板を設置することを禁止する条例改正をしたのはいいんだけど、その改正作業で中国政府と相談したことがリークして問題になっている。事の起こりは、高級住宅地の片隅にある中国領事館の外にずっと前から法輪功の団体が中国での弾圧に抗議して小屋を作っていた。中国はカナダ政府やバンクーバー市に抗議して取締りを要求し、市は新しい条例を作って小屋を撤去させた。ところが法輪功の訴えで最高裁判所がその条例は憲法違反と判断して改正を命じ、その期限が後10日。に迫ったところで改正した条例を発表したわけなんだけど、主権国家であるカナダの1州の1都市であるバンクーバーの市役所が外国の政府にお伺いを立てるなんて、アエリナ~イ。ま、そういうことがありえてしまうのが我が街のお役所の不思議なんだけど、何億円もする住宅を買いまくっている中国本土からの移民が注目されているときだし、11月の市長・市議会選挙、おもしろくなりそう。

春の観光シーズンのピークだというのに、福島から遠く離れた京都でも外国人観光客が激減しているそうで、「外国人は日本全体が危険だと思っている」と嘆いている。でも、海を隔てた外国の人には北の端から南の端までひっくるめて「Japan」なんで、そのJapanで大地震があった、大津波があった、原発事故があって放射能が出ている・・・そう聞いただけでJapanは危ないと思ってあたりまえだと思うよ。日本人にはカナダは西の端から東の端までひっくるめて「カナダ」であって、たまたま出会った人を見て「カナダ人は~」となるのと同じことだと思うけどね。森の中にいる人には松も杉も柳も見えるだろうけど、その外にいる人には「森」しか見えないってこと。

メキシコで新型インフルエンザが発生してカナダ西岸に飛び火したときに、まるで北アメリカ全体がウィルスが蔓延する危険地帯のように騒いで、旅行をキャンセルしまくっていたのは誰なんだろうなあ。煽らずに客観的な報道をしろと外国のメディアにいちゃもんをつけているけど、インフルエンザのときに、北アメリカから飛んで来たというだけで、物々しい衣装で客をバイキンのように扱っているところをテレビで流すパフォーマンスをしたのはどこの国だったかなあ。ま、森の中の木には森の外は見えないってことでもあると思う。

日本では、『福島県民お断り』という張り紙をしたガソリンスタンドがあったり、福島の人がレストランやホテルで断られたり、車に落書きされたりするという「風評被害」が起きているという記事があった。ま、そういうことが起きるだろうとは予想していたけど、そのうちに小町横町に「福島の人と結婚しても大丈夫でしょうか。生まれて来る子供のことが心配です」なんてトピックが上がってくるだろうな。だけど、そういうニュースはたぶん外国の人たちの目には触れないだろうから、日本人の評判に傷がつくことはないと思うな。ここは、遠くから森を見ている人たちに森の中の木々が見えないのはプラスだということもあると思わない?

ただいま開店休業中

4月9日。土曜日。雲が広がってきた。カレシが早めにごそごそと起き出したもので、釣られてワタシも起きてしまって、なんとなく寝足りない気分。ゆうべからのカレシのリクエストで、ベーコンポテトと目玉焼きの朝食。カレシが肩が痛いといいながらオレンジをいくつも絞ってくれたのでフレッシュなジュース。冷凍の濃縮ジュースとはオレンジの種類や質も違うだろうけど、絞りたてのジュースはやっぱり味が違うなあ。

正午にテレビをつけたら、ゴルフの中継をやっていて、昼のニュースは完全に休みのもよう。週末はいつも30分で端折ってゴルフ中継なんだけど、ま、世の中、平和そうでいいか。チャンネルを切り替えてCTVの24時間ニュース。アメリカ合衆国は「お手元不如意につき臨時休業いたします」ということにはならなかったようで、まずはめでたい。でも、恒例の年次危機になりつつあるような気がしないでもない。ま、アメリカのことだからアメリカ人が何とかすればいいことだけど、就任当初は若々しかったオバマ君もすごく老けたという感じがした。クリントンもブッシュも大統領になって一期目が終わる頃には目に見えて老け込んでいたっけ。戦後最悪の事態と格闘している菅さんはどうなんだろう。菅さんが出て来ないもので、こっちではエダノさんが日本の首相だと思い込んだ人もいるけど・・・。

連邦議会総選挙が始まってほぼ2週間になるけど、保守党と自由党の支持率の差はあまり縮まらず、未だに9ポイントの大差。保守党はちょっぴり下がったけど、上がったのは3番目につけている万年野党の新民主党。ハーパー首相は参加登録をした人の集会に出て公約をぶち上げたりしているのに対して、ハーバード大学を辞めて「救国の士」のつもりでカナダに戻って来て、自由党党首になって、「国民は選挙を求めている!」と威勢よく保守党少数政権を倒したイグナチエフは街頭に出没して支持者と握手して回ったり(いわゆるbaby-kissingというやつ)、バーベキューをやったりの古典的な選挙戦。それなのに、大手のリサーチ機関が各党党首の選挙戦のスタイルを成績評価する調査をしたら、ハーパーはAかBが多い好成績なのに、イグナチエフはどうも「落第点」が多いらしい。とどのつまりは、経済は結構うまく行っているんだし、当面はハーパー政権で文句はないということなのかなあ。選挙ってほんとにおもしろい。

大地震からほぼ1ヵ月経って、収束が見えない原発については毎日「何それに放射性物質がいくら」みたいな記事ばかりで(大きな危機が起きていないと言う意味ではいいことだけど)メディアも少々飽きて来たのか、このひと月の政府や東電の動きや、買いだめや海外での反応といったいろいろな事象を検証する分析記事がちらほら目に付くようになった。産経にはおとといだったか参議院議長とのインタビューがそっくり話し言葉で掲載されていて、じっくり読めたし、今度は「大震災特別連載」と言うのが始まっていて、その初めが首相官邸の「開かずの扉」(首相の執務室)。これもじっくり読むと自然災害が「人災」に発展していく様子を垣間見ることができる。また、社会心理学者その他による「社会事象」の分析もなかなかおもしろい。きっとワタシはこういうタイプの「じっくりと読める記事」を求めていたんだろうな。

考えたてみたら丸々1週間も仕事をしていない。予約はあるけどまだ10日。も先のことだから、このままさらに1週間くらい開店休業が続きそうかな。湾岸戦争が勃発したときも阪神大震災が起きたときも一時的にばったりと仕事が途切れたから、今度もそういうことだろう。一国の経済活動を止めるわけにはいかないし、ビジネス活動まで自粛しているわけではないだろうから、そのうちまた少しずつ動き出すだろうな。まさに未曾有の大災害だったんだから、ペースを取り戻すまでにはかなりの時間はかかるだろうけど。まあ、ちょうどいい機会だと思って(と言うと語弊があるかもしれないけど)、しばらくはゆっくりと休養させてもらうことにしよう。

自粛にもいろいろあって・・・

4月10日。日曜日。正午を過ぎてゆっくり起床。朝起きて真っ先に仕事の納期を考えなくてもいいのに慣れてきた。ま、慣れすぎてしまうのも何だけど、ご隠居さん暮らしの予行演習としてはいい感じ。

朝食後、日本の新聞サイトへの接続がやたらと遅いと思ったら、前日が地方選挙の投票日で、一夜明けての月曜日早朝だから、たぶん新聞社が記事を更新中だったのか、あるいはアクセスが殺到したかのどっちかだったんだろう。東京は石原さんが四選して、「パチンコや自動販売機に1千万キロワットも消費する国は日本くらいのもの。パチンコ好きはがまん、自販機はなくても生きて行ける」と言ったそうな。1千万キロワットか。ギンギラギンのネオンにチンジャラジャラにドンチャカドンチャカの大音響だから電気のメーターの回り方もすごいだろうな。自動販売機も、犬が歩かなくたって棒の方から当たって来そうなくらいある。カレシが東京は明る過ぎると言っていたけど、そのために東京電力は東北電力の管内にある福島にあんなにたくさん原発を作ったとしたら、福島の人は踏んだり蹴ったりだよね。新潟にある刈羽原発も同じで、発電した電気は地元にはほとんど流れていなかったんだって。本当だとしたら、東電はえらく傲慢な企業だと思うけど、首都圏は「地方」とは別格なんだろう。ところで、東電のロゴ、なぜかミッキーマウスみたいに見えるんだけど、英語のスラングで「mickey mouse」と言ったら何を意味するのか、東電の社長、知っているのかなあ・・・。

小町を見ていたら、「自粛ムードから解禁するのはまだ早いか」という趣旨のトピックがあって、賛否両論。書き込みを読んで行くと、「今まで楽しめたことをやる気になれなくなった」から、自粛はやめろといわないでくれと言う人がいるかと思うと、「そんなにもディズニーランドへ行きたいのか」と遠まわしに楽しむのは「不謹慎」と言っている人もいる。戦争中に「欲しがりません、勝つまでは」のスローガンで国民を統制したのに似ていて怖いという人もいた。まあ、そうやって暗黙的に「罪悪感」を植えつけて他人の思想を統制する風潮はこれが初めてじゃないと思う。ここでも「自分がこういう気持なのに/こういうことを(我慢して)やっているのに、他人も同じでないのは許せない」という心理が浮き上がって見えて来るからおもしろい。匿名の掲示板で解禁はまだ早いかどうかなんて聞いているけど、別に政府が「自粛」をお願いしたわけじゃないだろうから、数を頼むような多数派工作をしなくても、自分の判断で最善の行動を取ればいいんじゃない?楽しむ気になれない人は何もしなくていいし、盛り上げようと言う人は大いに盛り上げればいい。ま、この「自粛ブーム」、海外のメディアにも「jishuku」として登場するようになったから、そのうちにOEDに新しい外来語として採用されるかもしれないな。

さて、カナダ連邦議会総選挙も投票日まであと3週間の佳境?に入って、保守党、自由党、新民主党の政策プラットフォームが出揃い、今週はテレビで党首討論会がある。この討論会に呼ばれなくて大いにむくれているのが緑の党のメイ党首。裁判所に訴えてみたけど、あっさりと却下。だって、グリーンは残念ながら議席を持っていないし、メディアが主催する討論会だからしょうがないだろうと思うけどな。環境活動家だけあってまるで小学校の先生みたいに口やかましいし、人の発言は聞かないでしゃべりまくるし、それにティーンの女の子じゃあるまいし、あのケラケラ笑いは国政レベルの政党の党首としてはちと軽すぎると言う印象はぬぐえない。

カナダは英語とフランス(ケベック)語が公用語だから、党首討論会も英語圏向けとフランス語圏向けがある。そのフランス語圏向けの討論会が当初予定されていた木曜日から水曜日に急遽繰り上げになったんだけど、その理由と言うのが何と「ホッケー」。モントリオール・カナディアンズとボストン・ブルインズのプレーオフ第1ラウンドの初戦が木曜日ということで、テレビ中継がかち合ってしまうと、フランス語系ケベック人から抗議が殺到したらしい。はい、はい。選挙よりもホッケーの方が最優先だから、政治談議はジシュクというわけね。でも、笑っちゃうなあ・・・。

笑っちゃう話といえば、夕食後にカレシが金曜日に買って来たGodivaのチョコレートをほとんど食べてしまったので、「キミにチョコレートを買ってあげないといけないんだ」けど、GodivaよりもDaniel’sの方が好きだから、芝居のついでに行きたいと言い出した。ええ、ワタシ、まだ3個くらいしか食べていないのに、いつのまにか一箱食べちゃったの?それで、ワタシに買ってあげたいけど、自分の好きな方のを買いたいってこと・・・だよね?あ、つまり、ワタシの分まで食べてしまった埋め合わせは口実で、買ったらまたみんな食べちゃう気・・・でしょ?あのさ、つまみ食いをジシュクしないと、太っちゃうよ、アナタ・・・。

太平の眠りを覚まされた日

4月11日。月曜日。目が覚めると明るい。正午ちょっと前。う~ん、まだ早いからこのままもう少しうとうとしていようかなあ・・・なんて思っていて、突如思い出したのがきのう飛び込んで来て今日が納期の仕事。メールを打っている最中にあの最大余震が来たらしく、かなり揺れたと書いてあった。あれからちょうど1ヵ月で、少しずつ普通の毎日になって来たところでグラリと大きな余震が来ると、誰だってもういい加減にして欲しいという気持になるのは当然だけど、いい加減にしろと言っても聞いてくれるような相手じゃないから・・・。

とにかく、がばっと起きて、朝食を済ませて、早く起きたからとちょっとのんきに『On The Road』の続きを読んで、それから仕事。ごく小さなもので、しかも軽い内容だから楽々。だらけた頭を適度に活性化してもらった感じがする。それで午後が過ぎて、トレッドミルでさらに頭のくもの巣を払って、夕食の支度を始めたところで、あさって行くつもりの芝居の座席予約を忘れたのを思い出した。まあ、今回はイアンとバーバラがヨーロッパを旅行中でワタシとカレシと2人だけだし、週の真ん中の水曜日だから満席と言うことはないだろうけど。

夕食が終わる頃に東京から電話ですぐに送るから今日中にできないかという超特急の仕事の話。うわ、10日。もしんとしていたのにどうなってるんだろうな。ひょっとしたら、少し仕事をさせておかないと年だからボケてしまうと思ったのかもしれないなあ。ま、ありがたいと言えば、ありがたいけど。最後のひと口を食べて、コーヒーを片手にオフィスに降りて、ファイルを開いたら、何とかなりそうだったので、よっしゃ~とばかりに超特急でぶっ飛ばして余裕で仕上がり。それにしても何だかあわただしい1日。だったなあ、まったく。

ワタシの誕生日まで後2週間で、カレシが注文したプレゼントが5月まで届かないけどいいかと聞いてきた。え、プレゼントって何だろう。ここのところ、郵便でどさっと来るカタログを見ては、これはいいな、あれもいいなと「ヒント」を出しまくっていたんだけど、その中のどれかな。それともまったく別のものかな。この年になっても誕生日大好きのワタシは今からワクワク。復活祭の日付で計算上一番遅いのがワタシの誕生日なんだけど、今年は暦のめぐり合わせで復活祭四連休の最終日(月曜日)。前回はカレシが生まれた年で、次に回って来るのは27年後の2038年。おお、ちょうど満90歳の誕生日じゃないの。極楽とんぼにふさわしいめぐり合わせのようなもするから、これもちょっぴりワクワクするような話。うん、本番までまだ2週間あるけど、何だかもう久しぶりに盛大にご馳走を作って食べたい気分になって来た・・・。

フクシマは友情も溶融するのかな

4月12日。火曜日。まあまあの天気で、のんびりと起きて、のんびりと朝食を取って、のんびりと本を読んで、のんびりとメールをチェックしたら、きゃっ、また仕事。カレシが「開店休業なんて絶対に長続きしないと言っただろ?」とニヤニヤ。あれこれと遊びのプランをぶち上げていたのはどっちだったかなあ。まあ、仕事は仕事。あるときには喜んできちんとやらないとね。

会計事務所から2人の所得税確定申告書が送られて来た。といっても、メールにPDFで添付されているので、まずは保存して開けてみる。カレシは15万円ほど、ワタシは3万円ほど、それぞれ追加納税になっている。カレシの3つの年金のうちで所得税を源泉徴収して来るのは組合年金だけなので、毎年ドンと追加で取られるのは当然だけど、ワタシの方は自営業の事業所得だから、景気次第で戻ってきたり、追加を取られたり。でも、今年は少し戻ってくるはずだけどなあとよく見たら、カレシの年金収入から60万円もワタシの所得に振り替えてある。何年か前に年金受給世帯の減税策として、年金収入の一部を配偶者の所得に移して、夫婦の合計納税額を減らせる制度ができて、会計事務所にOKを出せば最適な振り替え額を計算してくれる。振り替え前後の比較表を見ると、今年は夫婦で5万円ほどの節税になっていた。ま、取られる税金は1円でも少ない方がいいに決まってるよね。

福島の原発事故がレベル7に引き上げられて、史上最悪の「nuclear crisis(核危機)」のひとつになったけど、チェルノブイリほどじゃないとか、チェルノブイリとは違うとか言っても、一気にまとめてドンと出たのと1ヵ月かけて小出しにして来たくらいの違いで、ものすごい量の放射能を人工的に環境中に吐き出したことには変わりないと思うけどな。外国メディアは騒ぎすぎだと言われて来たけど、「最悪レベル」になったところで「今ごろになってわかったのかいな」というところかもしれない。大震災に関しては今も世界中で哀悼の気持は変わっていないけど、核危機は自然災害じゃないし、大気も海もつながっていて結果的には地球上の人類全体に影響するんだから、騒ぐのもあたりまえだろうに。だいたい、自分たちは外国で起こった事件に「大変だ、怖い」と大騒ぎするのに、自分たちの足下で事件が起こると「騒ぐな」と言うのもねえ。人間には都合の悪いことを他人に知られたくないという心理があるのはたしか。でも、政府や企業の「隠蔽体質」はそういう心理が社会的に集積した結果じゃないかと思うんだけど。

核危機で日本に住んでいた外国人たちが帰国したり、母国に避難したりしていることで、小町では同行した日本人妻たちがけっこう叩かれている。外国人が母国へ帰って行くのを「海外逃亡」なんて言葉で表現する人もいて、アメリカで同時テロがあったときには日本へ帰った日本人がかなりいたという書き込みは無視。外国人ならしかたがないと一応の理解を示す人はいるけど、日本人妻が親兄弟、友達を日本に残して外国人と一緒に逃げ出すのは身勝手だと言う反応になるのかな。まあ、募る不安の中で、安全なところへ移るという自分たちにできないことをできる人が疎ましいだけなのかもしれないけど、これも風評被害のうちに入るのかな。まったく、東電のせい?で日本人の「友達関係」がどれだけ解消(unfriend)されることやら・・・。

今日は英語の党首討論会。東部時間だから西の端のバンクーバーでは午後のけっこう早い時間に始まる。全国の応募者から選ばれたらしい「一般市民」が質問して、それをスタジオに並んだ党首たちが討論する形式になっている。号砲一発、質問の内容が変わるたびに、野党3党は一斉にハーパー首相を攻撃。対するハーパーはクールに「対策は野党が否決した予算案に織り込んであった」とやり返す。ああだ、こうだ、なんたらかんたらの四つ巴の舌戦、直後の国民の反応はハーバー首相に軍配が上がりそうな気配。バンクーバーのラジオ局のオンライン投票でのランキングはハーパー、レイトン、イグナチエフ、デュセップの順になっている。もっとも、討論会で誰が勝ったと思うかと言う質問に対する投票だし、西部は保守党の基盤だからハーパーが強いわけで、自由党の基盤であるオンタリオ州の新聞サイトでは、イグナチエフがほぼ互角でハーパーに迫っているから、ある程度の勢力地図が描ける。それにしても、イギーは一生懸命なのはわかるし、学歴、毛並み共申し分ないのに、何をやっても「この人を首相に!」という流れができて来ないのはどうしてなんだろう・・・。

プレーオフはタオルパワー満開の季節

4月13日。水曜日。ごみ収集のトラックの轟音で目を覚まして、ごみを出したっけ~?と夢うつつで考えながら、またしばしうとうと。でも、カレシが起き出したし、今日は掃除の日だしで、結局は午前11時半には起きてしまった。何となく眠いけど、夕方までに済ませて納品しなければならない仕事がある。期限は夜11時だけど、今日は芝居に行くから急がないと・・・。

そして、今日はバンクーバー・カナックスのプレーオフ第1ラウンド第1戦。相手は去年優勝したシカゴ・ブラックホークス。シカゴとはなぜかプレーオフで対戦しては敗退させられてきたジンクスみたいなものがあるから、どうなるかな。プロスポーツのチームをこっちのメディアは本拠の土地の名前(バンクーバー)で呼び、日本のメディアはチーム名(カナックス)で呼ぶ違いがおもしろい。日本のスポーツニュースを見て、キャピタルズって?ああ、ワシントンか。ライトニングって?ああ、タンパベイか。コヨーテスって?ああ、フィニックスか。てなぐあいにいちいち解読?しながら読むのもちょっとクイズっぽくておもしろいけどね。どうしてこういう違いができたのかな。

芝居はジョージ・バーナード・ショーの『The Philanderer』。「女たらし」とでも言う意味のタイトルで、写真で見るおっかない顔とコメディがなかなか結びつかないけど、ショーがノルウェイのイブセンに感化を受けて書いたフェミニズムの先駆けみたいなテーマで、「Ibsenist(イブセン主義者)なんて言葉が出てきたりする、「女が男を獲物として狩る」話。ビクトリア朝時代のウィットがちりばめられていて、おもしろかった。ちなみに、ショーはノーベル文学賞とハリウッドのオスカーの両方をもらった唯一の人だそうで、オスカー受賞作は後のミュージカル『マイフェアレディ』の先駆になった映画『Pygmalion』の脚本。戦前の映画で、ミュージカルよりもずっと上出来というのはカレシの評だけど、一度見てみたいな。

芝居が終わった後は車のラジオを消して帰宅。カレシが試合は木曜日だと言うからかち合わないように今日にしたのに、実はカレシのうろ覚えのスケジュールで、みごとにかち合ってしまった。そこで、試合は録画のタイマーをセットしておいて、再生してみるまでニュースは一切だめということになった。帰り道はすごく車が少なくて、試合は終わっている頃だから、負けてしまってみんなさっさと帰ってしまったのか、それとも、首尾よく勝ったもので、みんなまだダウンタウンのパブやバーで祝賀の気勢を上げているのか。結局は第1ピリオドを見て2対0でリードしていたので、残りは早送りでゴールの場面だけを見ようとしたら、そのまま終わってしまったそうな。初っ端からシャットアウトはなかなか幸先がいいんじゃない?

まあ、これから6月の決勝まで(行けたらの話だけど)、地元ホッケーファンは白いタオルを振り回して一喜一憂する「セカンド・シーズン」が続くわけだけど、この「白いタオルを振って応援」の伝統は、30年くらい前にカナックスのプレーオフの試合でレフェリーのペナルティコール連発に対して当時のニールセン監督がスティックの先にタオルを載せて「もういいよ」という抗議のジェスチャーをしたのが始まりで、監督は出場停止を食ったけど、その後の試合ではファンが白いタオルを持ち込んで観客席は白一色。勢いづいたチームはとうとう決勝まで行ってしまった。最後の第7戦まで粘って、延長戦で力尽きて惜しくもスタンリー杯は逃したけど、それ以来「白いタオル」はファンの必携品。今ではチームのロゴ入りオフィシャルタオルが売られている。ちなみに、「タオルパワー」の元祖ニールセンは数年前にガンで亡くなったけど、バンクーバーでは最近アリーナにタオルを乗せたスティックを掲げている銅像が立った。たしか、当時の対戦相手はシカゴ・ブラックホークスだったと思うけど・・・。

風評は便利なスケープゴート

4月14日。木曜日。普通に疲れて眠ったのに、関が出て8時前に目が覚め、しばらくこみ上げてくる咳を鎮めるのに格闘して、やっと眠りに戻ったのがたぶん9時頃。おかげで目が覚めたらとっくに午後1時を過ぎていた。カレシが10時過ぎにゲートのチャイムが鳴っていたというので、ゲートの郵便受けを見に行ったら「不在通知」。あ、通販の品物だ。どのみち明日は(カレシによると)ショッピングデイだそうなので、(いつものように)ついでに引き取ってくればいいか。遅い朝食を済ませて、本を読んでいたら、視界の隅っこでピカッ。3秒ほど数えたところでゴロゴロッ。おいおい、また雷さん?ゆうべもは2回ぐらいだったけど雷が鳴っていたな。バンクーバーはあまり雷が鳴らない土地なんだけど。

それにしても4月も半分過ぎたというのに何ともヘンな天気。けさはずっと郊外のアボッツフォードは時ならぬ春の雪で銀世界。(バンクーバーでも午後4時近くになって雪になろうか、雨になろうか決めかねているような重たそうな雨(あるいは雪)がひとしきり降っていた、ロッキーの向こうのカルガリーでも雪が降って、逆にトロントの方は初夏のような気温になったかと思うとすぐに冬に逆戻りして、来週の天気予報はまた初夏の陽気に戻るらしい。地球の「力場」が狂ったのかな。そのうち、誰か目端の利く人が地震や異常天候や季節外れの陽気をひっくるめて「地球はもうすぐ終わる」みたいな大予言の本を出すかもしれないな。で、21世紀のノストラダムスとかなんか騒がれてベストセラーになり、予言者先生は大もうけをすることになるんだろうな。だけど、地球がもうすぐ終わってしまうのなら、いくら大もうけしても使いきれなくて、結局は豪遊できる身分を楽しまないうちに終末が来てしまうんじゃないのかと(よけいな)心配をしてしまうけども。

在日外国人の映像ニュース投稿サイトにテレビ朝日だかの「外国人の日本脱出」に関する15分ほどのクリップが投稿されていたので音声と一緒に見てみた。メイドカフェだかのウェイトレスが外国人観光客が来なくなったと嘆き、秋葉原などの免税店は金づるの中国人観光団が来なくなったと嘆き、山谷の外国人相手の格安ホテルは予約のキャンセル続出と嘆き、中国人相手の不動産屋は売りに出されるマンションが増えていると嘆き、研修生の名目で低賃金の仕事をしていた中国人労働者が帰国してしまったと嘆き、外国人が日本から「逃げ出した」ことによる日本経済の損失は推定1.5兆円にもなると嘆き・・・。ずっと見ているうちに、表面にこそは出さないけど、「日本に来させて、住まわせて、働かせてやっていたのに恩知らず」と言いたいのかなと思わせる雰囲気が何となく感じられて、小町での反応を合わせると、やっぱり深いところで「自分たちは不安でも逃げることができないのに、外国人はこれ見よがしに逃げ出して・・・」というような感情が暗流のように流れているのかなと思った。

もっとも、ずらりと並んだ(ほとんどが在日外国人の)コメントも小町同様に「ムカつく派」と「容認派」に分かれているから、外国人がみんな臆病で無知で身勝手と言うわけではないことは確か。会社の命令で離日した人もいれば、心配する故国の家族を安心させるために帰国した人もいるし、逆に思い直して日本に留まった人や故国に一時避難した人、情勢を見て日本に戻った人もいる。日本に行こうにも政府の渡航自粛勧告でできないという人も多いだろう。渡航制限地域へ行って万が一のことがあった場合に旅行保険が利かないという事情もあるらしい。渡航制限や自粛を勧告したのだって、もしも「最悪の事態」が起こった場合にチャーター機を差し向けるなどして自国民を救出しなければならなくなるからで、必ずしも不確か(あるいは過剰)な報道に踊らされているわけではない。どこの国だって自国民のめんどうを見るのに手一杯で、外国人を安全に故国に送り返すなんて思いつきもしないと思うけどな。日本政府はそうしてくれるの?

ま、とにかく新型インフルのときはバンクーバーに来る日本人観光客が激減したし、その前のSARSのときも「危険地域」は何千キロも離れたトロントなのに同じ現象が起こった。どれも「感染したら怖い」という気持と、旅行を強行したら帰って来て「村八分にされるのが怖い」という気持が交錯して、多くの人たちにはいろいろな意味で苦渋の決断だったんだろうと思う。だから、「放射能が怖い」と言って日本を敬遠する外国人の気持も少しは理解できるんじゃないかと思うけど、不安の真っ只中にいるときは難しいのかな。こっちでだって、「カナダ中がSARSでばたばた死んでいるわけじゃあるまいし」と呆れてはいたけど、オンタリオではアジア人がタクシーの乗車を拒否されたりして、ちょっとしたパニックはあった。ま、洋の東西を問わず、人間は自力で対処できない不安が募って来るとそれだけ理性が萎縮するものらしい。でも、外国人の日本脱出と来日拒否による経済損失1.5兆円の責任は、そっくりそれほどの深刻な核危機を招いた東京電力と日本国政府にあるんであって、海外での過剰報道や「風評」のせいにしようとするのは国民の注意を逸らせようという政治的な魂胆があるのかもしれないな。


2011年3月~その3

2011年03月31日 | 昔語り(2006~2013)
精神的なホメオスタシス

3月21日。月曜日。小雨模様。久しぶりに咳の発作もなく、ヘンな夢も見ずにわりとよく眠ったし、少し上がり気味だった血圧もいつもの範囲に戻った。きのうの夜もう日本の新聞サイトをチェックするのをすっぱりやめて仕事にかかったら、生産性がどんどん上がった。やっぱりずっと精神的なストレスを感じていて、ホメオスタシスが崩れていたのが落ち着いてきたということか。

まあ、この10日。はワタシにとってもある意味で「非日常」だったんだと思う。そういえば、先々週の木曜日、前日のブログのアクセスが150何万中の「9971位」になっていてびっくり仰天した。(上位1万位に入ると表示されるらしい。)何かそんなに人の気を引くようなことを言ったのかと思ったけど、瞬間風速100メートルみたいな出来事だろうな。地震のニュースが飛び込んできたのはその日の夜のこと。まったく関係はないんだけど、今思うと何となくヘンな気分。で、きのうの記事は1500本目。へえ、よくもまあそんなにぶつぶつと続いてきたもんだなあ、と我ながら感心。ほんとに、ワタシって・・・。

仕事のピッチを上げて遅れを取り戻す前に、好奇心に駆られてローカルの日本語掲示板のタイトルを見渡してみたら、当然のごとく大地震と原発の話題がずらり。日本の災害への反応にカナダ人夫と温度差を感じてムカついている日本人妻。(リビアでの空爆が始まったら)日本の地震のニュースが減った、カナダ人はもう飽きたのかと怒っている人。ここは日本じゃないんだし、と思ってのぞいてみたら、なんだ、いつものことながらどっちもすぐに日本人同士の罵詈雑言の応酬戦になっている。だいぶ前の尖閣列島事件の後だったけど、日本外交の失敗要因について「日本は他国を本質的に(日本と)同じだと考える」と論じていた記事を読んで、なるほどと膝を打ったのを思い出した。筆者の名前は覚えていないけど、大学教授か何かだったと思う。国家をそれを形成する国民に置き換えれてみれば、「日本人は他(国)人を本質的に自分と同じだと考える」ということになるか。同じだと思って接するから、そうでないとホメオスタシスが撹乱されて不快指数が上がるということになるのかな。あの記事、コピーしておけば良かったなあ。

まあ、大きな満月のせいばかりではないだろうけど、この10年とちょっと悶々としながら再構築を図って来たワタシ自身のアイデンティティについては、揺れ続けたこの10日。の間にやっと答が出たように思う。日本からの情報が思うように得られないことで、言わなくてもいいことを言わなくてもいいところで言っていて、「日本で1日。テレビを見てみろ」と言ってくれた、会ったこともなければ本当の名前も何も知らない日本の人にお礼を言わないといけないな。いつだったか、「拒絶されても、はねつけられても、抱きしめて欲しくて母親に近づく幼児のようだ」と言われたことがあったのを思い出した。ほんとうにそうだったのかもしれない。ワタシにとって日本という国は「生みの母」。互いにうまく気持が通わない親子なのかもしれなくても、子供は母親に抱きしめて欲しいと思うものだと思う。子供はね・・・。

だけど、抱きしめてくれる「母」がいなくても、日本には数えるほどであっても「友だち」と呼べる人たちがいる。相手はそこまで思っていないかもしれないけど、少なくともワタシには警戒心を捨てて近づける人たち。いや、日本にいる日本人だけじゃない。日本の外にいる日本人も、いや、アメリカにいるアメリカ人、日本にいるアメリカ人、カナダにいるポーランド人、フィリピン人、中国人、ベトナム人、○○人、何々人・・・みんなワタシにとっては「友だち」という括りなのは、ワタシの中では人間同士のレベルでたとえ小さくてもわかり合える、合えないを通り越した結び目があるんだろうと思う。あれだけの大災害の中で、家族も友だちもみんな無事だった。今それ以上のことを求めたら神様に叱られそうな気がする。どんなに小さな結び目であっても大切にして行かなくちゃね。

「いつまでも親がいると思うなよ」と言ったのは(何のことだったか忘れたけど)ワタシがふと弱音を吐いたときの父の言葉だった。子供はいつか大人になって独り立ちしなければならないのだと教えてくれた。「生みの母」が抱きしめてくれようがくれまいが、それがひとりの人間としてのアイデンティティを確立するときで、いうなれば精神的なホメオスタシスの確立ということなのかもしれない。じゃあ、少しは大人になった(と思う)ワタシのアイデンティティは何なんだろうな。ふむ、勤め人時代に「あんたは何人?」と聞かれるたびに「地球人!」と答えてきたワタシだから、赤、白、黄色のチューリップということで、カナダに咲く黄色い花の「地球人」ということでいいんじゃない?これなら誰にも揺さぶることはできそうにないし・・・。

平常があたりまえでなくなったとき

3月22日。火曜日。久しぶりにぐ~っすりと眠った気分で正午前に目を覚ました。すっかり春のいい天気。家の外の桜並木もかなりピンク色が濃くなってきた。もう五分咲きくらいになってるのかな?

今日は連邦政府予算発表の日。このまま予算案の否決で総選挙になだれ込む公算が大。ま、与党の方もずっと前から予想していたと見えて、この何ヵ月かしきりに野党第一党の自由党のイグナチエフ党首をこき下ろすテレビ広告を流していたし、野党も最近になって与党の施策を攻撃する広告で応戦。予算案発表という最重要イベントを控えて与党議員や首相の元補佐官が絡むスキャンダルが発覚したり、地盤である西部の主力議員が3人も引退を発表したりで、見たところはーパー首相の与党保守党にはあまり風向きが良くない。

総選挙となれば7年間で4回目。政府には確実にマイナス要素になる(はずの)スキャンダルで与党には優しくない政治環境のはずだし、世論調査でも国民の関心は「政治倫理」が「景気」を抜いてトップ。イギーことイグナチエフ自由党党首が今度こそ政権奪取!という意気込みになったのは当然だろう。ところが、同じ世論調査で、「政治倫理を正すのに最も適任なのは誰か?」という質問ではスキャンダルまみれのはずのハーバー首相が断然トップ。「信頼する政党はどれか?」の質問には首相率いる保守党がトップで、イギーの自由党は3位ということで、何ともややこしい。まあ、イギーは長年ハーヴァード大学で教鞭をとってきた歴史学者だから、未来を読むのは苦手なのかもしれない。(ハーヴァードでは「アメリカ人」のイメージで著作活動もしていたらしく、カナダに帰国して自由党党首になったその日から与党にそこを突っ込まれている。)

それでも、野党は予算案否決を決めたようだし、だいたい予算案の内容からして否決されることを承知での「キャンペーン予算」だから、ひょっとしたら策士ハーパー首相の台本通りに展開してるのかもしれない。左派の新民主党のレイトン党首の要求の「さわり」を取り入れて、新民主党が否決に回れば、選挙戦で「せっかく国民のためにと思って要求を取り入れたのに否決するとは何事だ」と攻撃できる。何よりも、圧倒的多数の国民が「選挙はまっぴらごめん」と言っている世論調査を後ろ盾にして、「選挙はやりたくないけど、野党がどうしてもというので・・・」とやれる。ハーヴァードで教えるくらいの大学者のイギーが実務派のスティーヴィーにかなわないのはどうしてかなあ。世論調査から推測される限りでは、鳴り物入りで総選挙をやって、結局は大山鳴動してまたハーパー首相率いる保守党少数政権・・・つまり、政治すごろくは「ふり出しに戻る」。ふむ、絶対にスティーヴィーは孫子の「兵法」を読んでるぞ。

だけど、連邦議会の総選挙。統合売上税の是非を問う州民投票。州では与野党とも新党首になって、たぶん州議会総選挙。そして、11月は市長と市議会の選挙。その間に、教員組合、州政府職員組合、その他の公務員組合の労働協約が期限切れになるそうで、不況のせいで2年ほど昇給ゼロだった後だから交渉は荒れそうだな。はあ、忙しい年になりそう。こういうのはカナダでは平常と言えば平常なんで、民主主義はごく平凡な市民もけっこうなエネルギーを費やさないと護持できない。独裁政権だったら何もしないのが一番楽で安全かもしれないけど。

きのうローカルの日本語掲示板でカナダのメディアから「震災のニュースが減った」と言って怒っていた日本人がいたと言ったけど、投稿の最後に、「自分も平常の生活に戻ったほうがいいのか?」とあって、たまたま地震も津波も放射能も停電も品不足もないカナダで暮らしているくせに「平常の生活」に戻るも何もないだろうがと笑ってしまった。(自分は仮想現実的に日本にいると思っているのかもしれないけど。)たしかに、人間は心身ともに「非日常」を長いこと維持することはできないようになっていると思う。だからこそ、東京で電車が時刻表通りに走らない、ガソリンが足りない、停電するのかしないのかわからない、行きつけのコンビニやスーパーの店頭に商品がない(聞くところによると高級スーパーでは品不足は起こらなかったらしい)、放射能が降って来る・・・あたりまえがあたりまえでない状態になって、対処しあぐねている人は多いと思う。

こんないつもとは違う状況が長く続けば誰だって疲れてしまって、あたりまえの「日常」に戻りたくなる。だけど、平常の生活に戻っていいかどうかなんて掲示板で他人に聞いてみなければ決められないような人は、もし「まだダメだ!」という答が返ってきたらどうするんだろうな。あんがい「平常じゃない生活をどうやってすごしたらいいか教えて」ということになるのかな。こういっちゃ何だけど、今の日本にとってはこういう「自己中及び/または教えてちゃん」が海外にいてくれて良かったのかもしれない。太平洋戦争以来の非常事態であっても(太平洋戦争がどれだけの「非常」だったのか知らないだろうし)あんまり母国の役には立てないんじゃないかというという気がするから。ま、みんなそれぞれに自分の「平常」に戻って、前方を見渡して、何をどうするのが一番いいのかを考えてみるのが一番じゃないのかと思うけど。

やっぱりこれが私の日常

3月23日。水曜日。よく寝た。正午前に起床。すっごくいい天気で、家の外の桜並木は目に見えてピンク色が濃くなってきた。トロントでは雪だそうな。ついでにオタワも大雪に埋もれて、という具合になればいいんだけど、あっちは総選挙がほぼ現実問題になってやたらと熱くなっているからなあ。それにしても、先頭で政権打倒の旗を振っているイグナチエフが「ボスである国民が決めることで、ボスが選挙を要求しているんだ!」とぶち上げていたけど、どの世論調査でも「今は選挙なんかしたくない」と言っているのに、全然国民の声を聞いてないじゃないの、あんた。

きのうの夜から始めて寝る前に仕上げる予定だった超特急の仕事。なにしろ与えられた時間が短い。社長がわざわざ時間帯を超えて電話して来たりで、ちょっとあたふたしたけど最後は少し時間が延びた。それで今日は朝食後から一心不乱に仕上げの作業。たまの英日で、すいすいと行くかと思ったらどっこいそうは行かない。こんなめちゃくちゃな英文書を書いたのはどこの誰なんだ!とぶつぶつ言いながらキーをたたく。グローバル時代で猫も杓子も世界への情報発信は英語。それで日英の需要が増えてワタシも潤っている。だけど、たまに英日を頼まれると、なぜか英語のようで英語になっていないような、英語という言語が崩壊しつつあるんじゃないかと思ってしまうくらいにキョーレツな英語文書ばかり。昔は中国発のにすごいのが多かったけど、最近はEU発のにもすごいのがあるどうしてワタシのところにばかり来るんだろう。あいつなら何でも引き受けるからと思われているのかなあ。疲れるよ、もう・・・。

カナダ食品検査庁(CFIA)が日本からの輸入される食品の放射能汚染監視を強化することにしたそうな。ま、福島を中心とする4地域の乳製品と果物、野菜だけが対象らしいけど、新聞によると、日本からカナダに輸入される食品は上位品目はごま油、ホタテ、ソース類や調理品、緑茶といったもので、輸入量はカナダが輸入する食品全体のわずか0.03%以下だそうだから、(当面は)監視強化というのは妥当だろうな。もっとも、0.03%以下なんて微々たるシェアだったら、韓国系スーパーに韓国産の代替品がたくさんあるし、輸入禁止になっても日本の食材がなくなっていることに誰も気づかないかもしれないな。逆に、生鮮食品の供給元であるメキシコやカリフォルニアで原発事故があったら大変なことになる。そうでなくても、メキシコとカリフォルニア州南部の霜害の影響でトマトの収穫量が激減して、バンクーバーでは今トマトの値段がばか高い。放射能汚染で輸入制限・禁止なんてことになったら、夏まで野菜が食べられなくなってしまう。それはだんぜん困るな。

同じ新聞にカナダの医療支援チームがまた日本での支援活動のためにバンクーバーを出発したと書いてあった。ハイチの大地震で活動した経験者がほとんどで、宮城県出身のボランティアが通訳として同行して、今度は2週間ほど活動して来る予定だという。放射能は気にはなるけど、リスクを冒す価値があるんだと言って飛び立って行ったそうな。よし、カナディアンの心意気を見せて来いよ!

ああ、これがワタシの普通の生活。この2週間の間にいろいろと考えて、いろいろと改めて発見することが多かったけど、その一番は「言わなくてもいいところで言わなくてもいい人に言わなくてもいいことを言わないのがいい」という教訓。まあ、人間大好きで口数の多い極楽とんぼのことだから、日本的に空気を読むことができなくて、つい気を許しては言わなくてもいい(あるいは言わない方がいい)ことを言ってしまうかもしれないけど、少なくとも自分の日常に戻ってほっとした気分でいる間はここだけの話にしておけそう・・・。

コスモポリタンなところが好き

3月24日。木曜日。いい天気。きのうのばたばた仕事でくたびれたせいか、まさに爆睡という感じ。なんか元気が出てきた気分・・・。

ニュースサイトをチェックしていたら、みずほが滞っていた振込みを全部クリアしたというので、まだ早いかと思ったけど、銀行のサイトをチェック。う~ん、15日。に日本のクライアントから送金されるはずだった先々月分の支払がまだ入ってない。時差のせいで明日になるのかなあ。まあ、今月は日本円にして10万円くらいだから、こっちも別にあわてないけど、ひょっとして小口過ぎて後回しにされていたりして。何が起きているかわからないから、それでも別に驚かないけど、明日になっても入金してなかったら、クライアントに連絡しといた方がいいだろうな。もしも未処理だったら送金依頼をキャンセルして来月分とまとめてもらってもいいんだけど、そんなことをしたらまたみずほのシステムが混乱してダウンしてしまうかも。しょうがないなあ、もう。

産経新聞のサイトに、「恩返しをしたい」という諸外国からの支援が日本側の杓子定規な扱いで受け入れられず、善意が中に浮いているという記事があった。東南アジアのある国が送ろうとした数万枚の毛布は、日本側が指定した規格サイズに合わないと受け入れに難色を示したとか。救助犬の派遣を要請しておきながら検疫ががどうのこうのと言い出して派遣は土壇場でキャンセル。米は余剰米があるから「いらない」。食料品は「安全基準のチェックができていないし、日本語の表示がないからダメ」。おそらくほとんどが東南アジアの国々なんだろうな。アメリカが食料品やアメリカサイズの毛布を送ると言ったら、やっぱり同じだったのかな。何十万人が寒い避難所で苦難を強いられているのに、お役人は規格だの検疫だのって、困ったお国だねえ・・・。

朝食の後、日当たりがぽかぽかするキッチンでコーヒーを飲みながら、バンクーバーで開かれていた移民に関する国際会議に関連でテレビでやっていたニュースの話になった。移民が今のペースで続くと、20年後の2031年にはカナダの15歳以上の人口の半分が外国生まれか、少なくとも片方の親が外国生まれということになると予測されていて、スウェーデンとポルトガルについて世界で3番目に移民の受容に成功している国ということになっている。それでも、急速な「国際化」に対する不安や不満が表面化してきているという。まあ、昔の移民と違って、今は宗教や生活習慣をそっくり移住先に持ち込んで、頑なに故国と同じ生活を続けようとするグループも多いし、はては宗教の自由をたてに逆に戒律を押し付けようとする集団もある。それができるところがカナダの「いいところ」なんだけど、カナダの文化や慣への同化を拒むグループが大人数になったときにその「いいところ」が失われはしまいかという懸念を持つ人たちが増えても不思議はないと思う。

メトロバンクーバーなんかすでに200あまりの「ethnic(民族)グループ」が住んでいて、5人に2人は外国生まれという「コスモポリタン」。これくらい雑多な民族がいれば、A国人はいいけど、B国人はダメとか嫌だといちいち区別して付き合おうとしていたら日常生活が立ち往生してしまうと思う。バンクーバーっ子のカレシ曰く、「英語教室の生徒はみんないつもバンクーバーには人種差別がないからいいと言っていた」。ワタシも「差別」と言えるような扱いに遭遇したのはビクトリアに住んでいたときくらいで、それも2度か3度。もう31年も前の話。あの頃は異人種カップルはまだ珍しかったから、2人のときに「?」な場面がなかったとは言えないけど、それでも日本でほどには人目を引かなかったな。近頃は異人種カップルなど8組に1組とか言われるくらい増えたから、誰も気にも留めないどころか、すれ違ってもたぶん男と女の人種が違うことなんか気づきもしないだろうな。(ワタシだってカレシが「外国人」とは気づかないもん。)

ちょっと皮肉のつもりで、ワタシはいつもカナダ人は人種差別主義だ、白人至上主義だと不平たらたらの民族グループからずいぶん差別されたと言ったら、カレシは「そうだろうなあ」と思いのほか肯定的に聞こえるような返事。へえ、わかってるんだ、アナタも・・・。

遠くへ旅に出たくなるとき

3月25日。金曜日。起きたときは雨模様。よく眠っているけど、まだなんだかぐったりと疲れたような気がするときがある。まっ、日本にいたらとっくに「定年」になっている年だんもんね。カナダの定年まであと2年と1ヵ月。このまま尻つぼみになれば深く考えなくてもいいから助かるけど、なんだか仕事が増えてきそうな、うれしいのかうれしくないのか自分でもわからない予感・・・。

連邦議会では野党3党の不信任案を通して、いよいよ選挙。まあ、どう見ても「さあ、選挙だあ」と張り切っているのは、うまく勝てたら総理大臣になれるイグナチエフだけ。といっても、自由党は支持率で与党保守党にかなりリードされているから、無謀と言ってもいいギャンブルだけど、なんだってそんなにニコニコ張り切ってるんだろうな。どうしてか説明でないけど、この人はテレビの画面に映っているだけで、イラ~っと来る。もって生まれた顔の好き嫌いはどうしようもないとしても、象牙の塔から降りてきた人の鼻持ちならない上から目線の物言いが障るのかな。まあ、選挙は投票が終わるまで何がどっちにどう転ぶかわかないから、5月の初めになるらしい投票日まで、おもしろくなりそう。

ロンドンのFolio Societyに注文してあった本のうちの3冊が届いて、そのうちの1冊を朝食後のコーヒーのお供に読み始めた。ジャック・ケルアックの『On The Road』で1957年に出版された作品。かってはヒッピーたちのバイブルみたいなものだった。読み始めると、これが「ビート詩人」のスタイルなのかと一気に目を覚まされるような新鮮な文体で、1日。座り込んで読んでしまいそう。少し前にイギリス暮らしが長かったアメリカ人ビル・ブライソンの『The Lost Continent: Travels in Small-Town America』を読み、その前にはこれまたヨーロッパが長かったジョン・スタインベックの『Travels with Charley』を読んで、アメリカ人には「何かを求めて彷徨する」遺伝子があるのかもしれないと思ったけど、きっと人間には誰でも「ここにない何か」を探したいという欲求を持っているんだろうな。今のワタシが還暦を過ぎたおばさんでなかったら、いたたまれずに「あてもない旅」に出てしまうかもしれない。いや、もしもひとり身だったら、年など考えずに迷うことなく旅に出てしまっているかもしれないな。

そういえば、ワタシが不安いっぱいの青春時代に入った頃、『遠くへ行きたい』と言う歌が流行っていた。人生の夢多きときのはずなのに、どこを向いても窮屈な規則や社会通念やしがらみばかりで、悶々としていたのがワタシの青春時代だったかもしれない。日本に伝播したヒッピー文化もすぐにただの表層的な流行に成り下がって、失望したワタシはヒッピーにはなれずじまい。大学へ行っていなかったから学生運動は末席にさえ加われず、内部闘争に発展するに至っては「知識人」にいやと言うほど失望し、ベトナム反戦運動のデモ隊もうさん臭い集団にしか見えなくて、ワタシの人生の展望はお先真っ暗・・・は大げさだけど、いつも自分の居場所は「ここではないどこか」にあるはずで、その「どこか」を探しに出る自由がないだけだと思っていた。

クリスマスケーキ年令の25歳の夏に、ペンパル夫妻の招待を受けて夏休みを過ごしに単身でカナダに来たのは、霧の中を見透かそうとしているだけのようだった「青春時代」に訣別するつもりだった。だからこそ自由を与えられたんだろうけど、そこで会わないはずだったカレシに会って、ワタシの人生、方向が見つかったのか、それともコンパスが狂ったのか。Somewhere over the rainbow・・・虹の向こう。でも、宝物はその虹のふもとに埋まっているという。ひょっとしたら、ワタシは38年前に「青春」という虹が消える間際にそのふもとにたどり着いたのかもしれない。紆余曲折の自分探しはまだまだ続くのかもしれないけど、少なくとも居場所にたどり着けたのは、ワタシの彷徨遺伝子の導きだったのかどうか。しきりに旅に出たいという気持になるのは、季節のせいだけではないのかも・・・。

ジャーナリズムと国際化と我々主義

3月26日。土曜日。春うららの陽気で、外の桜並木はほぼ満開。気の早いのはもうちらほらと散り始めている。すごくしっかり眠った気分で、けさはここのところ少しばかり上がっていた血圧も105/66といたって普通のレベルに戻った。

正午のニュース、一番手はもちろん選挙。総督に議会解散の許可をもらい、投票日は5月2日。。月曜日か。そういえば、カナダでは日曜日に投票することはないな。いつも週日の午前8時から午後8時まで。投票所に行くという名目で2時間くらいの遅刻か早退が認められるのは、労働法にそういう規定があるらしい。選挙と言う形での政治参加は国民の義務だからだろうな。モントリオールの新聞が世論調査の結果を各政党のシンボルカラーで色分けした円グラフにして載せていた。「首相として適任なのは?」という問いには、青49%、オレンジ34%、赤17%、水色なし。「下心があるのはどの党首だと思うか?」という問いには、赤46%、青39%、オレンジ10%、
水色5%。「どの党首を一番信頼するか?」という問いには、青42%、オレンジ34%、赤15%、水色9%。ちなみに、青は保守党(ハーパー)、赤は自由党(イグナチエフ)、オレンジは新民主党(レイトン)、水色はケベック連合(デュセップ)。選挙の焦点はトップから「医療」、「景気」、「税金」、「雇用」の順で、野党が不信任案を通した「政治倫理」は5番目。なんだか、やらなくてもいい税金のむだ使いになるだけの選挙・・・。

朝食後はしばし読書してから、オフィスに下りて「お気に入り」のニュースのフォルダを開いて、まず地元の新聞をチェックして、Google News(カナダ版)をチェック。トップニュースの他に(すべて英語だけど)「ワールド」、「日本」、「EU」、「アジア太平洋」、「ヘルス」、「科学技術」、「カナダ」とセクションを設定してあって、ベースメントに篭っているワタシの「世界に開かれた窓」。それからBBCとロイターズをチェックして、日本が朝になる頃に(Japan Timesを含めて)日本の大手新聞サイトをチェック。こんなところがだいたいの日課なんだけど、地震以来日本の新聞サイト(読売、朝日、産経、毎日の順)を集中的に見ているうちに「優先順」が大きく入れ替わって、今はMSN産経の「[速報]ニュース一覧」が一番になってしまった。Yahoo!速報ニュースもスポーツ新聞が出回る早朝の時間をやり過ごせばもう読売を見なくてもいいくらい。でも、一番の収穫は北海道から沖縄までの地方の新聞が集まった「47News」に出会ったことだろうな。ネットの大手新聞はあたりまえのように「Tokyo-centric(東京中心)」の視点でしかないという気がしていたけど、なんだかここで改めて「日本」を発見したような感じがする。(なつかしい「道新」こと北海道新聞もあるし・・・。)

ジャーナリズムと言うのは、世界にいろいろな出来事を伝える役目だろうとは思うけど、災害や戦争や犯罪やとにかくいろんな「できごと」の現場を見聞きしていれば、自然とその人の感じたことや信条が報道記事に入ってくる。だからこそ、ワタシはできるだけ多くの記事を読んで、報道する人の政治色や文化や価値観のバイアスをできるだけ仕分けして、自分なりに「理解」したいし、そうすることが他の誰でもない「自分」という主体性を維持する最後の防衛線だと思うから、毎日時間をかけてニュースを読んでいる。でも、やっぱり日本に関しては「現場」にいない悲しさなのかどうか、日本にいて常時テレビで映像を見ることができる人に「日本のてテレビを1日。見たらどうだ」と言われて、一瞬足下がぐらりとよろけて、改めて日本はワタシには遠い外国になったんだと悟って、(カレシが見ていないところで)つい泣いてしまった。悲しくて泣いたのか、別の感情で泣いたのかはわからないけど・・・。

世界のどこの国であれ、たぶん人間は根本的に細かに仕分けされて、自分がそのどこに属するかが見える方が精神的に安穏なのかもしれない。たまたま日本にある翻訳団体の理事会選挙。日本の法律に基づく非営利団体に改組して、日本人の会員が増えたのはいいけど、(客観的に見てセミリンガルのたぶん若い)自称完全バイリンガル日本人がゆくゆくは「日本国籍者」を加入要件にするとぶち上げて立候補したり、それに異議が出ると日本の政治家に働きかけるぞとでもいうような(ガキっぽい)威嚇をしてみたり、日本にある団体なんだからもっと日本色を出すべきで、非日本人会員は欧米の常識を押し付けるなと言い出したり、(ワタシがカナダで英語で暮らしたのと同じくらい長く日本で日本語で暮らしたドイツ人の)どうみたってそこらのゆとり教育日本人よりも立派な日本語の投稿を「カトコトだ」と評したり、英語では言いたいことを表現し切れないと言うから「日本語の投稿は問題なし」と言ってるのに、今度は日本語の投稿を読みきれていないと文句を言ったり、なんか荒んでいるなという気がして来る。

元々日本在住の非日本人の日英翻訳者たちが別の非日本人の(モノリンガル分野の)団体から分離して立ち上げた団体なんだけど、日本の法人に改組したら「我々日本人」派の日本人会員が増えたんだろうな。(日本人だけの団体が他にいくつもあるんだからそっちに加入すればいいのに。)まあ、日本に「庇を貸して母屋を取られる」ということわざがあるから、国際化の最前線にあるような翻訳業界にまでそれに逆行する一種の「国際化はがし」現象が及んで来ているということなのかもしれない。この団体もやがて日本人だけのものになって、そうなれば毎年バイリンガルな交流を続けてきた国際会議もなくなるのかもしれないな。ま、母屋を支えてきたベテランは大方が「前世代」の人間だし、なぜそういう流れになったのかは日本社会に日常生活の拠点がないワタシには考えるのもめんどくさい。(いつでも脱退できるわけだし。)

それにしても、北米人が、ヨーロッパ人が、アジア人が、そして日本人がそれぞれに描く「国際化」、「交際交流」、「国際コミュニケーション」って何なんだろう。孔雀の尻尾じゃあるまいし、そんなにも「我々○○人は」と虚勢?を張り合うほどに違うのかな。やっぱりキプリングが言った通り、「東は東、西は西。交わることなき・・・」なのかな。この丸い地球の上で、人類は何万年、何千年も交わってきたはずじゃなかったのかなあ、確かに戦争もして来たけど・・・。

世界は放っておいても刻々と変わる

3月27日。日曜日。いい天気。起床は正午前。まあ、いい傾向かな。ヨーロッパは今日から「夏時間」になるらしい。ロシアは「夏時間」のままで恒久的に固定することにしたとか。日本では節電のために「夏時間」を検討するとか、しないとか。世界大戦後の占領時代に導入したそうだけど、日本にはなじまないとかで、主権を回復したとたんに廃止にしたらしい。エネルギーの節約と言っても、仕事が終わっていつまでも明るいとつい車に乗って遊びに出かけてしまうから、ガソリンの消費が増えて逆効果だという説もある。でも、夜中まで残業して家路につく頃は暗くなっているだろうから、サラリーマンには関係ないかな。ま、何にしても慣れればなんとかなるんだけど、今は何でも時計がついてるからめんどくさいことこの上ない。果たして日本で普及するのか・・・。

ケルアックの『On The Road』は主人公がヒッチハイクを重ねて、やっと目指すデンバーに着いたところ。降り立ったところが「ラリマー・ストリート」。はあ、たった6ヵ月前にワタシたちが歩いていたあのラリマー・ストリートか。赤レンガの建物が並んだ古いダウンタウン。60年経った今は見る影もなく寂れていたらしい通りは、倉庫などを改装してレストランなどが並ぶファッショナブルな通りになっている。なんとなくなつかしい。再来月のシアトルの会議も、会場から歩いて行けるところにレンガの古い街並みが残るパイオニアスクエア地区があるな。たしかスターバックスの本社があるところで、エリオット湾に向かって突き抜ける道路にシアトル草分けの人の名前がついている。「ラリマー」という名前も「西部」を目指して移動して行った開拓者の名前なのかな。

メールをチェックしたら、協会の理事会選挙はまだがたがたやっている。候補者の1人が「国籍条項」を持ち出したのは、日本の公職選挙法でそうなっているからなんだそうな。ちょっと待てよ。非営利団体がいつから人口500人足らずの「村」になったんだろう。村議会選挙じゃあるまいし、日本国籍の村民だけに投票権があるなんて法律はないし、公職選挙法が政策論議を禁じているんだから黙れと言われてもねえ。しまいには「会に別の規則があるのはわかっているけど、公職選挙法に則るのが自分の方針だ」と来たから、ワタシも口をあんぐり。「日本人の、日本人による、日本人のための」団体にするのが「政策」なら、それはそれで理事に当選したら理事会に諮って、会員に諮って決めればいいことだと思うけど。まあ、いくら日本人の感性を逆なでするからって、外国籍の会員を排除したら協会は「限界集落」になるだけなんだけどな。最終的にはさすがに国籍条項は政策から外したらしいし、公職選挙法違反で訴えるのもやめたらしいけど、「規則ではそうでもオレの方針はこうだから」って、若い人だろうに明治の頑固じじいみたい。

それにしても、この団体も最近はずいぶん変わって来たと思う。日本人が日本語で応答したら、「やっぱりツーカーで伝わって、ほっとする」と言う人がいた。そうか。そうじゃないと言いながら、結局は日本語を深く理解できない非日本人とはツーカーで気持が伝わならないから疲れると言うことか。それじゃあ小町なんかで外国人夫とわかり合えなくて疲れると嘆いている国際結婚妻とあまり変わらない。結局は、伝える努力をしなくても伝わる付き合いを求めているということかな。だけど、日本語人は英語人の英語を深く(あるいはまったく)理解できなくて、できても英語人並みの英語は書けないし、片や英語人は日本語人の日本語を深く(あるいはまったく)理解できなくて、できても日本語人並みの日本語は書けないのが共通の事情。だからその間に「翻訳業」という職業が成立して、我々翻訳者が日々そのギャップを埋めようと汗をかいているんだけど、相手の思想や文化やユーモアが日本人のツーカー的感性や思想や文化に合わないなんて言っていたら、いったいどんな翻訳になることやら。

まあ、ワタシは投票を済ませたし、ここで意見をぶち上げても何にもならない。堂々と意見を投稿すればいいんだろうけど、やっぱりこういう人たちは怖いから場外観戦ということにしておいて、今日からニュースのフォルダにBloombergを追加。カナダ連邦議会選挙の舌戦2日。目の様子を読んで(といってワタシは浮動票じゃないけど)、リビアの方に目を向けてみる。フランスとイギリスは本音はアメリカを先頭に立てて空爆させたかったんだろうけど、NATOに指揮権を持たせたヒラリーは頭がいい。大統領選挙に打って出ないのはもったいない気がする。アメリカだって、先頭に立った火中の栗を拾ってみたところで、やけどをしても同情も感謝もないどころか、またぞろ「オマエが悪いから」と言われるだけだと思っているだろうな。でも、今度はなぜかフランスが珍しく威勢がいいと思っていたら、カレシ曰く、「カダフィが大統領選挙の選挙資金を出したと言ったもので、サルコジは怒り心頭でカダフィの首を狙っているのさ」。ふむ、ほんとかなあ・・・。

わかり合えるのは死と税金だけかも

3月28日。月曜日。正午少し前に目を覚まして、そのまま起床。夜来の雨。ニュースで日本の原発から飛来したと思われる放射性物質が雨水と採取した海草から検出されたそうな。じこニュース専門のラジオ局は「ついに来たぞ~」と(欧米人のユーモアで)煽っておいて、続けて「でも、健康には害はないのでご安心を」。あはは、日本の政府発表やマスコミの報道と同じことを言ってるじゃないの。カレシが「コーヒーカップを持って外へ出たらnuke itできるぞ」となんとも冴えないジョーク。Nukeはもちろん「核」のスラングだけど、「nuke it」と言うのは「電子レンジでチン」すること。電子レンジが一般家庭に人気家電になった頃には「電子レンジを使うと放射線に被爆して危険だ!」と騒ぐ人たちがたくさんいたっけな。その電子レンジも今はどこにもあるし、たぶん誰も冷凍食品を温めるたびに放射能を浴びているとは思いもしないだろうな。実際のところ、浴びているのかどうかもわからないし・・・。

朝食が済んで、『On The Road』の一節を読んでから、午後5時が期限の仕事に突進。仕事自体は毎年やっていることだから勝手がわかっているんだけど、郵便局のBeckyちゃんが定期的に巡回チェックしては「メールですよ~」と知らせてくれるもので、中断されてばかり。クライアントからだったら返事を出さなければならないから無視するわけにもいかず、メールをチェックしてみたら、非営利団体の理事会選挙を公職選挙法に則ってやりたい人と、英語では言いたいことが日本語のようにツーカーで伝わらないことで切れたらしい中年おじさんとが、まあ怒涛のごとく投稿。英語人の英語流のウィットを「日本人には失礼」と言いながら、自分は駅裏の赤ちょうちんで管を巻いているサラリーマンのような口調で、これが自分のスタイルだとおっしゃる。他人の反論やコメントに対していちいち反応して投稿していたら仕事の方がお留守になるんじゃないかと思ってしまう。実際にヒマなのかもしれないけど、「言わなくてもいいところで言わなくてもいいことを言わない」という方針もありだと思うけどなあ。仕事、はかどるし・・・。

まあ、「オレ様ルール主義」の人はワタシの理解の限界を超えているから横においておくとして、日本語人対英語人のつばぜり合いだったのが、何だか日本語人同士で上から目線だの子供っぽいだのとう舌戦になりそうな雲行きだったから呆れていたけど、とにかく仕事の邪魔でしょうがないから、この御仁の投稿は「Killフィルタ」をかけて、期限に向けて猛烈ダッシュ。何とか午後5時の期限に間に合わすことができて、息抜きにトレッドミルでとことこ走りながら、つらつらと考えてみた。(ひたすら走るトレッドミルは漠然とした思考にうってつけ・・・。)昔から、日本暮らしが長い英語人会員とアメリカ暮らしが長い日本語人会員の間で論争が大げんかに発展して、双方とも投稿停止処分になることがよくあった。言語は英語。それでも、どっちも個人攻撃ぎりぎりまで行きながらも、翻訳者としての信条に則ってけっこう辛抱強く持論を展開していたけどな。

対照的に、きのう「国際結婚妻と変わらない」と評した「ツーカー日本語人」(男性)の主張は、かねてから小町などで漠然と感じていた「気分」とでもいうものに共通する心理があるように思う。どこの誰であれ、翻訳者、国際結婚者、海外駐在・在住者には常に異言語と異文化と対峙して、その影響に晒されているという共通点がある。国際関係もビジネスも人間関係も、異言語同士の関係であれば、どちらかが相手の言語を使うか、両方に精通する媒介者を立てるかしないと、コミュニケーションが成り立たないと思う。そういう状況で国際結婚妻がよく嘆くような、「あっちは自分の言語でしゃべっているのに、こっちには外国語だから言いたいことの半分も伝えられないのは不公平」、「私だけ努力するのは不公平」という感情が出てくるのはわからないでもない。

この「何で私ばかりが」という感情の裏には、「私が損をしている」、「私の損になることは嫌」という気持があるのでないかと思う。日本人は平等イコールみんな同じと教えられて来ていると思うから、日本にある団体の板なのに、英語人は何の苦労もなく自然に自分の言語で議論できて、母語でない言語で対応して疲れるのは自分ばかりなのはフェアじゃない、と言う気持を持つのもわかるような気がする。ま、たまたま選挙運動で日本人会員が人種差別されていると言って国籍条項を持ち出した人がいたもので、鬱積していた「不公平だ(損をしている)」という気持が表面に出た、要するに、キレたということなんだろうな。

だったら何で異言語を扱う商売を選んだのかと聞きたくなるけど、たぶんそれは「言葉の違いでわかり合えない」と嘆いている国際結婚妻に何で異人の嫁さんになったのかと聞くのと同じようもなものかな。絶対に100%分かり合えることはないというなら、せめて99%に近づけるように互いに努力すればいいだろうと思うけど、バブル崩壊の後の失われた10年が20年を過ぎてしまって、漠然とした(今どき風にちょっと過激にいうと)疲弊を感じている人が多いのかもしれない。それが、ワタシが蔓延しつつあるように感じていた「伝染病」で、(匿名掲示板と言う特定の狭い集団の)女に限らず、実社会の普通の人間も感染するということなんだろう。

人間て、なまじっか言葉と豊かな感情と空間を超越する伝達手段を持ったばかりに、逆に互いに大いなる努力しないと分かり合えなくなって来ているのかな。それとも、言葉の壁というのは、今なお残る「バベルの塔」の廃墟なんだろうか。まあ、ワタシにはわからないし、別にわからなくてもいいことなのかもしれないけど。さて、みんな息切れして自然休戦になったようだし、所得税の確定申告の書類をそろえる作業にかかろうか。死と税金。世界共通で100%わかり合えるのはこれくらいなのかも・・・。

十年一日の毎日は贅沢な暮らしかも

3月29日。火曜日。雨の予想だったけど、起きたときは曇り空。出かけなければならないから、うれしい天気。昼のニュースで、福島原発からと思われる放射性よう素が検出されているけど、健康に害のあるレベルではないから心配ない、と言っていた。ありゃりゃ、BBCで顔なじみになったエダノ氏と同じことを言ってるなあ。でも、よくよく考えたら他に言いようがないだろうなという気もしてくるな。「検出された」という事実を伝えるからには、「でも大丈夫」と付け加えておかないと、何千キロも離れて半減期を過ぎているとは言えパニックが起きる可能性は大きいと思う。まあ、そうでなくとも、二十一世紀は「不安の世紀」というタイトルがつきそうな様相だし・・・。

朝食のテーブルで、まずカレシが今日の「巡回ルート」を決定。酒屋で空き瓶を返して、レミとベルモットとジンを買って、ダウンタウンではまず会計事務所に確定申告の書類を届けて、Hマートで野菜などを仕入れて、帰りにWhole Foodsによってお目当てのシリアル等々を仕入れて、セイフウェイには寄らずにそのまま帰宅、という段取りだそうなで、朝食が終わったとたんに「早く出ないと時間がなくなる」とせかせか。何のことはない、5時からテレビでホッケーの試合があるんだそうな。そっか、今日の試合に勝つと西部カンファレンス初優勝だもんね。一卵性双生児のセディン兄弟は総合点で1位と2位。昨シーズンは兄のヘンリクがアートロス杯を獲得したけど、今シーズンは弟のダニエルが首位。「シーズン最後の試合で同点だったら絶対にあいつにパスしないよ」とヘンリク。おもしろくなりそうだもんね。

カレシのスケジュール通りに順に用足しをして、買い物を済ませて、帰ってきたらまだ3時半で余裕たっぷり。やれやれ、急がしといて・・・。セイフウェイに寄れたのになあ。ゆうべのうちに送るだけにしておいた仕事をさっと送って、今日はもう開店休業ということにして、買って来た魚の処理にかかる。Whole Foodsではオヒョウのステーキと、直径10センチはあるでっかいほっぺた。顔なじみになったカウンターのお兄ちゃんに6個頼んだら「大きいよ。今朝入ったばかりで新鮮だから、多すぎたらフリーザーに入れるといいよ」とアドバイス。そこで、4個と2個に小分けして冷凍。Hマートでは高麗人参の一番小さいパックを買ってみた。ここのところカレシが風邪気味だと愚痴っていたから、これでなんちゃってサムゲタン風のスープができたらしめたもの。

少なくとも秋まで休むつもりでいた英語教室が急に再開することになって、カレシはこの2週間ほど打ち合わせやらなにやらでイライラ。こういう折衝は苦手な方だから、ストレスになりまくって、オレ様になってみたり、やたらと絡んできたり。でも、どうやらもう1人のボランティア先生が水曜日のクラスを担当してくれることになって、カレシは火曜日に初級クラスを担当することで話が決まったらしい。宗教上の理由からボランティアをしているというバハイ教徒の青年で、ESL教師の資格を持っているそうな。カレシがずっと前から教えたがっていた初心者クラスだし、週一回なら生活のリズムにもさして障害にならないし、ずっと居眠りやあくびをしていたカレシのボケ防止にもよさそうだし。

ま、来週からまた火曜日は特急簡単ディナーの日になるわけだけど、ちょうどよく近くのカレッジで5月の末から始まる演劇クラスは火曜日の夜。早速受講の申し込みをしようかな。体中を動かして、大きな声を出せる演劇は何よりのガス抜き。にぎやかなヨガみたいなもの・・・と、遊ぶ気満々でいたら、なんか大きそうな仕事の話が舞い込んで来た。テーマは資源開発らしい。ふむ、福島原発の問題が起きて、あんがいこの分野でも仕事が増えるのかもしれないな。忙しくなりすぎるのは困るけど、俗に年よりの冷や水と言うけど、実際に年を取って来ると、刺激一杯の毎日よりも、一見してつまらなそうな毎日が健康法と言えないこともないな。つまり、カレシはボランティア先生をしながらの隠居生活、ワタシは(当面は)金稼ぎをしながらのぐうたら主婦生活で、ちょこちょこ思いがけないことは起きるけど、毎日同じような暮らし。ある意味、すごく贅沢なことだと思う。月が替わるし、気持をリセットして、10年かけてでき上がった文字通り十年一日のごとき二人の日常に戻ろうね。(あのさあ、そのトドみたいな大あくび、何とかならない?)

味覚のツボと笑いのツボ

3月30日。水曜日。なぜかあまりよく眠れないまま、正午前に起床。何か頭の中に淀んでいることがあって深く眠れないのに、午前7時前にはもうリサイクルトラックがガラガラガッシャン(早すぎるって。)しばらくすると、今度はごみ収集トラックがゴォ、ガァ、ガシャン、ゴォ。ほんとにこの自動収集方式と言うやつは騒々しい。おまけに、まず北方面、そして南方面と片側ずつ往復するもので、いつも2回起こされるから、春眠なのに暁さえないような感じ。予報では雨がざあざあ降っているはずなのに、多少は湿っぽいけど曇り空。弥生3月も今日と明日。いつもの時間にシーラとヴァルが掃除に来て、ヴァルは玄関を入るなり「もうすぐ私たちの月だよ~」と第一声。うん、ヴァルもワタシも4月が誕生月。ああ、もう4月か・・・。

家の中がすっきりきれいになったところで、ぽちぽちと仕事を始める。これを済ませて、月末と四半期末の処理をやっておかなければ、きのう問い合わせがあった大きな仕事が「ゴー」になったら、またあたふた状態になってしまう。現実になるかどうかは営業さんの腕次第だけど、あたふたするかどうかはワタシのやる気次第。どうも今年はのりが悪いから・・・と、言いつつ、半ページくらいのところで脱線。新しいWordのカスタム化を始めた。デフォルトで並んでいるコマンドはほとんど使わないものが多いから、カスタム仕様のタブを4つ作って、「All Commands」のリストからいつも使うものや手近にあると便利なものを片っ端から取り込んで、グループごとに並べ替えたり、外したりと、午後いっぱい試行錯誤して、一応「マイWord」の体裁ができた。残るは古いWordで使っていたマクロとショートカットキーの設定だけで、デフォルトのままで使っている人には「使えない」Wordのでき上がり。仕事よりこっちの方がおもろしろいから困るけど。

食事の支度の時間になって、今日の食材を解凍していないことに気がついた。魚類はけっこう流水で速く解凍できるけど、ランチのフォーに使うつもりでサーロインのローストを冷蔵庫で解凍してあったので、思い立って「カレー」。電気釜を持ち出してご飯を炊き、玉ねぎとにんじんとじゃがいもと薄切りにした肉をいためて、水を入れて、グリコカレーを入れて、カレー粉をおまけにたくさん入れて、日本式カレーライスのできあがり。福神漬けがないけど、カレシが作ったトマトと玉ねぎとハラペーニョのサルサがうまく合っていた。ご飯にたっぷりカレーをかけて食べながら、二人して、去年新宿駅の小さなスタンドで立ち食いしたカレーはおいしかったね、と懐古の気分。うん、あのカレー、たぶんC級グルメで、2人で食べて500円玉でおつりが来たし、「実」がほとんど入っていなかったけど、なぜかすごくおいしかったなあ・・・。

久しぶりにまとまった?肉を食べて、仕事の続き。いやになるくらいにはかどらない。キーを叩いているところへ、カレシが後ろからまとわりついてくるもので、ちょっぴりイジワルな、だけど飛び切り冗談っぽく切り返したら、カレシがおなかを抱えて笑い出して、結局、二人とも大爆笑。そこでふと、ワタシたちっていわゆる「笑いのツボ」が同じみたいだなあと思った。ずっと昔から同じようなタイプのコメディが好きで、一緒に見ていて同じところで笑っていたよね。毎日生活を共にしている人と「わかり合えない」もどかしさのひとつに笑いのツボが違っていて、笑いを共有できないことを上げる人がかなりいた。たしかに何がユーモアなのかは人種や文化によって感性が違うだろうし、同じ国の中でも地域間で微妙に違っている。ということは、ワタシたち、わかり合えているってこと・・・?

まあ、どこまでわかり合えているかは神のみぞ知るだけど、36年も同じ文化社会の中でひとつの言語で笑ったり、ふざけてみたり、、けんかをしたりしながら曲りなりにも毎日を暮らしていれば、いやでもそれなりに「似たもの夫婦」になって来るのかな。あっ、仕事をしないと・・・。

4月は何かと「新」がつく月

3月31日。木曜日。就寝した頃はかなりの雨が降っていたけど、起きた頃には晴れ上がっていい天気。日差しも強くなってきていると見えて、昼にはもう温室の屋根が開いていた。野菜の種が次々と芽を出して、「早く庭に下ろさないとひょろひょろになってしまう」とちょっと焦るカレシ。うん、温室育ちのひょろひょろトマトは食べられないかも。

今日のローカルニュースは、2013年からスカイトレインと地下鉄に導入される改札システムで使うカードの名称が決まったという記事。公募で集まった名前から3つを選んで、その中から「Compass」が1位になったそうな。交通機関の「パス」だからなかなかいい選択だな。ロンドンや香港のシステムを設計、運営している会社が請け負っているそうだけど、要はSuicaと同じようなシステム。1986年のバンクーバー万博(交通博)でスカイトレインが開通して以来「改札口」と言うものがなかったのが、ひとっ飛びで近代化というところかな。おお、やっと!という感じ。なにしろ改札口がないから無賃乗車が後を絶たず、交通警察なるものを作って、抜き打ちで切符の検査をやってみても焼け石に水で、運賃収入の損失は25年間で1億ドルとも言われる。(ワーホリなどで来た日本人も無料だと勘違いするのかどうか知らないけど、ちょくちょく無賃乗車で捕まるらしい。)去年東京で初めて使ったSuicaは西も東もわからない観光客には便利この上なかった。導入されたら真っ先にCompassカードを買うぞ。2013年が楽しみ・・・。

仕事をひとつ片付けて、また「休みモード」。ほんとに気持が乗ってこないなあ。はて、日本は金曜日だから、引き合いの仕事が今日中に確定しなければ丸々「ウィークエンド」。しばらくの間まとめて休みたいような気がしきりにしているんだけど、3月はほんっとに疲れたという感じがする。災害に遭った人たちや、放射能や停電や品不足に対処しなければならない人たちはもっともっと疲れているだろうと思うけど、ワタシも(「も」なんて言うと叱られそうだけど)足下がぐらついたり、心が彷徨っているような感じがして落ち着かなかったせいで、どろ~んと疲れた気がする。エダノさんも菅さんもあの防災服とか言うのをやめてスーツに戻ったそうだし、ワタシも(関係ないけど)カレンダーをめくって気持の切り替えをするか。それにしても、なんで災害が起きるたびに閣僚がみんなおそろいの制服を着なければならないのかな。誰だったから忘れたけど、ずっと前に防災服を着ていなくて批判された政治家が「いいわけ」をしていたような記憶がある。どっちみち対策本部とかいうところで座っているだけだろうに、ジーンズにシャツじゃだめなの?

小町を見ていたら、震災に関連して「被災した彼との婚約を(見捨てたという評判を立てられずに)解消したい」という相談で盛り上がった後、今度は海外在住組に「日本に行こう」と呼びかけるトピックで盛り上がっている。日本へ行って、国内旅行して、外食して、たくさんお金を使って日本経済に貢献しようと言う趣旨だけど、被災しなかったために支援金や復興資金をもらえない中小企業や零細な自営業は多いはず。被災地から遠く離れていても、観光客が激減して困っているところも多いだろうう。ああだこうだと言うのはしばらく休みにして、母国のためにこぞって出かけたらいいと思う。バンクーバーのダウンタウンにたむろって何から何まで文句ばかり言っているニちゃんねら日本人の(仮想的に有能な)若者たちも母国に駆けつけて腕まくりをしたらどうかと思うけど、彼らの場合はあんがいどいている方が母国のためになるかもしれないな。みんながそれぞれの思うところに従ってできることをするのが一番いい。

陸前高田市で数万本の松が根こそぎになった中、津波が去った後にたった1本だけ立っていた松の木の凛とした姿を見て、この3週間で初めて声を上げて泣いた。あの松の木が枯れてしまうことのないようにしたい。うんと涙を流して泣いて気持が落ち着いてきたところで、ワタシなりに東北の人たちのために何ができるのか考えてみよう。日本の4月は「新」の月だもの・・・。


2011年3月~その2

2011年03月21日 | 昔語り(2006~2013)
日本よ、沈没するなかれ

3月11日。金曜日。咳き込みがひどくて、あまり眠れないままで起床。特に夢は見なかったけど、幼い頃からいろいろと経験した地震の記憶がじわじわと滲み出して来るようで、夢を見るほど深く眠れなかったということかな。東京周辺の親しい友達やクライアントの無事はかなり早くに確認できたけど、妹一家の状況がわからない。電話しようと思ったけど、ローカルの日本語掲示板をチェックしたら、国際電話の回線が込んでいて通じにくいいうことだったので、あきらめてメールで問い合わせ。でも、いつもすぐには返事が来ないし、夕食時間でもあるしと思って、返事が来る前にシャットダウンしてしまった。同業者のメーリングリストに日本在住の会員が自分たちの状況を投稿していて、同じ区に住む人が「棚のものが落ちて散らばっている」程度と書き込んでいたので、大丈夫だろうとは思ったけど、やっぱりどうしても気になったんだろうな。だって、遠く離れていてもたったひとりの肉親なんだもん。

起きて一番にメールをチェックして、妹一家の無事を確認。地震多発地帯で生まれ育った彼女が今まで経験したことのない揺れ方だったというから、ほんとにすごかったんだと、改めて実感。ずいぶん長いこと揺れたらしい。今日のテレビのニュースは日本の巨大地震と大津波の被害を伝えるのに相当な時間を割いている。地元の正午のニュースも1時間のうち15分くらい費やして、地元の日本人移民や語学留学生が日本の家族と連絡を取ろうとしている様子を流していた。春休みの時期ということもあって、「修学旅行」の高校生たちが地震発生直後で乗っていた飛行機が成田に着陸できず、札幌で立ち往生しているということだった。

朝食後からずっと1日。PCの前に張り付いて、ニュースサイトを行ったり来たり。太平洋プレートと北アメリカプレートがぶつかる境界で数百キロもの長さの断層が破壊されたらしいという話を読んで、昔ベストセラーになった小松左京の『日本沈没』を思い出した。最初のほうで、潜水艇に乗った学者たち?が崩壊する大陸棚を見て、日本列島は太平洋に沈むと予知していたと思う。もっとも、プレートの配置から見ると、本州の中央あたりで北アメリカプレートとユーラシアプレートに分かれているから、日本列島がそっくりひっくり返って沈没することはありえないように思うけどな。太平洋プレートとの境界でのことなら本州の東半分と北海道、フィリピン海プレートの境界でのことなら本州の西半分と九州が沈むんじゃないのかな。本州の真ん中には日本海側から太平洋側まで「フォッサマグナ」という巨大な断層が走っていると子供の頃の理科で習って、本州が二つに折れてしまわないのかなあと、つらつら考えていたんだけど。

津波警報が出ていたバンクーバー島西岸では1メートル弱の津波が観測されたそうな。カリフォルニア州北部では何人かが津波にさらわれて、1人が死亡、1人が行方不明だそうで、警報が出ていたのにわざわざ津波を見に行ったらしい。たぶん、押し寄せる津波を撮影してユーチューブにでも投稿しようと思ったんじゃないのかな。馬鹿につける薬はないというけど、インド洋の大津波の映像を見てなかったのかな。それとも、あの映像に刺激されて「オレも」ということだったのかなあ。命あっての物だねだってのに。

津波の惨状の画像だけでも胸が痛むのに、今度はひょっとしたら原子力発電所からの放射能汚染の可能性。日本のような地震大国になぜそんなに原子力発電所があるのかといつも思うけど、今回の地震は安全システムが想定した規模を大きく上回っていたと言われても、何だかなあ。たとえマグニチュード9の地震を想定して設計しても、それは「設計強度」であって、それを超える地震が起きないという保証は付いて来ないし、自然が相手ならなおさらのこと人間の想定通りには行動してくれないし・・・。これから原子力発電だけじゃなくて、エネルギー利用そのものを見直すようになるのかな。

少しは仕事をしなきゃと思って、ファイルを開いてみたけど、手をつけようという気分になれなくてやめた。だって、研究テーマはもろに「地震」。なぜかいろんな思いが交錯して揺らいでいる気持が静まるまで、あと1日。か2日。は実質的に開店休業ということかな・・・。

鎮魂、祈り、そして未来の希望

3月12日。土曜日。雨が降ってるなあ。安否が気になる人たちの無事を確認して、とにかくひと安心。おかげで咳き込みもなく、けっこうおyく眠れた。トレッドミルの運動もする気にならずにサボっていたのに、体重はちょっとだけダウン。こういう減り方はあまりいいとは言えないけど、やたらとおなかが空いて1日。4回くらい食べていてこの状況というのもあまりいいとは言えないかな。

まだ仕事をするに気になれないから、今日も休み。カレシは「向こうで少し落ち着くまでは商売はヒマかもしれないねえ」とのんきなご託宣。それでもいいんだけど、希望的観測にならないともいえないな。阪神大震災のときもそういって言っていたけど、よく考えてみたら、仕事量が殺人的なレベルに増えたのはあの後だった。それと一緒にワタシの収入も(税金もだけど)うなぎ上りに増えて、ピークにはカレシの3倍近くにもなって、ワタシの人生がこんがらがって、とうとう燃え尽きてしまった。今さらまたあの頃のワーカホリックは戻りたくないよね。「アナタの年金で養ってよね」と言ったら、「う~ん・・・」。おい、こらっ。

まあ、あの頃とは仕事の様相がかなり変わっているから、また仕事量が増えるのか、あるいは逆にこのまま先細りになるのか、そのあたりは神のみぞ知る。電力不足で「輪番停電」というのを実施するらしいから、少なくともここしばらくは低空飛行かもしれないな。もう10年くらい前かな、カリフォルニア州でエンロンなどの投機やら詐欺商法やらの狂騒の挙句、ひどい電力不足に陥って「rolling blackout」が盛んだった。電力料金も急騰して、会議で泊まったホテルの請求書には、航空会社がやっている燃料サーチャージと同じように「電力サーチャージ」なるものが上乗せされていた。まあ、もしも21年のキャリアで最低だった2003年のレベルまで落ちたら、そのときはまた「劇作家の卵志望の夢」を追えばいいんだし、下手の横好きの絵を描けばいいんだし、あと2年と1ヵ月とちょっとになった「年金受給開始」までゆるゆると下降していけたらめっけものかも・・・。

今夜はバンクーバー交響楽団のMusically Speakingシリーズ第4回目で、テーマはスペイン。メインはロドリゴのギター協奏曲『アランフエス』。美しいアランフエスを描写した第1楽章、死んで生まれた子への鎮魂と重症の病の床に着いた妻への祈りの第2楽章、そして未来の希望を前向きに思い描く軽やかな第3楽章。ゲスト指揮者のジョン・ラッセルと若いギタリストのダニエル・ボルショイが登場して、「この曲を甚大な悲劇に見舞われた日本の人たちに捧げます」とアナウンス。ポピュラー音楽としてもよく知られている第2楽章は切な過ぎるくらいに美しい。自然と目頭が熱くなってきて、涙がこぼれそうになる。日本の人たちに鎮魂と祈りと、未来の希望・・・。

休憩時間にギフトショップをのぞいたら、前回のコンサートのときにもう少しで買いそうになった黒のオペラジャケットがまだあったので、今回は迷わずにいただき。ちょっと毛皮っぽい光沢のある地に襟から裾までぐるりと黒いレースの縁取り。支払をしていたら、二人連れのおばさまが「まあ、うらやましい。それ、欲しかったのに着られなかったの」と言い出した。先月のコンサートで見てから忘れられなくて~と言ったら、しまいに「着ているところを見せて」と言うから、着てみたら、「あなにはすごくお似合い。うらやましいわ~」と、お世辞なんだか、羨望なんだか。60年の人生でこんなにべたべたにうらやましがられたのは初めてだな。なんだかちょっぴり付け焼刃のセレブ気分。でも、サイズが合わないんでは「ど~ぞ」と譲るわけにも行かない。下がっていた札のサイズは「S」。たぶんそのせいで売れないでいたのかもしれない。

コンサートの第2部はマヌエル・デ・ファーリャの『三角帽子』組曲の第1と第2を通しで聞き、最後はシャブリエの『エスパーニャ』。第1部で聞いたリムスキー・コルサコフの『カプリチオ・エスパニョール』がリオハの赤ワインなら、こっちは白ワインというところかな。最後はみんなすっかりスペインの気分になって、マエストロが盛大にバトンを振り切ったところであちこちから「オーレ!」の声がかかった。やっぱり、ちょっと気持ちが塞ぎがちなときには、いい音楽は効果てきめんの特効薬だなあ。さて、明日あたりからぼちぼちと仕事にかかろうかな・・・。

たとえば不要不急を見直して・・・

3月13日。日曜日。今日から「夏時間」。いつもながら、公式の春である春分の日までまだ1週間もあるのにサマータイムもへったくれもあるか~と思う。コンピュータも含めて切り替えが自動設定されているキカイ類は午前1時59分からいきなり午前3時になる。就寝は午前4時。まあ、表面的には普通の時間だけど本当は1時間早い。それでも起床は正午過ぎだったから睡眠8時間を確保したということかな。切り替え時間を日曜日の午前2時にしたのは、日曜日1日。あれば体内時計を調節できて、月曜日の労働には支障はないはず、ということだったんだろうけど、夜も眠らぬ24時間体制の21世紀にはちょっと時代遅れかもしれない。標準時がたったの4ヵ月で、特別の夏時間が8ヵ月も続くなんてアホくさ。いっそこのままにしてくれるといいのになあ。

東京圏では電力不足で今日から「計画停電」を実施することにしていたそうだけど、どたんばになって需要が供給を下回っているとか何とかで停電はしないことにしたけど、後で場合によってはするかもということになったらしい。ひょっとして停電しないと聞いた人たちが「なあんだ」といっせいに電源を入れたんじゃないだろな。ぎりぎりまで決定ができなかったり、発表に間違いがありすぎたりで、首都圏のラッシュアワーの交通は大混乱したというから、計画性のなさ過ぎもはなはだしい。できるだけ客に不便をかけたくない、できることならしないで済ませたい、という企業心理はわかるんだけど、この「ぎりぎり思考」を何とかできないものかなあと思う。事故原発で海水注入に踏み切るまでに無駄に過ぎた時間と同様に、ぎりぎりまでぐずぐずして問題を増幅してしまっているんじゃないかと思う。現代の都会人はマニュアル化に慣れているだろうから、いっそのこと「今週の停電時間割」みたいなのを決めて、後は電力供給に余力があろうがなかろうが予定表通りに停電を実行するほうがうまく行きそうに思えるけど。

それにしても、大都市というのは見かけによらず脆いもんだと思う。一極集中といわれて来た東京圏の場合は、物資やエネルギーといったその原動力を本質的に「地方」の人たちによる生産に依存しているのにもかかわらず、その生活の豊かさに驕って地方(いなか)を下に見て来たことは否定できないだろうな。今その物質的な繁栄を支えて来た「地方」が壊滅的な状態になって、大都会の依存体質のようなものが露呈したということかもしれない。人間の場合は、他人への依存志向が強い人ほど、実際に依存している相手を貶めようとする傾向があると思う。世の中はあらゆるものがどこかでつながっていて、そこでは貴賎も優劣もなく、一方が存在しなければ他方の存在意義がなくなる。地方がエネルギーや物資を生産していたから、大都市では電車が時刻表通りに走り、スーパーには食品が溢れ、華やかな都会生活があったということで、一種の「Day of reckoning」として考えてみる機会になるんじゃないかと思うけど、ま、喉もと過ぎれば何とかというから、果たしてどうかなあ・・・。

菅さんは第二次世界大戦以来の国難だと言っているそうだけど、戦争があったのは平成っ子に「ダサい」と鼻先で笑われる昭和時代のそれも前世紀の前半のこと。戦争中と戦後の窮乏生活を体験した人口もかなり少なくなっているだろうから、あの頃の暮らしの知恵を伝授できる人たちがいったいどれだけいるのか。よく考えたら、便利さを追求してきたのが人間だけど、便利すぎて「非日常」への適応力を失いつつあるとしたら、知らないうちに過去60年間のどこかの時点で「最大限」を通り過ぎてしまったのかもしれないな。戦後まもなくの窮乏ぶりを実際に体験した親の世代から聞いたり、読んだりして育ったワタシだって、いざというときにそういう生活にどれだけ耐えられるのか見当もつかない。それだけ日常の便利さと豊かさに慣れ切って、流されつつあるということか。まずは、日常に「不要不急」なことがどれだけあるかを見直すところから始めてみようかな。それでも、無駄をしないことが習慣になるには時間がかかりそう・・・。

天罰の下しどころが違っている

3月14日。月曜日。ちょっとまだ時差ぼけ風の気分。飛行機で太平洋を9時間くらい飛んで、時間が16、7時間違ってもそれほどひどい影響はないのに、見慣れた時計がたった1時間変わっただけでしばらくもやもやするのは不思議だけど、あんがい「見慣れた」時計、見慣れた景色だからかもしれない。いきなり1日。の長さが、それも1日。だけ23時間になってしまうんだから、体内時計が混乱してもおかしくないな。まあ、失われた1時間は晩秋の11月に取り戻せるんだけど・・・。

今日もニュース番組は日本の巨大地震、大津波、原子力発電所の危機の報道でいっぱい。太平洋の反対側にあるバンクーバーは特に原発問題に関心が高くて当然だろうな。もしも大気中に放射性物質が大量に放出される事態になったら、約10日。でここまで届くという話だった。(カナダのメディアがこういうことを言うと、ダウンタウンあたりにたむろしている「海外在住日本人」がカナダ人は自分たちのことしか考えていない、身勝手だと言い出すからおかしい。カナダ政府が日本からの要請がまだ来ていないからと救援チームの派遣を控えているのに、カナダは何もしていない、ケチ云々と来るからつい失笑してしまう。貧乏だとかダサいとかぐうたらだとかさんざっぱらこき下ろしておいて今さら何なんだろうね。最近はこういうにいちゃんねる的な手合いが多いような気がする。まじめな人たちには迷惑なことだろうけど、そういう非生産的な同胞ニートの吹き溜まりになっているのかもしれないな。ま、これは余談・・・)

東京ではかの知識人知事氏が「天罰だと」とのたまわって撤回、謝罪するはめになったとか。こういう手合いもどこにでもいるんだよなあ。まあ、大地震津波が我欲を戒めるための天罰だったのなら、日本の我欲の中心みたいな「東京」に下るのが妥当だと思うんだけど、人間というのは非日常のときにこそ、その本性が言動に露呈しがちだから、知事氏の発言もそういう類だろうと方をすくめてやり過ごすのが一番だろうな。東京ではあちこちで買いだめによる品不足が起きていて、「売り惜しみ」の懸念さえ出ているらしいけど、それも人間の本性の表れ。ひとりや二人がやっているなら個人が顰蹙を買うくらいのことだけど、たくさんの人が我勝ちに走り出したら問題になる。品行方正な日本人はスーパーを襲って略奪するようなことはしないかもしれないけど、買いだめだって、代金を払っているから合法というだけのことで、その身勝手さにおいては略奪とあまり差がないように見える。ま、誰だって生き延びたいという本能があるのも確かで、最終的にはそれぞれの「我欲」の発露ということになるのかあ。

今日は家族や友達から「日本にいる妹さんは、お友達は大丈夫だった?」というメールや電話が次々に来た。みんな週末中ニュースを見ていて、ワタシが生まれ育った国で大変なことが起こったことをよく理解して、「日本の人たちに」と哀悼の意を表してくれている。そうやって心配してくれて、ありがたい。さっそく「みんな大丈夫だったよ。ありがとうね」と返事を出した。義捐金の募金運動も盛んで、カナダ赤十字だけでもすでに100万ドル以上が集まったそうだし、その他にもいろんな団体が募金活動をしている。電話会社は特別の番号を設けて、そこに電話をすると一定額の募金を自動的に電話料金に加算するしくみを作ったそうだし、同様にあちこちの店で買い物をするとレジで募金するかどうか聞かれるようになるだろうな。「イエス」と言えば、1ドルなり2ドルなりが買い物の合計金額に加算される。ハイチの大地震のときにもスーパーでそういうのをやっていた。カナダ人だってみんな心を痛めて、犠牲者に祈りを捧げて、これからの再建を応援してるんだってば。

買い置き、買いだめ、買占めはどう違う?

3月15日。火曜日。雨模様。正午過ぎまで、寝すぎ。今日も日本の状況を心配してくれている友達や家族から電話がちょこちょこと来る。みんな日本の地理(というよりも日本のこと)には疎いもので、東京のすぐ隣町で原発が爆発したのかと思ってしまうらしい。もっとも、ワタシもあの辺(というよりも津軽海峡以南)の地理には結構疎いもので、手首を捻挫しそうなくらいに重い大世界地図帳を開いて、拡大鏡で見て初めて東京っと茨城、福島の位置関係がわかったので、人様のことは言えないな。ま、モントリオール五輪のときに、日本の人にまるでバンクーバーの隣でやっているような質問をされて面食らったから、知らないことではお互い様ってところだけど。

朝食後すぐに洗濯機を回し始め、トラックで遠いほうのスーパーへ野菜と魚の買出し。山積みになっている野菜類や隙間のない商品棚を見ながら、「買い置き」と「買いだめ」、「買占め」はどう違うんだろうと考えた。「買い置き」というのは誰でも日常的にやっていることだと思う。要するに「備蓄」というやつで、それだったら、どこの政府も非常時に備えて貯め込んでいる石油やら小麦やら米やらはれっきとした「買い置き」ということになる。昔から「備えあれば憂いなし」と言うし、カナダでも災害に備えて72時間生き残るための非常用パッケージを用意しろと言われているから、「買い置き」は美徳なのかもしれないな。電球が切れたらすぐ取り替えられるように予備の電球を買っておいて、切れて取り替えたら使った分を補充して次に備える。あるいは、週に1回しか買い物に行けないから、常に1週間分の必需品を買っておく。こういうのは人間の日常生活における世界共通の知恵だと思う。

その知恵のある人間が何らかの非日常に遭遇したときに走るのが「買いだめ」。アメリカだって、ハリケーンが接近すれば、スーパーに水や非常食を大量に買おうとする客の行列ができる。買い物ができない状況や不足が一定以上続くと予想されるから、それに合わせて今必要な量を貯めておこうというもので、この場合は「不安」という共通要素があるから、みんながいっせいに同じことを考える。おかげで、早い者勝ち、お金のある者勝ちの、極端な表現では「弱肉強食」に近い状況が生まれることもあるだろうな。今の日本で言うなら、被災地では輸送や暖房の燃料が足りなくて困っているのに、「いざということに(自分が)逃げ出せるように」と、あちこちを走り回って行列してとにかく満タンにしようとする光景がそうかもしれない。北米でもガソリンの価格が急騰すると少しでも安いところを求めて車を走らせる人たちが出てくるけど、それだけ余分に貴重なガソリンを燃やしている、たとえば50円安く買うためにわざわざ遠くまで走らせて50円分のガソリンをよけいに消費しているかもしれないということには思い及ばないらしい。「安物買いの銭失い」の一種なんだろうな。

それでも人間はなくなるかもしれない、買えなくなるかもしれないという状況になると買いだめをする。日常生活に必要なものであれば、使ってなくなったらおしまいなんだけど、「ある」ということに安心感を覚えるんだろうな。人によっては「他人が手に入れられないもの」を手に入れたという優越感を覚えることだってあるかもしれない。日本では新型インフルエンザでパニック状態になった人たちがいっせいにマスクを買いに走って今と同じ品不足が起きた。そのときに、ネットのあちこちにマスクが相当な価格で出回ったという。必要以上に買って儲けを出そうというわけで、ここまで来たられっきとした「買占め」、いわば経済的な略奪ということになるだろうな。かってのトイレットペーパー騒動のときも、どこかで大きな倉庫に買い占めたペーパーを隠していたのが発覚したケースがあったけど、天井までぎっしり詰め込まれた段ボール箱の映像は壮観で、ただただ唖然としたっけ。

今は空っぽの商品棚の映像に煽られてパニックになっている人が多いんだろうけど、非日常の環境ではその人の本性がつい現れがちだから、長引けばみんな互いに疑心暗鬼になってくるかもしれない。小町の投稿にあった「懐中電灯を50個くらい買ったおじさん」、いくらたくさん懐中電灯を買い占めたところで人間性はちっとも明るくならないんじゃないかと思うけど・・・。

うまく欲を張るのはけっこう難しい

3月16日。水曜日。どよんと疲れて眠い。時間が変わったせいばかりでもないのかな。それでも、シーラとヴァルが掃除に来る前に間に合って起きて、朝食。(まあ、シーラは鍵を持っているから、寝過ごしても勝手に入ってきてアラームを解除してくれるから別に問題はないんだけど。)今日は二人とも開口一番に「みんな、大丈夫だった?」うん、大丈夫、大丈夫。で、ひとしきり原子力発電の話になって、どうして大地震が起きる日本に原発を作ったのかと聞かれても困るんだけど、最後は「あんな危ないものいらない」という結論になった。たしかに、世界で唯一核兵器の惨禍を経験して、あれだけ核実験反対、核兵器廃絶を訴えて来た日本が今度は自家製の「核」の危機に晒されているというのは皮肉な気がしないではない。(テレビではオンタリオ州にある原発でごくごく微少な放射能漏れがあったと報道していた。ついでにケベック州とオンタリオ州にわたってちょっとした地震があって、首都オタワでも揺れたという。ピリピリしていることは確かだ。)

放射能が振ってくるかもということで、このあたりでもよう素系のサプリなどを買いに走る人がかなりいるらしい。アメリカ西岸でもそういう現象があるらしい。要するに、こういうときの人間の反応や行動は人種も何もなくて、合理性も何もすっかり忘れて、ほんとに条件反射としか言えないレベルにリセット?されるのかもしれないな。よう素剤なんか差し迫った必要もないのに服用していたらかえって健康に良くないのに。きのうのガソリン代を50円節約するために50円分世敬意に使うのと同じようなことだろうと思う。木を見て森を見ていないというか、視野狭窄的だと思うけど、それが二十一世紀の人間空間なのかもしれない。

小町に立っている「買占め」のトピックの書込みを読んでいると人間心理の観察になる。300本以上の書込みでやっと誰かが「メディアが煽っているのでは」とコメントしていたけど、当たっているだろうな。画面いっぱいに「商品棚が空っぽです!店が空っぽです!モノがありません!みんな何かを買おうとして押しかけています!」とキイキイ声でやられたら、世のチキンリトルたちは「お空が落ちてくる~」と騒ぐのも当然だろうに。何でも「断捨離」とかいうブームでモノを持たないのが流行っていて、それで非常用の買い置きさえない人が多いという人もいる。(そういえば、彼氏を「断捨離」したいというトピックもあったなあ・・・。)つまりは、物欲(我欲)を断ち、捨て、離れることで運が向いてくるとか言うご託宣があったんだろうけど、モノを貯め込まずに、必要なときに必要なものを(即ゲット!)というのはご立派だけど、非常f時の備えは「オンデマンド」というわけにはいかないと思うけどなあ。

そんなことを斜めに構えてつらつら考えていたら、円レートが急上昇。ついでにバカ高くなっていたカナダドルの対米ドルレートも下がって来た。しめしめ、日本の銀行に払い込まれて、かなり貯まっている翻訳料を生活通貨のカナダドル口座に移動する絶好のチャンスと(ワタシなりに我欲を発揮して)張り切ったら、口座のある銀行がシステム不具合でダウン。おまけにアメリカドルで送金してくる客先も同じ銀行を使っているもので、支払日の送金がまだ処理されていないと連絡して来た。外国為替の取引はまだ処理できないでいるらしい。あはは、こんなときにヘンな欲を出したから、神様に見られちゃったんだ、きっと。幸い今日明日に入金しなければすぐにどうこうというわけじゃないからいいけど、うん、欲張りってなかなかうまく行かないもんだなあ・・・。

断捨離の後は昭和の暮らしはどう?

3月17日。木曜日。いい天気。いい気持ちで眠っていたら、先に起き出していたカレシにこちょこちょとくすぐられて、「昼だぞ~」と起こされた。あ~あ。

昼のテレビニュースを見たら、今日はカナダドルが上昇。日本円は各国政府の介入がありそうだから、こっちはまた下がりそう。投機的なことで儲けようとしたら、夜も寝ないで相場を監視していないとダメってことだけど、ワタシはそんなことをやっているヒマはないな。たまたま機会があって、たまたま運良くいくらか想定外の利潤が上がったらそれでハッピー。(宝くじで大当たりしたら、そのお金を管理するだけでもフルタイムの仕事になるという話があった。)株式や外国為替市場は当面かなりの乱高下だろうから、ヘンな欲は出さないほうが無難・・・。

午後はやっぱり気になるからニュースサイトを巡回。ふむ、外国メディアのサイトには「大災害に瀕してなおストイックで冷静な日本人」みたいな記事がけっこうある。まあ、たしかに商店の略奪なんて光景はない。今の日本にはお金があるからモノがあれば買えるけど、災害や内乱のたびに略奪が起こったり、難民がどっと移動するところでは買いだめや買い置きをしたくても先立つお金を持っていない人が多い。それで払わずに持ち出すわけで、個人がやれば万引き、みんなでやれば略奪。やっぱり首都圏の買いだめなんかも経済的な略奪に匹敵するような気がするな。でも、日本だって江戸時代には飢えた庶民が米問屋を襲って略奪した歴史があるから、できないわけじゃないし、極限の状態になればやると思う。西洋人が自分たちの目を通して見た日本人の美徳を持ち上げてくれるのはいいんだけど、日本側のニュースサイトを見ると、震災にかこつけた詐欺や窃盗が頻発しているそうな。学校の非常備品を盗んだり、他人の車からガソリンを抜き取ったり、被災者を思う心情に付け込んで振り込め詐欺や募金詐欺をやったり、みんながみんな法を守って粛々と災害に立ち向かっているとうわけではない。外国メディアは彼らの目に見えること、つまりは「建前」だけしか報道していないということでもあるかな。

それにしても、被災地でもないのにカップラーメンや麺類やパスタを大量に買い込んでいる人たちは、いざ自分のところで災害が起きて電気もガスも水道も止まってしまったら、それをどうやって食べるんだろうな。パスタ類はゆでるのに大量のお湯を沸かさなければならないし、即席めんだって同じことじゃないのかな。冷凍食品だって、冷蔵庫についている冷凍室では溶けるのが早そうだし、貯蔵用の強力なフリーザーでもせいぜい3日。か4日。。我が家は魚がどっさり入っているから、カレシは非常事態になったら「サシミを食いつなげばいい」とのんきなことを言っているけど、ふむ、夏の乾燥した時期なら塩を振って日干しにすれば少しは長く持つかな・・・?

災害による大規模停電となると、これからエコカーとして普及しそうなプラグイン充電型の電気自動車も困ったことになるかもしれないなあ。そのまま走っていて電池が切れたらどうすればいいんだろうな。自家発電式の給電ステーションみたいなものを作ることを考えなければならないだろうと思う。エコ運動そのものが「電気」というエネルギーが常にあるという前提で進んできたのかもしれないけど、水や食糧は汲み置き、買い置きができるけど、電気ばかりは大型化、強力化する家電や機器を動かせるだけを家庭で蓄える手段が普及しているとは言えない。目には見えないものだから、ないという感覚がつかめないのかもしれない。まあ、最後にはいろんなことが手動で操作ということになりそうで、電気のありがたさが身にしみてきた。(でも、原子力発電はやめとこうね。)

もっとも、ワタシが子供だった昭和半ば過ぎの(大)昔は、庶民の毎日の生活がおおむねそんなもんだったと思うな。自家用車なんて金持でさえ持っているとは限らなかったし、電話もどの家にもあるものじゃなかったし、冷蔵庫だって我が家に登場したのは1960年前後だった。今流行の「断捨離」とやらを実践したくても、元から不用品があまりなかったのがあの時代。だけど、あの頃の「昭和」の人は特に不便な生活だとは思っていなかった。ま、50年後の「便利さ」を知る由もないから当然なんだけど、便利になりつつあることは肌で感じていても、みんなけっこうあれやこれやと工夫をしていたと思う。

まあ、高度経済成長時代より前の、「昭和の暮らし」も悪くないだろうと思うから、断捨離が一段落したら、ちょっとやってみる?

行動力はあるのに決断できない人たち

3月19日。土曜日。どうしても睡眠時間の半分くらいのところで咳の発作が始まって目が覚める。ひとしきり咳をしていると気管が充血でもして潤うのか、水っぽいタンがたくさん出てやっと治まる。そこで改めて眠りについて、短いながらもなんとか熟睡。精神的になかなか集中できなくて進まない仕事が終わって疲れていたのか、今日の目覚めは午後12時50分。春らしい好天。道路向かいの桜は2分咲きくらいかな。東の方へ見える限り続く桜の並木もぼやっとピンクにかすんで見えるし、前庭と裏庭のレンギョウも黄色い花をたくさんつけている。ああ、春・・・。

リビアでの空爆作戦が始まって、テレビの原発関連のニュースはかなり減った。それにしてもフランス空軍機が一番乗りというのはちょっと皮肉に聞こえるな。きのう、イギリス政府の最高科学顧問(というのかな)がフランス政府が放射線を浴びる危険があるからと日本にいるフランス人によう素剤を配ったり、東京からの退避させることを決めたのは「科学的根拠に基づいていない」と言っていて、同じサイトに誰かが載せた「白旗を持ったフレンチプードル」を思い出して笑ってしまったのだった。サルコジはメンツ挽回を狙ったのかな。それにしても、世界が福島の原発危機に釘付けになっているうちに、いつの間にかリビア空爆に国連のOKまで取り付けたのは誰なんだろう。

野菜や水道の水から放射性物質が検出されたと大々的に報道されている。カリフォルニアでも放射性の粒子が飛んで来たといって騒いでいた。ドラッグストアや健康食の店の棚からよう素入りのサプリが消えたそうな。保健当局がよう素の摂りすぎは健康上危険だと注意しても、まあ、すぐに「怖い!」と反応するような人は元から聞く耳は持っていないかもしれないけど。テレビに映る顔はけっこう若い。ということは、大国がこぞって大気中で核実験をやっていた頃にはまだ生まれていなかった人たちか。アメリカとソ連は自国の上空でやったけど、太平洋に散らばる環礁などはアメリカもフランスもイギリスも核実験場にしていた。

あの頃も大気中核実験があるたびに放射能が降って来ると大騒ぎしていた。セシウムとかストロンチウムとか小学生でも怖いものを代表する言葉のような感じで使っていたな。大気中に拡散した放射性物質の量は相当なものだったろうから、子供だったワタシが浴びていた1年間あたりの放射線の量も今の国の基準をずっと超えていたんじゃないかな。(だいたい安全基準なんてものがあったかどうか知らないけど。)ちょっと調べてみたら、セシウムが1㎡あたり2500ベクレルくらい降った年もあるらしい。それに比べたら、グラフの離れたところにあるチェルノブイリ事故の降下量はごく微量。(こうやって数字を挙げても理解できる人は少ないと思う。ワタシも危険な量だったのかどうかわからない。)だけど、チェルノブイリ関連でガンになった人たちは放射線を浴びたためというよりも、何も知らされないままに汚染された土壌で栽培した食料を食べたり、汚染された牧草を食べた家畜の乳を飲んでいたためだと言われる。それでも、茨城のほうれん草の放射能は1年食べ続けても1回のCTスキャンの放射線量の半分にもならないそうな。日本の医療ではけっこう簡単にスキャンをしてもらえるという印象だけど、判断に不可欠のデータを隠されてはたまったもんじゃない。それでも、むやみに不安を煽るような発表や報道もどうかと思う。みんながピリピリしている今、「基準値を超える放射能」と聞いただけでパニックになって、後に「健康に害はない」と続いていても、誰もそこまでは聞かないんだから。

まあ、ある状況でどうするかを決断するにはその状況やデータを分析するそれなりの力が必要だと思う。日本人はいったんこうと決めたらびっくりするような行動に出られるんだから、決断力も行動力もちゃんとある。日本政府も企業もマスコミも頼りにならない印象なのは、どうも情報や状況を分析する能力が足りなくて、なかなか決断に踏み切れないからじゃないかと思う。自分の頭で考えなくても、稟議みたいに「みんな、どう思う?」とぐるりと意見を聞き回して、批判されなくてすみそうな、責任を問われずにすみそうな、とにかく無難そうな決断をする心地よい習慣ができているからかもしれないけど、秒単位で情勢が変わる今の世の中で、それでずっとやっていけるのかなあ・・・。

私は満月に向かって吼える狼

3月20日。日曜日。ゆうべはすごく大きな満月だった。月の軌道が地球に最も接近する18年ぶりの「スーパームーン」だそうで、ふつうの満月よりも14%大きく、30%も明るく見えるとか。二階では窓から差し込む月明かりだけで本の扉の大きな活字のタイトルが読めたからすごい。西洋には満月の夜に月の光に当たると気が狂うという言い伝えがあって、「lunacy(狂気)」という言葉の語源にもなっている。天体観測にこっていた20代の頃、望遠鏡に広角レンズをつけて昇ってくる満月を見たことがあって、視界から溢れそうな月面を見ているうちに叫びたい衝動に駆られて怖くなった。ひょっとしたら、あのときにワタシの思考経路の配線が少々狂ったのかもしれない。でも、ゆうべのスーパームーンはすごく明るくて、きれいだった。

先週の仕事はテーマがタイムリーすぎて気乗りがしなかったけど、今日からはまたごくふつうのビジネスの仕事。東京では福島の原発危機の影響で商談などがストップしたために、通訳の案件が軒並みキャンセルになっているらしい。通訳はその場にいなければならないから、人が動かなくなると商売にならない。1991年にイラクのクウェート侵攻がきっかけで湾岸戦争が勃発したときは、決まっていた同時通訳の仕事がドタキャンになった。日本からの参加者がみんな旅行を取りやめたためで、フリーになってまだ11ヵ月しか経っていなかったワタシはお先真っ暗の気分。それでも経済活動は続くから、翻訳の仕事はあった。人間の営みはどんな時でもコミュニケーションを絶やすことができないから、the show must go on。

大地震から10日。で、テレビのニュースはリビア情勢がトップ、次いで日本の地震。原発の冷却作業は毎日ほぼ同じ光景だからか、あまり時間を割かなくなった。そのほぼ同じ光景の中で、最初に見たときからワタシの記憶に焼き付いているのが、原子炉の建屋の外壁の模様。青空に白いひつじ雲がふわふわと浮いている(としか見えない)。クリーンでエコなエネルギーを生産している工場というイメージのつもりだったのかもしれないけど、爆発で骨格だけになった部分との対照がすごく印象に残った。原発のニュースが減った代わり、津波の被災地の様子や救援・復旧活動の「ストーリー」が増えて来た。日本のマスコミはなぜかあまり外国からの救援隊の活動を報道しないので、海外にいて日本の情報を日本のマスコミに頼っている日本人たちの中には、滞在国の政府が自国の人間の安全ばかり考えて日本の被災者のために何もしてくれていないと不満をもらす向きもあるらしい。どこの国も自国民を優先するのは当然だと思うし、あまりにも次々と災害が起きている日本のマスコミだって日本人のことで手一杯なんだろうけど。

原発と放射能にばかり集中している(ように見える)日本のマスコミの報道姿勢についてちょっと思ったことを言ったら、日本のテレビを1日。見てみろと言われてしまった。そう言われても日本にいないワタシには見られるわけがないんだけど。見られないからネットで日本の「有力」新聞のサイトに頼るほかないんだけど。でもまあ、落ち着いて考えたら、ネットの新聞は日本国内で小さな携帯の画面で新聞を読む人たちのためにああいうたった何行かの短い記事になっているのかもしれない。そこに有意義な情報を求めること自体が無理ってことかもしれない。海外にいて滞在国に不満たらたらな日本人たちも、頼りにしている日本のソースから欲しい情報を得られないことに苛立っているのかもしれない。

まあ、そういうのはいつも世界のどこに行っても不満だらけの一部の若い日本人だろうと想像はつくんだけど、ワタシはまたぞろ自分のアイデンティティを揺さぶられているような気分になって、生まれ育った国の激甚な災害に胸が痛み、だけど被災者とはまったく無関係なひと昔も前のトラウマが蘇って来て胸が痛み、しまいにはカレシにけんか腰になったりして、この1週間というものワタシの心は揺れっぱなしだった。幼いときの大地震で大揺れする家の中に取り残されて泣き叫んだ記憶が今も鮮明に残っているように、自分のアイデンティティを土台から激しく揺さぶられたトラウマも10年くらいの年月ではすっかり癒えていなくて、まだときどき余震が来るのかもしれない。でも、こんなことを言えばまた2万人を超える人たちが犠牲になった大災害につまらない個人のトラウマを重ねるのは不謹慎だと言われるかもしれないな。

ゆうべの大きな満月が明るすぎたのかな、やっぱり。ひょっとしたら「満月に向かって吼える狼」がワタシのアイデンティティなのかも・・・。


2011年3月~その1

2011年03月11日 | 昔語り(2006~2013)
内も外も春の嵐注意報

3月1日。火曜日。曇り空。気温はプラス。午前10時30分の目覚ましで起床。早起きといえば、早起きだけど、今日はカレシが親友のリチャードとランチをする日。ちょっと仕事の手が空いたから、一緒にダウンタウンまで行って買い物をすることにして、そろって早起き。朝食のテーブルでああだこうだと日程を話し合って、今日はダウンタウンまで車で行くことにした。

車を止めて駐車メーターに(今度は忘れずに)しっかり2時間分、2ドル硬貨を3個入れて、カレシはあっち、ワタシはこっち。けっこう風が冷たいけど、雪は歩道の日陰の片隅にちらほら残っている程度。まずは銀行できのうママから届いた小切手をとりあえず口座に入金して、地下街に下りたくなるのを無視してそのまま事務用品のStaplesへ直行。ポストイットやらクリップ、カレシのプリンタのインクカートリッジやら細々したものを買い、コンピュータ売り場で、そういえばこんところマウスの反応が鈍くなったなあと思いつつぶらぶらしていたら、(いつもそうだけど)店員が「何かお探しで?」と来た。いや、ぶらぶらしているだけで・・・と応えて、ふと思い立って新しいPCとプリンタの出張セットアップについて聞いてみた。別の大手エレクトロニクスの店のテクニカルサービスに来てもらおうと考えていたんだけど、キカイはここで買ったものだし、せっかく「何かないか?」と聞いて来たんだし・・・。

販売が専門の店員が若いテクニカルアドバイザーを連れて来て交代し、そのアドバイザーが店のマネジャーを連れて来て、まずはオフィスの様子や設備、何をどうしたいのかを説明して、ブレーンストーミング。しまいにオフィスの見取り図を描いて、ここにこれがあって、こっちにあれがあって、ここに何を置いて、こっちは何。まずボトルネックになったのはプリンタをシェアするPCが2つの別々のネットワーク(と電話回線)に接続しているつながっていることで、ワイヤレスの設定は中間にサーバを置くなどしなければ難しい。結局はUSBでつなぐのが一番と言うことになったけど、今度はPCとプリンタの置き場所が離れていて、その間に出入り口があるために、オフィス中にケーブルを引くことになって、コストがかかる。そこでマネジャー氏が、サイドテーブルのようなオフィス家具がちょうどプリンタを置ける大きさなので、これをPCに近いところに置くことができれば問題は解決するし、ケーブルよりも安くすむよと提案。じゃあ、ワタシとカレシの空間を分ける本棚の端に置けばいいや、ということで即座にOK。家具はあした午後に配達して、組み立てておくということになった。ふはあ、「ちょっと聞いてみよう」が延々と1時間半・・・。

候補に上げていたところに頼めば、この1時間半の話し合いに99ドルかかるところだったから、コンサル料なしで、おまけに推定4時間の作業の出張料金を持ち込み料金にしてもらったのはめっけもの。「ちょっと」聞いてみるもんだな。出張作業の予約を木曜日の午後に入れて、完了。木曜日ということはあさって。ということは、ワタシもカレシもあした中にデスクの周りやオフィスを片付けておかなければということか。だけどなあ、帰ってきて、毎日こもっている半径1メートル?のオフィスを改めてじっくりと見回して、ああ、出てくるのはタメイキ。まるでカテゴリ5のハリケーンが通過した後のようなこのオフィス(↓)、片付けると言ったって、いったい・・・。

今夜半からあすにかけてハリケーン並みの嵐が来るそうで、強風注意報が出ている。数年前にスタンリー公園の樹木を1万本もなぎ倒して行った嵐くらいの「凶悪」さなんだそうで、市役所も電力会社も倒木や停電に備えて準備万端とか。窓を開けておいたら、ワタシのオフィス、起きる頃にはきれいさっぱり片付いているかなあ。あ、オフィスの窓は開かないんだった・・・。

渡る世間はパワーゲーム

3月2日。水曜日。午前8時ごろ、ちょっと目が覚めたら、おお、かなりの風。天気はだいたい西から変わって来るんだけど、台風のように渦を巻いてくる低気圧の時はいつも南東の方向から吹いて来るおかげで、長辺が南側にある角地にあって、雨風が来る方に露出していて我が家は、東向きの切妻の下端で風がひゅうひゅうと鳴り、雨がもろにベッドルームの窓を叩く。けさは、あまり雨の音がしなかったけど、風はかなりのものだった。それでも、また眠ってしまって、改めて目を覚ましたら、まるで台風一過の青空・・・。

バンクーバー島と本土を結ぶフェリーは午後まで欠航だったというし、郊外ではかなりの停電があったそうだし、とにかくこの冬の最大の嵐だったことはたしかで、できることなら最後であった欲しいな。そういえば、きのうは3月1日。。やっぱり言い伝えの通り、3月はライオンのごとく吠えながらやって来たと言うことか。少し遅れて夜になりはしたけど。我が家の周りは停電も被害もスカイライトからの雨漏りもなしで、とにかくやれやれ。

あした予定の新しいコンピュータとプリンタの接続と設定のために、急遽いくつかオフィスの家具を動かして、模様替えすることになって、そのためにまずはゆうべ寝る前にパラパラッとにわか雨のように降って来た小さい仕事2件を特急で仕上げて納品。まあ、模様替えそのものはさして大げさなものではないけど、本棚一つを動かすにも、まずあっちこっちにうずたかく積み上げてある「ガラクタ」を撤去しなければ始まらない。家を建てたときに八角塔からずっと壁に沿って造り付けにしたデスクは、不規則な形で端から端まで10メートル以上。その上も下も、段ボール箱やらバインダーやら、とにかく目も当てられない状態で、徹底的に片付けるには今を逃したらチャンスはなさそうだもんね。

京都大学を初めとする有名大学の入学試験の問題がネットに投稿された事件は、投稿した学生が特定されたらしいけど、翻訳教育にも関わっている同業者がそのうち2つの和文英訳の問題とそれに対する「ベストアンサー」の回答を仲間内の掲示板に載せて、ひとつの答に「う~ん」の評。たしかに、翻訳者の目から見たら「う~ん」としか言いようがないんだけど、もうひとつの答は英語としてはまったく意味をなしていない。どうもネットの自動翻訳機能を使って訳したものを「答」として投稿したらしいということだった。それってカンニングと似たようなことじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう。少なくともいい加減だな。でも、ネットを使ってのカンニングには、ネットを使ってのカンニングで応じる、というのは皮肉といえば皮肉だな。少なくとも褒められたもんじゃないけど、ちょっと何かをググると同じ文面を掲載したブログがわんさとヒットするくらいだから、考えずにいわゆる「コピペ」するのが習い性になっているのかもしれない。

夜、テレビのニュースを見ていたら、どうも5月あたりには連邦議会の総選挙がありそうという話。なにしろ数年もの間ずっと少数政権だったんだけど、野党3党のうち、自由党とケベック連合がすでに予算案反対を決めていて、鍵を握るのは一番左よりの新民主党。この3党がそろって反対投票したら予算は確実に否決され、予算案の否決は内閣不信任と同じだからs、即議会解散、総選挙となる。もっとも、世論調査ではハーバー政権の支持率はライバルの自由党に対するリードを開いていて、今すぐに総選挙をしたら、保守党が過半数を確保する可能性があるというから、野党にはあまり有利とはいえない状況なんだけど、ま、そこは政党同士のパワーゲーム。どうなることか、おもしろそう。

だけど、今年は11月に市制選挙があるし、去年の7月から実施された統合売上税(HST)の賛否を今ごろ問う州民投票が当初予定の秋から6月に早まる可能性があるし、その州政府は与党が新しい党首を選んだばかりで、野党ももうすぐ党首選の投票があるから、ひょっとしたら今年中に州議会の総選挙もありそう。なんだか投票所に通い詰めのような忙しい年になりそうだなあ。ま、政治談議大好きのワタシは、なんとなく楽しみな気もするからいいけど。

さて、クライアントには臨時休業のお知らせをしたし、そろそろ「本日の営業終了」の看板を出して、腹ごしらえをしてから、デスクの下にもぐっての春の大掃除の前哨戦と行こうか・・・。

外では雷様が暴れても・・・

3月3日。木曜日。やっぱり割とは役目が覚めた。そそくさと朝食を済ませて、オフィスの春季大掃除。まあ、よくこんなにガラクタやら何やらがあるもんだと思うくらい、どこもかしこも山積み。作業ができるスペースを確保したところで、コンピュータの電源を外したり、当面は2台併用になるので、じっくりと配置を考えたり・・・。

結局、古いCPUはほぼ元の位置のままで、モニタを右側に90度移動。元のモニタの位置に新しいPCを置くことにした。これなら椅子を90度回すだけで両方を楽々使える。なにしろ、新システムにすっかり慣れるまでの「当面の措置」。

どんどん雲が厚くなる中、テクニシャンが登場したのは3時半を回った頃。さっそく旧システムのクリーンアップにかかり、「おっそいなあ」と感嘆。「よくこんなんで仕事できるね」と。いや、できなくなってきたから新しいのに切り替えようというわけなんだけど。システムの診断をやっている間に、新しいPCを手早く設定して、ネットの接続があっという間に完了。Office 2010をインストールして、新しい経理ソフトをインストールして・・・さすが、手際の言いの何のって。立ち上がった新システムの大きなモニター、明るいし、何よりも15インチから21インチへの格上げだから、すごく大きく見える。でっかい箱とでっかいCRTモニターの時代がずいぶん遠い昔になったような気がするなあ。

さて、一番の作業はプリンタのネットワーク化。新旧4代のPCでシェアしようと言うので、USBケーブルやら無線LANやら、聞いているだけで頭がこんがらがってくる。作業をテクニシャンに任せて、キッチンに上がって夕食のしたくを始めたところで、雪なんだか、あられなんだか、猛烈な降り。とたんに、突然バッと外で閃いたものがあって、頭上で猛烈な雷鳴。おいおい。こんなに近くゴロゴロやられては困るんだけど。それでも、2度目は少し遠のいて聞こえ、3度目はなく、そのうち雲が切れてさあっとさして来た夕日が虹をかけた。ベースメントでの作業には支障はなかったらしい。電源のバックアップとサージ防止のキカイを使っていたおかげかもしれないな。なにしろ、ゴロゴロドッカンなんてもんじゃない、あんな雷は初めてというくらいのすごさだったから。

できあがったスモークサーモンのパスタを「スナックにどうぞ」とオフィスで奮闘中のテクニシャンに差し入れして、夕食。終わった頃にはプリンタの設定も完了して、テクニシャンを送り出し、さあて、これからがいろいろとめんどう。まずは日本語環境の設定から。その後はメールソフトをインストールして細々と設定して・・・と、始めたはいいけど、メニューは日本語で表示されるのに、受信箱も送信箱も何もかも日本語の部分だけ「?」に化けている。困ったなあ。まあ、どれがどれなのかはアイコンを見ればわかるから何とかなるけど。、どうしよう。そうこうしているうちに、飛び込んできたメール第1号が仕事の話。あ~あ。

でも、タッチスクリーンはいいなあ。何でも指1本でやれてしまう。無線のキーボードとマウスのスイッチを切って、アプリケーションを起動したり、終了したり、画面をスクロールしたり、ファイルを選んだり、指先でちょいちょい。入力が必要なら左の端に隠れているソフトキーボードを引っ張り出せばいい。マウスを持つ手が痛いことが多くなったから、これからはちょっと楽をできそう。こういうことなら、技術の進歩はいいもんだなあ。

まあ、オフィスの後片付けはあしたにして、少し遊んでみようか・・・。

異国で立ち往生する女性たち

3月4日。金曜日。きのうはいつもの日常と違う一日でくたびれたのか、ベッドに入ったとたんにぐ~っすり。カレシはかなり早めに起き出したらしいけど、ワタシはとにかう正午近くまで寝て、それでもまだ何となく疲れた気分で起床。年なのかなあ、やっぱり・・・?

細かなファイルがごそごそと入って来たけど、今日とあしたは時差の関係で日本は週末。まあ、オフィスの整理整頓が半分、仕事が四分の一、遊びが四分の一と言う割り振りかな。カレシは「なんだ、iPadのお化けみたいなもんだな」と言うけど、タッチスクリーンの操作はマウス世代にはちょっと体得すべきコツがあるような感じがする。でも、カレシの言うとおり、近い将来の「マウス」の絶滅を予言するような技術だと言えるかもしれないな。新しいプリンタだって、コピー機、スキャナとして使う場合はタッチ方式のパッドで操作するわけだし、地下鉄でダウンタウンへ行くのに切符を買うにもタッチスクリーン。カレシとワタシが初めてPCを買ったのが1987年だったから、わずか四半世紀の間にコンピュータ技術は人類の歴史の観点から見たらナノ秒で進歩したということか。まあ、指先だけでさまざまな文明の利器を操作できるというのは、これからどんどん高齢化する先進社会では大きな意味があると思う。

DOSの時代から初めたワタシは、最初に普及したWindowsの(たしか)3.0に移行したときも同じようにマウスを操作するコツをつかむのにイライラした経験があるし、それよりずっと、ずっと前にたどって行けば、就学前に左利きを「矯正」するという、言うなれば脳全体の「新システム移行」を経験したおかげで、「やり慣れた方法が変わる」ということが相当なストレスになり得るのはよくわかるけど、理不尽とも言える左利き矯正のストレスに比べたら、コンピュータのOSの更新で脳みそが被るストレスなんて問題にならないと思うけどな。だって、キカイの思考過程なんて、人間がてんで好き勝手に使って来た「脳力」に比べたら、「あたりまえ」から外れることがないだけ、「mind reading(読心術)」が不要で、コツを体得してしまえば楽々じゃないの?

新聞サイトを巡回していて、地元のVancouver Sunのサイトにローカルの日本語掲示板に掲載されたら炎上しそうな記事があった。バンクーバーのYWCA(キリスト教女子青年会)理事長の話を取材した記事で、カナダ全国で衣食住どころか教育や医療サービスさえ受けられないでいるカナダ生まれの子供たちが数百人、いや数千人いて、バンクーバーだけでもYWCAが世話をしたケースでは50人以上になるとか。子供たちが基礎的な社会サービスさえ受けられないのは、父親がカナダ人であっても、母親が永住資格を持っていないためで、市内でYWCAが運営するシェルターのうちの1ヵ所だけを見ても、そこにいる女性の70%がそのケースに該当するという。

子供の父親とはカナダ渡航前に知り合っていたケースがほとんどで、インターネットで知り合ったり、女性の国で出会ったケースもあるが、学生ビザや短期就労ビザなどでカナダに来て知り合ったケースもある。共通しているのは、この女性たちがDVに遭いながらも永住権申請のスポンサーになるという相手の男性の言葉を信じて我慢をしていたのが、どうにもならなくなって別れを切り出したら男性がスポンサーになることを拒否、あるいは関係の破綻を理由に撤回してしまったために、生まれた子供がカナダ国籍を持ちながらカナダ国民としての当然の恩恵を受けられなくなってしまったのだという。

こういう話は移民大国のカナダでは別段めずらしいことではない。何年か前に移民法が大幅改正されて、それまで10年間で撤回可能だったスポンサーシップが撤回不能の3年間になったのは、外国から来た妻がスポンサーの地位を利用したDV夫の虐待に耐えてきたという歴史がある。第二次大戦、朝鮮戦争が生んだ戦争花嫁しかり。自国で出会いのない男たちがアジアから呼び寄せるメールオーダーブライドしかり。スポンサーが降りてしまえば、永住権を剥奪されて、子供をカナダに残して出身国に強制送還される可能性が高かった。カレシがワタシのカナダ国籍取得に猛反対した背景にもそういう心理がなかったとは言えない。つまり、今は「家族クラス」で永住権を申請するにはまずスポンサーとなる人が資格申請をしなければならなくなっているから、この記事の女性たちの相手が「スポンサーをやめた」と言うのは、スポンサーとなる承認を得るための「申請」を撤回したということになる。

記事を読んで日本人が知ったら騒ぎそうだと思ったのは、バンクーバーYWCAに相談に来た女性たちの三分の一が日本人だったということ。他にはメキシコ人が13%、アメリカ人が13%、その他がアジアとヨーロッパの各国から来た女性だったという。つまり、この数字では「カナダに来て、カナダ人男性との間に子供を産んだけど、何らかの理由によって永住権を得られないまま、働くこともできず、医療保険に入れず、子供に教育を受けさせることもできないでいる日本人女性」が他国からの女性に比べて目立って多いということになる。そこにはいろいろな解釈があるだろうけど、結婚するなり事実婚として認められる実績を作るなりして、永住権の申請手続きを完了してから子供を作っても遅くはないだろうに、どうしてそんな状況に陥ってしまったんだろうという疑問が浮かんでくる。
                                    
というのも、いったんスポンサー資格が認められて、相手が永住ビザを取得したら、たとえ結婚・事実婚の関係が破綻しても、契約期間中は扶養義務が継続し、相手が公的な生活保護などを受けた場合には政府がその費用を請求するしくみになっている。つまり、そういう手続きが完全に終わって、カナダでの地位が安定しないうちに子供が生まれてしまっているということだけど、先進国日本で大学教育を受けたであろうはずの日本女性がバンクーバーYWCAが扱った相談の三分の一を占めたというのは、どういう意味を持つんだろう。もちろん、子供の父親であるカナダ人男性のいい加減さは責められるべきだけど、日本では妊娠してから結婚する、いわゆる「できちゃった婚」が多いそうだから、その延長線上でのことだったのかな。でも、日本の法律では婚姻届を市役所に持って行って受理してもらえばそれで結婚が成立するけど、カナダの法律は違う。国境を越えたら「自国と同じ」を期待することはできないということは思い及ばなかったんだろうか。

この記事が日本のメディアの目に止まることはないだろうけど、ここにいる日本人たちがもし記事を読んだら(だぶん読んでいないだろうけど)どういう反応をするのかな。まあ、だいたいの見当はつくけど・・・。

報ハイウェイは渋滞中です

3月5日。土曜日。何となく疲れた気分のまま、正午直前に起床。朝食のオレンジジュースが、きのうスーパーが閉まる前に買い物に行くつもりで忘れてしまったせいでコップに半分ずつしかないはずなのに、ほぼいっぱい。カレシが冷蔵庫にあった白ワインを足したんだそうな。なるほど、オレンジジュースにシャンペンだと「ミモザ」。シャンペンは基本的にワインだから、バブルなしのミモザというところか。

今日はまずあしたの午後が期限の仕事の方を先に片付けて、納品を済ませてから、新しいシステムの設定をいじることにした。ネットへの接続は新システムの方に移ったので、旧システムは完全にオフライン。勝手に常時アップデートしていたものが停止したせいか、全体的にスピードアップして、作業がやりやすくなったから皮肉。やっぱり一番の元凶はエクスプローラだったんだろうな。カレシが自分のPCを調べて、いろいろなアプリケーションのアップデート探しがメモリの半分を食ってしまっていたとこぼしていた。なるほど、ノートン君はライブでアップデートしていたし、Flash Playerだ、Javaだと、やたらとアップデートのお知らせがあったし、Officeもいつのまにか微妙に変わっていたりしていたから、こういうのが勝手に「常時接続」で場所取りをしていたんだろうな。便利なようでどんどん不便になるような気がするのは、情報ハイウェイが渋滞しているせいってことなのか・・・。

新システムは現在一番の問題がメールソフト。ノリマツさんという日本人が作った「Becky!」というソフトをもう長いこと使っているんだけど、Windows 7対応の最新版をインストールしたのに、スムーズに行かない。送受信には問題がないし、日本語メールの表示も問題はないんだけど、メニューの文字がぜんぶ疑問符に化けてしまっている。「受信箱」も「???」だし、「送信箱」も「???」だし、メニューを落とすと、まあすごい「?」の行列。いや、「?」なのはこっちの方なんだけど。Beckyちゃん、どうしちゃったんだろう。あ~あ・・・。

まあ、あっちこっちをいじり回して、コントロールパネルの言語設定に戻って、「Unicodeに対応していないプログラムの言語」というのがあったので、ためしにSystem Localeというのを「日本語」に変えて再起動してみたら、あ~ら、見慣れた日本語のメニューに早変わり。なあんだ、簡単じゃないの・・と思ったら、今度は日本語のファイル名がついた添付ファイルを保存することも、開くこともできなくなってしまった。あ~あ、Localeを変える前にはファイル名は文字化けしたけど、とにかく指定のフォルダに保存できたんだけど、ファイル名が英語ならまったく問題がないのに、日本語だといくらクリックしても何も起きないし、転送もできないし・・・。困ったねえ、もう。

システムの切り替えというのは、仕事に支障が出ないようにやらなければならないから、ほんとにストレスがたまる。これが使い慣れたPCが壊れて、急遽買い替えという場合だったら、仕事どころじゃなくなって大変なところだった。タッチスクリーンはだんだん慣れて、これはすごく便利で使いやすいと思うようになって来たけど、稼業の心臓みたいなOffice 2010となるとまったく別の話で、はい、そうですかと引っ越すわけには行かないから、よけいにストレスがたまりそう。込み入った法律文書を訳す方がずっと楽だと思ってしまう。人間語と機械語のバイリンガルじゃないもので、思い通りに動いてくれないキカイを相手にしていると疲れる。(キカイはくたびれたときに機械語でなんと愚痴るんだろうな・・・。)ああ、情報ハイウェイのどっかにサービスエリア、ないのかなあ・・・。

大そうじをすると出てくる過去のこと

3月6日。日曜日。いい天気だけど、頭はなんとなくぼや~ん。身体はまだいいけど、脳みその方はとっくにあちこちで配線がショートしているような気がするけど、とにかく、今日は日本で月曜日の朝が始まる前にオフィスのレイアウトを整理しないど・・・。

デスクは新しいPCを古いPCがあったところに置いて、古いのは時計回りにL字型。これだと古いCPUを動かさずに済むから楽だし、新しいので資料を検索しながら、古いので翻訳作業を進められる。もう20年近く前、まだOSがあまり賢くなかった頃は(といっても今でもあまり賢いとはいえないけど)、当時は主力だったMac他に、PCがWindowsの日本語版と英語版1台ずつあって、1台のモニターをスイッチで共有していた。あの頃はKさんという日本人にシステムの日本語環境化や設定をしてもらっていたから、OSやソフトの世代が変わっても電話1本で出張して来てくれた。今頃はもう引退したのかか、あるいはビジネスをたたんで日本に帰ったのか・・・。

ハードウェアの配置が決まって、次は今まで足元にあったバックアップ電源をデスクの上に移動する作業。退役する古いファクスがモデムと共有している電話線を外したら、どれをどうつないでいいかわからなくなって、デスクの下に何本も這っている電話のコードとしばし格闘。一番長いのはなぜか7、8メートルはあるから呆れる。結局はモデムだけを保護することにして、不要になったコードは段ボール箱に貯まった「コレクション」行き。デスクの下にもぐったり、ドリルでコードを通すための穴を開けたりの大奮闘で、ああ、腰が痛い。でもまあ、夕方までにはオフィスは一応の「新装開店」にこぎつけた。やれやれ。ついでに山になっていたごみやガラクタを整理したから、デスクの上はすっきりした感じ。ま、いつまでこの状態が続くかは、極楽とんぼ流の風まかせだけど、こんなぐあい↓[写真]

大掃除のときの定番のようなもので、デスクの下に放置されて埃まみれになっていた書類のバスケットから印刷した古いメールが何枚も出てきた。日付は1999年。その頃、日本在住の外国人たちの「プライベートクラブ」みたいなPandAという小さなメーリングリストに、同業のイギリス人の紹介で仲間入りしてあれこれと議論や他愛のないおしゃべりをしていた。今は自然消滅して数年になる。メールの主はオレゴンに住んでいたアメリカ人のリーと東京に住んでいたイギリス人のロジャーで、どれもカレシとのことで悩んでいたワタシへのアドバイス。何度か離婚した苦労人のリーはワタシのことを「小さな妹」と呼んでくれて、第三のカウンセラーのような存在だった。一人娘を乳がんで亡くして、しばらくひとりになりたいからとリストを退会してから音信普通になった。ロジャーは男性の視線でワタシの疑問に答えてくれている。読み返してみて、あの頃いろんな人たちに話を聞いてもらって、みんなの精神的な支えに助けられて、人生最大の荒波を乗り越えられたんだと思うと、涙が出で来そうになった。今、リーは70代、ロジャーは80歳に手が届く年になっているだろうな。他の仲間たちもほとんどが60代後半から70代。みんな、元気でいてほしい。

今の自分の幸せを実感しながら、なつかしいメールをファイルキャビネットのパーソナルファイルに大事にしまって、新システムでWord 2010を使う練習を始める。いきなり2003からの移行だからか、かなり勝手が違うなあ。まあ、ぼちぼちカスタマイズすることにして、まずはブログ関連のファイルを移して練習、練習。Beckyちゃんはまだ少々ぐずっているけど、新システムへの移行はちゃくちゃく・・・と行っているといいけども。

カスタマイズできること、できないこと

3月7日。月曜日。いい天気。昨夜は霜が降りていたけど、日が昇ると春の陽気。それにしても朝っぱらからやたらと騒々しいと思ったら、家の外の三叉路を半分交通止めにして電柱を取り替える工事。今日中に納品する仕事があるんだから、電線をショートさせて停電なんてことにならないように気をつけてよね。

朝食の後、コーヒーを飲みながら、今日届いたばかりのMacLean’s誌をのんびりと読んでいたら、「Cross-border love」という記事に目を引かれた。グローバル時代とインターネット時代が重なって、カナダ人が世界のあちこちで異性と出会う機会が増えた。まあ、異国人同士の出会いなんて、人類が地球上に広がり始めた太古の時代からあったことだけど、二十一世紀の今はポスト9・11の時代。国境を越えて愛しあったカップルが結婚してカナダに落ち着こうとすると、「ビザ」という大きな壁が立ちはだかるというもの。それだって、ビザや永住権申請のプロセスを経験した身としてはさして新しい問題とは思えないけど、あれから世界の事情は大きく様変わりしたし、カナダの移民法も何度も改正されたし・・・。記事に登場するカップルは夫がカナダ人、妻がイギリス人で、留学先の香港で出会ったんだそうな。

紆余曲折を経て、法律の学位を持つ彼女は弁護士事務所で受付をしながら、永住権が承認されるのを待っている。その一方で、駐在先のメキシコで出会ったカナダ人男性とメキシコ人女性のカップルは、ビジターとして婚約者に会いに来るためのビザさえ拒否されて、とうとう別れてしまったという。年間25万人近い移民の大半は「家族」のカテゴリで、偽装結婚も多いらしく、毎年5組に1組は(たとえ法的に結婚していても)永住権申請が却下されているという。移民手続きを商売にしている弁護士たちは、役所には人間のロマンスの真偽を判断する権利はないと言うけど、偽装とまではいかなくてもカナダに留まるための便宜上の結婚が多いのも事実。「夫婦」とみなされるだけの関係があってもそこに「愛」があると立証するのは難しい。同じ国の人間同士だって、愛し合って結婚したのか、条件が合ったから結婚したのか、それを知っているのは当事者だけだろうと思う。

まあ、この世に男と女がいる限りは、人種や文化の違いに関係なく、どこかで出会えば熱烈な恋に落ちることがあるだろうし、逆に打算的な理由で結婚することだってあるだろう。地球上をいろんな人たちが駆け巡るグローバル時代になって、これまでの常識や法制度が対応しきれなくなっているということかもしれない。考えたら、ワタシたちの頃はカレシの側に法的な障害があったのに(移民の数そのものが少なかったから)移民局は個別の対応をしてくれて、今とは比べものにならないほど短期間で永住ビザが降りた。あのときの状況を今現在にあてはめたら、ワタシが配偶者として永住権を得られるどうかわからないな。ま、ワタシとカレシにとっては「国際結婚」はもう遠い昔の話。申請料などは一銭もかからなかった、ほんとにのどかな時代だったんだろう。生まれるタイミングが良かったということかもしれない。

記事によると、年齢差のある「国際結婚」の場合、妻がカナダ人で外国人の夫より年上だと却下される確率が高いのに、逆の場合はかなり低いとか。何だかすごく旧弊な思考があるような感じがするな。要するに、カナダ人のじいさまたちは外国から若い嫁さんをもらえるのに、カナダ人のばあさまたちはイケメンの若いツバメをゲットしても、カナダに連れて来れないということで、何だか不平等もはなはだしい。カレシは若いオンナノコと楽しい第??の人生を夢見ることができるのに、ワタシがカッコいい若いオトコと結ばれるのはダメって、男女同権、機会均等に反するでしょうが。ふん、かわいいだけでおつむは空っぽの若い嫁よりも、元気のいい若い婿さんもらうほうがカナダの経済にはずっとメリットがあると思うんだけどなあ。

さて、今日は背中と肩が痛いけど、オフィスは一応普通に営業できる状態になった。小さい仕事をやっつけて、新しいシステムのカスタマイズを始める。普通のユーザーはマニュアルと首っ引きでやるしかなかった大昔と違って、何だって「マイ何とか」でカスタマイズできる今はコンピュータとの付き合い方も十人十色だからおもしろい。ま、婿さんをカスタマイズすることはできないけど、キカイのtinkering(いじくり回し)はワタシの得意とするところ・・・。

宝くじで老後の生活資金って?

3月8日。火曜日。正午前に起きたけど、まだ何だか寝足りない気分。どうしてかなあ。ちゃんと寝ているつもりなんだけどな。やたらとおなかが空く感じがするし、やっぱりここんところちょっとストレス気味だったせいかもしれないな。でも、ここでへたれているわけにもいかないから、とりあえず朝食を済ませて、元気が出たところでまずは買い物。

今日は3ヵ所を巡回。その一は、Williams Sonoma。炭酸水を作る炭酸ガスのカートリッジが2本とも空になったので、新しいのと取り替えてもらいに行く。Soda Streamというブランドで、空のカートリッジを持って行くと新しいのが約4割引きになる。ロケット砲弾のような形をしたカートリッジ1本で約30リットルくらいの炭酸水ができて経済的だし、空き缶やボトルのリサイクルの手間もないのがいい。巡回のその二は酒屋。ワインの空き瓶を返して、新たに我が家のハウスワイン「Starborough」ソヴィニョンブランを1ケース。ついでにワタシのレミを買って、『TASTE』の最新号をピックアップ。これは無料の季刊誌で、公営の酒屋が発行しているとは思えないくらい豪華な雑誌で、有名レストランのシェフのおしゃれなレシピが楽しみ。巡回ショッピングの最後は野菜類の買出し。まだそれほどの値上がり感がないのはカナダドル高のおかげだろうな。

騒乱やら旱魃やら洪水やらで、世界的にいろんなものが値上がりしているそうだけど、北米のメディアの関心はもっぱらガソリン代の高騰。まあ、車社会だからなんだろうけど、公共交通機関の利用率が高まっているというのは環境的にはいいことだと思うな。電気自動車の改良と低価格化も進むだろうし、バイオ燃料に向けられる食料作物の割合も減るかもしれないな。食料品の輸入コストが上がれば都市近郊農業の「工場化」による地産地消が発展するだろうし、北国で1年を通して新鮮な野菜を栽培するためにソーラー発電の技術革新も進むだろうな。その先には何が待っているんだろう。あんがい物流と消費のグローバリゼーションが後退して行くのかもしれないな。

きのう読んでいた雑誌には義務教育のカリキュラムにお金の扱い方や経済知識を教える科目を取り入れる州が増えていると書いてあった。なにしろカナダでは世帯あたりの借金の割合が借金漬けといわれるアメリカのそれを超えているんだそうで、インフレが起こって金利が上昇し始めたらかなり危ない状況の仮定が多いという。もっと危なっかしいのは老後が視野に入っているベビーブーム世代の生活設計。ひと頃は世論調査をすると、「親の遺産」が老後の生活資金源の上位に上がっていたもんだけど、最近は「宝くじの賞金」が上がっているんだそうな。公営の宝くじは低所得者層の生活資金を吸い上げるから悪であるという意見がよくあるけど、どうやら最近は中流階級が宝くじ購買層の主流になっているらしい。一攫千金で悠々自適の老後を、ということらしいけど、その確率は何千万分の一。宝くじに投入する資金をコツコツと貯めたほうが効率的なんじゃないのかなあ。

バンクーバーは家の値段が超ばか高くて、平均的な市民にはどんなに条件が悪いところでも戸建てはおろかタウンハウスやコンドミニアムも高嶺の花。特にオリンピックで開通した地下鉄沿線は相場が急騰して、市がもくろんでいる総合再開発の計画もご破算になりそうな状況だとか。でも、今日ウェストサイドで目に付いた「売家」の看板には軒並み「売約済」の札がついていた。日本円にして軽く1億や2億はするはずだけど、普通のカナダ人が買えないとしたら、いったい誰が買うんだろうと思うけど、ほとんどが中国本土からの移民だそうな。中国経済が日本を追い抜いたのは知っているけど、国民の所得水準がまだ高いといえない中国で、いったいどうしたらそんな資金を貯められて、国外へ持ち出せるのか、ちょっとしたミステリーだな。みんなジャンボ宝くじで大当たりしたラッキーな人たちなんてことは、どう考えたってありえないよなあ。

ま、あと2年と1ヵ月に迫った「定年」の後の人生を一攫千金に頼らなくてもいいように、ワタシはぐいっと腕をまくって、きりりと鉢巻を締めて、しっかりと日々の糧を稼ごうっと。

女の敵は女は女の敵

3月9日。水曜日。なんかあまりよく眠れていない。ごみの収集で騒々しかったせいもあるけど、1時間かそこいらおきに目が覚めて、別にごちゃごちゃ考えごとがあるわけじゃないのに、眠りに戻れない。ま、それでもシステムの切り替えは順調だし、あちこちをいじってみては、「あ、なんだ、こうするのか」と発見して、さっさとカスタマイズ。だんだんワタシ「らしい」システムになって来た。

きのうは「国際女性デー」だったんだって男女同権、機会均等、女性の自決権の確立を求めてウーマンリブが先進世界を席巻してからずいぶん久しいな。最近は「ウーマンリブ」という言葉さえ聞かないから、きっともう死語になったのかもしれないな。ワタシがカナダで公務員になった頃は女性の地位向上のための運動が盛んだった。どんな運動でも先駆者が変革を急ぐあまりに極端に走る傾向があるけど、北米のウーマンリブもその例にたがわず先頭に立った女性たちは「男偏重」を社会の隅々から排除しようとしたっけな。その多くは女性を含む一般社会に定着することなく忘れられけど、たとえば、「man」を「person」に置き換えた多くの語が今ではごく普通の語彙になっている。この30年に法制度も社会制度も男女の機会均等の精神を踏まえた変化を遂げてきたと思うけど、最近は「男のおちこぼれ」が話題になる。大学は医学部も男性の領域だった工学部も今では女性が大変を占めるようになり、女性が元気すぎるために男性が意欲をなくしているという議論さえ出て来る。おいおい、それも女のせいだと言いたいの・・・?

対照的に、中国に抜かれたとはいえまだ世界トップクラスの経済大国である日本は、国連の人間開発指数や女性の社会進出度のような評価は先進国グループにさえ入らない低いランク。政界にも産業界にも男性に立ち混じって指導力を発揮している女性が極端に少ないし、機会均等法があるのにキャリアを伸ばす女性は少ないし、世界の先進国に倣って産休や育児休暇の制度を導入しても、子育てをしながら働き続ける女性は専業主婦になる女性よりもずっと少ないだろう。若い女性たちは働き続けうるよりも男に養われたいと思っているらしい。収入の少ない男は家族を養う気概がないと批判されるし、身を粉にして養ってやれば家事や育児に参加しないのは最低だと批判されるし、結婚したくなくなる気持ちもわからないではないな。女性の社会進出を促進する制度は一応は先進国並みなのにどうしてだろうと思うけど、小町横町の井戸端会議から察するに、建前と本音を使い分ける企業文化に加えて、女性自身が専業対兼業、子持ち対子なし、既婚対未婚等々、女性同士で足を引っ張り合う二項対立の社会観に縛られているように見える。

昔からの政治戦略に「divide et impera(分割統治)」というのがあるけど、日本の女性社会の現状はまさに分割統治の観があると思う。女性社会を分断して、おいしい思いをしているのが誰なのか。やっぱり古い世代の男だろうな。自分がなければ結局は他人のものさしで自分を測ることになる。たぶんそこをうまく利用して、表向きは女性を蝶よ、花よと煽てて、裏ではすべてを自分の位置を基準にした上下関係で評価する風潮を作って煽られた女性同士を対立させて、自分たちの領分を守っているのかもしれないな。女性同士が団結して政治や企業を動かせば、専業主婦でも働く奥さんでもアラなんとかの独身でも、みんながそれぞれに生き易い人生を選択できると思うんだけど、うまく謀られてしまっているような感じがしないでもない。

最近の小町に、たとえデスクワークでも長く働き続けるのは無理だという20代の女性からの投稿があってかなりの賑わいだったけど、「働く女性はなぜ働かない女性に冷たいのか」とこぼし、体力がどうのこうのと言い訳をした挙句、しまいに「なぜ働かないという選択が評価されないのか」というよくわからない主張になったから非難ごうごう。まあ、要するに働きたくないということなんだろうけど、理解ある婚約者がいるんだったら「働かない」選択をして、後は自分がしたいことをのんびりやって人生を過ごせばいいだろうに。若い人が身体も精神もすごくひ弱そうなのがいつも不思議なんだけど、今からそんなへたれだったら、老後まで行き着くどころか、先に国が滅びてしまうかもしれないよ。せっかく「女性の日」があるんだから、女性は何をしたらいいか、何ができるか、ちょっと考えてみたほうがいいかもね。かのジェームズ・ボンドだって女装して考えたんだから・・・。

何もかもそれどころじゃない

3月10日。木曜日。わりとよく眠れた気分で目が覚めた。システムの移行が軌道に乗ってきて、おまけに今日は納期の心配がないからかもしれない。人間の身体のシステムはうまくプログラムされているらしい。旧システムではよくプログラムが応答しなくなって、強制終了するたびに「問題を報告せよ」というメッセージが出た。いつもその頃にはかっかと頭に来ているもので、「送るな(Don‘t Send)」をカチッ。あれと同じようなものなのかもしれない。ワタシの身体のシステムはプログラムがうまく作動しなくなったら(つまり、ストレスホルモンのグルココルチコイドが増えすぎたら)自動的に報告を「送る」ことになっているんだろうな。ふむ、なんか単純にできているような気がしないでもないけど・・・。

外は明るいけど、かなりの風。まっ、雨や雪をご同伴してでなければ春何番目が吹くのも乙なもんだなあ、と思っていたら朝食の最中にささ~っと曇って来て、さ~っと雨。へえ~と思っているうちにいつの間にか雨が上がっていた。まずは洗濯機を回して、電話料金とケーブル放送の料金の支払い。新システムのキーボードは無線だから、タッチのソフトキーボードでパスワードを入力した。どれだけ安全性が向上するのかはわからないけどね。郵便をチェック。ロンドンにあるFolio Societyから新しい限定版発行のお知らせ。スペンサーの『The Faerie Queene』で、箱入り3冊セットが通し番号つきで1000セット。白い革に金色のデザインは豪華そのもの。だけど、送料・保険料・税金込みでゆうに1000ドルを超えるから、小さい頃にデパートで母によく言われた「触らないで見るだけよ」を実行。こういうのは番号が「1」ならいつか少しは価値が上がるのかもしれないけど、そうでなければ趣味の域を出ないな。まあ、本を積読するのが(今のところ)ワタシの趣味だから。

・・・のんきにブログなど書いていたら

カレシがどたどたと階段を駆け下りてきて、「日本の北の方で大地震だって」と。さっそく日本の新聞サイトを見たら、震度6とか7とか。マグニチュードは8前後というから、被害がたくさん出そうだな。津波警報も出ているし、何でもかんでも「それどころじゃない」という感じ。東京でもすごい揺れだったようだけど、みんな、大丈夫なのかなあ。火事も発生しているというし、ほんとに大丈夫なのかなあ。テレビをつけて、BBCのニュースを見なくちゃ・・・。


2011年2月~その2

2011年02月28日 | 昔語り(2006~2013)
ライラック色の夕空は何の予感?

2月16日。水曜日。ごみ収集トラックの音で目が覚めたらまだ午前7時をすぎたばかり。ちょっと耳をそばだてたら、うわ、窓に雨が叩きつけられる音がする。いつも(外の音に過剰反応して眠れなくなるカレシのために)BGM代わりにひと晩中流している安眠脳波サウンドの「降りしきる雨」の音よりもすごい。雨の音が2つ重なったら土砂降りもいいところだけど、ああ、勤め人でなくて良かったあと思う瞬間・・・。

ちなみにこのサウンドマシン、安眠用、リラックス用、脳の活性化用の3種類の脳波を導き出すのに効果があるちうサウンドがいくつかずつ入っている。マシンを使い始めたのはもう15年くらい前からで、今のはぐんと進歩した2代目。先代のキカイでは「波打ち際の音」をよくかけていたけど、あまり音質は良くなかった。買い替えて5年くらいになる今のキカイは技術の進歩のおかげか、降りしきる雨に混じってぴちょぴちょと落ちる雨だれの音も聞こえるくらい質が良い。まあ、海際で育ったワタシはどっちかというと波の音に揺られて眠る方が好きなんだけど、雨の都バンクーバー育ちのカレシはやっぱり「雨の音」。(じゃぶじゃぶ降る音を聞いた友達に「夜中にトイレに行きたくならないの?」と聞かれていたけど、子供だったらおねしょをしてしまうかなあ。)安眠効果が良すぎて、旅行先にも時計つきの小型のを持って行く始末・・・。

正午前に起きて、朝食を済ませて、シーラとヴァル(とレクシー)が来る頃には雨風が止んで曇り空。気温は5度。カレシがネイバフッドハウスでのミーティングに出かけたので、その間に切れていたドアオープナーの電球を取替えにガレージへ。オープナーがガレージのど真ん中の頭の上にあるもので、車があると取り替えられない。どういうわけか知らないけど、電球が切れているのを発見して「切れてるぞ~」と知らせるのはいつもカレシで、その切れた電球を取り替えるのはいつもワタシ。電球を取り替えるなんて、女子供にだってできてしまうくらい簡単なことなんだから、大の男にできないはずはないと思うけどなあ。そういえば、何かが故障したときにも、「壊れている」と知らせてくるのはカレシで、点検や修理をするのはいつもワタシ。まあ、子供のときによく母に「アンタは器用貧乏」と言われたもんだけど・・・。

車がなくて妙にがらんとして見えるガレージの真ん中で、脚立に登って、照明のカバーを外して、新しい電球に取り替えて、ふと下を見たら、いつのまにかレクシーが入って来て見上げている。プードルとコッカースパニエルの雑種だそうで、「コッカプー」とかいうらしい。クリームがかった白い巻き毛とふさふさした耳と尻尾がいいし、ルックスもワンちゃんとしては「美犬」だな。悪質な繁殖業者のところから救出されてシェルターにいたのをシーラが引き取ったもので、初めはおどおどしていたのが、やっとワタシにも慣れてくれたらしく、この頃は「遊んで~」というモーションをかけて来るようになった。掃除の間、ちゃかちゃかと家の中を走り回ったり、天気のいい日は二階の陽だまりに寝そべったり、束の間だけペットがいるような気分になる。たぶん、ときどきお守りをする孫と同じで、「ときどき」だからかわいいと思うのかもしれないけど。

ミーティングから帰って来たカレシ、ロバータが今後の暫定的なプランを全部OKして、土曜日の午後に教室をやるなら、閉館後でも誰かを受付に残すと言ってくれたとうれしそう。まあ、カレシの英語教室はハウスのプログラムの一部になっているし、微々たるものだけど政府から補助金をもらっているそうだから、継続したいのはわかる。移民向けの公的な英語学級のELSAも最近は受講者が減って、政府からの資金を切られそうになっているらしい。あっちの教師は有給だから、資金が途切れたら教師はレイオフ、ELSAは閉鎖ということになるんだろう。でも、まったく無報酬のカレシは条件さえ合えばいつでも教室を再開する用意があるわけで、ロバータとしてはキープしておきたいというところか。そうか、どうやらカレシの英語教室終了は「引退」じゃなくて、再開の条件が整うか、カレシがその気になるまでの「無期サバティカル」ということになりそうだなあ。あんがい思ったよりも短そうな予感が・・・。

夕方、水平線の雲が切れて、沈む間際の夕日がパッとさして、ちょっとの間ライラック色の夕焼けになった。嵐の後だからなのか、それとも朝方には冷え込んで雪混じりの雨が降るという予報だから、嵐の前の何とかなのか・・・。

天気も家族も何となく機能不全

2月17日。木曜日。正午に起床。キッチンに下りて来たワタシを見るなり、先に起きていたカレシが、「白いものがヒラヒラしていた」と言った。ええっ?たしかに「かもしれない」という予報はあったけど、今ごろ雪なんて困るなあ。

昼のニュースはとなりのバーナビーでの突然の「大雪」のトピックがトップ。5センチくらい積もったらしく、坂道では車がずるずるとスリップ。山のてっぺんにあるサイモンフレーザー大学はバスが登れなくなって休講状態。(あんな山の上に大学を作ろうなんて考えたのはいったい誰なんだ?通学用のゴンドラを作ってはどうかという構想もあるけど、チェアリフトの方がいいかも。)メトロバンクーバーはけっこう面積が広いし、地形が複雑なせいかどうか、微小気候とかいうのがあって、正確な天気予報が難しいんだそうな。だから、バンクーバーではただの雨なのに、隣り合っているバーナビーでは「大雪」なんてことはそれほどめずらしことではないけど、「雪交じりの雨」の予報だったのが朝起きてみたら一面の銀世界というのはちょっとめずらしい。

今日は午後いっぱい仕事をして、夜は楽しみにしていた芝居。予約してあったチケットをピックアップするのに早めに行って、イアンとバーバラが来るまで近くのWilliams Sonomaをのぞきに行った。スタンリー劇場からはグランヴィル通りの反対側で2ブロック先。みぞれ的な雪がちらちらし始めたと思ったら、店に着くまでに猛烈な雪で歩道があっという間に白くなった。帰りは大丈夫かなあと心配しながら、店の中でキッチン道具を眺めて楽しんで、劇場に戻ろうと外へ出たら、雨がしょぼしょぼ。さっきまで雪が降りしきっていたのが嘘のような話。イアンとバーバラが劇場に到着したところで、バーバラが「リッチモンドで少し降っていて、途中は雨で、車を止めた頃は雪だったのに、ここまで歩いて来る間に雨になったの」と。てことは、我が家のあたりは雨ということか。それにしてもマザーネイチャー、ご乱心・・・?

芝居はトレーシー・レッツ作の『August: Osage County』(8月:オセージ郡)。2008年にトニー賞とピュリッツァー賞をまとめてもらったブロードウェイのヒット作だそうで、全3幕、2回の休憩をはさんで3時間の太作。オクラホマ州オセージ郡の暑い夏。詩人の夫べヴァリーと処方薬中毒の妻ヴァイオレット、次女アイヴィー、ヴァイオレットの妹夫婦、雇ったばかりの家政婦ジョナ。そのべヴァリーが行方不明になり、まず(実は別居中の)長女バーバラと夫ビル、十代の娘ジーンが駆けつけてくる。べヴァリーが溺死体で発見され、も自殺したらしいということになる。葬式のために三女のカレンが(いかにも詐欺師っぽい)婚約者を連れてフロリダからやって来て、(それぞれに問題を抱える)三人姉妹がそろい、これでも家族なのかというくらいの機能不全家族が互いに過去の恨みつらみを洗いざらいぶちまけあう中で、中心は母ヴァイオレットと長女バーバラの確執。近々映画化されて、メリル・ストリープとジュリア・ロバーツがこの2人を演じるという話で、名優メリル・ストリープのヴァイオレットは見ものだと思う。笑ったり、しゅんとなったり、目頭が熱くなったりで、3時間がちっとも長いように感じられなくて、ずっしりと見ごたえのある作品だった。

劇場を出たら、歩道や駐車している車の上に薄く雪が積もっていたけど、天気は小雨。我が家に帰り着いてみたら、雪が降ったような形跡はどこにもない。ふむ、マザーネイチャーも相当の機能不全とみたけど、はて・・・?

日本語を訳すのは大変なのよ

2月18日。金曜日。うわっ、まぶしい。午後の気温はプラス10度。昨日のめっちゃくちゃな天気は夢だったのかなあ?それともまだ目が覚めていないのかなあ?これじゃあ、さすがに移り気な「乙女心」さえ「うっそぉ~」と叫んでしまうだろうな。たまたま昨日雪が積もった区域に住んでいて、スリップ事故で車をぶつけてしまった人には恨めしい春の陽気。たった24時間でこの違い!

カレシは起き出してすぐヒーターをオフにしに温室へ直行。春の日差しがいっぱいで、正午にはもう屋根が開き始めている。キッチンの窓に置いた無線温度計で温室内の温度をモニターして、5度以下に下がったときに電気ヒーターを入れるんだけど、熱効率のいい業務用電気ヒーターだから電気代がかさむ。氷点下に下がる寒波が続くときは、せいぜい12平方メートルの温室の暖房に、185平方メートルの家全体の(電気)暖房の倍以上のコストがかかってしまう。単位面積あたりにしたら30倍以上ということになるけど、まあ、二重壁とはいえポリカーボネート製の温室と省エネ構造の家の暖房効率を比べても意味はないか。園芸はカレシの生涯の趣味なんだし、それに、新鮮な有機栽培野菜を最短距離で地産地消だし・・・。

さて、来週の終わりまで5つ並んだ仕事のその2。ざっと見たところで、当たり障りのない文章だからスイスイかな。寝る前に仕上げて送り出した「その1」は、原稿用紙をびっしり埋めても数枚程度の文字数なのに、英語になったらやたらと語数が多い。五掛けで出す大雑把な見積もりよりも2割も多かったからびっくり。ワタシはこんなに口数が多くないはずだけど・・・と思ってよく見たら、漢字の数がすごい。四文字熟語がぞろぞろ出てくるし、専門的な小難しい言葉も漢字のオンパレード。これがITの分野だったら、カタカナ語のオンパレードでぐっと経済的になるところだけど、表意文字の漢字を表音文字の英語にするには、一文字に複数の単語が必要な場合が多いから、結局は仕上がりの語数が増える。仕上がりの語数が料金請求のベースになっている方としては、ダラダラした文で語数を増やせば儲かるんだけど、そこはそれ、プロの自尊心ってものがあるから、できるだけ簡潔な訳文を心がける。だから、黙っていても語数が増える漢字満載の略語や略称、四文字熟語をじゃんじゃんと使ってくれるエライ人たち、だ~い好き!

でも、そういうエライ人たちがかなりの年だと、難しい言葉を多用するから要注意。漢字は読めないし、何のことかわからないしで、中国語起源の古い四文字熟語が出て来たりすると、まずは日本語訳をば、ということになる。そこではたと困るのが(ワタシには)「読めない漢字」。英語なら単語の発音からスペルの見当をつけて調べることができるけど、日本語は上の漢字が読めなければ、和英辞書を引こうにもどの「音」の項を探せばいいのかわからない。例の「国際結婚は大変」トピックに倣って、「だから日英翻訳は大変なのよ!」と言ってみたところで、「アンタが選んだ商売でしょ!」と、誰も同情してくれないしね。もっとも、ネット時代の今は漢字をコピーして同業仲間に聞くと言う手もあるけど、だいたいは返事を待っている暇がないし・・・。

まあ、一番手っ取り早いのは、英語版ワードで日本語入力するのに使うIMEのパッドを使って、部首の画数を数え、同じ部首の漢字のリストから漢字を見つけ、カーソルを置いて音読みと訓読みを見つけ、それから日本語辞書を引いて定義を調べ、相当する英語がわからなければ和英辞書を引き・・・はあ。漢字の画数を数えるのは部首だけでもめんどうな作業で、角を曲がったら2画?それとも線の続きだから1画?日本語を読み書きして育ったワタシがこうなんだから、日本語育ちじゃない人たちはもっと大変かもしれないな。「止揚する」なんて言葉、和英辞書には「哲学用語。(独)アウフヘーベン」と書いてあったけど、それって独英辞書を引けってことなの?しょうがないから、ネットの独英辞書サイトで調べたら、意味合いの違う定義が動詞だけでも20近くも出てきてしまった。さて、エライ人はどんな意味で使っているのか・・・?

好きでやっている仕事ではあるけど、だけど、だけど・・・。

他人が自分と同じはずはないのに

2月19日。土曜日。いや、まぶしいのなんのって、すっかり春が来たような気分。道路向かいの大きな桜の木をよくよく観察したら、日当たりの良い上の方の枝に3つか4つ、ピンク色の点が見える。おお、桜が咲き始めたぞ。バカ暖冬だった去年よりは少し遅いけど、平年よりはちょっと早い。寒い冬を持って来るはずだったラニーニャ嬢はいったいどこをほっつき歩いているやら(きのうはトロント周辺にふらりと現れたらしい。)ま、週間予報では、来週の水曜日あたりは雪がちらつき、その後は晴れの日が続いて冷え込む(最低気温は氷点下)そうだから、まだ油断はできない。常春のバンクーバーだって、エイプリルフールに雪が降ることもあるんだから・・・。

さて、仕事のパッケージの一番大きいのが済んだところですんだし、世間では週末ということで、今日はワタシも「休み」。何にもせずにダラダラしていたいなあ、とは思うけど、だいたいのところは、ちんたらちんたら仕事をやって、切羽詰ったところで猛然とダッシュしては「ワタシってがんばってる~」と自分の肩を叩いているのが「平常勤務」なもので、仕事が休みだからといってダラダラしていてはまったく区別がつかなくなような気がする。そこで、まあ少しは家事もやらねばということで、まずは洗濯。ランドリーシュートを開けたら、は、また3ラウンドか・・・。

チュニジアで始まって、エジプトで盛り上がった中東の「変化」への要求デモは、あっちこっちへ飛び火してかなりややこしいことになっている。インターネットがグローバル化した今の時代は、都合の悪い情報を管制しようとしても、あの中国でさえ「もぐら叩き」の状態なんだから、デモが始まったとたんにあわててネットを遮断したってムダ。迂回路はいくらでもある。だけど、何十年も政権に居座って来たお山の大将にはふもとのことはわからないんだろうな。だから、急にデモ隊が押し寄せてきて慌てる。慌てるから、バカのひとつおぼえみたいに軍隊を繰り出して制圧を図る。群衆は怒り、デモは膨れ上がり、死傷者も続出する。暴力で制圧しようとすればするほど、火は燃え盛る。わかってないなあ。ま、それほど既得権というのはおいしいもんなんだろうけど、さっさと札束をかき集めてすたこらと逃げ出せばいいのに。

政治や外交というのは、国家や企業や宗教や文化やその他ありとあらゆる利害がスパゲッティみたいに絡み合っているからややこしい。国家が国民の集団で形成されているなら、政治も外交もその国民性が反映されると思うし、その国民性というのは良きにつけ悪しきにつけ国民の大多数の「性格」の表現だと思う。とどのつまりは政治も外交も人間関係の延長線上にあるようなもので、だから天井桟敷から見ていると、人間ドラマとさして変わりがないように見える。最近、どこだったか忘れたけど日本の大手新聞のサイトに(例の尖閣列島事件の関連で)日本の外交史について触れた論説があって、日本外交の根本的な欠陥は相手国が「本質的に自分たちと同じ」と考えることだと書いてあった。日本人同士の交渉と同じ思考で外交交渉をやろうとしたのがそもそも無理な話だということだろう。だから、尖閣列島問題でも、中国漁船の船長を釈放して返すという「温情」を見せれば、中国側もそれに応えて、「事を荒立てずに矛を納めてくれるだろう」と思ったのに、中国は日本が本質的に自分たちと同じだとはこれっぽちも思っていないから、中国流の対応をして来て・・・。

これを個人のレベルに持ってくれば、他人を「本質的に自分と同じ」と考えるのが日本人の国民性ということになるんだろうけど、妙に納得が行った気がした。小町のような掲示板には、自分と他人はまったく別個の独立した人格だという概念がないとしか思えないような投稿が多い。つまり、他人は「本質的に自分と同じ」で、自分が感じることを同じように感じ、自分が好きなものを同じように好きで、自分が嫌いなものは同じように嫌いで、自分がすることには同じように応えてくれるはず・・・。だから、翻訳原稿にもたびたび登場する「同じ○○として~」という表現がいともあたりまえのように使われるのかな。日本人が外国で何かやらかすと、「同じ日本人として恥ずかしい」という反応が出てくる。民族的にはワタシも「日本人」なんだけど、(国籍を問わず)他の日本人が日本の外で事件を起こしたら、「バカなことをやっちゃって」とは思っても、恥ずかしいという感覚はないし、事件を起こした当人が恥じるべきことをなんでワタシが恥じなきゃならないのかわからない。でも、もしも日本という国が他国を攻撃したり、国の品格を貶めるようなことをしたら、「日本人のひとり」として残念(regrettable)に思うだろうけど。

そういえば、カレシのオンナノコたちが、カレシがワタシの欠点(たいていは嘘八百だったけど)をあげつらうたびに、「I am ashamed as the same Japanese woman (同じ日本人女性として恥ずかしい)」と応えていたっけ。まあ、ワタシという人間は元から日本人規格から外れているもので、カレシがガラスのケースに入った日本人形を期待していたなら、「注文したものと違うじゃないか」と文句を言うのはわかる。だけど、カノジョたちがそれに対して「同じ日本女性として」恥ずかしいと思うのはどういうことなんだろう。だって、ワタシの欠点を恥ずかしいと思うと言うことは、あわよくば押しのけてその後釜になろうともくろんでいた相手(ワタシ)を「自分と本質的に同じ」と考えていたということで、つまりはカノジョたちがワタシから欠点を横取りして、自分たちのものとして恥じていたと言うことになるの?なんだか頭がこんがらがってきたけど、だとしたら、何とも滑稽な話だし、本質的に違うワタシをカノジョたちに同化されると言うことはワタシの人格をハイジャックされるようなもので、大きな迷惑なんだけど・・・。

おいしく食べて健康なのが医食同源

2月20日。日曜日。今日もまぶしい。なぜかとろ~んとした気分で起きた。春眠何とかと言うし、春っ気がさしているのかもしれないけど、ちょっとばかりとろんとし過ぎ。月変わりであたふたしていたときには110台/70台に上がっていた血圧もだんだん下がって来て、けさは2度測っても100以下/70以下。どうしてかなあ。ま、別に問題がないからいいけど、日曜日でもあるし、残っている仕事の量を確認して、今日も休んじゃお・・・。

新聞を見たら、メトロバンクーバーでは、2012年の終わりまでに家庭から出る生ごみを普通のごみと一緒に出すことが禁止されるというニュース。植生ごみと一緒に集めて、堆肥としてリサイクルするんだそうで、すでに導入済みの市もあるけど、全域で実施になったら、「グリーンごみ」を毎週1回、普通ごみは隔週の収集になり、生ごみを普通ごみと一緒に出したら罰金を取られるらしい。2015年には業務用の生ごみも対象になるそうで、カナダ全国の平均の3倍も高いメトロバンクーバーのリサイクル率を80%に引き上げるのが狙いとか。いいことだと思うね。もう埋め立てる場所がないんだし、焼却処理場の話は出ては消えするばかり。その話をカレシにしたら、「池の跡に埋めるからいいよ」。うん、裏庭の真ん中に隕石が落ちたような大穴が開くもんねえ。我が家は市が支給する植生用のごみ容器をもらっていない(収集料は固定資産税で取られているけど)。雑草も野菜もみんなカレシが堆肥にしてしまうんだけど、大きなバケツにいっぱいの野菜くずからできる堆肥はひと握り。大きな穴を埋め尽くすにはいったいどれだけの魚の頭やコーヒーかすがいることやら。そんな貴重な原料を「市役所になんかやるもんか」と、なぜか妙に対抗しているカレシ・・・。

ではさっそく、というわけじゃないけど、夕食に食べる魚を3枚におろして、頭やひれ、骨をカレシに提供した。ラベルに「ゴールデン・ポンパーノ」と書いてあるから、調べてみたら「コバンアジ」。[写真]

最近セイフウェイの魚のフリーザーに登場したもので、頭から尻尾まで30センチくらいあって、せいぜい4ドル(400円弱)のお買い得。丸くてなんとなくかわいいけど、全体的にはがっちりとした感じがする。それもそのはずで、骨がえらく硬い。一見ほっそりした尾ひれの付け根は包丁では切り落とせなくて、キッチン鋏でバチッ。内臓は腹側のせいぜい前半分くらいにしか入っていなかったから良かったけど、3枚にするのにちょっと苦戦。クリスマスのプレゼントにもらった専用のナイフが大活躍してくれた。ぽん酢をさっと塗って、細く切ったしょうがと刻みにんにくと赤唐辛子をたっぷり載せて蒸してみた。身がしまっていて、味はあっさりだけど、脂身はとろっとした感じで、なかなかいける。オメガ3がたっぷりなんだそうな。

オメガ3といえば、最近カナダの保健省が卵をコレステロールの「要注意品目」から外したというニュースがあって、卵好きのカレシを喜ばせた。飼料の改良で昔ほどコレステロールが高くなくなったので、他の栄養素の豊富さを考えると「食べた方がいい」ということらしい。カレシのコレステロール事件以来めったに食べなくなって、消費が減った分、鶏舎の中を走り回って、オメガ3が豊富な亜麻の種を添加した有機飼料を食べるニワトリが産んだ「デザイナー卵」を買うようになった。これがまたスーパーで普通に売っている卵と比べたら、殻は硬いし、黄身は色が濃くて、いかにも卵!という味がする。まあ、食べた方がいいと言われたからって、今さらもっと食べようというわけでもないけど、好きだけど健康に良くないんだよなあ・・・というような後ろめたさがない(guilt-free)のがいいな。

赤身の肉をほとんど食べなくなってもう2年近いけど、ベジタリアンに転向したわけじゃないから、2人分のチヂミに薄切りの豚肉3枚、フォーにしゃぶしゃぶ用の牛肉を4枚といった具合に、ときどきは食べるし、ご馳走のときはラムの骨付きヒレのローストを作ることだってある。完全にやめたのは豚と牛の挽き肉で、その代わりに買うのが大豆と小麦のたんぱく質で作った「人工ひき肉」。スーパーでは「ベジタリアン食品」のコーナーにあって、低カロリーでコレステロールはゼロ。おまけに鉄分、チアミン、リボフラビン、ナイアシン、ビタミンB6とB12、それに亜鉛がたっぷり配合されている。我が家ではmock beef(牛肉もどき)をもじって「マクビーフ」と呼んで、挽き肉が必要なミートソースのパスタやタコスを食べたいときに重宝しているけど、これも食べつけるとなかなかいい味がある。

我が家の食は、何でもオーガニックジャなきゃダメなんてこだわらないし、無理にベジタリアンに思想転換することもないし、好きなものを(食べ過ぎない程度に)おいしく食べていればいいわけなので、食べることへのストレスがない。ま、これも医食同源(英語でいうと、You are what you eat・・・かな?)に通じるんじゃないかと思うけど。

絶対に安全で安心なところはあるのかな

2月21日。月曜日。ちょっと曇り空。テレビの天気予報は「北極の寒気が来る」とうるさい。先週は不意打ちを食らって、雪で難儀した地区の住民からブーイングの嵐だった?から、今度こそは先回りしてやれというわけかな。雪かきシャベルとスノータイヤを用意したほうがいいって、どこの話なの?まあ、週間予報を見ると、日中の最高気温はプラスだけど、週中を過ぎて晴れると最低気温がマイナス3度か4度まで下がることになっている。問題は曇りの日。中途半端な気温だから、また雪のところと雨のところが出そうだけど、予想積雪1センチじゃあたいしたことないって。2月が終わる月曜日にはプラスになって、春3月・・・たぶん。

今日のアメリカドル為替レートをチェックしたら、うわ、またカナダドルが上がっている。中東で盛り上がっている民衆デモがリビアにも飛び火して、こっちは大変な流血になっているせいだと思うけど、アメリカドル建ての収入に頼るワタシとしては、手取りが目減りするからちと辛い。リビアはエジプトと違って大産油国だから、動乱が起きて安定供給が危ないということになれば、世界中で石油価格が高騰し、需要側は安定した代替の供給元を探すだろうと思う。カナダは世界で6番目の大産油国で、生産高はリビアの倍もある。埋蔵量だって世界3位で、この先何年持つかとなると世界一で200年近い。石油マネーがカナダの油田に投資をしてきても不思議はない。だけど、それでカナダドルがどんどん上がれば、ワタシの手取りはどんどん下がる。おまけに円安傾向のダブルパンチで換算した収入がさらに目減りすると、回りまわってカナダ政府が手にする所得税だって減ることになる。だから、誰か、何とかしてくれないかなあ・・・。

午後4時半。カレシの後に続いてトレッドミルの時間。着替えをしていて、ひょいと窓の外を見上げたら、おいおい、雪が降っているよ。それも、すご~く大きな雪。まるで大きな花びらがわさわさと舞い降りてくるような感じ。たぶん3センチはあるだろうなあ。真っ白な大輪の花。家の中から眺めている限りは、ちょっと幽玄で、ちょっと華やかですてきだけど、積もりませんように・・・。

ニュージーランドではまたクライストチャーチで大地震。かなり浅い直下型らしい。かって一度だけバンクーバーで直下型の地震を感じだけど、マグニチュードが2くらいの微々たるものだったのに、地震王国の釧路育ちのワタシが瞬間的にわけのわからない恐怖感で目が覚めた。不動であるはずの大地がぐらぐらと揺れ動くのは何ともいえない不気味さで、精神的に動揺せずにはすまないのに、下からずしんと突き上げてくるような直下型地震は魔物に襲われたような気分だと思う。前回の地震で被害を受けて、まだ修復されていなかった建物はひとたまりもないだろうな。昼休みだったそうだから、たくさんの人たちがその建物の中にいたんだろうな。クライストチャーチにはカレシの母方の親戚がいるらしい。系図を調べないと名前もわからないくらい遠い親戚だそうだけど、みんな無事だといいな。

それにしても、日本の新聞サイトを見ると、安否のわからない日本人学生の一行がずいぶんいるらしい。大学の語学研修の時期なのかなあ。2月3月といえば学年末だろうに、期末試験のようなものは心配しなくてもいいのかな。日本からの留学生が減ったのは、就活に支障が出るという理由が大きいとからと聞いたけど、語学学校への短期の「研修ツアー」なら問題ないってことなのかな。(中学生まで団体で語学研修旅行だって。)最近のニュージーランドは日本人の間で語学留学やワーキングホリデイの人気スポットになっているらしいけど、バンクーバーの語学学校の経営が苦しいらしいのは、(大得意の韓国が不況という要因があるとしても)ニュージーランドにお客を奪われているということもあるのかな。こういうことにはやっぱり流行り廃りがあるということで、「世界一住みやすい都市」(エコノミスト誌のランク)で、(今のところ)地震がなくて安全なバンクーバーがまた人気スポットに返り咲くかもしれないってことかなあ・・・。

まあ、お客の都合はどうでもいいんだけど、地球はひとつの丸い球だし、地殻の上に乗っかったプレートもくっついて押し合い圧し合いしているんだから、バンクーバーだっていつグラッと来るかわからないんだけど・・・。

食事作法と縁結びの関係

2月22日。火曜日。今日もいい天気。いくら寒波が来るといっても、晴れれば日中の気温はまさに春うららの陽気だから、生理的なリズムも何となく狂いがちなのか、ふたりして朝から「かったるいな~」。ほんとにもやもや~っとかったるいんだけど、仕事があるしねえ、といったら「ボクもまだ2回レッスンがあるなあ」と。うん、今夜とあしたの夜のレッスンが終われば、英語教室は一応は「無期休校」。だけど、その先はその日その日に予定を決めればいいわけだから、お気楽で良さそうに見えるけどなあ。

もっとも、そうなったらそうなったで、あんがい「旗本退屈男」になってしまうかもしれないな。ふむ、そのときには、「じゃあワタシがばりばり仕事をして稼ぐから、アナタは主夫になって家計と家事とワタシのめんどうを見てちょうだいね」と言ってみたいような気もするけど、ま、それは夢のまた夢のは百も承知。だって、家事なんて、やらないし、やれないし、やりたくもないし。家計だって、会計士だからお手のものだろうと思ったら、「職業だから家に帰ってまでやりたくない」と丸投げしたままだし、ワタシのめんどうを見るなんて、めんどうをみてもらうのは自分の方だと思っているらしいから、どうなることか。だから、やっぱり「痒いところが痒くなる前に手が届くくらいのかいがいしい世話を焼いてくれる専業主婦のかわいい奥さん」の方がこの人にはふさわしかったのかなと思わないでもないんだけど、実際にそういう痒くなる前に掻いてくれるようなかいがいしい世話を焼かれると逆にうるさがる人だから、どうなることか。

長いこと夫婦という関係でひとりの男と親密に付き合っていると、「縁は異なもの味なもの」とはよく言ったもんだと思えてくる。恋をしたいからといって恋人募集をかければ、いいってもんじゃないし、結婚をしたいからといって婚活すればいいってもんでもなさそう。まあ、「運命の赤い糸」なんて言うけど、たぐりよせるのにあまり強く引っ張るとプツンと切れてしまいそうな感じがするし、何本もあってどの色合いにしようかと決めかねることもあるだろうし、これだ!と思った糸がすぐに色あせてしまうということもあるだろうし・・・。やっぱり先立つものは「縁」かな。だけど、この「縁」というやつ、ほんとうにあったのかどうかは何年も一緒に暮らしてみなければ確信が持てないものらしくて、その間にいろいろと「疑い」を喚起するような波風が立つからやっかいだな。

小町で、最近婚活で知り合った人と食事をしていて彼氏がビックリする行動をしたので、『食事マナーができていない彼氏』というトピックを立てて、「お別れしたほうが良いでしょうか」と聞いている人がいる。イケメンでもなく、高給取りでもないけど、優しくて大切にしてもらえそうな彼氏だけど、食事中に(一応上品そうにフォークに刺してだけど)パンでお皿を拭って食べたのが「ありえない」と。トピックそのものは、フランスでは、イギリスでは、作法では、マナー教室では・・・と定番の「半径5メートルの知識」をひけらかしてのマナー論争になっていたけど、それはさておき、同様にマナーのできていない夫たちが続々と登場するからおかしい。(国際結婚関連のトピックにもマナーのできていない外国人オットたちがたくさん登場して来るから、男のマナー問題は人類共通なのかな?)

結局は、マナー違反じゃないと言われた投稿者が「お皿を舐めるような行為と感じて嫌だった」、つまり、相手のマナー云々よりも相手の行動に生理的な嫌悪感を持ったという「本音」を吐露した形になったけど、それだったら気持が冷めて別れようかと思うのは理解できる。誰かがいみじくも「結婚は生理現象だ」と書き込んでいたけど、あんがい男女の縁というのはそういう生理的な感覚での「相性」のことなのかもしれないな。ちなみに、カレシも小町女性のものさしで測ると食事のマナーができていない部類に入る。外では、毎週外食するようになってからだんだんに高級な方へ足を向けるようにしたら、周囲の雰囲気から自分でグッドマナーを吸収したようだけど、家では食事中に何かに気を逸らされて席を立つのはしょっちゅうだし、ゲップはするし、屁はこくし・・・。でも、ワタシが作った料理をいつも「おいしい」と言いながら食べてくれるから、まっ、いいか~となる。

それでも、もしも初デートでのカレシがそんなテーブルマナーだったら、これはダメだと思ったのかなあ。(初デートは2人ともコチコチだったけど・・・。)たぶん、今風に結婚がしたくてコンカツに勤しんでいたとしたら、「縁がなかった」と言ってお別れしたかもしれないな。まあ、恋は盲目の状態になっていたら、あばたもえくぼでちっとも気にならなかったんじゃないかと思う。いざ結婚してそれが「問題」になったときにのそれぞれの反応に、2人の間にほんとに「縁」があった(We were meant for each other)かどうかが見えてくるのかもしれないな。

ちょこっとしばれるんだって

2月23日。水曜日。春眠何とやらと言うけど、目が覚めたのは正午過ぎ。今日は通ったはずのごみ収集のトラックの音にもリサイクル車の音にも反応しなかったもので、すわ、大雪か?と思ったけど、目を開けたらなんだか春爛漫みたいな明るさ。起きてテレビをつけたら、ビクトリアではなんと25センチの「ドカ雪」が降って、街中が大混乱しているというニュース。しかも、まだまだ木曜の朝までは降り続けるんだそうな。そろそろ街中の花を数えて、まだ冬最中のカナダ全国に見せ付ける恒例の「フラワーカウント」の時期なのに、大変だなあ・・・。

ビクトリアではカレシの仕事の都合でほんの6ヵ月ほど住んだ時にも記録的な雪が降ったっけ。もう31年も前のことだけど、州都ビクトリアは公務員の街で、まだカナダ国籍になっていなかったワタシには働き口がない。しかたなく失業保険でぶらぶらしているうちに年が明けて、ある日、雪が降り出し、まあよく降ること。翌日には40センチも積もったからびっくり。カレシの職場は歩いて20分ほどの近さで良かったけど、「臨時専業主婦」のワタシは車でスーパーまで買い物。当時はホンダのシビックに乗っていて、スノータイヤには替えてあったけど、道路はぐしゃぐしゃで、車線のラインは見えないし、止まるたびにスリップして魚の尻尾のように後部が振れるから怖い。何とか事故を起こさずに乗り切れたはいいけど、生まれて初めてすごいホームシックにかかって、ひとりだけでも先にバンクーバーに帰るとカレシにだだをこねた。カレシが州税監査官に転職が決まってバンクーバーに戻ったのは、セントへレンズ山が大噴火する前の日・・・。

今日が英語教室最後の授業になるカレシは「雪が降ったらキャンセル」と予告してあったそうだけど、曇って来たのに雪が降り出す気配はない。それでも午後4時の気温はゼロで、じわじわと冷えてくるのがわかる。家の外にある水道栓は内側からシャットオフしたし、まだ芽を出したばかりの野菜の苗はトレイごと家の中の園芸ルームに避難させたし、これで準備万端、さあ、冬の最後のあがきを見せてもらおうか、とヘンに威張ってみたけど、雪、降りそうにないなあ。まあ、最後の日にキャンセルと言うのはなんだよなあ~と言いつつ、ワタシにとってもご用納めになる超特急の夕食をして出かけて行った。

テレビの天気予報のレーダー地図を見たら、あ~ら、厚い雪雲は国境のすぐ南、ワシントン州を東へ移動中。メトロバンクーバーの予想積雪は2センチくらいだそうで、ちょっと拍子抜け。まあ、雪に埋もれて花の数を数えるどころじゃないビクトリアの人たちには悪いけど、Better you than me(こっちに関係なければ、そっちのことはどうだっていいっつぅ~の)!予報では、あしたの木曜日から晴れで、気温はどんどん下がり、金曜日と土曜日の明け方の最低気温はマイナス7度。うわ、しばれる!(といっても、道産子にはマイナス7度じゃ「厳寒」のうちには入らないけどね。)土曜日の夜から雨交じりの雪になり、最高気温が7度まで上がる日曜日から先は、なあんだ、ただの雨、雨・・・。

どこから来たのか知らないけど、北海道語の「しばれる」という言葉はガチンと冷え込んで金縛りになったような雰囲気がよく出ていると思う。寒波が続けば、何もかも「がんがらがん」になるし、手は「かじかむ」けど、それでもちゃんと「まかなって」いれば心配なし。「雪かき」を「雪はね」というのはいかにも北海道らしいエネルギーが感じられるし、「捨てる」ことを「投げる」というのも豪快でいい。まあ、ごみを「投棄する」というから、「投げる」方が正統派のような気もするけど。昔は雪が降ると「スコップ」を持って外に出たものだけど、今は主婦の仕事になっているらしくて、積もった雪を押してかき退ける道具を「ママさんダンプ」というんだそうな。いやあ、これはもう豪快を通り越して、どさんこ女性のパワーが全開といったところ。うん、北海道語、なつかしいなあ。だけど、仕事があと3つ。のんきに油売ってたらからっぽやみといわれそうだし、たいぎでもはっちゃきこいてやらないと予定がわやになるべさ。

体感温度マイナス17度!?

2月24日。木曜日。目が覚めたら、うん、明るい。雪、降った?と起き出したカレシに聞いたら、「グリーンだよ」という返事。ほっ、雪は降らなかったんだ。だけど、天気予報を見ていたら、明日の明け方の最低気温は2月末としては新記録のマイナス8度で、「風速冷却指数(windchill factor)」、要するに「体感温度」はマイナス17度だって!(ご託宣の主は気象庁の予報官で、その名もコールドウェル(Coldwell)さん・・・。まさか、天気に関係のありそうな名前の人を優先採用しているってわけじゃないだろうなあ。)ま、それでも、どれだけ寒かろうが、雪が降ろうが、せいぜい日曜日の午後までの辛抱らしい。それにしても、バンクーバーっ子は天気の話をするのが大好きということになっているけど、ワタシもここんところ天気の話ばっかりしているような感じ・・・。

天気がいいし、クリニークではおまけがつくし、ということで、トレッドミルの運動に替えてモールまでひとっ走りすることにした。午後1時半の気温はプラス2度。走るといっても、トートバッグを肩に猛烈な早足で歩くんだけど、うわ、風が冷たい!手袋をしていない手がじ~んとする。(だって、手袋なんか持ってないもん。)露出した頬っぺたもじ~んとして、寒冷じんましんが出そう。だけど、背中に日差しをいっぱいに浴びて歩いていると、フリース裏のジャケットの中はじ~んと暑くなって、冬物のTシャツ一枚でも汗が出てくる。カレッジの前には着ぶくれした人たちがぞろぞろ。言葉からして寒がりやで知られるアジア人留学生らしいけど、まだ氷点下になってないよ、キミたち。今からまるで北極圏にいるみたいにぶくぶくに着込んでいたら、もっと冷えるあしたはどうする~?

ベイのクリニークのカウンターでクリームやらローションやらを買って、おまけを2セットもらって、地下の郵便局で私書箱を開けてきしっと詰まっていた郵便物(カタログに混じって、お、売上税還付の小切手も!)を引っ張り出し、ついでにキチン用品売り場に寄り道。新しいスチーマーが欲しいし、フライヤーも欲しいし、フードプロセッサも欲しいし・・・とぶらぶらと眺めて歩いていて見つけたのが、おひとり様サイズの蓋付きのキャセロール鍋。レンジでもオーブンでも電子レンジでも使えて焦げ付かないというもので、直径が10センチくらい、容量は300ミリリットル。おお、コースメニューのときに「なんちゃって○○鍋風」を出すのにうってつけじゃないの!食べる人が蓋をあけるまで中身をヒミツにできるのも、ちょっとしたお楽しみ要素を演出するのにもってこい。黒いのにしようかなあ、それとも外側が赤いのにしようかなあと、1分くらい迷って内側も外側も真っ黒なのを4つ買った。

これだからカレシに急かされないひとりショッピングは楽しい。せかせかしていないときは、思いがけないめっけものがあるってことなのだ。「ゆっくり走ろう北海道」だもんね・・・関係ないけど。ブランドショップのウィンドウに赤が多いのは、ひょっとしたらこの春の「流行色」ってことなのかなあ。赤はいいなあ。ピンクと違って、赤は華やかなエネルギーを感じさせるから好きな色。情熱的ってことかな、やっぱり。流行には関心がないけど、好きな色が主流になれば選択肢が増えてうれしい。

明るい春のファッションを眺めて息抜きをした気分になって、またテクテクと早足で家路に。いやあ、そんなに強くはないけど、南斜面のふもとの川面から吹き上げてくる風の冷たいの何のって。夜間の「体験温度マイナス17度」は脅しじゃなさそう。この分だと、日曜日になって雨が降り出すまでは冬眠だなあ。仕事の方は、はて、はかどるんだろうか・・・?

すずめ百までバイリンガル

2月25日。金曜日。けさもまぶしい。最低気温は空港で午前7時にマイナス8度だったそうな。ここでの観測データがバンクーバーの公式記録ということになる。午前7時と言うとちょうど日の出の頃か。夜明け前が一番暗いというけど、夜明け前は一番冷える時間でもあるのかな。

きのう寝る前に仕事にひと区切りついたので、今日は休み。ちょこちょこと休みが入るのはやっぱり楽だな。再来年の春に年金をもらうようになったら、やっぱりこんな風に仕事をしては休み、休んではまた仕事をするといったライフスタイルにしようかな。小町で普通の女性が働き続けるのは何たらかんたらというトピックがあって、どうも働きたくないらしい(20代の)投稿者が、「(結婚した女性は)のんびりとしたいことを仕事にして自分のペースで生きていくことが、精神的にも肉体的にも大事」と言って井戸端論議をかもしている。まあ、女性雑誌か何かの働く奥さんのイメージに逆行することに気が咎めるのかもしれないな。「働かない」ことを正当化しようと躍起になればなるほど、「働きたくない」ことを肯定してもらいたいのがはっきりして来る。のんびりとやりたいことをやって生きて行けたらさぞかし楽だろうと思うけど、人間として生きている以上はそうは問屋が卸してくれない。自分の人生なんだから、働くも働かないも、自分で決めて堂々と生きて行ったらいいのに。

どうもこの人はフリーで「のんびり」とやりたい仕事をしている友達が羨ましいらしい。のんびりとやっているフリーランスもいるんだろうけど、ワタシはのんびりとやれたことがないな。左脳と右脳をこき使って、2つの言語の間を行きつ戻りつしている身として、つい最近あちこちのメディアに載った「バイリンガルは認知症の発症を遅らせる」という研究発表の記事にちょっぴりはげまされた気分になったくらい。これは別に新しい発見でも何でもないんだけど、2ヵ国語が話せて、日常生活で両方をよく使う人はアルツハイマーのような認知症の発症が4年か5年くらい遅く、両方とも流暢ならもっと効果が高いらしい。ただし、少し先延ばしできるという程度で、予防にはならないらしい。それに、バイリンガルだと知能水準が高いというわけでもないそうで、単にバイリンガルの人は脳内での処理能力のやりくりに長けているということらしい。おもしろいと思ったのは、バイリンガルの人はモノリンガルの人と会話をするときにもう一方の言語が混じることはないということ。つまり、英語をちりばめた日本語を得意になってしゃべって顰蹙を買っているらしい海外帰りの日本人はまだバイリンガルの域には入っていないってことかな。日本の新聞記事にはそこのところが抜けていたような気がするけど・・・。

数年ほど、読み書きには困らないのにしゃべろうとしても日本語が出てこないと感じていた時期があった。翻訳を生業としているんだから、忘れたということにはならない。かなりの悪文でも読んで理解できる。(できなかったら英訳の仕事はできない。)仕事以外には日本語を使わないから、耳から日本語が入って来ない。そのせいで話し言葉とつながらなくなって、音声として出て来なくなりつつあるのかと憶測して、引退すれば日本語はどんどん遠くなるだろうから、それもありでいいかなと思っていた。それが、おととしの春にひとりで日本へ行って来てから少しずつ変わって来て、去年行って帰ってきてからは、単語を思い出せなくてつっかえることはあっても、けっこうすらすらと話せるようになっていることに気が付いた。耳や喉の奥にずっと垢のようにたまっていたものが取れて軽くなったような、なんかすっきりとした感じがする。たぶん日本語を話せなくなったんじゃなくて、日本語「で」話すことができなくなっていたのかもしれない。それが、「日本語での会話」に抵抗がなくなって来たということなんだろうと思う。

ということは、どうやらワタシも数年はボケるのを先延ばしできそうということか。書くことにかけては、日本語でも英語でも饒舌きわまりないのはわかっているし、口の方だって、延々1時間も英語でしゃべり続けたくらいだから、それに輪をかけたような饒舌な日本語のおしゃべりに辟易する人が出てくる日もそう遠くないかもしれないな。あんがい百歳までボケないかも・・・。

ちょうどほどほどのところで・・・

2月26日。土曜日。目を覚ましたのは午前11時40分。ん、何だか薄暗いな。そういえば、お昼前後から雪が降り出すという予報だったから、もう降っているのかなと思って起きてみたら、曇っているだけで、まだ。まあ起き出してしまったからと、顔を洗ったり何だりして、バスルームから出てきたら、うわっ。粉雪がわ~っと降っていて、地面はもう真っ白。ポーチの温度計はマイナス4度。何だか知らないけど、この頃の天気予報は「何時ごろから」とピンポイントで、当たるときはほんとにその通りになるからおもしろい。

外で舞う粉雪を見ながらの朝食で、2人してトーストをかじっては「ラッキー、ラッキー」の連発。というのもこのトースト、もう少しで食べられないところだった。きのうの夕食後、カレシがいつものようにブレッドマシンに材料をセットしてスタート。ところが、2、3回くらい混ぜたところでガキンという音と共にストップ。容器がしっかりはまっていなかったのかと思って、カチッとはめ直してから再スタート。3回くらいでまたガキン。蓋を開けてみたら容器が外れている。もう一回トライして、やっぱり容器が外れる。5年くらい使っているから寿命なのかな。とにかく、パンを焼いてくれそうにない。どうする?木曜日だからモールは9時まで営業しているね。よし、容器にラップをかぶせて、(イーストが働き始めないように)冷蔵庫に入れて、それっ。

モールまでは車で5分足らず。ベイの地下のキッチン用品売り場へ直行して、同じ型のブレッドマシン(といってもクイジナートのこれしか置いてない)の箱を持って、レジへ直行してベイのカードで支払い(土曜日まで15%オフ!)。まあ、ショッピングの最短時間記録だろうな。家まで急行して、冷蔵庫から出した生地が室温に戻るのを待つ間に、新しいキカイを箱から出して、容器を洗って、まだ少し冷たい生地を移して、スタート。3時間10分後、無事にパンが焼き上がった。それにしても、新品のキカイが数年使ったものとまったく同じというのは、モデルチェンジの激しい今の時代ちょっと驚き。デザインも機能もボタンも、何ひとつ変わっていない。(価格は少し安くなっていたような・・・。)

緊急事態が今夜だったら、雪が積もって「ひとっ走り」というわけには行かなかったかもしれない。もっとも土曜日のモールは6時までしか開いてないんだけど、ま、雪雲の来るのが1日。早かったら、けさこうしてトーストを食べられなかったということ。冷蔵庫に入れられたり、容器を変えられたりしたわりにいつもより良く焼きあがっていたのは、新品のキカイが焼いたからかな。数えてみるとブレッドマシンはこれが7代目で、一番長持ちしたのは6代目。つまり、これからまた5年は大丈夫と言うことかなあ。見直したぞよ、クイジナート。

バンクーバーとしてはめずらしく細かな粉雪。ひとしきり降って止んで、気温はマイナス3度。今日とあしたは冬ごもりして、少しゆっくりのペースで仕事をすることにする。ゆっくりだから、PCの前に座れば寄り道三昧。今日も世界のいろんなニュースが駆け巡っている。最近おもしろいのが健康関連のニュース。コレステロールが多いからあまり食べない方が良いとされて来た卵。今度は飼料などの改善で「食べた方が良い」。肥満の原因になる「甘いもの」と一緒にされて来たチョコレートも、カカオ65%以上のダークチョコは酸化防止成分のフラボノイドが豊富で、血圧とコレステロール値を下げる効果があるから「食べた方が良い」。健康に良いのか悪いのか二転三転するコーヒーも、糖尿病やがんにかかるリスクを減らす健康効果があるから「飲んで良い」。成人病の元凶扱いされて来たアルコールも、実は心臓病の予防効果があるから「飲んでも良い」。

もちろん、どれにも「ほどほどに」という但し書きが付いているけど、イギリスでは1日。あたりのカロリー摂取量の基準を引き上げる動きがあるというから、「ほどほど」の線引きもあまりあてにならない。病気で食事療法を必要とする人でもない限り、健康、健康と、細かな数字にこだわりすぎたり、マスコミが流す「危険情報」にいちいち反応してむやみに怖がったりしていたら、今度はストレスホルモンが増えてしまって、せっかくの健康への努力も逆効果になってしまいそう。つまるところ、ゆったりと構えて他人に振り回されることなく、何でもほとほどの量をおいしく食べて、楽しく飲んで、ほどほどの運動をしなさいってことで、医学の進歩に関わらず、健康に生きるための秘訣は昔から基本的には変わっていないんだろうな。「変われば変わるほど、元のまま」という名言があるから。

午後4時すぎ。また雪が降り出した。今度は少し大きめの雪ひらだからけっこう積もりそう。ポーチの温度計はマイナス2度。天気予報を見たら、日曜日の明け方の最低気温はプラス1度、日中の最高気温はプラス5度で、天気は雨。なあんだ、今回も備蓄してある融雪塩の出番はなさそうだな。ま、ほどほどに降って、ほどほどのところで消えてくれれば・・・。

人間も死滅回遊するのか・・・

2月27日。日曜日。薄目を開けて、ん、明るくも暗くもない。起きてみたら、おお、雨だ!正午過ぎのポーチの温度計はプラス1度。あったりまえだよなあ。だって、あしたはもう弥生3月じゃないの。もっとも、3月はライオンのごとくやって来るというからなあ・・・・

ゆっくりやれる仕事の方はきのうのうちに約25%を終了。ふむ、ほんとは50%であるべきなんだけど、ま、いいか。格調の高い英語がご所望なんだそうだけど、日本語の原稿はあまり格調が高いとは言えないなあ。コンピュータが普及し始めた頃に「GIGO」という言葉が流行ったけど、これは「Garbage in, garbage out」、つまり、くだらないことを入力したって、くだらない結果しか出てこないという意味。まさに、フツー(あるいはそれ以下)の日本語文を書いておいて、格調の高い英語文もへったくれもあるもんかという、気分になってしまう。まあ、文章を書いた人たちはみんなエライ学歴と高い学位をお持ちのエライ人たちのはずなんだけど、そういうエライ人が自分で発注業務なんてやってるわけがないから、いくら文句を言ってもむだだけど。んっとに、まったく、もう・・・。

きのう、ロイターズ経由の記事に「日本の女子高校生のほぼ4分の3が自分は太っていると思っている」という見出しがあって、その記事が読売新聞の英語版にも転載されていた。(日本語版では見つけられなかった。)東京のある研究機関が、日本、アメリカ、中国、韓国の7千人以上の高校生を対象に調査をしたところ、自分が太っていると思うと応えた割合は、日本71%、韓国57%、中国39%、アメリカ29%なのに対して、実際の平均BMIを見るとアメリカが一番高くて22.6日。本は一番低くて20.0だという。日本の政府でさえ最近は日本の若い女性は痩せ過ぎだと言っていたのに、それでも「太っている」と思うというのはどういうことなんだろうな。それが女性の美の基準となっているのか、それとも幼児的な体型への憧れなのか・・・。

この調査では、日本の高校生は4ヵ国の中でも「自尊感情」が最も低く、「自分は価値のある人間」と思う割合はわずか7.5%(アメリカ57%、中国42%、韓国20%)。この他にも、自分をポジティブに評価しているか、自分に満足しているか、自分には能力があるかと思うか、といった項目についても、日本の高校生の肯定的な回答の割合はすべて4ヵ国中の最低だったそうな。バブル崩壊以来の経済的の停滞に一因を求める向きもあるようだけど、どうなんだろう。ワタシは自信のなさの元凶はずばり「教育」にあると思うけどな。バブル時代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と煽てられて舞い上がったオトナが作った教育指導要領の影響をもろに受けたのが、バブル崩壊後の様変わりした現実世界で暗中模索を強いられている今の若い世代ではないのかと思う。バブルの後遺症といえなくもないけど、問題はまだ社会に出ていない世代がすでに自分を見失って、閉塞しているということかな。

稲作社会の日本には、元々から村の「和」を尊ぶあまりに個人(自我)の尊厳を否定する文化が根底にある。ワタシは、子供の頃から持って生まれたいろんな要素が「和」を乱すとして叩かれ、成人してからも人間らしく生きるために懸命だっただけなのに「(オレより)上に出るな」と叩かれて、それでも生き延びてきた「ぼっ杭」だから、個人の人格を否定するようことには人一倍敏感なところがあるとしても、今の日本の社会文化は自分を肯定する人、信頼する人、大事にする人を叩いて、貶めようとする「いじめ文化」が疫病のように蔓延しているように思う。人が自分の考えを述べることも、自分をポジティブに評価することも、自分はまっとうにがんばったと思うことも、受け取る側にはすべて悪。目立つな、人の迷惑になるな、人を不快にするな、人の考えや感情を最優先して考え、行動しろ・・・。

そうやって自己否定を強要することを、友だちや家族、夫婦の関係では「モラルハラスメント」、俗に「モラハラ」と呼ぶんだけど、バブル崩壊後の「失われた20年」の間にいつのまにか「常識」とか「マナー」と呼ばれるものになって正当化されて来たように見える。去年の教材関係のプロジェクトで資料として渡された教科書を見て、バブル期に始まっていわゆる「ゆとり教育」で頂点に達した教育政策がその元凶で、基本的にアメリカの教育思想を取り入れたはずなのに、その趣旨とは逆の結果が生まれたように見えるのは、やはり「個人(出る杭)」を尊重するという考えが抜け落ちていたからではないかと思った。他人とは違う自分の存在を認識していなければ、どうやって肯定すれば良いのか・・・。

何年か前に漁業に関する文書を訳していて「死滅回遊」という言葉に遭遇した。魚が海流などの影響で本来の生息域から遠く離れてしまい、元の海に戻れないまま、新しい環境での条件に適合できないために死滅してしまうことを言う。英語では「abortive migration」となっていたのに、海洋生物学の専門家にそんな用語は聞いたことがないと言われて頭を抱えた。どうやら迷子になった外洋の魚がうっかり日本の海岸に来て、釣り上げられたり、死んで打ち上げられたりすることを指す、四方を海と海流に囲まれた日本ならではの表現らしい。でも、こんなところで「死滅回遊」なんて物悲しい言葉を思い出したのは、海流に押し流されて、あてもなく大海を漂流しているような若者たちのイメージと重なったからかな。どこへ行くんだろう・・・。

母の心子知らず、この心母知らず

2月28日。月曜日。車道はほぼ100%、歩道も大半の雪が解けた。気温の予想は日中の最高も夜間の最低も向こう1週間はしっかりとプラス。あさっては相当に凶悪な嵐が来るらしいけど、まあ、白くなければちょっとぐらいの荒れ模様でもいいか。やれやれ・・・。

午後いっぱいは例の「注文の多い」仕事の見直し。元がフツーの文章で、内容そのものがごくフツーのことだったら、訳文も良くして「フツー」のレベルで、それ以上にはやんごとないレベルにはならないんだけどなあ。まあ、やってやれないことはないけど、英語でいうならtongue in cheekとでも言うのか、「やってらんにゃ~い」というような滑稽さが漂ってしまいそうでいけない。早い話が、日本の総理大臣の演説をオバマ大統領のようなレベルの英語に訳せと言っているようなものかもしれない。ひと言で言って、ムリ、no way、nada。ま、このあたりの葛藤があんがい翻訳商売における自虐的な楽しみだったりするんだけど・・・。

仕事にかまけているうちに、いつのまにか州の首相が新しくなっている。3期続いたキャンベル政権が州の売上税の連邦売上税との統合を強引にやってのけたことで与党の支持率が凋落する結果になって辞任を表明。新しい党首を決める選挙が土曜日にあって、選ばれたのが元閣僚のクリスティ・クラーク。キャンベル政権の閣僚だった頃に出産して、赤ちゃんを執務室に寝かせて仕事を続け、わりと美人ということもあって将来を期待されて副首相にもなったのに、なぜか育児と家族に専念すると言って政界から引退。この数年は地元のラジオ局でトークショーをやっていた。ラジオ番組のホストだけあって、立て板に水のしゃべりっぷり。いつのまにか離婚したようで、今回は9歳の息子を持つ45歳のシングルマザーとして州首相に就任するんだから、そのエネルギーはすごい。ま、野党の新民主党も似たような内輪もめで女性党首を退け、もうすぐ党首選があるから、そうでなくても何が起きるかわからないBC州の政治風景、彼女の政治手腕や政治日程は別としても、これからまたちょっとおもしろくなるかもしれないな。

今日の郵便にカレシの弟のジムから一通の封筒。宛名が2人になっていたから、何だろうと思って開けてみたら、小切手が1枚。ぺたんと貼ってあった黄色い付箋には、ジムの筆跡で「ママがみんなにあげると言っているから」という、謎めいた短いメモ。よくみたら、額面は1000ドルで、ジムの筆跡で書いてあるけど、サインは間違いなくママのもの。「ボケが始まって、頭がどうかしちゃったんじゃないだろうな」とカレシ。さっそくジムに電話をして事情を聞いたら、満期になった定期預金の分配だということだった。90代になって改めて定期預金に入れ直してもしょうがないし、かと言って自分の生活は老齢年金とジムが管理している投資信託の配当だけで十分以上だし、今すぐ役に立つところで使われた方がいいと決めて、夜の9時過ぎにジムを呼び出して小切手を作らせて、郵送させたんだそうな。

ジム曰く、「ママは好きなように使えと言っているんだから、そうするのが一番だと思う。いらなければどこかに寄付したっていいし」と。だけど、ポケットマネーと言えるような金額じゃないから、カレシは「ほんとに正気なのか」と心配。たしかに、去年の立て続けの骨折事故と入院の後には、食事を拒否したりして周囲を心配させたけど、今はきちんと食事をするようになって、薬で消耗した体力もかなり回復したし、ホームの中を歩行器具なしで歩けるようになっている。カレシに言わせれば、この先まだ何年もあるんだから、生活に困っていない子供や孫に金を配るなんてどうかしているということらしい。だって、このまま120歳まで悠々と暮らせるお金があるなら、設備も介護も環境もこのあたりで最高のホームに入ることだってできると思う。だって、大恐慌時代と、第二次世界大戦、そして極貧生活の時代を、働いて、家庭を切り盛りして、3人の息子を育て上げたママが築いた老後資金なんだから当然だとみんなが思っているのに、と。

よく「親の心、子知らず」というけど、「子の心、親知らず」も然りなのかな。最後的に、「せっかくだから、何か有意義なことに使おうね」と、納得したのかどうかわからないけど、カレシの結論。うん、120歳まで悠々自適ということなら、安心してありがたくもらっちゃっていいか・・・。


2011年2月~その1

2011年02月16日 | 昔語り(2006~2013)
のるかそるかのクランチタイム

2月1日。火曜日。ゲートのチャイムの音で目が覚めた。そういえば、天文学と気象学の講義のDVDを注文してあったんだ。FedExで送ってくるけど、サインしないと置いていってくれない。ま、あしたまた再トライしてくれるし、またすれ違ったら空港近くのFedExのオフィスまで取りに行けばいいんだけど。今日もこの時期にしては良すぎるくらいの晴天で、窓が5面にある二階の八角塔は、もしも猫がいたら喜びそうな、いや、猫でなくても、陽だまりに丸くなって昼寝をしたいくらいポカポカ。

今日はのるかそるかの「クランチタイム」。あしたの夕方が期限の仕事、あの業界の原稿にふさわしい日本語。へたをすると数百文字がひとつのセンテンスだったりして、びっしりと画面を埋めている文章を「解読」するのに、行を分けてみたり、並び替えてみたりして、どこをどうして、何がどうなって、結局はこういうこと・・・かな?というめんどうな謎解き。英語の法律文書にもたまにすごいのに出くわすけど、どうも日本語の文法ってのは、法律的なことを論理的に、正確に、こと細かに説明するのが苦手なようにできているらしい。書いている人は一生懸命に疑義のないように明確に書こうとしているのはわかるんだけど、肝心なところで平素の日本語になって、「主語」が抜けるから、「~しなければならない」責任の所在があやふやになる。書いている人の文章力の問題じゃなくて、日本語そのものがそうなってるんだろうな、きっと。

そうやって髪をかきむしりながらキーを叩きまくっているところへ、またぞろ超特急の仕事が舞い込んでくる。何時ごろに原稿が来る予定だけど、何時ごろまでに出来上がりそうか。息抜きにねじ込めば、今夜の夜中までには何とか。それまでは先行の方をがむしゃらに進めておいて・・・と算段していたら、入稿予定の時間を過ぎて、超特急の原稿がまだ客先から来ていないという赤丸つきのメール。大雪に埋もれて立ち往生しているわけじゃあるまいし、最近はこういう、まずは「すぐにやって!」と命じておいて、「あ、原稿はまだですぅ」という担当者が客先の組織に増えて来ているような感じがするなあ。ひょっとしたらゆとり教育の落とし子なのかな。それともクリックひとつでインスタントに何かが起きる時代の落とし子なのか・・・。

結局のところ、なぜか知らないけど肝心の原稿が当初完了予定だった夜中過ぎにずれ込んでくれたおかげで先行仕事を完了した後でやれることになった。超特急が鈍行になって、クランチタイム真っ最中のこっちは万々歳だけど、発注担当者は焦ったかもしれないな。いや、ぜんぜん焦らなかったのかもしれないけど、ま、とにかくオツカレサマ・・・。

肉食女子は生の肉も食べる

2月3日。木曜日。正午過ぎの起床。雨もよう。ちょっぴり疲れた気分。何たってきのうはがんばったもん。まるで1万語の迷路みたいな文書を超特急で見直しして、期限間近の午後3時半に納品。漢字満載で延々と続く長大なセンテンス、さんざん苦労して訳したのをカレシに読ませたら、「なんだ、計算の式を言葉で説明しているんだよ」と。なあんだ。そうならそうと初めっから計算式で表してくれたらいいのに。とは言っても、契約文書だからそういうわけにも行かないか。だったら、まずこれを計算して、それからあれを計算して、最後にこれとあれをかけて・・・という具合にもう少し文章を整理してくれたらいいのに。くたびれたよ、もう。その後で急いで夕食をして、入稿が遅れた(そのくせ発注側の最終期限は変更なしの)超特急仕事をやっつけて、赤丸つきの超特急で送って・・・はあ、もういいよ。

納期をメモしてあるカレンダーを見たら、まだあと6つも仕事がある。まだ月が変わったばかりなのに、見ただけで「どっと疲れた」気分になって、もう今日1日。は休みだ、休み!そういえば、1日。は「創業記念日」だったのに、またまた仕事だなんだとばたばたしているうちに過ぎてしまった。ひとりで世渡りみたいな稼業になって21年。まあ、浮き沈みはあったけど、21年の間こんな調子でばたばたして来たような感じもするなあ・・・と、とりあえずの「創業記念日の感慨」。

今日は旧正月の元旦。カナダでは俗に「Chinese New Year(中国正月)」と呼んでいる。中国系の人口が多いバンクーバーでは商店も赤と金と「恭禧發財」の飾りつけ。広東語で「お金に恵まれる良い年を」と言う意味だそうで、さすが香港の伝統だけど、将来、標準語を話す中国本土からの移民が増えたら、バンクーバーでの中国正月のあいさつも変わるんだろうか。旧正月はベトナム系も韓国系も含めて、アジア系カナダ人のお祭りだから、いっそのこと「法定祝日」にしたらどうだろうな。なにしろ、2月には祝日がないもので、きは元旦のあとは復活祭まで祝日がない。この復活祭も3月の下旬から4月の下旬だから、祝日の空白は長い。ちなみに今年の復活祭は4月24日。で、計算の上では最も遅い日。ふむ、ワタシの誕生日の前の日か・・・。

ニュースのサイトを巡回していたら、共同通信発で「生肉の寿司が日本の肉食女子に人気」という記事に遭遇。日本には(食べたことはないけど)馬刺しとかとりわさというものがあるし、世界各地にだってタルタルステーキとかカルパッチオとかユッケとか、肉を生か、少なくとも半生で食べる習慣はあるんだけど、う~ん、肉をのせた握り寿司ねえ。客筋はアラサー世代の女性が多いんだそうな。生の牛肉、豚肉、鶏肉、馬肉、鹿肉・・・まさに「肉食女子」の本領発揮ってところかなあ。カレシに説明したら、(スシだと言ってるのに)なんだか子供の頃にホラー映画で見た「髪を振り乱して生肉を食らっている妖怪女」を想像してしまったらしいけど、今どきの日本女子は比ゆ的な意味で二本足のそれも特にオスの動物も食うという印象がなきにしもあらずだから、あながち・・・?

毎月30/31日。のうちの28日。か29日。は魚介類を主食にしている我が家だけど、記事を読んでいるうちに、何となくたらふく肉を食べたいような気分になって来たからおかしい。まあ、仕事というのは「客」という相手があることだから、いくら自営でもすべて自分の思い通りに運ぶことはほとんどないと言っていい。その点では会社勤めや宮仕えと同じようなもので、ドカ雪みたいにストレスがたまることには変わりはない。それできっと身体が動物性脂肪をたっぷり食べた~いと叫んでいるのかもしれない。ふむ、フリーザーの底に最後のサーロインのローストが1個あったような気がするから、見つかったら久々のローストビーフにするか、それとも大きな鍋いっぱいにど~んとグリコカレーを作るか。ワタシだって肉食女子なんだもの、年を取って少しばかり筋っぽいかもしれないけど、少なくともマグロじゃないんだから、四足動物の肉をたらふく食べたくなるときだってあるのだ。まだ、生身を食うところまでは行ってないけども・・・。

教育ママゴンとタイガーマザー

2月4日。金曜日。穏やかな日差し。温室の中は気温が上がりすぎて屋根が開き始めるほど。おとといの水曜日はグラウンドホッグデイで、北米の東部の各地ではそれぞれに名前のついたグラウンドホッグ(マーモット)が穴から出て来て(というか出されて)、地面に自分の影が見えるかどうかで春の到来を占わされる日。この冬は次々に襲ってくる大雪や吹雪に悩まされ続けたけど、各地のグラウンドホッグ君が眠い目をこすりこすり、「ボクの影、どこ~?」と言ったかどうか知らないけど、影を見なかそうで、「春はもうすぐそこまで来ている」というご託宣だったそうな。

口の悪いカレシは「すぐそこって、あと6日。?6週間?6ヵ月?」とテレビに向かって突っ込みを入れていたけど、影が見えたら「あと6週間冬が続く」。ワタシ突っ込ませてもらえば、グラウンドホッグデイから6週間後には公式に「春」が始まる春分の日が目の前だから、寝ぼけまなこのグラウンドホッグに言われるまでもなく、6週間後には春は来るってことなんだけど。でも、東部にまたまた大雪と寒波の予報が出ている。春は近いというご託宣が希望的観測に終わらないで、当たってくれるかな・・・?

この冬は(というよりはこの冬も)あっちこっちで異常な大雪やら寒波やら大雨だけど、アメリカのさらに南にあるメキシコの北部で雪が降って学校が休校になったという大異変。この日曜日にスーパーボウルがあるテキサス州のダラスも、ひと晩のうちに年間降雪量の倍の雪が降ったそうで、空からの写真を見たら一面の雪景色。ま、屋根があるし、寒いことに慣れているところのチーム同士の対決だからいいけど、11月に決勝戦があるカナダのプロフットボールでは、エドモントンやウィニペグのような冬の訪れが早いところで試合があると、降りしきる雪の中でのプレーということも珍しくはない。

アメリカンフットボールと野球、バスケットボールをアメリカの三大?国技と言っても良さそうだけど、日本の国技となるとやっぱり相撲か。柔道も国技に数えていいのかもしれないけど、プロスポーツとして商業化されている日本固有のものは相撲だけだと思う。いや日本の国技はパチンコだと言った人がいたけど、古来の格式ある大相撲が弟子をしごいて殺してしまったり、賭博に汚染されていたりと、なんか腐りかけた魚のような感じがすると思っていたら、今度は星を融通しあうという八百長スキャンダルで、とうとう春場所が中止になるらしい。格式あるスポーツも何もあったもんじゃないけど、カビの生えた封建的な体質が内部から腐敗し始めたということか。どんな風に変わろうとするのか、どれくらい近代化が可能なのかはわからないけど、一度きれいに解体してしまって、改めて構築し直すしかないだろうな。それも、一般の国民が「国技」としての存続を望むなら、だけど。

今アメリカとカナダで、イェール大学エイミー・チュアという中国系アメリカ人の法学院教授が自分の娘たちの教育について書いた『Battle Hymn of the Tiger Mother』という本がベストセラーになると同時に賛否取り混ぜての大議論が巻き起こっている。彼女が主張する「中国流」の教育法が「アメリカ流」の教育に勝っているかどうかはおいとくとして、まっさきに「ママゴン」という言葉が浮かんで来た。大学受験の試験地獄が過酷になる中で、いい大学に入って、いい企業に就職するためにと子供を勉強、勉強、また勉強と駆り立てていた、いわゆる「教育ママ」を、時の怪獣のブームに乗って「ママゴン」と呼んでいた。チュア教授はそのママゴンと似ていなくもないと思う。

あの頃はまだ機会均等法の前だったから、特に男の子への圧力が大きかったように思う。中には「勉強していい大学に入らないとパパのようになってしまうよ」と息子のお尻を叩いたママゴンもいたそうで、残業に追いまくられる企業戦士の夫たちに欲求不満を抱えていた専業主婦の妻たちがあり余るエネルギーを子供の教育に向けていたようなところがある。チュア教授は自分が父親からそういう教育を受けて成功したからだといいたいようだけど、彼女の父親は中国からの移民で、新天地アメリカで成功するためにはアメリカ人の何倍もの努力が必要だった世代。自分がそういう風に育てられたからと、自分の子供にも・・・というのはDVの連鎖を思わせる。いや、母親が期待する結果を出せなかった娘を「ゴミ」だの「バカ」だのと呼び、すべては「子供のため」にやっていることだと言うのは、DV族の常套句でもある。

ママゴンにお尻を叩かれながら、受験地獄を通りぬけ、一流大学に入って、一流企業や中央官庁に就職した(はずの)男の子たちは、今ごろは一流企業や中央官庁の中堅エリートになって、世界をまたに大活躍しているはずだけど、実際にはどんな人生だったんだろうな。企業も官庁も、汚職だ、隠蔽だ、改竄だ、偽装だ、盗撮だ、買春だ、八百長だ、なんだかんだと、まあいろいろとあるけど。ダボスでハーヴァード大学のサマーズ学長がチュア教授にかみついたそうな。「世界を大きく変えたビル・ゲイツとマーク・ザッカーバーグはどちらもハーヴァード大学中退。タイガーママにとっては失望のいたりだっただろうね」と。チュア教授が自分のやり方に確信を持っていて、娘たちがそれにポジティブに応えていたんだったら、良い結果が生まれるかもしれないけど、彼女の本を買って読む母親たちがみんな大学教授とか企業幹部というわけじゃないし、すべての子供たちが高い能力をもって生まれてくるわけでもない。うまく行かない人生に不平不満を抱え、自分の考えも持たずに闇雲に「タイガーマザー」を模倣して、子供を成功者に仕立て上げることで世の中を見返してやろうというママゴンが大発生したら、未来の人間社会はどんなことになるやら。考えるだけで恐ろしいような・・・。

男にはオレ様遺伝子のスイッチがある?

2月5日。土曜日。ちょっと日があるけど曇りがち。夜には雨の予報。前日カレシがテレビの前でホッケーの試合中を眠り通してしまったとかで、就寝は午前5時に近かった。おかげで起床はあたりまえに正午過ぎ。なんだかこの頃ちょっとばかりヘンだなあ、この人。体重が2キロ増えたといって騒いでいたけど、食事の間にピクルスだのポテトチップだのとやたらとちょこちょこ口に入れていたら、増えても不思議はないでしょうが。三食きちんと食べているのにどうしてそんなにおなかが空くのかなあ。一種のストレス食いというのか、いわゆる「口さびしい」という心理かな。

ときどきカレシの言動を観察してみると、人間の心理、特に男の心理っておもしろいもんだなあと感心することが多い。今日はエコーのバッテリの充電がてら、Hマートに野菜を買いに行って、帰りに園芸センターによってそろそろハーブの苗が出ているかどうか見てくることにした。我が家は市の南の端っこで、コキットラムへ行くハイウェイは市の北側にある。このところ、どこもかしこも道路工事やらインフラ工事で、交通止めだったり、片側通行だったりするもので、渋滞が大嫌いなカレシはあっちの横道に逸れ、こっちの横道に逸れして、市の半分を斜めに横切ってハイウェイに乗るまでに、もうかなりムカついてご機嫌ナナメになっている。

そのハイウェイでHOVレーンを走っていたら、後続の小型トラックがホーンを鳴らした。サイドミラーを見たらかなりくっついて走っている。速度計を見たら制限時速の80キロをちょっと超える程度で、となりの車線の車がビュンビュン先へ行くけど、カレシはスピードを上げる気配なしで、トラックの方もなぜか車線を変えない。ははあ、神経戦か。ちびのエコーとトラックが金魚のウンコみたいにつながって走っている図は滑稽だけど、互いに動物的な以心伝心があるように見えるからよけいにおかしくなる。かってゴルフ場の周りをジョギングしていた頃、散歩をしている犬がこっちの出方を試すようにすぅ~っと遊歩道の中央に寄り、無視して直進するとすぅ~っと飼い主の側に戻ることがよくあった。そう、あれなんだ。カレシとトラックのドライバーはそれと同じような心理行動をとっている・・・。

カレシは何ごともないような顔をして運転しているけど、ストレスを感じたときや自分で気まずい気分になったときにやる、渋い口笛をヒューヒューとやっている。気まずい気分になるならそんな心理戦なんかやらなきゃいいのにと思うんだけど、カレシに限って言えば、イラッとした時点で脳の理性的な領域の思考効率が25%くらい低下し、ムカッと来たら少なくとも50%以上は低下するんじゃないかと思えるところがある。たぶん、そのときに起動して空隙を埋めるのがオスの動物心理なんだろうな。ひょっとしたら、カレシに限らず、男たちはそうやって男同士のコミュニケーションを取ることができるのかもしれないな。昔、男の心理を知りたかったら児童心理学の本を読めばいいと言った人がいたらしいけど、はて、動物心理学の本はどうなんだろう?

そのうちにカレシが車線を変えてスピードを上げたのに、HOVレーンに残ったトラックはスピードを上げない。車間距離がかなり開いたのでゲーム終了かと思ったら、今度はトラックが車線を変更。カレシが(さりげない顔で)スピードを落としたもので、あっという間に距離が縮まって、また金魚のウンコ状態。ハイウェイを降りてしばらく行って、交差点にさしかかったところでトラックは初めてエコーと並んで、ドライバーの顔が見えた。ごくふつうのおじさん的な人で、別にヘンなしぐさをするでもなく、こっちの方をちらりと見ただけで角を曲がって行ったから、この動物ESPによる心理戦はトラックのドライバー氏の方が一枚上手だったというところかな。

まあ、どうひいき目に見たってお子ちゃまっぽい行動としか思えないけど、動物の心理としてみるとオス同士が角を突き合う「縄張り争いのようなものなのかな。それとも、人間の男の脳には、まだ人類が動物だった時代にできた「オレ様遺伝子」というスイッチがあって、理性が効率的に働かなくなったときにカチッと入るのかな。ひょっとしたら、何百万年、何十万年とかけて動物界の頂点に立った人類も、ほんとうのところは自分たちが思っているほどには進化していないってことなのかな。それにしてもまあ、んっとに大の男がいい年こいて、もう・・・。

すてきなオペラジャケットの夢を見て

2月6日。日曜日。目が覚めたらなんだか暗い。また雨もようなのかな。ま、今日はまた期限が迫ってきた仕事にまっじめに取り組まなければならない日だから、雨でも雪でもいいんだけど。

なんたって、きのうは午後は買い物に走り回り、夜はバンクーバー交響楽団のコンサートで、仕事どころじゃなかった。コンサートはドイツ音楽がテーマ。リヒャルト・シュトラウスの『ドンファン』で始まって、リストのピアノ協奏曲。聞きながら、だ~から~ワタシはリストはあんまり好きじゃないんだよなあ、と思っていた。でも、アルメニア人のピアニストはすごかった。第2部のワグナーの『ローエングリン序曲』に続いて、またリストの『死の舞踏』を演奏。聞いているだけでじわじわと汗が出てくるくらいの迫力。最後はシュトラウスに戻って、『サロメ』の「7つのヴェールの踊り」。エキゾチックでなんとなくエロチックなメロディを聞きながら、いやあ、このサロメ、まったくストーカーの先駆者みたいだなあと思っていた。

おかげで、簡単だ~と高をくくっていた仕事、さ~てやっつけるか、と本格的に始めてみたら冗談じゃない。一応はPRの分野に入るものだけど、日本的な発想がほとばしっているという感じで、言葉は平易でも英語的にははなはだしく難解。だいたい、「生活者」ってどういう人なの?「生活」っていったいどういうイメージ?参ったなあ。少なくとも、生きていればみんな「生活」しているわけで、人間として生きていて生活していない人っているの?つまり、人間はみんな「生活者」だと思うんだけど、どうも微妙なところで「生活」についての概念が微妙に違っているような気がする。文化の壁だ、概念の壁だとぶつぶつ言っていたら、カレシが「反対語を考えてみたらいいかも」と提案。う~ん、じゃあ「生活者」の反対語はいったい何なの・・・?

ま、PRなんだから、そう固いことを考えなくても、イメージを表現してあげれば委員じゃないかと思うけど、そもそも日本語の「生活者」のイメージがわかないし、それに対応する英語が浮かんで来ないから困る。たぶんに、英語的には「人間はみんな人間」でしかないんだろうな。つまり、生活者と非生活者、消費者と非消費者、○○と××といった表層的な区分けがない。だからといって、ないで済ませられないのが翻訳業のやっかいなところ。まあ、あしたの午後の期限までに何とかなりそうではあるけど・・・。

文化の「ハザマ」とでもいえそうなところにはまり込んで、なんか今日はストレス。でも、くたびれたら、ゆうべのコンサートの休憩時間にギフトショップで見た「オペラジャケット」のことを考えて、しばし夢想。光沢のある黒の短いジャケットで、フリルやレースがすご~くゴージャス。思わず見とれていたら、「そのイブニングドレスによく合いますよ。袖を通してご覧になりませんか?」とのお誘い。はあ・・・。う~ん・・・。さっさと鏡を持って来てくれたので、着てみたらたしかにぴったりフィットして、何となくセレブになったようなゴージャスな気分。うわわわ、欲しい!だけど、やめといた。やめといたけど、やっぱり気になる。どうやら、ワタシの見栄っ張り心が「欲しい!」って言っているらしい。う~ん、来月のコンサートのときにまだあったら、たまには分不相応にゴージャスな気分に浸ってみたい極楽とんぼに買ってあげようかなあ。(そういえば、値札を見るのを忘れたけど。)仕事、がんばってるもんね。それに、馬子にも衣装って言うし・・・。

生活臭、加齢臭、にんにく臭

2月7日。月曜日。正午ちょっと前、がばっと起きた。外はいい天気そうだけど、今日はそんなことに感心していられない。少なくともは5時までは、トイレに行く時間も惜しんで仕事をしなきゃ・・・。

しっかりと腹ごしらえをして、コーヒーマグを片手にオフィスに出勤。きのう何となく疲れた気分でちんたらやっていて、見直しまで行かなかった仕事。訳上がりの量からして、1時間に千ワードのペースで見直しと書き直しをやらないと間に合わない。それにしても、「生活者」って何なんだろう。やっぱりよくわからない。つまりは「フツーの人」ってこと?バブル時代に高ビーなにわかハイソの連中に「パンピー」と呼ばれた人たちのこと?つまり、一般ピープル?よくわからないけど、「フツーの人」ということにしておいた。

フツーじゃない人たちは生活してないのかどうか知らないけど、いくら雲の上のエライ人だって仙人じゃないんだから、仕事をして、給料もらって、かみさんに渡して(とられて?)、ご飯を食べて、テレビを見て、たまには浮気心のひとつも起こして、くたびれて寝ているはずだよね。つまりは、下界のフツーの人と同じようにまっとうに「生活」しているってことだろうに、「そこの生活者の人~」なんて態度が透けて見えるからおもしろい。うん、「そこの業者の人」と言うのと同じ心理なんじゃないかな。それにしても、この仕事は裃を着たような文体に最近やたらと増殖中の「ばか丁寧語」が交錯していてやりにくいことこの上ない。きっと若い人が書いたんだろうけど、腰を低くしようという努力を褒めるべきか、それとも中身のない腰の低さを批判すべきか。まさに「日本語のゆれ」というところ。こっちは船酔いしそうな気分・・・。

ほんとにトイレにも行かず、飲まず食わずで4時間。がんばった甲斐があって、無事納品。いや、こういうのはくたびれる。あんがい、いちいち考えながら仕事をするようになったのかもしれない。駆け出しの頃はもっとパカパカと快調すぎるくらい快調に仕事が進んでいたような気がするもの。まあ、駆け出しだったからこそ物知らずの怖いもの知らずで、感覚的な判断だけでやっていられたんだろうけど。あの頃の仕事を今読み返したら、きっと顔から猛烈に火が出そうだし、大きな穴をいくつも掘らなければならないだろうな。まあ、日本語の変化に追いつけなくなって来たということもあるかもしれないけど、単語や表現に疑問を持ったり、考えたりして、ウンウン言いながら仕事をするようになったということは、ワタシも少しはプロとして成長したってことかもしれない。ほんとにそうだったらいいんだけど、う~ん、やっぱりくたびれるよ、もう・・・。

夕食のしたくの時間ギリギリで、トレッドミルでの息抜きは後回し。食材をフリーザーから出しておくのをすっかり忘れていたから、一番早く解凍しそうな平べったいカレイを出して来て、袋ごと水につけて急速解凍。なんちゃらケイジャン風に調理して、いんげんとかぼちゃを蒸して、ささっと出来上がり。その間にカレシが「腹が減った」とイラン産のにんにくのピクルスを口に放り込むもので、にんにくのアロマがキッチン中にじわ~ん。あのさ、あんまりぼりぼり食べると、毛穴からもにんにくのアロマが漂って来るよ。ワタシは慣れっこだから別に気にならないけど、あるところのオンナノコたちは何かにつけて他人のことを臭いと言うから、にんにく臭にさらされるストレスはおじさんの加齢臭に勝る凶器になるかも・・・なんて。(よく見たら、「臭」という字は「自」の下に「大」。文字の由来を調べたらおもしろいかも。)

ストレスといえば、今夜は息抜きにサポルスキー先生の講義を聞こう。第10回目のテーマは『ストレスと免疫』。心理神経免疫学という舌をかみそうな分野の話で、なぜストレスにさらされると病気にかかりやすいのか?なぜストレスにさらされると風邪を引きやすいのか?ふむ、ずいぶん長いこと風邪を引いてないなあ、そういえば。ということは、ワタシにはストレスが足りないのかなあ。まあ、だから極楽とんぼなんだろうけども・・・。

寝ているときの咳には気をつけて

2月8日。火曜日。何となく早めに起きてしまって、正午前に朝食を済ませた。どういう風の吹きまわしか知らないけど、近頃はめずらしいなあ、こんなこと。キッチンで電話が鳴っていたのを夢うつつで聞いていたのを覚えているから、それで早くに目覚めモードのスイッチが入ってしまったのかも。ま、どうせあしたの飲料水の配達の確認なんだろうけど。

なぜか今日は朝から腰が痛い。ここのところちょっと咳がついていて、寝ているときに急に咳き込むことが多かったけど、寝ている状態で咳き込むのはリラックスして緩んでいる背骨にとってはかなり危険なことなのだ。一番危なかったのは25年前で、首がおかしくなった。最初はカキンという程度だったのが、じわじわと頭痛が始まって、そのうち痛みが首の後ろから頭頂部を通って鼻の先までっ伝わるようになり、寝返りをするたびに激烈な頭痛で目が覚め、頭痛のおかげで吐き気が止まらなくなり、片方の腕に力が入らなくなった。その頃になってやっとがまんできなくなってドクターに相談したら、即刻近くの物理療法士のところへ送られて、第2頚椎がずれているということで即刻それを元の位置に戻す荒療治。

その後、いつだったか忘れたけど、今度は咳き込みで腰椎を傷めた。痛いときはそろそろと歩くのがやっと。その頃は座業になっていたから、もっぱらヒートバッドを椅子の背において腰を温める作戦が頼りだけど、何かにつけて再発する。あるときドクターにまた腰が痛くて、今度はおなかから膝にかけて鈍い痛みが響くと言ったら、「内科疾患の可能性もあるから消炎剤は出せないよ」と言われてしまった。腰痛がなんで内科疾患?と思ったけど、ワタシはなぜか痛みのしきいが高いらしくて、薬がなくてもちょっとやそっとの痛みは耐えられるから、ああそうですか。ところが、それから1、2ヵ月くらいして「急性腹症」というヘンな名前の病気で緊急入院。まったく知らないうちにできて大きくなった卵巣膿腫が破れたのだった。腰痛とは別のところで膨らんだ膿腫が神経を圧迫して神経痛みたいなことになっていたらしい。ドクターの慧眼に感服したけど、ただの腰痛だと思って鎮痛薬を飲んでいたら、かなり危険なことになっていたかもしれないな。

ちなみに早朝の電話は番号表示が「ニューヨーク」になっていて、ボイスメールのメッセージを聞いたカレシが「急ぎの仕事があるって言ってるよ」と報告してきた。会社の名前を聞いたら、もう5年くらい前に法律関係の英訳のトライアルをやったところで、めったに同意しないトライアルを気まぐれで受けて、審査を依頼された法律専門家からめったにつかないという「A」の評価をもらったけど、スケジュールが合わなくてそれっきり。それでも懲りずにちょくちょく仕事の話を持ち込んでくるのはいいけど、実績がゼロなもので常連が手一杯で他にやる人が見つからないときだけ。残念ながら、そういうときはワタシも手一杯というわけで、未だに恋人もどきのすれ違いばかり。まあ、2年後には仕事を減らす方に傾きつつあるから、今さらクライアントを増やそうという気にもなれないんだけど。

今日はもう大事を取って仕事は休みということにして、背中を温めながら1日。中かなりだらけ気分でPCの前に座っていたら、おお、だいぶ良くなった。ん、座業の仕事と同じようなことをやっているだけなんだけど、そこはストレス誘発性の咳にはサボるのが一番の薬だから・・・。

国際結婚は大変だというよりも・・・

2月9日。水曜日。何度も咳で目を覚まして、やっとまともに眠れたのは午前9時くらいになってから。まだ危なっかしい腰を悪くしないかと心配で、思いっきり咳をすることもはばかられて悶々としていた。おかげで起床は午後1時ぎりぎり。ま、いいんだけど、ふと換気装置のフィルターをかなりの間交換していないことに気づいた。もしかして・・・?

短い午後は向こう1週間の仕事の算段。納期はこっち時間の月曜日に1件、水曜日に2件、金曜日に1件。残る2件はその1週間後だから、とりあえず横においておくことにして、4件合わせて1万5千語。来週の木曜の夜は上演時間3時間プラス休憩2回という長丁場の芝居に行く予定だから、そっくり勤務時間から外してしまうと、あしたから数えて1日。あたりの作業量ノルマは2000語弱。ほっ、これなら普通のペースで行けるな。だら~んとしなければの話だけど・・・。

あしたから数えて、だから今日は休み。腰の具合も考えてトレッドミルも休み。短い午後はほんとにあっという間に過ぎてしまって、夕食を作って、カレシを英語教室に送り出して、換気装置のフィルターの交換。冬なので給気側のフィルターはそれほど汚れていない。吸い込まれる虫もあまりいないから、くもの巣もほとんどない。排気側はと見ると、うわっ、すごい汚れ。熱交換装置がほこりや油汚れで詰まらないように入れてあるフィルターが詰まっては、家の中の汚れた空気がうまく排気されずに残ってしまうんだろうな。それで咳が出るのかどうかはわからないけど。きれいなフィルターを入れて、汚れたのは洗濯機にポイ。ついでに思いついて冷凍庫の引き出しがなぜ外れるのか点検。あは、スライダーにボックスを固定するねじがない。抜け落ちたのか、初めから抜けていたのか。とりあえず、ワタシの「ねじコレクション」の箱をかき回して、これはと思うサイズのをシリコーン接着剤と一緒にねじ穴に差し込んでおいた。(このシリコーン接着剤はちょっとした修理でダクトテープに勝る力を発揮してくれるワタシの良き相棒・・・。)

後は腰を温めながらのんびりと小町横町の人間模様の観察。『国際結婚の何が大変?』というトピックがあって、これから国際結婚をする人の相談かと思ったら、あちこちのトピックに書き込まれる「国際結婚は大変なのよ~」のコーラスに、国際結婚も日本人同士の結婚も大差はないと考える人からの「具体的に何が大変なのか」という質問。同感して大差はない、特別なことはないという人もちらほらいるけど、やっぱり「大変なのよ」勢が圧倒的な流れになっている。何が大変かって、煩雑な手続き、、言葉の壁、文化の違い、人種差別、里帰りの経済的負担、食べ物の問題、義家族との付き合い、異国での老後の心配、国際離婚の難しさ・・・だから、(日本人同士の結婚に比べたら)国際結婚はそれはもう大変なのよ~。

ふ~ん、そんなもんなのかなあ。ワタシはそういう「大変、大変」を小町の書き込みにしょっちゅう出て来る「専業主婦は大変なのよ~」とか「兼業主婦は大変なのよ~」とかその他諸々の「大変なのよ~」発言と同じようなものだと思って読んで、どれもそれぞれの対極にある人たち(専業主婦対兼業主婦、独身対既婚、国際結婚対日本人結婚)と比べて、「アタシの方がずっと苦労していて、ずっとがんばっているんだから(対極より)エライのよ」と言うような、早く言えば、他人と比べることで自分は特別な人間なのだと確認したいという心理があるんだろうと思っていた。要するに、自分の生活にいろんな不平不満や苛立ちがあって、あまり幸せでないということかと。

国際結婚は大変だという理由はわからないでもないけど、自分は国際結婚しているんだという認識が強い人ほど、大変だ、大変だと言っているように、少なくともワタシには見えるな。文化の違いはグローバル時代の今はどこに行っても遭遇する。「社会文化」というのはある社会である性格タイプの人たちが多数であることによって形成されるところがあるから、「文化の壁」は自国人同士の性格の違いから来る「相性の壁」よりずっと高いということはないと思う。「言葉の壁」のせいで、自分の気持を思うように表せない、互いに深く理解し合えなくてもどかしいと言うけど、出会った瞬間から言葉の違いはあっただろうに、恋愛中はどうやってコミュニケーションを取っていたんだろう。言葉で意思を伝えられなくて、どうやって結婚話に発展したのかな。まあ、小町を見れば日本人同士の結婚でも日本語でのコミュニケーションが取れていないとわかる人たちがたくさんいるから、恋愛には不思議な魔法の言葉があるのかもしれないな。恋愛と結婚は別だと言う人も多いことだし。

人種差別は国際結婚とは直接関係はないんじゃないかな。「日本国内では感じられないアジア人差別のようなものが感じられる」という書き込みにはつい笑ってしまったけど、そりゃあ日本人はアジア人であっても日本国内では差別を感じることはないだろうな。自分たちの国なんだし、それに自分たちはアジア人じゃないと思っているらしい人も多い。(これも明治の脱亜入欧政策の所産かな・・・?)だから、日本には人種差別がない、日本人は人種差別をしないと、あっけらかんと言えてしまうんだろうと思う。外から見ている限りでは、同胞も含めて異質な人間を嫌って排除しようとすることにかけては、日本人はどこの国の人種差別主義者にも引けを取ってないけどな。ひょっとしたら、異質なものを排除したいという衝動は生物が進化の過程で自己保存のために発達させた免疫機能と関係しているじゃないのかなあ。ま、人間にはそういう本能を制御できる理性があると思うんだけど・・・。

堅い文化論はさておいて、外野席から見る小町横町の人間模様はほんっとにおもしろい。まあ、国際結婚は大変なのよっ!と言う人がたくさんいるようだから、その人にとってはほんとに大変なことなんだろうし、大変だと感じる理由も具体的には十人十色の人それぞれなんだろう。人間として生きて行くだけでも大変なんだけど、それがたとえ自分の意志で選んだ人生であったとしても、言葉やら文化やらなにやらの高い壁に囲まれての人生だったら、空気を読んで意思伝達ができてしまう(らしい)日本人との結婚生活に比べたらもっともっと大変なんだと言いたいのかもしれない。それでも、不平不満や苛立ちはあっても、毎日がんばって結婚生活を継続しているからこそ、それを知らない人たちに「大変よ~」と言いたくなるんだろうな。つまり、「国際結婚は(私が)どんなに大変なのかちっともわかってない人たちにわかってもらうのが大変なのよ」というところかな。結局は日本人同士の結婚の「大変さ」と格別の大差はないような・・・。

終わり良ければすべて良し

2月10日。木曜日。朝っぱらからどういう風の吹きまわしのかか知らないけど、カレシのキスで(半分くらいだったけど)目が覚めて、しばらくむにゃむにゃ。あの~ワタシは白雪姫じゃないんだけど。せっかく咳もせずによく眠っているのに、んっとにもう~と思ってはっきり目が覚めてからよ~く見たら、我がプリンスはカエルにならずに、ちゃんといつものカレシだった。ああ、よかった。うん、どうも近頃はかわいいお姫様がチャーミングな王子様にキスしたとたんに王子様がカエルに変身してしまうという現象が多いらしいから。それも、かわらしいアマガエル君ならまだしも、ふんぞり返ったお殿様ガエルじゃねえ・・・。

今日はそれほど暖かくはないけどいい天気。向かいの桜の木には間違いなくピンク色のつぼみがちらほら。オリンピック開催を目の前にした去年の今ごろは、開いた花がちらほらしていたっけ。1年が経つのは早い。今日は郵便受けに州の公務員の組合年金の事務所からの郵便。去年の物価上昇率に合わせて、カレシの年金の基本額が35ドルくらいアップ。(国の厚生年金と老齢年金も1月から増額になっている。)一緒に入って来たニュースレターを見ると、来年度からは、今ベネフィットとして含まれている医療保険と特別医療保険のうちの歯科保険を廃止することになったとのお知らせ。州の医療保険料は夫婦2人で月額45ドル、歯科保険はこれも夫婦2人で月額42ドル50セントで、前者は自己負担ゼロ、後者は何割かの自己負担がある。(どっちも日本円にして月4千円以下。)まあ、どっちも保険料は課税対象給付なので、自分で払えば少しは税金が減るってことか。要するに、今年からベビーブーム世代が定年に達して年金をもらいはじめるので、将来にわたって物価調整制度を維持できるための財源確保が目的なんだそうな。たしかに年金の基本額が物価に合わせて増えていく方が、将来(可能性は低くても)猛烈なインフレが起きたときに助かるな。

さて、週末にかけて雨の予報ということで、今日はまずワタシがひとっ走りダウンタウンのHマートに行ってバレンタインデイのディナーにあると良さそうなものを買って、カレシとモールの青果屋で落ち合って野菜類を買い、酒屋へ行って在庫僅少になったものを買う、という算段にした。地下鉄の駅までの途中に最近の新聞の記事に売値が「130万ドル」と出ていた新築の家があって、ぱっとしない家の前を歩きながら、交通の激しい道路に面した標準サイズの区画でコミュニティカレッジの向かいの変哲のない家にそんな大金を払う人がいるんだろうかと思っていたら、裏庭の方から不動産屋らしい女性の声が聞こえた。ふむ、買おうかと思う人はいるってことか。

ダウンタウンのHマートは韓国や日本からの語学留学生やワーホリ族が重要な客筋らしく、郊外の韓国系移民コミュニティ向けのとはちょっと品揃えが違う。たとえば、袋入りの「天かす」は郊外の店にはない。生干し冷凍のシシャモもない。というわけで、天かす3袋、シシャモ2パック、生のサバ1パック、爪を立てたらはじけそうな大根1本、マイタケ1パック、大粒の金柑1パック、きれいな模様の入った赤白の板附かまぼこ1個、そして・・・どういう風の吹きまわしか冷凍の「あんこう」のぶつ切り。土曜日には郊外の店で冷凍の太刀魚の切り身を買ったけど、実はどっちも日本では見たことがなかったし、まだ一度も食べたことさえない魚。どんな味がするのかもわからないのに、どうしたもんだろうなあ。まずはレシピを探してみなきゃ・・・。

一緒に夕食のしたくをしながら、カレシが今月いっぱいで英語教室を閉めると宣言。(ただし、ネイバフッドハウスの方で最低10人の生徒をまとめたら気が変わる可能性あり。)俗に十年一日と言うけど、教えるのが好きというだけでは無報酬のボランティアで10年も続けるのは難しいと思うから、カレシはよくやったと思う。中年の危機だか何だかすっかりのぼせ上がって、日本に行って英語教師になる(そして「カリスママン」になる)ためにコミュニティカレッジでESL教師の養成コースを取って、実習と称して悪名高いナンパクラブに入り浸るようになったのはもうかれこれ12年前。日本で英語教師になる(カリスママンになる)夢は叶わなかったけど、この国で少しでも良い暮らしをするためにもっと英語を話せるようになりたいと真剣に望む人たちに教えて、就職口が見つかった人たちやカナダ生まれの孫たちと会話ができるようになったという人たちに感謝されて、お金の多寡では測れないものを得たんじゃないかと思う。ま、終わり良ければすべて良しというから・・・。

どこの国でも年金は悩みの種

2月11日。金曜日。暗いなあ。あまり暗いから、目が覚めてみたら午後12時50分。ふむ、気持良さそうにぐうすか眠っているカレシの鼻の先をこちょこちょ。ねえねえ、1時10分前だよ、起きないと夕食の時間になってしまうよ~。カレシが片目を開けたので、こら~、もうすぐ1時だよ~なんてだらだらやっているうちに午後1時。「そろそろ起きようか」の何だか知らないけど何とかの一声で起床。ひょっとして、ふたりとも完全にご隠居さんになったら、毎日がこんな風になるのかなあ・・・。

身づくろいをしていると、先にキッチンに下りて、テレビをつけて朝食のしたくをしていたカレシが、「おい、ムバラクが辞めたってさ」。おお、エジプトの人たち、ついにやったんだ。穏やかで辛抱強く受身の国民性と言われるエジプト人が、ここまでデモ攻勢をかけて来られたのは、それだけの「もうがまんがならない!」という状況があったんだろう。ムバラクはその空気を完全に読み損なった、というよりは、あまりにも長く政権を牛耳っていたもので、空気を読めなくなって、ついには読む必要はないと思うようになっていたんだろうな。最後のひと押しは軍部だったそうだけど、日ごろムバラクと接触のあるエジプト軍の上層部はナセル政権の時代にソビエト独裁体制のロシアで幹部教育を受けたのに対して、実際に束ねとなる中堅幹部はアメリカで幹部教育を受けた人が多くて、民主主義国家における軍の役割をある程度理解していると思うから、まあ周辺のいつも頭に血が上っている男が牛耳る諸国よりは見通しは明るそうだな。

今日の郵便にはカレシの公的年金についてのお知らせ。そっか、2月は所得税の確定申告に必要な前年度の利子や年金の支払額を証明する書類が送られて来る月なんだ。カレシは3つの年金をもらっているから証明書は3通あって、今回は2つの公的年金。書類は申告用書類をまとめてあるファイルに直行。ワタシの関心はいっしょに送られてきた「年金制度の変更のお知らせ」。なにしろ、あと2年と2ヵ月とちょっとで、受給申請手続きまで1年とちょっと。カナダ居住年数が基準の老齢年金(OAS)は年度ごとの予算でまかなわれるけど、勤労者と雇用主が年収に応じて拠出するカナダ年金制度(CPP)は一般会計とは別の掛け金を運用する年金基金が財源になっているから、連邦政府管掌の公的年金もカレシの組合年金の基金と同様に巨大なベビーブーム世代の引退、年金受給開始という問題を抱えている。

年金基金を健全なレベルに確保するためには改革が不可欠ということで、2012年から60歳以上70歳までの人でCPPを受給しながら働き続ける場合は、65歳以下の場合は継続、65歳以上は任意という違いはあるけど、勤労者も雇用主もCPPの掛け金を払い続けることになる。(掛け金を払い続けることで年金の受給額が増える。)ワタシのように勤労者と雇用主の両方を拠出する自営業の場合は、2012年1月から、営業を中断されることなく年金を受給できるようになる(ということは、何かワタシが知らないでいた制限があったのかなあ)。さらに、年金をもらいながら仕事を続けて(勤労者かつ雇用主として払い込みを続けて)行けるだけじゃなくて、収入が極端に少ないかゼロの期間が続いた場合は、その期間を年金の支給額の数理計算から除外してくれるらしい。

自営業は収入が一定しないから、景気が良ければ一瞬セレブ気分だけど、景気が悪くなれば貧困ライン以下。CPPは原則として18歳から60歳以上の受給開始までの年数が支給額計算の基礎になるので、そういう「不況年」が多くなると最終的な受給額が低くなってしまうから、そういう特殊事情を勘案してくれるシステムはうれしい。まあ、子育てのために何年か休職したりして無収入になる人たちについてはすでにその年数を計算から除外する制度が導入されているから、老後も働いて自立することを促すという考えも必然的な流れだろうな。まあ、根本的には「65になっても隠居なんかしないで、そのまま働いて年金の掛け金を納め続けてくれれば助かるんだけど~」ってことなんだろうけど。

基本的にCPPの掛け金はどんなに天文学的な給料をもらっていても原則的に一人当たりの平均所得に近い部分についてしか納めることができないから、18歳からずっと働いて目いっぱいの掛け金を納めたとしても、現在では満額のCPPとOASを合わせても相当な貧乏を覚悟しなければならない。つまり、いろいろな事情で老後は公的年金が頼りという人口が増えると想定した上で、受給人口が増える中で年金基金の資産を枯渇させないためには、継続して働いて掛け金を納め続けてもらいたいという魂胆なんだろうと思う。それで、各州とも労働法から「65歳定年」の規定を撤廃しつつあるから掛け金の払い込みを65歳でストップする理由はないわけで、(他に収入のあてがあれば)働かずに年金をもらって悠々自適で暮らすのもよし、老後資金が足りなかったり、仕事が命というのなら、年金は受け取る一方でそのまま働き続けるか、パートなり何なりで働いて、掛け金を払い続けて最終的には年金受給額を増やすのもよし、という選択肢を設けたんだろうな。

あと2年とちょっとなんてあっという間に過ぎてしまうけど、自営業といえば結局は自分の「事業」の経営者であり、同時に社員でもあるわけで、「定年」の日に私物をまとめた段ボール箱を抱えて「はい、さよなら」と職場を後にすることもできないから、それまでに最終的にどうするかを決めなくても良くなったようなのはありがたいな。まあ、その日が来たら、仕事量を今の半分くらいに減らして、当面の間は趣味が本業で報酬仕事は副業ということにしようと企んではいるんだけど、その間も私的年金の積立に加えて公的年金の掛け金も払い続けられるようになるわけで、ワタシの老後の安心度、もうちょっと上がるかも・・・。

バレンタインの贈り物は駐車違反切符

2月12日。土曜日。雨。うわ、かなり本気で降ってるなあ。ま、白いものよりはいいけど。池は満タンになっているし、カレシが新しい土と堆肥を入れてえんどう豆を植えるつもりで掘っておいた溝もお堀みたいなありさま。我が家のあたりは大昔はフレーザー川の川底だったそうで、粘土質の土なものであまり水はけが良い方ではない。それで、あちこちに砂を混ぜたり、野菜類のくずはすべて堆肥にして埋めているんだけど・・・。

今日はいったいどれくらい久しぶりなのかわからないくらいに久しぶりのディナーにおでかけ。まあ、12月はクリスマスを控えて外食を控えがちだし、年明けの1月はレストラン業界が閑散期で、バンクーバー観光協会が地元客の誘致行事としてDine Outというキャンペーンを展開する月で自然と足が遠のくからしかたがない。このキャンペーンには市内のちょっとしたレストランがほとんど参加するし、前菜、メイン、デザートの3コースが安いところでは18ドル、高いところでも38ドルで食べられるから、名の知れたところは予約で満杯になる。だけど、たとえばWestで3コースのディナーが38ドルといっても、普通に3コース選んで食べる場合の半分以下の値段では食材の選択肢がかなり制約されるだろうな。シェフが比較的安価でもふだん来ない客にはわりとなじみの薄い食材を工夫してレシピを書いて、キッチンを助手にまかせて自分は休暇を取るんじゃないかな。よくできたアイデアだとは思う。

レストランは客を呼び込めるし、客も普段行かないレストランを試してみることができるし、良いところの料理は安くてもそれなりに良いから、アイデアとしてはすばらしいんだけど、食事に行こうかと思い立ったときに予約がとれないから足が遠のいてしまうわけ。そこでカレシ、Tojo’sに電話をして真っ先に「おたくはDine Outに参加してるの?」と質問。返事がノーだったので、「普段のメニューをやっているところを探していた。あれ、おたくは参加しなくても別にどうってことないんでしょ?」とお世辞たっぷり。予約の6時に行ってみたら、バレンタインのおまかせメニュー(といっても普段のおまかせとほとんど変わりなかったけど)をやっていて、Dine Outが終わる週末なのに7時にはほとんど満席になったからすごい。

窓際に近いテーブルを取って、ビンナガのたたき、和牛のコロッケ、カニのサラダ、マグロののり巻きてんぷら、スモークギンダラの奉書焼き、と続いて、ふと外を見たら、道路向かいに止めた車のそばに黄色ジャケットの人の姿。いっけな~い、駐車メーターにお金を入れるのをケロッと忘れてしまっていた。かなり長いこと駐車メーターにとめるところへはおでかけしていなかったもんねえ。といっても言い訳にはならないけど、いつもメーターにお金を入れるワタシがすっからかんに忘れていたんだから、これもある意味ですごい。駐車違反のケットをワイパーに挟んで行くのを、道路越しに見物しているしかないわけで、やれやれ。こうなったら急ぐこともないということで、越後の純米大吟醸の冷酒をゆっくりと飲み干して、握りとロールの寿司盛り合わせをゆっくりと賞味して、抹茶とダークチョコレートのガナッシュにハート型のホワイトチョコレートを載せたデザートをゆっくりと味わって、久しぶりのディナーは終わり。

メーターの時間オーバー(メーターにゼロが4個点滅)の罰金は3月18日。までに払えば35ドル。それ以降だと倍の70ドル。まあ、とんだバレンタインのプレゼントになったわけだけど、これだったらヴァレ(駐車係)に料金とチップを払ってめんどうをみてもらった方が安いなあ。メーターだと最高2時間までだけど、ヴァレに頼めば時間切れの心配はないし。(Tojo’sでのディナーの時間がWestなどでの半分で終わるのは日本食レストランだからなのかな?なぜかあっという間に終わるような気がする。)ま、カレシがDine Outが終わったことでもあるし、また少しちょくちょくディナーに出かけるようにしようかと言うので、この次はヴァレがいるところにしようかな。どこがいいかな。まあ、何年か前までのように外へ食べにでかけるのがめんどうになったというわけでもないと思うんだけど、どこもほんっとにしばらく行ってない気がするなあ・・・。

今夜はバレンタインデイ・スペシャル

2月14日。月曜日。カレシの腕の中で目を覚ました。あ~ら、なんだかちょっぴりロマンチックなバレンタインデイというところかな。外はかなりの雨。きのうはスケジュールの少しばかりの遅れを取り戻すべく一日中わき目も振らずに超集中で超特急の仕事。原稿を読んでいる方は超退屈なんだけど、訳文を利用する方にとっては人生の分かれ目になりかねないから、なんとなく責任を感じてしまうような仕事・・・。

朝食後も再び午後いっぱいかかって超特急で見直しを済ませて、なんとか予定通りに送り出して、さ~て、今夜は「極楽とんぼ亭」でバレンタインを・・・。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(アスパラガスのしょうが風味スープ)
 変わりかまぼこ入り茶碗蒸し
 ほたて、きゅうりとしょうがのぽん酢漬け
 なんちゃってあんこう鍋風魚介スープ
 ブルコキビーフ入りポテトコロッケ
 スズキのフライパン焼き、野菜添え
 (サラダ)

いつもながら大枠のメニューとして食材の核となる魚介類や肉を決めて解凍しておく。付け合せは、使いそうな野菜類をカウンターに並べておいて、後は行き当たりばったり。どうなることやらと思うけど、まあ、そこは極楽とんぼ亭シェフ得意の思いつき料理・・・。

[写真] アスパラガスを3本、しょうがの塊と一緒にチキンストックでゆでて、しょうがを取り出してから、ハンドミキサーでビューレ。ほんのちょっぴりの生クリームとフランスのしょうがのリキュールを少し加えて、ショットグラスでテーブルへ。クリームスープにしようと思っていたけど、しょうがの微妙な味が意外とアスパラガスの青い味によく合っていたので、クリームはほんのおしるし程度。グラスを使ったのでスプーンはいらないんだけど、日本で買った漆塗りの小さなスプーンを添えてみた。

[写真] おめでたそうなきれいな模様のかまぼこ。茶碗を使うと量が多くなるので、小さな深皿を使ってみた。卵は1個を溶いて半量くらいを取り分け、卵と合わせるだしには底に入れたしめじをゆでただし汁も足した。今度はすが通らずにうまくできたから合格点・・・。

[写真] スライスしたきゅうりと、刻んだきゅうりとしょうがを混ぜたものをぽん酢に漬けておいて、ホタテはそのままフライパン焼き。きゅうりのスライス、ほたて、刻みきゅうりとしょうが、ほたての順に積み上げて、かいわれ大根で彩り。

[写真] 思いつきで買ってしまったあんこうのぶつ切りは、いろいろ調べて、初トライはごく少量を鍋風に調理してみるのが無難と判断。切り身に熱湯をかけておいて、一緒に入っていたしっぽはだしに入れて味を出し、白菜、ねき、しいたけ、しめじ、エビとイカを加えてできあがったのが「なんちゃってあんこう鍋風」のスープ。写真で見たふにゃふにゃしていそうな姿かたちのわりには歯ごたえがあった。

[写真] 土曜日にTojo’sで出された和牛のコロッケにヒントを得て、挽き肉の代わりに牛肉のスライスを細かく刻んだものをブルゴキソースに漬け込んでおいて、ゆでて潰したポテトの中に「あん」のように入れて揚げてみた。ふた口ぐらいで食べられるミニコロッケ。コチュジャンを入れたらもう少しピリッとしたかもしれない。衣の下の卵は茶碗蒸しに使った1個の残り。すそにさっと残りの残りの卵をつけたアスパラガスとグレープトマトを軽く揚げて、ブルーベリーと一緒に付け合せ。

[写真] スズキ(sea bass)はあまり手をかけない調理方法が甘さが生きて一番おいしい。そこで、こしょうと紫がかった(すごく塩辛い)ハワイのアラエアの海塩をパラパラと振って、オリーブ油でフライパン焼き。大きなシャンテレルきのこは大粒の白ぶどうといっしょにバター焼きにして、蒸したアスパラガスとスナップえんどうと一緒に付け合せ。飾りにグレープトマトとかいわれ大根を添えたら、けっこう華やかなメインコースになった。写真がボケて見えるのは、マティニとワインのほろ酔い効果・・・?

下ごしらえに1時間弱で、アミューズブーシュをテーブルに出してから、各コースを調理して出しながら、メインコースに至るまでの所用時間はだいたい2時間。まあまあ手際よく行ったと思う(駐車時間オーバーの違反切符もないしね。)ハッピーバレンタイン!

さて、気合いを入れて仕事の続きにかかるか・・・。

2400年分の献立!

2月15日。火曜日。目が覚めたときは明るかったのに、朝食の頃には曇ってきた。まあ、予報はずっと雨だから、ちょっとひと息だったのかもしれないな。気温は正午を過ぎて7度。日が差さなければあまり下がることはないし、高台で雪がちらつくくらいに下がっても、確実に春はそこまで来ているという感じはする。道産子のカンみたいなものかな。

バレンタインの東京は雪だったそうな。お客さんが滑るし、靴は濡れるしで、歩くのが大変だったと言っていた。雪が降るといつも雪道で転んで怪我をした人の数が報道されるけど、いちいち報道するのって東京圏に雪が降ったときだけのような気がする。水分の多い雪はスノー底になっていない靴で踏みしめるとよけいに滑りやすくなるからめんどう。まあ、それなりに雪道の歩き方というものがあるんだけど、ふだんあたりまえに何気なく歩いているときにはあまり使わない筋肉までがっちり働かせないと、つるり、すってん。そんなときにもしも、寒いからって手をしっかりポケットに入れていたら・・・。

今日はカレシの英語教室。「今日を入れて後4回で終わりだぞ~」と、なんだか定年の日を指折り数えている勤め人みたい。まあ、最初のときは定年までまだ8年もあったのに雇用主側から「退職」の引導を渡された形での退職だったので、指折り数えて待つチャンスがなかったから、第二の引退を楽しむのもいいかもね。もっとも、あしたボランティアプログラム責任者のロバータと会って話をした結果次第では9月までの「サバティカル」ということになる可能性もなきにしもあらずらしいけど、それはカレシ次第。けさは久しぶりに元同僚でつかず離れずの長いつきあいを続けているリチャードから電話でランチをしようという誘い。さっそく英語教室の準備の時間が不要になる再来週の火曜日に約束を入れていた。(リチャードはカレシより15歳年下で、弁護士と会計士のダブル資格を持つ秀才で、今は投資会社の共同経営者になっている。裕福な家のお坊ちゃん育ちだし、ちょっと見たところは水と油のような2人なんだけど、ウマが合うらしいから、人間関係はおもしろい。)

カレシを送り出して、やおらチヂミのソース(タレというのかな)を作り始める。検索して見つけたレシピが3つあって、共通のコチュジャンとにんにくとゴマ油と醤油以外は少しずつ材料が違う。めんどくさいから3つのレシピに書いてあるものをぜんぶ入れて、すった白ゴマをたっぷり入れて、ミニ鍋で火を通してできあがり。たっぷり入れたコチュジャンが効いてちょっと辛い。あとは、午後11時のランチの時間になったら、チヂミのミックスにニラをたっぷりときのうのディナーで使い残した細切れビーフのブルゴキを混ぜ込んで、ちょっと変わった(でもないかな)コリアンパンケーキを焼いてあげる。これがカレシの大好物で、好きだった日本のお好み焼きよりもふか~くはまってしまって、特にリッチモンドの日本食レストランで注文したお好み焼きにマヨネーズがかかって出てきてからは、そっちには見向きもしなくなった。(日本のマヨネーズはしょっぱいから好きになれないんだそうな。)

今日のジャパンタイムズにクックパッドと楽天レシピの熾烈なシェア争いの記事が載っていた。クックパッドはワタシもどうしていいのかわからない日本の食材を買ってしまったときにのぞいてみるけど、レシピの数87万件、利用者1千万人。うち96.5%が女性で、そのうちの75.3%は既婚。有料の会員は日本の人口の300人に1人に相当する45万人で、会社の売上は20億円を超え、利益も5億円超とか。この87万件もあるレシピを毎日ひとつずつ試してみるとしても、ゆうに2400年近くかかってしまう勘定で、考えただけでおなかがはちきれそうな感じがするけどな。まあ、ワタシはどうもマニュアル通りに事を運ぶのが苦手な性質らしくて、あまりまじめにレシピの通りに料理することがない。手順をざっと読んだ後は「極楽とんぼ流」にやってしまうから、レシピとは似ても似つかない料理が出来上がることが多い。それで誰かが腕によりをかけたあんこう鍋のレシピが「なんちゃらあんこう鍋風スープ」に変身してしまうんだけど、そこはそれ、言葉が生きものなら、料理だって生きもの。おかげで毎日の料理当番も飽きないし・・・。


2013年1月~その2

2011年01月31日 | 昔語り(2006~2013)
現代版「大学は出たけれど」

1月16日。水曜日。午前11時50分、目覚ましで起床。気温はプラス3度。今日は掃除日だけど、シーラとヴァルの到着が遅れていて、ちょっとゆったりと朝食。使った食器を食洗機に入れ、キッチンカウンターのリサイクル品を片付けて掃除の準備完了というところで登場。ヴァルが開口一番に「パトカーがぐるぐる回っているけど、どうしたの」。ええ~?そこへ隣のパットから電話。(真っ昼間に)現れて裏庭に放置してあった銅のパイプを持って行こうとした泥棒を3度目の正直で取り押さえようとしているところを、非番で家にいたキース(警察官)が窓から見て即通報。泥棒はパトカーが来る前にパットを振り切って逃げたそうで、走り回っていたパトカーはまだ近くにいると見て探していたんだろうな。はたして捕まえたのか・・・。

今日届いたMclean’s、誌に「新下層階級」と題して、大学を卒業しても取得した学位とつながる職に就けずにいる若い人たちの話が載っていた。その例として取り上げられた3人の専攻は「応用言語学」、「歴史と政治学」、「広告」。いずれも大学の学位(日本なら「大学卒」の肩書き?)こそがゆとりのある中流階級の未来を確実にすると思っていたのに、その学位を生かせる職に就けず、レストランのサーバーやカフェのバリスタ、小売店の店員をしたり、無給のインターンシップを転々としたりしているという。そういう若者たちの多くは多額の学生ローンの返済に苦しみ、自分たちの親と同じレベルの生活は一生望めそうにないと思い始めているとか。

併せて載っていた『100万ドルの約束』という記事は、大学団体が大学卒と高校卒の生涯賃金を比較して喧伝し続けてきた「100万ドル以上の差」に疑問を投げかけている。(これだけ差がつくんだから、授業料の値上げくらいがまんせい、ということらしいけど。)たしかに、大学教育が高収入を保証て来たけど、何でもとにかく「学位」を取りさえすればいいってもんじゃないのは自明の理じゃないのかな。医者やエンジニアは高度な専門教育が必須の職業だから高収入で、30年、40年働けば100万ドルの差が出るというのはわかる。でも、マーケティングや広告関連、映画関連の仕事などは特に最高学府で4年も勉強して来なくたってやれそうだし、実際に、学位を取ったといっても収入は高卒と比べてそれほど多くないか、悪くすると以下らしい。

一方で、カナダの技能労働者の不足がますます深刻化しているというのは皮肉な話。労働市場にどうしようもない需給のミスマッチが起きているらしい。根底にあるのは中流イコール「ホワイトカラー」という、裏返せば「ブルーカラー」を下層階級として見下す思想だろうと思う。まあ、人間には何につけても少しでも他人より「上」でありたいという願望があると思う。(「下になりたくない」という消極的な上昇願望もあるらしい。)だから、学歴や収入、ルックス、所有物といった目に見えるものに縦軸しか計れないものさしを当てて、自分の相対的な位置を測っては、安心、慢心、失望、羨望、嫉妬、僻み、蔑視といった感情に振り回される人間もたくさんいるわけだけど。教育業界がそういう心理をうまく利用して「平家にあらずんば」式の洗脳をして来たということはないだろうなあ。大学だって運営費がかかるのはわかるけど、そのために「ほんとに学位が必要?」と思うようなMickey Mouse学科を次々と作って来たんだとしたら、日本で流行っている資格ビジネスとあまり変わらないような感じ・・・。

記事の筆者は3つも学位を持っている大学教授だけど、重機の修理工である高卒の娘婿の収入は見習いから始めて数年で義父を追い越してしまったそうな。大学卒の中間管理職より高収入の配管工や電気工、技能労働者も少なくない。どれも「ブルーカラー」の職業だけどな。要は、学びたいから大学へ行くのならともかく、「生涯収入の差」が目的で(場合によっては借金して)大学へ行くのなら、労働市場の需給を見据えないと一生の失望になりかねないということだろうな。でも、「市場」の原理で動く労働市場のことだから、需要と供給を釣り合わせるのは至難の業だと思う。昔あった職業で今は求人すらなくなったもの、どれくらいあるだろうな。

やっと2012年度の経理業務ができる

1月17日。木曜日。午前11時半に目覚ましで起床。今日はいい天気。カレシを英語教室午後の部に送り出して、しばし読書。ファインマン先生の本も残りあと何ページか。次は何を読もうかなあ・・・。

オフィスに下りて、まずは眼科の予約。去年、日本へ行く直前に新調したばかりの右のコンタクトレンズをうっかり流してしまって、(コンタクトは2年くらいごとに検眼して新調して、前のバージョンを予備として保存しているので)古い方のレンズに切り替えた。ワタシのコンタクトは左は手前、右は遠方を見るようになっているので、左は新しいレンズのままにしておいて、日本から帰って改めて新調するつもりだったのが、なんだかんだでいつの間にか半年以上経って、最近は何となく右目と左目がうまく連携していない感じ。と言うわけで、やっと重い腰を上げてオンラインで予約願い。ところが、折り返し「65歳になるまで待てますか?」という電話がかかってきた。目の検査は子供と65歳以上は保険対象外なので129ドルかかるけど、65歳になると59ドルで済むんだそうな。まあ、ちぐはぐなレンズで半年も何とかやって来たから、この先3ヵ月ちょっとでそれが変わるとは思えない。ということで、予約は誕生日の翌週の月曜日に決定。なるほど、シニアになるとこういうご利益もあるわけか。他にどんないいことがあるのかなあ・・・。

カレシが帰ってくる前に、2011年度の帳簿復旧のしあげ。無事に12月まで終わって、仕訳帳の最後の番号が同じなのを確認して、12月の財務諸表を印刷・・・あら、オリジナルと数字があっていないところがある。現金残高が172ドル多くて、売掛金の残高が162ドル少なくて、前払費用が10ドル少ない。数字は小さいし、帳尻は合っているんだけど、所得税申告のために送ったものと同じでないとまずいよねえ。でも、おひとり様の超零細ビジネスはこういうときに解決がシンプルでいいな。まず、売掛金として計上するべき162ドルを現金取引扱いにしていたのを訂正。次にオフィスの保険を、オリジナルでは間違って現金払いの雑費に計上していたのに、「正しく」前払費用からの雑費に訂正(これは2012年度で調整しないとならないな)。それでやっと貸借対照表の数字が全部ぴたりと合って、大震災と原発と節電の影響だろうけど、創業以来23年で下から3番目に低調な年だった2011年度もめでたく「完」。

これでやっと2012年度の帳簿を開くことができる。ログをアップデートしたら、去年の実績は23年のうちで10番目で、23年のほぼ平均。最高の年の売上は最低の年の3.4倍。この収入の波が大きくて安定しないのが自営業の頭痛の種ではあるけど、一匹狼ビジネスで従業員はいないし、扶養家族もいないから楽といえば楽。ほんとにワタシってラッキーだと思う。それを考えたら、少しぐらい忙しくて遊べなくても、文句は言えないなあ。それにしても、カナダドル高、何とかならないのかなあ。比べ物にならない規模だけど、トヨタやホンダが円高で苦労するのと原理は同じ。アメリカドルと円で稼ぐワタシのビジネス、サービスの輸出扱いだから、カナダドル高だと手取り額が目減りしてきつい。おまけに安倍さんが総理大臣になったとたんに円の相場まで転げ落ちるように下がって来ている。ああ・・・。

それでも、カナダでの36年間の「生涯賃金」を推定して、フリーにならずにずっと「事務・秘書」の職種に留まっていた場合の推定額と比べてみたら、その差がなんと100万ドル。うへえ、ずいぶんと荒稼ぎしたもんだ。まあ、一度は燃え尽きてしまうくらいしゃかりきになって仕事して来たんだもんね。俗に「You win some, you lose some(勝つときがあり、負けるときがある)」と言うけど、人生の「勝ち負け」はまさにそのときの運しだい、風向きしだい。順風のときは力いっぱい羽ばたき、凪ぎのときは疲れた羽をちょっと休めながら満を持して順風を待つ、いわば極楽とんぼ的な人生も長い目で見たら悪くはないということかな。もっとも、べた凪がいつまでも続くのは困るけど。さて、次の仕事が後ろから押して来ているから、急いで2012年度の帳簿付けをして、決算をやってしまわないと・・・。

一介の人間が言えばただのノイズ

1月19日。土曜日。目が覚めたらもう午後12時45分。夜の間は冷え込んで霧が出ていたけど、起きてみたらいい天気で、ポーチの温度計は7度。このまま春が来ればいいけど、というのは希望的観測だけど。大きな懸案事項が解決したせいか、ぐっすり眠って夢を見ていた。小学校の同級生たちが、去年会わなかった人も含めて、みんあ大人になって出てきた。でも、見せ合っていた絵や工作は小学生の頃のまま・・・。

一日がんばったおかげで、2012年度の1年分の帳簿付けが完了。円や米ドルの換算がからむので、手間がかかることこの上ない。ちゃんとまじめに記帳をやっていれば問題はないんだけど、去年は仕事量が1年間で前年の2倍の英単語40万語と忙しかったし、会計ソフトの切り替えを2つのソフトでトライしてどっちも失敗したから・・・と、反省するというか、しゃあないよなあと肩をすくめるか。でも、第4四半期の売上税申告に必要な数字が出たから、とりあえず減価償却の計算といった決算の作業は所得税申告の時期までお預けとする。やれやれと経理係の帽子を脱いで、生産係の帽子を被って、仕事・・・。

今日からプロホッケーの「短縮」シーズンが始まる。オーナー会(雇用者)が選手会(組合)をロックアウトして、泥沼的な交渉が続いていた。労働争議といっても、何億円という年俸をもらうスター選手たちが「労働者」というのは想像しがたいけど、プロスポーツはビジネスそのものだからストもロックアウトも起きる。ロックアウトの間、選手たちは自主トレしていたんだろうけど、かなりのスター選手がヨーロッパのリーグで出稼ぎプレーしていた。結局のところ割を食うのは紛糾の当事者たちではなくて、競技施設やその周辺のレストラン、バーで働く低賃金の人たちだから、何だかなあと思うけど。メディアとホッケーファンは欣喜雀躍といったところで、試合のあるアリーナ周辺には行列ができ、メディアも早くもどのチームが優勝するかと予想合戦。何となくローマ帝国の末期もこんな様相だったのかなあと思わないでもない。

ニューファウンドランドの大学で、学生たちの地理の知識に疑問を持った社会学の教授が簡単なテストをしてみたら、「地図を読めない」大学生が多数だったそうな。イギリスやフランスがどこにあるかと聞かれてアフリカ大陸の中に印をつけたり、ヨーロッパはどこかと聞かれて南アメリカに印をつけたり、地図の三大洋の名前を聞かれて答えられなかったり(毎日大西洋を見ているというのに)、世界地図なんか見たことがないのかと思うくらい。小学校の教室に世界地図を貼っていないのかな。貼ってあるけど興味を持つ子供がいなくなったのかな。外へ出ればどこにいるか知らなくても道を教えてくれるGPSという便利な道具があるし、家の中ではテレビやモニターに世界中の出来事がほぼリアルタイムで映し出してくれる。今どき世界地図なんか無用の長物で、ニュースで「マリ」とか「アルジェリア」と聞いても、地図帳を開いてどこにあるのか探す人はいないだろうな。だって、目の前のモニターにちゃんと「ある」じゃないの、ねえ。

テストをした教授は「ニュースに出て来る国が世界のどこに位置するかを知らないで、どうやってそこで起こっていることを歴史的、文化的背景の視点を持って見ることができるのか」と言っていた。地理的な視点も歴史的な視点も、人間の世界観に奥行きを与える不可欠の要素だと思うけど、インターネット時代の今どき、モニターという平たい板の上に表示される情報にはもはや時空間的な奥行きはない。隣町で起こっていることも、地球の反対側で起こっていることも、今現在の情報も、10年前の情報も、一様に平たい画面に表示され、しかもその画面は日に日に小さくなっている。すべての情報がモニターという目の前にある平たい板に「今」映し出されているものであり、すべてが時間も距離も剥ぎ取られて「今」という一点に凝集しているように見える。もしかしたら、人類はしだいに時空間の観念を失いつつあるんじゃないかと思う。

読み終わった『ご冗談でしょう、ファインマンさん』の最後のセクションはカリフォルニア工科大学での卒業式の式辞。題して「Cargo Cult Science(カーゴカルトの科学)」。ひょっとして21世紀の世界には一種の「カーゴカルト」が蔓延りつつあるのかもしれない。そう思うと、人類の未来に漠然とした不安を感じるけど、政治家でも評論家でも学者でも活動家でもなく有名人でもなく大学教育も受けていない「一介の人間」であるワタシが何を考え、何を言ったところで、モニターの後ろのただのノイズなんだろうな、うん。

人類はやっかいな動物だ

1月20日。日曜日。2人ともかなりよく眠って、起床は正午過ぎ。何となくもや~っと霧っぽい。ポーチの温度計はプラス5度。東京にはまたぞろ雪が降るという予報が出ているようだし、ロンドンやパリでは大雪で空の便が大変なことになっているらしい。でも、今日のワタシははもろにオフィスにこもっての仕事日・・・。

BBCとロイターズが、アルジェリアの天然ガス施設を襲った武装勢力がイギリス人の人質を脅して「探しているのはアメリカ人。(アメリカ人でなければ)殺されないから出て来ても大丈夫」と隠れている外国人たちに呼びかけさせたと報じていた。その後そのイギリス人は「用済み」になって殺されてしまったらしい。呼びかけを聞いて隠れていた人たちの相当数が外へ出たという報道が真実だとすると、武装勢力は(特に9・11以来の)人間心理の底流を理解していたということで、聖戦を隠れ蓑にした砂漠の無法集団といえども侮れないということだな。「自分はアメリカ人ではないから助かる」と安心して出て行ったとしたら、人間が多かれ少なかれ心の奥深くに閉じ込めている不都合な感情が恐怖の極限で檻を破って出て来たということなのかな。もちろん、極限状態に置かれた人間の心理は平穏な日常を享受している人間には想像もつかないし、そういう状況での判断の是非を問う資格はないんだけど、つくづく「人類」と言うのは恐ろしい生物だと思った。帰って来ない人たちに、鎮魂・・・。

自分も間違いなくその人類に属する生物なんだけど、とかく人間と言うのはまあ何とやっかいな動物なんだろうと思うことが多い。第二次世界大戦後の数十年の間に人間の理性によって合理的な民主社会が可能になったように見えたのは、悠久の人類史の中の突風的な「異常」だったんじゃないかとさえ思えて来る。ワタシ個人としては自分に可能な限りの広い視野を培って、「Live and let live(共存共栄)」の精神でなんとか「真っ当な」人間として存在したいと思いはするけど、どうあがいても平和運動家にも、社会活動家にも、環境保護運動家にも、国際政治家にもなれそうにない。たぶんなりたいと思わないんだろうけど、かといって人間界の出来事に心を動かされないわけではないし、人間不信とか人間嫌いでもない。だって、自分も人間なんだから、人間不信は自分さえ信じられないということで、それじゃあ生きて行くのが辛そう。内向きだなあと思うけど、少なくとも他の人間を暴力や脅しや心理的圧力で自分の意に沿わせようとしない(と思う)のがせめてもの救いになっていればいい。ま、裏返せば「自分は自分(Live and let live)」主義のちっちゃな人間だと言うことになるのかもしれないけど。

アメリカの大統領就任式は明日だと思っていたら、今日ホワイトハウスで宣誓式があったというニュース。何でもアメリカ合衆国憲法が大統領の任期が「1月20日」から始まると規定していて、新大統領はその日の正午までに就任の宣誓をしなければならないんだとか。しないとどうなるのかは知らないけど、今回はその日が日曜日なのでホワイトハウスで内輪の宣誓を済ませて、祝日(マーティンルーサーキングJrデイ)の明日改めて議事堂の前で集まった市民に囲まれて「宣誓式」をすることになったそうな。アメリカも国の内外で何かと問題を抱えてタイヘンな時代だから、オバマ大統領もエライ仕事を選んだもんだな。国内を見ると、財政、予算、外交、銃規制などなど、議会(国民の意見)が真っ二つに分かれての角突き合いで、これじゃあ決められない政府じゃなくて「決まらない政府」になってしまいそう。

でも、テレビを見ていたカレシがいみじくも言ったもんだ。「政治があれだけ二極化しても、国中に何億丁もの銃がごろごろしているのに内戦が起きないのはエライ。他のところだったら反対派が武装して、国中で政府側と銃撃戦をやっているところだ」。そうだなあ、曲がりなりにも民主主義を機能させているということだろうな。国を二分して100万人以上が死んだ南北戦争に懲りて、そこから学んだこともあるだろうと思うけど。それにしても、武装して政権を乗っ取ろうとする勢力がいない穏やかな民主主義国って、世界にどれくらいあるんだろう。人類が文明開化して以来、そういう穏やかな国・地域・民族は増えているのか、減っているのか・・・。

夢の中での体験

1月21日。月曜日。起床は正午直前。外はすごい濃霧。普通にベッドに入って、半分も眠らないうちに、怖い夢を見て目が覚めた。あまりにも鮮明だったので、心臓はドキドキしているし、続きを見そうな予感がするしで、なかなか眠りに戻れなくて、おかげでちょっと寝たりない気分。正体不明の「黒いもの」に追い回されて、殺されると覚悟する怖い夢をよく見たのはずいぶん昔の話だけどなあ。でも、楽しい夢は起きたとたんに忘れてしまうのに、怖い夢はいつまでも覚えているのはどうしてなんだろうな。

自分が殺された夢を見たこともあったけど、あれは夢の中で体外離脱を経験したということなんだろうか。夢の中でも臨死体験のようなものがあるのかな。あるとすれば、あんがい肉体の死ではなくて魂の死なのかもしれないな。現実の臨死体験では「光」に遭遇することが多いそうだけど、ワタシがそういうスピリチュアルな意味で「光」に遭遇したのは創作クラスで瞑想しているときだった。自分の奥深くにあるストーリーを書き出すのが狙いのクラスだったので、いつも最初に目を閉じて先生の声に導かれながらそれぞれの心の奥にある「サンクチュアリ」へ降りて行った。その日はそのサンクチュアリに「誰かが会いに来ていますよ」と言うことだった。でも、ワタシの目の前に現れたのはつかみどころのない白い「光」。その光が(女の子の声で)「I knew I’d find you here」と言った。確かにそう聞こえた。「ここならきっと見つかると思っていたの」と。

先生の言葉で我に返って、思い浮かぶまま夢中で書きなぐったストーリーは、身も心もぼろぼろになって暗いところに座り込んでいる「女」が女の子の声の「光」と出会い、誰かと聞いたら「あなたよ」と言われ、その光にせがまれて「あの歌」(アヴェマリアだった)を歌っているうちに、ぱあっと開けた大空に舞い上がって、やがて光の女の子(逸れて迷子になっていた自分)とひとつになる・・・という荒唐無稽なものだった。たしかにストーリーは支離滅裂だったけど、あの出会いの体験は本当だった。本当だったから、そのクラスが終わった後で先生のプライベートスタジオに2ヵ月通って、夕鶴のおつうのように身を削って書き上げた一連の抽象画的な「シーン」がワタシの「Deconstruction & Reconstruction(解体と再構築)」のプロセスになったんだと思う。自分が殺される夢を見たのはたぶんその頃だったかもしれないな。

夢の中で眠りに落ちて、そこで夢を見ていて、その夢から覚めて「ヘンな夢を見ちゃった」とそばにいた人(親しい友だち)に話している最中に本当に目が覚めたこともあったな。夢の中で夢を見たことは覚えていたけど、どんな夢だったかは忘れていた。小さいときに家にあった「明治粉ミルク」の缶に描いてあった女の子が持っていた「明治粉ミルクの缶」に「明治粉ミルク」を持った女の子」の絵が書いてあって、その女の子が持っている「明治粉ミルクの缶」に・・・「明治粉ミルクの缶」がどこまで続くのかと聞いて母を困らせたもんだけど、夢の中で夢を見ている夢を見ている夢を・・・人間の心理は何層になっているのかな。底の底があるのか、それとも無限に続くのか・・・。

人間は夢や瞑想の中で、霊的なというのは大げさだとしても、けっこう形而上学的な、不思議な体験をするものらしい。それを信心深い人だったら(神様のお告げとか)霊的に解釈しようとするかもしれないし、「考える人」だったら拳骨に顎を乗せて哲学的に解釈しようとするかもしれないし、理屈っぽい人だったら心理学的に解釈しようとするかもしれない。信仰心も宗教心も持たないまったくの無神論者だって眠れば夢のひとつやふたつは見るはずだけど、どんな解釈をするんだろうな。何らかの意味合いのようなものを見出すのかな。ニヒリストだったらどうなんだろうな。ニヒリストだって夢くらい見るんじゃないかと思うけど、目が覚めた時点できれいさっぱりと忘れてしまうのかな。なんかもったいないような気がする。たしかに、怖い夢はその方がいいとしても、ワタシとしては楽しい夢やスピリチュアルな意義のありそうな夢は見たいと思うけどな。そうすると、「夢見る夢子さん」の定義がまったく変わってしまうかなあ・・・。

カルチャーの香りと魚の匂い

1月22日。火曜日。起床は正午。やっと霧が晴れた。きのうの夜コンサートから帰って来たときは視界が50メートルもあるかと思うくらいの濃霧で、道路標識も近づくまで見えないから、さすがのカレシも大きくカーブした道路やトラフィックサークルを回るのにいつもよりは慎重な運転。それでもちょっと怖かったくらいで、五里霧中とはまさにこのこと。でもまあ、中国の猛烈スモッグに比べたらただの霧だし、海の塩を含んでじっとりと重く感じた釧路の夏の霧とも違って、バンクーバーの冬の霧はきめが細かくて軽い感じがする。

ゆうべのコンサートのメインはジョン・キムラ・パーカーが弾くグリーグの『ピアノ協奏曲』。経歴に間違って「アメリカ生まれ」と書いてあったりするけど、れっきとしたバンクーバーの生まれ育ち。おじさんとお母さん(ケイコさん)がピアノの先生ということで、弟のジェイミーも、従弟のイアンもピアニスト。でも、3人の中ではこの人がやっぱり最年長の貫禄で一番うまいと思う。顔を紅潮させての熱烈な演奏は、つい引き込まれて、身を乗り出して、息を止めて聞き入ってしまうくらいの迫力で、カレシもかなり身を入れて聞いていたくらい。もっとも、休憩後のプロコフィエフの『交響曲第5番』は、カレシには「前衛的」すぎて、「いつになったら終わるのかと、そればっかり考えていた」。でも、居眠りしてなかったねと言ったら、「あれだけ打楽器を鳴らされて、居眠りなんかできるわけないだろ」とのこと。ごもっとも・・・。

今日は仕事日だけど、何となく気合がかからない。きのうの夕方に半分ちょっと納品して、残りは3000文字くらい。まあ、最終期限が明日の夜だから、まだ余裕はあるか。メールをチェックしていたら、Arts Club劇団から来週水曜日にあるオープニングナイトの座席のお知らせ。いつも何だかんだ機会があるたびに寄付しているし、今年はグランヴィルアイランド劇場の座席を新調するのにワタシとカレシと2席分寄付したので、いつの間にかけっこうな金額になって、「Artistic Director’s Circle(芸術監督サークル)」という優待者名簿に載ってしまったらしい。前回は舞台裏ツアーだけで芝居は別の機会にしたけど、今回は招待客用に良い席をブロックしてあるというので芝居も一緒に見ることにした。割り当てられた座席は前から3番目のほとんど中央。へえ、寄付すると税額控除できるだけじゃなくて、気前よく出せば何かとおもしろい特典があるんだ・・・。

でも、ゆうべは普段のウォーキングシューズを履いて行って、コンサートの後でついでの買い物をして来たら、それほど歩いたわけではないのに捻挫した足が痛み出して、今日はまた少し腫れてしまったから、おめかししてのレセプションは無理かな。ヒールは完全にアウトだけど、まだ1週間あるからペッタンコの靴なら履けるようになるかな。ならないかな。ちょっとググって見たら、靭帯だけではなくて腱に炎症が起きているからいつまでも腫れが引かないようなことを言ってたけど、カレシの言うように一度クリニックに行って診てもらった方がいいのかな。でも、たかが足の中指1本で、何かめんどうくさいなあ・・・。

さて、仕事は夕食後ということにして、今日の夕食はゆうべ初めて見て買って来た「陸上養殖」の銀ザケ。海の中に囲いを作ってのサケの養殖ではよく餌による海洋汚染や寄生虫の問題が起きるけど、陸上に大きなタンクを作って淡水で養殖すると、海洋汚染も寄生虫の心配がないし、餌や健康の管理も行き届くので、環境に優しい養殖方法だそうな。ただし、海に下って育った野生の鮭とは餌が違うこともあって、味はタイセイヨウサケに近く、魚臭さがないという話。そうだなあ、サケを料理すると、いつまでもキッチンに魚の臭いが残っていることが多い。値段は養殖のタイセイヨウサケと同じくらいだそうだし、ものは試し。身はわりと締まっている感じだけど、鼻を近づけて嗅いで見ると、たしかに魚っぽくない甘みのある匂い。味は食べてのお楽しみ・・・。

りんごとオレンジの比べ合い

1月23日。水曜日。雨。ああ、やっと雨になった。気温が上がったということで、今度はずっと雨模様の予報だけど、少なくとも雪よりはずっといい。朝食をしながらテレビの昼のニュースを見ていたら、大陸の東側ではカナダからアメリカにかけて猛烈な寒波。トロントの最低気温はマイナス20度、モントリオールはマイナス26度。内陸のプレーリーやアメリカ中西部はマイナス40度に下がったところもあるそうで、気温がプラスの予報なのはバンクーバーくらい。やあい、あっかんべえ。でもまあ、ワタシはマイナス36度を経験したけど、マイナス20度まで行ったら、後はいくら下がっても感覚は同じような気がするな。

家の中は快適すぎるくらい快適だから、今日は外に出ないで、仕事の残りに精を出すことにした。というよりは、午後10時が期限なのに、何とも扱いにくい表が何ページも続いているから、精を出さないことには間に合わない。日本語から翻訳した英語文が元の日本語文と同じ長さになることなんてないけど、そこを割引しても、Power Pointのスライド構成もWordの表機能の使い方もイマイチという印象。日本人は「形」を扱うのが得意だと思っていたけど、意外とそうじゃないのかもしれないな。もしかしたら、頭の中に「4百字詰め原稿用紙」のテンプレートが刷り込まれていて、文を書くときはやっぱりどうしても縦20文字、横20行の思考になってしまうのかな。同じ意味の文でも、書いてみると日本語よりも英語の方が長くなる(スペースをとる)のが普通で、それは表意文字の漢字と表音文字のアルファベットの違いによるものだと思うけど、つまるところ、日本語と英語はapples and oranges(りんごとオレンジ=水と油)だから、比べてもしようがないか。

そのりんごとオレンジを比べて、「どっちが便利だ/不便だ」とやっているトピックが小町にあって、読んでいるとけっこうおもしろい。質問は「英語を母国語並みに扱える」人に向けられたもので、英語に関して、「複数形は必要か」、「表音文字しかない言語は使いやすいか」の2つ。日本語しか知らないが、質問1については一瞬たりとも日本語に複数形があったらいいのにと思ったことがなく、「人類の言語に複数形はなくてもいいのではないか」と思うし、質問2については、日本語は表音文字のかなと表意文字の漢字が極めてバランスよく配置されていて非常に読みやすいように思うが、「表意文字は便利だと感じるものなのか、難解にするだけのよけいなシステムなのか」。質問自体が何を知りたいのかよくわからないんだけど、いくら母国語並みに扱えると言っても、バイリンガル環境に生まれたのでなければ、所詮は外国語として英語を習得したわけで、その過程で感じた100%主観的な評になるのは当然だろうな。そもそも、英語を母国語並みに扱えるから、英語を母国語並みに理解しているとは限らないんだけど。

でもまあ、日本語が母語の人たちが自分たちの母語ではない、まったく異なる英語について複数形の要不要、表音文字の便不便を日本語基準で論じていると、結局は「だから日本語の方が優れている」という流れになって来るからおもしろい。いうなれば、りんごとオレンジを比べて、りんごは種が芯の中にあって邪魔にならないけど、オレンジは散らばっていて食べにくいから、りんごの方が優れていると言うようなもんだけど、どうも最近は掲示板のやり取りにも「だから(人、文化、思考その他諸々を含めて)日本の方が優れている」と言う含みのある意見の投稿が増えて来ているようで、ここにもある種のナショナリズムが芽を出しているのかな。でも、まったく異なるものをよく知らないで(あるいは主観的な先入観を持って)自分が慣れ親しんでいるものと比べて優劣をつけてみても、どうなるってもんじゃないだろうにな。仮想的な優越感でシアワセな気分になれるというのなら、良かったねえとしか言いようがないけど。

もしも、英語しか知らない人が日本語について「複数形がないのはおかしい」、「漢字、ひらがな、カタカナが混じっていてめんどうくさい」と言ったら、どういう答が返って来るかな。まあ、英語しか知らない人は、複数形は不要だと言われても、表音文字の英語は文字を見て意味を理解できる日本語に比べて使いにくいと言われても、英語しか知らないんだから何とも答えようがないんじゃないのかな。ふと、個々には意味をなさない文字の組み合わせで意味を伝える表音文字文化とは違って、表意文字の漢字は個々の文字を見ただけで意味が伝わるようになっているから、正確な「形」がことさら大事なんだろうし、「言わなくてもわかってくれるはず」のコミュニケーション文化が生まれる土台にもなったのではないかと思ったけど、どうなんだろうな。ワタシにとっては、英語は英語、日本語は日本語。そもそも何のためにりんごとオレンジを比べるかがわからないから、もう一度読み直してみようか・・・。 

両手にますかけ線というのがあると運が良いらしい

1月24日。木曜日。午前11時半に目覚まし。せっかく何かおもしろい夢を見ていたのに、バタバタと起きたら忘れてしまった。残念。今日はカレシが英語教室ダブルヘッダーで忙しい日。ワタシは仕事が終わったから「遊びモード」。外は雨模様。キッチンに下りていったら、カレシが「足を見せろ」というので、ほらっと右足を突き出しら、「まだ少し赤いし、何か腫れてるなあ」。月曜の夜に靴を履いて出かけら痛みがぶり返して、火曜日は1日中痛かったけど、きのう1日中テーピングしておいたら、ほとんど普通に歩けるようになった。今日は調子がいいから、この分ならクリニックに行かなくても、テーピングとマッサージで間に合うんじゃないかと思うけど。「う~ん」と首をかしげるカレシ・・・。

携帯が見つからない、ティッシュを忘れたとひと騒ぎのカレシを送り出して、飛び込み仕事がないようにと(仮想的に)指をクロスしながら、メールをチェックしたら、劇団の個人寄付担当のパルミーダさんから「来週の金曜日にお茶しませんか」みたいなメール。創立50周年記念のいろいろな行事の計画を聞かせてくれるとか。へえ、高額寄付者になっちゃったおかげでこの待遇。まあ、年金が入って来たら、その分の仕事の収入は「遊び資金」ということにして、寄付は続けるつもりだし、遺言状の中にも遺贈先として入れるつもりだし、いずれ仕事よりも遊びの割合が決定的に増えたら劇場の案内係か何かでボランティアしたいなと思っていたから、いいタイミングでこっちからもいろいろと聞いてみようっと。

遊びモードになると気が緩むのか、何かやらかすのがワタシの癖。引き出しに手を挟んでイタタッ。ごしごしとさすりながら、ふと手を見て思い出したのがワタシの「ヘンな手相」。勤め人だった頃にアシスタントとして雇ってくれたワーホリのオンナノコが、どういう経緯だったか覚えていないけど、ワタシの手の平を見て、「ヘンなのぉ~」。何がヘンなのかと思ったら、親指と人差し指の間から始まる2本の線が離れていることで、「ふつうははしっこがくっついてるもんだよぉ」と。たしかに、2本の線は右手も左手もかなり離れているけど、それが何か?「そのてそう、すんごくかわってるぅ」。てそう?手相って、昔よくおいじさんが道路際に椅子とテーブルを出してやっていた、当るも当らぬも何とかのあれ?へえ・・・。

あのやり取りを思い出して、よく手のひらを見てみたら、たしかに、両方とも離れた2本の線の上の方のが手のひらの真ん中あたりでその上にあるもう1本の線と鉄道の切り替え線路のような線でつながっている。へえ、これが変わった手相なのか~と思ってググってみたら、手相の説明や運勢占いのサイトがぞろぞろ出てきて、手のひらに縦横に刻まれている大小のしわしわにみんな名前が付いているから驚き。遊び半分でちょこちょこ調べてみると、離れている2本の線は上が「知能線」で下が「生命線」、小指側から伸びている一番上の線が「感情線」というらしい。生命線と知能線が起点から離れているのは「積極的、大胆、人から指図されるのが嫌い」で、離れているほど「人が思いつかないようなことを考えたり、やらかしたりする」タイプだそうな。で、なんと「国際結婚向き」なんだとか。へえ・・・。

ちょっと下向きの知能線とやや上向きの感情線の間をつなぐように橋渡ししているほぼ水平の線は「ますかけ線」と呼ばれる線の一種らしい。左手にも右手にも同じようにあって、左手の方を横にしてみると「N」の真ん中の斜線のように見える。このますかけ線とやらが小指側では感情線と重なり、親指側では知能線と重なっていて、2本の線が上と下に枝分かれするところが「操車場の線路」のように見えているということらしい。あちこちで見たますかけ線付き手相のイラストを総合してみると、ワタシの手には「二重感情線と二重知能線を持つますかけ線」があるということになるらしい。両手にある人はあまりいないということだけど、どうやら良くも悪くも波乱万丈の人生が運命付けられているらしい。うへっ。

まあ、これまでのワタシの人生は波乱万丈だったかと聞かれたら、仮死状態で、おまけに左利きに生まれて来てこの方、そうだったのかもしれないとは言えるかな。だけど、もう少しで65歳になるんだから、これから先はもう波乱万丈は願い下げにしたいもんだな。まあ、運気とやらの波が激しい手相だとしても、ますかけ線があると強運がついて回るそうだから、それで波乱万丈を乗り切って来れたんだとすれば、ワタシのヘンな手相は神さまの賜物というところか。鰯の頭も何とかと言うことだし、たしかに何かと運が良かったと思える人生、幸運に感謝して、残る年月を大事にしていかなきゃ・・・。

別れてもなお・・・

1月25日。金曜日。また楽しい夢の途中で起こされた。今度は目覚ましではなくて、カレシ。「リサイクルボックスを出しておくのを忘れた」と。あ、今日はごみ収集の日だったのか。収集車の音で目が覚めなかったけど。「さっき通ったから目が覚めたんだよ」とゴミ出し担当のカレシ。ゴミの容器は一杯になっていなかったので、今日はリサイクルボックスだけ出すようにしたのに、結局出し忘れたんだとか。ま、来週でもいいよねと言っていたら、朝食中にリサイクルトラックがガチャン、ドシャン。「なんだ、こんなに遅く来るんだったら、起きてすぐ出したのに」とむくれるカレシ・・・。

今日のテレビはちょっとした騒ぎ。ケベックの大富豪と別れた女性が扶養料と財産分与を要求していた訴訟で、カナダ最高裁判所がケベック州は事実婚のカップルに法律婚の場合と同じ権利を与えなくても良いという判決を出した。この世界的に有名な大富豪は7年も同棲して3人の子供を生んだ女性に対して、法律上は結婚していなかったのだから、扶養料も財産分与も必要ないと主張していた。(ただし、養育費は潤沢に払っているらしい。)ケベック州では事実婚のカップルの割合が全国の倍の30%にもなるのに、州の民法は事実婚を「婚姻」と認めていないのがそもそもの問題。カナダでは、多少の違いはあってもだいたいどの州でも法律婚も事実婚も同性婚も同じ「婚姻関係」として扱っている。だから、同棲して「事実婚」と認められれば「配偶者」として永住権を取れるわけだけど、ケベックではもし別れても一銭ももらえないことになり得るな。最高裁判所の判断が同等扱いしている他の州に何らかの影響を与えるのか、それともケベック州が民法を改正して他の州に倣うのか。はて、どうなるのか。

まあ、法的に結婚してもしなくてもカップルのお金に関しては扱いが同じなら、いつでも別れられるし、事実婚のままで子供が生まれても嫡出子と非嫡出子を差別的に扱う法律もないから、法律婚そのものの影が薄くなって来ているんじゃないかな。ワタシなんか、結婚を民事契約制度にしたらいいんじゃないかと思っているくらいで、そうしたら、法律婚も、事実婚も、同性婚も、みんな「契約婚」。婚姻契約書に互いに違反したらどのような処置を取るかを決めておいて、証人を立てて盛大な調印式をすれば後々簡単だろうと思うけどな。(現実にはそうは簡単にいかないだろうけど。)

カナダでは、結婚するために「結婚法」という法律のお世話になって、離婚するためには「離婚法」という法律のお世話になるわけだけど、「離婚法」の条文の方が「結婚法」の何倍も長いからおもしろい。子供の処遇や親権のこと、財産のことなど、当事者の間で取り決めることが多いからだと思うけど、原則として「破綻主義」が基本なので、日本のような有責配偶者とか慰謝料といったものはない。もっとも、くっつくのは簡単だけど離れるのは大変だという点ではどこでも同じなんだろうけど。それにしても、訴訟で仮に「エリック」と名づけられた億万長者の男性、10億ドル(約1千億円)と言われる資産があるのに、ちょっとケチすぎやしない・・・?

捨てて良いごみ、捨ててはならないごみ

1月26日。土曜日。起床は午前11時55分。「朝のうちに起きるか」とカレシ。だいたいは曇りで、ときどき晴れそうになったり。天気予報では来週には最低気温が5度くらいまで上がるらしい。もうすぐ2月なんだから、そろそろ春の気配がしてもいい(陽気が良ければ気の早い桜が咲き出してもいい)頃だけど、厳しい冬が多かった1980年代にはバレンタインの頃にマイナス二桁ということもあったから、油断はならないか。

今年から2月に新しく何だか趣旨のよくわからない州の祝日(第2月曜日)ができたので、市役所から送られて来ていた新しいごみ収集の予定表に切り替えようとしたら、普通なら1年分なのになぜか5月の半分までしかない。あれっ?と思って説明を読んだら、ゴミ収集のルールが変わるとのこと。バンクーバーのごみ収集は週1回で、祝日ごとに1日ずれて行く仕組みなので、ちょっとばかりめんどうくさい。それで、毎年今ごろに市役所から年間の予定表が送られ来る。市を南地区と北地区に二分して、それぞれの地区をさらに月曜日から金曜日に対応する5つのゾーンに分けて色分け表示してある。我が家は「南地区の緑ゾーン」で、新ルールがいの一番に5月8日から実施される。

改めて送付される予定表に切り替わったら、家庭の生ごみを一般ごみ容器に入れるのが禁止されて、「グリーンカート」と呼ばれる植栽ごみ用の容器に入れることになり、一般ごみの収集は隔週(グリーンカートとリサイクルは週1回)になるということだった。2020年までに「最もエコな市」の栄冠?獲得を目指して、家庭の食べ残しや食品の調理くずを堆肥生産にリサイクルしようというのが狙いで、一般ごみの容器に捨てられなくなるのは、生や調理済みの野菜や果物、ティーバッグ、コーヒーのかす、肉や魚、骨、パスタや麺類、穀類、パン類、乳製品、食品で汚れた紙容器やペーパータオル、ナプキン、その他。どれも(生物分解するものや堆肥化可能なものも含めて)ビニール袋は入れずにそのままグリーンカートに入れなければならない。ということで、後日市役所からキッチンカウンターに置ける生ごみ用の容器が配布されるとか。へえ、親切だなあ。

料理しながらごみを分別するのはちょっとめんどうな気もするけど、専用容器も無料でくれるんだし、ごみ埋立地が満杯にならずに済んで、堆肥の大量生産で化学肥料の使用量が減るならいいか。でも、ゴミ容器とグリーンカートからの収集は運転手がトラックの中からリフトを操作するので、禁止されたものが入っているかどうかなんて実際にはわからないと思うけどな。監視カメラがあっても、ビニール袋や不透明な空き袋なんかにごちゃっと入れたら、逆さまになった容器の中身がどさっとトラックの中に落ちる一瞬に「生ごみだ!」なんて見分けられるはずがない。空港ではよく麻薬や肉類を嗅ぎ出す犬がいるけど、まさか、いちいち犬に嗅がせるわけにもいかないだろうし、どうやって違反を監視するのかな。ごみ捨てホットラインなんかを作って、違反したご近所さんを通報させるのかな。やだなあ、よその家の臭いごみ容器をのぞいて回る人なんか、いるの?

まあ、我が家は生ごみのほとんどを庭で堆肥にしているもので、一般ごみとして出す量は極端に少ないし、紙類はほとんどをリサイクルに回すので、収集の日に一般ごみの容器を出すのも普段から隔週か、ときには3週間に1度でしかない。(その代わり自分たちでリサイクルデポに持って行くつもりの紙や雑誌の類が家中にどんどんたまって困るけど。)まあ、新ルールでも不便するわけではないけど、実は我が家では野菜や魚を庭で堆肥にしているもので、ごみ収集の機械化で、各戸に専用のごみ容器が配布されたときに、カレシが置く場所がないからいらないとごねたもので、(収集料を払っているのに)グリーンカートを受け取っていない。ごみの中には堆肥に入れたくないものもあるだろうし、寒さで虫が不活発になる冬には堆肥化のペースが落ちて生ごみが余るかもしれないから、もらった方が良さそう。ということで、カレシを説得する意気込みでそう提案したら、「あ、レーンに出しっ放しにすればいいから、月曜日にでも電話しとくよ」。は?あのとき、あんなにごねたのに・・・?

自分の考えと違うからって、それはないでしょ

1月27日。日曜日。起床は午前11時55分。ちょっと眠い。なぜかうまく寝つけなくて、1時間おきくらいに目が覚めていたような感じ。どっちに寝返りをしても、仰向けになっても、どうしても体がしっくりしない。どうしてなのかわからないけど、時たまそういうことがある。別にいつもと変わったことはなかったんだけど。

今のところ仕事がないから、とりあえず朝食後はしばしの読書でのんびり。『ご冗談でしょう、ファインマンさん』が終わったので、今度はビル・ブライソンの『Notes from a Small Island』(『イギリス見て歩き』というタイトルで日本語訳が出ているらしい)。前に読んだ『The Lost Continent: Travels in Small-Town America』は故国アメリカでの失われた原風景探しの車の旅だったけど、こっちは一家でアメリカへ移り住む前に今一度イギリスを見ておくためのひとり旅。ドーヴァーに始まって、ウェールズからスコットランドの北の端まで、イギリスに「居場所」を見つけたアメリカ人がしっかりイギリス英語表現で書いている。

朝日新聞を見たら、アルジェリアの人質事件の実行犯にカナダ人がいたというアルジェリア政府の発表を報道していた。それ、もう1週間近く前の発表だけどなあ。無料で読める部分までの記事には、カナダにはケベック州を中心に多数のアルジェリア出身者が住んでいて、過去にもイスラム過激派やアルカイダ系のテロリストがモントリオールを拠点に活動していたと書いてある。わざわざ説明しているのは、日本人はカナダが多民族国家であることを知らないと思ってなのか、あるいは日本人が一般的にイメージしている「カナダ人」のことじゃないよと言いたかったのか。カナダのメディアは「カナダ人」としか報道しなかった。まあ、ワタシたちにはその「カナダ人」の民族的・宗教的背景はすぐにピンと来るんだけど、アルジェリア人とかモスレムとかは公に言わないし、ポリティカリーコレクト(政治的に正しいこと)じゃないという暗黙の圧力を感じて言えないようなところもある。

たしかに、人種や民族の如何を問わず、カナダの市民権を持っていればみんな「カナダ人」であって、差別や迫害は言語道断。そうなんだけど、「○○系」カナダ人とハイフンをつけて民族の文化的、宗教的アイデンティティを前面に押し出すように推奨していたのは誰だったかな。(白人以外の)マイノリティにカナダの社会や文化への同化を期待するのは(白人の)傲慢であり、ポリティカリーコレクトではないと主張した、いわゆる「活動家」と称する人たちだったな。ワタシからすれば、「ハイフン付きカナダ人」を押し付ける思想こそ差別や疎外を助長するものに思えるんだけど。でも、強制連行されて来たのならともかく、カナダの開放的な移民制度を利用して自由意志で移住して来た人たちに、カナダの文化や習慣を尊重してほしい、いずれは同化して「カナダ人」になってもらいたいと期待するのがどうしてそんなに傲慢なのかなあ。故国の宗教や文化を捨てろとは言ってはいないのに、逆に故国の習慣や風習、法律にそのまま従って生活をする権利があると言う方が傲慢だと思うけど、そういうことを口に出して言うと、いわゆる人権活動家に「ポリティカリーコレクトじゃない」と攻撃されるんだろうな。やっかいな世の中になったもんだと(心密かに)思う。

何にしても人間世界には少なくとも二通りずつあるもので、人権活動家にも二通りある。本当に真剣に虐げられた人たちのことを思いやって命がけで活動している人たちと、自分の思想や行動の正しさと崇高さに自己陶酔して社会を見返そうとする人たち。オタワのカールトン大学の「自由言論ゾーン」に立っていた誰でも何でも書き込める掲示板を「妥当でない意見がある」という理由で破壊した、人権問題専攻で大学生を7年もやっている「キャンパス活動家」のスミスという学生は後者の典型例だろうな。7年かけて悟りを開いたのか、あるいは7年もかけてまだ人権とは何かを理解するに至っていないのか。どっちしても7年も大学生をやっているうちに、自分の思想は唯一正しいものであり、それに同意しないのはすべて偏見や憎悪に満ちた人でなしか狂信家であり、異論はすべてhate speech(憎悪発言)だという思考に固まってしまったんだろうな。

人権活動家を自称して「言論の自由」を封じるという矛盾に陥っているわけで、大学というのは言論や思想の自由を守る砦であって、そういう金縛りにあったようなナルシシスト的思考を育てるところじゃないと思っていたけどな。まあ、ソ連を初めとする「人民の政府」があの頃「西側」と呼ばれた欧米よりも言論や思想の統制に熱心だったから、やっている本人も自分の思考が擁護しようとしている人権の蹂躙、ひいては全体主義につながるものだとは考えたこともないだろうと思うな。別の角度から見れば、自分の考えは絶対に正しいんだから、異論はすべて誤り(ポリティカリーコレクトではない)、つまり、是か非か、可か否か、白か黒かという、二者択一しかしない「デジタル思考」が根底に潜んでいるんじゃないかという感じがしないでもない。

ジャストインタイムにはぎりぎりでもある

1月29日。火曜日。正午を大きく回って目が覚めた。ああ、のんびり寝ていられないのに。今日は午後4時が期限の仕事が残っているのに。2時間はかかりそうなくらい残っているのに。ということで、夢心地のカレシを肘鉄で(やさしく)起こして、せわしない1日の始まり。

日曜日の夜遅く(つまり、月曜日の丑三つ時)、日本時間では月曜日の午後に飛び込んで来た仕事。原稿を見て、あ、契約書か。さして込み入った内容でもなさそうだから、お安い御用。この稼業23年の間に、英日、日英の両方向でいったい何百件の契約書を訳したことか。そう思ってそのまま店じまいして寝てしまったのが運の尽き。起きて仕事にかかろうと思ったら、カレシが「トラックの保険を更新しに行こうと思うけど、歩けるか」と聞いて来る。家の中ではいいけど、靴を履いて歩くのはまだちょっと。(保険の更新くらい、ひとりで十分でしょうが。)新聞サイトを見たら、あらら、VISAのネットワークがダウンして、カナダ中でクレジットカードを使えない状態になっているらしい。じゃあ、今日は仕事をがんばるから、保険と買出しは明日にしよう。

仕事モード100%になってしばらくしたら、テレビの前でごろごろしていたカレシが「VISAの障害は解決したらしいよ」と報告しに来た。良かったね。何しろ、買い物でカードが使えなくて、手持ちの現金がなくて困った人たちが万の単位でいたらしい。(空港でカードが使えないために手荷物の料金がタダになったというラッキーな人もいたらしいけど。)世の中、便利さは人間が望んできたことではあるけど、何でもかんでも便利になればなるほど、その便利が消えたときの不便さがひどくなるな。半分上の空で返事をしながら仕事の方に(半分)集中していたら、急に「保険を更新して、ついでに野菜を買って来ようよ」とカレシ。う~ん、そういえば、ワタシも野菜が不足気味だなあ。

仕事の方は順調だし~ということで、「ま、いっか」の精神でお供することにした。ところが、いざ出かけるとなったところで、エコーのバッテリがほぼ上がっている。もうちょっとでエンジンがかかりそうで、なんかしょぼい音がしてかからない。あ~あ。「金曜の夜には大丈夫だったのに」と大むくれのカレシ。それでも、家に戻って、トラックのキーを持って来て、改めて出発。かれこれ35年もお世話になっている保険代理店のオフィスには先客がいて、カレシのむくれ度が瞬間風速的にピ~ン。オーナーのグレッグが「もう5分くらいかな」というので、後ろのカレシを振り返ったら、何もなかったような顔で「じゃあ、先に買い物をして来よう」。うん、そうそう、ぶっちぎれる前にオルタナティブを考える、と。

というわけで、モールまでひとっ走りして、どっさり野菜を買い込んで、オフィスに戻って、保険を更新する手続き。あっちにサイン、こっちにサインで、1年間ざっと13万円。念のために小切手帳を持って行ったけど、VISAでの支払いはすんなり、あっという間に通って、グレッグが「こんなに早いのは珍しい」。なんでも、カードが「承認」されるまで、遅いときはすごく遅いらしいしばしクレジットカード談義の後、宣伝のカレンダーを2枚もらって帰って来た。すでに午後4時で、夕食の支度の時間。足はずきずき・・・。

中断した仕事は夕食後に突貫作業。最初はありきたりの条項だったのに、進むほどに条文が長くなって、とうとう「反社会勢力」に関する条文まで飛び出した。契約書の条項として初めて見たけど、契約に盛り込まなければならないほどやーさんがはびこっているのか、あるいはもしもやーさんに関わってしまった場合にえらいことになるのか、それともやーさんと関わると法律で罰せられるのか。そこのところはわからないけど、「反社会勢力」の定義はやーさんや総会屋だけなんだろうか。日本の契約書は細かな定義づけが足りないなあと常々思っていたけど、解釈によってはおもしろいことに発展し得るかな。

そんなこんなで、今日は朝食もそこそこにねじり鉢巻でホームストレッチ。スペルチェックをして、ファイルを圧縮して、メールに添付して、「送信」ボタンをクリックしたのはきっかり期限の午後4時。いやあ、これこそトヨタが考え出した「ジャストインタイム生産システム」(カンバン式)の真髄というもんだな(と自分で自分を褒める)。そういえば今日、トヨタからカレシのトラック(タコマ)のリコールのお知らせが来ていたっけ。最近はトヨタやホンダのリコールが多いような気がするけど、何でも電気系統の問題でエアバッグが作動しなくなる可能性があるとか。Just in timeというのは「ぎりぎりの時間で」という意味があって、うまく行って「ふはぁ、間にあったぁ~」という感じなんだけどな。まさか、そうやってJRの駅の階段を駆け上がるような感じで車を作っているわけじゃないと思うけど、もしかして、もしかして、エコーの電気系統にも欠陥があってバッテリが上がってばかりとか・・・?

ボーイングのおかげで・・・芝居の話

1月30日。水曜日。ハッと目が覚めたら午後12時半。いつもより遅れるとはいえ、今日は掃除の日。起きなくちゃ~と言ったら、カレシは「はあ・・・」。シーラとヴァルが来ちゃうよ~と耳栓越しに言ったら、がばっと起きて「忘れてた~」。今日は芝居に行くので、忙しいんだから・・・。

ちょうど朝食が終わる頃に来たので、ヴァルがオフィスの掃除を終えるのを待って、まずはメールチェック。予約が入っていたシリーズの2つの仕事のうち、2つ目のファイルが先に来て、最初のは入稿遅れになっていたのがキャンセルになったとのお知らせ。ただし、この先3つ目、4つ目が入る可能性があるとか。でもまあ、今のうちに2つ目をやっておけば楽かもしれないけど、1日、2日くらいは遊んでいても良さそう。とりあえずHSTの還付申告をオンラインで済ませて、ばんざ~い、後は「休みモード」。

今日は芝居の前に「芸術監督のサークル」のレセプションがあるので、早いうちに軽い夕食を済ませてお出かけ。どうやら個人的に1年に1000ドル以上寄付するとこのサークルに入ってしまうらしい。劇場の前から待機していた(サンフランシスコのケーブルカーにそっくりの)観光用トロリーバスに乗って、レセプション会場の高級自動車ディーラーのショールームへ。「どうですか」と差し出されるおしゃれなカナッペをつまみながら、ワイングラスを片手に、ずらりと並んでいるぴっかぴかのジャガーやランドローバー、ベントレー、アストンマーティンを見て回る。ベントレーの真っ赤なコンバーティブルはさすがにかっこいいな。カレシ曰く、「これが中年の危機の薬か」。銀色のアストンマーティンには2500万円の値札。カレシ曰く、「税は別だってさ」。ということはHSTなどの税金を足したら3千万円・・・?

芸術監督の挨拶があって、新入り(ワタシとカレシの他にあと2人)の紹介があって、理事長のジャンさんと握手して、劇場の真正面までまた観光バス。(住んでいるとまず乗ることはないからいい体験だな。)用意されていた座席は前から4列目のほぼど真ん中。両隣に座った人たちもサークルのメンバーと見えて、同年代同士だったので、名乗りあって握手して、ライトが落ちるまで世間話。なるほど、こういう世界もあるんだなあと、ちょっと馬子にも衣装の気分で目をぱちくり。ほとんどが50代、60代以上と言う感じだったけど、30代くらいの今どきのヤッピーみたいな若い人たちもいる。でも、劇団に1年に1000ドル以上寄付するくらいだから、みんなきっと芝居が大好きなんだろうな。

出し物はフランスのマルク・カモレッティ作の『ボーイング・ボーイング』。フランスで1960年に初演してから19年間も続演してギネスブックに載ったという茶番狂言。原作ではフランス人だったキャラクターが英語版ではアメリカ人になっている。パリに住むプレイボーイのアメリカ人建築家バーナードはグロリア(TWA)、ガブリエラ(アリタリア)、グレッチェン(ルフトハンザ)の3人の国際線エアホステス(CA)と同時に「婚約」している。(3人の名前の頭文字がどれも「G」なのがおもしろい。)航空会社の時刻表はバイブルみたいなもので、3人が同時にアパートに現れないようになっている。一番大変なのはお相手が変わるたびにベッドルームの写真を変え、料理の内容を変えなければならない家政婦のベルタ。(そのせいかパンチとウィットの利いたせりふが一番多い。)

ニューヨーク便に乗るグロリアを送り出し、ランチの時間しかいられないガブリエラを迎える準備をしているところへ旧友のロバートが転がり込んで来て、しばらく泊まることになる。グレッチェンの便が遅れて午後11時着と聞いて余裕たっぷりの気分。結婚願望のあるロバートに「この方法をまず試してみるべき。あきないし、ひとりだけに束縛されないし」と得々とぶち上げたのは良かったけど、航空会社が推進力が高くて速くなった新型ボーイング機を投入したもので、完璧だったバーナードの緻密なスケジュールは大混乱に陥ってしまう。ガブリエラは朝まで搭乗しなくても良くなるし、遅れるはずだったグレッチェンは早く着いてしまうし。3人とも「フィアンセ」バーナードのアパートがパリでの「我が家」と思っているので、オルリー空港から「愛しのダーリン」のところへまっしぐら。2人が顔を合わせないようにとあたふた、どたばたしているうちに、グロリアの乗った便が北大西洋上が悪天候のために引き返して来てしまって、しっちゃかめっちゃか。

1960年代の古典的なスチュワーデスの制服がまたなんともかっこいい。ミニが目新しかった頃。グロリアはピンク、ガブリエラはグリーン、グレッチェンはブルー。それぞれの性格づけと色がつながっているのもおもしろい。昔のスチュワーデスは帽子がかっこよかったな。この芝居がまだパリで続演していた頃、秘書学校の友だちで全日空のスチュワーデスに採用された人がいて、クラス中の羨望の的だったな。(なぜか「性に合わない」と半年で辞めてしまったけど。)最後はグロリアがメキシコ人に求婚されて3人の「フィアンセ」を持っていたことがわかり、ロバートとグレッチェンが恋に落ち、バーナードはガブリエラと結婚することになってしまう。いやあ、こんなにゲラゲラ笑ったのはほんとに久しぶりだなあ。涙が出るほど笑いっぱなしだった。やっぱり芝居はいい。ああ、満足・・・。

ごみのたわごと

1月31日。木曜日。目覚まし、午前11時30分。今日も忙しい日だけど、カレシは目を覚ましたとたんから「よく眠れなかった。眠いよ~」とぶつぶつ、ぐずぐず。どうして?「きのうは一度も居眠りできなかったからかなあ」。あっ、そう。バスルームへ行く途中で寄り道して窓の外を見たら、道路掃除はまだやっていない。

きのうの午後、市役所が「道路清掃のため駐車禁止、1月31日午前9時~午後5時」の標識を立てて行った。秋から冬にかけてよく歩道の際の掃除があって、ブラシの付いた清掃車が来る。落ち葉などが側溝を排水口を塞がないためだけど、以前は「月曜~金曜、午前9時~午後5時」という標識を使っていて、カレシが市役所に「何月何日と指定しろ」と怒鳴り込んでいた。いつ来るかわからないと放っておいたら、いつのまにかトラックを別の場所に持って行かれたこともあった。(そのときはまた市役所に盗難届けを出すとか何とか抗議して、結局元の場所に持って来させたけど。)でも、今度はこうやって要求した通りに「何月何日」と指定して来たんだから文句は言えない。カレシはぶつぶつ言いながらも、小さいエコーは標識のない向かいのマージョリーの家の外に止めさせてもらい、トラックは角を回って家の前に移動。

ゆうべ出かける前に標識をよく見たら、「1月31日」だけ紙に手書きしてテープで張ってあった。ははあ、「月曜~金曜」の標識しかないけど、あのブロックは特にうるさい住民がいるから(初めから決まっているはずの)予定日を書いた方が無難ということだったのか。へえ、相手が市役所でもうるさく言ってみるもんだな。(もっとも、ワタシも何年も前に市の公園委員会にねじ込んで午前5時の芝生刈りを止めさせたんだけど。)道路清掃車が轟音を立ててやって来たのはカレシが午後の英語教室に出かける前で、それも2回。おまけに出かけている間にさらにしつこく4回。カレシが帰ってくる頃には落ち葉のかけらさえないくらいにきれいになっていた。まだ5時じゃないけど掃除は終わったんだからと、いつもの場所にトラックを止めたカレシ、「清掃車なんて大げさなものを使わなくても、置いといてくれればオレが掃除して堆肥にしたのに」とぶつぶつ。え、ほんと?「たぶんやらないけどさ」。はあ・・・。

清掃といえば、日本の有力新聞が福島原発の手抜き除染の問題で関係者からの通報?を募っていたと思ったら、英語版で世界に発信したらしく、有力新聞の一部が取り上げていた。記事は配信記事で別に目新しくないけど、北米の新聞には記者のブログ欄や記事について読者がコメントを書き込む欄を設けているものが多くて、ときにはニュースそのものよりも、コメント欄での喧々諤々のやり取りの方がおもしろかったりする。そういったコメントやブログの一部を今度は海外での反応といったのりでちょこっと報じていた。その中には「日本人らしくない」というコメントがあったそうで、手抜き除染のニュースを読んだときにワタシは真っ先に「ああ、やっぱり」と思ったけど、このコメントで今度は別の意味で「ああ、やっぱり」と思った。日本の政府やメディアが外国向けに意図的に描いて来た「ニッポン神話」を信じている人がまだくさんいるんだな、と。

自分の国ではないどこかの遠い国に理想郷を見て憧れ、崇拝するのは世界共通の人間的現象だと思うけど、日本の人たちも海外に広められた礼儀正しくて、正直で、信頼できて、完ぺき主義で、自然を愛し、家族の絆が強く、思いやりがあって、協調的で、和を乱さす・・・というような「日本(人)」のイメージを心からそうだと信じているのかな。福島の手抜き除染だけでなく、事故や災害のたびに明るみに出る手抜き工事(笹子トンネルもなんか手抜きっぽい)や、さまざまな「ずさんな」処理や呆れたポカミスや、どう見ても根底に「ごみは(外から)見えないところに掃き込んでしまえばいい」という発想がある企業や教育現場でのスキャンダル隠蔽事件などのニュースをどういう気持ちで見聞きしているんだろうな。他人のごみは見たくないと思うのか、汚いものを見せるなと怒るのか、ごみがたまったら掃除しろよと言うのか・・・。

まあ、ごみのたわごというところだけど、家の外へ掃き出したごみは見えないだろうから、いいか。


2011年1月~その3

2011年01月31日 | 昔語り(2006~2013)
ちょっとだけ日常を離れた午後

1月21日。金曜日。午前11時15分に目覚まし。ごそごそと手を伸ばして、アラームを留めるボタンを押したのに、止まらない。もう一度押しても、止まらない。押しても、押しても、ピーコ、ピーコ。そっか、ベッド脇の時計にセットしてある目覚ましの時間を変えるのがめんどうで、バスルームにおいてある旅行用の時計で目覚ましをかけたんだった・・・。

今日はほぼ9ヵ月ぶりにヘアカットに行く日。最後に行ったのは日本へ行く直前の4月末。あれから10センチくらい伸びたかな。明るいワインレッドだったハイライトはすっかり色あせて、裾のあたりに何色なんだかわからないところがあるのがわかる程度。去年は何となく忙しいような、ただせわしないような感じで、とうとう行きそびれてしまった(と自分に言い訳・・・)。だけど、ここまで来たらもうソヴァージュだ~と粋がっているわけにもいかない。何ごとにも潮時ってもんがあるんだから・・・。

モールの外側にある行きつけのサロンは、すぐ外に地下鉄の駅ができたおかげなのか、場所を借りるスタイリストが増えて満席。隅の椅子はロシア系の若い女性で、お客との話はロシア語。よくみかけるかなり年配の男性のお客はいつも年配の女性。イギリス英語なんだけど、ロンドン子のコクニー訛りよりはやや品がある。ランカシャーの話をしていたから、そっち方面の訛りなのかもしれない。ときどき見かけるアジア人の男性美容師は広東語。オーナーのジュゼッペの隣の椅子で女の子にパーマをかけているアジア系の女性は新顔。中国語にしてはちょっと違うなあと思って聞いていたら、携帯で「カムサハムニダ」と言ったから、あ、韓国系か。これだけでもBGMのモーツァルトもびっくりのにぎやかな不協和音なんだけど、ジュゼッペがカットしているところへ奥さんのアンナがチェックを入れて意見が食い違って来ると、けんか腰のイタリア語が加わる。しきりに肩をすくめるジュゼッペ。イタリア人てかかあ天下が多いのかなあ・・・。

気に入っているいつものスタイルにカットしてもらって、ワインレッドのハイライトを入れてもらって、白髪を(アンナに「ずいぶん増えたわねえ」なんて言われながら)しっかり隠してもらって、最後のカットの微調整まで延々3時間。ふだんは手に取ることのない女性雑誌を読むのもけっこう楽しい。ドラッグやお酒で問題を起こしてばかりの困ったちゃんのリンゼイ・ローハン。すっぴん顔の写真を見て、意外と年が行ってるのかなと思ったら、まだ24歳だって。アラフォーぐらいに見えてしまうのは、かなり荒れた生活をしているからだろうな。なんかかわいそう・・・。

クリントン元大統領の一人娘チェルシーが選んだお婿さん、すっご~くハンサム。保守派のユダヤ教徒の花婿と、メソジスト派のキリスト教徒の花嫁。結婚式は2つの宗教の儀式を組み合わせながらも、愛の詩を交換したりして現代風にロマンチック。ちょっぴりの羨望が輝ける結婚式がなかったワタシの胸をチクリ。ほんの、ほんのちょっぴりだけど・・・。チェルシー13歳でマーク16歳の時に知り合って、スタンフォード大学でも一緒だった長い付き合いの2人。花嫁を見つめる花婿はラブラブ過ぎてとろけてしまいそうな、ハートマークがいっぱいの目。う~ん、若い愛はいいなあ。

チェルシーのお母さんはクリントン国務長官。ええっ、あのヒラリーはワタシとたったひとつ違い年だったの?つい雑誌のヒラリーの写真と、鏡の中のワタシの顔を比べてしまうのは女心のなせる業かな。(ヒラリーの方が6ヵ月年上なんだけど。)「ビクトリア・ベッカム風だよ」とジュゼッペが言うヘアスタイルになってすっきりしたワタシ、ほんのちょっぴり若返った気がする。へえ、そっかあ。ヒラリー・クリントンとワタシは同い年も同然・・・。

そんなぐあいに、ちょっと日常の現実から離れた午後がの~んびりと過ぎた。

独居老人になったときの人生設計

1月22日。土曜日。何かヘンな夢を見てはうつらうつらで、あんまりよく眠った気がしないけど、まあ、普通に目が覚めて、普通に起きた。外はけっこう暖かそうだけど、東部の方はとテレビを見ると、わっ、寒波襲来。カナダ全国の天気はいたってあまのじゃくで、アメリカとの国境沿いの地域を端から端まで見渡すと、一般的に西が寒くなれば東は暖かく、東が寒くなれば西の方で暖かくなる傾向があるから不思議・・・。

うかうかしているうちに仕事が重なってしまったので、今日は朝食後からまじめに仕事。学者が書いたものはその筋の学術用語を探して、それらしい文例をネットに山ほどある論文から検索すればけっこう楽なことが多い。仕事によっては、レビューするのが最高学府で最高学位を取った人だったりするけど、極楽とんぼのワタシは「物知り博士と門前の小僧の禅問答」みたいな図を勝手に描きながら、ひとり楽しく仕事をして、後はよろしく~。物怖じしないのか、図々しいだけなのか、ただ怖いもの知らずのおっちょこちょいなのか。どこまで行ったら「限界!」と大書した壁にぶち当たるのかなあと思いつつ来たつもりだけど、ひょっとしたら初めっから目の前にあった壁に肩をつけて、えいえいと押しくらまんじゅうをやってきたのかなあとも思ったり・・・。

トイレに行ったついでに、洗濯物を洗濯機に放り込んでいたら、カレシが後から覗いて、「やろうと思っていたんだ」と。下着がなくなったというから、仕事の合間に洗濯機を回しているってのに、何じゃ、それは。ま、カレシにやらせたって、どっちみち1分おきに「あれはどうするの」、「これはどうやるの」と聞きに来るに決まっているから、かかる手間はあんまり違わない。それに、もしもワタシがひとり身だったら、どのみち自分で家事全般をやるわけだし、そうでなくたって昔は毎日家事を100%、仕事を110%やっていたんだし・・・。

家事の分担でもめる共働き夫婦が多いようで、女の方が年収が何対何だから家事の分担は反比例して何対何という理想論?を持ち出し、すごい人になると家事のリストを作って、所要時間で振り分けようとしたりするの対して、男の方は早く帰って来れる方が多くやればいいと思っていたりするらしい。家事なんてめったやたらとごちゃごちゃあって、リストを作ったら1メートルくらいの長さになりそうだから、それを「これは私、これはあなた」と結婚生活マニュアルを見ながらすっぱり振り分けられるってもんでもないと思うんだけどな。まあ、自分に負担がかかるのは嫌(損をしたくない)という考え方が根底にありそうな感じがするし、男の場合は(奥様が決めた厳しい品質基準を満たすほどに)「できない」からやりたくないのかもしれないけど。

大嵐が過ぎた後の我が家では、カレシは自発的に「自分の仕事」と決めたことをやって、ワタシはその他もろもろをやるという図式がいつのまにか出来上がった感じ。こういう「いつのまにか」は長年一緒に暮らして来た証拠かもしれないけど、ワタシはまだ現役で稼ぐのに忙しいもので、「その他もろもろ」のうちでも、手が回らなくてやらないでいてもさしあたりの支障がないものは、支障が出るまでやらないことにした。主婦業に誇りを持つ人の目には許せないグータラ主婦に見えるだろうけど、そういう「よくできた」専業主婦に限って「主婦の仕事は大変なのよ!」と目を吊り上げてのたまわる。ま、とっくに主婦を返上した極楽とんぼはどこ吹く風の馬耳東風・・・。

だけど、朝日新聞の『孤族の国』の特集を読んでから、もしもカレシが突然ひとり身になったらどうなるんだろうと、ふと考えるときがある。亡きパパの場合と同じで、生活して行けないとだろうと思う。ひとりで生活するためのスキルがほとんどないし、今さら学習できるのかどうかはあやしいもんだし、ワタシの後釜を探そうにもそうそう売れる年でもないし・・・。いちど聞いてみようかな、もしも独居老人になったときの計画はあるのかって。たぶんないだろうなあ。はて、人の指図は受けない人だし、人とのつながりをけっこうめんどくさがる人だし、そのくせ自分からは動きたくない人だし、どんなことになるやら。まあ、夫婦と言う最小単位で作る「家庭」に共同参画せず、日常生活のめんどうは人任せにして、伴侶を蔑ろにするような身勝手なこともやったわけで、ひとりになって人生が立ち行かなくなったとしたら、あんがいそれは「自業自得」という名の神様の罰なんじゃないかという気もする。はて、いいのかなあ、カレシ・・・。

ワタシが独居老人になった場合の計画はというと、たぶんまともな朝の時間に起きて、お日様が高いうちにあれこれと家事をしたり、散歩をしたり、老人センターに行ったり、趣味に没頭したりして、夜になったら(カレシの写真を前に?)ワインを傾けながらゆっくりと食事。後はゆっくりと読書などして、ゆっくりと寝酒をたしなんで、ゆっくりとベッドに入る・・・とまあ、ゆっくり、まったり、ほっこりの毎日を思い描いているんだけど、ひょっこりとすてきな出会いなんかあったら、がたがたに狂っちゃうなあ。へたをすると主婦業か。うん、ときめきは茶飲み友達くらいに留めておくことにするか(と、取らぬ狸の皮算用もいいところ・・・)。

まあ、独居老人になる確率はカレシもワタシも互いに五分五分。それぞれにおひとり様の人生設計を考えることも必要じゃないかと思うんだけど・・・。

スズキとドラゴンフルーツソース

1月23日。日曜日。早いなあ、新年ももうすぐ最初のひと月が終わってしまう。テレビのニュースで寒波でがっちりと凍っているトロントやオタワの風景を見ながら、今にも桜のつぼみが膨らみそうな暖かな日に(なんとなく)感謝・・・。

きのうの洗濯が3回目の最後まで終わらなくて、濡れたまま詰め込んでおいた乾燥機を回して、仕上げ。ワンステップで洗濯から乾燥までできてしまう洗濯機が早く出回ってくれたらいいのに・・・。

のんきにやっていると、仕事をしようかと思っているうちに夕食の時間。まっ白できれいなスズキにはどんなソースを添えようか。冷蔵庫をのぞいて見つけたのが、少しくたびれたドラゴンフルーツ。くせのない白身の魚にはフルーツがよく合うから、さっそく2つに切って、実をすくい出してブレンダーでピューレ。

ソースとしてはちょっと足りないパンチを補うには何かリキュールがよさそうだけど、ぺルノーはどうかなあと言ったら、カレシが「甘すぎるんじゃないのかな」と。たしかに、よく「a touch of Pernod」とメニューに書いてあったりするな。そう、ほんの「タッチ」ね。お酒の棚を見渡して、うん、カチャーサを試してみよう。これはさとうきびで作ったブラジルの無色のラム酒。スプーンに取ったピューレに少し垂らして味見。うん、いけそう・・・。

スズキの実はみごとなくらいに上品な白だけど、皮にも何となく品があるせいか、レストランではよく焼けた皮のほうを上にして盛り付けている。そこで、まずお皿にソースを伸ばして、その中に海塩を振っただけでフライパンで焼いたのを置いてみた。かいわれのようなもやしがあったら良かったかもしれないな。付け合せは、カレシがコーンブレッドを作った残りがあったので、小さいさいころにしたポテトと炒め、細いベビーいんげんを蒸して、あら、何となくおすましのディナー。[写真] 

原稿の入れ替えで仕事の予定が変わったので、買い換えるコンピュータとプリンタを物色。今使っているこのポンコツを、当面の間インターネットから切り離して翻訳作業用においておきたいんだけど、オールインワンという、CPUの横にモニタを貼り付けたようなスタイルは場所をとらなくていいな。マルチ機能のカラープリンタを新調して、テクニカルサービスに無線ネットワークでカレシとワタシで共有できるようにしてもらえば、ワタシのオフィスにはたっぷりのスペースができるし。零細企業向けの税控除は今月31日。が期限だから、ちょっと急がないと・・・。

走る、アドレナリン超特急

1月24日。月曜日。雨。なぜかパッと目が覚めて、パッと時計を見たら午後12時35分。まだ寝ているカレシを横目にパッと起きてバスルームへ。こんな時間に起きては困るんだけど。今日は夕食の前までに送らなければならない超特急仕事が2つもあるんだけど。どっちもまだ手をつけてないんだけど。寝たときにはそんなことちゃんとわかっていたはずなのに、どうしてこういうときに限って正午過ぎまで寝てしまうんだろう。それも、ストレスなんか何にもないようなぐっすり快眠・・・。

気配で目を覚まして起きて来たカレシが朝食のしたくをしている間に、PCを立ち上げて、ファイルを開いて、仕事を始める準備を完了。いつものようにジュースとシリアルで、仕上げはトーストとコーヒー・・・のはずだったけど、端っこだけ残っていたパンをカレシがあまりにも見事に薄くスライスしたもので、トースターに入れたらまっ黒こげ。しょうがないからトースト抜きで、コーヒーを持ってオフィスへ「出勤」。まあ、よく眠ったおかげで、仮想ねじり鉢巻でキーを叩いているとアドレナリンがシュッシュと出て来て、最初の仕事はかなり用語の検索があったけど、1時間とちょっとで完了。超早起きの校正担当者はちょうど早朝の時間帯だから、即刻送信。網ひとつの仕事も、普通ならちんたらちんたらとやるようなさっぱりおもしろくない内容だけど、勢いに乗っていけいけ。ちゃっちゃと1時間とちょっとで片付けて、期限より2時間も早く納品。おお、やった~。

終わってみたら午後5時に近かったけど、カレシの後に付けてトレッドミルでひと汗。こういうときになると何となくかまってもらいたそうになるカレシのタメイキは雑音扱いにして、片目で時計を睨みながらの3時間ちょっと。アドレナリン噴出状態の後のトレッドミルはすごくリラックスした気分になるから不思議。あれやこれやとぐうたらぐうたら考えながら、時速8キロのペースで走ること15分。たっぷりと汗をかいて、熱いシャワーを浴びて、カレシ特製の冷たいマティニを一杯。これがまた何ともいえない極楽・・・。

メインにする魚をフリーザーから出しておくのを忘れていたので、急遽スモークサーモンを水につけて解凍しながら、玉ねぎとにんにくと残りもののコーンと生クリームでパスタソース(コレステロール、高そう)。パスタをゆでている間に、スモークサーモンをソースに混ぜ込んで、付け合せのブロッコリとしめじをソテーして、ゆであがったパスタ(リングィーニ)をソースと混ぜて、所要時間30分弱のスピード食。はあ、なんだかものすごい超特急の今日・・・。

1月最後の週は、税金の優遇措置の期限が迫っているから新しいPCとプリンタを発注しなければならないし、売上税の申告期限が迫っているから、さぼりっぱなしの帳簿整理をして、年度末の決算をしなければならないし、4ヵ月先の会議の参加登録もしなければならないし、それから、あれからと、まるで各駅停車だけど、はて、あと1週間しかないというのに、極楽とんぼ特急は停車駅を通過せずに、脱線もせずに、終着駅まで行けるのか・・・。

未来の日本語、わからないかも

1月25日。火曜日。まあまあの天気。きのうの今日というか、ゆっくりと起きて午後いっぱいダラダラ。もうひとつ仕事があるんだけど、まあ、一種の反動かな。期限はあしたの午後だから、内容をざっと見渡して、まっ、のんびりでいいか。(発破をかけるとか地層がどうのとか、うっかりすると用語探しで手間を取られかねないけど、ま、いっか・・・。)

今月は不動産の査定評価の通知が来る月だからかどうか知らないけど、バンクーバーのマイホームの値段に関するニュースがやたらとある。ばか高いのはたしかだけど、今日の新聞サイトを見たら、世界325都市のうち、バンクーバーの価格はカナダの平均世帯収入の9.5倍で、香港(11.4倍)、オーストラリアのシドニー(9.6倍)に次いで3番目に住宅が高嶺の花だと書いてあった。別の角度から見ると、トップ10に4都市(シドニー、メルボルン、アデレイド、ブリスベン)も入っているオーストラリアはもっとマイホームへの道が遠いと言うことになるけど、需要があるからだとしても、同じ要因によるものかどうかはわからない。ちょっと前に郵便事情を調べるのにローカル日本人の掲示板をのぞいたら、相も変わらずバンクーバーの不動産価格は今にも暴落するという希望的観測のご託宣スレッドが続いていたけど、このままだといくら半額になってもちょっと手が出ないんじゃないかなあ。

小町を見ていて、今どきの日本語(というよりは若い人の日本語能力)に関するトピックが2つもあって、言語稼業のワタシはさっそく井戸端に駆けつけてみた。『号泣した・・・って、ただ泣いているだけじゃない』。出くわしたな、これ。人事関係の文書で、報告の中にもろに「号泣した」と出てきたから、こっちは目を白黒。本来の意味に訳したらどえらい騒ぎになってしまいそうだったので、よくよく考えて、ただの「泣いた」にしておいたけど、感情的な日本語がなんだか過激になってきているような気がする。ひょっとしたら、例の「不動産が暴落する」という予言も本当は単に「値下がりする」と言っているだけなのかもしれないな。

もうひとつの『オドロキの言語ギャップ』と言うトピックは、若い人たちに昔からある日本語が通じないというような話で、思わず笑ってしまった。とういうのは、トロントの日本人の掲示板に(おそらく煽りが目的だろうけど)『どこかおかしい?日本人の移民』というのがあって、ワーホリ半年のお嬢さんが、「10年以上移民している日本人って・・・日本語がちゃんと話せなかったり・・・」と言っていた。人さまのことを「日本語がちゃんと話せない」と酷評しているわりには、今まであった日本人移民はみんな「どこそこ変わっていた」とヘンな日本語で来るからおかしかった。みんな大学教育を受けた人たちなんだろうと思うけど、まあ、外国語の習得はその人の母語のレベルを超えることはできないそうだから・・・。

それにしても、ワタシにもわからない日本語が増えたことはたしか(忘れた日本語も増えたけど)。かしこまった文書は仕事上いつも扱っているから読み書きともまだ大丈夫だけど、口語となるとどうも36年前の(20代後半の)レベルで発達が止まっていたような感じがする。まあ、どっちの日本語が「ちゃんと」しているのかわからないけど、36年と言えば浦島花子は「日本語がちゃんと話せない」と嘆くお嬢さんが生まれる前のことだろうし、36年の間毎日友だちと日本語でわいわいとおしゃべりをする機会もなかったんだから、今どきの日本語と違っていてもしかたがないと思うけどね。そのうちに小町に井戸端会議もちんぷんかんぷんで、誰かに翻訳してもらわないとわからないなんてことになるのかもしれないなあ。まあ、言葉は時代と共に変化する生きものだそうだから、ワタシの日本語がヘンで通じなくなっても号泣はしないだろうと思うな。いや、日本へ行って「通訳さぁ~ん」なんて言って、あんがいおもしろいかも・・・。

今年は10年の節目なのだ

1月26日。水曜日。朝っぱらから何とも騒々しい。まずはリサイクルトラック。人手でリサイクル品の入ったブルーボックスを持ち上げてトラックに放り込むだけなのに、どうしてこう騒々しいんだろうなあ。ドッシャン、ガッチャン、ガラガラと、実に盛大。で、ボックスを取りに出てみると、レーンにはこぼれたプラスチックやら紙類が散乱。なんてことだろう。まあ、今日はいつもよりずっと遅い9時過ぎだったから許すけど。次にどこやらでウワン、ウワンとモーターの音。たぶんゴルフ場のどこかで木を伐って、シュレッダにかけているんだろう。市民には(有料の)許可なしで木を伐ったら罰金と言っておきながら、市営のゴルフ場はよく「伐採」をやっているから不思議。ちゃんと伐った木と同じ数だけ植樹してるんだろうな、おい。最後にごみ収集トラックが来て、起床・・・。

西向きのポーチの気温は正午過ぎでもうすでに10度もある。春が来ている感じ。寒波に見舞われた東部ではまた大雪で飛行機が欠航したりしているのに、なんか悪いなあ。オタワなんかマイナス30度の寒気がやっと緩んだらしいけど、カレシは「オレがいた頃はいつもそのくらい寒かった」と、そんなの寒いうちに入らないとでも言いたそう。たしかに1970年代の初めはかなり寒かったらしい。それに比べたら常夏みたいなバンクーバーから行ってつらかっただろうと思ったら、「いや、蒸し暑い夏の方がきつかった」そうな。わかる、わかる。蒸し暑いときは最後の1枚を脱いだらそれでおしまいだけど、寒いときはいくらでも重ね着できるもんね。

朝食が済んで、今日の午後が納期の仕事にかかる。きのうはカレシのお誘いに乗って、早仕舞いして、レミを飲みながらマクワーター先生の言語学の講義を2コマ続けて見てしまった。ちょうど言葉の変化や受け取り方を考えていたので、特に「書き言葉と話し言葉」の講義で、大学でフランス語を学んだ先生がパリのカフェで自信満々にコーヒーを注文したら、実は覚えたフランス語がパリの人が使う文法スタイルではなく、しゃちほこばった(正統な)スタイルだったもので、「は?」という顔をされたという話はおもしろい。カレシに聞かれて記憶をたどってみたら、高校の教科書の英語もなんかコチコチだったと思うから、教科書で学ぶ外国語は街角のスタイルとは違うかもしれないと思った方がよさそうかな。ま、期末テストの英文和訳で「関係代名詞」を訳していなかったからと減点するような日本の英語教育は元からしてヘンだけど、関係代名詞をいちいち「~するところの~」」なんて訳したらちゃんとした日本語にならないでしょーが。

ということで、今日はのっけからねじり鉢巻で仕事に突入。持ち時間は2時間半。業界用語の検索には汗をかいたけど、何とか間に合って完了。急いで夕食のしたくをして、カレシを英語教室に送り出して、今度は2010年度の決算。今はたいがいのことをオフィスに篭ったままでネットでやれてしまうから、昔ほど経費の項目がない。年間の経費は「創業」の頃の半分で、つまりは利益率がばか高い、実においしい商売なのだ。レシートを月別に仕分けして、月別の請求と入金をリストにしたら、あとはちょこちょとと会計ソフトに入力するだけ。どうやら売上税申告の期限には間に合うかな。

午後9時前に英語教室から帰って来たカレシ、3月から「週一の初級の教室に変えたいけど、金曜日か土曜日の午後のどっちがいいと思う?」と。政府がやっているELSAの初級がやっとのレベルの人たちを4人くらい集めて初歩から英語を教えてみたいんだそうな。カレシの教室のことを口コミで知った移民支援の福祉団体からほんとうに初級レベルの人たちが紹介されて来るようになったけど、今の生徒はほとんどがすでに中級のレベルなもので、そういう人たちはどうしてもついて行けなくて長続きしない。そこで、今の教室を2月の末で終了にして、新しい教室を立ち上げたい、と。菜園での野菜作りや他の趣味にもっと時間を振り向けたいということもあるらしい。まあ、ボランティア先生をやり始めて10年だから、少しは疲れもするだろうし、2人にとってもある意味で10年の節目だから、ここいらでちょっと軌道修正するのもいいかもしれないね。それに、今の夜週2回が昼間週1回になるんだったら、毎度夕食のしたくを急がなくてもよくなるから、金曜日でも土曜日でも諸手を上げて大賛成だけどな。

夕焼け小焼けで五里霧中の日が暮れる

1月27日。木曜日。正午を過ぎて起床して、さし当たって手持ちの仕事2件は納期が長いから、差し迫った仕事もないのでちょっとのどかに過ぎそうな日。カレシは2日。連続の英語教室の後で月曜日までずっと「オレのウィークエンド」なんだって。ふむ、この頃、あくびが多いよねえ、アナタ・・・。

けっこうのんびりと過ぎた午後。午後5時になってもまだ空に明かりが残っているようになって、日が長くなったなあと感心していたら、わっ、すごい夕焼け。午後から雨の予報じゃなかったのかなあ。夕焼けってことは、あしたは晴れってことでしょうが。あんまり見事だったので、二階の窓からパチリ。燃え盛っているような空は空港があるあたり。(冬の方が夕焼けが豪華に見えるのはどうしてなんだろうな・・・)

いつものようにトレッドミルで走って、シャワーを済ませて、テレビのニュースを見ながら夕食のしたく。カナダのマッケイ国防大臣がカリフォルニア州知事を退いてカナダに講演ツアーに来ているシュワルツネガー前知事と会談して、「カナダのBC州はカリフォルニア州と国境を接していますからねえ」と言っちゃったとか。はあ?BC州とカリフォルニア州の間にはオレゴン州とワシントン州と2つもアメリカの州があるんだけどなあ。まあ、マッケイ大臣はカナダの東の外れのノヴァスコシア州の出身だから、西の外れの地理には少々疎いのかもしれないな。(「疎い」ってのはこういうときに使うんだよねえ、たしか。)

カナダの大臣にアメリカの州を2つも端折られてしまったシュワちゃん、モントリオールでの講演で「カナダがイラクに派兵した」ことを称賛したのはいいけど、実はカナダはイラクに派兵する代わりにアフガニスタンに兵を送った。ま、どっちでもあまり変わりはないかもしれないけど、その後でモントリオールがカナダの「首都」であるようなことを言っちゃったらしい。あのぉ、カナダ連邦が発足する前の1844年にはモントリオールが植民地の「首都」になったことはあるそうだけど、カナダの首都はもう長~いことオタワなのだよ、シュワ君・・・。

「失言には失言を」なのかと思ったら、野党自由党の党首のイグナチエフまで調子に乗って、政府のジェット戦闘機購入を批判するのに「ビル・ゲイツ国防長官が・・・」とやったから、ここまで来たらもう「舌禍インフル」みたいなもの。あのね、ビル・ゲイツはマイクロソフトを防衛するのが仕事で、アメリカ合衆国を防衛するのはロバート・ゲイツの仕事なんだってば。まあ、失言一番乗りだったマッケイ大臣、「ゲイツ長官と私は西半球における重要な問題を、オレゴン州とワシントン州の戦略的役割も含めて協議しました」とやって、間違い続きの喜劇は幕となったけど、互いの国境や首都がどこになるかもわからないんだから、まっ、カナダとアメリカが戦争することはなさそうだな。敵を知らなきゃ戦には勝てないもんね。

折りしも日本では、S&Pの日本国債の格下げのことを聞かれた総理大臣が、「そういうことに疎いもので・・・」と言っちゃってかなり叩かれているらしい。まあ、カナダとアメリカの失言騒動は北米人が「地理に疎い」ことが問題の核心なんだけど、菅さんの舌禍はどっちかというと言葉の意味をよく理解していない(つまり、疎い)と言うことかもしれないな。もっとも、「疎い」という言葉には「知らされていない」という意味合いもあるから、あながち失言というわけでもないだろうけど、「世事に疎い」と言うような意味に解釈したら、一国の総理大臣の発言としてはあるまじきことになってしまうかもしれない。政治家諸君さあ、言葉に疎いのもほどほどにしないと・・・。

あんなに豪華な夕焼けだったのに、おや、今度は深い霧。世界は五里霧中ってことか・・・な?

PCのある暮らし24年

1月28日。金曜日。すっきり眠ったような気がしないうちに、目が覚めたら午前8時53分で、セットしておいた目覚ましが鳴る寸前。目覚ましをオフにして、起きて着替えをして、リビングの窓際のシートにごろり。まだヒーターのスイッチが入る前の時間だから、ちょっと寒い。ごそごそと起きて、ベースメントのオフィスの小部屋から枕とひざ掛け毛布を持ってきて、もう一度シートに横になってうとうと。きのう発注した新しいPCとプリンタが配達されるのは午前9時から午後5時の間・・・。

ぐっすり眠ってしまっては困るけど、目を開けると頭が活動を始めてしまうので、ひたすら目を閉じてうとうとしていたら、窓の外でガランというゲートを開ける音。チャイムに応えて外に出たら、うわっ、大粒の雨がばらばら。ゲートと玄関を走って往復しただけでかなり濡れてしまった。大小3つの段ボール箱を運んできた配達の人も肩がびしょびしょ。いつから?ボクのこと?ううん、雨。あ、30分くらい前から。へえ。降りすぎだよ。受取書にサインして、そのまま二階に上がって、ナイトガウンに着替えて、ベッドにごそごそ。午前10時20分。今度は数分でぐっすり・・・。

正午を過ぎて人声で目を覚ましたら、カレシはキッチンで電話中。コンピュータの話をしているから、相手はどうやらトロントのデイヴィッド。雨はしょぼしょぼ程度になっていたけど、きのうのあの真っ赤な夕焼けはいったい何だったんだろうな。何となく眠いような気もするけど、まあとにかく全額の減価償却が認められる期限の1月31日。に間に合って良かった。玄関脇の大きな箱を見て来たカレシ、「VAIOって書いてあるけど、ノートを買ったのか」と。え?買ったのはソニーのオールインワンというタイプのPCだけど・・・。デスクトップなんかみんなやることは似たり寄ったりであまり変わらないだろうしと、写真を見ただけで場所をとらなくていいやと思って買ってしまったワタシ。でもまあ、VAIOを使っている人を何人も知っているから、大丈夫なんじゃない?

とは言ってみたものの、ほんとに大丈夫なのかなあ。まだ箱を開けていないんだけど、ちょっと調べてみたら、日本でもボードPCとか言って同じ「Jシリーズ」を売っていた。PCとテレビとブルーレイプレイヤーの3役をやるそうだけど、ワタシのにはテレビ機能はついていないな。北米仕様だからだろうけど、ワタシは番組を見るためにテレビの前に座るタイプじゃないから問題はないし、第一、元々業務用なんだから、仕事中にテレビなんぞ見ていたら生産性がたまったもんじゃない。キーボードとマウスが無線なのが気に入ったし、タッチスクリーンなのもいい。指の関節がみんな変形性関節炎になって、ときどきマウスを操作していて痛むから、指先でちょいちょいとやれそうなのはうれしいな。

我が家のコンピュータ第1号は1987年だった。Windowsの前のDOSの時代で、昔のテレビみたいにどてっとしたモニターの黒い画面に映るのはオレンジ色の文字だけ。処理スピードはMHzでひと桁だったし、フロッピーは5インチで10枚入りの箱が20ドルくらいしたっけ。20MBのハードディスクを入れてもらったら、周りから「そんな大きいの、無駄だよ」と、まるで物好きの扱い。プリンタはオリヴェッティのプリンタ兼用の電動タイプライターで、バタバタバタバタと印刷しているときの騒々しさに参って早々にドットプリンタを新調した。カレシはソフトのコレクションとプログラミングに凝り、ワタシはその頃一番人気だった表計算ソフトのLotus 1-2-3で家を新築するためのローン返済計画を作ったりして、すごく便利な時代になったなあと感動したっけ。

あれからもう24年。パソコンの変遷はくらくらするほど目まぐるしかったけど、「すごく便利になった」という感動の方はもうほとんど薄れてしまっているのは、新しい機能がどんどん娯楽の方に傾いて行っているからなんだろうか。まあ、いずれ引退したら、ワタシにとっても娯楽のキカイになるんだろうと思うけど・・・。

今ごろ1年分の帳簿の整理

1月29日。土曜日。ゆうべは寝酒もなしでベッドに直行。ぐ~っすり眠って、午後12時35分に目が覚めた。あ~あ、午後もなんか大半が過ぎてしまった感じ。まあ、こっちは土曜日だし、日本は日曜日だからいいんだけど・・・。

きのうやっと手を付けた2010年度の経理事務。どういうわけか知らないけど、昨年度は一度も会計ソフトに入力しないまま。一四半期とか半年くらいサボるのはさして珍しくはないんだけど、丸々1年てのはちょっとなあ。経理担当者はクビだ!と言いたいところだけど、その経理担当者は自分と来ているから、仕事をサボっていたからとクビにするわけにも行かない。自分のその部分を切り分けてポイッと捨てて、新しくバリバリの経理を「移植」するという芸当は・・・不可能。そこが自営業の辛いところなんだけど、きのうはとにかくがんばって5月分まで記帳した。これくらいサボるとあって然るべきレシートが見つからなかったりする。んっとに、うちの経理はアホ・・・。

ということで、午後いっぱい残りの会計処理を急いで、夕食のしたくの直前にやっと12月分が終わった。(トレッドミルに乗る気にもなれなくて、今日は休み・・・。)後は減価償却などの細かな計算と処理があるけど、とにかく第4四半期の売上税(HST)申告の数字は出た。なにしろ、過去3四半期はレシートから計算しただけで申告していたから、ここで最終的な数字を出して申告しないと帳簿の方がややこしいことになるから必死。数字が出たところで、即刻オンラインで申告。はあ~。カナダ国内で納品する仕事がなくて、ワタシの仕事はすべてがサービスの「輸出」ということになってHSTはゼロ。おかげで経費に払ったHSTはそっくり還付される。(このあたりで紛失したレシートが惜しいような気がして来るけど、まあ、たいした金額じゃないから・・・。)

1月もあと2日。。残るは5月の会議の参加登録とトラックの保険、そして1月分の請求事務か。くたびれるけど、創業?から丸21年にして累積売上150万ドルを達成。我ながらがんばったな。カレンダーをめくって2月1日。は極楽とんぼ自営業の創業満21周年記念日。そういえば、満20周年の去年はバタバタしていてとうとうお祝いをせずじまいだったな。仕事のログを見たら、ああ、今年もお祝いどころじゃなさそう。なんか大きそうな仕事が並んでしまっているけど、この分では雪崩警報発令かなあ。その間に新しいシステムのセットアップの手配もあるし・・・やれやれ、また忙しくなるのかな。もう今からみ~んなうっちゃって遊びたい気分・・・。

なにしろ、2月と3月は「予算消化」の季節。年度ごとに年間予算をきれいに消化しなければならないところでは、予算の「鍋」にどのくらい使い残しがあるか調べて、「じゃあ、これと、あれと、それも翻訳に出すかあ」みたいなことになるらしい。おかげで、この時期は雪崩のごとく入ってくる仕事に埋もれて、ワタシはヒィ~っと悲鳴を上げることになる。翻訳会社でもコーディネータさんたちの間で翻訳者や編集者の争奪戦になることがあるとか。ワタシはけっこう狙われるんだそうだけど、それはそれですご~く名誉なことだと思うからうれしいんだけど、どどっと大雪崩に埋もれるとやっぱりかなりしんどい。まあ、おひとり様商売なんだから、2011年度もがんばるっきゃないよなあ。タメイキ・・・。

便利そうで意外と不便なこともある

1月30日。日曜日。いい天気。窓から入って来る日差しは春が近いのがわかるくらいぽかぽか。その分夜はちょっと冷え込むから、そのうち雨雲が近づいてきたらまた雪の予報が出るかも。夜通しやたらと咳が出て何度も目が覚めたり、ふくらはぎの痙攣で飛び起きたりで、ちょっぴり寝足りない感じ。家の中が乾燥しすぎているのかな。ここのところウォータークーラーの水が減らないところを見ると、デスクであまり水を飲んでいないからかもしれない。4年がかりのアレルギー治療でも解消しなくて、もう一種の持病みたいになっているこの咳、喘息のように気管がゼイゼイ言うわりにはほとんど痰が出ないし、肺機能の検査をしても「元気な肺だよ」と言われるのがオチで、30年経ってもまだ原因不明・・・。

さて今日の「31日。期限」はシアトルで開かれる会議の参加登録。主催する協会の会員だと参加費が少し安くなるので、カレシが会員になると言い出した。ふ~ん、たぶん協会初で唯一のモノリンガル会員ということか。でもまあ、翻訳の仕事には欠かせない「ネイティブチェック」をやっていると言えるからと、寝る前に加入登録の手続きをした。なにしろモノリンガルなもので、翻訳でも通訳でもない「その他」にチェック。年会費1万円なりを払って、めでたく?翻訳者の協会の会員になったカレシ。会議でいつも会って顔なじみの会員登録担当の理事がたまたま東京にいて、さっそくユーモアたっぷりの歓迎メールが来て爆笑。

一夜開けて、さっそく会議の参加登録を始めたのはいいんだけど、PayPalで同じクレジットカードを使おうとしたら「拒否」。2度やって2度とも拒否されたら、銀行から確認の電話がかかって来てしまった。そういえば、前にも同じクレジットカードを立て続けに使うことができないことがあったっけ。おそらく何らかのセキュリティ処置だろうということはわかるとしても、不便なことこの上ない。イライラ、カリカリした挙句に「もうやめたっ!」と言い出した。別のカードを使えばと言って、あとは放っておいたら気を取り直して別のカードで手続きをしていたけど、んっとにもう。まあ、世の中は一見して便利になっているようで、実は意外と不便になっていたりするもんだけどね。とにかくこれでまたひとつ片付いた。やれやれ・・・。

それでも今年の春の会議は近場でいい。近すぎるくらいだけど、秋は大陸の反対側のボストンだから、ちょうど釣り合いがいい感じ。来年の春の会議は広島と発表されたばかり。カレシは何となくこれが最後の日本旅行になるかもしれないと思うのか、今から北海道は絶対に行くと決めて、ワタシが生まれ育った釧路をもう一度見たい。十代を過ごした名寄と室蘭もどんなところか見てみたい。札幌では実家のあったところがどんな風になったか見てみたいと、盛り上がっているからおかしい。なんだかワタシのセンチメンタルジャーニーを計画してくれているような感じもするけど、まあ、ワタシも定年が目前だからいいかな。1990年代には何度も2人一緒に日本を旅行して回ったのに、なぜかワタシは地名に心当たりがあるだけで、どんなところだったのか、どんな風景を見たのかはほとんど覚えていない。カレシも去年初めて一緒の日本旅行が楽しいと思えたのかもしれない。まあ、やり直しの締めくくりの大旅行も悪くないなあ。

日本の友だちから先週クリスマスカードが届いたと言うメール。はあ?今ごろ?バンクーバーの消印は12月17日。になっていたそうだから、投函した後すぐに処理されている。それにしても、延々5週間の旅、どこをどうやって放浪していたやら。「カナダでは郵便ストでもあったの?」と言うけど、ふむ、ひょっとしてひょっとしたら誰も知らないうちにストをしてたりして。まさかとは思うけど、カナダポストだからありえないことじゃない。まあ、ワタシとしてはアメリカのホームランドセキュリティが一枚かんでいるような気がするんだけどね。それでも、これでようやっとクリスマスシーズンは終わりかな。んっとに、いつまでもクリスマス気分、正月気分でいるわけにも行かないでしょうが、春が来るんだから、まあ、あと3日。くらいで旧正月ではあるけど・・・。

まずは、なんか大きそうで、めんどうくさそうな仕事、ぼちぼちやるか・・・。

重国籍制度の是と非

1月31日。月曜日。いい天気。咳にもこむら返りにも起こされずにぐ~っすりと眠って、正午過ぎに目覚め。なんだか不思議な夢を見ていたような気がするけど、目が覚めたとたんに忘れてしまった。脳みそのデフラグがうまく行ったということなのかな。今日で1月も最後・・・。

1月の「絶対やらなきゃリスト」の最後はトラックの保険更新と請求書作り。保険の方はカレシのトラックなんだからひとりで行ってやればいいのにと思うけど、なぜかお供がいるらしいから、ついでにスーパーに寄って「買い物リスト」にある数品を買ってきた。リストになかった75ワットのハロゲンのフラッドライトはめっけもの。というのも、1月1日。から75ワット以上の白熱電球の販売が小売店の手持ち在庫が切れたら終了ということになって、買いだめに走る人が多いというニュースだった。たしかに白熱電球があった部分の棚はみごとに空っぽ。我が家はたいていの白熱電球をだいぶ前にCFLと呼ばれるスパイラル型の蛍光灯に切り替えたので問題はないけど、キッチンの天井にある5個のハロゲンのフラッドライトは75ワットで、なぜかわりと「希少種」。ハロゲン灯は白熱電球ではないから当面は禁止にならないだろうけど、めずらしく数個あったからとりあえず4個まとめ買い。ま、これで2、3年はもつかな。

エジプトがえらいことになっていて、カナダは「カナダ人」を避難させるためにチャーター機を飛ばすことになったとか。だけど、レバノンでの紛争で万の単位の「カナダ人」を救出したのはいいけど、その「カナダ人」たちが途中の待遇が悪かったとか、カナダに来ても医療サービスが悪かったとか、とにかく文句たらたらだったもので、自分たちが納めた税金を使われたカナダ国民からめっちゃくちゃに叩かれた前例があるから、今度はカナダのパスポートを保持者とその家族を優先し、チャーター機もカイロからフランクフルトその他のヨーロッパの主要都市までで、その後は各自で行きたいところへ自費で行ってもらうそうな。まあ、カナダのパスポートを見せても(無料で)カナダまで連れ帰ってもらえない人にしてみれば、カナダ政府は役に立たないと愚痴のひとつも言いたくなるのはわかる。だけど、カナダにいるカナダ人が「ちょっと待て」と言いたくなるのにも一理も二理もあると思う。

「カナダ人」というのはカナダに国籍を持っている人のことなんだけど、重国籍を認める国では、カナダ国籍を取得した人が永久帰国して、あるいはカナダ人がその国に永住して、カナダ国籍を何世代も維持して来た人たちがたくさんいる。先祖のひとりがたまたまカナダ国籍だったというだけで、カナダには行ったこともなく、カナダなんてどこにあるのかも知らず、カナダの言語を話せず、自分をカナダ人と考えたこともなければ、カナダには忠誠心どころか一切の関心もないという「カナダ人」が世界に何万、何十万、いや何百万といるわけ。そういう人たちを「居住国」で騒乱が起きたからといって「自国民」として税金を使って救出することにはワタシも「なんだかなあ」という違和感がある。かって香港が中国に返還される直前に移民してきて、資格ができるや否やさっさとカナダ国籍を取った香港人が「カナダのパスポートは保険」と言って大きな反感を買ったけど、どこかで動乱が起きるたびに、カナダに来る移民たちにとって「カナダのパスポートは何かあったときに助けてもらうための保険でしかないのか」という疑問が頭をもたげる。

イギリスは海外永住したイギリス人が国籍を伝えられるのは孫世代までという制限があるそうで、カナダも去年法律を改正して国籍の世襲に制限を設けた。ワタシが帰化した時は子供ができても日本政府が日本国籍を認めなかったから別に考えたことがなかったけど、移民国家において自分のルーツを伝えると言う意味では重国籍は大きな意味を持つものだろうと思う。だけど、カナダ国籍をいざというときに自分の安全を確保するための保険的な手段にすぎないと考える人には重国籍は認めるべきではないとも思う。そういう人たちは概して母国の恩恵に浴していながらも自分の母国を信頼していなくて、重国籍を認める国の国籍を持つことでいざというときにはそっちの国の国民の権利を行使して逃げ出そうと言う、かなり身勝手なところが透けて見えることが多いから、生粋のカナダ人はカチンと来る。日本は出生による以外は重国籍を認めていないはずだけど、移民してきてカナダ国籍を取得(当然日本国籍は喪失)してもなお「二重国籍なの」と自慢?する人がかなりいるらしいけど、この人たちはいざというときにどっちの国に助けを求めるんだろうな。日本かな、やっぱり。カナダのパスポートなんてルイヴィトンのバッグをもって歩くのと同じようなものでしかないような感じだし・・・。

海外に移住した日本人は日本に重国籍を認めて欲しいと思っている人は多いようだけど、いざ重国籍を認めると日本に住む外国籍の特定グループがこぞって日本国籍を併せ持つことになるから怖いという議論もある。自分たちだけに重国籍を認めて外国籍者には認めないというのはあまりにも差別的で世界に通じないからそれはできない。しょうがないから、日本国法の下では違法と知りつつ「隠れ二重国籍」を維持して、日本人を捨てていないことを主張する。なんだかなあ。世界中を人が流れる今は必ずしも国籍イコール民族のルーツじゃないと思うんだけど。カナダもそろそろ国籍の生地主義と重国籍を認める制度を見直しした方がいいんじゃないのかなあ。ある意味で現代の「踏み絵」になってしまうかもしれないのはわかるけど・・・。


2011年1月~その2

2011年01月21日 | 昔語り(2006~2013)
雪が降ると世界は美しく見える

1月11日。火曜日。なんだかわけのわからない夢を見ているうちに目が覚めた。ちょうど正午。天気はまだまあまあ。それでもやっぱり午後8時頃には雪が降り始めて、10センチから15センチ積もると言っているから、今日と明日英語教室があるカレシは朝ごはんを食べながら、どうしよう、どうしよう。でも、トーストを食べ終わる頃には、「今週は休み」に決定。(どうも、実際のところは、あんまり気乗りがしなかったのは先生の方だったらしいけど・・・。)

メールを開けたら、超特急の仕事。編集者の時間帯で考えると作業時間は1時間ほど。わわわ。もっともごく小さい仕事だからいいけど、慌てることは慌てるな。とにかくコーヒーを飲みながら、パカパカとキーを叩いて、終了。編集者に回したのは午後2時ぎりぎりでほっ。やれやれ。ちょっと焦ったけど、このくらいの超特急だと小さい仕事でも割増料金でけっこうな実入りになるから、まあ、文句は言えないな。なんたって地球は丸いから、違う時間帯に住んでいる人たちと組んで仕事をしているとなかなかスリリングな場面に出くわすから。

ここのところ、夕食メニューは「エクスペリメンタル」。実験メニューと言えばかっこいいけど、要するにかなりの思いつきのぶっつけ本番。仕事のペースが緩慢なときにだけできることで、思いつきでやる方にはけっこうおもしろい。日曜日は、エビとえのきとアスパラガスの茎をヒラメに巻き込んだのを台湾キャベツで巻いて、海鮮キャベツロール。ダシとめんつゆで煮たらおいしかった。きのうは白身のタラと赤みの紅ザケの尻尾の部分を別々の味つけでブレンダーで練って作った二色の魚コロッケ。これもけっこう良かった。連続ヒットで気を良くして、今日は軽く燻製したギンダラを大根としいたけで煮てみた。ダシはギンダラの燻製した塩味だけ。これがけっこういけたから、残ったスープを取っておいて、そうめんを煮てみようかな。

午後7時35分。カレシが「雪だ~」と言って来た。ええ?午後8時って言ったでしょ?30分近くも早いんじゃないの。でも、天気予報としては相当の精度と言えるだろうな。ちらちらと降り出したけど、空の色を見るとかなり本気で降りそう。そんなときにカレシが「IGAに行こう」と提案。雪が降り出したのに、どうして?「たぶんが道路が空いているだろうし、スーパーも込んでいないだろうし、雪が積もり過ぎる前に帰って来られるだろうし、トラックを走らせてバッテリをチャージしておきたいし、野菜が底を尽いてしまったし、ついでに酒屋によってジンを買って来ないとマティニを作れないし・・・」。ふ~ん、珍しくお出かけに乗り気だなあ、こんな天気なのに。

それほど寒くないから、雪はかなりのべた雪。確かに交通量は少ない。鼻先にプラウを付けた市のトラックとすれ違った。カルガリーのディスクジョッキーが「あんなの、除雪プラウじゃなくて、スクイージーじゃん」と評したとか。スクイージーというのは窓拭き用の道具で、片側のゴムのブレードでガラス面の水をふき取るようになっている。ジョッキー氏は「バンクーバーの除雪なんかへなちょこもいいとこ」と言いたかったんだろうけど、う~ん、当たってないとは言えないなあ。

平常の夕食に使う魚類が品薄になっていたので、遠洋漁業。アメリカなまずのトレイを2枚、ホタテを1枚、ニジマスを1尾、オヒョウを2枚、紅ザケの半身を1枚。魚のフリーザーでは、久しぶりにオレンジラフィーがあったので、ありったけ(と言ってもトレイ3枚だけど)をいただき。オヒョウのほっぺたもトレイを3枚。ついでに大きなイワシの大きなトレイ。これくらい大きいと開き甲斐もあるってもの。一度「イワシのつみれ」と言うのを作ってみたいなあ、と取らぬ魚の皮算用。丸ごとの鶏を見て、けさシンガポールで買った料理本を見ていて興味を持った「サムゲタン」を作ってみようという気になったけど、もち米も朝鮮人参も手持ちがないから一応お預け。でも、雪の降る夜のスープとしては最高に幸せな味じゃないかなあ。

スーパーを出た頃には、もう見渡す限りの雪景色。とにかくわさわさとひたすら降っているという感じがする。道路の車線が見えないので運転はちょっと危なっかしい。酒屋に寄ってジンを買っての帰り道、横道に曲がろうとしたら、ズルッとスリップしてヒヤリ。全天候タイヤだけど、やっぱり滑るなあ。朝の通勤は大変だろうな。無事帰り着いて、魚のトレイをはずしてフリーザーバッグに入れる処理に約1時間。5センチくらいは積もったかな。予報によると、夜半からじわじわと気温が上がって、午前9時にはプラス4度で、雪はそのまま雨になり、午後2時には7度まで上がるとか。ふむ、べちゃべちゃ、ぐしゃぐしゃか。

午後11時を過ぎて、気温はプラス1度。街灯の下で華麗に舞っている?雪のひらが、心なしか大きくなって来たように見える。「ゆぅ~きぃ~はふぅ~るぅ~。あなたはこないぃ~」と、青春時代に大好きだったアダモの歌を思い出して口ずさんでみる。心地よい家の中にいて見ている限りでは雪は美しい。雪景色も美しい。世界中が静まり返って、そして悲しいくらいに美しい・・・。

マイセックスで孤族予備軍

1月12日。水曜日。目覚めは正午。ベッドルームが明るい。ということは、雨は降っていないのか。なんかがっかりしたような気分で起きてみたら、空模様は薄曇。いやあ、けっこう降ったなあ。15センチくらいはありそうで、せいぜい12時間でこの積雪量はやっぱりちょっとした「大雪」かな。でも、車の通る道路は解けてしまっている。ゆうべ融雪塩をまいておいた歩道は真っ白になっていたけど、5センチも積もっているかどうか。たぶん塩の量が足りなかったんだろうな。ま、何ごとも経験。この次はもう少し多めにまいてみるか。(この次はない方がいいんだけど。)

英語教室を休みにしたせいか、カレシはのんびりモード。同窓会の広報用ブログを作ると言って、アカウントを作ったまではいいけど、ブログの仕組みがさっぱりわかっていない。「書き込めないよ」、「編集できないよ」、「コメントはどうやって書くの」、「なんでパスワードをつけるの」、「特定の人だけに記事を書くときはどうするの」・・・。あなたのブログの設定なんか知らないって。まあ、知らないと言いつつも自分の設定を基準にして、こんな機能、あんな機能があるはずだと、いちいち指南するワタシも、カレシののんびりモードが感染したのか、なんかヒマなんだなあ。曇って来たけど、いつまで待っても雨は降って来ない。午後4時の気温はプラス6度。春っ気がさして来てしまいそう。

いつものように新聞サイトを見ていたら、厚生労働省の調査で日本人の男性18%、女性48%がセックスに関心がないか、嫌悪感を持っていると言う結果が出たという記事があってびっくり。十代に絞ると数字はもっと高くなる。さらに、「めんどうだから」という理由を挙げた回答者が全体の40%もいたというからますますびっくり。異性と関わるのがめんどうくさいということらしい。たしかにセックスは究極の人との関わりじゃないかと思う。それが「めんどうくさい」というのは、何か大変な心理的な地殻変動でも起こっているんじゃないのかなあ。毎日の新聞には児童買春や盗撮、痴漢行為と言った記事があって、性暴力がなくなる気配はないし、ゲームもマンガもセックスが氾濫していて、女性たちはと言えばコンカツ、コンカツと走り回っているようだし、どう見ても「めんどうくさい」からセックスに無関心/嫌いという調査結果とは大きく矛盾しているような感じがする。

でもよく見ると、未成年者がそういう性犯罪の対象になっているケースが多いし、モニターや紙の上の二次元のイメージに「萌えて」いるようで、日本はチャイルドポルノ大国だと言われながら規制は生ぬるいままだし、「性」そのものへの関心が薄れているのではないと思う。つまりは対等な異性と「直接」関わるセックスががめんどうくさいってことだろうな。考えたら、痴漢もレイプも買春もポルノもみんな自分だけの、いわば「マイセックス」。これでは政府がいくら子育て支援策を打ち出してもまったくの的外れになってしまうじゃないの。セックスがなければ肝心の子供が生まれないんだから、子育ても何もあったもんじゃない。何とか結婚しても、「忙しくて」、「疲れていて」40%がセックスレス状態。そうだろうな、サラリーマンはやれ残業だ、やれ飲み会だと深夜まで家に帰れない(帰らない)んだから・・・。

異性と関わるのがめんどうということは、他人と関わるのがめんどうくさい、ひいては人と人とのつながりがめんどうくさいということかもしれない。だとしたら、このままではみんな「孤族予備軍」。まるで、それまでカッチン、カッチンと快調に動いていた「社会」というキカイに不具合が起きて、部品がばらばらと外れてしまったようなイメージが浮かんでくるんだけど、どうしてこんなことになってしまったんだろう。バブルの狂乱の影響なのかな。それとも、社会のいたるところでKYだ、マナー違反だ、非常識だ、不愉快だ、迷惑だと、言葉の端々から一挙手一投足、はては頭のてっぺんからつま先の外見や服装まで、いちいちダメ出しをされるもので、自分から動く気力が失せて、めんどうくさくなってしまったのかな。たしかに、小町の井戸端を見渡すと、まるで一億人の口うるさい小姑にストーカーされているような感じがしないでもない。

長い閉塞状態にみんな疲れてうつっぽくなっているだけなのかもしれないけど、それだけならいいんだけど、やっぱり何か大変なことになりつつあるのではないかという気がする。

近くで死なれては迷惑なんて、そんな・・・

1月13日。木曜日。暖かいというか、生暖かいというか、午後1時の気温はプラス8度。昨日の午後1時はまだ白い風景だったのに、起出して外を見たら、「え、雪が降ったのは夢だったの?」という感じ。冷え込んでみたり、春の陽気になってみたりで、マザーネイチャーはまるでアルミのやかん・・・。

歯医者に行くカレシを送り出して、2010年度の年末処理を少しだけ。おとといあたりから指の関節がほぼ全部痛い。関節がいびつになって来る変形性関節炎。長いことキーを叩き続けてきたのと老化が原因らしいけど、なぜか手を動かしていないときにキ~ンと痛くなったりする。つまりは、キーを叩き始めると痛いことは忘れてしまうわけで、ワタシってけっこう都合のいい人・・・。

新聞を見ていたら、ブリティシュコロンビア大学の敷地内にある高層マンションの隣にキリスト教系の慈善団体がホスピスを建設しようとしたら、マンションの中国系住人の猛反対で計画が宙に浮いているという記事があった。全体の80%を占める中国系のオーナーたちが、「そんなに多くの死んで行く人が近くにいるのは(我々にとって)文化的タブー」だということで、反対デモを計画しているとか。記者は「アジアでは「死」は悪運を招くものとしてタブー視されている」と説明しているけど、「身近に死んで行く人がいてもらっては困る」ってのは、(縁起が悪いから)死ぬんだったらどっかよそへ行って死んでくれ」と突っぱねているわけだし、普通の人にはちょっと理解できないだろうな。そんな冷たいこと言っても、人間はみんないずれは死ぬのに・・・。

夕方のテレビでは、ホスピス反対の先頭に立っている人たちが、「子供が怯える」、「(自分たちや家族に)病気や倒産や離婚のような悪運を運んでくる」、はては「近くに死んで行く人がいると考えるだけでも恐ろしい」と、(かなり必死の形相で)反対の理由をまくしたてていたので、移民して来てまだ日が浅くて、ばっちり母国にいる気分なんだろうなと思って見ていたけど、そのうちに「マンションの価値が下がってしまう」と言い出したもので、迷信や文化的タブー云々というのは建て前であって、どうやらこっちの方が本音じゃないかという印象に変わってしまった。そうでなくても移民集団の中でも圧倒的な割合を占めて、嫌でも目立つ中国人移民。その数の力を頼んで中国の風習や迷信をごり押しで通そうとしているというイメージを持たれたら、先々めんどうなことにならないとも限らないな。多重文化主義の許容性にも限界というものはあるんだから。

だけど、中国人の人間観、生命観、家族観、あるいは人間関係の概念は、いったいどういうものなんだろうな。家族の誰かが死を迎えるときにはどうしているんだろう。まさかよそへ行って死ねと言うわけじゃないだろうな。ドラッグや犯罪者の更生支援施設に反対が起きるのはよくあるけど、由緒ある高級住宅地の邸宅が遺言で寄付されて、子供のホスピスになったときに住民が反対したという話は聞かないな。ホスピスは不治の病気で命を限られた人が、家族に見守られて穏やかな気持で命を終えられるようにしようという安らぎの場で、人間は誰もがそうやって家族を見送ることに思いやりや共感を持つものだと思っていたけど、そうでもないのかなあ。望んだわけでもないのに死んで行かなければならない人たちに対して、自分たちに災厄がふりかかると困るから近くで死なれては迷惑千万というのは、「臭いからあっちへ行け」といういじめっ子の幼児性と通じるものがあるような感じもするんだけどな。(まあ、迷信にはそういう性格もあるようだけど。)

だいたい、二十一世紀のデジタル時代に、いい年をして幽霊が怖いも何もないもんだと思うけど、大学は中国からの留学生や研究投資を呼び込みたいだろうから、最後にモノを言うのは「お金」ということで、このホスピス建設の申請はたぶん不許可になるんだろうと思うな。

お役所仕事の心理学

1月14日。金曜日。朝方にかなりの雨が降ったらしいけど、起きたら日が差していて、正午の気温はプラス10度。まるで100メートルダッシュで春が来てしまったような感じ。(どうせまた100メートルダッシュで冬に戻るのかもしれないけど。)

けさは9時前に道路を清掃するトラックの轟音で目が覚めた。きのうの夕方に道路向かいの歩道に臨時の「駐車禁止」の標識が立っているのに気がついて、カレシが出て行って見たら、「道路清掃のため、午前9時から午後5時まで駐車禁止(月~金)」。月曜日から金曜日までの「どれか1日。」の午前9時から午後5時までの間に標識が立っている側の路肩を清掃するということで、かなりいい加減な標識なんだけど、月曜日から金曜日の間といっても明けたら金曜日だから来るだろうと思っていた。まあ、何度も「いつ」と書いていない標識を立てて行って、カレシが市役所に苦情を言ったことがあるから、のんきなお役所仕事も少しは向上したのかもしれない。

ところが、正午に起きたら、また轟音が近づいて来る。外を見たら、小型の清掃トラックがちょうどカレシのトラックの後を掃いていた。何でこっち側を掃いているの?と思ったら、いつのまにか向こう側にあった標識がこっち側に移動しているじゃないの。寝る前の午前3時に我が家の側は駐車禁止になっていないのを確かめたのになあ。てことはけさになって移したんだ。そんな直前になって標識を立てたって誰も見ていないから、ゆうべからずらっと路上駐車のまま。どこかへ移動しようにも数が多すぎる(市が民間のトウトラックを呼んで無料で適当な場所に移動してくれる)。そこで、駐車している車がなくて、小型の清掃トラックが入れるところだけをちょこちょこと掃いて回っているってわけかな。このあたりでなるほど~と思ったんだけど、朝食が済んだ頃にもっと大きな清掃車が来て道路の向こう側を掃除して行った。夕方になってもこっち側に移った(月曜から金曜までの「駐車禁止」の標識はまだ残っているけど、これって来週の月曜日から金曜日のいずれかの日に掃除に来るってことなのかな。てことは、清掃が済むまでは念のために毎晩トラックをよそへ動かしておかなければならないってことかなあ。どうなってんだろう・・・。

お役所、お役人のやることには見るからにあほらしいことが多いけど、ときとしてあんまり巧妙なもので、時間が経ってから思い出してやっと理解するようなこともやる。そんな例に出会ったのが、10月末にデンバーへ行ったときのアメリカ入国管理官。カナダの空港からアメリカへ飛ぶときは、どういうわけかカナダ側の空港のアメリカ行き専用ターミナルで入国審査と通関をする仕組みになっている。カナダ人は指紋を取られないから、入管の手続きはふつうパスポートを見せて、何の用でどこへ行って、いつ帰ってくるかと聞かれて終わり。ところが、デンバーへ行ったときは2人のパスポートを一緒に出したら、入国管理官が立ち上がってワタシのだけを天井の照明にかざしてためつすがめつ。そして、こっちを見ないでやぶから棒に「キミたち、夫婦?」と質問。もちろん2人は反射的に口をそろえて「イエス」。そうしたら、どさっと椅子に腰をおろした管理官氏、2つのパスポートを読み取り機に通して、にこやかに「Have a nice day」。

搭乗口に向かって歩きながら、2人して「何だったんだろう、あれ」。明らかにワタシのパスポートだけを偽造じゃないかと疑った感じだよね。異人種カップルだからかなあ。でも今までこんなことは一度もなかったよねえ。異人種カップルなんぞ、バンクーバーの空港じゃあ珍しくもなんともないしねえ。ホームランドセキュリティか移民局あたりから「アジア人がカナダのパスポートを出したら詳しく調べるべし」とかいう特別な通達でも出ていたのかなあ。まあ、後になってもっともらしい答を出したのはバーバラだった。「パスポートの生年月日と見かけの年令が合ってなかったのよ」と。つまり、ワタシが偽造パスポートでカレシと夫婦を装ってアメリカに密入国しようとしたと疑われたということらしい。あら、やだ。(そういえば、数年前にニューオーリンズのホテルでも「結婚してどのくらい?」と聞かれたっけ。30年と言ったらお口ポカンだったけど、あれも・・・?)

まあ、今だから「あら、やだ」で済むんだけど、これがひと昔前の「独身妄想」のカレシだったら、イエスと言うのに一瞬ためらったりして、エライことになっていたかもしれないな。お役所って、時には「あれ?」と思うような心理作戦に出てくることもあるから、油断がならない。

美は不公平でも老いはみんな平等

1月15日。土曜日。湿っぽいけど、暖か。正午でもう10度まで行ってしまっている。今夜から日曜日の夜までに40ミリも雨が降るんだそう。雨で40ミリと言うと、雪になって降ってきたら何センチくらい積もるのかな。でも、あんまり春っぽい陽気なもので、ストラビンスキーの『春の祭典』を聞かせたら、植物は芽を出し、動物は萌えてしまうんじゃないのかなあ。だって、春だもん・・・ね。

今日はカレシがヘアカットとの予約を入れていたので、いっしょに行ってワタシの予約を来週に入れた。なにしろ去年の4月からずっとカットしていないもので、前髪が鼻のてっぺんに届くほど伸びてしまって、目の前にかかって邪魔なことはなはだしい。おまけに顔の皮膚を刺激してかゆくなって来るし、一度は垂れ下がってきた髪の毛をコンタクトレンズと一緒に目の中に入れてしまって、いや痛かったの何のって。それにしても、若い頃に比べると髪の量が目に見えて少なくなったなあ。頭の上の毛をすくって持ち上げたら、かなりの白髪が目立つし・・・。

まだ年令よりもいくらか若く見てもらえて、その調子に乗って若々しい気分でいられるのはいいことなんだけど、実年令は本人の意向にはおかまいなしに重なって行くしくみになっているから、黙っていても、誰にでもやがて「老後」が来てしまう。この時間の流ればかりは健康サプリも美肌ローションもボトックスも止めることはできない。止められないと(たぶん)わかっていても、止めたいと思い、「止められる」と囁く巨大産業の甘言に乗って永遠の美肌への夢を買ってしまうのが人間なんだろうけど。でも、年を取るのが嫌だ(怖い)という理由が「老後の不安」だとしたら、どんなに努力して外見の「若さ」を保ったところで、結局は無駄じゃないかと思うんだけどね。働いていれば、一定の年令で「定年」になって老後が始まるんだし、働いていなくたって、配偶者が定年退職すれば自分も否応なしに「老後の生活」に入ってしまうわけだし・・・。

小町のいろんなトピックを見渡してみると、老後の生活が不安でいても立ってもいられない様子が手に取るようにわかる。婚活に熱心な女性たちには、(自分の)老後が心配だから早くそれなりの収入の男と結婚して子供を産んでおきたい人が多いようだし、子持ち派と子なし派の論争でも、子供を持たない選択をした人たちの老後を誰が見るのか(自分の子供に負担がかかって来る)というのが対立の焦点になることが多い。独身の兄弟姉妹がいれば、親亡き後の老後のめんどうが自分に降りかかってくるのはごめんだというし、夫婦の間でもどっちがどっちの親のめんどうをみるかでもめているところが多いし、はては(自分の老後を視野に入れて)手塩にかけて育てた子供がめんどうを見てくれないと嘆いている老親たちも多い。

でも、どのトピックからも自助の精神があまり感じられないのは、やっぱり安心できる老後を誰かに提供してもらいたい、誰かに依存したいということなのかな。(そのくせ他人に対しては「頼られるのは嫌だから、寄りかかって来ないで」と言ってる感じだけど。)たしかに、年金制度はごちゃごちゃのようだし、雇用もめちゃくちゃに不安定らしいし、国の予算の半分以上が借金でまかなわれるというし、年を取ってからの暮らしに不安を感じるのはわかるな。先立つものがあれば介護施設に入ってめんどうをみてもらうこともできるだろうけど、その先立つものがなくては老後は貧乏になるし、最悪の場合ホームレスで孤独死なんてことになりかねないしね。(そうならないために年金制度があるんだし、そうなりかねない事情がある人たちのためにはお金(税金)を出し合ってめんどうをみる社会の仕組みがあるはずなんだけど・・・。)

昔から「寄らば大樹の陰」というけれど、どんな大樹だって、虫食いになったり、大風が吹いたりして、いつ倒れるかわからない。あてになるかどうかわからないものに寄りかかるよりは、自分の根をできるかぎり太く、深く伸ばした方が安心できるんじゃないのかな。ま、かなりの自助自立エネルギーが要求されるけど、後になってから楽じゃないかと・・・。

窓のない家ならいいのかな?

1月16日。日曜日。今日も記録的な暖かさ。日曜日なのに近くの家の新築工事現場で重機を使って何やら作業をしていて、最初に目が覚めたのは10時過ぎ。(市の騒音防止条例では、日曜日は午前10時前に騒音を出す機械を使うことはできない。)そのままうとうとしたけど、11時半には起きてしまった。眺望270度の二階の窓から見える範囲に新築中の家が2軒。まあ、12月は住宅の建築許可の発行件数が大幅に増えたそうだから、高すぎるとか何とか言いながらも、新しい家がどんどん建っているということか。土地の値段と工費とマージンと不動産屋の手数料を合計したら、こんなごく普通の住宅地でもやっぱり軽く100万ドルを超えるな。古い家の建て替えが多いと言うことは、その値段でも売れるってことか・・・。

そろそろ次の仕事にかかろうかなあと思いながらのんびりとオフィスに下りて、PCが立ち上がるのを待っている間にきのうから見始めた『ストレスと身体』というDVDを見る。講師は『シマウマはなぜ胃潰瘍にならないか』という本を書いたスタンフォード大学の教授で、縮れた長髪を後で束ねてひげもじゃの神経病学者。立て板に水のようなかなりの早口の講義なんだけど、その話しっぷりがめちゃくちゃにおもしろくて、とうとうぶっ続けで3コマ(1時間半)も見てしまった。もう30年も夏休みごとにアフリカへ行って野生のヒヒを相手に、ストレスによる病気の研究をしているとか。うん、こういう先生がいたら、学校での勉強もストレスなんかまったく感じなくて、毎日の講義が楽しいだろうなあ。

ストレスと心臓、ストレスとメタボリックシンドロームの関係がわかったところで、小町をのぞいて見たら、カーテンを開ける、開けないの議論をやっていた。マンションで窓のレースのカーテンを妻は閉めておきたいのに夫は開けたがるから夫婦喧嘩になる。勝敗はどっちかという相談なんだけど、まあ、そんなことでの夫婦喧嘩は犬も食わないからいいとして、閉める派と閉めない派が喧々諤々の大?論争。日が当たりすぎるからレースのカーテンを閉めると言うのはわかるな。まぶしいし、夏だったら家の中が暑くなるものね。(ガラス越しでも紫外線は危険だから閉めておけという人もいるけど。)散らかっている家の中を他人に見られたら恥ずかしいから閉めておく、というのはどうかなあ。恥ずかしかったら掃除すればいいじゃないかと思うけど、ま、そのヒマがないのかもしれない。家の間取りや不在や家族構成までわかると「泥棒に入られるかもしれない」から、「子供が狙われるかもしれない」から、閉めないのは防犯上危険というのは「リスク管理派」なんだろうけど、日本がそんなにも物騒なところになったなんて信じられないな。

それにしても神経質な人たちが多いなあと思うんだけど、それも家の外がすぐ道路だったりして、通る人の目が気になるんだろうし、それに「安全」の観念も違うだろうから、そういう環境ではしょうがないか。それでも、他人に見られたくない、目が合ったら嫌だ、見ていると思われたら嫌・・・これって一種の視線恐怖症じゃないのかな。なんだかじっと息を殺して、身を潜めて暮らしているようで、読んでいるうちに緊張感が伝わってきたけど、常にそういう精神的なストレスにさらされていると心臓や血圧に良くないと思うよ。カレシもカーテンやブラインドを閉めたがる方で、わりとアスペっぽい性格だから外の光や音への反応が違うんだろうと思っていたけど、はて・・・。

特にびっくりしたのは、「迷惑だから閉めろ」という意見。曰く、「丸見えにされる周囲の人たちにとって迷惑」、「目のやり場に困るのでレースのカーテンだけでも閉めておいて欲しい」、「覗く気がなくても目に入ってしまって気分を害する者もいる」、「見ないようにするのはけっこう気疲れするから迷惑」、「開けっ放しにされると、逆に見られているような気がして気が休まらない」云々。しまいには、カーテンを開けっ放しの人には相手の立場に立って考えられない人が多いという意見まで飛び出す始末で、なんだかみんな人間嫌いなの?つまりは「私が気分を害したり、気疲れしなくてもいいように(私に)気を遣え」ということなの?人が住んでいるところではおちおち道路も歩けないような雰囲気で、すごいストレスになりそう・・・。

古女房の家庭経営管理学

1月17日。月曜日。轟音が近づいてきて目が覚めた。午前8時43分。どんどん近づいてきて、ぐわ~っと家の外を通過して、かなり急激に遠ざかって行った。道路清掃車のお通り。やれやれという気分になって寝なおして、起床は1時近く。この頃は工事だのなんだのと騒音が多くて、少しくらい早めに寝ても、睡眠時間が半分も行かないうちにいったん目が覚めてから本格的に眠るもので、起きる時間がどんどん遅くなる傾向がある。困ったもんだけど・・・。

ま、とにかく道路清掃が済んで駐車禁止の標識が消えたのは何より。ごそごそと起き出したカレシはトラックを元の場所へ戻すために早速外へ出て行った。家の防犯アラームの解除を忘れなかったのはエライ。寝るしたくをする頃になってトラックを動かさないのかと聞いたら、「何で?」と来た。道路掃除が来るから、寝ているうちにトラックをどこかへ持って行かれるよと言ったら、「勝手に持って行けばいい」とけんか腰。おいおい、ワタシは市役所じゃないんだから、けんかを売られても「あ、そう」と返品するしかないからね。ほんとに「あ、そう」と言ったら、ものの数分もしないうちに「トウトラックの騒音で目を覚まされるのは嫌だから、動かすことにした」と言って外へ出て行った。あっ、そう。でも、押すボタンを間違えたらしく、トラックのアラームがけたたましく鳴り出した。午前3時半。んっとにまったく近所迷惑・・・。

目が点になるようなカレシの行動の決定心理を見ているとおもしろい。ワタシが「○○したら?」と言うと、たいていまずは「ヤダっ!」という反応。このあたりがわかって来るまでは、ここでなぜ○○をすべきかという説諭になってしまって、カレシは実際にするべきとわかっていても亀のように頭を引っ込めてひたすら拒否に出る。結局はしょうがないからワタシが自分でやる。そこでカレシが「オレのもの」と見ているものが絡むと、今度は自分の縄張りを侵害されたと怒り出し、いくらカレシがやらないから、ワタシがやらなければならなかったと説明しても、謝るまで怒っていることが多かった。それで、次は差し出がましいことはしないでおくと、今度は「オマエがやらなかったから(支障が起きた)」と怒る。これは「ああいえばこういう」型のモラハラ族の常套手段なんだろうけど、そこがわからないうちはつい振り回されて疲れてしまう。

そこで、基本的に「提案/サジェスチョンは1度きり」のポリシーを導入して、こっちの「○○したら」というサジェスチョンに拒否や反論が返って来たら、「あ、そう」でピリオド。カレシにはこれがなぜか効き目があるようで、たいていはその「○○」をやる。そのときになんたらかんたらと「やる」理由を並べるからおかしくてしかたがないけど、よけいなことは言わずに「うん」とだけ返事。とにかく、やらなければならないことをやってもらうためにそれとなくやる気にさせるのが狙いなので、カレシのようにとりあえず抵抗してみなければ気がすまない性格には放任主義で行くわけで、カレシとしては自分の発案、自分の主導という気分になって顔が立つし、ワタシもやるべきことが平和裏に実行されるので、めでたし、めでたし。

カレシは手先が不器用なので、そそっかしいワタシよりも物を落としたり、ひっくり返したりすることが多い。時には「あぶないな~」と思って見ている目の前で事故が起きる。その瞬間にカレシはパニック状態で自己防衛モードのスイッチが入って、ああだこうだと「自分の落ち度ではない」理由を並べるけど、ワタシの方はさっと後始末を開始する。ただし、後始末をしてやるというのではなくて、後始末の「行動」をデモンストレーションするだけ。後始末をしながらカレシの言い訳に反論したり、叱ったり文句を言ったりはしないから、カレシは突っ立っているわけにも行かなくなって後始末に加わる。そこでワタシは「手伝い役」に回る・・・要は、何か問題が起きたときに現場をほったらかして責任追及に向かいがちなカレシの視点を「とりあえず何をすべきか」に向けるのが狙い。後始末が終わる頃にはカレシも落ち着いて、自分なりの原因究明をする気持になっていることが多いから、うんうんと聞いていればけんかにもならずじまい。

いうなれば一種の亭主操縦術なのかもしれないけど、こういう戦術は「2人の家庭」を運営して行く上で必要なことにだけ発動しないと、険悪な心理戦に発展しかねないから、かなりの自制が必要になる。それでも、誰だって結婚したときはどんな優しくてかわいい恋女房に見えたとしても、何十年も頭を使って「かみさん業」をやって来れば、良し悪しはともかくとしていろんな「家庭経営管理」の知恵がつくものらしい。知識はパワーなりと言うけど、知恵もパワーなり。つまりは、古女房は強しってことなのかなあ。

どっちの方角に向いているか

1月18日。火曜日。めずらしく静かな朝。と言っても午前11時半だけど、AMだから朝は朝。何だかちょっと冷えてきた。まあ、まだ1月も中旬なんだし、2月になってドカンと寒波が来ることだってあるから、雪さえ降らなければいいか。どれくらい昔だろうな、クリスマスがぽかぽかと暖かで、2月になってマイナス10度というような寒波が来て、「先に春が来てから冬なんて、狂ってるねえ」とあいさつ代わりに愚痴っていた時期があった。そんな冬が2、3年続いたような・・・。

きのう入って来た急ぎの仕事をささっと済ませて、納品ついでに(郵便事情がおかしいので)郵便物が届いているかどうか聞いてみたら、きのう配達されたと言って来た。郵便局へ持ち込んだのは12月15日。。それが太平洋を越えるのに1ヵ月もかかるなんて、大昔の帆船だってもっと早く行けると思うけどなあ。年が明けたというのにまだクリスマスカードがちらほらと届いていてヘンだと思っていたけど、定形外郵便や小包は、アメリカから2週間半、オーストラリアから3週間、ドイツからはなんと5週間(!)。どっち方向を見ても遅れているということは、問題はやっぱりヨーロッパとアジアの間にある「カナダ」なんだろうなあ。まあ、カナダポストは国営だった頃から非効率で不親切なんだけど、いくら郵便物が爆発的に増える季節ではあっても、この遅れは異常だな。テロリストが郵便物に爆発物を仕掛けたりするから、神経質になっていると言うことも考えられるけど、12月には東京から1週間で着いた小包もあったし、ふむ・・・。

大学構内の超お高いコンドミニアムの隣にホスピスが建設されることになって、コンドミニアムの中国系の住人たちが「我々の文化にとってタブー」ということで猛反対しているという話で、中国系カナダ人の団体が、反対する住人たちは中国文化をネガティブな形で持ち出して「中国系カナダ人の評判を傷つけている」として、反論する記者会見を開いた。曰く、中国の文化には敬老と介護の伝統がある、ホスピスが家族にあく運をもたらし、幽霊に悩まされるというのは奇怪な理由で「未知のものに対する恐れと無知」に基づいている。中国系カナダ人の全国組織の会長曰く、「自分は香港の人口が密集したハッピーバレー地区の墓地の隣で育ったが、みんな繁栄しているよ」と。そう、不老不死じゃないんだから、中国だってみんないずれは死んで墓地に葬られるはずで、家族は墓参りだってするだろうにね。

市民教育教会とか言う団体の(中国系名前の)会長は「一部の新移民による自分たちが知らないことへの恐怖感に尽きる」と言っている。でも、外国に移民すること自体が「未知」の世界に自ら飛び込むことじゃないかと思うけどなあ。地元で生まれ育った人たちには超高嶺の花のコンドミニアムを買えるくらいの裕福な移民だったらそれなりの広い視野や教養があるはずだろうに、まさか「これが我々の文化・習慣なんだ!」と凄めば、言葉や文化や習慣が違ってもどうってことないやと思っているわけじゃないだろうな。移住先のあちこちでそういう押し付けやごり押しをやっては反感を買っている人たちもいることを知らないのかな。何世代も苦労してカナダに地位を築いてきた中国系カナダ人が懸念しているのはそこなんだけど、情報管制がある国から来た人たちだから、どんなに高学歴でもあんがい知らないのかも・・・。

まあ、日本人でもそういう「無知」なタイプが世界中にいるのは、小町やローカルの日本語掲示板を見れば一目瞭然だけど、日本の文化や習慣を押し付けてその土地の習慣や制度の変更を迫れるだけの勢力がないから、同胞の間だけで移住先の文化や習慣、(配偶者も含めて)その土地の人間を劣等と見下したり、同胞に「日本人らしさ」、「日本人の誇り」を押し付けることで日本の文化や習慣の固持を図って、排他的という評判を取ったり、威圧的だという反感を買わずに済んでいるだけで、バブルの頃にはその芽が見えていた。ま、「異なるもの」と交わるには誰でも大なり小なりの違和感を克服しなければならないはずだけど、概して教養や視野に広がりのない(内向きの)人がそういう状況に遭遇したときに「自分が慣れ親しんで来た通り」を願うのは人種に関わらず共通する心理なのかもしれない。

それでも、ホスピス反対の根幹にあるのは「資産価値」の問題に尽きることは間違いないと思う。ずっと昔読んだ雑誌に、戦前にアメリカに移民したアジア人のうちで、中国人は少しでもお金が貯まると土地を買ってアメリカに根付き、巨富を築いた一族もいたのに対して、日本人は「故郷に錦を飾って帰る」ことが成功目標だったから、新天地に根を下ろすという考えはあまりなかったと書いてあった。どうやら移住先でどっちに顔を向けているかという違いは今もなおそれほど変わっていないのかもしれないな。(ローマ神話にはヤヌスという前と後ろに顔のある門や入口の守護神がいるけど、その名にちなんだ月が1月(January)・・・関係ないか。)

余談だけど、例のホスピスは元々大学の学生寮の近くに建設する計画だったのが、学生寮側から「静かにしなければならないのは苦痛」という理由で反対があったために、問題の場所に変更したのだそうな。まさに、人はいろいろ、文化もいろいろ・・・。

ストレスとダイエットは孫の代まで

1月19日。水曜日。ゴミの収集日で、リサイクル車のドシャンガッシャンで目が覚めたのが午前6時54分。どうしてこの頃はこんな早くに来るんだろうな。「収集日の午前7時までに出せ」ってことは、午前7時より前には来ないということじゃないかと思うんだけど。ひょっとして時計が夏時間のままになってたりして。むにゃむにゃと考えているうちにまた眠りに戻ったのはいいけど、今度は何かに追われて逃げ回っている夢を見た。こういう怖い夢はだいたい危機一髪!というところで目が覚めてくれる。(なぜか自分が殺された夢を見たことがあったけど、あれは怖くなかった。なにしろ後から誰かにいきなり頭をガンッとやられて、あ、ワタシ、死んじゃった・・・ヘンな夢。)

追われて逃げる夢では、足が地面にくっついて動けないときと、ふわふわと空間を遊泳しているようなときがあるから不思議なんだけど、けさのはなぜか朝もやのようなピンクっぽい色をした空間を鉄腕アトムみたいな感じでヒュ~ンと飛んで逃げ回っていたような気がする。ふむ、悪夢のはずなのに、ヘンなの。鉄腕アトムといっても、まんがを読んだわけじゃないから、ただそんな感じがしただけだし。(子供のときは『まぼろし探偵』が好きで、男の子の雑誌を買って読んだし、どうやって手に入れたのか覚えていないけど、親に内緒でおもちゃのピストルを持っていたことがあった・・・ヘンな女の子。)

カレシを教室に送り出して、『ストレスと身体』の講義の第6回目を見る。テーマは「ストレスと成長」で、まずはストレスの胎児への影響。成人病は胎児期から始まる(FOAD)という説があるそうで、第二次大戦中にナチドイツがレジスタンス活動への報復処置としてオランダへの食料輸送路を断ったため、オランダは「飢餓の冬」に見舞われて何万人もの餓死者を出したという。そのときに妊娠初期の胎児だった人たちは、飢餓に備えるための栄養分や脂肪の備蓄効率が高くて、成人してからメタボ症候群になる確率が普通の20倍にもなり、その中で女性たちが成長して生んだ次世代も同様にメタボ症候群になりやすい体質なのだそう。今ではその孫世代にも同じ傾向が見られると言うから、三つ子の魂なんとやら。見ていて、日本のニュースに低体重で生まれると大人になって生活習慣病になりやすいというのがあったのを思い出した。

さっそく記事を検索して、じっくり読んでみたら、オランダの「飢餓の冬」のことが引用されていた。日本では早産でもないのに低体重の赤ちゃんが増えていて、厚生労働省の統計から計算すると、低出生体重児が約10%と、先進国中ではトップクラスとか。さらに、若い女性の痩せ願望で、20代の女性ではBMIが18.5以下の「やせ過ぎ」が20%以上もいて、カロリー摂取量は年々減少し、妊婦でさえカロリー不足なんだそうな。つまり、おなかの中で戦争中のオランダの胎児と同じような飢餓状態に置かれた赤ちゃんは、ストレスホルモンのグルココルチコイドが生まれつき多く、生理的に常にストレス状態になるために成人病になりやすいという。(ただし、「適切な育児と生活習慣指導で、発症は抑制することが可能」と考えられている・・・。)

新聞記事では言及していなかったけど、いつもグルココルチコイドが多いと、学習能力や記憶力にも悪影響があるし、不安症にもなりやすいそうで、サポルスキー先生の講義と、新聞の記事から垣間見る世相や小町などの掲示板での人間模様の印象を重ね合わせて見て、な~るほど、そういうことだったのかなあ、と勝手にヘンに納得した気がした。そういう状況で低体重で生まれたのが女の子の場合は、効率的に栄養を蓄えるようにプログラミングされているので、大人になって妊娠したときに本来赤ちゃんに行くべき栄養分を横取りしてしまうために、太らないためのダイエットをしなくたって低出生体重の赤ちゃんが生まれて、そのコマンドやがて大人になって成人病になる可能性が高く、おまけに学習力や記憶の問題や情緒不安定に悩まされるかもしれない・・・という悪循環になってしまうらしい。

まあ、飽食の国で命を授かったのに飢餓にさらされて生まれてくる赤ちゃんもかわいそうだけど、国の将来にとってもなんか危機的な状況じゃないのか・・・と、ヘンな心配、かな?

健康な食生活はお金がかかる

1月20日。木曜日。ヘンな夢も見ずにわりとよく寝て、わりとすっきりと起きたら、カレシが「雪が降った~」と頓狂な声。そんな予報なかったけどなあ、と思って窓の外を見たら、ほんと、芝生がうっすらと白くなっている。まあ、ここんところちょっと冷えていたから、雨と雪の境目のきわどい温度だったんだろうな。もっとも、昼のテレビニュースを見たら、バーナビーやニューウェストミンスターのあたりは「うっすらと白く」なんてもんじゃない。テレビカメラの目の前で通りがかった車がスリップして、くるりと方向転換。今来たこの道は、危ない、危ない・・・。

午前4時には雪が降るような気配はなかったから、雨が雪に変わったのは明け方か。かなり突然のことだったらしく、気象台はあわてて「降雪注意報」を出したけど時遅し。交差点の赤信号で止まって、信号が変る頃になって突然左折(あ、日本では右折かな)のシグナルを出すようなもので、直進すると信じて後に付いた後続車はみんな立ち往生・・・ま、そんな感じかな。この「降雪注意報」も午後には早々に解除になったと言うから、いったい何だったんだ?なんか二十一世紀になってから多いなあ、このknee-jerk reactionと言うヤツ。足を組んた膝のお皿のあたりをポンと叩くと、足がピョンと跳ね上がる、あれ。反射的な行動のことを言うんだけど、コンピュータやビデオゲームが普及して、何でもかんでも「クリック!」の世紀だからなのかな。ちなみに、降雪注意報を出してから解除するまでの積雪量はせいぜい3センチかそこいら。雪国の人が聞いたら、おなかを抱えて笑い転げそう・・・。

今日はいくつもの新聞サイトにウォルマートが健康な食品の販売を拡大すると言う記事があった。口うるさいほど健全な食生活が叫ばれている今になってなんでウォルマートが?と思うけど、実は何日か前に、ウォルマートが進出するとその地域の低所得層の肥満率が高まる傾向があるという研究結果が発表さればかり。ウォルマートは一度だけ入ってみたことがあるけど、要は何でもあって何でも安いメガスーパーという印象だった。そのウォルマートが店を出すとどうしてその町の特に低所得の人たちが太るのか?それは、加工食品の値段が安くなるので、それだけ多く買って、買っただけ多く食べるようになるからだそうな。加工肉製品とかレンジで温めるだけの冷凍食のような安くて手軽な加工食品は、低コストで満足感を与えるために塩分や糖分、飽和脂肪が多く使われていて、その分カロリーがぐんと高くなるということらしい。

太古の時代から塩は食品の保存料だし、脂はエネルギーの素。ストレスにさらされた後は甘い炭水化物が食べたくなるそうな。だから、加工食品や冷凍食には塩がたっぷり入っていて、ほんとはうま味なんかないのをカムフラージュしているし、動物性脂肪はそれだけで「食べた!満足!」という気分になるらしいから、たっぷりの大サービス。最近の日本人は動物性の脂が好きなんだと思うことがあるけど、最高級のビーフは肉に脂が混じった「霜降り」だし、マグロならトロ、それも大トロといった感じで、どっちにしても脂肪を味わうために食べられるという感じがするんだけどな。動物を捕まえて主食にして来た狩猟民族と違って農耕民族だから、ひょっとしたら食べられるときにまとめ食いする習慣がついたのかもしれない。

昔はごくごくたま~に食べられる程度だったから健康問題は起きなかったんだろうけど、今では人工的に脂肪分の多い牛やマグロを作れる時代。マグロなんか蓄養とか言う方法で、地中海あたりでまだ産卵していないような若いマグロを捕獲しては囲いの中で超高脂肪の餌を与えて、日本向けに魚体の40%が「トロ」という超メタボのマグロに育てるんだそうな。(まだ産卵したことがないのを捕獲するわけだから、地中海のマグロ資源は増えないどころか、どんどん減って絶滅してしまう・・・それが先のマグロ漁獲規制問題の論点だった。)なんだか、ガチョウに無理に大食いさせて脂肪肝(フォアグラ)にしたのをありがたがって食べるのと似ているな。

話がずれて来てしまったけど、いわゆる「美食」はたしかにお金がかかるけど、そういうのは普通の人はたまに食べるだけだからまだいい。現代は普通に健康的な食生活を維持するにもお金がかかるようになって来たもので、低所得層は健康面でも割を食っているという・・・という話。


2011年1月~その1

2011年01月11日 | 昔語り(2006~2013)
1年のすべてが元旦に決まる?

1月1日。元旦。2011年。晴れ。気温は氷点下。起床は正午。日本的には「正月早々から朝寝とは」ということになりそうだけど、ワタシたちには「今年も普通に始まったね」というところかな。あんがい、幸先が良いと思うけど。バンクーバーの元旦の行事は寒中水泳Polar Bear Swim。1920年に始まった伝統行事で今年は第91回目。午後2時30分にスタート。だけど、超暖冬の去年と違って、かなり冷たそう。もっとも、超寒波の最中だった2009年は水の中にいるほうが温かいくらいだったそうだから、「すべては相対的」。

我が家の元旦は、オレンジジュースにシャンペンの「ミモザ」をお屠蘇代わりにして乾杯するだけで、お雑煮もないし、おせちもない。ずっと昔に1度か2度はお雑煮を作ったことがあったけど、まあ、カレシはおもちが苦手だし、ワタシも特に好きというわけじゃないので元旦だから食べたいという気にはならない。だいたい年越しは大みそかがメインで、みんなパーティでどんちゃん騒ぎをして行く年を送り、来る年を迎えるから、元旦は静かに二日酔いの養生をする日になる人が多い。

考えてみると、祝日は1日。のNew Year’s Dayだけで、「正月」とか「新春」、「迎春」という観念はない。そういえば子供の頃に、寒さの厳しい冬のまっ最中なのになんで「春」なんだろうと不思議でしょうがなかったけど、中国では旧暦の正月を「春節」というし、旧正月の頃には日本の大部分でも梅が咲いたりするだろうから、あれは旧暦の正月感覚をそっくり新暦に移行したということなんだろうな。アジアのほかの地域ではどうか知らないけど、日本人はとにかく区切りをつけては「改まる」のが好きだと思う。(「改める」のはまた別の話だけど・・・。)たぶん四季の変化が定期的ではっきりしていて、うまく「ものさし」の役目をしているからだろうな。それと、日本人は「初」が大好きなんだと思う。だから正月には「初○○」と「○○初め」が満載。

まあ、「お初」は「手垢がついていない」ということで、過剰に清潔好きな人が多いらしいのに通じるところがあるんだろうとも思う。日本のお正月はまた、新年を「祝う」と言いながらも何となく窮屈なところもある。正月早々に何か失敗したり、悪いことがあると、それが1年をコントロールすることになってしまう(からやってはいけない)と言われるから、そそっかしい子だったワタシはお正月が終わって「日常」が戻ってくるまでの三が日をなんとなく戦々恐々とした気分で過ごした記憶がある。正月早々から「あれはダメ、これもダメ」もないもんだと思ったのは大人になってからのことだけど、何かしたら怖いことになるからするなという脅しをかけられるのはあまり楽しいもんじゃない。あんがい、いつも他人が何をする/しない、非常識、マナー違反とうるさい人たちは、お母さんの言うことを聞かずに元旦早々から誰かのことを非常識だ何だとお正月に愚痴ってしまったからそうなっちゃうのかもしれないな。

そういうことで、元旦からトレッドミルをさぼって今年1年はさぼりっぱなしなんてことになっては良くないから、そろそろ着替えをして運動するか。ま、「1年の計は元旦にあり」だし・・・。

極楽とんぼ亭:打ち上げは元旦の祝い膳

明るく晴れ上がった午後、恒例の寒中水泳に2,300人の人たちが参加したとか。気温はプラス2度、水温6度。うぅ、ブルッ。

2011年のBC州のファーストベイビーは午前12時1分に産声を上げた男の子。予定より10日。早くて両親もびっくりしたとか。

濃い夕焼けがみごとな夕方、汗を流した後で、元旦の祝い膳。

元旦のメニュー:
 おせちもどき5種
 生ちらし寿司
 鯛の潮汁

マティニで始まって、少し時間がかかっている間に残りのシャンペンを明け、食事のお供はオレゴン産の日本酒をすてきな江戸切子のグラスで・・・。

[写真] なんちゃっておせちは紅白のかまぼこ、ロコあわび、子持シシャモ、紅白のスズキの蒸し団子、枝豆。スズキの蒸し団子は小分けにするときに切り落とした尻尾のほうをまとめておいたのを玉ねぎと卵白と一緒にフードプロセッサにかけて、半分に食紅で色をつけて、マフィン型に入れて蒸したもの。シシャモは子持ちだから子孫繁栄のつもり。まあ、ワタシたちには今ごろ子孫繁栄もないんだけど。枝豆は豆は豆ということで黒豆の代用。

生ちらしはサケ、タコ、キハダマグロ、ホタテ、エビ、ハマチ、イクラ、イカ。奇数じゃなくて8種類だけど、末広がりってことでいいかな。大きなものは半解凍まで行かないうちに必要なだけ切り分けて解凍。

潮汁はもう1匹を解凍して、頭2つを出汁に使い、切り身と刻みねぎを浮かせた。昔母が作ってくれたのには遠く及ばないけど、塩を控えたのであっさりしておいしかった。

これで飲んで食べてのホリデイシーズンはフィナーレ。少し余裕があるということで、クレムブリュレの残り2個をデザートにして、ついでに生姜のリキュールで打ち上げ。ここまで来て、ちょっと食べ過ぎたかな。(お寿司はご飯が多目になるのでいつも食べ過ぎた感じがするんだけど。)それよりも、マティニにシャンペンに日本酒にリキュールというのは、いくら1杯ずつでも、ちょっと飲みすぎじゃないのかな。でもまあ、これがフィナーレだから。あしたからはいつもの簡単な魚料理の毎日になるんだから。だから・・・。

新年だからちょっと考えてみる

1月2日。日曜日。今日もいい天気。ベッドルームのある二階は八角塔のカーテンを閉めていない窓からいっぱいに日が差し込むので、正午に起きてサーモスタットの表示を見たら25度になっていた。どうりで暑くて目が覚めるはずで、夢うつつにサーモスタットが故障したのかと思ったけど、これじゃあ外がいくら冷え込んでいても、暖房のスイッチは入らない。正午、日陰のポーチの気温はプラス3度。

この冬も地球のお天気模様は極端だな。クリスマス前にはヨーロッパで大雪、大みそか前には北米東岸で大雪、正月前後には西日本で大雪。南半球ではオーストラリアのクイーンズランドで大規模な洪水(ここは2年前にシドニーに行った頃にも州の大半が水に浸かっていた。)人がど~っと移動する時期に重なっているのはどうしてなんだろうな。やっとのことで目的地にたどり着いたと思ったら、もうすぐにとんぼ帰りしなければならないという人も多いだろうな。あんがい、鉄道や車、飛行機といった便利な移動手段が豊富になかった頃は、大雪でもたいした不便はなかったのかもしれないな。極端に過激化する気象は気候変動の特徴なんだそうだけど・・・。

小学生の頃に正月早々に3日。くらい大規模な停電が続いたことがあった。大雪で送電塔が将棋倒しになって、釧路では全市が停電して、水道も止まった。でも、あの頃は石炭ストーブだったので、暖房には困らなかったし、ちょっとした調理もできた。煙突の途中に大きな湯沸しがついていたので、新雪を融かせば湯たんぽに使う熱いお湯にも困らなかった。窓際に陣取って、雪明りで本を読んだような記憶もある。まさに「蛍の光、窓の雪」状態だったけど、子供心にはけっこう楽しい経験だったように思う。ずっと後になって、送電塔が倒れるのは電線についた雪が自重で落ちるときだとわかったという研究結果があった。風があると雪が送電線を巻くようについて太くなり、どんどん重くなるから、鉄塔は足を踏ん張ってそれに耐える。その重みが急にストンとなくなったときに、踏ん張っていた反動で倒れてしまうという話だった。北海道では送電線に着雪を防ぐリングを装着するようになったと聞いていたけど、山陰ではそうしていなかったのかな。

予想に反して今のところは穏やかな冬。やっぱり「のどかな新春」だから、往った年を振り返って、生まれたばかりの新年の行く末を考えてみる。振り返ってみれば2010年はけっこういろんなことがあった。カレシのパパが90歳で他界したのは4月。家族がそろってよく釣りに行った海域に遺灰を流したのは7月。ママが二度目の大腿骨骨折で入院したのが8月。その後の回復が思わしくなくて、生きる意欲をなくしたような時期があったけど、再度の転倒事故で骨盤にひびが入ってまた入院。でも、退院してから思い直したようで無事に年を越した。この5月には94歳。

その間、カレシは感染症やら何やらで、専門医の検査に回されて「もしかして?」とパニック状態。大病をせずに人生を過ごしてきた人間、特に男が「もしかして死ぬ?」みたいなことになると、とにかく周囲の人間、特に女にとっては扱いにくいことこの上ない。あんた、男でしょ!と活を入れたくもなるけど、「ママぁ~」状態になってしまった男にはそれは通用しないから大変。さんざんにパニクって、たぶん慢性化しつつある感染症だろうということになって、少しは大人の対応と自己管理を身につけたように思うけど、なんだか年を取るにつれて亡きパパに似て来たような気もするな。まあ、男は父親を克服することを要求されるようなところがあって、アル中や女遊びやギャンブルで身を滅ぼした男の息子が成人して同じ轍を踏んでしまうことが多いのは、自分には親父になかった自制心がある、自分は親父とは違うのだということを証明したいという心理が働くんじゃないかと思う。まあ、そういう心理自体が自己肯定感のなさの表れじゃないかとも思うけど、男というのは女が思っている以上に生きにくい存在なのかも。そうだとしたら、それは男が作り上げた制度なんだから、女に八つ当たりしないで欲しいけどね。

ワタシはおかげで、というか相変わらずしっちゃかめっちゃかの1年。会議でのプレゼンデビューはほとんどアドリブでナチュラルだったから自分でも呆れたな。元々ちょっとおっちょこちょいで、だけど、ちょっぴり冷めた目で人を見ているところがあって、誕生日の星占いの通りに「形而上学的な疑問」をああだこうだと考えあぐねていて、だけど「最も辛抱強い」おうし座に生まれたおかげで還暦を過ぎてなおまだ人生をギブアップせずにいるし、戊(つちのえ)の子年に生まれたおかげで未だにけっこうがむしゃらに芽を出したがっている。血液型は(医学的には)間違いなくA型なのに、どっかのサイトの性格診断なるものをまじめにやってみたら「B型の性格」という結果が出て来てしまったけど、それもぎっちょのつむじ曲がりの極楽とんぼだからこそ、かな。

2011年。ワタシ63歳。カレシ68歳。カレシの性向を考えたら、少なくとも夫婦としてはある意味で「安全圏」に入ったというところかな。あと2年すれば経済的にもそろって一応の「安全圏」に入って、後はじいさまとばあさまののどかな暮らし。ま、今年も一歩一歩確実に、そして穏やかに年を取ろうじゃないの。結局、人間というのは、年を取ってみなければ良いことを良いこととして味わうことはできないものなのかもしれない。若いうちはそこまで見通すことができないようにできているらしいから、人生はややこしい・・・。

無料だったインフルエンザのワクチン

1月3日。月曜日。今日もいい天気だけど、起きてテレビをつけたら、天気予報で「大雪注意報」が出ていたからびっくり。きのうまで(テレビ局も使っている)天気予報サイトには雪の「ゆ」の字もなかったのに。バンクーバーで雪が降り始めるのはあしたの午後で、積雪量は5センチから10センチ(大雪なんていえるもんじゃないけど)。ところによっては夜には雨に変わり、あさって水曜日の午後には地域全体で雨になる見込み。は、だったら、あした起きてみて雪が降り始めていたら、歩道に融雪塩をまいてやればいいか。どうせ水曜日の(雪かき期限の)午前10時には気温が上がってぐしょぐしょになっているだろうから、もったいないような気もするけどな。

午後には予定通りにモールまでインフルエンザのワクチン接種にでかけた。薬局で資格のある薬剤師にワクチン接種をしてもらえるようになったのは、ごく最近のことじゃないかな。おととしの新型インフルの対策から始まったのかもしれない。大きなスーパーにはたいてい薬局があって、薬剤師がいるから、足りない医者の手を煩わせずに済むのはいいことだと思う。セイフウェイの薬局のカウンターで「フルーショットを2人分」と注文したら、薬剤師の女性がまず州民かどうかを聞いて、次に年令を聞いてきた。カレシは「適格」ということで質問はそこで終わりで、ワタシの方にだけ、職業は、子供との関わりは、慢性疾患は、と次々に質問。薬剤師さん曰く、「有料のワクチンの在庫がなくなって、州の無料ワクチンしか残っていない」と。ははあ、それでカレシは「65歳以上」をクリアして無料で受けられるのに、ワタシにはクリアできる条件がないというわけ。でも、前にホームドクターが「慢性呼吸器疾患」があるからと無料で注射してくれた、といったら、「あ、それなら適格ね。ああ、よかった」。まあ、たしかに30年くらい咳をしているんだけど・・・。

というわけで、2人とも無料でワクチン接種が受けられることになった。有料といってもせいぜい1本20ドルだというし、元からそのつもりだったから有料でいいんだけど、条件付きの無料ワクチンしかないということで、薬剤師さんは夫婦の片方だけというわけにもいくまいと気を利かせてくれたらしい。質問表にずらりと並んだ健康状態や卵や保存料のアレルギーの有無、破傷風などのワクチン接種の有無など確認項目にチェックして、薬剤師さんが重点項目を口頭で質問して再確認して、注射の用意。カレシが「65歳以上で肺炎ワクチンの接種を受けたか」に「ノー」と答えていたので、「ついでにしますか」。何でも、肺炎ワクチンも州のワクチン接種制度の下で65歳以上は無料なんだそうな。ちょっと考えたカレシ、「今日はインフルエンザだけにしておく」と。ま、いつでも受けられるそうだから、いつでもいいんだけど、ワタシは風邪を引くと気管支炎を起こしやすいので、65歳になったらすぐにしてもらおうっと。

右利きのカレシは左腕、左利きのワタシは右腕に注射をしてもらって、無料なのにエアマイルのポイント(スペシャルで通常の10倍)を付けてもらって、「異常がないのを確認するまで15分は店内にいること」という指示で、別に買うものもないけど店内をぶらぶら。結局は手ぶらで帰って来た。(まあ、クレジットカードの残高から、12月の酒屋とスーパー、食品店の請求を拾い出して合計してみて、びっくり仰天したばかりだったし・・・。)

日本も「仕事始め」。懸案のまま年を越した仕事でもない限り、今週いっぱいはまだ「休み」モードでいられるかな。日本には仕事納めぎりぎりに発注しておいて、正月明けまでに!なんてクライアントがけっこういる。よく金曜日午後に発注して、月曜日の朝までにやれと言ってくる発注元に多い。こっちだって週末なのに何なんだと思うけど、(自分が)休みになる前に発注しておいて、(自分の)休み明けにでき上がった原稿で仕事を続ければ(自分の)仕事を効率的にこなしていると思うんだろうな。受注する方は立場が下なんだから(週末だろうが何だろうが)文句を言わずにありがたく思って働けということかもしれないけど、金曜日の午後になると翻訳会社のコーディネータさんたちは大変で、ときには午後7時発の「大至急」メールが飛び込んできたりする。ま、それが日本流の「働き方」なのかもしれないけど・・・。

フリーランスの在宅自営業22年目に入る今年のワタシの仕事前線は「緩やか」でいいってことにしたいけど、はたしてどんなことになるのか・・・。

ベビーブーマーはグレイパワー

1月4日。火曜日。正午起床。気温プラス1度。空模様はいかにも雪が降りそうな色合いの曇り空だけど、まだ降っていない。ほんとに降るのかな。天気予報では、バンクーバーには2センチくらい降ると言っているけど、今どきのブーツの底の厚さよりも少ないのに、それでも「注意報」・・・?

日本ではきのうが仕事始めだからと高をくくっていたら、さっそく仕事が入って来て、やれやれ、こっちも2011年の仕事始め。外資だからかなあ。日本にいたときの最後の仕事は外資だったけど、1月4日。にはわりと早くオフィスを閉めて(ススキノに繰り出したりして)いたような気がする。日本の会社でも、OLたちは振袖を着て行ったりして、新年の挨拶を交わすくらいで仕事らしい仕事はしていなかったような。時代が変わって、この頃は4日。からきちっと仕事にかかるようになったのかもしれないな。年末年始は休みすぎで、国の経済が滞ってしまいかねないもの。

今日の郵便に今年の土地と家の「評価」が入っていた。州政府の機関が前年の夏に鑑定評価して翌年1月に一斉に通知しているもので、バンクーバーは平均12%アップ、川向こうのリッチモンドは中国本土からの移民やアジア系に人気で17%も上がったそうな。ダウンタウンまでの地下鉄が開通したことも要因らしい。我が家の評価額も10%アップで、東京で戸建が2件は買えそうな数字。こんな小さな家にこんな価値があるなんて冗談じゃないよと思ってしまう。市税はこの評価額に対する千分率で査定されて来るから、評価額が上がっただけでも「増税」になるのに、今年は(浪費しすぎて)大赤字の財政を埋めるためにその千分率まで上がることになっている。んっとに、ペーパーの上で資産が増えたってちっともうれしくなんかないけど・・・。

午後3時、白いものがちらり、ほらり。気温はプラス2度。なんだかすぐに雪にはなりそうにない温度なんだけどなあ・・・。

このところメディアにやたらと「高齢化」に関する記事やニュースが登場する。というのも、今年は北米のベビーブーム世代の第一陣が65歳の「定年」を迎える年だからで、年金や医療、介護といった問題が現実になり始める「元年」にあたる。なにしろベビーブームは20年近くも続いたから、人口に占める割合は半端じゃない。人口3300万のカナダでは3人に1人がブーマーというくらいで、良きにつけ悪しきにつけ、「数」の影響力で社会制度や政治、経済の隅々まで変化をもたらして来た。バンクーバーは住宅の価格が高くなりすぎて若い人たちには手が届かないから、郊外に比べて高齢化の進行は早いだろう。自転車レーンだの何だのと若い世代にばかり目を向けたいいかっこしいの市政も、やがて自転車に乗るどころか車の運転もできなくなって「歩行者」になる高齢者に反乱を起こされるかもしれないよ。ベビーブーマーのグレーパワーはそれくらいすごい。

裏返せば、日本のベビーブームはわずか3年しか続かなかったから、政治や社会制度を変えるほどの影響力を持てなかったのかもしれないな。ワタシが小学校に入った頃は1学級に60人近くもいて、「すし詰め教室」と言われた。たしかにあの頃はまだ「戦後」で国が貧しくて学校を増設できなかったのかもしれないけど、行政の方に「3年我慢すれば落ち着く」という、いうなれば「やり過ごせばいい」という考えがあったのは間違いないと思う。すし詰め教室で勉強し、受験戦争の先駆けになり、高度経済成長時代で就職難こそ免れたけど、女性は適齢期の男性の数が少なくて結婚難。なのに、25歳までに結婚しなければクリスマスケーキの半額セールと脅かされ、結婚してもダンナは企業戦士として残業戦線に取られて実質的に母子家庭。そのダンナは身をすり減らして国の発展にまい進してきたのに、団塊の世代と言われて窓際に追いやられたり、リストラされたり。60歳の定年になってみたら、国の年金はまだ5年先。なのに、バブル世代に甘やかした子供が未だに脛をかじっていたり、でなければ現役世代に自分たちの税金で遊んでいると僻まれたりして、なんだか損な世代だなあという気もする。

今日のUSA Todayには、「速く歩く人ほど寿命が延びる」という研究報告が載っていた。65歳以上の人4万人近くを対象にした9つの研究の結果を総合的に分析して、秒速1メートル以上で歩く高齢者は寿命よりも長く生きる確率が高くなるという結論が出たという。特に70代では予想される残り寿命がぐんと延びるらしい。ただし、速く歩けばいいというものではなく、最適な歩行速度は身体が自然に決めるので、歩く速度が健康状態を測るものさしになり得るという話だった。なるほど。そろって60代のワタシもカレシも歩くことにかけてはかなり速い。カレシはワタシよりずっと背が高いんだけど、手をつないで2人とも普通に歩いているつもりでいても歩調が合うからおもしろい。(カレシは脊椎にマイナーな先天的奇形があるせいで、意外と短足。)トレッドミルを時速8キロ(秒速2メートルくらい)に設定しても、ジョギングというよりは「競歩」のような感じだから、ワタシは女性として不相応に早歩きなのかもしれないな。長生き、できるかな?

午後5時。なあんだ、しょぼしょぼと雨が降っている。夜間の最低気温は0度で、まだ「雪」の予報が出ているけど、あしたの朝には雪交じりの雨(あるいは雨交じりの雪)、午後には気温5度で押しも押されもしない「バンクーバーの雨」。今回も塩をまかなくても良さそうだな。では、ぼちぼちと2011年の営業を再開しようか。まずは、オフィスと頭にかかったくもの巣を払って・・・。

あぶく銭はやっぱりしゃぼん玉

1月5日。水曜日。今日はめずらしく正午前に起床。窓の外を見たら、雪は降ったのか、降らなかったのか。よく見たら、日陰の屋根や庭の落ち葉の間に白いものがうっすら。どうにか一応は降ったらしい。今日は12日。ぶりのごみ収集の日で、容器を回収しに出て行ったカレシが、「氷雨だよ、これ」と。ふむ、まだ危ないのかなと思いつつ、テレビの天気予報を見たら、あしたは50ミリくらいも雨が降るんだそうな。雪が降るぞ~と騒いだと思えば、大雨が来るぞ~と騒いで、せわしないったらない。厳冬になるのか、暖冬になるのか、どっちかに決めてくれないかなあ、もう。

カレシを再開した英語教室に送り出して、今年の初仕事にかかる。ま、法律改正の話だから、たいしておもしろいわけじゃないけど、去年は一世一代の大プロジェクトでかなりくたびれたから、今年はあまりすごい仕事はしたくないような気もする。なんていっていると、ぼこぼこと仕事が舞い込んで来る。おいおい、こっちはまだ「おとそ気分」が抜けきってないんだけど。なんでも、日本ではもうさっそく三連休が来るので、「今のうちに発注しとかなきゃ!」ということらしい。やれやれ。でも、そのおかげで、あと何百ドルかでフリーランスの自営業を旗揚げして以来の累積収入が150万ドルに到達する。目がくらみそうで頬っぺたをつねってみたくなる好況の年もあったし、これで終わりかと真っ青になるようなどん底の年もあったけど、あのままオフィス勤めを続けていたら逆立ちしたって夢のまた夢の数字。動機は何であれカレシが背中をど突いてくれたおかげなんで、一時は妬まれて僻まれてのエライ思いもしたけど、まあ、終わり良ければすべて良しということかな。

お金の話では、カナダの高額賞金の宝くじでオンタリオ州の電話会社に勤める19人が最高額5千万ドルを当てて話題になったのはいいけど、後から自分もグループの仲間だという人たちが何人も名乗り出てきて、賞金の支払いが保留になっている。お金を出し合って宝くじを買うのはけっこうどこでも普通にやっていることだから珍しくはないけど、大当たりしたとたんに「参加者」が増えるというのはそうしょっちゅうあることじゃないだろうな。数年前には、バンクーバーの郊外にファストフードの店でオーナーを含めた13人くらいがロトで大当たりしたら、4人の同僚が自分たちも加わっていたと言い出して裁判沙汰になった。最終的には裁判所が後出しの4人にもかなりの分け前(たぶん6けたの額)を認めたそうだけど、そのうちのひとりはそれをあっという間に使い果たして、今また最低賃金で働いているという話だった。まあ、一説に宝くじで大当たりした人は平均3年で賞金を使い果たすとも言われているから、まさにあぶく銭を絵に描いたような話。アメリカではもっともっと大きな目が眩みそうな賞金を当てた人がいるけど、まだ名乗り出てきていないらしい。(ワタシだったら弁護士と会計士を雇ってからにするけどなあ。)

アイスホッケーは、ジュニア世界選手権はカナダがロシアに負けたけど、プロではバンクーバーカナックスが7連勝。破竹の勢いで勝ちまくって、現在リーグ全体の首位というから信じられないような話。だけど、今年はまぐれじゃなくて強い。ふむ、スタンレー杯決勝に出られるか、あるいはスタンレー杯を獲得できるか、賭けてみる?いや、あぶく銭を狙うよりは、まじめに仕事をしたほうが確実に勝てると思うけど・・・。

百万ドルの普通の家を買うのは誰?

1月6日。木曜日。ゆうべはのんきに寝酒なんかやっていて、就寝が午前5時だったので、起床は正午過ぎ。だけど、今日は(仕事の期限以外は)別にこれといって差し迫った予定がないから、しばらくぐずぐずして、おなかが空いてきた頃にゆっくりと起き出した。外は相変わらず湿っぽい。

朝食が終わったら、まずは腕まくりをして今年の仕事第1号を片付けにかかる。夜にはついでにねじ込まれた仕事があって、日本ではもう金曜日だから「鬼門」の日。正月早々からバタバタするなよ~と言いたいところだけど、なんと月曜日は祝日なんだそうな。ええ?年の暮れだ、正月だと1週間近くも休んだばかりだってのに、もう連休なのぉ?それでワタシのデスクにバタバタと仕事が積みあがってしまったのぉ?そんなの不公平じゃないのぉ?といったところで、何ごとも「即」がお家流じゃあ馬耳東風なのはわかっているけど、日本は祝日その他の休みが多いなあ。だから、残業、残業、また残業の毎日になってしまうのかと思ってしまうけど。

のっけからかなりドライな法律関係の仕事をやっつけて、トレッドミルの前にちょっと新聞サイトをのぞいたら、バンクーバーでは去年二階建て戸建住宅の平均価格が100万ドルに達したという記事があって仰天した。カナダの12の主要都市で、バンクーバーが100万ドルで断トツのトップ。2番目に高いトロントはバンクーバーよりずっと大きいカナダ最大の都市だけど、平均価格は60万ドルにあと一歩の数字。全国平均はバンクーバーのほぼ3分の1。まるで狂乱価格のような感じだけど、今年はまだ上昇を続けるって、いったいどうなってんだろう。平均的な世帯所得だと、いくら金利が低いと言っても、いくらベースメントを貸室にしてローンの足しにしても、とっても手が届きそうにない。どこからそんな需要が出てくるのか不思議だな。やっぱり中国や他のアジア地域から裕福な移民が増えているのかな。それでも、ちょっと怖くなる数字だな。

もちろん将来暴落しないという保証はどこにもないんだけどね。ワタシたちが今の土地を買った1982年の夏、高インフレの後の超高金利で経済が失速して大不況になり、住宅価格は急激に冷えていたときだった。買値は数ヵ月前に売りに出たときの売値の60%くらいで、ローンの手続きをしている間にさらに買値から10%も下がって、銀行の担当者に「高すぎる」と文句を言われた。まあ、高すぎるといわれたところで10万ドル以下だったし、ほぼ半分の頭金を払ったから、金利が17.5%でもローンを組めたんだけど、100万ドルじゃあどんなに金利が低くても手も足も出そうにないな。もっとも、この先ベビーブーマー世代が高齢化して戸建を手放すようになったら、供給過剰になって値下がりこともあり得ると思うけど・・・。

まあ、たとえ100万ドルで売れたとしても、劇的にダウンサイズするか、賃貸のコンドミニアムに住むか、バンクーバーを離れるかしない限りは、どこかに別の100万ドルの家を買わなければならないわけで、どんなにマイホームの価値が上がっても、そこに住み続けている間は高級住宅地に住み替えた気分になるわけじゃないし、自慢してみたくても向こう三軒両隣がみんな同じように高くなっているわけだし、結局は売る気がなければどうでもいいじゃないのと思うな。ただし、年に何回も買い手がいるから売らないかと言って来る不動産屋に今まで100万ドルでなら売ってやってもいいと返事をしていたのを、値上げしなくちゃならないなあ・・・。

さて、夕食後はささっと今日2つ目の仕事をやっつけたから、ささっとクリスマスツリーを解体して、家の中を「平常化」することにしようっと。

今年は裏庭の大改修工事?

1月7日。金曜日。目が覚めたときはいい天気。後でだいぶ曇ってきたけど、ゆうべはかなりの雨だったから、ちょっと水気を払うのにいいかな。週末からまた寒くなって、来週の半ばにはまた「雪」の予報だしね。

今日はまずきのう片付けたクリスマスツリーと飾りを納戸にしまう。これがけっこう汗をかく作業。後はエンドテーブルを元の位置に戻し、ダイニングテーブルも拡張板を外して丸テーブルに戻して、これでリビングルームも「平常」の配置に戻った。なんとなくだだっ広い感じがするのは、ぐらぐらしていたダイニングチェア2脚を廃棄処分にするつもりでポーチに放り出したせいかもしれないな。元々湿気の高い東南アジアで作られて輸入された家具なので、北米の乾燥した室内で材料の気が乾燥して、椅子はひとたまりもなくぐらぐら。買ったときは決して安いものではなかったんだけど、その後に買い換えたテーブルは北米産のカシの木で郊外の家具屋が作ったもので、10年以上たった今でも拡張板がぴたっとはまるから、木製家具は材料の産地や組立て地も考えないといけないという教訓だろうな。

今日はトレッドミルも含めて2人とも一日中「休養日」。まあ、休養が必要なのは(やたらとゾウアザラシみたいなあくびをしている)カレシの方だと思うけど、ワタシもぐうたらするのはやぶさかではないから、諸手を上げて賛成。仕事の予定さえ狂わなければ、いつでも休みを取っていいのが自営業のいいところかな。へたをすると週末も何も区別がなくなるのが玉に瑕だけど、たぶんそれも自己管理の腕前次第。もっとも、ワタシはその点ではあまり管理が行き届いているようには思えないけど。ふむ、よっしゃ~とつい気軽に引き受けて慌てる能天気さの改善を今年度の「営業方針」にしてみようかなあ・・・(と、カレシに言ったら、「実行の見込みゼロ!」と笑い飛ばされちゃったけども)。

カレシはサラダの本をキッチンのテーブルに積み上げて、レシピを読みながら、来年はあれも植えよう、これも育てようと、けっこう盛大な構想を練って?いる。問題は裏庭のスペースだな。なにしろ15年前に「他人の生活音をシャットアウトしたい」ということで、かなりの工費で庭の真ん中に大きな池を掘り、滝を作ったんだけど、コンクリートにひびが入り始めて、循環させている水のロスが激しい。おまけに自動給水栓のバルブが壊れて、水が溢れても止まらないし、毎年繁殖のために来ていたカエルもとっくの昔に来なくなった。大がかりな修理をするか、いっそのこと撤去してしまうか。どっちにしても相当な工費がかかるだろうけど、試しにちょこっと池の撤去を提案してみたら、カレシは思いのほか簡単に「うん、そうしたら庭いっぱいにいろんな野菜を植えられるよなあ」。

おお、いい手ごたえ。そう、裏庭の高山植物は前庭に移動して、日当たりのいい裏庭は全面的に菜園にして、何だったらガレージの壁をぶち抜いてがっちりした温室を併設してもいいな。池のポンプに使っている電源を暖房用に回せばいいし、ガレージの屋根にソーラーパネルをつけてもいいし・・・おいおい、だんだん話が大きくなって来たみたい。ついでににわとりを飼って新鮮な卵って、じょうだんじゃない。そりゃあ市の条例でニワトリを飼えるようになったけど、ゴルフ場のコヨーテやらアライグマやらスカンクやらがチキンを食べに集まってきてしまうじゃないの。(日本がまだ食糧不足で飢えていた頃、父が幼ないワタシのために卵を確保しようと庭の小屋でニワトリを飼っていたけど、いつも野良犬の被害に悩まされていた。)ま、ニワトリは抜きで、裏庭の全面改修工事を考える頃合だと思うな。なにせ、カクテルを飲みながら夕涼みを楽しむためのデッキだって、もう5年も待っているのにまだ出現してないもんねえ・・・。

カレシは、梨の木を植えたいね、りんごの木を植えたいね、トウモロコシを植えたいね、かぼちゃやきゅうりもたくさん植えたいね、と今からあれこれ皮算用して、「キミは今年もうんと仕事をしなければならなくなるかもしれないよ」。いいの、いいの。おいしい野菜をたくさん作ってくれたら、ワタシは腕によりをかけておいしい料理をたくさん作って食べるから・・・。

和食オンチはアジア食が得意

1月8日。土曜日。いい天気。寒くなる前兆かな。ゆうべは2人でゆっくりとお風呂に入って、じっくりと芯まで温まって、おまけに寝酒でさらに温めて寝たので、そろって良く眠った。こういうのを「爆睡」というんだろうけど、いつもより早めに寝たのに、目が覚めたらとっくに正午すぎ。年を取ってからよく眠れるというのはいいことからしいから、何時であろうがよく眠れて、それが規則的だったらそれで良しとしとこう。

あんまり天気がいいもので、週末で込んでいるだろうことは承知の上で、少々エンジンがかかりにくくなって来たエコーをドライブに連れ出した。去年の5月に帰ってきて干上がっていたバッテリを充電してもらってからは、かなりまじめに意図的に遠出して来たので一度も上げていない。ま、またぞろ寒波と雪の予報が出ているから今のうちに行こうというわけ。もっとも、天気がいいから「ドライブ」に出かけるという人はあまりいないようだし、日本のようにプロフィールにドライブが「趣味」と書く人もいない。やっぱり生活の上での車の位置づけが違うせいかな。だから、いくら出かけないと車のバッテリが上がってしまうと言っても、カレシはそれだけでは重い腰を上げようとしないけど、手ごろな距離のコキットラムに韓国系移民が集中した結果、大きなHマートができたおかげで、「野菜や魚の買出し」というわりと差し迫った風の理由ができたのは車にとってラッキーだったかな。

帰り道で閑散とした園芸センターに寄って、春の農作業の準備に必要なバミュライトや砂を買って、土曜の午後のドライブは終わり。人間も運動をしなきゃということで、トレッドミルで走ってから、夕食のしたく。カレシがサラダドレッシングを作るのに手間をかけているから、ワタシも大き目のなべにきんぴらごぼうをどっさり。メインはトースターオーブンで炙ったアジの開きとポン酢を入れた大根おろし。冷凍してあった山菜御飯を解凍してめんつゆと山菜を足して炊き直したのを添えて、なんちゃらお惣菜風カフェごはん。ちなみに、「カフェごはん」て、なんちゃらテイストが自慢らしい人たちが騒ぐからどんなにおしゃれな高級食なのかと思って調べてみたら、ひと皿にてんこ盛りの機内食に毛の生えたようなゴハンのことらしい。なんだ、それだったらワタシが毎日30年以上も作って来た「ごはん」と変わりないじゃないの。ま、残りもののご飯とアジの開きときんぴらごぼうでも、一枚のお皿にかっこよく盛って出せば、ちょっとおしゃれな感じがしないでもないかな。盛り付けや食卓への出し方(プレゼンテーション)も食欲増進の要素なんだし。

アジはおいしいからアジ(味)と呼ばれるんだそうだけど、ほんとになかなかいい味で、カレシも「うま~い」。でも、日本にいたときに食べていたという記憶はあまりない。腕を骨折した母の「リモコン」で一度だけアジを処理したことがあるので、それが「一度だけ食べた」という記憶になっているのかもしれない。まあ、アジは熱帯から温帯にかけての海で獲れる魚だそうだから、北海道の東の海は冷たすぎてあまり獲れなかったのかもしれない。それに、ホッケの開きがよく食卓に上っていたから、たぶんあの頃の道東ではアジよりホッケが主流だったんだろうと思う。このホッケもすごくおいしい魚で、アジは何となくホッケに似た味がした。英語の名前を見ると、アジは「horse mackerel」でホッケは「Atka mackerel」と、どっちも「サバ」なんだけど、アジは「スズキ目アジ科」、ホッケは「カサゴ目アイナメ科」でまったく違うからおもしろい。

魚を主食にするようになって、けっこう「なんちゃって日本食」を作るようになった。中国や韓国からの移民がどっと増えたおかげで、T&TやHマートのようなアジア系の大型スーパーができて、日本の食材が手に入りやすくなったせいもあるだろうと思う。カナダに来たばかりの頃は戦前に日本人町があったところに日系人の小さな店があったけど、北海道文化しか知らないワタシにはよくわからない食材が多かった。バブルが膨らむ頃からは日本からの移民も増えはしたけどごく少数だったし、そのほとんどがカナダ人と結婚した女性だったそうだから、日系スーパーを立ち上げられるような規模の新日系コミュニティを作るには遠く及ばなかった。日本食品店もできたけど、折からの猛烈な円高で「ふりかけ」さえ目玉が飛び出るほど高かったし、あまり有用なものがなかった。もっとも、東京に行ってスーパーをのぞいて見るとやっぱりよくわからない食品がたくさんあるから、浦島花子の「和食オンチ」はしょうがないのかな。きっと「なんちゃって日本食」どころじゃなくて、もう「アジア食」と呼んだ方がいいのかもしれないな。

さて、もやしをどっさり買ってきたから、今夜のランチは久しぶりにフォーにしよう。

みんながおひとり様の国

1月9日。日曜日。正午近くなって目が覚めてみたら、カレシがいない。またかと思って、起き出して聞いたら、10時前に起きてしまったんだそうな。「テレビの前で眠りすぎたから」と。きのうはホッケーの中継を見ていたのに、ほとんど覚えていないというから、1時間以上は眠った勘定。おかげで就寝時間を遅らせても、まだ早々と目が覚めてしまう、と。

ワタシは夕食後にテレビの前でうたた寝なんかしないけどなあ。もっとも、テレビを見ないから「テレビの前」でうたた寝しないだけで、たまにオフィスのソファで寝てしまうことはあるけど、それで普通の睡眠が乱れることはあまりないけど。これって一種の加齢現象なのかなあ。つまりはカレシも相当に「じじい」になりつつあるってことなのかな。ま、それはそれでいいんだけど、膝に乗せる猫でも飼おうか。とはいっても、カレシは責任が生じるのが嫌だから生きものを飼いたくない主義なんだそうで、たぶんその延長で子供は持ちたくなかったんだろうし、結婚というコミットメントだって、しないで済むものならしたくなかったのかも・・・。

朝日新聞が始めた『孤族の国』と言う特別連載、紙面に掲載された2、3日。後にはウェブにも全文が掲載される。まず「男たち」にスポットを当てた第1部が終わったばかりだけど、家族どころか社会からも孤立してしまった日本の男たちの姿が痛々しい。国籍こそ「日本」ではなくなっても、「日本人」という民族に生まれたからには一生つながりがなくなるはずのない日本という国なんだけど、読んでいると「こんな国、知らないなあ」とでも言うのか、どこか遠くの知らない国の話のような感じもして来る。加齢や老後の人生といったテーマは、どこの国であったも決して他人事ではない。それなのに、団塊の世代の男たちの孤独で悲しい姿が、世界に喧伝されて来た日本の「家族社会」のイメージとはほど遠いのはどういうことなんだろう。少なくとも民主主義を掲げる「先進国」に連なる経済大国で国民が餓死するというのは異常ではないんだろうか。これだけの人たちがひっそりと死んで朽ち果てるという状況を異常だと思わないんだろうか。何かがおかしいと思わないんだろうか。

高度経済成長と欧米化が「個」の時代の原点だといいたそうな、個人の時代、ライフスタイルや価値観の多様化の時代になって、今そのつけを払うときが来たとでもいいたそうな口ぶりだけど、ほんとうかな。その前の日本では家族、親族、コミュニティが助け合って、孤独死や餓死を防いでいたんだろうか。実際のところ、そのあたりはどうだったんだろうな。個人主義が「孤族」につながるのだったら、本来「個人」を社会の基本とする欧米では常に何万、何十万という高齢者が何ヵ月も隣人にさえ知られることなく孤独死しているはずだと思う。「個人」は必ずしも「孤人」ではないはずなのに、元々個人を尊重する観念がない社会風土に異質な「個人主義」を取り入れる一方で、個人を基本とする社会を構築するような教育や行政を怠って来たのがそもそもの問題だったんじゃないのかな。明治の「脱亜入欧」と「和魂洋才」の文明開化方針で、西洋の文化や技術から都合の良いところだけを取り入れて来た結果なのかとも思う。

去年のお子様プロジェクトをやっていた間も、個性を育てるという方針と、マニュアル的な教育のギャップを実感していた。「考えてみなさい」と言っている割には、手順通りにやって想定通りの結果を出すことを求める、まさに建て前と本音。結果的に、「人の痛みがわかる人間」を育てるはずが、「自分の痛みをわかってくれる人」を期待する人間になってしまうのかもしれない。そうなったらただの自己チュー症なんだろうけど、皮肉なことに、そういう人間ほどその中心であるはずの「自己」がないらしい。頼るべき「自己」がないから他力本願なんだと思う。

生涯未婚率が高まるにつれて、中高年になって「婚活」に励む独り身の男たちが増えているそうだけど、彼らが求めているのは「そばにいてくれる人」。中には外国に出かけて、大金を投じて「妻」を求める男たちも多く、婚活ビジネスの誘いに乗せられて、老後の資金を使い果たしてしまう人もずいぶんいるらしい。だけど、欲しいのは「老いる自分の世話をして、看取ってくれる相手」というのはちょっとばかり身勝手じゃないかなあ。自分が誰かに看取られて死ねればそれでいいと言っているようなもので、それじゃあ、残される妻の暮らしを保障できる遺産を残せるくらいの財産でも持っていない限り、今どきは無理だろうと思うけど。よもや外国から来た妻を金で買った介護要員と思っているんじゃないだろうな。相手の女性をひとりの人間(個人)として尊重しないような自己チュー男は、金目当ての女と悪徳婚活ビジネスに身包みはがされるのがオチだと思うけど。

昔から日本では「家族的な雰囲気」とか「家族的な経営」とか、なんかほんわかとした家族的な社会文化が強調されて来たはずだけど、実は何となく「的」なイメージだっただけで、ほんとうはつながりと言えるほどのものはなかったんだろうか。そんなことないよねえ。だけど、連載を読む限りでは、今の日本はなんか異常に「孤人」の国だよねえ・・・。

B型性格のA型人間の形而上的駄考

1月10日。月曜日。いい天気で、家の中はぽかぽかしているけど、外はかなり冷えているらしい。あしたの夜には雪が降り始めるそうで、予想積雪量は15センチから30センチ。おや、今度は本気らしく、大張り切りの「大雪注意報」が出ている。だけど、「バンクーバーで積雪量を正確に予想するのは至難の業」なんて言いながら、天気予報では「午後8時ごろから降り始める」とけっこう正確な開始時間を予想できるというのは、なんかヘンじゃないのかなあ。ちょっとばかりお芝居の紙ふぶきの「雪」を連想してしまうけど、ほんとにあしたの午後8時くらいに雪が降り始めるのかな。

せっかくの「大雪」で歩道に融雪塩をまいてみるチャンスだと思ったのに、なあんだ、翌日の水曜日の午後にはもう雨なんだって。これでは、午前10時までにと焦って雪かき労働をする人はいないだろうな。どうせすぐに消える運命なんだから、水曜日の朝に頭から布団をかぶってやり過ごせばいいのにな。そうすれば、木曜日には最高気温が7度にもなって、雨。金曜日にも雨。土曜日にも、日曜日にも・・・。だから半日くらいの不便を我慢できないことはないだろうと思うんだけど、何ごとも役所や社会がやってくれると期待するやってちゃん傾向は世界的な潮流なのかもしれないな。まあ、液体として降って来てくれる限りは大歓迎だけど。足の水かきの手入れをしておくかな。

血液型による性格判断の話が出たところで、「血液型 性格 日本」と英語で入れてちょこっとググってみたら、あるある。イギリスのBBCからアメリカのニューヨークタイムズ、CNNまで、日本の「血液型ブーム」を説明(しようと)している記事があった。たいがいは「え、なんで~?」という反応だけど、無理もない。北米には自分の血液型を知らない人の方が多いから、出会った人を判断するのに相手の血液型を聞いても意味がない。カレシだって60代の終わり近くなってもまだ自分の血液型を知らないし、特に関心もない。日本人は靴ひもを結べるようになる前に90%の人がに自分の血液型を知っているとイギリスの大手新聞の記事に載っていた。婚活でも必須情報らしいし、だからFacebookも日本向けだけに特に血液型の項目を作ったんだろうな。

だけど、基本的に4種類の血液型で何億といる人の性格を判断するという思考が不思議だな。「判断できる」と言う人がいるわけで、その人は「この血液型はこういう人間だ」という本を書いて大もうけをしたんだよね。ベストセラーになったと言うことは飛びついた人がそれくらいたくさんいたということだけど、「へえ」という程度の興味だけの人もいたとしても、他人(あるいは自分)を判断するものさしを求めていた人たちも数え切れないほどいたということだろうな。まず相手の血液型を聞いて、「血液型不一致でお付き合いできません」とでも言うんだろうか。実際に付き合ってみたら意気投合するような人かもしれないのに、血液型の本が合わないと言ってるから「合わない」と判断して初めから付き合わないのかな。もったいないという気がするけど・・・。

いや、きっと付き合いはするんだろうな。付き合ってみて、本の説明と違っている(つまり、想定した通りにいかない)から、小町の井戸端で思い通りに行かない人間関係を嘆いたり、憤ったりして、「どうしたらいい?どう対応したらいい?」と見ず知らずの人たちに聞いているんだろうな。不思議な人たちだなあ、ほんと。人間関係にその通りにすれば必ずうまく行くマニュアルなんてあるわけがないと思うんだけど。でも、マニュアルが欲しいんだろうな。何かあっても百発百中のトラブルシューティングのページがついていて安心できるマニュアルが。つまりは、自分の判断を信用していない、自分と言う人間を信頼できないからなのかな。自分を信頼できなければ他人を信頼するのは難しいし、信頼できる「自分」がいなければ人間はすごく孤独だろうと思う。

その「孤独」はそれまで近くにいた人がいなくなったときに感じる「さびしさ」とはまったく違うものだと思うけど、それは何もない見知らぬ空間にいる「孤独」、いうなれば「虚」に通じる「孤」のようなものなんだろうか。だけど、ある社会で「個」の単位が集団であるとしたら、その集団を構成する人間はいったい何なんだろう。マシンの部品ということになるのかな。部品は設計された通りに動けばいい。どれか1個でも(勝手に頭で考えて)想定外の行動をしたら、マシンの運転に支障が出る(つまり、和が乱れる)から迷惑。規格外れや欠陥のある部品はいらないから捨てる。だから、みんな捨てられないようにマニュアルに忠実に動いて、マシンはカッチカッチと軽快に作動する。はて、つまるところはそれぞれに「個(自己)」を育てて来なかった故に「集団の中の孤独」があるということなのかな。う~ん、わかってきたような、やっぱりわからないような・・・。


2010年12月~その3

2010年12月31日 | 昔語り(2006~2013)
ターダッキンのバロティーヌ

12月21日。火曜日。公式の冬初日。じわ~っと湿っぽい典型的なバンクーバーの冬の日。正午を過ぎて、のんびりと起きて、しばらくだらだら。今日は久しぶりにイアンとバーバラが来るので、3時くらいからおもむろに今夜のディナーの準備にかかる。

今日のメニューはカレシが雑誌でレシピを見つけてご要望のカリフラワーのクリームスープの白トリュフオイル添えと「実験料理」。もっとも「実験」といっても、まったく新しい創作というわけではなくて、アメリカ南部の「ターダッキン」のバリエーション。この名前はターキー、ダック、チキンをつないだもので、数年前にナショナルジオグラフィックの記事で読んで以来、いちどは試してみたいと思っていたもの。アメリカで感謝祭の頃に作られるターダッキンは、詰め物をした骨抜きの鶏を丸ごと骨抜きした鴨の中に詰め、その鴨を骨抜きした七面鳥の中に詰めてローストするという豪快な料理。大きなものだと15キロぐらいになるそうで、ひと切れだけで6、7百カロリーはあるというからすごい。

一度は食べてみたいと思っても、何よりも丸ごと骨抜きの七面鳥も鴨も鶏もないからまず無理。ルイジアナ州の小さな町の「専門店」から取り寄せる手がないではないけど、2人しかいない我が家では小さい七面鳥1羽だけでも持て余すし、ひと皿食べただけでカロリー過剰になって年を越せずに人生が終わってしまいかねない。それでも一度は試してみたいと思いつつ、ある日思いついたのがバロティーヌにすること。三種類のとりを重ねて、中心にスタッフィングを入れて、くるくる巻いて焼けばいい!

そこで、七面鳥の胸肉を買ってきて、左右を3枚ずつに開いて縦に並べ、鴨の胸肉も同じように開いて七面鳥の上に重ね、鶏の胸肉も同様にして鴨の上に重ね、ラップをかぶせて叩いて平らにした。最後に作って冷ましておいたスタッフィング(玉ねぎ、セロリ、りんご、クルミ、パン粉、赤ワイン)を置いて、巻き寿司の要領で丸太のようにロールアップ。ひもで何ヵ所かざっと縛って、直径10センチ近い「ターダッキンのバロティーヌ」のできあがり。アルミホイルに包んで冷蔵庫でしばらく落ち着かせる・・・。

4時頃にイアンとバーバラが来て、カレシがイアンと政治談議をやっている間に、ワタシはバーバラと女同士のおしゃべりをしながらカリフラワーのスープ作り。メインがかなりの量になりそうなので、今日はスープとサラダだけのコース。カレシは野菜を大皿2枚に適当に並べて、最近「創作」したポン酢ドレッシングを添えて、サラダ担当を完了。タイミングを計ってターダッキンをオーブンに入れ、クレムフレッシュを落として、イクラをちょこんと乗せたファイロパイのミニカップを即席の前菜にして、バーバラの注文でカレシが作ったマティニでキッチンで立ったまま乾杯。この頃はキッチンでのもてなしがけっこう受けているという話で、グルメ料理を趣味にする人が増えて、ホームパーティでは料理をしながらグラスを片手にゲストとおしゃべり、という構図が発展してきたのかもしれない。(だから、宝くじが大当たりしたら、最新鋭の設備の広いキッチンと本格的なバーを作るつもりでいるんだけど・・・。)

それでもディナーはやっぱりきちんとセッティングしたダイニングテーブルの方がいい。おしゃべりに夢中のみんなを何とかテーブルに着かせて、ポタージュに仕上げたスープを小鉢に盛って、上にほんの少しの白トリュフオイルをたらりとかけ回して、食事の始まり。とろみにパン粉を使ったせいかほんのりとした甘みがあって、トリュフの香りがいい。カレシ特製のサラダの後は、いよいよメインのターダッキン。輪切りにして、カルヴァドスで味をつけたグレヴィーと蒸した野菜を添えてテーブルへ。

一番外側の七面鳥が少々ぱさついたけど、味はなかなか乙なもの。ぱさつかせずに仕上げる方法をバーバラとあれこれと論議。ホイルに包んだままで焼いた方がいいんじゃないかとか、最初にうんと高温で七面鳥の外側を焼いて密封してから低温でゆっくり焼いた方がいいかもしれないとか、ああでもない、こうでもない。カレシとイアンは男同士でああでもない、こうでもない。ときには2組の会話が交差してのおしゃべりは(いつものように)11時過ぎまで続いたのだった。

本年の営業は終了しました

水12月22日。曜日。今日も雨っぽい。今日は今年最後の掃除の日で、いつもだいたい正午過ぎにシーラとヴァルが来るので、目覚ましを午前11時50分にセットしておいた。もっとも近所で2軒の家が新築中なもので、9時とか10時ごろにハンマーやトラックの音で何となく目が覚めることが多い。平日でみんな仕事をしているんだし、いつもすぐにまた眠りに戻って、正午くらいに普通に目が覚めるから別に問題はないか。

トーストを食べ終わる頃に、シーラとヴァルがレクシーをお供にやって来た。レクシーはランチに好物のハンバーガーをもらってご満足らしく、ワタシの安楽椅子に飛び乗って、丸くなって昼寝。毎日がこんなんだったら、犬の暮らしも悪くないよなあ(ま、少なくとも犬にとっては)。オフィスの掃除が済むのを待って、今年最後の仕事にかかる。絶対に、ぜ~ったいにこれが最後と決めた仕事。格別に高級な文章という注文なんだけど、原稿にぜんぜん厳かな感じがないから、どうしたもんだろうなあ・・・。

家中の掃除が終わったところで、シーラがパーティをしようと持って来た赤と白のワインを開けて、冷蔵庫から用意してあったおつまみ類を出して来てダイニングテーブルに広げて、「今年も1年ありがとう」と乾杯。毎年の習慣でボーナスの入ったカードを渡す。掃除料は2人で2週間おきに1回80ドルだけど、1年分のチップだから1人100ドルずつ。ほんとに今年も散らかしっぱなしの家をきれいにしてくれてありがとう。2人がいなければ自営業現役のワタシはお手上げ。あと3年くらいは手伝って欲しいけど、シーラはカレシと同い年の67歳だし、ヴァルも来年の春には59歳。う~ん、2人のようにかっちりと掃除をしてくれる良心的なハウスクリーナーはなかなか見つからないからねえ。

外が暗くなったところでにぎやかにおしゃべりの「パーティ」はお開き。おつまみとワインのおかげであまり腹ペコ感はないけど、とりあえず冷凍のおでんセットを出して来て、大根をぶつ切りにして煮込んで、冷凍してあった寿司飯の残りをいったん電子レンジで温めてから冷まし、小分けしてあったゆでエビと冷蔵庫に残っていたイクラで速攻の握り寿司を5個。しゃべりながらだいぶワインを飲んだので、夕食はお酒抜き。ホリデイシーズンはまだまだ先が長いから・・・。

さて、今年最後の仕事を仕上げてしまうことにしたけど、「最後」でもあるし、わりと小さいものでもあるし、何よりも難しくはないけどダラダラした原稿でもあるし、さっさと仕事納めをしてしまうはずだったのになぜかちんたらちんたら。1ページくらいやっては、小町をのぞいたり、ブログを書いたり、ニュースを漁ったり。夜中を過ぎて、寝る前までに済ませて送信しないと期限に間に合わないんだけど、まだ半分しかやってないよ。どうするのかな。大丈夫なのかな。2010年度最後の仕事なんだから、まじめに終わらせてしまえば、あしたからお正月の三が日が明けるまで、心おきなく羽を伸ばせていいんじゃないかと思う・・・けど。

クリスマスイブのイブ

12月23日。木曜日。寝入りばなにすごい大風が吹き始めて、雨も降り出してのかなりの嵐。天気予報は大みそかまでほぼぶっ通しで雨。でも、強風でバンクーバー島と本土を結ぶフェリーが軒並み欠航して、クリスマスの帰省客は大迷惑らしい。それにしても、よく降るなあ。これがバンクーバーの冬なんだけど、よく降るもんだと感心する。

今年はクリスマスが土曜日、ボクシングデイが日曜日で、どちらも振替になるから、土曜日から火曜日までの四連休。あしたのイブはいつも遅くまで開いている店でも午後5時か6時くらいには閉まってしまうから、クリスマスショッピングは今日が事実上の最終日。どこのモールもラストスパートをかける買い物客ですごい人出らしい。今日はまだクリスマスイブの前のイブイブなんだけど、仕事はどうしたんだろうな。クリスマスイブと大みそかにはだいたいの店が早く閉まる。もっと早くに閉まるオフィスもけっこうあって、午後にはもぬけの殻になるところも多い。公務員時代も、その後の秘書時代も、祝日の前の日にはみんな出勤したらまっさきに人事課に電話して「今日は何時に帰っていいですか」と聞いていた。まあ、「5時!」と言われることが多いけど、クリスマスイブと大みそかは別。公務員時代には朝一番に「午後1時以降は退勤自由」というお達しが回って来ていた。もちろん1時までは昼休みだから、実質的に正午までの半ドンだったわけで、午後になってもまだオフィスに残っているのは恋人も家族もいない人たちということになっていた。当然、帰りのラッシュアワーも正午に始まって、日が暮れる頃には終わっていた。

日本ではクリスマスは恋人たちのイベントということになっているらしい。恋人のいない人はさびしいだろうと思うけど、草食系男子と呼ばれる新種の日本人にとっては、プレゼントだの食事だのホテルだのとお金のかかる相手がいなくて、あんがい楽でいいのかもしれないな。小町だったかな、数ヵ月付き合っているフランス人の彼氏がクリスマスに一時帰国するのに誘ってくれなかったというトピックがあった。要するに、ワタシってその程度の存在なのかと言う相談だったと思うけど、「1年で一番ロマンチックなイベントなのにひとりで帰ってしまうとは、そのフランス野郎はけしからん」といった投稿があって、「?」と思った。ワタシが日本で「若い女性」だった頃には、クリスマスなんてのはその頃はやり始めていた「家族サービス」の日で、満員バスの中でクリスマスケーキの箱を潰さないように四苦八苦しているサラリーマンおじさんたちを微笑ましく見ていたもんだけどな。いったいいつから恋人たちのお祭りになったんだろう。

フライドチキンがクリスマスディナーの定番になり出したのもあの頃だったかな。札幌の中心部にKFCの第一号店ができて、クリスマスに買いに行ったような記憶がある。母が天火を使ってはねる油に苦労しながら鶏の丸焼きを作ってくれたことがあって、KFCの鶏の足が登場して便利になったと思った。最近はすっかり定着したらしくて、毎年ジグソーパズル用に広告の写真をコピーしているけど、日本のクリスマスディナーはケンタッキーフライドチキンだと言ったら、こっちの人は「へ?」という顔をする。だって、あれはテイクアウトのファストフードだから、クリスマスディナーとはミスマッチもいいところで、たぶんすぎにはイメージがわかないんだろう。恋人とのクリスマスディナーがフライドチキンというのは、たぶん想像を絶しているだろうな。もちろん、ロマンチックな恋人たちはフライドチキンのバケツにコールスローなんてものじゃなくて、ちょっとお高いレストランでローストチキンを優雅に食べるんだろうとは思うけど。何でも、今年はマクドナルドもクリスマスパックを売り出したと言う話で、どんなものが入っているのか興味深々。日本のマクドナルドには不思議なハンバーガーがあるらしいから、きっと独創的なクリスマスバーガーだろうな。それとも、クリスマスはチキンだから、独創的なマクナゲットか・・・?

さて、ごぶさたしている友だちに長い、長いメールを送り終わったし、カレシに約束したバゲットもそろそろ焼き上がる頃だから、ガーリックをローストして、あしたからの晩餐に備えなくちゃ・・・。

クリスマスは12日間も続く

12月24日。金曜日。起きてテレビをつけたら、世界はもうクリスマス一色。こっちはイブの朝だというのに、いつもながらほんのちょっぴり白けるけど、何しろ丸い地球の時間帯のしんがりに近いんだからしょうがない。それに、雨がじゃぶじゃぶ。大雨注意報が出ているけど、サンタクロースもボートに切り替えた方がよさそう。それだと、トナカイは先に北極に帰して、イルカにボートを引っ張ってもらうのかな。何となくエキゾチック。それとも、白いヨットでかっこよく来るとか。まあ、最悪の場合は泳ぐという手もあるな。オーストラリアでは波に乗って来るみたいだけど、サンタクロースは泳げるのかなあ。泳ぐくらいの大雨が降らないといいけど・・・。

今日は今年最後のごみ収集の日で、いつもより少し遅めだったけど、イブだからとはしょらずにトラックが回って来た。なにしろ、バンクーバーのごみ収集は祝日ごとに1日ずつ曜日がずれるしくみで、祝日が3日もある今の時期はへたをすると収集日が10日以上も先になってしまう。我が家のあるゾーンは運悪くイブが収集日に当たってしまったので、次の収集は来年の1月5日で、なんと12日目。まあ、我が家はノンリサイクルのゴミが少なくて、普通でも毎週出していないから不便なわけではないんだけど、(担当のカレシが)ぐうたらをして2回も出さずにいたらゴミ容器が満杯になっていたので、今日はちょっと心配だった。やれやれ・・・。

郵便局の方は早々に配達を切り上げたのか、今日は何にもない。なぜか金曜日に郵便が来ることの方がめずらしいくらいなので、今日も「休み」なのかもしれないな。西ヨーロッパや北米の東部でかなりの荒れ模様だから、郵便物の流れも乱されているんだろう。まあ、「Christmastide(クリスマスの季節)」というのはクリスマスから数えて12日間のことだから焦ることもない。日本的な感覚だと、大みそかと元旦を通り越して「クリスマス」をやっているというのは「だらしない」ということになるんだろうけど、別にいつまでもだらだらとクリスマスを引きずっているわけじゃなくて、キリスト教ではそういうことになっているというだけの話。ツリーを飾って、イブをやって、クリスマスをやって、さっとツリーを片付けて、さあ次は正月のしたく・・・は、ちとせわしなくない?

マザーグースには『Twelve Days of Christmas』という古いクリスマスキャロルがあって、これが覚えるのが大変だけどめちゃくちゃおもしろい。愛しい人からのクリスマスの贈り物、1日目は「梨の木のウズラ」、2日目は「2羽のキジバト、そして梨の木のウズラ」、3日目は「3羽のめんどりに2羽のキジバト、そして梨の木のウズラ」、4日目は・・・とだんだん増えて行って、12日目には「12人の飛び跳ねる殿様に11人の踊るお姫様に10人のドラマーに9人の笛吹きに8人の乳絞り娘に7羽の泳ぐ白鳥に6羽の卵を産んでいるガチョウに5つの金の指輪に4羽のクロドリに3羽のめんどりに2羽のキジバト、そして梨の木のウ~ズ~ラ~」みたいに終わる。もっとも、盛り上がっているときは5日あたりから贈り物を思い出せなくなって来て、息が合っていた輪唱が不協和音になって、最後にはみんな笑いこけてしまう。そ、クリスマスは12日も続くの・・・。

アメリカのある金融機関が毎年この12日間のクリスマスの贈り物の値段を集計して、軽いノリで発表する。「クリスマス価格指数」は12種類の贈り物の価格の合計で、2010年は23,439ドル38セント(約200万円)で、前年より9%以上も値上がりしたそうな。もうひとつの「クリスマスの真の費用」は12種類の贈り物を歌の通りに順次増やして行ったときの12日分の総計で、今年はなんと96,824ドル29セント(約800万円)もかかるとか。(オンラインで最も安いものを探して買うといくらになるかというバージョンもあるらしい。)まあ、バブル景気はもう遠い昔の話しだし、ロマンチックなクリスマスでも、800万円もかけて12日間もプレゼントを続けるとなったら最後には破産して、相手からも「条件がちょっと・・・」とお別れされてしまうかもしれないな。

クリスマスのプレゼントはサンタクロースが持って来てくれるのが一番だよね。さて、そのサンタクロース、もうどこまで来ているかな。

2人家族は巣ごもりのクリスマス

12月25日。クリスマス。一応雨は止んで、何だかじわ~っと湿っぽいけどまずまずの穏やかな日。のんびりと朝食をして、コーヒーを飲みながらゆっくりとプレゼントの交換。

今年のカレシからのプレゼントはワタシのリクエストで細身でいかにも怖い魚おろし用のナイフと魚をゆでる鍋。細長い鍋の中底を入れたり出したりしながら、ひょっとしたら大きなラヴィオリをゆでるのにも使えるかなあ、なんて想像をたくましくしてしまうのがワタシ。カレシへのプレゼントはワタシと「おそろい」のポータブルDVDプレーヤー。画面が8インチのおひとり様用で、ワタシも隠してあった自分の分を持ち出してきて、これでやっと好きなときに講義のDVDを見られるぞ~という気分。カレシはさっそく「お、あれもできる、これも使える」とご機嫌の様子で、DivXとかMP3のW何とかがどうのと言われると、へえ、おもちゃのつもりだったけど、けっこういいものをあげたんだと、うれしい気分になる。ま、プレゼントに関してはいいクリスマスだね。

さっそくプレーヤーの充電を始めて、午後は完全なる「休みモード」。家族がみんな集まっているマリルーのところに電話でクリスマスの挨拶。思い出せば10年くらい前まで、クリスマスは最初はママのところ、人数が増えて手狭になってからはマリルーの家で過ごすのが習慣だったから、ツリーは飾っても自分たちの家でクリスマスをしたことがなかった。カレシは「めんどうくさい」と言いつつ出かけていたし、今は亡きパパも、「めんどうくさい」と言いながら私たちの車に便乗して出かけていた。飲んで食べて、ひと騒ぎして、帰り道の車の中では「酒が多すぎる。食べ物が多すぎる。胸が焼ける。腹が痛い」と文句たらたら。ママに「節制しないからでしょ」と一蹴されていたけど、な~んか似たもの同士の父と子のような・・・。

マリルーがパートナーのロバートと車で1時間半はかかる郊外に家を買って引っ越してからは、クリスマスはお互いにもっと向き合う機会だと思って、遠いことを口実に家族のクリスマスから外れることにした。2人だけではさびしかろうと呼んでくれるのはわかっていても、やっぱり私たちは外野。小さいときに父親を亡くし、その後母親の再婚先で継父や異父姉妹たちと折り合えずに辛い少女時代を過ごしたマリルーにとっては、「仲良しの大家族」が夢だったようだから、それはそれで良かったと思う。クリスマスは家族の季節なんだから。ちなみに、今年は息子夫婦と2人の子供、娘夫婦と2人の子供、ロバートの娘夫婦と2人の子供、息子と現行のガールフレンド、元夫でカレシの弟のジムとガールフレンドのドナ、それにママが加わって、総勢19人ということで、電話の後から今にも家が爆発しそうなくらいのにぎやかさが伝わってくる。クリスマスは彼女にとって1年で一番幸せな日なのだ。

私たちの「おふたり様クリスマス」は、2人だけのプランを立てて、我が家でごろごろして過ごして、のんびりと食べて、飲んでの1日。カレシは今頃になって「昔は退屈だったなあ」と言うけど、うん、自分たちの好きな食べ物をどっさり備蓄して、誰にも気兼ねせずに巣ごもりできるのは気楽でいい。もっとも、カレシがクリスマスミュージックのCDを焼くのを忘れたので、ロマンチックな雰囲気はイマイチ。カレシ曰く、「来年は絶対に作るからね」と。は、去年も同じことを言っていたんじゃないのかなあ。だけど、この年になったらロマンチックなムードよりは何よりも食い気が先だから、ま、いいか・・・。

何となくフレンチなクリスマス

12月25日。近所の一帯はし~んと静まり返ったようなクリスマスの1日。夕方には南の方にかすかな雲の切れ間が見えた穏やかな日。今日はトレッドミルも休み・・・。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(フォアグラとブランディのリダクション)
 りんごとパースニップのスープ
 鴨の足のコンフィ、スイートポテト、アスパラガス添え
 クリスマスカラーのサラダ
 デザート(バナナ、リキュール2種、チョコレート)

[写真] 生(冷凍)のフォアグラを扱うのは初めてなので、2個入っていたうちの小さな方を使って、アミューズブーシュを作ることにした。赤と黄色のビーツをスライスして軽くロースト。ブランディを煮詰めてソースにして、フォアグラを少し高めの温度でさっと焼いて、今年のクリスマスディナーはちょっとばかりフランス気分。(もっとも、ワインはアルゼンチン産のマルベックのロゼ・・・。)

[写真] パースニップは見た目がごつい感じの白っぽいせり科の根菜。アメリカボウフウというらしい。これもワタシは初めて扱うので、りんごと合わせたスープのレシピを見つけて試してみることにした。(カレシは子供の頃に嫌いだったそうで、半信半疑・・・。)皮をむくと何となくかんきつ類のようないい匂いがする。リークの白いところとにんにくを入れて軽く炒めて、りんご(ジャズという新種)を入れる。ベースはチキンストックとタイムの小枝。レシピに書いてあったスパイスのうちのターメリックがなかったので、3種類が全部入っているカレー粉で代用。ハンドブレンダーでポタージュして、セロリの薄いスライスを飾りにしてみた。ちょっと甘酸っぱくて、なかなかいい味。

[写真] おなじみのフランスの田舎料理。脂に沈めたままで冷ますと何ヵ月も持つというから、農家の保存食として発達したんだろうな。今日の付け合わせはスイートポテト。クリスマス料理によく使われる食材で、日本のサツマイモと同じ種類だと思う。(よく似たイモにヤムというのがあってよく混同されるけど、こっちはまったく別の種類だそうな。)見た目はサツマイモにそっくりで、2つに切って見たら中は鮮やかなオレンジ色。ん、サツマイモは黄色かったような気がするけど。いずれにしても、料理するのは初めてなので、半分ほどを小さいさいころに切って簡単にゆでてみたら、うん、サツマイモ的な味。たまたま赤と緑が混じったピーマンがあったのでかいわれと一緒に飾ってみた。

[写真] クリスマスの色は赤と緑なので、カレシにクリスマスカラーのサラダを作ってもらった。赤はトマトと赤ピーマン、緑はほうれん草とルッコラ。テレビで『くるみ割り人形』を見て回った舞踊評論家の話をしていたので、思いついてクルミをぱらぱら・・・。

[写真] 時間をかけて食べたおかげで少し余裕があったから、デザートは熟れ過ぎかけているスライスしたバナナにクレムドカカオとバナナリキュールをかけて、溶かしたダークチョコレートをたらたら。思いつきの即席デザートだけど、おいしかった・・・。

フランスの田舎のクリスマスってどんな感じなんだろうなあ。ま、ロマンスより食い気のクリスマスの夜は更けて、ああ、おなかいっぱい・・・。

国際結婚と普通の結婚は違うの?

12月26日。日曜日。ボクシングデイ。雨はまあまあだけど、今度は風がすごい。クリスマス翌日のこの日は恒例の大バーゲンの日で、この天気でもダウンタウンやモールは「激安」を求める人でかなり賑わっているらしい。売れ残ったクリスマス用品も激安になるから、カードや包み紙を大量に買い込んで来年に備える人もいる。いつも目玉のエレクトロニクス製品はだいたいがモデルチェンジ前の在庫一掃セールなんだろうけど、最新モデルでなくたって普通に使えるものなんだから、激安で得した気分になればめっけもの。もらえなかったプレゼントに最適というところ。

今日のカレシは、なぜか起き抜けに秤に乗って「2ポンドも増えた」と騒いでいる。毎日どころか1ヵ月に1度か2度しか測らないんだから、昨日から2ポンド増えたというわけでもないだろうし、それに、2ポンドってたったの1キロなんだし、と言ったら「キミはどうなの」と矛先を向けてきた。ええっと、ワタシは1ポンド。昨日と比べて1ポンド増えていたけど、それって500グラム。まあ、2ポンドだろうか1ポンドだろうが、トレッドミルに戻ったらすぐに減るって・・・。

今日は「何にもしない日」。午後いっぱいダラダラして(トレッドミルの運動はしたけど)、魚と野菜の定番メニューに戻った夕食後もダラダラ。カレシにいたっては、ホッケーの中継をしているテレビの前のリクライナーで高いびき。ふむ、この分だと今日も就寝は午前4時過ぎだな。夕食後にテレビの前で1時間も眠ってしまうから、夜中を過ぎると目が冴えて元気いっぱいになる。ワタシは昔からかなりの宵っ張りだと思っていたけど、カレシは夜型人間に生まれついているらしい。ま、翌日の午後に予定がなければ何時に起きようとかまわないし、日本標準時で仕事をしているワタシにはもっけの幸いだから、ご隠居さんには好きなだけ居眠りしてもらっていいんだけど。

のんびり小町をぶらついていて、結婚することになった北米人の彼と、それぞれの両親に会う頻度についてびっくりした会話があったという相談に出くわした。まあ、日本人同士だって義理の親とはあまり付き合いたくない人が多いからなあと思ってのぞいてみたら、本人は毎年1回は日本へ帰るつもりなのに、相手が50/50で自分の両親にも同じ回数来てもらうと言ったのは「ずるい」。自分の里帰り費用だってかなりなのに大陸の反対側に住む両親を同じ回数呼ばれたら費用がバカにならない。自分はストレスの多い海外生活になるのに、結婚しても生まれ育ったアメリカに住み続けられるんだからありがたいハズ・・・と。いや、びっくりした。人ごとだからどうでもいいっちゃどうでもいいんだけど、この結婚、どのぐらいもつかな。

でもまあ、小町の国際結婚トピックへの書き込み読んでいると、こういう、自分の方が大きな犠牲を「払わされた」と思っているらしい「国際結婚妻」はけっこう多い。両親や家族、友だちを故国日本に残して、言葉も文化も生活習慣も違う外国くんだりまで来てあげたんだから、上にも下にも置かぬ丁重な扱いをしてくれて当然。異国でさびしいだろうと思いやってくれてあたりまえ。だから、1年に1度や2度は1ヵ月や2ヵ月の里帰りを(夫の金で)させてくれてあたりまえ。現地の言葉もままならない妻(お姫サマ)を家族や友だちから引き離して外国に連れて来たんだから、それくらいするのはあたりまえ。これも今どき風の結婚観の延長線上にあるのかもしれないな。まあ、少しは愛し合っているんだろうとは思うけど・・・。

ワタシとカレシもいわば「国際結婚組」になるんだけど、カレシを「外国人」だと認識していたのは、結婚して永住手続きが済んで落ち着いた頃くらいまでだったかな。まあ、ビザに滞在期限が付いている間は「外国にいる」という感じが抜けないから、カレシもその延長で「外国人の夫」だったんだろうと思うけど、永住許可が下りて、就職して、毎日が普通の結婚生活になってからは、カレシはごく普通に「夫」になって、目が青いことだって「日常」の一部になったように思うな。目の色、髪の色の違う夫婦は人種が同じでもごくあたりまえに掃いて捨てるほどいるんだし、この30年はパスポートの上では(日本の人には通じないけど)「カナダ人」同士だから「国際夫婦」ってのも何だかヘンだし、つまりは普通の夫婦か・・・。

だいたい、「国際結婚」ってのは何なんだろう。九州の人と青森の人がする結婚とどう違うんだろう。ある男とある女が好き合ってする結婚とどれだけ違うんだろう。あるいは、婚活とやらで条件が一致してする結婚とどう違うんだろう。いや、それよりも今どきの結婚って何なんだろうな。

家族に頼れる時代があったの?

12月27日。月曜日。勤め人は振り替え休日。2日連続の祝日がすっぽり土日に被ったから、あしたも振り替えのところが多い。(お役所や組合のあるところはしっかり2日とも振り替え休日。)そのせいか、アメリカ側へショッピングに行く人が多いらしく、今日は国境での待ち時間が何と2時間。

雨は降ったり止んだり。明日あたりから晴れて来て、元旦過ぎまでずっと「お日様」マーク。日の出は午前8時7分、日の入りは午後4時20分。徐々に日が長くなる。一緒に車で通勤していた頃には、キャンビー橋を渡ってダウンタウンに入るあたりで昇ってくる朝日がまぶしかったっけ。雨が続いていたせいか、ここのところ最低気温が平年よりずっと高かったけど、今の時期は晴れてくると気温が下がり出す。木曜日頃から最低気温は氷点下になって週末の年明けまで続くという予報だけど、その高気圧が崩れて湿った空気が入ってくると、気温が十分にプラスになるまでは雪が降る・・・。

今年はラニーニャの影響で55年ぶりの寒い冬になって雪がたくさん降るはずだったんだけど、大雪はヨーロッパに行ってしまって、次に日本、そして今度は北米の東部。こっちはなぜか避けられているような感じもしないではないけど、ま、雪かきをしなくていいから別にいいか。ひょっとしたら、日本の夏が記録的な猛暑だったから、黒潮の水温が上がって、それが親潮とぶつかって太平洋の東に流されて来る海流の温度も上がった、なんてこともありえるのかな。世界の海は初めも終わりもないから、海流も、黒潮がやがてカリフォルニア海流になって北米西岸を南下、北赤道海流となって西へ流れて、やがて黒潮に戻るという具合にぐるっとつながっているわけで、日本では海水の温度が上がってサケもサンマも不漁だったそうだから、ありえないことでもなさそうに思うんだけど。

マリルーとロバートは今日アフリカで休暇を過ごすために旅立って行った。アムステルダムで乗り換えだそうだけど、ヨーロッパの空港はほぼ正常に戻ったようだから、大丈夫だろう。ロバートは膝に人工関節を入れる手術をした後なので、南半球の夏は何よりの養生だろうな。2人が向かったのはレソト。ロバートの元妻とその一族がいて、前回初めて行ったときもえらい歓迎だったんだそうな。ロバートはオーストリアのインスブルックの出身で、電気工になってレソトに働きに行き、そこで結婚して2人の子供をもうけて、カナダに移住してきた。でも、元妻がホームシックになって、やがて離婚して、十代の子供を置いてアフリカに帰ってしまったそうな。まあ、南アフリカから来たら、毎日が暗くて、じくじくと雨が降るバンクーバーの冬は耐えられないかもしれないな。憎みあって別れたわけではないとは言え、元夫とその新しいパートナーを一族挙げて大歓迎するというのはきっとアフリカ的な大家族文化の一端なんだろうな。にぎやかで楽しそうな感じでいいなあ。

家族といえば、朝日新聞は『孤族の国』という特集を始めた。ただし、さわりだけ読んで「続きは紙面で」ということになるから、日本の外にいて朝日新聞を買えないワタシにはどういう風に展開しているのかはわからないけど、「家族に頼れる時代は終わった」ということらしい。日本には「2020年/30年問題」というのがあるそうで、2020年の問題は団塊の世代が高齢化し、多死の時代に入って、死亡数が出生数の倍になるというもので、2030年の問題は未婚、離別、死別による単身世帯の急増によって、全世帯の4割が一人暮らしになるというもの。問題の核は高度成長時代に都市に出た団塊世代やその団塊ジュニアの世代が高齢化、単身化して都市に溢れることだという。未来の日本社会は「家族」のいない人たちの集団になるということか。だけど、日本は国民の福祉を昔ながらの「家族」に丸投げして来たから、高度成長期以後の社会構成の劇的な変化に対応する制度は作られなかったに等しいと、別の新聞の特集にもあったような気がする。

カナダだって、先進国全体の例にもれず高齢化の波は押し寄せて来て、将来の年金を危惧する声も出始めているけど、元々祖国を出て「新天地」で助け合ってきた移民の国だから、社会福祉制度はそれなりに確立されて、ぎくしゃくしながらも機能しているし、家族の絆のみならず、コミュニティでの人と人のつながりもたぶん今の日本よりはずっと強いと思う。(それで家族の付き合いの濃さに辟易する国際結婚の日本人妻が多いのかもしれないな。まあ、家族観の違いが大きいんだろうけど。)ワタシも、もしもひとりきりになったら、自力で生きて行けるところまで生きて、自立が難しくなったら社会制度やコミュニティの「厚意」にまかせるつもりでいるけど、なぜかあまり不安は感じないな。そこがワタシの極楽とんぼたる所以かもしれないけど・・・。

どうやら鯛を買ったようなんだけど

12月28日。火曜日。9時過ぎにハンマーの音で目が覚めて、今日はボクシングデイの振替休みのはずだけどと思いつつまた眠ったらしくて、起床は正午。日が差している。今日はカレシが高校時代の友だちと来年の高校卒業50周年の同窓会の相談で会う約束がある。その友だちが幹事で、カレシは自分のドメインに同窓会用のページを開いて広報係のようなことをやっている。興味がない、行きたくないと言っていたのに、なぜかいつのまにかそういう流れになったらしい。

カレシが行くところが市役所のそばなので、ついでにWhole Foodsで買い物をすることにして、一緒に出かけたのはいいけど、今日はまだボクシングデイ(というよりウィーク)の安売り商戦のまっ最中だから駐車する場所が問題。市役所の周辺には駐車メーターがあるけど、どれも最高48分(なんで中途はんば?)。自転車のために車通行止めばかりの市役所の周囲をぐるぐる回っていたら、最初の「48分」メーターの反対側、タウンハウスの前に「2時間駐車」の標識を見つけた。午前9時から午後6時まで、しかも無料。おまけに歩道の端がせり出しているところに空きがある。小さい車なら楽々のスペース。道路の片側が有料メーター制で、もう一方は無料ってのは、なんかちぐはぐなような・・・。

今日のWhole Foodsにはかなりの人。クリスマスが家族のパーティの日なら、大みそかは大人のパーティの日で、近年はホームパーティも増えているというから、料理好きがいっせいに準備を始めたのかな。きのうの夜にコキットラムのHマートまでトラックを走らせて、魚類をどんと仕入れたので、フリーザーはもう満杯に近いから、今日は1キロくらいのスズキと「ピッカレル」という聞きなれない白身の魚。カウンターのお兄ちゃんに聞いてみたら、マニトバから来た淡水魚で、東部ではよく知られているんだそうな。ま、バンクーバーには太平洋という大きな湖があるからね。帰ってきてから調べてみたら、どうやらカワカマスの一種らしい。フィッシュアンドチップスにするとおいしいと言うから、今度試してみようっと。

ついでにゆうべHマートで見つけた「porgy」についても調べてみたら、わっ、こっちはどうやら「鯛」。小ぶりだけど尾頭付きの顔つきが何となく「鯛」っぽいと思ったけど、ポーギーはヨーロッパ系のマダイということだった。もっとも、英語のラベルに「porgy」と書いてあるので、ひょっとしたら本当は本物のアジアの鯛かもしれないな。ハングルは読めないし、鯛はたった一度しか食べたことがないから、何とも言えないけど(有名な「さかなクン」に聞いたら教えてもらえるかな)。もう40年も昔だったか、お正月に母が鯛を買ったことがあって、魚そのものは記憶にないんだけど、次の日に作ってくれた潮汁が恍惚となるくらいおいしかったのを今でも覚えている。食べ物の記憶は何かのときに口の中、鼻の奥にありありと甦って来ることがあるから不思議・・・。

今年のクリスマスのディナーは何となくフランス風を気取ってみたから、大みそかと元旦の晩餐の方は何となくアジア風を気取ったメニューでやってみようかな。アジアではお正月が一年で最大のイベントのはずだから。それじゃあ、今から鯛のレシピを探しておかなきゃ。でも、尻尾はいいけど、頭はカレシが「目玉がにらんでいる」と嫌がるから、尾頭付きのままはダメだけどね。たしかに、白くなった目玉がお皿から見上げているのは気持のいいもんじゃないかもしれないな。料理の本で見た「鯛のかぶと煮」はワタシもちょっとグロテスクな感じがしたから、魚の頭だけがでんと据わっている料理はなしにしよう。

さて、これで今年の食べ物ショッピングはおしまい(かな)。まあ、この年でとにかくいろんなものを見つけて来てはよ~く食べるよねえ、私たち・・・。

門前の小僧は楽しい

12月29日。水曜日。いい天気。どこかで雪が降ったというニュースだけど、我が家のあたりはひたすら晴天。今日は連休明けだけど、休暇を取っている人が多いだろう。だって、今日から有給を3日取るだけで、クリスマスから正月明けまでぶっ通しで10日の休みだもの、働く人にはこんなに効率的なことはない。中小企業になるともう思い切って会社を閉めているかもしれないな。

ワタシも今年は早めにオフィスを閉めたから、年末休みに入ってもう2週間。あと1週間あるのに、何となく落ち着かなくなって来たような気もする。別に仕事がしたくてうずうずしているわけではないんだけど、落ち着かない。これから先はもう仕事をしなくてもいいんだったら、それもいいかと思えるんだけど、なんか落ち着かない気分だから困る。一度は燃え尽きたのに、ワーカホリックが抜けていないのかなあ。それとも、これが何かとイベントやらその準備やらのある季節じゃなくて、たとえば引退してからの「毎日」だったら、落ち着くんだろうか。一時的に仕事を離れただけの「終わり」のある休みだから、何を始めるにも中途半端な気がして手をつけられないせいで、落ち着かないのかな。ほんとに落ちつかないったらない・・・。

年が明けて春になったら63歳で、いわゆる「定年」まであと2年。でも、「その日」が来てオフィスをたたんだとしても、(小町でいつも「専業主婦って大変なのよ!」と言っているのを見ていると)専業主婦になりたいという気持にはなれないな。元から専業主婦向きじゃないのに、35年も働いて、やっと悠々自適の老後を楽しめるという時になってそんな大変な「再就職」はまっぴらごめんだもんね。まあ、棚上げしているプロジェクトがいくつもあるから、仕事に追われない日常があたりまえになったら、そのときにはまた毎日が忙しくなるんだろうと思う。絵を描きたいし、芝居を書きたいし、小説を書きたいし、今度こそは大学の勉強をして、一生を終えるまでに学士号を取りたいし、もっと外へ出て広い世の中を見てみたいし・・・。これじゃあ忙しくなりすぎて、仕事をしていた頃の方が楽だったなあ、な~んて老後になりかねないかな。

でも、今日は祝日の間の中日の「ダレ日」ということだからいいかと、何となくナットクして、クリスマスに買った自分用のプレーヤーでレクチャーのDVDを見始めた。なにしろ次々とカタログが届くもので、興味のあるテーマがセールのローテーションに入っていると、つい誘惑に勝てなくて、せっせと買いためて、言語学やら、心理学、科学、歴史、地学、音楽などがもう14科目。言語学はカレシも興味があって、ぼちぼち一緒に見ているけど、とっても追いつけるもんじゃない。なにしろ1回の講義が30分から45分で、短いコースでも合計12時間、長いものは30時間。(もう少しで注文するところだった天文学のコースは合計48時間もある。)そこで、まずは心理学から始めることにして、第1回目は「理論の価値」。デスクに置いた8インチの画面がワタシの「教室」だけど、それでもちょっぴり学生気分でワクワク・・・。

学ぶことはいくつになってもすごく楽しい。中学、高校は窮屈で大嫌いだったけど、「門前の小僧」式に浸透圧で学ぶのが一番効率的にできているらしいワタシは、画一的な学校教育では落ちこぼれるしかなかったんだろう。でも、今こうして遅ればせながら大学生気分を楽しめるのは、ワタシと違って落ちこぼれず、大学入試にも勝ち抜いて、一流大学を出た人たちが新しい技術を製品化してどんどん量産し、どんどん大衆化してくれたからだろうと思うな。だって、ワタシが日本を出た35年前には、こんなに学び方ができる時代が来るとは思いもしなかったもの。長い間かけて蓄積されて来た人知はまるで満天の星空のようで、見上げているだけでもすばらしいのに、それを学校に行かなくても学びたいときに学べるのはほんっとに幸せ。うん、そんな良い時代に生きていて、休みなのが落ち着かないなんて言ってたらバチが当たりそう・・・。

夫婦喧嘩も今年のやり納め

12月30日。木曜日。まぶしいくらいの快晴。かなりの冷え込みだったような。9時半くらいに大きなモーターの音で目が覚めた。平日だし、近所に新築工事中の家が2軒あるので何かの作業なんだろう。そのまま目をつぶっていたら、カレシがごそごそ。しばらくしてがばっと起きてトイレへ。ベッドに戻って来たと思ったら、2、3分でまたがばっ。(あのさ、アンタが窓際で怖い顔で睨んでみても神通力は効かないんだってば・・・。)

少ししてまたベッドに戻ってきたけど、毛布を引っ張ったり、なんだり。結局はものの2、3分でまた起き出して、今度は着替えて下へ降りて行った。そういえば夜中を過ぎた頃に、ユーチューブのアドオンをダウンロードしたら、グーグルがヘンなサイトにリダイレクトされると騒ぎ出し、ウィルスチェックをかけたまま寝たんだった。少ししてまたベッドに戻って来たカレシ、服を脱いだから今度は寝るのかと思ったら、またすぐに起きて着替え。ははあ、むくれているな。たぶんワタシを起こしたいんだろうな。「苦情を聞いてくれ」モードらしいけど、まあ、ここは狸寝入りが一番。結局、30分ちょっとの間に5回も6回もベッドに入ったり、起きたり。10時過ぎにまたもぐりこんで来たので、いつ起きるのかなと思っていたら、おや、今度はすやすや。おかげでワタシもすやすや・・・。

正午をちょっとすぎて起きたら、「なんかモーターの音がしてうるさかったろ?」と聞いてくるから、そういえば何となく目が覚めたけど、ムニャムニャ・・・。カレシは「どこで誰が何をやってるんだか、止まった思って寝ようとしたらまた始まるもので、眠れなかった。あれでよく寝てられるな」とぶつぶつ。まあ、今日は平日だから誰かが仕事をしているんだと思えばあまり気にならなくなって、そのうちにまた眠ってしまうのがワタシ。(けさはアンタがやたらと出たり入ったりするから、眠りたくても眠れなかったけど・・・。)まあ、睡眠の中断はさておき、ウィルス疑惑の方は別に感染もなく、勝手にヘンな検索サイトがHPに設定されていたのをブランクに訂正したら元に戻ったそうな。どうやらダウンロードしたアドオンにくっつて来てしまったらしいけど、「安全なところだと思ったのに」とぶつぶつ。これだから一緒のネットワークにはしたくないの・・・。X
夕方、キッチンに上がって見たら、ちょうど冷凍庫にグラスを入れるところで、あ、引っ張り出し過ぎ・・・と思ったら、案の定、引き出し式になっている冷凍庫が閉まらなくなってしまった。これで二度目。まあほんとによくモノを壊す人だけど、どうやら「手加減」という観念がないらしい。なにしろ、モノを入れるときは奥までしっかり入れないのに、出すときは逆に勢いよく引いてしまうから不思議。とにかく閉めないことにはどうにもならないから、ああだこうだといじくりまくるカレシを(これ以上壊されたら困るから)押しのけて、前回と同じく引き出しが外れているのを見つけて、はめ直したら、やっと閉まった。

やれやれと思ったら、今度は「欠陥品だ。新しいの買う」。じょうだんじゃないと言ったら、「なぜオレに同意しないんだ」と怒り出したから、ワタシも堪忍袋の緒が切れて、けんか。ワタシはアンタじゃないの。思い通りに機能しないからってポイと捨てて新しいのに取り替えるというなら、同意しないワタシもアンタの思い通りに機能していないってことだから、ついでに新しいのに取り替えたらどうなのよ。さ、同意するから、さっさと新しい冷蔵庫と新しい女房を買っといで・・・。

そこでむすっとなったカレシ、しばらくして「これ以上引き出すなってところに印をつけておいてくれよ」と。はあ・・・。夕食後になって、「キミのレミが残り少ないから、酒屋へ行こう。キミの好きなスコッチも買って来る?」と、和平交渉に乗り出したつもり。ま、犬も食わない夫婦喧嘩、ここらで今年のやり納めということで、しゃんしゃんと手を打っておくことにするか。(だけどなあ・・・。)

2010年最後の晩餐

12月31日。大みそか。起床は午後1時。うへ、2010年も酔生夢死みたいなことになりそうな時間。外は寒そうだけど、とにかくすばらしい晴天。テレビをつけると、いつものことだけど、世界のほどんとは2011年になっている。お先に年が明けたみなさま、まずは明けましておめでとうございます。

運動がてらインフルエンザのワクチンをしてもらうために徒歩でモールへ。でも、薬局のワクチン投与の資格のある薬剤師は月曜まで休み。最初の予定通りにきのう来たらしてもらえたのにね。ま、せっかくだから郵便局のワタシ書箱を空にして、青果屋でしいたけと大根とネギとオレンジだけ買って、またてくてく歩いて帰宅。往復で3キロ以上はあるから、日に当たって早足で歩いていると、汗ばんでいい運動になる。

まずはシャンペンとオレゴン産のにごり酒を冷蔵庫に入れて、ロコあわびと大根を火にかけ、買ってすぐに小分けにして冷凍しておいた食材をあれこれ出して来て、さて大みそかのメニューはと、しばし(けっこうのんびりと)思案投げ首・・・。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(ホタテの山椒焼き) 
 ヤムいもとしろうおのてんぷら
 貝類のしゃぶしゃぶ風スープ
 鯛の塩焼き、温野菜、山菜ご飯
 デザート(バニラのクレムブリュレ)

[写真] ホタテは1個を2枚にスライスして、山椒を振りかけて熱いフライパンに。2つに切ったしいたけ半分と少量の大豆もやしも横に入れて、ささっと火を通して、マイヤーレモンとかいわれで彩り。

[写真] クリスマスに買ったイモ。スイートポテトだと思っていたら、実はヤムいも。まあ、似たようなものだから、サツマイモと同じつもりでてんぷらにしてみた。しろうおはまとめて衣に入れたのを指ですくっては油に落としてかき揚げ風にしてみた。(日本製のてんぷら粉を買って来たので、小さいフライヤーに新しい油を入れて揚げたら、うまく行った。)

[写真] 大根と一緒に「ことこと」似て柔らかくなったロコあわびの煮汁を少し取って、水を足してダシとポン酢少しで味つけしたスープで、白菜としらたき、ロコあわび、ムール貝、むき牡蠣、あさり、ぽたんエビをさっと煮てできあがり。海の香りが交じり合っていい味。

[写真] どうしようか思案していた鯛(ポーギー)は、やっぱり頭を取って、3枚おろし。(頭と骨はあしたの潮汁に使うことにする。)皮のほうにオーストラリアの海塩を振っておいて、身のほうは刻んだねぎをパラパラ。電気釜で山菜水煮を使った山菜ご飯を炊いている間に、アスパラガスとバターナットかぼちゃを蒸し始め、ご飯ができて、野菜が蒸しあがる頃に鯛をオーブンのグリルに入れて焼き目をつけた。ちなみにバターナットかぼちゃはカレシの菜園に勝手に生えてきて1個だけ実ったもの。コンポストに捨てた種が芽を出したんだろう。

[写真] デザートはバニラビーンのクレムブリュレ。カレシがゆうべのうちに作って専用の小皿に入れておいたカスタードにまんべんなく砂糖をかけて、料理用のガスバーナーの炎でまんべんなく溶かして焦がす。ガラスのようになった砂糖が冷めて固まるのを待っている間にコーヒーを入れて、ゆっくりと大みそかの晩餐?のラストコース。

外はマイナス3度。元旦の朝の恒例行事になっているイングリッシュベイの寒中水泳は冷たそうだなあ。ぶるぶる・・・。

さて、バンクーバーの2010年も残すところ後2時間を切った。1時間前にはニューヨークのタイムズスクエアのカウントダウンを見ていたけど、ここでは大みそかの行事は特にないのが市民の不満の種。まあ、昔はあったんだけど、いつも破壊的な騒ぎをしたがるバカな連中に台無しにされるので、10年以上も前に中止になったきり、いつも「来年こそは・・・」。そこで私たちはいつもシアトルのスペースニードルの花火を見ながら、シャンペンで新年を迎える。そのシャンペン、ちゃんと冷えているかな・・・?


2010年12月~その2

2010年12月21日 | 昔語り(2006~2013)
奥様は寒冷前線に低気圧

12月11日。土曜日。めずらしくまあまあ普通の時間に普通に起きた。湿っぽいけどまあまあの天気。夜にはミニサイズのパイナップル特急で少々荒れると言う予報で、またまた大雨注意報。予想雨量は20ミリから30ミリと言うから、けっこうそのつもりらしい。ハワイ方面から雨雲がずうっと延びて来るパイナップル特急は暖冬の風物詩?のはずなんだけど、秋から騒がれていた「55年ぶりの厳冬」はどうも行き先の違う特急に乗ってしまったような感じ。あしたの最高気温にいたっては何と11度だって。まあ、もっと長い先の予報ではクリスマスのあたりに白いものがちらほらという噂もあるけど。

今日は久しぶりにベーコンポテトと卵と言うことになって、刻んだベーコンとポテトを入れたフライパンをレンジにかけ、カレシが取り替える下着がないと騒いでいたので洗濯機を回し始め、キッチンに戻ったところで、カレシが卵のケースを落っことして、床は割れた卵でどろどろ。食べる分は取り出した後だったので朝食に支障はなかったけど、「キミをよけようとして落とした」という言い訳にカチンと来た。手を伸ばしたってぶつかるような距離にいなかったのに、何でワタシのせい?うっかり落とした事故なんだったら、そういってさっさと後始末をすればそれで済むものを、何で人のせいにするの?何がSh*tよ!それはこっちが言いたいことだってば。もう、後始末をしている間にポテトが焦げてしまったじゃないの。ま、カレシのそういうところをわかっているつもりでも、ときどきはこうやって「もうやってられない!」という気持にもなるのだ。

おまけに朝食の後すぐにIGAまで野菜類の買出しに行くはずだったのに、食べ終わったとたんにパン焼き器をセットしてしまった。あのさ、パドルを取り出す時間までには帰って来れないよ。その時間まで待っていたら、買い物はもろにラッシュアワーだよ。「癖になっていて、つい」とカレシ。すぐに買い物に行くと号令したのはカレシなんだけどなあ。今に始まったことじゃないのはわかってるけど、ほんっとに一点集中思考なんだねえ、アナタって。まあ、パドルを入れたまま焼いてしまっても、取り出すときにパンの底に大きな穴があく程度の被害だから、いいんだけどね。いいんだけど、んっとに、あ~あ・・・。

でも、「だけど、だけど」ともやついているうちにふっと「もしもあのとき?」が頭をもたげて来るから、ワタシの心理もけっこうおもしろい。もしもあのとき、10年前、ワタシと別れたカレシは絶対に熱を上げたオンナノコに結婚話を持ちかけたと思う。なにしろ自分自身のめんどうをみられないんだから、おとなしくて優しく仕えてくれるオンナノコは生活の必需品。そんなすてきなお人柄をアピールして来た中から選り取り見取で簡単に「国際結婚」できると思っていたみたいだし。けさみたいにイジワルな気分になったときは、その「もしも」の結果、何かにつけて気が利かない、だらしない、ものぐさ、気遣いができない、と愚痴られてブッちぎれているカレシを想像してしまって、ついひとり笑いになる。もっとも、「もしも」は群がる若い男を退けて、30歳も年上のカレシとケッコンしてくれる奇特なカノジョがいたとしての話だから、最後はつむじを曲げているのがアホらしくなって、「しゃあないやっちゃなあ」で終わり。ワタシって、人がいいのか、悪いのか・・・。

ワタシが横でそんなことを想像しているのを知らないカレシは、今日は何となくていねいな運転。スーパーでも、自分の野菜類を集めた後はいつものように「終わった?まだ?」とうろうろせずにカートを押しておとなしくショッピングのお供。あまりにもしおらしくておかしくなって来たけど、カレシはけっこうまじめにやっているらしいから、コメントは控えておく。カレシのご希望の「まぐろの刺身」に酢だことホッケの開きと大根おろし、七穀粥を加えた変てこ和食の夕食を作っている頃には、どうやらワイフ殿のご機嫌が治ったようだと安心したのか、にこにこ、べたべた、キスのしまくりで、特大マティニの大サービス。ふ~ん、単細胞でいいよなあ、男って・・・?

生活感満点の日曜日

12月12日。日曜日。午前9時くらいにふくらはぎの痙攣で目が覚めて、眠りに戻ったのにしばらくしてまた同じところが痙攣。今度はつり始めで目が覚めて、どうしようもなくなってしまう前に何とか緩めて眠りに戻ったけど、昔はよく足の裏がつったのに、近頃は足の親指だったり、ふくらはぎだったりする。カレシも足がつって目が覚めたと言うから、年と共に体が変化するのかな。脱水症状だという話もどこかで聞いたような気もするけど。外はひと晩中よく降って、いかにも大雨の後というぐしょ~っとした感じの風景。我が家のある地区は30ミリくらい降ったらしい。

オークストリートでギャング絡みの何だか西部劇を思わせるような銃撃事件があって、10人も負傷者が出たというニュースに仰天。場所はアーニャとブライアンと双子が住むコンドミニアムからたった1ブロック。普通の人が寝ている時間帯だったから、けが人はみんなギャングの関係で初めから狙われたんだろうけど、最近はアメリカ系、アジア系、メキシコ系その他のギャング(つまり暴力団)の抗争が激しくなって、貧困地区も高級住宅地も何もあったもんじゃない。ほんとに物騒になって来た。おかげで南北の幹線道路のオークストリートは通行止め。

幹線道路が1本通行止めでも日曜日でよかったじゃないかと思っていたら、今度はマリンドライブで道路が陥没。フレーザーストリートとの交差点近くに小型車が1台すっぽりはまってしまそうな大きな穴がぽっかり。ガス管が破損したかもしれないという話で、マリンドライブは通行止め。ここは事実上の東西のハイウェイで、空港に通じる主要道路。通行止めは火曜日くらいまで続くというから、月曜日の朝のラッシュは大変だろうなあ。南バンクーバーは合併するまでは別の町だったので、老朽化しているバンクーバーの水道管や下水道設備の中でも特に古いものが多いから、いつどこに大穴が開くかわからない。なのに、ファッショナブルにエコな市長は自転車専用レーン作りと市長室の拡大と市役所の改装に夢中で、市の財政は大赤字。おまけに、来年は大火事の焼け跡にバンクーバー市が発足して125周年ということで、700万ドル(約6億円)をかけて派手な大パーティをやるつもりでいる。これだから、ファッショナブルにエコな頭の中お花畑的なヤツは始末が悪い。おい、パーティの最中に水道管が破裂して大噴水が上がったり、大穴が開いてバンドがそっくり落っこちたりしても知らないよ。

今日は金曜、土曜と連続で出かけて疲れたので、骨休めの日。ツリーを飾り始めるのは、仕事が入って来なければ明日あたりかな。今年は徹夜や半徹夜したりしてがんばったから、仕事はもういいよね。ということで、だ~らだ~らと小町散歩。「おうち」という表現がどうのこうの、「おうちカフェ」がどうのこうのと、やたらと「おうち」がトピックになるけど、自分の家を「おうち」というのは、リネンのお洋服にババくさいお団子ヘアで、フレンチカントリーだのなんだの、ナチュラル素材だからエコだとか何とか言っている、流行雑誌を模倣した頭がお花畑の専業主婦のままごと用語かと思っていたけど、gooの編集画面にまで「おうちで過ごす手作りクリスマス」なんてこそばゆいトピックがあるから、うへっ。このままだと「食べる」と同様に「(我が)家」も死語になってしまうのかなあ。赤毛のアンの「おうち」って、アンが何と言うかなあ。

一方で「おうちカフェ」というのは自分の家で家事の合間に自分でちょっといいコーヒーを入れてほっとひと息いれることかな思っていたけど、どうやらここにも相応なファッション性とおしゃれな社交グループが要求されているような感じ。ふむ、何とか風のおしゃれなおうちで、おしゃれなお友だちをお招きして、こだわりの○○製のおしゃれなカップに、ていねいに入れたコーヒーと、手作りのお菓子(あ、スイーツと言わなければダメ?)・・・。なんだか不思議の国のアリスのお茶会みたいな感じがしないでもないけどなあ。はて、ワタシのおうち、リサイクルゴミの類を片付けて、ちょっとばかり整理しないと、ツリーを飾るスペースがないじゃないの。居住感と生活感が溢れていたら「おうち」には認定されないんだろうけど。

借金のし過ぎは危ないよ

12月13日。月曜日。ゆうべは少しだけ早めに寝るつもりだったのに、レミを飲んでいるうちに、びんに少しだけ残ったのをカレシが「飲んじゃえよ」というので、寝酒のやり直し。ついでにトリュフ入りのチーズももうひとかけだけ食べて、しあわせ~な気分でベッドに入った。おかげで、起床は正午過ぎ。う~ん、せめて11時半くらいまでには起きる習慣をつけるはずだったんじゃないのかなあ・・・。

今日は雨は休み。ポーチの気温は10度まで行っていた。最低気温にいたっては平年より数度も高いから、いったい何が厳しい冬なんだと思ってしまう。だけど、北米大陸の中部から東部は大変なことになっているから、この際天気予報の文句は(別にないんだけど)控えておく。ミネアポリスでは競技場の空圧式ドームの屋根が雪の重みで陥没して破れてしまったとか。だいたい雪が降るところにテントみたいな空気圧で膨らませるドーム屋根という発想からしてどうなのかと思うけど、雪が(ほとんど)降らないバンクーバーでも、おととしだったかの大嵐でドームのテフロンが破れてはたはたとひるがえっていた。あれに懲りて今は開閉式ドームに改装工事中で、ブロードウェイの辺りから見るとぐるっと立っているクレーンでまるでおばあちゃんのバースデイケーキみたい。ま、ミネアポリスではフットボールのチームが新しい競技場を作ってくれないならどこかへ引っ越すと言っていたらしいから、新しいのを作ってもらえるかもしれないな。

だけど、競技場のような箱物はプロのスポーツチームにはまかなえないくらいのどえらい資金がかかるから、結局は税金でまかなうことになる。市役所なんてのはどこへ行っても見栄っ張りなもので、最新のスタイルで最新の設備で最新の華々しさを目ざしたがるから、その費用は民間で必要に応じて作るよりもうんと膨らむことが多いだろうな。政治家ってほんとにああいう派手なものを作りたがるな。後世まで残って市民に愛されるものだったらいいんだけど、プロスポーツは好きな人にしかおもしろくないもんだし、営利事業だからすぐに他のチームのと比べてダサいと言い出すだろうし。まあ、将来孫に向かって「ほら、見てみ。あれはワシが市長だったときに作ったんだぞ。じいちゃんはえらいだろ」という自画自賛願望があるのかもしれないけど。

今日のニュースでは、カナダ銀行の総裁が「カナダ人は借金が増えすぎだ」とかなりストレートな警告。家計の負債比率は借金をしての浪費癖?でならしたアメリカ人よりも高くなっているんだそうな。このクリスマスはクレジットカードは使わずにできるだけ現金か銀行のデビットカードで買い物をしなさいというアドバイスだけど、効果のほどはいかに。サブプライムに端を発した金融危機と不況からいち早く脱して、銀行は政府の監督が行き届いてか健在だし、原油価格は上がっているし、カナダドルもアメリカドルとほぼ等価になったし・・・景気が良くなったつもりで財布の紐を緩めてしまう気持もわかるな。ま、欲しいものがあるのに銀行にはそれだけのお金がないからクレジットカード(最新の日本語で「クレカ」と省略されたらしい。借金が一般化した証拠?)を使うわけだし、クレジットカード会社としては請求ごとに全額決済しないで残高を残してくれた方が儲かるわけだしな。クレジットカードのことをよく「プラスチックマネー」というけど、クレジットは決して便利な「現金」じゃなくて、あくまでも当座の「借金」なんだけど、「マネー」の方に注意が行ってしまいがち。ま、サラ金が「キャッシング」と呼ばれることで、あたかも自分が元から持っているお金を引き出すような感覚を持つのと似ているような。ある種の権利意識(sense of entitlement)が根底にあるのかもしれないけど。

新聞を見たら、日本政府が年金の支給額をデフレを反映して減額するというニュース。基礎年金だけらしいけど、これは金額から見てカナダの老齢保障年金にあたるのかな。満額支給でもせいぜい200円くらいだとか。それでも減額は減額で、心理的にはや~な気分になるだろうな。カナダの年金はインフレ調整はあるけどデフレ調整はない。カレシが年金受給開始の申請をしたときに送られてきた説明書には「年金は物価上昇率に応じて引き上げられます。年金の支給額が引き下げられることはありません」とはっきり書いてあった。もっとも、インフレではそれに合わせて年金の支給額が増え、もしもデフレになっても金額は減らないから使えるお金が増えるということで、いつまでそんなおいしい話が続くかはわからない。まあ、カナダ銀行は国民は借金しすぎ!と、金利を引き上げるかもしれない。そうしたら、今度はワタシの老後の蓄えが増えるから悪くはない。まあ、信用は財産だけど、借金は財産・・・は無しにしておきたいな。

便利さに慣れて自然の怖さを忘れるなかれ

12月14日。火曜日。かなりの風があったらしい。標高の高いバーナビーマウンテンでは雪が積もったとか。ここはサイモンフレーザー大学があるところで、ちょっと大雪が降るとバスも車も頂上まで上がれなくなって休講になったりする。ロープウェイを作ったらという話もあるらしいけど、元々何だってあんな交通の便の悪い山の頂上に大学を作ったのかなあ。ずっと昔この大学の通信講座をやっていたときに試験のために仕事が終わってから学校まで行ったけど、帰りはバスが超満員で何台も待たなければならなかった。ま、今日はちょっと寒いから夜になったらふもとのあたりでも白いものがちらつくかな。

テレビをつけたら、オンタリオ州のサーニアの近くで、視界ゼロの暴風雪でハイウェイにトラックや車が何百台も立ち往生して24時間以上も閉じ込められているというニュース。貨物トラックの運転手の中には2日以上も立ち往生の人もいるそうで、知らない人同士が互いの車に身を寄せ合って暖をとったり、手持ちも食べ物を分け合ったり。とにかく、除雪車も出動できない大雪で、スノーモビルやヘリコプターを出動させての救出作戦になり、付近の小さな町の人たちは教会や公会堂に集まって、救出されてバスでやってくる人たちに炊き出し。ある町の10室しかない小さなモテルの経営者は、車を捨ててたどり着いた人たちを自分の居室やスタッフの部屋、はてはオフィスのソファ、さらには両親の家、近所の家にも泊めて、「こういうときはできることは何でもやらなくちゃね」と、フリーザーのありったけの食材で食事の世話をしているという。町民たちも見知らぬ客を自宅に泊めて暖かい食事を出しているそうで、「大鍋にスパゲティをどっさり作って、ワインを飲んで、楽しくやってるわ」と、クリスマス気分。まさにクリスマスシーズンにぴったりの心温まる「隣人愛」の話がたくさんあって、きっとこれから何年も何十年もクリスマスが近づくたびに「2010年大吹雪」の数々のエピソードが語り継がれて行くんだろうな。

夜までには延々と続く立ち往生の車をほぼ全部チェックして、誰も残っている人がいないことを確認したそうだし、「帰ってこない」という行方不明の報告も今のところはないそうだから、400人近い人たちはみんな無事どこかにたどり着いたんだろう。大雨と違って大雪は視界全体が白一色になるし、周りの音が聞こえなくなって、方向感覚が失われるから怖い。20年前だったか、ダウンタウンからの帰りに大雪になり、近道のつもりでゴルフ場を突っ切ろうとして危うく迷子になりかけたことがあった。耳を澄ましてかろうじて聞こえる大通りの音を頼りに何とか家の前の道路まで出られたけど、立ち止まってはくぐもった車の音が左手側に聞こえるのを確認しながら歩くことを繰り返して、10分足らずで突っ切れる行程に30分以上。視界の利かない猛吹雪だったら、広いゴルフ場の中をぐるぐると彷徨して、遭難してしまったかもしれない。今思い出してもあれは絶望的に孤独な恐ろしい経験だった。

北海道でも都会の近くで「遭難」する人がいるという話を聞いたことがある。郊外に住んでいて、酔って帰る途中で、バスを降りて歩いているうちに雪の中で動けなくなったり、道に迷ったりして、凍死したというケースだったかな。雪山で遭難するのと同じようなもので、へたをしたらそのまま上に大雪が積もって、春まで見つけてもらえないこともある。根雪と言うのは文字通り地面に根が生えたように春まで解けないからね。せっかく家までたどり着いても玄関先で寝込んでしまって凍死したという悲しい話もある。都会だからといって、北国では冬将軍の力を侮ってはいけないという教訓だけど、公共サービスの行き届いた都会、ハイウェイ、自動車・・・あまりにも便利すぎて、その便利さがあまりにも当然すぎて、つい自然の怖さを忘れてしまうんだろうなあ。

知らない人の中にいる安心感

12月15日。水曜日。曇っているけど、まあまあ。よく眠ったようだけど、よく眠りすぎているのか、起きたときに何となく疲労感があるのはどうしてだろうな。でも、とにかく起きて、朝食を済ませて、まずは郵便局へ。夕方には別の作業があるから、トレッドミル代わりの運動に歩いて行く。雨がぽつん、ぽつん。玄関先でカレシが「帰りに土砂降りになっていたら電話しろよ。迎えに行くから」と。ありがとうね。

地下鉄の駅方面に向かう歩道はがカレッジの学生の列。年末休暇に入る前の試験の時期で、ワタシの後を歩いている男の子と女の子はフランス語の試験だったらしい。「ぼくさぁ、アクセント記号、だいぶ付け忘れちゃってさぁ。すんげぇ減点だよなぁ」と男の子。「そ、そ、そ、アクセント。アタシなんかさぁ、ハイフンまで忘れちゃったぁ。それにさぁ、文法の質問なんてぇ、わかんないじゃん」と女の子。鼻にかかった尻上がりの典型的な若者トークがおかしかったけど、うん、試験の悩みはいずこも同じだな。

デパ地下の郵便局は、クリスマス前で込んでいるかと思ったら、行列ができていない。近頃の人たちはカードを出したりしないのかな。そういえばカードショップの品揃えも昔と比べて少ないような気がするな。若い人たちはきっとEカードで済ませるのか、テキストメッセージですませるのか。国外向けの業務用やワタシ用の大小の封書に小型小包を、ひとつずつ大きさを測って、重さを測って、これはいくら、あれはいくら。切手も買って、しめて70ドル。すべて国際郵便だから、切手以外は税金がかからない。そっか、国内で消費するサービスじゃないもんね。残る送り先はほとんどが国内だから、週末前に投函すればクリスマスに間に合う(つもり)。

週中の午後ということもあるだろうけど、モールも思ったほど人がいない。特に不景気ではないはずだけど、そういえばカナダでは今年のクリスマスは緊縮予算の人が多いとニュースで言っていたっけ。だからかな、カタログ通販はカナダもアメリカもこぞって「送料・手数料無料」。モールのウィンドウには「50%オフ」、「70%オフ」の張り紙がべたべた。ディスカウントが70%というのはすごいけど、よく見ると数字の前に小さく「up to」と書いてあったりする。「最大」70%ということで、どうしても売れ残りそうな不人気品が70%オフなんてことが多い。まさに、fine printを読めってこと。よく虫眼鏡がいりそうな字で印刷してある「但し書き」のことで、たいていは買う人に「ほんとは知って欲しくない」ことが書いてあるから、読まなきゃ損、損。

ウィンドウショッピングは特に趣味じゃないけど、用事が済んだらまっすぐに帰りたがるカレシと一緒ではウィンドウをちらりと見るのが精一杯だから、ひとりで気ままに歩けるのは楽しい。ワタシは子供のときからクリスマスの季節が大好き。教会付属の幼稚園に行っていて、クリスマスの降誕劇では聖母マリアにお告げを届ける大天使ガブリエルの役をするはずだったんだけど、なにしろ蒲柳の質とかで休むことが多く、クリスマスを待たずに退園。舞台デビューは果たさずに終わった。(そのときに家で練習するために渡されたせりふの紙が今でもあるけど、聖書の言葉そのままで、いくらおしゃまなワタシでもちんぷんかんぷんだっただろうと思う。)

それでも、今この年になってもやっぱりクリスマスが大好き。何も買いたいものがなくても、買えるものがなくても、街やモールを往来する人たちの流れを眺めるているだけで楽しい。家族連れがいて、カップルがいて、一人だけの人がいて・・・あんがい、いろんな人がいる中にいて、ちょっと形容できない「安心感」とでも言えそうな感覚にほっとする自分が楽しいのかもしれないな。でも、それが日本にいたときから感じていたことなのかどうかはわからない。子供時代のクリスマスには家族そろっての楽しい思い出がたくさんあるけど、街を歩いていて「クリスマス精神」を感じたかどうかは疑問だな。まあ、自分なりの宗教観を持つようになった今とは違って、あの頃はまだ未熟で単純な「娘」だったから。今、見知らぬ人たちの群れの中にいて安心感があるというのは矛盾しているように思えるけど、自分でもわからない何かが深層心理のどこかにあるのかもしれないな。少しは人間として成長したということならそれでいいんだけど。

結局、ポータブルのDVDプレーヤーを買いたいと思って入った店で、操作が簡単で、使わないときは電子写真立てとして使える8インチ画面のを2つ買った。また5つか6つ注文してしまったレクチャーのDVDを自分のデスクで見るためにひとつ、カレシへのプレゼントにひとつ。しょぼしょぼ雨の中を家に帰って、今年最後になる仕事をさっと仕上げて納品して、いよいよあしたから新年の仕事始めまでほぼ3週間の休み!(でも、仕事したいような気分になったりして・・・。)

とことんショッピングもまた楽し

12月16日。木曜日。雨、ぽちぽち。いよいよ今日から本気で休み。クリスマスイブまでは買い物、買い物の連日かな。午前11時半に起きたけど、案の定、FedExの配達を逃した。追跡サイトには「正午までに」とあったので予想はしていたからいいんだけど。空港に近いから、どうしてもそっち方面から来るものは寝ている時間に来てしまう。ま、空港に近いってことは、デポまで取りに行くのも特にめんどうではないってこと。でも、今回はゲートの中に入れておいてもらえるようにしておこうかな。

今日は、カレシがきのうで終わった英語教室の出席表をオフィスに出すのを忘れたというので、買い物は東方面。(ハウスはこの出席表の人数に基づいて政府から補助金をもらえるらしい。)用事を済ませたら、目指すは前から行こうと言っていたGourmet Warehouse。ローカルテレビで料理番組をやったり、雑誌にレシピを書いているちょっとした地元セレブのおばさんがやっている店で、ヘイスティングスの東の方のちょっとうらぶれた通りにある。調理器具から香辛料から菓子作りの材料から食器や本がごちゃごちゃとあって、かっぱ橋の道具街をミニに圧縮できる限りぎゅうぎゅうに圧縮してひとつの店に詰め込んだような感じがしないでもない。

店の中に入って真っ先に見つけたのが包丁のケース。魚を三枚おろしにするナイフがあった。カレシがプレゼントしてくれることになっていたんだけど、これがどこへ行っても置いていない。同じ細身の形でやや短い骨取り用のナイフ(boning knife)はどこにでもあるけど、魚用のナイフ(filleting knife)は刃が薄くて、値段の高いものは背骨に沿って身をおろせるように弾力性がある。まあ、最近は魚を食べる人が増えたとはいえ、元々は肉食の国だから、魚を丸ごと買ってきて自分でおろす人はそういないだろうな。カレシはさっそく「これ、これ」。鍵のかかったケースから出してもらったナイフはどうやらそれ1本きりだったらしく、奥から出してきた箱に入れて、レジで預かられた。(なにしろ刃物だからね。)ついでに、魚を丸ごとゆでる細長いステンレスの鍋も買ってもらって、めっけものをした感じ。(帰って来たとたんにカレシがナイフと一緒にどこかに隠してしまったけど・・・。)

後はアミューズブーシュ用の小皿2種類を6枚ずつと、ミニのタジン鍋を4個。これはきっと調理用というよりはテーブルに出すものかな。そのうちに調理用のしっかりしたものを買わなくちゃ。(タジン鍋は日本で流行っていると言う話を聞いたような気もするけど・・・。)小皿のコレクションが増えてうれしくなったもので、お客用のテーブルマットとナプキンも買ってしまった。お客を呼ばなくちゃならないなあ、これじゃあ。日本語しか書いていないてんぷらのしき紙まであったので小さい方50枚入りも買って、壁際におしるし程度にあるフリーザーをのぞいて見つけた冷凍のフォアグラも(うんと小さいのを)おまけにバスケットに入れてしまった・・・。

それにしても、きのう見たモールのファッションの店はあまり人がいなかったのに、この店は平日の午後だというのにかなりの人数の客が入っていた。この違いは何なんだろうな。クリスマスのプレゼントはやっぱりファッションよりは道具ってことなのかなあ。でも、カップルで買い物している人が多かった。まあ、ワタシは食べ物以外は趣味的なショッピングはめったにしないもので、きのうと今日と連続でけっこう楽しかったな。もうだいぶ散財したけど、ずっと1年間がんばった自分たちへのプレゼントだもんね。それをやるものクリスマスぐらいのものなんだし・・・。

あしたはダウンタウンへ行くぞ~とカレシが言っている。買い物のほかに、クリスマスマーケットに行って見たいけど、なんだか忙しない午後になりそうな・・・。ま、めずらしく2人そろってどこへも行かずに家で好きなように過ごせるちょっと長めの休みだから、クリスマスイブまでは「shop till you drop(とことん買い物)」と言うことにして、イブから先は年が明けるまで食べて、飲んで、また食べて。うん、何だか今年はいいクリスマスになりそうな、わくわくする予感・・・。

おうちバケーションは臨機応変で行こう

12月17日。金曜日。早朝の7時過ぎにゴミ収集トラックの往復とリサイクルトラックの音で3度目が覚めて、また眠り直し。11時半に目が覚めたら、外はまぶしい。カレシはとっくに起きてしまったらしい。キッチンに降りたら、何となくむくれた顔つき。早起きしすぎたのかなと思ったら寝る前にFedExの不在通知にサインをして、ゲートの内側にブルーボックスを置いて、ゲートを開けられるようにロックにテープを貼って置いたのに「まだ来ていない」と。あのさあ、不在通知には今日の「午後5時」までに再配達を試みるって書いてあるんだけど。

ダウンタウンに出かけるはずだったのに、またパン焼き器をセットしてしまった。「FedExが来るまで出かけたくないから」と。せっかくのいい天気なのに、また予定が狂ってしまった。おまけに「きのうから腹具合が悪いから、トイレに駆け込めないところには行きたくない」ときた。おやおや。水曜日の英語教室の今年最後の日に、生徒さんたちとポットラックパーティをして食べ過ぎたんだそうな。そういえば持ち寄った料理を並べたテーブルに3回くらい足を運んだよね。中国の料理にベトナムの料理に南米の料理。ワタシも寿司飯とスモークサーモンとネギで即席の渦巻きロールを作って持って行った。何か胃がびっくりするようなものがあったかなあ。それよりも、消化の良い魚に慣れた胃袋に肉やご飯を大量に詰め込んだもので消化不良を起こしたのかな。カレシはしきりに「年のせいかなあ」とぶつぶつ・・・。

まあ、家で過ごす休みというのはこんなもんなのかもしれないけど、せっかくのいい天気なのにもったいないような気がするな。鼻をくじかれたかっこうで、しばしだらだらしていたら、FedExの配達がやって来て、5科目の講義DVDが届いた。箱を開けていると、カレシが「パドルを取る時間が過ぎてしまった」と言って来る。過ぎたといっても高々5、6分。さっと取ってしまえば問題はないのに、パン焼き器のパドルくらい自分で取れないのかなあ。しょうがないからキッチンに駆け上がって、パドルを取り出して、時計を見たら2時を過ぎたところ。

ひとっ走りダウンタウンまで行って来ようと思い立って着替えをしたのはいいけど、ソックスを履く段になって、地下鉄の駅まで歩いて15分、シティセンター駅まで15分だから、往復の時間だけで1時間。ダウンタウンでの移動時間を考えたら、ゆっくりしていられる時間はないも同然。ということで、また着替えをして、今度はクリスマスツリーを飾るために、カレシも動員してまず場所作り。それから玄関下の物置からバケツリレーの要領でガラクタを取り出して、箱からツリーと飾りを入れた段ボール箱2つ。またバケツリレーでガラクタをしまってからツリーをセットして、箱の中の飾りを全部テーブルに並べたところで、もう夕食のしたくの時間・・・。

[写真] 夕食後にツリーを飾り始めて、10時過ぎには完了。あれ、すごく早いなあ、今年は。去年は2日がかりだったような気がするけど、今年はたったの3時間。どういうことだろう、この違い?仕事をしながらじゃないから、五月雨式じゃなくて集中豪雨式にできてしまったのかもしれない。とにかく、我が家もやっとクリスマスムードになったと、ほっとひと息。だけど、だけど、カタログ注文した飾りがまだ届いていない。あと3個、かける枝がもう残っていないかも・・・。

それでも、何を思ったのかカレシが紅茶を入れてくれて、リビングの大きなテレビでMcWhorter先生の言語学の講義を見ながらひと息。ああ、休みっていいなあ。まあ、「おうちバケーション」なんだから、ちょっとくらい予定が狂ったからって慌てることはないか。うん、そこは臨機応変に、あしたの風に吹かれて右往左往するのもまた楽しからずや・・・?

雨の中のクリスマスマーケット

12月18日。土曜日。ものすごい風の音で目を覚ましたのが午前9時半。窓に雨が叩きつけられるような音はしない。ただ風の音がまるで竜巻のようにごごぉ~っと吹き抜けるのが聞こえるだけ。きのうはあんなにいい天気だったのになあと、出かけそこねて損をしたような気分でまた眠りに戻った。11時半に起きてみたら、もう風は止んでいて、雨がぽつり、ぽつり。降るのか降らないのか、決めて欲しいもんだけど、(イギリスの)ロンドンあたりは大雪で大変なことになっているというから、雨くらいで文句を言うとバチが当たりそうだな。

朝食をしながら、窓の外はぽちぽち程度らしいので、ダウンタウンへのお出かけを決行することにして、次はロジスティックスの問題。モールまで車で行っても、今日はクリスマス前の最後の週末で、ショッピングのホームストレッチだから、駐車場に止められる見込みはまずゼロだし、ダウンタウンまで車で行くなんて芸当は考えるだけ時間のむだ。結局、モールにできるだけ近いところに路上駐車して、地下鉄で行くことにした。幸い駐車場からそう遠くない公園の横に時間制限のないスペースがあった。駐車場では空きを探す車がぐるぐる回っているのに、道路を渡っただけで空きがあるというのはおもしろい。寒いから反対側にある駅までモールを抜けて行く。さすがに今日は込んでいる・・・。

ワタシの降る料金の切符とカレシの割引料金の切符を買って、なにしろ「改札口」ってものがない不思議な地下鉄だから、そのままホームに行って、ちょうど入って来た電車に乗る。地下鉄もけっこう込んでいて、バンクーバーカナックスのジャージーを着ている人がかなりいるのは午後4時からトロントメープルリーフスとの試合に行くんだろうな。普通は午後7時に始まるのに、今日は午後4時なのは、それがトロント時間で午後7時で、カナダ国営放送(CBC)が中継をするから。何でトロント時間に合わせなきゃならないのと思うけど、トロントでは自分たちがカナダの中心だと思っているからしょうがない。ま、トロントのチームは靴拭きマット級のへぼチームだから午後の試合だってどうってこないんだけど。

ダウンタウンではまずお目当てのクリスマスマーケットに行ってみることにした。場所はほぼ東の外れの市営の劇場の外で、CBCのバンクーバー局の道路向かい。何でならんでいるのかと思ったら、入場料が週末は5ドル。カレシは4分の1入っているスコットランド人の血が騒いで、「オレはいいよ。買い物が終わったら電話するから」と言って、さっさと自分の買い物に行ってしまった。(たぶんワインなどを試飲させるので入場料がかかるんだろうな。)

入り口で5ドル払って、運転免許証を見せて(成人であることを証明して)、手首に赤いバンドを巻いてもらって、小屋のような店の間を歩いてみる。焼きりんごやアップルパイ、スパイス入りワインのいい匂いが漂っていて、中央ではバンドが(こてこてに北米の)クリスマスソングを演奏していた。まあドイツ語がそこかしこで聞こえるから、ドイツ風なんだろうと思うけど、よくわからない。豚を丸ごと焼いている店があったり、なぜかアルパカのショールを売っている店があったり、アンデスの毛糸の帽子を売っている店があったりして、ますます「これってドイツ風?」と思ってしまう。

どうやら一番の目玉は大きな白いテントで、「Kaethe Wohlfahrt」と書いてある。出口の方から中を透かしてみたら、ある、ある。すてきなクリスマスの飾りがどっさりで、人もどっさり。入り口に回ったら、行列ができていて、しんがりは?と見ると、ロープに「ここから30分待ち」という札が下がっていた。中を見たいと思ったけど、雨が本気になって降って来たので、30分も並んでいたらずぶ濡れになってしまう。クリスマスに近い週末だから込んでいるんだろうし、しかたがないからあきらめて、ワインやサイダーの試飲もせずに出口へ。まあ、盛況だったら毎年恒例にするという話だから、来年までお預けにしておこう。

TIME誌だったか、最近北米で「ヨーロッパ羨望」という風潮が高まっているという記事があった。元々ヨーロッパから移民が来て定着したところだから、北米人がヨーロッパに憧れるのは今に始まったことじゃないんだけど、定期的に「ヨーロッパ」が流行するような傾向はある。ファッショナブリーにエコなバンクーバー市長にいたっては、何というと二言目には「ヨーロッパでは~」の出羽の守。ひょっとしたらヨーロッパ系以外のマイノリティ移民が増えたせいなのかな。それとも、高級化志向が王侯貴族の伝統があるヨーロッパへの憧れを呼ぶのかな。北米文化は基本的に「成金」文化なんだけど、それが新興中国の「成金文化」に押されつつあるような危機感が出てきたのかな。それとも、北米経済の大黒柱だった中流階級が衰退を続ける中で、日本のポストバブル心理のような、漠然とした閉塞感のようなものがあるのかな。それとも、市民の心理の潮流が、余裕があった頃の「東洋の神秘」への憧れから、ヨーロッパの「伝統」への回顧的な憧れに変わったと言うことなのかな。よくわからないけど、Europe is inということらしい。

クリスマス飾りの店を見られなかったのは残念だけど、まあ、今年はもうツリーは飾ってしまったから、来年はオープン早々を狙うことにして、雨の中、その足でHマートへ。雪が降っていたら、風情が違っていたのかなあ・・・。

現実は2人きりのクリスマス

12月19日。日曜日。今日は天気がいい。どうして出かけない日ばかり天気がいいんだろうな。まあ、今日は2人ともちょっと疲れた気分だから、どっちでもいいんだけど、天気予報は夜半から雪がちらついて、月曜日の朝はみぞれ。また雪かきの心配をするのかと思ったら、午後には「雨」ということで、朝からシャベルを持って飛び出す殊勝な人はまずいないだろうな。せっかくの思いつきの「思いやり」条例、せいぜい「24時間以内」くらいにしておけばさしたる問題もなかっただろうに。クリスマスまでずっと雨、雨、雨の予報だから、条例の効力を試してみる機会はたぶん来年までお預けだろうな。ま、市役所の方も雪が積もらないようにと祈っているかもしれないけど。

のんびりしていたら、ゲートのチャイム。「カナダポストで~す。小包2つで~す!」。ええ?今日は日曜日じゃなかった?ゲートまで出て行って、通販の大きな箱と日本からの小包を受け取って、「日曜日ですよね、今日?」と言ったら、「間違いなく日曜日で~す」と元気なお兄さん。曰く、「いやあ、今年は小包がすご~く多くて手が回らないので、こうしてヘルプしてま~す」。ヘルプしてるって、つまり自発的に日曜日に出勤してるわけ?「日曜日だと配達先に人がいることが多いですから~」。へえ、昔はストばっかりやっていたあのカナダポストがねえ。民営化というのはすごい威力だな。そういえば、州営の酒屋なんか、民営化する話が出ただけで(れっきとした公務員の)店員の態度もサービスもびっくりするくらい良くなったっけ。ふむ、いっそのこと市役所も民営化しちゃったらどうなんだろう・・・?

通販の箱にはおしゃれ着のTシャツが3枚、雪だるまのモチーフのクリスマスツリー飾り3個セット、衝動買いしたインテリア飾りの置き物セットが2つ。置き物と言っても、房のついたアンデスの毛糸の帽子を被った小鳥の4個セットと、スケートを履いた雪だるまの4個セットで、ひとつひとつがちょうど手のひらに乗るサイズ。マントルピースのクリスマス飾りのつもりで買ったんだけど、ユーモアのあるポーズがそれぞれに違うから、並べ方次第で愉快なお話ができるかも。

我が家もだんだんにクリスマスらしくなって来た。2人だけのクリスマスもほぼ10年近くなるのかな。元から家族連れでやってくる子供がいないから、ほんとに老夫婦2人だけのゆったり、まったり、(たぶん)ほっこり?のクリスマスとお正月。カレシや、これからもいつかどちらかに「そのとき」が来るまではほんっとにワタシと2人だけの暮らしなんだってこと、ゆめゆめ忘れるなかれ。年が年だから、オンナノコに萌えるくらいは「いつまでたってもアホやなあ」と大目に見てあげるけど、もしも「そのとき」が先にワタシに来ても、「次」はなさそうだという現実は心に留めておいた方がいいよ。いつまでも親がいると思うなと言うでしょうが。女房だっていつまでもいてくれると思うな・・・なんだから、男の人生ってのは。

そろそろ冬眠しようかな

12月20日。月曜日。のんびりと正午過ぎに起きて外を見る。ふむ、ぜんぜん白くないじゃないの。ニュースを見ると「パイナップル特急」が来ると言う天気予報。予報サイトを見ると、あ~あ、来週の月曜日までず~っと雨。ま、ロンドンやパリの空港には大雪で立ち往生している人たちがたくさんいるんだから、文句は言いっこなし。バンクーバーの空港でもロンドン行きが欠航になって困っている人たちがたくさんいるらしい。今夜は皆既月食だそうだけど、まずダメだろうなあ。

今日は郵便や小包の配達が一番忙しい日なんだそうな。ゆうべのうちに残りのクリスマスカードを全部書き終わって、午前2時半に2ブロック先の郵便ポストまで、ボディガードのカレシと2人で駆け足。(気温は1度だった。)ポストにどんと放り込んで、もうひとつクリスマス業務が終了というところ。夕食後に長いうたた寝をして目が冴えてしまったカレシと、ジャズのCDを聞きながらのんびりと寝酒。どういうわけかここのところやたらとおなかが空くから困る。いつもの時間に朝食、夕食、ランチと食べているんだけど、午前3時を過ぎるともう腹ペコで、そのままでは眠れない。はて、仕事で座りっぱなしの時と違って、けっこうちょこまかと動いているからなのかな。それにしては、朝食後に測った血圧は下が59しかなかったなあ。先週の英語教室のパーティの後2日ほどなぜか血圧がすごく上がっていささか心配になったけど、これじゃあ下がりすぎ。

今日は午後いっぱい、注文してあった食材をピックアップして、セイフウェイで必需品を買って、青果屋で野菜や果物を買っての買出しツアー。これにてクリスマスからお正月までの「冬眠」になくてはならない(ま、なくてもいいことはいいんだけど)食品類の買出しは完了。野菜やきのこ類が溢れて、夏に買った冷蔵庫が初めていっぱいになった。フリーザーもほぼ満杯で、これ以上食べるものを買っても、要冷凍・冷蔵だと貯蔵場所がないから、そろそろ食べる方にかからないと・・・。

夕食後には、カレシがトイレに入っているのを見届けて、それっとプレゼントを包んでツリーの下に置いた。ないしょ、ないしょのプレゼント。後は(なぜか舞い降りてきた小さめの仕事があるんだけど、納期まで余裕があるから)のんびりジグソーパズルをやる。絵柄はチャーリーブラウンの何ともしょぼいクリスマスツリー。星空を埋めるだけのところまで来て、そういえば、今日は通販の注文の残るひとつの配達予定日だったことを思い出した。来たのかな?来なかったのかな?発送元のサイトでチェックしたら「配達済み」。ええ?午後はほとんど出かけていたから、また「不在通知」?それともゲートの外に置いて行った?

あわてて外へ出てゲートを開けて見たけど何もない。不在通知らしいものもぶら下がっていない。さては盗まれちゃったのかな。あるいは通知を郵便受けに入れてくれたのか。とりあえず郵便受けの蓋を開けてみたら、大きなバッグがぎしっと詰め込まれていたからびっくり。我が家の郵便受けは本の小包が入るように作ってあるからデカイ。衣類だから柔らかいとはいえ、そのでかい郵便受けにぎゅ~っと押し込んで行ったわけで、反対側から引っ張り出すのにひと苦労。それでも、これでネットショッピングも完了で、いろいろと気ぜわしかったけど後はほんとに冬眠するばかり。(仕事はあるけど・・・。)

あしたは冬至。予想最高気温は摂氏6度。雨。クリスマスイブとクリスマスの予想最高気温は何と9度。公式に「冬」が始まるのに、これじゃあホワイトクリスマスどころじゃない。冬至と皆既月食が重なるのは400年ぶりだとかで、おまけに春のアイスランドの火山噴火の影響で、地球の影に覆われた月が血のように赤くみえるかもしれないというのに、曇り空には月の影も形もない。う~ん、残念・・・。


2010年12月~その1

2010年12月11日 | 昔語り(2006~2013)
内緒の話はあのねのね

12月1日。水曜日。またちょっと冷えて来そうな予報だけど、まあまあの天気。今日から12月。もう12月なのだ!いつもこの時期になって思うんだけど、どうしてこう時間の足が速くなるのか。別に生き急いでなんかいないのに、どうして?

ここのところ「腐敗組織への対抗」とか称してやたらと極秘文書をばらまいて注目されている人。最初は「アメリカ」政府の極秘文書、次に「アメリカ」の外交電文、そしてお次は「アメリカ」の銀行の内情をばらすんだそうで、おまけにずいぶん下品な容疑で国際逮捕状が出ているけど、それも「アメリカ」の陰謀ということらしい。よっぽど「アメリカ」に恨みつらみがあるんだろうなあと思ったけど、興味半分で背景を調べているうちに、何だかこの人は「恨みつらみ」の向けどころを間違えているんじゃないのかと思えてきた。(まあ、今になって「いや、ロシアや中国のもアメリカと同じように暴露するよ」と言っているらしいけど。)

写真を見ると冷たそうな目つきが印象に残るタイプなんだけど、自分のことを「きわめてシニカルな人間」と評しているそうな。先ごろ、息子の安否を心配する母親がマスコミのインタビューに応じていたそうだけど、どうもサブカル的な環境で育ったらしい。それ自体は70年代初めの生まれであれば決してめずらしくはないとしても、子供の頃に、再婚した母親が離婚の際に継父との間の子供の親権をめぐって住居を点々としたり、母親と隠れ住んだりしたことがあったらしい。さらに、自分自身も同棲していた女性との間に生まれた子供めぐって壮絶な親権争いをして、そのときに母親と一緒に一般人には入手しにくい裁判所などの文書をサービスを始めたという話だった。

そこでふっと、権力の仮面を引っ剥がすという怨念のような考えはこのあたりから芽生えたのかもしれなくて、それを駆り立てているのはひょっとしたら「女」なんじゃないかという感じがした。性的暴行の容疑で追われているし、他にもセクハラの訴えも出ているらしい。ブッシュ政権の国務長官コンドリーザ・ライス、オバマ政権の国務長官はヒラリー・クリントン。どちらも女性が世界政治の権力中枢に関わっているわけだし。これはワタシの直感的なうがちに過ぎないし、当人はまったくそんな意識はなくて、ただ「正義の味方」である自分に自己陶酔しているだけかもしれないけど、アメリカ人でもないのにクリントン国務長官の辞任を「要求」したと聞いたときは、なあんだ、爆弾の代わりに極秘情報のリークと言う武器を使っているだけで、テロの脅しでアメリカ人に「イスラムへの改宗」を要求したビンラーデンと同列じゃないかと思ってしまったな。

この人は数学や物理を学んだそうだから、頭脳は人並み以上に明晰なんだろうと思う。ジャーナリストとしても一応の実績があるそうだけど、ハッカーでもあるとか。しかも「倫理的」ハッカーなんだそうな。ハッキングのルールとか何とかを作ったそうだけど、忍び込んで盗むという手口は同じで、こそ泥のルールとあまり変わらないような感じもするな。まあ、自分の行動は正しいと確信しているんだったら、世界中にそれを支持する人たちがいるんだから、こそこそ隠れてないで、堂々と権力の腐敗や隠蔽体質を糾弾したらいいんじゃないのかな。物陰から狙い打ちなんて、透明性も何もあったもんじゃないと思うけどね。

まあそれにしても、世界各国の首脳たちが、あっちの首相はどうの、そっちの大統領はどうの、どこそこの国はどうだの、あいつらはああだのとやっている光景は、どこかの団地や公園の井戸端会議で飛び交う噂話や、掲示板やSNSサイトへの匿名の投稿とけっこう同じレベルのように思えて、つい笑ってしまった。世界政治も外交も、とどのつまりはご近所づきあいと変わらないってことかな。時には人命の安否に関わるような極秘情報を扱う職場にいた経験から言うと、どんな秘密だって、いったん別の人に伝えたら、その先のどこからか漏れるものなんだと思う。まあ、国際政治から、国政から、お役所、はては職場の飲み会から、大学のサークルから、ご近所の主婦たちの井戸端会議にいたるまで、みんな基本は人間の関係。それぞれが分離しているのではなくて、コミュニケーションという糸で果てしなく結ばれているひとつの連続したスペクトラムなんだと思う。ま、知られたら赤っ恥をかくような秘密は持たないにこしたことはないな。

英語の先生はミスターロボット?

12月3日。金曜日(だよねえ・・・)。木曜日はどこへ行ったんだろう。目が覚めたのは午後12時35分。例によって目算が狂ってしまって半徹夜。そろ~っとベッドに入ったのは午前9時に近かったから、睡眠は4時間に足りないか。朝一番のごみ収集トラックの音を聞いてから寝るなんて酔狂なもんだけど、そこは自営業。仕事があるときは、というよりは納期がまる時限爆弾みたいにコチコチと言っているときは、とにかくやるっきゃないのだ。もっとも、その気になってほんとにやっちゃうから、やっぱり酔狂だなあと思うんだけど。

いつもなら徹夜や半徹夜の後は、しばらくへた~っとしていられるんだけど、おあいにく様。次の仕事が待っている。もや~んとした頭を抱えてよく見たら何だか納期がきっついなあ。シンクタンクという、think tankじゃなくてsink tankじゃないの?と突っ込みたくなるような何とか研究所がたくさんあって、実体のある科学の研究なら、知りたがり屋のワタシもふむふむと楽しくやれるんだけど、文系はあーだこーだそーだと、どうも部外者にはどーだっていーよーな論文を書くもので、あーあ。ま、これは言うなれば車の「vanity plate(見栄っ張りナンバープレート)」のようなものだから、「実は国際会議でこういうものを配りましてねえ」と触れて回りたいがためのものかな。う~ん、こっちはめっちゃくたびれたて、あくびが出るけど・・・。

予定が詰まっているのにきのうは歯医者に行ったのがそもそもの間違い(じゃないけど)。ウー先生は中国系二世か三世かな。ちょっと見には少林寺拳法の法師のような風貌だけど、腕はいい。うちはカレシの組合年金のおまけで歯科保険があるのに、歯医者ってついついサボりたくなるよね。ワタシはなんと2年半ぶりだけど、「そんなにサボっていたにしてはいい状態だなあ」と言われてひと安心。今は歯科の技術もかなり進んで、歯垢を取るのにも昔のように鋭い器具でひっかかずに、水圧でやる。おかげで歯茎を傷つけられて血が出ることもなくなった。歯茎も過敏なところがなくて、年の割には健康でよろしい。「下の前歯の裏側は一番歯垢がたまりやすいから、念入りにフロスして磨くんだよ」とウー先生。ふむ、一日モニタの前に座って、ややうつむき加減にしているから、そこに唾がたまって歯垢ができやすいんだろうな。

ワタシが歯のクリーニングをしてもらっている間、カレシは一応の「上司」にあたるロバータと英語教室のことで相談するために10丁ほど先のネイバーフッドハウスへ。カレシに推薦状を要求して断られたなんちゃって英語先生、どうやらカレシに自分の教室を持てばと言われてその気になったらしい。ところが、ロバータに提案書を出せば責任者と相談すると言ったら、「いや、今月中に始めたい」。今は空いている部屋がないから無理だと言ったら、今度はぶっちぎれていきなり電話をガチャン!いやはや、そりゃ「先生」って器じゃないんじゃないかい?いくら先生が張り切ったところで生徒がいないことにはどうにもならないのに、なんか社会の現実をよくわかっていなさそうな人だなあ。

最近は英語教室に来る生徒の数が減っているらしい。政府が資金を出してプロの教師を雇って無料で開いているELSAという英語講座も生徒数がめっきり減っているんだそうな。このままでは閉鎖になりかねないと言う。ふむ、移民の数が減ったのか、あるいは英語ができる移民が増えたのか。(アイルランドの経済危機で、かなりの数がカナダに移民し始めているそうだけど、彼らは英語学習は不要・・・。)ま、カレシは一銭ももらっていなから、生徒が減りすぎたら教室はしばらく休みにすればいいけど、営利の英語学校の先生は生活がかかっているからそうは行かない。ダウンタウンの図書館やスタバで最低賃金に近い料金を取って個人指導をする「経験豊かな」英語先生がかなりいるようだけど、夜や週末にやっている人は副業なんだろうな。昼間もやっている人は就職先がないのかな。かってはESL教師はお金になる有望な職種だともてはやされていたのに、計画通りには行かないのが人生ってことで・・・。

先日また英語学校が倒産したそうだから、また失業中の英語先生が増えるわけで、なんちゃって先生の前途は厳しそう。韓国ではロボット英語教師が登場したそうで、韓国政府は数年のうちに相当数いるはずの外国人英語教師の契約を解除して、順次ロボット教師に切り替える計画だとか。購入費用だけで給料や厚生給付を払い続けなくてもいいから、経済的かもね。長時間労働も平気の平左だろうしね。ロボット好きの日本人もゆくゆくはロボット先生を相手に英語を学ぶようになるのかな。日本ではきっと人間そっくりに作るだろうな。TIME誌に載っていた写真を見たら、いかにもロボットらしくて(人間そっくりに作られていない)、真っ赤な口がなんともご愛嬌。だけど、ロボット相手の英語学習では「国際交流」という大義名分がなくなるような気もするけど、ま、英語を話せるようになるのが目的なんだから、そこは目をつぶることにして・・・。

解けない魔法は悲劇だけど

12月4日。土曜日。自分へのご褒美にレミのXOをちょっと嗜んで、よ~く寝て、元気回復。いやあ、外の光がまぶしい。今夜は冷え込みそうだなあ。暖まる前に雨が来てしまうとまた雪になるから困る。雨は雨降りにふさわしいときに降ってくれないとなあ。

けさはこの1週間ちょっと高めだった血圧も普通に戻った。高めとは言っても下の数値が70とか72で、ワタシとしては高め。やっぱりちょ~っと仕事のペースがきつかったかな。ま、それにしても、62歳と7ヵ月のおば(あ)ちゃんの火事場のばか力的な張り切りぶりには我ながら言葉もない感じ。もっとも、今年はもう「売上目標」」を達成してしまったことだし、あと10日でカレシの英語教室が休みに入るのと同時に仕事納めをしてしまう腹づもり。そうしたら、年明けの仕事始めまで、あるある、なんと3週間の休み!美食三昧に美酒三昧・・・。

クリスマスパーティのシーズンに入って、酒屋が込み始めるので、ゆうべ一段落したところで、お酒の「買出し」に出かけた。たまたま一番近いところにあるのが、州営の酒屋の中でも「旗艦店」と呼ばれる大きな店。ワインセラーのソヴィニョンブランの在庫がかなり減っていたから、カレシが大いに気に入っているニュージーランド産のうち、の極楽とんぼ亭のハウスワインになっているStarboroughをひとケース、Kim Crawfordを6本、他にOyster BayとBabichを3本ずつ。ま、2ダースもあれば手持ちの赤、白、ロゼと合わせて年を越せると思うけど。バーテンダーのカレシは1.5リットル入りのジンを一気に3本、ベルモットとコアントロー。「仕事、よくがんばったらね」と新しいレミのXO。後は、料理に使う安い日本酒と冷酒用のオーガニックの吟醸酒を1本ずつ。どっちも日本のメーカーだけどアメリカで醸造されたもの。ついでにカレシの好きなイギリスのエールを6本。しめて@#&ドル。んっとにのん兵衛ろだよねえ、私たちって・・・。

今夜はバンクーバー交響楽団のコンサート。寒いから、モールの近くまで車で行って、そこから地下鉄。カナダの若手の指揮者のバトンで、モーツァルトの『皇帝ティートの慈悲』序曲で始まり、カナダの若手チェロ奏者のソロでシューマンの『チェロ交響曲イ短調』。これはイントロがなんとも切なくて、胸がキュ~ッとなる。ドイツの冬ってこんな感じなのかなあと想像しながら聞いていたけど、これを作曲した頃のシューマンはすでに精神障害に陥っていたんだろうな。そう思うとよけいに胸がじ~んとなる。もっとも、そういう精神状態だったからこそ、後世に残る作品が生まれたのかもしれない。どんどん深みへ落ちていく夫をクララはどんな気持で見ていたんだろうな。(妻として家庭を切り盛りし、7人の子供を育て、自分でも作曲をしながらピアニストとして演奏活動で夫を支えたクララ・シューマンは稀に見る「できる女性」だったと思う。)

第2部はリムスキー・コルサコフのオペラ『金鶏』のさわりをやって、ストラヴィンスキーの『火の鳥組曲』。深くもやがたちこめた魔法の森を連想させるイントロにうっとり。ロシアのバレエはよく魔法がテーマになるけど、魔法を解いてくれるのはたいていは白馬の王子サマ。まあ、ジーグフリート王子のようにまんまとだまされてオデット姫を魔法から救えなかった悲劇もあるけど、いっとき魔法にかかってもそのうちに覚めて現実に戻れるから魔法はすばらしいのかもしれない。仮想現実の世界のような現代の魔法の森に迷い込んで、魔法にかかったままで目が覚めて、現実に戻れなくなってしまうと、なんだか『白鳥の湖』に通じるところもなきにしもあらずのような。

もっとも、白馬に乗って現れたハンサムな王子サマと熱いキスを交わしたら、とたんに王子サマが醜いヒキガエルになってしまった、なんてことだったら、魔法が解けたばかりに悲劇(あるいは、ひょっとしたら喜劇?)になることだってあり得るということか。『火の鳥』は勇敢な王子様と魔法が解けて自由になったお姫様はいつまでも仲良く幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし、ということになるんだけど、はて、王子様に手を貸してあげた肝心の火の鳥の方は・・・?

絆が試される季節かも

12月5日。日曜日(だと思う)。きのうは寒かったけど、今日はまあまあの天気。あんまりラニーニャっぽくないところがいいな。このまま春になればしめしめなんだけど、そうは行かないよね、当然。

予定表に残った(願わくは今年最後の)仕事。今度はもめごと。要は、ああだこうだと言ったのに、ああしてこうしてするから、なんたらかんたらということになったんであって、こっちが悪いんじゃないのに、なんたらかんたら大枚の金を出せとはど~ゆ~こった、という話。まあ、商売は基本がお金だから、損をしたら、誰かに責任をおっかぶせて埋め合わせをさせなきゃあ、ということになるんだろうけど、そのために莫大な弁護士費用をかけて、ついでに通訳や翻訳者までおこぼれに預からせて、最終的に利益になるのかな。億のお金がからんでいるなら、損はしないのかもしれないけど、まあ、それも裁判に勝ったらの話だしね。とにかく、うちの責任じゃないよということを、相手がぐうの音も出せないくらいに疑問の余地のない論理で明確、明瞭に説明しなければならないので、日本語でもさすがに筋が通っていて、やりやすいことはやりやすい。

そこでつい小町横町に寄り道。タイトルを読んでいて、ふとなんとなく思ったんだけど、今頃の季節になると国際結婚、国際恋愛、国際離婚の悩みが増えるような感じがするのはどうしてなんだろう。クリスマス休暇の季節だし、日本では年末年始の帰省の季節。どっちも「家族」の季節だな。海外生活を謳歌しているはずの国際結婚妻たちもこの季節になると憂鬱の極みという人が多いらしい。義理の親や小姑や親戚一同が集まってのにぎやかなおしゃべりの輪からはじき出されてさびしい思いをさせられるからだという人もかなりいるけど、家族との30年の歴史とたった1年や2年の2人の歴史とでは、そりゃあ話題の量が違いすぎて当然だろうに。つまるところ、自分に興味のない話ばかりでつまらない、自分にわかる話題を振ってくれない、みんなおしゃべりに夢中で異国人の自分に気を遣ってくれない。くれない、くれない、こんな国、大嫌い・・・。

この時期に国際離婚の危機が勃発しやすいのは、苦境や不満の中で、家族と過ごしていた日本のお正月がなつかしくてたまらなくなるからなのかな。何もかも嫌になって、楽しかった日本の暮らしに戻りたいという気持になるんだろうな。一種のホームシックなんだろう、海外在住歴が比較的短い人や日本の親がまだ健在の人が多いように思う。ちょうどハネムーン期が過ぎて、現実に向き合わざるを得ない厳しい時期かな。もっとも、20年、30年と経てば、誰だって親は他界して帰る「実家」はなくなるんだから、ギブアップするんだったら、へその緒が切れてしまわないうちにそうした方が賢明といえるのかもしれないな。

日本と比べたら緯度の高い地域の冬は暗くて、寒いことが多いし、クリスマスは華やいだ季節ではあるけど、何かとお金がかかる季節だから、ある意味、カップルとしての「絆」の強さが試される時期なのかもしれないけど、それは国際なんたらの関係に限ったことではないんじゃないのかな。日本で「国内結婚」した妻たちも、夫の実家への帰省がゆううつで、ゆううつで、という愚痴を投稿しているじゃないの。お正月も華やいでいるけど、年の暮れは何かと物入りだし、仕事納めが済めば「家族」が集まる季節で、結局はどこでも同じことのように見えるけどなあ。

この先、「ま、いっか」厳禁!

12月6日。月曜日。いやあ、ラニーニャの冬にしては暖かい。カレシは起きてすぐに温室へ走って行って、ヒーターをオフにする始末。そうでないと、温度が上がりすぎて屋根が開いてしまう。まあ、電気代の節約になっていいんだけどね。寒波の冬には家全体を暖房する電気代の倍はかかってしまうから、カレシの趣味とはいえ、真冬の新鮮な野菜はすっごい高級品になってしまう。電力会社も値上げしては節約キャンペーンをやっていないで、夜中の割引料金を導入してくれるといいのにな。そしたら、私たちの生活時間の電気料金が安くなる計算だけど・・・。

きのうはかなりがんばったおかげで、仕事に終わりが見えてきた。びっくりするくらいすいすいと進むから不思議。これじゃあまるで同時翻訳。日本語文書にしては論理が生前としているなあと思ってよくよく見たら、どうも元の書類はドイツ語だったんじゃないかという感じがする。それを日本語に訳したのを、アメリカの方で必要になったから英語に翻訳という流れかもしれない。グローバリゼーションは世界経済の趨勢だとしても、世界のあちこちにいる当事者の間でもめごとが起こったら、解決するのもグローバル。こうやってあっちの言葉に訳し、こっちの言葉に訳しで、子供の頃にやって電報遊びのように、初めの文書と最後の文書が似ても似つかないものになっていたなんてことがないといいけどね。

朝一番にびっくりしたのが州議会野党の新民主党(NDP)の党首が辞めちゃったというニュース。この人、好感度は党の支持率よりずっと低い。上から目線というのか何というのか、どうしてか話し方が神経に障る。いい人なんだろうけど、イメージが何より先行する時代には損だよな。与党自由党も支持率は高いのに、党首はHST導入のごり押しで州民から総すかんを食って、支持率はどこかの国の総理大臣のような9%というていたらくk。内輪でもめているうちに辞任を発表したけど、2月に党首選をするまでは首相の職を全うするとか。与党のつまずきは野党にとっては解散と総選挙を要求する絶好のチャンスのはずだけど、どっこいNDPも内戦状態。一応党首続投で収まったと思ったら、13人の造反議員が出て、一気に党首辞任へと進んでしまった。ただし、こっちも党首選は来年の1月だそうで、与党も野党もそろってlame duckとは。おまけに野党最大の支持団体であるBC労働組合連盟も2つの公務員組合が角を突き合わせて内戦状態らしいから、BC州の政治は相も変わらずコメディ続き。それでも何とかなっているみたいだから、菅さんも気を落とさずにね・・・な~んて。

さて、あしたの夕方までに終わらせて納品したら、そのまま仕事納めに突入ということになるか。あちこちで暗に「もうめっちゃくちゃな戦闘体制のようなもんでして・・・」とか何とか防衛線を張っているんだけど、はたして効果のほどはいかに。いくら根回し、根切りをしっかりやっているつもりでも、「ほんっとに助かるんですぅ」なんて言われると、うっかりその気になって「ま、いっか」と言ったら一巻の終わりだから、気をつけなくちゃね。なんたって、クリスマスの準備があるんだから、買い物がたくさんあるんだから、少しは家の中を整理整頓しないとリサイクルごみで足の踏み場がなくなっちゃうんだから、カレシが持ち込んできたガレージの錠前の問題も解決しなきゃならないんだから、それよりも何よりもとにかくワタシ自身がまとめてだだ~んと休まなくちゃならないんだから、仕事をしているヒマはないのだ。ここは来年まで「ま、いっか厳禁」と行こう。とはいっても、「小さいですから~」なんて囁かれるとわからないな。極楽とんぼは酔狂だから・・・。

あれ、夜中だというのに気温はまだ8度。大雨注意報が出ている。天気予報を見たら、明日は雨。あさっても雨。しあさっても雨。やのあさっても雨。土曜日も雨。日曜日も雨。来週の月曜日になってやっと晴れ時々曇りだって。ぐしょぐしょになってしまいまそう。だけど、雪よりはマシだから、ま、いっか。(あ、言っちゃった・・・。)

取らぬ何とかの皮算用になるか?

12月7日。火曜日。予報どおり、雨、雨、雨。でも、ラニーニャ嬢はスコットランドあたりで羽目を外して暴れているらしいので、こっちはシィ~~。ヨーロッパで遊んでいてはいけないわよね~なんて、戻って来ていただいても困るもんね。

午後3時。仕事完了。じわじわと張っておいた防衛線の効き目はいかに。もっとも、はっきりと「これにて本年の営業は打ち止めぇ」とやっちゃえば簡単なんだけど、そこはひいきにしてくれるお客筋があっての商売だから、むげにそういうわけには行かないのが現実。嘘も方便という手もあることはあるだろうけど、それもなんだかなあと思うし・・・。ほんとにこのままそ~っと年が暮れてくれたらいいけどなあ。今年はほんっとによく働いたんだからさ(遊ぶときは遊んだけど)。

カレシを英語教室に送り出して、まずは請求書の処理。電気料金にケーブル放送料金に電話料金に業務用のクレジットカード、それと所得税の前納の4回目。今年の税金がこの前納の合計額を超えないといいけどな。超えなかったら還付、超えたら追加納税。追加がありそうな予感がするから、やっぱり年度末の前にちょっと設備投資をするかな。そんな思惑を察してかどうか、プリンタは印字がかすれたり、濃くなったり。たぶん古い機種だからトナーも古いんだろうけど、ページの真ん中が薄くなって読みにくい。カラーのレーザープリンタがいいかなあ。と、あれこれ考えていたら、今度はマウスの調子がヘン。動かしているのに、カーソルがやたらと突っかかる。がたが来るとなったら、申し合わせていっせいにガタガタ。ま、今回は業者に頼んで設備一式の搬入から立ち上げ、設定、データの移行まで、めんどうなことはおんぶに抱っこで行こうっと。

払うものを期日に払う設定をしたところで、待ってました。クリスマスショッピングの始まり。もっとも、今からだとアメリカから来るメールオーダーはクリスマスにぎりぎりか、その後の週だろうな。ま、お互いの「プレゼント」は地元で買うとして、とりあえず、L.L.Bean、Lands’ End、Coldwater Creek、Magellan’sと仮想モールを徘徊して、衣料品やら何やらをクリック、クリック。アメリカのカタログだから価格はもちろんアメリカドル表示。ここんところ、アメリカドルとカナダドルはほぼ等価。ということで、換算のたびに何パーセントかの為替手数料を取られるから、アメリカドル建ての口座に入ってくる収入をカナダドルの口座に移すと目減りして損をした気分になる。カナダドルが安かった頃は為替で二重にぼろ儲けしたから、ますます働き損の気分。そこで、アメリカドル建てのクレジットカードを使って、アメリカドルのままで払っそのまましまおうという寸法。(それに、アメリカドル建ての口座はカナダの預金保険の対象外だから、銀行が潰れたら元も子もなくなるしね。)

自分のおもちゃのつもりで注文したのが、6ヵ国語の「しゃべるトラベル辞書」。英語のほかに、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ギリシャ語で、旅行者のための慣用語句が入っていて、音声で聞けるというもの。「明瞭な発音で」といううたい文句に釣られたんだけど、まあ、「○○はどこにありますか?」というようなごく簡単なフレーズを聞けるんだろうと思うから、口まねをしてみたり、○○を別の名詞に変えたりして、お遊び程度の軽い気持で「語学勉強」をやってみるのも一興。何と52ヵ国語!に対応というのもあったけど、それはいくら酔狂な極楽とんぼでも酔狂過ぎるかもしれないと思い直して、今回はやめた。だって三倍の値段だし、あくまでも「おもちゃ」のつもりなんだし・・・。

さて、クリスマスショッピング、次はどこへ行こうかなあ・・・。

まず第一歩、クリスマスへGO!

12月8日。水曜日。突然の警報で目が覚めた。がばっと飛び起きて、ベッドから転げだして、警報を解除。ああ、寝室にもコントロールパネルをつけてもらって良かった。だって、え?え?という寝ぼけた頭では階段から転げ落ちた公算が大だもんね。階下ではシーラとヴァルの声。そうそう、今日は掃除の日だったんだ。時刻は午後12時10分。ふああああ・・・。

何だかかなり集中して夢を見ていた気がするけど、その状態から甲高いアラームで瞬時に覚醒してしまったから、とにかく頭はもや~ん、体はどよ~ん、自律神経までがぼや~んで、手足の先端がやたらと冷たく感じられるし、背筋が冷や冷やするし、おまけに何となく胃がむかついているような、いないような。ふむ、仕事が終わったぞ~と、一気に安心して、一気に気が緩んで、一気に熟睡したのかな。いや、「翻訳」という商売はファッショナブルなオーラを放っているのかもしれないけど、ほんとのところは、文化的思考パターンも価値観も世界観も人間観も、はてはコミュニケーションの概念まで違う2つの言語の間で、ともすれば機械並みに、あるいは「奥歯に挟まった」何とかのように扱われて、盛大に増えるのは白髪。国連やEU議会で同時通訳者の自殺率が断トツに高いのもうなずける話。精神的にキツイ。それをねじり鉢巻でウンウン言いながらやるのは身体的にキツイ。ま、濡れ手で粟みたいな楽々の生業なんてないと思うけど。

仕事戦線は静かそうなので、英語教室に行くカレシにモールまで送ってもらって、それっとクリスマスショッピングを開始。まずは入り口の鍵屋で、3個のデッドボルトが必要で、3個ともキーをマスターして欲しいと注文。ガレージのデッドボルトにキーを差し込めなくなって(たぶんカレシが何か本来無理なことをしたんだろうけど)、うまく差し込めても抜けないと困るので、ロックは使用禁止。自分で取り替えるつもりだったけど、鍵屋は錠前屋でもあるということで、あしたの午後に来てもらって取り替えてもらうことにした。ま、仕事に追われてばっかりで、こういう家周りのことまでは手が回らないし、手を回してくれる人もいないから、人に頼まないことには「懸案事項」は山積になるばかりだし。「夫」というタイトルの人が年中いるんだけどなあ・・・。

次に、カード屋でクリスマスカード。シーラとヴァルに1年の感謝のチップを包む封筒も雪だるまのかわいいのを買った。さて、次はカレンダー。この時期になると毎年空いている店舗にカレンダー屋が入るからうまくできているな。業務用のカレンダーと、キッチンとワタシとカレシのオフィス用に3つ。キッチンのはワインがテーマで、ワタシのは去年に引き続きジャック・ヴェトリアーノの絵。カレシには植物図鑑のようなイラストのすてきなのを買った。次にデパ地下の郵便局のワタシ書箱にたまったカタログ類を引き出して、大きなトートバッグはずしっと重たい。

まあ、「用事」が済んだところで、後はカレシとスーパーで落ち合うまで「自由時間」ということで、クリスマスに欲しいものをあれこれ下調べ。Cuisinartのフードプロセッサで、3リットルと1リットルの大小の容器を使い分けれられて、パンやパスタの生地を練るための付属品までついているのがあった。これはいい。想像の「お買上げ済み」の赤札をつけておく。Coachからは25%割引券が来ていたので、自分用は別に何もいらないけど、親身でママの世話をしてくれているマリルーに良いお財布のプレゼントはどうかと思って品定め。使い勝手の良さそうなのが見つかって、何にもやらない息子の何にもできない嫁からの、せめてもの感謝の気持ということで、ギフトラップして、リボンをかけてもらった。

ということで、クリスマスショッピングの第1日め。トートバッグは肩にかけたら青あざができそうなくらない思い。ちょうどスーパーに向かい始めたところでカレシから「今、駐車場」という電話。やれやれ、もうそんな時間。買出しに行くまでのしのぎだから、バスケット1個分だけの買い物。でも、魚売り場のフリーザーで見つけた冷凍のポンパーノ。獲って生きたまま急冷凍したと書いてある。解凍したら尻尾をバタバタなんてことはないだろうなあ。その尻尾と背びれ、腹びれはきれいな黄色。日本語の名前は「コバンアジ」と言うらしい。ニューヨークのレストランで食べたことがあるだけだから、レシピを探してみなきゃ。

買い物が終わって外へ出たら、雨、雨、雨。もう3日連続で大雨注意報が出ている。どこもかしこもびちょびちょ。それでも、降りに降って2日くらいで1メートル以上積もって、まだ降り足りないらしい(オンタリオ州の)ロンドンに比べたら、ほんと、雪かきしないで済むだけましだから、あまり大きな声で文句を言うのもはばかられるかな。近郊の山のスキー場は雨と霧が続いて、せっかく平年より早くオープンできたのに、しばらく閉鎖するという話。ラニーニャお譲ちゃんがエルニーニョ坊やに変身?したわけじゃないだろうけど、21世紀はマザーネイチャーまでちょっとおかしいんじゃないの?

それにしても、寝起きが悪かったかなあ。なんかくたびれて、眠いような、だるいような・・・。

万能潤滑剤WD40

12月9日。木曜日。目覚めは午後1時35分。これ、新記録じゃないのかな。なにしろきのうはくたびれていた。ほんとに一気に気持が緩んだ感じで、夜中を過ぎた頃には、顎が外れそうなくらいの大きなあくびの連続。心なしか顎がだる~いような・・・。

朝食が終わったらもう午後2時半に近かった。雨がひと休みで、錠前屋さんが約束の3時に登場。まずガレージのデッドボルトに鍵を差し込んでかちゃかちゃ。説明した通り、奥まできっちり入らないでしょ?「うん、ちょっと引っかかる感じだねえ」と、やおらWD40の缶を取り出して、鍵穴にシューッ。鍵を突っ込んで回したら、すんなり開錠。ドアノブの方も一方にしか回らないんだけど。「ドアを開けるための取っ手なんだから、デッドボルトさえかっちりかかればこれで十分」。で、裏口のデッドボルトも開きにくいんだけど。こっちもまた鍵を差し込んでかちゃかちゃ。またWD40をシューッとやるのかと思ったら、こっちはささっとデッドボルトを分解して、回り具合を調べて、「ちょっと磨り減っているけど、まだ当分もつよ」。え?あと20年くらい?「まさか。20年は保証しないよ~」。ついでにデッドボルトの鍵を2本コピーしてもらえる?「できるけど、店に来た方が安いよ」。でも、今ここにいるんだし・・・。名前から見て韓国系のおじさん、「お金かかるよ」といいながらトラックに戻って、さっと新しい鍵を2本作って、きちんと機能することを確かめて、お代はしめて60ドル。ええ?ふつうの修理屋だったら来るだけでそれくらい取るけど・・・。

というわけで、デッドボルト3個を取り替えて300ドル近くかかるかなと思っていたから、WD40のひと吹きで解決して60ドルにはびっくり。それよりも、「WD40」のひと吹きにカレシは大笑い。そうだよなあ。だって、WD40は昔からある万能潤滑剤で、硬いねじもさびたボルトもシュッとひと吹きでするりと外れるすぐれもの。リューマチで動かない関節もシュットひと吹きで効くという伝説までできてしまって、とうとうメーカーが元は「何とか工業」のようなありきたりの会社名を商品名を変えてしまったそうな。困ったときはWD40かダクトテープというくらいの万能ぶりがジョークのねたにもなっている。鍵が曲がってしまったほどの錠前が、シュッとひと吹きで解決じゃあ、やっぱり笑っちゃうよね。(ぎっくり腰にもシュッとひと吹きで効くのかなあ・・・なんてのは冗談だけど・・・。)

仕事戦線は今日も静か。日本は週末に入るから、夜中までに動きがなければ、このまま大手を振ってウィークエンドに突入。それで後はそのままちょっと早い仕事納めということになればしめたもんだけど、はたしてどうなるか。フリーになってからは週末なんてあって無きがごとしで、仕事のない日が週末だとうそぶくしかない。週末だからと断ればいいんだけど、何度か週末の仕事を引き受けてしまうと、「あの人なら」と期待満々のお声がかかるようになって、それが金曜日の夕方遅くになって月曜の朝イチが納期の仕事の担当を探さなければならないコーディネータさんだったら、むげに断れなくてついOKしてしまう。

日本ではお客様は崇め奉るべき「神様」なんだそうだし、翻訳会社は請負ビジネスだし、「集団」が社会の最小単位とされる国の企業にとっては「個人の生活」なんて観念は無きに等しいだろうから、ある意味で日本は欧米よりもずっと「弱肉強食」だなあと思うことがある。経営理念だのミッションステートメントだの、どこもけっこう立派なんだけど、所詮は「建て前」。まあ、建物の外面なんていくらでもペンキを塗り替えられる(刷新できる)ものだし、ばか丁寧語をちりばめた機械的な接客マニュアルとさして変わらないような、なんだかWD40をシュッとひと吹きしたような感じだけど、マニュアルもひとつの潤滑油というのならそうかもしれないな。あんがい強いものに食われないための弱者のための潤滑油だったりして。万能潤滑剤WD40、金曜日なのに早く帰れないコーディネータさんに、サンタクロースに託して送ろうか・・・。

金曜日の午後のコマーシャルドライブ界隈

12月10日。金曜日。今日は午前11時30分に目覚ましで起床。外はかなりまぶしい。天気チャンネルの予報は来週の金曜日までずう~っと雨になっているのに、この陽射しはいったい何なんだろうね。ま、出かける予定のある日はその方がいいにこしたことはないけど、あしたの夜あたりからはこの時期におなじみのパイナップル特急がやって来るらしい。

どうやら仕事なしの週末。クリスマス前は買い物に行きたいところがたくさんある。今日は日系の海産物問屋の店をのぞいてみることにして、ついでにカレシが州税監査官時代の旧友アルバートと久しぶりに会う約束を入れていた。アルバートはカレシの両親から(カレシがオタワに行くまで住んでいた)家を買って20年ずっとそこに住んでいる。多民族文化が売り物のコマーシャル・ドライブのカフェで落ち合って、コーヒーを飲みながら積もる話。奥さんのローリーがガンの手術からもう2年になるけど、思うように体力が回復しなくて、職場に復帰できないでいるという。ローリーは高校教師でタバコを吸ったことがないのに肺がんで片肺になってしまった。高校生になった一人息子のエリックを大学へ送り出したら夫婦で旅行に出かけようと計画していた矢先のことだったからつらい。

穏やかな人柄のアルバートのもうひとつの悩みはその一人息子。日本で言う高校3年生で、そろそろ進路を決めなければならないのに、モチベーションが今ひとつで、成績は良いらしいけど、仲間と遊びまわって、時には午前様で帰ってくるとか。それを聞いたカレシは「オレもその年頃のときはそうだったけど、高校生が午前様はやっぱりまずいと思うなあ」。そこから今どきの教育の質の低下ぶりをああだこうだ。低下したのは教育の内容だけじゃない。すべて白黒で考える学校運営のマニュアル化、細かなことに口出しするめんどうな母親たち、カナダ版ゆとり教育で育った未来の先生のおんぶにだっこちゃんぶり。聞いているうちに、ワタシはお子様プロジェクトで垣間見た日本の教育事情とイメージが重なり、カレシはクビにした英語先生候補とイメージが重なって、3人でにぎやかにああだこうだ。果ては「人類はベビーブーム世代でピークアウトした」というワタシの持論?で意見が一致。ふむ、どっちかというと左寄り思想のアルバートまでが同意するとなると、人類の未来はほんとに大丈夫かなあと思ってしまうけど・・・。

金曜日の午後だけど、かざりっ気のないカフェは老若男女でいっぱい。政治談議に花を咲かせているおじさんたちもいれば、奇抜なファッションの若いカップルがいたり、人形のような幼い娘の話を熱心に聞いている若いパパもいる。カレシがこの界隈を闊歩していた頃はイタリア系移民の街だったザ・ドライブも、今ではイタリアンカフェに混じってヒッピー時代を思わせるカフェやエスニックレストラン、日本で言う百均ショップのような雑貨屋が並び、その間にちょっとおしゃれなブティックがあったり、八百屋があったり、スタバがあったり。昔からあった独特な雰囲気が雑多な移民文化が入り混じってますます独特なカラーを醸し出している感じだけど、ちょっと横道にそれると、カレシが幼い頃におつかいに行った小さな角の何でも屋の建物がまだそっくりあったりするから、カレシは故郷に帰ったような、何となくノスタルジックな気分・・・。

魚屋まではほんの数ブロック。途中にある(たぶん築後百年を越える)古い家並みがきれいに修復されてカラフルになっていたりして、ちょっぴりサンフランシスコの雰囲気がないでもない。このあたりは昔から移民やブルーカラーの低所得層が住んでいたんだけど、80年代の中頃にヤッピーたちが家庭を持つようになって、フェアビュー地区のコンドミニアムから移り住み始めた頃からだんだんに高級化して来たと思う。おしゃれに改装された「おうち」的な家々にはきっとおしゃれな家族たちが住んでいるんだろうな。車はBMW、時計はロレックスが決まりみたいなブランド消費文化の寵児だったヤッピーたちの多くは、子供ができるとファッショナブルなエコ活動家に傾いていったような記憶がある。今のファッショナブルに過激な若いエコッピーたちはあの頃のヤッピーの子供たちなのかもしれないな。

今日行った魚屋は日本食レストランが仕入をするところで、「一般客にも売ります」というスタンスだから「魚屋」の体裁はない。頼めば新鮮な魚も売ってくれるらしいけど、大きなフリーザーがいくつも並んでいて、その日の手持ちの冷凍品がどっさり。勝手に次々と蓋を開けて、バスケットに入れたのは、ホッケの開き、アジの開き、サンマの開き、紋甲イカ、シシャモ、寿司用に開いたゆでエビ、長いタコの足、赤いトビコ、三枚おろしのサバ、スズキの粕漬け、サバの粕味噌漬け。ついでにオープンフリーザーにあったフカヒレも入れて、遠洋漁業は久しぶりに大漁だった。これでお正月過ぎまでいろいろとおいしいものを楽しめそう。次はGourmet Warehouseでも探検しに行こうかな・・・。


2010年11月~その3

2010年11月30日 | 昔語り(2006~2013)
雪やんで、マイナス5度

11月21日。日曜日。いい天気。家の外の歩道は長い方(30メートル)が南側なので、日が当たるおかげで雪かきしたのと同じ状態。人が通ってくれれば解けるのは早い。たったの5センチだから、普通に歩けないわけがないし、やれやれというところ。

今夜は満月。そうでなくても月が冴える夜は冷え込むんだけど、真夜中近くで氷点下5度。水曜日くらいまでこの寒さが続くらしい。予報では晴天か曇り。気温が上がる木曜日に雪交じりの雨。その後は普通のバンクーバーの11月。うん、この分では第1ラウンドを無事通過・・・かな。あとちょっとの辛抱。

雪かき義務の市条例に関しては、カレシは「チケットを切らせる」方針で、違反チケットを持って裁判所に行って異議申し立てをするんだとか。うん、その手はワタシも考えた。だけど、おそらく高齢者の問い合わせや抗議に慌てた市役所は「当分チケットは切らない」としきりにアピール。しばらくは「休戦」か。まあ、何かと意見が別れることの多いカレシとワタシだけど、ここは一致しての共同戦線を張って市役所と戦うことになるのかなあ。雪、また降らないかなあ・・・なんて。

2年前の「豪雪」であわてて除雪体制を整えた市役所だけど、雪が降り出したら幹線道路の除雪で手いっぱい。なのに、サイクリスト様たちが自転車専用レーンの除雪をしていないじゃないかと市役所にかみついたらしい。あのさ、サイクリスト様、自転車レーンをコンクリートの壁なんかで仕切ってしまうから、除雪トラックが入れないんだよね。ペンキで線を引いただけのところはちゃんと除雪されてたよ。ファッショナブリーにエコの市長の号令でサイクリスト様にへいこらしている市役所、自転車レーン用に別の除雪方法を考えますと来たもんだ。おいおい、よけいな費用がかかるんじゃないの?いっそ、サイクリスト様にシャベル携帯を義務付けたらどう?

仕事もうひとつ、もうあとちょっとのところ。あ~あ、メンタルの方がくたびれてきたなあ・・・。

いじめという名の毒草

11月22日。月曜日。寒いったら、もう。一日中氷点下のままで、おまけに風があって、体感温度は下がるばかり。雪が降っていないのがせめてもの何とかかなあ。急に思い出して、あわてて外の水道栓を締めたけど、だって、急に冷え込んだんだもの・・・。

仕事の進行は、今のところ予定表通り。今日からお子様プロジェクトに戻って、実験、実験。たしかに教育的には重要なことだろうけど、どうみても材料から道具まで支給されて、手順もすっかりお膳立てができていて、決まった答しか出で来ない仕組みになっているような気がする。ワタシが子供だったら、ゆとりをあげるなんて言われなくても、退屈して、窓の外の白い雲を眺めながら白日夢をうつらうつら、だろうな。自立性を育てずに創造力を育てるなんていってもねえ。高校生になっても九九ができないのはその子の個性なんかじゃなくて、ただの甘やかしの結果でしょうが。

毎日新聞の英語版に、小学6年生がいじめを受けて自殺した群馬の小学校の、学級崩壊の経緯をたどった記事があった。いじめグループは女の子たちらしいけど、他のクラスにまで攻撃を広げていたとか。いじめた相手が死んでしまって、全国に注目される騒ぎになって、そろそろ思春期を迎えるその女の子たちは今どんなことを考えているんだろうな。毎日学校で何を思っているんだろうな。家に帰って、家族とどんな話をしているんだろうな。よもや、本人はもとより親までが「自殺なんてイヤミ。そういう態度だからムカつくのよ」なんて言ってないだろうな。まさかね。

ジャパンタイムスには、「いじめ文化」の背後には母親がいるという、日本在住の外国人読者が自分の子供をデイケアに入れた時の観察をもとにした投稿が載っていた。デイケアでは子供の母親たちが「小さな社会」の中心的な役割を演じ、他人の子供の言動についてひんぱんに保育士に苦情を言うようになり、やがて小さなグループが保育士に特に一目置かれるようになって、デイケア社会の「世論」を牛耳るようになり、自分の子供が「好ましくない」子供と遊ばないようにし向ける母親たちが出て来た。デイケアをやめた頃には、日本では学校の「いじめ文化」の背後に母親の影があることが歴然として見えたという。

子供は本質的に精神的に未熟な子供。ある日突然そうしようと決めたからいじめっ子になるってわけじゃないし、そんな自主性も知恵もまだ持ち合わせていないと思う。特にサラリーマン家庭の父親は残業だ、飲み会だと家に帰る時間が短くて、子供の成長に満足にかかわっていない(らしい)日本では、母親と子供が密着して過ごす時間が異常に長いんじゃないのかな。だから、小学生や中学生の学校や家庭の外での言動には、日ごろ見聞きしている母親の言動が色濃く反映されているんじゃないかと思う。いくら学校で子供たちに命の大切さを説いて聞かせても、母親(たぶんにモンスターペアレント)の影響力には勝てないということかな。

小町横町には、人さまのことについて、その人には変えられないようなことまでも含めて、苦情、反感、嫌悪、嫉妬が毎日ずらりと並んでいるけど、読みながらよく、この人たちは子供の前でも、あるいは子供たちにも、ふだんからこんなことを言っているのかなあと思ってしまう。陰湿ないじめをする子供たちの母親はふだんから自分の子供とどんな会話をしているんだろうな。もちろん、人間としての倫理や価値観を教える賢い母親もたくさんいるわけだから、「いじめ文化の黒幕」と指差しされた類の母親たちは、子供が生まれたから「母親」というタイトルを得ただけで、一個の人間としてはあんまり真剣に生きていないのかもしれないけど、大人のやることで割を食うのはいつも子供・・・。

真夜中。マイナス5度。なんだか考えることまで冷え冷えしてきちゃった・・・。

やっと寒波が緩んできた

11月23日。火曜日。相変わらず好天で、相変わらず「厳寒」。こんなにいい天気なのに、気温は一日中マイナスのまま。でも、きのうのうちに(ドロナワ式にあわててだけど)ベッドのシーツをフランネルのものに、毛布を純毛のものに替えて、ついでにワタシのクローゼットのTシャツを長袖のものに入れ替えたから、外はマイナスでもぬくぬく・・・。

朝食を食べながら昼のニュースを見ていたら、ダウンタウンのクイーンエリザベス劇場の隣にあるプラザでドイツの伝統的な「クリスマスマーケット」がオープンしたとのこと。おお、これは何としてでも行って見なきゃ!バンクーバーにはけっこうドイツ系人口もあるんだけど、あまり目立たないのは昔の戦争のせいか。ドイツ語っぽい苗字の人はユダヤ系が多いような気がする。ワタシが知っている生粋のドイツ人はカレシの元同僚で今も親しいビルの奥さんのヘレンくらいかな。おばあちゃんを「oma」と呼ぶことを知ったのは彼女から。(ちなみにフィリピン系の義家族ができたアーニャから、タガログ語でおばあちゃんは「lola」、おじいちゃんは「lolo」だと教わった。ドイツとは関係ないから脱線・・・。)

まあ、そうだよね、あと1週間で12月。アメリカではあさって木曜日が感謝祭で、翌日は「Black Friday」と言ってオフィスががら空きになる日。ま、アメリカの感謝祭は日本のお盆みたいなもので、故郷を離れている人が帰省する習慣があるし、金曜日の夜明け前から「よ~い、ドン!」のクリスマス商戦の始まりでもある。数年前にそうと知らずにサンフランシスコに遊びに出かけて、メイシーズの入り口に「明日は午前6時30分開店」と張り紙がしてあったのにびっくりして、さらに翌日ホテルの外へ出て歩道を埋め尽くす買い物客の群れにびっくりしたっけな。まあ、ドイツ風クリスマスマーケットはクリスマス直前まで続くそうだから、今の仕事クランチを脱したら、ゆっくりと行って来よう。うん、トンネルの先に楽しみがあるのは励みになるぞ~。

今日はカレシが最後の検査に行く日。ボランティア先生の後任候補のギル君が何というかちゃらんぽらんで、当日だというのに「ボクが教えるのは今日ですよね」なんてのんびりした電話がかかって来る。カレシが留守だから、「代替の先生と手配が整っているはずですが~」と返事をしたら、「あっ、それボク。はい、行きます、行きます」だと。これで確認は2度目なんだけど、この人。年の頃30代前半。彼も、大学卒業と同時に英語教師をしながら世界を見てくるつもりで海外へ出かけて行って、ずるずると母国でのキャリア形成から遠ざかってしまった人たちのひとりなんだろうなあ。なんか「マニャーナ思考」すぎ。でも、それが数年スペインで暮らしていたせいだなんて言ったらスペインの人たちに失礼だよね。

カレシが帰って来たのは午後4時半。結局はほんとに大山鳴動何とやらで、PSA値は正常、超音波検査も膀胱に瘢痕が見つかった以外は問題なし。内視鏡検査も問題なし。最初の検査で前立腺が硬かったのは感染症の影響らしく、抗生物質のおかげで正常の硬さになっていたとか。あれこれ深刻そうな検査でカレシがパニックになるくらい脅かしておいて、どうやら慢性的な膀胱炎。まあ、ねずみ一匹ですんで何よりなのは確かだけど、ストレスは大きかったな。カレシ曰く、「だからさ、超音波検査のときに、手術したことがあるかって聞かれたのは、きっと膀胱に瘢痕があるのが見えたからだろうっていっただろ。ボクの推理どおりだったろ?」 はあ?あの、それはワタシの推理だったんだけど、デンバーのホテルで、眠れぬ夜の午前3時に・・・。

実は、カレシはときどき人が言ったことを自分で考えたようにしゃべることがある。昔は「ん?」と思って頭にきたこともあったけど、これもカレシの不思議のひとつ。どうやら、興味を持った内容だけが記憶に残って、誰がその話をしていたかと言う情報が抜け落ちる脳内配線になっているらしい。このあたりも何らかの発達障害があるんじゃないのかと疑う所以だけど、そうかもしれないと思うようになって、すかさず、ごく自然に「そうそう、ワタシ、そう言ったよね」と切り返す戦術に変えてみたら、今度はどうやらカレシの目が「は?」となって、「そうだったっけ?あ、そうだったよな、うん」となる。やや中途半端な認識だけど、夫婦の間の話だから、人格やプライドには害がなくて十くらいの利があるんだったら、どっちが考えついたことになってもいいんだけど。

真夜中。ポーチの気温はマイナス6度。まっ、「ラニーニャとは関係ない、アルバータの大寒波のとばっちり」の寒さもあさってには緩むらしいから、我が家の「冬」は一段落。やれやれ。さて、残っている仕事は2つ。合わせて原稿用紙換算で140枚分(!)。残り時間は10日か・・・。

雪こんこんになる前に

11月24日。水曜日。カレシが起き出したので、もうそんな時間かとワタシも起きたけど、ベッド脇の時計を見たら午前11時50分で、暖房が入っている時間なのになんだか寒い。かなり冷え込んだのかなと思っていたら、カレシが階段の下から、「おおい、キッチンの時計は全部9時50分だぞ。寝てる間に停電でもしたのかな」。へえ、おかしいなあ。電池の時計も同じ時間だから停電と言うことはありえない。テレビをつけたらやっぱり10時前。おかしいのは寝室の時計ってことか・・・。

そういえば、今日はシーラとヴァルが掃除に来るから、正午直前に目覚ましをセットしたんだった。ひょっとしたらそのときに手が滑って時間も進めてしまったかも・・・?まあ、家の中は薄ら寒いし、寝たのは4時過ぎだからいくらなんでも10時前は早すぎるということで、2人ともまたベッドに戻ってもうひと眠り。なぜか髪を振り乱して仕事をしている夢を見てしまった。

今日も一日中氷点下だけど、気温はちょっぴり上昇して最高でマイナス3度。昼の天気予報によると、木曜日の朝方から雪になるとのことで、ま~た「大雪注意報」。予想は5~10センチ。北海道じゃこんなの大雪のうちに入らないって笑い飛ばされるよ。気象局の説明を聞いていると、木曜日午前5時-降雪開始。午前7時-積雪5センチ程度。正午-重い湿った雪に切り替え。午後3時-気温上昇開始。午後5時雪交じりの雨。午後7時-ただの雨、という筋書きになっているんだそうで、なんだかまるでJRの時刻表みたい。だけど、名だたるJRみたいに定刻通りに運行なんてありえるのかなあ・・・。

まあでも、本格的に雪が降って、そこへ気温が上がって雨が降ると道路はめちゃくちゃな状態になってスリップ事故続出になるから、寒いけど、まだ雪が降り始めていない今夜のうちに食料の買出しをしようということになって、カレシが英語教室から帰ってくるのを待って(Hマートには間に合わないから)西の方のIGAにでかけた。切らしたミルク、オレンジジュース、野菜や果物の類をどんと買い込んで、ついでに外に山積みになっていた10キロ入りの融雪塩をひと袋買って、帰り道に酒屋によってこれも切らしていたレミを買って、さあこれで大雪対策は万全。

病気だ、ガンだ、大変だと、さんざん気をもんで(心配させて)、そうでなくても詰まった仕事でストレスになっているワタシをイライラさせてくれたカレシは、大したことじゃなかったとわかったとたんに「医者ってのはすぐに大騒ぎするからな」と、ことのほかご機嫌(といっても、ネガティブ派のカレシとしてはアップビートにネガティブといった方が近いけど)。まあ、せっかくのドイツ風クリスマス市も、オープン20分前のプロパンガス爆発事故で焼けてしまったものをドイツから取り寄せなければならないとかで、オープンは来週早々まで延期だし、仕事が目の前でどんとあるからホリデイ気分も浸透してこないし、うん、ここはカレシ猫がご機嫌でいるうちに、ワタシネズミはそれ~っとばかりに仕事チーズをがりがり、むしゃむしゃ・・・。

真夜中にあとちょっとのところで、ポーチの温度計はマイナス2.8度ぐらい。あんまり降りたくなさそうな雪空だけどなあ。

鳴かないホトトギスの言い分

11月25日。木曜日。目が覚めてみたらとっくに正午を過ぎていた。なんかぐ~っすり眠った気分だけど、それもそのはず。外はまた一面の銀世界で、まだ雪がちらほら。気温はマイナス1度で、平日だと言うのになぜかし~んとしている。ほんっとに静寂すぎる静寂で、チキンリトルだったら「世界が終わっちゃった~」とパニックを起こしそうなくらいの静けさ・・・。

二階の八角塔から見渡したら、へえ、今日は誰も歩道の雪かきをしていない。少なくとも5センチ、ひょっとしたら10センチ近く積もっているだろうに。先週の「初豪雪」の朝は見渡す限りの歩道が人ひとりが歩ける幅だけ黒々と除雪されていたのに、今日は見える限り真っ白。市が当面は罰金を取らないと言のでみんな「なあんだ」と雪かきをやめてしまったのか、夜には雨になるという予報なので、「だったらど~せ自然に消えるんだから」とお天気に任せることにしたのか、どっちにしてもおもしろい人間心理だなあ。けっさく、けっさく。

雪が降り出したのは午前3時ごろ。普通に就寝する人にとっては、起きてみたら真っ白ということになる。だけど、いくら降る、降ると宣伝したって、寝たときに降っていなければ、念のために早起きしようなんてことは考えないのが人間。早起きして予報が大ハズレだったらがっくり来るもんね。平日ならに普通に起きてみたら雪だったからと、出勤前に雪かきしていたら会社に遅刻してしまうかもしれないな。時給で働く人ならもろに給料を差っ引かれるかもしれない。出勤した時間にはまだ雪が降っていなかったのに、たとえば午前9時あたりから猛烈な雪になったらどうするんだろう。(札幌ではそういう、急に降り出したと思ったら1時間に5センチくらいのペースでどどどっと積もる「集中豪雪」がときどきあった。)だからって、雪が降ってきたので、市条例に基づく雪かき義務遂行のため帰宅します・・・なんてこと、できるわきゃないよね、きっと。早退扱いになって、ここでも賃金を差し引かれる人が出てくるかもしれない。

要するに、バンクーバー市の雪かき条例はunworkableだということ。法律を作って号令をかければ人を動かせるってもんじゃないのだ。だけど、自分たちの「高邁な発想」に人が共感して素直に動いてくれる、あるいはその「高邁な発想」の神通力で人を動かせると信じ切っている人間が増えているみたいだから、世の中は生きにくい。近視眼的な法律だの条令だのを作るのは、実は人が動いてくれないからじゃないのかな。おまえはホトトギスなんだから、鳴かないのはけしからん、何としても鳴かせてみせる、という発想かな。どうして鳴かないのかホトトギスに聞いてみようとは思いつかないんだろうな、きっと。鳴かないホトトギスには鳴かないホトトギスの言い分ってものがあるだろうに。

やっぱり、近頃の人間の思考は世界的にだんだんマニュアル化しつつあるってことかな。そのうち「教えてちゃん」や「やってちゃん」が主流になって、自分で情報を分析して考えて結論を出そうとするのは、良くして「考えすぎの疲れる人」、悪くしたら「思考異常の怖い人」なんて言われることになるかもね。(ホトトギスの鳴き声は知らないから)教科書の通りに「ホーホケキョ」と鳴けないウグイスはいったいどうすればいいんだろうな。ひとつ、「ホケッキョッキョ!」と鳴いてみようか。「それも個性だからしょうがない」受け入れてもらえるのか、あるいは、「それは正しいウグイスの鳴き方じゃないから、名前を変えるか、どこかよその森へ行って鳴け」と言われるのか、「それは条例で決められたウグイスの鳴き方ではない」と違反チケットを切られるのか・・・。

午後9時半。ポーチの気温はプラス1度。だけど、約束の雨、どうしちゃったの?

日本語と英語のすき間での悩み

11月28日。日曜日。まあ、いつのまにか日曜日になっていたという感じ。もっとも、毎日が週末で毎日が週日のような暮らしだから、日曜日でも何でもどうでもいいんだけど、とにかく2日間めちゃくちゃにがんばって、初めにファイルの終わりに書き込んでおいて「end」にたどり着いたら日曜日だった。そのしっちゃめっちゃかな2日の間に半日遅れて雨が降り出して、銀世界が元の緑と茶色の混じった風景に戻り、同業仲間の昼食会でひと息ついて、半徹夜して・・・。くたびれた、もう。

結果的に、金曜日は約10時間で土曜日は8時間、合わせて18時間で出来高は日本語原稿で原稿用紙換算約40枚ちょっとで、訳上がりにしたら約1万ワード。ふむ、本気で仕事をする気になって、ブログを書くのも、小町の井戸端を冷やかすのも控えて、しっかりねじり鉢巻を締めてかかれば、まだやれるんだよね、これくらい。やれるんだけど、対象となる読者がお子様だということで、子供のいないワタシには勝手が違うせいもあって、脳みその疲労はすごかった。中でも一番大きかったストレスは精神的なストレスだったかもしれない。同じ時期にカレシがいろいろと問題を抱えていたこともあって、仕事上のストレスのはずなのに、脳のどこかで「また地獄に落ちるぞ」という危険信号が誤作動して、仕事とは関係のないフラッシュバックを起こしていたような感じがする。何といっても、この2日で寝酒と称してレミのびんを半分近くも空けちゃったのもまずかったかもしれないなあ。

まあ、とにかくお子様プロジェクトはめでたく卒業。トータルで10万ワード近い大仕事なんてめったにないからけっこう貴重な経験にも勉強にもなったけど、またやりたいかと聞かれたら、うん、答は即「ノー」だと思う。第一にこの「ゆとり教育」ってやつ、ち~っともおもしろくない。子供たちに時間的なゆとりを与えて、その時間に好きなように想像力を使って創造的なことをやらせようというのが狙いだったんだろうとは思うけど、所詮中央のお役所の浮世離れしたお役人が考えたこと。学校では「使用説明書」を読むようなおんぶに抱っこ方式のまるで教育で、「もしも本に書いてある通りの結果が出なかった」、あるいは「もしもうまくできなかったら」どうするのかという「精神的なゆとり」はゼロに等しくて、それどころかいちいち「ちゃんと(書いてある通りにやって期待された結果を出すように)できた(よね)?」と確認してくるからうるさいったらない。ワタシにとって窮屈でたまらなかった半世紀前の教育より精神的に一段と窮屈になっているような感じ。これじゃあ、言われた通りにやって言われた通りの結果がそれでいいという考え方しか学んで来なくてもしようがないだろうな。

このプロジェクトでは、日本語と英語の間にある溝の大きさを思い知らされた。母語が何であれ、9歳と10歳、10歳と11歳では言葉遣いや語彙にはっきりした差があるんだけど、日本語の場合はその差が小さいのではないかという感じがした。なにしろ、大人が使うのと同じ単語を、まず低学年では「ひらかな」で、次に「漢字かな混じり」あるいは「ふりがな付きの漢字」で、そして高学年では「漢字」という流れで表記している。領域の性質上そうなるのかもしれないけど、英語ではそんな便利な手段がないので、基本的に読者の年令が低いほど音節や文字の数が少ない単語を使う。その点、英語は際立って語彙が豊富で類義語には不自由しない。そういってもニュアンスが違ってしまっては元も子もないから、結局は音節の多い単語になってしまって、そこだけ「読書年令」のレベルが跳ね上がってしまう。対象年齢がわかっているだけに、日本語と英語のすき間に落ち込んで、悩みは大きくなるばかり・・・。

英語は確かに語彙が豊富で、その数は百万語を超えるとも言われる。元々雑種言語みたいなものだから、類義語の数がものすごい。(シェークスピアの偉業だとも言われているけど。)日本では海外でちょっと英語生活を体験して、英語圏の人は歯に衣を着せずにモノを言うという印象を持って帰った人も多いようで、ときにはそれを日本語で実践する人までいるらしいけど、その是非論(あるいは批難)になると、英語人が日本人のように「機微」を表現できないのは英語の語彙が日本語に比べてずっと少ないからだと説明する人が出てくる。(いや、語彙が少ないのはお留学生の英語の方でしょうがと言いたいところだけど・・・。)実は、英語圏でもそういう物言いを聞き流してもらえるのは言語能力が発達途上の子供くらいなもので、いい大人がところかまわず言いたいことを思いつくままの言葉で言っていたら教育のない粗野な人間だと思われてしまいかねない。英語には日本語のような尊敬語、謙譲語、丁寧語といった、明確に区分された語彙のセットがないから、たくさんある類義語や表現法を使い分けることで尊敬や謙譲の気持を表したり、品良く振舞ったりするわけで、成長する過程でその使い分けを身に着けて来ていると言えるだろうな。

日本語の語彙が欧米語に比べてはるかに多いと思われているのは、たぶんに擬音語、擬態語、擬情語がそれだけで1冊の辞書を編纂できるほど多いからで、それを除外してしまったら、ほんとうのところは日本語の語彙はそれほど多くないんじゃないかと思うことが多い。日本語の擬音語、擬態語、擬情語はだいたいが2音を反復するパターンだけど、英語には擬音語はあっても特に擬態語、擬情語にあたる反復語はない。あっても圧倒的に幼児語で、大人の語彙でその役割をするのは特に語尾に「ly」が付く副詞ということになる。ただし、この「ly」で終わる副詞もやたらに使うと文章力がイマイチだと思われてしまうことがあるそうだから、ここにも英語なりの「レベル差」ってものがあるということなんだろう。

カレッジの短編創作講座で、先生に「lyで終わる副詞を使わずに書いてみなさい」と言われて、ウンウン言いながらストーリーを書いたことがあった。情景にしろ、感情にしろ、「何とか-ly」と副詞ひとつでごく簡単に描写できることを、別の表現で説明しようとすると相当に想像力を働かせなければならなくて、それなりの語彙が要求されるから難しい。それでも、結果はそれぞれに何となく洗練された「奥行き」のある文章になったように感じられて、全員がなるほどとうなずいたものだった。これを日本語でも、たとえば「がりがり」とか「くるくる」、「めそめそ」といった反復的な擬音語や擬態語、擬情語を別の表現に変えて書いてみたら、どんなもんだろうな。高尚な文学作品はたぶんそんな風に書いてあるだろうと思うけど、実際にやってみたら難しいかなあ。でも、おもしろいかもしれない。

まあ、日本語には日本人の、英語には英語人の、その他世界に数ある言語それぞれにはそれを使う民族の視点や考え方、感じ方、人間関係やコミュニケーションに対する価値観といったものが反映されていると思うから(その逆なのかもしれないけど)、どこそこの国の言語はああだこうだとか、どっちの方がどうだこうだと言う視点で論じられるものでもないと思う。要するに、みんな違って、みんないいから、「翻訳業」という商売が成り立って、学歴なしのワタシでも多少のぜいたくができるくらいの食い扶持を稼げるんだし、たくさんある言語の中から誰にも一番覚え易そうなのが異文化間のコミュニケーションを仲介する共通語のようなものになるんであって、それが今は英語ということだろうな。

たしかに得るところも考えることも多かったプロジェクトではあったけど、う~ん、やっぱりこういうのはもういいや。うつっぽくなってしまうくらい疲れたもん。まだ大きいのがひとつ残っているけど、こっちは少なくとも見慣れた大人語の仕事だから、話のテーマこそは大風呂敷みたいでも、あんがい楽々だったりしてね。

健康と幸せは・・・

11月29日。月曜日。雨模様。仕事にひと区切りがついたせいか、すご~くよく眠った気分で目が覚めた。でも、ヘンな夢ばっかり見ていたような気もするな。目が覚めたとたんにぶつ切りの断片イメージになってしまうのが残念だけど、毛並みの良さそうなワンちゃんとワルツ?を踊っていたり、どういうわけかイケメン風の若い男のためにうどんか何かを料理していたら、できあがらないうちにカレシが豆腐を全部食べてしまったり、しまいにお皿に煮込みうどんと一緒に炊き込み風のご飯をてんこ盛りにして、盛りきれないと慌てていたり・・・。だけど、うどんを作っているのになんで豆腐が出てくるんだろう。なんでワルツの相手が後ろ足で立ってワタシの背丈ほどもある犬なんだろう。なんで若い男がいて、隅っこでヘンなヤツがギターを爪弾いていたんだろう。そんなところでカレシはいったい何をやっていたんだろう。焼きもちのひとつでも焼いてくれればいいのに、もう食い気ばっかり・・・。

目が覚めて起き上がったとたんに、きゃ、腰が痛い。そろっと立ってみると、な~んとなく今にもギクッと行きそうな、や~な感じ。ぐっすり眠るのをsleep tightというけど、ひょっとしてタイトすぎてしまったのかなあ。よく5、6時間寝たところでふっと目が覚めて、全身の筋肉を力いっぱいぎゅ~っと引き締めて、またぐっすり眠ってしまうことがある。特に脚なんか腿からつま先まで、まるで痙攣のようになる。なんだか猫が伸びをしているような感じかなあ。で、そういうときは眠りに戻る前に胸がざわざわっとなる。なんだか大草原の草をなびかせて風が吹き抜けるような感じだけど、こっちはあんまり心地が良くない。あまりにもぐっすり眠りすぎて全身がだら~んと緩んでしまうのか、そのあたりはよくわからないけど、仕事で気が立っていて眠りが浅いときには起こらないような。

猫みたいに思いっきり伸びをしたはずみに、だいぶ昔に咳をしすぎて痛めた腰をひねったのかもしれないけど、仕事をしながら背中にヒーティングパッドを当てていたらだいたい治まったので、いつもの通りトレッドミルで普通に15分間で2キロの距離をランニング。運動というのはおもしろいもので、ある運動量に体が慣れて来ると脈拍があまり上がらなくなる。今は時速8キロで15分走った直後の脈拍は140から145で、1分かからずに120を切る。いいことなのかどうかよくわからないけど、運動も慣れすぎてしまうと効果もほどほどになるのかな。もっとスピードを上げるか、走る時間を増やすか。まあ、マラソンに挑戦しようというわけじゃないからいいんだけど。現在、身長155センチ、体重53キロ前後、基礎体温37度、朝の血圧が平均して105/65。これで正午起き、午前4時就寝の変則的生活で、たまには半徹夜をしても(脳みそ以外は)いたって元気なんだから、年の割には健康体ってことで、喜んでいいんだろうと思う。こんなんで風邪でも引いたら、鬼の霍乱だと言われそうでいけない。仕事が終わったらインフルエンザの予防注射に行っとこうかなあ。

ともあれ、この年で仕事が手一杯になるほどあって、おかげでおいしいものを食べられて、趣味三昧ののんびりした隠居暮らしの日が来るのを楽しみに夢に見ていられるのは、生きているという幸せ、自分への最高のご褒美としての幸せなんだと思う。こんなぜいたくな幸せを続く限りエンジョイするためには、やっぱり自主管理でしっかり健康維持を心がけておかないと・・・。

ストリートイングリッシュとは何ぞや

11月30日。火曜日。いやあ、よく降ったこと。数十ミリは降ったらしいけど、降ったのが雨でよかった。雪はどうやらヨーロッパの方へ行ったようだけど、ま、そのうち回りまわってまた舞い戻ってくるんだろうな。なにしろこの「地球」という惑星は軸が安定しなくて、いっつもふらふらしているそうだから。

さて、今日はカレシの英語教室の日。2週間くらい前から来ていたボランティア先生候補の人をカレシはクビにしてしまった。ボランティアだから「クビ」とは言わないだろうから、お引取り願ったというところかな。なによりもまず、少し遅れるといってクラスが終わる頃に現れたり、来るといって来なかったりのいい加減な態度で、いろいろと時間の都合をつけて教室に来る生徒たちに失礼だし、「代講」をしたときには、生徒は「全然わからなかった」といっているのにご当人は「すごくうまく行った」と自画自賛。なんだこいつ?と思い出したところへ、「推薦状を書いてくれ」と言って来たんだそうな。要するに、英語学校に就職するための「ペーパー」が欲しかっただけということが露見して、これだけは一種の使命感を持ってやっているカレシとしては「バカも休み休み言え」。だけど穏やかに「自分でボランティア教室を立ち上げて実績を作って売り込むのがもっといいだろう」と言ったら、あちらさんは逆ギレのぶっちぎれメールを送ってきたそうな。英語留学ビジネスは、お留学してくる方も、教える方も、どっちもどっちなところがあるのかもしれないな。

今週のMacLean’s誌に、東部のある移民向けの英語教室でスラングを含む「street English」を取り入れているところがあって、ESL教育界で論議を呼んでいるという記事があった。この「street English」と言うのは文字通りの「巷の英語」。つまり、教科書の「純正英語」ではなくて、普通の人が毎日の生活でごく普通に話している、いわば「日常英語」のこと。よく日本人が「日常会話には困らない」と言うときの日常英語よりも範囲がずっと広くて、社会を構成する人たちが家庭や学校、職場、ビジネス、社交その他の生活全体で毎日普通に使っている英語と言ったらいいのかな。BC州政府の3年前の調査では、移民が何よりも一番重要な優先事項だと答えたのは「みんなが話している英語を習得すること」だったとか。学校で教えられる「正しい英語」よりも、スラング表現の「正しい使い方」も含めて「カナダであたりまえの日常生活」を営んで行くための英語をマスターしたい、ひいては「永住する土地に溶け込みたい/受け入れられたい」ということだろう。純正英語ではいつまでも「外国人」のように感じるからかもしれないな。

カレシが英語教室の話をするときによくワタシの英語はどうなの?と聞いてみるけど、「キミのはスラングもボディランゲージもみんな普通のstreet English」なんだそうな。まあ、来た頃はまだ英語圏からの移民が多かったから、今みたいに移民向け無料英語教育なんて親切なサービスはなかったもんな。多少の訛りはあっても、今では訛りのない英語を話す人口の方が希少種になりつつある土地柄なので、誰も気づかないらしい。だけど、外国人相手の語学ビジネスで英語圏で暮らすために学ぶ「ESL」(第二言語としての英語)と、非英語圏に住んでいる人が学ぶ「EFL」(外国語としての英語)を区別していると言う話は聞かないし、政府が無料で移民向けに開講している英語講座も実体はEFLに近いと、たびたび代講を引き受けたカレシは言うから、たぶん英語教師を育成するプログラムもその区別をつけていないのかもしれないな。たかが英語、されど英語。それにしても、クビなった就活先生、ちゃんと就職先が見つかるかな。