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リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年10月~その1

2011年10月16日 | 昔語り(2006~2013)
がんばって仕事をした後はシンフォニー・ナイト

10月1日。土曜日。今日からもう10月かあ。今日も何となく暗いけど、雨は降っていない。まだ寝足りなくてもう少し寝ていたい気がするけど、そうもいかない。まあ、急に増えたと騒いでいた体重は元に戻ったし、相変わらずおなかが空くけど、別に気にすべきこともなさそうだから、いいか。

体重や血圧の変化は毎日まめにモニターしているけど、その日その日の変化をいちいち気にしていたら、逆にストレスで体調がおかしくなるんじゃないかと思うな。我が家の秤はキロじゃなくてポンドなので、体重は半ポンド単位で表示される。ふだんの夜と朝の差は大きくても2ポンドで、だいたいは1.5ポンド、運動をさぼりまくって1ポンド。一方で、前の朝より増えたと騒いでも、せいぜい1ポンドか1.5ポンドで、たまに2ポンド。1ポンドは約454グラムだから、体重が2ポンド増えたといっても1キロ弱。つまり、ふだんは増えたといっても500グラム前後の話。でもまあ、心理的には「1キロ増えた」も「1ポンド増えた」もぎょっとすることではあまり変わらないような気がするけどな。

今夜は通しで買ってあるバンクーバー交響楽団のコンサートシリーズの第1回目だから、ゆっくり楽しめるように、今日中に校正担当者に送っておかなければならない仕事を超特急でやっつけにかかる。でも、科学がテーマだと動植物のラテン語の「学名」がやたらと出てきて、その和名や英語名の検索がひと仕事。今どきはいろんな大学のサイトにいろんなリストがあるけど、必ずしもすべてが網羅されているわけじゃない。植物なんか世界にいったいどれだけの種類があるやら見当もつかないくらいだから、あっちでひとつ見つけ、こっちでひとつ見つけ。それにしても、「ええ?こんなすてきな花なのに、何、その名前?」なんてのがぞろぞろと出てくる。たとえば、愛好家も多いシクラメンの和名は「ブタノマンジュウ」。まあ、カタカナ書きのうちはまだいいけど、もろに漢字で「豚の饅頭」と書いたら吹き出してしまいそう。こんなかわいそうな名前をつけた人は想像力が逞しすぎたのか、それとも想像力のその字も持ち合わせていなかったのか。まさか、豚がシクラメンをむしゃむしゃ食べているのを見たからってわけじゃあ・・・ないだろうな。

仕事が間に合って、今度は超特急で夕食の支度をして、着替えをして、いざコンサートへ。去年と同じドレスサークルの最前列の真ん中の席に陣取って、いよいよコンサートシーズンの幕開け。ベルリオーズの『ラコツキーマーチ』で始まり、バイオリンのチャッド・フープスがゲストソロイストでラロの『スペイン交響曲』。まだ17歳の高校生だそうで、いかにもぽっちゃりした紅顔の坊やという感じ。(プログラムの紹介記事に「ボーイスカウトとしての活動にも熱心」と書いてあった。)でも、迫力があって、これからどんどん伸びる天才だと思うな。休憩を挟んでの第2部はリストの『メフィストワルツ』に始まって、エネスコの『ルーマニア狂詩曲第1番』。どっちもどんどんテンポが上がって打ち上げ花火のように終わる。そして、最後はラヴェルの『ボレロ』。打楽器奏者が前に出てきて、あの単調なリズムを刻んで行く。最初はソフトに、しだいに音が大きくなり、見ているとスティックを持った腕がだんだんと高くなる。ドラムの表面との距離が開いても、確実に正確にリズムを刻み続けるのはかなり難しそう。最後はジャジャーン!と盛大に花火を打ち上げて、コンサートは終わり。ブラヴォー!

なんだか元気づいた感じだから、この勢いに乗って棚上げになっていた大仕事を再開することにしよう。最終期限は来週の金曜日。間に合うかな?(明日はまた絵のワークショップだけど、ま、ストレスになるといけないから、それくらいのさぼりはいいってことにして・・・。)

ネットワーク時代の夫婦の会話

10月2日。日曜日。雨を降らすのか、降らさないのか、どっちかにして欲しいような天気。たぶん降らないだろうけど。今日はちょっと早めに起きて、久しぶりにベーコンとポテトとカレシお得意の目玉焼きで朝食。

だけど、今日のカレシは何となく機嫌がよろしくない。どっちみち廃用にするコンピュータが思うように動かない、とぶつくさ、ぶつくさ。あのさあ、老朽化してもう1年も2年も不調で、去年新しいのを買ってから「そのうち」廃棄処分と決まっていたものでしょ?それを、新しいのはネットに接続しないと言い出して、老骨に鞭打ってきたのはアナタ?ワタシが新しいのに買い替えて不要になった古いのをとりあえず使ってと言ったのに、「そのうち」と言うだけで何もアクションを起こさなかったのはアナタ。そのうち、そのうちって、自分のペースでやりたいのはわかるけど、意地っ張りもほどほどにした方がいいと思うなあ。まあ、そういうあたりがカレシの性格のおもしろいところでもあるんだけども。

ワタシの方は新しいワイヤレスのマウスとキーボードがそろって平常運転になったけど、きのうから印刷できなくなってしまった。ワタシのPCはカレシのルータを通してワイヤレスでプリンタにつながっているんだけど、なぜか接続がなくなってしまった。カレシがネットブックをつなぐのに何かやっていたから、その辺りが怪しいと思うんだけど、カレシはワタシの新しいワイヤレス機器
のせいだと思っている。そこでソニーのオリジナルのマウスとキーボードに戻してみたけど、やっぱり接続できない。しょうがないから、ワタシの古いPCにつながっていたUSBケーブルを外して新しいPCにつないて、ポートをUSBに切り替えたら、はっ、ちゃんと印刷できるじゃないの。

この点もきのうからああだこうだと半ばけんか腰。人の意見をまともに聞かないのもカレシの性格ではあるけど、ここはおもしろいなんて言っている場合じゃない。で、なんかもやもやしながらワークショップでカラーホイールに色を塗っていて、電灯がポッ。カレシが計画(!)通りに危機の入れ替えと家具の移動を実行したら、常時プリンタに接続するPCは(今までの4台から)2台になる。だったら、USBのハブとケーブルを買ってきて、2台ともUSBポートにつないでしまえばいいじゃない。帰って来てUSBで共有する方法を提案したんだけど、言葉での説明をイメージに変換できないらしいカレシのこと、ち~っともわかっていない。ワタシはUSBのケーブルを振り回しながら、この先がプリンタにつながって、こっちがハブにつながって、2台のPCがUSBケーブルでハブにつながるのっ。つまり、プリンタとPCの間にハブが入るのっ。大昔にはスイッチを使って1台のプリンタを共有したでしょうか。あのスイッチが今はハブだと思えばいいのっ。

最後にはUSBハブで接続する案を満場一致で採択したんだけど、そこでカレシが「印刷できなくなったのは、ボクがネットワークのことでTelusに電話した前?後?午前2時半くらいだったけど」といきなりあさっての方へ走るような質問。う~ん、PCを落とす前だったから後だったと思う。カレシ曰く、「あのときネットワークのセキュリティキーを変えたんだよね」。あ~あ。それって、転居先の住所を残さないでこそっと引っ越すようなものじゃないのっ。さっそく、カレシが設定したセキュリティキーを入れたら、あ~ら、魔法のごとく接続が戻って来た。プリンタのポートを切り替えて、たまたま開いていたファイルを印刷してみたら、あ~ら、ちゃんと印刷できた。初めからネットワークをいじったと言ってくれたら、ごちゃごちゃ考えずにすんだのにっ。せっかくワタシが気に入ったキーボードのせいにするなんてっ。(ソニーのはカナダ仕様らしくて、ヘンなところにフランス語用のキーがあって、邪魔っけでしょうがなかった。それに使い始めて3ヵ月でキーの文字が消え始めたし・・・。)

ひら謝りのカレシが「借りは返すから」と言うので、じゃあ長~い「お願いリスト」を作っても良いかと聞いたら、「それほどは悪かったと思ってないよ~」と。はあ。まったくもう、インターネットの時代になって、ネットワークやらワイヤレスやら、クラウドやら何やら、何でもかんでもめんどうくさい世の中になったなあ。プラグアンドプレイの時代はそんなに昔じゃないのに。。おかげで、人間関係もうっかりするとギクシャク。2人して今テクをよく理解していないと、プリンタ1台を動かすのに夫婦の仲さえうっかりするとギクシャク。まあ、うちはカレシ特製の豆サラダでなんとなく元の2人に収まったからいいけど、ワタシたちのせいじゃないよねっ?じゃあ、誰のせいなんだろうなあ。ゲイツ君のせい?ジョブス君のせい?ザッカーバーグ君のせい?ふむ、なんだかみんな他人さまの言うことはろくに聞かなさそうな連中だなあ。まあ、ワタシも人の言うことをあんまり聞かない方ではあるんだけど・・・。

国際結婚は苦労するのにとは、大きなお世話

10月3日。月曜日。目が覚めたらやっぱり暗かった。どうしてももうひと眠りしたくなってしまうのかそのせいかもしれない。昼のテレビでは、午前中に猛烈な雨だったようなことを言っていた。そういえば、先々週マイクがポンプで空にした池にワタシの膝までありそうな深さに水がたまっている。つまりは、10日。くらいの間にそれだけの雨が降ったということか。(風邪を引いていた)マイクが今週中に作業を再開すると言って来たけど、溢れないうちに壊した方がいいかもね。

きのうはプリンタの問題が一応解決したと思ったとたんに仕事がどさどさと降ってきた。棚から下ろした大きな仕事はまたちょっと棚上げ。別の仕事の「相談」もあるし、「来るものは拒まず」なんて能天気に構えていていいのかな。大仕事の期限は棚上げにならないから、このままではへたをすると徹夜になるかもしれない。このあたりの自己管理をなんとか改善しなければならないとは、まあ、いつも思ってはいるんだけど、なぜか実行に至らずじまいのワタシ。まっ、稼ぐのが好きな性分だからしょうがないか。この1、2週間の間にかなりのカナダドル安になって、その分アメリカドルで入って来る翻訳料の価値が上がるから、ここは腕をまくってひと稼ぎするか。

と言いながら、ちょこっと小町横町を歩いていたら、国際結婚する友だちを「なんでそんな苦労をわざわざ」という目で見ている人がいる。国際結婚と聞いただけで苦労すると思ってしまうのはいささか極端だと思うけど、日本人同士でも苦労する場合もあるのに、なんでわざわざ外国人と一緒になって海外まで行くのか・・・ふむ、どっちみち苦労するんだったら、同胞婚でも異人種婚でも同じことじゃないのかなと思うけど。何が苦労なのかと思ったら、言葉や文化が違う。食事も生活習慣も違う。親や友人になかなか会えなくなる。だけど、いわゆる「国際結婚」をする人はそんなことは百も承知の上でしてるんだけどな。たしかに結婚してしまってから「こんなはずじゃなかった」というケースも多いだろうけど、それはそういう違いや日本からの距離をどういう期待(イメージ?)を根拠に承知していたかによると思うけどな。

思ったとおり、「心配ご無用、うまく行ってます」という書き込みが並んでいるけど、トピックを立てたご当人は納得が行かないようで、「でも、それを差し引いたとしてもやはり、海外で非日本人と、日本人妻として暮らしていくということは目にみえない、言葉にできない苦渋や忍耐があるんだと思う」と食い下がっている。思い込みの激しそうな人だな、この人。「もうすごく大変な苦労をしています」という回答があったら、「ほ~ら、やっぱり」と安心してにっこりするんだろうな、きっと。まあ、思い込みの激しい人ほど他人の状況を「苦しいはず、つらいはず、怖いはず、痛いはず」とネガティブに感じる傾向があるように思うけど、その人の奥深くにある本能的な不安感を反映しているのかな。それで「そんなことないよ」というポジティブな返事が来ると、自分が否定されたように感じて「そんなはずはない」と相手の感覚を否定したくなるのかもしれない。

こういう人にはいくら反論しても通じないんだけど、ことさら「幸せ」を強調して自分の結婚の例を書き込む人もいるからおもしろい。特に国際結婚にまつわる相談トピックが上がって、助言も何もそっちのけで「アタシも国際結婚だけど夫は経済力があってハンサムでやさしくてお姫様扱いでもうシアワセの絶頂よっ」というような書き込みがぞろぞろ出てくると、つい天邪鬼が頭をもたげて、この人は本当はあまり幸せではないんじゃないかと思ってしまう。匿名掲示板だから、いくらでも正反対のことを書けるわけで、あんがい「アタシはシアワセなの」と自分自身に魔法をかけているのかもしれないな。誰かが、相手の国の言葉では微妙なニュアンスを表現できないから、ときにはつらいことになるのではないかと書き込んでいたけど、外国語だから難しいというのはわかるとしても、日本人を遠くから見ていると、気持の表現に限って言えば日本語と欧米語で「微妙なニュアンス」の伝達スタイルそのものに大きな違いがあるからことも関係しているんじゃないかと思うな。

まあ、他人が苦労だと思うことを苦労だと思わない人もいるし、よけいな苦労はしたくないという人もいれば、苦労を厭わないという人もいるし、ものともしない人だっている。つまり、同胞婚であれ、異人種婚であれ、苦労するかどうかは結婚してみないとわからないんだから、「わざわざ外国人と一緒になって苦労をするのか」なんて大きなお世話ってもんだと思うけど。

浦島さんを悩ませる日本語

10月4日。火曜日。なんか寝つきが悪くて、おまけによく眠れなくて、いつの間にか目覚ましが鳴り出す直前の午前11時25分。今日は少し明るいけど、起きてみたらかなりの風が吹いている。なんだか知らないけど、厳しい冬が来るという前兆だったりして・・・。

今日はまず朝食が済んだらカレシを英語教室に送り出して、午後5時が期限の仕事にとりかかる。またまた職場のもめごと。おかげで科学ものはまた棚上げ。多いなあ、セクハラにパワハラにチョンボ。ここだけなのかと思っていたけど、小町横町の巷には似たようなグチがたっくさんあるから、まあ概ね日本の都会の社会人社会のわりかし平均的な人間関係なのかもしれないとも思う。でも、こういうのは科学ものと違って、感情的なニュアンスのひだがけっこう奥深いから、何を言おうとしているかを正確に解釈するのが難しい。何しろ、解釈によって単語の選択が違って来るわけで、解釈を間違えば単語の選択も合わなくなって、場合によっては読んだ人が「すわ、裁判沙汰か?」と浮き足立ってしまう可能性もなきにしはあらずだからやっかい至極。

いつから始まったのか知らないけど、日本語の慇懃無礼化と感情の過激表現化はもう一時の「風潮」の域を抜けて、日常語として定着してしまったという感じがするな。日常の口語であるうちはワタシが困ることは何もないんだけど、それが企業の文書にちりばめられるようになると話は別。ちょっと声が大きくなっただけなのに「怒声を浴びせられた」なんて表現してあって、それをそのまますなおに「怒声を浴びせられた」と訳したら、めんどうなことになる人がたくさんでてくる可能性がある。ま、言葉は生き物だから時とともに変遷して行くのは当然だとしても、生き物だからこそそれなりにていねいに扱わないと、へたをしたらゾンビになってしまうかもしれない。言葉が豊かな命を失ったら、民族の行く末はあまり芳しいものではないと思うけど。

それにしても、だれそれの口調が「きつい」という苦情の多いこと。どうもそれが「苦痛」で体調を崩してしまう人がかなりいるらしい。チョンボしたら上の人に叱られるもんだと思うけど、たぶん叱られずに育った人たちも多いんだろうな。いっとき(今でも?)「叱らない育児」というのがもてはやされたらしいけど、先だって小町に上がっていたトピックを見て、「叱る」と「怒る」の区別がないのが問題じゃないかなと思った。少なくとも「ニュアンス」の違いがあるだろうに、どう見てもまったく同じ意味で使っているとしか考えられない。まあ、ワタシが子供だった頃も悪さをすれば「そんなことしたらあそこのおじさんに怒られるよ」なんてやられるのが普通だったような記憶があるけど、なぜ見ず知らずのおじさんが怒るのかは子供心にどうしても腑に落ちなかったな。

叱る、怒るはいいとしても、この「きつい」の訳には悩まされることが多い。今どきの日本の職場には「おっかない」上司がそんなにいるのかと思ってしまう。でも、ほとんどは受け手が「きつい」と感じて、それを苦痛だといっているんじゃないかという場合が多い。ひょっとしたら「人」の痛みがわかる子供を育てるはずが「自分」の痛みに敏感な人間を量産してしまったのかな。それとも無菌状態で育って来て一種の「感覚過敏」になっているのかな。それとも・・・。要は精神的にひ弱な人が増えたということなんだろうけど。ま、誰にもきつい言い方をされず、怒声を浴びせられず、ちょっとしたミスを責め立てられず、みんなにやさしくされて暮らせる人生の方が楽に決まっているんだろうけど・・・。

幸せな結婚を続ける妻たちの秘密とは

10月5日。水曜日。いやあ、前の夜によく眠れなかったせいもあるけど、深々と8時間たっぷり眠った感じ。今日も雨がちで、正午過ぎのポーチの温度計は10度。やれやれ、これじゃあ平年の最低気温の方に近いじゃないの。さんざん夏をお預けにしておいて、おしるし程度の夏でお茶を濁したあげくに急いで冬って、いくらなんでもそれはないんじゃないかい?まあ、今日はこもっての仕事日だからいいけど。

大きな仕事がなかなか捗らないので、編集者の期限の方にしわ寄せが行ってしまうかもしれないと思い、きのうはたくさんくっついてきた小さいファイルをガリガリとなし崩しに片付けて、やっとのことで、金曜日の夜(というか土曜日の朝7時)の期限に間に合うと見通しが立った。ただし、あまりさぼらなければの話。でも、人間心理とは無縁の内容だから、少しは順調に進むような気がするな。グチや苦情が満載で、言葉の真意まで「翻訳」しなければならない仕事はくたびれるし、こっちまでがネガティブなオーラにくらくらして来る。まあ、毎日そういう環境にいたらたしかに生きにくいだろうなとは思う。だけど、自分たちの環境なんだから、「きつい」だの「つらい」だのと言っていないで自分たちで変える努力をした方がいいのにと思う。そういう「何とかしよう」というイニシャティブを取りにくい環境なんだということもわかる。でも、だからといって「何とかして」という他力本願では良くなる確率は限りなくゼロに近いと思うんだけどなあ。

きのうから、人間関係の好き嫌いとか、ポジティブな性格とネガティブな性格、自律の人と他律の人、そういったことを何となくテーブルで向かい合うたびに話していた。わりとまじめに聞いているから、こっちも調子に乗っていろいろと考えを話すんだけど、今までだったらわざとに反対の意見を持ち出すことが多かったのに、なぜかそれがないから不思議。どうして?と思っていたら、
バスルームから出て来たカレシが手に持っていたのは今週の『Maclean’s』。表紙にでかでかと、「妻たちの秘密の人生」なんてタイトル。なあんだ、それを読んで慌てたのか・・・。

記事は結婚歴の長い妻たちが夫婦関係を維持するために夫の知らないところで何をしているかというもので、誰かが出版したばりの本が下地になっているらしい。ワタシは雑誌が届いた日に読んだけど、「一線を越えない婚外恋愛」なんて過激なものもあるかと思えば、いわゆる「女子会」のおしゃべりや自分の趣味の開拓など、要するに妻たちのガス抜き。いかに自分の空間を確立して、いくら夫婦仲が良くてもたまることは避けられない結婚生活のストレスを上手?に発散して良好な夫婦関係を続けているかという話。鍵は、前提として「夫婦の絆」があって、その結び目の中にそれぞれが自分の精神的なスペースを持つことだそうな。言うは易しの観があるけど、たしかに自分だけの精神的なスペースを持つと言うのは、結婚しているいないに関わらず、精神的に自立した人間としての不可欠な条件だと思う。

ワタシはちゃんと自分のスペースを持って、そこで短編や芝居を書いたり、絵を描いたり、即興芝居をしたりしてガス抜きをしていると思うんだけど、カレシはのっけに出てきた「一線を越えない婚外恋愛」で結婚生活にメリハリをつけている女性の話しを読んで、「こんなことされたらたまらんから、もっとあいつの話を聞いてやらにゃならんなあ」なあんて焦ってしまったのかな。自分の精神的なスペースを求めるのは、男の場合は結婚生活から逃げるためで、女の場合は結婚生活から得られないものを補うためだとも書いてあったけど、そこをちゃんと読んだの、アナタ?

明日と言う日があると信じて仕事をしよう

10月6日。木曜日。ごみ収集トラックの轟音にも目を覚まされずに良く寝ていたのに、いきなりの削岩機の音で飛び起きてしまった。午前11時20分。あ、早朝でなくてよかった。マイクから池と滝を壊しに来ると言う予告があったけど、時間を知らせてくるのを忘れていたので、寝る前に「早起きしないから、勝手にゲートハウスの壁板を外して裏庭に入って、仕事を始めてね」とメールを送ってあったんだった。

就寝が4時半だったので、早く来なくて助かった。二十歳くらいの息子を助手に連れて来ていた。もちろん削岩機でガガガッとやらされるのは息子の方。なかなか気立ての良さそうな青年だな。ハンサムだし。失業中でお金がないからということだけど、うん、今は若い人たちにはかなり厳しい状況だからね。かなりの間ガガガッとやっていたら、裏庭はまるで激甚災害地のような感じ。池と滝を作るのに使った鉄筋とコンクリートの量に今さらながらびっくり。それでも、まあ15年近い年月はあるとしても、壊すのに作ったときの倍の費用がかかる・・・。

さて、だんだんに納期が差し迫ってきて、後2日。。それなのに試算してみたらたっぷりと3日。分はある。やれやれ、我ながらどうするつもりなんだろうな。とにかく、ひたすら仕事、1日。中ひたすら仕事。くたびれるなあ。えらい先生たちが書いたんだろうに、なんで肝心要の情報を抜かすんだろうなあ。雲の上の象牙の塔のえらいセンセたちだから、いちいち俗人にもわかるように細かに書かないのかなあ。(あんがい、書けなかったりして・・・。)ああ、おなかが空くなあ。この分ではまだストレス太りだなあ。だけど、がんばらなくちゃ。マイクが次は連休明けの火曜日と言うので、今夜はきっと半徹夜だ・・・。

それでうまく期限に間に合って仕事を終わらせられたら、連休。カナダは感謝祭の三連休。日本も(何の日だっけ?)三連休。(ついでにアメリカも三連休。)なんか世の中が静かそうで、クライアントのオフィスはみんな休みだから、ひょっとしたら納品が1日。遅れても誰も気にしないかもしれないな。現実的には編集者氏の納期が平日だから、そうも行かないんだけど。だから、がんばるしかない。この年ではやっぱり少々疲れるな。「今日が人生最後の日だと思って生きなさい」と言ったアップルのスティーブ・ジョブスは60才に手が届かないうちに死んでしまった。ワタシは63歳と半年。だけど、まだジョブスの1万分の一も生きてないような気がするなあ・・・。

足もとを見れば、冷蔵庫はすでにほぼ空っぽの状態で、ミルクはなくなったし、コーヒーも切らしたし、カレシのサラダ野菜もワタシの付け合せ野菜も乏しくなったから、時間があろうがなかろうが、明日は食料の買出しに行かなくちゃならない。せっかくの感謝祭の連休だから、食べ甲斐のありそうな鴨を一羽丸ごと買って来ようか。うん、どんなに仕事が忙しくても、どんなに神聖なる納期が迫っていても、食べることだけは、食べる楽しみだけは棚上げしたくないもんね。

よ~し、老骨をやさしくマッサージしながら、まだ明日があると信じて、がんばろうっと・・・。

ひたすら仕事した後の達成感は爽快だけ

10月8日。土曜日。正午をかなり過ぎてからぼけ~っと目を覚ました。そっか、仕事、終わったんだっけ。頭がぼけ~っとして、今日はなあんにもしたくない気分。ゆうべ(というか、けさにあたるんだけど)は就寝が午前5時半近く。その前の夜も午前5時で、カレシが「徹夜するよりは少しでも寝て早起きした方が楽だろう」と午前10時半に(頼んでなかったのに)起こしてくれた。頭がぼけ~っとするはずだなあ・・・。

ゆうべは、仕事を完了したのが午前4時ちょっと過ぎ。昼前から初めて、わき目も振らずに仕事したおかげで、期限に2時間以上の余裕で納品。正味の作業時間は11時間くらいか。1990年代だったらこれがワタシの平常の勤務時間で、週7日。やっていたけど、最近はその半分が普通だから、めったになく興奮して、終わったとたんに「イエ~ィ!」と、カレシとをハイファイヴ。うん、こういう「やったぁ」感は病みつきになりそうな魔力がある。もっと日本時間では三連休の土曜日の夜中に近い時間だし、編集者にとっても深夜だから、少々の遅れは次の工程に影響しないんだけど、期限は期限。同意した納期を外すのはプロの沽券に関わるから、ひたすらがんばることになる。それでも夕食の前に大きいファイルの完了時間の目処が立ったので、夕食後にそれっと食料の買出しに出かけた。何しろ、冷蔵庫はほぼ空っぽの様相で、牛乳もコーヒーもシリア
ルもオレンジジュースもない。野菜も底をついたし、ランチの食材もないし、おまけに寝酒のレミもないから夜を越せない・・・。

大量に仕入れて来た魚のトレイの山と体重2.8キロの鴨を冷蔵庫に突っ込んでおいて、ささっとランチをして、仕事を再開。ひたすらキーを叩いて、大きいのは午前3時半の完了。仕上がりの語数は約1万語で、日本語の文字数から(ワタシの平均45%を掛けて)想定していた語数よりもかなり多い。どうりで、やってもやっても終わりが見えてこなかったはずだな。なにしろ、目的語や先行詞に当たるものがあちこちで抜け落ちていて、(ワタシにもわかったから)たぶん日本語としてはちゃんと通じるんだろうけど、どっこい英語ではそうは行かないから、元原稿にない語を補ってやらなければならない。超高学歴なんだから、もうちょっと理路整然とした文章を書いてくれた良さそうなもんだと思うけどなあ。最近の日本では「空気」をコミュニケーションの手段として使うという話は聞いていたけど、その空気を翻訳しなければならなくなるなんて思ってもみな
かったな。あ~あ、頭痛がして来そう・・・。

というわけで、きのうの今日。起きてみたけど、何をする気にもならない。思いつきで買って来た牛のすね肉とマッシュルーム、にんにく、玉ねぎをスロークッカーに入れて、赤ワインをたっぷり入れて、スイッチをオンにしたら今日の「晩ごはん」のしたくは終了。魚のトレイを外して冷凍用のバッグに入れて、フリーザーに放り込んだ以外は、午後いっぱいをダラダラと過ごして、夕食
のしたくはインゲンを蒸すだけ。なんちゃってブールギニョン風ビーフシチューはかなり良くできていた。(前の夜にセットしておけばもっと良さそう。)食後にカレシはテレビの前のリクライナーで、ワタシはベースメントの小部屋のソファで、それぞれ撃沈。どうやらあまり久しぶりにビーフを食べたので、びっくりした胃袋が消化作業にエネルギーを総動員したせいらしい。消化しやす
い魚ばかり食べているせいもあるだろうけど、この頃はビーフのような赤身の肉が胃にとってはかなりの重労働に感じられるようになった。ま、加齢現象ということも考えられるけど・・・。

さて、今日は感謝祭の三連休の初日。まあ、ヘンな時間に2人揃って居眠りをしてしまったから、また夜更かしになるんだろうな。それでは、小町横町にでも散歩に行って、いつもにぎわっている井戸端会議場ではどんな議論が戦わされているのか、ちょっとばかりのぞいて来ようっと。

神様が2つの耳を授けてくれたわけ

10月9日。日曜日。起床午後12時半。日が差していた。久しぶりに良く寝た気分。やっぱり徹底的に神経を集中して仕事をした後は、消耗したエネルギーを補充するのに丸1日。はかかるということかな。だから、どんなに元気だと思っていても、どんなに精神的に必要だったとしても、そういうことを週7日。のペースで10年もやっていたら、誰だって燃え尽きてしまいそう。人間は生き物であって、使い捨ての乾電池で動くもんじゃないんだから。「昨日も終電、今日も始発でその元気・・・一体いつ休んでいるの?」とか何とか言うのは日本の新聞サイトを見るたびに出て来る強壮剤?の広告だけど、覚せい剤でもやらないと無理ってもんじゃないの?

でもまあ、今回はなんだか心身ともにすご~く疲れた感じがする。この道に入って最初の10年はカレシがまだ在職中だったので、ワタシは朝から夕方までひとり家でひたすら仕事。今は引退したカレシが寝ても覚めてもそばにいる。仕事のないときや忙しくないときはそれでも別にストレスにはならないけど、カレシの存在を無視して仕事に没頭しなければならない状態になると、カレシはまったく口笛になっていない「口笛」をいつまでもヒューヒューとやるから、そうでなくても何を言いたいのかわからない日本語の解釈に神経をすり減らしているワタシはイライラ。ひたすら無視を決め込んでいないとフラッシュバックが起きそうなので、必死で画面を睨むけど、ストレス度は上昇する一方。三つ子の魂の例えの通り、幼児期の強い見捨てられ不安は70に手の届く年になってもまだ無意識に頭をもたげてくるらしい。

だけど、塩辛い口笛はまだいい方で、本質的にネガティブ思考のカレシは、テレビを見ても、雑誌を読んでも、ラジオを聞いても、ワタシと話をしても詰まる所は愚痴とダメ出し。仕事で頭がカリカリしているときにそれをやられると、ワタシはストレスの極みになる。ワタシは宇宙はすべてダイコトミーだと信じているから、人間も生まれつきポジティブな性格の人とネガティブな性格の人がいると思っているけど、人間関係をややこしくするのはたぶんネガティブな性格の強い人たちの方ではないかと思う。ポジティブな人は誰についてもマイペースでポジティブに流せることが多いのに対して、ネガティブな人はポジティブな人を見ると、何につけても愚痴と批判とあら捜しで気を滅入らせて、ネガティブに転向させようとする傾向があるように思う。そうしないと自分のエネルギーを吸い取られそうに感じるのかもしれないけど、ポジティブな人にムカつくからと言って、じゃあネガティブな人となら相性がいいのかというと、相手以上にネガティブになろうとして疲れてしまう人が多いらしいから不思議。

振り返ってみたら、カレシは昔からネガティブな傾向が強くて、仕事の愚痴、上司の愚痴、組織の愚痴、制度の愚痴。だけど、人が愚痴を言うのは大嫌い。まあ、このあたりは亡くなったパパにそっくりで、血は争えないというところかな。ワタシがカナダに来て働き始めて間もない頃はやはり戸惑うことがあって、帰って来て愚痴ることもあったけど、カレシの反応は「やられたらやり返して来い」と取り付く島もなかった。でも、あの頃にワタシの愚痴を聞いてやさしく慰めてくれていたらたぶん今のワタシはないと思うから、人生はまさに塞翁が馬。そうやって突っ放して来たワタシが強くなりすぎた(カナダ化しすぎた)と怒って、「正しい日本人女性」に矯正しようとしたわけだけど、ワタシをまたひと回り強くしただけだったのは皮肉と言えば皮肉。(実はポジティブで芯の強いしっかり者の女性こそ「正しい大和撫子」じゃないかと思うんだけど、それじゃあちっともカワイクない・・・のかな?)

それでも、仕事に徹底集中しているとき、エネルギーを出し切って疲れているときに、延々とグチグチやられると、さすがの極楽とんぼもイラ~ッと来る。それで、きのうはつい言ってしまった。「ネガティブな人って文句ばっかり多いけど、自分では何もしないよねえ」と。カレシは一瞬ぎょっとしたような顔をしたけど、今日はまたテレビを相手にダメを出しまくって、文句たらたら。まっ、それがワタシのカレシなんで、親じゃないワタシにはカレシを変えることはできないから、ここは、一方の耳から入って、ニュートリノみたいにすうっと脳みそを通り抜けて、もう一方の耳からサヨナラ~という「聞き流し作戦」で行くことにしよう。神さまはそのために2つの耳を授けてくれたんだから。でも、ヨブの忍耐の境地にはまだまだ遠い・・・。

雨の日の感謝祭は鴨づくし

10月10日。月曜日。かなりよく眠って正午に起きたら、雨模様。今日は三連休最後の日で感謝祭。朝食が済むや否や、冷蔵庫でゆっくり解凍してあった鴨を出してきて、解体にとりかかる。最近は何だか鴨も図体が大きくなって来たような感じで、胸の脂肪もかなり分厚い。何を食べさせているのか知らないけど、そのうちガチョウと変わらない大きさになったりして・・・。

まず余分な脂肪の脂肪の塊を切り取ってから、背骨の両側をキッチンばさみで切って鴨を開き、ひっくり返して胸の軟骨を切って、左右2つに分ける。これを前(胸)と後ろ(足)にそれぞれ切り分け、次に手羽を切り離して、最後にナイフで肋骨を剥がす。所要時間は15分。手馴れたもんだなあと我ながら感心・・・。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(鴨の即製レバーパテ)
 かぼちゃのスープ、サツマイモのチップ
 鴨のバロティーヌ、ブロッコリーニ添え
 鴨のオレンジ煮、温野菜添え

[写真] 鴨や七面鳥を丸ごと買うと、おなかの中に別の袋に入れたレバーや砂肝が入って来る。いつもは使わずに捨ててしまうんだけど、思い立ってレバーで即製パテを作ってみることにした。玉ねぎとにんにくをバターで炒めたところにレバーを入れて、さっと火が通る程度に焼いてから、(フードプロセッサには少なすぎるので)チョッパーでペーストにした。塩と胡椒で味をつけて、カレシが庭から採ってきたタイムとブランディ少々を加えただけの簡単なもの。別のコースのためにスライスしてローストしたナスが1枚余ったので、パセリを巻いてちょこっと彩り。パテと言うよりはムースに近い食感だった。

[写真] 感謝祭と言えば、デザートはパンプキンパイということになっているけど、我が家はスープ。薄いチキンストックで玉ねぎとポルチーニきのこと隠し味のしょうがを煮て、ピューレにしてからクリームを少々。冷蔵庫の野菜入れの底にあった残り物のサツマイモをスライスして、さっとオリーブ油を塗ったのをトースターオーブンでカリカリになるまで焼いてみた。シナモンをさっと振って、できあがり。かぼちゃの半分でも鍋いっぱいにできたので、残りは明日のランチ・・・。

[写真] 胸肉がかなり大きめだったので、皮を取り除いた1枚を左右に開いて、ナスを巻き込んだバロティーヌ。げんこつで叩いて平均に伸ばして、タイムと刻みパセリを散らし、そこに縦にスライスしてローストしてあったナスを2枚。しばし考えて、トマトペーストとトリュフ入りのきのこのペーストを載せてロールアップ。たこ糸で縛ったのを、フライパンでころころと転がしながら焼いて、輪切りにしたら、あら、けっこう見栄えがするような。付け合せは最近気に入っているブロッコリーニ(たぶん、若いブロッコリ)で、これは三重の花丸かな。

[写真] メインはもう1枚の胸肉。これは半分に切り分けて、解体直後からスロークッカーで煮ていたもの。フランスの鴨料理と言えばオレンジソースのロースト。そこで、ポットに玉ねぎ少々とにんにく、鴨を入れて、オレンジジュースとたっぷりのグランマルニエを注いで、上にタイムを茎ごと2、3本。「高」にセットして、週末前にねじ込まれた小さな仕事を片付け、煮えている間に他のコースの下ごしらえや調理。結局、5時間ちょっとかけたことになる。ポットのソースにとろみを付けて、蒸したニンジンとインゲン、それと残ったナスとマッシュルームのソテーを付け合せ。かなり柔らかくなって、オレンジの味がしみた鴨のオレンジ煮も花丸だった。


何しろ鳥が図体が大きいから、胸肉だけでおなかいっぱい。残った足は冷凍しておいて、そのうちコンフィを作ろう。そのために捨てずに取っておいた厚さが1センチはありそうな脂肪がついた皮や手羽から、脂を煮出して、精製しておかないと。ワタシって、フランスの田舎のおかみさんになれるカモ・・・?

英語の生兵法もけっこう危ない

10月11日。火曜日。朝方にかなりの雨が降っていた模様。カレシの英語教室ダブルヘッダーの日だから、セットしておいた目覚ましの3分前に目が覚めて、即起床。空が明るくなって来そうな感じがしないでもないけど、湿っぽい。まあ、バンクーバーの10月ってこんなもんだけど。カレシにガレージから出されて路上駐車したままになっていたエコーが雨に洗われてきれいになっていた。(買って6年でまだ1回しか洗ってもらったことがない・・・。)

カレシを送り出して、ワタシはモールまで早足散歩。気温は摂氏10度で、薄手のフリースを着て出たら、暑くて汗びっしょり。銀行へ行ってシーラに払うお金を出して、サロンへ行ってカットとハイライトの予約を入れ、最後は郵便局。しばらく行っていなかったので、私書箱が溢れて郵便は保管ルーム行きになっていた。どさっと渡されたのは99%がカタログ。隅では赤ちゃんのパスポート写真を撮ってもらっている若夫婦がいて、首がぐらついて天井を見てしまう赤ちゃんの顔をおっかなびっくりの手つきでカメラに向けようとするパパと赤ちゃんの注意を引こうとするママ。中国語らしかったから、移民カップルにカナダ国籍の二世が誕生したんだろうな。パスポートは記念かな。それとも、母国にいる親に孫を見せに行くのかな。ほほえましい光景に芯までほっこりと和んだ気分・・・。

仕事を始める前にメールをチェックしたら、インドから財務系翻訳者募集のメール。長期契約を希望なんて書いてあって、レートはいくらだ、財務系はやったことがあるか、時間単位、1日。単位の処理語数はいくらだ、作業ペースはどのくらいだといろいろとうるさい。さては午前6時に電話をして来てボイスメールに(インド訛りが強すぎて)よくわからないメッセージを残して行ったご仁だな。聞いたこともない会社なのに、ワタシが引き受けることをOKしたかのような口調だけど、インド発の翻訳仕事は日英でもやってらんねぇ~と言うくらいに安いのが普通だから、ワタシの標準レートを言ったら吹っかけなくても退散してくれるかな。それにしても、国際電話をかけるならこっちが何時なのかぐらい考えなかったのかな。そもそも国際ビジネスを標榜するなら、時差を念頭に置いとくのって常識じゃないの?

ぽちぽちと仕事をしながら、ぽちぽちと小町をのぞいては細切れにさぼる。英語で「Would you like more coffee?」と聞かれて、もういらないというときにはどう答えたら良いのかというトピックがあって、「No, thanks」は素っ気ないから「No, thank you」にしろとか、「No, I had enough」がいいとか、いろいろな案が並ぶうちに、「No, I’m good」と言うというのが出て来て、こっちで是非論が盛り上がっていた。いったいどこでそういう「タメ口」表現を教えているんだろうな。いや、学校で教える英語じゃないと思うから、アメリカのテレビドラマなどから覚えて来るんだろう。「学卒者」の集まりでも使われるから、普通の表現だと言う人もいる。若い人に、「How are you?」と聞くと「I’m good」と返って来る。日本語の「ら抜き」と同じで、口語表現としてだいぶ定着して来てはいるけど、年を食った世代にはかなりの違和感がある。たぶん、日本で「ら抜き言葉」が聞かれるようになった頃に年寄り世代が感じたような、ムズムズする違和感に近いと思う。

たしかに、言葉はどこの何であれ、時代の変化や世代交代に連れて変化し続ける生き物なんだけど、ワタシでさえ「I’m good」は何だかなあと感じる。日ごろ聞く言葉だから使わないわけではない。カレシとの会話ではI’m fineというべきところをわざとI’m goodとやることも多い。つまり、タメ口表現だとわかっているからそうい使い方をするんだけど、外国人として北米に住んで、英語が外国語のままの人たちが、たぶん本当の「生きた」英語の知識がない人たちに、あたかもそれが「正しい」用法であるかのように教えるのは何だかなあと思う。生半可な知識は怖いもの知らずで、それをひけらかしたい欲求はもっと怖いもの知らず。

カレシにその話をしていて思い出したのが、何年か前にダウンタウンで目撃した場面。おそらく日本人で、英語のしゃべり方からしてワーキングホリディか語学留学生と推察できる20代くらいの女性が、数人の白人男性とかなり大きな声で(英語で)談笑していた。まあ、そんな光景は語学学校がごまんとあるバンクーバーでは日常茶飯事なんだけど、その脇を通り過ぎたとたんに、彼女が甲高い声で「It was f**king good」。反射的にあっけらかんとカワイさ満開の彼女を振り返ってしまったけど、最近は抵抗感が薄れつつあるとはいえ、この「Fワード」は卑猥な言葉であることには変わりはない。(ワタシもかってカレシと大げんかを繰り返していたときは怒り心頭に達したときに自然に口を突いて出てきた。)

生半可な知識ほど怖いものはないけど、言葉は生半可でなくても怖い。英語は微妙なニュアンスを表現できないと言う「都市伝説」は誰が広めたのか知らないけど、英語人だって人間だからぼかしたいこともあるし、はっきり言いにくいこともある。心の機微を伝えられるのは日本語の専売特許ではないんだけど、どこかで「英語はストレートな言語」と教わって来るのかな、あんがい日本語の方が心の機微の表現が難しいような気がすることが多いけど、それはそういう「心の機微」を、英語では言葉や表情、ボディランゲージを総動員して表現するのに対して、日本語では言葉や表情を使わずに表現すると言う、まったく違う方法をとるからだろうと思う。おもしろいのは、気持や意図を「察してもらう」という狙いに関しては、日本語も英語も同じだということかな。

ま、ワタシの勝手な想像でしかないけど、日本語には擬音語、擬態語、擬情語という、いたって手軽に感情を表現できる語彙が多いし、特に豊富な語彙がなくても気持を察してもらえるようにできているけど、英語の場合は語彙が足りないと微妙な気持を十分に表現できず、結果として相手に正しく推察してもらえないことも多い。(このあたりで「言葉の壁」に阻まれたと英語や英語人に八つ当たりする人が出て来たりするけど、実はまだ「語彙不足の壁」であることが多いんじゃないのかな。)だから、「欧米ではストレートにものを言う」と思い込んでいる人たちは誤解されやすい場面もあるんじゃないかと思うな。カレシの今夜のレッスンのテーマは「will」と「might」の違いだったそうだけど、「will」はストレートに「意図」と解釈できても、「might」の場合は話し手の「気持」が込められている。これにボディランゲージや声のトーンでさらにニュアンスを微妙に
することもできるわけで、このあたりを通り過ぎたところで、本当の意味での「言葉の壁」を感じるようになるんじゃないかと思うな。

まあ、昔から「生兵法は怪我の元」というけど、生兵法のうちほど他人を相手に試してみたり、見せびらかしたりしたくなるのも人間の虚栄心のうちなんで、こればかりは・・・。

座るか、座らぬか、それが問題なの?

10月12日。水曜日。今日は外が明るい。天気予報ではしばらく晴れがちの日が続くという話。でも、この冬もラニーニャだそうで、バンクーバーのあたりは去年は長期予報が外れてそれほど寒くなかったけど、今年は平年より5度くらい低く、氷点下に下がる日も多いらしい。平年並みなら最低気温でもだいたいはプラスなんだけど、ときたまマイナス10度なんて猛烈な寒波が来ることがある。山脈の向こう側に居座った高気圧が北極の寒気を山のこっち側に溢れさせるもので、1週間とか2週間とかまとめて来るのが特徴。1970年代の終わりから80年代の初めにかけては11月、80年代の終わりは2月に来ていたような記憶がある。

そういう寒波のある朝の通勤途中、もこもこのイアマフをしていたのに、はみ出していた耳たぶの先っぽが凍傷になって、後で瘡蓋になって取れたことがあった。ビルの間を入り江から吹き上げて来る風は体感温度がマイナス30度くらいだったらしい。生まれも育ちも北海道の誇り高き「どさんこ」で、寒波襲来でしばれるときはマイナス30度以下になる厳寒の地に住んだこともあるんだから、長い厳しい冬は平気のはずなんだけど、「朝は山でスキー、午後は山を下りてゴルフ(またはセーリング)」という桃源郷バンクーバーに36年も住んでいると鈍ってしまうんだろうな。(曇り空と雨が1ヵ月続いても平気だけど。)まあ、寒波はいいとしても、オリンピックの前の冬のように、大雪と寒波が一緒に来て1ヵ月以上も居座られるのはごめんだなあ。

オフィスの掃除が終わるのを待って、メールをチェックしてから新聞サイトめぐり。地元新聞に、バンクーバーのあるレストランのオーナーが男女共用のトイレに「立ちション禁止」のステッカーを貼ったら(↓)、あっという間にツイッターやら何やらとメディアに広がったという記事があった。[写真]

冗談のつもりだったそうだけど、一気に話題になって、レストランは押すな押すなの大繁盛らしい。ステッカーは、お客が「話のタネ」に持って行くのか、それとも(たぶん女性客が)自分の家のバスルームに貼るつもりなのか、何度も剥がされてなくなったというからおかしい。あまりげらげら笑っていたもので、カレシが何事かとのぞきに来て、「Stupid(アホか)」とむすっとひと言。まあ、記事に対するコメントも大勢はもちろん「アホか」だし、それがたいていの男の反応だろうと思うけど、女性からと思しき賛成意見があったり、「フェミニストの陰謀だ」と言うのがあったりで、レストラン同様に大賑わい。

思わず、新聞社に「ある調査によると、日本では半数近い男性が座ってしている」と教えてあげようかと思ったけど、、だいぶ前に小町のこのテーマのトピックで「アメリカ在住夫人」が、自分の家でも(アメリカ人)夫にそうさせているし、「お邪魔したアメリカ人のお宅のバスルームにもそういうお願いがあったので、アメリカ人も座ってするのが普通ですよ~」と喜々として書き込んでいたのを思い出して、今さら「日本では~」はないもんだと思ってやめた。北米では夫がトイレの便座を上げっ放しにしていたという妻の苦情が夫婦げんかの原因のひとつだそうだから、「座ってやって」という妻の要求に従う夫がいたって不思議はないだろうな。でも、たぶんコンマ以下何位という少数派だろうと思う。そうでなかったら、このレストランの「立ちション禁止」ステッカーはほとんど話題にはならなかったはずだもの。

そういえば、ヘンなところで欧米より一歩先を行っている観のある日本では、男性が座る代わりに床にひざまずいてできるようにと「専用クッション」を発売したメーカーがあると、在日外国人の英語サイトにそのイラストが投稿されていたのを思い出した。そのメーカーは真面目だったようだけど、いかにもマンガチックなカワイイっぽい男性の(けっこう赤裸々な)イラストだったもので、笑ってしまった。(女性に心遣いのできる日本のダンナ様方、笑ってごめんなさい!)

座るか、座らぬか・・・。はて、21世紀の世の男性諸氏にとっては避けて通れない由々しき問題になるのか。ま、ワタシにはど~でもいい些末なことのように思えるけど、結婚前に話し合っておくべき重大問題だと思う女性たちもいるだろうな。ふむ・・・。

日本語様も英語ではすっきりとすっぴん様

10月13日。木曜日。いつもより1時間ほど早めにベッドに入って、突然の削岩機の音で目が覚めたのは午前10時10分。予告どおり、マイクと息子のキャメロンが到着して、さっさと作業を開始。しばらくはぐずぐず、うとうとしてみたけど、やっぱり削岩機の轟音には勝てないから、11時前に起床。まあ、期限は明日の夕方だけども今日中に仕上げて納品しておきたい仕事があるから、早起きも悪くない。うん、いい作業日和だぞ・・・。

口腔病理学の専門家のところから、土曜日の予約確認の電話。これで2度目。何度も電話をかけて、ホールドされて、かけ直しさせられて、やっと取った予約なんだけど、それを2度も確認して来たのはどういうことなんだ。思うに、歯科医からの依頼による「「鑑定」だからか医療保険の対象外らしく、「240ドルかかります」としつこく言われた。つまり、費用を聞いて考え直して、そのまますっぽかしてしまう人がけっこういるんだろうな。カレシが「2人でちょっといいレストランで食事ができる額」というけど、何も問題がなければ「安心料」だと思えばいいし、もしガンが見つかっても早期発見、早期治療で命拾いできたら安い「発見料」。ただし、薬の処方箋を出す場合は保険でカバーされるらしい。自分で見たところでは潰瘍らしいものは見えないし、いつもヒリヒリするわけじゃないから、やっぱり歯に欠陥があると思うんだけどなあ。

削岩機の音を聞きながら仕事。防音性のかなり高い家なので、家の中の、特に半地下のオフィスにいる限りはそれほどの騒音には聞こえないけど、一歩外に出るとかなりすごい轟音。おまけにコンクリートの埃がもうもう。さぞかし近所迷惑だろうな。これが日本だったら、きっと「挨拶がなかった、非常識」と糾弾されるんだろうと思う。でも、深夜のどんちゃかパーティと違って昼間の作業だし、コンドミニアムと違って一戸建てだから、別に誰も近所に挨拶して回ることはない。市の騒音防止条例で認められている時間帯を過ぎても騒音を出していると間違いなく苦情が出るけど、日中は「修理か改装をやってるんだろうな」と推測しておしまい。働いている人がいるわけだし。もっとも、我が家のご近所には隣のパットのような「横丁の消息通」がいるから、みんなうちの裏庭で何をやっているのかわかっているんじゃないのかな。

仕事はまあ簡単と言えば簡単なんだけど、すんごいバカていねい文。ひとつのセンテンスに「~していただく」が3回も出てくるかと思えば、「ご○○様」の連呼。で、その流れで読んで行ったら、「ご担当者」には「様」がついていなかったもので、つんのめってしまった。下っ端の担当者には「様」は分不相応だから「ご」だけで十分ってことなのかな。たぶん、文書を作成した人はそれが今どきのビジネス文書だと思って、深く考えずに「様」や「ご」をつけさせて「いただいて」いるんだろうとは思うけど、それでも、こうあまりにもバカていねいだと、やっぱり首筋や鼻の奥やお尻までがムズムズと痒くなって来る。東京のホテルでテレビをつけたら、バラエティ番組か何かで耳障りな「様」のことを話題にしていた。その例と言うのがあまりにも強烈な印象だったので、今でも覚えている。ある店の贈答用品のカウンターでのこと・・・。

「こちらにご注文主様のお名前様とご住所様、お電話番号様をご記入いただきます。お電話番号様はご携帯番号様でもかまいません。次にこちらの方にご記入いただきますのは、お受取人様のお名前様と、ご配達先様のご住所様とお電話番号様になります。お名前様とご住所様にはお振り仮名様を・・・」。

ひょっとして、「接客マニュアル」様にそのように応対させていただく・・・と書いてあったりして。そういえば、料理のレシピは総じて「~して、いただく」だな。もう食べるのはやめたのかと思ってしまうけど、昔のNHKの「今日の料理」では白いエプロン姿の講師が「~して、いただくとおいしいですよ~」とか言っていた。でも、今のレシピは、材料を「~してあげて」、「うまっ」とか「うまうま~」とか言う形容語をつけた上で、最後に「いただく」ことになっているらしく、そのちぐはぐな味付けがおもしろいけど、材料「様」が登場したら、おもしろがっていられないかも。

ま、仕事、仕事。この原稿、いくら「ご」だの「御」だの「様」だのをつけまくっても、英語になったらすっぴんの素っ裸なんだけどなあ(語数稼ぎにはならないし・・・)。

おうちがだんだん遠くなるのは良いことなのか?

10月14日。金曜日。午前11時に目覚ましをセットしておいたのに、カレシが10時前に起き出してしまったもので、ワタシもとうとう10時過ぎに起きてしまった。今日はカレシの証券取引委員会時代のOB会があって、カレシは行きたくないと言いながら行くと返事をして、そのくせまだ行きたくないと言っている。行けないと言えば良かったのにと言ったら、「金曜日しか空いてないと言ったら、金曜日に変更してくれてしまったので、今さら行けないと言えないじゃないか」だと。やれやれ、初めから「今回は行けない」と言えば済んだことなのに。だけどまあ、自分は「ノー」と言わないで相手に「ノー」と察してもらおうなんて、アナタって昔からそういう「察してちゃん」的なところがあったよねえ。そっか、人の気持にはわりと鈍感なのも「察してちゃん」だからなのかな。

ブロードウェイの近くのレストランに集まるの11時45分なので当然昼食会だから、朝食抜きで一緒に行って、ワタシは買い物がてらWhole Foodsのデリで何か食べるつもりでいたんだけど、あまりにも早く起きてしまったもので普通に朝食。ゆっくり出かけて行って、Whole Foodsの地下駐車場に車を入れて、カレシに「行ってらっしゃい」。ワタシは道路を渡ってHome Depotへ。カレシがオフィスの反対側にあるコンピュータをデスクごと移動して来たときに、壁のコンセントとデスクの間のコードを躓かないように床に固定するテープを買う。んっとに「やってちゃん」だから世話が焼ける。ついでに照明のコーナーで100ワット相当の「デイライト」タイプの渦巻き蛍光灯を買い、そばの「新製品」のLED電球をじっくりと研究。けっこう明るいし、dimmerという明るさを変えられるスイッチにも対応しているらしい。これで100ワット相当のがあったらすぐにでも買うんだけどな。

買い物を車のトランクに置いて、今度はWhole Foods。まずはお気に入りの量り売りのシリアルを1キロぐらい買い、それから魚。端の方から、オヒョウの切り身とぶつ切り、ヒラメ、シーバス、アヒまぐろ、ホタテ、最後に剝きエビ(小さいshrimp)。今日の夕食にするカニケーキを買って、フリーザーからは魚バーガーをサケ、マグロ、マヒマヒの3種。寝酒のおつまみ用にとスモークサーモンのパテまで買ってしまった。それからのんびりと衝動買いモードでいたら、カレシから「終わった。今、どこだ~?」と電話。カレシが現れるまでに何品か買い込んで、今日の買い物はおしまい。まだ午後3時にもなっていないのに、道路はラッシュアワーのような混み様。金曜日だし、天気もいいことだし、ということで早じまいする人が多いんだろうな。そんなんでも国の経済はけっこううまく回っているようだから、早帰りしても別にいいんだけど。

帰って来て、納品するだけにしてあった仕事を送ったら、入れ替わりに何やら大きな仕事の引き合い。日本は土曜日だというのに、納品した方はコーディネータさんが出勤しているようだし、引き合いの方は別のコーディネータさんが自宅からメールをチェックしているらしい。まあ、日本からのメールの送信時刻を見ると終業時間をとっくに過ぎていることが多い。金曜日の夜だったりするから、「もう週末なのにまだお仕事ですか~?」と声をかけると、「まだ帰れないんです~」という返事が返ってくる。クライアント企業でみんな帰れないでいるから、そこから仕事を請ける小さい企業もみんな帰れない。まあ、ほんとに「帰れない」のか、何らかの理由で「帰らない」のか、そこのところはよくわからないけど、「おうちがだんだん遠くなる」。

夏の間はかなり静かな方だった仕事戦線がここへ来て急にざわざわと騒がしくなって来た感じがするなあ。節電の夏が終わって、企業が一斉にそれっとビジネスに精を出し始めたのかな。まあ、冷蔵庫もフリーザーもいっぱいになったから、ワタシも腕まくりして仕事に精を出すかな。そうしたら、カレシの方は今度は「かまってちゃん」になりそうだけど・・・。

ガンではないと思っていたけど

10月15日。土曜日。今日もちょっと早起き(午前11時30分)。医者に行くのはもったいないようないい天気。バスルームに行って、鏡に向かって舌をべろんと出してみたけど、今日はまるで治ってしまったような感じで、意識するとな~んとなく「ひりひり」が残っているかなという程度。よく観察してみたら、横にポチッとあったちいさな白い点もなくなっている。こんなのガンであるはずがない。なんか240ドル払うのがもったいないような・・・。

極楽とんぼのワタシは初めから「念のために」見てもらうということでのんきにしていたんだけど、カレシはずっと何となくそわそわした感じで、「舌の調子はどう?」と毎日1回は聞いて来るから、しまいに答えるのがめんどうになって「ほらっ」と舌をべろん。ワタシとしては「もしかしたらガンかも?」というのはこれが3度目で、両親ともガンで亡くしているので心配すべきなのかもしれないけど、ガンだったら手術なり何なりで治療すればいいやと思っているところがある。最初の卵巣のときは父がガンで他界した直後だったのでさすがに暗澹としたけど、結局はチョコレート嚢腫。2度目は下顎の歯根の間にビー玉のような腫瘍ができたときで、ガンの疑いよりも、放置すると骨が溶かされて顎が壊れると言われた方がショックだった。これも結局はただの嚢腫で、どちらも手術であっさり解決。まあ、ワタシには守護天使がついているから、ガンだろうがモラ族だろうが戦えるだけとことん戦って、弓矢も兵糧も尽きたら後は神様におまかせする、と言うのが基本方針なんだけど、う~ん、やっぱり極楽とんぼなのか・・・?

朝食を済ませたら、きちんと歯を磨いて、カレシが運転手でブロードウェイのイン先生のオフィスに向かう。今日からウォール街で始まった「Occupy Wall Street」がバンクーバーにも広がったので、行く先がダウンタウンでなくて良かった。少し離れた「制限2時間」の道路に車を止めて、オフィスまで歩いて行く途中で「天体望遠鏡」の専門店に遭遇。ドアのガラス越しに覗いてみたら、小さな店だけど大小の望遠鏡がずらり。まさにセレンディピティ。きっといいことがある予感・・・。イン先生(Dr. Ng)はまだ40歳前後の穏やかな物言いの先生。中国語訛りだけど、ひと言ずつゆっくりと発音してくれる。ワタシの話を聞いて、舌を観察して、赤外線か何かを当てて特殊なデジタルカメラで写真を撮って、カメラの裏の画像を見せてくれた。「普通の光だとわからないけど、ほら、ここの暗く見えるところね、これが炎症を起こしているところ。皮膚のカブレのようなもので、ガンではないし、前ガン状態でもないから心配はないよ。」。

ほ~っ。やっぱり「ガンではない」と言われると、ふうっと安堵のため息が出るなあ。イン先生曰く、「長引くようだったら消炎剤のクリームで治療する方法があるけど、あまり効果は上がらない」。ええ?舌にクリームを塗るって、どうやって保持するのかなあ。すぐに唾液で流されて飲み込んでしまわないのかなあ。まあ、消炎クリームは最後の手段で、とりあえず「まめに歯のクリーニングをしてもらうこと」だそうな。あはは、ばれちゃったか。最低でも年に1回、できれば2回は歯医者へ行ってクリーニングしてもらうべきなんだけど、ワタシはさぼってばかり。あ~あ、2万円近いお金を払って、歯のメインテナンスをさぼっているから「もしかしたら?!」ということになるんだと言われてしまった。エレベーターを待っているときにカレシに報告したらガハハ~ッと大笑い。でも、すごくほっとしたような顔で笑っていた。

車に戻る途中で望遠鏡の店に寄り道。反射鏡、屈折鏡、大きいの、小さいの。若い頃の昔に屈折鏡で土星を見るのにトラッキングを手動で微調整して、まるで空飛ぶ円盤を追いかけているようだったと若いお兄ちゃん店員に話したら、あまりにも原始的な話だったらしく目を丸くしたからおかしかった。今はコンピュータでトラッキングできるそうだけど、座標だの何だのを設定するのはめんどくさそうな感じ。ワタシは青と黄色のアルビレオや青いプレイアデスを見たいだけなんだけど。でも、カレシが少し調べて一番良いと思うのを見つけて取り寄せてもらえというし、お兄ちゃんは「メーカーは多くないのでたいていのモデルを取り寄せられますから~」と誘惑するし、うん、ガンじゃなかったので長生きするから、引退後の趣味に絶対に欲しい、天体望遠鏡!


2011年9月~その3

2011年09月30日 | 昔語り(2006~2013)
他人の秘密はばらしたくなるもので・・・

9月21日。水曜日。目覚ましがピーコ、ピーコ。午前9時。目は覚めたけど、ぐずぐずしていたら、ピピピピ。(こっちの目覚ましは小さいくせにうるさいなあ・・・。)あ、今日はマイクが池を壊しに来る日だったんだ。建設業の1日。はだいたい午前7時に始まる。家の改装工事だと、途中で材木屋などに寄ってその日の作業に必要な資材を仕入れたりすると、現場到着は8時ごろということになる。ワタシたちにとっては丑三つ時ということで、マイクとしては大いに譲歩して「午前9時以降」。それで、今日は午前9時に起床ということになった。(実際にマイクが現れたのは11時に近かったけど・・・。)

狭い庭に重機を持ち込むのに、2メートル以上ある生垣のシーダーを何本も掘り起こしたり、内側の塀の一部を壊したりするのは大きな手間がかかるし、市の歩道を傷めるリスクもあるということで、マイクは人力でやるのが一番効率的で安上がりと判断したとのこと。重機をトラックから下ろして車道から歩道に上げるときにコンクリートの縁石が欠けたり、舗装にひびが入ったりすると、市の土木部から修理費の請求が来る。これはワタシたちも家の新築工事のときに歩道のコンクリートが割れて、今の価値にしたら10万円を超えるくらいの修理代を取られたことがある。(自然にひび割れた歩道はなかなか修理しないのに、こういうときは迅速すぎるくらい迅速なのがお役所・・・。)

今日は人工の岩壁を一ヵ所だけカレシの希望で装飾的に残すことになっていて、その周りを崩す作業。元々鉄筋で全体のフレームを作って、金網を被せた上にコンクリート流してから、左官用のこててかなり自然な「岩場の滝」を成形してあるから、中は大部分が空洞。ちょっと肥満気味のマイクが「いい運動だよ」と言いながら大ハンマーをふるって、ガンガンと壊して行く。元々大工としてこの道に入って、(我が家の新築から付き合いの)ケンが会社を売って引退したのを機に独立したので、自宅のオフィスに座っていると体がうずうずして来るんだそうな。小型でも重機のレンタルは高いから、使わずに済めば客にはコストの節約になっていいし、裏庭へのアクセスはゲートハウスの裏庭側の板壁を剥がすだけで済むし、夜の間は合板を打ち付けて塞いでおけば、早朝から作業に来ても剥がせばいいだけなので、ワタシたちも早起きをしないで済む。もっとも来週は削岩機を持って来るそうだから、果たして寝ていられるかなあ・・・。

早く起きすぎたので、なんだか仕事のテンポがつかめないから、しばらくはさぼりモード。新聞サイトを見ていたら、九州のどこかの町の役場の管理職が自分のブログに職場の女性の容姿について実名で悪口を書いたり、役場の発令前の人事異動を公表したり、はては職務上のメールまで公開したりして懲戒処分になったという記事があった。思わず先日エアフォース・ワンのフライトプランなどを公表しいていた羽田の航空管制官のことが頭に浮かんだ。羽田の管制官も自分のポジションでなければ手に入らない特殊な情報を航空マニア仲間に見せびらかしたかったんだろうと思う。役場のオジさんの場合は「読む人が喜ぶ内容にした」そうなんだけど、人の容姿の悪口は喜ばれるという認識だったのかな。あんがいどっちもアクセスやランキングがブログの目的になってしまっているのかもしれない。

役場のオジさんは46歳、航空管制官は50代だった。男の人生で大人の責任感を最も重く感じるはずの年代のオジさんたち、何だってこうもたがが緩いんだろう。おまけに自分の立場さえ目に入らないらしい極度の視野狭窄症と来ている。そういう人が、ちょっと注目される(と思っている)職業だったり、部外者には知りえない情報に触れる職場にいたりすると、つい「ど~や、すごいだろ」と言ってみたくなることはあるだろうな。(勝手に管制室のツアーを企画した人たちも同じ心理だったんだろうと思う。)そこんところはワタシも部外者立入禁止の職場で「TOP SECRET(極秘)」、「CONFIDENTIAL(部外秘)」とスタンプを押してある警察情報を扱う仕事をしたことがあるからわかるんだけど、上から守れと命じられる「ヒミツ」には、なんともくすぐったくて、体中がかゆくなるところがあるから厄介。何となく「レアもの」を持っているという気分になって、意識していなくても「コレクター心理」が働いて、人に見せて羨ましがられたい誘惑に駆られやすい。

もっとも、そういう悪気がないというか、あっけらかんと他人のプライバシー侵害をするブロガーは年代や人種や国を問わずたくさんいると思う。ソーシャルメディアの隆盛で、深く考えずに情報を垂れ流す風潮になって来たし、匿名掲示板などでは、自分と他人の境界がわかっていない人が増えているな感じもする。まあ、ひと口にブログと言ってもテーマや目的は千差万別だけど、日本語のブログに断然多いといわれる個人の「日記」ブログでは、自分のことを書いているつもりでも、孤島で暮らしているのでもなければ、家族、友人、知己、知らない人といった人たちも記事に登場することになる。距離感の違いに関わらず、軽い気持で悪口や愚痴を書こうものなら、「中傷だ」、「プライバシー侵害だ」と非難されて、ブログは炎上、友情は断絶、悪くすれば名誉毀損で訴えられかねない。特に狭小な海外の日本人村では、ちょっとした描写で「あの人だ」とわかる可能性は高いと思う。

他人に関する情報がネガティブであれば、なおさら大胆になる傾向があるのは、スキャンダルをすっぱ抜く特ダネ記者の心理なのかな。まあ、匿名だから何を書いても「自分」だとはわかるまいという安心感のようなものがあるのかもしれない。人をほめない文化というのもあるかもしれない。書かれる方が(書き手にとって)非常識で不快なんだから、批判されるのは自業自得だという意識もどこかにないとは言えないだろうな。そういうところには、「注目される」ことしか眼中にない役場のオジさんよりも怖い悪意が潜んでいるように思う。でも、ブログは閲覧を制限していない限りは不特定多数の目に触れるわけで、悪口を書かれた人が「自分のことだ」と気づいて、逆襲してくる危険もあると思うんだけどな。ま、人の口に戸は立てられないというから、自分の口の戸締りを心がけよう・・・。

出たり入ったりの忙しい日だったけど

9月22日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。早起きの予定が入るたびにいちいち時刻をセットするのがめんどうで、ベッド脇においてある時計はカレシの英語教室がある毎週火曜日に合わせて「午前11時30分」にジジジジ。旅行用の小さい時計はその日の予定に合わせてピーコ、ピーコ。だけど、独身時代から数えて何十年もの勤め人生活では目覚まし時計で起きるのが普通だったはずなのに、いったん目が覚めた時に起きる生活が身についてしまったら、目覚ましで起こされるのがおっくうでしょうがない。ま、人は易きに流れるもんだから・・・。

今日は、カレシが午後1時にヘアカットの予約で、ワタシが午後5時20分に歯医者の予約。午後は仕事になりそうにないから、カレシにくっついてモールへ。途中で別れて、ワタシはベイが新しいクレジットカードと一緒に送ってきた割引クーポンで買いたいものが頭にないままの「浮遊」ショッピング。めったにいかない二階売り場に上がったら、どうやら婦人靴のセール。ちょこっと見てみるけど、元よりワタシの足に合うサイズはない。それにしてもまあ、最近のヒールの高いこと!となりが「おちびサイズ」の売り場なので、何となく見ているうちに目を留めたのがポンチョ風デザインのおしゃれな黒いTシャツ。Vの字にカットが入った首まわりと袖から裾までの縁取りが真っ赤な刺繍で、胸の辺りには点々と光もの。79ドルは高いと思ったけど、ここで25%オフのクーポンを使用。となりの(ベイの)ディスカウントショップの家庭用品の棚を見ていたら、2人分を料理するのにぴったりのサイズのスロークッカー。ま、13ドルに15%オフのクーポンを出してもあまり得していないような気もするけど、鴨のコンフィを作るのに便利そうだから・・・。

カレシと青果屋で落ち合って野菜を買い足し。カレシはヘアドレッサーのアントニオから前からの約束だったイチジクの苗をもらってご機嫌。庭に植えてから3年くらいすると甘いイチジクの実がなるんだとか。スーパーでも青果屋でもイチジクは季節限定で地元では栽培されていないし、日持ちが悪いらしくていつも目玉が飛び出るほど高い。そのまま食べてよし、ジャムにしてよし、肉や魚のソースにしてもよし。桃栗3年というけど、早く実をつけるようになるのが待ち遠しいなあ。

歯医者の予約がなぜか午後5時20分という変則的な時間。実は右下の臼歯のオーバーレイに傷でもできたのか、この2、3週間ほど舌の横が荒れてひりひりしていたので、念のために見てもらうことになっていた。見るだけだから時間はかからないだろうということで、カレシがタクシーサービスをしてくれることになって、ラッシュの中をウー先生のところへひとっ走り。中国系の若いウー先生、まずオーバーレイを調べて「歯は問題なし。舌を出して」。ワタシの舌はけっこう短めだから、そんなにべろっと出てこない。ガーゼに包んで引っ張り出して、右にひねり、左にひねり。「う~ん、赤くなっているところがあるし、ちょっと白っぽいかな」ということで、口腔病理学の専門医に見てもらうことになった。「念のためにね」って、舌ガンの兆候がないか診てもらうってことでしょと言ったら、「心配なさそうだけど、念のためにね」と。ところが、紹介状をもらって帰って来たら、ひりひり感がほとんど気にならなくなって、このまま治ってしまいそうな感じ。ゲンキンだなあ、ワタシ。ま、診てもらって得はしても損はないから、予約は取っておこう。

ヘンな時間にヘンなお出かけをしたから、夕食はいつもより1時間以上の遅れ。そこでささっとできてしまう非常食ということで刺身。マグロはビンナガ、サケにハマチ。大根を桂剝きにして、残った芯は真ん中を刳り出して、昆布出汁でさっと茹でて冷ましたのにイクラを載せてカイワレで飾ってメインコースはできあがり。松茸であっさりした澄まし汁。ほんのちょっぴり柚子の汁を落としたら、これがすごくおいしい。ご飯はほのかに青竹の香りがする緑色の竹香米。

帰り着くなり、カレシが「腹減ったあ。何でもいいから早く~」と騒いでいたのが、30分ちょっとで非常食が一転してごちそう風になった。冷蔵庫に残っていたオレゴン州の濁り酒を出してきて、ご満足のカレシは「Good(うまい)」の連発。(日本のテレビのうまいもの番組にタレントとして売り込んであげようか・・・。)さて、今夜のランチは太短いとうもろこしにしようね。雨が降る季節になって、今年はもうこれで新鮮な地物はおしまいかな。

秋の初日、原始平成のハイテクが生きていた

9月23日。金曜日。3日。ぶりに目覚ましをかけなかったら、正午過ぎまで寝てしまった。それでもまだ眠いから困るなあ。やっぱり季節の変わり目というのは何となく生理的にもスイッチの切り替えに迷うときなんだろうか。今日23日。は秋分の日で、公式の「秋初日」。ゆうべテレビの天気予報で「明日から秋の初日が始まります」と言っているのを聞いて、カレシが「で、いつ終わるの?」と突っ込んで、「んったく、近頃の英語は乱れとる」とご隠居グチ。たしかに、「明日は秋の初日です」という方が正しいんだけど・・・。

今年の初めからずっとカナダドル高が続いていたのが、きのうあたりから一転してカナダドル安。アメリカドルで収入を得ているために実質的な賃金カットになっていたワタシとしては願ってもない状況で、さっそくアメリカドル建ての口座からまとまった資金を移動。もう少し下がったらさらに残りの半分くらいはカナダドルに振り替えようともくろみ中。別にFX投資をやっているわけじゃないから、アメリカドルでもらってそのままアメリカドルで使う分には為替相場なんかどうでもいいんだけど、カナダで生活しているからカナダドルに変換しなければならない。そこで、カナダドル高になると、たとえば1000ドルの報酬が950ドルにしかならず、逆にカナダドル安になると、同じ1000ドルが1050ドルになる。(その分申告する所得の額が増えて、税金も増えることになるけど・・・。)

あさってから始まる近くのカレッジの「アクリル画手法ワークショップ」で必要な画材のリストが先週の初めにメールで来ていたのをすっかり忘れていて、あわてて印刷。こまごまと2ページもある。まず最初は絵の具。指定の色は7つ。同じ「色」でも暖色系と寒色系があるし、同じ温度でも顔料の成分によって色合いがが違う。さっそく絵の具箱を開けて点検したら、厳密に足りないのは2色だけど、指定のLightの代わりにMiddleがあるから、とりあえずそれで間に合わせられるかも。後は絵筆もナイフも揃っているし、まっさらのカンバスもある。「コ」の字のオフィスの反対側で何年も資料やカタログの山に占領されてきたワタシの小さな「スタジオ」、久しぶりに芸術の秋の花が咲くかな。へたの横好き流の「お絵かき」にはスタイルも何もあったもんじゃないから、さて、どんなインスピレーションがわいて、どんな絵ができあがるか・・・。

カレシが裏庭のコンクリートの塊や土を前庭に移動している間に、ワタシは仕事を始める。まとめてフォルダに入れてどんと来たファイルのうちで一番大きいやつ。文字数を原稿用紙に換算したらざっと45枚になるから、4日。はかかりそうなんだけど、動植物の名前が続々と出てくる。辞典はたくさんあるし、ググれば見つかるだろうけど、なんだかめんどう・・・と思案していて、90年代の半ばに日本で買って来た電子辞書で『科学技術用語大辞典』というのを使っていたのを思い出した。検索は漢字変換なしの原始的なものだけど、動植物や魚類、鉱物の名前がけっこう入っていた。問題は肝心のキカイが動くかどうか。何しろ15年も前のハイテクは今や博物館の陳列物にしかならない。それでも、キカイに真新しい電池を入れて、探し出した辞典のディスク(MDというサイズ)を入れて、うんともすんとも言わないのをリセットしたりなんだりとあちこちをいじっていたら、おおっ、動いた。ガタガタ、ジイジイといかにも古ぼけた音がするけど、まだ使えるではないか。

それにしても、15年前はこのキカイを使って、「世の中、便利になったもんだなあ」とシアワセな気分で仕事をしていたんだなあ。オンライン辞書もグーグルもない時代だったから、何でも屋翻訳業のワタシは、日本へ行くたびに紙の辞書と一緒にCD-ROMの辞書を買い漁っていた。あの頃は円が高かったから、すごい「設備投資」になったけど、今になってこのキカイ(ソニーのData Discmanというやつ)を見ていると、これだって平成の産物だというのにほんっとに原始的で、なんだか感動すらわいて来るような・・・。

道具の価値は使いようで決まる?

9月24日。土曜日。明るいな、けっこう。先に起きていたカレシが「うへ、蒸し暑いぞ~」と。そうか、インディアンサマーというやつね。とっくに夏の乾燥期は過ぎているから、気温が上がるとそんなに暑くなくても体感温度は5、6度高くなる。今日みたいに昼過ぎに20度まで行っていると、ほんとに蒸し暑い。

朝食の後、おととい買って来たスロークッカーに鴨の足のコンフィをセットして、画材屋のOpusにでかける。ここで買い揃えて学生番号を提示すると10%割引になる。昔いつも行っていたのはグランヴィルアイランドの美術学校の向かいにある店だけど、今はダウンタウン外れの老舗デパート跡地にも支店ができているらしい。どっちも地下鉄の駅から歩いて行ける範囲。乗ってからあれこれ考えて、グランヴィルアイランドの行き慣れた店に行くことに。オリンピックヴィレッジ駅で降りて西へてくてく。初期の都市再開発でできたコンドミニアムやタウンハウスとフォルスクリークの間にスタンレー公園から延々と続く遊歩道/サイクリングロードがあって、油の匂いが混じった海風に吹かれながら歩くのは気持がいい。港町育ちにはなつかしい「香り」・・・。

うろ覚えにどこかの掲示板に地下鉄駅から徒歩30分で行けると言う投稿があったので、地下鉄の駅まで15分、駅から駅まで10分弱、そこから徒歩30分はまあまあかと思っていたら、投稿者の足が遅すぎるのか、ワタシの足が速すぎるのかわからないけど、地下鉄を降りて20分でアイランドのコミュニティセンターの裏に着いてしまった。いや、便利になったもんだオリンピックの前だったら、バスで(そんな距離でもないのに)途中で乗り継いで1時間半はかかったから、これなら天気のいい日にはカレシを誘い出して、運動がてらの買い物に来られそうだな。自動車は個々の目的には便利だけど、便利すぎてしまうと逆に不便なことが多くなる。特に車が増えすぎた都会ではどんどん不便になるという皮肉な現象も起きる。

目指すOpusはコミュニティセンターからすぐのところ。いつもながらごちゃごちゃと乱雑な感じの店で、手持ちがなかった絵の具やら、(必要ないのに)新しい絵筆やら、2Bから8B の鉛筆のセットやら、画用紙やら、あれやこれやを買い込んで、学生割引10%でしめて130ドル。書く方の講座なら罫線を引いたパッドだけで済むけど、美術系はちゃんとした材料を買うと高いなよあ。カレッジから送られて来たリストには「20本セット20ドルの絵筆は買わないこと」、「学童用の絵の具は買わないこと」なんてこまごまと注意書きがある。まあ経験から言って、「弘法、筆を選ばず」という通り、道具の良し悪しを問わなくてもいいのは、どんな劣悪な道具でも使いこなせる技量を持ったプロであることはたしかで、初心者こそ初心者向けよりもちょっと上のレベルの道具で始めた方が無難なような気がするな。もっとも、初心者が「道具」そのものに凝ってしまっては本末転倒もいいところだと思うけど。

トートバッグがずっしり重くなった帰り道はストレートに大通りまで出て駅まで一直線。くねくねと曲がる遊歩道と違ってまっすぐだから時間を短縮できるかと思ったら、反対の南側にしか歩道がない。結局のところ、駅までの所要時間は20分。時間的にほぼ同じだったら、対岸のダウンタウンの風景を眺めながら、(時たまおバカなサイクリストにヒヤリとさせられるけど)海風に吹かれて遊歩道を歩く方がずっと楽しめる。それに、車で来ると駐車スペースを探すのがけっこう大変なので、めんどうくさがりのカレシは初めからアイランドの外の何ブロックも離れたところに駐車して10分くらい歩くことが多い。帰りの地下鉄の中であれやこれやと「分析」して、グランヴィルアイランドへは地下鉄と徒歩が最も効率的である、と結論・・・。

帰ってきたら鴨の足がちょうどいい頃合になっていて、後はつけ合せの野菜を洗って、切って蒸すだけ。お出かけして、帰ってきたら夕食のメインができているなんて、こんないいことはないな。衝動買いした名もないブランドのたった13ドル(約千円)のいかにも安っぽそうなスロークッカーだけど、ふむ、かなり役に立ちそうな感じがする。つまりは、選んでも選ばなくても、しょせん道具の価値は使いようで決まるってことなのか・・・。

へただからこそ楽しめるへたの横好き

9月25日。日曜日。正午に目覚ましが鳴って起床。だって、アクリル画のワークショップ第1日。目だから寝坊して遅刻したら嫌だもの。起きてみたらかなりの風が吹いていて、しかも雨。困るなあ、持っていく荷物がどさっとあるのに・・・。

午後1時を過ぎて、ちょっと本格的な雨になって来たので、ゆうべ2つのバッグに詰めてあった物を全部出して、ジッパーが着いている大きなトートバッグに移した。これならぬれなくて済みそうだけど、絵の具箱は重いし、ジェッソだのバーニッシュだのメディアムだのと半液体のものが多くて、そこへカンバスやらパレットやら何やらと入れたら、いやっ、重~い。感謝祭のメタボ七面鳥よりも重いから、10キロ近くはあるだろうな。これを担いで雨の中をよろよろと行くのか・・・と、何となくため息をついていたら、カレシが車が外に置きっぱなしだから送ってあげるといってくれた。学校と言っても、我が家からカレッジA棟の南側にある教室まではせいぜい300メートルという近さなんだけど、トートバッグをよっこらしょと肩にかけると、うう、重いなあ。

生徒はワタシを含めて6人。男性2人、女性4人。アジア人が3人で、白人が3人。教室の後ろにあるイーゼルをそれぞれに持って来て、アトキンソン先生のテーブルを囲むように配置したテーブルに道具を並べて、筆洗に水を入れて、準備完了。各自の自己紹介から始まる。ワタシのとなりはイギリス訛りのあるウェンディ。職業は映画撮影のマイクの操作監督。バンクーバーはハリウッドの映画やテレビ番組の撮影が多いから、そういう珍しい仕事もあるんだな。フリーランスの自営ということで意気投合。ひと回りしたところで、半分が初めてということでまずは道具の簡単な説明。その後で、とりあえず描き始めようということになって、先生が貝殻を3個ずつ配って回る。深く考えずに見えるがままを描きなさい。(考えずにと言われても・・・。)所要時間は5分。ええっ、5分!?

それ~っと5分で描き上げたのが、これ↓[写真]

題して「3つの貝殻」。縦にしても横にしても貝殻には見えっこないなあ。みんなのはスタイルこそ違ってもちゃんと貝殻に見えるのに、ワタシのはカラフルな渦巻き。でも、先生の評は「貝殻の特徴を良く捉えている」。あはは、ワタシは渦巻きを描くのが好きなの。というよりは、実は具象画が大の苦手。だから、デッサンもかなり苦手。たまにはやるけど、目に見える通りには描けないから、中学の美術の時間にやらされた胸像のデッサンなんか似ても似つかない人物の顔になっていた。(これでも小学校時代は子供絵画展みたいなのに何度か入選したんだけどなあ。)色彩だって、寒色、暖色の見分けが何となくつく程度で、補色、反対色といったことはまだよく理解できていないから、適当に絵の具を混ぜてみて、気に入った色を使っているようなところがある。このあたりは極楽とんぼ亭のシェフの流儀に似ているな(あたりまえだけど)。だから、もう少
し基本的な知識やテクニックを学ぼうということなんだけど、さて・・・。

カレシが「モデルになってあげてもいいよ」と言うけど、やめておいた方が良さそうな。ピカソの絵のようになってしまうかもしれないよ。ひょっとしたら、昔のロバート・レッドフォードの写真を見ながら描いたら、あんがいカレシの肖像のように見えるかもしれないな(まさか)。ま、ワタシのスタイルはあくまでも門前の小僧が覚えたお経をラップで唱えてみるようなもので、絵の具だらけになるのが気分がスカッとしてすごく楽しい。そこそこに才能があればまともな作品ができるだろうけど、他人にああだこうだと批評されることが多くなる。だけど、へた過ぎればみんな唖然として何も言わない(言えない?)から、せっかくの自己満足に水を差されることがない。つまり、へたはへたなりの流儀でやればいいのが、「へたの横好き派」に属する極楽とんぼ流画道の楽しさなんであって、だからやめられないんだなあ、もう。

結婚しないうちに馬脚を現す花嫁さん

9月26日。月曜日。目が覚めたら、ベッドルームは暗くて寒い。そろそろ毛布を取り替えなければ、なんてつらつら考えながら起きてみたら、嵐だ。雨はじゃあじゃあ降っているし、風もすごい。これがやがて来る「雨期」の前兆じゃないといいけどと思いつつ、テレビの天気予報を見たら、どうやらこの嵐、日本方面からやって来たらしい。東京の上を通り過ぎて北海道の沖まで行った台風ロケ(15号)のお流れがここまで来てしまったということか。遠いところをわざわざ・・・。

いつものことでジンクスのようになっているんだけど、なぜか少し余暇ができたかと思って趣味に乗り出すと仕事がどさどさと降って来る。ちんたらやっていて少々遅れ気味になりそうな大仕事をまだ余裕はあるしぃ~とよけいにちんたらやっていたら、閉店間際の駆け込み仕事やら、割増料金つきの特急仕事やら、来るのかどうかあてのない引き合いやら・・・。おまけにニューヨークの会社から法律関係の翻訳者募集のコールがあって、つい「OK」と返事を出したら4ページもある登録用紙を送ってきた。大学はどこだ、専攻は何だと何かこまごまと質問があるけど、1日。当たりの処理語数を聞いてもレートのことは何も書いていない。おまけにワタシの仕事内容を問い合わせたいから取引先を最低2つだと・・・おいおい、トライアルをやればいいだろうに。ワタシはどの取引先にも他にどこと取引しているかは教えない方針。ふむ、こういうところはめんどうなこと多いから、どうしたもんかなあ。やめとこうか・・・。

法律や会計の分野の日英訳は、やる人が足りないのかどうか知らないけど、不景気になっても何の資格もないワタシのところにけっこう仕事が回ってくる。まあ、証券や金融と違って、法律も会計も専門家は「士」がつくから、本業に精を出す方がずっと実入りがいい。弁護士も会計士も1時間何百ドルと請求して年収何十万ドルだけど、翻訳業はその足許にも遠く及ばない。だから、翻訳が好きで副業としてやっている人の方が多いのかもしれない。小町などでよく「翻訳の勉強をしたいが、どの分野がいいか」なんて能天気な質問が出るけど、この稼業、教育歴や職業経験の有無がけっこうものを言うから、「翻訳をやるなら○○の分野がいいよ」なんて答は出てこないと思うんだけど、どの分野が「一番仕事が多くて実入りがいいか」という基準でアドバイスが寄せられる。まあ、得意不得意、向き不向きを考えずに「○○は高収入だから」と大学の専攻分野を決める人もいるわけで、生活の糧を稼ぐんだからそれはそれでいいとは思うけど。

だけど、世の中、やっぱりお金がものさしなんだなあと思う。小町にも最近は男性からの彼女や妻に関わる「お金」の相談トピックが増えている。小町には「男性発」というタブがあって、女性の上げるトピックがつまらなくなって来たので、男性の相談事を集中的に見たら、これが実におもしろい。色恋沙汰は相変わらずだけど、彼女・婚約者とお金のことでもめて相談しているトピックがけっこう多い。親が資産家だとわかったとたんに慎ましかった彼女が豹変したり、、逆に親の遺産を相続しないことにしたら彼女に婚約解消を言い出されたり。何というか、二十一世紀の金色夜叉たちの婚活攻勢に戸惑っている男たちの悲鳴が聞こえて来そうな感じで、今どきの日本の独身男性って、ほんとにかわいそうだな。

それにしても、いざ結婚することになってからお金でギクシャクするカップルが多いな。そういうところを付き合っている間に話し合って、価値観が合うことを確認したからプロポーズしたんだろうになあ。どうやら女性たちの猫かぶりの方が一枚上手だったということなんだろうか。たいていは「結婚前に彼女の本性がわかって良かった。別れなさい」のアドバイスがずらりと並ぶ。たし
かに悩める花婿のお相手にはお金に目が眩んでいるとしか思えない手合いが多いけど、そこで不思議なのは、どうしてそういう動機を正式に結婚する前に露呈して元も子もなくしてしまうのかというところ。セレブ奥様の自分を想像して気が緩むのか、あるいはひょんなことから裕福な暮らしは望めないとわかってパニックになるのか、いずれにしても結婚式までもう少しというところで馬脚を現してしまうのは賢い女性とは言えないだろうなあ。だけどまあ、猫をかぶり通すというのは明晰な頭脳ときめ細かな心配りが必要だと思うから、人のお金に目が眩むような賢くない彼女たちには難しいのかな。ま、閑話休題ということで、仕事に戻ってちょっと稼ぐか・・・。

朝ごはんは点心、晩ごはんは玄米酢入りおでん風

9月27日。火曜日。今日は明るい。台風一過というところか、青空はほんとに秋のブルー。気温も少し上がりそう。コーヒーだけを飲んで、短い半袖のTシャツだけで正午過ぎにおでかけ。

今日は午後の英語教室の「野外実習」。いつも使う教室が今日だけ別のプログラムに使われるので、中華レストランで飲茶をしようということになって、生徒さんたちが選んだのが我が家からそう遠くない「フラミンゴ」(中国語の看板は「紅鶴酒家」と書いてある)という中華レストラン。商店街から離れたところに場違いな感じでぽつんとあるんだけど、もう何十年も前から点心がおいしいという評判の老舗。ワタシたちもワタシが日系商社の小さな子会社(総勢10人)に勤めてい
た頃に会社のパーティで行ったことがある。もう30年以上も前の話だけど・・・。

起きて早々から飲茶というのはちょっとばかり「ん?」な感じで、カレシは「きついなあ~」とぶつぶつ。でも、みんなにとってはランチタイムなんだし、みんな中国系なんだからランチは飲茶というのは普通の発想でしょうに。来ていたのは女性ばかり7人ほど。カートが回ってくるたびに食べ物がどんどんテーブルに貯まる。おしゃべりをしながらもせっせと食べる。太くて長くて重い中華箸と格闘しながら食べている間に湯飲みはいつもお茶が満々。お皿の上にスペースができたら、すかさず誰かが料理を取り分けてくれてしまうもので、起き抜けの胃袋はさぞかしびっくりしただろうな。でも、話の中でワタシがコンジー(中国粥)が大好きだといったら、いつの間にか注文してくれたらしく、しばらくして出てきたほかほかのお粥のおいしいこと!今まで食べた中で一番おいしいコンジーだった。(レシピ、どこかにないかなあ・・・。)

はちきれそうなおなかを抱えて帰って来たらもう3時近く。カレシを夜の部に送り出すための早めの夕食のしたくにかかるまでの間、メールをチェックしたら、ありゃ、また仕事が増えている。明日の午後5時の期限に2つも重なってしまった。日本も秋風と共に節電の夏から解放されて、どっこいしょと腰を上げで仕事に精を出し始めたのかな。それは喜ばしいことだけど、ひとつは(時節柄)放射能に関係があって、もうひとつは貿易と法律に関係がある。はあ、右脳と左脳を使い分けて同時進行できたらいいのになあ。実際に、昔はある種のてんかんの治療に右脳と左脳をつなぐ脳梁を切り離す方法を使っていたことがあるそうで、分離すると左目で見て右脳に伝わった物体の情報が言語中枢のある左脳に伝わらないために物体の名前を言葉で表せなくなるということだった。てことは、脳の両側に英語と日本語の言語中枢を作っておかない限り、右目で
しか仕事ができないってことか。なあんだ・・・。

ま、カレシを送り出してから仕事に突進することにして、まずは夕食。おなかが減ってないんだけど、カレシが帰ってくる9時近くまでは持ちそうにないから、「何か」作ることにする。フリーザーを開けたら一番上におでんセットがあって、閃き。フリーザーの底の方にいつ作ったのか覚えていないおでんの汁の残りがある。よし、Hマートで買った韓国風さつまあげがあるし、大根があるし、白菜が残っているし、ごぼうがあるから、今日はなんちゃっておでん。ガチガチに凍ったおでんの汁を鍋に放り込んで液化している間に、ごぼうを切って、水に漬けてあく抜き。そこで酢をたらすつもりがうっかりしておでんの鍋の方に!でも、玄米酢をたぶん大さじ1杯くらい入れたと思うんだけど、恐る恐る味見をしたら、おでんの汁に何だかコクのようなものが出てきたからびっくり。おでんお汁に「コク」があるべきかどうかは知らないけど、まさに怪我の功名。ついでにしらたきもひとつかみをざくざくと切って放り込んで煮込んでいる間に、ししとうを焼いて、冷凍しておいた松茸ご飯の残りを電子レンジでチンして、これが極楽とんぼ流「吹き寄せ(集め)」料理。カレシはおでんのスープがおいしいと言って、浅いお皿に盛ったのをきれいに飲んでしまった。

では、カレシがおでかけして、静かになったところで、腕まくりをして仕事にかかる。いくつあるんだっけなあ。とにかく、納期が一番近いものからちゃっちゃと処理しないことには・・・。

さびしいからと浮気をしたら本当にさびしくなるかも

9月28日。水曜日。いかにも秋晴れという空模様。本当は雨の予報じゃなかったのかなあ。ま、乙女心と秋の空というから、天気予報官も大変だな。ワタシは乙女から果てしなく遠い年代になったもので、もう秋空のごとくころころと心変わりすることはなくなった(と思う)けど。はあ、眠い。就寝は午前5時過ぎ、納期の順位が一番早いものを仕上げて送ってから。ぎりぎりまで頭をこき使っていると、いつまでもニューロンがあちこちでパチパチと火花を散らしていて、なかなか寝つけなくなる。かといって、水曜日はシーラとヴァルが掃除に来る日だから、いつまでも寝ているわけには行かないので、やむなく正午に起床・・・。

ヴァルがいつも気を利かせてワタシのオフィスをいの一番に掃除してくれるので、きれいになったところで(と言っても、竜巻発生現場並みの有様なので、本棚の埃を払って掃除機をかけるだけ)、午後5時期限のもうひとつの仕事をやっつけにかかる。約3時間を想定して、3時間で完了、納品。ひとまずしゃんしゃんと手を打って、夕食は何にしようかと考える。期限が午後5時というのはかなり気持の余裕を感じるけど、これがあと1ヵ月とちょっとで時計が標準時に戻ったら自動的に午後4時になって、気持の余裕なんて吹っ飛んでしまう。ま、近年は標準時の期間の方が短いからいいけれど。ひと息つけるかと思ったら、寝る前に終わったはずの仕事の続きがどかっと入ってきて、棚上げ中の大きな仕事はそのまま棚上げ。このままだと納期まで残っている時間枠の最後の方にぎゅぎゅっとアコーデオンプリーツになってしまいそうなんだけど。なんでこう急に忙しくなるんだろうなあ、もう・・・。

とりあえず、夕食が終わってから最初のセクション。眠気がして来るけど、これはわりと簡単だったからささっと済んだ。そこで眠気払いに小町横町を散歩。いつものように、結婚しようかしまいか、離婚しようかしまいか、行くも地獄、戻るも地獄なのが小町横町の世相。どんな泥沼劇が展開されようがちっとも変化がないという点ではある種の安心感があるのかな。でもまあ、『妻の不倫がどうして私のせいなのか』と聞いている人がいる。なんでも、妻の不倫が発覚して、離婚前提で実家へ帰したら、向こうから話し合いに来いと言われ、離婚の条件のすりあわせかと思って行ったら「出来心だから水に流せ」と言われ、はては仕事が忙しくて妻をかまってやらなかった夫にも責任があると言われてしまった。その程度で浮気が許されるのなら世の中は不倫だらけになるではないか、と。まさに・・・。

浮気や不倫の言い訳はいろいろとあるけど、「かまってくれないでさびしい思いをさせたそっちが悪い」というのは、どうやら洋の東西を問わず普遍的なものらしい。オンナノコに夢中だったときのカレシも「キミがボクにさびしい思いをさせたからだ」と空涙を流して見せてくれた。(そうそう、「妻(夫)とうまく行っていない」というのも、カレシも活用した世界共通の浮気コール。)でも、相手が家計(または子育て)のために身を粉にしているときに、忙しくてかまってくれないから「外で遊んで来る」と言うのは大人のすることじゃないし、それが許されるんだったら夫婦をやっている意味がない。ちなみに「夫婦でいる意味がなくなったから」というのは、カレシが離婚したら家族や友達にワタシが「自分の大事な趣味」を受け入れなかったせいだと説明するつもりだと脅して?おいて、「キミはどう説明するつもりだ?」と矛先を向けてきたときのワタシの返事。だって、一方があさってのほうを向いたままだったら、もう夫婦でいる意味がなくなったということで、他のどんな説明も不要だと、ワタシは思うから。

一生懸命に働いて疲れているかもしれないパートナーを尻目に「恋愛ごっこ」を楽しんだあげくに、ばれたら「さびしい思いをさせたそっちが悪い」はないだろうと思うなあ。まあ、悪いことをして「悪いのは自分じゃない。自分にそうさせた方が悪い」と言う責任転嫁も人類に共通の心理であることは間違いない。だけど、原因が何であれ夫婦でいる意味がなくなったのなら、浮気だの不倫だのとひと騒動を起こして人生をややこしくするよりは、天下晴れての独り身になって堂々と理想のパートナーや新しい人生のポテンシャルを追求した方がいい結果に遭遇する可能性は高いと思う。夫婦でいたくない相手にぶら下がったままでは二進も三進も行かなくなるし、ストレスも溜まる一方だろうし、不毛なけんかにエネルギーをとられてしまうし、浮気や不倫の相手も優柔不断な「恋人」にイライラするかもしれないし、何にもいいことがない。もっとも、夫婦を解消したら、かまってくれなかった人もかまってくれる人もいなくなって、ほんとに「さびしい人」になることもありえるけどな。Be careful what you wish for(軽率な願いごとは怪我のもと)・・・。

ストレス太りしたり、ストレスやせしたり

9月29日。木曜日。ごみ収集車の音で一度何となく目が覚めて、また眠りに落ちて、目が覚めたら午後12時40分。カレシを肘で軽く突いたら、パカッと目を開けて「ヘンな夢を見てた~」。ここんところ、老朽化してもうろくしたコンピュータと格闘していたから、カレシの脳もデフラグが必要になったのかな。「ボクたち2人とと、顔のわからない2人とでリゾートのようなところにいて、顔のわからないやつが特別サービスをさせるとか何とか言っていて・・・」って、なんかおもしろそうな夢。

起きてバスルームの秤に乗ったら、きゃっ、きのう増えていた分がまだ残っている。ふむ、おとといの飲茶の影響がまだ抜けていないのかなあ。体重は毎日欠かさず就寝直前と起床直後に同じ条件(下着のみ)で計る。夜と朝の体重の違いが寝ている間の基礎代謝量の目安になっていて、それを数年続けていると自分の新陳代謝のパターンがある程度わかって来る。だいたいのところ、日課的に運動をしているときは夜と朝の差が大きいし、運動をさぼっていると差が縮まり、かなり長いことさぼるとまじめに運動をしていた頃の半分になって、同時に体重がじわ~っと右肩上がりになる。ときどきは急に体重がパターンを外れて跳ね上がり、だいたい2日。くらいで何となく元に戻ることがあるけど、浮かび上がった共通点がなぜか出汁(の中のいわゆる「旨味」成分)や醤油のようなナトリウム分の多い調味料を多用する料理。ということは、ふだんがわりと低塩の食生活なので、急にたくさん食べたら一時的に「むくみ」が起きる・・・のかな?

もちろん、ストレスがかかっているときはすぐに空腹状態になるから、食べる量や回数が増えて体重が増えることもある。徹夜などしようものなら、2日。くらいは冬眠から覚めた熊みたいな状態になって、普通に食事をしていても30分も経たないうちに「おなか空いた~」ということになる。この頃は精神的なストレスを感じることが少なくなって、やけ食いをすることもなくなったんだけど、年とともに肉体的なストレスには敏感になって来たということかな。思えば、在宅自営業が多忙な上に家事も100%やっていて、おまけにカレシからの精神的なストレスがどんどん高まっていた1990年代にはBMIが25まで行った。あの頃の写真を見ると、ほんとに「太って」いた。マッチ棒のようなオンナノコと比べたら百年の恋(があったとして)が冷めるのも理解できると思ってしまうくらい「どっしり」していた。何であんなに太ったのかって、カレシが家にいないランチタイムに、インスタントラーメンを2つも食べるというような大食いをしていたことに尽きるんだけど、あれはまさにストレス太り。

逆に、急激に強いストレスに襲われると食欲がなくなるから、当然やせる。カレシご狂乱の場になって、半年でBMIが20まで急降下したのはまさにそのストレスやせだった。何しろ口論が始まったらいつ終わるのかわからない。終わりそうになってはまた始まるという繰り返しで、食事時が近いと食べる気が失せる。夜だと空が白んでくるまで延々と続くから、翌日は寝不足で仕事。最悪のときには2日。がかりで大喧嘩をしたこともあった。表向きは普通に仕事をしていたから、大量の仕事をこなしながらうつ病の治療とカウンセリングを受け、頻繁に派手なけんかをやり、合間にオンナノコが「ひょっとしたら」の期待感に胸を膨らませて日本からノコノコとやって来るし、夜のお仕事のオンナには「同じ」日本人として恥ずかしいと攻撃されるし、しまいにはカレシがストーカーまがいの行動に出るし・・・うん、ワタシにとっては破壊されそうになっている自分という「人間」の生存をかけて戦っていたような気がするから、ストレス食いなどしていられなかったんだろうな。

それが10年前で、今のBMIは22。おなかのあたりがちょっとぽっちゃりして来たように思うんだけど、まあ、着るもののサイズを変えないで済んでいるうちはいいか。体重増加の大半はお酒だということ(つまり、酒量を減らせばいい)はわかっているし、ストレス食いに気をつければ「メタボ」は回避できるだろうし、人間、年を取ると服のサイズよりも何よりも中身の健康だから。

スマート何とかはほんとに賢いの?

9月30日。金曜日。午前11時40分起床。きのうとは一転して暗い。もうインディアンサマーも終わりかな。今日で9月は終わり。夏至の頃と比べると、日の出は2時間遅いし、日の入りは2時間以上も早くなって、これからどんどん目に見えて日が短くなる。バンクーバーの日の出から日の入りまでの昼の長さは夏至前後でだいたい16時間半、冬至前後では8時間とちょっと。夏は日が長い上に晴れ上がる日が多いから、バンクーバーの夏はすばらしい!ということになり、冬は日が短いところへ雨や曇りの日が多いから、よそから来てうつっぽくなってしまう人が多いんだろうな。

今日はワタシはダウンタウンのOpusへ行きたくて、カレシはネットブックを買いたくて、地下鉄で出かけた。終着駅まで行って、まずはOpusまで。昔Woodward’sのデパートがあったあたりと見当をつけて行ったけど、うっかり道路を反対側に渡ってしまったので行き過ごして逆戻り。デパートの跡地が再開発されたおかげで、ずっとさびれていたこのあたりも少し活気がでて来たような感じがする。Woodward’sはバンクーバーの地場企業で、札幌なら(まだあるのかどうかは知らないけど)「丸井今井」のような存在かな。北米のデパートとしては珍しく地下に食品売り場があって、カナダに来たての頃はよくカレシとよく行った。古いレンガの建物で、木の床が歩くとぼこぼこと音を立てたもんだった。ダウンタウンの中心が西へ移って周囲がさびれ始めたときに動かなかったために取り残され、経営者一族の内紛もあって創業100年目についに倒産してしまった。もうずいぶん昔のような・・・。

ダウンタウンの中心までの間は英語学校やら留学生目当ての専門学校がやたらとたくさんある。一時はダウンタウンだけでも百何十校もあった英語学校だけど、最近はどうなんだろうな。留学生目当てのいわゆる専門学校的な「何とかカレッジ」というのがずいぶんあるのは、英語だけでは生き残れなくなっているのかもしれない。でも、わざわざカナダまで来てESLでネイリストだとか客室乗務員のお勉強をしても、帰ってからのキャリアに役に立つのかな。せいぜい3ヵ月か半年の英語留学じゃ婚活にもならないだろうし、どこまで英語を伸ばせるのかも疑問。相当な費用がかかっているんだろうけど、日本でまともな英語学校に行った方が成果が上がるんじゃないかな。まあ、そういうグループとはまったく接点がないから、ワタシにはわからないけど、留学することに意義があるということなのかもしれないな。それが「国際化」だったりして・・・。

ワタシの買い物はあっさりと済んで、今度はカレシのネットブック探し。Future Shopにはしばらく前までいくつもあったのが今は2機種だけ。ネットブックが並んでいたところはタブレットがずらり。でも、質問しようにもスタッフが見つからないので、それではとStaplesの方へ回ってみたら、ここもタブレットが主流。なんかスマートフォンとネットブックの融合したのがタブレットという感じだな。それでも、ネットブックは4機種あって、ひとつに触っただけで「ご質問は?」とスタッフが近づいてきた。ワタシが新しいキーボードを選んでいる間に、あれこれ質問していたカレシはHPの一番安いのが気に入ったようで、「この値段なら練習用にちょうどいい」とお買い上げ。どうやらボストンへ持って行くつもりのようだけど、順調に操作できるようになるまではワタシの後ろで何が動かない、何がうまく行かないと、うるさいことだろうなあ・・・。

ワタシの方はワイレスのマウスはうまく行ったけど、ワイヤレスのキーボードがうんともすんとも言わない。ふん、仕事が終わったらゆっくりいじってみるか。スマート何とかもいいけど、入れ替わり立ち代りで目まぐるしく変わる技術に追いつくのがそろそろめんどうになって来た気もする。初めてPCを買ったのはもう24年も前だけど、なんだか24年も「過渡期」が続いていたような観もあって、ほんとに進歩しているのかどうかもわからない。人間同士の係わり合いも歩調を合わせて大きく変わりつつあるのはたしかだけど、果たして良い方に向いているのかどうか。いや、人類がほんとに進歩しているのかどうかもあやしいような・・・。

そうだ、電力会社が「スマートメーター」を取り付けに来ると通知してきたな。電気の使用量がリアルタイムで電力会社に送信されるんだそうな。(検針員がいらなくなって経費節減か。)自分の電気の使用パターンをネットでチェックして節電できるっていっても、そんなヒマないけどな。何でもかんでもスマートって、ほんとにsmartに(賢く)なっているのかなあ・・・。


2011年9月~その2

2011年09月21日 | 昔語り(2006~2013)
あれから10年

9月11日。未来へ向かって踏み出そう。でも、あの日はこれからも私たちと共にある。

鎮魂・・・

不惑どころではない男の更年期

9月12日。月曜日。きのうは精神的にすごく疲れた。でも、やっぱりひとつの節目だったんだという気がする。今日はちょっとどよ~んとした気分で眠い。それでも正午前に起きて、先に起きていたカレシを探して裏のポーチに出たら、うわっ、風だ。それもそよ風なんてやさしいものじゃなくて、本気で吹いている。日本の「秋のイメージ」で描写するなら、一面のすすきをなぎ倒すように野原を渡って行く秋の風というところかな。(実際にすすき野原の風景を見たことはないんだけど。)季節が変わる前兆を肌で感じるような風・・・。

今日はカレシの弟ジムの67歳の誕生日なので、ハッピーバースデイのメールを飛ばした。「いくつなのか忘れちゃったって?自分がいくつなのかもう考えなくてもいいってことで、いいじゃないの。自分の年を覚えていないのは、覚えているには若すぎるってことだから」と。もう20年くらい前、ある日突然ジムは真っ赤なスポーツカーを買った。みんなが仰天しているうちに、不倫が始まって、夫婦でカウンセリングを受けてみたりしたけど結局は離婚。でも、2人はそれぞれできた新しいパートナー(とその子供の家族)/ガールフレンドもひっくるめて和気藹々の関係。まあ、離婚したおかげで「家族」の人数が増えるなんて珍しいだろうと思うけど、そこはマリルーの人徳と、未婚の母だった彼女の幼い息子を養子にしてかわいがって育て(実父がわかったときには会いに行かせ)たジムの懐の深さによるところが大きい。

そういう人が何で浮気なんかと思うけど、やっぱり「中年の危機」で血迷ったとしかいいようがないだろうな。かってはジョークのネタでしかなかった「男の更年期」が最近やっと「LOH症候群」として医学的に認知されたそうだけど、生理的な変化である更年期は「老化」を意識させられるという点で男女を問わず精神的にかなりのストレスだろうと思う。で、ずっと見ている『ストレスと身体』の講義で、サポルスキー先生が「強いストレスがかかると衝動をコントロールする脳の前頭葉の活動が低下して、見境のない行動を取るリスクが高まる」と言っていた。つまり、男が「不惑」の40歳を過ぎてから、かっとしてとんでもない事件を起こすのも、むらむらとして女子高生のスカートの中を盗撮するのも、浮気や不倫に走るのも、赤いスポーツカーを衝動買いするのも、そうでなくても社会的にストレスの多い年頃で、男としての機能が低下して、当惑した故ということなんだろうか。

この「男の更年期」、女の更年期と違って「過ぎてしまえば後は楽」というわけではないらしいのがやっかいなところ。女性の場合は閉経という通過儀礼みたいな現象が最後にあって、そこを過ぎればせいせいした気分になり、俄然更年期前よりも溌剌としてくる人も多い。(還暦を過ぎたおばちゃんたちのバイタリティはすごい・・・って、ワタシも還暦過ぎのおばちゃんなんだけど。)ここで「男、40にして困惑」と言ってしまっては身も蓋もないけど、実際に40代あたりで「ミッドライフクライシス(中年の危機)」が訪れて、理性のたがが緩んでしまうのは、男の更年期の通過儀礼がどうも最初に来るせいではないかと思う。

つまり、人生のストレスの多い時期に(あるいはそういう時期だからこそ)男のプライドが揺らぐことが起きて、それがストレスを倍増させ、20代半ばまでかかって発達して大人の男の理性を支えてくれていた前頭葉が萎縮させるために、衝動を抑えることができなくなるんだろうと思う。現に、盗撮や痴漢で捕まった男はたいていが判で押したように「ストレスがたまっていた」と言い訳している。仕事でも家庭でもストレスがいっぱいで、いつもストレスホルモンの栓が満開の状態だと、ストレスホルモンの受容体が多い脳の前頭葉でニューロンが萎縮し、層が薄くなる。そうなると、判断力と衝動を抑える力が低下して、何かのきっかけで「つい」とんでもないことをやらかす時限爆弾になる。ただし、ストレスが軽減すると、萎縮したニューロンは再生できるんだとか。でも、前頭葉の配線はストレスに遭う前とは違ったものになるらしい。

男40にして、すわ男の更年期かと「当惑」、それでは若い女性と男の春をもう一度と浮かれて「浮惑」、出会いを求めてこそこそと携帯をいじっては「疑惑」を招き、つい事件を起こしてクビにでもなれば家族にとっては「迷惑」。はて、現代人はいったいいくつになったら「不惑」の境地にたどり着けるのやら・・・。

男の(女も)器は大きさよりも中身が大事

9月13日。火曜日。午前11時30分、目覚ましで起床。あらっ、涼し~い!そういえばきのうの夜の天気予報で「夏を楽しむなら今のうちですよ」なんて言ってたなあ。だからといって、まるで「更新」ボタンをクリックするみたいに、いきなり夏から秋に切り替えるなんてのはなしにしてほしいもんだ。

朝食を済ませて、カレシを英語教室「午後の部」に送り出して、夕方が納期の仕事をやっつける。いたって機械的な企業事務の書類は慣れていることもあって楽ちんでいい。ワタシの後ろに忍び寄ってきては思考の流れをかく乱しようとするカレシもいないから、固有名詞の検索以外は辞書を引くこともなくて、すいすい。カレシが帰ってくる前に終わってしまったから、きのうの閉店間際に入ってきた大きそうな仕事の算段にかかる。文字カウントをかけて出て来た数字を原稿用紙の400字で割ったら、あちゃ、約60枚。まったくテーマが違う別の仕事とパケット交換よろしくの並行処理になりそうだなあ。なんか仕事が増えて来そうな感じがするけど、お盆と節電のシーズンが終わったせいかな。少し趣味の方に精を出そうと思っていたのに・・・。

カレシが「午後の部」から帰ってきて「夜の部」に出かけるまでの時間は3時間足らず。ひと休みしてから、夕食を食べさせて送り出すまでがけっこう忙しい。だからメニューはいつも簡単手抜き料理。手っ取り早くパスタで済ませることが多いけど、今日はマグロのグリル。ステーキに市販の餃子のたれを塗っておいて、オレンジ色のピーマンをグリルパンに載せ、付け合せのインゲンを蒸し始め、頃合を見計らってマグロを焼き、最後に白ぶどうをひと掴みさっと焼いて完了。所要時間30分足らずで、これがほんとのファストフード。

いつもながらあれがない、これがいると言って最後に「遅刻だ~」と出かけて行くカレシを送り出して、きのう目に止まった小町のトピックにじっくり目を通す。『「器の大きい男性」って?』という、いかにも小町横町らしい質問。でも、男女を問わず「器が大きい」というのはどういうことなのかを考えてみる気にさせるトピックではある。もっとも、そもそも人間の「器」について明確に定義しないままでの質問だから、当然のっごとく返って来るのは小町横町の半径から見た「器の大きさ」、つまり、トピックの主が言う「金銭的、精神的、体力的に己を切り詰めても常に女性を最優先する男性」、端的に言えば「女にとって都合のいい男」のイメージが浮かんで来る。「己を切り詰める」って、大きな器を切り詰めたら元も子もなくなりそうだけど、もしもワタシが男だったら、「やってらんねぇ~」と悲鳴を上げて逃げ出すかもしれないな。

そこで、久しぶりに広辞苑を引っ張り出して「器」を引いてみたら、「事を担当するに足る才能、器量、また、人物の大きさ」というのがあった。でも、「人物の大きさ」っていったいどうやって測るのかな。体重計とテープメジャーで事足りるなら、いわゆる肥満体の人たちはみんな「器の大きい人」ということになる。それは冗談だけど、要するに表面的には見えないかもしれない内面的なものの大小を言っているんだろうから、現実的にその表面に見えない「大きさ」をどんなものさしで測るんだろうな。まあ、「器」というからには何らかの容積単位で測るんだろうと思う。だとすれば、英語では「capacity」、あるいは「caliber」というところか。

そこでまず「capacity」を辞書で引いて、トピックで議論している「器」に相当しそうな語を見てみたら、まず「包容力、度量」、次に「適応力、耐久力」、さらに「可能性」。他に「(学問などを)学び取る力、学問的才能、知的能力、理解力」というのもある。次に「caliber」を引いてみたら、「(心の)度量、(知識の幅、知的能力などの)力量、才幹、(人物の)器量」とある。このcaliberは鉄砲の口径を表す単位でもあるところがおもしろいけど、「金銭的、精神的、体力的に己を切り詰めてでも(特に)女性を最優先」なんて犠牲的精神は微塵も感じられないし、だいたい(西洋の騎士道精神はいざ知らず)日本の武士道精神にそんな女性崇拝的な思想があったとも思えないな。つまりは、「器の大きい男性」というのは(わがままで自己中な)女性が夢に描く(ちょっと古いけど)「3高 の王子様」のことかな。中国では大都市で「公主病(お姫様病)」というのが蔓延しているそうだけど、小町横町でもバブル頭いまだ弾けやらずということなのかもしれないな。

人間は誰でもが持って生まれて来る「器」があって、人それぞれが違うように、その器の容量もみんな同じということはありえないと思う。でも、人間には「成長」の過程でその容量を大きくする機会も与えられていると思う。それが「capacity」に包含される「可能性」の意味ではないかな。まあ、人間の「器」がどっちの方向に変化しているのか知らないけど、いくらでっかい「器」を抱えて生まれて来ても、(書き込みにあったように)それをゴミで満杯にしたらたしかにどうしようもないだろうし、逆に、与えられた器が少しくらい小さめでも、きれいな宝石がいっぱい詰まっていたら、その人の心はきらきらと輝いているだろうし、温かなスープで満たされていれば、人をほのぼのと幸せな気分にさせるだろうし、滋養の高いスープだったら病める人も元気なるかもしれないな。つまり、容積の大小に関係なく、その「器」に何を入れるかによって、嫌われる人間にも、好かれる人間にもなり得ると言うことで、何を入れるかはその器の持ち主しだいだと思う。

それにしても、小町横町女性たちが定義する「器の大きい男」って、いったいどんな人だろう。たぶん、年収が1000万以上あって、女のおねだりに気前よく応じてくれて、女のどんなわがままも笑って聞いてくれて、絶対に女性を下に見ることなく、結婚したら「ボクが養ってあげるから」と専業主婦をさせてくれて、おまけに家事や育児も平等に分担してくれて、寝ても覚めても女性のためならエンヤコラ・・・いるのかなあ、そんな男?

何となく居酒屋スタイルの晩ごはん

9月14日。水曜日。正午の気温15度。このまま本気で秋に突入する気だなという感じ。朝食が終わる前にシーラとヴァルが掃除に来て、シーラが黄色いズッキーニのぶっといのを2本持って来てくれた。「留守番サービス」のお客さんが1ヵ月もハワイへ行っていて、庭で育っている野菜を放っておくのはもったいないから、どんどん食べるか友だちに分けるかしてと言いつかっているんだそうな。そんなに長く留守になるのにどっさり野菜を植えるとはのんきな人だと思うけど、丸々としたズッキーニは甘くておいしい。ごちそうさま。

きのうの夜にカレシがひょっこり「明日のメニューをリクエストしてもいい?」と聞くから、いいよと言ったら、「ワインがなくなりそうだから、酒に合う日本食を作って」と。物置のワイン棚を見たら、ケースで買った我が家の「ハウスワイン」は後1本しかない。白は他に何本かあるし、赤もあるけど、よ~し、オレゴン州産のにごり酒を開けるか。ということで、またフリーザーをごそごそ。つい先だっての日曜日にコース料理をやったばかりだから、ここはちょっと目先を変えて「イザカヤ風晩ごはん」というのはどうだろう。和風の小皿料理を出す「イザカヤ」はバンクーバーでもけっこう人気がある。イェールタウンではファッショナブルな若い人たちがしゃれたイザカヤのパティオのテーブルで「ダイギンジョー」で一杯やりながら器用に箸で「ジャパニーズタパス」をつついている風景が見られる。

日本の食卓の「晩ごはん」式に並べてみたら、汁物(北寄貝とねぎ)、煮物(ミニイカの醤油煮)、焼き物(シシャモの大根おろし添え)、蒸し物(ぼたんえびの酒柚子蒸し、しそ風味)、揚げ物(サツマイモ、エビ、しその葉のてんぷら)が揃っているから、我ながら感心。ご飯は発芽玄米。ワタシが漬物を食べないから、香の物はなし。だけど、何品も冷めないうちに一度にテーブルに並べるというのは、段取りを考えたり、調理時間のタイミングを計ったりのけっこう大変な作業で、作り始めてからテーブルに並べるまで1時間もかかってしまった。どうりで日本では共働き主婦が家事の負担で悲鳴を上げるはずだなあ。ご飯作りだけは毎日なんだもの。小皿のコース料理を作りながら食べる方がよっぽど楽ちんだというのがワタシの実感・・・。

これでフリーザーに少し空き容量ができたことだしということで、エコーのバッテリの充電がてら、夕食後にコキットラムのHマートまでひとっ走り。カレシは大好きな白キムチの一番大きな(1リットル?)の容器を見つけてご満悦。後は果物や野菜。ワタシはニラや大豆もやしや白菜を買って、長~いごぼうを買って、野菜売り場の端まで来たら、おお~っ、マツタケ。そういう季節なんだなあ、やっぱり。極上品はもちろん日本に輸出されてしまうから、地元で買えるのは日本人が買わない等級ってことかな。それでも、一番価格が一番低いパックで大きなのが3本入って46ドル(3500円くらい)。う~んと思案して、また週末が来るし、季節の短いものだしということで、(どこだったか忘れたけど)高いところから飛び降りるつもりで買ってしまった。さあて、どうするか、帰ってから考えないと・・・。

後は、キンキ丸ごと1本と刺身用の大西洋のサケ、冷凍ものではキハダマグロとビンナガ、ハマチ、たこの足、塩サンマ2本、アサリ、(何を思ったか)うなぎの蒲焼、めんたいこなど。Hマートのフリーザーには食べたことのない魚がいろいろあるし、カエルの足やスッポンのような「え~っ」というようなものもあって、見るだけでもおもしろい。スッポンは丸ごと冷凍で、甲羅から引っ込めた頭の先と手足がちょこんと見えていて、食べるのがかわいそうな気もするけど、スッポンスープはどんな味がするんだろうな。

のんびり買い物をしていたら閉店時間間際。レジでは持参の大きなトートバッグに入れてくれるように頼んだけど、にこにこしながらていねいに店の袋に入れてトートバッグに入れてくれる。アジア人は包装癖が抜けないのかな。そういえば冷凍して真空包装してある魚でもトレイに載せてラップで包んであるのが多いから、帰ってからせっせと外すのがひと仕事で、空きトレイはひと山のゴミになる。あ~あ。

今夜のランチは久しぶりにたっぷりニラを入れたチヂミと行くか・・・。

葉っぱが一枚落ちたら何の秋?

9月15日。木曜日。何となく薄暗いこともあるけど、どうもどんよりした気分。起きてみたら小雨模様。いかにも肌寒いという感じがする。ちゃんと寝ているのに寝たりなくて疲れたような気分なのはやっぱり季節の変わり目ということなのかな。週明けまでずっと雨模様の予報では、元気づけにモールまで歩くというのもめんどうそうな気分。でも、歩かなくても何だかやたらとおなかが空くし、かといって、「グー」信号にいちいち反応して食べていたらまずいような感じだし・・・。

秋といえば、食欲の秋、天高く馬肥ゆる秋、スポーツの秋、行楽の秋、読書の秋、芸術の秋、文化の秋、収穫の秋・・・他に何があるのかな。あれもこれもと忙しい季節だなあという感じがするけど、たぶん蒸し暑くてかったるい日本の夏が過ぎて、みんな俄然元気になってやる気が出て来るからだろう。季節感まで几帳面に仕分けされているようでおもしろい。たぶん日本人の体内時計にそういうカレンダーが組み込まれているんだろうな。でも、大雑把に短い乾期と長い雨期しかないようなところに長い間いれば、体内時計がリセットされてそういう季節感は薄れて行くものらしい。もっとも、蝦夷地の霧の最果てで生まれ育ったワタシには日本標準規格の季節感はピンと来ないんだけど、それは幼稚園の出席帳の各月の季節を代表する絵柄がその月々の自分の周りの風景とは全然違ったもので、未だに季節感覚が混乱したままなのかもしれない。

先週M6.4の地震が起きた同じ震源地で今度はM4.1の余震があったんだそうな。午前4時頃だったそうだけど、ワタシたちがそろそろ寝ようかと言っていたあたりか。先週のもそうだったけど、何も感じなかったから、寝て、起きて、昼のニュースを見るまで知らなかった。でも、実際には余震とされる小さな地震が何十回もあったらしい。前回ブリティッシュ・コロンビアで大地震があったのは300年以上前だそうで、次の大物がいつ来てもおかしくないとか。そうだろうなあ。地図を見れば、カナダの西岸はもろに「環太平洋火山帯」にあるんだもの。地球が生きている以
上はいつかは来るだろうけど、問題はそれが明日なのか、200年先なのかわからないことか。

地球は太陽系の中でたまたま生命の誕生や生存に適した位置にできた惑星だけど、太陽系の外にもたくさんの惑星があるはずだとして、いろんな観測や研究が進んでいる。これまでに生命を維持できそうなものも見つかっているそうだし、太陽系とはまったく違った不思議な惑星系もあるそうだし、すごいのになると何らかの理由で「太陽」を失ったらしいみなしご惑星が宇宙空間をふらふらと浮浪しているというから、宇宙にもホームレス問題があるんだとびっくり。そこへ発表されたのが惑星探査機ケプラーが2つの太陽を持つ惑星を見つけたというニュース。白鳥座にあって太陽系から200光年ぐらいという話だから、宇宙のものさしではけっこう近いじゃないの。この惑星は「ケプラー16b」と命名されたけど、天文学者たちは名作『スターウォーズ』の処女作に登場した2つの太陽を持つ惑星にちなんて「タトゥーイン」と呼んでいるとか。うん、まさに科学は小説より奇なりだな。

『スターウォーズ』は最初に作られた3作しか見ていないけど、双子の太陽が沈んで行くシーンはあまりにも強烈な印象で今でもはっきり覚えている。育ての親の叔父夫婦を殺されて独りぼっちになったルークが辺境の惑星タトゥーインで悲しみにくれながら眺めていた赤い2つの夕日。これからひとりで荒々しい世界へ出て行かなければならない若者が沈んで行く夕日に決意を新たにする・・・(サウンドトラックも含めて)まさに正真正銘の古典的西部劇のシーンだったけど、じーんと来るほど清冽な感じがした。(『スターウォーズ』の第1作(今はエピソード4)は正統派のアメリカ西部劇をしっかり踏襲した名作だと思う。)辺境の砂漠の夕日に2つの太陽を想像した人はすごいと思たもんだけど、それが現実になったんだからもっとすごい。宇宙に何十億とある連星。ひょっとしたらタトゥーインは数え切れないくらいあるのかもしれないな。白鳥座の2つ星アルビレオにも惑星があるのかなあ。青と黄色の宝石のようにうっとりする美しいカップルの太陽が綾なす夕焼け空を見上げてみたい!

でも、この太陽系の三番目の惑星の西半球の北の方の大陸の西側にある街の南の方の小さな家のベースメントにズームインしてみたら、ああ、ここは「仕事の秋」一色。それも大きめの仕事ばかり。この週末はねじり鉢巻だなあ、もう。だけど、何となく、ほんとに微妙に何となくなんだけど、日本に「復興の秋」が訪れつつあることを感じさせるような内容の仕事が出てきたような気がする。May the Force be with you、ニッポン!

ダサいファッション世界ワースト10

9月16日。金曜日。曇り空。眠い。涼しい。そろそろもう少し厚いブランケットに取り替えなくちゃ・・・と、つらつら考えながら正午に起床。ポーチの温度計は13度。なんだか眠くてやる気が出ない・・・。

それでも、朝食を済ませてオフィスに下りてきて、奥の小部屋に行ったら、ああ、ウォータークーラーがまた水漏れ。水のボトルに欠陥があったのかなあ。クーラーの上に約19リットルのボトルを逆さまにセットして下の方にある栓から水を出すと、その分だけ中の冷蔵タンクに水が補充されて、ボトルには空気が送り込まれるしくみ。タンク内の水の量は気密状態での圧力の釣り合いで溢れないようになっているんだけど、ボトルに小さなひびが入っていると、そこから空気が入って気密性が破れ、ボトルの水がどんどんタンクの中に流れ出て、タンクから溢れた水がクーラーの下から床に流れ出して来る。ボトルは何度も再利用されるから、2、30本に1本は事故が起きる。気がつけば使わずに取り替えてもらえば良いけど、知らずにクーラーにセットしてしまったら洪水が起きてしまうからやっかい。

ま、何度かそういう事故があった経験から、クーラーの下にビニールシートを敷いてあったので、床の被害はごく微少で済んだけど、それでも4センチくらいの深さに水がたまっていたから、いったい何リットル溢れたのか。眠いな~なんていってる場合じゃない。電源プラグを抜いて、まだ水が残っているボトルを外して、タンクの水をボウルに出し切って、軽くなったクーラーを床に敷いたタオルの上に移して、まずは溢れ水の処理。そばにあったプラスチックのコップですくってはバケツに空ける。すくえなくなったら、残った水をシートの四隅をまとめて持ち上げて園芸ルームの流しへバシャッ。シートが劣化していたので、去年のバスルームの改装で使った残りの内装用の分厚い防湿シートのロールからはさみで適当な大きさを切り出して、四隅をステープラーで止めて新しい水受けを作った。ついでに、酢を持って来てタンクの中を掃除して、部屋の隅においてあったテーブルの天板を置き台にして、水受けを置いて、クーラーを設置。新しいボトルをよっこらしょっと載せて、電源プラグを差し込んで、事故の後始末とメインテナンスの作業は完了。あ~あ、くたびれた~。

おかげで眠気はすっかり吹っ飛んだけど、思わぬ「大仕事」でやる気の方がちょっとあやしい。でも、日本は三連休だから、とりあえず日本時間の火曜日朝が期限のものは土曜日と日曜日でやっつければ十分間に合うと(またまた)高を括って、洪水騒動で読み損ねたニュースを読んで回る。どこかのメディアのファッショニスタがバンクーバーを「ダサいファッションのワースト10」に上げたということで、ああだこうだ。バンクーバーっ子のファッションがダサいのは、スパンデックスのヨガパンツをはいて街を闊歩しているからだとか、新聞サイトに載った写真はぴちぴちに締まったヨガパンツのお尻の大写し。う~ん、小さくて全然ふくよかじゃないワタシのお尻と比べたら、ウェストから逆さハート型に形が整ったお尻はセクシーで女らしくて羨ましいんだけど、それを見せるのはダサいの?ま、好き勝手にカジュアルで、他人のファッションにいちいちケチをつけないのがバンクーバーっ子の気風で、それがウェストコースト文化のいいところ。

この「ワースト10」にはカナダの首都オタワが「保守的過ぎる」という理由で8位に入っているから笑ってしまう。対照的なのがバンクーバーに次いで第4位だった「原宿」。世界のサイバーパンク・フュージョンのファッションのメッカである原宿が選ばれたのは、「みんなが人と違って見えるようにがんばった結果みんな同じに見える」から。写真には水玉模様のピンクのふりふりドレスを着て茶髪の頭にピンクのおリボンをつけた「カワイイ」ファッションの(20代後半っぽい)オンナノコ。そういえば、日本国政府はアニメやカワイイ・ファッションを「クール・ジャパン」とか言って、車やエレクトロニクスに次ぐ日本が誇る輸出品として世界に広める方針だとか。じゃあ、ランキング大好きの日本でも「ダサいファッション」ランキング上位入賞は新聞に載らないだろうな。お披露目をしたばかりのロゴマークはちょっとダサいと思うけど。

原宿の下、第5位に入ったボストンは「プリーツのカーキで、ソックスを履いてボートシューズ」という悪趣味ぶりが認められたらしい。あはは、それってもろにLLビーンのカタログのイメージじゃないの。第7位になったサンフランシスコ/シリコンバレーは、Facebook創始者のマーク・ザッカーバーグを引き合いに出してひと言、「スタイル(品格)の欠如」。そうか。彼はいつもTシャツにジーンズだもんな。改まった服装をさせたらまるで案山子みたいに見えてしまう。でも、そういうカジュアルなところが学生気分の抜けない若者が億の財を成せるシリコンバレーの文化なんだと思うけど。ちなみに、ランキングのトップは「デニムの短パン、Tシャツにビーサン」のフロリダ州オーランド、2位は「アロハシャツ」でハワイのマウイ島。まあ、どっちもバケーションで行く観光地なんだから、気を許してダサいファッションでもいいんじゃないのかなあ。

まったくもって、ファッショニスタは「うるせ~な」。人さまの服装にいちいちチェックを入れてイケてないの何のと言っている方がよっぽどダサいと思うけど、あ、「ダサい」もそろそろダサい言葉かな。ファッション(流行)の移り変わりは加速度的に速くなるから、目が回りそう・・・。

ブサカワとはみったくなしめんこと見つけたり

9月17日。土曜日。雨模様なのか、曇り空なのか、どっちでも寝ぼけ眼にはどんより。ちゃんと寝ているのに眠い。季節の変わり目は体調を崩しやすいというけど、なんか今ひとつすっきりしないのは急に気候が変わったからなのかなあ。でも、別に体調が良くないというわけはなくて、寝足りなくて、やたらとおなかが空くというだけの話。ストレス食いしているような感じもするけど、自分の一部が自分のものではないような、心の中にざわざわと風が吹いてさざ波が立っているような気分。何なんだろうなあ、いったい・・・。

ひょっとしたら9月だからかな。正確には9月11日。が巡って来る月だからなのか。自分自身に直接の被害があったわけではないのに、いつも1日。中つかみどころがなくて、だからやり場もない怒りと悲しみでめちゃくちゃに涙もろくなってしまう。ある意味で、「アメリカがなんたらかんたらだから」と言い切れる人が羨ましくなる。まあ、年齢的に涙もろくなるのは必然なのかもしれないけど、悲しみの涙は静かに流れるからまだいいとして、怒りの涙は、ほんと、すごいストレスになる。感情によって涙の化学成分が異なるそうだけど、だとすると怒りの涙には有毒成分が満ち溢れているんだろうな。だったら、泣くことで毒を体の外へ流すのがいいということか。

あんがい、悲しみは時間の流れによって癒されることはあっても、やりどころのない正体不明の怒りはいつまでも昇華せずに心の奥の奥に燃えさしのように居すわるということか。自分が「自分」という人間を一番良く知っているつもりで、実は自分にとって一番わかりにくいものかもしれないな。他人が考えていることや感じていることを察するより、自分が何を考え、何を感じているかを把握する方が難しいと思うことが多い。だからこそ、何かにつけて「んっとにワタシって何を考えてたんだか」という場面が出てくるんだろうな。やれやれ、人間てのはほんっとに厄介な動物だなあ。ま、何がどうなんだかよくわからないけど、何となく調子っ外れなのはやっぱり季節の変わり目のせいだということにしておこうっと。「もの思う秋」というし・・・。

きのう、「ダサい」はもうダサいのかなと考えていたら、小町に『ダサいに替わる表現は何ですか』という質問があって、『ダサい』はもう廃れ言葉だったんだとわかった。ワタシが日本にいた頃にはなかった言葉だから、さっと流行ってさっと廃れたのかもしれない。じゃあ、何といったらいいのか。『現代用語の基礎知識』も『Imidas』も買わなくなって久しいし、日常を日本語で暮らしていないので最新の「日本語」を話す人との接触もないから、流行語の変遷にもすっかり疎くなった感じ。最近は服装などで「イタイ」という表現をよく見るけど、「イケてない」ともいうのかなと思っていたら、どうやら今どきの若者は「ない」と言うらしい。「ない」となったら、「イケてない」から来たのか、「ありえない」から来たのかはわからないけど、ダサいとかイタイというのはそれでも「感想」を表現していたのに対して、「ない」は問答無用の全面否定。なんだか寒々とした感じがするなあ。

それにしても、ワタシがかろうじて覚えている「大きいことはいいことだ」の高度経済成長時代の流行語に比べると、バブルがはじけてこの方の流行語は人やものについて否定的なものが多くて、ポジティブな語感のものが出て来なくなったような印象を受けるんだけど、実際にはどうなんだろうな。(まあ、道産子のワタシの日本語はカナダに来てから覚えた「標準日本語」だから、元から微妙なズレがあるのかもしれないけど。)同時に感情表現が過激化し、生理感覚が過敏化しつつあるような印象も受けるけど、ま、そのあたりは外の遠く離れたところから部外者的な目で見ているからそう見えるだけなのかもしれないな。日常語の英語でさえ流行り廃りについて行くのがめんどうなのに、めったに翻訳原稿に出てこない今どき日本語の流行り廃りにまで気を配るのは季節に関係なくすごく疲れそう。

そうそう、ずっと「ブサカワ」という言葉の意味がわからなかったんだけど、その形容詞の典型例らしい犬の画像を見て、やっとわかった!「みったくなしめんこ」の平成標準語版だったのか。なあんだ、そう言ってくれたらどんな感じかがすぐにわかったのに。まあ、ところ変われば言葉変わる、時代変われば言葉変わるってところかな。変わるのは言葉だけではなくて、それを使う人間も時代やところと共に変わる。じゃあ、ところも時代も変わったワタシは何語人・・・?

フェイスブックと運命の赤い糸

9月18日。日曜日。寝つきが悪くて、外が明るくなってやっとぐっすり眠れたのに、正午前にカレシに起こされた。ワタシは「まだ寝ていた~い」オーラをばんばん出して抗議?したけど、カレシは「腹減った~」。まあ、今日は丸1日。分の仕事があるからしょうがないか、とぐずぐずとベッドから抜け出したら、「せっかくよく寝ていたのに起こしてごめんな」と、いかにも取ってつけたように殊勝?っぽい顔のカレシ。あ~あ、眠いんだけど・・・。

今日の朝食には「ポメロ」のウェッジが出てきた。カレシが英語教室の生徒さんからプレゼントされて来たもので、グレープフルーツのお化けのような大きさ。秋になるとアジア系のスーパーなどで山積みされていることが多いのは、9月の中秋節と関連しているらしい。そういえば満月のようなイメージでもある。食べてみたら思ったよりあっさりと甘かったけど、皮が分厚くてほとんど果汁がないのでポメロジュースは無理そう。このポメロ、中国では「文旦」、日本では「ザボン」と言うんだそうな。子供の頃に読んだ本に「ザボン」という言葉が出て来て、どうやら柑橘類らしいことは薄々理解できたものの、その変わった語感からどんな不思議な果物なのかと想像をたくましくしたけど、そっかぁ、なるほど、これがその「ザボン」か・・・。

Facebookで友だちが増えた。Friendはこれで16人。ほとんどが(拡大)家族のメンバーで、たまにチェックする程度だけど、友だちや家族の近況がさっとわかっていい。Friendの中で一番活発なのは劇作のガチャリアン先生と映画脚本口座のクラスメートだったダニカ。先生はフィリピン系の若手劇作家でゲイの活動家、ダニカはその後カレッジで教えながら作家デビューした才媛だから、どっちも交友関係は広いなんてもんじゃない。今までの「Friends」の他に「Close Friends」と「Family」にもカテゴリ分けができるようになったおかげで、友だちと家族の方にズームインしやすくなったから、チャットの使い方も勉強したら、ときどきリアルタイムで交流ができていいだろうなそうだな。10人いる「家族」の中で書き込みが一番活発なのはサンドラかな。

サンドラは甥のビルの4つ年上の姉さん女房。生まれはロンドン。「コクニー」と呼ばれるこてこての下町っ子で、16歳で学校を出てから美容師ひと筋。何度か会ったお父さんは船乗りだったそうで、コクニー訛り丸出しの実に愉快な人だった。日本の港に寄港したときの冒険談を話してくれたけど、テレビでイギリスの下町コメディをよく見ていたので、うまく聞き取れて話が弾んだ。(ちなみに、サンドラのお兄さんはプロサッカーのチェルシーの元選手で、カナダで女子サッカーの監督をしたこともある。)サンドラが行っていた友だちのパーティに、ビルがマリファナがあると聞いて招かれていないのに押しかけたのが2人の出会いで、最初は互いにそっぽを向いたらしいけど、いつの間にか相思相愛になってもう20年を超えた。ビルはしっかり者のサンドラに頭が上がらない、完ぺきなるかかあ天下。そのサンドラがすてきな言葉を書き込んでいた。

「人生の苦難の数々を生き延びてきたすべての強き女性たちに!私が強いのはかって弱かったことがあるからこそ。私が人に同情できるのは苦しみを味わったからこそ。私が今生きているのは(生きるために)戦う人だからこそ。私が分別を持っているのはかって愚かなことをしたからこそ。私が笑えるのは悲しみを知っているからこそ。私が愛せるのは失うことがどういうことかを知っているからこそ。嵐をくぐり抜けて来て、それでもまだ雨の中で踊るのが大好きなあなたは逞しい!」

そういえば、学習障害児で十代の頃はちょっとぐれたこともあったビルがまじめな良き夫、良き父親になり、40代に入って渋いイイ男になる片鱗さえ見せるようになったのは、サンドラという良き伴侶に出会えたからに他ならない。大西洋を越えて、カナダとイギリスで太い「運命の赤い糸」が張り渡されていたということか。この決して切れるはずのない赤い糸、恋愛観、結婚観の変化を反映しているのか、太そうに見えて意外に切れやすかったり(百均ショップの安い糸だったりして)、今にも切れそうに細く見えて実は何があっても決して切れない強いものだったりする。まさに、男と女の「縁」というのは摩訶不思議としか言いようがないな。

バカがつく丁寧は丁寧じゃないし賢くもない

9月19日。月曜日。まだちょっと眠いけど、きのうよりはややしゃっきり感が高まった感じ。正午前に起きたら、外が明るい。どんより空模様はひと休みというところか。もうすぐ秋分の日(公式に「今日から秋」という日)で、その先はどんどん日暮れが早くなる。クリスマスが来る頃には「昼」の長さが(実際には8時間くらいだけど)ワタシたちの「生活標準時」ではわずか4時間くらいになって、今起きたと思ったらもう外は真っ暗なんてことになる。北極圏の常夜の冬もあんがい気にならないかもしれないな。

テレビをつけたら、エアカナダの客室乗務員組合があさってからストに入りそうというニュース。まあ、ワタシたちのフライトは1ヵ月先だし、連邦議会が召集されたばかりの政府は経済活動の足かせになるとして「スト中止命令」を出す気満々らしいから、やるんだったらすぐにでも始めてくれれば早く終わりそうでいいな。今年から来年にかけては労働協約が期限切れになるところが多いそうで、ストが多発しそう。2008年のサブプライム問題で始まった不況のときに妥結したところが多いから、組合(特に公務員系)はあのときに我慢させられた分も合わせて賃上げを獲得するぞと鼻息が荒いけど、使用者側も賃上げができるような経済状態じゃないと強気。

州の公務員組合のうち、「基幹業務」に指定されていて職場放棄が禁じられている教員組合が一種の順法ストをやっている。左派政権の時代には毎年大幅に増額された教育予算のほとんどを自分たちの給料に分捕って高給取りになった先生たち、今回も要求の内容を見たら「過剰」、「唖然」、「失笑」。一番すごいのは「友人の死亡時に忌引休暇2週間」というはちゃめちゃな要求。1年を10ヵ月で暮らす教師たちの友人が死ぬたびに2週間も休暇をやっていたら、いったい学校の授業はいつやるのかいな、もう。何でもいいから「へたな鉄砲」式にとにかく要求してみようという戦術もありだろうけど、学校教師という職業柄、もうちっとは分別ってものを働かせても良さそうなもんだ。賢くない教師に教えられると子供たちまで賢くなくなってしまいそうで、国の将来にとっては困ったことじゃないのかなあ。

まあ、ボストン行きはひと月先の話だからということで、朝食が済んだらまずは同時進行で午後5時が期限の仕事2つの仕上げにかかる。ひとつは比較的簡単で楽なんだけど、もうひとつは企業PRで、頭がくらくらするくらいもったいぶった「キーワード」が出てくる。もっとも、元の英語のbuzzwordをそっくりカタカナ化した言葉ばかりだし、PRだから言わんとすることはわかる。わかるんだけど、何だか「最先端業界語」ってれっきとした日本語の一方言なのかもしれないという気がして来る。これを書いた人たちは標準語を知らないのかもしれない。(自分の日本語を棚に上げて)いったい国語教育はどうなってるんだと思うけど、まあ、教育が賢くないと育つ人材も賢くないということか。不特定多数のビジネスへの宣伝にばかていねい語を使いたがるのはご愛嬌と言えなくもないけど、ビジネスの一般的な呼称に「様」をつけるのは滑稽な感じがする。まっ、訳してしまえば普通の英語の無味乾燥なPR文書・・・。

そういう文書を仕事の視点から離れて読んでみると、上目遣いでもみ手をしながら背中を丸めてしきりにぺこぺこしているイメージが浮かんで来て、何となく背中がかゆくなってくる。どこの言語でも、新しい言葉や用法はそのときどきの世相を反映していることが多いけど、そういう言葉があたりまえに使われる日常の中にいるときは、あんがいそういう世相を肌で感じることはないけど、その日常生活圏の外で字面だけを見ているときに「ん?」という違和感を覚えるのかもしれないな。川柳を一句思いついた。「お売家様と今様に書く今どきの人」・・・字余り。

察しの文化ともの言う文化のすれ違い

9月20日。火曜日。午前11時30分、目覚ましがジジジジ!今日はカレシが英語教室ダブルヘッダーの忙しい火曜日。20度まで届きそうないい天気。だけど、眠いよ・・・。

朝食を済ませて、カレシは第1ラウンドへ。すでに英語がかなりのレベルに達している人たちなので、新聞や雑誌の記事をテーマに活発なディスカッションが進むらしい。英語が国語の国に移住すれば、英語での会話能力を向上させないことには日常生活に困るし、就職にも差し支える。だから英語教室に通うわけだけど、初級レベルの生徒は終始うつむいて自分から話そうとせず、当てられても口を開かないことが多いとか。アジアの学校では先生が絶大な権威を持っていて、生徒は授業を静聴するものという観念を刷り込まれているらしいけど、たぶんにアジア的な心理も働いているんだろう。それが、一度勇気を出して英語を口にしてうまく行ったら最後、ほとんど
が積極的に「会話」に参加するようになり、「ネイティブ並み」の完ぺきな英語にはほど遠くても自信を持って外へ出て行くという。素人先生のカレシの英語そのものを教えるよりもその「勇気」の敷居をまたがせようという教え方はそれなりの成果を上げているということだろうな。なんたって英語で生活できるようになるためには英語を「しゃべらにゃ損々」なんだから。

もっとも、英語は目的ではなくてコミュニケーションの手段だから、しゃべるためには相手が必要。独り言でも、テニスなら壁にボールを打ちつけたり、ゴルフなら打ちっ放しで自分のフォームを研究するようなもので、練習にはなるだろうけど、会話にはならない。小町でもよく「英語を話せるようになる方法」についての質問トピックが上がる。TOEICのスコアが高いのに会話ができない、どうしたらいいかという質問のよく見かける。だけど、文法も、発音も、語彙もTOEICもゴルフやテニスのフォームのようなものじゃないのかな。練習すればするほど「英語を話せる」ようになるかもしれないけど、それは必ずしも「英語で話ができる」ということではないように思う。これは英語に限らずとも、すべての外国語学習に共通することで、しゃべることはひとりでもできるけど、おしゃべりは相手がいないとできない。で、おしゃべりがテニスのラリーのように続くにはよく弾むボール(話題)が必要で、さらにボールから目を離さない(その話題に関心や知識を持つ)ようにしないとネットを越えて打ち返せない。(これは母語が同じでも普通にあることだけど。)

だけど、「言わなくてもわかるはず」式の相手に察してもらうことを期待するコミュニケーションが基本の人たちは、相手にボールを送る「言わなければわからない」式のコミュニケーションを学ぶところから始めなければ、いくらTOEICが満点でも「英語で会話をしたい」という願いはなかなか叶えられないかも。早い話、「しゃべらにゃ損々」の前にまずは「しゃべらにゃならぬ」ということになるわけで、それは自分の能動的エネルギーを消費しなければならないということに他ならない。だから、ある程度の年月を海外で生活していて、英語(あるいは現地語)が上達しないと愚痴っている人はあんがいこの「言わなければわかってもらえない」コミュニケーションが苦手なのかもしれないと思う。でも、そういう人は「(日本語と違って)英語では自分の気持をうまく伝えられない」と、いかにも英語が粗雑な言語のように言うことが多いけど、あんがい本音は相手が「自分の気持を察してくれない」ということなんじゃないのかな。つまり、期待のすれ違い・・・。

ああ、言葉、されど言葉。同じ言語で育った同士が口も手も目も駆使してさえ、勘違いやら思い違いやら行き違いやらで悲喜こもごもの毎日なわけで、人間同士が気持をわかり合うのはほんとに難しい。それでも、やっぱりわかり合いたいのが人間の人間らしいところ。だから、ワタシも人さまの「気持」のすれ違いに悶々としながらも翻訳稼業をやめられないのかなあ・・・。


2011年9月~その1

2011年09月16日 | 昔語り(2006~2013)
若者は車を飛ばし、年よりは歩いて骨を鍛える

9月1日。木曜日。ん、今日はちょっとばかり涼しい。もう今日から9月なんだなあ。午後1時のポーチの気温は摂氏15度。9月と言えば、第1月曜日のレイバーデイ(労働祭)の連休が追われば一斉に新学年。親たちは子供を連れて学用品や衣服など、新学年に必要なものを買い揃えるのに奔走し、テレビには親たちは鼻歌ルンルン、子供たちはふてくされ顔という「Back-to-School Sale(新学期セール)」のコマーシャルが流れる。もっとも、日本のような入学式とか始業式とかいった儀式はないから、後は親たちは子供たちを学校に送り込むだけの話。(BC州では相も変わらず州の教員組合が現実離れした要求をして、どうやらスト決行の構えだけど。)

現実離れした話と言えば、郊外のサレーで、猛スピードで路上レースをしていたらしい車13台を摘発したら、運転していたのは(女性1人を含む)全員が20歳以下で、半分が仮免許か暫定免許中、中には18歳以下の高校生もいた。免許を取れるのは16歳からだから、このあたりまではよくある怖いもの知らずのティーンの話で終わるんだけど、話題をさらったのが彼らが運転していた車。なんと揃いも揃ってものすごい高級車で、ランボルギーニが3台、マセラティが2台のほか、フェラーリ、ベンツ、アストンマーティン、アウディ、ニッサン。どの車もほぼ新車らしく、その価値は合わせて200万ドル(1億数千万円)を越えるというからすごいし、13台中の12台は親の名義だというからまたすごい。さらに、それを十代の子供たちが平日の午後のハイウェイを200キロのスピードで飛ばしていたというのもすごいし、レースのスペースを作るために速度を落とした後尾の2台が並んで走って交通の流れを妨害していたという悪知恵の発達ぶりもすごい。もしもワタシが裁判官だったら、10年くらい免許停止にして、車は没収だな。車は7日。間押収されるけど、実際に彼らがもらった違反切符は196ドルの「注意散漫運転」の一枚だけ・・・。

ニュースの映像に映った若者たちを見て、彼らの親たちの背景についていろいろと疑問がわいてくるけど、ま、ワタシは自分の二本の足の運動代わりに、モールまで郵便箱のチェックと野菜の買出し。玄関を開けたとたんにパラパラと雨粒の音がしたので、カレシの勧めで急遽かさを持参。運動だから、背筋を腰から首筋までしゃき~っと伸ばして、おなかをぐい~っと引き締めて、足も爪先まで気合を入れて、ランウェイを歩くファッションモデルの気分になって、モールまで早歩き。まっ、おちびのおばちゃんじゃあ、誰もモデル気分で歩いているなんて思わないだろうな。だけど、郵便を引き取って、青果屋に回ったら、おお、ぷっくりと実の入った地物のとうもろこしの山だ・・・。

誘惑に負けて買ったとうもろこしは、夕食メニューがアメリカなまずの南アフリカ風カレーだから、真夜中のランチにするか。他にモヤシにアスパラガスにインゲン、ブロッコリ、ほうれん草。トートバッグがずっしりと重くなって、これではモデル歩きは無理。スーパーに回って、ソーセージやら大豆タンパクのチキンナゲットやらを買い込んで予備のバッグに詰めて、トートを袈裟懸けに担いでいる肩はストラップが食い込んで痛いし、伸ばしている背中は筋肉が凝ってくるしで、行きはよいよい、帰りはコワイ。何キロ担いで歩いたのか知らないけど、こういうのを「負荷運動」というんだろうな。垂直に荷重をかける負荷運動は骨を丈夫にするんだそうな。年を取るにつれて、丈夫な骨は自立を失わないための秘密兵器。でも、雨にも遭わずに帰り着いて、文字通り肩の荷を降ろしたら、なんだか背丈が10センチくらい縮んだような感じがしたけどなあ・・・。

難しい話はやめて、寝冷えの話をしよう

9月2日。金曜日。きのうの予報ではまた夏らしくなるということだったので、カレシの要望でクーラーを午前10時過ぎにセットしておいた。ベッドルームは東向きなので、分厚い遮光カーテンをしてあるけど、朝の日が窓に当たるとどうしても室内の温度が上がる。夏の間はシーツ1枚と薄い木綿のブランケットだけなのに、暑がりで汗っかきのカレシはパンツ一丁で寝ていても目が覚めて、そおんまま眠れなくなってしまう。だけど、けさのカレシはむっくりと起きたと思ったら、ワタシの側においてあるリモコンを取ってクーラーをオフにしてしまった。予報ほど気温が上がっていな
かったらしい。午前11時半。

いったんベッドに戻ったカレシが起き出して、ついでにワタシの目も覚めてしまったので、身支度をしてキッチンに下りたらカレシがいない。庭に出て水遣りをしている様子もない。あれ?と思っていたら、トイレから出て来た。どうやら起きてからずっとこもっていたらしい。ワタシの顔を見るなり曰く、「腹具合が悪い。寝る前に食べるのはやめる」と。違うと思うなあ、それ。スモークサーモンをちょっとつまんだけだし、その後でチーズを食べたのはワタシだけだし。あ、それはきっと「寝冷え」。涼しいのにクーラーが入ったから、寝冷えしたんじゃないのかなあ。朝食の後で熱いコーヒーを飲んだらおなかの不調は治まったそうだから、やっぱり寝冷えだったんだろう。

だけど、この「寝冷え」、実際に患ったことがあるかどうかは記憶がないけど、子供の頃には母に「寝冷えする!」とうるさく言われたなあ。だからみんなが食べていたアイスキャンディを食べさせてもらえなかったのかな。不思議なことに、英語には直接「寝冷え」に対応する単語がない。「睡眠中に体が冷えたためになんたらかんたら」とくどくど説明するしかないんだけど、いわゆる「欧米人」は寝冷えなんかしないのかな。元々体温が高めだからそんなに簡単に寝冷えなんてしないのかな。でも、現にカレシが寝冷えした(らしい)ってことは、ふむ、カレシの老人化が進んでいるってことか・・・な?

まっ、たいしたことではなくてよかったね。カレシ曰く、「夜は気温が下がるから、朝からそんなに早く暑くなるはずがない。電気代の無駄もいいところだな」と。ごもっとも。(タイマーをセットしておけと言ったのはアナタなんだけど・・・まっ、自分でオフにしたからいいか。)安心したところで、今日のワタシはお洗濯。大きなベッドのシーツをはがすのに、背中が痛い。膝の関節もちょっと硬いし、歩くと足首の関節がパチパチ言うし、きのう重い荷物を担いで歩いたせいかなあ。つまりは、ワタシも老人化が始まりつつあるってことか・・・な?

日本は週末。ワタシも週末。洗濯機を回している間、小町横町を散策していたら、「奥さん、旦那さんを異性として見れない方、いらっしゃいますか」だって。(この頃はみんなもろに「ら」抜き。)世間一般の結婚は異性婚だから、奥さんは「女」、旦那さんは「男」。それを異性として見られないってのはどういうことなんだろう。妻には夫が「男」に見えなくて、夫には妻が「女」に見えないということだとしたら、いったい何に見えるんだろうな。投稿を読んでみたら、「(結婚10年で)異性としての魅力はまったく感じないけど、嫌いでもなく、仲が悪いわけでもない」。それなりに家族としてやっているということだけど、つまり「家族の一員」という存在は「無性」ということなのかなあ。それとも単にセックスアピールを感じなくなってしまっただけなのか。(それで浮気や不倫が蔓延するのかな。)

ヘンな質問のおかげで、ちょうどちょっかいを出しに来たカレシを思わずしげしげと見てしまったけど、初対面から38年経った今では男盛りはとっくに過ぎているものの、結婚して36年ずっと見てきたこの人、どこをどう見たって「男」という異性以外には見えないし、おじさんになろうが、おじいさんになろうが、男のセックスアピールを感じるけどなあ。カレシにワタシのことを「異性」として見られるかと聞いたら、「異性にしか見えないけど、何に見えたらいいの?この世には男と女しかいないんだし、ボクはゲイじゃないし」と怪訝な顔で答えた。質問の背景がわからないんだから怪訝に思うのも無理はないけど、説明がしにくそうな感じがする。それよりも「寝冷え」の危険について説明しておいた方がよさそうかな。

天高く、脳内を整理整頓する秋

9月3日。土曜日。目覚めは午後12時37分。クーラーのタイマーをセットしないで寝たら、けっこう汗をかいていた。まあ、昼過ぎだし、今日からまた1週間ほど遅れに遅れてやって来た短い夏の最後の足掻きのような予報だからと、起きてからクーラーをオンにする。(二階の寝室のクーラーで冷えた空気が熱交換式の換気装置を通して一階、ベースメントと降りてくるので、これで家中どこにいてもけっこう涼しい。)

きのうの寝酒の友はイワシの燻製。これがまたスコッチにぴったりと来ている。ワタシたちのお気に入りのスコッチはシングルモルトのグレンモレンジー、オリジナル10年もの。スコッチとしてはちょっと薄めの色で、甘みを感じるくらいに軽やか。スコットランドだからかどかは知らないけど、スコッチはスモークサーモンやニシン、イワシといった魚によく合うような感じで、対するワタシの恋人レミ・マルタンは(アルマニャックもだけど)やっぱりソーセージやチーズかな。特にとろりとしたブリーはたまらない。でも、よ~く考えたら寝酒の「友」は4食目にあたるから、食べ過ぎに気をつけないと・・・。

仕事はないし、家事はサボり放題の週末だけど、三連休が明ければ「気分も一新」の9月。何となく何かどこかをちょこっと変えてみたいような気がして来るときでもある。カレシもそういう気分なのか、自分のドメインに英語レッスンのサイトを立ち上げるんだといって、どこかに押し込んであったプログラミングの教科書を探してデスクの周りをごそごそ。整理整頓はいいけど、不用品をリサイクルデポに持って行かないと、いずれ足の踏み場がなくなりそうなんだけど。近頃の日本語には「汚部屋」とか「汚屋敷」とかいう言葉があるらしいよ。丁寧語の「御(お)」をもじることによって、丁寧そうな語感を残したままで他人の「汚さ」をこき下ろす「侮辱語」というところかな。もっとも、我が家は目を覆うような散らかりようではあっても、汚くはないと思うけどな。

と、ここでまたぞろ文化談義に突入しそうな気配。ゆうべ2人で久しぶりにMcWhorter先生の言語学の講義で、話し言葉と書き言葉の差異について勉強した。どこの言語でも日常の話し言葉と本や新聞に使う書き言葉の間には語彙や文法の上でギャップがある。だから、外国語としてまず書き言葉を教えられた人たちが、語彙や文法の知識が完ぺきであるにも関わらず、会話ができないというのは、そういう要因も作用しているんだろう。これは英語しかり、日本語しかり、フランス語しかり。(文法に自信がある人ほど話し言葉が整理されることなく使われる会話で苦労するのかもしれない。)

ところが、どうやら最近の本や文書はどんどん厚く、長くなって来ているという。それはワープロが登場して自在に修正や削除、挿入ができるようになったため、ペンと紙で書いていた頃のように考えをいったん整理してから書き出すのではなく、とりあえず頭に浮かぶままを書き(打ち)連ねるようになったからだろうということだった。ワタシのブログもやたらと冗舌になって来たと思っていたところなので、このあたりはちょっとばかり耳が痛い。そこで読み直してみたら、日記的な部分と、「たわごと的文化論」の部分の二本立てが典型的なパターンで、しかも2つの部分の間には合理的な脈絡がないことが多い。キーボードを前にしているとやっぱり頭に思い浮かぶままをごちゃごちゃ、だらだらと書いてしまうからだろうな。

というわけで、新学年・新スタートの9月をきっかけとして、小町横町の井戸端会議のテーマにまつわるやじ馬的な感想文やその他の文化談義の部分を、日記的な節から切り離してみることにした。ま、一緒くたでも切り離しても、さしておもしろくもないものがおもしろくなるわけがないし、記事はちょっと短くなるかもしれなくても、怪しくなるばかりの日本語の文章力が向上するというわけではないんだけど、思いついたら何とかのものは試しというところ。思考回路もニューロンが絡まって混線や断線にならないように、少しは整理整頓しないと。

おいしく楽しく食べるのが老夫婦円満のコツかな

9月4日。日曜日。汗をかいて目が覚めた。午前11時半。今日は暑くなりそう。カレシがさっそくクーラーをオンにする。予報だと週の後半にかけてかなり気温が上がるらしい。あさってから学校が始まる子供たちはさぞかし「遅いんだよっ!」と青空を見上げて怒っていることだろうな。もっとも、またラニーニャに戻って、この冬はちょっと厳しくなると言う話だけど、前の冬もそういっていたのに結局は寒波は来なかったし、雪も降らなかったからあてにならない。まっ、こういう予報は当たらないほうが良いに越したことはないけど。

朝食を食べながら、「今日のメニューは何?」とカレシ。起きたばかりなのにせっかちだなあ。まだ決めてないと言ったら、「ゆうべのランチはおいしかったね」とカレシ。いわしの燻製と玉ねぎとオリーブ油だけの思いつきパスタだったけど、そういえばずいぶん「おいしい」を連発しながら食べていた。(思った以上においしかったけど・・・。)医者にコレステロール値が高すぎるから魚を多く食べるようにと言われて困った顔をして帰って来たのはもう3年前のことかな。あっさりその日からほとんど毎日が魚中心のメニューにしたら、そのままいろんな魚を食べては「おいしい」と言ってきた。特定の食材について「好きではない」と言うことはあっても嫌いだから食べないというものはないし(それはワタシも同じだけど)、ワタシが作った食事に「まずい」と文句をつけたこともなかったなあ。

うん、男女、人種を問わず世の人間すべてがそうであるようにカレシもいろいろと「ン?」なところがあるけど、こと食べることに関してはたぶん「願ってもないすばらしいだんなさん」ということになるんだろうと思う。まあ、「おふくろの味」と言えるものがないようだし、(特に魚中心になってからは)いつもどんなものが出るかわからない思いつき料理を食べさせられているから、味を比べるものがなくて、それで何でも「おいしい」という評価になるのかもしれない。まっ、テーブルの向かいの「食べる人」が喜んで食べてくれるのが「作る人」としては一番の花丸。命のあるものは死ぬまで食べなきゃならないんだから、何でもおいしく楽しんで食べるのが健康な老後を送るコツかもしれない。

我が家では、「ホームバー」はサラダバーと並んでカレシの牙城。毎週レストランで外食して「食」という名の夫婦のかすがいを作っていた頃、カクテルブームのということもあって、ちょっとしたレストランに行くと必ずと言って良いほど食前のカクテルのメニューが出て来た。そこから今どき風にいうと「おうちグルメ」が始まり、カレシがカクテルを作り始め、凝り性のおかげで今ではバー「極楽とんぼ」のマティニに勝るものはないというくらいの腕前になったからすごい。最近よく作るシンガポールスリングだって、伝説的なラッフルズホテルのものよりも(よけいな果物が入っていないから)ずっとおいしい。おかげで1年に食費と同じくらいの酒代がかかってしまうけど。

考えてみたら、何をおいしいと感じるかは人によってずいぶん違うから、他人がおいしいと言うから自分にもおいしいとは限らない。だからこそ、異なる食環境で育った2人が結婚してみたら「味覚の不一致」という問題も起きて来るんだと思う。でも、自分にとって何がおいしいのかということも実際には一朝一夕でわかるものではなくて、毎日の食経験を通して自分なりの「味覚」が発達するものだと思うから、夫婦の一方か両方が頑固な偏食家でもない限りは、長く食卓を共にしている間に共通の味覚ができて来て、それが子供のない夫婦、あるいは子供が巣立って2人に戻った夫婦の「かすがい」になることは可能だと思うんだけど。

うん、食欲の秋でもあるし、久しぶりににまた極楽とんぼ亭自慢の何ができるかわからない「お味見スペシャル」をやりたくなって来たなあ・・・。

お金はどこをどう回るやら

9月5日。月曜日。三連休の最終日は夏休みの最後の日。午後1時でもう20度を超えている。今日も暑くなりそう。マイクが庭の改修工事の見積もりを持って来ることになっていたけど、両親が遊びに来てしまったとかで水曜日に延期。三連休じゃないの、急ぐことないって。

それでも少し早めに起きたので、ベーコンとポテトと目玉焼きの朝食。マイクが3通りの見積もりを作ったというので、一応の予算枠と工事項目の優先順があるから、どこまでできるか2人してああだこうだ。第一は、池と滝の撤去と埋め戻し、温室への電気供給と給水。生垣の木を何本か抜いて、塀の一部を開けて小さい重機を入れるから、けっこうかかるな。第二は裏口のポーチと階段の取替え。ペンキ塗りするのがめんどうだから、手すりは金属にするかな、やっぱり。第三は数年来カレシが自分で作ると約束して来たパティオ。これに歩道をつけると、敷き詰める素材によってはけっこう高くなる。見積もりによっては地均しだけになるかもしれない。運よくすべてが予算枠に収まって、厳しいという予報の冬に備えて外回りの修理を頼めたらめっけものだけど、建設業界は人件費が高いし、まだ12%のHSTがかかるし・・・。

カナダには積立金が税控除になる個人の退職年金制度(RRSP)があって、預金保険の枠の関係で2つの銀行に分散したことがあった。その後メインの銀行のアドバイザーが系列の証券会社を通じて複数の銀行の定期に分散できるようにしてくれたので、資金をひとつにまとめるためにもうひとつの銀行にあった定期を移転してもらったんだけど、現金であった分が正確な金額がわからないために取り残された形になってしまった。政府登録の年金口座なので、銀行間での書類による移転の手続きを取らずに、自分で口座を解約して現金の形で引き出すと「所得」とみなされて課税されてしまうからやっかい。おまけに微々たるものでも日歩で利子が付くもので、銀行同士でやってもらおうにもその日の金額がわからないし、銀行に電話しようにも近頃の電話問合せは「○○は1、××は2」というメニューの壁で阻んでくることが多い。(うまく行ってやっとつながるかと思ったら担当者が不在だったりする。)

そんなこんなで、残高明細が来るたびに今度こそは移そうと言いながら、う~ん、いったいもう何年になるのやら、この腐れ縁。それが、ワタシの売上が日本の震災と原発にカナダドル高のダブルパンチで今年はかなりの減収になりそうな予測になって、カレシが「現金で引き出して税金を払った方が簡単だ」と提案して来た。そうだなあ、今年というタイミングで考えると名案かも。ワタシの分を加算しても去年の所得より多くはならないと思うし、2人分を合わせるとちょっとした「ボーナス」みたいな金額(庭の改修工事の予備費とか?)になるし、ずっと前に投資させておいて半年で1割も損を出したこの銀行にいつまでもお金をおいておくのも癪にさわるから早く手を切ってしまいたいしなあ。

なあんてつらつらとのんきに考えていたら、仕事がばらばらと降って来た。ひょっとして、ワタシの日本のお客サマたち、太平洋の反対側まで見通せる超能力があったりして・・・。

肥満は人間に逆襲する食い物の恨み?

9月6日。火曜日。レイバーデイの三連休が明けると、いつも何となく改まった感じがする。(日本で言えば4月1日。のような感じかな。)孫世代最年少の姪孫アナベルも今日から一年生。といっても、こっちにはランドセルというものがないから、何を持って行くのかな。ママのセーラはカレシひとつ違いの弟ジムの娘で、ワタシがカナダに来た翌月に生まれた。父親の会社を継いで社長になり、営業部長の婿さんと共に2児を育てながら、母と異父兄も勤める文字通りの家族会社で、36歳の背に一家の生活を担って経営の舵取りをしているしっかり者。今はアメリカの不況とカナダドル高で大変だろうと思うけど。

今日からカレシも英語教室再開。別の教室に行っている台湾系のグループに新聞の読み方を教えて欲しいと頼まれて、「ノー」というのが苦手なカレシ、「火曜日午後、生徒数最低6人、教室の確保」を条件として出したら、期限ぎりぎりで条件を満たして来た。というわけで、毎週火曜日は午後1時から3時まで「新聞」クラスのレッスン、家に帰って夕食をしてとんぼ返りで6時半から8時半まで「初級」クラスのレッスン。ご隠居さんになってからボランティア先生を始めて丸10年になるけど、がんばってるなあ、カレシ。えらいと思う。ワタシもまじめに仕事、やらなきゃ・・・。

午後2時で25度の「真夏」。カレシの教室が終わる時間に合わせて、モールへ。今日は短パンにサンダルに野球帽。いくつになってもこんなかっこうでサングラスをかけて街を闊歩できるのがこの国のいいところ。銀行へ行き、郵便局へ行き、スーパーへ行き、最後に青果屋に行って、遅ればせで旬のとうもろこしを品定め。今日は2ドルで4本(今の為替で1本40円)。山の下の方から太そうなのを引っ張り出して、先の方をちょっとだけ剝いて実のつき具合を見る。今日のは丸々とした大きな粒がびっしり。あれやこれやとじっくり比べてぷっちりとしたのを6本。これで今日の特急ディナーの手当が完了。ミニトマトやブルーベリーを買って、モールの外で帰り道のカレシに拾ってもらって帰宅。さっそく22リットルの大なべにお湯を沸かし始める。

今週の『TIME』誌に「食べ物に関する迷信を解く」という大特集記事があって、日ごろから「あれはダメ」、「これは良くない」、「あれを減らせ」、「これを増やせ」という医学や医療関係の役所のいわゆる研究発表に少なからず疑問を持っていた2人は、心臓外科医のドクター・オズがいろいろな食べ物について広く喧伝されたり、正しいと信じられて来た栄養や健康維持の効果が必ずしも正解でないことを解き明かすのを頭をくっつけて読みながら、うんうん、そうそう。最終的には「バランスの取れた適量の食事とビタミン摂取と運動」が一番もっともなことなんだと思えてくる。いくらダークチョコレートや赤ワインにポリフェノールが豊富に含まれているからといっても、食べ過ぎればメタボになるし、飲み過ぎれば(オズ先生曰く)飲酒運転で裁判所に出頭する危険が高まる。過ぎたるは及ばざるがごとし・・・。

同じものを食べてもメタボ症候群になる人とならない人がいることから、栄養と遺伝子の関連を研究する新分野が開けて来たということは、人間は「食」に関しても人それぞれの個性があって、極論的には、流行ダイエットなどは99.9%の人にとって百害あって一利なしということかもしれないな。特集記事は、人類は食べ物の供給を完全にコントロールできるようになった唯一の生物であり、今直面している最大の挑戦はその食べ物にコントロールされないようにすることだと結ばれていた。

でも、自分が健康に生きて行くためにどういうものをどれだけ食べるかをコントロールするには「自律」という名の努力がいることで、これがなかなか難しい。人間にとっては「自分」が一番思い通りに動かないやっかいな存在だから、舌や味覚に限らず感覚的に自分にとって心地のよいものがあればついその支配に屈してしまうわけで、先進国で肥満が蔓延しているのはそれだけ多くの人がすでに食べ物の支配に屈したということだと思う。食い物の恨みは何とかというけど、ひょっとしたら食べ物の逆襲が始まっているとか・・・?

金の切れ目が縁の切れ目というけれど

9月7日。水曜日。暑ぅ~。なんかヘンな夢を見ていたなあ。最初のうちはカレシがいて、たくさんの人に混じって女王様に拝謁する順番を待っていたみたい。女王様というのは、もちろんバッキンガム宮殿にお住まいのあの女王様。それだけでヘンな夢なんだけど、いつの間にかカレシの姿が消えて、へえ、ひとりずつなんだ~なんて思っているうちにどうやらワタシの番。通されたところには女王様がいて、ワタシは前に進み出て左足を後ろに引いて上体を落とす「curtsy」という優雅なご挨拶。いただいたひと言、ふた言は間違いなく女王様の声だったけど、まるで『不思議の国のアリス』のチェシャー猫の相手をしているみたいで、いつのまにかスポーツバーのようなところにいて、いつまで待っても女王様もカレシも再登場しないので、「そろそろおいとました方が良いのでしょうか」なんて聞いていた。ほんっとにヘンな夢・・・。

寝ぼけ半分で起きてしまったけど、まずはマイクが来る前に午後5時までに納品する仕事を仕上げておいた。マイクがきたのは2時過ぎ。事実上3つのプロジェクトの見積もりの説明を受けて、全部足してみたら2万ドルの予算枠にきっちりと収まった。ということはそれで決まり。手付金の小切手を渡してしゃんしゃん。工事の日程が決まったら、当面は否応なしに早起きだなあ。それでもまあ、「耕作面積」が何倍にもなるカレシがもう今から来年の作付け計画?を立てているのを見ると、ワタシも来年はグルメ野菜の料理法をリサーチしといた方が良さそうだな。うん、まあ今の時点では取らぬ狸の皮算用なんだけど・・・。

マイクが帰って後でカレシがちょっと心配そうな顔で「この予算でいいの?」と聞くから、我が家の経理部長(ワタシ)は「想定内だからOK」と回答。この10年、カレシはちょっと値の張るものを買うときになると、最初から買う話をして2人とも了解済みでも「買ってもいいの?」と聞いて来る。ふだんからワタシに家計の管理をまかせっぱなしで、実際に残高がどれくらいあるのか知らないからだろうと思うけど、みんな共同名義の口座なんだから自分でチェックして大丈夫かどうか判断してくれないかなあ。会計士なんでしょ、アナタ?それに引退したんだから、「家に帰ってまで金勘定はやりたくない」という理屈はもう通用しないでしょ?(だいたい今度のは基本的にカレシのプロジェクトなんだし。)

ワタシは共働きの稼ぎはその多寡に関係なく「夫婦共有」のお金という主義だから、日ごろから赤字になったり、破綻したりしない範囲であれば「使うのに互いの許可は不要」と言っているんだけど、カレシは「ボクのは遊んでいて入って来る金だけど、キミのは働いて稼いだ金だから」とちょっとひねくれた理屈をこねる。「キミがこんなに稼いでくれるから、ボクは早期退職ができそうだなあ」と言っていたのは誰だったっけなあ。まあ、アナタのは長年働いて給料から払い込んだ年金だから「遊んでいていいよ」というお金で、ワタシはまだ年金をもらう年じゃないから働いて稼いでいるんであって、そのときになれば「遊んでいていいよ」というお金が入って来るというだけの違いじゃないかと思うけど。(働かないで入るお金で遊んでいて悪いと思うんだったら、掃除洗濯ぐらい引き受けて・・・は、無理だろうなあ。)

どこかで北米の離婚原因の一位は「お金」という話を聞いたことがあった。ワタシたちは共働きの給料をすべて共同口座に入れて、ワタシが家計を管理していたけど、それでけんかになったことはなかったから、意外に思ったものだけど、あの頃は共働きがあたりまえになりつつあったときだから、新しいお財布2つの家庭経営の方法を模索していたのかもしれない。ワタシが知る限りではお金の扱いでもめて離婚に及んだカップルは2組でどちらも若いキャリア組だった。最近は(アメリカでは)お決まりの「浮気/不貞」、「意思疎通の問題」、「DV」が離婚原因のトップ3になっているそうな。でも、アメリカの不況が長引けば、また「金の切れ目が縁の切れ目」になるカップルが増えるかもしれないな。

小町を見ると、日本でも共働きが増えて家計の分担で悩んだり、もめたりするカップルが増えているらしい。収入と家事をくっつけて、収入比率は○対○だから家事分担比率はその反比例というような分担は、一見して公平そうではあるけど、日本流の「平等感(=自分が損をしない)」が働くとどっちも不満を抱えてけんかに発展する確率が高くなりそう。やっぱり、結婚した2人が稼いだお金は「2人のお金」と考える方が妥当な気がするな。でも、内心では格差に引け目を感じていたらしいカレシの例のように、金の切れ目でなくても縁が危なくなることはある・・・。

(脳内の整理整頓をしてみたけど、「小町横町の井戸端会議のテーマにまつわるやじ馬的な感想文やその他の文化談義の部分を日記的な節から切り離してみる」のはやっぱり無理だなあ。日ごろ見聞きすることをやじ馬的に頭の中でああだこうだと談義しているのが、どうやらワタシの不可分の「日常」ということらしい。だから何ともヘンな夢を見るのかなあ・・・。)

懐かしい丸の内ホテルに泊まれるかな

9月9日。金曜日。暑いなあ、今日も(といっても、午後3時で25度。少し早めにクーラーがオンになるようにタイマーをセットしておいたら、朝から肘がだる~く痛い。冷えちゃったのかなあ。

木曜日のきのうは、金曜日午前7時の期限を目指してのるかそるかの仕事日で、1万メートルを全力で走るような勢いで集中して仕事、仕事。いや、こんなに気合を入れて仕事をしたのは何だか久しぶりの感じ。もっとも、相変わらずだらだらとやっていたら、期限間際になって気合を入れざるを得なくなったというのが真相なんだけど、とにかく2日。分に近い仕事を崖っぷちで1日。に詰め込むのはあまりほめられたもんじゃないな。でも、科学論文と違って、社会学系統のは何が言いたいのかすぐにはわからないことが多いから・・・。

それでも午前4時ちょっと過ぎに完了して、ふう、間に合ったあ。今回は校正者が日付変更線の同じ側のずっと東の方にいて、こっちの午前4時は向こうの午前7時。ちょうど朝起きて朝ごはんを食べている頃だから、いいタイミングではあるな。次の仕事もちょっと大きくて、う~ん、1日。半分の量がありそう。期限は土曜日の午前7時。ということは今日一日でがんばって、寝る前に仕上げて送っておかないとならない。これは校正者がオーストラリアのあっちの端だから、送る頃にはもう夜になっていて店じまいしている頃。丸い地球の上での「グローバルビジネス」はなんともややこしい限り・・・。

カレシは大あくびをしながら終わるまで付き合ってくれたけど、この仕事の報酬で来年は丸の内ホテルに3泊か4泊はできるからね。去年の会議で日本へ行ったときに、丸の内ホテルのすごい変貌ぶりにびっくりして、2人して感慨にふけってしまった。新婚旅行を兼ねた結婚後初めての里帰りで、日本に着いた最初の夜に泊まったのが東京駅そばの丸の内ホテル。ずんぐりむっくりの古い建物で、窓のカーテンを開けると向かいに同じようにずんぐりむっくりしたオフィスビルがあった。どの階も窓に煌々と明かりがついていて、午後10時過ぎだというのに、あちこちにかたまった灰色のデスクの間を縫ってワイシャツ姿の男たちがたくさん歩き回っているのが見えた。カレシ曰く、「どうして家に帰らないの?」

あれは35年前の1976年の月。高度成長時代を経て、経済大国になりつつあった日本だったけど、スチールとガラスの高層ビルの建設はまだ始まったばかりだったのかな。全体的に何もかもが古ぼけて、薄暗く見えたような気がする。(パチンコ屋だけは目が眩むくらいにまぶしかったけど。)ま、バブル時代さえ記憶にない今どきの若い人たちにはそういう「東京」は想像もつかないだろうな。電車の駅には改札係がいて、通る人の切符にパチパチとハサミを入れていた。乗客の流れが途絶えたときでも、手に持ったハサミを止めずにカチカチと鳴らし続けているのを、カレシはかなり感心して眺めていたっけ。あれは生身の人間が東京を、日本を動かしていた時代だったと言っていいのかなあ。

さて、次の仕事に没頭しないと。これはPRだからさしてめんどうはないだろうけど、なんかびっしりとああだこうだとご託宣が並んでいるなあ。お堅いところだからそうなってしまうのかな。ひとつ、バリバリがんばったら、新しい丸の内ホテルのいい部屋にもう1泊できるかな。(ふむ、36年前の新婚旅行で東京着の初めての夜に泊まった思い出のあるホテルなんだと言ったら、もしかして日本流に特別サービスしてくれるかな・・・?)

でも、文字数が数千字もあって、しかも意味を調べるにも読めそうにないような難しい漢字がやたらと多いなあ、これ。はて、午前3時の完了目標、大丈夫なのか・・・?

地震があったんだって

9月10日。土曜日。正午をずっと過ぎて、午後1時に近くなってやっと起床。なんだかまだ寝たりない気分。きのうもがんばって、目標の午前3時をちょっとだけ過ぎたところで仕事が完了。肩が凝るやら、目がしょぼつくやら。でも、とにかく起きてから「休みだ~」と猫のようにいっぱいの伸びをして、ああ、仕事がなくて自由なのっていいもんだなあ・・・。

きのうはバンクーバー島の北西沖でM6.4の地震があった。このあたりではちょっと珍しいくらいの大きな地震だけど、ワタシたちは5時のニュースを見るまで知らないでいた。発生時間は午後12時41分で、ダウンタウンの高層ビルでは照明やブラインドがかなり長い時間揺れたそうな。日本のような「震度」という単位がないからどれだけのものだったかはよくわからないけど、テレビの映像ではたしかにシャンデリアがゆ~らゆ~ら。カレシもまったく気がつかなかったようで、2人して地震があった時刻に何をしていたか思い出そうとしても、何にも感じなかったんだから、思い出せない。まあ、震源地はバンクーバーから300キロ近くも離れているし、ビルの中にいても気づかなかった人も多いそうなので、地盤や建物によって違ったのかもしれない。

これが「200年以内」に起きると言われている「The Big One(でかいやつ)」だったんならそれに越したことはないけど、M 6.4じゃあどう見ても違うだろうな。バンクーバー島の西側は、島の北端からずっとオレゴン州の南端まで、北米プレートと太平洋プレートに挟まれたかっこうで細長いフアンデフーカ・プレートがあって、太平洋プレートに押されるように北米プレートの下に沈み込んでいるもので地震が起きやすい。なんでこんなところにかけらみたいなプレートが挟まっているのかというと、フアンデフーカ・プレートはほんとに太古の昔にあったプレートの「かけら」だから。

何千万年か前にはここに大きな「ファラロン・プレート」が北アメリカから中央アメリカまで続いていたのが、太平洋プレートが楔のようにごりごりと押し込んで来たもので、ファラロン・プレートは2つに分断されてしまった。そのひとつがフアンデフーカ、もうひとつはバハカリフォルニアから中米にかけて残っているココス・プレート。太平洋プレートが北米プレートに向かってごり押しを続けたもので、分断されたプレートはどんどん引き離されてしまい、小さい方のフアンデフーカ・プレートは1千万年くらい先には北米プレートの下に完全に押し込まれて消滅してしまう運命にあるんだそうな。壮大な地球の物語といったところだけど、きのうの地震は後ろからぐいぐい押して来る太平洋プレートに「押すなってば!」とばかりに肘鉄を食わせたせいかも。地球もこの大きな宇宙の中ではひとつの生き物なんだなあと思う。

そういえば、月曜日は満月。9月の満月は「Harvest Moon(収穫の月)」と呼ばれる。明るい大きな月が秋の収穫を急ぐ畑を照らしてくれるからだとか。


2011年8月~その3

2011年08月31日 | 昔語り(2006~2013)
豊かになるほど人はお金に飢えるもの?

8月21日。日曜日。暑い。午後1時にはもう25度に迫っている。郊外は30度を超える予報だそう。公式記録の測定地点が海風が通るバンクーバー空港ということもあって、内陸のフレーザーバレーでは公式記録よりだいたい5度~7度くらい夏は高く、冬は低い。そのバレーでやっときのうになってこの夏始めての30度を記録したというから、まさに今年は冷夏だ。

債務の限度を増やして支払不能を回避しようと議会でさんざんもめたアメリカのお手元不如意はどうやらかなり逼迫しているらしい。アメリカ国籍の人は海外に住んでいても毎年所得税の確定申告をする義務があるんだけど、IRS(内国歳入局)が申告をしていない海外居住者の摘発に乗り出したという話。アメリカに納める税金がなくても、居住国にある総額が1万ドルを超える銀行口座や不動産、信託などを報告しなければならないそうで、申告漏れがあると、口座1件につき罰金が未申告1年当たり1万ドル。自主的に申告すれば減額される時限措置が今月31日。で切れるということで、間に合わない人がたくさん出そうと言う話。まあ、外国に住んでいる人から罰金を取り立てられるのかどうかはわからない。

一番びっくりしたのはカナダとアメリカの二重国籍の人たち。アメリカ国籍を持っていても、カナダで生まれてカナダ人として育った人たちはそんな義務があるとはまったく知らずにいたケースがほとんど。普通に持ち家と銀行口座があるだけで破産しそうな罰金を取られることになる。さらにIRSが外国の銀行に客の「国籍」を記録させて、アメリカ人について報告させ、拒否したら罰則というという方針を決めているそうだけど、カナダではプライバシー保護法に触れるからそれはできないから、ややこしくなりそう。まあ、国際的には認められないだろうと言うのが専門家の意見だけど、ほんとにアメリカはよっぽどの金欠国なんだろうな。そんなの払えないからアメリカ国籍を返上すると言ったらどうなるのかな。

イギリスの新聞『The Telegraph』には、中国の大都市で女性が結婚相手に求める条件として持ち家をトップに掲げ、結婚相談所には高所得者との結婚を希望する女性が急増しているそうで、政府が「金目当ての結婚」を阻止しようとしているという記事があった。車を持っていればなお良いそうで、家なしの男性との結婚はリスキーな「素っ裸婚」として嫌われるらしい。「愛よりもお金」の結婚で離婚もうなぎ登りらしく、別れる夫婦の半分は財産分与でもめるとか。中国の最高裁判所は「離婚にあたっては、家は買った方またはその資金を出した親のものになる」という判決を出したという。いやあ、日本でも経済高度成長時代に適齢期の女性たちが「家付き、カー付き、ばばあ抜き」を結婚の条件にしていたもんだけどね。今の日本では男性の「年収が何百万以上」でないとリスキーな結婚と言うことになるらしい。中国の女性は「専業主婦」願望はないらしいけど、所詮は「お金」が条件であることには変わりないか。男はますます辛いなあ。

戸建ての平均価格が7~8千万円(新築はすべて1億円以上)もして、親の援助が期待できないバンクーバーだったら、若い男性が結婚できる確率はコンマ以下になってしまいそうだな。どうりで、離婚しても財産分与に家は含めないという「pre-nup」と呼ばれる婚前協定の締結を要求する男性が出てくるはずだな。日本人と結婚するのにそれを持ち出すケースもけっこうあるという話だけど、まあ、日本女性だって、3年間はスポンサーになった夫に扶養義務があるから働かなくてもいいと勘違いしている人が多いし、結婚する前から離婚後の慰謝料や財産分与について質問しているのを掲示板でよく見るから、どっちもどっちだとしても、世の中、世知辛いなあ。

愛し合った2人が結婚して、力を合わせて一から家庭と財産を築いて行く、というのはもうロマンチストが描く絵そらごとでしかなくなったのかなあ。まあ、昔はみんな今よりも貧乏だったから、愛しているいないに関わらず、「所帯を持つ」ということはそういうもんだったのかもしれないけど、それにしても、社会が豊かになればなるほど人はお金に飢えるもんなのかなあ・・・。

体の中からの冷えは冷房より怖いらしい

8月22日。月曜日。電話で目が覚めた。こんな朝っぱらからいったい誰なんだ!と、ベッド脇の時計を見たら午後12時17分。「営業時間」なのだった。これは失礼をば。ワタシのビジネスの代表番号でもある我が家の電話は、ボイスメールが「営業時間は午後12時から午前12時までです」というメッセージを流すもので、ワタシたちの超夜型の生活時間を知らない人たちはけっこうびっくりするらしい。でも、知っている人たちは正午を過ぎてからかけても返事がないと、「いつでもいいから、起きたら電話してくれ~」なんてメッセージを残してくれる。

今日の電話の主はトロントのデイヴィッド。ボストンの後でモントリオールに行くことで大枠がまとまったので、今日は飛行機の予定の話。ワタシたちのルートはどうやらバンクーバー→トロント→ボストン→トロント→モントリオール→バンクーバーということになるらしい。スケジュールを調べていたトラベルマネジャー(カレシ)によると、トロントへは火曜日に「Red eye」(寝不足で目が赤くなるから赤目)便と呼ばれる夜行便、トロントとボストンの往復は4人一緒、トロントからモントリオールへは鉄道で、4人で行くかどうかは未定、モントリオールで1泊してワタシたちは翌日トロント経由の深夜便で火曜日の丑三つ時のバンクーバーに帰ってくるという日程。まっ、それでいいでしょ。

今日は雨もよう。午後2時の気温は15度で、きのうとはエライ違い。さんざっぱらぐずぐずしておいて、やっと到来と思ったらもうへたれて「休み」なんて、だらしないよ、夏。他のところで猛暑を振りまいて調子に乗っていて、冷たいものを食べ過ぎたんじゃないだろうな。暑いからと言って冷たいものを食べ過ぎると、冷房病よりもたちの悪い「内臓冷え」になると、今日の産経に書いてあって、日本では若い人を中心に低体温化が進んでいるといるらしいという印象だったけど、それをさらに冷やしていいのかなと思った。体が中から冷えると臓器の血行が悪くなって、下痢や便秘を招き、免疫力が低下してアレルギーを引き起こしやすくなる。さらには血行不良によって肩こり、偏頭痛、不眠、食欲不振、低血圧を招くそうで、ガンやうつ、不妊の人には冷えが多いとか。

そういえば、伝統的な日本食にもけっこう冷たい食べ物が多いような感じがする。世界の暑い地域には香辛料をたっぷり使って汗を出す食べ物が多いのとは対照的に見えるけど、舌から涼感を得るという、「夏の風物詩」みたいな日本的感覚なのかもしれない。でも、その上に冷たい飲み物やアイスクリーム、甘いものなどをいつも飲んで食べてしていたら、体の方が冷えているのがあたりまえと思い込んでもしょうがないか。だからといって実際の生理機能はそう簡単に順応してくれないから健康リスクが出て来るんだろう。病原菌もがん細胞も体温が36度以下だと増殖が活発になるらしい。それに、血行(つまり血のめぐり)が悪くなれば、脳にも十分な血液が行かなくなって、何らかの悪影響が出てくるんじゃないという懸念がわいて来る。低体温の上に低血圧なんてことになったら、どんなことになることやら。

ワタシは冷たいものや甘いものをあまり食べないし、超夜型でも生活時間のサイクルはいたって規則的で、そのせいか体温もいたって普通に37度近くある。いつも血圧が低い!と騒いで(はしゃいで?)いるわりには、実際には上が100、下が60を切ることはそんなに多くないから、緩やかな「定義」によれば低血圧ということにならないそうな。トレッドミルで運動をした後に測ってみても、せいぜい5mmHgぐらいしか上がらないことが多い。60代前半の女性の平均値と比べても、一般に正常な血圧の目安といわれる「年令+90」と比べても、いかにも低すぎるような感じだけど、「平均」というのは魔法の数字だし、「目安」は所詮「目安」だから、健康で活動的でポジティブであれば何でもありだと思う。この年になっても熱い血の気が多すぎるということだったら、どうしよう。へたに冷やしたら、さらに血圧が下がって、病気になっちゃうかも・・・。

不倫事情は小説よりも奇なり

8月23日。火曜日。きのうの今日でまたちょっと夏が復活。ほんとに落ち着かない天気だな。

あさってはウィスラーへ出かけることになっているのに、そういうときに限って仕事がどさどさっと入って来るからいやになっちゃう。どうしてなんだろうな。ジンクスの一種かな。おかげでまたぎりぎりまで仕事、帰ってきてすぐに仕事。土木工事の話、不倫の話、企業案内、社会学の論文と、まるで今どきの空模様のようにテーマがあっちゃこっちゃと飛躍するから、こっちもきりきり舞い。そこが何でも屋の悩みであり、楽しみでもありなんだけど、とにかくがんばることにする。土木工事の話は参考資料をちょっと探して読めばイメージがつかめるから、用語がわかれば後は簡単。やりにくそうなのは次の不倫の話だな。

小町横町の井戸端会議でもしょっちゅう取りざたされているところを見ると、職場での不倫はもう日常茶飯事のことなのかという印象をつい持ってしまいそうなんだけど、原稿を読んでみたら、小町横町で話題になる話とそっくり。既婚者が独身の女性に不倫関係を持ちかけるときの定番のせりふまで同じ。この前は、北米でこんなことをしたら警察に告発されるなあというような状況で、「被害者」はちゃんと出勤して、一緒に仕事。それで気があると勘違いした男がさらにアタックして、やっと女性は「困った、どうしよう」という悠長な展開のものがあった。ほんと、自分の女性としての尊厳を傷つけられているにも関わらずはっきり「ノー」と言わないのはどうしてなんだろう。思うところがあって言わないのか、それとも何らかの縛りがあって言えないのか、わからないけど、「妻とうまく行っていなくて」なんて常套句につい母性をくすぐられるのかな。ほろっとしてして結んでしまう関係は「愛」とはほど遠いものだと思うんだけど、さびしい人たちが多いのかもしれないとしても、初めから不毛な関係はさびしすぎないかなあ。

いやあ、事実は小説より奇なりというけど、ガラス張りの瀟洒なビルの中で繰り広げられる恋愛もようは小町横町の井戸端よりも赤裸々な感じだな。まちがいなく現実に起こっている事実だからだろうな。浮気や不倫への誘いの定番ともいえる「餌」のせりふがずらりと出てきて、下手くそな小説を読んでいるような感じがする。(カレシが使ったせりふも出てきて笑ってしまうけど、このジャンルの男女関係は人種を問わない普遍的なものだということがわかる。)それにしても、何かにつけて登場する「飲み会」と言うやつは曲者だな。小町に流れる噂では「ノー」と言えないもので、しかたなく出席してその場の雰囲気になじまないでいると「空気の読めないやつ」と排斥されるらしい。まあ、酒の仲立ちがなければつながれない人間関係もさびしいなあと思うけど、それくらい「人見知り菌」が蔓延っているということなのかあ。

言葉は絶えず変化して行くもので、日本語もその例に漏れないわけだけど、こういうのを訳していると、非難や糾弾、拒否、蔑視といったネガティブな感情を薄いベールをかぶせて表現する手法?や婉曲表現は興味が尽きないし、いろいろと勉強にもなっておもしろい。常日頃、暇さえあれば小町横町を徘徊して、井戸端会議を岡目八目で野次馬見物してきた甲斐があったというものだけど、モラルや人間観の基軸を揺るがすようなテーマだけに、何だかなあとため息のひとつも出て来るというもの。いつからそんなに緩んだのか知らないけど、今にもずり落ちそうなそのたがをもうちょっと締めたらどうなんだろうと思う。でも、あんがい部外者の目には緩んでいるように見えるけど、たがの持ち主には緩んでいるような感じはしていないということもあるか。

でも、愛ってなんだろう、結婚ってなんだろう、倫理とはなんだろう、と深く考えをめぐらせ始めたところでいつもどどっと入って来るのが仕事。まあ、人生の毎日がこんなんだから、たぶん一生かかっても結論にたどり着けそうにないだろうな。じゃ、腕をまくって、次の仕事、するか・・・。

男のおひとり様は長生きしないと言う話

8月24日。水曜日。ん、今日は暑くなりそうだな。カレシがなぜか寝つきが悪かったと10時ごろに起きてしまったので、一緒に目が覚めてしまったワタシも、しばらくうとうとしてみたけど、結局は11時に起きた。ま、お出かけ前の今日中にやっておくことがいくつもあるから、たまの早起きもいいか。

朝食を済ませて、まず今日の郵便をチェック。ふむふむ、月初めだったか、テクニカルな問題でインターネット接続が1日。以上中断していたけど、プロバイダの電話会社から「お詫びのしるし」として10ドル割引のお知らせが来ている。インターネットのアカウントはカレシだけど、電話はワタシの名義になっているので、お知らせはワタシ宛。この10ドル、電話料金から引くのか、カレシのネット接続料金から引くのか、どっちなんだろう。どっちでも支払の出所は同じだからどうでもいいんだけど。

郵便のもうひとつはFolio Societyの新年度のカタログ。ここは1年に最低4冊の本を購入するのが条件になっていて、未発行の分もまとめて10月初めまでに注文しておくと、すごく高そうな本を2、3冊おまけにつけてくれる。在庫一掃の狙いもあるだろうけど、これでけっこう分厚い百科事典や、語源辞典、スラング辞典といった特殊の辞典をもらって重宝している。じっくりとカタログを見て、とりあえず新刊から、H.E.ベイツの『The Darling Buds of May』(イギリスのテレビシリーズになって、若き日のキャサリン・ゼタ・ジョーンズが出ていた)、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』、マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』、後は既刊のリストからどれか1冊ということにするか。毎日少しずつ本を読む習慣をつけておけば、老後に退屈することもないだろうしね。(カレシはいつもトイレに長々とこもって読書をするから、2人しかいない家なのにバスルームが2つ必要なんだけど。)

きのうやっておいたjuicyな(おいしい)仕事をもう一度見直してさっさと納品。このあとどういう展開になるか野次馬的な興味はあるけど、まっ、人生いろいろというところ。きのう寝ている間に「不在通知」が入っていた小包を取りに行く。スイス製の缶切り2個(カレシは黒、ワタシは赤)と人間工学的デザインのオレンジ/レモン絞り。新しく見つけたネットショップで、関税と売上税を源泉徴収してくれないから、その上にカナダポストに通関等手続き料として8ドル50セント取られた。(あれ、前は5ドルだったのに、いつから値上がりしたんだ?)郵便局の次は保険代理店。エコーの保険が今日の真夜中で切れる。排気ガスの検査なしで更新できるのは今年が最後。来年からは検査所にでかけて行って、検査をして、合格証をもらってからでないと保険を更新できなくなる。めんどうなだなあ。廃止されると聞いていたのに、2020年まで延長されたんだそうな。ふむ、それまでには電気自動車が主流になっていたりして。

次は酒屋へ行って在庫の補充。お気に入りのレミ(VSOP)は箱に「XOミニボトルつき」というステッカーが貼られていたので、念のために中をのぞいたら、ない。他の箱も開けてみたけど、ない。おまけのXOのミニボトルが入っていないではないか。レジでどの箱にもおまけが入っていなかったと言ったら、「納品されたときから入っていなかった」とのこと。化粧箱は封印されていないから、誰だって開けられる(現にワタシも開けて中を見たし)。製造元で入れ忘れたのでなければ、フランスから輸入されて、ここバンクーバーの酒屋に配達されるまでの間のどこかで誰かがくすねたということかなあ。エアラインサイズのミニボトルをどこかに横流しするつもりだったのかな。ま、ただのものはなくても損はしないんだけど、それにしても、おまけが入っていないのを承知でそのまま売ってしまう酒屋も酒屋で、さすが州政府のお役所商売というか・・・。

スーパーに回って、明日の夜のカレシの食料を調達。昔は1週間分ぐらい作り置きして出かけたものだったけど、今はカレシの自立のためにもやらないことにしている。カレシが選んだのは大好物の豆腐入り肉なしラザーニア。電子レンジで温めるだけだから、臨時おひとり様にはもってこい。ランチはどうするのかと聞いたら、「卵かカップヌードル。となりのパットを呼んで2人で飲むさ」。あ~あ、今回はひと晩だけだからいいけど、結婚しなかったか離婚や死別でおひとり様になった男は早死にするという統計数字がすごく現実的に見えて来る。いずれはどっちかが先に逝くのが自然の摂理ではあるけど、最愛?のカレシがこんなんだと、おんぶに抱っこのじいちゃんやもめになるカレシが心配で、おちおち先に逝けないじゃないの。逆に、おばあちゃん未亡人は生き生きとして来て、長生きするという話を聞いたけど・・・。

女子会の温泉旅行に出発

8月25日。木曜日。暑くなって来た。ウィスラーはもっと暑くて、明日は30度という予報。あそこは山の中の盆地だから夏は暑い。そのかわり空気が乾燥しているので、トースターでこんがりという焼け方をするけど。

着替え、日焼け止め、化粧品、サンダル、水着、カメラ・・・ぜ~んぶOKで、準備完了。10年前に買った水着がまだ着られた。(スパやホテルのジャクジーに入るには水着が必要。)12年前に半年で数キロも激減した体重が、この10年(特にこの2、3年)の間にじわじわと戻ってきて、今では昔の半分を「取り戻した」というところ。でも、10号から4号に下がった服のサイズはまだ変わっていないから不思議。まあ、ちょっときついかなあという感じはあるとしても、しばらくはかなかったデニムの短パンにもちゃんと納まって、ほっ。

女友達同士でつるんでのお出かけを今どきの日本では女子会というんだそうだけど、おばさん2人のカナダ版「温泉旅行」、いざ、出発!

天国の女子会から帰って来たら

8月26日。金曜日。いやあ、行って来ました。2人だけのおばさん女子会。家にこもっての毎日だからこそ、たまには家のことも仕事もほっぽりだして遊びほうけるのもいいもんだなあ、やっぱり。誘ってくれて、ありがとうね!

天気も良くて、ウィスラーまでのドライブもスムーズ。ホテルまで簡単に行き着いて、部屋に入って思わず「ええっ?」と言ってしまったのがこれ↓

[写真] 何だって部屋の中の、それもベッドのすぐそばにバスタブがあるんだろう?バスルームにはシャワーがあるけどバスタブはない。部屋の設計上、スペースが足りなくてバスルームには設置できなくて、やむを得ず部屋の中に置いたとか。それとも、気泡風呂だから、ゆったりとテレビでも見ながら入るためなのか・・・?

[写真] ちょっとふざけてベッドの上においてあった熊ちゃんといっしょに入ってみたけど、お2人さま用のサイズではないから、ラブラブのカップルのためというわけではないな。小さなキッチンが一応整っているから、ひとりがバスタブに背を向けてスナックか何かを作っている間に、風呂に入るというのもありかもしれないけど、それもどうも何だかなあ。カーテンも何もないから、うっかりハンドシャワーをベッドの方に向けたりしたら、びしょぬれで寝られなくなりそう。

それと、バスタブの後ろにある窓。バスルームの側にはブラインドがあるけど、何でバスルームに窓がいるんだろうなあ。なんとも不思議・・・。

ホテルから離れたところにあるスパは自然の中のアウトドア。まあ、日本の温泉で言えば「露天風呂」のようなもので、蒸し風呂とサウナ以外は露天プール。名前からして北欧式ということで、蒸し風呂やサウナでたっぷり汗を出しては、24度の水風呂と40度の熱い風呂で、滝に打たれたり、ジェット水流にマッサージをしてもらったりと、好きなだけ楽しめる。どこにいてもニューエイジ風のソフトな音楽が聞こえて、いたるところに「Silence(静かに)」の標識。あちこちの良く見えるところに時計があるのもおもしろい。シャワーをして、水着に着替えて、3時間ほど、あっちに入ったり、こっちに入ったり。クローバーのような形の風呂は体が軽くてジェット水流の中でいい運動になるけど、上がるときには体がやたらと重くて、地球の引力のすごさを思い知らされる。

スパで天国の気分で心身ともにたっぷりとほぐして、寄り道をしながら楽しく帰ってきたら、週明け一番(日曜日の夕方)が期限の仕事がどん。おまけに、いつの間にか家の外に路上駐車してあるトラックの後部のナンバープレートを盗まれて、カレシは盗難届けを出すやら、プレートのない車を路上駐車しておくと「違法放置車両」として引っ張っていかれるから、急遽エコーを外に出してガレージに入れるやらのひと騒動。あ~あ、下界は何かと騒々しいから、またスパへ行きたくなってしまった・・・。

男の子だ、留守番くらい何だ

8月27日。土曜日。起床は午前11時半。きのうは世間一般的な7時起床で、何となく普通時間の一日だったのに、どかっと置いていかれた仕事の算段をしているうちに午前3時半で、あっという間に元の「ふくろう標準時間」に戻ってしまった。まあ、1日。だけだから、体内時計はそれほど混乱しなかったんだろう。今日もまだ少し暑め。今日はとにかく徹底した仕事日・・・になるかな?

いつの間にか仕事のファイルが3つになっていたもので、ちょっぴり焦る気分で朝食後に直ちに勤務開始。宣伝文書はおもしろいけど、日本語と英語の感性がかけ離れているので、そのすり合わせがちょっとめんどうくさい。宣伝だから、格調が高そうに聞こえる言葉を並べたいのは理解できるとしても、すんなりと英語にならない語句がきら星のごとく並んでいるし、お堅い業界の印象としっくりしないようなセンチメンタルな表現が多いなあ。まあ、こういうテーマをやるたびに、日本語や日本文化のいわゆる「感性」というのは、「もののあはれ」に代表されるように根本的にセンチメンタルなんだと思う。要は、日本語と英語では感じどころのツボが違うということか。

ワタシが仕事にかじりついている間に、カレシはひとりで盗まれたトラックのナンバープレートを再発行してもらいに行った。ほんとは同伴してもらいたそうだったけど、なにしろ仕事があるもので、再発行料(18ドル)の20ドル札を渡して、行ってらっしゃ~い。10分もしないうちに保険代理店から「盗難届の受理番号を忘れた」と電話。メモした紙をマグネットで冷蔵庫に止めておいて、そのまま忘れて行ってしまったと。この番号がなければ新しいナンバープレートを発行してもらえない。しばらくして新しいプレートと、ついでに買って来たという盗難防止の止めねじと六角レンチのセットを持って帰って来たと思ったら、いつの間にかお昼寝。カレシのような性格だと、こういう事件はストレスが大きくて、ど~っと疲れた気分になるんだろうな。

夕食後もワタシは仕事、仕事。納期までの時間がちょっときついから、使い始めてまだ6ヵ月足らずで文字が半分近く消えてしまったキーボードをばんばんと叩く。近頃のキーボードは、キーの文字は移し絵でくっつけたようなものだから、1年もしたらほとんどが爪で削り取られて、タッチタイピングの練習用にしかならなくなってしまう。それでも昔取った杵柄でそれほど不便はないけど、なんとかならないのかなあ、これ・・・。

いつの間にか後ろに忍び寄っていたカレシ曰く、「やっぱりキミがいるほうが気分が落ち着くなあ。ひとりでいると家中の空間が広すぎていけない。ベッドに入っても何だか寒いし・・・」。あ、そう。それ、ひょっとして「ひとりでさびしかったよ」という意味なのかな?男の子でしょ?ひとりで(電子レンジでチンだけど)ちゃんとご飯を食べたし、お皿もちゃんと洗ったし、しっかりお留守番ができてえらいと思うけどなあ。留守番、ありがとうね。まあ、スパ通いに味を占めて、たぶんまた遊びに行っちゃいそうだけど、ワタシも「家」という空間にはアナタと2人でいて幸せだと思うよ。

死せる政治家、死せる政治

8月28日。日曜日。ああ、8月も後ちょっとでもう終わりかあ。のんびりした気分で起きて、あっ、きのうねじり鉢巻で奮戦していた仕事は今日の夕方が期限だった。ついでにもうひとつの小さいのも同じ時刻が期限。まるでオーバーブッキングした航空会社みたい。何やってんだろうなあ、ワタシ。これではのんびりなんかしていられないじゃないの。

朝食もそこそこにさっそく仕事にかかって、午後いっぱいキーを叩く。右手は中指の付け根とその上の関節と、親指の関節と、左手の親指の関節と・・・う~ん、痛くない関節ってあるのかな。いわゆる変形性関節症で一種の老化現象。左利きなのに右手の方が痛い指が多いのがちょっと不思議だけど、キーボードは両手利きだからかもしれない。まあ、花も恥らう18のときにタイプライターのキーを叩き始めて45年。社会人になってから何度か転職したどの職業にはタイプライターやコンピュータが付いて回って来たから、一種の職業病とも言えるのかな。それでも、スパのプールでふわふわと運動して来たおかげで、傷めていた膝の靭帯の方はトレッドミルに戻れそうなくらいに回復したようだから、この次は手指の「湯治」に行こうかなあ。

金曜日のうちに例の統合売上税の是非を問う住民投票の結果が発表されて、連邦税と州税を元の通りに分離する「復古派」が勝った。2本立てに戻るのは2013年の春ということらしいけど、カレシがかっていた州の消費税部はとっくに解散して、みんなどこかへ配転か転職してしまっているそうだから、改めて募集をかけて部署を再設置しなければならないだろうな。えらいこっちゃ。州の売上税は付加価値税のように取引の流れの中で順繰りに控除するしくみになっていないので払いっぱなし。ワタシも四半期ごとの申告業務が15分ですんで、しかも12%そっくり還付されてホクホクしていたのに、また1時間もかけて連邦税だけを抽出して申告するようになる。それで還付されるのも5%の邦税の分だけで、何か損な気がしないでもない。まっ、レストランの食事や継続教育の受講料には州税7%がかからなくなるから、いいのかな。最終的にはろくな根回しもなく導入されたことに怒っていて、そんな理由でめんどうくさい2本立て制度を復活させるのは経済の観点からは愚かだと思うけど、政治が経済に勝ったというところか。

きのうはガンで急死した新民主党のレイトン党首の国葬があった。在任中に亡くなったとは言え、野党の党首を国葬にするのは異例のことだそうな。先の総選挙で万年第3野党だった新民主党を第一党に躍進させた功績は大きいと思うし、ハーパー首相も一目置いてはいたようだから、これから議会で野党の先陣に立って政治手腕を発揮しただろうと思う。ワタシは新民主党は嫌いだけど、レイトンはたぶんリーダーとしても人間としても真摯に自分の信念に尽くした人だったんだろう。道半ばにして倒れた闘士というところかもしれない。それはそうとしても、一般市民が支持政党に関わりなく吐露する悲嘆の感情をテレビで見ていて、漠然とした怖さを感じた。何かにつけて悲嘆が群集心理になって怒涛のように街に溢れる現象が、この10年かそこいらの間にそういう文化を持たなかった社会にも広がりつつあるような気がする。人間が激情化して来ているのか、負の感情が心の深層に鬱積しているのか、そのあたりはよくわからないけど。

ほお、日本はまた総理大臣のすげ替えか。年令が54歳というのは日本のものさしではすごく若いうちに入るんだろうけど、写真を見るとずいぶん老け込んで見えるなあ。ま、総理大臣はルックスで決めるもんじゃないからどうでもいいとしても第1回投票で主意だった海江田が小沢色が強くなったために結局は負けたということだけど、鳩山グループとか菅グループとか小沢グループとか、昔の自民党の「派閥」とどう違うんだろうな。まあ、日本の政治って国を治める「国政」よりも党を治める「党政」の方が重要らしいから、総理大臣が交代しても国政の方はあまり期待されていないかもしれない。東京市場の株価は結果が出たとたんに伸び悩んでしまったそうだし、わずか20数年前には肩で風を切る勢いだった日本という国の先行きは「依然として不透明」ということか。さて、新しい首相はいつまで首相でいられるのか・・・。

夫婦は同床、別床、別室のどれがいいの?

8月29日。月曜日。起きてみたら、ん、空は高曇りで、ちょっと涼しいような。8月もあさってでもう幕だもんな。9月になってレイバーデイの三連休が終わったら、新学年が始まって、秋、秋、秋・・・。

きのうはかなりがんばったから、今日はかなりダラ~ン。目が覚めたのが午後12時12分。カレシが「あと10分」と言うので、2人してでダラダラ。カレシはまだひとりでは寒かったと言っている。そりゃあ、クイーンサイズのベッドにひとりで寝たら広すぎて温まらないだろうと思うよ。ホテルの大きなベッドだって同じことで、ワタシだってひとりで寝るとなんか寒い感じがする。まあ、36年も一緒のベッドだから、互いの体温があるのがあたりまえの感覚になっていて、それで「寒い」と感じるのかもしれないけど。時計が12時22分になって、「起きるぞ~」とカレシ。ふむ、女子会から帰ってきて以来、なんだかべたべたモードって感じだなあ。

のんきにベーコンとポテトを炒めて、カレシが目玉焼きを焼いて、朝食が終わったらとっくに1時半を過ぎていた。秋間近の8月の午後はつるべ落としとまでは行かないけど、どんどん短くなる。(その分もっと早く起きればいいんだけど。)ゆっくりと本を読んでいたら、新しいナンバープレートをトラックに取り付けるから手伝えというので、ガレージへ。仰向けになってトラックの下に潜り込んだカレシがプライヤーでナットを押さえて、ワタシは外から六角レンチでねじを締める。たまたまサイズが合うレンチを持った泥棒がいても盗まれないように、止めねじの頭の六角穴にシリコーンを入れたらと提案したら、「このねじでも盗まれたらそうする」と。ふむ、東京電力は福島原発で15メートルの津波を想定したシミュレーションをやっていたそうだけど、「もしもそういうのが来たら対策を実施しよう」なんて言わなかっただろうなあ。アナタの危機管理は大丈夫?

小町横町をのぞいていたら、国際結婚妻が寝室を別にしたいと言って夫に「それは夫婦が離婚の危機にあるということだ」と却下され、夫婦が寝室を共にすることが「そんなに重要なことなのか」と聞いている。ワタシの両親は同じ部屋に2つ布団を敷いていたような記憶があるけど、日本ではそんなに普通に別々の部屋で寝るのかなあ。カレシの両親も80代に近づいて、一軒家からタウンハウスに引っ越したときに初めて別室になった。早寝早起きのママと夜更かし朝寝坊のパパでは生活時間が違いすぎたんだろうと思う。我が家は別室にしにくい設計になっていることもあるけど、もめていたときでさえ別々に寝たいと思ったことはなかったな。同床異夢を承知で意地でも同じベッドで寝るというのではなくて、漠然とベッドを別にしたら2人の関係は二度と元に戻れなくなりそうな気がしていたということなんだけど、たまたま結婚指輪を外していただけでも「離婚か?」とパニックになったカレシだから、もしも別々に寝ると言ったら大変な修羅場になったかもしれない。

アメリカの1950年代から1960年代のホームドラマを見ていると、夫婦の寝室には必ずツインベッドがある。それがその時代の流行だったのかとカレシに聞いてみたら、「あの頃はHayes Code(ヘイズ規範)というのがあって、テレビでも映画でも男女が同じベッドで寝ているところを見せられなかったんだよ。たとえ夫婦でも」という意外な答が返ってきた。ヘイズ規範は1930年代後半にハリウッド映画の倫理規定として作られて、少しずつ緩められながら(あるいは緩みながら)も1960年代の終わりまで映画やテレビでせりふの言葉やラブシーンの描写を細かく規制していたとか。自由の国アメリカにもそういう窮屈な時代があったということで、テレビの影響なのかどうかはわからないけど、実際に同じ寝室でツインベッドで寝る夫婦も多かったらしい。たぶん、50センチくらい離れた2つのベッドをくっつける夫婦が出てきて、だったらひとつのベッドの方がいいじゃないかということになって、そこから夫婦同衾の観念ができたのかもしれない。もっとも、年を取ってからいろんな理由でベッドを分ける夫婦もかなりいるらしい。

日本の場合は、布団そのものが基本的にシングルサイズだから、「ひとり寝」があたりまえの生理感覚になっているということも考えられる。子供が生まれれば、子供が両親の間に割って入る「親子川の字」が円満な家族の理想像とされているところもあるし、結婚することが「最終目的」になっているような印象からしても、昔の家族制度の観念が未だに潜在意識に残っているのかもしれない。要するに、ひとつ屋根の下で生活を共にする単位は「夫婦」ではなくて「家族」ということなんだろうな。それで、国際結婚の日本人妻たちが寝室を別にしたいと言い出して、夫婦がは同室、同じベッドがあたりまえで、別室は離婚の前兆と思っている外国人夫たちを慌てさせているのかもしれない。書き込みを見る限りでは、夫に「ノー」と言われてしぶしぶながら同じベッドで寝ている妻が多いようで、ま、夫婦は今のところ安泰ということか。ごちそうさま。

時空間を越えたなんちゃらテイストの悲喜劇

8月30日。火曜日。1時間おきくらいに目が覚めたもので、ぐっすり眠った気がしない。寝つきが悪かったのかな、寝る頃にかなりの空きっ腹状態だったのを無視してそのままベッドに入ったからかな。満腹で寝るのは良くないという話を聞いたことがあるけど、空腹を抱えて寝るのは良くないという話も聞いたことがあるなあ。北米には「寝しなに温かいミルクとクッキー」という都市伝説みたいな話もある。どこかで幼い頃の記憶につながっているのかもしれないけど、温かいミルクが体を中からリラックスさせてくれるらしい。もっとも、クッキーをひと袋全部食べてしまったら効果は落ちるかもしれないな。

朝食は普通に食べて、コーヒーマグを片手に読書。E・F・ベンソンの『Queen Lucia』。ルチアことエメライン・ルーカス夫人は教養と芸術の薫り高いライゾームという村に君臨する金持ちマダム。夫君とは(知っている範囲の)イタリア語を混ぜて会話をし、近所の有閑マダムたちの動静にレーダーを張り巡らし、エレガントなガーデンパーティを催したり、パーティに集まったお客に『月光のソナタ』の第1楽章(だけ)を披露したりして、村の教養文化をリードしている(と思っている)。古い長屋を何戸かぶち抜いて改造した家は、徹底的にシェイクスピアが活躍したエリザベス朝様式なのが自慢の種らしい。たまにおでかけになるロンドンは「せわしなくて品がない」。ルチアが住む村のライゾーム(Riseholme)という名前は「地下茎」(rhizome)に引っ掛けて、噂好きなマダムたちが村中に張り巡らせている詮索の触手を象徴しているんだろう。

読みながら、小町横町にときどき登場する、「カントリーテイスト」とか「ナチュラルテイスト」とか言う「おうち」で、珪藻土の壁がどうの、アイアンがどうの、アンティーク雑貨がどうの、オーガニックがどうのと、リネンのドレスにお団子ヘアでなんちゃって風の「ていねいな暮らし」をしているマダムを想像してしまった。度を越した模倣や形へのこだわりは普遍的にこっけいだから、どこでも悲喜劇のネタになるんだろうな。ルチアの舞台は第一次大戦前のイギリスの有産階級で、お団子ヘアのフレンチカントリーマダムの舞台は二十一世紀の東京郊外のなんちゃらセレブ階級という違いはあるけど、その見栄っ張りで「頭の中がお花畑」的な似非教養人ぶりになんだか時空間を超越した共通性が感じられておもしろい。今、ルチアの関心の的はスピリチュアルに凝っているマクォントック夫人の家に来た住み込みのインド人のヨガの師匠。マンネリ化した村の文化活動に新風を吹きむ主導権を取ろうと画策するルチア。さて、どんな展開になるか。

今日は仕事がないので、午後いっぱいは「カレシサービスデイ」。庭仕事に欠かせないiPodが壊れたということで、新しいのを買うことにした。ブロードウェイまで車で行って、Whole Foodsのある地下駐車場に止めて、まずは2ブロックほど先のBest Buy。いいのが見つからなければ、Whole FoodsのとなりにLondon Drugsがある。ダウンタウンから橋を渡って南側のこのあたりはいつの間にかコンドミニアムや大きな商業施設が建て込んで、そのうち次代のダウンタウンになりかねないような盛況になっている。これから開発前線はキャンビーの坂を南へまっしぐらに進んで行くんだろうな。南端のマリンドライブでは駅を取り込んだ大規模な総合開発の承認が下りたばかり。どうやら、交通機関の駅と商業施設やコンドミニアムを直結させることの将来的価値がわかってきたらしい。日本のように「駅まで徒歩5分」が一番のセールスポイントになる時代が来るのかな。

結局、iPodは壊れたのと同じClassicの第5世代というのがあって、それで決まり。Whole Foodsに戻って、シリアルや魚の買出し。ランチにする魚バーガーも、マグロ、サケ、マヒマヒの3種を揃えて、野菜もオーガニックは高いけどめんどうだからここで最低限の仕入れ。郊外のチリワック特産のとうもろこしが1本89セント(70円)。先まできっちり実が入っているのを2本買って、今日の夕食はここで必ず買うカニのケーキと、オーブンのブロイラーで焼いたとうもろこしと、海草ヌードルと野菜のポン酢和え。ちょっとところてん風の海草ヌードルはカレシがコリコリした歯ざわりをいたく気に入ったということで、あんがい実験メニューの定番になるかもしれない。それよりも、思いつき買いした「玄米もち」の方はどうしたものか。お雑煮風にしてみるとか・・・。

ほんとに近頃はおもしろそうな食材にどんどん遭遇するようになって、食道楽にとってはまさに極楽の天国。それなのに空きっ腹でベッドに入って睡眠不足なんてヘンじゃない?

他人のまねをすること、たまたま同じになること

8月31日。水曜日。目が覚めたのは午前11時53分。今日はシーラとヴァルが掃除に来るので目覚ましを11時55分にセットしてあったんだけど、なぜかこういうときはアラームが鳴り出す何分前かに目を覚ますことが多い。せっかくわけのわからない夢を見ながらよく眠っていたのに・・・。

家の掃除が終わったのと入れ替わりに、日本暮らしから戻って来た友だちが子供を連れて遊びに来てくれた。前回会ったのは何年も前の子供が生まれる前のことだから、ほんとに久しぶり。日本で震災と原発事故があって以来、家族をまとめてカナダに戻って来た人たちはかなり多いらしい。夫の国への移住に難色を示す日本人妻たちも多いだろうけど、まだ幼い子供がいれば日本での将来に対する不安は大きいだろうし、「帰るところ」があれば帰ろうと思うのも自然な流れだと思う。片言を話し始めた子供は、初めはちょっと人見知りがちだったけど、慣れたら子供らしいエネルギーを全開。世界のどこでも、誰の子供であっても、2歳、3歳の頃は文句なしにかわいいよなあ。(子供には恵まれなかったワタシがふと「こんな子供を抱いてみたかった」と思う瞬間でもある。)

イギリスの『エコノミスト』誌が恒例の「世界の最も住みやすい都市ランキング」を発表したのはいいけど、ずっとトップにあったバンクーバーがメルボルンとウィーンに抜かれて3位に転落。なんでもインフラや交通の便の項目で「マラハット・ハイウェイの工事による頻繁な通行止めの不便さ」がスコアを下げた原因ということで、それを聞いたバンクーバーのメディアが一斉にニュースで取り上げた。というのも、「マラハット・ハイウェイ」は海峡を隔てたバンクーバー「島」にあって、渋滞しようが通行止めになろうが、バンクーバー「市」の住民にはちっとも不便はないのだ。(バンクーバー市民でさえこのハイウェイがどこにあるかを正確に知っている人は少ない。)ワタシが愛用している権威ある英和辞典の旧版にはバンクーバーは「同名の島にある港湾都市」と書いてあって仰天したけど、第6版が発行されたときには訂正されていた。『エコノミスト』の担当者はなんか苦しい言い訳をしていたけど、あの由緒も権威もあるはずの『エコノミスト』誌がのこ体たらくでは、いったい何を信じたら良いやら・・・。

ブログの編集ページにいつもあるgooランキングのリストに「身近な知人にマネされたくないもの」のランキングがあって、小町の井戸端でも「マネされた」という愚痴が登場するから、いったいどういうことを真似するとい嫌がられるのかなと思ってのぞいてみたら、「マネされたくないもの」ランキングの第1位は「ファッション」だった。ええ?身近な知人(友だちのこと?)にマネされたくないって、みんなが真似するからファッションなんだと思ってたけどな。去年東京の繁華街を歩いていて、何でみんな同じようなファッションなの?と思ったけどな。本屋に入ってみれば、華やかな女性雑誌にはそれを立ち読みしている人たちと同じようなファッションが満載、というよりは立ち読みしている人たちがファッション情報を仕入れて、「真似」しているんだと思ったけどな。知人だか友だちだかが同じような格好をしているからって、自分のファッションを真似されたと思うのはちょっと自意識過剰じゃないかと思うけどな。

ランキング第2位は「持ち物」、第3位以下は、「口癖」、「髪型」、「香水」、「行きつけの店」、「休日の行動」、「音楽の趣味」、「習い事」、そして「字」。持ち物にしても、ブランド品だって中国での大量生産だし、口癖にしてもみんなが何気なく口にする「流行語」のようなものがあるし、「髪型」だってその時々の流行があるし。6位以下の項目だって、要するに、たまたま行きつけの店が同じだったり、音楽の趣味が同じだったり、同じ習い事をしているのがわかって、うれしくなってついうっかり「アタシもそうなの」と言ったら、真似していると思われて、嫌われたり、疎遠にされたりする危険があるということかな。人が真似をしてくれないと流行にはならないんだから、真似されたなんて怒るよりも、真似されるようなものを創造した自分を褒めてあげるべきだと思うけど。

それにしても、他人には「みんな同じ」を求めたがるのに、他人には真似されたくない(他人と同じになりたくない)と思うのは、目立ちたがり屋が増えたのか、あるいは自分が「特別な存在」でありたいという願望なのか。自分は固有の存在だという認識に立っているのであれば、個性尊重の意識の芽生えと考えられないこともないけど、他人の自己決定権を否定し、個性を排除しなければ自分の個性(自己)を主張できないとしたら、個性尊重もへったくれもあったもんじゃないと思うけどな。人生は「たまたま」の絡み合いの連続なんだし。


2011年8月~その2

2011年08月21日 | 昔語り(2006~2013)
運動の話がなぜかお米の話に

8月11日。木曜日。きのうは最高気温が19度までしか行かなかったけど、今日はまた夏が再開の感じ。カレシが朝食の準備をしている間に何気なくキッチンの窓から庭を見ていたら、小さい鳥の群れが行ったり来たりしている。我が家の庭に来る野鳥の中では一番小さくて、秋になると群れになって山から里へ降りて来るヤブガラという種類で、3羽とまってもキンギョソウがびくともしなかったくらいに小さい。テレビをつければ、もう紅ザケが遡上して来ているという話で、ひょっとしてこのまま秋に突入してしまうのかな。

きのうしばらしく静かだったところからちょっと大きめの仕事が入って来たので、別の飛び込み仕事をささっと片付けた後は、嵐の前の休養の日ということにする。夕べは久しぶりによ~く眠って、咳も出なかったし、「寝た!」という気分で目が覚めた。カレシの提案で、トレッドミルでの運動を再開したのが良かったのかな、やっぱり。夕食の支度の時間が近づく午後4時過ぎに、どっちかがまずオフィスにおいてあるトレッドミルのデッキを下ろしてセット。ワタシは古いTシャツとショーツに着替えて、運動靴を履いて、時速約7キロ半のスローペースで15分。距離にして1周400メートルのトラックを4周半というところだけど、ヘッドバンドをしていてもゴールする頃には汗だく。そこですぐに降りずにトレッドミルのハンドルを握って、ゆっくり呼吸を整ながら、心拍数の下がり始めてから120を切るまでの時間を測る。走り終わってすぐの心拍数は年令的にはかなり良いらしい150~155で、普通は50秒から1分で120を切るから、その日の体調の目安にもなる。

買い物などに歩いて行った日はトレッドミルは休みで、カレシは庭仕事をした日も休み。しばらくサボっていると、まずウェイストのちょうど上のあたりのわき腹がタプタプしてくるのに気がつく。俗に「love handle」と言われるやつで(あのときにつかめるから「愛の取っ手」と呼ばれる)、1週間くらいさぼっていると指でつまめるようになり、1ヵ月もさぼると指先でつまめるくらいユルユルになって来るだんけど、トレッドミルで走り始めるとだいたい2日。くらいで指先ではつまみにくくなり、1週間もするとつまめなくなるからおもしろい。走ることで揺さぶられるからなのか、あるいは走るという動作がそのあたりの筋肉を使うからなのか、よくわからないけど、ついでに背中側のブラの下の出っ張りも締まってくるし、基礎代謝率も上がるから、熱いシャワーで汗を流していると鼻歌のひとつも出て来るというもの。(子供の頃には体育の時間が大っ嫌いだったのにね。)

夕食を済ませてオフィスに戻ってみると、あら、また仕事。ちょっぴり夏休みになるかなと思ったのに、また週末の置きみやげ仕事か。たぶん金曜日だとあせって文書を作って、じゃあ月曜日の朝にと飛ばしてきたんだろう。それで自分は週末休みなんてちょっとずるくないのかなあ。ま、そこを「こっちも週末で~す」とお断りしなかったのはワタシだから、自分に文句をいってもしょうがないか。それに日本は猛暑だし、お盆だし。猛暑と言えば、全国的に天候不順で米不足が起きた1993年(だったかな)に父の一周忌と母の十三回忌で日本へ行っていたワタシたちが東京にいたのはちょうど今頃だったと思う。東京はちっとも暑くなかった。暑くないどころか、真夏の8月だと言うのに長袖を着て歩けて、すごく奇異な感じだったのを覚えている。

ロイターズの記事に、70何年ぶりだかで再開した日本の米の先物取引がどうやら「正常化」したという話があった。一時はすごい高値で値幅制限にひっかかって売買が成立しなかったらしい。でも、試験的に2年間という条件付とはいえ、今の時点で米を先物投資の対象にしてもいいのかなあ。まあ、放射能汚染などで食べられる米が不足するかもしれないから今のうちに買っておけば儲かると考える人もたくさんいるんだろうけど、投機資金が流入して値段が高騰したら、米騒動が起きるかも(いや、日本人はおとなしいから起きないか・・・)。あの寒い夏の米不作のときも買いだめや売り惜しみがあり、日本が国内の不足をまかなうために世界市場で大量に米を買い付けたために、他の米消費国でも価格が高騰して国民が困ったという話があるけど、そうして調達した米を日本人が喜んで食べたかというと、どうもそうではなかったらしい。特にタイ米は「臭い」と不評だったようで、品種からして違う米なんだからしかたのないところもあるけど、文句を言えるということは、背に腹は代えられないほどの事態じゃなかったということかな。

ワタシはタイのジャスミン米が好きだし、玄米も黒米も赤米もインドのバスマティ米も好きだし、豆類を混ぜた韓国の五穀米や七穀米も好きだし、リゾットにするイタリアのアルボリオ米も好き。若竹の汁を吸わせた緑色のバンブー米(ほのかに青竹の香りがする)のような珍しい米があるとつい買って来てしまうくらい「穀類」が好きなんだけど、日本の米だけはあまり熱狂しないなあ。お寿司には使うけど、ご飯は私の口には甘いし、なぜか次の日には体重が増えるし・・・。

ついで、ついでは大荷物のもと

8月12日。金曜日。またキツツキが屋根のてっぺんを叩くもので、10時過ぎに目が覚めてしまった。もっとも今日は少しして静かになったから、そこらじゅうに響く音を立てられなくてつまんなくなったのかもしれないな(と、能天気に解釈してみる)。カレシが目を覚まさなかったので、ワタシもそのまま眠りに戻ったけど、何とかならないもんかなあ、いたずらキツツキめ・・・。

次は角を曲がってHマートへ。テレビのニュースで、店があるビルのすぐ外の交差点で道路が陥没して、朝から復旧工事をしているとニュースで騒いでいたけど、全然そんな気配がなくて、普通に車が走っている。でも、よく見たらアスファルトが黒々としている長方形の部分があって、どうやらそこが陥没したところらしい。なあんだ、うちのチビのエコー(ヴィッツ)でもよほどうまく狙いをつけないとスポンとは落ち込めそうにないような大きさ。どんな大穴が開いたのかと思っていたのに、ちょっと拍子抜けの感じ。まあ、かなり交通量の多い交差点だから、大きな穴が開いて何日も交通止めになったら大変だっただろうけど。Hマートには日本人らしい客がけっこう入っていた。「らしい」というのは、この頃はすれ違いざまに韓国語と日本語を聞き分けることができなくて、意識して聞いてやっと日本語だとわかるから。ワタシの耳がおかしいのかと思ったけど、彼女たちの今どき日本語の方が昔と違っているからじゃないのかなあ。今日の買い物はニラとししとうとぶなしめじとえのきと干しわかめで、ついでに海草のごま油漬け。

オークリッジ駅で地下鉄を降りて、オークストリートまで5丁ほど。途中で横断歩道に止まった車の後ろを回って通ったら、背後から「エクスキューズミー」と女性が叫ぶ声。何事かと振り返ったら、歩道に止まっていた車のドライバーがしきりに指差ししている。あはあ、なかなか信号が変わってくれないので、通りすがりのついでに歩行者用ボタンを押してくれというわけか。はいはい。通りすがったついでにちょっと手を伸ばして信号機の大きなボタンを二度ほどポンポン。信号はすぐに変わったらしく、左折した車がププッと「お礼」のホーンを鳴らして走り去った。いいえ、どういたしまして。ドラッグストアの奥にある郵便局で、転送されて保管されていたカタログばかりの郵便を受け取って、重くなって肩からずり落ちるトートバッグと格闘しながら、モールへてくてく。

スーパーでミルクだけ買って、ひと駅だけ地下鉄に乗って帰るつもりだったのが、青果屋でとうもろこしの山を見つけたのが運のつき。たぶん内陸地方の産で、4本で3ドルはちょっと高いけど、先っぽまでよくぷっちりした実が詰まっているから、買わない手はない。携帯で留守番のカレシにタクシーサービスを頼んで、太いとうもろこしをじっくりと6本選び、ついでに大きな台湾キャベツを1個、ついでのついでに地物のブルーベリーのトレイ(約1キロ)を1個、ついでのついでのついでにアスパラガス1束。到着したカレシが果物を買うというので、その間にスーパーへ回ってミルクを4リットル入り1本、ついでにソーセージを1パック、ついでのついでにほうれん草入りトルティヤを1袋。店に戻ってみたらカレシがまだバナナを選んでいたので、ついでにナスを1本としょうが1袋・・・。

やれやれ、ついで、ついでと調子よく買い物をしていたら、とうとう想定外の大きな荷物になってしまった。でも、おかげで今日は、大きなとうもろこし2本ずつと、庭に茂りすぎたルッコラのカレシ特製サラダで、今年初めての真夏の感じがする夕食。さて、ここで1日。半でできる仕事の「半分」でもやっておかないと、日曜日にまた時計と睨めっこになりかねないから、まっじめに「仕事モード」に切り替えよう。あ、3日。でできる仕事もちゃんと3日。でやっておかなきゃね・・・。

浮気相手と結婚させるのも仕返しのうち?

8月13日。土曜日。眠たいなあ。何だか目が覚めてばかりでよく眠れなかった。まず7時前の相当に早い時間にジェット機のような轟音が頭の上で響いて目が覚めた。もやっとした頭で今日はずっと郊外のアボッツフォードで恒例のエアショーがあることを思い出して寝なおし。だけど、半分ヘンな夢を見ていたんだか、半分夢うつつに考え事をしていたんだか、なぜか脳みそが眠ってくれなくて、とうとうぐっすり眠れないまま。どうしちゃったのかなあ・・・。

いつも7月から8月にかけてはメトロバンクーバー全域でひっきりなしにイベントがあって、週末ともなると押せ押せの感じになる。半年もどよんとした曇り空か霧か長雨の続く「冬」を太陽の光を待ちかねて過ごすところだから、晴天が続く短い夏は遊びだめの時期。特に春から低温続きで「いったい夏は来るのか」とやきもきさせられた今年は何かみんなせわしない感じ。まあ、来週の週末からは雨が降るというジンクスがある恒例のPNEが始まるから、急がないとね。ローカルニュースで、秋の気配がして来たという天気キャスターに、スポーツキャスターが、「秋の気配なんか3月からずっとだったよ」と茶々を入れていたけど。

今日は土曜日だけど「仕事日」。きのうのうちにまじめ?に2割がたやっておいたので、午後のひとときを後ろでうろつカレシを無視してひたすら仕事に集中。トレッドミルの時間になる頃には6割くらいになった。まあ、職場での人間関係のもつれに比べると、いたってドライなビジネスの係争で、弁護士が事実関係をこと細かにかつ明確に並べ立てたものだから、言葉の選択も奥深く考えなくてもいいから、楽と言えば楽な仕事。ちょっと小言を言われて「人格否定された」と騒ぐような心理を翻訳するのはかなりのストレスになる。だって、「人格否定」というのは、たとえば人を奴隷にしたり、女性を家財のように扱ったり、故意に存在する人をまるで存在しないかのように扱ったり、自分の理想の通りに人を作り変えようとしたり、つまりは人を(自分でもなく自分の所有物でもない)別個の意志と価値観を持ったひとりの独立した人間として見ないか、見ることができないことだとワタシは考える。極端に言えば、他人の人格を否定する人は自らが何らかの人格障害を持っているんじゃないかと思うことがある。

小町にここ1ヵ月くらい続いている夫の不倫のトピックがあって、小町横町では不倫や浮気のごたごたは日常茶飯事なんだけど、このトピックはなぜか胸に突き刺さるものがあった。相手の夫が不倫を知って修羅場になって、同時に待ち望んだ妊娠がわかった身で、ときには挫けそうになりながらも、仕事をこなしながらしっかり地に足をつけて対応しようとしたこの妻は強いなあと、ちょっともらい泣きしそうになりながら読んでいた。不甲斐ない夫とストーカー的な不倫相手の間も修羅場になったようで、しばらく別居するけど、その後でまだ愛のある夫とおそらく再構築の方向へ進むであろうと。それに対して、当然のごとく大勢の反応は小町語の慣用句のようになっている「慰謝料をもらってさっさと離婚しましょう」。夫婦はそんな風に割り切れるもんじゃないのにと思っていたら、誰かが「必死で離婚を勧める人たちは何なんだ」と書き込んでいた。

曰く、「何で別れないの?と不思議がる人たちは理性と感情の狭間で引き裂かれた経験がない、ある意味で平和で幸せな人たちなんだろう」。そうかなあ。ほんとに幸せな人たちは「必死で離婚を勧める」ことはしないだろうと思う。ワタシはあまり幸せでなさそうな人たちの方から「どうして離婚しないんだ!」という無言の圧力を感じた。いくら親切心からのアドバイスなのだと解釈しようとしても、あのときは「離婚しないのは許せない」的なオーラからすごい違和感とストレスを感じて、しまいにはここでもまたモラハラをされているのでは、自己決定権を奪われようとしているのではという感覚に陥って、怖いと感じたものだった。

そりゃあ慰謝料をふんだくって離婚できたら簡単でいいだろうとは思うけど、カナダでは「慰謝料」なんてものはないし、離婚届にハンコを押して役所へ持って行けばいいってものでもないから、簡単には行かない。まあ、ふと「もしもカレシが強引に日本へ行ったときに離婚していたら今頃はどんな生活かな」と考えることは今でもたまにあるけど、経済的には何の心配もなかったから、たぶんカレシがいなくなってさびしいくらいで、その他の生活はそれほど大きく変わらなかったかもしれないな。カレシははたしてどうだったのか。お水のお仕事のカノジョには振られただろうけど、自分の世話をする人が必要だから「女房が出て行ったので結婚できるけど」とか何とか言って、愛さえあれば年の差も厭わないという奇特なオンナノコに言い寄って、理想のかわいい日本女性との蜜月が冷めないうちから「だらしない」、「かたづけない」、「気遣いがない」と毎日何かにつけて文句を言われては「人格否定だ」とぶっちぎれているところかな。(うはっ、我ながら恐るべき想像力だな。ひょっとしてまだ怒ってる・・・?)

ふむ、つまりはカレシへの仕返しとして離婚してのぼせた相手と結婚させるという手があったということになるのかな。まあ、いくらワタシの人格を否定した行為に対する罰だといっても、それではカレシがちょっとかわいそうなことになりそうな気がするけどなあ・・・。

夫婦とは神秘なものと見つけたり

8月14日。日曜日。何とかまともに眠れて、午前11時50分に目を覚まして即起床。予報されていた雨は降らなかったようで、いい天気。ポーチの温度計は午後1時で摂氏18度と、また「冷夏」モードに逆戻りの感。見上げる空の色も何となく・・・?

今日が納期の仕事は、ゆうべ最後の最後というところに来て何とも煮え切らない文章に引っかかって、見直しが今日にずれ込んでしまった。日本語のビジネス文書には実際には存在しないものを存在するかのように表す用法がいくつかあって、その最たるものがいつも翻訳者を悩ませる「等」で、へたをするといたるところに「etc.」をちりばめた、英語文書としてはあまり見てくれの良くないものなったりする。書いた人には別に「他にもまだある」とほのめかそうとか、焦点をぼかそうといった意図があったわけではなくて、深く考えずに習慣的に付け足しているんだろうから、これも日本語文化に特有の「あいまい表現なんだろうと思うしかない。だけど、言語文化の「壁」をロッククライミングよろしくよじ登らなければならないこっちは息切れ状態・・・。

ま、もう一度見直しをして、それでも納期には余裕で納品して、仕事は無事に完了。年とともにくたびれるようになって来たけど、終わったあ~という気分はやっぱりいいな。カレシがそれを察して、「今日のメニューは何?」と聞いてくるから、今日はケイジャン風ベトナムなまずとルイジアナ風とうもろこしのマクシュー。「お、スパイシーだから、サラダも合わせなきゃ」と張り切るカレシ。きのうは離婚が一番の仕返しになり得るようなことをつらつら考えていたけど、今日は相手の取りようによっては離婚しないのが一番手痛い仕返しってこともあるんだろうかとつらつら。まあ、ワタシはやっぱり理屈抜きでカレシが好きだし、カレシの年令を考えたら「じゃあアタシが」とすっかりカナダ化した古女房に替わってくれる奇特なヤマトナデシコが今どきいるとは思えないから、あれから10年を過ぎて振り返って見れば、穏やかに「友白髪」が2人にとって一番の帰結だったのだと思えるな。ねっ、そうでしょ、カレシ?聞いてるの?(はあ、またヘッドフォンをしてる・・・。)

だいたいにおいて、夫婦というのは親と過ごした時間よりも長い、人間の生涯で一番長く、一番親密な関係だと思う。ただし、うまくやっていけたらの話で、(子供として)親と過ごした時間の方が夫婦の時間よりも長いうちはまだ精神的に夫婦を解消しやすいところがあるような感じがする。たぶんまだ親元という「帰るところ」が地平線に見えているからだろうと思うけど、「いつまでも親がいると思うな」と亡き父がワタシの自立を促して言った言葉の通りで、夫婦の時間が親と過ごした時間よりも長くなる頃には、もう帰るところがなくなっているのが普通だろうな。いがみ合ってみても、2人の間には長い時間が流れてしまっていて、複雑なしがらみもできていれば、「情」や「家族愛」と称される感情もあるだろうから、おいそれと「じゃあ、離婚ね」というわけにはいかないように思うけど、それができるなら長いこと夫婦でなくなっていたということで、それはそれで当事者たちには最善の解決策なんだろう。逆に、周りがいくら離婚を勧めても別れない夫婦にもそれぞれに一緒にい続ける理由があるはずだからこそ別れないことを選ぶんだと思う。

長く夫婦をやっていれば、あばたもえくぼに見えてくるだろうし、逆にえくぼがあばたに見えてしまうときだってある。男と女を基本とする「夫婦愛」がいつの間にか「家族愛」といわれるものに変わるということもあるだろうな。子供というかすがいがあればなおさらのこと、夫婦愛よりも家族愛が支配的になるのかもしれないし、男と女としての熱情が冷めたが故に「夫婦愛」とは違った情愛が生まれるのかもしれない。ときには、友愛とか、同志愛とでもいえるようなものに発展することだってあるだろうな。そこまで行ったら、ワタシには想像すらつかないけど、そんな形で平和に暮らしている夫婦もいるんだろうな。世の東西を問わず、「夫婦」というのは何となく神秘的な、なかなか真理を極められそうにない人間関係だなあと思う。この年になって何を今さらの感はあるけど・・・。

子供が親よりも長生きできる平和な世になれ

8月15日。月曜日。11頃にゲートでチャイムがなっていたような気がする。お勉強DVDだったらFedExだからあしたにでも空港近くのオフィスまで取りに行けばいいや・・・と、また寝なおして、正午ぎりぎりに起床。郵便受けをチェックしに行ったカレシがロイヤルメールの大きな袋を運んで来た。そういえば、ロンドンのフォリオ・ソサエティにE・F・ベンソンの「Mapp and Lucia」シリーズの函セットを注文してあったんだ。送る本が1冊のときは別だけど、いつもは本の入った段ボール箱をでかでかとROYAL MAILと書いた王冠のロゴ入りの防水袋に入れて来る。運動会の袋競走に使えそうなくらい大きくて、メッシュ入りなのでめちゃくちゃに丈夫。カレシが熟成した堆肥を入れる袋にしているの、ロイヤルメールはご存知か・・・。

内陸のケロウナのカジノの前であった銃撃事件で死んだのはやっぱり悪名高いベーコン兄弟の長兄ジョナサンだった。メトロバンクーバーでギャングの抗争事件があると必ずと言っていいほど名前が出てくるのがこのジョナサン、ジャロッド、ジェイミーの3人兄弟を首領とするギャング団。父親は教師、母親も管理職の仕事をしている裕福な家庭だとか。3年くらい前だったか息子たちがドラッグや銃不法所持で起訴されたときには、両親そろって裁判所まで20代の息子たちに付き添って来て、テレビカメラに向かって「うちの子たちは無実だ」と言っていて、3人の息子全員が一流?犯罪者に育ったのはこういう親がいたからなのかと呆れた。報復の銃撃事件が頻発し
そうという予想ではあるけど、とりあえず「One done, two to go(1人アウト、残るは2人)」。人の命で、こんなことを言うべきじゃないのかわかっているけど・・・。

日本はお盆休みということで、仕事前線は静か。8月15日。の今日(日本ではもう16日。だけど)は「終戦記念日」だったな。戦没者追悼式に参列する戦死者の「妻」たちの数が激減したそうだけど、戦争が終結してから66年、戦争未亡人と呼ばれた人たちも、空襲などで子供を亡くした親たちも、生きていればもう90歳前後になっているはず。将来のある若い息子を戦地で亡くした親たちはすでにこの世にはいないだろうな。南方のどこかで戦死したキヨシ叔父はそのときまだ二十歳前後だったと思う。母の弟で一家の末っ子。美術の才と夢があったらしい。子供の頃のワタシは何かにつけて伯母に「この子はキヨシによう似とる」と言われ、ワタシが生まれるまで生きていてくれなかったことが残念でならなかった。戦争の犠牲はいつも若い世代に集中する。親を敬えと教えられて来た子供がその親よりも先に死ぬという最大の親不孝を強いられるのは、あまりにも理不尽だ。

トレッドミルで走っていて、還暦を過ぎた母が「これで母よりも長く生きた」と手紙に書いてきたことをふと思い出した。祖母は戦争中にたしか60歳で亡くなった。ガンだっという。自分の母が他界した年令になって、母はどんな思いをめぐらせていたんだろう。その母もガンで満63歳を待たずに初孫の1歳の誕生日を目前にあっけなく他界してしまった。ひょっとしたら、自分の母親の生きた年月は超えたけど、残された時間は短いことを薄々でも知っていたんだろうか。ワタシは今年満63歳。母が生きた年月を超えたことになる。どんな時代でも人間にはそれぞれに思い描いた人生の夢があるはずで、その夢を母は63歳で断ち切られけど、母の享年を超えたワタシは自ら思い描く老後の夢を叶える時間を母よりも長く与えられたということなんだろう。

健康を心がけていれば、老後のワタシは母と同じくガンで逝った父の享年77歳を超えて生きて、できることなら
100歳を超えていき続けて、若くして逝ったキヨシ叔父さんの分まで実りの多い人生にしたいと思う。そのためには、不慮の事故や病気でもない限りは、子供が親よりも長生きできる世の中であってほしい。ぬくぬくとした大人が若者たちを親を残して死地に駆り立てて行くような戦い方をするのは人間くらいなもの。人間が「人間」になってからというもの、なぜか戦争ばかりして来たような感じがするけど、これほど長い歴史から何も学んでいないらしい人間て、いったいどういう動物なんだろう。いつかは戦争の愚を学ぶときが来るのかもしれないけど、いつともわからない「いつか」をいつまでも待ち続けることはできない。若い人たちにワタシたちの世代よりも長生きしてもらわないと・・・。

ナイアガラの滝で起きた悲劇

8月16日。火曜日。おお、今日はちょっと暑めになりそうな気配。正午ちょっと前に起きたところでゲートのチャイム。FedExが注文してあった天文学のDVDを持って来た。ひとつはハッブル望遠鏡の話、もうひとつは天体観測の手ほどき。これでまた「ご隠居さん」プロジェクトが増えたぞ。

朝食後のコーヒーを飲みながら、じっくりと雑誌を読み、『Lost Continent』を開いて、ただ今ワイオミング州を通過中のブライソンを追う。ページ数が残り少なくなって、当時30代半ばくらいだった著者が、ひたすらハイウェイを走って「生まれ育った国」アメリカの広さを身をもって発見しつつも、立ち寄る先々の「小さな町」の風景にアメリカへの失望感を深めていくのがじ~んと伝わってくる。イギリスに渡って、イギリスで仕事をして、イギリス人と家庭を持って、おそらく自分のルーツを探す旅でもあっただろう故国アメリカ何万キロの一人旅で、変わってしまった故国を腹立たしく感じ、また異邦人になってしまった自分を孤独にも感じる。なんかわかるような気がする。

日曜日の夜にナイアガラの滝に転落して流された日本人女子学生はまだ見つからず、警察は「死亡したものと推定される」としている。近親者に事故を通知するまでは氏名を公表しないのが普通だから、わかっているのは日本人女性というだけで、年令も19歳だったり、20歳だったり、交換留学生になったり、ワーキングホリデイになったり、はては領事館職員という噂まで流れていた。写真を撮るために手すりにまたがっていたのが、降りようとしてバランスを崩して転落したということけど、片手で傘を差していたそうだから、ありふれた観光記念写真ではなく、ちょっと気取ったポーズを作った写真を撮りたかったのかもしれないなな。開いた傘を持っていたとすれば、ちょっとした風がバランスを狂わせたということもありえる。傘を持っていなければ、両手で手すりをつかむことができて、もしかしたら助かっていたかもしれないのに。そういうことが想定できるなら、事故は起きないんだけど・・・。

ナイアガラの滝はワタシも行ったことがあるけど、想像を絶する規模と轟音で、迫力があるなんてなまやさしいもんじゃない。今にも引きずり込まれそうで、めまいがしそうになる。滝の高さは馬蹄形のカナダ滝が約50メートルで、幅は800メートル近い。滝つぼに落ちたらまず助からないし、いつ発見されるかもわからない。(現に、この女性の捜索中に身元不明の男性の遺体が発見されたという。)それでも、手すりから大きく身を乗り出したり、手すりの間の石の柱の上に立ったり、小さな子供を立たせたりする人たちが後を絶たないそうで、ワタシたちが行ったときもそういう人たちをかなり見かけた。いたるところに「危険」の標識があったんだけど、目には入らないのか、バケーション中はそういう野暮なものは無視しようと思うのか、あまりにも桁外れの光景で危険に対する感覚が狂ってしまうのか。この女性の場合は写真の被写体だったから滝に背を向けた姿勢だったのだろう。手すりから降りようとしたときに、一瞬身体の相対的な位置感覚が狂ったのかもしれない。

今日の日本の新聞は、行方不明の女性は20歳の語学留学生と報じていたけど、日本総領事館の関係者は「家族が公表を望んでいない」として、氏名などは公表しなかったらしい。たぶん日本の両親の家には報道関係者がどっと押し寄せるだろうから、「公表しないで欲しい」と希望したんだろうな。でも、地元トロントの新聞やテレビを見ると、名前どころかフェイスブックに載せてあったという写真までがあたりまえのように公表されていて、それを見た在カナダ日本人の掲示板では予想通りの展開で盛り上がっていた(すでに炎上)。Toronto Star紙に載った写真を見ると、旅行先のベトナムあたりで撮った写真らしいけど、日本の基準では「カワイイ」にあてはまりそうな、まあ典型的な今どきの二十歳の女子学生だったんだろうと思う。ちなみに、この新聞の読者コメント欄には「悲劇だ」、「家族に哀悼の意を」、「安らかに」といった言葉が並んでいたのが、同胞の掲示板の書き込みに無責任な心ない言葉が多かったの対照的だった。

おそらく両親が日本から現地へ急いでいることだろう。早く見つけてもらって、一緒に日本へ帰れたらいいね。

今日は家庭株式会社の事務処理

8月17日。水曜日。今日も夏らしい好天。朝食が終わったところでシーラとヴァルが来て、散らかしっぱなしの家の掃除。いつか2人が掃除代行ビジネスから引退したら、ワタシ、どうしよう・・・。

きれいになった家でのんびりとした午後。新しい郵便局を見に(なぜか未払いの私書箱レンタル料を払いに)モールまで歩いて行くつもりだったけど、「負傷休場」というところ。きのうは何となく膝の調子が良くなかったんだけど、トレッドミルで走り始めて5分と経たないうちに右膝の内側でカキッと痛みが走った。そこでやめておけばいいものを、いつもの極楽とんぼ流「ま、いっか」で走り続けているうちにどうしようもなくなって、最後の5分を早歩きに切り替えた。どうも靭帯を少し傷めたような感じ。せっかくトレッドミルを再開して調子が上がっていたのになあ。今日は階段を下りるときにちょっとだけ痛い。まあ、1日。か2日。大事をとってから、サポーターをして走りを再開するか。カレシはいそいそと庭へ出て行って、温室から直径が6センチくらいあって、ずっしりと重いきゅうりをもいできた。ヨーグルトで塩もみきゅうりのようなサラダを作るんだとか。

ワタシの午後一番の仕事はカレッジのアクリル画ワークショップの受講申し込み。9月末から日曜日の午後3時間のクラスが8週間。今まではファックスでやって手続きをオンラインでやろうとしたら、これがなかなかうまく行かない。カレッジや大学の手続きって、どうしてこうすんなり行かないようにできているんだろうな。それでも、あちこち読んでやっと要領がわかったところで、アカウントを作って、学生番号を入力して、パスワードを設定して、講座を選んで、あれこれテーだを入れて、クレジットカードで支払いをして、レシートにたどり着いた。でもその間、去年とおととしに受講した講座の税控除用のレシートを印刷するのを忘れていたことを発見。来年春の確定申告のときに遡及して控除が受けられるはずなので、2枚とも喜々として印刷。昔はこっちが忘れていても黙って紙のレシートを送って来たもんだけどな。世の中ほんとに便利になっているのか、実は不便になっているのか・・・。

その次はバンクーバー市警察の防犯アラームの許可料。ここに登録して毎年17ドル55セントの許可料を払っておかないと、アラームが誤作動したときに出動料を取られるし、4回目の誤作動の後はすぐに出動してくれなくなる。レンジにかけっぱなしだったフライパンが焦げて煙探知機が本気で鳴ったときは、消防車のお世話になったけど、何でもないのにたびたび誤作動すれば、そのたびに出動する警察や消防にとっては労力と時間の無駄だし、本物の火事や犯罪が起きたときに手がないという事態にもなりかねないから、やむをえない制度だと思うな。小切手を切って、許可証の名義人のカレシに更新申請用紙にサインさせて、封筒に宛名を書いて、切手を貼って、後は忘れずにポストに入れるだけ。簡単、簡単。

次はひいきにしている劇団Arts Clubへの寄付の手続き。長年劇団の後援者でボランティアをして来た90歳代の女性が一定の最高額まで今月末までに劇団が集めた寄付の額を倍にすることを申し出たそうで、たとえばワタシが100ドル寄付すると、劇団には200ドル入ることになる。これからも良い出し物を上演してもらえるように、今回は300ドルをオンラインで寄付。こっちはけっこうすんなり行って、ホッ。残るは10月末にボストンである会議のホテル予約くらいかな。ワタシにとって年次会議は同窓会と休暇旅行を兼ねたようなもので、今年はトロントのデイヴィッドとジュディを誘ってボストン観光。その後で4人でニューヨークへ足を伸ばすか、それともモントリオールに飛んで、ケベックシティまで行ってみるか。それとも、寒そうだからいっそのことバミューダに行くか。う~ん、どれもこれも迷っちゃうなあ・・・。

そういえば、友だちとウィスラーのスパへ行く話、どうなったかな。彼女が車のガソリン代と運転、ワタシが1泊のホテル代をそれぞれ受け持ってのおでかけ。でも、彼女も目が回るほど忙しい人だからな。だからこそ、体を壊さない前にスパで全身マッサージをしてもらってリラックスした方がいいんだけどなあ。行くのかどうか、まっ、どっちにしてもワタシの方はぼちぼちと仕事を進めておいた方が良さそう。楽しく遊ぶためにはちゃんと稼いでおかないとね。

ついでにやることを一石二鳥という

8月18日。木曜日。今日もよく晴れて夏らしい天気。正午でもう20度まで行っている。朝(つまり正午前!)起きて、朝食は普通のシリアルにかぼちゃの種とクコの実を混ぜて、郊外のフレーザーバレーで採れたブルーベリーをたっぷり。そういえば、ブルーベリーは目に良いとか何とか、どこかに書いてあったような。シーズンは短いけど地物はプクッと大粒で甘い。(となりのパットはまだ庭のラズベリーがまだ実をつけていると言っていた。)

きのう郵便局に行きそびれたから、今日こそ行ってレンタル料を払ってこなければと、ちょっぴりあせる気分。まだ膝の調子があまり良くないから、トレッドミルの代わりの運動も兼ねて歩いて行くことにした。昔、左膝の半月板を痛めたときに使っていたサポーターがまだあった。関節の動きを支える硬質ゴムのストリップが両側に2本ずつ入っていて、膝頭のところには穴が開いているデザインで、あのときはそれをつけてゴルフ場の周りを走っていた。(そういえば、ワタシの周りには手首、ひじ、手の指のサポーターがそれぞれあって、何だか関節がみんなガタガタという感じがしないでもないな。ふむ、やっぱり寄る年波ってことか・・・。)

今回は靭帯をちょっと痛めた程度だけど、半月板損傷のときは足が伸び切らず、曲がり切らずの状態で、寝るときは膝の下に薄いクッションを入れて痛み止めにしていた。結局は手術ということになって、待機リストに載ってからほぼ1年。内視鏡での日帰り手術を2度ドタキャンされて、やっと手術室に入ったのが9月だったかな。前日まで走り続けて、3週間経たないうちにまた走り始め、7ヵ月後には55歳の誕生日を記念して出場した10キロマラソンを65分で完走して大いに気を良くしたっけな。あれから左膝の方はずっと新品同様の調子だけど・・・。

モールについて郵便局が移転したはずの一角を探したけど見つからない。銀行の向かいのエスカレーターのところ。今まで通りにコーヒーのスタンドとアイスクリーム屋がある。ぐるっとモールを回っても見つからなくて、コンシエルジュに聞いたら、「エスカレーターを上がってすぐ右」。なあんだ「上」だったのか。二階に上がって新しい郵便局に入ったら私書箱も新しくなっている。新しいから鍵も変わったらしく、持っていた鍵では開かない。しょうがないから、カウンターで何やら聞いているおじさんの後ろに並ぶ。(こういうときに限って前の人が手間取るのはどうしてなんだろう。)やっと順番になって、まず1年分のレンタル料(税込み150ドル)を払い、私書箱を開けて中の郵便物を出してもらい、新しい鍵を2本受け取って、手続き完了。でも、出るときになって、午後6時に閉まった後は郵便を取りに来れないことに気がついた。デパートの地下にあったときは、モールが午後9時まで営業する日には私書箱だけはアクセスできたんだけどなあ。まっ、ついでに運動するつもりで歩いて来れば一石二鳥かな。

スーパーに寄って切らしたものを2、3品買うだけのつもりが、いつもの「ついで買い」でチーズやら魚やら。重くなったトートバッグを肩に、夏の日差しを浴びながら家までてくてくと30分。合計で1時間(+モールを歩く時間)も歩いたら、ひょっとしたらトレッドミルで15分走るよりも効率的かもしれないな。ただし、いつも「ついで買い」をしていたら経済的には非効率になりそうだけど、結局は食べたり、使ったりするものだから、まっ、そこはそれで銀行の口座に目を光らせていればいいってこと。実際、これから年を取るにつれて体中の関節がほんとにガタガタになって来たら、結果的には「ついで買い」も何もあまり楽しめなくなるんじゃないかと思うから、適当に稼ぎながら、これまで働きすぎて楽しむ時間がなかったいろんな「ついで」を楽しめる今はある意味で神様がくれた「ご褒美」かもしれないな。

さて、コンピュータの前に座っている「ついで」に、その適当な稼ぎの方もやっておくか・・・。

昔、英文科、今、国際コミュニケーション科?

8月19日。金曜日。暑い、といっても22、3度のごく平年並みの夏の陽気だけど、日差しはきつい。湿度が今日は60%と、それほど高くないので体感温度はせいぜい25度~27度。(まあ、体感温度で見てやっと真夏日という感じだけど。)湿度が低めだと、日向と日陰の温度差がかなり出てくる。かんかん照りの歩道を歩いていても、街路樹が作る日陰の中に入ったとたんに涼しくなって、額の生え際の汗がす~っと引くから気持がいい。

今日はまずボストンのホテルの予約。会員数が1万人を超えるアメリカの協会がやる年次会議は4日。間の会期で、平均して2千人近い参加者があるから、開催地の都心にあるハイアットとか、マリオット、ヒルトンと言った大きなホテルが選ばれて、一定期間は特別料金で泊まれる。おととしのニューヨーク会議では、そこをうまく利用してワタシの名前で2部屋予約し、トロントの義弟夫婦をゲストとして同伴して遊びまわった。それに味を占めたもので、今回のボストンでも一緒に「秋の行楽」を楽しもうということになっていた。来年はサンディエゴ、2013年はアラモの砦で知られるサンアントニオ、2014年はシカゴ、2015年はマイアミと決まっているから、当分は翻訳業の看板を下ろせないような気がする。(もっとも、会員でなくても、引退後でも会議には参加できるんだけど。)

ナイアガラの滝に転落して行方不明になった日本人女子大生の遺体がアメリカ側で発見されて確認されたという。Toronto Star紙の記事にはフェイスブックに記載されていた写真と一緒に出身地も報じられていたけど、日本では読売と産経がカタカナ書きで名前だけ載せ、朝日と毎日は「遺族の希望で公表できないと」という日本総領事館のコメントを載せている違いが何となく印象的。昨今の匿名デジタル空間では、人の口に戸は立てられないの諺の通り、いくら領事館がそう言ったところで、写真も名前も出身地も(ワーキングホリデイだそうだからおそらく休学中の)大学名もみんなあちこちにコピーされたり、リンクされたりして知れ渡っているんだけどな。

先だって日本から語学研修に来た女子学生がビクトリアで生み落とした赤ん坊を遺棄したとして起訴されたときも、地元の新聞が裁判の経過を詳しく報じていたので、それを読んだ在カナダ日本人の手で顔も名前も出身地もネット空間に流されていいた。(裁判では無罪の判決が出た。)でも、一般の新聞はほとんど報道していなかった。数年前にカルガリーで若い日本人語学留学生が両親さえ知らない間に現地の男との間に生んだ2人の幼児を餓死させて逮捕された事件も、在カナダ日本人の間では当時知らない人はいないほどだったけど、日本ではまったくと言って良いほど報道されなかったらしい。今回のように日本人が海外旅行先で事故に遭った話や(男性が)麻薬所持で逮捕されたという話や外国人が日本人に悪さをしたという話はニュースになるのに、どうしてだろう。ひょっとして女性が「加害者/被告」だったことと関係があるんだろうか。

報道のしかたの差異はこの際おいとくとして、最近はどこの大学にも「国際コミュニケーション学科」なるものがあるらしい。ビクトリア事件の学生は地方大学の国際コミュニケーション学科だったし、ナイアガラで死んだ学生の大学にもあるからおそらくはその学科にいたんだろう。(そういえばカレシをのぼせ上がらせたハタチのオンナノコも東京の某ブランド大学の国際コミュニケーション学科だと言ってたっけ。)だけど、「国際コミュニケーション学科」って、一体どんなことを勉強するところなんだろうな。興味がわいてちょこっとググって見たら、ある、ある。東京の有名大学も地方の無名大学も、果ては高校や専門学校まで、まるで猫も杓子もといったところ。どれも「国際人の育成」とか、「国際的に活躍できる人材」とか、「異文化の理解」とか、すばらしい能書きを掲げているけど、ほんとにどんな「学問」をして、卒業した人たちはそれをどんなキャリアに生かしているんだろうな。

ワタシが高校生の頃に「国際コミュニケーション学科」なるものがあって、英語三昧で海外語学研修もあって、卒業後は国際的な仕事に就いて海外に雄飛・・・なんて能書きになっていたら、大学に行こうと思ってまじめに受験勉強をしたかもしれない。残念ながらあの頃の選択肢といえば「英文科」か外語大の「英語科」くらいで、英文科は裕福な家庭のお嬢様の花嫁修業に行くところのように思えた。ワタシは英語をマスターして海外に雄飛したかったのに、何だか早く生まれ過ぎてしまったような気がするな。国際コミュニケーション学科に入学して、語学研修だ、休学してのワーキングホリデイだと、20歳前後で世界を飛び回れる今どきの人たちがちょっぴりうらやましいかも。でも、その年令の女子学生がそうやって世界を飛び回れるのは、裕福な家庭のお嬢様たちだからなのかもしれないな。ということは、今どきの「国際コミュニケーション学科」というのは、昔の「英文科」のようなところなのかな。まあ英文科というところも、実際は行かなかったので、どんな勉強をしてどんなことに役立つのかよくわからないんだけど、そういうと「だから学歴のない人間は~」と言われてしまいそうだから、ここで首を引っ込めて、さて仕事・・・。

もしも妖精が体型の悩みを解決してくれるとしたら

8月20日。土曜日。午後1時で玄関ポーチの温度計はもう23度。今日こそは本格的に暑くなりそう。今日から恒例のPNEが始まるから、雨が降ってよさそうなもんだけど、子供たちに夏休みが残り少なくなったことを告げるイベントが始まったところで待ちに待った本格的な夏の天気というのは皮肉な話しだな。

農業共進会から始まったPNEは今年で101回目になるけど、バンクーバーがカナダ第3位の大都市圏に成長したのに未だに農業地帯の「秋のカーニバル」的なところがあるのがご愛嬌と言えそう。目玉は遊園地とカーニバルにつきもののゲームや屋台の食べ物。食べ物はPNE名物のミニドーナツに代表される油で揚げたものがほとんどで、今年は揚げイチゴ(イチゴのてんぷらかフライのようなものらしい)まで登場したとか。あれこれ1人前ずつ買っては食べていたら、あっさりと1日。の所要カロリーの倍近くまで行ってしまうというから、すごいというか怖いというか、想像しただけでおえっとなりそう。

カナダ食品検査庁(CFIA)は太平洋岸で採れる水産物について放射能検査を始めると発表。狙いはもちろん北太平洋を日本近海まで回遊して、そろそろ遡上し始めたサケ。環境団体だか何かがなぜもっと早くにやらなかったんだと怒っていたけど、最初に騒いでいた放射性よう素は半減期が8日。だから、福島沖で汚染した海水が日付変更線を越える頃に問題にはならないレベルに下がっているだろうと思う。今騒がれているセシウムは半減期が30年くらいだけど、どこかでチェルノブイリ事故から25年経ってもセシウムによる健康被害は確認されていないという記事を読んだ。危険がないわけではないとしても、ごく微量だったら心配しなくていいのかな。まあ、神経質に心配しすぎて、ストレス過剰で病気になるリスクの方が高くなるということもありえるだろうな。それでも、こういうものは検査をするに越したことはないから、今からでも遅くはないと思うけど。

午後2時過ぎの気温は25度でバンクーバーの「真夏日」。運動と私書箱の古い鍵を返すのと野菜を少し買うために、カレシと連れ立ってモールまで歩いて出かけた。春からぐずぐずしていたのが嘘みたいな快晴だけど、ちょっと秋っぽい色に見えないこともないかな。新調したアウトドア用のサンダルでカレシと並んで歩け、歩け。新しい履物で必ず起きるのが靴擦れ。そうでなくても幅が広くて甲高なのに、外反母趾があって、中指の関節が曲がっていて、ワタシの足は見るからに不細工。それを幅が狭い西洋人の足に合わせて作られたものに押し込んで問題ない方がおかしいんだけど、ワタシの足に合う靴はめったにないから、靴擦れ防止クリームでしのいでいる。今気に入っているのはBand-Aidのもので、成分を読んでみたら「硬化植物油、セチルアルコール、香料」と書いてあった。「硬化植物油」ってのはマーガリンの原料じゃなかったかなあ。さわってもさらっとして、別にマーガリンを塗ったトーストのような感じにはならないけど。

サポーターをつけて歩いて、膝の調子は徐々に回復して来たけど、今度は両足首の関節がパチパチと変な音を立てる。せっかく神様にちょっと長めに作ってもらった脚なんだけど、膝はごつごつして来たし、後天性の偏平足だし、足の先はほんっとに不細工さし、ペディキュアもなにもしていないから、素足(生足?)のサンダル履きで日本の電車に乗ったら、「見苦しくて目のやりどころに困る」とメイワク宣言されてしまいそう。だけど、他にもいろいろとある不細工なパーツと釣り合っているんだろうから、今さら神様に返品して形のいいのと取り替えてもらうなんてできない。たとえ神様が取り替えてあげると言っても、60年以上もワタシを支えてくれたかけがえのない足
だから愛着というものもあるしね。

でも、もしも妖精のおばあちゃんが魔法の杖を持って現れて、体型に関することで何でもひとつだけ願いごとを叶えてあげると言ったら、この世の女性たちはみんな何をお願いするのかなあ。ワタシは絶対に「身長をあと10センチください」とお願いするけど・・・。


2011年8月~その1

2011年08月11日 | 昔語り(2006~2013)
時間薬が効かないトラウマ

8月1日。月曜日。8月1日。。BCデイの三連休の最終日(日本流に言うなら、ハッピーマンデイかな)。やっと到来した夏、どうやらしばらく腰をすえてくれそうで、週間予報はお日様マークがずらり。今日の予報は平年並みの最高気温、湿度は60%以下で、午後1時の気温は18度だけど、日差しの中に出ると「夏!」という感じがする。

カレシが温室からでっかいきゅうりをもいできたので、茂りすぎた青しその葉を取って来てもらって、即席のきゅうりの漬物を作った。ワタシは漬物やピクルスの類はほとんど食べないけど、カレシは大好きで、買い物に行くたびに買い込んで来ては、もぐもぐ。空腹と言うよりは「口さびしい」という感覚なんだと思う。塩分の取りすぎがちょっと気にはなるけど、日常の三食についてはシェフが減塩を心がけているから、まっ、後は本人の自制にお任せというところかな。賢い大人の年令なんだしね。

その自制というやつがまたけっこう難しいらしく、今日は庭仕事を終えてコンピュータの前に座ったとたんにぶつぶつ、ぐちぐち。ルータの調子がおかしい。メールにもネットにも接続できない。あっちこっちと弄り回し、ぶつぶつ、ぐちぐちがだんだん大きくなる。きのうはiTunesのアプリが壊れたとか何とかぶつぶつ。んっとにこの頃はとみに亡きパパに似てきたなあ。あれが嫌い、これが気に食わん、あれはダメ、これlはクズ。ネガティブなのもここまで来ると、 さすがのワタシもイラッと来てしまう。寝ている間に入ってきた仕事の算段をしているときに、後ろであまりごちゃごちゃ言うから、プロバイダのサーバがダウンしてるんじゃないの?と言ったら、案の定、「そんなこと、あるはずがない!」と口をとんがらせて一蹴。あっ、そう・・・。

昔とは違うところは、カレシがそうやって子供のような癇癪を起こしたら、ワタシは「もしもワタシがネクラ丸出しでぐちぐち、ぐちぐち文句を言い続けて、思い通りにならなくて癇癪を起こしたら、アナタはどんな気分になると思う?」とやれること。自分がされて嫌なことは人にしないって、どこかで誰かに教わらなかったのかなあと思うけど、誰にも教わらなかったか、あるいはそういう思考ができないか。どっちでもいいけど、ちょっと落ち着いて、何を手伝って欲しいのか合理的に質問したり、頼んだりできるようになったら、お話を伺いましょ。そのときは新しいバックアップ電源に切り替えるのも手伝うから、言ってちょうだいね。

しばらくして諦めたのか。「電源はどうやって取り替えるの?」と来た。古くなったバックアップ電源がピーピー鳴っている。そこで、配達されたままの箱から取り出して、ひっくり返して底を開けて、電池の電極を接続して、コンピュータとモニタのプラグを差し込んで、電話のコードをつないで、電池のプラグをコンセントに差し込んで、おしまい。コンピュータは無事に立ち上がり、モニタもちゃんと機能している。ルータも立ち上がって、ワタシのコンピュータから印刷もできる。でも、やっぱりネットにもメールにも接続できない。ここまで来て、さすがのカレシも電話を取って、プロバイダのヘルプデスクに問合せ・・・何のことはない、「ただ今システムがダウンしています」というメッセージが流れたそうな。だから言ったでしょ、プロバイダのサーバがダウンしてるかもって。人の言うことに耳を傾けないから、よけいな回り道をするんだってば・・・。

夜になって、ラジオで「ハードウェアの問題でTelusのネット接続が州全体で障害が起きている」というニュースが流れた。朝からそんな状態だったようで、テクニシャンたちが一刻も早い復旧を目指して対応中とか。それを聞いたカレシ曰く、「別に接続できなくたっていいさ。オレのせいじゃないからどうにもならないんだし」。ワタシは突然ネットやメールがつながらなくなったら、まずはルータより先の外部の問題を疑ってみるけど、と言ったら、ちょっと照れくさそうな顔。小さいときから不器用だったカレシはおもちゃを壊してはパパに叱られたり、虐待的ジョークのネタにされたりしたもので、70代に手が届く年令になっても、モノが故障したり壊れたりすると、とっさに「オレのせいじゃない!」という反応が出るらしい。たぶん、子供の頃のトラウマがパニックを引き起こして、冷静に考えられなくなるんだと思うから、とりあえず「するべきこと、できること」をまず考える方へと、それとなくやんわり誘導する。ふうぅ・・・。

若いときにカレシのそういう背景が理解できていたら、モラハラ的なネガティブな圧力に潰されることはなかったかもしれないと思うけど、まあ、若さには知恵が付いてこないし、知恵が付く頃には痛い目にあった後でもう若くないのが現実。それにしても、ハードウェアの問題って、電話は通じているから、泥棒に電話線を切り取られたわけじゃなさそうだし、復旧までに日付が変わりそうなのは、よっぽど重大な障害なんだろうな。おかげで、我が家にまでもう少しでひと悶着のとばっちり。寡占状態なのに、事業継続計画ってやつは作ってなかったのかなあ・・・。

アインシュタインもびっくり仰天

8月2日。火曜日。ちょっと高曇りだけど、正午の気温は20度でまあまあの夏日。今日はカレシのネット接続も復旧したようで、機嫌よく庭仕事。なんとなくほっとしたワタシも、先ずは特急で仕事を仕上げて納品。やっぱりどうもやる気の出ない時期らしくて、続けて仕事が入って来なければいいなと思ってしまう。ご隠居さんのカレシのご機嫌にも波があるように、現役稼働中のワタシのやる気にも波があるってことで、うねって砕けた後は穏やかな引き波になれば、それでよし。

同業仲間のメーリングリストにおもしろそうなリンクが貼られていいた。6月に発行されたばかりのアインシュタインの伝記本の日本語訳があまりにもひどいものだったので、出版元が全数を回収したと言うもの。上巻がすでに出ていて、回収されたのは下巻という。日本語してまったく意味の通らない文章もあって、機械翻訳ではないかという説もあるそうな。実際に英語の原文をあるサイトの翻訳ソフトに通してみたら、同じ日本語文が出て来たという話もある。この本のある章を写真サイトに載せた人がいると言うので、さっそくリンクを辿って行って、開いてスキャンした本のページを読んでみたら、うはっ!すごっ!絶句ものだ、これ・・・。

というよりは、先ず日本人が書く日本語ではない。たしかに、昔から「翻訳調」と呼ばれる外国語からの翻訳もの独特の日本語文体のようなものはあったけど、これは「翻訳調」だからと我慢して読むようなものではない。だって、いわゆる「翻訳調」の日本語文は言い回しや理屈がちょっと「バタ臭い」と言う感じがするだけで、それでもれっきとした日本語文だった。英日翻訳をやりたいと言うと即座に「アナタの日本語の文章力は?」と聞かれる今でさえ、数ヶ月の短期語学お遊学して来て「エイゴできるんですけどぉ」と言っているようなオンナノコたちとか、お小遣い程度の稼ぎがあればいいというバイト感覚の子持ち専業主婦とか、そういった何ちゃって翻訳者にだって、こんな日本語になっていない日本語訳はやろうとしてもできないと思う。どう見たって、日本語も英語も中途半端な俗に言う「セミリンガル」としか思えない人でも、さらには日本語が母語でないプロの日英翻訳でも、こんなひどい日本語訳にはならないと思うんだけどなあ。日本語が母語だけど日英翻訳もやっている日本人翻訳者の(英語人がNGを出すような)英語訳と比べても、この日本語訳は無限大に「ひどい」。それくらいひどい・・・。

出版元はそこらの零細な出版社ではない。ドイツの有力メディアが所有するアメリカの由緒ある大出版社と直結した会社で、翻訳本が主力事業だと言うからにはそれなりの資源があるはず。アマゾンのページの写真をうんと拡大してみると、名前は判読できないけど「監訳」という文字が読める。てことは、翻訳も、校正・校閲もみんな下請けに丸投げしたんだろうな。ノンフィクションの日本語訳にはけっこうそういうのが多いように思うけど、なんか日本の読者を小ばかにしているような感じがするな。まあ、こういう誰が見ても粗悪な仕事をして、自分の名前を表紙に出せる翻訳者はいないと思うけど、原書の著者はこの騒ぎを知っているのかなあ。

あるベテラン会員が粗悪翻訳の根源は「けちり」だと言っていたけど、まさに安ければ言いという姿勢なのかもしれないな。発注元から採算が取れるはずのない安い値段で請け負う翻訳会社があって、それを先の「500円翻訳者」と同様にパチンコ屋の出血大サービスのような安いレートで、おそらくは安いとも知らずに引き受けるプロ意識も生活意識もない「翻訳家」がいるから、発注する側にとっても翻訳は安いのがあたりまえになって、そういう水準の予算しかつかなくなるのかもしれない。安いを意味するcheapには「俗悪」という意味もあるんだけど、出版社も翻訳会社も翻訳者も気が付かなかったのか、あるいは諸般の事情で目をつぶったのか。

出版社のホームページには「お詫びとお知らせ」が掲載されているということで、リンクを辿って行って読んでみたら、「一部に校正・校閲の不十分な箇所がございました」だと。はあ、「一部に」ねえ。校正と校閲も外注したとしても、少なくとも印刷に回す前にたとえざっとでも最終原稿に目を通したはずだと思うけどなあ。でも、「You get what you pay for」、つまり、お金を惜しまなければ良いものが手に入るし、逆にケチればそれなりのものしか得られないと言うこと。翻訳能力、文章力が欠如した人間による翻訳なのか、本当に大手ポータルサイトの翻訳ソフトによるキカイ翻訳なのかの議論はともかく、こういう形容詞さえ思いつかないすごい翻訳本が、印刷製本され
て日本各地の書店の本棚に並ぶまで、誰もその品質にまともな疑問を抱くことなく通ってしまうというのが究極的にすごいと思うなあ。

もしも、もしも、いつかワタシの小説が北米でヒットして、日本語訳の話が出るようなことがあったらどうしよう。まあ、万のひとつも可能性はないと思うからいいんだけど、もしもアインシュタインが聞いたらどういう反応をするか。

半端な残り物食材で作る思いつき料理

8月3日。水曜日。今日も夏が真っ盛り。シーラとヴァルが正午過ぎのいつもの時間に来たけど、今日はワンちゃんのレクシーがシーラの孫娘とお留守番ということで来なかったので、ちょっとつまらないから、一階と二階を掃除している間にオフィスで仕事。掃除が終わった午後2時過ぎのポーチの気温は22度。明日はもっと上がるという予報。

フリーザーに使い残しのオヒョウとロックフィッシュ、ティラピアがあったので、これも1個だけ残ったじゃがいもをゆでて、潰して、魚もまとめてさっとゆでてほぐして、刻みにんにく、刻みパセリ、パルメザンチーズ、卵、パン粉を混ぜ合わせて、フィッシュケーキを作ることにした。まあ、コロッケのようなもので、ちょっと多いかなと思っていたら、カレシが太いきゅうりを収穫して来て、半分をくれて「これ、何かになる?」

急遽、フィッシュケーキは半分だけ使うことにして、3個残っていたホタテを出してきて、急速解凍。スライスしたきゅうりには塩を振っておいて、ホタテはポン酢でマリネート。野菜が底をつきかけているから、今日はレインボーにんじんを蒸して付け合せにすることにした。

[写真] フィッシュケーキは平たく形を整えたものに軽くパン粉をまぶしてフライパンに。焼けるまでの間に、にんじんをスチーマーにセットして、別のフライパンにバターを少量溶かして、薄くスライスして一味唐辛子をちょっぴり振ったホタテをさっと火が通る程度に焼いて、きゅうりと段々に重ねてみた。飾りに香り付けを兼ねたレモンのゼストを載せて、はい、残り物の在庫一掃セールメニューのできあがり。

2人だけの食生活ではどうしても一回では食べきれない中途半端な食材が出てくる。フリーザーに戻せば鮮度や質は落ちるけど、あまり長く入れておかない限りは食べられないほどには落ちないから、ちょっとダメもとのつもりで実験!その結果、どんなものができるかわからないのが極楽とんぼ亭の名物思いつきなんちゃら料理。前の週末に食材を出し忘れて緊急処置として刺身にしたときは、先細りのタコの足とカレシ菜園の青じその葉で、ちょこちょこっと小品を作ってみた。

[写真] たこの足をさいころに切って、青じそは大きいので半分にしたものをくるくると巻いて小口切り。刺身のつまを作った残りの大根をおろして合わせ、明太子といくらを入れるカップを作るために繰り抜いた太いきゅうりの芯もざくざくと刻んで混ぜてポン酢で和えるだけ。冷凍室に入れてよく冷やしておいたグラスに盛って、しそのは半分を飾りにしたら、半端な食材がけっこうエレガントな夏のアペタイザーになったから、フォレスト・ガンプ式クッキングは楽しからずや・・・。

不況になったら下手の横好き三昧で行くか

8月4日。木曜日。寝たのが午前5時に近かったので、起床はほぼ午後1時。別に急ぐ用事もないからいいんだけど。いっとき咳が出て、気管支がぜいぜい、ごろごろいい出したあたりでやっと収まった。カレシが「ひょっとしたらしばらくトレッドミルに乗ってないからじゃないのか」と推測したところは当たっているかもしれない。ちょっと膝の調子が良くなかったのを口実にしてサボって来たからなあ。肺の空気をすっかり入れ替えるような運動しないと、呼吸機能が低下するのかもしれない。あしたから再開するか・・・。

テレビをつけてびっくり仰天。アメリカもカナダも株式市場がすごいことになっている。(でも、カナダドルもあおりを食って2セントも急落したので、高いときに入って来たアメリカドルを換金するにはいいチャンスかも。)まあ、アメリカが何とか債務不履行を回避したといっても、とりあえず借金して払うべきものを払うと言うことなんで、いずれはその借金を払わなければならなくなる。そのときにお金があればいいけど、なければ元の木阿弥。ヨーロッパでは今度はイタリアが危ないらしいし、日本でも特例の国債発行ができないでいるそうで、いずれ国庫は空っぽと言うことになりかねない。政府負債率がGDPの200%で世界一だと言っても、自国民からの借金がほとんどだそうだから、破綻して直接損失を被るのはほとんどが日本国民。『エコノミスト』誌に「欧米の日本化」という記事があって、日本では、バブル経済が崩壊して以来、国の針路を変えるチャンスが数え切れないくらいあったのに、政治家たちは長いことそれを避けて通って来たために実行するのが難しくなってしまった。欧米はそれを戒めとして留意すべきだと言っていた。ワタシは何年も前から(冗談半分に)世界の「日本化」が進んでいると言っていたんだけど・・・。

それはともかく、今日はオバマ大統領の満50歳の誕生日なんだそうな。へえ、やっと50歳なんだ。中年の真っ盛りみたいな50歳。そのオバマさんは、まだ大統領になって1期目なのに就任当時と比べると格段に頭が白くなって見える。だいたい、アメリカの大統領は老けるのが速いなあという印象だったんだけど、それだけ「アメリカ合衆国大統領」というのは激職ということかな。それにしても、節目の満50歳の誕生日のその日にウォール街の大暴落なんて、ちょっとかわいそうなプレゼントだなという気もする。

これが心配されていた不況の二番底なのか、それとも新たな大不況の始まりなのかはわからないけど、アメリカがこれでは日本の景気もあまり期待できそうにないな。復興景気が来るとささやかれたけど、政治家の不毛な駆け引きと、原発事故・放射能汚染問題のまるで堤防の水漏れに指を突っ込むような対応でいっぱいっぱいらしくて、東北の復興事業が始まっているのかどうかさえわからない。(少なくとも、毎日読むウェブ版の日本の新聞からは「復興の槌音」は聞こえてこない。)ま、今年はワタシのビジネスも2003年の正体不明の不況に匹敵するくらい「低調」な年になると予測して、近くのカレッジの秋の「継続教育」プログラムを開いてみる。また即興演劇コースを取るか、短編か小説のコースに戻るか、それとも美術。はて、どれにしよう・・・。

考えてみると、初めて取ったデール先生のクラスで、書くことが自らの魂の救済になるような感動を持って、先生のプライベートなレッスンに参加し、その後カレッジで片っ端から創作講座を取るようになったのが2003年だったと思う。たぶん、「ん、なんか今年はヒマだなあ」と感じて、「それじゃあこの際・・・」という気になったんだろうな。1年ちょっとで文芸関係の講座をほぼ取り尽くして、絵を描いてみようと思い立ったのが翌年の秋。入門コースに申し込んで、道具や絵の具を買い揃えて楽しみにしていたら、参加者不足でコースはあえなくキャンセル。代わりに「まだ空きがある」と言われて入ったのが「抽象画」のクラス。絵の具や筆の使い方、色の理論など、知識はゼロだったワタシ。プロの画家の先生に「勇敢だわ、あなた」と言われてしまった。きっと先生もどうしたものかと困ってしまったんだろうな。そのときのコース第1夜に果敢に描いた「処女作」がこれ・・・題して「Primordiality」。

[写真: Primordiality] 「原始細胞」といった意味で、とにかく描いてみなさいと言われて、右も左もわからないまま思い浮かぶままを描いた、まさに原始的なしろもの。下手の横好きアーティストになる兆しがそっくり満開だな、これ。(自分ではそのあっけらかんな下手さ加減が好きなんだけど。)なにしろあのときは「ド」が3つくらいつくようなシロウトだったもので、ときには先生が横で付っきりの指導。でも、何年も展覧会に出すような抽象画を描いている級友たちがいろいろと教えてくれて、あのときはほんっとに楽しかった。よ~し、決めたぞ!この秋はお絵かき修業で行こう。

夫婦に共同参画しないと老後はどうなるか

8月5日。金曜日。お、今日はちょっと涼しいかな。それでも20度は超えそうな感じ。バンクーバーの夏はやっぱりいいなあ。

昼のニュースを見たら、案の定、カナダドルはちょこっと反発している。1ドルが1.0224アメリカドル。ま、きのうは1.0209だったからほんのちょこっとだけど、ゆうべのうちにアメリカドル建て口座から5千ドルほどカナダドル口座に移しておいたのは正解だった。レートが1.05ドルくらいだった頃に入ってきた分だから、名目的なレートと実際の買値の差、それと銀行の手数料を勘案しても、少なくとも損はしていないと思う。S&Pがアメリカ国債の格付けを下げたから、当面はまたアメリカドル安になりそうな気配で、残高はしばらく氷漬けかな。でも、現金を使うことがほとんどないから、月々のクレジットカードの支払がカレシの年金の枠内で納まっていれば特に資金移動しなくてもいいんだけど、そこはそれ、「生活費を入れる」みたいな気持があるのはたしかだと思うな。

となりのパットから庭でたくさん採れたラズベリーのおすそ分け。鳥が落としていった種が芽を出したらしく、今ではかなりの収量になっているとか。さっそく(おやつにだいぶ食べた後で)ハンドミキサーでピューレにして、種を取り除いてラズベリー・クーリを作り、フランスのラズベリーのリキュール(シャンボール)で甘みをつけて、今夜の魚のソース。魚はスズキ。季節を外れて莢が硬くなったスナップエンドウの豆を取り出してあったので、塩とちょっぴりの昆布だしでさっと茹でて、1合弱の発芽玄米を炊いて「えんどう豆ご飯」。野菜がほぼ底をついているから、青梗菜1本と紡錘形のサマースカッシュを2つに切って蒸したら、それでもちょっと見にはごちそう。

夕食後にIGAへ野菜などの買出しに行く予定を確認したら、「う~ん、めんどうだなあ」と気乗りのしない返事。やれやれ、また心変わりかいな。水曜日の夜に行くはずが、木曜日の方がいいというからそうしたのに、きのうになって確認したら「あした」という返事。そのあしたが今日なんだけどなあ。じゃあ、ワタシ1人で行くからいいよと言ったら、「行く、行く。食べもののショッピングは好きだからいいんだよ」。はあ、なるほどさようで・・・。でもねえ、そうやって夫婦共同参画による家庭運営からなし崩しにずるずると抜け出して行ったら、ワタシが仕事をやめた暁にはアナタの存在価値がなくなっちゃうかもしれないけど、そこんところに気づいているのかなあ。仕事を辞めても専業主婦にはならないって宣言してあるんだし、今さら大きなお子様老人のママにになるつもりもさらさらないから、アナタっていったいワタシの何なの?ってことになってしまうかもしれないよ。いいのかなあ・・・?

8時半頃にカレシが「行くぞ!」と号令。気が変わらなかったのはエライ。さっそく着替えて、トートバッグをつかんで出発。道路は思ったより空いていて(金曜日だし)、スーパーの中も人影が少ない。野菜類を中心にどさっと買い出しをして、カレシはけっこうちょこちょことおやつの類を買い込んでの帰り道、「黒オリーブを買ったから、ボクがタペナードを作ったら、キミはバゲットを焼いてくれる?」との提案。「それと、青じそもバジルも育ちすぎたから、どっちもペストソースにしたら、ホームメードのパスタを作ってくれる?」と提案その2。あはは、テキは交換取引に出て来たな。まあ、ここのところは時間の余裕があるからいいけど。提案その1はごく簡単だからOK。提案その2も、セモリナ粉があるから、生地をこねる力仕事に手を貸してくれるならOK。それに、月曜日はカレシの誕生日だから、ここはぐいっと腕をまくって、おいしいものを作ろう。年を取ってくると食道楽のパートナーはすてきだと思うな。それでもやっぱり、老人世帯の伴侶として共同参画してもらわないとね。聞いてる、アナタ?

男子厨房に入れば、女房が忙しい

8月6日。土曜日。今日は午前11時ちょっと過ぎに起床。工務店のマイクが来る予定になっていて、来る前に電話が来ることになっていた。だいたい10時半か11時くらいと言うので、電話をベッドの横に置いて寝たけど、カレシが早々と目を覚まして起き出し、寝ぼけて防犯装置のアラームを解除せずに外へ出たおかげで、ぐっすり眠っていたワタシまで起こされてしまった。んったく、もう。

朝食のテーブルをセットしていたカレシ、「パンを焼くのを忘れた」と素っ頓狂な声。きのうの朝食で食べ切って、出かけないなら(いつものように)すぐにパン焼き機をセットすればいいものを、たぶんきのうはほんとに「ぐうたらモード」だったんだろうな。後でやればいいやと思っているところへ、夜になって買い物に行ったから、そのままケロリ。まあ、そういうことはワタシもたまにやるから、寄る年波のせいでいいけど。しょうがないから、魚バーガー用のイタリアパンをトーストの代用にして、今日は忘れずに「日々の糧」を焼く準備。

マイクが現れないので、カレシはバジルのペストソースを作ると言う。庭からバジルをボウルにいっぱい採って来たら、キッチン中がイタリアンの香り。まずは「松の実、ある?」はい、これとワタシの食材を入れてある引き出しから袋を出して渡す。「パルメザンチーズ、ある?」それは冷蔵庫の引き出し、ソーセージが入っているところ。冷蔵庫を開けてごそごそやっていたと思ったら、「ないよ」。だって、手に持ってるじゃないの。「え、これがそう?いつものと違うからわからなかった」。袋に「Parmigiano-Reggiano」と書いてあるでしょうが。「眼鏡がないと見えないよ。それに英語じゃないし」。英語は単語の綴りや発音や不規則なもので、どうやら英語人は見慣れた綴りでないと脳みそが「外国語だ~」と無視してしまうらしい。その点、ローマ字読みができる日本語人はちょっと得かもしれないな。イタリア語とかスペイン語、フランス語、ドイツ語くらいなら、アルファベットの発音の特徴を覚えたら単語を読める(と思う)し、意味がわからなくても、英語から類推してだいたいの見当が付くことも多いし。

必要な材料を計量して、カレシ流に全部カウンターに一列に並べて、「フードプロセッサの使い方がわからない」。引き出しにマニュアルがあるよと言いかけたけど、オリーブ油を少しずつ入れて・・・なんてレシピを読みながらやっていたらカウンターも何もキッチン中が油だらけになりそうなので、操作はワタシがやることにした。そうしたら、カレシは最後の材料をフードプロセッサの投入口に入れて、自分の仕事は終わったと言わんばかりにさっさとトンズラ。最後はワタシが仕上げて、小袋2つに分けて入れてフリーザーへ。んったく、どうして男の「料理フローチャート」は最後の後始末の段階まで流れないんだろう。社会でいつもそういう仕事ぶりだったら、出世どころか真っ先にリストラの対象になったりして。ま、小町なんか見ると、そういう「ずぼら」で奥さんにリストラされるご亭主もいるみたいだけど。

マイクが「あと1時間半くらいで行く」と知らせてきたので、とりあえずワタシは1人でモールへ。郵便局が移動するので一時閉鎖する前に私書箱を空にしておこうと思ったけど、時遅し。でかでかと「8月15日。までアクセスできません」と書いた紙が全面に貼られていて開けられない。ついでだから、カウンターで7月で切れるレンタル料の請求書をもらっていないと言ったら、「帳簿はもうここにないので、15日。にオープンしたら来てください。なあに、2ヵ月や3ヵ月遅れてもすぐには鍵を変えないから大丈夫ですよ」だと。ああ、よかった。私書箱はワタシの「ビジネスの住所」だから、料金不払いで閉められて、他の人に貸されてしまったら大変。じゃあ、15日。に新しい場所で・・・。

カレシへのバースデイカードを買って、汗をかきながら帰って来たところで、やっとマイクが登場。去年の春にバスルームの改装をしたときに比べてかなりスリムになっていた。すごく若返ったねと言ったら、「そう?クレアが太りすぎだというもんでね」と。(クレアはマイクのガールフレンドで、去年キッチンの本棚を作ってくれた大工さん。)庭の改修ロジェクトも予算があるから、優先順位の高い池の撤去に始まって、パティオを作って、温室に水を供給する配管をやり直して、裏口のポーチと階段を作り直して・・・ああして、こうして。工事を始めるのは秋以降だけど、カレシは今からもう来年の「作付け計画」。半径数メートルの地産地消、エコでいいじゃない?

あしたはまたバジルとルッコラのペストソースを作ると言うから、今夜のうちに仕事を済ませておいた方がいいか。男子が厨房に入るのはいいことだけど、何かと世話が焼けて・・・。

道草を食ってばかりの我がアナログ思考

8月7日。日曜日。正午ちょっと過ぎに起床。今日も暑くなりそう。カレシが予定?を変更して、ペストソースを作るのをやめて庭仕事をするというので(ほっ)、ワタシはまずゆうべダラダラしていてやり残した仕事を片付けるためにオフィスに「出勤」。通勤時間20秒だから休日出勤も何のその、といいたいところだけど、「通勤時間」がたったの20秒だからつい週7日。勤務になってしまうという面もあるような・・・。

相変わらず、キーを叩きながら突っ込みを入れてみたり、人間はいろいろだなあとあたりまえのことに感心してみたり、しまいにはそんなに生きにくい世相になったのかなあと同情したくなったり。ときには無機質なマニュアルの類をやる方が楽かなあと思うこともある。だけど、1990年代にさんざっぱらやったソフトウェアのローカリゼーションを思い出して、最後にはやっぱり人間模様が見える仕事の方がいいやということになる。もちろん科学は持ち前の好奇心をかき立ててくれるから楽しいけど、言動の裏の人間心理を考えながらの仕事も「知りたがり屋」にはなかなか奥深いものがある。でも、「Curiosity killed the cat(好奇心は猫をも殺す)」という古いことわざがあるけど、大丈夫かなあ・・・。

英日が主流だった頃は、北米ではまだ日本のバブル景気の余韻が覚めやらずというところで、契約書や株式市場のレポートや日本への売り込みの仕事が多かったけど、1990年代後半にはなぜかローカリゼーションやソフトウェアのマニュアルの仕事がやたらと増えて、1日。10時間、週7日。仕事をしても追いつかないくらいだった。(それでずいぶんと荒稼ぎできたわけだけど。)中には、おもしろそうというようなモノのユーザーマニュアルもあったけど、ローカリゼーションとなると、テク兄ちゃんたちが作った用語集だのスタイルガイドだのを渡されて、「ん?」というよう日本文でも、舌を噛むようなカタカナ語でも、その通りの文体にせざるを得ないから、窮屈でたまらなかったな。

それにしても、バイナリ思考というか、想像力が欠如した人間が増えていると言う印象はますます強くなって来るように思う。言い換えれば、社会がマニュアル化しつつあるのかもしれないけど、コンピュータや携帯など「画面」という小さく限られた接点を持った機器の普及と、ゆとり教育に代表される教育政策の失敗と、どっちが寄り大きく人間の思考形態に影響しているのかは、部外者のワタシにはわからないけど、いいことか悪いことかはまったく別の話として、メディアから受ける世相の印象と仕事で垣間見る世相の印象とがどんどん収斂して来ているように思う。ま、時代は変わる。世界は変わる。社会も変わる。人間も変わる。言語も変わる。行く川の流れは絶えずして、だから・・・。

人間模様がテーマの仕事をしていて、誇大表現やあいまい表現の真意をつかみかねて、どういう訳語にしたら良いのか迷ったときにけっこう役立つのが小町横町の井戸端会議。おかげで道草を食ってばかりだけど、ついでに人間勉強にもなる。トピックのテーマで多いのが、他人について「あれが不愉快」、「ここが非常識/マナー違反」と糾弾するもの。自分については、「私は悪くないですよね」、「私は間違っていますか」と肯定を求めるものと、「嫌われた」、「見下された」という訴え。みんな好かれたいという欲求が強いんだろうけど、自分にも他人にも規格化された「人間像」を求めていて、その規格に合わない人にはどういう対応をしていいのかわからずに途方にくれているイメージもわいてくる。よくある「友だち/彼氏/彼女が欲しい」という表現も、ペットやブランド品が欲しいと言っているのとあまり違わないようない印象がないでもないな。

みんなさびしくてたまらないんだけど、どうやって人とつながったら良いのかわからないのかな。それとも、生身の人とつながるのが(嫌われたくなくて)怖いのかな。それとも、単にマニュアルの通りに行かない生身の人間との係わり合いが煩わしいのかな。他人はその個性が目に見えるのが嫌、その生活音が耳に聞こえるのが嫌、その生活臭が鼻に入ってくるのが嫌、その幸せや不幸のオーラが伝わって来るのが嫌。まるで人見知りをする子供のようだけど、「癒しロボット」が開発される国のさびしい人間模様の一面がちょっぴりわかったような気がする。

まあ、人間の文明や技術の進歩には明と暗が背中合わせなのが常だったと思うけど、デジタル(バイナリ)思考の人間とアナログ思考の人間はこの先うまく共存して行けるのかな・・・なあんてまた道草を食っていていいのかなあ。しっかり仕事をしないと駆け込みダッシュになるのに。

あなた好みの誕生日の晩餐

8月8日。月曜日。家の外でポコポコ、トントンという音がして目が覚めたのが午前9時過ぎ。カレシがさっそく起き出して外へ出て行った。今度はガツン、ゴツン、ゴロゴロ。おいおい、石なんか投げて、窓ガラスに当たったらどうするの。昔、屋根にとまった鳥を追い払おうと石を投げつけて、二階の八角塔の窓ガラスに穴を開けたことがあった。ちょっと強い雨が降るたびに、二重ガラスの内側に水がたまって、まるで金魚鉢みたいだった。(もちろん、断熱効果はゼロ・・・。)しばらくしてベッドに戻って来たカレシ曰く、「いまいましいキツツキだ!」とふて寝モード。そのまま2人とも正午過ぎまで寝直し。今日も暑そうな予感・・・。

でも、キツツキが来たの久しぶり。我が家のあたりは道路向かいが市営ゴルフ場になっているせいもあって、山からは遠いのにけっこういろんな野生動物が出没する。四足ではリス、アライグマ、スカンク、コヨーテ、鳥類ならカモメとカラスの他に、ヤマガラ、コガラ、ヒワ、ユキヒメドリ、ハチドリ、ムクドリにツグミ。たまにはアオカケスやアオサギまでやって来る。そして、キツツキも。キツツキには金属のものをドラミングする困った癖があって、何年か前にはよく我が家の暖炉の煙突のてっぺんを叩きに来ていた。いきなりガガガガガッ、ドドドドドッとやられると、リビング中にすごい音が響き渡る。業を煮やして家の外装を改修したときにステンレスの網をかけてもらって、やっとドラムセッションがおしまいになって、キツツキは来なくなった。最近の新しい家は煙突のいらないガス暖炉が多いから、叩くものがなくなったのかな。うちの屋根を叩くのはやめて欲しいもんだ。金属じゃないんだし・・・。

さて、今日はカレシの68歳の誕生日。カニを食べたいとのリクエストで、朝食後にグランヴィルアイランドのマーケットに買いに出かけた。車で入ると駐車と出るのが大変なので、アイランドの外のちょっと離れた道路に止めて、歩いて行くと、日差しが強くて暑い。23度は行っていただろうな。月曜日だからそれほど人出はないだろうと思ったら、うわ、観光客と思しき人たちがあっちでぞろぞろ、こっちでぞろぞろ。元々はフォルスクリークに面した斜面に住み着いたヤッピーたちに地元産の野菜や魚、肉類を直販する狙いで作った公共マーケットだけど、美術学校(今は大学)ができ、劇場ができ、おしゃれな工芸・手芸品の店ができ、大道芸人が来て、いつの間にか観光バスが数珠つなぎの「観光地」になってしまった。テナント料も高くなったのか、売られている野菜類は、高いのがあたりまえのWhole Foodsの値段よりも高かったりする。

その公共マーケットの中も、迷路のような狭い通路はそぞろ歩く人たちでびっしり。でも、買い物をしている人はあまりいないような感じ。入ってすぐのところにある大きな魚屋で、愛想のいいお兄ちゃんに「一番大きなカニ1匹、ゆでて、甲羅を内蔵を外して」と注文。大きな水槽の中で折り重なってごそごそ動いているカニの中からかなり大きいのを網ですくい上げて、たらいにごそっ。重さを量って、カニが23ドルとゆでる手数料が2ドル。お金を先払いして、処理が終わるまでの小1時間をマーケットの中をぶらぶらして過ごす。アジアの珍しい食品を売っている小さな店では、「柚子の絞り汁」と緑色の「バンブー米」を買った。シェフたちがポン酢を使い出してから、柚子もかなり注目されている。瓶入りの柚子は高知県の産で1本32ドル。高級ワイン並みの値段だけど、どうしても使ってみたくなった。バンブー米はタイ米を若竹の汁に浸したものだそうで、ほのかな香りがついているらしい。きれいな薄緑色が何よりもすてき。

ゆで上がったのを甲羅を外して2つに切り分けてくれたカニを引き取って、帰ってきたらもう午後4時。誕生日ディナーはボリュームのあるカニがメインだから、何品もつけると食べきれなくなる。そこで、カレシのリクエストその2のアサリのスープ以外はカニの味に対抗しない野菜の添え物だけということにした。

[写真] スープはねぎとアサリと醤油ごく少々のあっさり味。小鉢はもやしのナムル風と枝豆の柚子和え。薄くスライスして蒸してから軽く白ワインに漬けた黄色いビーツのカルパッチオとグリルでさっと焼いたたけのこ。カニは、たっぷり濡らしたおしぼりを傍らに置いて、手でえいっと足をもいで、歯でガシッと殻を割って、身を取り出すのが豪快でいい。(カレシは釧路で買った専用のはさみとフォークを使って食べる。)思ったより大きなカニだったから、食べ終わった頃には2人とも満腹。デザートのドラゴンフルーツはランチまでお預けになった。

ま、朝はしゃくなキツツキに起こされたけど、カレシよ、ハッピー・バースデイ!

おもしろくない世の中でもおもしろく生きたい

8月9日。火曜日。今日はキツツキが来なかったので、目が覚めたら正午過ぎ。ちょっと涼しげな日になりそう。テレビをつければ、株式市場はまだ絶叫クラスのローラーコースター並み。きのう急落したカナダドルは1セント以上も急上昇。もう少し下がってくれたらうれしかったんだけどな。世界には必要のないところでだぶついているお金がどっさりあって、株が暴落すればプログラム売買で買いに転じるから、翌日あたりには株価が反発する。そこで回復したわけじゃないのにほっと胸をなでおろすのはなけなしの老後の資金を投資している庶民。ラスベガスのスロットマシンと似たようなもので、小金では儲からないようにできているらしい。まあ、我が家は株を持っていないから、野次馬でいられるんだけど。

ゆうべ飛び込んできた「宵越しの仕事」をさっさとやっつけてしまったので、今日は「ノーワーク・デイ」。イギリスで続く暴動では、ほうきを持った市民たちの清掃部隊が集結して後始末を始めたとか。バンクーバーのホッケー暴動の後で登場した清掃部隊を見たのかなあ。携帯やSNSで暴動や略奪が煽られているらしい。いつもカレシに言うんだけど、インターネットが人類の破滅をもたらすきっかけだったってことになるかもしれないよって。(ちょっとはカサンドラの心境?)アフリカでは何千、何万という子供たちが難民キャンプにたどり着けずに餓死して行く一方で、かの飽食の国では2歳10ヵ月の子供が両親の手で餓死させられた事件で、父親は猫の方がかわいかったと言い、死んだ子供の胃腸の中には空腹に耐えかねて食べたらしいプラスチックや紙が詰まっていたという記事を読んで、この両親はソマリアの砂漠のど真ん中に放り出してやればいいと思った。

世の中ってムカつくことが多いよなあと言いながら、小町横町の散歩に出かけたら、ここも相変わらず誰が/何がムカつくという話で大賑わい。結婚生活が楽しくない、育児が楽しくない、仕事が楽しくない、何にも楽しくない。たぶん楽しいことばかりやって育った幸運な人たちなんだろうけど、大人になって楽しくないことがごまんとある現実に直面して、「楽しくないのはおかしい」と首をかしげているのか、あるいは「楽しくなければならない」という強迫観念に囚われているのか、それとも匿名掲示板で「ママぁ~、ちっとも楽しくなぁい!」と言っているのか。誰かがトピックを立てていた「叱らない育児」と関係があるのかな。前に仕事の参考資料として読んだゆとり教育時代のおんぶに抱っこの教科書から推察するに、たぶん何が楽しいことなのかもわかっていないのかもしれない。心が満たされないということかな。

でも、ワタシもうつ病を経験したことがあるから、何をしても心が楽しめないという感覚はよくわかるし、生まれつき病理的に欝っぽい性質ならしかたがないのかもしれないとは思う。それでも、普通に人間として生きていて楽しいという感情を味わえないのって、悲劇だと思うな。楽あれば苦あり、苦あれば楽ありで、楽しいことは自分の想像力を働かせてで開拓するものじゃないかと思うんだけど、どういう感情をもって「楽しい」とするのかがわかっていなければ、無理な話かな。「おもしろきこともなき世をおもしろくすみなすものは心なりけり」という辞世の句詠んだのは高杉晋作だったと思うけど、まさにその通りだと思う。難しいのは生きている間にいかにそれを実践するか・・・。

あれやこれやの不定愁訴?をふむふむと読んでいるうちに、何度か登場したのが「割り切った関係」という表現。この日本語、仕事で遭遇して訳すのに困ったことがあったな。話の流れから漠然としたイメージは想像がついたものの、2003年出版の大きな和英辞典で「割り切る」を引いても全然割り切れない(しっくりしない)訳語ばかり。しょうがないから、「正当なつきあいではない男女関係」という漠然としたイメージそのままに漠然とそういう関係をほのめかす訳で逃げたけど、あれで良かったのかなあという疑問が消えずにいたのが、小町で男女の「割り切った関係」がどういうものかを教えてもらった感じで、あれはあれで良かったんだと納得。文化や倫理観の違いというものがあるから、前から意味を知っていて「的確」な表現に訳していたら、読んだ人がひと騒ぎしたかもしれないもの。くわばら、くわばら。

どこまでが日常会話レベルの英語なのか

8月10日。水曜日。午後1時のポーチの気温は15度で、夏はひと休みの感じ。日本はたぶんお盆休みだろうから、ワタシもちょっぴり夏休みになるのかどうか。春から何となく続いている「だらりん」ムードはもう何だか根を下ろしてしまったのか、振り払うのも疲れそうだから、今年はもう成り行きしだいということにする。でも、いくら遊びたいモードでも、やっぱりあと1年と8ヵ月と2週間は、カレシが勧めるようにこのまま引退というのは選択肢には入らない。だって、ああだこうだと文句を言いながらも好きでやってきた仕事なんだし、急にやめたら禁断症状が起きそう・・・。

カレシが9月からの8週間の英語教室のカリキュラムを作り始たので、実験台になって上級の文法テストをやってみた。センテンスの途中の空白に入る正しい語句を3つの回答から選ぶと言うもので、簡単と言えば簡単なんだけど、簡単だと思っていると「ん?」となるところがある。結局、時制の一致で引っかかったりして、50問中間違ったのが3問あってスコアは94点。カレシ曰く、「オレがやったら90点だった」と。え、100点じゃないの?まあ、英語人は英語文法の達人というのは神話みたいなもので、日本語人に日本語の文法について質問しても先ず説明できないのと同じようなものかな。ワタシは高校で習った日本語の文法なんかすっかり忘れてるし、英語の文法も高校で日本語で習って来たから、わかっていても英語ではうまく説明できない。(ちなみに、古文は惨憺たる成績だったけど、漢文はなぜか抜群に良かった。ひょっとしたらSVO思考なのかなあ、ワタシ。)

ワタシがやった テストは一応「上級」だけど、カレシの狙いは「初級」。今のコースも初級レベルを対象にしていたんだけど、前からずっと来ていて中級の中くらいになっている中国系の2人のおばちゃんがどんどん発言するもので、初級の人たちはついて行けないと思って来なくなってしまうんだそうな。そこで、ベトナム人移民の支援担当のロザリーが集めた9月からの生徒たちの英語知識が片言レベル以下ということで、2人のおばちゃんに易しすぎるからと「卒業」を言い渡したところ、「黙って聞いているから来させて」と懇願されてしまったとか。まあ、陽気なこの2人には英語教室が週一のレクリエーションになっているらしいから、いつまで黙っていられるかわからないけど・・・。

家族と一緒にカナダに移民して来た女性たちは、特にアジア人の場合は就職せずに子育てに専念することが多く、しかも家の中は母語の環境なものでなかなか英語が上達しない。子供とは幼いうちは母語でコミュニケーションが取れるけど、プレスクールに入る頃から子供は英語を話すようになってしまい、母親は英語を勉強しなければという焦りを感じるらしい。英語を覚えた子供が母語で話すのを拒否するのではなくて、英語で覚えて来た新しい知識や経験をそれまで話していた「赤ちゃん」レベルの母語では説明できず、かといって相手にわかるように語句を変えたりできる年頃でもないし、それだけの語彙も発達していないから、親子の間にコミュニケーションの断絶が起きると言うのが実情らしい。(ただし、子供が小学校高学年くらいになると、親の英語勉強を手伝うようになる場合もあるらしい。)

「互いに好きなら言葉は重要ではない」というのは、小町などの国際恋愛/結婚トピックでよく見る。開き直りにも近いような表現だけど、たしかにデートでお星様きらきらの目で互いを見つめ合っていうちは言葉は不要かもしれない。そういうトピックで必ず出てくるのが「結婚生活では言葉が通じなければうまく行かない」という苦言なんだけど、どうも真剣に耳を傾ける相談者はあまりいないような感じがする。でも、言葉なんかわからなくてもわかり合えていたはずのカップルが結婚したとたんに「わかり合えない」と思うようになるのはよくあることらしい。まあ、移民手続きにしても、スポンサーのダーリンに聞けば手っ取り早いだろうに、日本人のための日本語の掲示板にあれこれと日本語で質問が上がって来るのは、実は英語人のダーリンと言葉による意思の疎通ができていないことを暴露しているようなものじゃないかと思う。

ただし、人間は自分の外国語の能力をやや過大評価する傾向があるから、お星様きらきらの目で相手を見つめているうちに心の奥深くまでわかり合えたような気分になって、「アタシの英語は通じるから大丈夫」という錯覚が起きるのかもしれない。でも、どこの結婚生活も基本は同じようなもので、家計の算段、諸々の生活上の事務、相手の家族や友だちとの付き合い、子供ができれば医療や教育での事務・・・一歩外へ出たら、お星様きらきらの目で相手を見つめていれば用が足りるってわけじゃないから、英語(または他の現地語)で処理しなければならないことが果てることなく続く。いかに2人が深く、深く愛し合っていようとも、夫婦の、家庭の毎日の営みを回すのは言葉、さらに言葉、そして言葉。それもみんな「言葉の壁」、「文化の壁」のせい。

しかも、学校で習った文法の知識だけではどうにもならない曲者が「日常会話」というやつ。よく、「日常会話はできるけど・・・」というのを聞くけど、未だにどういう英語をいうのかよくわからない。「日常」というからには、日常会話の範疇には、家族や友だちとの他愛のない会話から、買い物などでの問合せ、苦情や交渉、パーティなどでの政治、経済、ビジネスの話題、はては科学技術、スポーツ、芸能、ゴシップまで、日常生活の中で交わされる会話で話題になるすべての分野が含まれているわけで、分野によってスタイルが少々異なるというだけで、すべてをひっくるめて「英語」がある。さりとて誰もがそのすべての分野に通じていなければならないものではないから、
「英語は日常会話ならできるけどビジネス英語はダメ」という線引きはありえないと思う。どこまでが日常英語でどこからがビジネスその他用英語なんだか。飲み会なんかで投資の話で盛り上がったら、「アタシは日常英語しか話せないのに」とこぼすのかなあ。まあ、そういう線引きをして「日常会話はOK」と言う人たちには、カレシの英語教室はレベルが低すぎるらしいけど。


2011年7月~その3

2011年07月31日 | 昔語り(2006~2013)
大型量販店は薄利少売なの?

7月21日。木曜日。正午ぎりぎりに起床。今日はちょっと夏らしい感じになりそうな気配。ニュースを見ると、まだオンタリオ州の上空に巨大な「ヒートドーム」がかかっていて、記録的な猛暑が続いていると言っている。想像するに、すっぽりとドーム型のガラスに覆われて、中が温室のように暑くなっているということか。うう、暑そう・・・。

今日は仕事日。きのうやり残した仕事をひとつ。「ねじ込んでください」と言われてOKしてしまった小さな仕事が2つ。どっちも期限は日本では午前中になっているけど、それだとこっちはちょうど夕食の時間。それで5時くらいには全部仕上げようと必死の様相になって、まずひとつを4時に完了。ちょっとひと休みして、事務用品屋Staplesのサイトで、カレシのプリンタのインクカートリッジとバックアップ電源を注文。カラーのレーザープリンタの黒のトナーも、印刷するたびに「残りはあと100枚分」とうるさくメッセージが出るので注文しようとしたら、「在庫ありません」と来た。困るよ、それ。後100枚しか印刷できないんだから、困るよ。ま、とりあえずあるものだけ注文しておいて、とにかく次の仕事。

トロントの午後5時の気温は空港で37.5度だったそうな。湿度を勘案すると45度は軽く行ってそう。あまりにも暑くて、自動車のボンネット(こっちではフードというけど)の上にクッキーの種を落としたら、見事にこんがり焼けたというからすごい。人がエアコンの効いた家から出ようとしないので、アイスクリーム売りは商売あがったりとか。アイスクリームを買っても、家に入る頃には溶けているかもしれないしね。逆に、さっぱり夏が来る気配のないバンクーバーでは、ダウンタウンの自転車のレンタル店で閑古鳥が鳴いているとか。こう低温で雨がちじゃあ、風を切ってサイクリングもないもんだし、濡れた砂の上で水着でビーチバレーなんて後始末が大変そう。その代わりというのか、ボーリング場が予想外に繁盛しているんだそうな。フィットネスジムも好調らしい。ふむ、あっちは暑すぎて「おこもり」、こっちは涼しすぎて「おこもり」。ヘンなの・・・。

さて、仕事が終わったところで、トナー探し。なにしろ後100枚分しかないんだから、なんとかしないと、スキャンしたPDFのファイルなんかがどさっと入ってきたら大変。バンクーバーのオフィス用品の量販店はどこもなぜか在庫切れらしいので、「あと何枚!」と出てくるメッセージの「消耗品の購入」ボタンをクリックしてメーカーのHPのサイトへ。直販しているようだったので注文しようとしたら、なんだ、アメリカのサイトで対象はアメリカ国内だけ。それでは、とカナダのHPサイトを調べたけど、こっちは直販していないらしい。HPの製品だからHPから買えるのかと思ったら、買えないじゃないの。なんか紛らわしいよっ、その「購入」メッセージ。

我が家から半径20キロ圏内の取扱店のリストを見たら、どれもすでに「品切れ」を確認済みのところばかり。ひとつだけ、Office Depotはまだ調べていなかったし、川向こうに店がある。だけど、特定の店に特定のトナーの在庫があるかどうかを問い合わせるのもめんどうなので、Office Depotの通販サイトを探したら、カナダにもあった(Staplesと同じ会社が持っているんだけど)。目指すトナーがあって、買い物カートに入れたら「品切れ」と出てこない。おお。感激したついでに念のために2個注文。オーダー番号が表示されて、注文確認のメールが飛んで来た。おお。あとは発送通知のメールを待つのみ・・・。

それにしてもまあ、あっちこっちにこんなにもと思うほどの量販店があるのに、モノがないことが多くなったような気もするな。でっかい店の中にうずたかく積まれているのはみ~んな同じもの。昔は、たとえば5社の製品を100個ずつ在庫していたのが、今は2社のものを500個ずつ。へたをすると、1社の製品だけを500個なんて、独占禁止法に引っかからないのかなあと思うようなこともある。おかげで、意外なものがどうしても必要というときい品切れになっていたりする。量販店がのし上がって来たら、薄利多売のはずが薄利「少売」になったのかなあ。ヘンなの・・・。

ま、どうやらトナーの補給ができそうでひと安心。あしたはいったん午前9時に起きて、カレシの注文品の配達が来るまでオフィスのソファで仮眠して、その後でまた寝直しだな。かといって、早寝するのはどうもねえ・・・。

おいしいものを好きなだけ食べられるうちが花

7月22日。金曜日。午前9時に目覚ましをセットしておいたら午前8時58分に目が覚めた。Staplesの配達がいつも午前9時からの予告枠の早い方に来るので、まずは9時に起きて、オフィスのソファで仮眠を取りながら待つ。今まで一番遅かったのが10時半過ぎで、平均すると9時半から10時の間。先に目が覚めてしまったので、目覚ましをオフにして、半分起き上がったところでゲートのチャイム・・・だ。時計を見たら午前9時ちょうど。うひゃあ、堂々の新記録だ。

慌ててベッドから飛び出して、階段を駆け下りて、インタコムに「ちょっと待って」と叫んで、また階段を駆け上がって、着るものをつかんで袖を通しながらまた階段を駆け下りて、防犯装置をオフにして、玄関からゲートまで走って、無事に注文品を受け取って、玄関の内側に置いて、着ていたものを脱ぎながら階段を上がって、そのままベッドに滑り込み!午前9時2分。睡眠の中断は最低限で済んで、何事もなかったように正午近くまでぐっすり眠った。カレシは階段をあがったり下りたりの騒ぎにはまったく目を覚まさず、「よく寝た~」と言って目を覚ました。受け取った注文品、どれもアナタのものなんだけど・・・。

予報によると今日の天気は晴れで、最高気温は平年並み。ということは、21度か22度。いや、やっとのことで夏空にお目にかかれるという感じで、別に夏らしいことをするつもりはなくても気持は高揚するな。仕事は明日に回して、今日は買い物日。まずはWhole Foodsへ行って、その後でメールで注文をしておいたスモークサーモンやサーモンキャビアをピックアップに行く・・・という予定だったんだけど、さすがカレシ、急に「あのさあ」と来る。今日はすでに予告してある通りにサーモンの類を取りに行くだけにして、Whole Foodsに行くのは夕食後にしようと。まっ、それでもいいよと、夕方近くになって、いつも日本にお中元とお歳暮の宅配を頼んでいるところへ、「ラッシュの時間だ」とか何とかぶつぶつ言うカレシを運転手にして、我が家からそう遠くない川べりのオフィスまで注文品を引き取りに行った。川から吹いてくる風がいい気持ち。

予定していたWhole Foodsのカニコロッケの調達が後回しになったもので、今夜のメニューも急遽変更。ぼたんえびをガーリックとレモンでバター焼きして、発芽玄米のご飯に刻みねぎを混ぜて、サーモンキャビアを載せた「即席イクラ丼風」と蒸したアスパラガスの付け合わせ。

食事中にカレシは急遽(また!)気が変わって、「やっぱり今日の内にWhole Foodsへ行こうよ」と提案。まっ、それでもいいけど。それにしても、アナタ、相変わらずワタシを振り回したがるねえ。そこんところをよくわかっているので、ワタシはしなやかに、あくまでもしなやかに・・・。まあ、元々仕事は明日やるつもりでいたから、元の予定に戻るだけのことなんだけどな。また気が変わるかなと思っていたら、8時を過ぎたところ「行くぞ~」。ささっと支度をして、大きなトートバッグを肩に、カレシの気が(また)変わらないうちにいざ出発。(ものぐさのカレシも、おいしいものショッピングはあまり苦にならないらしい。)カレシは豆サラダを作るための量り売りの豆を何種類か買って、ワイン酢やシェリー酢を買って、ワタシはお気に入りの量り売りのシリアルを買って、ランチ用の魚バーガーを3種類買って、明日の夕食になるカニコロッケを買って、フリーザーが上までほぼ満杯だからあまり魚は買えないけどと言いながらぶ厚いキハダマグロとごっついスズキを買って、爪を立てたらプチッと弾けそうな大根を買って・・・。今日の「掘り出し物」はカンボジアのメコン川流域のフラワー米とインドネシアのジャワ西部の火山灰地で栽培されたお米。

あ~あ、食道楽もいいけど、フリーザーも冷凍庫も冷蔵庫も食品棚も満杯。当分の間は食べては寝、寝ては食べての「夏ごもり」になりそうな。(まあ、年を取るばかりだから、おいしいものを好きなだけおいしく食べられるうちが花なんだけど。)だけど秋になって、山椒魚みたいに穴から出られなくなっちゃったら、どうしよ・・・?

どうして大人まで赤ちゃん帰りするんだろう

7月23日。土曜日。目が覚めたら、汗をかいていた。今日はきのうよりも夏らしくなりそう。待ちきれないから、今日は真夏用のタンクドレスに着替えた。肩がペロッと丸出しで、ちょっと胸が開いていて、膝上10センチのミニ。気温が20度を超えたらだいたいスリーブレスになってしまうワタシだけど、タンクはその「ない袖」をさらに短くしたようなものといえばいいかな。少々ミニ丈だと、脚をピンと伸ばせばちょっとは長めに見える「錯覚効果」もあるしね。(心しておなかを引っ込めていないとならないけど。)まあ、長年同じ環境の同じ生活空間で同じものを食べて来たせいで、ワタシもカレシに似て暑がりになって来たのかもしれない。実際のところは、2人が苦手とするのは暑さそのものよりは「湿度」なので、暑くてもめったに皮膚がべたつくことのないバンクーバーの夏は快適すぎて甘やかされてしまったかも・・・。

左目の結膜炎だか角膜炎だかがまたちょっと悪くなったので、今日はコンタクトレンズなしで過ごすことにした。ほとんど治ったかと思ったけど、コンタクトなしでも目頭の方がごろごろするし、鼻っ柱の横あたりがなんとなく痛い感じがする。きのうは買い物に行ったので1日。中コンタクトを入れていたら、夜中のランチの頃には我慢できないくらいの異物感。けさは白目がまた赤くなっていた。年も年だから、ある程度のドライアイになっていて、ちょっとした傷から炎症を起こしたのかもしれない。仕事があるから、コンタクトを外したままと言うわけにはいかない。月曜になったらガファー先生に電話してみよう。とりあえず、コンピュータを置いたデスクとワタシの間にあるキーボードのテーブルを退けて、少し身を乗り出して座れば目がモニタの画面から20センチの近さになって、乱視のおかげで二重にぼやけて見えるのはしょうがないとしても、少し拡大するだけでなんとか仕事をこなせそう。まあ子年の生まれのワタシ、窮鼠何とかというやつ・・・。

もっとも、仕事といっても、社員のチョンボというか、不始末の始末書みたいなもので、いたって簡単。それにしても、多いなあ、チョンボに不始末。社会文化思考がどんどんマニュアル化しているような感じで、元々几帳面ということになっている日本人には仕事がやりやすいだろうにと思うんだけど、どうやらそうでもないらしい。今の若い人はそういいうマニュアルはめんどうがって読まないのかもしれないな。それでチョンボをして一番先に考えつくらしいのが「ばれないように隠そう」。で、ばれたら、まずは「やっていない」と否定。それもばれたら「シャザイ」すればいい。なんだかチョンボに対するマニュアル的対応のようにも見えるけど、「やってない」と否定できるのはセレブか政治家、「シャザイ」して済ませられるのは企業のトップで、下っ端社員の場合は隠蔽がばれた時点でゲーム終了。ものものしい始末書の出番になり、悪くすると、もらいたくない通知が来ることになる。

チョンボは誰でもするんだから、やったら「チョンボしました」と報告して、チョンボ撲滅対策を考えればいいだろうに、隠蔽工作をしたり、嘘をついたりするから「事件」になって、最悪の場合はクビ。何でだろうね。芸能人やスポーツ選手や政治家がそうやってスキャンダルを起こすから、「みんながやっているから」のような感覚になってしまうのかな。それとも、ちょっとしたことで謝罪、謝罪と吊るし上げられるから怖いのかなあ。わからないなあ。記憶力が抜群にいい人でないと、ばれない嘘をつくのはかなり難しい。それでも、犯罪を犯したのなら隠したいと思うのはわかるとしても、誰でもうっかりとやってしまうようなチョンボで、隠したり、嘘をついたりしてキャリアや人生も棒に振ってしまうのはどうしてなんだろう。せっかくわき目も振らずに勉強して受験戦争を勝ち抜いたから、超氷河時代の就活戦線を生き抜いた今があるんだろうに、もったいない。

息抜きで小町の井戸端会議を見物していて、見つけたのが「だんなちゃん」という言葉。何じゃい、それ。で、ちょこっと調べてみたら、「だんなちゃん」だけじゃなくて、「おくたん」。どうもアニメだか漫画だかのキャラクターらしいことまではわかったけど、ふ~ん、「だんなちゃんとおくたん」ねえ。ままごと感覚という感じがするな。さらには、「むこたん」と「よめたん」、「嫁ちゃん」、「ママたん」、「パパたん」、「ベビたん」。これでこの一家が犬を飼ったら「ワンたん」になっちゃう。かわいい志向もここまで来たのかと、しばし絶句。子供ならまだしも・・・そういえば、アイドルと言われるオンナノコにも源氏名ならぬ「幼児名」がついていたりするような。新聞サイトで名前が見えるたびに、いい年をして「ゆうこりん」も「しょこたん」もないだろうがと突っ込んでいたけど、げっ、もしかして、幼児回帰志向(つまり、赤ちゃん帰り)の大波が押しよせている・・・は、いくらなんでも偏差値の高い高学歴者がごまんといる先進経済大国での話ではありえないよね?まあ、そこまで行ったら、嘘も隠し立てもなくなって、「チョンボちゃんしちゃったぁ。ごめんね、カチョーたん」とかわいく自己申告するようになるのかもしれない。げっ、まさか・・・。

よその家で自分の家と同じにやろうとすると

7月24日。日曜日。夏、やっとこさ到来と言う感じで、正午にはポーチの温度計で24度。相対湿度が60%ということで、体感温度を示すヒュミデックスは28度。うん、快適、快適。ワタシの感覚だと、気温が20度で「夏日」、25度で「真夏日」、30度で「猛暑日」というところ。生まれ育った釧路では20度が「真夏日」の感じだったから、22、3度くらいになるとスリーブレスの服を着せてもらえた。ひと夏にめったになかったし、せっかくスリーブレスになっても、午後になればガス(霧)が立ち込めて寒くなるから、遊んでいてもカーディガンを取りに家に走ったりした記憶がある。そういう環境で育ったせいで、スリーブレスやタンクトップは「真夏謳歌」への憧れイメージとして刻み込まれているのかもしれない。

きのう一日コンタクトレンズを入れずにがんばったおかげで、今日は目の状態が少し改善されて、白目の充血がぐんと減ったし、ごろごろする感じもほとんどなくなった。ここで喜んでコンタクトを入れるとまた一歩後退になるかもしれないから、今日もなしでがんばることにした。不思議なもので、きのうよりは「ぼやけ度」が低いような感じがする。きのうはモニタの画面から20センチのところまで顔を近づけていたのが、今日は25センチでも文字を判読できるから、人間の身体の復元力はすごいと思う。検眼のときに、カレシが老眼鏡の度を上げた方がいいかとガファー先生に聞いたら、「安易に度を高めると、目が怠けて老眼が進行する。少し見えにくいという程度なら、目の筋肉に運動させた方がいい」と言われたそうな。ま、最初のうちは不便だったのが慣れて来たということもあるだろうけど、使わない筋肉は萎えるもんだから、なんとなく納得。

ノルウェイのテロ事件が起きたとき、不思議なことに真っ先に思い浮かんだのは1990年代にアメリカのオクラホマシティで起きた連邦政府ビルの爆破事件の方だった。トラック爆弾が使われたことと、映し出された映像が似ていたためかもしれない。オクラホマシティ事件のときは反射的に「イスラム過激派がなんでオクラホマみたいな田舎でテロ?」と思ったのが、アメリカ人による自国政府に対するテロだとわかって、それまでのテロリズムに対する認識が変わった。そのテロがノルウェイのような誰も想像しなかったような国で起きて、ヨーロッパ各地でイスラム過激派のテロが何度も起きていたにもかかわらず、漠然とながら「極右テロ」が思い浮かんで、イスラムのイの字も浮かばなかったのはどうしてなんだろう。

事件を起こした男(なんとなくウィキリークスのアサンジに似ているような)は反イスラム、反多文化主義、反移民、反「文化マルクス主義」を標榜していたという。文化マルクス主義がどんなものかは知らないけど、イスラム教徒の移民が増えることによるノルウェイのイスラム化、あるいはイスラム文化による支配を危惧したということなのかな。歴史的や文化的背景がどうであれ、たしかにイスラム教には排他的で非寛容なところがあると思う。それが宗教そのものの性質なのか、あるいはイスラムを受容した地域に元からあった文化なのかどうかは、ワタシにはわからない。「砂場のけんか」の論理で言えば、キリスト教にだって排他的で非寛容なところはあるわけで、イスラム原理主義と同様に、キリスト教にも経典に示された規範の通りに行動しないものは異端視して排斥しようとする原理主義者がいる。ワタシとしては基本的にどちらも「変化」についていけない人たちなんだと思うけど。

カナダは建国当時から英仏語2つの言語とこれらに根ざした2つの文化があって、1970年代の初頭にいち早く多文化主義を政府政策に取り入れた。主にヨーロッパから受け入れていた移民の機会を、ポイント制度の創設で世界に向けて開いたのはそれより前の1960年代の終わり。アジアからの移民が急増し、インドからの移民が急増し、そしてイスラム教徒の移民が急増した。カナダも先進国の例にもれず出生率が低下しているから、天然資源も先端技術もある国としては、移民で人口を増やさないと労働不足になって経済が回らない。だから、少しペースを落とそうという話はあるものの、毎年20万人以上が新移民としてカナダに「上陸」している。みんな多かれ少なかれカナダでの生活に夢を描いて、大きな「期待」を胸にやってくる。

でも、カナダは個人を基本とする自由な国だから、性格的あるいは文化的に依存性が強いと、新しい生活が期待通りに行かずに失望することも多いだろう。そんなとき、宗教は失意に落ち込んだ人が寄りかかれる「居場所」になる。家父長主義が強ければ、宗教はカナダのリベラルな社会が与えてくれない「権威」を感じさせてもくれるだろう。その宗教の教えに排他性や強い統制志向があると(自分たちとは違う)社会と対峙する集団にもなるし、ときには「ごり押し集団」にもなって、移住先の社会との間に軋轢が生まれることになる。オンタリオ州のイスラム団体が、家族問題を州の法律によらずにイスラムのシャリアによって裁かせろと言い出して、猛烈な批判と反発を招いたのはその好例だろうな。あのとき、ふとカナダのイスラム化を危惧した人たちがいたと想像するのは難くない。

カナダの多文化主義は「モザイク型」と言われる。アメリカの「人種の坩堝」思想と違って、カナダという国を形成する民族の集団がそれぞれの文化を温存しつつ、なおかつ「カナダ社会」というモザイク画を形作るというものだけど、ワタシにはちょっと夢想家の理想像のように思える。だいたい、モザイク画というのはさまざまな色の破片を一定の位置に固定して初めて「絵」になるんであって、その破片のどの1個でも別の場所に移動したらその「絵」は変わってしまう。モザイク多文化推進派にはやたらと「○○系」カナダ人と民族名を頭につけたがるのが多いように思う。そうやって作った「カナダ」という題のモザイク画を眺めて、異人種、異文化を尊重する「すばらしい私」の作品と自画自賛する人たちなのかもしれないけど、これも裏を返せば、イスラム教原理主義やキリスト教原理主義とどこかで通じていそうで、あまりいい気持はしない。ワタシとしては、無理して融合しなくても、ひとつのボウル(国)の中に「み~んな一緒に同じ船」と共存する「サラダボウル型」多文化主義に惹かれるな。文化が溶け合わなくたって、そのうちサピエンス人とネアンデルタール人のように、みんな混ざるんだから。

最近はバンクーバーでも比較的新しい中国人移民たちが、中国の迷信を盾にして、「中国の文化なんだから尊重しろ」とホスピスの建設を阻止しようとして、何世代もいる中国系カナダ人の顰蹙をかっていたけど、よその国へ行って「母国ではこうだから」と、行った国の法律や文化に適合する努力をしようとしないのは、日常のレベルで見ると、たとえば人様の家に同居することになればその家のルールや習慣を尊重するのが当然だろうに、「自分はこういうライフスタイルだから」とその環境を乱す無礼な行為と似ているし、また、結婚した夫婦はそれぞれが育った家庭の文化や習慣の違いに折り合いをつけながら独自の「家族文化」を形成して行くものだろうに、「実家ではこうだったから」と自分に心地よいやり方を通そうして、難色を示す相手を「思いやりがない」と責めるのと似ていると思う。まあ、宗教や国家政策レベルでの軋轢やテロを、日常生活での人間関係の破綻や暴力と比べる人はいないだろうけど、国家も宗教も、政府も右翼も左翼もみんな人間の集まりだから、どこかに共通するものはあるんじゃないかと思う。そこに解決の糸口があるかどうかはわからないけど。

なんだかハイドバークの演説台に立っているような感じになって来たな、これ・・・。

テロリストの理想の国にされてしまった!

7月25日。日曜日。けさはびっくりした。ゲートのチャイムが鳴って目が覚めた。いつもなら鳴っていても目を覚まさずに眠っていることが多いので、「不在通知、入れといてね・・・むにゃむにゃ」。だけど、小包とかサインのいるものが来る予定なんてあったかなあと思いつつ半分眠りかけたところで、誰かが玄関のドアをドンドンと叩いている。家の中から操作しないとゲートから庭に入るドアは開かないはずなのに、どうして?しょうがないから、起きて行って玄関の横の窓から覗いてみると、あのぺらぺらのバスケットのショーツをはいたお兄ちゃん。どうする?一応、防犯装置をオフにして、もう一度窓から覗いたら、箱を持っている。ん、ひょっとして・・・?

びっくりしたのなんのって、さんざん探し回って注文したプリンタのトナーの配達。木曜日の夜に注文受付の確認メールが来てそれっきりで、寝る前にチェックしたときも発送通知のメールはなかったんだけどなあ。まあ、印刷するたびにトナーが残り少ないとメッセージが出て心配になって来たところだったから、間に合って何より。そのままベッドに戻って、またひと眠り。正午ぎりぎりに起きて、朝食を済ませてからメールをチェックしたら、あら、発送通知と追跡番号が来ていた。メールの送信時刻はけさの午前8時で、配達時間は午前9時20分頃。なるほど、普通なら9時には「営業時間」が始まっているから、出勤してきて、メールを見て、配達を待つという手順になるわけか。ま、トナーが来て何より。でも、寝ぼけ眼だったので、ナイトガウン(と言ってもタンクドレスに見えないこともないけど)のままでドアを開けたから、お兄ちゃん、びっくりしたかも・・・。

ノルウェイで反イスラム、反移民を唱えてテロ事件を起こした男が、膨大なマニフェストで日本や韓国を「理想の国」として名指しで称えていたという話に、ちょっとびっくり、だけど、さもありなん。日本在住外国人の英語サイトにかなりの部分が抜粋されていた。(こういうことになると、いつも日本の新聞サイトには3行にも満たないあたり障りのない記事しかないなあ。)そのマニフェストやらを読んでいくと、このサイコ男にとっての日本は「決して多文化主義を採用しなかった西欧的近代国家」であり、西洋化、近代化の中でも保守的単一文化主義と愛国主義を守り、人種/民族の純血維持に高い価値を置いて来たと言っているらしい。投稿者は「たぶん、ウィキペディアをさっとググって日本に関する情報を集めたんだろう。現実の日本を経験していたら違った見方になったかもしれない」と言っているけど、当たっていそう。あんがい「カリスママン」の仲間入りをしていたかもしれないしね。

要するに自分に都合のいい情報だけを集めて、自分に都合のいい理想像を描いたということなんだろうな。もし、日本人が民族の純血を守ることにそれほど誇りを持っているんだったら、バブル景気以来の国際結婚ブームをどう解釈するのかな。芸能界などで白人の混血児がもてはやされ、広告などのモデルに白人が多く登場する現実をどう解釈するのかな。まあ、「国際結婚指定」の結婚願望はブランド志向の延長と変わりなかったんじゃないかと思うけど、「文化保守主義」というのはなんとなく理解できるような気がする。カナダには日本から年間数百人の移民が来ているそうで、その大多数が国際結婚の女性。その割合は他の民族の比ではないらしい。カナダ人の配偶者としてカナダに移民して来たんだから、少しはカナダの文化や考え方に適応する努力をするかと思いきや、カナダに、カナダ人に、果ては夫やその家族にダメだしばかりという人も相当にいるらしく、「日本では・・・」、「日本だったら・・・」、「日本にいた頃は・・・」。

まあ、数を頼んで移住先の社会を自分に合わせようというのではなくて、愚痴る相手が日本人の日本人による日本人のための(2チャンネル化がはなはだしい)日本語の掲示板だし、移民の絶対数そのものが少なく、バブル時代以降はカナダ人の配偶者になった女性がほとんどと言う特殊事情もあって、社会的に固まって数を頼むことができないため、日本の「社会的常識」をそっくり持ち込んで、同胞がカナダ文化にかぶれて「日本人の道」を外れないように互いを監視、牽制しているようなところもあるから、自分たちの慣習を一般のカナダ社会に押し付けようとする集団に比べたら、カナダやカナダ人には実害と言えるものはない。つまりは、ヴァーチャルに日本に住んでいるようなもので、外国に移民しても日本の「保守的単一文化主義」を貫いているという見方もできるかもしれない。

だからといって、そういう人たちが「日本が命」の愛国主義者なのかというと必ずしもそうではなさそうで、どっちかというと、「ナルシシスト的ナショナリズム」と言ったほうがぴったりするように 見える。ナルシシズムは「自己愛」と定義されていて、それが高じると自己愛性人格障害というのもある。この自己愛は、高校の正面玄関に掲げられていた「先愛自己」という校訓が教える「自己を愛すること」とはまったく別のもので、ギリシャ神話の美青年ナルキッソスが水面に映った自分の姿に恋をしたように、ナルシシストが愛するのは実像の「自己」でなくて、多くは他人に投影された「自分の姿」の方だと思う。「先愛自己」というのは、先ず己を愛して(自分を受け入れ、肯定して信頼して)こそ、人を愛することができ、人に対して寛容になれ、異なるものや未知のものを恐れることなく向き合うことができるということだとワタシは思うけど、先ず愛すべき自己が「虚像」では受け入れも肯定も信頼も難しいだろうから、人を愛したり、寛容になったりする余裕がなく、異なるものや未知のものを脅威と「人見知り」をするのかもしれない。

こうしてみると、「ナルシシスト的ナショナリズム」は、ノルウェイのテロ男がマニフェストで理想として持ち上げた日本の、保守的単一文化主義と民族の純血性に基づく「ナショナリズム」とはかなり違うと思うけどな。まあ、とんでもない狂人の理想にされて迷惑もはなはだしいだろうから、誤解のないように、指しされた麻生さんあたりが先手を打って世界にガツンと言った方がいいんじゃないのかなあ。

老夫婦のワークライフバランスはどうなるの?

7月26日。火曜日。曇り。やっと来たはずの夏、どうしたのかな。午後1時を過ぎてもポーチの温度は16度しかない。郊外の農場地帯チリワックのとうもろこしは生育がもう数週間も遅れていて、名物のとうもろこし迷路もオープンの時期が迫っているのに、背丈が足りなくてやきもき。今年も地物のもぎたてとうもろこしは期待できないのかなあ。もう「冷害」と言ってもいいくらいの状況だと思うな。そういえば、米が大凶作で日本中で米不足になった年の8月に東京に滞在していたけど、長袖を着て歩くくらい涼しかった。それが不思議と言うか、新鮮な驚きと言うか・・・まあ、息詰まるような蒸し暑さを覚悟して行った観光客としては、そんな感覚だったと思う。

仕事にかかる前の「サボりのひととき」(仕事を始める前からサボっていていいのか・・・)をネットの新聞や友だちのブログを巡回していたら、洗濯をしたと書いてあって、土曜日から洗濯をすると言っていたのを思い出した。今日こそは忘れずにやらないと、カレシの下着がなくなっちゃう。だだっと階段を駆け上がって行って、ランドリーシュートのドアを開けたら、なだれ落ちる寸前の洗濯物の山。洗濯機に水を張りながら、白系統は洗濯機に、暗色系統は洗濯かごにと仕分けして、洗濯開始。いちいち「下着がなくなる~」なんて言って来ないで、洗濯機くらい自分で回してよ~と言いたいところだけど、ワタシが10日。ほど入院していたとき、着るものに困ってママに洗濯機の使い方を電話で聞いて呆れられたというカレシだから、洗濯機のマニュアルをそばの棚に置いてあってもダメ。まあ、洗い上がって乾いたものを洗濯かごに入れておけば、(自分のものだけ)たたんでしまってくれるから、ご本人は洗濯に「共同参画」しているつもりなのかも・・・。

今週のTIME誌に「家事戦争」とでもいうような特集記事があった。日本でも共働きが増えて、家事の分担問題がしょっちゅう小町のトピックに上がって来るけど、日本よりずっと早くに「男は仕事、女は家事」といった分業体制が崩れた北米では夫婦共働きがほぼ基本になっていて、ほとんどの女性たちがそれまでの仕事を結婚してからもそのまま続ける。(専業主婦か、共働きかという二者択一は存在しないといっていい。)当然のことく家事をどうするかという問題が起きるのはいずこも同じ。女性が自分たちの負担が大きいと感じるのも同じ。男は楽をしているという不満が出るのも同じ。世界の先進国のどこで「共働き夫婦の悩み」であるのは確かだと思うな。社会学者とか心理学者とかいうエライ人たちがあれこれと調査研究して、「妻が家事をする時間は夫のそれよりもこれだけ長い」と数字を示せば、妻たちは夫たちに「ほら、もっと家事を!」と要求する。このあたりは今の日本でも同じだろうな。

だけど、なのだ。アメリカ統計局に長年勤めた人が、ワークライフ・バランスの考えに基づいて、集まってくる膨大な統計数字を分析して、働く既婚の男女の仕事と家事(育児を含む)を合わせた「労働時間」を測ってみたところ、女性が8分から20分長いという結果が出たという。つまり、仕事(ワーク)と家事(ライフ)を総合してみると、夫も妻もほぼ同等でバランスが取れているということになる。母親の育児の時間が増えているのは、子供の早期教育に熱心な母親が増えたからで、それでも子育てが母親の方により負担になるのは子供が幼児のうちだけということだった。現実的には、逆に男性の負担が増えているというからおもしろい。といのは、女性は子供を持つと職場が負担増を察してそれなりに配慮してくれるけど、男性は子供ができても会社の期待や要求は変わらない。そのため、家庭での「父親」の役割を重視して、積極的に子育てに関与したい男性が増えている今、仕事と家庭をバランスよく両立させることが難しくなって来ているという話だった。ふむ、結局、いつの世もつらいのは男のほう・・・ということなのかなあ。

小町に登場する家事負担の悩みを読んで思うに、家事の分担を量の問題としてとらえるから、作業リストを作って労働量によって平等に振り分けようとしたり、稼ぎの少ないほうが多く家事をすることを提案したりと、目に見える「数字」で公平さ(自分が損をしていないこと)を確認しようとするマニュアル的な結婚生活になるんじゃないのかな。縦割り行政の家庭版みたいで、なんか硬直した感じがしないではないな。ワタシはカナダに来て最初の2年だけ専業主婦をやったけど、働き始めてからもそのまま家事負担率100%で、それが25年続いた。まあ、カレシは「家事負担率ゼロ」の父親を見て育ったから、「手伝う」という観念さえなかったんだろうと思う。だから、切羽詰って手伝ってと頼んでも、「後でやればいいよ」という寛容なお言葉しか返って来なかったわけで、それでもご本人は自分は(すぐに苛立つ父親に比べて)思いやりのある夫なんだと思い込んでいたらしい。今では2人ともワークもライフも同じ空間でごっちゃまぜになった暮らしをしているから、まっ、なんとなくバランスはとれているってことじゃないのかな、うん・・・。

お礼してもらうのはしてあげた人の権利?

7月27日。水曜日。なぜかちょっと早めに起床(と言っても午前11時20分)。カレシは裏口からガレージを抜けてレーンに直行。戻ってきて、「ゴミがまだある」と電話に飛びついた。実はきのうが収集日だったのに、うちのと隣のパットの容器だけが空になっていなかった。きのうはパットが市の衛生部に電話して、「後で取りに行くからそのままにしておくように」と言われていたんだけど、とうとう来ないままだった。ごみを大きなビニール袋に入れて出していた頃は、夕方までに市の車で来て拾って行ったもんだけど、規定の容器を使う「自動式」になってそれができなくなった。省力化によるコスト削減は喜ばしいけど、市民には便利になったの、逆に不便になったのか・・・。

バンクーバーは、ショーネシーのような超高級住宅地は別として、一般の住宅区域はほとんどが碁盤目になっているから、普通のブロック構成だと、南側と北側に東西方向の道路に向いて家が並び、裏庭とガレージが真ん中を通るレーンに向いている。ごみ収集車はそこを一直線に走るだけだから、収集もれはまずない。ところが、我が家のあるブロックのように、東側と西側にも南北方向の道路に向いて家が並んでいる場合は、レーンがH字型になっているので、収集経路がややこしくて、たまに取り残しがあった。まあ、ごくたまにだし、電話すればその日のうちに取りに来てくれたから、どうってことなかったんだけど、一回にレーンの片側しか収集できない自動式になってからは、経路が前よりも複雑になって取り残しがちょくちょく起きる。電話したカレシが、「なんだか知らないけど、特別収集の請求票ってのがkあるとかで、その番号をくれたぞ」と呆れ顔でパットに知らせていたから、よっぽど取り残しが多くなったんだろうな。番号順だったかどうかは知らないけど、午後3時過ぎにはトラックが来て、2個の容器は空になった。めでたし、めでたし・・・。

カレシが庭仕事に精を出している間に、仕事をひとつ仕上げる。ま~た始末書の類で、規則違反やうっかりミスじゃなくて、どうやらハラスメントの苦情があったらしく、その申し開き。文章や経緯から推測するとかなり若い人、たぶん30代半ばくらいかな。まあ、ハラスメントと言えるようなことじゃないと思うから、ちょっとかわいそうな気もするけど、それはワタシが判断することじゃないから、原稿の通りに粛々と、でも、こんなんで苦情ってのはちょっと過剰反応じゃないのかなあとか、しょげているようであんまりしょげているようじゃないなあとか、突っ込みを入れながら作業を進める。こうして何でも翻訳屋のデスクには、今どき日本のさまざまな(ときにはメロドラマチックな)人間関係の綾模様(今日のテーマは「してやったんだから見返りを」)が見える仕事がけっこうあって、野次馬根性を満たしてくれるから、かの「500円翻訳者」が言った「ただの翻訳」はおもしろくてやめられない。

この「見返り期待感」は小町横丁の井戸端でも人気?のあるテーマのようで、「○○してあげたのにお礼がない!」と憤慨している投稿がよく登場する。日本の美徳とされる「礼儀正しさ」を追求するあまりなのか、それとも心の奥に他人に評価されたい(褒められたい)という欲求が鬱積しているのか、それとも一種の「権利意識」の表れなのか。最近の民主教育は権利を強調しすぎて来たところがあると思うから、どこかで「厚意の提供=お礼当然」という方程式ができているのかもしれない。たぶん「人の痛みがわかる子供」教育や「ゆとり」教育や「平等」教育とも関係があるんだろうと思うけど、ワタシは子供を育てたことがないから、わかりもしないくせにと言われればそれまでの話。でも、現実には社会人になった「よその子供」とさまざまな場面で日常的に接触するわけだから、目の前の子育てと教育の「結果」の言動を観察、分析して、ワタシなりに発達過程を推察する。ある意味、原稿文から筆者の思考を辿る翻訳の過程と似ていなくもないから、あんがい職業的な性癖なのかもしれないけども。

仕事をしながらごちゃごちゃと考えているところへ、まるで青空の黒雲のようにぽかっと浮かんだのが、常々感じていたフランス語の「egalité」、英語の「equality」と、日本語の「平等」の(ワタシだけが感じているのかもしれないけど)微妙なずれは、社会の最小単位が「個人」である場合の平等観と、「集団」である場合の平等観の違いだったのかという疑問。ワタシは「equality」というのは、どんなに有形無形の違いがあろうとも個人はすべて人間として同じ存在価値を持っているということだと思うんだけど、「平たく等しい」日本流の平等はなんかみんなが同じ(たぶん可視的な)レベルで横並びということではないか。だから、出るくいは打たなければならないし、横並びラインの前後にはみ出す者は秩序を乱す厄介者と見られるのか・・・と。

まあ、世界のどこであろうと、人間関係はドラマのようなもので、即興でやるか、台本通りにやるかの違いじゃないかと思う。生まれついてのはみ出しっぺには、フォレスト・ガンプのチョコレートの箱のような即興劇のほうが性にあうかな・・・。

日本人は本当に外国人に若く見えるのか

7月28日。木曜日。午後1時で気温は20度。カレシは勇んで庭仕事に出る。そうのいでたちときたら、まず愛用のiPodのイアフォンを耳に突っ込んで、その上に産業用のイアマフ(聴覚保護)をして、その上に後ろに外人部隊の軍帽のような首の日焼けを防止する垂れ幕のついたつばの広い帽子を被ってのすごい重装備。週明けはもう8月だというのに、まだスナップえんどうが採れるし、レモンきゅうりは少し小さくて色が薄いけど、まあまあの作。トマトは生育不良だけど、ミニトマトが食べられるようになった。身勝手な芽キャベツは今年も「招かれざる客」ですくすくと生育中で、カレシは「オレはカリフラワーが欲しいの!」とおかんむり。カレシの野菜は堆肥だけで化学肥料も使わない100%有機栽培。丸々としたえんどうを食べながら、「これは2年前のサラダの生まれ変わりなんだよ。究極のリサイクルだな」。ほんと・・・。

今日は仕事がないから、のんびりと小町横町の散歩。いつもながらの賑わいだけど、「外国人から見ると日本人は若く見えるのか」というトピックはおもしろい。なんでも、50代半ばの主婦が駅で30代くらいの黒人男性に「かわいいですね」と声をかけられ、一目ぼれしたからメルアドをくれと言われたんだそうな。それで「日本人は若く見えるのかな」と。まあ、いくら日本人は若く見られるといっても、50代半ば女性に「かわいいですね」はないだろうと思うけどなあ。日本で日本人に囲まれて暮らしてれば、日本女性の年令は「印象年令プラス何年くらい」というものさしができていそうなものだと思うんだけど、推定30代の外国人に「かわいい」と言われて、日本人(私)ってそんなに若く見えるの?と、うれしそうに「皆さんもそんな経験ありますか」とトピックを立てるのもなんだかなあ。女性はいくつになっても若く見られたいのは世界共通の願望なのはわかるけど・・・。

それでも、トピックには外国旅行や海外生活で「外国人」からすごく若く見られた~という、うれしい?体験談が続々と書き込まれている。たしかに、一般的にアジア人は西洋人の目に「年齢不詳」に映るのは周知の事実だけど、自分たちと顔かたちの違うアジア人の年令を推定するのは難しいということに過ぎない。外国人が外面の印象に基づいて推測した年がたまたま実年令よりずっと低かったからといって、自分の「実年令」を知っているから「若く見られた」と言えるんだと思う。それに、「若く見られた」と喜んでいいかと言うと、必ずしもそうじゃなくて、書き込みでも指摘されているように、「若い」というよりは「幼い」見られていることもある。若く見られるのと、幼く見られるのとでは天地の違いだと思うけど、今どき日本の「チョーかわいい」志向のファッションやメイクからすると、答は「幼く見える」の方じゃないかと思うな。(幼女的な)「かわいさ」が若さの理想だとすれば、「かわいいね」と言われると「私って若く見えるのよね」という解釈になるのかもしれない。

そういうワタシもアジア人だから、カナダに来てからこの方、実年令に見てもらえたことがない。初めてカナダの土を踏んだ25歳の夏は、どこでも「子供料金」で入れたし、ビクトリアの博物館では、ホームステイ先の友人夫婦の日系人の奥さんの「連れ子」、つまり奥さんの本当の連れ子のハーフの娘の「異父姉」を装って、4人家族の格安料金で入ってしまった。カレシとのデートでミニゴルフに行ったときは、クラブを借りるのに年を聞かれて「二十歳を過ぎた」と答えたら、「16歳以下は割引になるんだから無理しなくていいよ」と言われて、ん?と思った。カレシは当時30歳。う~ん、もしもあのとき「30歳の男が16歳以下に見える女の子とデートするってどうなのよ?」という疑問がわいていたらその後はどんな展開になっていたかなあ。(まあ、あのときのワタシは中身も16歳以下のレベルだったんだろうし、恋は盲目というし・・・。)

外国で「若く見られた」体験談で一番多いのはお酒が絡む場面。レストランでワインを注文して拒否されたり、酒屋でIDの提示を求められたり。うん、わかる、わかる。IDを見せろと要求されるのはいい方で、ワタシは酒屋から追い出されたことがあった。仕事の帰り道にワインを買って行こうと思い立ったのが運のつき。スカートにブレザー、ハイヒールでアタッシュケースを下げた、どこから見ても「キャリアウーマン」風だったのに、店内に何歩か入ったところで「ちょっと、IDを見せなさい」。運転免許証を見せたら、「お姉ちゃんのなんか借りてきたってだめだよ」。免許証の写真なんか誰でも老けて写るんだし、ワタシは亭主持ちのれっきとした大人なんだと抗議したけど、あっさりつまみ出されてしまった。あのときのワタシ、33歳。若く見られるどころか、「未成年者」扱いされたことに愕然とするやら、憤懣やるかたないやら・・・。

オフィス機器の配置換えをしてデスクの周りを整理したときに、積み上げてあった書類バスケットの底からまた出てきた1枚の写真。[写真]

裏に1990年6月20日。と印字されている。カレシがこの写真を撮ったときはフリーランスの翻訳業を旗揚げして4ヵ月半。いきなりカレシの倍も稼いで、「翻訳ってぼろい仕事だなあ」とホクホクしていた21年前のワタシ。人様の目には何歳に見えるのか、あるいは若く見えるか、幼く見えるか、見る人の判断しだいだけど、年がわからなければ「幼い」という印象をもたれるかもしれないな。このときの実年令は満42歳。まあ、こっちの女性は40代に入るあたりから年令より若く見られたいと思い始めるらしいから、40代だとわかれば「かわいいね」じゃなくて、「若く見えるね」と言ってもらえるかな。60歳を過ぎた今、ワタシとしては「若く見える」よりも「若々しい」と言われるほうがうれしいけどな。カレシとの見かけの年齢差が開いて来ると、たまに変な目で見られることがあるから・・・。

遅ればせの夏の普通の週末

7月29日。金曜日。今日は起き抜けから暑くなりそうな気配。玄関ポーチの温度計は午後1時でもう22度。もう8月なんだから、そう来なくっちゃ。8月の第1月曜日は適当に作った「BCデイ」という祝日なので、この週末は三連休。音楽と組み合わせた花火コンペがあるらし、恒例の日系人のお祭りである「パウェルストリート・フェスティバル」があるし、日曜日にはゲイプライド・パレードがある。

パウェルストリートは戦前の日本人移民が住みついて、太平洋戦争で根こそぎ内陸の収容所へ送られるまで「リトルトーキョー」と呼ばれていたところで、今ではスラムの一部になっているけど、日系カナダ人の「心のふるさと」のようなもの。お祭りにはずっと昔に1度か2度行ったことがあったけど、屋台が出て、仮設舞台では日本舞踊や日本語学校の子供たちの合唱などがあった。金魚すくいもあって、ちょっぴり子供の頃の神社のお祭りのような感じがした。たしか、今は御輿行列もあるはずだけど。バンクーバーには特定民族の移民が集まる(あるいはかって集まっていた)コミュニティのフェスティバルがあちこちであって、カレシとそういうところへ出かけていた頃のお気に入りはギリシャ系のフェスティバルだった。ま、2人ともそろって隠居になったら、また出かけて見るのもいいかな。

日本が金曜日のきのうは「おきみやげ」仕事が入って来なかったので、日曜日の夜までは「完全週休」。こんなふうに「区切り」があるのもいいもんだな。ゆっくりと朝食をして、食後のコーヒーを飲みながら、しばしゆっくりと本を読む。アイオワ州デモインを出発したビル・ブライソンは、理想の「小都市」を求めて、南部から東海岸に出てワシントン、ニューヨーク、ニューイングランドと北上して、今度は五大湖沿いに西進。現在、ミシガン州を抜けて、ウィスコンシン州に入ったところ。行けども行けども、モテルにガソリンスタンドにファストフードレストランにショッピングセンター。オハイオ州でクリーブランドからトレドへ向かう途中で、田舎のラジオ局はニュースが30秒しかないとこぼしているうちに、(1987年の)ウォール街で1日。としては史上最大の株価暴落があった言うニュースを耳に挟み、詳しく報道するラジオ局を探し回ってやっと見つかったのがなんとカナダのCBC(カナダ放送)ラジオの番組。アメリカの経済がどうかなってしまいそうなニュースをなんで外国の放送で聞かなければならないんだとおかんむり。ま、アメリカは50の小国家の集まりで、それぞれの中に大小の都市国家がいくつもあるようなもんだから。

そのアメリカ経済、日本と同じように上院と下院で共和党と民主党の勢力がねじれている議会で、国の債務の上限を上げるかどうかで、もめること、もめること。突き合わせていた角が絡んでしまって二進も三進も行かなくなったのかな。期限は8月2日。で、それまでに妥協できなければ、アメリカ政府は「債務不履行」になって、支払いができなくなり、国際の格付けが下がり、資金の調達コストが上がり、経済は大不況に逆戻り・・・と言うシナリオなんだけど、サブプライムの金融危機をいち早く乗り越えて、カナダの金融機関は世界で最も健全と言われ、経済も安定しているということで、カナダドルが安全な通貨と見られているらしく、ずっとカナダドル高。ワシントンの角突き合いの顛末いかんでどういう影響があるのか。今のところはあまり悲観的な話を聞かないから、この週末はまた国境に長~い車の列ができるんだろうな。カナダドルが下がって、アメリカのと等価になれば、アメリカドル口座にたまっている資金を移して、ちょっぴり為替差益を出せるかなあ。

まあ、ことお金に関しては、あんまり欲を出さないのが一番安全で安心なんだけど、たまには取らぬ狸の皮算用をしてみたくなるのもお金の魔力、というよりはのんびり週末の白日夢・・・。

会議は踊るよ、民主主義

7月30日。土曜日。今日も暑そう。午後1時でもう22度まで行っている。昼のニュースで天気予報を見ていたら、バンクーバーで観測史上最高の気温を記録したのが2年前の2009年の今日だった。あの年の夏は暑かったなあ。めったに30度を超えないバンクーバーで30度前後の日が続いて、とうとう33度を超えて「観測史上最高」の記録を更新したのがきのう。暑~い!と悲鳴を上げたら、その新記録をあっさり書き換えたのが今日。最高気温は34度を超えた。あんまり暑かったので、前をエプロンのように首の後ろで結んだだけの、肩も背中も丸出しのドレスで芝居に行ったっけなあ。2年前の話。去年は打って変わって、あんまり暑くなかった・・・。

アメリカ連邦議会の「審議」はいつ果てるともなく続いている。共和党も民主党も「これだけは譲れない」と政治的ドグマを振りかざし、それをさらにかき回しているのが「絶対に妥協はしない」という共和党の茶会派。もう政治駆け引きごっこはいいから、そろそろまじめに国を統治してくれないかなあ。とはいっても人様の国だから、何を言ってもしょうがないけど。ニュースで見る限りはけっこうにぎやかにああだこうだと言っているけど、アメリカでは議会の審議を生中継するんだろうか。中継してもアメリカの人たちは見るのかな。アメリカ連邦議会の議場の配置は議長席をかなめにした扇のような形で、ちょっと日本の国会の配置に似ているな。議論を戦わせると言うよりも、マイクのあるところへ行って「演説」するような感じなのも似ている。

議会制度発祥の地イギリスの議会では、議長が細長いテーブルの端の一段高いところに座り、与党と野党がそのテーブルを挟んで向かい合って、発言するときにそのテーブルのところへ行く。(距離は2、3歩程度かな。)発言することの多い閣僚やベテランが「ベンチ」と呼ばれる席の前の方に座り、「その他大勢」の陣笠議員は後ろの方に座る。(ベンチの後方にいることから、陣笠議員のことを「back-bencher」と言うようになった。)陣笠議員の重要な?役目は野次を飛ばすことらしい。イギリスで発覚したタブロイド新聞の電話盗聴事件が政治家やスコットランドヤードを巻き込むスキャンダルに発展して、盗聴で逮捕された編集長が元側近だったキャメロン首相が議会で弁明したときの様子をBBC Worldで見たけど、あれはおもしろかった。首相が躍起になって説明し、釈明し、対応策を表明している間、反対側の野党席からにぎやかに野次が飛ぶ。事件が事件なもので、野次にも熱が入りすぎて、議長が何度も「Order!(静粛に!)」と注意する。ちょっとの間収まるけど、すぐにまたわいわい。とうとう議長が野党側のベンチの方に身を乗り出して、「子供のけんかじゃあるまいし、やめなさい!」と叱り付けていて、笑ってしまった。

カナダの連邦議会はイギリス議会が手本なので、議場の配置も「ベンチ」が向き合っている。与党は議長の右側、野党は左側と決まっていて、閣僚やベテランは前の方、陣笠議員は後ろの方という席順は同じだけど、質疑応答のときは立って議長の承認を得た上で自分の席から発言する。ケーブル放送にCPACという公共チャンネルがあって、質疑応答の一部始終が英仏の同時通訳付きで生中継されるけど、ここでも陣笠議員はせっせと相手側の発言に野次を飛ばし、自分側の党首の発言には「Hear! Hear!(いいぞ、いいぞ!)」と言いながら、デスクを一斉に手のひらでバンバンと叩いて応援するから騒々しい。特に反対の多い議案があったりすると、見ていてけっこうおもしろいけど、公用語の英語、フランス語のどちらでも発言できるので、フランス語のときは同時通訳の声に切り替わって、なんか機先をそがれたような気がする。

イギリスでもたぶんそうだと思うけど、議場では議員を個人名で呼び合わない決まりになっていて、首相や閣僚を「総理大臣」、「○○大臣」と呼ぶのは日本の国会と同じだけど、一般議員は「The honourable member from ○○(○○区選出議員殿)」」と呼ぶ。たとえば、我が家のある選挙区のウェイ・ヤン議員は「バンクーバー南区選出議員殿」と呼ばれるわけ。選挙区によっては地名が3つくらいつながった長い名前のものがあるから、ときにはちょっと滑稽に聞こえることもあるけど、よく似た名前の議員がいるときに混同しないようにという趣旨らしい。まあ、議論の最中はいちいちそういう長ったらしい呼び方はめんどうだから、「My learned friend(博学なる友よ)」とやっていることが多い。これもイギリスのプロトコルを踏襲したもので、法廷でも裁判官や弁護士が互いにそう呼び合っている(ただし、カナダの弁護士はイギリスのように法廷でかつらは被らないけど。)

ここに来て、慌てて妥協するのかどうかはわからないけど、アメリカ経済の行く末を心配して、カナダドルが下がり始めている。カナダとアメリカの経済は、陸続きということもあってかなり密に連動しているから、アメリカが不興になれば、カナダも足を引っ張られるのは避けられないだろうな。ま、請求書の作成や帳簿整理、売上税の申告といった月末処理で、ワタシのビジネスだけはちゃんと回しておこうっと。

経理部長(私)より、社長殿(私)へ

7月31日。日曜日。予報の雨(といっても確率は40%)はとうとう降らなかったようで、ふと目が覚めた午前9時半にはもう暑くなりそうな気配。汗をかいていたので、エアコンをオンにして、またひと眠りして、12時半起床。のんきな週末はほんとにいいよね。やがてこういう暮らしが毎日になるんだと思うと、年を取るのも悪くないなあと思ったりして・・・。

だけど、今日は7月最後の日。売上税の申告期限。オンラインでやれなかった頃は、月末が週末のときは週明けの月曜日が期限になっていて、ちょっとばかり余裕があった。今回はその月曜日が祝日だから、期限は2日。の火曜日になるところだけど、期限の通知書を見たら7月31日。になっている。しかも、日曜日は現時時間午後1時から午後11時までの受付。ネットなんだから、24時間受付できてよさそうなものだけど、そこははお役所のやること。理解しようとすればするほどストレスになってくる危険が高まるから、「ああ、そうですか、はいはい」で行くことにする。

それでも、事業者番号をもらって四半期ごとに連邦売上税の申告をしなければならないワタシにとっては、連邦と州の売上税金を分けて計算しなくても良くなったもので、経費の請求書やレシートからHSTの数字を拾い出して計算機でちゃっちゃと合計するだけで済むのは助かるな。特に大きな出費がないときは、2本の電話料金と2つのISPのインボイスだけのこともあって、集計は5分で終わり。作業ログの3ヵ月の売上高を合計したら、後は事業者番号と通知書のアクセスコードでログオンして、売上はこれだけ、(ゼロ課税の「輸出」だけなので)徴収したHSTはゼロ、経費にかかったHSTはこれだけと数字を入力して、「計算」のボタンをクリックすると、還付額が自動的に出て来る。お役所仕事にしては進歩したもんだ。「提出」のボタンをクリックすると、確認番号つきの申告書が現れるから、それを印刷して完了で、後は小切手が送られてくるのを待つだけ。ま、24時間体制でなくても不便がないシステムというところか。

それにしても、2011年度の第2四半期の実績は、これが上場企業の四半期決算報告だったら株価が急落しそうな数字だな。作業ログは2001年まで遡って記録があるけど、1990年2月に旗揚げして以来の自営業歴で最低だったのは2003年で、なぜか終わってから「ん?何でこんなに少なかったの?」というくらい、知らないうちいn「不景気」だった。日本が不景気だったのかと思っていたら、翌年のアメリカ翻訳協会の会議で、日本語以外の人たちも「去年はひどかった」と言っていて、どうやら世界的な不景気だったと察したけど、未だにその理由さえよくわからない。なんだったんだろうな、いったい・・・。

今年はその「最悪」の年の7月末の売上を5.6%下回っている。ええっと!と思って、作業実績(英語の単語数)を見たら、なんと15.2%も少ない。日本からの受注がメインだから、やっぱり大震災と原発事故の影響なんだろう。でも、仕事量の減った割に売上の減少幅が小さくて済んでいるのは、1語あたりの単価が11%ちょっと上がっているから。2003年度はアメリカドルの方が高かったことを考えると、カナダドル高で手取りが目減りする現状では悪くない数字だな。フリーランスの自営業を長くやっていると、好調と不調の年の落差が大きくなる。売上が最高だった年は最低の年の4倍以上で、公務員で専門職のカレシの年収の3倍近く。カナダの有職女性の上位1%に入る所得があった。まあ、ダメな年でもひとりでなら十分に暮らせるラインを保っているから別にがっかりすることもないんだけど、決算書類を見るとやっぱり「あ~あ」とため息のひとつも出る。今にも倒産しそうなどこぞの国々に比べたら、超健全経営なんだけど。

カナダで働き始めてから34年。基本的には何があっても自分を養えることだったから、その点では合格点だと思う。ま、ビジネスにも人生にも、良いときもあれば悪いときもあるもんだから、「あんた、良くやってきたじゃないの!」と自分を褒めてあげようっと。


2011年7月~その2

2011年07月21日 | 昔語り(2006~2013)
察しの文化?察してちゃん文化?

7月12日。火曜日。ゴミ集のトラックの音にも目を覚まさなかったくらいぐっすり眠ったらしい。午後12時半に目が覚めて、2人して「今日は忙しいのに!」と跳ね起きた。今日も何となく涼しい。東部は暑いし、アメリカ南部は酷暑だし、日本も暑そうなのに、こっちは20度を超える日があっても1日。か2日。ですぐにぐずぐずと涼しくなってしまう。ちょっと不公平じゃないかと思うけど。

きのうは気の滅入るような仕事を1日。がかりで仕上げて、どよ~んと疲れてしまった。供述書のようなものは、ビジネスでもめているときは頭が疲れるだけでけっこうおもしろいけど、人間同士がもめているときは心の方が疲れてちっともおもしろくない。(リコン関係だったらゴシップ雑誌のようなおもしろさがあることはあるけど。)元々人間関係のもつれから始まったもめごとなもので、「気持」を描写する表現がてんこ盛り。しかも最近蔓延っているらしい過激化した表現があちこちにあって、それが本当にその人の気持のレベルなのかどうかがわからないから困る。「泣く」にしても、目がウルウルしたのか、しくしく泣いたのか、よよと泣き崩れたのか、手放しでわあわあ泣いたのかによって、それぞれの泣き方を表す単語を選ばなければならないのに、しれっとした語調で「号泣しました」って、ほんとはど~なのよ。勝手にもめてていいよ、もう、・・・。

まあ、日本の「察しの文化」が問題の根っこであることは間違いないだろうと思う。「自分の気持ち」、「自分の気持ち」の一点張りで、その「自分の気持」が相手に伝わっていないと口説いてみても、伝わっていないものは伝わっていないんだからしょうがない。「察しの文化」とか「思いやりの文化」というのは本来は自分「が」相手の気持や反応を推測して言葉や表現を選ぶものだと思っていたけど、今やどう見ても相手が自分「の」気持や反応を推測して(自分に都合の良い、あるいは心地の良い)言葉や表現を使うということが前提になているとしか思えない。だから、自分にとって心地の良くない言葉や物言いは自分の人格を否定するものであって、許しがたい行為と言うことになるのかなあ。何だか生きにくそうな世の中のような感じがするけど・・・。

いつの間にか日本人が誇る「察し」のエネルギーの流れが逆になっているということなのかなと思ったけど、だいぶ前に比較言語学者の論文に、英語は意思を伝えるというコミュニケーションの責任を話し手に負わせるのに対して、日本語では「聞き手」が話し手の意思を慮るという責任を負わされているというくだりがあったから、相手に察してもらうことを期待するのが元からの「察しの文化」、「思いやりの文化」だったのかもしれない。だから、話し手は好きなだけあいまいな表現を使ったり、論旨を意図的に隠したりすることができるのに、聞き手の方はその不完全な情報から話し手の言わんとすることを正しく察することができなければ「気の利かない人間」と評価さ
れることになるんだろうし、言わんとすることを筋道を通して主張しても「気の利かない人間」と評価されるんだろう。つまるところは「物言えば唇寒し」か。ワタシには日本人の心のひだのそんな深いところまで理解できるような「察し力」がないんじゃないかと言う気になって来る。

ま、「察し力」や「思いやり力」はあまりないかもしれないけど、この人はどうしてそういうことを言うんだろうという心理分析はしていると思う。それでも、日本では「空気が読めない」ということになるんだろうけど、少なくとも、言うべきことをはっきり言わなくても、相手がワタシの思うところを察して対応して「くれる」はずとも思っていない(と思う)から、いうなれば精神的な収支はトントン。不思議なことに、カレシのはかなり「察してクン」的なところがあって、批判されるのが怖くて結婚したくないことをはっきり伝えなかったからしたくない結婚をするはめになり、妻にさえ自分の気持を素直に言わないで腹の底にため込んだから人生に立てなくてもいい荒波を立てるはめになり、どれもこれも相手が自分の気持ちを「察してくれなかった」からと、なんか小町に立つトピックのようだな。あんがい、ワタシたちって、生まれるべきところが逆だったのかも・・・。

夢に妹、グーグルに我が家跡

7月13日。水曜日。正午のぎりぎり前に起床。雨のはずだけど、降っていない。ずっと不思議な夢を見ていたような気がする。ストーリーが切れ切れでまとまりがないけど、ある点で、妹が夜明け前の空のようなきれいな青のドレスを着ていて、出かけるというので化粧して行ったら?と言っていた。で、しないと言うから、ワタシのアイブラウペンシルを持ち出して来て、せめて眉を引いた方がいいよと一生懸命に「姉の権威」を発揮しようとしていた。このあたりのシーンで最後に覚えているのは、すっきりと眉を引いた妹が「じゃあね」と出かけていくのを、ワタシは「きれいだなあ・・・」と感嘆して見送っていたところ。

周りに他にも何人かいたんだけど、顔すら思い出せない。まるで、ワタシと妹だけにスポットライトが当たったようだった。(ワタシに当ててもしょうがないんだけどな。)高校時代は英語だけダントツで後はほぼ底辺レベルだったワタシに比べて、妹の方がオールラウンドに成績が良かったし、その頃にぐんぐん背が伸びてワタシを追い越したから、長幼の序も何もあった、もんじゃなくて、3つしか違わないのにずっと大人びていた妹に頭が上がらなくなってしまった。(と言うよりは、おてんばなワタシの方が年の割に子供っぽかったのかもしれないけど。)だけど、夢の中で青いドレスを着ていた妹は若くて、すごくきれいに見えたなあ。(元から色白できれいなんだけど。)

その後も不条理劇のようなつじつまの合わない夢を見て、目が覚めて一番先に思い出したのが仕事。またもや閉店間際の駆け込み注文。んっとに日本のビジネスってどうしこうせっかちなんやろうねえ、とぶつくさ言いながらキーを叩いているうちに午後の2時間があっというまに消えてしまった。今日の夕食はオヒョウとヤムいものてんぷら。てんぷらは揚げ物だから、オヒョウを対のスパイスで蒸して、蒸しインゲンを添えようと思っていたら、カレシが「これもてんぷらにできる?」と菜園から大きな青しその葉を2枚。うは、大きすぎてミニフライヤーに入らないかも。しょうがないから2つに切って、インゲンはメニューから外し、ヤムいもと青しそのてんぷらをメインにして蒸したオヒョウをサイドに添える変則的な形になった。(フライヤーの火力が足りないのか、しその葉はあまりカラッと揚がらなかった。)ヤムは天つゆがなくてもそのままでおいしい。

日本の英語写真ブログサイトに広島のストリートビューへのリンクがあったので、来年行くことだしと思って覗いてみたけど、なんかイマイチぱっとしない。まあ瀬戸内海は津軽海峡から遠すぎて、お城はいくつも見た「どこそこ城」と区別がつかないし、厳島の鳥居も陸地から見ると思ったよりも小さくて、おまけにアングルを回してみたら商店らしい建物のそばにコカコーラの赤い自動販売機が見えたので、「こんなもんなの?」と言う感じ。まあ、実際にそこに立って見たらまた印象が違うのかもしれないけど。

その弾みで何となくグーグルマップを札幌にズームインして行ったら、5本の道路が星のように合流しているところが見えた。かって実家が建っていたところで、さらにズームインしたら、屋根が見える。去年見たときはまだ更地だったのにと、ストリートビューに切り替えたら、わっ、我が家があった土地いっぱいに新しい家が建っている。長年噂されていたところに地下鉄の駅ができていたし、砂利道だった道路はダウンタウンから貫通する広い舗装道路になっていたし、となりの土地に「何とかハイツ」と言う小さなマンションが建っていたから、たぶん同じようなものが建つんだろうと想像していたけど、どう見ても戸建ての注文住宅だな。そうか。何年か前に不動産屋?に売ったあの土地を買って、終の棲家を建てたんだろうな。それにしても、敷地の境界すれすれに建っていて庭がないし、二階の正面にベランダはあるけど、なんだかのっぺりした感じの家だなあ。

カレシ曰く、「来年見に行こうよ」。え?ヘンな2人組が人さまの家を観察してうろうろしていたら、警察を呼ばれてしまうかもよ。だけど、行って見てみたい気もするな・・・。

職業性情動障害(またはナマケモノ症候群)?

7月14日。木曜日。なんかたら~んとした気分で、そのまま寝てたいかったけど、また駆け込み仕事があるのでしかたなく正午ぎりぎりに起きた。昨夜から降っていた雨が上がって、玄関のドアを開けると清々しい空気がさっと入って来た。でも、ポーチの温度計はなんと摂氏13度・・・。

天気予報では未だに「夏は来ます!」と言っているけど、環境省の気象部には連日「まだですか」と夏の到来を催促する電話がかかって来るんだそうで、「こちらは天気情報をお伝えするだけで、お天気メーカーではありません」と答えているとか。観光地やキャンプ場、自転車レンタル、アイスクリーム売りと言った夏のビジネスは閑古鳥が鳴いているらしい。昼のニュースでは、夏休みに入る子供たちのための「おうちピクニック」のアイデアを紹介していた。要は、ピクニックのご馳走を作って、家族でリビングの床に座って食べようということらしい。ふむ、おにぎりを作って、水筒にお茶を入れて、おうち遠足をやってみるとか・・・何だかなあ。

冬に日照時間がぐんと少なくなる高緯度地域では季節性情動障害(SAD)というのが問題になるけど、夏になると毎日じっとりと重い霧がかかるところで生まれ育ったワタシにとっては日照不足はちっとも苦にならない。でも、どうやら夏に発症するタイプもあるようで、冬型と夏型では症状が違い、冬は倦怠感、気力の低下、寝すぎ、過食、夏は食欲低下や不眠が主なんだそうな。どっちにしても、体がだるくて疲れた気分になり、鬱々とすることには変わりはないらしい。まあ、夏場の食欲低下や不眠は暑さや湿度とも関連した一種の「夏ばて」じゃないかと思うけど、元々あまり暑くならない乾いた夏のバンクーバーでのSADは何が原因なんだろう。

とにかく近頃はな~んか気合が入らない。でも、食欲は減るどころか寝酒とおつまみのおかげでじわじわと体重が増えて来たし、1日。中でも眠っていたいくらいだから、天邪鬼のワタシらしく、夏に冬型のSADというところかな。いろいろと精神的に動揺したり疲れたりすることが多くて、気合が入らないだけなのかもしれないけど、まっ、そこは名前のあるビョーキのせいにした方が気分的にいいから、季節性情動障害になってちゃってぇ・・・な~んて。

それでも気を取り直して、またもや閉店間際に飛び込んできた仕事にまじめな気分で対応。こんどは無味乾燥なビジネス上のけんかだから、ロンドンはオールドベイリーで馬の毛のかつらを被り、黒い法服をなびかせるランポール先生をイメージして、「したがってすべからくむにゃむにゃするべきところ・・・」とやる。商売の世界も何かともめごとが多いけど、少なくともこっちは感情的な主張はないし、言い分を通すためには「言わなくてもわかるだろう」では裁判で負けかねないから、文章は(回りくどかったりするけど)実に明瞭明確明快で、いったい何を言いたいんだ!と悩まずにすむから楽なもの。いつもこういう日本語の原稿ばかり来るるんだったら、ルンルンの気分で楽しく毎日の食い扶持を稼げるのになあ。ひょっとして、「職業性情動障害」みたいなものがあるのかな(別名「ナマケモノ症候群」とか?)。あるとしたら「一過性」だといいけどね。

まあ、日本はそろそろ金曜日の午後。あと2時間くらいの間に駆け込みの置きみやげ仕事が飛び込んでこなければ、新しい1週間が始まる日曜日の夕方まではワタシの「週末」。心ゆくまでだらだらとへたれていたいので、神さま、仏さま、どうか何も入って来ませんように・・・。

人間が記憶することをやめたら?

7月15日。金曜日。目が覚めたときにはカレシはとっくに起きていた。きのう夕食後にテレビの前で2時間も眠ってしまったもので、午前10時には目が覚めて全然眠くなかったんだとか。今日はがんばって眠らないようにするから2時くらいには寝ようねと言うから、10時に起きようと思って先に起きたんだから、2時に先に寝ようと思えば寝られるんじゃないのとやり返した。まあ、就寝時間が午前4時過ぎにずれ込むたびに「せめて2時に」とリセットを試みるけど、なにしろ「超」がつく宵っ張りのカレシのこと、成功した例はないから、どうなるか・・・。

何かよくわからないテレビドラマみたいな夢を見ていた。カレシとワタシと、どこかよその国っぽいところの、市場なんだか遊園地なんだかデパートなんだかよくからないところで、泊まるところがないからとソファのようなところで夜明かしを決め込んでいたら、何だか知らないけど重大なヒミツ情報を耳にしたらしく、不思議と「重大情報」ということはわかっていたようで、逃げたのかどうか知らないけど、最後はお役所の受付のようなところでおじさんに「どうやって手に入れた?」と聞かれて、カレシが「女房が・・・」とワタシを指したところで目が覚めた。ふう・・・。ヘンな夢ほど支離滅裂に手の込んだ筋書きになることが多いけど、これはちょっとスリルがあったな。

今日は仕事なしの「週末」。目頭の結膜炎?がまだ完治しないので、今日はコンタクトレンズなしで過ごすことにした。(コンタクトを入れると沁みるから黒目(茶色いけど)との境目のあたりに傷ができているんだと思う。)テーブルの向こうのカレシの顔も目と口があることしかわからないけど、住み慣れた家の中にいる限りは良く見えなくてもまったく困らない。でも、一歩外へ出たら話は別で、不在通知が入っていた小包を引き取りにメインストリートの端の郵便局まで行ったのはいいけど、車の方向指示ランプが見えないし、道路標識もぼやけて読めないからけっこう危険。帰り道には家に通じる道路に曲がらずにそのまま通り過ぎてしまったから、大汗をかきながら坂道を上って来た上によけいな何十歩・・・。

メールのチェックは鼻先を画面から10センチくらいまで近づけて、小町横町の散策は150%に拡大してちょっと身を乗り出し、ブログ書きは250%に拡大して(乱視を軽減するために)目を細めて、それぞれに何とかなるから、技術の進歩はありがたいもんだと思う。初めてコンピュータを買ってからもう25年近いけど、あの頃のは小さい画面にオレンジ色の文字だけで、それがいかにも「コンピュータ」という感じだったから、画面の表示を自在に拡大したり、縮小したりできるようになるとは思ってもみなかった。当時、視覚障害者に認定されていたカレシの叔父さんがカナダ視覚障害者協会に勤めていて、文書を作るのに画面の文字を拡大する特殊なソフトウェアを使っていると言っていた。今ではそんなソフトも過去の遺物になっているんだろうな。

この四半世紀のコンピュータ技術の発展はすばらしい。たしかに、ビジネスも日常の暮らしもいろいろと便利になった。でも、あんまり便利になりすぎてしまって、人間が誰もが持って生まれて来る「コンピュータ」を使わなくなりつつあるのもたしかだろうな。グーグルのような検索エンジンの発達で、人間は情報を自分の脳に記憶する代わりにコンピュータを「外部記憶装置」として扱うようになって来ているらしい。ハーヴァード大学での実験で、情報は「消去される」と言われた人たちに比べて、「保存される」と言われた人たちは情報の内容を忘れる傾向が強いという結果が出たという記事がBloombergに載っていた。コロンビア大学での実験でも、情報そのものよりもその保存場所の方を良く覚えていたそうな。アインシュタインはかって「どうしてそんなに多くのことを知っているのか」と聞かれて、「何にも知らないよ。どこで調べたらいいかは知っているけどね」と答えたそうだけど、アインシュタインはそうやって知識の記憶を「外部委託」することで頭の中にできた空き容量を使って相対性理論を考え出したけど、普通の人間の世界では単に「教えてちゃん」の増殖に次いで、今度は「覚えてちゃん」が蔓延るだけかもしれないな。

そのうち、使われなくなった頭の中にコンピュータを移植するなんてことになったりしてね。もしもそうなったら、もう画面の表示を拡大する必要もなくなるだろうな。目をつぶるだけでコンピュータに接続、おでこを指先でポンポンとやればたちどころに知りたい情報が瞼の裏に表示される・・・何だかゆうべのはちゃめちゃな夢みたいな話だなあ。まあ、そういう技術の発達が人類にとっていいことなのかどうかは別として、少なくともハッカー対策だけはしっかりやっておかないと。

思いがけず三連休のお相伴

7月16日。土曜日。雨。寒い。こんなんじゃ、へたをすると最高気温が平年並みの最低気温に近くなってしまいそう。ロッキー山脈の向こう側はえらい猛暑だそうで、ずっと東のトロントは湿度が高いから体感温度は40度にまで行ってしまうらしい。あんまりいつまで経っても夏らしくならないもので、東部やアメリカ南部の猛暑を伝えるテレビに向かって、やけっぱち半分で「お気の毒にぃ」なんて言っていたら、トロントのデイヴィッドから電話。「もう、暑くて、暑くて、暑くて、いやんなった」と言うのに対して、「だったらこっちへ帰って来いよ」とカレシ。まあ、この兄弟は、冬には「もう、雪が降って、降って、降って、いやんなった」に対して「だったらこっちへ帰って来いよ」とやっているので、定番の掛け合い漫才といったところかな。でも、ほんとに、猛暑の気温と冷夏の気温を足して2で割れたらみんなが快適な夏なのに・・・。

仕事のない「週末」の2日。目。実は日本では三連休の週末なんだそうで、やった~。たまたま仕事を置いて行かれなかったから、ワタシも三連休のお相伴。つまり、月曜日の夜までは完全にフリー。自由!雲のごとく、風のごとく自由・・・はちょっとはしゃぎすぎだけど、まあ、期せずして三連休の中日はうれしい限り。今日はさっそくデスクの山のように積み上がってしまったカタログやらDMメールの片付け。2週間ほど郵便が止まってくれたおかげで、デスクは積載荷重超過でつぶれないで済んだのかもしれないな。雑誌購読の勧誘がぞろぞろ。カタログもぞろぞろ。ついに去年の固定資産税の明細書まで出て来た。

とにかくレター状のものをまず封筒から出して、シュレッダにかける必要のあるものはシュレッダでジャッ。そうでないものは住所氏名を「消しポン」で隠蔽してリサイクルボックス行き。次はどうも過去1年分はありそうな通販の送付明細書。これも住所氏名を判読不能にしてリサイクルボックスへ。最後にカタログの類。一度注文するといつまでもカタログが送られてくるから、あっという間にすごい数が積み上がる。裏表紙の印刷してある宛名を隠蔽して、中の注文用紙にも宛名を印刷してくるとわかっているものはページをめくって宛名を消しポン。悩ましそうな下着のカタログまである。大手のVictoria’s Secretあたりはまだ品は悪くないけど、聞いたこともない会社のはポルノ風の写真が満載だったりする。よくテレビで宣伝販売しているような「ネズミ捕り以来の最大の発明」みたいな、一見便利そうでたぶん2回使ったら壊れそうなものばかりのカタログもある。ふむ、いつも利用する通販カタログにはどれも「厳選した一流企業にアナタの住所氏名を譲渡することがあります」と書いてあるけどなあ。もっとしっかり「厳選」して欲しいもんだ。

コンタクトレンズを入れていないから、全部片付けるのに午後いっぱいかかって、やっとデスクの表面が見えるようになった。やれやれ、背中が痛い。こんなにた~っぷりとしたデスクを作り付けにしたのに、めったにスペースが空いていることがない。ふだんから、まじめにシュレッダにかけるものはその場でかけ、興味のないカタログはその場で宛名を消してリサイクル箱に放り込み、ファイルすべき書類はその場でファイルキャビネットにしまう習慣をつけておけば・・・あはは、言うは易しの見本みたい。かくしてせっかくの三連休をオフィスの整理整頓に費やす羽目になる。そういえば、今月末は第2四半期の売上税の申告期限だぞ。売上税と言えば、住民投票の用紙、まだ返送していないぞ。やたらと購読更新のDMをよこすもので半年分ほど購読注文が重複してしまった高い雑誌に手紙を書くのもまだ。そういえば、新年に手紙を書くからねとクリスマスカードだけ送った小学校時代の友達にまだ約束の手紙を書いていないぞ。でも、再来週の芝居の席はちゃんと予約した。ふむ、他に忘れていることはないかなあ・・・?

そうやって午後が風のごとく過ぎて、すぐに夕食の準備の時間。魚をさばくのに細身の鋭利なナイフを扱うのがちょっと怖くて、コンタクトを入れることにした。きれいに手を洗って、そろ~っと入れてみたら、あら、沁みなくなった。まだ異物感が残っているけど、きのう1日。コンタクトを入れないでいたのが良かったんだろうな。(しまいにはちょっと頭痛がして来たけど、がまんしてとうとう寝るまで入れなかった。)今日は白目もほんとど充血がなくなったし、何よりもコンタクトを入れたとたんに沁みて涙がでるほど痛かったのがなくなってうれしい。黒(茶色なんだけど)目との境界にできたポチッとした濁りらしい点が気になるけど、まっ、いつまでも残るようだったら眼科に行けばいいか。世界がすっきりと見えるのはやっぱりいいもんだ。つい鼻歌が出て来そう。

さて、明日も丸一日休み。うまく行けば、日本で連休明けになる月曜日も夜までは何も起きないかもしれない。あしたは日曜日。天気予報は雨、予想最高気温は20度。さあて、あしたは何をしようかなあ・・・。

人間には品質保証書が付いてこない

7月17日。日曜日。10時くらいに咳で目が覚めて、ひとしきり咳き込み、それでカレシが目を覚まして、ひとしきりもぞもぞして、だけど2人の頭の上に吹き出しの中に「起きるにはちょっと早すぎて中途半端だなあ」と書いてあるのを読んでいる(気分でいる)うちに、2人ともぐ~っすり眠ってしまった。どうも最近は8時半から10時くらいまでの間にいったん目を覚まして、その後で爆睡してしまうことが多くなったような気がする。昔のワタシは寝入り端は火事でも起きなかったんだけど、年とともに睡眠パターンが逆転するのかな。とういわけで、起床は午後1時・・・。

カレシがきのう朝食用のパンを焼くのを忘れた(さぼった)ので、今日はベーコンとポテトと目玉焼きの「ブランチ」。今日のポテトはさいの目に切って、シャンテレルきのこを入れた。ひと口食べて「おお、ホテルのレストラン並みの朝食だ~」とカレシ。じゃあたっぷりチップを置いてってね。朝食が終わればもう午後2時過ぎで、思いついてシーツの洗濯。カレシが英語教室のディスカッションの教材に使う「ストーリー」のネタを探していて、普遍的な日常の人間関係のテーマとしてどんな「問題」がいいだろうかと聞いてきた。ある状況を示して、「どうしたら良いか」を聞き、その答について「なぜか」を説明させるんだそうな。(英語社会でやって行くには「説明力」が重要だということらしい。)人間関係のトピックなら小町にずらりと並んでいるから、これはと思うものをメモしておいてあげることにした。

まあ、職場の関係や家庭の関係はそれぞれの国や民族の人間観の違いや文化的、社会的な要因による表層的な違い違いはあっても、根本的にはどこへ行っても似たりよったりだという気がする。そのレベルの人間関係では、言語や文化にかかわりなく、わかり合える人とはわかり合えるし、わかり合えない人とは所詮わかり合えないんだと思う。どんなレベルでも完全にわかり合えそうにないのは男と女の(逆説的だけど)親密な関係くらいかな。わかり合えない相手が異民族の場合は、人種や言語、文化の「壁」を理由にして、退却するもよし、相手を一把ひとか
らげにくくってこき下ろすもよし、猛然と立ち向かうもよし。だけど、自分の民族、言語、文化の環境にいる場合は退却というわけには行かないだろうから、後は相手をこき下ろすか、相手に立ち向かうか。立ち向かうことで「ある日わかり合えた」ということもあるだろうけど、こき下ろしは百害あって一利なしか。

アメリカでの実験によると、完ぺき主義と言われる人は、ムカつく相手のことをいくら同僚や友人に愚痴ろうが悪く言おうが、それで胸がすっきりするどころか逆にストレスが高まるらしい。完ぺき主義も努力やがんばりの動機付けになったり、逆にエネルギーの空焚きのような状態になったりするけど、そのエネルギーが自分に向かわずに他人に向かったときは「誰もかれもムカつく、非常識、いい加減」と苛立つことになるんだろうな。自意識や自尊感情と何らかの関係があるんだろうけど、相手は自分の完ぺき基準に合わせようとはしないし、基準に合うようにその人を変えることもできないから、よけいにイライラが積もってストレスになるだろうな。小町横町にはそういう完ぺき主義者がたくさん住んでいて、飽くことなく「完ぺき」を追求したり、要求したりしているけど、そういうところは人種や国が変わっても似たりよったりの「所変われど品変わらず」のようだから、人類に普遍的な人間性なんだろうな。

それにしても、人類が「完ぺき」を追求して来たことはたしかだし、ギリシャ神話なんかではその完ぺきさ故に神さまたちの怒りを買って悲劇になる話も多い。古代ギリシャでも完ぺきは神さまたちの専売特許なんだけど、自分たちと肩を並べそうな人間を見るとやきもちを焼くなんて、これまたえらく人間的な完ぺき主義だなあ。まあ、人間には「完ぺき」なんてあり得ないということだろうな。この際、ストレスの多い完ぺき主義は神さまたちに任せて、人間は欠点、短所、大小の瑕疵が満載のままでもいいんじゃない?よく考えたら、誰も「品質保証書」付きでこの世に生まれて来たわけじゃないんだし・・・。

マナーが悪いのはネアンデルタール人のせい?

7月18日。月曜日。正午の気温は摂氏17度。ああ、眠い。カレシがやたらとドタン、バタンと寝返りを打つし、その弾みで一回は危うくベッドから押し出されそうになるしで、まともに寝つけなかった。カレシが早くに起きたのでやっとつかの間の熟睡。と思ったら、今度は防犯装置をオフにしないで外へ出るから、突然のアラームでがばっと跳ね起き、カレシがアラームを解除したところでまたひと眠り。何だか1時間くらいずつの小出しの睡眠ではさっぱり寝たような気になれない。朝から疲れるなあ、もう。

女子サッカーのワールドカップで日本が優勝して、『日本にやっと歓喜の花が咲いた』と言う見出しがあちこちのメディアで躍っている。大震災と原発/放射能問題で暗い気分になっていた日本にもたらされた明るいニュースと言うところで、体格負けしている日本選手たちは良くやったと思う。なんたって足の長さが違うから、走るにも、転がるボールを横から奪うにも、歩幅の大きな相手チームよりもずごいエネルギーがいるんじゃないかと思う。ま、最近の(たぶんバブル以来の)日本は女の活力で持っているような印象がないでもないけど。でも、「日本は世界一になった」とナデシコの七光りに浴して浮かれるだけで、「よ~し、我々もやるぞ~」と被災地の復興や社会経済の活性化に腕まくりをして取り組もうという気風が生まれなければ、せっかくナデシコたちが奮戦して咲かせた「歓喜の花」もあだ花で終わってしまうように思うけどな。

ネアンデルタール人は今の人類とはまったく別の種ということになっていて、数十万年前にアフリカで出現して、その後ヨーロッパやアジアへ移動して約3万年前に絶滅したと考えられている。「動物界後世動物亜界脊索動物門羊膜亜門哺乳綱真獣亜綱正獣下綱霊長目真猿亜目狭鼻猿下目ヒト上科ヒト科ヒト下科ホモ属サピエンス種サピエンス亜種」というギネス級の長ったらしい学名の今の人類がアフリカで共通の祖先から別れたのは15万年前だそうだから、ネアンデルタール人はホモ属としては大先輩と言うことになるかな。そのネアンデルタール人のX染色体のDNA配列が解析されて、そのデータを今の人類のX染色体と照合したら、サンプルの約9%がネアンデルタール人の遺伝子の断片を持っていたという研究結果が出たという。交わらなかったと考えられていた2種類のヒトが実はどこかで出会って交わったということだけど、ちょっと考えたらそれは当たり前じゃないのかなあ。要するに、国際結婚の先史時代版というところかも。

何らかの理由で現人類と共存できずに死に絶えたのはたしかだろうけど、現人類はネアンデルタール人を野蛮で粗野な低脳人間の代名詞みたいにしているけど、実は脳の大きさは現人類と同じで、言語をつかさどる遺伝子を持っていたそうな。装飾品を作ったり、葬礼や儀式も持っていたらしい。つまり、現人類と同じように「人間の感情」を持っていたということだと思う。あんがい現人類よりも豊かな情緒を持っていたかもしれないな。だって、動物のように野蛮で粗暴だったら、数万年経った今地球の生物界の頂点に君臨しているのはネアンデルタール人で、「大昔に絶滅したサピエンス人の遺伝子の断片が現代ネアンデルタール人のX染色体に見つかった」という新聞を読んでいるかもしれない。

カナダ自動車協会の調査によると、カナダ人の道路マナーは5年前の調査に比べてかなり低下しているらしい。割り込みをしたり、携帯をいじりながら運転したり、車間距離を十分にとらなかったり、右折左折のシグナルをしなかったり、窓からゴミを捨てたり、スピードを出しすぎたり。一番迷惑なのはroad rageと言って、他の車のちょっとした動作でカッとなってぶっちぎれるドライバー。見境がなくなっているから何をするかわからない。後ろからホーンを鳴らされたことに逆上して相手を殺してしまったというような事件は日本でもあったような。現代人は精神的な余裕がなくていつもカリカリしているのか、あるいは自尊感情が低くて、他人の言動を自分への侮辱と感じて反射的に報復的な行動に出るのか。まあ、どうなのかわからないけど、ネアンデルタール人が見たら何と思うだろうな。「粗暴で低脳で、そのくせオレ様なところは間違いなくサピエンス人の遺伝子だな」なんて、ハンドルの向こうで笑っていたりして・・・。

老後の暮らしはもう始まっている?

7月19日。火曜日。ごみ収集日。午前7時過ぎにリサイクル品収集車がガチャン、ドシャンと通って行って目が覚め、8時前後に「上り」のごみ収集車がゴゴ~ッと通り、30分ほどして「下り」がゴ~ッ。寝ぼけた頭でやれやれと安心した気分になって、ぐっすり眠って午前11時55分に起床。2人とも正午前に起きたのはエライな。今日は薄曇りだけど、予想最高気温は20度。でもまた今夜からずっと金曜日まで「雨」の予報で、最高気温も17度とか18度。トロントでは35度とか37度という猛暑で、けっこう湿度の高いところだから大変らしい。よく歩道で目玉焼きができる暑さというけど、テレビのレポーターが冷た~いフラペチーノを炎天下の歩道に置いて実験したら、2分ほどで普通のコーヒーになったとか。それでも、7月中旬を過ぎてもまだ20度前後では、猛暑に辟易している人たちに「涼しいよ~」と自慢したい気分にもならないな。夏、どうしちゃったの・・・?

今日も仕事がないから、朝食後はリビングのテーブルに貯まった雑誌の類を片付ける「家事」。ふむ、家事と言えるようなものじゃないけど、何も置いていない平面があるとものを起きたくなるのがカレシで、ほうっておくと雑誌だけじゃなくていろんなものがテーブルの表面を埋めることになる。まあ、ディナーのお客があるときくらいしか使わないテーブルだから不便はないけど、手が空いているときに片付けたほうがいいだろうから、一応これで今日の「家事とする。毎日起きている時間のいったい何割くらい「主婦」をやっているんだろうな、ワタシ。仕事か遊びが9割くらいで、主婦は1割くらいかな。つくづく専業主婦になるように生まれ付いていないんだなあと思う。毎日、家の掃除をして、洗濯をして、アイロンをかけて、買い物をして、子供がいれば子育てもして、家族のご飯を作って・・・ということができる専業主婦はえらいと思う。家の中や身の回りを整頓したり、きれいにしておくのが好きじゃないと、毎日やるのは精神的にしんどいだろうなと思う。ワタシにはとってもできそうにないから、それを何年も毎日やれる人はすごいなあと思う。ほんと。

カレシを英語教室に送り出して、ふと思いついてオフィスの配置転換。といっても、L字型のデスクの隅にまだある古いコンピュータ一式と新しいコンピュータの置き場所を入れ替えるようなものなんだけど、それでも、「足のやり場」に困らないように、デスクの下にびっしりと置いてある段ボール箱や古いプリンタ、たまに使うときだけ接続するファックス機、シュレッダといったものも配置転換することになるから、けっこうな重労働。あれをこっちに動かして、これをあっちに動かして、あれをちょっとこっちに置いて、これはちょっと向こうに置いて、と大汗をかきながら1時間ほどかかって、作業エリアは右へ90度方向転換。山積みしてあった不用品を片付けたせいもあるけど、ずいぶん広くなった感じがする。部屋の反対側に「オレのドメイン」を持っているカレシとは背中合わせの形になるので、英語教室から帰って来たカレシに「お互いにバックミラーをつけて、ときどきハ~イと手を振れるようにしようか」と言ったら、即座に却下。ま、たしかに。互いに回転いすをぐるっと回せばいいわけだし・・・。

ワタシのオフィスはデスクが「コの字型」に作り付けになっていて、総延長は5メートルちょっと。そのままさらに壁に沿ってカレシのオフィスに続いて、そっちは一辺が広がった変形「コの字型」で、少し短くて4メートルちょっと。2人の間は天井に届く高さのIKEAの本棚2つで隔ててあるけど、デスクの方は新しいプリンタが「隔壁」の代わりになっている。用紙の補充などでアクセスしやすいように本棚の端との間を空けておいたら、いつの間にかカレシが床に段ボール箱を置いてしまったので、カレシの側に「遠征」するときは本棚の反対の端を回って行く(つまり、正面玄から行く)か、えいっと段ボール箱をまたいで行く(つまり、裏口から奇襲をかける)か、そのときの気分しだい。

まあこんな風に、ご隠居さんのカレシと現役稼働中のワタシは、同じ部屋で日がな一日(今日からは背中合わせに)コンピュータに向かって、それぞれの仕事や趣味に没頭したり、時には互いにネットで見つけた話や音楽を聞かせたり、「腹へった~」、「ランチにするか~」、「そろそろ寝るか~」と合いの手を入れたりしているうちに毎日が過ぎる。ワタシが時間と競走で仕事をしているときにカレシが「かまってチャン」になるとイライラすることもあるけど、平穏と言えばいたって平穏な毎日。ワタシは引退しても専業主婦はできそうにないから、カレシと同じ「ご隠居さん」になる。10年前には想像すらできなかったけど、ワタシとカレシの「老後の暮らし」の形が確実にできあがりつつあるということだろうな。いや、2人そろって60代なんだから、老後の暮らしはすでに始まっているか・・・。

もてなすも地獄、もてなされるも地獄

7月20日。水曜日。シーラとヴァルが掃除に来るので、目覚ましを午前11時55分にセットしておいたら、なぜか11時53分にパッと目が覚めた。さっそく目覚ましを止めて、カレシを肘鉄でやさし~く起こして、しばしぐずぐず、いちゃいちゃ。またまた何だか冴えない天気。玄関ポーチの温度計、正午の気温は14度。これって、今頃の平年並みの「最低気温」じゃないの・・・。

今日は仕事日なんだけど、まずは小町横町を散策。カレシの英語教材にうってつけのトピックを見つけた。毎年のように休みが近づく頃になると海外在住の人が立てるトピックで、「故国からの訪問客」。家族やごく親しい友だちが来て泊まるのはうれしいけど、悩みの種はあまり親しくない「知人」で、要するに海外の、それも大都市や観光地に「知っている人」が住んでいるということで、ホテル代その他の経費を節約できてラッキーという図々しい人たち。すごいのになると、その知人の親戚や友だちまでが登場する。いくらやんわりと断っても、平気よ、気にしないで、気を遣わないで、おかまいなく・・・。ほんとに「おかまいなく」ならいいんだけど、向こうも日本人。あそこに行きたい、ここに行きたい、あれを買いたい、これを食べたい、あのショーを見たい・・・。根負けしてOKしたら、上げ膳据え膳、おんぶに抱っこ。ガソリン代、食事代、観光地の費用はすべて「ホスト」持ちで、「楽しかった~」と言って日本に帰った後はなしのつぶてで、自分たちが日本へ行くことになっても、「泊まってね」どころか食事のお誘いさえない、と。やれやれ・・・。

日本の慣習だと客は上げ膳据え膳とおんぶに抱っこでもてなされるのが当然ということになっているらしい。それでも、日本国内なら訪問する側は手土産だの何だの、ホスト側は家中の掃除やご馳走の準備だの何だのと、双方がひと騒ぎするんだろうけど、訪問客の方はたぶん日本の礼儀作法に従ってかなり行儀良く振る舞うんじゃないかと思う。それが海外となると、友だちの見ず知らずの友だちのさらにその友だちまで「利用」するという構図になるらしく、掲示板に書き込まれる経験談を読んでいると、(ふだんはたぶん「外国暮らしです~」と吹聴しているかも知れなくても)海外在住組の悩みは深刻なんだなあと思ってしまう。いやはや、「旅の恥は掻き捨て」流の強心臓ぶりにはほんっとに驚愕することしきり。

我が家はある意味設計ミスで客室がない。ないんだけど、泊まって行ってほしい親しい人たちには「キャンプみたいだけど泊まってね」と言うし、ひとりで観光や買い物に行きたい人には玄関の鍵を渡して自由行動してもらう。ワタシは元々日本的に一から十まで世話を焼かれると窮屈で逃げ出したくなるたちだし、カレシにいたっては鼻先をつかんで引っ張りまわされているように感じるそうだから、我が家に来るお客にも窮屈な思いはさせたくない。家の中はちょっと片付ける程度で普段のままだし、世話が必要なところは世話を焼き、必要でないところはどうぞご自由にということになるんだけど、カナダ国内でも日本からでも来るのはそういう環境でも気にしないで楽しんでくれる人たちばかりなのはラッキーなのかもしれない。

一度だけ、語学留学する息子をホームステイさせてくれと頼まれたことがあったけど、こちらはワタシの仕事の都合で生活時間が変則的だから、それを変更して1ヵ月も朝食、弁当、夕食のめんどうを見るのは無理。でも親が安心できるからということで、本人が(大学生なんだし)自分で朝食を作って食べて行くならOKと言う条件を出した。結局は、本人が半自炊に難色を示したようで、よそでホームステイしてもらい、週末に夕食に呼んだ。(せっかく英語留学に来たのだからと、我が家でも日本語は一切なしで通した。)本人はそれなりに楽しんだようだけど、親の心証はきっと良くなかっただろうと思う。カナダもアメリカも(たぶんヨーロッパも)けっこう気軽に親類や友だちを家に呼んだり、泊めたりするけど、客もホストもぐったりと疲れてしまうような、がんじがらめの「もてなし」はあまりしないから、こっちも気軽に「おいで」、「行くよ」と声をかけられるのがいいな。

親しいはずなのに客が来るとなると(散らかっているところを見せるのは恥ずかしいと)大汗をかて家中をピカピカに掃除したり、山ほどのご馳走や帰りのお土産まで用意して、一方で客の方は晴れ着を着ておみやげを持って行って、(少なくとも表面的には)おかまいなくと遠慮しいしいかしずかれてもてなしを受ける。人間関係の文化の違いと言えばそれまでなんだけど、やっぱり打ち解けていないような、窮屈な気がするな。それで、呼んだ側が「(招待したのに)手ぶらで来た」、「(手間とヒマとお金ををかけてもてなしたのに)お礼がない」と愚痴り、呼ばれた側が「(わざわざ行ったのに)ごちそうが出なかった」、「(呼んでおきながら)家の中が散らかっていた」等々と愚痴るトピックを立った日には、もう何をかいわんや。人間関係の潤滑油になるべき「ホスピタリティ」が大きなストレスになったんでは本末転倒だと思うな。共に寛いで楽しいひとときを過ごしたいので、ワタシにはどうぞほんっとにおかまいなく。ワタシも窮屈なおかまいはしないので、どうぞ気兼ねなくごゆるりと・・・。


2011年7月~その1

2011年07月11日 | 昔語り(2006~2013)
10年がひと昔なら30年は何昔かな?

7月1日。金曜日。今日から7月だというのに、う~ん、やっぱり何となくすっきりしないなあ。まっ、それでも、今日はカナダの144歳の誕生日ってことで、ハッピーバースデイ!

毎年、カナダデイには各地で新しいカナダ市民の宣誓式がある。市民権を取得した人の宣誓式は年中あるけど、申請のタイミングなのかどうかしらないけど、建国記念日にピカピカのカナダ市民として忠誠を誓うことができるのはラッキーだな。ワタシが市民権の申請をしたのは1980年の夏。本来ならカナダ市民の配偶者として永住権を取得した1年後の1978年春に申請できたはずなんだけど、その前年に法律が大きく変わって3年待たなければならないことになった。その3年が経って、ちょうどビクトリアからバンクーバーに戻って来たときに市民権申請の手続きを始めた。市民権の申請をすると言ったら、カレシは「そんなもの、必要ないっ!」と猛烈に怒ったけど、ワタシは単純に「この国の人のところに嫁に来たんだからこの国の人になる」という発想で、カレシの反対の真意がわかったのはずっとずっと後のことだった。

あの当時はスポンサー期間が10年で、スポンサーが降りてしまったら、外国人配偶者は永住権を剥奪されて母国へ送還されることがあった。手っ取り早く言えば、外国から来た嫁は「10年の年季奉公」みたいなもので、実際にスポンサーの権力を笠に来たDVが後を立たなかった。外国籍の嫁がカナダ国籍を取得するということは強制送還をちらつかせて脅されることがなくなるわけで、スポンサーがある意味で外国人配偶者に対して持っていた生殺与奪権が消失するということだった。今では法律が大幅に改正されて、スポンサーはいったん承認されたら降りることができず、3年間は経済的な責任を負わされるので、離婚などで外国人配偶者が生活保護を受けたりすると、州政府からスポンサーにその費用が請求されるしくみになっている。

ビクトリアから戻って来たのが5月の下旬。申請は6月に入ってからで、新市民としての宣誓式は9月半ばだったから、その間3ヵ月。申請書類を郵便で送って、カナダ人としての基礎知識を詰め込むための「虎の巻」(数ページの絵本のようなものだった)を郵便で受け取って、市民権判事との面接の呼び出しを受けて、指定の日時に1対1の面接を受けて、郵便で宣誓式の通知を受けて、実際に「新カナダ市民」としてエリザベス女王とその継承者に対して忠誠を誓って、市民権証書を渡されるまでの期間がたったの3ヵ月だったということになる。今は申請してから1年くらいかかるらしいし、市民権の「試験」があって、60点だか65点だか取らないと申請しなおしと言うことになるという話。まあ、トルドー政権の時代に移民の受入れ枠がわっと広がって、市民権の申請資格を満たす人もわっと増えたからだろうな。

おまけに申請料もかかるらしい。そもそもカナダ人と結婚して移民するにも、スポンサーの資格審査や永住権申請にかなりのお金がかかるそうで、1970年代に比べて、政府の移民政策が大きく変わったということだろう。だって、ワタシのときは全部タダだったもの。永住権の手続きも、自分で英訳した戸籍謄本以外はあれこれ証明書の類を要求されることはなく、申請書につける書類はけっこう簡単だったから、のんきと言えばのんきな時代だったかも。特殊な事情があったワタシたちは、ワタシがカナダに来る前からカレシが特定の移民官に助言してもらっていたし、ワタシが来てからも、その人にビザの延長をしてもらっていた。警察官から転職したという年配のおじさんで、行くたびに「もう少しの辛抱だからね」とやさしかった。永住手続きはごく短期間で終わって、「おめでとう」と言いながらパスポートに「Landed(上陸)」というスタンプをペタッと押してくれたけど、今はものすごく時間がかかるらしい。まあ、日本政府のある人口統計から推算すると、1970年代半ばに日本からカナダ人のところへ嫁に来た女性は「数人」だったらしいから、手続きもさして手間はかからなかったんだろう。あれから30年とちょっと・・・時代の移り変わりとは言え、ずいぶん変わったもんだなあ。

ワタシの国カナダが、多民族国家から「カナダ人」と言う混血民族がひとつになった国家になるのに、あと何百年くらいかかるんだろうなあ。

たかが英語、されどグローバルな英語

7月2日。土曜日。おお、今日はちょっとばかり夏らしくなりそうな気配。でも、今日のワタシは大まじめに「仕事日」。何だか土日というと仕事に追われているような気がするな。そういえば、日本の自動車メーカーでは、この夏は木曜日と金曜日が「週末」で、土曜日と日曜日は「平日」ということになったとか。電力の大量消費を他のビジネスが休みの日にシフトするということだけど、製造業がみんな一斉に右ならえして土日に稼動するとなったら、今度は週末に電力不足にならないのかなあと思うけど、大丈夫なのかな。

決算報告の仕事は何とも退屈きわまりないので、半ページくらいやっては「よそ見」。業界仲間のメーリングリストを見たら、意味のわからないカタカナ語の質問がある。カタカナ語はほんとに悩ましいよなあと思いながら読んでみたら、なんだ、カタカナ語特有の語尾の促音の後の子音が変わるパターン。たとえば、ストレートにカタカナで言えば「~ッド」となるのが(たぶん日本語では後に母音がつくために音しにくくて)「~ット」となる。変換ミスじゃなくて、普段からそういう風に発音しているから、そのまま入力しているんだと思う。「バッグ」が「バック」になり、「ホットドッグ」が「ホットドック」になり、「デッドボール」が「デットボール」になる。(「グッズ」なんて舌をかまないのかなと思っていたら、カタカナ語論争のトピックで、「グッツ」と言う人がいてイラッと来るという書き込みがあって、やっぱりと思った。)

こういう変化は言葉の進化の一環なんだと思うけど、英語を母語とするベテランの日英翻訳者が字面のまま読んで首をかしげているのがおもしろいと思った。たぶん、どこの大学の日本語科に行っても「カタカナ外国語の語尾変化」なんてものは教えてくれないんだろうな。日本に住んでいて日本語を常用している人でも、日本語が母語でない場合は、耳が元の外国語発音で聞いてしまって、子音の変化には気づかないのかもしれない。逆に、英日翻訳をやっている日本人が「この文の意味がどうしてもわからない」と質問しているので読んでみると、単語がつづり間違いでまったく別の単語に化けていることがある。単語が違えば意味が通らなくてあたりまえ。意味が通じない単語をアナグラムというつづり換えのパズルの要領でつづりを変えてみて、文脈と合わせて考えると正しい単語がわかって、文の意味もわかるんだけど、英語が母語でない場合、正規のつづりの単語であれば「つづり間違いかも?」とは思いつかないのかもしれない。

英文をタイプしていると、自分の打ち間違いの癖のようなものがわかってくるからおもしろい。ワタシの一番の得意?は「|United States(合衆国)」を「Untied States(分解国)」にしてしまうこと。(Untiedは正規の単語だからスペルチェックをかけても引っかからない。)なんか、アメリカ合衆国を解体してしまったように聞こえるな。オバマさん、ゴメンネ。英文タイプの「QWERTY」というキーの配列は、(大)昔、タイプライターができた頃に、キーを押したときに持ち上がって来る活字バーが、早く打ったときに一番絡み合いにくい配列として普及したものだそうな。活字バーがボールやホイールに取って代わられても「クワーティ」呼ばれる配列は廃れることはなかった。バーもボールもないコンピュータのキーボードの時代になって、アメリカのドヴォージャックという人が手にやさしくて、打ち間違いの少ない新しい配列を提唱して、しばらくの間注目されていたけど普及はしなかった。それで英語キーボードは未だにQWERTY配列で、アメリカ合衆国はいったい何千回くらい解体されたことやら・・・。

ワタシは主に日英翻訳をやっているけど、まだときどきは英日翻訳を頼まれることもある。ワタシじゃなくても日本語の文章力に優れた英日翻訳者はたくさんいるだろうにと思いつつ、原稿を開いてみると、ほんとに英語なのかいなと思うようなすごい英語。何がすごいのかって、教科書英語とは似ても似つかないグローバル時代の「英語」。どうも、「こんなの訳せない」と他の人たちに断られたものを「あの人はこういうのが好きだから(マゾっ気がある人だから)」とワタシのところに回してよこすんじゃないかと勘ぐっているけど、どこから来たのかとよく見たら、(イギリスという英語の本家本元が加盟している)EUの公的機関だったりするからびっくり。ま、著者の名前を見るとびっくりは引っ込むんだけど、まずはイタリア語やフランス語やドイツ語の香りがほのかに漂う英語を「解読」しないとどうにもならないから、翻訳は謎解きの作業でもある。

たかが英語、されど和製英語

7月3日。日曜日。今日も少し夏らしいかと思ったのに、また20度以下。でも、おかげでそよ風がさわやかでいい気持ち。なんだか仕事なんか放り出して遊びに行ってしまいたいような・・・。

まっ、とにかく仕事を片付けないと、日本では月曜日。まだみんな寝ている時間だけど、その間にやってしまわないとね。ほぼ日本標準時間帯で仕事をしているので、週末が金曜日と土曜日になるのはしょうがないし、勤め人がいないから別に困らないんだけど、やっぱり日本の週末の駆け込み仕事は、ああ、めんどくさ~。そういえば、法律関係の大きな引き合いがあると言っていたサンフランシスコの会社からなんとも言って来ないけど、また失注したのかな。入れ替わりに、これまた法律文書の引き合い。よく見たら、ヨーロッパの大きな投資銀行じゃないの。レートはいくらだと聞くから、ちょっと高めに言ってみようかな。たぶん他の人たちにも声をかけているだろうから、受注できなくてダメもと。でも、もしも「お願いします」なんてことになったら、大きなところからの直接受注だから、ちょっぴりコワイかも・・・。

でも、契約とか法令法規といった法律関係の文書はけっこう訳しやすいととろがある。要するに、元原稿が日本語でもこと細かに誤解のないように努めて明確に書いてあるので、文章は回りくどいけど趣旨はわかりやすい。わかったら後は弁護士口調で英語文を書けばいいわけで、要領がわかればそれほど難しいものではない。、これも日本語に負けず劣らず回りくどくなるけど、よく会社案内の冒頭にある「社長のごあいさつ」の何が言いたいのかよくわからない文章に比べたら、具体的過ぎて味も素っ気もないから、かえって作文しやすいくらい。少なくともソフトウェアのマニュアルよりはよっぽどおもしろいと思うけど、ま、そこは好き好きか・・・。

ここのところ小町におもしろいトピックがあったので、仕事の合間に「よそ見」で読んでいた。「外国語ではぜんぜん通じない常用カタカナ横文字」ということで、トピックを立てた人が「ホッチキスはステイプラー」という例を挙げている。小町横町ではカタカナ外国語の話が出ると井戸端がにぎわうけど、これもかなり盛り上がっている。まず、いわゆる「和製英語」がぞろぞろと出てくる。「サラリーマン」や「マンション」は和製英語の粋だろうな。まあ、本来の「英語圏」でなくても英語が広く使われている国には必ずと言って良いほど自国の外では通じない「ローカル英語」があって、英語が公用語のひとつになっているシンガポールには悪名高い?「シングリッシュ」がある。リー・クアン・ユーが首相だったときに「正しい英語を話せ」とシングリッシュ撲滅を図ったけど、どうやら成功には至らなかったらしい。シングリッシュには味な表現があっておもしろいけどな。

だから、和製英語も外国では通じないローカル英語のひとつ「ジャプリッシュ」として堂々と存在していいと思う。問題は和製英語が「英語」としてではなくて、日本語の一部になっていることだけど、それも「カタカナ表記することで帰化した日本語」と思えばよさそうに思う。カタカナ化して定着した元横文字の言葉をその出身国で使われている「外国語」、しかも「英語」だと思うから話がややこしくなる。それで、書き込みが本来の質問からどんどん外れて、和製英語が「通じない」理由を指摘するのに、居住国、居住地の経験から「英語ではこういいます」と断言し、それに対して別の国に住む人が「それは違う」、「そんなの聞いたことがない」と言い出して、ちょっとした論争になったりする。アメリカ英語だって東西南北それぞれにローカル英語があるし、カナダ英語だって、ときには東の端のカナダ人と西の端のカナダ人の間で「英語」がうまく通じないこともあるくらいなんだけど、どうも自分が住んでいる地域の英語が「ザ・エイゴ」と思っている人がずいぶんいるらしい。こういっちゃ悪いけど、「半径何メートルの英語」というところかな。

中には「英語ではこう発音するんですよっ」と、けんめいにカタカナで英語の発音を表現しようとしている人もけっこういて、トピックの趣旨がカタカナ英語の「発音の間違い」を指摘する方へ逸れてしまっているからおもしろい。その努力は買うけれども、日本語は五十音表を見るとわかるように、子音と母音が一体になってひとつの「音」として表記されるから、母音と子音を切り離し考える外国語の音を表現するのは、カタカナを使おうが、ひらがなを使おうが、万葉仮名を使おうが、どだいからして無理な話だと思う。誰かが「セロテープ」を英語では「セェロテェィプ」と発音すると書き込んでいたので、カタカナ発音記号の通りに読んでみたら「アラバマ州からお越しですか」と聞かれそうなセロテープになった。

和製英語はあくまでも外国語由来の「帰化日本語」として、日本語式に発音しても間違いではないし、ヘンでもないと思うけどな。「マンション」は英語では邸宅のことだとか何とか言われたら、集合住宅のことを「日本語ではマンションといいます!」と教えてあげればいいんじゃないのかな。ワタシとしては、英語で話しているときに「mansion」と言われると大邸宅を想像するし、日本語で話しているときに「マンション」と言われたら「○○団地」や「○○荘」を連想するから、ぜんぜん問題はないけどな。日本で日ごろ「マンション」と言う言葉を使っている人は日本人と日本語で話しているんだし、外国(英語圏)に住んで「mansion」と言う言葉が使われるのを聞いている人はその国の人と英語で話しているわけで、まさにキプリングの言う「東は東、西は西。交わることなきこのふたつ・・・」。

まあ、日本人の外国語(英語)への思い入れの強さを垣間見せてくれるトピックだったな。

フリータイムの日は歩け、歩け

7月4日。月曜日。起床は正午ちょっと前。今日は20度を超えそうな感じ。夜に飛び込んできた小さな仕事を寝る前に済ませて納品しておいたので、今日の午後はフリータイム。と言っても、朝食を済ませたら、まずは市役所まで明日が期限の固定資産税の書類を届けに行かなければならない。

昼のニュースを見ていたら、カナダを公式訪問中のケンブリッジ公夫妻(ウィリアム¥&ケイト)は今日は「赤毛のアン」の舞台になったプリンスエドワード島。ケイトのスマイルはほんとに衒いのない自然なやさしがあるなあと思う。プリンスエドワード島(PEI)はカナダで一番小さな州で、全体の人口もバンクーバーの4分の1くらい、州都シャーロットタウンは4万人にも満たないけど、イギリスの自治領としてのカナダ連邦の結成を決めた会議が開かれたという由緒のあるところ。PEI自体はそのときには連邦に加わらなかった。だから、いわゆる今のオンタリオやケベックなどのともすれば利害が対立する地域の「統一」を話し合う会議の場として選ばれたのかもしれないな。奥さんの名前がケイトのギーズ州首相が「殿下、一番重要なのはケイトたちはいつも正しいということを忘れないことですぞ」と夫婦円満の秘訣をアドバイスしたもので、若い2人は爆笑したとか。

さて、今日は天気が良いから、運動を兼ねて2つ先のキングエドワード駅まで歩いて、そこから地下鉄に乗って市役所まで、と言う行程で、しっかりとウォーキングシューズを履いて出かけた。さすがに7月だから日差しは暑いけど、ノースショアの山並みはにいつもならほとんど消えている雪がまだ残っている。まっすくクィーンエリザベス(QE)公園の裏側まで行って、そこから駅の方へ出ることにしたけど、バンクーバー市内で一番標高が高いところなもので、胸突き八丁の上り坂。まるでステアマスターで運動してるようなもの。キングエドワード駅に着いたところで、どうせあと13ブロックだからそのまま市役所まで歩こうということになった。家から45、6ブロック、距離にすると4キロくらいかな。つないでいた2人の手のひらは汗でびっしょり。

結局50分ほど歩いて市役所に着いたら、わっ、すごい行列。固定資産税の通知を手にした人たちが、オフィスから溢れ、ロビーから溢れて、正面玄関の外まで並んでいる。郵便が止まっていたせいもあるかもしれないけど、月曜日だと言うのにすごい列。ロビーの隅に固定資産税の「受付箱」が置いてあるんだけど、そこでも箱が置かれたテーブルで書類にサインしたり、小切手を書いている人がいて、いすが空くのを待っている人たちが二重、三重の人垣を作っている。だけどなあ、家でそういうことを済ませて封筒に入れて持ってくれば、受付箱にポンッと入れるだけで済むのに、何でなの?納税期限は明日5日。だから、行列はもっとすごいんだろうな。

まあ、税金を納めるのをぎりぎりまで引き延ばしたいのは庶民の心理なのかもしれない。ワタシたちもぐずぐずしているうちに「あっ、今日が期限だ!」と、期限日の真夜中ぎりぎりに市役所の玄関ドアに取り付けてある受付箱に封筒を入れに来たことが何度かあった。で、ああ、間に合った~と安堵していると、同じように封筒を手に息を切らせて駆けつけてくる人がいて、目が合って「おたくもですか~」と互いにニヤリ。今は固定資産税の繰延べ制度を利用しているので、実際の支払はない。これは60歳以上の人が自宅の固定資産税を州に肩代わりしてもらって、自宅を売ったり、死んだときにまとめて返済する制度で、要は借金だから利子が付くけど、年毎の単利なので低金利の今はあまり負担にならない。この先金利が急上昇したり、家の価格が暴落したりするようなことがあれば、また別の話だけど。

市役所から4ブロック先のWhole Foodsでちょこっと買い物をして、ブロードウェイ駅から地下鉄で帰って来たけど、てくてくとよく歩いたのでふくらはぎや股関節が痛い。階段をヒョコン、ヒョコンと下りて来るワタシを見て、カレシが「なまってるなあ。ボクなんか毎日農作業をやってるから鍛えられてるよ」とニヤニヤ。ふむ、たしかにここのところちょっと運動をサボっていたからなあ。それでも、久しぶりに日光を浴びて、いい汗をかいた日だった。仕事がないときくらいはもう少し外へ出るようにしなきゃね。

内職感覚でフリーランス稼業をやっても

7月5日。火曜日。ベッドから起き出して、一歩前に足を踏み出したら、あっ、イテテ。股関節のあたりから膝まで、お尻から太ももの後ろが筋肉痛。元凶はクイーン・エリザベス公園沿いのあの坂道だな、きっと。たぶん相当な大またでガシガシ歩いていたんだろうな。カレシはワタシより30センチ近く背が高いけど、身長に対する座高の割合でいうとカレシは上体がやや長く、ワタシは寸詰まりだから、たぶん歩幅には身長ほどの大きな差はないと思う。でも、36年もカレシの歩調に合わせて歩いていたもので、体に惰性がついてしまったのか、今さら減速しようにもうまく減速できず、急な坂道であろうが5キロの行軍であろうが大またでのしのし。(女としてはあんまりかわいげがないような・・・。)

今日もいい天気で、起きたときにはもう20度。やっと平年並みになって、カレシがやきもきしていた菜園のトマトも成長し始めたとか。昼のニュースを見たら、ゆうべフレーザー川を跨ぐ高圧送電線の鉄塔が突然倒れて水没したために、川向こうのサレーは大停電で、ハイウェイや橋が閉鎖されたそうな。そういえば、午後9時前にワタシのバックアップ電源がカチッ、カチッと切り替わる音がして、続いてカレシのバックアップがビーコ、ビーコと警告音を鳴らし、音楽をダウンロードしていたカレシは「何だ、何だ」とパニック寸前。停電はしなかったけど、あれが送電塔が倒れたときだったんだろうな。それにしても、それまで立っていた鉄塔が「突然に」はないもんだと思うけど、どうやら融雪期で川が平年以上に増水していたために、川っぷちに立っていた鉄塔の地盤が急激に侵食されたのが倒壊の原因という話。けっこう川の流れは速いけど、でも、「急激に」ってのも何だかなあ・・・。

新聞サイトを見たら、ビクトリアで裁判中だった日本人語学留学生に陪審団が「無罪」の評決を出したというニュース。ほおお。陪審員は「死産だった」と判断したんだろうな。日本語を話すという弁護士が(具体的に何がどう違うのかは新聞記事には載っていなかったけど)「文化的な違い」を訴えていたけど、ビニール袋に入れて自室に置いていたのは「赤ちゃんと一緒にいたかったから」という話も「文化的な違い」と判断したのかもしれない。弁護士の話では彼女は日本の所属大学からの「圧力」ですでに退学したようだし、元々「殺人」は罪状にないから、たとえ有罪の評決が出たとしても日本へ送還される程度で、2児を放置して餓死させたカルガリー事件のときのようにカナダの刑務所で服役しないで済んだかもしれないな。ま、無罪放免になって日本へ帰れるんだからよかったじゃないの。まだたったの21歳なんだし。

小町を見たら、フリーランスの年収/月収をずばり聞きたいというトピックがあったので、好奇心で覗いてみた。ふむ、雑誌などのライターやグラフィックデザイナーはけっこう厳しいんだなあ。関心を引かれたのは、本業のITだけでは仕事が少ないので翻訳もしているという人の書き込み。「IT」という職業がどんなものか知らないけど、A4一枚の英文を訳して500円くらいというのはちょっと安すぎやしないかなあ。それも「ただの翻訳ではなくIT系の技術翻訳」なのに、それでもまだマシな方って、しかも日英もほぼ同じというのは信じられないなあ。激安の理由を「翻訳は子持ちの専業主婦が内職でやれる仕事なので値崩れしている」と言って、他の人に「そんなことを言っているから500円しかもらえないのだ」と言われているけど、ほんとに英文3行か4行分の金額だから、A4一枚でそれでは値崩れどころか「大出血サービス」。まあ、この人は本業のITでは食べられないから翻訳「も」やっているわけで、その点では「専業主婦の内職」とさして変わらないレベルなのかもしれない。

たしかに日本の翻訳業界ではかって、特に英日翻訳で一種の「価格破壊」現象が取りざたされたように思う。バブル時代からこの方、ワーキングホリデイや語学留学でどっと海外へ出た人たちが日本に戻って、当時「トレンディ」と思われていたらしいフリーランスの翻訳業にどっとなだれ込んできたということもあるかもしれないし、その後の経済低迷で在宅で翻訳を始めた人たちも多く、その中には「子持ち専業主婦」もたくさんいただろうと思う。独身者ならアルバイト、主婦なら「おうちでできる」パートの感覚だっただろうから、「ビジネス」という気持はほとんど持っていなかったのではないかと思うし、採算割れなんてもんじゃない激安料金で引き受けて、「アタシ、翻訳やってるの~」と触れて回ったバブル頭のお嬢さんたちがごまんといたのも確かだと思う。

まあ、翻訳であれ何であれ、フリーランスの仕事はそれを発注する「ビジネス」が相手だから、家事や育児の合間にやれる「お仕事」ではないのはたしかだと思う。専業主婦の小遣い稼ぎでもいいんだけど、対価を得て翻訳というサービスを提供するものである以上は、仕事の合間に子供のオムツを取り替え、手が空いたときに家事をするくらいの覚悟(プロ意識あるいはビジネス感覚)がなければ、対等のビジネスとして向き合ってくれる取引先を得ることは難しいし、それどころかあくどい業者に片手間仕事であることを嗅ぎつけられ、足もとを見られて、どんなに優れた才能を持っていても、それを安く買い叩かれてしまうことになるし、ひいてはそのレベル全体で「値崩れ」を起こしてしまうこともになる。

それにしても、A4サイズの1ページで500円ねえ。作業スピードにもよるけど、1日。8時間あたりの平均的作業量をベースにして、1ページあたりの経験則的な語数から大雑把に時給換算してみたら300円ちょっとにしかならないんだけど、いくらデフレの日本でも、これでは最低賃金以下じゃないのかなあ。信じられない。フリーランスは常に仕事があるとは限らないし・・・。

もらってうれしい通知、うれしくない通知

7月6日。水曜日。午前11時55分に目覚ましがなって目が覚めた。シーラとヴァルが掃除に来る日だけど、いつもは正午を過ぎてからなので、何となくベッドの中でぐずぐずしていたら、電話。シーラが「おはよ。起きた?」と家の外から。どうやらゲートのチャイムが鳴らないらしい。急に気候が変わったりすると接触が悪くなるのか鳴らないことがあるから困る。「今起きた~」と言ったら、いつも持っている鍵でゲートを開けて入って来た。「玄関を開けて防犯アラームが鳴ったらベッドから転げ出しちゃうでしょ?」それで遠慮してまず電話をした・・・というわけ?

いつものように、ヴァルがベースメントのオフィス、シーラが二階の掃除をしている間に、中間のキッチンでテーブルの周りをうろうろするわんちゃんのレクシーにちょっかいを出しながらの朝食を済ませ、ヴァルと入れ替わりにオフィスへ。システムを立ち上げてメールを見たら、やだ、寝ている間に仕事が入っている。日本はほんとに残業、残業で大変だなあ。毎日のように遅くまで残業しないと終わらないくらいの仕事があるんだったら、人を増やせばいいのにと思うんだけどな。長時間かけて出勤して、長時間仕事をして、(ときには飲み会にも参加して)長時間かけて家に帰ればもう深夜で、寝たと思ったらすぐに起床時間で、またせわしなく出勤・・・なんて、体に良くないだろうし、家での人間関係にも良くなさそう。(それほど「激務」であっても浮気をするヒマはあるらしいのが不思議だけど。)

何でも屋で翻訳をやっていると、いろんな企業の内部文書にお目にかかる。決算書類や契約の類はビジネスそのものだけど、社内の通知文書には内部の事情や職場環境がちらちらと見えるものも多い。採用通知や表彰状のようなものは簡単な文が多いけど、もらった人の笑顔が見えて楽しい。反対に、チョンボをしての訓告とか戒告といったものは何となく「アホやなあ、キミ」という気持になるし、解雇通知だったらく「この厳しいご時世に気の毒になあ」と思ってしまう。まあ、だいたいは「うっかり」(わりと初歩的な)ミスをして叱られる程度で済んでいることが多いけど、ときには「やってはいけないこと」をやった社員をクビにする通知もあって、そういうときは「地位も責任もある大人の人間がどうして一瞬の気の迷いでキャリアを棒に振ってしまうんだろう」とため息が出る。

つい癇癪を起こしてしまうことは誰にでも一度や二度はあると思うけど、だいたいはある程度の自制心や自尊心が機能して我を忘れて突っ走るのを思いとどまらせてくれていると思う。酔っていたならまだしも、しらふの大人の人間でその「最後の砦」が自己防衛が働かなかったというのは、それほどストレスや不満が積もりに積もっていて、すべてをかなぐり捨てたいという衝動に負けてしまうのかな。それが「魔が差した」ということなんだろうか。後になってそのときの(常軌を逸した)行動を自分でも説明がつかないからそういうんだろうな。まあ、今どきは感情や欲求のコントロールがどんどん難しくなりつつある時代なんだろうけど、「悪魔」のせいにしてしまっていいのかなあ。

でも、解雇通知をもらってしまった人は、家に帰って奥さんに何と言うんだろうな。高収入だったのにある日「懲戒解雇」で無職無収入になって帰って来たダンナさんに奥さんは何と言うんだろうな。修羅場にならないだろうかと想像をたくましくしてしまうこともあるけど、すべてはドラマの筋書きではなくて、日本の大都会で生活している生身の人間に起きた現実の話だから、やっぱり大きなため息が出て来てしまう。なぜかよくわからないんだけど・・・。

新ニッポン語のお勉強は楽しいね

7月7日。木曜日。ん、涼しい。起きてみたら小雨もよう。午後にはいっときかなりの雨になった。午後2時でポーチの気温は13度。きのうはしっかり25度行ったのに、なんでなの?UPSがランズエンドに注文しておいたTシャツを届けに来た。かなり薄地で、うんと袖が短くて襟ぐりの深いのばかり10枚。LLビーンに何枚か注文したのもそのうちに届くだろうけど、この天気では夏中に全部を一度は着られるのかな。

ぽちぽちと郵便が来るようになったけど、郵便局には拠点スト中やロックアウト中にたまった郵便物が4千万通もあって、全部消化できるのは来週の終わりくらいなんだそうな。月曜日が支払期限の電話料金の請求書も今日になって着いた。連邦と州の売上税を統一したHSTの継続の賛否を問う住民投票の用紙も今日になって着いた。なんかやたらと分厚い封筒を開けたら、投票用紙の付いた説明書1枚と、封筒が3枚。まず、投票用紙のYES(継続反対)かNO(継続賛成)のどちらかに×かチェックマークをつける。質問が「HSTを廃止して、GSTとPSTの並列制度に戻ることに賛成するか」という回りくどい表現だから、継続に反対する人が、英語の語順だと最初に出て来る「賛成するか」というところだけを見て、HST反対のつもりで「NO」と投票することもあり得る感じだな。英語だって作為的に相手の反応や回答を誘導するような微妙が表現ができるという見本みたいなものかな。

YESかNOに印を付けたら、次あ投票用紙をミシン目に沿って切り離して、封筒Aに入れて封をする。「守秘封筒」という意味のことが印刷されている。次にこの封筒Aを封筒Bに入れて封をし、表の所定欄に生年月日と電話番号を書き込んで、サインする。住所氏名は封筒に印刷されている。住所変更などがあったら、裏に新しい住所を記入しなさいと書いてある。最後に所定事項の記入と署名を確認して、封筒Bを黄色い封筒Cに入れる。あて先が印刷されていて、切手は不要なので、そのまま郵便ポストにポイと入れておしまい。選挙管理委員会に届いたら、封筒Cを開けて封筒Bを出して、住所氏名と記入された生年月日を照合して、本人と確認できたら開封して封筒Aを出して開票に回すという手順なんだろう。郵便投票というのは初めてだけど、けっこう手間がかかるもんだなあ。ま、郵便ストのおかげで期限が延長されたから、この週末にゆっくりと「投票」しようか。

外は雨だしということで(あまり関係ないけど)、午後はのんびりと小町横町の散歩。「その省略語にむずむずする」というのトピックがあって大盛況。延々と340本だかある書き込みを読んでみたら、おもしろいの何のって。翻訳原稿にこんなのが出てきたらお手上げだけど、新日本語のお勉強としては笑い出したり、目がまん丸になったりで楽しいことこの上ない。純粋日本語も省略されるとたいだいがカタカナ語になるらしいところもおもしろい。それに和製英語の省略版や輸入もののカタカナ語の省略版や、さらに若者言葉の省略語があって、カタカナ日本語はまさに混戦もよう。こんなのをちりばめて話をされたら、浦島花子36年のワタシにはぜ~んぜんわかりませ~ん。

モンペって「親ばか」の現代版かと思ったら、誰かが「問題を引き起こすペアレントかと思った」と書き込んでいて、う~ん、言い得て妙とはこのことか。アクセ、コスメ、コーデ、ファンデ、ワンピにカーデ・・・最近は特に若い世代の省略語に3字音のものが多いような。(まあ、俗語を作るのはどこでもだいたいは若い世代だと思うけど。)携帯メールの普及とも関係があるんだろうけど、注意の持続時間が短くなって、「昔風」の4字音では最後まで聞けないのかもしれないな。それが今どきの若者言葉の乗りのリズムということもありえるかな。ざっと拾ってみただけでも、ホムペ、ホムパ、トイペ、ホケミ、クリチ、クリパ、イミフ、ガルトー、バーベ、メアド、コスパ、ハロワ、シンマ、ホカペ、リスケ、マーケ、インパ、フリマ、スマホ、クレカ、ポテチ・・・ほとんどガイコク語も同然で、書き込みの「定義」を読んで爆笑したものもあれば、ゲッとなったものもある。

それでも、4字音の省略語もまだまだしぶとくたくさんある。ナルハヤは「ASAP」の日本語版かな。ヘビロテは気味が悪いし、ブレスト、レンチン、マタママとなった淫靡な感じがしてぞくっとするなあ。もっと短くなって2字音のものもあるけど、ベビーがなんでベビになって、ダーリンがダーになるんだろう。おしゃれな若奥さんが「うちのダーとベビがさあ」なんて言っているのを聞いたら、日本女性も強くなったもんだと感心するしかないかなあ。で、略語の最たるものがアルファペット語。WMはワーキングマザーの略だそうな。(英語の出会い系広告だと「白人男性」ってことになるからややこしい。)この流れだと、ワーキングウーマンはWWになるのかな?WWって世界大戦を連想するけど、まあ、女の仕事は戦いだからいいのか・・・。

まあ、英語も若者たちがどんどん省略語を作り出しては、大人をイライラ、ムズムズさせている。先日もオンラインのホテル予約サイトのコマーシャルで「この夏のヴェケーを計画してんのさ」と言うのを聞いてゲッとなった。なんだか、ワタシもどっかにヴェケーに行きてぇ・・・なんて。

ラベンダーの花咲く頃の実験メニュー

7月8日。金曜日。なぜか2人同時に目が覚めたら、あら、もう午後1時半。何と9時間も寝た勘定になるけど、どうしてだろう。どうも、揃って睡眠時間の後半になって眠りが深くなる傾向が出て来たようで、午前9時前後の、ちょうど熟睡に入るあたりに眠りを中断されると、正午過ぎまでぐっすり眠ってしまうような感じ。けさは9時くらいにゴルフ場の芝生刈りか、どこかの家でのカーペットクリーニングか、とにかくモーターの音で目が覚めて、かなり長いことうとうと状態だったような気がする。

1日。の始まりは遅かったけど、カレシが庭で咲き始めたラベンダーを切って来てくれたので、今日は久しぶりに実験メニューを考えてみることにした。

今日のメニュー:
 ホタテのラベンダー風味タルタル、ヤムのてんぷら添え
 あわびのワイン蒸し煮、ズッキーニリボン添え
 オヒョウのステーキ、蒸したインゲンと3色にんじん
 (サラダ)

[写真] ホタテのタルタルはバニラを使ったレシピで作ったことがあるので、ラベンダーの香りに代えて見た。小さな鍋に水とお酒を沸騰させて、ラベンダーを入れてさまし、そこにホタテを漬けてしばらくおいたものを刻んで、塩、ライムジュース、カイエンペッパー少々で和えた。付け合せはヤムいものてんぷら。ラベンダーの風味はほんのりだけ。ひと晩くらい漬け込んだほうがいいかもしれない。

[写真] 殻つきの冷凍あわび。ググってみて、どうやらオーストラリア産のグリーンリップという種類らしいとわかった。ひと苦労して殻から外し、白ワインでさっと煮てスライスしたものをきれいに洗った殻に並べて、刻みねぎをパラパラ。ズッキーニは皮むきを使って薄いリボンにして、さっと塩もみして黒オリーブのスライスを合わせてみた。食べてみたカレシがちょっと味が足りないというので、ちょっとポン酢をたらしたら不思議とオリーブとも良くあって成功。ほんのちょっとだけだからいいのかもしれない。あわびはちょうどいい柔らかさ。(あわびを軟らかく煮るには、ほんの数分だけか、2、3時間をかけるかのどちらかで、その間の時間では硬くなるんだそうな。)

[写真] かなり尻尾に近いほうの小さめのオヒョウのステーキ。海草入りの海塩をグラインダーで挽いて下味をつけておいて、インゲンと3色のにんじんを蒸し器にかけて、頃あいを見てフライパン焼き。3色のにんじんのうちで一番本来のにんじんらしい味だったのは意外にも白いにんじんだった。

遅く始まった夕食が終わったのは午後9時。この分では今日はランチなしの2食になりそう。生活時間があまりずれすぎないように、ちょっとリセットした方がいいと思うけど。

一夜限りでけろりと治る不思議な病気

7月9日。土曜日。なんか調子がヘンで合計11時間も寝てしまった。きのう9時間も寝た後だから、なんだかン?な感じ。きのうは起きてから何となく頭がクラクラする感じだったけど、寝すぎたせいだと思っていた。それが、夜中近くなって急に軽いめまいがしたり、寒気がしたり、冷や汗が出たりし始めたので、バックルームのソファで横になって3時間ほど眠った。(なんか夢を見ていたような気がするから、かなり熟睡したみたい。)カレシに「寝る時間だ~」と起こされて、歯磨き、洗顔もそこそこにベッドにもぐりこんで、そのまま朝まで8時間。よく眠ったと見えて、頭はまだちょっともやっとしていたけど、ごく普通の目覚め。

まあ、一過性の自律神経失調症のようなものだろうと思うけど、どうもワタシは急激に始まってひと晩眠ったらケロッと治っているような病気?を持っているらしい。十代の終わり頃に、関節が焼ける感覚が始まったと思うと猛烈な寒気がして、30分もすると熱が39度になっていることが1年に1、2回起きるようになった。いても立ってもいられなくて、ベッドに入って震えながらひたすら眠ると、次の日には熱も関節の痛みもまるで嘘のようになくなっていた。疾風のごとく来て去るから医者に診察してもらう暇もない。それでも1度だけ、昼休みに関節がひりひりし始めて寒気がして来たので、速攻で隣のビルの内科に駆け込んだら、そのときにはもう39度を超える熱。医者は「普通は害のないウィルスに過剰反応したのかもしれない」と自信のなさそうな診断だった。関節痛と高熱だけのあの病気?はカナダに移ってからも2年に1回くらいは出てきて、30代の終わりまで続いた。

その後はめまいと嘔吐だけだったり、ゆうべのようにめまいと冷や汗と吐き気だけだったりする「急病」がときたま起こって、そのたびにカレシはオロオロ。昔はどうしていいかわからなくてオロオロがイライラになったりしたけど、最近は顔を覗き込んで頭をなでたりして、けっこうやさしくオロオロしてくれるからおかしい。(ひょっとしたらおかしがっているうちに治ってしまうのかもしれない。)とにかく急激だし、ピークに達する頃にはすごくつらくなってしまって起きていられないから、仕事の納期が迫っていたりしたら慌てる。一度はビニール袋に吐きながら何とか仕上げて納品して、ベッドに転げ込んだことがあったけど、まあ、年とともにそういう「鬼のかく乱」みたいな突発性何とか症はめったに起きなくなったのは幸いと言えるかな。原因、何なんだろうな。やっぱり自覚していないストレスがあるのかなあ。一夜限りの病・・・全然ロマンチックじゃない。

朝食が終わる頃には頭もすっきりして、今日は予定通りに段ボールのリサイクルと野菜の買出しに出かける。リサイクルすべき紙類が山とあるんだけど、カレシは「買い物のついでに寄るだけだから」となんとも非論理的な返事。どうやら、紙類や他のリサイクル品を集めるのはめんどうくさいということらしい。ま、つぶしてポーチに放置してあった段ボールの山だけでも持って行こうと思ったんだから、この際いいか。夏らしい天気で、市のリサイクルデポはかなりのにぎわい。ごみの投棄場に入る専用レーンはトラックが列を成していた。我が家から近いんだから、もっと昼間に出かける「ついでに」積み上がる一方のリサイクル品を持ってきた方がいいと思うんだけど、そういうと天邪鬼のカレシは「この次でもいいよ」とか何とか言ってはぐらかすに決まっているから、ここは放っておくか・・・。

IGAでは昼間だけ人がいる魚と肉のカウンターで、ティラピア、ロックフィッシュ、紅鮭、オヒョウを包んでもらって、冷蔵庫に品薄になった野菜を買って、今日の掘り出し物は「ヒマラヤの塩」。南アフリカから輸入されたもので、グラインダーつきのびんにきれいなピンク色をした岩塩を砕いたような粗い粒が入っている。ふだんは地中海やオーストラリア、ハワイの海塩を使っているけど、岩塩は初めて見た。ヒマラヤは海から遠く離れているから、ネパールあたりの料理は岩塩を使うんだろうな。小ど山奥の国の料理のレシピが見つかったら、岩塩を使ってみようか。もうひとつの掘り出し物は「豆類のもやし」。2、3センチの根が伸びた緑豆、インゲン豆、ひよこ豆、あずき豆のミックス。昔、母が大豆をうるかしてストーブのそばにおいて根を出させたものを豚肉やひじきと炒めてくれたことがあって、しまいに顎がだるくなったのを今でも覚えている。あれはおいしかった。生のままではきっと青くさいだろうから、炒め物にしてみよう。

買い物が終わって帰ってくればもう夕食のしたくの時間。ゆうべのクラクラ病がまったく嘘みたいに食欲はもりもり。後はぽちぽちと週末の小さい置きみやげ仕事を片付けるか・・・。

夫婦だけど、フェイスブックではお友だち

7月10日。日曜日。よく眠った。目が覚めたら午前11時半。カレシはとっくに起きて朝食の支度をしていた。それで食器のガチャガチャいう音で目が覚めたのかな。ワタシが起きたとわかると、さっそくコーヒーミルをガアッとやる。引き立てのコーヒーの香りが二階まで漂ってきて、今日はおきぬけからいい気持ち。日中の気温はまだ平年よりやや低目らしいけど、最低気温はまあまあ普通だから、菜園の野菜も喜ぶな。

日本は月曜日だから、きのうのうちに済ませておいた仕事を送っておいて、後はのんびり。左目に移動した結膜炎?がまだ治っていないので、できるだけコンタクトレンズを入れないで済まそうと、こういうときの予備の眼鏡をかけてみたら、きゃっ、コンピュータの画面が湾曲して見える。前のモニターはもっと小さかったからほとんど問題がなかったけど、新しいのはずっと大きいから、いくら角度を変えても全体が湾曲してしまう。かけて5分もしないうちに何となく頭痛がして来たので眼鏡はあきらめた。この眼鏡はかけたまま歩くと視界がゆがんで吐き気がして来るくらい度が強い。座っていても使えないとなると無用の長物だな。しょうがないから、コンタクトを入れたけど、しばらく目がひりひりして、後は1日。中ごろごろ。コンタクトを入れないと、身を乗り出して画面に顔を近づけないとメールも読めないから、首が痛くなって結局は頭痛がしてくるし、ああ、いやになっちゃう。早く治ってくれないかなあ・・・。

新聞サイトを巡回していたら、バンクーバー市がこの秋から食品ゴミの堆肥化を始めることになり、我が家のあるサンセット地区が2つの試験地区に決まったというニュース。いよいよかと思って読んでみたら、当面は調理していない果物や野菜、コーヒーや紅茶の出しガラ、ティーバッグ、卵の殻くらいのもので、油や調味料が含まれる食べ残しは悪臭を出さずに処理できる施設がないので、回収できるのはまだ先の話だという。なあんだ、持って行くのは今カレシが堆肥にしているものだけってことか。カレシにそう言ったら、「熟成した堆肥は純金ぐらいの価値があるの。もったいなくて市役所になんかやれない」んだそうな。試験収集が始まったら、普通ゴミの収集が今の週1回から2週間に1回に減らされるそうだけど、我が家は1週間で120リットル容器が満杯になることはめったになくて、収集日にリサイクル品だけでゴミは出さないときも多い。つまり、今と変わらないってことで、まあ、池を潰して菜園に転換したら大量の堆肥がいるだろうから、あまり関係ないか。

今日はカレシの好物の紅鮭のファルシを作って、芽だし豆の炒め物と蒸したズッキーニを添えてのんびりと夕食。トロントなど東部の方は猛暑でヒュミデックス(体感温度指数)が40度を超えたそうな。東京あたりも梅雨が明けて猛暑らしい。電気は大丈夫なのかな。エアコンを我慢して熱中症で死んでしまう人たちが出ないといいけどね。食後に二階へ上がっていってサーモスタットを見たら28度。あまり暑くは感じなかったけど、暑がりで汗っかきのカレシが「あっつ~い」と言ってエアコンのスイッチを入れた。う~ん、そんなに暑くないって・・・。

メールをチェックしたら、あら、カレシからフェイスブックにアカウントを作ったというので、さっそく「お友だち」リクエストを送ってあったのに、入れ違いにフェイスブックからカレシからの「お友だち」リクエスト。どうなってんだろうと思いつつ、OKしたら、ワタシは何と「2人のカレシ」とお友だちになって両手に花。どうやら以前に作って「削除した」はずのアカウントがまだ生きているらしい。3人しか友だちのいないのが今のカレシで、もう1人のカレシには、おいおい、「知らない女性」が友だちリストに載ってるよ。「使い方を覚えないうちにいつの間にか知らない友だちができて困ったからアカウントを削除したの。そっちはアンフレンドしてくれよ」とカレシ。な~るほどっ。ということで「元カレシ」はアンフレンドして、「今カレシ」のアカウントは「お友だち限定」に設定してあげた。

夫婦でフェイスブックの「お友だち」ってのもちょっと変な感じだけど、怪しい展開があったら速攻でアンフレンドしちゃうよ。まあ、ワタシはときどき「お友だち」の近況を見るだけで、めったに書き込みはしないんだけど、カレシは旅行の写真を載せたいらしい。ネットの世界は知らないうちに何が起きるかわからないんだから、基本的な機能を覚えてから使った方が安全だと思うけど。


2011年6月~その3

2011年06月30日 | 昔語り(2006~2013)
ルーツを求めての旅は自分探しの旅

6月21日。火曜日。夏至。公式に夏初日。日の出午前5時7分、日の入り午後9時21分。標準時なら午前4時7分に日が昇って、午後8時21分に日が暮れる勘定になる。この頃は就寝時間の午前4時過ぎにはもう空が明るくて、鳥の声を聞きながら眠りにつくんだけど、これからだんだん日が短くなっていく日が夏の始まりってのはなんとなくヘン。まあ、西洋のカレンダーには「立夏」というものがないから、しょうがないか。年に2度ある「至」を英語ではsolsticeというけど、語源のラテン語では「太陽が立ち止まる」と言う意味だそうな。太陽が天高く行くところまで行き着いて、ふと立ち止まって、今来たこの道帰りゃんせ・・・想像してみたら、なんだかわかったような。

今日は久しぶりに20度を超えた。低温だった4月、5月に次いで、6月も今のところ平均気温が平年より1度低く、日照時間も少ないそうで、地元のメディアは1月のJanuaryと6月のJuneをくっつけて、Junuaryと洒落てみせて、夏が待ち遠しくてイライラする気分を何とか盛り上げようとしている。だけど、暑すぎないおかげで、今ごろスナップえんどうがどんどん実るし、ほうれん草はどんどん新しい葉を出してくれているから、ま、のんびりと夏を待つことにしようじゃないの。

きのうやり残した仕事を済ませて、日本はまだ早朝だけど早々と納品してしまって、カレンダーを見たら仕事が入っていない。いつもの火曜日だったら、あたふたと仕事をして、キッチンに駆け上がって夕食の支度をして、英語教室にカレシを送り出して、ひと息つくかまたは仕事だけど、今日は後がないから、ゆっくりとキッチンに行って、ちょっと念入りに(だけど簡単なグリルで)夕食を作って、出かけるカレシを玄関までお見送りして(あ、これはいつもやるけど)、腹筋と背筋と胸筋の運動。ひと汗かいたところで、めったにないひとり風呂。まあ、カレシと一緒だと背中をごしごしと擦ってもらえるんだけど、ひとりもたまにはいい。アガサ・クリスティはお風呂でりんごを食べながら本を読むのが好きだったそうだけど、そういえば、バスタブに架け渡すトレイをどこかのカタログで見たことがあったな。ワイングラスとおつまみの小皿と火のついた小さいろうそくが載っていた。いい湯加減でリラックスもいいけど、なんだかふやけてしまいそうだなあ。

忙しくない日に朝食後にやる読書、ケルアックの『On The Road』を読み終わって、今度はビル・ブライソンの『The Lost Continent: Travels in Small-Town America』(1989年出版で、日本語訳はないらしい)。イギリス暮らしが長かった作者(今はまたイギリス暮らし)がアメリカに帰っていた間、子供の頃に見た映画の背景に必ずあった「典型的なアメリカの田舎町」を求めて、生まれ故郷のアイオワ州デモインから出発する。少年時代に家族旅行で通った道を辿り、アメリカの中西部のど真ん中のど田舎地帯を、点在する同じような風景の小さな町から町を通過する。ただし、その点と点の間の距離がものすごく長くて、イギリスサイズに慣れていたブライソンは改めてアメリカの広さを実感する。ちょっと止まるのがめんどうだから「次の○○でいいか」と先へ進むと、道路の標識に「○○まで120マイル」と書いてあったりする。120マイルは200キロ近い遠さ。やっと着いたら、次の町もガソリンスタンドに食堂に農機具屋に町役場のある広場で、衰退の影がありあり・・・。

ブライソンはワタシとほぼ同年代だから、ちょうど1950年代のアメリカのモータリゼーションを見て育ったはず。車を持った世代が郊外へ郊外へと移動し、大きなショッピングセンターが続々とでき、小さな町の若者たちはどんどん都会を目指し、アメリカ開拓のバックボーンだった小さな町が寂れ始めた時代だったかな。デンバーからテキサス州オースティンへ飛んだときは、飛んでも飛んでも山ひとつ見えない平原地帯。灌漑アームの長さを半径とする丸い畑がどこまでも重なるように続いて、まるでモンドリアンの幾何模様の世界。ニューオーリンズからロサンゼルスへ向かう途中でアリゾナ州の上空を飛んだときは、半ば砂漠化しただだっ広い平野にどえらい間隔で点在する町が見えたし、砂漠に飲まれて行くゴーストタウンの輪郭も見えて、100年前には開拓精神に溢れたコミュニティがあって人間の営みがあったんだろうにと思い、自分でもよくわからない漠然とした悲哀感にため息をつきっぱなしだったな。カナダも広いけど、アメリカも広い。とにかく、とほうもなく広い・・・。

そういえば、アメリカにはそのとてつもなく広い大陸を旅する本や映画が多いなあ。「真のアメリカ探し」、つまるところは「自分探し」の旅に駆り立てられるのは、あまりにも広くて、あまりにもいろんな面で多様で、それがあまりも遠いからなんだろうか・・・?

網膜検査で視界はもやもや

6月22日。水曜日。うわ、いい天気。予報はまた下り坂らしいけど、今日はまだ何とか20度を超えそうだな。この年になってもカジュアルな外出着はTシャツにジーンズで、Tシャツの下は実は内でも外でもブラだけ。春夏秋は、気温10度前後なら半袖にジャケット、15度を超えたら少し長めの半袖でジャケットなし、20度を超えたらぐんと短い半袖、25度前後になったら肩丸出しのタンクトップという基準になっている。このいでたちだと、背中をしゃんと伸ばして、おなかの贅肉をぐっと引っ込めて、脚全体で大またに歩かないとサマにならないので、ちょっとした美容効果?もあって、けっこう心身ともにいい運動になる。

今日は網膜の専門家に検査をしてもらう予約があったので、起きてからコンタクトを入れないままで家の中をうろうろ。鼻先20センチ以内はよほど細かな字でなければまったく問題なく見えるけど、その先は視力0.008の世界。ものが二重三重に見えて、ちょっぴりシュールレアリズムっぽいところがある。こればかりは視力に恵まれた人には想像がつかないかもしれないな。どっちみち外すんだからと思っていたけど、地下鉄の駅までとドクターのオフィスまでけっこう歩くので、ちょっと心配になって土壇場でやっぱりコンタクトを入れることにした。午後2時過ぎ。気温は20度。そよ風のなんとも心地の良いこと・・・。

ロス先生のオフィスのある辺りは総合病院に近いこともあって、メディカルビルディングという、医者のオフィスばかりのビルがいくつもある。一階にはたいてい薬局や医療用品の店があったりして、薬を処方されれば帰りがけに寄ればいいから便利なもんだと思う。まあ、医療費予算の逼迫と医者不足で、専門医のところへ行くまでがけっこう大変なんだけど。ロス先生は眼科でも網膜と水晶体が専門。左目に飛蚊ができた頃にときどき視界の隅で閃光が見えたので、念のために検査をしてもらおうというのが今日のおでかけの目的。待合室にはやっぱり年配の患者が圧倒的で(たぶんワタシも「年配」の内に入るんだろうけど)、まず視力検査をして、コンタクトを外して瞳孔を拡大する薬を入れて、待合室でしばし雑誌を読み、十分に開いたところで、眼底の写真を撮って、またしばし読書。それから先生のオフィスに呼ばれて、網膜を診てもらう。あっちを見て、こっちを見てと言いながらまぶしい光を当てるもので涙がボロボロ。先生曰く、「ほお、右には大きなフローター(飛蚊)があるなあ」。はい、もう20年も付き合ってます。でも、最後は「問題なし」。はあ。ついでに、先週から白目に出血して、黒目の縁にポチッと白っぽい切り欠きのような点ができていたのを診てもらって、これも「心配ない」。ほっ。はあ・・・。

目が見えないと商売にならないから、「異常なし」の診断はうれしい限り。それでも、1年後にまたおいでと言われて、来年の8月の予約をもらって来た。カレシも同じ検査をして何も言われなかったから、やっぱり何か「要観察」みたいなことがあるのかなあ。ま、それは来年になったらわかるだろうということで、五里霧中でなあんにも見えない目にコンタクトを入れて、外へ出たら、わっ、まぶしい!サングラスをかけても涙が出るくらいまぶしいのに、視界はもやがかかったような感じ。勝手知ったあたりだから良く見えなくても困りはしないけど、初めての場所だったら迷子になったかもしれないな。地下鉄の駅で時計を見たら午後3時50分。切符は3時54分まで有効だから、そそくさとホームへ下りて、帰りの電車に乗り込んだのは3時53分。やった、また1枚の切符で往復・・・。

家に帰り着いたとたんにカレシがワタシの顔を見て曰く、「わっ、エイリアンだ」。まだ瞳孔がいっぱいに開いたままなもので、ほんとにエイリアンの目。見えることは見えるけど、まだもやもやが晴れなくて、ちょっと頭痛気味。夕食の時間で、よく歩いておなかがすいたけど、めんどうな料理はしたくないから、極楽とんぼ亭シェフ得意の「機内食風」ということにした。午後いっぱい庭仕事をしていたカレシもめんどうだからと、ビュッフェ風サラダ。ということで・・・

[写真] チラシ航空の機内食は、刺身用食材を流水で半解凍して、冷凍してあった寿司飯を温めて冷ましてちらし寿司(ビンナガ、サケ、ハマチ、タコ、トビコ、エビ、ウニ。カレシはウニを食べないのでエビとサケを余分に乗せた)。それにアサリとねぎのおすまし、枝豆の酢の物、大根おろし。

[写真] 方や、カレシのサラダ航空は、ワタシがラディッキオがあまり好きではないので、多種多彩な野菜を混ぜないで、大皿に盛大にてんこ盛り。ワタシにはラディッキオの代わりに大好きなベビーにんじんを全部くれた。ありがと・・・。

ピンボケ料理でおなかがいっぱいになったところで、薬が切れて、だんだん視界が開けてきた。さて、問題なしで安心したことでもあるし、あしたはまた仕事しなくちゃ・・・。

審議は続くよ、ど~こまでも~

6月23日。木曜日。せっかくいい気持ちでぐ~っすり眠っていたのにカレシに「お~い、眠りヒメェ」と起こされた。やれやれ、眠り姫を起こすのは100年早いって、アナタ。予報に反して雨は降っていないけど、また涼しい。今日は20度まで行かないだろうな。日本はもうとっくに猛暑到来らしいけど、その暑気を4度か5度くらい分けてもらえたらいいのになあ。

郊外の農場のイチゴがやっと色づいて来て、どうやらこの週末には客自身が欲しいだけ収穫するU-pickがオープンするらしい。揃って勤め人だった頃は毎年のように長靴を履いて、バケツを持ってイチゴ採りに行ったっけ。だいたいは今くらいの時期で、シーズンは終わりに近かった。半屈みになって割り当てられた畝を端から端までバケツ2杯くらいのイチゴを摘むのはけっこうな労働だったけど、それを処理するのも大仕事で、帰ってすぐに洗ってジャム作り。何回かに分けて、夜中過ぎまで立ちっ放しでひとりで1年分のジャムを作った。フリーになったら週末がなくなって、イチゴ摘みもジャム作りもそれきりご無沙汰。カレシに、ワタシが65になって「半引退」になったらまたやってみようかなと言ったら、「今度はボクも手伝うから」とけっこう乗り気な返事。(ふむ、「今度は」ということは、昔まったく手伝いもせず、ひとりさっさと寝てしまったのを悪かったと思ってるのかなあ・・・?)だけど、ホームメードのジャムはおいしかったよね。

連邦議会では郵便組合に職場復帰を命令する法案を審議中で、野党第一党になった社会主義の新民主党が「労働者」のために審議の引き延ばしを図ると言っていたのが、ちょっと方向転換して、法案修正を受け入れるなら賛成してもいいと言い出した。それに対して労働大臣が「考えてもいい」と、なんかおもしろそうな展開になって来た。政府の法案には今後4年間のベースアップの率まで織り込まれていて、それが何とロックアウトの前に使用者側が提示した率より低いから、交渉が妥結する前に法案が成立したら組合員は「ごね損」をすることになる。そこを議会で突かれたハーパー首相は「公務員の平均的な賃上げ率だから妥当。政府は影響を受けている国民生活を最優先している」と一蹴。いくら野党が引き延ばしを図ったところで、多数政権だから法案は早晩成立する。その上での野党からの「修正要求」とそれに対する政府の歩み寄りの姿勢なわけで、政府が「賃上げ率」の部分を引っ込めて修正法案が通れば、郵便が動き出して国民は満足し、ロックアウトも職場放棄もできない労使は妥協するまで好きなだけ団体交渉を続けて良しということになる。うん、政府の戦術だとしたらすごいな。

とりあえず野党の「引き延ばし作戦」が始まったけど、この妨害戦術がフィリバスター(filibuster)と呼ばれるもので、英和辞書には「少数派議員が法案の通過を妨害するために行う長演説」と書いてある。法案が表決にかけられるのを少しでも遅らせようとするもので、弁舌の立つ人がひたすらああだこうだとしゃべり続けんだけど、すごいのになると延々と何時間も演説をぶつ猛者もいる。(ローマ時代の元老院でもすでに似たような戦術が使われていたらしい。)カナダの記録はせいぜい数時間だけど、アメリカでの個人記録の保持者は百歳になるまで上院議員を勤めたストロム・サーモンドで、なんと24時間18分というから、強靭な体力とそれ以上に強靭な神経がないとできないなあと思う。

日本では昔よく国会で社会党や共産党が「牛歩戦術」というのをやっていたけど、あれは法案を表決する段階になってから、投票札を持ってそろっとと一歩、またそろっと一歩という具合にのろのろ戦術による引き延ばし。今はどうか知らないけど、あの頃は野党議員たちが議長席に押しかけて与党議員と乱闘になることもあった。今じゃあ、与党も野党もとってもそんな体力はないだろうな。日本で最初にフィリバスターをやったと言えそうなのは、長州藩が外国艦隊に下関を砲撃されて惨敗したときに和平交渉に送り込まれた高杉晋作かな。臨時に家老かなんかの養子になって偉そうな肩書きをもらって乗り込んだ晋作は、居並ぶ外国人を相手に(日本語で)神代に初まる日本の歴史を滔々と語り続けたもので、相手が音を上げて、藩の領土を租借されずに済んだという痛快な話があるそうな。たしか、イギリスの通訳アーネスト・サトウの著書にそんな記述があったと思う。タイムマシンがあったら聞きに行ってみたいもんだな。

時差が3時間先のオタワではもう「東山三十六峰(あるいは議事堂の丘)草木も眠る丑三つ時」だけど、法案の「審議」はまだ続いているらしい。ごくろうさま・・・。

今どきの・・・というと笑われるけど

6月24日。金曜日。またなんか涼しめだけど、まあまあの天気。「今年の夏は気温が高めで雨が少ない」って、本気で言ってるのかなあ。まあ、バンクーバーの短い夏は文字通りの「乾期」だから、ちょっとくらい暑くてもべとべとしないし、日陰に入ればすぅ~っと涼しいので実に快適だから、ま、おととしのような、30度を超えるような「記録的な猛暑」にならなければそれでいいか。

正午少し前に起きてテレビのニュースを見たら、議会ではま~だフィリバスターをやっている。始まったのはきのうの午前中だったはずだけど、新民主党の議員が入れ代わり立ち代わりでだらだらとしゃべっている。先の総選挙で、どうせ勝てっこないということで、ケベック州で大学生などの若い「泡沫候補」を大量に立てたら、何と大半が当選してしまったんだけど、議会政治はまだひよっこ過ぎて頼りにならないとしても、少なくとも大学での徹夜のどんちゃんパーティに慣れているだろうから、体力では頼りになるかもしれないな。フランス語圏の選挙区の候補になったけど、フランス語はダメ、選挙区に行ったこともなく(たぶんどこにあるかも知らず)、選挙中にラスベガスに遊びに行ってしまって物議をかもした元パブのマネジャー嬢議員が、なにやらぼそぼそ意味不明なことを言っているのが映っていた。世論調査では国民の70%が政府を支持しているそうで、あまりいつまでもひとつの労働組合の高給取りの「労働者」のために引き延ばし戦術をやっていたら、せっかく大躍進した新民主党の支持率が下がってしまわないのかな。

いつも日本へ夏と冬のプレゼントを宅配してもらっているところから、カタログが届いたかどうかと言う電話が来た。ん、届いてない。どうやらロックアウトの直前に発送したらしく、どこかで立ち往生してしまったらしい。そうか、通販会社はすごい迷惑を被っているだろうな。LLビーンやランズエンドのような大手なら普段から急ぎの注文はFedExやUPSだから問題はないだろうけど、カナダポストが通関まで請け負っている小さな通販会社はカナダ向けの商売が上がったりで辛いところだな。契約を破棄して宅配便に切り替えるところもずいぶんあるかもしれない。(そういえば、テレビで普段見慣れない宅配会社のコマーシャルがあった。)ま、これがゼロサム・ゲームというやつかな。捨てる神あれば拾う神あり・・・どっちにとってかはわからないけど。

地元の新聞サイトからビクトリアの地元新聞のサイトに入ったら、え、今頃あの「日本人留学生」の裁判をやっているのでびっくり。事件があったのは去年の9月頃じゃなかったかなあ。日本の地方大学(九州だったかな?)からビクトリア大学に語学留学に来た女子学生が、ホームステイ先で出産して、生まれた赤ん坊をビニール袋に入れて捨てたという事件で、異臭に気がついたホストマザーが発見したときは腐敗が進んでいて、検死解剖でも死産児か生産児かは判断できなかった。誰も妊娠に気づかなかったので流産だったかもしれないとも言われていた。日本から母親が駆けつけたり、裁判所に出頭したりして大変なことになっていたけど、決着がついて日本に帰ったとばかり思っていた。

それが今頃、それもいきなり州最高裁判所での2週間の陪審員裁判というから重大犯罪の扱い。記事には赤ん坊は女の子で満期の正常分娩、死因は不明という検視医の証言が載っていた。ビクトリアに来てあまり日が経っていなかったようだし、二十歳の大学生なら自分が妊娠しているのを知らなかったはずはなさそうだし、何を考えて臨月のおなかを抱えてカナダまで来たんだろうな。裁判の記事を遡っていくと、「出産」した後は急にタイトな服装にハイヒールを履くようになったとホストマザーが証言している。やれやれ、ほんとに今どきのオンナノコは何を考えているんだか。(新聞の写真を見る限りでは特に派手なコでもなさそうだけどな。)まあ、10年くらい前にカルガリーであった事件と同じように、日本のマスコミにはほとんど報道されないだろうから、たとえ有罪になったとしても、日本に帰ってしまえばごく普通のお嬢さんに戻って社会に出て行けるんじゃないかな。

さて、オタワの連邦議会では、と見ると、どうやら今夜も議事堂に「お泊り」らしい。子供の「お泊りパーティ」じゃあるまいし、何やってんだか。あ、大学生からいきなり国会議員になった連中がけっこういるんだっけ・・・。

精神論ではがんばれないこともある

6月25日。土曜日。目が覚めたらもう午後12時半。はて、そんなに寝るのが遅かったとも思えないんだけど、なぜかくたびれていたんだろうな。季節の変わり目なのかもしれない。あるいは仕事のせいかもしれない・・・。

朝食が終わったら午後1時過ぎ。議会ではまだ郵便組合に対する職場復帰命令法案の「審議」をやっている。48時間を過ぎて、どうやら引き延ばし戦術をやっている野党側の方で法案の修正案をまとめたらしい。組合は新民主党に感謝のメッセージを送ったそうだけど、これも、強大な組合の御用聞き政党みたいな印象を与えて、野党第1党としては戦略上マイナスになるんじゃないかな。ま、修正案は最後の切り札みたいなもので、政府は強気だから、採決にかけられればあっけなく否決で、元の法案が通ってしまう。たぶん、今頃は夏休みに入っているはずだった議員さんたちが二晩続けてオフィスで仮眠を取る「お泊りパーティ」に音を上げ始めたのかも。

今日は、明日の夕方が期限の仕事をひたすらまじめにやる。そのつもりで意気込んでかかるんだけど、訳語の選択がえらくデリケートなもので、神経がくたびれるし、仕事は遅々として進まないし、内容が内容なものでやっているうちになんか欝っぽい気分になって、すごいストレスを感じる。日ごろ小町横町の掲示板の書き込みを読んでいて、日本人は感情過多になって来たのか、あるいは一億総不安神経症なのか、あるいは感情を制御できなくなくなって来たのか、あるいは心身ともにひ弱になって来たのか・・・いろいろ勝手な印象を受けていたんだけど、ワタシの勝手な印象というよりは、たしかに社会全体にすごいストレスが蓄積していて、それが風船のように膨らんで行っているように感じる。(古い日本語しか知らない耳には)感情的で大げさとしか取れない表現が増えたのはその表れなのかもしれない。

それはそれで世の中の変遷と共に変わるだろうからいいとしても、今この時点でそういう感情過多とも思える表現が満載の文書を冷徹なビジネス英語を読みなれている人たちのために訳するとなると、ああ、ストレス。たとえば、「号泣」や「激怒」、「驚愕」にはもう慣れたけど、「~された」というような被害妄想的な言い回しにはなかなかすんなりと英語で表現しにくいものもけっこうある。微妙な感情表現を字面のままを訳したら大変なことになりかねないから、その用法の真意をよく考えてみなければならない。それにしても、いい大人も狭い集団になるとこんなものなのかとちょっと驚くけど、まあ、ほとんどがバブル崩壊の後の教育指導要領で教育を受けた人たちで、いわゆる「ゆとり教育」も少しは経験して来たのかもしれない。それでもやっぱり、なんか元気のない、欝っぽい人たちが多すぎるなあと思うけど、たぶん日本の社会全体が巨大な自然災害に続く原発事故による安全神話の崩壊と放射能汚染問題という、誰だって気が滅入ってしまうような、「がんばれ」という精神論では対処しきれない状況にあるからなんだろう。

かってうつ病の迷路に迷い込んで、見失った自分を求めて彷徨していたワタシには、こういう仕事はあのときの苦しい気持が思い出されて来て、すごくやりにくい。やりにくくても、そこを何とかやるのがプロの商売というものなんだろうけど、ああ、何だか早く引退したくなって来た・・・。

ニュースサイトを見たら、「郵便職員に職場復帰を命じる法案の野党修正案が否決され、元の法案が成立して上院に回された」という緊急発表。組合は上院の承認で法律として成立してから24時間以内に職場に戻って職務を再開しなければならないから、早ければ月曜日にも滞っている郵便物が動き出す。延々58時間のノンストップ審議は新記録だそうな。やれやれ、ごくろうさま。だけど、やっぱりなんだかシナリオ通りという感じがしないでもないなあ。次の週末にはウィリアムとケイトが初の外国訪問でカナダに来るから、どうせ通る法案をいつまでもだらだらと引き延ばしてるわけにはいかないでしょ。いずれはカナダ国王になるウィリアム王子に、「殿下、カナダの臣民どもは議会で何やら言い争いに打ち興じ、殿下にお目通りに参ることはできぬとのことでございます」なんて、言えるわきゃあないでしょうが。みんなケイトと握手したくてしょうがないから、この際「働くものの権利のために」なんて精神論は野暮ってことなんじゃない?

ストをしてピケを張りに行った若き日の私

6月26日。日曜日。起床は正午ぎりぎり。眠い!それでも起きる。だって、いつものごとく、今日が期限の仕事があるから、いつまでもベッドの中でのんびりしているわけには行かないのだ。あ~あ、日本にいたら今頃は隠居して年金をもらって、のんびりと・・・うん、何をしているんだろうかなあ。それにしても、何で日本では60歳で隠居できるのに、カナダでは65歳まで待たなきゃならないの?もっとも、カレシのように減額はされるけど55歳を過ぎたら隠居できる人もいる。でも、それは公務員とか郵便配達とか、潤沢な組合年金がある人の場合。まあ、60歳を過ぎた今なら公的年金の減額支給を申請できるけど、生活に困る金額になってしまうからなあ・・・。

強力な組合の後ろ盾があるっていいねえ・・・と言いたいところだけど、ワタシは労働組合が嫌い。組合に属してストをする人が嫌いなわけじゃなくて、元々統制とか団結とかいうう錦の御旗を振り飾す組織や集団に属するのが嫌いなだけ。大きな労働組合のある産業では、自動的な組合加入が就職の条件になっていることが多い。ワタシが州の法務省の事務職に就いたときも、自動的に州政府職員組合に強制加入させられて、給料日ごとに組合費を取られた。各職場にはshop stewardという職場委員とでもいう人がいて、なぜかワタシと職位が同じだったマリリンおばちゃんがその地位についてからは、ワタシが非組合員の専門職の職務をやっていると、まあうるさいこと。上司のブライアンがやってみろというからやってみたらできたもので、手不足の折(というよりも何しろおもしろかったもので)、無視してやっていたらブライアンに噛み付き、その上の上司に噛み付き、しまいには本省の偉い人にまで噛み付いた。結局は上司たちの言い分が通って、おもしろい情報分析の作業をさせてもらえることになったんだけど、民間に転職するまでマリリンおばちゃんに睨まれていた。

そういうこともあって、労働組合と言うのはあんまり仕事のできない人が頼りにするところという先入観ができてしまったかもしれない。ま、若かったから鼻息も荒かったのかもしれない。公務員になって2年目でストがあった。まあ、1980年代初めの猛烈な二桁インフレが起きる直前にベースアップ年率8%で3年の協約を結んでしまっていたもので、政府職員の組合はその協約が切れるまで他の組合が二桁の賃上げを獲得するのを指をくわえてみているしかなかった。ところが、やっと協約の終了期限が迫って団体交渉が始まったときには、超インフレの反動でえらい不況で、かなり開いていた賃金格差を取り戻そうとしてもどだいが無理な話。交渉決裂、スト突入という雲行きになって、組合の代表がストを承認する投票をするようにアピールしに来た。

昼休みにやって来たのはマリリンおばちゃんよりもっと手ごわそうな何十年選手のおばあちゃん。(今のワタシくらいの年だったけど、当時のワタシはまだ30代前半で、60過ぎはおばあちゃんに見えた・・・うはっ。)組合員の職員を集めて「演説」したのはいいけど、ちょうどまだ珍しかったワープロを導入する過程だったので、「昔、電動タイプライターが登場したときに、嫌だというのにそれまでのタイプライターからの電動に変えさせられた。今度はコンピュータのタイプライターを押し付けようとしている。断固としてユルセナイ!雇用者の専横に断固として戦おう!」とぶち上げたもので、その場はしれ~っとなった。だって、そのとき事務職の若い女の子たちは社会に出たときから電動タイプライターしか知らないし、ワープロの将来を見越して研修に名乗りを上げていたから、化石みたいなおばあちゃんが「電動タイプライターを押し付けられただけでも許せないのに!」とわめいても、「はあ?」という反応しか出て来なくて当然でしょうが。

最終的にはストに突入して、ピケを張りに来いといわれた。同じ組合だったカレシは初めから「やだ」。ワタシは初めてのことでもあるし、1週間毎日何時間か行けば(1日。分の給料にもならないけど)何がしかの手当が組合から出る(スト中は給料が出ない)ということで、スト初日に朝から行ったら、「スト決行中」と書いたパチンコ屋の宣伝みたいな看板を前と後ろにぶら下げて、オフィスの周りを行ったり来たりで、ちっともおもしろくない。おまけに日が照って暑かったもので、日陰に座り込んで、看板を日除けにして当時通信教育で勉強していた犯罪学の教科書を読み始めたんだけど、急に頭の上から「ヘイ、ユー!」。はあ?と見上げたら、ひげ面のメタボ風おやじが「立て」。とりあえず立ち上がったら、「何だ、その看板の付け方は?態度がなっとらん」と。はあ?ムカッと来てもう帰ると言ったら、「手当が出なくなるぞ」。いいよ、そんなのと、看板を渡して後も見ずに家に帰って、ストをして「ピケを張る」というワタシの体験は後にも先にもあれっきりになったのだった。

翌年だったか二度目のストが始まったときには、2人揃って同じ組合では生活に支障をきたすということで、初日の朝刊の求人欄を見て「就活」。某大手会計事務所が日本語を話せる秘書を募集しているという人材会社の広告を見つけて、速攻で応募。2週間後にストが終わったときには、2度の面接を経て採用が決まり、職場に戻っていの一番に「辞表」を提出。思えば、あのときの転職が今のキャリアにつながったんだから、ストをしてくれたことに感謝すべきかもしれないな。だからといって「労働組合」という組織はやっぱり好きにはなれないけど・・・。

結婚記念日を忘れたわけではないけれど

6月27日。月曜日。うわ、寝た、寝た。ごみの収集日だというのにワタシもカレシもまったく目を覚まさなかった。もう、爆睡どころか昏睡して、目を覚ましたら午後1時半。寝たのが4時半だから、延々9時間の熟睡。そんなに疲れていたのかなあ。まあ、カレシはきのう菜園で「農作業」をしたから疲れていたのはわかるけど、夕食後にテレビの前で2時間も眠って、それでまた9時間は寝すぎじゃないのかなあ。まあ、ワタシもなんとも気の滅入るような仕事のせいで、頭だけじゃなくて気持の方もどろ~んと疲れきっていたし、こんな風に眠りたいだけ眠れる生活ができるのは幸せだと思わないとね。

実はきのうはワタシたちの結婚記念日だった。1年間同棲しての結婚だから、満35年。最後に結婚記念日を祝ったのは銀婚式の満25年のとき。荒れ狂った大嵐が去って、壊れたもの、吹き飛ばされたものが散乱する「夫婦の情景」を前に、2人ともどこからどうやって復旧作業を始めたらいいのか模索していたときだった。夫婦にとっては節目の銀婚式を祝ってくれる子供もいないことだし、カレシの発案とお膳立てで2人きりのその日をパリで迎えた。ノートルダム寺院の壁を見上げる古びたレストランで食事をしながら、漠然と「生き延びた」という感慨を持ったのを覚えている。

生き延びたからこそ、それまでの25年を清算して新しい気持でやり直そうと思って、翌年から結婚記念日を祝うのはやめた。あれから長いような短いような10年。今は、ワタシがカナダに来て「2人の生活」が始まった5月12日。がワタシたちの「原点」を記念する日になっている。そこから起算すれば、ワタシたちはカップルとして満36年。もし満50年にたどり着けたら、盛大に金婚式を祝うのもいいかなあ。あら、その50周年までもうあと14年・・・。

まあ、ワタシたちは地盤を固めるのに25年もかかって、それから10年かけて本当の意味での「WE(私たち)」になってきたわけで、夫婦もいろいろだなあと思う。ワタシはワタシでカレシじゃないし、カレシはカレシでワタシじゃない。その別々の人格であるカレシとワタシが一緒にいて「WE」。以心伝心の夫婦じゃなくて、一心同体の夫婦でもなくて、互いに空気のような夫婦でもなくて、カレシという1人の人間とワタシという1人の人間が共有する「夫婦の人格」のようなものかな。

小町横町で、家事や育児、生活費の分担や、互いの性格や価値観などの違いでもめている若い夫婦を見ていると、この「WE」という考えが感じられないような気がする。男女平等、機会均等の旗印を翻して、自分にばかり負担がかかるのは不公平。相手にこうして欲しい、ああしてくれない。相手がどうするのが嫌、相手のどういうところが嫌。で、「離婚した方がいいでしょうか」。でも、それは「we-ness」(「私たちであること」とでも言うのかな)がまだ発達の途上だからなのかもしれないな。暴力や浮気は元から相手を尊重する気持がないわけで、いくら年月をかけても芽が出る可能性はなさそうだけど、普通に付き合って普通に結婚したんだったら、何とかなるんじゃないのかな。

うん、あんがい、ワタシたちは50年まで行き着けるかも・・・。

仕事のない日が私の週末

6月28日。火曜日。またちょっと薄暗くて、ちょっと涼しい。今日から郵便配達が再開されるというので、郵便受けを覗いて見たら、ワタシとカレシとそれぞれに税務署の所得税納付確認の明細、カタログ1件、テレビの番組雑誌。税金の明細とカタログはちょうど2週間前のロックアウト直前に投函されたものらしい。テレビ番組の雑誌は週刊だけど、前の2週間は宛名を印刷していないものが届いていた。そういえば、Maclean’sも先週同じように届いたっけ。地元のチラシを配る業者にでも委託したんだろうな。でも、2週間郵便が止まっていた割には少ないような・・・。

今日は仕事がないからワタシは「週末」。起き抜けにカレシに「何をするの?」と聞かれて、ちょっと考えて一番先に思いついたのが洗濯。しばらくやっていないから、きっと貯まっているだろうな。洗濯機のそばにあるランドリーシュートのドアを開けてみたら、うわ、ある~。そのうちに圧力でドアが開いて、なだれ落ちてくるんじゃないかと思うくらいある。覗きに来たカレシ曰く、「どうりでボクの下着がなくなるはずだ」。ふむ、自分の下着くらい自分で洗濯すればいいのに。洗濯機の使い方を教えろと言うから、デモやって教えたじゃないの。「あれからやってないから、忘れた」。やれやれ、困ったご隠居さんだなあ、もう。まっ、まずは洗濯の第1ラウンド・・・。

短い午後のひと時をネットサーフィンなどしながらのんびりしていたら、「今日はフィッシュアンドチップスが食べたいな」とカレシ。ふむ、マニトバの湖で獲れたピッカレルという淡水魚を解凍し始めたところだから、それもいいか。この魚、ウォールアイとも言うそうで、東部では五大湖産のものがフィッシュアンドチップスの定番と言う話。日本語の名前はないらしいから北米原産なのかな。身が締まっていておいしいけど、西部のこっちではあまり出回っていないから高い。我が家の「チップス」はティファールの「アクティフライ」というフライヤーで作るほとんど油を使わないフレンチフライで、魚は油で揚げずにフライパン焼きのフライ風だから、ご本家イギリスのものとは似ても似つかないしろもの。今日の「フィッシュ」はアフリカ風ココナツカレーのソースを卵代わりにしてパン粉をつけて、フライパンでさっくり。低コレステロール、低脂肪・・・。

英語教室にカレシを送り出して、またゆっくりとネットサーフィン。きのうの夫婦の「we-ness」と言う言葉についてちょっとググってみたら、もうカウンセリングなどのサイトで使われていた。なんだ、新語を作ったかもしれないと思ったのに。若いカップルの間に「WE」の感覚が薄れているらしいのは世界共通なのかな。共働きが普通の北米でもどうやら「お金の管理」が不和の原因らしい。我が家は最初から銀行の口座をすべて共同名義にして、主にワタシが管理しているけど、生活費だけ共同名義の口座に入れて、後は各自が自分の給料を管理するカップルも多い。そこで、負担率や消費スタイルでもめるのは日本の共働き夫婦とあまり変わらないような。(実際に、昔2人の同僚がそれで離婚した。)個の時代の夫婦はどこまでがちょうどいい「WE」なのか・・・。

仕事がないときは、とりとめのないことをごちゃごちゃと考えるのがけっこう息抜きになる。日本語だったり、英語だったり、そのときの関心事しだいだけど、とにかくどっちかひとつの言語で考えられるから楽ちんでいい。日本語だと、小町のトピックでなかなか「なるほど」とすんなり納得できなかったことを「分析」してみたりする。たとえば、左利きの話。矯正論者の中に食事のときに左利きの肘がぶつかって迷惑だからというのか多い。ワタシもカナダに来て初めの頃は会食のときは意識してテーブルの左端に座っていたけど、いつのまにかどこにでも座るようになっている。なぜかというと、左隣の人と肘がぶつかることがほとんどないから。左利きがごろごろいるからというわけでもなさそう。

どうしてかなと考えているうちにふと思い当たったのが「食事方法」の違い。ナイフとフォークを使う食べ方では肘はそれほど体側から離れない。茶碗を手に持って箸でご飯を口に入れる食べ方では、箸を持つ方の肘が体側からかなり離れ、しかも肘が高く上がる場合も多い。これだと、右利きと左利きが隣り合わせたら肘同士がぶつかる可能性はずっと高いように思うな。もう一方の手に茶碗なり汁椀なりを持っていたらこぼしそうで危なっかしいのもわかるような気がするな。でも、だからといって、左利きはマナー違反だから矯正しろというのは「人格否定」もいいところで、日本人の「譲り合いの精神」で十分に解決できるんじゃないかと思うけどね。

正直なところ(正直じゃなくても一目瞭然だけど)、ワタシは箸使いが大の苦手。持ち方がおかしいということはわかっているけど、とにかく右でも左でも作法通り?に使うことができない。逆に、いろんなことに不器用なカレシは箸使いがやけにうまい。十代の頃に親がチャイナタウンで食堂をやっている友だちがいて、よくキッチンの隅で食事にありついていたらしい。そのときに、もたもたしていると友だちに全部食べられてしまうので、必死であの太い中国箸の使い方をマスターしたんだそうな。ふむ、窮すれば何とかというけど・・・。

ランチの時間。おなかすいたなあ。今夜は箸もフォークもいらない魚バーガーにしようっと。

ほんとに胃袋は男のハートへの近道

6月29日。水曜日。涼しいなあ。午後2時のポーチの温度計は摂氏17度。ひょっとしたらもう夏は中止ってことにして、さっさと秋に進んじゃおうということかと思ってしまうくらい。今日も週末。なんか少しまとまった休みが欲しいような気がするから、日本が金曜の夜になる明日の夜中過ぎまで何にも仕事が入って来ないように、指を重ねておまじない・・・。

今日の「家事」はきのうの洗濯物をたたむ作業。洗濯機とドライヤーを3ラウンドで、大きな洗濯かごは(いつものことだけど)溢れるくらいの山になって、カレシに二階まで運んでもらった。いつもならここで、カレシが必要なものを引っ張り出して着たり、ついで?のときに自分のものをたたみ、ワタシもついでのときに自分のものや、タオルなどの共通のものをたたんで、だいたい3日。か4日。くらいでかごが空っぽになる。ま、今日はワタシの週末だから、主婦ぶってまじめに洗濯物をたたんでしまうところへしまう。ただし、カレシのものはそっくり残しておく。イジワルもいいところだけど、ここでワタシがたたんでしまうと、次からは「なんだ、やらなくてもいいのか」ということになってしまうから、男女共同参画(つまりは夫の教育)上、あまりよろしくない・・・。

今日の夕食は前にスティーブストンで4匹5ドル(約400円)で買って来たヒラメかカレイ。Soleとして売っていたからヒラメなんだろうけど、実はどっちかよくわからない。口先がとんがって、かなり獰猛な顔つきをしている。向かい合って睨めっこをしたら、目は右寄り。これって「カレイ」だよねえ。でも、ヒラメとカレイの写真を探して見比べてみたら、色も形も何だかヒラメっぽいような。どっちなんだろう。ま、どっちでもいいんだけど、薄っぺらい魚にしてはやったらと骨が硬い。頭を切り落とすにしても北欧系の細身の魚おろしナイフは歯が立たなくて、キッチン鋏を持ち出して、えい、やっ。本には初心者には5枚下ろしは難しいと書いてあったので、尾ひれを切り落としてそのまま料理することにした。日本風の姿蒸しを勝手に脚色して、浅いロースターにねぎとしょうがと日本酒を入れて魚を載せ、ホイルで蓋をしてオーブンで蒸し焼き。できたところで、お酒と醤油に赤ピーマンやねぎ、しょうが、えのきを入れて作った野菜ソースをかけてできあがり。けっこうおいしくできた。それにしても、ヒラメだかカレイだか知らないけど、骨太だなあ・・・。

それでも、昔は魚の小骨を嫌がったカレシも、魚が主食になってもう何年(もう3年?)も経って、小骨の5本や10本はへっちゃらになったから、すごい。経済的な価値観の問題もさることながら、国際結婚では「食」の嗜好の違いが大きな軋轢となるケースが多いらしい。小町にも、夫の好みはピッツァやフレンチフライやフライドチキン、あるいは肉食中心で、妻が手をかけて作る(日本の)家庭料理を食べてくれないというトピックがよく上がってくる。昔から「胃袋は男のハートへの近道」といわれるけど、夫の国の料理が好きになれなかったり、ときには食文化や育った家庭環境を見下していたりすることが多いように思える。まあ、それがなくても「食」は毎日のことだから、嗜好の違いが夫婦関係の大きなストレス要因になっても不思議はないな。あんがい、夫の方もどこかの掲示板で「妻に日本食ばかり食べさせられてうんざりしている」と愚痴っているかもしれないけど。

カレシは、好みの程度には温度差があっても、何国料理でもとにかく食べる。ワタシとの結婚の許可をもらいに初めて日本に来て、OKが出てから我が家に泊まるようになったとき、母は朝からカレシを日本食攻めにした。娘のために「婿」の胃袋とハートのつながり具合を試したのかもしれないけど、カレシは出されるものを全部おいしいと言って食べたので、きっと100点満点の合格だったろうな。極めつけは、ほとんど言葉が通じない2人がスイカが大好きということですっかり意気投合してしまったことかな。母が他界して30年になるけど、カレシは未だに「生まれて初めておいしいと思って食べたのがキミのお母さんの料理だった」と言っている。まあ、カレシのママは料理嫌いだし、それに子供の頃は食べるのがやっとの貧乏だったから、おいしいものへの関心が育たなかったとしても、それは状況としてしかたのないことだったと思うけどね。

考えてみたら、ワタシたちが「食」に関して(お金に関してもだけど)けんかをしたことがないのは、あのときの母の「試験」のおかげかもしれないな。ワタシの料理にカレシがいちゃもんをつけた記憶がないし、生のエビとウニはどうしても食べられないけど、あとはどんな魚も目玉さえ睨んでいなければ問題なし。ワタシが好奇心半分で買って来ては思いつきの料理にするエキゾチックな魚にも動じることなく、おいしいと言って食べてくれるから、台所を預かる主婦にとってこんなに楽なダンナさんはめったにいないだろうなあ。洗濯物、たたんであげようかなあ・・・。

日本は暑すぎ、こっちは涼しすぎ

6月30日。木曜日。6月最後の日。2011年もあっというまに半分が終わってしまったということだなあ。何だかすごく疲れる6ヵ月だったような。なんかいろいろとありすぎたんじゃないかと言う気がする。ありすぎて精神的エネルギーが追いつかないような感じだけど、あながち年のせいばかりでもなさそうな・・・。

今日は朝からウィリアムとキャサリンのカナダ公式訪問のニュースでもちきり。総督公邸前でのスピーチではウィリアムが一部をフランス語でやってみせて、(本当はぺらぺらだと思うけど)「これからもっと上達しますから」とやって笑わせ、歓迎に集まった群衆と握手、握手。人垣の中に高々と抱き上げられた赤ちゃんを見つけて、長身のウィリアムがぐっと手を伸ばし、赤ちゃんの手を指でつまむようにして「握手」したのは絵になっていたな。明日はカナダの建国記念日「カナダ・デイ」で、首都オタワでの「カナダの誕生日」の祝賀行事に参加するそうな。

あしたは祝日で、金曜日だから三連休。この2日。の間にカナダドルがまた急激に上がったから、国境はアメリカへ買い物に出かける車の列で、日本ならお盆のラッシュのような光景になるんだろうな。復活祭のときは最長4時間待ちだったそうな。ふむ、4時間もあったらシアトルまでぶっ飛ばして帰って来れるけどな。もっとも、ほとんどが途中のベリングハムという町にある「ベリスフェア」という大きなショッピングセンターを目指す。1970年代半ば頃にカナダドル高の時期があったときは、72時間の免税基準を満たすために駐車場にRVを止めてキャンプする人たちがいたっけ。あの頃は免税枠の金額が少なくて、それも年1回だけで、ケチだなあと思った。現在は日帰りが1人50ドルで酒類は除外、48時間以上の滞在で400ドル、7日。以上で750ドル。年1回の制限がなくなったから、連休のたびに国境が混雑する。でも、いつまでも見えて来ない国境に向かってインフレ率を押し上げるほど高騰したガソリンを燃やしながらのろのろ進む車の中で4時間って、ちょっと想像がつかないなあ・・・。

さて、さっさと月末処理をしてのんびりしようと、請求書を作るために、まず仕事のログを整理する。エクセルで2001年から記録があるから、これもちょうど10年。今年はやっぱり仕事量がかなり減っている。売上高も去年の3分の2で、1990年以来最低の年だった2003年の6月末とほぼ同じ。分野によっては仕事量が激減したと言う人たちもいるし、やはり大震災の影響なんだろうな。古狸クラスになっていれば、付き合いの長いお客さんが倒れない限りは、全体のパイは小さくなってもまだ仕事にありつけるだろうけど、まだ翻訳会社の優先?下請けリストの上の方に載るほどの実績がないない新進はつらいかもしれない。ま、フリーの自営業は山あり谷ありの連続だから、ここが踏ん張りどころだけど。

これから節電が本格化して企業の稼動パターンが変わったり、猛暑などでいくら節電しても足りなくて、結局は「計画停電」をやらざるを得ないなんてことになったら、さらに影響があるかもしれないな。もしも、去年のような酷暑になって、暑さのために体調を崩して休む人たちが増えたら、仕事のやりくりも大変になるるかもしれないな。日本の夏のあの蒸し暑さは過酷だもの。福島原発でこのところ人為的ミスが重なっているらしいのは、現場で作業をする人たちの心身のストレスと疲労が人間の限界を超え始めているということじゃないのかな。もしもそうだったら、ふとした一瞬の誤操作で取り返しのつかない大事故が起こりかねないと思うんだけど。

クールビズなんてヘンなファッションでしゃれたつもりの政治家や東電のエライ人たちには顔が見えないから現実感がないかもしれないけど、あの人たちは生身の人間。ロボットじゃないんだから、過労や精神的なストレスや睡眠不足が限界を超えたり、熱中症になったりすると判断力が鈍ってくる。そういう状況で起こった事故をうっかりミスが原因だと責めるわけには行かないような気がする。あの厳しい環境で働いている人たちの心身状態がそんな危機的な状況になっていなければいいと、心から祈らずにはいられない気持ちになる。

のんびりと連休を楽しむつもりでいたら、あら、また置きみやげ仕事。やれやれ。東京は今日も真夏日だって。と言うことは30度?水銀柱がいくら力んでも20度に届かないこっちに、その暑気を少し分けてもらいたいくらいだなあ。(湿気は大の苦手だからいりません・・・。)


2011年6月~その2

2011年06月21日 | 昔語り(2006~2013)
今日はストウブの小鍋とイタリア食材

6月11日。土曜日。いい天気。きのうパンを焼いておくのをケロッと忘れてしまったので、今朝はベーコンとミックスきのこをソテーして、カレシ特製のスクランブルエッグといっしょにイタリアンのハンバーガーバンにはさんで、名づけて「エッグ・マクマフィーノ」!

きのうのホッケーの試合はカナックスが何とか勝って、スタンレー杯獲得まであと1勝の王手。グランヴィルとジョージアの主要道路が即席歩行者天国になったダウンタウンには何と10万人ものファンが集まって、試合が終わった後もバンドが入ってのストリートパーティが夜中過ぎまで続いたらしい。ニュースを見たら、ほんとに道路は建物の壁際から壁際まで人でいっぱいで、それが見える限り続いているからすごい。(Vancouver Sunから写真を拝借。これはグランヴィルの風景・・・↓)
[写真]
こういうところへ酒類を持ち込むのは禁止で、見つかるとその場でドボドボッと下水溝に空けられてしまうんだけど、10万人も集まってそれが200件足らずだったそうだから、お行儀のよさはもっとすごい。第6試合は月曜日。カップを持って帰って来るかな・・・?

今日はレクリエーションを兼ねたショッピングデイということになって、まずは西の方のWilliams Sonomaへ空になった炭酸水のカートリッジを交換してもらいに行き、ついでにル・クルーゼの鍋を見てみることにした。日本では相当な「ブランド品」になっているらしいけど、重すぎることと、あの派手な色が好きになれないことで、デパートで見ても関心がわかなかったのが、小町のあるトピックで少なからぬ人たちが「ご飯をおいしく炊ける」と書き込んでいたので、急に使ってみようかなという気になった。なしにろ、2人分の「付け合せ」のご飯にする米は1合の計量カップの半分なので、電気釜を使えないから鍋炊き。だけど、ステンレスの鍋だと蓋がポコポコと踊ってしまって、蒸気は逃げるし、レンジは糊っぽい水はねだらけ。そこで大きなガラスの計量カップをさかさまにして載せて重しにしてみたら、かなり改善されはしたけど、まだ蓋の周りにぶくぶくと水が吹き出して来てしまう。ル・クルーゼのあの重さなら蓋も重いだろうから、書き込みの通りにご飯をおいしく炊けるかもしれない、とちょっと期待して・・・。

棚にずらりと並んだ色とりどりの大小のル・クルーゼ。一番小さいのは18センチくらいで、底の面積が大きいから少量のご飯を炊くには向かない。手頃なのはないのかと、別の棚に回ったら、メーカーが違うけど似たような商品がいろいろあって、そこで目をつけたのが14センチの片手鍋。ル・クルーゼよりは少し深めで、底がやや小さくなっているから、これなら半合の米でもうまく炊けそうかな。Staubというフランスのメーカーで、後で調べたらこれも日本ではブランド品扱いらしい。(値段を見てル・クルーゼよりも高くてぎょっとしたから、ほんとに高級ブランドなのかもしれないけど。)たしかに重い(蓋をすると2キロ半くらい)けど扱いにくいほどではなかったので、地味な赤いソース鍋をご飯炊き用に買って、ショッピングその1は大収穫・・・。

その2はず~っと東の方のBosa Foodsというイタリア系食品卸会社の小売店。オリーブ油やパスタやバルサミコ酢やチーズやソーセージ・・・イタリアの食材がある、ある。ラベルにイタリア語しか書かれていないものもある。常連になるなら、イタリア語を勉強しようかな。ポルチーニの丸ごと冷凍パックがあって、食指が動いたけど今回はパス。行きつけのIGAが置かなくなった黒トリュフ入りとポルチーニ入りのきのこのペーストがあった。使い切ってしまっていたからうれしいな。スペイン産のサフランは0.5グラム入りで4ドルとは安い。クレジットカードが使えないということで、手持ちのキャッシュで買えるだけ買い物をしたけど、カレシはマティニに使うピメントを詰めたオリーブの2リットル瓶を買ってホクホク。いったい何杯のマティニが作れるかな。

バンクーバーには大きな中国系スーパーがあり、韓国系スーパーがあり、イタリア系スーパーがあり、ギリシャ系スーパーがあり、オーガニック・スーパーがあり、日系の海鮮問屋の店があり、探せばその他いろいろな民族系の食品店もあって、食道楽にとっては幸せ。これで酒類の販売制度がもっと自由だと言うことなしなんだけどなあ・・・。

たんぱく質と野菜とでんぷんと

6月11日。新しい鍋を試してみるのが待ちきれなくて、さっそく発芽玄米を炊いてみた。使用説明書に急に高い温度にしてはいけないと書いてあったので、まずは蓋をせずに水が沸騰するまで少しずつ温度を上げて行って、煮立ったところでレンジの温度を下げて、蓋をした。最初のうちは何となく蒸気が出ているように見えたけど、蓋はじっと鍋の上に載ったままで、うんともすんとも言わない。おお、もう重しはしなくてもいいってこと・・・。

[写真] オヒョウのポルチーニ味ムニエル、イタリア風鍋炊き玄米、青梗菜とミニトマト

買って来たばかりのポルチーニ入りのきのこペーストを魚に塗って、小麦粉をまぶしてソテー。ポルチーニは香りの強いきのこで、白身の魚の淡白な味にアクセントをつけてくれる。ムニエルにすると、きのこのペーストがフライパンに焦げ付かずに「クラスト」になる。

炊き上がった玄米はたしかにおいしい。戻したポルチーニきのことトーストした松の実を混ぜて、白トリュフ風味のオリーブ油をちょっぴり垂らしてみたら、イタリア風ご飯。

青梗菜はちょっと蒸しすぎだったけど、たんぱく質、野菜、でんぷん質のトリオがそろった簡単メニュー。バーバラのキッチンでいっしょに料理をしたときに、しきりに「Protein and veggie and starch(たんぱく質と野菜とでんぷん)」と言うので何のことか聞いてみたら、娘のアーニャが今2歳半の双子にたんぱく質(肉や魚)、でんぷん(いもや穀類)、そして野菜をまんべんなく食べさせるために、食事のたびに歌うように言う「食育のおまじない」ということだった。好き嫌いのない子供に育てるのって、大変だものね。特に「恐るべき2歳」と言われる時期だからよけいに大変。(もっとも、夕食は料理が趣味のお婿さんのブライアンの担当になっているらしいけど。)

どうやらバーバラも娘たちが遊びに来るたびに聞いているうちにアーニャの魔法にかかり、それを聞いていたワタシも魔法にかかってしまったらしい。でも、おいしい魔法はたっぷりかけて欲しいかな。

やれやれの1日が暮れたような・・

6月13日。月曜日。ごみ収集日なんだけど、よっぽどぐっすり眠っていたのか、1回しか目が覚めなかった。いつもならリサイクル車とごみ収集トラックの往復で3回は目を覚まされるんだけどな。最近やけに効率が良いらしいシリコーンの耳栓をしているカレシはまるで天使?のごとくすやすや。寝なおそうか・・・なんてつらつらと考えながら時計をみたら12時15分。きゃっ、冗談じゃない。

今日の夕方が納期の仕事、まだかな~り未処理のページが残っている。推定の訳上がり語数から見ると楽々のはずだったんだけど、どういうわけか遅々として進まない。おかげできのうは丸々1日。、うんうん言いながらの作業。ま、財務関連の分野と言ってもいろいろあって、投資を業としている人が決算報告を書いたり訳したりすると何となく「投資案件のご案内」みたいになってしまうらしい。ん?と思って立ち止まっては、「株を売るときはそう言うんだろうけど、いくら儲かった(損した)という勘定のときはこう言うんだってば~」と突っ込み、株屋さん特有の仲間内語が出てくると、「そんなの、読む人にはわからないってば~」と毒づきながらの作業なもので、何度も読み直して文脈を確認するから時間がかかるし、ワタシの商売用の脳中枢の同時翻訳機能は脱線しまくり出し・・・。

朝食もそこそこに作業を再開して、まあ何とか間に合いそうなめどがついたと思ったら、別のところの編集者から「ファイルはまだ?」のメール。え?ええ?まだかって、期限はまだじゃなかったの?ところが、予定を書き入れてあるカレンダーを見たら今日の夜だけど、元のメールの期限をチェックしたら「日本時間」で今日。現実の日本時間はとっくに「あした」になっている。あああ!時差の換算を間違えたか、書き入れる日付の欄を間違えたか・・・。脳みその「緊急司令塔」が猛烈な勢いでそろばんを弾いて、これだけの量だから所要時間はこれくらいで、編集にはこれくらいの時間が必要そうで、最終的な期限までにはあと何時間あるから、こっちを仕上げてから超特急でやっつければまだ間に合うぞ・・・。

さっそく「ごめんなさいメール」を飛ばして、まずは報告書を仕上げて送り出し、すっぽかした仕事をリニア新幹線並みの猛スピード(ってどれくらい速いか知らないけど)で仕上げて、「お待たせしましたぁ~」。時計を見ると午後5時半。ああ、やれやれ、どっちも間に合った。一瞬、ボケの兆しかと思ってしまったけど、何しろ、丸い地球の上で太平洋のど真ん中の日付変更線をはさんでのこっちとあっち。ちょっと見にはハワイの向こうの日本の方が「きのう」のような感じがするけど、標準時はその丸い地球を逆方向の東へ東へと進んで行って、日本につく頃は「あした」になっているからややこしいったらない。まっ、どっちにしてもそそっかしいポカミスというところなんだけど。それにしても、こういうアドレナリンの出し方は体に良くなさそうだから、気をつけないと。

送信を確認して、「死ぬかと思った~」とけっこうはしゃぎながらキッチンに上がったら、ありゃ、夕食のメニューを考えるのもすっぽかしてしまって、食材が出ていない。あわててフリーザーから出したところで、カレシはとっくにマティニを作る気満々になっているから、手っ取り早く刺身をと思っても解凍している時間がない。パスタでも作るかと思ったけど、ゆうべのランチでとびこのパスタを食べたしなあ・・・と冷蔵庫に首を突っ込んでいたら、豆腐が目に付いて、100ワット級の電球がポッ。インゲンを蒸し器にかけ、エリンギとしいたけと平茸をスライスして炒め、豆腐を4枚に切って小麦粉とコーンミールを混ぜた衣を薄くまぶしてフライパンで焼き、醤油とお酒とみりんで適当に照り焼きソースを作ってこんがり焼けた豆腐にかけ回し、ついでにふと思い立って、冷凍庫に常備してある茹でエビをころころとフライパンに放り込んで・・・豆腐の照り焼きステーキのできあがり。ああ、やれやれ・・・。[写真]

あたふたとやっているうちに、ホッケーの優勝戦第6試合が始まり、ブルインズがばたばたと得点して、あっという間に4対0。いいのかなあ、カナックス。お尻に火がついているよ。もう後がない、崖っぷちだよ。雨がちの天気の中をダウンタウンに集まったファンも、今日ばかりは早々に引き上げる姿が目立ったとか。そうだろうな。カレシもさっさと中継からニュースにチャンネルを変えてしまったし、バンクーバーのスポーツファンにはいわゆる「fair weather fan(勝っているときだけのファン)」が多いから。まあ、どっちに転んでもあと1試合で長い、長いアイスホッケーのシーズンが終わる。やれやれ・・・。

ワタシの言語脳のしくみはどうなってるの?

6月14日。火曜日。目を覚ましたら午後12時半。まあ、かなり慌てたきのうと違って、今日は夕方期限のやり残し仕事がないし、そもそも仕事そのものが予定に入っていないもので、脳みそも体もみんなたがを外して、安眠、快眠の爆睡というところ。脳も体も休めてやらないとね。あの鉄人みたいなイチローだって、「休め」と言われて一試合先発を外されたら、調子が戻って来たようじゃない?

外は天気が思わしくないし、カレシは今夜の英語教室の教材を作ってしまったというので、朝食の後、2人してキッチンのテーブルでコーヒーを飲みながらだらだら。そのうちに、今カレシがはまっているらしい英語学習者が質問するサイトの話になり、それがいつのまにかカタカナ語の話になり、取得した外国語の日常での使用比重が高まると母語にどんな影響があるかと言う話になった。小町などでカタカナ(英)語の論議になると、必ずと言って良いほど「長く英語で暮らしていると、つい英語が混じってしまう」と、言い訳とも自慢ともつかない書き込みがある。まあ、この「長く」の定義がないから、言葉遣いなどからそういう書き込みをする人の推定年令を考えると、英語暮らしの密度にもよるけど、おそらくは1、2年、長くてもせいぜい数年というところかな。このあたりが異国生活のいろんな面で一番「揺らぎ」が出てくる時期だろうと思うから。

ま、ここでは「カタカナ英語」と言うから、カタカナで表記されて、発音が日本語化した英語由来の言葉を言うんだと思うから、母語である日本語で話をしているときに「つい」英語が混じってしまうというのはまったく別の次元ではないかと思う。いつのまにか本来の日本語を駆逐して常用語になってしまう(しまった)外国語由来のカタカナ語も、ほとんどの日本人が理解できるという点で、日本語としての市民権を得たといえるだろうから、別にイライラするようなことでもないだろうな。問題は、分野が何であれ、英語圏の文化や文献でもてはやされている言葉を良く消化せずに、普通の日本人にはまだ言葉も概念もなじみが薄いことを承知の上で、そっくりカタカナにして使うことだろうと思う。これは「つい」と言う流れでは到底できることじゃないと思うんだけど。

実際のところ、自分の日本語の語彙の中に根付いているカタカナ英語以外は、とっさにカタカナ化して発音しようとしてもそう簡単にできるもんじゃない。カレシに小町のトピックで挙げられていた例を説明するために英語の会話の中にカタカナ英語を日本語発音で入れようとしても、なかなか簡単には行かなくて、自分でイライラしてしまった。聞いていたカレシが、「なんだ、それ?日本語よりイタリア語だよ」と笑い出してしまったけど、英語では語尾が子音でも、カタカナ語になると母音が加わるから、アクセントが後ろへ移動して、イタリア語のような感じになってしまうのかな。長いことどっちも楽々だったのが、何年か日本語はしゃべるのも聞くのも嫌という心理状態に陥った時期があって、やっとその迷路をを抜け出してすなおに話せるようになったと思っていたんだけどな。ふむ、怪しくなってきたのかな、ワタシの日本語。まっ、英語しか話せないカレシにワタシの日本語の発音がおかしいと言われても、それが何か?ってところだけど。

ところが、カレシに頭の中では英語と日本語のどっちで考えているのかと聞かれてはたと考えた。英語は36年間ずっとワタシの日常生活語だったけど、カナダに来て最初の2年以外は日本語も主に仕事で毎日普通に使っていた。出不精な2人が揃って巣篭もり状態のこの10年は、テレビの日本語チャンネルを契約していないせいもあって、耳と口は日本語からご無沙汰だったけど、目と手は毎日ちゃんと日本語を操って、人並みに稼いできた。要するに、英語も日本語もそのときそのときの思考言語として機能しているってことでしょ?だから、キップリングが「東は東、西は西」と言った通り、英語は英語、日本語は日本語、交わることなき2つの言語ってことじゃないのかなあ。

だけど、カレシはなおも「それは英語なら英語、日本語なら日本語に反応してしゃべるってことで、言葉が出てくる前の思考言語はどっちなんだと聞いてるの」と突っ込んで来た。あのさぁ・・・と言いかけて、よくよく考えてみた。目が覚めてから寝るまで24/7で英語。だけど、ブログを書き始めたのはいつも頭の中でぶつぶつと日本語で聞こえていたからだった。ひょっとして、頭の中ではいつも日本語で考えていて、それを無意識に「同時通訳」して英語でしゃべっている、なんてことはありえるのかなあ。だから、こうやって日本語モードのときにカレシが話しかけて来ても、日本語を打ちながら普通に英語で返事ができるのかな。そんなことってありえるのかなあ。ヘンなことを聞くから、頭がわやわやになって来た・・・。

でも、ちょっと待てよ。まだ母語も取得していない赤ん坊は何語で考えているんだろうな。親の声を聞いて、「あ、この物体はワンワンというのか」とか、「し~し~と言われたら放出していいんだな」という風に母語を覚えるんだろうと思うけど、その過程での「思考言語」は何なんだろうな。人類共通、いや、大脳を持つ生物すべてに共通する「ニューロン言語」のようなものがあったりして。コンピュータが「考える」のに使うバイナリコードみたいなものかな。一度、誰かに聞いてみたいなあ。誰か、いない・・・?

ホッケーシーズンのトホホな終わり

6月15日。水曜日。いい天気。のんびりと起きて、ゲートの郵便受けを見に行って、郵便は来ないんだったと思い出した。きのうの夜からカナダポストが全国でロックアウトに出たもので、郵便配達は全面的にストップ。ま、広告チラシだの何だの見もしないものがどさどさと来なくなるから、リサイクルのブルーボックスが溢れなくていいか。

今日はホッケーのスタンレー杯決勝戦の第7試合。これがほんとに最後の試合。ダウンタウンでは正午に主要道路が閉鎖されて、もうすごい数の人が集まっている。昼のニュースも特別にダウンタウンからの放送というはしゃぎぶりで、試合開始は午後5時過ぎなのにすごい盛り上がり。まあ、17年ぶりのチャンスだから熱狂はわかるし、地元のチームだからやっぱり勝って欲しい。だけど、どこかの店がまるでアメリカでハリケーンが上陸するときのように、ショーウィンドウやドアを合板で固めているのを見たときは、や~な予感・・・。

きのうの閉店間際に飛び込んできた急ぎの仕事をちゃっちゃと片付けて納品したら、後はのんびり。カレシが菜園から収穫してきた大量のビーツの葉とほうれん草の葉とえんどう豆を洗って、どうしようかと思案。結局、ほうれん草はランチの鍋焼き風うどんの材料にすることにして、ビーツの葉とえんどう豆をディナーに使うことにした。午後5時を過ぎて、特大のマティニを片手に夕食の支度。カレシは第1ピリオドでブルインズが先制点を取ったところで「これは負けるな」ともうギブアップ。プレーの流れを見ているとだいたいわかるんだそうな。んっとに良いときだけファンなんだねえと言ったら、「シーズン中のいい試合に興味はあるんだ」そうな。

第2ピリオドが終わって、3対0で敗戦街道まっしぐらの様相。ダウンタウンの群衆も敗戦を予期して引き上げる人たちが出てきたらしい。カレシが下りてきてラジオをつけたら、ちょうど試合が終わって、もちろんカナックスの負けで、三度目の正直の夢は成就しなかった。残念だけど、それが勝負の世界ってもんだからね。17年前のときは最後の最後の延長ピリオドまで粘って惜敗したけど、今回は良かったのは最初の2試合だけで、後はレギュラーシーズン1位だったチームとは思えない試合ばかり。前回はあれだけがんばったのに、負けたら暴動が起きたけど・・・と、取りとめのない話をしていたら、ダウンタウンで着ていたカナックスのユニフォームを脱いで燃やしているファンがいるというニュース。今夜は危険な満月だし、なんだかや~な予感・・・。

負けたら起きるだろうとは思っていたけど、やっぱり暴動が起きた。ダウンタウンにみんなで応援するファン・ゾーンを設けて、去年のオリンピックの感動を呼び戻そうと言うアイデアは良かったかもしれないけど、オリンピックの群衆がみんな感動して、行儀よく楽しんだからと言って、プロスポーツの優勝決定戦に集まる群衆も同じように感動して楽しむだろうと考えたのがそもそもの間違いの元だったんじゃないかな。オリンピックでは老若男女家族連れが集まって「カナダ」の国威発揚に熱狂したけど、プロスポーツはローマ時代の剣闘士の現代版みたいなもので、男たちが応援するチームの勝敗に自分のエゴを重ねているようなところがあって、(アルコールやドラッグの影響もあって)煽れば煽るほど、その思い入れが高じる傾向があるように思う。つまり、オリンピックの群衆とはまったく性質が違うわけで、そこに大きな計算違いがあったんじゃないかという気がする。

まあ、カナックスはNHLのフランチャイズになってまだ40年だけど、NHL創設チームで100年近い歴史を持つブルインズにとっては実に39年ぶりの「悲願」の優勝。そういう結果でよかったんじゃないのかな。カレシはプレーオフ前に「今回優勝できなかったら永久にできない」と言っていたけど、優勝戦のたびに暴動が起きるなら、いっそのことできない方がいいのかも。とにかく、去年10月に開幕して、レギュラーシーズン6ヵ月、俗に「第2のシーズン」と呼ばれるプレーオフシリーズ2ヵ月半の長い、長いホッケーシーズンがやっと終わった(9月にはもう次のシーズンの前哨戦が始まるんだけど・・・)。

ホッケー暴動から一夜明けて

6月16日。木曜日。いい天気。目が覚めてからしばしの間いちゃいちゃだらだら。ワタシは仕事の予定がないときが週末で、週1回のボランティアの英語教室をやってるカレシはいわば週休6日。制。しなければならないことが何にもない日もいいもんだ。どっちからともなく「おなかすいた。起きるか」ということになって、正午ぎりぎりに起床。気温も上がってきたようで、どうやら初夏の気候。

テレビをつけて昼のニュース。きのうの「スタンレー杯暴動」では中心街のグランヴィルやジョージアの通りに面するデパートや銀行やブティックが軒並みショーウィンドウを割られて、略奪にあい、エレクトロニクス製品の多いLondon Drugsなどは相当な損害を被った一方で、量販書店のChaptersは本棚を倒されたりしたものの、商品の被害はそれほどではなかったという話もある。暴れていた連中は本なんか読まない低脳ボーイズってことを証明しているような。コーチの店からごっそりバッグを略奪して行くところを写真に撮られたのは女性。警察は情報サイトのクレイグスリストに広告が上がると見ている。でも、写真があるからそれよりも前に身元が割れて逮捕されるかもしれないな。

1994年のホッケー暴動のときは、まだカメラつき携帯もソーシャルメディアも存在しなかったから、警察は暴動シーンの写真の提供を呼びかけ、集まった写真を一般公開して「容疑者」について情報提供を呼びかけたところ、大半は身元がわかって、窃盗罪や器物損壊罪で逮捕された。あれから時代は大きく変わって、今回は警察が専用のEメールアドレスを設けたし、暴動に怒った人たちがフェイスブックやユーチューブのアカウントを作って、写真をアップロードするように呼びかけ、相当な数の写真やビデオが集まり、その閲覧数も膨大な数字になっているとか。たしかに、暴動に加わらないでうろうろしていた群衆はみんな携帯のカメラを構えていた。たいていは顔を隠していないどころか、ネットで自慢するおバカもいるらしいから、「証拠の写真」には事欠かないだろうな。

でも、火付け役の「アナキスト」の身元が割れないことには、市民はおさまらないと思うな。オリンピックの開会前にも小さな暴動があったけど、人が集まるイベントがあると出て来て暴れたがる活動家を自称する若者の集団がいて、今回も火炎瓶などを持参していたらしい。(ライターなどではあれほど一気に車を炎上させることはできない。)彼らは何でもかんでも「反対」で、イベントに合わせて「アンチ貧困」になったり、「アンチグローバル化」になったり、「アンチ肉食」になったりする。要するに、暴れて警官隊と一戦を交えて「官憲と戦うオレってすごい」と陶酔したいだけで、人権や自由のために運動する活動家とは似ても似つかないただの反社会人間。

聞くところによると、試合前に人が集まり始めた頃からすでに何かが起きそうな危ない雰囲気が漂っていたらしい。優勝を賭けた最後の試合と言うことで、ダウンタウンを埋めた群衆は10万人とも15万人とも言われる。カナックスの負けが濃厚になった第2ピリオドの終了後に、酔っ払ったり、ドラッグでハイになっている若者たちの動きに危険を感じて早々に引き上げた人たちも相当な数いたという話だった。現場からニュース放送をやっていたキャスターも始めの6試合のときにはなかった異様な雰囲気が感じられたという。つまり、カナックスが勝ったとしても暴動は起きたということかな。オリンピックで大量動員された警備体制がないのに、オリンピックの感動を再現しようとして、膨大な群衆を集めて、盛り上げた市長にも批判が集まっているけど、その群衆をさらに煽って盛り上げたメディアにも責任はあるかもしれないな。

一夜明けて、明け方にはダウンタウンの清掃のボランティアを募るページがフェイスブックにでき、早朝から1万5千人の市民がゴミ袋やほうきやバケツを持ってダウンタウンに集まって市の清掃作業を応援し、午前中には9割がた後かたづけが終わったという。ボランティアには女性が多く、「私たちの街が荒らされて悲しい」と黙々とガラスの破片を拾い集めていた。合板を貼り付けたショーウィンドウには市民が「暴徒はカナックスのファンなんかじゃない」、「これはバンクーバーじゃない」、「カナックスは名誉ある準優勝、暴徒は最低の最悪」と言ったメッセージを次々と書き込み、大きな寄せ書きができているとか。警察署には市民から花束やクッキーやドーナツが労いのメッセージと共に続々と届けられているという。暴動の最中にも、多くの携帯カメラが危険を顧みずに「ここはオレの街だ」と暴徒を止めようとしたり、略奪を防ごうと暴徒の前に立ちふさがった勇敢な市民たちを捉えていた。

そうなんだ、バンクーバーの市民にとっては世界での観光都市バンクーバーの評判が落ちたとか、恥ずかしいとか言う問題じゃない。市民60万人が「我が街バンクーバー」を、おそらくはここに住んでもいないであろう連中に傷つけられたことを悲しんで、怒っているのだ。

愛郷心はいいけど愛しすぎは困る

6月17日。金曜日。どこかでパンカパンカという音がしていて、けっこう早く目が覚めた。リズムからするとバングラかな。パンジャブ州の「盆踊り」みたいなもので、冠婚葬祭のたびに村全体が集まってやるものらしい。(ボリウッド映画に必ず出てくる群舞シーンみたいなものかな。)まあ、我が家は、この頃は寂れつつあるとはえ「パンジャブマーケット」と呼ばれるインド系(厳密にはシーク教徒が多数のパンジャブ系)の商店街に近いもので、「南アジア人」(インド系の最近の呼び方)の人口はまだかなり多い。たぶんどこかの家で結婚式でもあるのかなと思っているうちに、また眠ってしまった。

寝る前に仕事のメールがなかったので、100%遊びモードの週末だ!と喜んでいたのに、メールを開けたら別のところから置きみやげ。今年は震災の影響で企業の決算報告が遅れているところへして、そろそろ震災関連のいろんな文書が出始めて来て、これから忙しくなるのかもしれないな。定年と老後が目の前に迫っている年令って、けっくお「遊びたい年頃」じゃないのかなあと思うけど、お客さんにはそんなこと「関係な~い」。うん、ごもっとも。まあ、フリーの自営業ってのはお客さんにこき使わせて「あげる」ほどお金になるようなところもあるから、そこは持ちつ持たれつで、「もうだめ」の線引きが難しいだけの話。来年の今頃は年金受給申請書を書いているかもしれないのに、どうするつもりなのかなあ、ワタシ。すぐに仕事人生から引退するかどうか。何だか、不安要素が満載のカレシと結婚すると決めたときの方が何倍も簡単だったような気がするな。ま、あの時は若かったもので、あまり深く考えなかったんだけと・・・。

昼のニュースを見ていたら、ゆうべダウンタウンに出動した警官が止めておいたパトカーに戻ってみたら、フロントガラスに「ありがとう」のメッセージがべたべたと貼られていたという話。付近を巡回していた警備会社の人によると、ひと晩中通りかかった誰かが感謝や激励のメッセージを書いてはペタッと貼って行ったそうで、バンクーバー市警は剥がすのも何だからとパトカーを本部に牽引したら、話を聞いた市民がやって来て前にも後ろにも、しまいにはバンバーにまでどんどんポストイットを貼り付けるもので、警察署のお偉いさんまで感激して目がウルウルになってしまったとか。[写真](地元紙The Provinceから拝借)

やっぱり暴動はバンクーバー市民にとってそれほどのショックだったんだよね。地元の新聞サイトにはダウンタウンの清掃に駆けつけた市民ボランティアの写真を「これが本当のバンクーバー市民」と題して載せていたけど、「容疑者」としてあちこちのサイトに写真を載せられた暴徒のほとんどが白人の20代か30代の男なのに対して、ボランティア清掃部隊は男女を問わず、若者から老人まで、多民族都市バンクーバーを形成するあらゆる民族の顔がある。だって、バンクーバーは60万人の半分近くがいわゆるVisible minority、つまり白人以外の人種で、総合病院でボランティア通訳を募ったら名乗り出た職員が話す言語が100以上あったというくらいの多民族都市なのだ。そんなバンクーバーを「わが街」として愛する市民が心底からバカどもに怒っているんだと思う。

すでに数人が自首して来たそうだけど、暴動や略奪の「容疑者」の写真を見て通報しようとする人があまりにも多くて、とうとうバンクーバー市警のサーバーがダウンしてしまったという。この「My Vancouver」への過剰とも見えるような感情の発露こそがオリンピックの遺産じゃないのかなと思う。ワタシだって、あばたもえくぼもすべてをひっくるめて、ここはワタシが愛してやまない「私のバンクーバー」なんだから、この街の白人、中国人、韓国人、インド人、フィリピン人、ベトナム人、アラブ人、カリブ人、南米人、黒人、先住民その他の存在が気に食わないんだったら、そういう人たちが目に付かない他の土地に行くか、カナダ人じゃないんだったら母国に帰るかしてくれと言いたくなるときがあるもの。ただし、「わが街」を愛する気持が高じすぎて、市民の間に「ヴィジランティズム」(自警主義)と呼ばれる風潮が出て来たら、バンクーバーは息が詰まりそうな、窮屈でネクラな市民社会になってしまいかねない。

ま、今度ダウンタウンで大群衆が集まるイベントをやるときは、少なくとも(月光に当たると気がふれるという)満月の夜は避けた方がいいと思うな、うん。

思いつき料理は作る人の特権

6月17日。天気が良くて、いかにも初夏らしい光なんだけど、気温はどうしても平年よりやや低め。この仕事はあした、こっちの仕事はその次の日と、一応の算段をしておいて、後はひねもすのんべんだらりの遊びモード。

今日は何を食べようかなあと、フリーザーの蓋を開けて思案。ちょっとしたコース料理もいいけど、今日は何となくめんどうくさい気分。刺身の残りのビンナガまぐろの塊あるので、ぼたんえびといっしょに手っ取り早くグリルにしようか・・・。

まあ、最初の目論見どおりの料理が出てこないのが極楽とんぼ亭の特徴で、そろそろ夕食の支度をしようかという時間になって、えびを蒸してみようと思い立った。頭を取って、殻をむいて、たまたま冷蔵庫に残っていたにんにくと唐辛子のペーストを日本酒で溶いて下味をつけておく。(何匹かはそのままシェフの口へ。う~ん、とろりとして甘い。ま、お味見は作る人の特権ということで・・・。)

[写真] ぼたんえびのチリ蒸し、まぐろとナスのグリル、ミックスご飯(赤米、タイ米など)

普通に売っている米ナスはやたらと大きいけど、近郊の農場で温室栽培したものが出回るようになって、これが2人が食べるにはちょうど手ごろな大きさ。今日はちょっとアジア風だから、オリーブ油の代わりにサラダ油を塗って、一番先にグリルにかける。まぐろの塊は思いついて細長く4本に切り分け、塩を振らずにグリル。ふと思いついて、白の炒りごまとシソのふりかけを別々に広げておいて、焼けたマグロを2本ずつ転がし、さいころに切ってみた。後は軽く5分ほど蒸したえびをナスの上に載せて、今日の想定外メニューは何とかサマになった。

ビンナガまぐろの味とシソの味がぴったり合っていたから、ふりかけも使いようでグルメ調味料にもなるという新発見(でもないのかな)。

たがの締めどころを間違えてない?

6月18日。土曜日。夜来の雨で、気温が下がって、湿っぽい天気。そのせいなのかどうか知らないけど、静か過ぎて、正午過ぎまでぐっすり眠ってしまった。(寝る子は育つ、と言われるあたりがちょっと気になるけど・・・。)

テレビをつけたら、若い男が泣きながら謝っていた。パトカーの給油口にぼろを突っ込んでライターで火をつけようとしている自分の写真を見て名乗り出たらしい。遠い郊外に住む高校生で、将来のオリンピック候補と言われる水球選手だそうだけど、「雰囲気に飲まれてしまった」そうな。それにしても、近頃はたがの締りの悪い人間が増えているのかと思うくらい、「みんなやっている」ことに流されて「たが」を外す人が多いなあ。何だかんだと足掻いた挙句に結局辞任に追い込まれたアメリカの連邦議員もその例なのか。名前に引っかけて「ウィーナーのウィーニー」と揶揄されていた。ウィーニーというのはウィンナーソーセージのことだけど、男の「あそこ」を意味する卑語でもある。ツイッターやフェイスブックが自分の延長のようになって、考えながら使うことを忘れたのかもしれない。頭で考えないから、つい雰囲気に流されてしまって、後で後悔するということか。ひょっとしたら、22世紀か23世紀の歴史の教科書に、「21世紀は理性のたがが緩んだ世紀だった」なんて書かれていたりして。

やれやれという気分で小町を見渡したら、『左利きの子供』というトピックが上がっている。またかいな。このトピックは定期的に上がってくるような気がする。何でも左手の2歳の子供。直すべきか、そのままにすべきか。書き込みを読んでみると、前は左利きは「見苦しい」、「他人に不快感を与える」、「箸を右で使うのは日本のマナー」と言ったヒステリックな感じさえする「矯正派」が多かったけど、今回は「放任派」が多いようで、ずっとお前には左利きがもてはやされた時期もあったように、また社会の風向きが変わってきたのかな。でも、左利きを「直す」とか「矯正」するとか言う右利きにはちょっとムカつくな。宗教的な理由もないのに左利きを容認すべきかどうかで唾を飛ばして議論をするのは日本くらいのものじゃないのかな。左利きが「不都合はない」と言っているのに、右利きは「不都合なはずだ」と譲らず、しまいには「不都合がないと言うけど、右利きを経験したことがないでしょう?」と言うのにいたっては、おかしくて笑いが止まらなかった。なんだ、左利きには右手を使う方が不都合なんだと、ちゃんとわかってるじゃないの。

つまるところ、矯正派の右利き主義者には左利きの人を見ると自分が「不快感」を覚えるから直すべきと言っているようなのが多い。生足を見ると気持が悪くて不快だからサンダルでもストッキングを履け。すっぴんは見苦しくて不快だから外へ出るときはメイクをしろ。アタシを不快にさせるのは何でも非常識、マナー違反・・・と言うのと同じパターンで、左利きを見ると(自分が)違和感を覚えて不快だから右利きになれということなんだろうな。要は、自分と違う人間の存在が「不快」なんだろうと思う。そういう人は概して自己を受け入れられないでいるか、あるいは他人を自分が描く「自分像」に押し込もうとしているような、つまり、自分のたがを他人にはめようとしているようなところがある。いやいや、ストレスになるはずと心配してくれるのはありがたいけど、左手を(ときには右手も)使って普通に人生を送っている左利き人はほんっとに不都合を感じないんだってば。

放任派は、利き手を変えるのは子供にとってストレスになったり、吃音障害が起きたりするからしない方が良いという。左手でうまくできることを言うことを聞かない右手でするというのは、脳の配線も変えなければならないから、発達途上の子供の脳には過酷なストレスになる。親が強制すれば、物理的なストレスの上にさらに心理的なストレスがかかる。ワタシも母に強制的に右手を使わせられて、吃音障害を起こした。そこで母が慌てて矯正をやめたおかげで、曲がりなりにも箸と鉛筆だけは右で小学校時代を過ごしたけど、いつも右手を使うのは不自然だ、「自分」ではないと感じていたから、ワタシの性格にも心理的に大きな影響が残ったと思うな。中学の体育の授業で右手に怪我をしたときに、自分の意思で完全な左手使いになったのは、人生で最初の「英断」だったかもしれない。

吃音障害のことを考えているうちに、ふと、日本語を話したくない時期があったのは、実は、「吃音」のように喉で詰まってうまく出て来ないために話したくなかったのかもしれないと思った。他人が求める「理想像」という、本来の自分と違う「型」にワタシをはめ込もうとする圧力の締め付けの苦しさが、どこかで左利き矯正で本来の自分の利き手ではない右手の使用を強制されたトラウマと重なって、同じような「言葉がつっかえる」現象が起きたのかもしれない。かといって、確信があるわけじゃないけど、どうもそんな気がして来た。(なにしろ、ワタシは「オレ様的圧政者」には抵抗する性質だから、そのときのストレスは大きい・・・。)

まあ、角を矯めて牛を殺すということわざの通りで、人間も無理な利き手変更の強制は良くない。いっそのこと、右利きも左利きも、全員そろって両刀遣いならぬ「両手遣い」になるように訓練したらいいのにな。だって、21世紀はどっちの手も柔軟に使えるほうが絶対に便利だから。

ネット空間にも群集心理が蔓延するのか?

6月20日。月曜日。あしたはもう夏の始まり(太平洋標準時夏時間午前10時16分に夏至)だというのに、相変わらず冴えない気候。まあ、ちょっとばかり平年より涼しいおかげでよく眠れているのかもしれない・・・というのは相変わらずの極楽とんぼ流思考だけど、普通ならそろそろイチゴ摘みの家族でにぎわっているはずに郊外の農場では肝心のイチゴがまだ青いままなんだとか。まあ、まだひと晩中ベッドルームにあるクーラーをかけたままで寝る日がないし、寝る前にクーラーをかけることがあまりないから、まっ、節電になっていいんじゃないの。電気料金は上がる一方なんだし・・・。

きのうは徹底的な「仕事日」。量的にたいしたことないやと高を括ったのが運の尽きで、なんだかややこしい学問の話。言っていることはイメージできるけど、一般的に学問の翻訳仕事は大学に行ってその分野の勉強をしなかったワタシにはやっぱり難しいことが多い。そこでよ~しと腕をまくってしまうワタシもワタシなんだけど、今はネットで検索すれば基礎的なことはわかるし、Google Scholarでいろなんな論文を検索することができるし、めったに使うことのない「文部省学術用語集」(訓令式ローマ字なのが痛いところだけど)を引っ張り出すこともできるし、20年以上の間に蓄積した自分なりのデータベースもある。でも、いつも一番難しいのは原稿の日本語の「解読」。あのね、やたらと今回の、今回のっていうけど、5年後には「今回」じゃないかもしれないでしょうが。でも、筆者が今その全霊を注いでいる事例なんだから、「今回の~」で誰もが「ああ、あれか」とわかる(はず)ということなのかな。

と、またしても2つの言語、2つの思考文化の隙間にガチンと挟まって悶々とするワタシ。終わった頃にはいつもの2倍の寝酒が必要なくらいにくたびれちゃったよ、もう。おまけに、カレシ相手にああだこうだと愚痴っているうちにソーセージを丸々1本食べちゃったし。あれ、なんだか晩酌しながらカミさん相手に仕事の愚痴を言っている中年おじさんサラリーマン夫に似てなくもないような。(人間て、一番エネルギー消費を要求されることについて一番愚痴が多いんじゃないかと思うけどな。)まあ、科学は下手の横好き的に大好きだし、「門前の小僧」流にいろんなことを見聞させてもらえるのがせめてもの救いだけど、年を取ってくると、こうやって互いにあさっての方を向いている言語の間を取り持つ太鼓持ち稼業は、いくらボケ防止の効果があると言われても、やっぱりしんどいなあ・・・。

ホッケーの後の暴動で、パトカーに火をつけようとしているところを撮られた写真を公開されて名乗り出た高校生は、未成年の17歳ということで法律で普通なら名前を公表できないことになっているんだけど、父親と相談の上で裁判所に出向いて自らの名前を公表する許可をもらい、新聞に長い謝罪声明文を掲載した。文章はしっかりしていて、なかなかしっかりした子じゃないかと感心したんだけど、世間はどうもそう思わなかったらしい。裕福な家庭の子で、親が弁護士を雇ったということもあるのか、弁護士の助言でしたことだろうという反応が多かった。それだけですまなくて、誰かが住所をSNSに載せたもので、脅迫状が届いたりして、父親は仕事を臨時休業にし、一家は急遽どこかへ「休暇」の名目で避難したという。なんとなく気持が落ち着かなくなるような展開だな。暴動の興奮を煽ったmob mentality(群集心理)が、今度はソーシャルメディアなどのネット空間に蔓延りつつあるような気がして、ちょっと怖い。

厳罰を求める世論調査の分析結果は、社会全体に「怒り」が充満していると表現していたけど、どうも最近は怒りだけじゃなくて、得体の知れない欲求不満や不安を抱えて、感情の抑制ができなくなっている人たちが多いような感じがする。暴動や略奪(悪)の対極(善)として大きく報道された合板の寄せ書きやパトカーへのメッセージの貼り付けも、ある意味で群集心理のなせる業じゃないのかな。今はストレスの多い社会だからと言われればそれまでだけど、たとえば、相手がまったく知らない不特定多数だったり、知っていても直接向かい合っていないネット空間では驚くほど大胆になる人たちがいる。匿名性やプライバシーの盾の後ろに隠れて、自分を嵩上げしたり、嘘八百を並べたり、他人に言葉の暴力を浴びせたり、中傷や誹謗で他人の人格や生活を破壊したりするのは、おそらく生身の相手が目の前にいるときはそういうことをしたくてもできない人間なんだろうと思う。そういう人間が群集心理を煽ってヴィジランティズムを蔓延らせるようになると、ネット社会は無法地帯になってしまいかねない。なんか、だんだん怖いことになって行っているような気がするんだけど・・・。


2011年6月~その1

2011年06月11日 | 昔語り(2006~2013)
衣替え、弛んだ筋肉を締めないと

6月1日。水曜日。寝たのは午前4時半すぎ。なぜかそろそろ寝るかという頃になっておなかが空いて、スモークサーモンの「トリム」を肴に寝酒。(トリムは超薄切りパッケージににするときに大きさをそろえるために切り落とした部分で、油の乗ったトロの部分なんかめっちゃおいしいし、おまけに規格外品だからめっちゃ安い。)さすがに6月。空の色が「夜の暗黒」から「曙」直前のおぼろ気に光を含んだ濃い青になる頃に就寝。そうだよなあ、あと3週間で夏至だもん。

やっと何となく夏が来るのかなあと言う気がしたもので、今日は「衣替え」。といっても、いつからが春で、いつからが夏で、いつから秋になって冬が来るのか皆目はっきりしない土地柄なもので、夏冬の衣料が通年でクローゼットに同居している人の方が多いかもしれない。ワタシもだいたいはそうなんだけど、全部まとめて突っ込んでおくにはスペースが足りない。そこで、季節が確実に移ったなと思ったときに、(七部袖の薄いものとか)夏冬の中間的なものを残して、山ほどあるTシャツの半袖と長袖を入れ替える。入れ替えながら、今年はタンクトップを着るような暑い夏が来るのかなあと考える。あと3週間で夏至なのに、夏、来るのかなあ・・・。

ついでにシーツも保温性の良い冬用のフランネルから肌触りがさっぱりした夏用のパーケルのものに「衣替え」。5月いっぱいフランネルのシーツで暑くなかったんだから、ほんとに今年の春がえらい低温だということは確か。この「衣替え」というやつ、中学・高校時代に「ある日」をもって全校一斉に夏冬の制服が切り替わったんだけど、その「ある日」というのが校則で決められていて、外の天気模様にはとんと関係なし。夏服になったのはいいけど教室で寒さに震えていたり、冬服になったら暑くて大汗をかいたりで、校長だって教師だって、毎日の天気から「衣替え」の時期かどうか判断できそうなもんだと思ったけど、たぶん、誰も判断したくない、かといって生徒に判断させたくもないから、何月何日という「衣替えの日」を決めてしまえと言うことかな。

それにしてもワタシの夏のワードローブ、なんかタンクトップやタンクドレスが多いなあ。トップは襟ぐりが深め出し、ドレスは膝上だし。ラスベガスのシルクドゥソレイユのギフトショップで買ったクレイジーなミニドレス、まだ着られるかなあ。なにしろおチビのワタシは普通の店にはめったに置いていないサイズ(4号/XS)なもので、気に入ったものはよけいに手放すのが惜しくなってしまう。ちなみに、北米の4号を換算すると日本では7号、イギリスでは6号、ヨーロッパでは34号なんだそうな。ヨーロッパの34というのはおそらくバストのサイズがベースなんだろうと思うけど、日本で7号ってのはほんとかなあ。日本にいた二十代の頃はたしか9号/Mサイズだったような気がするんだけど、7号ってSサイズに入るんじゃないのかな。ワタシ、そんなに小さくないし、もちろん細くもないんだけど。いつの間にかサイズの編成が変わったのか、ワタシが年を取って縮んでしまった(まさか!)のか、どっちなんだろう。まっ、暑くなるまでにちょっと弛みがちな筋肉を引き締めておくのが良策かな。

地元紙のVancouver Sunが州内80軒以上のファストフードやチェーンレストランのメニューをアイテムごとに、カロリーや脂肪、トランス脂肪酸、ナトリウム、炭水化物、砂糖の量を分析したFatabaseというのを載せている。(レストラン名やメニュー項目のキーワードで検索できる。)その中で、「殿堂入り」に値するくらいのびっくり数字が出たのがA&Wのルートビール・ミルクシェイク(大)。ラージというだけあって1リットル近い大きなジョッキで、なんと1720カロリーもある。しかもコーラ6缶分に相当する砂糖が入っていて、脂肪47グラム、トランス脂肪酸も5グラムで、おまけにナトリウムが1200ミリグラム(1日。の許容摂取量の半分)。その上、「ミルク」シェイクなのに牛乳の加工成分は入っていても、肝心の「ミルク」は入っていないんだそうで、その代わり乳化剤だの何だのすごいものがずらり。これに「おじいちゃんバーガー(チーズ入り)」を付けると合計2530カロリー。さらに定番のフレンチフライ(大)を付けると合計が3000カロリーを超える。成人の目安はだいたい1日。2000カロリーなので、1回の食事で1日。半分のカロリーが取れてしまうんだからすごい。というか、考えただけで胃がもたれて、胸焼けがしてくるな。

このハンバーガー、フレンチフライ、飲み物の定番3点セットで3000カロリーだから、これにあと2食分のカロリーを加えたら、いったい1日。でどれだけのカロリーを摂っていることやら。こんなんだから肥満が蔓延して、メタボ病が増えるんだと思うけど、そんなすごい量を食べられる人がたくさんいるから商売が成り立っているということでもある。いや、ワタシだったら、いくら腹ペコでもそんなに食べられないな。風船みたいに膨らんだカエルのごとく、パンッと破裂して昇天してしまいそう。大の大好物をたらふく食べてぽっくり逝くんだったらまだしも、ハンバーガーとフレンチフライじゃあ、死んでも死に切れないような・・・。

ホッケー熱は40度を超えて重症

6月2日。木曜日。雨模様。せっかく衣替えして「夏来るらし」の気分だったのに、また「異常低温」に逆戻り。世も末ってわけじゃないだろうな、ほんとに。ま、シーツだけ夏物に変えて、毛布は冬物の純毛のままで、その上にベッドの半分のサイズの純毛のスロー毛布をかけておいたので、寒くはなかった。それでも、正午のポーチの気温はやっと10度。それでほんとに6月なのっ?!

昼のニュースを見ながら朝食。ニュースはきのうのホッケーの試合で持ちきり。ダウンタウンは警察の推定で4万人のファンで埋まったそうな。それでも、ごくごくマイナーな問題がいくつかあっただけだというから、ストリートバーティの楽しみ方がわかったのかもしれない。ケッサクだったのは、カナックスのバロウズとブルーインズのベルジュロンがもみ合いになって、バロウズが相手の指に噛み付いたという話。ベルジュロンがグラブを外していかにも「指を噛まれた~。いてぇよ~」と言うように指を突き出して見せているのがケッサク。たしかにバロウズが口に入ったグラブを噛んでいるように見えるけど、あのごっついグラブをカブリと噛んだところで、中の指は痛くもかゆくもないんじゃないかと思うなあ。ボストンはバロウズの出場停止を要求したけど、いくらなんでもばかばかしくて、バロウズはお咎めなしということになった。目ざとい人がさっそく「ホッケー・フィンガー」と言うスナック菓子を売り出したのもケッサク。

決勝戦の対戦相手がボストンに決まって、州内の「ボストンピッツァ」チェーンが一斉に看板の「ボストン」に線を引いて、「バンクーバーピッツァ」と改名?したと思ったら、フレーザー渓谷を奥へ入ったところにある「ボストンバー」という町が6月いっぱいは「バンクーバーバー」に改名することにして、ハイウェイ脇の看板に「新町名」の看板をかけたと言うニュース。ボストンバーは今こそは見る影もなく寂れているけど、その名の通りマサチューセッツ州ボストンから金を掘り当てようとやって来た人たちが開いたゴールドラッシュの町。ホッケー熱に便乗して観光客誘致を図ろうということらしい。はて、他にもまだあるかな、ボストン・・・?

プロスポーツのプレーオフのシーズンになると対戦相手の都市の市長同士が賭けをする伝統みたいなものがある。たいていは1日。とか負けたほうの市長が勝った方のチームのユニフォームを着るといった他愛のないものだけど、ときには話題性を狙って知恵を絞った賭けになることもある。何年か前にカルガリーとの試合でバンクーバーが負けたときは、当時のバンクーバー市長が真夏のカルガリーに出かけて行って大汗を書きながら道路のアスファルト舗装をやっていたし、ナッシュヴィル・プレデターズとのラウンドでは、バンクーバー市長宛てに数キロもある大きなハムが届いたと言う。そこで、ボストン市長とは何を賭けるか。誰かが派手なグリーンのスパンデックスに全身を包んでアリーナに出没するGreen Menの仮装をやってもらおうと提案したらしい。まあ、アメリカでも格式と伝統を誇るボストンの市長だから、そこまではやれぬと拒否されたという話だけど、ちょっと悪乗りのし過ぎだな。ウェストコーストは自由奔放なところなんだけど、それでももう少し品格のある賭けを考えつけないのかなあ。

ホッケーのついでで、「えっ」というような偶然のできごとが話題になっている。ことの始まりは、ウェストバンクーバーでエドモントン・オイラーズの若手スター選手ブルーレがトラックで走っていて親指を立ててヒッチハイクしている2人連れに遭遇し、その1人がロックバンド「U2」のボノにそっくり。でも同情していたガールフレンドが「ボノがこんなところでヒッチハイクしているわけがない」と信じてくれない。少し通り過ぎたところで「危ない」と渋るガールフレンドの説得に成功して、回れ右。まだ親指を立てていた2人を拾ってみたら、正真正銘のボノだった。ブルーレの愛犬といっしょに後部席に座ったボノと連れを(どうやら別荘があるらしい)ホースシューベイまで送り届ける間に、水曜日にエドモントンでコンサートがあるから舞台裏へ来ないかと誘われ、持っていたカナックスの試合のチケットを手放して、ガールフレンドとお母さんを伴ってエドモントンへ。チケットに憧れのボノのサインをもらって、ホッケーのスター選手ブルーレがティーンのようにはしゃいでいるのがかわいかったけど、それにしても、すごい偶然・・・。

さて、今日はまた閉店間際に飛び込んできた超特急の仕事。野菜が底をついて来たから買いに行くはずだったんだけど、とにかく仕事のあると気が「営業時間」ということで、ねじり鉢巻で時計を横目に格闘。まあ、普通の倍の料金を払ってくれるそうだから、格闘のしがいもあると言うもの。どのクライアントもこうだったらうれしいけど、でも、そうなったら1日。10時間で月月火水木金金のワーカホリックに戻ってしまいそうだから、生活と健康のためにはそうならない方がいいかな。最近よくお目にかかる「ワーク・ライフ・バランス」というやつだな。だけど、かけ声は大きいけど、その実践には日本の客筋が難儀しているくらいだから、下請けの自営業にはもっと難しいなあ。在宅稼業だから、人知れず適当にサボることはできるんだけど、サボりすぎたらご飯が食べられないから、やっぱりバランスというものを考えないと・・・。

おたふくは日本古来のハッピーフェイス

6月3日。金曜日。よく眠って、それでも寝たりない気分で起きたら、いやあ、いい天気。6月なんだもん、こうでなくっちゃ。(せっかくの好天の週末なのに、メールをチェックしたら、また月曜日と火曜日が期限の超特急のおきみやげ2つ。う~ん、へんな癖をつけてもらっては困るんだけどなあ。でも、日本の協会の掲示板を見たら、震災以来仕事が激減したと嘆いている人たちがけっこういるから、仕事がある分、ぜいたくは言えない。それはわかってるんだけど、閉店間際のおきみやげだけは、なんとかしないと・・・。

朝食もそこそこに、今日はヘアカットとカラーリング。カレシはアントニオに「散髪」をしてもらいながら、アントニオの庭に植えてあるイチジクの苗木をもらう話をしている。イチジクは傷みやすいらしくて、店に出て来るときはすごい値段になるから、自分の家の庭で採れたら最高だな。イチジクのジャムを作ってみようかなあ・・・なんて、取らぬ狸の皮算用。ワタシはまず色あせたハイライトを入れ直して、白髪を隠してもらう。うん、さすがに白髪が増えたな。ま、そういう年なんだからいいんだけど、明るいワインレッドのハイライトを入れるとそこかしこにヘンに白いのがあるとじゃまっけなのだ。だから、全体が女王様のようにすてきなシルバーになるまでは白髪は退治しないとね。

カラーが入ったところでヘアカット。鏡に移る自分の顔を見ていたら、いやあ、なんともいえない「おたふく顔」だなあ。うん、まさに子供のときにお正月に遊んだ「福笑い」のあのおたふくの顔。おたふくは「お多福」と書いて、昔からたくさんの福をもたらす顔と言うことになっていたらしい。つまりは、日本古来の「ハッピーフェイス」ってことかな。ふくよかに微笑むおたふくさんは日本のモナリザ・・なんてことにはならないだろうなあ。なにしろ、長い時代の移り変わりと共に、小顔だのデカ目だのとアニメチックな顔がもてはやされるようになって、今では日本のオリジナル・ハッピーフェイスは「ブス」の代名詞みたいなことになってしまっているらしい。自分の顔だからというわけじゃないけど、平安絵巻を見ても女性はみんなおたふく顔に描かれているから、あんがいこれが正統派の日本女子の顔なんじゃない? 

先に終わったカレシが先に帰って、次のアントニオのお客は髪もひげもまるで1年も野宿していたんじゃないかと思うくらいに伸び放題でもじゃもじゃ。のっぽで毛糸の帽子をかぶっているから、何となくヒッピーがそのまま年を取ったような感じ。それが、なのだ。白髪交じりの髪を短く刈って、ひげをきれいに整えたら、あら・・・。大学教授か何かのような、知性派のおじさまに変身。こういうのを「いぶし銀のような」と形容するのかな。ほれぼれするような、しぶくて、品があって、ちょっとセクシーな中年のおじさま。50代かな?ちょっぴり年を取ってからのショーン・コネリーみたいで、さすがのワタシもうっとりと見とれて目の保養。(カレシが帰った後でよかった・・・?)

おめかしが終わった後は、カレシに迎えに来てもらって、野菜類をどっさり仕入れて、帰ったらもう夕食の時間。カレシ菜園のビーツの葉をきのこと一緒に炒めて、カジキを焼いて、おとといの豆サラダの残りを添えて、何を思ったか買いおきのブータンの赤いお米でご飯を炊いて、今日の夕食はなんだかすごい大盛りだこと・・・。

最近は世界の珍しい米が小さなパックで手に入るようになって、物好きなワタシはさっそく試し買い。このブータンの赤い米は一見して玄米のように硬そうだったけど、普通の白米と同じくらいの時間で炊けて、甘みや粘りは少ない。前に炊いてみた発芽玄米と同様に「ご飯」が苦手なカレシも気に入ったようすだから、また買って来よう。聞くところによると、日本でも米作が始まった古代には赤い米を食べていたそうで、ワタシにはこういう古代の赤や黒の米の方が好みに合うんだけど、いつから白い米のご飯が主流になったんだろうな。食の歴史もその国の文化の歴史と結びついているはずだから、調べてみたらおもしろいかも・・・。

海賊船とぼたんえびとホッケーと

6月4日。土曜日。おお、やっと季節にふさわしい好天。絶好のお出かけ日和だ。朝食のテーブルについて、昼のテレビニュースを見ていたら、ダウンタウンはすでに人がどっと繰り出して、ホッケーの試合前のストリートバーティが始まっている。試合開始は5時なんだけど、すごいフィーバー。

今日はイアンとバーバラを誘って、スティーブストンのフィッシャマンズウォーフまでぼたんえびを買いに行くことになっていた。ファーマーズマーケットや帆船祭りもあるので、天気もいいことだし、かなりの人出を覚悟して、朝食を済ませてから川向こうのリッチモンドに住む2人をピックアップ。スティーブストンはリッチモンドの南の外れで日系カナダ人のふるさとみたいなところ。昔は缶詰工場などが並んでいたあたりは、今はレストランやみやげ物やがあって、ちょっとした行楽スポット。週末の遅いランチの時間と言うこともあって、家族連れがぞろぞろ。まずは岬の公園まで歩いて、4隻並んだ帆船を見物。「レディ・ワシントン」といういかにも昔風でかっこいいのは、英語
の「パイレーツ・オブ・カリビアン」の撮影に使われたものなんだそうな。思ったよりも小さい。アトラクションで1日。に1回か2回、もう一隻と大砲をぶっ放しての「バトル」をやるらしい。チケットを買えば実際に船の中を見られると言うので、長~い行列ができていた。 

気持のいい海風に吹かれながら、公園からフィッシャマンズウォーフまで歩き、漁船が並んでいるドックへ下りて行って、まずはモノの下見。大きなグレープフルーツくらいの生きたウニ。これは買っても扱いに困るなあ。昔1週間ほど日本からホタテ養殖の指導に来た漁師さんたちの通訳としてバンクーバー島に出張したことがあって、ランチの時間といえばパブに入り、夜はホストの家でわいわい飲んでの楽しい仕事だったんだけど、そのうちの1日。は「休養」と称して船釣りに出かけた。時間的に遅かったのでサケは釣れなかったけど、ちっちゃな島に上がってスナック。そのとき漁師さんたちが海の底にウニを見つけ、網ですくい上げてポケットナイフでパカッと2つに切って「はい」と渡され、ワタシは目を白黒。でも、殻から指ですくって食べたウニは絶品だったな。(牡蠣の養殖場に行ったときは、オーナーが浜で海から引き上げたばかりの手のひらほどもある牡蠣を開けてくれたけど、あれも海水の塩味が絶妙だったな。同行通訳にはそういう思いがけないご利益があった・・・と脱線。)

生きたエビを売っている船では、触手がヒラヒラと動いているのが1ポンド12ドル(約500グラムで千円くらい。)だけど、ちょっと高いし、生きているのは処理に困りそう。冷凍すればどうせ死んじゃうわけだしということで、別の船をのぞいてみる。サケを売っている船も何隻かあるけど、今はシーズンじゃないから冷凍もの。船上で急速冷凍したエビを売っている船もあったけど、手がかかっている分単価は高い。まあ、ぼたんえびはこのあたりは今が漁期だから、わざわざ冷凍したものを買う必要ないし・・・。結局、ドックの端の方の船で大きいのを3ポンド(20ドル)、別の船で小さいのを2ポンドで10ドル、ついでに別の船でカレイを4匹(5ドル)の買って、トートバッグはずっしり。今日は大漁、大漁・・・。

イアンの提案で、ビールを飲みながらホッケーの試合を見て、夕食と言うことになり、2人の家に戻って、買い物をバーバラの冷蔵庫に詰め込んで、チップをかじりながらホッケー見物。ワタシとバーバラの応援の方がおしゃべりに夢中の男たちよりもにぎやか。第2ピリオドが終わったところで、バーバラとエビの頭をむしって、背わたを取る作業。同点で終わった第3ピリオドの後で調理するだけのところまで用意して、延長ピリオドが始まるからテレビの前へ・・・と思ったとたんに男たちが歓声。なんと開始後11秒でカナックスがゴールを決めてシリーズ2勝目。やれやれ、気をもませる連中だなあ。まっ、落ち着いたところで、バーバラが付け合せにする野菜を蒸し、冷凍してあったご飯を電子レンジで温めている間に、ワタシはガーリックとレモンでエビのバターソテーを作り、おしゃべりをしながらの夕食。おしゃべりをしながらのデザート。そしてまたしばしおしゃべり。

帰ってきたらもう11時過ぎ。さて、これから2キロ半もあるエビを冷凍処理しなくちゃ。[写真]

今日は1日。中目いっぱい遊んだ分、明日は大車輪で仕事だなあ・・・。

有機栽培なら安全というわけでも

6月5日。日曜日。今日もいい天気。(日陰の)ポーチの気温は正午で20度。きのうはよく遊んだおかげで、よく眠って、すっきり目が覚めた。ワタシは元々効率的に日焼けするタイプなもので、ゆうべ少し赤くなっていたVネックの胸がもうほんのりと日焼け色。夏は近い。きのうはほんとに楽しかった。ドックで飛行機を見上げていたワタシがカメラの方を見てポーズを取らないうちにカレシが撮ってしまった写真。サングラスにジーンズ、たまたまそろって横じまのTシャツ(そしてワタシは野球帽)といういでたちの「おばちゃんコンビ」。ふむ、ヘンな人に挨拶されちゃったりして・・・。

きのうはホッケーの決勝戦第2試合で、ダウンタウンでは7、8万人が集まったそうな。写真を見たら、グランヴィル・ストリートは歩道も車道も人、人、人。朝からストリート・パーティをやっていたせいもあってか、相当に酔っ払った人も多かったらしい。顔にカナックスのロゴを塗ったりして、動物みたいな奇声を張り上げているのはまだかわいい方で、街灯によじ登ったり、ビルの屋上や看板の上に登ったりするおバカが続出して、警察も消防も大忙しだったらしい。たいていが二十代くらいの男というのが定番なのは、今どきの時代相を反映しているんだと思うけど、どうやら荒れることはなかったようで、ひと安心。チームはけさチャーター機でボストンへ向けて経った。ボストンでの2試合のうち1試合は相手に勝たて、地元バンクーバーに戻っての第5試合で優勝ということになれば劇的だと思うけど、そうなったらダウンタウンの人出は10万人ではきかないかなあ・・・。

ドイツで起きた大腸菌汚染はドイツで生産したモヤシらしいという話。ほんとうにそうだったら、容疑者にされたスペインのきゅうりはえらい迷惑だな。スペインの野菜類をそっくり輸入禁止にしたところがあったり、EUの野菜を輸入禁止にしたところもあったりで、どれが危ないのかわからないから、全部まとめて拒絶すれば安全ということか。カレシ曰く、「モヤシを育てる水が汚染されていたら危ない。有機農業だって、完全に熟成していない堆肥だったら、細菌類が生きているから危険なんだ」と。家庭菜園でも自家製の堆肥を作る人が増えているけど、そのうちにしっかりした知識がないままで大腸菌による食中毒になる人が出てくるかもしれないな。そんなことになったら、プロの農家がしろうとの生兵法で損害を被ることになりかねない。知識は力なりというけれど、「みんながやってる有機栽培を我もやってみん」というのが一番怖いような・・・。

我が家ではカレシがよくブロッコリやレンズ豆のもやしを作る。特にブロッコリのもやしは栄養価が高いそうで、ワタシの大好物。キッチンのカウンターでスプラウターという底がメッシュになった専用の容器に種をまいて作る。毎日1回か2回、水道の水をかけてやるだけで手軽なのはいいけど、それでもうっかりするとカビが生えてしまうことがある。キッチンでふた付きの小さな容器でやってこれなんだから、大がかりな設備で大量の水を使って作る市販のもやしはあんがい危険度が高いのかもしれないな。殺虫剤や除草剤のような農薬を使わない有機栽培だといっても、作物が必ずしも「安全」というわけではないということで、いいかえれば、農薬を使わない分、細菌汚染が起きる可能性が高いということもありえる。抗生物質や抗菌剤をやたらと使って来たせいで、バイ菌は薬に対する耐性を高め、無菌状態で育つ人間の方はバイ菌に対する抵抗力が弱まる。感染症の治療薬はますます強いものが必要になって、そのうちに薬を使った人間の方が死ぬくらいの強さでないと効き目がなくなるかもしれない。そんなことになったら、人類にとっては最悪だと思うけど・・・。

隠し通せると思うのがまちがいのもと

6月6日。月曜日。今日もいい天気。正午前にパッと目が覚めた。日本時間で朝一番に期限の仕事がある。残りの量からして、う~ん、ギリギリかなあ。だから、よけいにのんきに寝てられない。さっと起きて、ベーコンとポテトとマッシュルームのソテーにカレシ特製のスクランブルエッグでしっかりと腹ごしらえ。コーヒーマグを手に、そそくさとオフィスへ出勤、20秒・・・。

時計を横目に、せっせとキーを叩く。ちょっとした「不祥事」の報告書をちょくちょく持ち込んでくる会社だけど、たいていはほんとにちょっとした「ポカミス」で、たぶん上司に叱られて一件落着となりそうなもの。そんなうっかりチョンボを防ぐための処置が品質管理の分野でときどきローマ字で登場する「ポカヨケ」。でも、生身の人間のやることだから、どんなに細かく規定したマニュアルを作っても、ポカミスはなくならないし、逆にマニュアル化が進めば進むほど増えて行くような気がしないでもない。そういえば、だいぶ前に原子力発電所での事故防止のための「人間信頼性解析」ツールなんてものを訳したことがあったけど、千差万別、十人十色の人間がやることを学者がいくら分析したって、こうすればヒューマンエラーは完全になくなるというシステムは、人間をロボット化しない限りはありえないだろうな。学者は可能だと考えるかもしれないけど、それはもうハクスリーの『Brave New World』の怖い世界・・・。

とにかくわき目も振らずにキーを叩いて、期限ギリギリに終了。きっかけはポカミスなんだけど、すなおに謝れば穏便に失地回復できそうなのに、言い訳やら嘘で隠しているうちに二進も三進も行かなくなったというのが事の顛末らしい。福島原発事故に関してあれこれ報道されてきた政府や東電の言動と重なってきて、やっぱり「隠蔽志向」は文化なんだなあとヘンに納得してしまった。職務上のことだから相手があるわけで、相手がいれば隠したくても隠し通せるもんじゃないと思うんだけど、サービス分野でのことで原発事故のような被害はないからいいものの、ミスをしたらやっぱりとっさに「知らないようにしなければ」という反応になるのかな。政治家や有名人が起こすスキャンダルだって、最初は否定しても結局は公に認めて謝罪して、なんともかっこ悪いことになるという流れが多いけど、みんな隠し通せると思ってのことなんだろうか。おエライさんたちが雁首をそろえて「せ~の」と謝罪する光景を見慣れすぎてしまって、あまりかっこ悪いことでもなくなったのかな。どういう心理なのか、不思議だな。

とにかく、ギリギリまでかかったけど、ひと仕事終わって夕食でひと息。今、ニュースサイトを見たら、福島原発の事故は1号機から3号機まで全部メルトダウンどころか、もっと深刻な「メルトスルー」の可能性があるという話。炉心溶融じゃなくて原子炉貫通。要するに溶けた核燃料が原子炉の底から格納容器の中に出てしまったということらしい。国際原子力機関に出す報告書の中にそう書いてあったんだそうな。原子炉の底が抜けてしまっていたら、華々しく発表した事態収束のロードマップも紙くず同然になってしまうな。格納容器まで底が抜けて、燃料が外へ出てしまうなんてことにならないと良いけど。だけど、国際機関に提出する報告書はひと晩で書き上げられるものじゃないから、政府も東電もずっと前からそういう可能性があることを知っていたってことだろうな。国民を不安に陥れないために黙っていたとか?放射能汚染を不安に思っているのは日本国民だけじゃないんだけど。大気中に出た放射能も、海に流れ出た放射能も、土壌に滲みこんだ放射能も、いずれは世界中を回ることになるんだけど。もう情報発信も何もどうでもいいから(どうせ意味ないだろうし)、とにかくさっさと何とかしなってば、もう・・・。

浅草だけが伝統の世界じゃないよ

6月7日。火曜日。ちょっと曇りがち。でも、まあまあの天気。今日はさしてやらなければならないこともないから、カレシをちょっとくすぐって起こして、しばしの間、いちゃいちゃ、だらだら。たぶん、老夫婦の暮らしとしては、まあ上々ってところかもしれないと思いつつ、だけど、まあよくここまで来たもんだなあとも思いつつ、しばしの間まだ半分寝ぼけているカレシにちょっかいを出す。思い出せば、ワタシ、いわゆる「ジューンブライド」だったんだけどなあ・・・。

今夜の英語教室の準備に勤しんでいるカレシを横目にのんきにネットサーフィンをやっていたら、「浅草芸者の紗幸さんが芸者を辞める」という記事。置屋の「おかあさん」が病気で活動できなくなったので独立したいと言ったら、芸者組合から除名されたのか、やめさせられたのか。どっちかはよくわからないけど、どうも浅草の花柳界で独立するためには日本国籍でなければならないという規定があるらしい。紗幸さんは実はメルボルン出身のオーストラリア人。慶応大学を出て、しばらく企業勤めをした後で、オックスフォード大学で人類学を専攻して博士号を取り、研究活動が高じてとうとう本物の芸者になってしまったという人。

紗幸さんにはおととしのシドニーの会議で会った。基調講演として、ビデオを交えながら、芸者になったいきさつ、「芸者」の世界の虚像と実像などの話をしてくれた。講演の後でほんのひと言かふた言、挨拶程度の交換だったけど、不思議に着物姿がしっくりと合っていて、まったく違和感のない人だった。英語で話していなければ日本人でないことにも気が付かなかったかもしれな。その後のあるセッションで、紗幸さんがワタシのとなりに座ったときは、体中がぞくぞくしてしまって、ただ横顔をちらちらと見るだけ。カチッと着物を着こなして、背筋をまっすぐに伸ばして、両手を重ねて膝においている姿は、「凛」いう言葉でしか表現できないようなオーラがあって、これこそ古来から理想とされる日本女性像だと思ってしまったくらい。(去年は谷中界隈を歩いていて、紗幸さんとすれ違った。白塗りの化粧をしていない地味な着物姿の紗幸さんは「下町」の風景にしっくりと溶け込んでいて、誰も「着物を着た外国人」とは気づいていないようだった。)

まあ、薄れつつあったとは言え、当時はまだカレシが集めた「アタシこそ正真正銘本物の従順でチャーミングな日本女性よ~」とアピールしまくっていた若いオンナノコたちの、さしずめキャバクラ嬢といったイメージが焼きついていたから、紗幸さんというプロの芸者さんを目の当たりにした印象が強烈だったのかもしれない。ほんとに、雲泥の差というか、天と地の差というか、バイトでもやれる「キャバクラ嬢」のイメージの違いがあまりにも強烈だったせいか、ワタシを「日本人をやめた恥ずかしい外国かぶれ」(だから早く別れろ)とアピールしていたオンナノコたちは所詮「そういうオンナたち」だったんだという、大文字の太字の下線付きの結論がワタシの心に刻まれたらしい。(一番カレシを翻弄した既婚オンナはホステスだった確率が高いし・・・。)まあ、同時に「んっとにアホなやっちゃなあ」と思ったけど、カレシは「興味ない」と講演をすっぽかし。でも、出席していたら、カレシなりに目から鱗の何かがあったんじゃないのかと思うな。

それにしても、ワタシのアイデンティティを木っ端微塵にして踏みつけにした日本の「今どきオンナ」に対する怒りや呪う気持を吹っ切れずにいたワタシを解放してくれた人が実はオーストラリアで生まれ育った白人の「ヤマトナデシコ」だったというのはの皮肉な話だと思う。ワタシにとって紗幸さんは長い葛藤の最後のターニングポイントになった人。事情はわからないけど、そんな彼女も日本で生まれ育った日本人ではないということで、日本の「伝統」の壁に突き当たったんだろうか。浅草芸者は日本国籍でなければダメという規則があるのなら、組合が「特別にやらせてやった」と思っていても不思議ではないし、しきたりに従わないということで生粋日本人の芸者衆との間に軋轢もあったらしい。「芸者とは芸の人(アーティスト)であって、娼婦ではない」と、伝統芸能としての芸者のイメージを広めようという彼女の心意気はすばらしいけど、講演では「芸者はアーティスト」という解釈を字義通りに考えすぎているのではという感じもしないではなかった。

はて、浅草を出て別のところで芸者「紗幸」を続けるのか、あるいは人類学者フィオナ・グレアムに戻るのか。どっちにしても、ワタシはあの凛とした着物姿を忘れることはないだろうな。

我が家の幻の「地下室の住人」て・・・?

6月8日。水曜日。午前11時55分に目覚ましのアラームで起床。今日は掃除の日で、いつも12時半頃に来るから、正午を過ぎていつまでも寝ていると、シーラとヴァルに「朝よ、朝っ」とばかりに起こされてしまう。まあ、仕事もあるし、買い物もあるから、早く起きるにこしたことはないけど。

今日の郵便にまたまた統計局からの封筒。国勢調査のアクセスコードが来たときに、「幻の地下室の住人」の分もあったので放っておいたら、しばらくして「お忘れなく」とまた来た。いくら催促されたって、我が家の地下室は間貸しをしていないので、「住人」はいるとすれば幽霊くらい。国勢調査で幽霊人口まで数えるわけには行かないから、そのうちに何か言って来るかなと思って放っておいたら、今日の封筒は大きくて分厚くて、しかも「地下室」宛。よく見ると、国勢調査ではなくて、「2011年度世帯調査」と書いてある。興味津々で(間借り人の幽霊に代わって)封を切ってみたら、何だか国勢調査の「Long form(詳細版)」とそっくり。同封のレターには「あなたの世帯が抽出されました」と書いてあるけど、そっか、なんだかんだ言いながら国勢調査と切り離したってことか。前回までは5世帯に1世帯の割で詳細版の質問用紙が配られていて、我が家にも何回か前に来たことがある。職業だとか収入だとか出生地/出身国だとか、何十項目も質問があって、めんどうくさいことこの上ない。

「どうなってんだ」とムカついたカレシがオフィスで問合せの電話番号をポンポン。何は1、あれは2と押していったら、「待ち時間は10分以上です。優先順位が失われますので、電話を切らずにお待ちください」とのご案内。スピーカーに切り替えて、悠長な「白鳥の湖」の音楽を聞きながら待つこと13分。やっとちょっとフランス語訛りのある女性が出た。聞かれるままに地下の「幽霊アパート」のアクセスコードと名前と住所と電話番号を伝えて、事情を説明。「誰も住んでいないんですか?」と聞くから、間貸ししていないから誰も住んでいないと返事。「最近の新築ですか?」と聞くから、ノー。仕事をしながら聞いていると、向こうはコンピュータを操作しているらしい。なぜか我が家には地下に貸室があることになっていたらしい。「どこからそういう情報が行ったのか知りたい」とカレシが言ったら、「さあ、わかりません」。だけど、同様の問合せが何百件も来ているそうなので、どうやら統計局のコンピュータの設定がおかしいんだろうな。大丈夫なのかなあ、国勢調査。信頼性をなくしちゃうよ。

まっ、なんとかありもしない「貸室」を削除してもらって、やれやれ。今の土地に住み着いたのは1982年の秋。その当時は築後36年の古い家が建っていて、地下に貸室を作った形跡があった。ただし、キッチン、トイレがなかったから、たぶん老人の家主の親族が住んでいたんだろうと思う。土台のコンクリートにひびが入っていて、家の外のバラの木に水をやると、中に水が流れ込んできた。そんなんだから、とにかく湿気がものすごくて、ペーパークリップが1ヵ月と経たずに錆びて、紙に茶色く跡が残ったもんだった。ワタシたちが買う前の国勢調査で「貸室がある」ということになった可能性も考えられるけど、いくらなんでも30年も前のことだから、やっぱりありえないかな。それにしても、何百件も問合せがあったということは、よくわからないまま「幽霊人口」を報告してしまった家もあるんじゃないかと思うけど、2011年国勢調査の信頼性、いいのかな。人口統計の出典に「2011年国勢調査。幽霊を含む」なんて書かれたりして・・・。

カナダポストはストに入っているけど、今のところこうやって郵便は届いている。郵便が公営だった頃はごり押し組合が全国で一斉に郵便を止め、不便と迷惑を被った国民が雇用主である政府に圧力をかけて、すごく贅沢な賃金や労働条件を勝ち取っていたけど、民営化され、インターネットや携帯や自動振込みが普及した今は郵便への依存度が下がって、ストをするぞと脅しても国民は「あっ、そう」と冷ややか。それで拠点をくるくると変えて、カナダでは珍しい24時間の時限ストをやることにしたらしい。でも、拠点ストが始まって郵便の量が半減したとかで、カナダポストはレイオフをして、都市部の配達を月、水、金の週3回に縮小するそうな。まあ、いつも広告のごみ郵便ばっかりだからどうってことなさそうで、組合が自分の首を絞めているような観もあるな。自動車の時代になって乗合馬車の御者がストをやるようなものかな。噂によると、新採用の初任給が時給24ドル、有休が7週間だそうで、さすが元公営企業だという感じがする。でも、そんな高給でチラシ配りってのも何だかなあ。まあ、今やsnail mail(かたつむり便)と呼ばれる郵便だけど、カナダでは前からかたつむり並だったから、週3回でもさして変わらないか。

宅配便とカン違いしてない?

6月9日。木曜日。朝からヘンな一日。10時過ぎに芝刈り機のモーターの音で目が覚めた。起き出して窓の外を見たら、ガーデナーのジェリーが向かいのマージョリーの芝生を刈っているところ。ささっと髪だけとかして、着替えをして、玄関のドアにマグネットで止めてあった封筒をつかんで外へ。(ん、防犯アラームがセットされていない!)先月の芝刈り料金、ポストに投函したら郵便ストでどこかに引っかかってしまうかもしれないから出さなかったの、とジェリーに小切手の入った封筒を渡したら、ん、この人もずいぶん頭がごま塩になってきたなあ・・・。

家に戻って、また着替えをしてベッドにもぐり込んで寝なおし。慣れと言うのはすごいもので、外でモーターがガリガリ唸っていても、何となく眠りに落ちしてしまう。耳栓をしているカレシは全然目を覚ますことなく高いびきですやすやだからなおすごい。でも、せっかく寝なおしたけど、10時45分に目覚ましが鳴って目が覚めた。今日はカレシが州税の監査官だったころの同僚たちとの同窓会的なランチに行く日。カレシをや肘鉄でやさしく起こしてあげて、ジェリーに小切手を渡したこと、アラームがセットされていなかったことをもぐもぐと報告して、ワタシは今度こその気分で寝なおし。カレシは簡単な朝食を取って、迎えに来たイアンといっしょに出かけたらしい。

ひと眠りして目が覚めたらほぼ正午。コーヒーメーカーのポットには1人分のコーヒーが「保温」状態。シリアルを出してきて、パンをスライスしてトースターに入れ、昼のニュースを見ながら、ついでに『On The Road』を読みながらのおひとり様朝ごはん。やっぱり何となく味気がない気がするな。ボストンで2試合続けて大負けしたカナックスは今日バンクーバーに戻ってくるらしい。どうなっちゃんだろうな。きのうの夜はさすがのダウンタウンもしんみりしてしまったらしい。7戦制で2勝2杯になってしまったから、この先は「Best of Three」。どこで何が狂ったのか知らないけど、悪い憑き物がついたような感じだな。まあ、ボストンのゴールキーパーがホットなんだけど、バンクーバーのルオンゴは精神的にちょっと繊細なところがあるからなあ。ほら、オリンピックで金メダルを取ったときの感動を思い出して、一念発起で発奮しなってば。

さて、仕事。これが人様がやった翻訳を編集するというどえらい仕事で、編集が苦手で普通は引き受けないワタシは頭がくらくら。これを通過すると本業の翻訳の部分に行き着くという手順。時間的にきついから、まともな翻訳だったら、誤訳さえなければあまり手を入れずにすいすいと行けるんだけど、甘かったなあ。かなりすごいことになっている。お堅い文書なのに途中で突然「タメ口」風の表現が飛び出して来たり、原稿にあるものがなくて、原稿にないものがあったり・・・。なぜ編集を引き受けないか、今さらながら思い出したけど、ま、今回は翻訳とワンセットだからしかたがない。しかたがないとは思いつつ、歯軋りしながら死ぬ思い。翻訳者と編集者は車の両輪のような関係だけど、簡単に入れ替えるわけには行かないみたい。うん、よそ様の翻訳の編集仕事はもう金輪際引き受けないぞ。やだ、やだ。もう、金輪際やだっ!

やれやれという気分で送り出して、夕食をして、戻ってみたら、ん、いつの間に仕事が3件も?日本はもう金曜日の午後だから、ふむ、またあっちもこっちも置きみやげ。ほんとに悪い癖がついてしまったみたい。もう、カナダポストみたいに24時間ストでもしようか。(やってみたところで、料金値上げどころかお払い箱になるのが関の山だけど。)あのねえ、ワタシは翌朝配達のフェデックスでも黒猫ヤマトの宅配便でもないっつうのに・・・。

カタカナ英語とバイリンガルの関係?

6月10日。金曜日。まあまあの天気で、けっこうのどかな日になるかと思ったら、今日はホッケーの第5試合があるとかで、起きて昼のニュースを見たら、交通止めの区域が拡大されて、もう人が集まり始めているとか。中継の開始は午後5時で、最初のフェースオフでパックを落とすのはもっと先なんだけど、気が早いというか、気合が入っているというか、不安症増幅中というか。まあ、今日の試合でまた大負けしたら、スタンレー杯獲得はあきらめた方がいいかも・・・。

とりあえず、きのうの仕事でわやわやになった脳みそをリセットして、リプログラムするために、午後は「のんべんだらり」モード。(この、「わやわや」ってのは北海道語だったけかなあ・・・。)日ごろ2つの言語を手玉にとってご飯を食べているもので、小町に『イラッとするカタカナ語』というトピックは見逃せない。カタカナ(英)語批判のトピックはよく上がって来るところを見ると、全国津々浦々蔓延しているような印象に反して、あんがい抵抗感や嫌悪感が大きいのかな。それにしては、意味が変わったり端折られたりして流通しているカタカナ語は減る気配は微塵もないどころが「高速増殖炉」みたいだな。仕事で送られてくる原稿にも、ビジネス関連のものにやたらと見つかる。すなおに「再英語化」して使って意味が通じればそれでいいんだけど、そのまま英語にしたら意味が合わないものがけっこうあるから困る。それが手軽にカタカナ4個に端折られていたりすると、元の単語は見当さえつかないし、まず辞書には載っていないからお手上げ・・・。

もっとも、カタカナ語には少なくとも2種類あって、外国語から入って来て日本語に帰化した「外来語」と、まだ日本語としての市民権を得たとはいえない「なんちゃらガイコク語」に分けられると思う。やっかいなのはこの「なんちゃら語」で、さらに巷の若者たちの「かっこいい語」と仕事場で洋行帰りのキャリア組なんかがよく使う「もったいぶり語」に分かれる。ワタシにとっての頭痛の種なのは後者の方で、カタカナに転記したらけっこう長ったらしかったりして、思いっきり端折られることが多いし、それでも長すぎるのか、頭文字のアルファベットスープになっているのも多い。中にはどっからそんな略語が出てきたのかと思うような独創的なのものもあって、持株会社を意味するホールディングカンパニーに「HD」を当てているのがその好例。 カタカナの字面を見て「ホール」と「ディング」に分割してHDということしたんだろうけど、英語の単語はどこで分けてもいいってものではなくて、「holding」はhold」と「ing」にしか分割できない。(タイプライターで行末で単語にハイフンを入れて分割していた頃は、上級秘書になるにはスペリングとシラブルの知識はタイプの速度と同じに重要な技能だった。今は昔・・・。)

こういうトピックだと必ずと言って良いほど出てくるのが、「言葉は生き物だから」というのと「英語圏での生活が長いとつい日本語に英語が混じってしまう」という書き込み。たしかに言語は時代や社会と共に変遷を続けて来た「生き物」だけど、「生き物でも間違った使い方では困る」と言う意見には一理あるな。でも、「英語生活が長いと日本語より英語の方がつい出てきてしまう」というのはどうなんだか。英語ばかりで日本語を使わないでいると、とっさのときに日本語が出て来ないことがあるのは多かれ少なかれ誰もが経験していると思う。ワタシも日本語が日常語でなくなって久しいもので、語彙が萎縮してしまって、日本文を書くときは英和辞書を引くことが多いし、たまの日本語での会話となると、「あの、あの、あれ・・・」と言葉に詰まることがよくある。だけど、親しい人との会話で互いに英日どっちも話せる場合には(会話の流れを中断しないという意味でも)いわゆる「ちゃんぽん」になることはあっても、普通に日本人相手に日本語で話すときには、発音は少しヘンかもしれないけど「つい」英語が混じるということはないと思うなあ。英語をとっさに「カタカナ」で発音するのって、けっこう難しいと思うんだけど。

ある程度成長してから第2、第3の言語を学んだ人の脳には、多言語環境に生まれた人と違って、母語とは別に外国語の処理中枢ができると聞いたことがある。だとすれば、母語で話していてつい「外国語」が混じってしまうというのは、外国語の処理中枢がまだ完成していないために、2つの言語での思考が混線するからじゃないのかな。つまり、今「日本語より英語の方がつい出てきてしまう」と言う人は、別に英語力をひけらかしているわけじゃなくて、まだ語学修行が足りないというだけ。この先何年、十何年か経って、一応バイリンガルと言えるレベルまで言語の住み分けが確立したら、「(カタカナ)英語がつい出てしまって、かっこつけているといわれる」というジレンマは解消されるかもしれないね。トピックには「習得した外国語が母語に与える影響の研究によると、IQが低いほど母語を話すときに外国語の影響が大きく出る」という趣旨のちょっとイジワルな書き込みがあったけど、IQが低いと言語の住み分けがうまく行かないというだけのことだと思うから、IQや偏差値の高い人には当てはまらない。まっ、研鑽あるのみ・・・。


2011年5月~その2

2011年05月31日 | 昔語り(2006~2013)
旅に出なくても時差ぼけは起きる

5月16日。月曜日。よく眠ったなあ。ほぼ10時間。目が覚めたらとっくに正午を過ぎていて、電話が鳴っていた。今日は決まったスケジュールを追いかけなくてもいいんだから、電話なんかかけて来ないで欲しいのに、鳴り止んだと思ったらまたすぐに鳴り出した。こういうときは時間帯の違うところからの間違い電話か、付き合いのないところからの仕事の話だったりすることが多いけど、いったい誰なんだ。(ニューヨークからドでかい仕事の話・・・うは。)結局、2人ともずいぶんよく眠ったねえと言いながらベッドの中でうとうとして、やっと起き出したら午後1時過ぎ。オレンジジュースがないのでカレシが自分の冷蔵庫に残っていたオレンジとグレープフルーツを絞って、パンがないからトーストは省略。

ほんとによく遊んで、よく飲んで、よく食べて、よくしゃべった。前日のボーイング工場の見学では、バスをチャーターして、747の再装備、767、777、787の組み立てをする巨大な工場へ行ったけど、あんまりにも大きな建物なもので、作業の様子をビルの6階くらいに当たる高さから見下ろしていると、ジャンボ機でさえ小さく見えてしまう。一種の流れ作業だから、尻尾だけの機体があったり、胴体だけの機体があったりで、そうやって何百万個もの部品を取り付けて飛行機が出来上がる過程を目の辺りにするとかなりインパクトがある。新型機787は翼の先端が優雅にカーブして、なかなかすてきだった。ツアーの終わりにはちゃっかりとギフトショップで解散にしてくれるから、チャーターバスが出るまでのしばしの間ショッピング。ボーイングのロゴ入りの野球帽やTシャツ、メモリスティックを買って来た。

会議前夜はすっかり定番になった「親睦会」。その後はホテルのバーで「サゼラック」というルイジアナのカクテルを飲みながらカレシと2人だけの二次会。なにしろ、ここのサゼラックのベースはバーボン代用じゃなくて、本来のアメリカの「ライ」。発祥地ニューオーリンズのフレンチクォーターで初めて飲んで以来「うまい」と言えるできだったので、つい3杯も飲んで、えらく酔っ払ってしまった。(翌日、サゼラック用のライをホテル近くの酒屋で見つけて、アルコール度45%(90度)と知ったときには後の祭り。それでも懲りずに1本買って来たけど。)

おかげで翌朝の8時に目覚ましが鳴ったときは頭が朦朧。カレシが起き出して、会議場まで下りていって、ワタシの分まで登録して、資料と名札と記念バッグをもらって来てくれた。でも、また会議場に戻るのかと思ったら、またベッドにもぐり込んできて、結局は2人とも11時過ぎまで爆睡。開会と基調講演、最初のセッションを見事にすっぽかして、おまけに、起きてみたら、あっちこっちに打ち身のあざ。どうやら、酔って部屋に戻ってから、千鳥足であちこちにぶつかりまくっていたらしい。いい年こいて、んっとにかっこ悪っ!

それでも、午後のセッションをこなし、いよいよ宴会。メニューはローカルの生牡蠣やカニ、エビ、サーモンなどに、ロースとビーフとラム。たくさん出てきたし、おいしかったし、100点満点だな。今回はアメリカ、日本、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポールから集まったけど、年齢は40年以上の開きがあるし、学歴もワタシのような無学歴から博士号を持った人たちまで多様だし、人種も職歴も翻訳歴も人生歴もてんでんばらばらと言う感じで、それが「同業」ということで集まって来る。メールでことが足りてしまう今どきは名前だけの知り合いも多いから、名札を見せ合っては「あっ、あなたがあの・・・」という光景はあたりまえ。この商売にはいっぷう変わった人間が多い、というかそういうのが多いせいで、駆け出しの若い人も老練なベテランも、みんなここぞとばかりにおしゃべりに熱中するから、人間大好き、おしゃべり大好きのワタシは七夕の織姫の気分・・・。

にぎやかな宴会がお開きになったところで、近くのワインバーで二次会。バーでは20人くらいがまたひと騒ぎ。真夜中の閉店になったら、雨の中を1本の傘に数人が押し合いへし合いで入って、ホテルまでわいわい、きゃあきゃあ。(みんないい年なんだけど・・・。)頭は濡れなくても、お尻はびしょぬれで、シアトルの人たちが見てさぞ呆れただろうと思うけど、ま、みんな会議の常連で、けっこう気心の知れた仲間だから、そうやって羽目を外すのも後々まで楽しいご愛嬌と言うところかな。

日曜日は午前と午後のセッションを全部こなして、午後6時過ぎに会議は閉会。雨が降って、寒かったけど、いい週末だった。ひとつだけ想定外だったのは「時差ぼけ症状」。午後3時くらいになると、まぶたが重くて、重くて、目を開けていられない。気がつくとこっくり。でも、徹夜したりしての寝不足気味のときの眠気とはずいぶん違う。バンクーバーもシアトルも同じ時間帯なんだから、時差ぼけも何もないだろうと思うけど、ワタシたちの標準生活時間はほぼ日本標準時間なもので、日付変更線を越えて日本へ行ってもほとんど時差ぼけがない。つまり、俗に言う時差ぼけは、生活のリズムが変わったのに体がすぐには対応できないために起きるということで、時間帯を越えて大陸や大洋を渡らなくても、体が慣れている生活リズムを急にリセットしたら体内時計が狂って、自分の家にいてもヘンな時間に睡魔が襲ってくると言ういうことなんだろうな。と言うことは、飛行機とは全然関係ないってことか・・・。

「つい」という名の危険な浮気虫

5月17日。火曜日。起床は午前11時ちょっと過ぎ。就寝は午前3時だったから、まあ、8時間寝たってこと。体が慣れているリズムに戻るのはけっこう簡単で早いもんだな。今日は晩春の気候と言ったところで、まあまあ。もう5月も半分を過ぎて、この週末はビクトリアデイの三連休。このあたりでは伝統的に「園芸の季節」の始まりと言うことになっていて、天気が良ければ、園芸センターは花壇に植える苗を求める人たちで大入り満員の賑わいになる。

それにしても、世の中の男ってどうしてこうも同じようなおバカをやるんだろうと思うような事件が続くなあ。出世も富も頭脳も何も関係なく、性癖であろうが一瞬のたがの緩みであろうがまったく関係なく、後でひたすら後悔するしかないようなことをやるんだから、わからないなあ。IMFのボスがレイプで逮捕されたかと思うと、元ガバネーターことシュワルツネガーが実は10年以上も前に隠し子を作っていたと告白するし、ベルルスコーニにいたってはもういつからスキャンダルにまみれていることやら。で、日本の新聞サイトを見ると、毎日のように偉くも何ともない男たちが女子高生のスカートの中を盗撮したとか、女子高生とホテルへ行ったとかで逮捕されたという記事。女のスカートの中をのぞいて何がそんなにおもしろいんだろう、アホじゃないかと思うけど、捕まったら、会社はクビになるだろうし、そうしたら女房子供にも見捨てられるだろうし、結局は偉くても偉くなくても、たいていそこで人生特急が脱線転覆みたいなことになる。

でも、上は政治家から下はサラリーマン課長まで、みんな一応は頭が良かったか、がっちりお勉強したから、一流の大学に入れて、高学歴を武器に一流企業に就職したり、一流大学の先生になったり、公務員になったりして、高給をもらって、結婚して、子供も作って、傍から羨ましがられるような人生を送っていたんじゃなかったのかなあ。そういう人たちなんだから、それを棒に振ってしまえばその先の人生は真っ暗だということくらいわかるだろうと思うんだけど、「つい」という衝動はそれほど理性を曇らせるものなのかなあ。あんがい、浮気や不倫を含めて、セックスに関することになると、理性なんか屁でもなくなるのかもしれないな。男は(女だって)所詮は動物なんだし、浮気男はたいていが本能だとか何とか似たような理屈を並べるみたいだしね。男の甲斐性は浮気じゃなくて、「つい」を抑制できる理性じゃないのかと思うんだけど。

まあ、世界のどこでもおバカで稼いでいるあまり芸のない芸能人が増えているみたいだし、かのローマ帝国だって末期は似たようなものだったんだろうと思うから、今の文明の質そのものが世界的に低下しているのかもしれないな。斜めに見れば、人間は動物だから、その人間が築いた文明も所詮は動物の産物ということになり、根底では動物本能が動かしていると言うことになるのかな。でも、人間さまよりもず~っと賢そうな動物もいるみたいだけどなあ。

まっ、そういう杞憂はどこかへ置いといて、待ち伏せされた仕事に精を出さないことには、次がつっかえてしまいそう。(ふむ、浮気するやつはきっとヒマなんだろうな。だったら、ちょっとばかりうらやましいかも・・・はないけど。)

ストレス度の高い職業

5月18日。水曜日。咳が出て何度も目が覚めた。会議の最終日の最後のセッションで、ワタシの隣に座っていた人が、ひっきりなしに鼻をグズグズ、咳をゴホゴホやっていたので、さては風邪をもらって来たかと思ったけど、ま、どっちかというと「時差ぼけ」の巻き戻しと、遊びすぎの疲労で体調がイマイチ100%でないんだろう。ほぼ1時間おきに咳き込んで、やっと寝付いたと思ったら、早くに目が覚めて起きていたカレシに起こされた。時計を見たら、午前11時。お、いい天気だ。やっと初夏が来るのかな。

カレシはやっと来た本格的な庭仕事日和に、朝食もそこそこに待ちかねたように外へ出て行き、仕事の待ち伏せを食ったワタシはオフィスへ。「何々法の何条の何項には~」というのがずらりと並んでいて、その法律のひとつをググって見たら、英語名称はあるけど「英訳はありません」と来たからがっかり。法令の英訳プロジェクトはこの分野までは進展していないってことで、定訳がなければ引用されている条文はぜ~んぶ自分で訳さないとならない。日本の法令の文章というのは、明治以来の伝統なのかどうか知らないけど、なんかもちもちっとしたねちっこさがあって、おまけにご他聞に漏れずだらだらと回りくどいから訳しにくい。まっ、そのおかげでこの商売が成り立って、ご飯が食べられるわけなんで、ああだこうだ言ってられる筋合いじゃないんだけど。

商売と言えば、今日のVancouver Sunに世界で最もストレスの多い職業トップ15という写真記事があって、爆発物処理係(15位)、航空管制官(14位)、上級原発運転技術者(13位)、外科医(12位)、特殊コマンド部隊(11位)、森林伐採作業員(10位)、医療廃棄物処理技術者(9位)、プロ野球の選手(8位)、炭鉱夫(7位)、凍結道路を走るトラック運転手(6位)、危険物回収ダイバー(5位)、フリーランサー(4位)、家畜の種付け師(3位)、救急隊員(2位)と並び、1位は凶暴なアフリカ種の蜂の駆除専門家。なるほどねえ。でも、プロ野球の選手が何でそういう危険な職業よりストレスが多いのかは説明を読んでも不可解だし、フリーランスの仕事が第4位というのもびっくり。その理由というのが「仕事がなければ食べて行けない」ことなんだそうな。まあたしかにそうだし、生活が不規則だったり、時には徹夜もしたりするけど、だからと言って爆弾処理とかコマンドとか航空管制官よりストレスが多いというのはどうかなあ。まっ、こういうランキングは話半分みたいなもんだけど。

今夜はホッケーの西部カンファレンス決勝ラウンドの第2試合。地元での試合だから、ニュースの交通情報を見ていたら、おお、平日の夕方というのに、いつもとは逆にダウンタウンに向かって交通が渋滞している。カナックスがプレーオフに進出しておかげで、ダウンタウンの飲食業界に数億円の経済効果があったそうな。今夜はスポーツバーやパブは超満員だろうな。この決勝を勝ち抜いたら、いよいよ東部カンファレンスの覇者とスタンリー杯決勝ラウンド。17年前に決勝まで行ったときは、最後の最後まで粘った挙句に惜しくもカップを逃したら、酔っ払ったファンの一部が騒ぎ出して、とうとうロブソンストリートで暴動が起きてしまった。でも、今のチームは前回のようにまぐれで最終決勝まで行ってしまうというよりは、そこまで行ってあたりまえの実力があると思うから、スタンリー杯優勝はもう夢なんかじゃない。というわけで、バンクーバーっ子は今日も車にカナックスの小旗をはためかせ、雄叫びの奇声を張り上げてホッケー狂い。こっちの方が仕事よりもストレスが大きかったりして・・・。

まあ、第1ピリオドであっという間に2対2の同点になって、シュート合戦になりそうに見えた試合、第2ピリオドでカナックスがリードを取り、第3ピリオドに入ると対戦相手のサンノゼ・シャークスは総崩れになって、最後は7対3でバンクーバーがシリーズ2連勝。次はサンノゼに移って2試合。バンクーバーのホッケー狂にとってはまだしばしストレスいっぱいの状態が続きそうだな。あんがい、ストレス度第4位のフリーランサーよりきついかも。ワタシは仕事に没頭しているときは鼻歌ルンルンみたいなもんだから。

文章力と読解力と、どっちが重要?

5月19日。木曜日。今日もいい天気。午前11時を過ぎて起きたら、カレシはもう庭に出て「農作業」。やっとのことで5月らしい陽気になった感じ。ワタシはちょっと喉が痛くて、片方の鼻がむずむずするけど、まっ、ちょっとばかり風邪気味というところ。やっぱり日曜日にワタシの隣に座っていたあの人のウィルスを2、3個ばかりもらってきたのかなあ。

それよりも左の足首がすごいことになっている。酔っ払って歩いていて、内側のくるぶし10センチくらい上の脛をどこかにぶつけたらしい(覚えていないけど)。そこは土曜日の朝から青あざになっていたんだけど、けさ見たらくるぶしの下までずっと真っ青で、ちょっと膨れているように見える。よほどガツンとぶつけたんだろうな。深いところでかなり出血して、それが重力で足首の下まで下がってきたということらしい。まあ、痛くもなんともないからいいんだけど。あ~あ、ほんとにかっこ悪いったらない・・・。

せっかくのいい天気だけど、今日は午後から大まじめに仕事。何たってややこしい。法律の条文だけでも回りくどくてややこしいのに、それを裁判所に持ち込んで、重箱の隅を突っつくようにああでもない、こうでもない。原文を読んでいるうちに頭がくらくらするけど、それを英語で書き出すのはけっこう楽に感じるからおもしろい。話がややこしいことには変わりがないけど、英語人だってネチネチと回りくどく議論するから、原文の言っていることがわかったら、原文に忠実にしつこくネチネチと訳す。難しそうに見えるラテン語の法廷用語を混ぜたりしながら、何がどうしてああなってこうでなければならないところを件の結果になったのはそっちの責任だ、と持って回った弁護士口調でネチネチ・・・。

会議で、日英翻訳で最も重要なのは原文をよく理解すること、と言うテーマで、目が点になるような「悪文」を解剖するセッションがあった。法律文書はややこしいけど、それでも一応は誤解がないように筋道の通った文章になっているのは、法律家がそういう文章を書く訓練を受けているからだろうと思うけど、普通のサラリーマンが書く文書には、文系、理系を問わず、すごいのがあるという見本みたいなもので、日本語が母語の人でも解釈を間違うことがあるらしい。それくらいわかりにくい文章なのか、それとも文章はまあまあでも読解力に問題があるのか、そのあたりはワタシにはよくわからない。(ワタシの日本語文だって相当な悪文だし・・・。)

掲示板などでよく「英日翻訳者をやりたい」と言う人に「日本語の文章力が最重要」とアドバイスしているのを見るけど、訳文の文章力と原文の読解力と、どっちがより重要なんだろうな。原文がわかるのは当然のことだから、訳文の質の向上に力を入れなさいということなのかな。実際のところ、車の両輪のようにどっちも同じくらい重要だと思うんだけど。この業界には昔から「訳文言語は母語に限るべし」という主張があって、協会でも時たま論争が起きる。日本語が母語でない人が英日翻訳をするケースは稀だけど、英語が母語でない人が日英翻訳をするケースは逆に多いもので、賛否両論が白熱して来ると訳文(英語)の良し悪しに議論が集中しがちで、しまいにどこまでが正論で、どこからがやっかみなのかわからなくなる。ま、どんなに文章力が優れていても、原文をしっかり読解できなければ、拙訳、誤訳、迷訳、珍訳が満載ってことになるんじゃないかと思う。だけど、近頃は英語の文書にもすごいのがあるし、(たぶん筆者自身がよく理解していない)元からの悪文をしっかり読解せよと言われてもなあ・・・。

何だか「団子より花」の気分

5月20日。金曜日。今日もいい天気。午後にはポーチの温度計がもう20度近くまで行っていた。待ってましたという感じ。だって、この週末はビクトリアデイの三連休だもんね。みんな一斉に庭仕事に精を出し、キャンプに出かけ、好天なら若い人たちはビーチに繰り出し、家族連れは国境を越えてアメリカへ。総じて夏のレクリエーションシーズンのふたが開くのがこの週末・・・。

だけどワタシは仕事。う~ん、何だか不公平って感じもするけど、フリーランス稼業は仕事をしないとご飯が食べられない。それに、日本は別に連休じゃないしね。まじめにやろうとするんだけど、顔の左側だけはまだなあんとなく風邪気味なもので、やる気とは別に体がダラダラ・・・と、適当な言い訳で午後はちょっとサボる。でも、産経のサイトに震災と原発の影響で国際会議が中止になったり、開催地を変えたりして、日本の通訳業界が仕事がなくて悲鳴を上げているという記事があって、どこにいてもメールで仕事ができる翻訳業界はまだ恵まれているなあと、ちょっとシュンとなった。4月などは仕事が90%も減ったんだそうな。駆け出しの頃に起きた湾岸戦争で通訳仕事が干上がったことがあったけど、今度は日本で進行中のことが理由だから先行きは難しいかな。通訳専業だったら青くなっていたかもしれない、なんて思っていたら、先に「ド」が付くようなでかい商法関係の案件を持ちかけて来ていたニューヨークの会社から「失注」のお知らせメール。はっ、よかった!

なにしろひとりで毎日年中無休でやるとしたらゆうに1000日。、つまり3年はかかりそうな膨大な量で、何人くらい確保できたのか知らないけど、OKしてからやめとけば良かったかなと思っていた。いくら手分けをしてやるといっても、プロジェクトチームの人数しだい、それぞれのスケジュールしだいでは何ヵ月もかかりきりになってしまう。そうなったら、今度は常連さんが悲鳴を上げてしまう。ビジネス基盤を構築中で仕事が欲しいときなら渡りに船だけど、一応はベテランのワタシはそのときの気分しだいで「団子より花」・・・。ぜいたくと言えばぜいたくだけど、「定年」まであと1年と11ヵ月だから、徐々に仕事量を減らすのもいいかと思うわけ。ん、仕事が激減している通訳さんから見たら、ぜいたくかなあ、やっぱり。

でもまあ、ビジネスは常に山あり谷ありで、フリーランスもビジネスには変わりがない。こういう膨大な仕事の話が出ると、翻訳会社は大変なのだ。大型の訴訟のような、気が遠くなるような量の文書が飛び交う案件だと、与えられた期間内で完了するためには「Aリスト」の翻訳者だけでは足りなくて、受注する前に必要な数の翻訳者を確保しておこうと、法律関係の日英案件なら、アメリカや日本の協会の名簿から「法律」を専門あるいは得意分野に上げている会員を拾い出してメールを送るわけで、入札がかかっていれば、あちこちから明らかに同じ案件だとわかる募集メールが来ることになる。今回も別のニューヨークの会社からも「大型案件」のメールが来ていたっけな。まったく聞いたことがないところだったから無視したけど・・・。

まっ、アメリカの原理主義キリスト教の説教師が明日から「rapture」が始まると言っているから、もうビジネスの何も関係ないか。まさか。この「rapture」というのは神様の手で人間が昇天することで、つまりは「この世の終わり」。何でも、ノアが箱舟で生き延びた洪水のあった「日」から7千年目だからと言う話。冗談交じりに、へえ、ノアの洪水は何年何月何日に起きたと言う記録があったんだ~と言ったら、口の悪いカレシ曰く、「ノアが日記をつけてたんだよ。それも英語でさ」。でも、発表通りにこの世が終わらなかったらどうするんだろうな。かっこ悪くないのかな。それに、終わるのはキリスト教の世界だけじゃないのかな。仏教もユダヤ教もイスラム教も世界が続いているのにキリスト教徒の世界だけ終わりって、まさか神様が競争相手に世界を明け渡すような損なことをするとは思えないけどなあ。

ま、ワタシはまだ仕事が終わってないし、何よりも善行の貯金が足りなすぎると思うから、神様に「おまえはまだ早い。この次まで待て」と言われてしまうかもしれないな。てことは、まじめに仕事をしたほうが良さそう。「この次」がいついなるのかはわからないけど・・・。

ワンコは降って来るし、ニャンコはけんかする

5月21日。土曜日。いつの間にか土曜日。早くに目を覚ましたカレシが「もっと寝ていていいよ」と言うので、またうとうとと眠りに戻ったと思ったら、防犯アラームがピィピィ。30秒以内に解除しないとサイレンが鳴り出すので、がばっと跳ね起きたところで、カレシが下でピピッと解除。あ~あ。早起きもいいけど、アラームを解除しないで外へ出てしまうなんて寝ぼけもいいところ。おかげで、期せずして早起き。きのうと打って変わった雨模様で、またまた寒い春に逆戻り。先週のシアトルも雨模様で寒かったなあ。

せっかく早く起きたから、朝食後は大まじめに仕事の続き。日本で月曜日の朝が始まる明日の夕方が期限からがんばらなきゃ。それにしても、これだけ細々とつつきまくっていたら、重箱の隅にも穴が開くんじゃないかと思うな。ビジネス絡みの裁判のやり取りというのはだいたいがそういうもんで、そこが弁護士の腕の見せどころなんだろうけど。そういえば、カレッジの通訳講座で法律関係の授業を担当していたの弁護士のガスリー先生はかっこ良かったな。大柄で、長めの髪にちょっとウェーブがかかっていて、裁判所のロビーで先生が法衣の裾をなびかせて颯爽と歩いていたのを見たときはつい見惚れてしまった。ま、つんぼ桟敷のワタシをだしにしてカレシと前妻の違法すれすれの馴れ合い離婚訴訟を扱った、当時はまだ駆け出しの弁護士(前妻の友だちだったそうな)が今や州最高裁判所の判事なんだから、ほんとに弁護士もいろいろ。

はてさて、今日は世界の終わりの始まりということなんだけど、北アメリカ中のあちこちで無神論者がパーティを企画していると言う話。実際に本気にしている人がどれだけいるのか知らないけど、誰も信じていないというわけでもないらしい。世界の終わりが来ることを世間に広く知らせるために貯金を全部はたいて広告看板を出しまくった人もいたとか。ほんとに終わりが来るなら全財産を使い果たしてもいいけど、終わらなかったらそれこそこれから10月21日。の終焉まで続くと言う「地獄」を見ることになるのかな。でも、話題性がたっぷりだから、トークショーもソーシャルメディアも乗りまくり。マーロン・ブランドが出ていた昔の映画のタイトル『Apocalypse Now』をもじって「Apocalypse No」。中国製らしいアニメは「Apocalypse Wow」。あるブログには神様が記者会見して、「世界を終わりにするのは自分。そのときが来たらと思ったら実行する。人間ごときが神の意図を推測するなんぞもってのほかじゃ」と言ったという話まであった。

そういえば、最近バンクーバー郊外で、空から犬が降ってきたという珍事があった。文字通り、空から老人ホームの庭に降ってきたそうで、背中に猛禽の爪あとがあって、墜落の衝撃で肋骨を骨折。どうやらワシか何かの猛禽が浮浪していたところを捕まえたのが、運びきれなくて落としてしまったらしい。写真を見たらかわいい白いプードル。(ちょっとレクシーに似ているかな。)爪は伸び放題で歯はがたがただったのを、さっそくどっと集まった寄付金で歯の治療が始まったとか。猛禽はランチを食べ損ね、メイと名づけられたワンちゃんは九死に一生を得て新しい人生が待っている。なにしろかわいいから、引き取りたいと言う申し出が殺到しているだろうな。

土砂降りの雨のことをraining cats and dogs(犬猫降り)というけども、先週はとなりのパットが猫のけんかに巻き込まれて災難。家の裏のレーンで猫がうるさいもので、自分の猫に何かあったかと思って出てみたら、猫が2、3匹、引っかき合い、噛みつき合いの大乱闘の最中。猫好きのパットは何と仲裁に入ったんだそうな。人間が猫のけんかの仲裁ってのも珍事だと思うけど、その中の一匹が「よけいなことをすんじゃねぇ」と言ったかどうか知らないけど、腕を盛大に引っかかれるは、噛みつかれるは。なんだかずたずたになって「おたくに絆創膏ある?」と我が家へやってきた。とにかく盛大な引っかき傷だらけで、きれいに洗って、消毒して、絆創膏じゃ間に合わないから包帯をしてあげたけど、カレシは「猫のけんかの仲裁ねえ・・・」としきりに感心。

うん、この世界、まだまだ終わりそうにないな。だって、なんたって突っ込みどころが満載で楽しいし、何よりも人間サマも動物たちもいろいろとやってくれるから、神様も「終わらせるのはもったいないなあ」なんて思っていたりして。

ちょっとハチャメチャな日曜日

5月22日。日曜日。シアトルで拾ってきた「風邪っ気」のおかげで、左側だけ鼻がつまって、目の周りと耳の後ろが何となく痛くい。おかげで目が覚めてばかりで、しまいに首が凝って来て、全然寝た気分がしない。おまけに寒い。起きて間もなく突如として天の底が抜けたかと思うようなすごい土砂降りが始まって、ひとしきり降ったと思うといつの間にか普通のしょぼしょぼ雨。ポーチの気温は正午で12度。5月も下旬だってのに、参っっちゃうなあ。

今日はホッケーの西部カンファレンス決勝の第4試合の中継が正午から始まる。西部の同じ時間帯のチーム同士なのに、なんで正午なの?という感じだけど、テレビノ放送権を持っているのが東部のネットワークだから、夜にはバスケットボールの試合でもあって、かち合わないためのスケジュールなんだろうな。でも、日曜日の真っ昼間じゃあ、仲間が集まってビールを飲みながらワイワイ観戦というわけにも行かないような。ま、試合は4対2でカナックスが勝って、カンファレンス優勝に王手。バンクーバーに戻っての第5試合で勝てば、いよいよ念願のスタンリー杯決勝進出だな。ここまで来たんだから、絶対に勝てよ、キミたち。

仕事は午後5時が期限。翻訳作業は一応寝る前に完了させたけど、見直し、書き直し、手直しの作業がある。これが、めんどくさい文書だと、ググって見つけた参考資料を検索して用語を確認したり、(保存した資料はワタシの参考文献のデータベースに残るから)その用語をさらにググって用例を確認したりで、けっこう手間がかかる。結局は午後5時ぎりぎりに完了して、納品。ふあ~くたびれた。冷たい水を飲んで、猫みたいな大きな伸びをして、肩の凝りをほぐしていたら、カレシが「腹へった~。ディナーはな~に?」と来た。ディナーはな~にって、仕事に没頭していたおかげで、全然考えていなかったから、何の準備もない。さあ大変・・・とあわてるところだけど、こういうときには手っ取り早くできる「非常食」。

フリーザーからビンナガとハマチの小さい塊とアサリ1袋と明太子1本。大きなボウルに袋ごと入れて流水で解凍。その間に1合くらいの米を鍋にかけて、岡山の日本酒を冷蔵庫に入れて、薄いしょうゆ味のダシを作って、ねぎを刻んで、大根を超薄切りにスライスして・・・。ご飯が炊き上がるを待つ間にマティニを一杯。ご飯ができたら、ねぎとアサリをダシに入れてスープを作り、ご飯に明太子を混ぜ込んで、マグロとハマチをスライスして、カレシが冷酒を注いでいる間に盛り付けて、マグロとハマチの刺身、アサリとねぎのスープ、明太子ご飯の非常食メニューができあがり。所要時間40分・・・。それにしても、夕食時間になってあわてて作るはちゃめちゃメニューの方がわりとごちそうっぽくできるのはどうしてなのかなあ。

さて、明日の月曜日は三連休の最終日。ま、フリーランスの自営業にはカレンダーの日付の色なんか関係ないんだけど、それても、今しばらくは仕事が入って来ないように祈りつつ、息抜きにパズルなどやろうか・・・。

ハッピー・マンデーなのを忘れてた

5月23日。月曜日。何だか眠っている間中いろんな夢を見ていたような気がする。二本立てどころか、三本立て、四本立て。目が覚めて意味をなさない細切れのシーンだけを何となくしか覚えていないのは、悪い夢じゃなかったということで、趣旨は単純だけど、過程がめっちゃややこしい仕事をしていたもので、ちょっとばかり脳みそのデフラグが必要だったんだろう。かといって、まだ鼻の片側が詰まっているから、別に頭がすっきりしたという気分はないなあ。

でも、今日は仕事なしだから「週末」ということで、サボっていた家庭の事務処理をやることにする。会計事務所に所得税申告の手数料を払うのに、古いファックスマシンを臨時につないで、クレジットカードの情報を送る。それから、来月の網膜検査の予約を午前から午後に変えてもらうように交渉しようと、眼科に電話したら、あら、留守電。あ、そっか、今日はビクトリアデイ。日本で言うハッピー・マンデイの月曜日なのをすっかり忘れていた。(夜になって酒屋に行ったら、ここも休日時間で、午後6時には閉店してしまっていた。いろんなお酒を切らして、かなり長いリストを持って行ったのに・・・。)きのうまでは三連休、三連休と言っていたのに、週日も週末も祭日も区別がつかないのんきな暮らしをしていると、時にはこういう「不便」もあるってこと。

ラジオでは「郵便組合はまだストの通告をしていないので、水曜日は平常通り郵便が配達される予定」。へえ、ストをやると張り切っていたんじゃないかったの?法律では72時間前に雇用者側に通告すれば合法的にストができる。それをしなかったのは、連休で労使とも休みだったからだったりして。まあ、インターネットや携帯が主流になった今は、郵便配達が途絶えても昔ほど困ることはないから、かってごり押しでならした郵便労働組合もストの効果に疑問を感じているのかもしれないな。ワタシがカナダに来たばかりの頃には1ヵ月半も郵便ストが続いたっけな。あまりいつまでも続くもので日本の郵便局はカナダ向け郵便の受付停止にしたそうな。国際電話はバカ高かったから、郵便がない間は日本とはほぼ音信不通だった。

振り返って考えると、あの頃(1970年代半ば)はストが多発していたような記憶があるな。政権が中道の左に振れたときにストがぐんと増えたような気がする。労働者に優しい政権ができたから、組合がチャンスとばかりに強気になっていろんな要求を出し、交渉がもつれてストになっていたのかもしれない。BC州などは、政権が変わるたびに労働基準法が改正されて、保守政権なら企業側に有利、左派政権なら労働組合側に有利というぐあいにくるくる変わったものだった。産業構造や労働環境が様変わりした今になってみると、嘘みたいな本当の話。特に
1975年は州内で市民生活を脅かすようなストが多発して、組合寄りのはずの左派政権が「職場復帰命令」を連発せざるを得なかったのは皮肉だったな。それで抜き打ちの総選挙をやったもので、あっけなく政権交代。ま、州で初めての左派政権だったから、革新を急ぎ過ぎて州民にそっぽを向かれたのかもしれないけど。

ラジオでニュース専門局を流しっぱなしにしていると、「国勢調査はお済みですか」というコマーシャルがかなり頻繁に入る。調査の基準日はもう2週間も前だったのに、よっぽど回答票の集まりが悪いんだろうな。「国勢調査の回答は法律で決められた義務。出さなければ罰金ですよ」と厳かな声で注意して、回答を呼びかけているけど、今回初めて基本的にオンラインで実施したせいで、どうしていいのかわからなくて無視を決め込んだ人たちが多かったんだろうな。だいたい公用語の英語とフランス語だけでは何が書いてあるのかわからない人たちも多いだろうし、文化的に政府に個人情報を知られるのを嫌がる人たちも多い。未回収率が高いと国勢調査のデータの信頼性が揺らいでしまうけど、どうやって追跡するんだろう。(我が家には該当しないから開封もしなかった「ベースメント」の分の用紙がまだあるんだけど・・・。)

おや、新聞におもしろい見出しがあるぞ。「可能性はゼロではない」は「事実上ゼロ」と同じって、そんなのありえるの?ワタシだったら、「ゼロではない」と言われたら、1%でも2%でも可能性は「ある」と思うし、「事実上ゼロ」と言われたら、可能性は「まずない」と思うけどな。ひょっとしたら日本語ではそうじゃないのかなあ。考えて見なきゃ・・・。

幸福度の指標から考えること

5月24日。火曜日。不思議な夢を見ていた。たくさん人がいて、そのうちの女ばかり4人ほどで歩いているうちに、誰かが「彼女、いないよ」と言うので振り返ったら、いっしょにいたはずの「彼女」がいない。気をつけて見ているからと言って、前にいた2人を先に行かせ、「彼女」を探していろんな群集シーンを通り抜けているうちに、何台ものバスが止まっていて、人が行列している広場のようなところに出た。それが人を探す夢によく出て来る「日本のどこかの観光地の駐車場」のようなところ。行列の中に「彼女」の姿を探していたら、バスが一斉に潮が引くように出て行ってしまった。はて、いなくなった「彼女」は誰だったんだろうな。ワタシはバスに乗り損ねたのか、それともみんなを見送ることになっていたのか・・・。

起きてみたら、右手の中指の付け根が痛い。手を握ると関節がカクカクする感じ。ばね指になってしまったのかな。ばね指はゲリラみたいに指から指へ移動して回る関節炎よりも痛いから困る。ついてないなあ、まったく。シアトルで作ってきた打ち身は、膝の皿はすっかり治ったけど、脛は内出血がくるぶしの下に流れて来て、まるで「足首捻挫、全治1ヵ月」みたいなすごい紫色。よっぽどガツッとぶつけたらしく、少しすりむけたところがたんこぶになっているけど、何にぶつけたのかはまったく覚えがない。いい年して酔っ払うもんじゃないよね。足を突き出して、ほらっ!とカレシに見せたら、「すげぇ。相手の方はいったいどれだけすごいことになってんだか、見てみたいな」。相手って・・・はあ?

新聞を見たら、OECDが国民の実感に近い豊かさの指標として「幸福度指数」(Your Better Life Index)なるものを作ったそうで、住居や所得、環境、雇用、教育、生活の満足度、ワークライフバランス、安全、コミュニティといった11項目を数値化して平均したら、幸せな国民第1位はオーストラリア、第2位はカナダ。なるほどっ。ワタシも生活に満足していて、いろんな意味で生活全体に豊かさを感じる。OECDの国別評価を見たら、オーストラリアとカナダはほとんどの項目でほぼ互角だった。日頃から似ているところがたくさんあるとは思っていたけど、おととしシドニーに行って、バンクーバーとは確かにいろんなところが違うんだけど、それでいて何となくわかり合えるというか、親近感がいっぱいな感じがした。ま、オーストラリアには仕事の内外で親しい友だちがいるからかもしれないけど。

日本はと見ると、総合指数が加盟国34か国中の19位。意外に低いなあと思いつつ、いろんなサイトの解説を読んでいるうちに、教育や安全、所得はたしかにトップクラスだけど、「生活の満足度」や「ワークライフバランス」が低くて、全体的に下がってしまっているらしいとわかってきた。自分の生活に満足している人は40%(OECD34ヵ国の平均は59%、カナダは78%、オーストラリアは75%)。ちなみに、5年先には満足していると思うかと言う質問でも日本は40%で、加盟国中でずっと下の方。おまけに、自分を健康だと思う人の割合は33%(OECD平均は69%)だったそうな。ほんとうに不満いっぱいで不健康な人たちだらけなのか、それとも単に悲観的な文化なのか、どうなんだろうなあ。

そういう文化なのか、今の社会の風潮なのかはわからないけど、掲示板やいろんなサイトの投稿や記事を読んで、今の日本の人は幸せではないのかなという思うことが多い。ローカルの日本人の掲示板などはとっくににいちゃんねる化して、もう興味もほとんどなくなったけど、それなりの理由があって海外に出て来たんだろうに、何もかも不満と嫌悪。まあ、この人たちは日本でも同じように不満だらけだったんだろうけど、自ら身をおいたはずの異文化に背を向けて、カナダが嫌い、カナダ人が嫌い、中国人が嫌い、韓国人が嫌い、カナダで(自分より)うまくやっている日本人が嫌い・・・。いちいち本気で読んでいたらこっちまで欝っぽくなってしまいそう。

だけど、外国に来て不興を託っている人たちに留まらず、日本人は本質的に欝っぽい国民なのかなと思うことはよくある。(ローカル掲示板でこれを言うと、110%の確率で「日本人のくせに日本/日本人のことを悪く言う外国かぶれ」とか「在日の反日発言」と炎上するだろうな。)もし「欝っぽい」というのが不適切なら、「否定的」または「消極的」、つまり「ネガティブ」な性質と言った方がいいかもしれない。でも、これは実はカレシについても言えることなので、日本人の専売特許じゃないんだけど、それでも、不満感や不幸せ感の大きい人の割合が高いと、国の単位で測定したときに「日本人の幸福度は34ヵ国中19位」という結果になるんだと思う。まあ、そういう結果について、どうしたいのかは日本の人が考えることだと思うけど・・・。

ひとつだけ笑ってしまったのは、幸福度第1位のオーストラリア以下どの国でも、「所得」の項目の満足度あかな~り低かったこと。豊かさを感じて満足している人たちでも、「これでもっと収入が多ければもっとハッピーかも・・・」と思っているということだろうな。ずっと昔、「お金で幸せは買えないけれども、お金があると今ある幸せが倍になる」と言った人がいたけど、自分をあまり幸せと思えない人にとっては、たとえ大金が入って幸せが倍になっても所詮は「微増」どまりで、実感がないかもしれない。それじゃあ、いくらお金がたくさんあっても、欝っぽくなるだけかもしれないな。「豊かさの感」はお金の多寡やモノの量だけで測れるもんじゃない。だからOECDはお堅
い経済指標よりも「実感」に近い豊かさの指標を作ろうとしたんだと思う。ま、何が「幸せ」かも、最後的には人それぞれなんだけど・・・。

いよいよスタンレー・カップ決勝戦だぞ

5月25日。水曜日。ずいぶん咳をして、起きてみたら何だか気管支炎に発展しそうな気配。やだなあ。気管支はワタシの急所みたいなもので、風邪そのものが「ちょっと風邪気味」で終わっても、なぜか後で本格的な気管支炎になることが多いから困る。10年くらい前までは、ずっと体中の骨が分解しそうな「喘息」に悩まされていたけど、いくら精密検査をしても、気管も肺もいたって健康で、執拗な咳の原因になるものが見つからず、結局は「心因性」ということになった。でも、今はどうなのかなあ。まだ自分で感知できないストレスがあるんだろうか。まあ、とりあえずトレッドミルで走って風通しを良くしたらいいかも。

きのうの夜は、カナックスが3勝1敗で臨んだNHLの西部カンファレンス決勝第5試合で、延長ピリオド2回目で何だかあっけないけど劇的なゴールで勝って、念願のスタンレー杯決勝に進出。カレシが英語教室から帰って来たときは2対2のままで延長戦に入ったところで、ワタシが合流して酒屋に行ったらみごとにがら空き(道路もがら空き)で、店内に実況が流れ、店の人たちはみんな大型テレビがあるイベントコーナーの方を見ていた。一度だけ業務連絡で音声が途絶えたら、一斉にブーイング。これでもみんな一応は州政府の「公務員」なんだから、のどかなもんだ。(昔は横柄なのが多かったけどなあ・・・。)切らしていたものを全部カートに入れて、ついでにワインを買い足して、レジに行ってもまだ試合は白熱中。今どきはスキャナでピッとやるし、こっちは勝手に空き箱とトートバッグに詰めるし、支払はチップ入りカードを自分でキカイに差し込んでピッピッとやるから、レジ係がテレビの方を向いたままでも支障はない。

酒屋を出たときは延長第1ピリオドの残り時間5分。道路はほんとにがら空き。街中が息を詰めているような感じ。帰り着いてガレージに入れて、エンジンを切ったのが残り時間30秒。家の中に入ってテレビをつけたら、決着がつかないまま延長第2ピリオド。同点はありえないから、どっちかがゴールを決めるまで何回でも延長する。こうなったらもう死闘だな。で、パックがどっちかのネットに入ったところで(入れられた方は)サドンデス(頓死)。いやあ、プロスポーツの用語は荒っぽい。テレビの前に陣取ったカレシをおいて、ワタシはオフィスへ。リラックスしてゲームなどしていたら、カレシがどどどっと階段を下りてきて、「信じられないゴールだ!」と興奮して報告。おお、やっと勝ったんだ。その「信じられない」ゴールを見に、カレシの後についてリビングに。敵も味方も跳ね返ったパックを見失って、ホイッスルが鳴るのを予期するような動きになったところで、ブルーラインの内側でみんなの後にいたビエクサが自分の方へころころと転がって来るパックを見つけて思いっきりシュートして、まっすぐゴール。一瞬、敵も味方も「あれ?」という顔・・・。

試合の後で行われた西部カンファレンス優勝のキャンベル杯授与式では、キャプテンのヘンリク・セディンがテーブルに置かれた優勝杯の後ろに立って写真撮影。ここで選手が優勝杯に手を触れるとスタンレー杯を取れないというジンクスがあるから、手渡しをしないことになっている。ダウンタウンはその後がすごかったらしい。市の方でグランヴィルストリートのバスをあらかじめ迂回させてあったそうで、何千人いるんだか、道路はびっしり人、人、人。顔中をチームカラーに塗って、カナックスの旗やタオルを振り回し、サッカーのワールドカップでなじみになったブブゼラまで持ち出してのにぎやかな路上パーティ。そうだよなあ、17年も「来年こそは」と待ち続けて来たんだもんね。去年のオリンピックのホッケーでカナダが金メダルを取ったときの光景とまったく同じなのは、良い兆しだな。オリンピックで誰彼かまわずみんな一緒に祝って楽しむことを学んだんだろう。平日だというのに、夜中を過ぎてもまだパーティは続いたそうだから、今日は遅刻したり、二日酔いで病休を取った人がけっこういたんじゃないのかなあ。でも、たぶん大目に見てもらえたかもね。

泣けるのは心が健康だということ

5月26日。木曜日。気管支炎どころか、もろに風邪のような感じ。午前8時過ぎあたりから猛烈な咳が出始めて、咳止めドロップをなめても効き目なしで、息もつけない。そんなときに限って、カレシががばっと起きて、「うるさくて眠れない!」と一喝。こっちもがばっと起きて、何でそんなことを言うのよっとやり返したら、「ごめん、寝ぼけてた」と平謝り。へえ、そうなの。昔よくあったよなあ。例の「心因性喘息」に悩まされていた頃、窒息しそうなくらい咳き込んでいるワタシに「うるさい。眠れない」。時にはベッドから追い出されたもんだけど、ふむ、寝ぼけて地が出ちゃったと言うこと?

しゃくにさわるから、ベースメントのソファに移動して横になっていたら、こそこそと下りてきてコンピュータの前に座ってなにやらカチャカチャ。(ストーカーしなくてもどこへも行かないって。)しばらくうとうとして、トイレのついでに空っぽのベッドに戻ったら、しばらくして「ボク、腹へったから朝食するけど、キミも食べる?」と言って来た。もう少し眠りたいと言ったら、「ボクだってそうしたいよ」とか何とか言いながら下へおりて行ったけど、10分も経たないうちにごそごそとベッドに戻って来た。2人とも何とか眠りについて、起床は11時過ぎ。何となくばつの悪そうな顔で、やたらとやさしい。あのね、昔のような心因性喘息だったら考えなくちゃならないけど、これは正真正銘の気管支炎なのっ!カレシ曰く、「ネットで調べたら、1週間ぐらいで治るってさ」。もう・・・。

小町などではよく「モラハラ/DVは治りません」と言う書き込みがあるけど、治らないのは行動の根底にある性格だと思う。生育の過程で固まった性格は本人が変えたいと思ってもおいそれとは変わらない。ましてや他人が変えようとしても変えられるものではないし、第一に変えようとすることで自分もモラハラのあり地獄にはまってしまいかねない。でも、本人がそのつもりになれば、モラハラ衝動をコントロールすることはできる。ただし、自分をコントロールするにはかなりの精神エネルギーが必要になる。衝動や感情で他人をコントロールしようとする方がどれだけ楽なことか。そのあたりが「モラハラは治らない」といわれる所以だと思うけど、カレシも何らかのストレスがたまってくると、コントロールが外れて、つい昔の「モラ行動」が出て来ることがある。でも、その「うっかりモラ」が効き目をなくしたのは、ワタシも自分をコントロールすることができるようになったからだと思う。カレシはワタシじゃないし、ワタシはカレシじゃないし・・・。

産経に『悲哀に寄り添う』という、関西学院大学の野田教授のエッセイが載っていて、その2は「悲しみを抑圧する社会の危うさ」というタイトル。圧倒的な「がんばろう」の声の前に悲しみが抑えられている、あるいは隠されているといい、ある番組で女性キャスターが何度も「家をなくし、職をなくした被災者の方々」と言うのに「家族を亡くした・・・」と言わないのが奇異に感じられたと書いている。英語のメディアの災害報道には「Loved Oneを亡くした人たち」という表現が頻繁に出て来る。ずばり「家族を亡くした人たち」のことで、先日の大竜巻の報道でも使われている。どうして「家族を亡くした被災者」と言わないのか。親や伴侶、子供を亡くした人たちに向かって「あなたはがんばろう」といえるか、と野田教授は問う。ちょっと引用させてもらって・・・

『「がんばろう」のかけ声は、抽象化された「被災者」一般に向かって発せられているのであって、具体的な人の顔を思い浮かべていない。テレビ、役場にあふれる「がんばろう」「希望」の貼り紙におされて、悲しむ人は自分を抑える。第三者は悲惨な話に触れるのは辛(つら)いので、無自覚なまま逃げ、けなげな話題に関心を向ける。こうして、悲哀が圧迫されてきたのではないだろうか。』

悲惨な話だけではない。人の悩みや苦しみや不幸に触れることを嫌がり、自業自得、自己責任といった言葉を投げつけて退けようとする人は多い。カレシもそういう傾向が強い方だけど、観察してみると、共感性がないからというよりも、相手の話によって触発される自分のネガティブな感情に対処できなくて、その苦痛をもたらした相手に責任を転嫁して攻撃してしまうらしい。悲しみのどん底にある人に「がんばれ」というのも、勇気づけたい、元気づけたいと言う善意は疑わないとしても、一見ポジティブながら、どこかに「自分のネガティブな感情」に触れられないようにという自衛的な要素が含まれてはいないんだろうか。もうちょっと引用させてもらうと・・・

『いまなお架空の武士の生き方・死に方を理想として称揚する日本社会は、泣かないこと、悲哀を耐える形の美しさを強調してきた。それが不幸に直面した人々に対し、いかに残酷に作用してきたか。』

ワタシのドクターは話を聞いてもらっているうちに泣き出すワタシに、「泣くのはいいことだ。泣けるのは心が健康な証拠。泣けなくなったらすぐに相談に来なさい」と言い続けた。「がんばれ」の「頑」は頑迷、頑固の頑。「かたくな」とも読む。でも、人間の心は長いこと頑なであることを強いられていると、いつかは折れてしまう。悲嘆にくれている人には、「がんばれ」と言わずに、黙ってハグしてあげて。

たかが学歴、されど学歴、だけど窮屈

5月27日。金曜日。午前7時過ぎに咳が始まった。すぐに咳止めドロップを口に入れて、そこへ急に猛烈な寒気がしてきたので毛布を1枚足して、咳が静まるの待つこと20分ほど。弾みでドロップが気管に飛び込んだりしたら一大事だからと注意しいしいの咳なもので、カレシは目を覚まさなかったもよう。ワタシもそのまま11時過ぎまで眠ることができた。起きたら、きのう鼻づまりで重かった頭が軽くなっていて、まだ咳は出るけど胸のあたりもつっかえが取れたように楽になっていたからびっくり。ひょっとしたら、寒気がしたときにどどっと熱が出て、ウィルスも細菌も瞬時に炎上したのかも。何だか瞬間湯沸し器みたいな・・・。

世界的に天候不順と言う感じで、バンクーバーのあたりも4月からこの方、過去55年で最も低温というありさま。5月も終わりだと言うのに、今日も雨しょぼしょぼで、ポーチの温度計は午後になっても10度を越えるのがやっとこさ。これじゃあ生理機能も狂ってくるかな。日本にはもう台風が接近中とか。「5月に台風って普通ですか」と小町で聞いてみたいくらいだけど、ほんと、子供の頃に番号がひと桁の台風なんてなかったと思うな。(もっとも、めったに台風が台風のままで来ないところの生まれ育ちなもので知らないだけかもしれないけど。)まだ5月だというのに、東京のあたりはもう梅雨入りだそうで、やっぱり天候不順だな。

また週末置きみやげの仕事があるけど、何かめんどうだし、夜はコンサートがあるから、今日は「休日宣言」。たまった洗濯をするつもりだったのがど忘れして、午後いっぱいはだらだらとネット三昧。おもしろいことはないかなあ、と小町横町をぶらついていたら、またまた「学歴論争」。今度は商業高校卒の女性と一流大学院卒の男性の結婚は難しいのかという悩み。300本以上ある書き込みでは「難しい」、「やめておけ」という意見が圧倒的で、そのほとんどが自称「高学歴」。結婚するのに学歴なんか関係ないと言えるのは学歴がない人たちで、高学歴階級の人たちにとっては「一族の存亡の危機」のような問題であるらしく、大学に進学するのが「あたまりまえ」な世の中で(日本の大学進学率は実は50%前後だそうな)大学を出ていないのは、育った家庭の環境、価値観、本人の能力や向学心に瑕疵ありということで、「嫁」として不適格と判定されるらしい。

日本で結婚しなくて良かったなあ。と言っても、ワタシが結婚適齢期だった頃は高卒女性の方が嫁候補としての価値が高かったんだけどなあ。それにしても、建前では「格差は良くない」と言いながら、本音ではあらゆることにものさしを当てては(自分が優位に立てそうな)違いを言い立てて、せっせと「格差社会」を作っているように見える。いつから日本は「カースト社会」になったのかいなと思ってしまうくらい。「恋愛するだけならいいけど、結婚となると話は別」って、「遊びで付き合うだけならいい」ということかな。つまりは婉曲的に「その程度の女」と言っているということかな。(学生時代にキャバクラのバイトをしても、大学卒ならいいのかな・・・。)職業によっては学歴や資格が要件になるのはわかるけど、男女の合意によって新しい家庭を作るのが結婚でしょうが。まあ、平等(みんな同じ)が強調されればされるほど、「自分」を目に見える形で(他人より一段上に)差別化したくなるものなんだろうな。

東京大学の社会心理学の教授を交えた国際チームが、社会的規範の厳しさや規範から外れたときの罰の強さなどの「文化の窮屈さ」を世界33ヵ国で測定したところ、日本は8番目だったと言う記事が読売新聞サイトにあった。「窮屈さ」はそれぞれの文化が歴史的に直面してきた社会的な脅威の大きさと関連しているんだそうで、日本については人口密度の高さや自然災害の頻度が影響しているらしいということだった。ま、高学歴対低学歴、専業主婦対兼業主婦、子持ち対子なし、既婚対非婚、首都圏対地方等々、果てしなく水掛け論的な優劣争いが続く二項対立文化もかなり窮屈そうだなあと思うけど、どんな「社会的脅威」が影響しているのかな。

60代でもジーンズにTシャツはあり

5月28日。土曜日。咳き込んだのは一度だけ。なぜかいつも寝付いてから3、4時間後というのが不思議。でも、風邪気味は抜けたようだし、気管支炎も峠を越したと言うところで、とたんに機嫌が良くなるから、ワタシってげんきんだよね。

ゆうべはVSOポップスのコンサートに出かけた。シーズンチケットを持っているシリーズの最後のコンサートが先々週のシアトル行きと重なってしまって、代替としてカレシが選んだのがポップスの「コットン・クラブの夜」というジャズコンサート。クラシックならイブニングドレスくらい着てめかし込むところだけど、カレシがジーンズで行くと言うので、ワタシも裾にずらりとビーズがぶら下がっているラメ入りのおしゃれTシャツといういでたち。モールまで車で行って、そこから地下鉄に乗れば歩くのはせいぜい2ブロックだからと、気温が10度近くに下がっているのに、Tシャツ一枚で出かけてしまった。いい年なのにいったい何を考えているんだか・・・。

コットン・クラブは「Roaring Twenties」と言われた1920年代にニューヨークのハーレムにあったナイトクラブ。ミュージシャンやダンサーはすべて黒人、客はすべて白人だったそうな。デューク・エリントンはクラブの専属バンドだった頃に数多くのジャズの傑作を書いた。ギャングが活躍?した禁酒法時代のことだから、経営者や客筋にまつわるエピソードは数知れない。ゆうべのコンサートは、ゲストがバンクーバーに住みついたというトランペットとヴォーカルのバイロン・ストリップリング、女性ヴォーカルはカーメン・ブラッドフォード、ヴォーカルとタップダンスがテッド・レヴィ。白いジャケットのブラスセクションと黒いジャケットのストリングセクションを両側に配して、中央にドラマー、そして、おお、ベースはあのジョディ・プロズニク!

ジョディ・プロズニクはバンクーバー生まれの女性ジャズベース奏者で、大きなベースの後ろに隠れてしまいそうな小柄な人だけど、そんなことは感じさせないパワーがある。バンクーバーに彼女の母校マギル大学の同窓生の組織があって、その親睦会に揃って卒業生のイアンとバーバラのゲストとしてときどき招待される。その中のひとつがジョディ・プロズニク・カルテットの演奏会で、コンサートホールやクラブとは違うプライベートな雰囲気の中でごく間近に演奏ぶりを見ることができた。そのとき、演奏の後でジョディと直接話をする機会があって、話の流れで彼女にベースをひょいと手渡された。そっと持ち上げてみたけど、思ったより重くて、弦が太いから指で弾くにはすごい力がいりそうだった。それをワタシとさほど背丈が違わない彼女がいかにも楽々と演奏しているのが強烈な印象として残った。それ以来、ワタシはジョディのファン・・・。

古き良きスイング時代のジャズを堪能して、何となく芯まで温まった気分になって、クラビングの若い男女で溢れる金曜日の夜のダウンタウンを、還暦過ぎの極楽とんぼばあちゃんはジーンズにTシャツ一枚の軽装で、カレシと手をつないでうきうきと闊歩?して、地下鉄に乗って帰って来た。はて、日本でやったら卒倒する人が続出しそうな「浮いた身なり」ということになるのかな。へたをしたら、掲示板に「60代なのにジーンズにTシャツなんて!」と憤られてしまうかもしれない。そんなんでも風邪がぶり返さなかったのは、きっと悪運が強いんだろうなあ、ワタシ・・・。

学歴の差も何十年もいっしょだと

5月29日。日曜日。いい天気だけど、う~ん、まだイマイチ初夏の感じがしない。それなのに、カレシは今年の前庭は何もかも野放図にでっかく育っていると言う。業者の人が来て植木の周りに肥料を注入して行ったせいかな。こんなんだったら野菜を植えた方がいいかも、というカレシ。前庭にトマトって・・・ま、塀と背の高い生垣で二重に囲ってあるから、菜園にしてもきっと外からはわからないだろうな。たとえば、きゅうりのつるが楓の木を登って、枝からきゅうりが鈴なりということにでもなったら目立つかもしれないけど。

カレシが着るものがなくなったというので、今日はまず洗濯。ランドリーシュートを開けたら、なだれ落ちて来そうなくらいのたまり様。まさにぐうたら主婦ってところだけど、ワタシは「主婦」業はやってないの。「ワイフ」業はやっているけど、家事はおひとり様だったら当然やらなければならないことをやっているだけ。だけど、この洗濯物のたまり具合から見たら、相当にぐうたらなおひとり様ってことになりそう。洗濯機を回しておいて、きのうやり残した仕事にかかる。期限は午後5時だから、まっ、何とか間に合うか。いつものんきに「何とか間に合うか」と言っているような気がするけど、これでは自営業の方でもぐうたらかな。まあ、おいしいご飯が食べられたら、ぐうたら暮らしは悪くはないけどね。

カレシが庭仕事をしている間に、極力まじめに仕事。変なフォーマットになっているから、それを崩さないようにする方が肝心の翻訳よりも手間がかかる。それでも、たいして込み入った内容でもないから、ちょっと余裕で間に合って完了。もっとも、終わった洗濯第1ラウンドをドライヤーに入れて次のラウンドを回すのをケロッと忘れたし、カレシがセットしてあったブレッドマシンの種からパドルを抜き取るのもケロッと忘れて、焼きあがったパンは底に大穴が開いたし。まっ、それだけ大まじめに仕事をしたと言うことで、納品して、本日の営業は終了・・・だといいんだけどなあ。(そうはおろさないのが問屋さんで、とりかえっこみたいに次の仕事が。あ~あ。)

夕食のしたくを始めるのを忘れて例の「高卒・院卒カップル」のトピックを読みふけっていたら、カレシが「腹へった~」。で、おもしろいことでも書いてあるのかと聞くから、高卒の女性に対して高学歴階級のお歴々が、学歴の差がありすぎて知識や教養や語彙のレベルが違うから話について行けないだろうし、育った環境が違うし、それぞれの家族の価値観も違うから、結婚はやめておいた方がいいというスレッドだと言ったら、カレシ曰く、「そんな程度の違いで同じ国の人間と結婚できないなんて言ってたら、国際結婚なんか端からできないんじゃないのかな」。

う~ん、なかなかおもしろいところを突いているな。異国人が相手だと、学歴云々の前に、言語が違うから話について行くのが大変だろうし、文化が違うから常識的な知識も教養の範囲も違うだろうし、価値観も違うだろうし、育った環境なんかまるっきり違うんだし、小町横町の人たちの基準から見れば、何から何まで違いすぎて、結婚そのものが論外ということになりそう。だけど、毎年何千人もが「何もかも違う」異人さんと結婚するのは、是非を判断する基準が日本人が相手の場合と違うのかな。社会心理学のテーマにしたらおもしろいかも・・・。

夕食は久しぶりに骨付きラムをギリシャ風にローストしたら、あら、いつまでも肉が胃の中に残っている感じで、ランチの時間になってもおなかが空いて来ない。魚中心のメニューになってから、たまに肉を食べると消化に時間がかかるようになった。そういえば、カレシは生野菜も一度にたくさん食べると消化不良になるとこぼすようになった。柔らかい魚ばかり消化するようになって、胃袋がぐうたらになってしまったのかな。ま、ただの老化現象かもしれないけど、この頃の2人、何だか似てきたところもあるねえ。ふむ、「ワタシ高卒、カレシ学位2個と士のつく資格」の身の丈違いの2人だけど、36年も経ってしまうとこんなもん・・・

塀の中を覗けるおもろい商売

5月31日。火曜日。5月も今日で最後。相変わらず低温気味。この夏は「高温少雨」の傾向だったはずなんだけど、もしかして「夏が来るとしたら」という大前提が付いていたのかな。世界中のあちこちで寒いらしいので、あんがい地球温暖化は中止になって、逆に寒冷化に向かっているのかもしれない。デイヴィッド・スズキみたいなのが「氷河時代が来る!」と触れて回っていたのはそんなに昔じゃないし、そのうちにまた「やっぱり氷河時代の方が正解だ」なんて言い出すのかな。(なんて言っていたら、トロントは30度で、ヒュミデックス(体感温度)は40度。うわぁ、あっつぅ・・・。)

ほぼ1週間ぶりでかなり普通に眠れたので、今日は元気いっぱい。咳で目が覚めたのは一度きりで、それもゴホゴホと2回くらい。咳止めドロップを口入れる必要もなくまた眠ってしまった。日本で買って来た咳止めは良く効くし、砂糖なしなのでいいんだけど、朝には舌が白くなっていて、ざらざらしてヘンな味がするもので、起き抜けからうぇ~という気分になって困る。あんがい、砂糖の代わりに入っている甘味料のせいかもしれない。ま、何にしても、「薬」と名の付くものは、使わないで済めばそれが一番ということかな。(ま、ワタシは飴玉の類をなめるのがあまり好きな方ではないし、薬を飲むのはめんどくさい方だから、そう思うんだろうけど・・・。)

朝食後はゆっくりと仕事にかかる。日英訳は当然日本語の文書を英語に翻訳するわけだけだから、日本で日本人が日本人向けに書いた(海外への発信を想定していない)ものもかなりある。そういうのでも、外国資本が入っていたりすると、内部報告を親会社などに英語で出さなければならない場合があって、そういうのが高度な専門分野を看板にしていない「何でも屋」のワタシのところに頻繁に回ってくる。たいていは請求額の小さい仕事だけど、地道に拾っていればそれなりにけっこういい商売になるし、なによりも、日本の企業文化の「内情」がいろいろと読み取れるのがおもしろい。それを英語思考の人間が読んでわかるようにするわけだけど、ちょっとのぞき趣味的なこともあるし、逆に、やっているうちにこっちまで欝っぽくなるようなこともある。だけど、特に人間関係が絡む問題になると、日ごろ小町横町の外野席で見ている今どき日本の「世情」と一致するから、ま、メディアと言う「建前」に対峙する人間社会の「本音」を垣間見せてもらっているようなものかな。

ただし、その「本音」は必ずしも日本だけの心理というわけではなくて、人間なら多かれ少なかれ持っている性格が、時(今)と場所(日本)と場合(ポストバブル環境)によっては「主流」になって、たとえばOECDの「幸福度指数」とか「文化の窮屈さの研究」といったことによって数値化されることで、日本の外で(ステレオタイプ的ではあるけど)やや具体的なイメージが形成されるんだろうと思う。もちろん、逆も然りで、ある国や文化や人に関する雑多な情報が交錯して、それを外にいる人間がどこまで弁別、解析できるかによって、日本人の間に(ステレオタイプ的)なイメージが形成されるのだと思う。それがまたそれぞれのこだわりや思い込みの強さによって、固まったり、流動的だったりするわけだけど。

問題は、そうやって出来上がった相手方のイメージを、「そういうものか」と受け取るか、「生理的に受けつけない」と拒絶するか、「どうやって変えようか」と思案するか、あるいは「レベルが低すぎ」と侮蔑するか。これまた感性が異なる人それぞれに違うから、人間てのはほんとうにおもしろい動物。基本的には、どちらかというとネガティブな反応にはその人自身の心理が投影されていることが多く、そういう反応をする人はポジティブな反応をする人(とネガティブな反応をする他人)に不快感を持つことが多いように思う。TIME誌に「楽観は遺伝子に組み込まれた機能」という研究についての記事があって、「楽観すると言うメカニズムが備わっていなかったら、人間はみな軽度のうつ病になっていただろう」と言っていた。つまり、ものごとに総じてネガティブに反応しがちな人は楽観遺伝子がうまく機能していないということなのかな。それとも、本当に千差万別、十人十色の「感性」が楽観的な人と、悲観的な人を分けるんだろうか。

楽観的な人も悲観的な人も、それぞれがさらにサブカテゴリみたいな性格に別れるから、やっぱり人間は複雑怪奇。ま、それよりも、仕事の後は月末処理にかからないと先立つものが入って来なくなるから、よくわからないことに納得しているヒマがあったら、ちょっとあわてないと・・・。


2011年5月~その1

2011年05月16日 | 昔語り(2006~2013)
もうひとつ、10年のひと区切りかな

5月1日。日曜日。今日から風薫る5月。ふむ、「風薫る」というのは慣用表現だと思うけど、sweet wind of Mayか、それとも、fragrant windかな。それとも、windよりはbreezeに近いのかな。空の色合いが春から初夏の明るい青へ移って行くのを鼻で感じているようなところがあっておもしろい。日本語には嗅覚的な抽象表現が多いような気がするけど、それだけ鋭い嗅覚の持ち主が多いってことなのかな。まっ、いい天気で始まったから、きっとそよ風も芳しく薫っていることだろうな。

今日の日本はゴールデンウィークの「中休み」で、ワタシは夕方の納期を目指して仕事。ポカミスの始末書みたいな内容で、なんともしょぼい。それでも、経過をたどって行くと、サラリーマンがうっかりミスの「穏便」な収束にあたふたしているイメージが見えて来る。ミスのおかげで迷惑を被った相手方に「つきましては、ぜひとも今回の件は穏便に・・・」なんて口止め工作をしたのかなあ、なんてついちらっと考えたけど、まっ、うっかりミスだから世間に知られたって特に不都合があるようには見えないな。それでも、社内では上へ下への騒動だったんだろうけど。それにしても、日本語作文の質の低下ははなはだしい。(完全にバイナリ思考だし・・・。)一流の職場なんだから、みんな一流大学で教育を受けて、厳しい就活を勝ち抜いた人たちなんだろうに。

仕事を納品して、月末処理をして、夕食後をのんびりしていたら、CNNが「ビンラーデン死亡」のニュース。へえ、とうとうやったんだ。ウィキりークスもすっぱ抜けなかった隠密作戦らしい。大統領が特別声明で発表して、アメリカ中が沸いているそうな。もちろん、石川五右衛門の「浜の真砂は尽きるとも・・・」の通り、ジハードだとか何とか言って「異教徒」を殺すことしか頭にない人間や、殺意の標的にされるアメリカ人に「アメリカの態度が、過去の行動が悪いから自業自得」と言えてしまう人間がいる限りは、テロの脅威はなくならない。アメリカ人だってそれはよく知っている。それでも、彼らにとっては10年前のトラウマのひとつの区切りなのだ。アメリカ合衆国は宗教上の迫害を逃れて来た人たちが作った国。この世界では、自分を信頼して、自分の力と知恵で自らの存在する権利と尊厳を守るしかないということをよく知っていると思う。

たしかに、ニューヨークやワシントンに集まって喜ぶ大勢のアメリカ人たちを見て、「だからアメリカ人は・・・」と鬼の首でも取ったように軽蔑する人たちもいれば、「かえってテロが増えるではないか」と糾弾する人たちもいるだろうな。日頃アメリカ発祥の文物の恩恵に浴しながらもアメリカに嫉妬にも似た嫌悪感を持つ人たちもごまんといる。10年前だって「アメリカが自ら招いたこと」と言う人たちはたくさんいた。「自業自得だ」と。十人十色、人それぞれの反応があって当然だけど、殺人者をそっちのけで、殺された人に「おまえにも悪いところがあった」というのは、DVを受けている人に「あなたにも悪いところがある」と言うのと、DV人間が人を殴っておいて「殴らせるおまえが悪い」と言うのと、同じことじゃないのかな。人はテロとDVはレベルが違うと言うだろうけど、恐怖と暴力で他人を自分に隷従させようというのは同じじゃないのかと思うけどな。

まあ、ワタシが感じる限りでは、日本の社会文化は昔から「けんか両成敗」で人間関係の縺れを一刀両断するのが最善と思っているらしいから、テロにもDVにも虐待にも遭わずに生きて来られた幸せな人にはそれが妥当な解決策なんだろうな。どちらの側にも組しないから、何かあっても責任は降りかかって来ないし、選択を間違ったと糾弾される心配もないし、ことがうやむやになってくれれば、丸く治めた力量を評価されることになるかもしれない。加害者と被害者が明らか過ぎて両成敗が不可能であれば、「こういうことになるとわからなかったのか」と被害者の先見の明のなさ、人を見る目のなさを指摘してやればいい。10年前の9月のあの日をテレビでリアルタイムに見てしまったワタシは、そういう人たちからのまるで中世の異端裁判のような糾弾の嵐から脱出できたばかりだったのところだったな。だから、あの頃の深いトラウマとアルカイダのテロのショックとがダブってしまって、感情のうねりが大きくなってしまうのかもしれない。まっ、あのときに学んだことを忘れずに、自分を信頼して、自分の力と知恵で自分の存在する権利と尊厳を守って行かないとね。最後的にはそれしかないような気がするから。

番狂わせの総選挙が終わった

5月2日。月曜日。総選挙の投票日。小雨もよう。正午過ぎにのんきに起き出して、朝食をすませてすぐに近くの投票所へ出かける。選挙区は「バンクーバー・サウス」、投票ブロックは56で、投票カードの番号は369と370。この選挙区は東西にひょろ長く、西の端は何億円もする邸宅が並ぶ裕福な地区、東の端は中流の下くらいの人たちが多い地区と、所得格差のスペクトラムがやたらと広いもので、いわゆる「浮動選挙区」。現職は前回わずか二桁の票差で当選した野党自由党のウジャル・ドサンジ(インド系)で、対立候補は保守党がウェイ・ヤン(中国系)、躍進目覚しい新民主党がミーナ・ウォン(中国系)。道を歩いていくと、庭先に支持する候補の看板を立てている家がかなりある。一軒の家に2つの政党の看板が出ているのは、夫婦や親子で支持政党が分かれているんだろうな。きっと熱い議論が戦わされて来ただろうけど、まっ、選挙が終わったらまた元の通りに仲良くしなさいね。

投票所はコミュニティセンターの体育館で、ブロックごとの投票箱を置いたテーブルがぐるりと並んでいて、選挙管理委員会のスタッフが2人ずつ。ひとりが投票カードと身分証明(運転免許証)の名前と住所と顔写真を照合して、名簿の名前の横に確認済みのチェックマークをつけて、名前に線を引き、もうひとりがたたんだ投票用紙をくれる。それを後ろにある段ボールの囲いを置いたテーブルに持っていって、備え付けの鉛筆で投票用紙にアルファベット順に印刷されている候補者の名前の横の白い丸の中に✕をつけ、元のようにたたんで投票箱のところへ持って行く。ただし、そのまま投票箱に入れるのではなくて、用紙をくれた人に渡して、たたんだ用紙から突き出している照合用のタブを切り取ってもらって、返された用紙を投票箱に入れる。ワタシが先に投票を済ませて、離れたところでカレシが投票を終えるのを待っていたら、なんとカレシ、タブを取った投票用紙を渡されて、ひょいとポケットに入れようとしたから、テーブルの人が大あわて。ジャケットを引っ張られて、投票箱を指差されて、カレシの「清き一票」は無事に投票箱に収まったけど、この寝ぼけっ!

カナダは西から東までだだっ広い国で、いくつも標準時間帯がある。アメリカもそうだし、ロシアもそうだし、それはそれどうってことはないんだけど、選挙法で西端での投票が終わるまでマスコミは東部での開票結果を報道することが禁じられている。というのは、即日開票なもので、3時間先のオンタリオ州で開票が終わる頃には西の端のブリティッシュ・コロンビア州はまだ投票の最中。オンタリオは超巨大票田なもので、西部でまだ投票しているうちに選挙の大勢が決まってしまうことが多い。そこでとっくに判明した結果を知って西部の有権者が投票をやめてしまわないために報道規制を敷いたわけだけど、それがデジタル時代になって崩れてしまったから大変。前は全国一律で午前8時から午後8時までだった投票時間を、東部では午前9時から午後9時、平原部では午前8時から午後8時、西部では午前7時から午後7時に変更して時差を縮小してみたものの、フェースブックやツイッターなどで即時に情報が流れるから、報道管制は実質的に無意味になってしまった。テレビやラジオは規制できても、個人が主役のソーシャルメディアを規制することは難しいもの。

午後7時になったとたんにメディアはいっせいに開票結果の報道が始まる。西部の票がかなりのウェイトを持つようになったのは過去2、3回の総選挙からかな。アジアからの移民が増えて、西部の人口増加率が高くなり、それにつれてカナダ経済の軸足もだんだん西の方へ移動して来ている。二十一世紀は西部の時代と言えるかもしれない。国政を左右できるだけの影響力を実感するようになって、西部は報道管制など必要としなくなっているんだけど、「トロント=オンタリオ=カナダの中心」というプライドはなかなかそう簡単にはなくならないだろうな。(ちょっとテレビを見て来ようっと・・・。)

午後8時30分。保守党念願の過半数獲得が確定。万年第2野党だった社会主義政党の新民主党が議席3倍増で野党第1党(Her Majesty’s Official Opposition)に躍進。「国民は選挙を要求している!」とぶち上げて少数政権の議会を解散させた自由党は見るも無残なありさまで、党首のイギー自身も落選確実。長年議会を引っかき回して来たa thorn in the side(目の上のたんこぶ)政党のケベック連合は3選挙区でリードしているのみで、党首のデュセップも落選して、まさに風前の灯。速報に「デュセップはオレンジ色のツナミにのまれて潰えた」という見出しをつけたメディアもある。(オレンジは大躍進した新民主党のオフィシャルカラー。)ケベック州の分離独立派の勢力が弱まったということかもしれないし、ケベックの人たちがカナダからの独立を掲げる政党をカナダの議会に送り込んでも無意味だと悟ったのかもしれない。新民主党のレイトン党首がモントリオール出身というのも追い風になったかもしれない。

いずれにしろ、経済危機やら不況やらテロやらと落ち着かない世界で、5年間も不安定な少数政権の下でそこそこに繁栄して来たカナダだけど、やっぱり単独過半数の安定した政権が誕生するのは国にとっていいことだと思う。いくら世界第2位の広大な国土と莫大な天然資源があっても、人が少なすぎるカナダは「大国」とは言えないし、別に大国にならなくたって安定した実務的な政府が国を運営してくれればいい。それにしても、選挙というのはほんとに投票箱を開けてみるまでわからないもんだな。だって、けさの朝刊を見た限りでは、またまた保守党少数政権か、あるいは野党2党の連立政権が濃厚と言う予測だったんだから。まあ、カナダは1選挙区1議席のシステムを取っているので、世論調査の支持率の数字がどうであっても得票率が第2位では意味がないんだけど。

やれやれ、メディアを駆使しての選挙戦も終わって、あしたからはまた静かな日常。まあ、日本のように候補者が拡声器を載せたトラックで名前を連呼して走り回るというスタイルはないから、選挙戦といっても実は静かなもので、防犯意識が高まった今は候補者の戸別訪問もなくなった。うるさいのは各政党のテレビ広告とマスコミに出てああだこうだと御託を並べる政治評論家くらいのものかな。それでも、いかに政治好きなワタシでも毎日5週間も付き合っていればくたびれるし、3月、4月は何かと精神的な動揺が多かったから、元の日常に戻るのはうれしい。

心の中のお荷物も断捨離

5月3日。火曜日。久しぶりにすごく良く眠ったような気分。就寝はいつもより早い午前3時半だったけど、目が覚めたら午後12時半。取りとめのない夢を見ていたような気がする。その夢の中で、日本語だったか英語だったか覚えていないけど、マニフェストみたいなものをせっせと書き綴っていたような。選挙の影響かな。いや、いつも自分の中に潜んでいる別の(たぶん元の)自分と会話しているような、やたらと自問自答しているするようなところがあるから、あんがい自分宛のマニフェストだったのかも・・・。

だけど、朝食後にいつものようにネットの新聞サイトを巡回していて、なんとなく今までとはちょっと違う視点(あるいは受け取り方)で世の中の出来事を見ている自分に気がついて、切れ切れに記憶にある夢のことを考えているうちに、なんとなく「吹っ切れた」ような気分になったから不思議。これが心理学で言う「closure」なのかどうかはわからないけど、コンマ、コンマで、どこまでも完結しない文章に「ピリオド」がついた感じというか、ジグソーパズルのピースが全部きちっとはまったときの感じというか。夢の中で、ここ2ヵ月に見聞きしたいろいろなできごとから感じたことや自分なりに考えたことの整理がついたのかもしれないし、ひょっとしたら、ワタシが眠っている間にワタシの分身が心の中に積み上がった人生の「お荷物」の断捨離を決行してくれたのかもしれない。(お荷物はきちんと焼却処分してよね。リサイクル不可だから・・・。)

テレビ(少なくともカナダの)は総選挙のpost-mortem(検死)でもちきり。かって自由党が過半数を取っていた頃は淡々と報道していたのに、保守党が過半数を取ったら「カナダは大変なことになる」みたいな騒ぎようで、メディアの偏向が丸見えでおもしろい。少数政権とは言え、保守党はもう5年も政権を担当してきたんだけどなあ。惨敗した自由党のイグナチエフはハーパーが議会を2度も停会にしたことを民主主義を踏みにじるものだとして、選挙の争点にしようとしたけど、国民の関心はもっぱら経済、すなわち個人の懐具合。まあ、この「prorogation」という手段は国民を代表する議会の活動を止めるわけで、たしかに反民主的に見える。でも、元はと言えばイギリスの議会制度から受け継いだ立憲君主制ならではの正当な手続きで、総理大臣が勝手に発動できるものではないんだけどな。

意外と知られていないみたいだけど、カナダは立憲君主制国家。だけど君主はイギリスにいるから、その代理としての総督がいて、総選挙で第1党になった党の党首が総督のところへ行って「女王陛下の総理大臣」に任命してもらう。それで、議会開会のときに日本では総理大臣が「施政方針演説」をやるけど、イギリスでは女王が、カナダでは女王の代理である総督が「my government(朕の政府)はこれこれしかじかの政策を行う方針である」と読み上げる。だから、停会も君主の承認をもらわないとできないし、勝手にやったら君主(総督)は総理大臣を解任することができる。まあ、議会を停会にしたのはハーパー政権が始めてというわけじゃなくて、自由党政権もクレチエン首相が汚職疑惑で形勢が悪くなったときにやった。まあ、中道の左側がやるのは問題はないが右側がやるのは民主主義に反すると言うのは、「オレは浮気してもいいけど、妻のおまえがやるのは許せん」と言ってるのと同じような屁理屈だわな。

ま、ワタシが感じる今日のワタシがきのうのワタシとはちょっと違っていることはたしか。追々夢の中で書いていたマニフェストらしきものを記憶から引き出して来て読んでみよう。頭の中まで断捨離されてないといいけど・・・。

巷に溢れるリスクを回避する?管理する?

5月4日。水曜日。いい天気。いい気持ちで眠っているところをカレシに起こされたもので、何か寝起きが悪い。夕べ、テレビの前のリクライナーでいい気持ちで寝ているところを起こしたから、そのお返しなんだと。ふん、そうやってうたた寝するから肝心のときに寝つきが悪くなって困るとこぼしていたのは誰だったかなあ。ホッケーのプレーオフでカナックスがまたまた延長ピリオドに持ち込まれてるってのに舟なんか漕いでいるから、見逃すといけないと思って起こしてあげただけなんで、別にお返しはしていただかなくてもいいんだけど・・・へへへ。

選挙が終わってやれやれと思っていたら、今度は国勢調査のお知らせが来た。郵便で来るのは初めてで、やたらと薄い折りたたんだ紙が2枚。よく見たら、住所は我が家のものなんだけど、1枚は「MAIN」、もう一枚は「BSMT」と書いてある。うちはベースメントに間借り人はいないけどなあと思いつつ、とりあえずMAINの方を開いてみたら、見慣れた国勢調査の用紙じゃなくて、「アクセスコード」の通知。なるほど今回からオンラインでやるということか。紙の用紙でやりたい人はトールフリーの番号に電話すれば送ってもらえるらしい。そうか、戸建てのベースメントを間貸ししてローン返済の足しにしているところが多いけど、今までは臨時採用の人たちが戸別訪問して、貸し部屋の有無を確認して用紙を置いて行ったのが郵便ではできないもので、「念のため」に貸し部屋の分も送ることにしたんだろう。通知には「受領後10日。以内」に国勢調査のサイトにアクセスして回答せよと書いてある。それにしても、「BSMT」の分はどうしたらいいんだろう。国勢調査への回答は法律で義務付けられているけど、幻の居住者をでっちあげるわけに行かないし、関係ないからとぽいと捨てるのも危なそう。問合せ用の番号に電話して聞いてみるか。ああ、めんどくさ・・・。

朝食が終わったら、カレシはさっそく庭へ飛び出して行った。急に気温が上がったもので、温室にあった苗が急成長。放っておくとあっという間に種になってしまって、野菜は食べられなくなるから困る。涼しい方がいいらしいほうれん草やラディッシュはてきめん。そういえば、カレシはなぜかラディッシュの栽培が苦手。初心者でも簡単に栽培できる野菜のはずなのに、カレシのラディッシュは速攻でとうが立ってしまって満足に食べられたことがないから不思議。逆に園芸雑誌などで「育て難い」と書いてあるような花木ならうまく育つから、ますます不思議。園芸上手な人を「green thumb(緑の親指)」を持っていると言うけど、カレシの親指は何色なんだろうな。

日本では焼き肉店で「ユッケ」を食べて食中毒になって死ぬ人が出ていると言うニュース。前から「焼き肉店」てどんなレストランかと思っていたけど、ユッケが人気アイテムと聞いて、やっ「コリアン・バーベキュー」のレストランらしいとわかった。同時に、日本では生の肉を食べるのがグルメとされている(流行している)らしいとわかった。(そういえば、魚じゃなくて、生の獣肉を使ったすし屋ができて繁盛しているという話を聞いたっけ。)まあ、生肉の料理は世界のあちこちにあって、ワタシたちもWilliam Tellが閉店してしまうまではときどきタルタルステーキを食べに行っていた。でも、事故を起こしたチェーンが「激安」で人気だったと聞いて即さもありなんと思ったな。安く売れるのは肉の質を落としているか、工程で手を抜いているはず。でも、肉の質を落とせばこだわりの強い日本人にすぐばれるだろうな。そこで一番手を抜きやすいのは客の目には見えない工程。食品を扱う工程でコストがかかるのは安全対策・・・。

何につけても日本はパラドックスだと思っていたけど、リスク忌避の日本でリスク認識がこんなにも甘いというのもすごいパラドックス。国の衛生基準を満たす生食用の牛肉の出荷が「ゼロ」なのに、焼き肉店ではユッケが大人気?卸元がアルコールで消毒しているから安全?細菌検査でずっと陰性だったから「菌はつかない」?国の基準は満たしていないけど、基準に強制力がないから生でも食べられる?言い訳のどれも閉めは「~と思った」。極め付きは、「お金を払って出されたものだから安全だと思った」という客のコメント。お金を払ったと言っても、「激安」で人気のチェーン。他では800円近いものが300円以下の価格という格差に疑問を感じなかったのかな。デフレになって何でも安いのがあたりまえと刷り込まれてしまっているのかな。もっとも、どうしてそんなに安いのかと聞いてみたところで、「当店では国の衛生基準を満たさない肉を使っておりますので」なんて言うわけがないか。

ハッカーに侵入されてプレステの客の個人情報をごっそり(7700万人全員!)盗まれたソニーが異常を察知していながら1週間も黙っていた上に、呼ばれた議会公聴会に出なかったことで、めんどうなことになりそうな雲行き。欠陥車問題のときのトヨタみたいなことになるんじゃないかなあ。ソニーが情報の漏出をすぐに公表しなかった理由と言うのが「不確かな情報提供で顧客の混乱や不要な行動を招かないため」。ふむ、これ、原発事故で情報の遅れや不足を指摘されて、東京電力や日本政府が繰り返し使った「国民に不安感を与えないため」という説明と何かだか似てるような感じがするんだけどな。即刻公表して注意を呼びかけて、もし情報が違っていたら「すいません」と訂正すればいいだろうに。もしかして、まずは「社外への漏洩リスク」を回避しようということで、内々で何とかことを収拾できないものかと、頭を突き合わせて会議をやっていたのかな。次は記者会見して、「ただちにクレジットカードなどへの被害はない」と言うんだろうか。もしかして、もうそれも言っちゃった・・・? 

視力0.008でも世の中は見える

5月5日。木曜日。何か湿っぽい天気。正午ぎりぎりに目を覚まして、同時に目が覚めたらしいカレシに腕枕をしてもらってちょっぴりいちゃいちゃしたい気分だけど、カレシの左肩がまだ不調なので、カレシの枕に侵入して、頭をくっつけてしばしの間うとうと。ご隠居さんはいいなあ・・・とのどかに考えていて、あ、今日は目の検診に行く前に納品しておく仕事があったんだ。ワタシはまだバリバリの現役で、のんきにご隠居さんをやるにはまだちょっと「若すぎる」もんね。

けさはシリアルの牛乳を切らしているので、粉末のスキムミルク+水+ハーフ&ハーフ(乳脂肪10%)を味を見ながら混ぜ合わせて代用。ふだん使っている乳脂肪1%の水っぽい牛乳に比べるとやっぱり牛乳らしい味がする。まあ、1%のでもスキムミルクに比べたらまだ牛乳らしい味がする方かな。カレシの高コレステロール騒動があって全乳から切り替えたんだけど、ときどきは全乳をコップ1杯ぐいっと飲みたい気もする。北海道の牛乳で育ったせいかな。そういえば、ウェールズを旅行中にスーパーで買って飲んだ全乳はカナダの全乳よりもずっとコクがあって飲みごたえがあったな・・・。)

仕事のファイルを送信して、入れ替わりにフィリピンからの仕事に見積もりをして、月末処理関係のメールに返事を出して、ダウンタウンへ出発。予約したときになるべく車で来ない方がいいといわれたので、今日は地下鉄。新聞に市が草案を出している地下鉄沿線の再開発計画に関する公聴会の記事があって、ノースショアの山並みの景観が売り物の北の斜面は最高4階建て、オークリッジのモールまでは12階建て、バンクーバーの南端にあたるマリンドライブ駅までの南斜面は36階建てという構想で、今後30年で14000人くらいの人口増になるらしい。例によって「長年住んだ閑静な住環境が失われるのは困る」と反対する人もいるけど、明日すぐにそうなるわけじゃあるまいし、30年後にはこの世にもいそうにない年令だな。ワタシたちも20年後にはたぶん再開発でできた地下鉄駅そばのコンドミニアムに住んでいると思うけどね。

行きつけの検眼クリニックのガファー先生はイラン系二世で、年(といってもまだ40代前半?)と共にイケメン度があがる感じ。ワタシが先に検査室に入って、コンタクト付き、コンタクトなしで視力を測定して、眼球の検査。左目の隅でときどきフラッシュが光ると言ったら、99%は正常だけど、1%の確率を否定するために網膜の専門家に見てもらうことになった。(そういえば、前回はカレシが同じ問題?で、同じ専門家のところで問題なしのお墨付きをもらって来たっけ。)ま、第1期にある老人性白内障も進行していないようだし、視力がやや低下している以外は異常なし。新しいコンタクトレンズを頼んで、外で順番を待っていたカレシと交代するときに、何気なく裸眼の視力スコアは20/200くらいかと聞いてみたら、あっさり「2400だよ」という返事。

えええ。北米で使われている「スネレン式」視力スコアでは20/20が日本では視力1.0に当たるから、20/200は0.1に相当する。つまり、ワタシの裸眼視力20/2400は日本式に言うと0.008と言うことになる。日本にいた頃に0.05だったことがあるけど、0.008って少数以下の桁がもうひとつ多いじゃないの。そんなに視力が低かったんだ。生まれつき角膜がでこぼこなためにかなりの乱視で、ついでに近視と遠視も同居しているワタシの目。でも、コンタクトレンズを入れると角膜のでこぼこがなくなるので、矯正視力は0.1以上になって、法的な視覚障害者には認定されないんだそうな。まあ、目がちゃんと見えるに越したことはないけどな。

2人とも検査が終わって、65歳以上で医療保険が利いて半額自己負担のカレシと、「若すぎて」医療保険の対象にならないために全額自己負担のワタシと、今日の検査料は2人分合わせて176ドル(1万5千円くらい)。かなり目を酷使する生活だから、投資と思えば安いものかな。後は久しぶりにRodney’sでビールを飲みながら、カウンターで殻を開けてくれる生牡蠣を2ダース平らげた後、ワタシはディルとバターとワインで蒸したムール貝、カレシは魚介類満載のサラダで夕食。レストラン特製の生牡蠣用の辛いソースを2種類ひとびんずつ包んでもらって(頼むと売ってくれる)、外へ出たらなぜかしゃっくり。(冷たいビールを2パイントも飲んだせいかな。)そのまま盛大なしゃっくりとおしゃべりで周囲の注目(それとも顰蹙?)を浴びながら、地下鉄で帰って来た。(年を取ったら、ヒック、ワタシは地下鉄の駅から徒歩1分くらいの、ヒック、コンドミニアムの最上階に、ヒック、住みたいなあ・・・ヒック。)

コロンブスのアクシデント

5月6日。金曜日。けっこう早い時間に電話が鳴っていたような気がするけど、起床は正午ちょっと前。夜来の雨がまだ降っている。日本はまた週末の休みで、うまく仕事を交わせるかと思っていたら、ぎりぎりに小さい仕事の置きみやげ。金曜日の、それも普通の終業時間をとっくに過ぎた時間になって月曜日が納期の仕事を発注するという発想がすごいな。受注する方の担当者がひと足違いで帰ってしまっていたらどうするんだろう。どこでもみんな遅くまで職場にいるのが「普通」ということになっているらしいから、まあ、それが日本的なんだろうけど。

まだ牛乳がないので、今日は卵でちょっと目先を変えた朝食にしてみた。ほうれん草少しとアスパラガス1本としめじを何本かに塩を水をほんの少し振りかけて、ラップに包んで電子レンジで15秒。ソーセージを2切れスライスして細切れにしておいて、しめじ以外を全部油を塗ったラメキンに入れて、卵を2個ずつ割り入れ、しめじを載せて、パルメザンチーズを載せてトースターオーブンで焼いてできあがり。カレシが庭からめずらしくうまく育ったフレンチラディッシュを採って来たので、トマトをスライスして、ブルーベリーを添えて、ちょぴりおしゃれな朝食になった。フレンチラディッシュは普通の丸いラディッシュよりもマイルドな味で、上が赤、下が白と、見た目もきれいでいい。ラディッシュの葉っぱは捨てるのがもったいないくらい大きいので、明日にでも炒めて付け合せにするか、「大根めし」風に粟かキノアに炊き込んでみるか・・・。

仕事は明日に回すことにして、今日はのんびり。コンピュータの画面から世の中を斜めに眺める。アルカイダは報復テロを展開するんだそうな。イスラム過激派にとっては異教徒やアメリカ人を無差別に殺すのは「聖戦」で、相手の反撃は聖戦に対する冒とくということらしいから、黙っているのはプライドが許さないんだろうな。で、どこかでテロ事件が起これば、また世界が「よけいなことをするから」とアメリカを非難するだろうな。9・11のときにも口先ではテロは許せないと言いながら、内心では「いい気味だ」と舌を出した人たちが世界中にたっくさんいたはずで、さらにテロを招くから報復するなと言ったのはそういう人たちだろうな。本当は自分たちに危険が及ぶのは迷惑と言うことだろうけど、人間の正義なんて所詮そんなものだろうと思う。

最近はあちこちで政治や社会が分極化して、自分の意見を受け入れない相手を敵視したり、蔑視したりする風潮の高まりを感じる。異端者は抹殺してしまえと煽らないだけまだ文明社会は健在と言えるんだろうけど、時代の漠然とした不安感に対する反応なのか、あるいは単なる「負け犬の遠吠え」なのか。まあ、人間の営みは社会も政治も経済も関係もみんなダイナミックに連動しているもので、歴史という記録はあっても、未来への「ロードマップ」なんてものはない。ないからこそ、「予言」に期待をかけるんだろうけど、実際のところは、一歩ごとに周りを見回して危険をチェックしつつ、転ばないように前進する以外にないように思う。(それでも、つまづいて転ぶことがあるけど。)「黄金の国ジバング」という途方もない投資話をイサベラ女王に売りつけたコロンブスは相当な山師だったらしいけど、それでも海図のない大西洋を渡るのは太陽と星空と風向きが頼りのおっかなびっくりだったろうな。きが頼りのおっかなびっくりだったろうな。結局、黄金のジパングじゃなくて未開のアメリカ大陸に行き当たるというアクシデントがあったわけだけど・・・。

変わらないものと変われないもの

5月7日。土曜日。今日も湿っぽい。正午ぎりぎりに起き出して、まずは牛乳作り。ぐうたらして買いに行かないから、ソースやスープに使うつもりで買ってあったハーフ&ハーフがとうとう全部ただの牛乳に化けてしまったじゃないの。

置きみやげの仕事は論文の抄録。短いから夕飯前に終わりそうでいいなあ、なんてのんきに訳していたら、ん?何かおかしい。どうも日本語の主語を間違えたか、動詞の意味を勘違いしているらしく、そのまま訳したら全体の趣旨とは逆の意味になってしまう。困るなあ、こういうの。だけど、増えて来ているんだよね、この頃。漢字熟語の定義やことわざの意味の解釈がずいぶんと変わってきているらしい。ま、言葉は人間と同様に流行り廃りのある生き物だから、「ら抜き」や「さ入れ」が文法を変えたように、単語の意味の勘違いがそのまま定着してしまうこともあるだろうけど。そういえば、小町に「自覚」のつもりで「自負」と書いてある投稿があったな。自分の欠点を自覚するのと自負するのとでは、この先の人生に大きな違いがありそうな気がするけど。

さて、相変わらずいろんな新聞を読み比べながらつらつらと考える。膨大な個人情報の流出で騒がれているソニーは、前からサーバーの欠陥を指摘されていたらしいのに、対策を取らずに「システム管理者が認識していなかった」と言っているそうな。科学者が巨大津波の可能性を指摘したのに「確たる科学的証拠がない」と退けた東電と何だか似てるな、これ。「日本ブランド」の信用まで失われかねないというけど、これは日本ブランドの「技術」の信用問題というよりは、日本ブランドの「企業風土」の信用問題だと思う。機械的なことなら日本の技術はどの国よりも信用できる。でも、その優秀な技術で作ったものを世界に売る企業文化の方は信用できないな。不正侵入に気づいてから公表するまでに1週間もかかったのは対応が「ずさん」だったからって、細かいところまでこだわる日本人が「ずさんな対応」なんてありえない・・・よね?

焼き肉チェーンでの生肉ユッケによる食中毒は、サプライヤーもレストランも客もみんな安全は「あっち」がやることだと思い込んでいたような印象。流行に載った「~は○○でなきゃ」というこだわりには落とし穴が多いけど、そういう「こだわり」はこだわる人の自己責任(つまり、リスクの存在に対する事前の了解)みたいなところがある。でも、単純に「誰かがやってくれている」という思い込みはその自己責任を放棄したようなもので、命の安全が絡むことでのそういう思い込みほど怖いものはないと思う。自分の安全を自分の知恵で守るというのはけっこうしんどいことだから、それをしないで済めばストレスがなくていいだろうけど、そのくらい他力本願でいていいのはまだ知恵がついていない赤ん坊くらいじゃないのかな。

ビンラーデンがこの世から消えて1週間立たないのに、きのう配達されたTIME誌はもう特集を組んでいた。特に読もうという気にはならなかったけど、ページを繰っていて見つけた短い記事に興味を持った。10年前の9月のあの朝、ブッシュ大統領はフロリダ州サラソタの小学校の教室で2年生の子供たちが本を読み上げるのを聞いていた。そこへ、補佐官が入ってきて大統領に耳打ち。大統領の表情がこわばり、真っ赤になるのを間近に見た当時6、7歳だった子供たちも今では多感な高校生になっている。国際バカロレア資格を取ろうとしている男の子はあのとき「世界はすごく広いこと、アメリカについていろんな見方があって、そのすべてが好意的ではないことを知った」と言う。大学ではビジネスと語学を学ぶつもりとか。ミリタリーアカデミー(陸軍式の規律で知られる私立学校)に進学した女の子は、当時はまだ7歳で何が起きたのかよくわからなかったとしながら、「時が経つにつれて、世界中のみんなを支配して、どのように考え、何をするかをコントロールしたいがためにと思うとビンラーデンに対する怒りがどんどん大きくなった」と言う。カメラをまっすぐに見つめて立っている制服姿の彼女の夢は獣医になることだそうな。

おもしろかったのは、テロリストをやっつける人気テレビシリーズ「24」を軸に、テロ後のアメリカのエンタテインメントの流れを見て、尋常でない時でも「我々が普通の形に戻って行く様を見ることができる」と分析した記事。(ちなみに「24」はテロの前に制作が始まっていたとか。)TIMEは最後のページのコラムに、「勝利は、ビンラーデンの死ではなく、あらゆる面で彼が我々を変えられなかったことにある」と言う見出しをつけた。それはたぶん、ビンラーデン一味は自分たちの不満を異教徒や欧米に向け、暴力で「変われ」と脅したのであって、イスラムの聖戦でもなければ反帝国主義闘争でもなかったからだろう。チュニジアに始まって、エジプトに広がり、今は中東各地で起こっている民衆の民主化要求デモがそれを裏付けているんじゃないかと思うけどな。

行く川の流れは止まらない

5月8日。日曜日。何か湿っぽいけど、まあまあの日。マニトバやケベックではあちこちの河川が融雪洪水を起こしているし、アメリカでもミシシッピ川がテネシー州で大洪水を引き起こしている。はて、今年のフレーザー川はどうなるんだろうな。だけど、古代のナイル川と同じで、氾濫するごとに土地に栄養分を残して行くから、ダムや堤防で自然の営みを無碍に遮るのも何だかなあという気もしないではない。川が氾濫しなくなれば、土地は栄養分が補給されなくなって、やせて行くばかりということにならないんだろうか。ゆったりと流れる川は見ているだけで癒されるような穏やかさがあるけど。

あれはハリケーン・カトリーナの翌年だから、2006年だったかな。アメリカの協会の会議があって、10月にニューオーリンズに行った。(カレシがそのときに復興支援のTシャツを着ていたから思い出した。)観光名所のフレンチクォーターには「売り」、「貸し」の張り紙をした店先がまだたくさんあって、ビジネス街でさえもドアや窓に合板が打ち付けられたままのところが残っていた。ミシシッピ川を見たくて、「あっち」と指差された方角に道路を渡って、階段!のある斜面を「上って」行ったら、急に目の前に海かと思うような広々とした川が現れた。子供の頃に『世界の国々』とかいうシリーズ本で見た観光用の外輪蒸気船「ナッチェス号」(9代目)が見えたから、あれがまちがいなく大いなるミシシッピ川。ミネソタ州に始まって、Mighty Moと呼ばれるミズーリ川やオハイオ川のような大河と合流しながらアメリカ大陸をほぼ縦断してきたミシシッピ川は、大河と言うよりは、まるで湖を見ているような感じだったな。

川が海と出合うところで生まれたワタシは、旅先で見た川がいろんな印象となって記憶に残っている。セーヌ川の河岸は観光船が忙しく往来して、絵葉書の方がロマンチックだったし、テムズ川はヒースロー空港に向かって旋回する飛行機の窓から見たのが一番良かったな。あのときはバッキンガム宮殿も国会議事堂もビッグベンも見えて、ひと回りでロンドン観光ができてしまった感じ。ダブリンのリフィー川は何ともいえない重々しさが印象的だったし、シカゴ川は洗練された感じで、日曜の朝ミシガン湖へ出るヨットを通すために、次々と開閉する跳ね橋がまるでバレエのようだった。ニューアークから見るハドソン川はいかにもニューヨーク。イーストリバーはブルックリン橋を歩いて渡った。去年、宮崎でホテルの窓から眺めた大淀川はゆったりとしてすばらしかったな。十数年前に北上のホテルでひとり眺めていた北上川もほっとするような雰囲気の川だった。大津波はどこまであの北上川を遡ったんだろう。

日本で3番目か4番目に長くて、2番目か3番目に広い流域を持つ石狩川はいうまでもなく北海道の「母なる川」。生まれ故郷の釧路川はワタシの母なる川。霧の中に幣舞橋がおぼろげに浮かび、秋には船体を黄色に塗ったさんま漁船が終結し、冬になると河口に砕けた流氷が流れ着いたものだった。BC州の「母なる川」フレーザー川は日本で一番長い川よりも4倍近くも長い。大陸と島の地形の違いだけど、それでもカナダではやっと10番目の長さ。我が家からずっと坂道を下りて行くと、そのフレーザー川の北支流に行き着く。昔は春になるとよく氾濫したそうな。ずっと郊外のチリワックで、眼下にフレーザー川を見渡せる山の斜面の1000坪ちょっとの造成地をもう少しで買うところだったのは、もう十何年も前の昔の話だなあ。眺めて暮らすなら、やっぱり川よりは海の向こうの水平線の方がいい。

本棚のバインダーを整理していたら、10年くらい前にコンサートでシューマンの交響曲「ライン」を聴きながら、ふと浮かんだのを書きとめた「The River」という詩があった。シビアに推敲しないと詩とは言えないような駄作だけど、ひたすら流れてゆく川のイメージ・・・。

The river runs forward forever,
Only forward, never looking back.
Unconcerned of your woes,
Or dreams, or nightmare,
The river just flows past you.
Where does the river comes from, you ask?
See, way over there,
Beyond cities, and tall forests,
Up the mountain till you touch the sky,
There, you see, the majestic trees,
In a tryst with the gentle spring rain.
From their dreamy rapture,
Deep inside a mysterious veil,
The river is born, drop by drop,
On the bed of soft green moss.
Sensuously, and secretly,
The river comes running down,
And down the mountain as it grows.
Someday, the river will come to the ocean
Where it will rest, in a slumber of the blue.
Someday, the river will rise to the sky,
Into the rain cloud, drifting over
To the top of the mountain,
For a misty tryst with tall trees.
You see, the river never runs backward.

さて、ノスタルジックな気分に浸っていないで仕事をしなきゃ。行く川の流れは何とかというから。

信号無視は自己責任でお願いね

5月9日。月曜日。まだ肌寒い。季節はずれの低温と日照不足の落ち着かない天気はまだしばらく続くと言う予報。水曜日と木曜日は「3月の雨の日」のような感じだそうな。でも、夏は「そのうちに来ます。いつもそうですよ」と、環境省のお天気おじさん。まあ、そうだけど・・・。

今日はシアトルまでちょっと長いドライブに出るトラックを整備してもらいに行く日。カレシがトラックを運転して、その後ろをワタシがエコーを運転してついていく。トヨタのディーラーはその気になれば歩いて帰って来れる圏内なんだけど、結局はめんどうくさくて「送迎サービス」付き。こういうときには車が2台あるのは便利。エコーをガレージから出して、あれ、燃料ゲージがピカピカ。表示が最後の1本。うはっ、ガス欠寸前だ、これ。でも、行く先は近いし、たしか両側にガソリンスタンドがあるから、ま、いっか。

カレシが選ぶジグザグのルートに従って、誰にも間に割り込まれることなく順調に進んで、あとひと息のフレーザーストリートとマリンドライブの交差点で赤信号。信号が青に変わって、カレシが道路を渡り、後ろのワタシもそろりと発進したとたんに、どこかでホーンが鳴って、ひゃっ、目の前に人間が!!反射的にガシッとブレーキを踏んだら、その人間、大きな声で「Oh, sorry!」っと言って、何ごともなかったみたいに歩道へヒョイ。おいっ、何が「ソーリー」だ!こっちは心臓を吐いちゃうところだったよ!あんたをはねちゃったら、いくらワタシの責任じゃなくたって、一生のトラウマになっちゃうでしょうがっ!そうなったらどうしてくれんのよっ!

まあ、それでもまだ前方は青だったので、気を取り直して道路を渡り始めたけど、今度はバックミラーにオートバイの警官が!あああ、やだぁ、もう。止められるかと思って、ディーラーの駐車場に曲がったら、なぜか先を行っていたカレシはそのままどんどん走って行くじゃないの。おいおい、ワタシを見捨て逃げるの、アナタ?!リコンだよ、リコン!だけど、思案しつつ待っていてもオートバイの警官は現れない。さては、信号無視で横断した歩行者の方を追っかけて行ったんだな。もしも、もしも万一そのおバカやろうとぶつかってしまったとしても、ワタシのせいじゃないもんね。ワタシの左側から走って来たし、左側にはでっかい市役所のトラックが止まっていて、ワタシには見えなかった。たぶん、市役所のトラックの運転手が赤信号を無視して横断し始めたあんちゃんにホーンを鳴らしたんだろうな。なんせ、エコー(日本ではヴィッツ)はおチビだから、でかいトラックの横についたらもうひたすら前方しか見えないの・・・。

中途半端な場所でギアをニュートラルにして待っていてもカレシも警官も来ないもので、どうしたものかとしばし思案していたら、カレシのトラックがワタシの横を通り抜けて、整備工場の入り口の方へ。なんだよっ、今ごろっ!あわててエコーを駐車して、工場のオフィスに入ってみたら、カレシ曰く、「ついうっかり通り過ぎちゃった」。あ、そっ・・・。見たでしょ、おバカなやつ?「うん、信号が変わって交差点に出てから、走り出すやつがバックミラーに見えたけど、きみに動くなよって念力をかけるしかなかったの」。あ、そっ。まっ、Uターンして駆けつけるってわけにも行かないしね。それにしても、近頃の若い人は命を大事にしないねえ。んっとに、もうっ。

あのおバカと対照的なのが、今すごい話題になっている、冷え込む山の中で7週間も生き延びた女性。BC州内陸のペンティクトンから車でラスベガスを目指した50代のカップルがオレゴン州のコンビニの防犯カメラに写っていたのを最後に行方不明になったのが3月。遭難したのか、事件に遭ったのかもわからずにいたら、先週になってネバダ州のアイダホ州との境の山中で奥さんが見つかって救助された。何と7週間ぶりの生還。景色を楽しもうとハイウェイを出て田舎道を行くうちに、車が通らない林道に迷い込んだらしい。旦那さんはその後助けを求めに行ったまま行方不明。雪の残る厳しい環境だから、おそらく凍死したんだろうな。奥さんは持っていたナッツやクラッカーのミックスを1日。にひと口くらいずつ食べ、雪を食べて水分を摂り、日記をつけ、聖書を読んで救助を待っていた。発見されたときは餓死寸前だったそうだけど、病院では医者がびっくりするくらいの回復ぶりだそうな。

赤信号を無視して動き出そうとする車の前を駆け抜けようとする(駆け抜けられると思う)バカがいる一方で、人っ子ひとりいない荒野の中の動かない車の中で、救助されると信じて手持ちの食べ物をできる限り長持ちさせようと自律しながら生き延びる人がいる。何なんだろうな、この違い。年齢の違いによる経験値の差かな?生命観や自分の価値観の違いかな?単なる若さゆえの無謀なのかな?深く考えずに無謀な行為をするのはやっぱり自分を大事に思っていないということなのかな?まあ理由が何であれ、自分の命が大事に思えないなら好き勝手に粗末にしてくれてもかまわないけど、ワタシの心に一生癒えないトラウマを残すのだけはやめてよねっ!

文明の利器を妄信するなかれ

5月10日。火曜日。5月だけど、さっぱり初夏に近づくどころか春爛漫にもならない。それでも、人間はけっこう慣れてくるから不思議だな。もっとも、いつまで待っても来ない春に慣れているみたいなのはワタシだけかもしれないけど。ま、ゴールデンウィークのメーデーのデモによく雪が降るところで生まれ育ったもんで、「春」と言うものがなかなか来ないことにあまりイライラしないのかな。春だって夏だって、いつかはそれなりに来るもんだから・・・。

でも、やっぱり春の遅い北国の人間は我慢強さを鍛えられるのかもしれないな。自分の支配の及ばないことにイライラ、せかせかしないのが生き延びるための知恵なんだろうか。だけど、それは決し「長いものには巻かれる」ことではない。北方圏の人たちにとっては、やっと春が到来し、短い夏が来たときに、その後にやってくるあるかないかの秋と長い長い冬に備えるエネルギーを自分の手で生み出して蓄えることが生存本能に近いものなのかもしれない。それが都会化の波や社会・文化の画一化で失われて行くとしたら残念だけど、ま、それも時代の流れなんだろうし、そういう時代に生きる人たちの選択だろうから、それが幸福ならそれでいいけどね。

ラスベガスへ向かう途中でネバダ州の荒野で遭難して、奥さんだけが7週間(49日。)ぶりに救助されたカップルは、車に搭載してたGPSシステムの指示に従っていて、しだいに条件の悪い道に迷い込んで行ったらしいということだった。カップルが辿ったルートを車が発見された地点まで走ったレポーターは、でこぼこの泥んこ道を80キロも行く間に人家らしいものがまったく見えなかったと言っていた。助けを求めに行って行方不明になっている夫は携帯用GPSを持っていたそうで、北へ14キロほどのところに牧場があるにもかかわらず、おそらくGPSは数十キロも離れた「一番近い町」へ戻ることを示唆しただろうということだった。一見して理に適っているようだけど、そこはキカイのことだから、地図に線として描かれた道路は知っていても、途中の地形が険しくて、まだ深い雪が残っていることなどは知る由もない。

キカイを使うと便利だし、それを可能にする技術はすばらしい。だけど、やっぱりキカイはキカイ。プログラムされた思考、入力されたデータしか持ち合わせていないから、臨機応変に周りを見渡して、最善の手段を考えてはくれない。いや、考えてくれないんじゃなくて、人間に代わって考えられるようにはできていないということなんだと思う。GPSシステムに限って言えば、去年の夏にウィスラーに行ったときにデイヴィッドが持ってきたGPSを使ったんだけど、目的のホテルがU字型に大きく旋回する1本の道路に2度目に出たところにあるのに、最初に交差するところで「左折」を指図したおかげでワタシたちは迷子になってしまった。引き返してやり直しても「左へ曲がれ」と指示が出るのに、どこまで行ってもリゾートホテルらしい建物がない。結局は、同じところをぐるぐる走り回った挙句に、「左がだめなら右へ行ってみよう」ということになって、GPSの指図を無視して右折。半信半疑ながらそのままず~っと走っていたらホテルに行き着いた。

まあ、ウィスラーは都市化しているし、車の4人が船頭多くして何とやらのことわざよろしく、あっちでもない、こっちでもないと議論した挙句にGPSの意向を無視することで事なきを得たけど、もしも人里を遠く離れた山の中での「誤案内」だったら、不運なカップルのように遭難してしまう可能性だってあったと思う。人間と言うのは、便利さに慣れてしまうと自分で考えるのをやめて、つい「おまかせ」の方へ流れてしまいがちだけど、あのときのGPS騒動は「文明の利器」の過信や妄信ほどこわいものはないことを思い知らされたできごとだった。

だからといって、むやみやたらと自分の力を過信するのも危険であることには違いないな。札幌にいた二十代前半の頃、深夜のススキノで迷子になって、「北極星を見つければバス停の方向に出られる」と、夜空を見上げながら彷徨したことがあった。酔いでぼやけた視界いっぱいにネオンがまたたいているところで天文観測も何もあったもんじゃないけど、相当に酔っ払っていたし、世間知らずで怖いもの知らずの若さゆえに、たぶんかなり危険な状況だったんじゃないかと思う。考えたら、世間知らずもまたこわいし、何よりも、若さゆえ、それにまつわる経験不足ゆえの怖いもの知らずもかなりこわいということか。ま、あのときは何とか「遭難」せずに無事に家に帰り着いて、母から「嫁入り前の娘が何たること」と大目玉を食って無謀を反省したけど・・・。

やれやれ、うるさいったら

5月11日。水曜日。雨もよう。いい気持ちで寝ていたら、早く目が覚めたらしいカレシに起こされてしまった。何でも防犯アラームがピコピコと鳴り出して、起きてみたところへ警備会社から電話がかかってきて、停電のときのための予備電池の寿命で新しいのと交換すると言って来たとか。「明日の午前8時から12時の間に来るってさ」と。ふむ、午前8時ジャストかもしれないし、正午ぎりぎりかもしれない。ま、シアトルでは早起きしなければならないから、いいか。

とにかく今日は明日の出発前に仕上げて送らなければならない仕事が最優先中の最優先。これ、玉の日本語訳だから、むやみに話しかけないでね。英訳しているときは話しかけられてもうるさいだけなんだけど、なぜか日本語を書いているときに限ってカレシに話しかけられると、脳波がめちゃめちゃに乱れてしまうから困る・・・。

カレシが忘れかけていた国勢調査の回答をしながら、「生まれて最初に覚えて今でも理解できるのが母語だから、キミの分は日本語でいいよね」と聞いてくる。聞かなくたってわかってるだろうに。カレシ曰く、「重要な統計だから、念のため」。キーをカチャカチャやっていたと思ったら、今度は「家庭で日常使われている言語のところに日本語も入れとく?」と聞いてくる。そんな質問項目なんてあったっけ?我が家では日本語での会話なんてしないし、やろうとしたってできないでしょうが。日本語はワタシの頭の中で以外はまったく使われてないんだから、統計が狂っちゃうようなふざけたことを答えるんじゃないのっ!カレシ曰く、「そう言われれば、うちは英語だけだよな」。夫婦のコミュニケーションの言語はひとつありゃ十分でしょうが。んっとに、もう・・・。

間に合うのかどうか、心配しながらの追い込みの最中、「ポーチの電球が切れている」と報告。あのっ、電球くらい自分でさっさと取り替えられないのっ?「どこにあるかわからない」。あのっ、いったい何年この家に住んでるのっ?電球はもう10年も同じ引き出しに入ってるんだけどっ!「普通のやつ?渦巻きのやつ?」ううう、普通のやつっ!「何ワット?」うううう、60ワットっ!

たまたま明日は早起きしなければならなくなったから、仕事の方は何とか間に合って終わりそうだけど、怒るよ、ワタシ。ああっ、もうしらないってば! 

ではちょっと国境の向こうまで

5月12日。木曜日。午前8時に目覚まし。体内時計にしたらまだ夜中の感じで、頭がぼや~ん。だけど、久しぶりに朝の光。ポーチの温度計はほんとに季節はずれの5℃で、ちょっと湿っぽいけど、晴れて来そうな予感。いびきをかいているカレシを横目にさっさと身支度して、オフィスに「早朝出勤」。

大特急で残りの仕事をやっつけにかかる。きのうは結局午前3時頃までがんばったけど、まだかなりの量が残っている。9時過ぎにカレシが起き出して来たので、仕事を中断して早い早い朝食。すぐにオフィスに戻って仕事を続行。親指の関節が痛くてちょっとつらいんだけど、とにかくやるっきゃないから、カレシがバンバン送ってくる「かまってチャン」オーラを無視して、ひたすらキーを叩く。(なぜか旅行に出る前になると何となく不安でストレス状態になるのか、カレシは「かまってチャン」モード全開になる。今回は「すぐそこ」のシアトルまで行くだけなのに・・・。)

午前11時45分、警備会社のテクニシャンが来て予備電池の取替え。こっちは手を離せないもので、ここはカレシに対応してもらう。仕事をしながら、電池の取替えにしては時間がかかっているなと思っていたら、制御盤の中にある変圧装置が手で触れないくらい熱くなっていたんだそうな。原因は変圧器の容量不足で、過熱による故障停止の寸前だったとか。ドアの開閉とモーションの無線センサーが合計6つ、煙探知機が1ヵ所、おまけにワタシが持って歩いているリモートコントロールもあって、かなりの荷重になっていたらしい。容量の大きいのに取り替えてくれて、電池も取り替えてくれて、全部正常に作動することを確認して、作業終了。まあ、過熱しても故障するだけで火事になる危険はなかったらしいのでひと安心。留守の間に故障してアラームが鳴り出したりしたら、留守番約のシーラがびっくりしてしまうもんね。

午後1時半に仕事が完了。さっと見直しをして、さっと送信。やれやれ、間に合った。さて、まずは平常時間のランチを食べて、ぼちぼちと持って行くものをまとめるか。といっても、飛行機に乗るわけではないし、週末だけだから、小さいスースケースと後はそれぞれがバッグひとつずつ。適当に詰めて、トラックの座席の後ろに放り込むだけ。こういうときは陸続きでハイウェイ一直線というのは楽でいいな。国境まで約30分。アメリカ側に入ってシアトルまで約2時間。カナダ人はパスポートだけあればビザも指紋採取も不要でアメリカに入国できる。ただし、国境で込んでいればカナダ人も何国人もなくて、復活祭の連休のときのようにのろのろと3時間待ちなんてことになるんだけど、まあ、今日は平日だし、連休はまだ先だから、深夜になればすいすいと行けそうな気がするな。(それが待つのが嫌いなカレシの狙い目なんだけど・・・。)

さて、シャワーをして、洗髪して、ちょっとはメイクをして、夕食の支度をして・・・ああ、やることがいっぱい。腹ごしらえができたら、ちょっとそこまで、行ってきま~す。

世界で一番長い国境の北と南

5月15日。日曜日。シアトルでの会議がけっこう盛況で終わって、夕食後にハイウェイをぶっ飛ばして帰って来たら、午後11時前。まだ日曜日だった。狙った通り、連休でもないので、日曜の夜の国境はがら空き状態。ほぼ待たずに入国管理のブースへ。けっこう機嫌の良さそうな女性の入国管理官とやり取り:

 「お帰りなさい。いつカナダを出たの?」
 「木曜日の夜。」(これで48時間以上滞在で1人400ドルまで免税になる。)
 「どこへ行って来たの?」
 「シアトル。」
 「何をしに行ったの?」
 「翻訳会議。」
 「あら、翻訳をするの?」
 「いや、ワイフがそうで、ボクは隠居」
 「じゃ、お供で遊びに行けるのね。」
 「かばん運びもするよ。」
 (ワタシの方をのぞいて)「うらやましいわ~。」

和気藹々になったところで、持ち帰った買い物の金額や、定番の質問と応答があって、2分ほどでカナダ側に戻って、カレシが「お供で遊びだってさ」と大笑い。カナダの入国管理官はけっこう態度がていねいだし、ユーモアのセンスもあるのだ。

木曜日の夜は国境に着いたのが午後8時40分。電光掲示板に所要時間15分と出ていたけど、実際には10分もかからずにブースまで進んで、アメリカの入国管理官とやり取り:

 (パスポートを読み取り機に通しながら)「どこへ行くの?」
 「シアトルまで。」
 「何しに?」
 「会議があるので・・・。」
 「何の会議?」
 「翻訳者の会議。」
 「アメリカにはいつまで?」
 「日曜の夜まで。」
 (パスポートを返しながら)「OK。」

アメリカ側はきっとテロリストの入国を水際で防ごうと意気込んでカリカリしているところもあるんだろうけど、ぶっきらぼうで、淡々と台本を読むような質問のしかたが柔らかめのカナダ側と対照的でおもしろい。カナダ側で態度が柔らかいのは、ワタシたちが「カナダ市民」だという要素もあるのかな。カナダ永住者でも、たとえば日本のパスポートを持っていれば、日本から訪れた人と同じように指紋を取られるし、ESTA(電子渡航認証)を取得する必要もある(と思う)けど、カナダのパスポートを持っていれば指紋採取はないし、ESTAも不要という手続き上の違いはある。もしもワタシが日本国籍のままでいたら、手続き上の違いの他にも何か国境での対応に違いはあるんだろうか。(去年は空港でワタシのパスポートの真偽を疑っているような対応だったけど・・・。)

でもまあ、我が家はやっぱりいいよなあ。帰って手足を伸ばせるところがあることも旅の楽しさを増す要素だろうと思うし、特に管理された国境を越える旅の後は、「帰って手足を伸ばせるところ」があることのありがたさがよくわかるような気がする。さて、2人でゆっくりと風呂に入って、今夜は寝なれたベッドでぐ~っすりと寝ようっと。