リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年1月~その3

2011年01月31日 | 昔語り(2006~2013)
ちょっとだけ日常を離れた午後

1月21日。金曜日。午前11時15分に目覚まし。ごそごそと手を伸ばして、アラームを留めるボタンを押したのに、止まらない。もう一度押しても、止まらない。押しても、押しても、ピーコ、ピーコ。そっか、ベッド脇の時計にセットしてある目覚ましの時間を変えるのがめんどうで、バスルームにおいてある旅行用の時計で目覚ましをかけたんだった・・・。

今日はほぼ9ヵ月ぶりにヘアカットに行く日。最後に行ったのは日本へ行く直前の4月末。あれから10センチくらい伸びたかな。明るいワインレッドだったハイライトはすっかり色あせて、裾のあたりに何色なんだかわからないところがあるのがわかる程度。去年は何となく忙しいような、ただせわしないような感じで、とうとう行きそびれてしまった(と自分に言い訳・・・)。だけど、ここまで来たらもうソヴァージュだ~と粋がっているわけにもいかない。何ごとにも潮時ってもんがあるんだから・・・。

モールの外側にある行きつけのサロンは、すぐ外に地下鉄の駅ができたおかげなのか、場所を借りるスタイリストが増えて満席。隅の椅子はロシア系の若い女性で、お客との話はロシア語。よくみかけるかなり年配の男性のお客はいつも年配の女性。イギリス英語なんだけど、ロンドン子のコクニー訛りよりはやや品がある。ランカシャーの話をしていたから、そっち方面の訛りなのかもしれない。ときどき見かけるアジア人の男性美容師は広東語。オーナーのジュゼッペの隣の椅子で女の子にパーマをかけているアジア系の女性は新顔。中国語にしてはちょっと違うなあと思って聞いていたら、携帯で「カムサハムニダ」と言ったから、あ、韓国系か。これだけでもBGMのモーツァルトもびっくりのにぎやかな不協和音なんだけど、ジュゼッペがカットしているところへ奥さんのアンナがチェックを入れて意見が食い違って来ると、けんか腰のイタリア語が加わる。しきりに肩をすくめるジュゼッペ。イタリア人てかかあ天下が多いのかなあ・・・。

気に入っているいつものスタイルにカットしてもらって、ワインレッドのハイライトを入れてもらって、白髪を(アンナに「ずいぶん増えたわねえ」なんて言われながら)しっかり隠してもらって、最後のカットの微調整まで延々3時間。ふだんは手に取ることのない女性雑誌を読むのもけっこう楽しい。ドラッグやお酒で問題を起こしてばかりの困ったちゃんのリンゼイ・ローハン。すっぴん顔の写真を見て、意外と年が行ってるのかなと思ったら、まだ24歳だって。アラフォーぐらいに見えてしまうのは、かなり荒れた生活をしているからだろうな。なんかかわいそう・・・。

クリントン元大統領の一人娘チェルシーが選んだお婿さん、すっご~くハンサム。保守派のユダヤ教徒の花婿と、メソジスト派のキリスト教徒の花嫁。結婚式は2つの宗教の儀式を組み合わせながらも、愛の詩を交換したりして現代風にロマンチック。ちょっぴりの羨望が輝ける結婚式がなかったワタシの胸をチクリ。ほんの、ほんのちょっぴりだけど・・・。チェルシー13歳でマーク16歳の時に知り合って、スタンフォード大学でも一緒だった長い付き合いの2人。花嫁を見つめる花婿はラブラブ過ぎてとろけてしまいそうな、ハートマークがいっぱいの目。う~ん、若い愛はいいなあ。

チェルシーのお母さんはクリントン国務長官。ええっ、あのヒラリーはワタシとたったひとつ違い年だったの?つい雑誌のヒラリーの写真と、鏡の中のワタシの顔を比べてしまうのは女心のなせる業かな。(ヒラリーの方が6ヵ月年上なんだけど。)「ビクトリア・ベッカム風だよ」とジュゼッペが言うヘアスタイルになってすっきりしたワタシ、ほんのちょっぴり若返った気がする。へえ、そっかあ。ヒラリー・クリントンとワタシは同い年も同然・・・。

そんなぐあいに、ちょっと日常の現実から離れた午後がの~んびりと過ぎた。

独居老人になったときの人生設計

1月22日。土曜日。何かヘンな夢を見てはうつらうつらで、あんまりよく眠った気がしないけど、まあ、普通に目が覚めて、普通に起きた。外はけっこう暖かそうだけど、東部の方はとテレビを見ると、わっ、寒波襲来。カナダ全国の天気はいたってあまのじゃくで、アメリカとの国境沿いの地域を端から端まで見渡すと、一般的に西が寒くなれば東は暖かく、東が寒くなれば西の方で暖かくなる傾向があるから不思議・・・。

うかうかしているうちに仕事が重なってしまったので、今日は朝食後からまじめに仕事。学者が書いたものはその筋の学術用語を探して、それらしい文例をネットに山ほどある論文から検索すればけっこう楽なことが多い。仕事によっては、レビューするのが最高学府で最高学位を取った人だったりするけど、極楽とんぼのワタシは「物知り博士と門前の小僧の禅問答」みたいな図を勝手に描きながら、ひとり楽しく仕事をして、後はよろしく~。物怖じしないのか、図々しいだけなのか、ただ怖いもの知らずのおっちょこちょいなのか。どこまで行ったら「限界!」と大書した壁にぶち当たるのかなあと思いつつ来たつもりだけど、ひょっとしたら初めっから目の前にあった壁に肩をつけて、えいえいと押しくらまんじゅうをやってきたのかなあとも思ったり・・・。

トイレに行ったついでに、洗濯物を洗濯機に放り込んでいたら、カレシが後から覗いて、「やろうと思っていたんだ」と。下着がなくなったというから、仕事の合間に洗濯機を回しているってのに、何じゃ、それは。ま、カレシにやらせたって、どっちみち1分おきに「あれはどうするの」、「これはどうやるの」と聞きに来るに決まっているから、かかる手間はあんまり違わない。それに、もしもワタシがひとり身だったら、どのみち自分で家事全般をやるわけだし、そうでなくたって昔は毎日家事を100%、仕事を110%やっていたんだし・・・。

家事の分担でもめる共働き夫婦が多いようで、女の方が年収が何対何だから家事の分担は反比例して何対何という理想論?を持ち出し、すごい人になると家事のリストを作って、所要時間で振り分けようとしたりするの対して、男の方は早く帰って来れる方が多くやればいいと思っていたりするらしい。家事なんてめったやたらとごちゃごちゃあって、リストを作ったら1メートルくらいの長さになりそうだから、それを「これは私、これはあなた」と結婚生活マニュアルを見ながらすっぱり振り分けられるってもんでもないと思うんだけどな。まあ、自分に負担がかかるのは嫌(損をしたくない)という考え方が根底にありそうな感じがするし、男の場合は(奥様が決めた厳しい品質基準を満たすほどに)「できない」からやりたくないのかもしれないけど。

大嵐が過ぎた後の我が家では、カレシは自発的に「自分の仕事」と決めたことをやって、ワタシはその他もろもろをやるという図式がいつのまにか出来上がった感じ。こういう「いつのまにか」は長年一緒に暮らして来た証拠かもしれないけど、ワタシはまだ現役で稼ぐのに忙しいもので、「その他もろもろ」のうちでも、手が回らなくてやらないでいてもさしあたりの支障がないものは、支障が出るまでやらないことにした。主婦業に誇りを持つ人の目には許せないグータラ主婦に見えるだろうけど、そういう「よくできた」専業主婦に限って「主婦の仕事は大変なのよ!」と目を吊り上げてのたまわる。ま、とっくに主婦を返上した極楽とんぼはどこ吹く風の馬耳東風・・・。

だけど、朝日新聞の『孤族の国』の特集を読んでから、もしもカレシが突然ひとり身になったらどうなるんだろうと、ふと考えるときがある。亡きパパの場合と同じで、生活して行けないとだろうと思う。ひとりで生活するためのスキルがほとんどないし、今さら学習できるのかどうかはあやしいもんだし、ワタシの後釜を探そうにもそうそう売れる年でもないし・・・。いちど聞いてみようかな、もしも独居老人になったときの計画はあるのかって。たぶんないだろうなあ。はて、人の指図は受けない人だし、人とのつながりをけっこうめんどくさがる人だし、そのくせ自分からは動きたくない人だし、どんなことになるやら。まあ、夫婦と言う最小単位で作る「家庭」に共同参画せず、日常生活のめんどうは人任せにして、伴侶を蔑ろにするような身勝手なこともやったわけで、ひとりになって人生が立ち行かなくなったとしたら、あんがいそれは「自業自得」という名の神様の罰なんじゃないかという気もする。はて、いいのかなあ、カレシ・・・。

ワタシが独居老人になった場合の計画はというと、たぶんまともな朝の時間に起きて、お日様が高いうちにあれこれと家事をしたり、散歩をしたり、老人センターに行ったり、趣味に没頭したりして、夜になったら(カレシの写真を前に?)ワインを傾けながらゆっくりと食事。後はゆっくりと読書などして、ゆっくりと寝酒をたしなんで、ゆっくりとベッドに入る・・・とまあ、ゆっくり、まったり、ほっこりの毎日を思い描いているんだけど、ひょっこりとすてきな出会いなんかあったら、がたがたに狂っちゃうなあ。へたをすると主婦業か。うん、ときめきは茶飲み友達くらいに留めておくことにするか(と、取らぬ狸の皮算用もいいところ・・・)。

まあ、独居老人になる確率はカレシもワタシも互いに五分五分。それぞれにおひとり様の人生設計を考えることも必要じゃないかと思うんだけど・・・。

スズキとドラゴンフルーツソース

1月23日。日曜日。早いなあ、新年ももうすぐ最初のひと月が終わってしまう。テレビのニュースで寒波でがっちりと凍っているトロントやオタワの風景を見ながら、今にも桜のつぼみが膨らみそうな暖かな日に(なんとなく)感謝・・・。

きのうの洗濯が3回目の最後まで終わらなくて、濡れたまま詰め込んでおいた乾燥機を回して、仕上げ。ワンステップで洗濯から乾燥までできてしまう洗濯機が早く出回ってくれたらいいのに・・・。

のんきにやっていると、仕事をしようかと思っているうちに夕食の時間。まっ白できれいなスズキにはどんなソースを添えようか。冷蔵庫をのぞいて見つけたのが、少しくたびれたドラゴンフルーツ。くせのない白身の魚にはフルーツがよく合うから、さっそく2つに切って、実をすくい出してブレンダーでピューレ。

ソースとしてはちょっと足りないパンチを補うには何かリキュールがよさそうだけど、ぺルノーはどうかなあと言ったら、カレシが「甘すぎるんじゃないのかな」と。たしかに、よく「a touch of Pernod」とメニューに書いてあったりするな。そう、ほんの「タッチ」ね。お酒の棚を見渡して、うん、カチャーサを試してみよう。これはさとうきびで作ったブラジルの無色のラム酒。スプーンに取ったピューレに少し垂らして味見。うん、いけそう・・・。

スズキの実はみごとなくらいに上品な白だけど、皮にも何となく品があるせいか、レストランではよく焼けた皮のほうを上にして盛り付けている。そこで、まずお皿にソースを伸ばして、その中に海塩を振っただけでフライパンで焼いたのを置いてみた。かいわれのようなもやしがあったら良かったかもしれないな。付け合せは、カレシがコーンブレッドを作った残りがあったので、小さいさいころにしたポテトと炒め、細いベビーいんげんを蒸して、あら、何となくおすましのディナー。[写真] 

原稿の入れ替えで仕事の予定が変わったので、買い換えるコンピュータとプリンタを物色。今使っているこのポンコツを、当面の間インターネットから切り離して翻訳作業用においておきたいんだけど、オールインワンという、CPUの横にモニタを貼り付けたようなスタイルは場所をとらなくていいな。マルチ機能のカラープリンタを新調して、テクニカルサービスに無線ネットワークでカレシとワタシで共有できるようにしてもらえば、ワタシのオフィスにはたっぷりのスペースができるし。零細企業向けの税控除は今月31日。が期限だから、ちょっと急がないと・・・。

走る、アドレナリン超特急

1月24日。月曜日。雨。なぜかパッと目が覚めて、パッと時計を見たら午後12時35分。まだ寝ているカレシを横目にパッと起きてバスルームへ。こんな時間に起きては困るんだけど。今日は夕食の前までに送らなければならない超特急仕事が2つもあるんだけど。どっちもまだ手をつけてないんだけど。寝たときにはそんなことちゃんとわかっていたはずなのに、どうしてこういうときに限って正午過ぎまで寝てしまうんだろう。それも、ストレスなんか何にもないようなぐっすり快眠・・・。

気配で目を覚まして起きて来たカレシが朝食のしたくをしている間に、PCを立ち上げて、ファイルを開いて、仕事を始める準備を完了。いつものようにジュースとシリアルで、仕上げはトーストとコーヒー・・・のはずだったけど、端っこだけ残っていたパンをカレシがあまりにも見事に薄くスライスしたもので、トースターに入れたらまっ黒こげ。しょうがないからトースト抜きで、コーヒーを持ってオフィスへ「出勤」。まあ、よく眠ったおかげで、仮想ねじり鉢巻でキーを叩いているとアドレナリンがシュッシュと出て来て、最初の仕事はかなり用語の検索があったけど、1時間とちょっとで完了。超早起きの校正担当者はちょうど早朝の時間帯だから、即刻送信。網ひとつの仕事も、普通ならちんたらちんたらとやるようなさっぱりおもしろくない内容だけど、勢いに乗っていけいけ。ちゃっちゃと1時間とちょっとで片付けて、期限より2時間も早く納品。おお、やった~。

終わってみたら午後5時に近かったけど、カレシの後に付けてトレッドミルでひと汗。こういうときになると何となくかまってもらいたそうになるカレシのタメイキは雑音扱いにして、片目で時計を睨みながらの3時間ちょっと。アドレナリン噴出状態の後のトレッドミルはすごくリラックスした気分になるから不思議。あれやこれやとぐうたらぐうたら考えながら、時速8キロのペースで走ること15分。たっぷりと汗をかいて、熱いシャワーを浴びて、カレシ特製の冷たいマティニを一杯。これがまた何ともいえない極楽・・・。

メインにする魚をフリーザーから出しておくのを忘れていたので、急遽スモークサーモンを水につけて解凍しながら、玉ねぎとにんにくと残りもののコーンと生クリームでパスタソース(コレステロール、高そう)。パスタをゆでている間に、スモークサーモンをソースに混ぜ込んで、付け合せのブロッコリとしめじをソテーして、ゆであがったパスタ(リングィーニ)をソースと混ぜて、所要時間30分弱のスピード食。はあ、なんだかものすごい超特急の今日・・・。

1月最後の週は、税金の優遇措置の期限が迫っているから新しいPCとプリンタを発注しなければならないし、売上税の申告期限が迫っているから、さぼりっぱなしの帳簿整理をして、年度末の決算をしなければならないし、4ヵ月先の会議の参加登録もしなければならないし、それから、あれからと、まるで各駅停車だけど、はて、あと1週間しかないというのに、極楽とんぼ特急は停車駅を通過せずに、脱線もせずに、終着駅まで行けるのか・・・。

未来の日本語、わからないかも

1月25日。火曜日。まあまあの天気。きのうの今日というか、ゆっくりと起きて午後いっぱいダラダラ。もうひとつ仕事があるんだけど、まあ、一種の反動かな。期限はあしたの午後だから、内容をざっと見渡して、まっ、のんびりでいいか。(発破をかけるとか地層がどうのとか、うっかりすると用語探しで手間を取られかねないけど、ま、いっか・・・。)

今月は不動産の査定評価の通知が来る月だからかどうか知らないけど、バンクーバーのマイホームの値段に関するニュースがやたらとある。ばか高いのはたしかだけど、今日の新聞サイトを見たら、世界325都市のうち、バンクーバーの価格はカナダの平均世帯収入の9.5倍で、香港(11.4倍)、オーストラリアのシドニー(9.6倍)に次いで3番目に住宅が高嶺の花だと書いてあった。別の角度から見ると、トップ10に4都市(シドニー、メルボルン、アデレイド、ブリスベン)も入っているオーストラリアはもっとマイホームへの道が遠いと言うことになるけど、需要があるからだとしても、同じ要因によるものかどうかはわからない。ちょっと前に郵便事情を調べるのにローカル日本人の掲示板をのぞいたら、相も変わらずバンクーバーの不動産価格は今にも暴落するという希望的観測のご託宣スレッドが続いていたけど、このままだといくら半額になってもちょっと手が出ないんじゃないかなあ。

小町を見ていて、今どきの日本語(というよりは若い人の日本語能力)に関するトピックが2つもあって、言語稼業のワタシはさっそく井戸端に駆けつけてみた。『号泣した・・・って、ただ泣いているだけじゃない』。出くわしたな、これ。人事関係の文書で、報告の中にもろに「号泣した」と出てきたから、こっちは目を白黒。本来の意味に訳したらどえらい騒ぎになってしまいそうだったので、よくよく考えて、ただの「泣いた」にしておいたけど、感情的な日本語がなんだか過激になってきているような気がする。ひょっとしたら、例の「不動産が暴落する」という予言も本当は単に「値下がりする」と言っているだけなのかもしれないな。

もうひとつの『オドロキの言語ギャップ』と言うトピックは、若い人たちに昔からある日本語が通じないというような話で、思わず笑ってしまった。とういうのは、トロントの日本人の掲示板に(おそらく煽りが目的だろうけど)『どこかおかしい?日本人の移民』というのがあって、ワーホリ半年のお嬢さんが、「10年以上移民している日本人って・・・日本語がちゃんと話せなかったり・・・」と言っていた。人さまのことを「日本語がちゃんと話せない」と酷評しているわりには、今まであった日本人移民はみんな「どこそこ変わっていた」とヘンな日本語で来るからおかしかった。みんな大学教育を受けた人たちなんだろうと思うけど、まあ、外国語の習得はその人の母語のレベルを超えることはできないそうだから・・・。

それにしても、ワタシにもわからない日本語が増えたことはたしか(忘れた日本語も増えたけど)。かしこまった文書は仕事上いつも扱っているから読み書きともまだ大丈夫だけど、口語となるとどうも36年前の(20代後半の)レベルで発達が止まっていたような感じがする。まあ、どっちの日本語が「ちゃんと」しているのかわからないけど、36年と言えば浦島花子は「日本語がちゃんと話せない」と嘆くお嬢さんが生まれる前のことだろうし、36年の間毎日友だちと日本語でわいわいとおしゃべりをする機会もなかったんだから、今どきの日本語と違っていてもしかたがないと思うけどね。そのうちに小町に井戸端会議もちんぷんかんぷんで、誰かに翻訳してもらわないとわからないなんてことになるのかもしれないなあ。まあ、言葉は時代と共に変化する生きものだそうだから、ワタシの日本語がヘンで通じなくなっても号泣はしないだろうと思うな。いや、日本へ行って「通訳さぁ~ん」なんて言って、あんがいおもしろいかも・・・。

今年は10年の節目なのだ

1月26日。水曜日。朝っぱらから何とも騒々しい。まずはリサイクルトラック。人手でリサイクル品の入ったブルーボックスを持ち上げてトラックに放り込むだけなのに、どうしてこう騒々しいんだろうなあ。ドッシャン、ガッチャン、ガラガラと、実に盛大。で、ボックスを取りに出てみると、レーンにはこぼれたプラスチックやら紙類が散乱。なんてことだろう。まあ、今日はいつもよりずっと遅い9時過ぎだったから許すけど。次にどこやらでウワン、ウワンとモーターの音。たぶんゴルフ場のどこかで木を伐って、シュレッダにかけているんだろう。市民には(有料の)許可なしで木を伐ったら罰金と言っておきながら、市営のゴルフ場はよく「伐採」をやっているから不思議。ちゃんと伐った木と同じ数だけ植樹してるんだろうな、おい。最後にごみ収集トラックが来て、起床・・・。

西向きのポーチの気温は正午過ぎでもうすでに10度もある。春が来ている感じ。寒波に見舞われた東部ではまた大雪で飛行機が欠航したりしているのに、なんか悪いなあ。オタワなんかマイナス30度の寒気がやっと緩んだらしいけど、カレシは「オレがいた頃はいつもそのくらい寒かった」と、そんなの寒いうちに入らないとでも言いたそう。たしかに1970年代の初めはかなり寒かったらしい。それに比べたら常夏みたいなバンクーバーから行ってつらかっただろうと思ったら、「いや、蒸し暑い夏の方がきつかった」そうな。わかる、わかる。蒸し暑いときは最後の1枚を脱いだらそれでおしまいだけど、寒いときはいくらでも重ね着できるもんね。

朝食が済んで、今日の午後が納期の仕事にかかる。きのうはカレシのお誘いに乗って、早仕舞いして、レミを飲みながらマクワーター先生の言語学の講義を2コマ続けて見てしまった。ちょうど言葉の変化や受け取り方を考えていたので、特に「書き言葉と話し言葉」の講義で、大学でフランス語を学んだ先生がパリのカフェで自信満々にコーヒーを注文したら、実は覚えたフランス語がパリの人が使う文法スタイルではなく、しゃちほこばった(正統な)スタイルだったもので、「は?」という顔をされたという話はおもしろい。カレシに聞かれて記憶をたどってみたら、高校の教科書の英語もなんかコチコチだったと思うから、教科書で学ぶ外国語は街角のスタイルとは違うかもしれないと思った方がよさそうかな。ま、期末テストの英文和訳で「関係代名詞」を訳していなかったからと減点するような日本の英語教育は元からしてヘンだけど、関係代名詞をいちいち「~するところの~」」なんて訳したらちゃんとした日本語にならないでしょーが。

ということで、今日はのっけからねじり鉢巻で仕事に突入。持ち時間は2時間半。業界用語の検索には汗をかいたけど、何とか間に合って完了。急いで夕食のしたくをして、カレシを英語教室に送り出して、今度は2010年度の決算。今はたいがいのことをオフィスに篭ったままでネットでやれてしまうから、昔ほど経費の項目がない。年間の経費は「創業」の頃の半分で、つまりは利益率がばか高い、実においしい商売なのだ。レシートを月別に仕分けして、月別の請求と入金をリストにしたら、あとはちょこちょとと会計ソフトに入力するだけ。どうやら売上税申告の期限には間に合うかな。

午後9時前に英語教室から帰って来たカレシ、3月から「週一の初級の教室に変えたいけど、金曜日か土曜日の午後のどっちがいいと思う?」と。政府がやっているELSAの初級がやっとのレベルの人たちを4人くらい集めて初歩から英語を教えてみたいんだそうな。カレシの教室のことを口コミで知った移民支援の福祉団体からほんとうに初級レベルの人たちが紹介されて来るようになったけど、今の生徒はほとんどがすでに中級のレベルなもので、そういう人たちはどうしてもついて行けなくて長続きしない。そこで、今の教室を2月の末で終了にして、新しい教室を立ち上げたい、と。菜園での野菜作りや他の趣味にもっと時間を振り向けたいということもあるらしい。まあ、ボランティア先生をやり始めて10年だから、少しは疲れもするだろうし、2人にとってもある意味で10年の節目だから、ここいらでちょっと軌道修正するのもいいかもしれないね。それに、今の夜週2回が昼間週1回になるんだったら、毎度夕食のしたくを急がなくてもよくなるから、金曜日でも土曜日でも諸手を上げて大賛成だけどな。

夕焼け小焼けで五里霧中の日が暮れる

1月27日。木曜日。正午を過ぎて起床して、さし当たって手持ちの仕事2件は納期が長いから、差し迫った仕事もないのでちょっとのどかに過ぎそうな日。カレシは2日。連続の英語教室の後で月曜日までずっと「オレのウィークエンド」なんだって。ふむ、この頃、あくびが多いよねえ、アナタ・・・。

けっこうのんびりと過ぎた午後。午後5時になってもまだ空に明かりが残っているようになって、日が長くなったなあと感心していたら、わっ、すごい夕焼け。午後から雨の予報じゃなかったのかなあ。夕焼けってことは、あしたは晴れってことでしょうが。あんまり見事だったので、二階の窓からパチリ。燃え盛っているような空は空港があるあたり。(冬の方が夕焼けが豪華に見えるのはどうしてなんだろうな・・・)

いつものようにトレッドミルで走って、シャワーを済ませて、テレビのニュースを見ながら夕食のしたく。カナダのマッケイ国防大臣がカリフォルニア州知事を退いてカナダに講演ツアーに来ているシュワルツネガー前知事と会談して、「カナダのBC州はカリフォルニア州と国境を接していますからねえ」と言っちゃったとか。はあ?BC州とカリフォルニア州の間にはオレゴン州とワシントン州と2つもアメリカの州があるんだけどなあ。まあ、マッケイ大臣はカナダの東の外れのノヴァスコシア州の出身だから、西の外れの地理には少々疎いのかもしれないな。(「疎い」ってのはこういうときに使うんだよねえ、たしか。)

カナダの大臣にアメリカの州を2つも端折られてしまったシュワちゃん、モントリオールでの講演で「カナダがイラクに派兵した」ことを称賛したのはいいけど、実はカナダはイラクに派兵する代わりにアフガニスタンに兵を送った。ま、どっちでもあまり変わりはないかもしれないけど、その後でモントリオールがカナダの「首都」であるようなことを言っちゃったらしい。あのぉ、カナダ連邦が発足する前の1844年にはモントリオールが植民地の「首都」になったことはあるそうだけど、カナダの首都はもう長~いことオタワなのだよ、シュワ君・・・。

「失言には失言を」なのかと思ったら、野党自由党の党首のイグナチエフまで調子に乗って、政府のジェット戦闘機購入を批判するのに「ビル・ゲイツ国防長官が・・・」とやったから、ここまで来たらもう「舌禍インフル」みたいなもの。あのね、ビル・ゲイツはマイクロソフトを防衛するのが仕事で、アメリカ合衆国を防衛するのはロバート・ゲイツの仕事なんだってば。まあ、失言一番乗りだったマッケイ大臣、「ゲイツ長官と私は西半球における重要な問題を、オレゴン州とワシントン州の戦略的役割も含めて協議しました」とやって、間違い続きの喜劇は幕となったけど、互いの国境や首都がどこになるかもわからないんだから、まっ、カナダとアメリカが戦争することはなさそうだな。敵を知らなきゃ戦には勝てないもんね。

折りしも日本では、S&Pの日本国債の格下げのことを聞かれた総理大臣が、「そういうことに疎いもので・・・」と言っちゃってかなり叩かれているらしい。まあ、カナダとアメリカの失言騒動は北米人が「地理に疎い」ことが問題の核心なんだけど、菅さんの舌禍はどっちかというと言葉の意味をよく理解していない(つまり、疎い)と言うことかもしれないな。もっとも、「疎い」という言葉には「知らされていない」という意味合いもあるから、あながち失言というわけでもないだろうけど、「世事に疎い」と言うような意味に解釈したら、一国の総理大臣の発言としてはあるまじきことになってしまうかもしれない。政治家諸君さあ、言葉に疎いのもほどほどにしないと・・・。

あんなに豪華な夕焼けだったのに、おや、今度は深い霧。世界は五里霧中ってことか・・・な?

PCのある暮らし24年

1月28日。金曜日。すっきり眠ったような気がしないうちに、目が覚めたら午前8時53分で、セットしておいた目覚ましが鳴る寸前。目覚ましをオフにして、起きて着替えをして、リビングの窓際のシートにごろり。まだヒーターのスイッチが入る前の時間だから、ちょっと寒い。ごそごそと起きて、ベースメントのオフィスの小部屋から枕とひざ掛け毛布を持ってきて、もう一度シートに横になってうとうと。きのう発注した新しいPCとプリンタが配達されるのは午前9時から午後5時の間・・・。

ぐっすり眠ってしまっては困るけど、目を開けると頭が活動を始めてしまうので、ひたすら目を閉じてうとうとしていたら、窓の外でガランというゲートを開ける音。チャイムに応えて外に出たら、うわっ、大粒の雨がばらばら。ゲートと玄関を走って往復しただけでかなり濡れてしまった。大小3つの段ボール箱を運んできた配達の人も肩がびしょびしょ。いつから?ボクのこと?ううん、雨。あ、30分くらい前から。へえ。降りすぎだよ。受取書にサインして、そのまま二階に上がって、ナイトガウンに着替えて、ベッドにごそごそ。午前10時20分。今度は数分でぐっすり・・・。

正午を過ぎて人声で目を覚ましたら、カレシはキッチンで電話中。コンピュータの話をしているから、相手はどうやらトロントのデイヴィッド。雨はしょぼしょぼ程度になっていたけど、きのうのあの真っ赤な夕焼けはいったい何だったんだろうな。何となく眠いような気もするけど、まあとにかく全額の減価償却が認められる期限の1月31日。に間に合って良かった。玄関脇の大きな箱を見て来たカレシ、「VAIOって書いてあるけど、ノートを買ったのか」と。え?買ったのはソニーのオールインワンというタイプのPCだけど・・・。デスクトップなんかみんなやることは似たり寄ったりであまり変わらないだろうしと、写真を見ただけで場所をとらなくていいやと思って買ってしまったワタシ。でもまあ、VAIOを使っている人を何人も知っているから、大丈夫なんじゃない?

とは言ってみたものの、ほんとに大丈夫なのかなあ。まだ箱を開けていないんだけど、ちょっと調べてみたら、日本でもボードPCとか言って同じ「Jシリーズ」を売っていた。PCとテレビとブルーレイプレイヤーの3役をやるそうだけど、ワタシのにはテレビ機能はついていないな。北米仕様だからだろうけど、ワタシは番組を見るためにテレビの前に座るタイプじゃないから問題はないし、第一、元々業務用なんだから、仕事中にテレビなんぞ見ていたら生産性がたまったもんじゃない。キーボードとマウスが無線なのが気に入ったし、タッチスクリーンなのもいい。指の関節がみんな変形性関節炎になって、ときどきマウスを操作していて痛むから、指先でちょいちょいとやれそうなのはうれしいな。

我が家のコンピュータ第1号は1987年だった。Windowsの前のDOSの時代で、昔のテレビみたいにどてっとしたモニターの黒い画面に映るのはオレンジ色の文字だけ。処理スピードはMHzでひと桁だったし、フロッピーは5インチで10枚入りの箱が20ドルくらいしたっけ。20MBのハードディスクを入れてもらったら、周りから「そんな大きいの、無駄だよ」と、まるで物好きの扱い。プリンタはオリヴェッティのプリンタ兼用の電動タイプライターで、バタバタバタバタと印刷しているときの騒々しさに参って早々にドットプリンタを新調した。カレシはソフトのコレクションとプログラミングに凝り、ワタシはその頃一番人気だった表計算ソフトのLotus 1-2-3で家を新築するためのローン返済計画を作ったりして、すごく便利な時代になったなあと感動したっけ。

あれからもう24年。パソコンの変遷はくらくらするほど目まぐるしかったけど、「すごく便利になった」という感動の方はもうほとんど薄れてしまっているのは、新しい機能がどんどん娯楽の方に傾いて行っているからなんだろうか。まあ、いずれ引退したら、ワタシにとっても娯楽のキカイになるんだろうと思うけど・・・。

今ごろ1年分の帳簿の整理

1月29日。土曜日。ゆうべは寝酒もなしでベッドに直行。ぐ~っすり眠って、午後12時35分に目が覚めた。あ~あ、午後もなんか大半が過ぎてしまった感じ。まあ、こっちは土曜日だし、日本は日曜日だからいいんだけど・・・。

きのうやっと手を付けた2010年度の経理事務。どういうわけか知らないけど、昨年度は一度も会計ソフトに入力しないまま。一四半期とか半年くらいサボるのはさして珍しくはないんだけど、丸々1年てのはちょっとなあ。経理担当者はクビだ!と言いたいところだけど、その経理担当者は自分と来ているから、仕事をサボっていたからとクビにするわけにも行かない。自分のその部分を切り分けてポイッと捨てて、新しくバリバリの経理を「移植」するという芸当は・・・不可能。そこが自営業の辛いところなんだけど、きのうはとにかくがんばって5月分まで記帳した。これくらいサボるとあって然るべきレシートが見つからなかったりする。んっとに、うちの経理はアホ・・・。

ということで、午後いっぱい残りの会計処理を急いで、夕食のしたくの直前にやっと12月分が終わった。(トレッドミルに乗る気にもなれなくて、今日は休み・・・。)後は減価償却などの細かな計算と処理があるけど、とにかく第4四半期の売上税(HST)申告の数字は出た。なにしろ、過去3四半期はレシートから計算しただけで申告していたから、ここで最終的な数字を出して申告しないと帳簿の方がややこしいことになるから必死。数字が出たところで、即刻オンラインで申告。はあ~。カナダ国内で納品する仕事がなくて、ワタシの仕事はすべてがサービスの「輸出」ということになってHSTはゼロ。おかげで経費に払ったHSTはそっくり還付される。(このあたりで紛失したレシートが惜しいような気がして来るけど、まあ、たいした金額じゃないから・・・。)

1月もあと2日。。残るは5月の会議の参加登録とトラックの保険、そして1月分の請求事務か。くたびれるけど、創業?から丸21年にして累積売上150万ドルを達成。我ながらがんばったな。カレンダーをめくって2月1日。は極楽とんぼ自営業の創業満21周年記念日。そういえば、満20周年の去年はバタバタしていてとうとうお祝いをせずじまいだったな。仕事のログを見たら、ああ、今年もお祝いどころじゃなさそう。なんか大きそうな仕事が並んでしまっているけど、この分では雪崩警報発令かなあ。その間に新しいシステムのセットアップの手配もあるし・・・やれやれ、また忙しくなるのかな。もう今からみ~んなうっちゃって遊びたい気分・・・。

なにしろ、2月と3月は「予算消化」の季節。年度ごとに年間予算をきれいに消化しなければならないところでは、予算の「鍋」にどのくらい使い残しがあるか調べて、「じゃあ、これと、あれと、それも翻訳に出すかあ」みたいなことになるらしい。おかげで、この時期は雪崩のごとく入ってくる仕事に埋もれて、ワタシはヒィ~っと悲鳴を上げることになる。翻訳会社でもコーディネータさんたちの間で翻訳者や編集者の争奪戦になることがあるとか。ワタシはけっこう狙われるんだそうだけど、それはそれですご~く名誉なことだと思うからうれしいんだけど、どどっと大雪崩に埋もれるとやっぱりかなりしんどい。まあ、おひとり様商売なんだから、2011年度もがんばるっきゃないよなあ。タメイキ・・・。

便利そうで意外と不便なこともある

1月30日。日曜日。いい天気。窓から入って来る日差しは春が近いのがわかるくらいぽかぽか。その分夜はちょっと冷え込むから、そのうち雨雲が近づいてきたらまた雪の予報が出るかも。夜通しやたらと咳が出て何度も目が覚めたり、ふくらはぎの痙攣で飛び起きたりで、ちょっぴり寝足りない感じ。家の中が乾燥しすぎているのかな。ここのところウォータークーラーの水が減らないところを見ると、デスクであまり水を飲んでいないからかもしれない。4年がかりのアレルギー治療でも解消しなくて、もう一種の持病みたいになっているこの咳、喘息のように気管がゼイゼイ言うわりにはほとんど痰が出ないし、肺機能の検査をしても「元気な肺だよ」と言われるのがオチで、30年経ってもまだ原因不明・・・。

さて今日の「31日。期限」はシアトルで開かれる会議の参加登録。主催する協会の会員だと参加費が少し安くなるので、カレシが会員になると言い出した。ふ~ん、たぶん協会初で唯一のモノリンガル会員ということか。でもまあ、翻訳の仕事には欠かせない「ネイティブチェック」をやっていると言えるからと、寝る前に加入登録の手続きをした。なにしろモノリンガルなもので、翻訳でも通訳でもない「その他」にチェック。年会費1万円なりを払って、めでたく?翻訳者の協会の会員になったカレシ。会議でいつも会って顔なじみの会員登録担当の理事がたまたま東京にいて、さっそくユーモアたっぷりの歓迎メールが来て爆笑。

一夜開けて、さっそく会議の参加登録を始めたのはいいんだけど、PayPalで同じクレジットカードを使おうとしたら「拒否」。2度やって2度とも拒否されたら、銀行から確認の電話がかかって来てしまった。そういえば、前にも同じクレジットカードを立て続けに使うことができないことがあったっけ。おそらく何らかのセキュリティ処置だろうということはわかるとしても、不便なことこの上ない。イライラ、カリカリした挙句に「もうやめたっ!」と言い出した。別のカードを使えばと言って、あとは放っておいたら気を取り直して別のカードで手続きをしていたけど、んっとにもう。まあ、世の中は一見して便利になっているようで、実は意外と不便になっていたりするもんだけどね。とにかくこれでまたひとつ片付いた。やれやれ・・・。

それでも今年の春の会議は近場でいい。近すぎるくらいだけど、秋は大陸の反対側のボストンだから、ちょうど釣り合いがいい感じ。来年の春の会議は広島と発表されたばかり。カレシは何となくこれが最後の日本旅行になるかもしれないと思うのか、今から北海道は絶対に行くと決めて、ワタシが生まれ育った釧路をもう一度見たい。十代を過ごした名寄と室蘭もどんなところか見てみたい。札幌では実家のあったところがどんな風になったか見てみたいと、盛り上がっているからおかしい。なんだかワタシのセンチメンタルジャーニーを計画してくれているような感じもするけど、まあ、ワタシも定年が目前だからいいかな。1990年代には何度も2人一緒に日本を旅行して回ったのに、なぜかワタシは地名に心当たりがあるだけで、どんなところだったのか、どんな風景を見たのかはほとんど覚えていない。カレシも去年初めて一緒の日本旅行が楽しいと思えたのかもしれない。まあ、やり直しの締めくくりの大旅行も悪くないなあ。

日本の友だちから先週クリスマスカードが届いたと言うメール。はあ?今ごろ?バンクーバーの消印は12月17日。になっていたそうだから、投函した後すぐに処理されている。それにしても、延々5週間の旅、どこをどうやって放浪していたやら。「カナダでは郵便ストでもあったの?」と言うけど、ふむ、ひょっとしてひょっとしたら誰も知らないうちにストをしてたりして。まさかとは思うけど、カナダポストだからありえないことじゃない。まあ、ワタシとしてはアメリカのホームランドセキュリティが一枚かんでいるような気がするんだけどね。それでも、これでようやっとクリスマスシーズンは終わりかな。んっとに、いつまでもクリスマス気分、正月気分でいるわけにも行かないでしょうが、春が来るんだから、まあ、あと3日。くらいで旧正月ではあるけど・・・。

まずは、なんか大きそうで、めんどうくさそうな仕事、ぼちぼちやるか・・・。

重国籍制度の是と非

1月31日。月曜日。いい天気。咳にもこむら返りにも起こされずにぐ~っすりと眠って、正午過ぎに目覚め。なんだか不思議な夢を見ていたような気がするけど、目が覚めたとたんに忘れてしまった。脳みそのデフラグがうまく行ったということなのかな。今日で1月も最後・・・。

1月の「絶対やらなきゃリスト」の最後はトラックの保険更新と請求書作り。保険の方はカレシのトラックなんだからひとりで行ってやればいいのにと思うけど、なぜかお供がいるらしいから、ついでにスーパーに寄って「買い物リスト」にある数品を買ってきた。リストになかった75ワットのハロゲンのフラッドライトはめっけもの。というのも、1月1日。から75ワット以上の白熱電球の販売が小売店の手持ち在庫が切れたら終了ということになって、買いだめに走る人が多いというニュースだった。たしかに白熱電球があった部分の棚はみごとに空っぽ。我が家はたいていの白熱電球をだいぶ前にCFLと呼ばれるスパイラル型の蛍光灯に切り替えたので問題はないけど、キッチンの天井にある5個のハロゲンのフラッドライトは75ワットで、なぜかわりと「希少種」。ハロゲン灯は白熱電球ではないから当面は禁止にならないだろうけど、めずらしく数個あったからとりあえず4個まとめ買い。ま、これで2、3年はもつかな。

エジプトがえらいことになっていて、カナダは「カナダ人」を避難させるためにチャーター機を飛ばすことになったとか。だけど、レバノンでの紛争で万の単位の「カナダ人」を救出したのはいいけど、その「カナダ人」たちが途中の待遇が悪かったとか、カナダに来ても医療サービスが悪かったとか、とにかく文句たらたらだったもので、自分たちが納めた税金を使われたカナダ国民からめっちゃくちゃに叩かれた前例があるから、今度はカナダのパスポートを保持者とその家族を優先し、チャーター機もカイロからフランクフルトその他のヨーロッパの主要都市までで、その後は各自で行きたいところへ自費で行ってもらうそうな。まあ、カナダのパスポートを見せても(無料で)カナダまで連れ帰ってもらえない人にしてみれば、カナダ政府は役に立たないと愚痴のひとつも言いたくなるのはわかる。だけど、カナダにいるカナダ人が「ちょっと待て」と言いたくなるのにも一理も二理もあると思う。

「カナダ人」というのはカナダに国籍を持っている人のことなんだけど、重国籍を認める国では、カナダ国籍を取得した人が永久帰国して、あるいはカナダ人がその国に永住して、カナダ国籍を何世代も維持して来た人たちがたくさんいる。先祖のひとりがたまたまカナダ国籍だったというだけで、カナダには行ったこともなく、カナダなんてどこにあるのかも知らず、カナダの言語を話せず、自分をカナダ人と考えたこともなければ、カナダには忠誠心どころか一切の関心もないという「カナダ人」が世界に何万、何十万、いや何百万といるわけ。そういう人たちを「居住国」で騒乱が起きたからといって「自国民」として税金を使って救出することにはワタシも「なんだかなあ」という違和感がある。かって香港が中国に返還される直前に移民してきて、資格ができるや否やさっさとカナダ国籍を取った香港人が「カナダのパスポートは保険」と言って大きな反感を買ったけど、どこかで動乱が起きるたびに、カナダに来る移民たちにとって「カナダのパスポートは何かあったときに助けてもらうための保険でしかないのか」という疑問が頭をもたげる。

イギリスは海外永住したイギリス人が国籍を伝えられるのは孫世代までという制限があるそうで、カナダも去年法律を改正して国籍の世襲に制限を設けた。ワタシが帰化した時は子供ができても日本政府が日本国籍を認めなかったから別に考えたことがなかったけど、移民国家において自分のルーツを伝えると言う意味では重国籍は大きな意味を持つものだろうと思う。だけど、カナダ国籍をいざというときに自分の安全を確保するための保険的な手段にすぎないと考える人には重国籍は認めるべきではないとも思う。そういう人たちは概して母国の恩恵に浴していながらも自分の母国を信頼していなくて、重国籍を認める国の国籍を持つことでいざというときにはそっちの国の国民の権利を行使して逃げ出そうと言う、かなり身勝手なところが透けて見えることが多いから、生粋のカナダ人はカチンと来る。日本は出生による以外は重国籍を認めていないはずだけど、移民してきてカナダ国籍を取得(当然日本国籍は喪失)してもなお「二重国籍なの」と自慢?する人がかなりいるらしいけど、この人たちはいざというときにどっちの国に助けを求めるんだろうな。日本かな、やっぱり。カナダのパスポートなんてルイヴィトンのバッグをもって歩くのと同じようなものでしかないような感じだし・・・。

海外に移住した日本人は日本に重国籍を認めて欲しいと思っている人は多いようだけど、いざ重国籍を認めると日本に住む外国籍の特定グループがこぞって日本国籍を併せ持つことになるから怖いという議論もある。自分たちだけに重国籍を認めて外国籍者には認めないというのはあまりにも差別的で世界に通じないからそれはできない。しょうがないから、日本国法の下では違法と知りつつ「隠れ二重国籍」を維持して、日本人を捨てていないことを主張する。なんだかなあ。世界中を人が流れる今は必ずしも国籍イコール民族のルーツじゃないと思うんだけど。カナダもそろそろ国籍の生地主義と重国籍を認める制度を見直しした方がいいんじゃないのかなあ。ある意味で現代の「踏み絵」になってしまうかもしれないのはわかるけど・・・。


コメントを投稿