リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年3月~その3

2011年03月31日 | 昔語り(2006~2013)
精神的なホメオスタシス

3月21日。月曜日。小雨模様。久しぶりに咳の発作もなく、ヘンな夢も見ずにわりとよく眠ったし、少し上がり気味だった血圧もいつもの範囲に戻った。きのうの夜もう日本の新聞サイトをチェックするのをすっぱりやめて仕事にかかったら、生産性がどんどん上がった。やっぱりずっと精神的なストレスを感じていて、ホメオスタシスが崩れていたのが落ち着いてきたということか。

まあ、この10日。はワタシにとってもある意味で「非日常」だったんだと思う。そういえば、先々週の木曜日、前日のブログのアクセスが150何万中の「9971位」になっていてびっくり仰天した。(上位1万位に入ると表示されるらしい。)何かそんなに人の気を引くようなことを言ったのかと思ったけど、瞬間風速100メートルみたいな出来事だろうな。地震のニュースが飛び込んできたのはその日の夜のこと。まったく関係はないんだけど、今思うと何となくヘンな気分。で、きのうの記事は1500本目。へえ、よくもまあそんなにぶつぶつと続いてきたもんだなあ、と我ながら感心。ほんとに、ワタシって・・・。

仕事のピッチを上げて遅れを取り戻す前に、好奇心に駆られてローカルの日本語掲示板のタイトルを見渡してみたら、当然のごとく大地震と原発の話題がずらり。日本の災害への反応にカナダ人夫と温度差を感じてムカついている日本人妻。(リビアでの空爆が始まったら)日本の地震のニュースが減った、カナダ人はもう飽きたのかと怒っている人。ここは日本じゃないんだし、と思ってのぞいてみたら、なんだ、いつものことながらどっちもすぐに日本人同士の罵詈雑言の応酬戦になっている。だいぶ前の尖閣列島事件の後だったけど、日本外交の失敗要因について「日本は他国を本質的に(日本と)同じだと考える」と論じていた記事を読んで、なるほどと膝を打ったのを思い出した。筆者の名前は覚えていないけど、大学教授か何かだったと思う。国家をそれを形成する国民に置き換えれてみれば、「日本人は他(国)人を本質的に自分と同じだと考える」ということになるか。同じだと思って接するから、そうでないとホメオスタシスが撹乱されて不快指数が上がるということになるのかな。あの記事、コピーしておけば良かったなあ。

まあ、大きな満月のせいばかりではないだろうけど、この10年とちょっと悶々としながら再構築を図って来たワタシ自身のアイデンティティについては、揺れ続けたこの10日。の間にやっと答が出たように思う。日本からの情報が思うように得られないことで、言わなくてもいいことを言わなくてもいいところで言っていて、「日本で1日。テレビを見てみろ」と言ってくれた、会ったこともなければ本当の名前も何も知らない日本の人にお礼を言わないといけないな。いつだったか、「拒絶されても、はねつけられても、抱きしめて欲しくて母親に近づく幼児のようだ」と言われたことがあったのを思い出した。ほんとうにそうだったのかもしれない。ワタシにとって日本という国は「生みの母」。互いにうまく気持が通わない親子なのかもしれなくても、子供は母親に抱きしめて欲しいと思うものだと思う。子供はね・・・。

だけど、抱きしめてくれる「母」がいなくても、日本には数えるほどであっても「友だち」と呼べる人たちがいる。相手はそこまで思っていないかもしれないけど、少なくともワタシには警戒心を捨てて近づける人たち。いや、日本にいる日本人だけじゃない。日本の外にいる日本人も、いや、アメリカにいるアメリカ人、日本にいるアメリカ人、カナダにいるポーランド人、フィリピン人、中国人、ベトナム人、○○人、何々人・・・みんなワタシにとっては「友だち」という括りなのは、ワタシの中では人間同士のレベルでたとえ小さくてもわかり合える、合えないを通り越した結び目があるんだろうと思う。あれだけの大災害の中で、家族も友だちもみんな無事だった。今それ以上のことを求めたら神様に叱られそうな気がする。どんなに小さな結び目であっても大切にして行かなくちゃね。

「いつまでも親がいると思うなよ」と言ったのは(何のことだったか忘れたけど)ワタシがふと弱音を吐いたときの父の言葉だった。子供はいつか大人になって独り立ちしなければならないのだと教えてくれた。「生みの母」が抱きしめてくれようがくれまいが、それがひとりの人間としてのアイデンティティを確立するときで、いうなれば精神的なホメオスタシスの確立ということなのかもしれない。じゃあ、少しは大人になった(と思う)ワタシのアイデンティティは何なんだろうな。ふむ、勤め人時代に「あんたは何人?」と聞かれるたびに「地球人!」と答えてきたワタシだから、赤、白、黄色のチューリップということで、カナダに咲く黄色い花の「地球人」ということでいいんじゃない?これなら誰にも揺さぶることはできそうにないし・・・。

平常があたりまえでなくなったとき

3月22日。火曜日。久しぶりにぐ~っすりと眠った気分で正午前に目を覚ました。すっかり春のいい天気。家の外の桜並木もかなりピンク色が濃くなってきた。もう五分咲きくらいになってるのかな?

今日は連邦政府予算発表の日。このまま予算案の否決で総選挙になだれ込む公算が大。ま、与党の方もずっと前から予想していたと見えて、この何ヵ月かしきりに野党第一党の自由党のイグナチエフ党首をこき下ろすテレビ広告を流していたし、野党も最近になって与党の施策を攻撃する広告で応戦。予算案発表という最重要イベントを控えて与党議員や首相の元補佐官が絡むスキャンダルが発覚したり、地盤である西部の主力議員が3人も引退を発表したりで、見たところはーパー首相の与党保守党にはあまり風向きが良くない。

総選挙となれば7年間で4回目。政府には確実にマイナス要素になる(はずの)スキャンダルで与党には優しくない政治環境のはずだし、世論調査でも国民の関心は「政治倫理」が「景気」を抜いてトップ。イギーことイグナチエフ自由党党首が今度こそ政権奪取!という意気込みになったのは当然だろう。ところが、同じ世論調査で、「政治倫理を正すのに最も適任なのは誰か?」という質問ではスキャンダルまみれのはずのハーバー首相が断然トップ。「信頼する政党はどれか?」の質問には首相率いる保守党がトップで、イギーの自由党は3位ということで、何ともややこしい。まあ、イギーは長年ハーヴァード大学で教鞭をとってきた歴史学者だから、未来を読むのは苦手なのかもしれない。(ハーヴァードでは「アメリカ人」のイメージで著作活動もしていたらしく、カナダに帰国して自由党党首になったその日から与党にそこを突っ込まれている。)

それでも、野党は予算案否決を決めたようだし、だいたい予算案の内容からして否決されることを承知での「キャンペーン予算」だから、ひょっとしたら策士ハーパー首相の台本通りに展開してるのかもしれない。左派の新民主党のレイトン党首の要求の「さわり」を取り入れて、新民主党が否決に回れば、選挙戦で「せっかく国民のためにと思って要求を取り入れたのに否決するとは何事だ」と攻撃できる。何よりも、圧倒的多数の国民が「選挙はまっぴらごめん」と言っている世論調査を後ろ盾にして、「選挙はやりたくないけど、野党がどうしてもというので・・・」とやれる。ハーヴァードで教えるくらいの大学者のイギーが実務派のスティーヴィーにかなわないのはどうしてかなあ。世論調査から推測される限りでは、鳴り物入りで総選挙をやって、結局は大山鳴動してまたハーパー首相率いる保守党少数政権・・・つまり、政治すごろくは「ふり出しに戻る」。ふむ、絶対にスティーヴィーは孫子の「兵法」を読んでるぞ。

だけど、連邦議会の総選挙。統合売上税の是非を問う州民投票。州では与野党とも新党首になって、たぶん州議会総選挙。そして、11月は市長と市議会の選挙。その間に、教員組合、州政府職員組合、その他の公務員組合の労働協約が期限切れになるそうで、不況のせいで2年ほど昇給ゼロだった後だから交渉は荒れそうだな。はあ、忙しい年になりそう。こういうのはカナダでは平常と言えば平常なんで、民主主義はごく平凡な市民もけっこうなエネルギーを費やさないと護持できない。独裁政権だったら何もしないのが一番楽で安全かもしれないけど。

きのうローカルの日本語掲示板でカナダのメディアから「震災のニュースが減った」と言って怒っていた日本人がいたと言ったけど、投稿の最後に、「自分も平常の生活に戻ったほうがいいのか?」とあって、たまたま地震も津波も放射能も停電も品不足もないカナダで暮らしているくせに「平常の生活」に戻るも何もないだろうがと笑ってしまった。(自分は仮想現実的に日本にいると思っているのかもしれないけど。)たしかに、人間は心身ともに「非日常」を長いこと維持することはできないようになっていると思う。だからこそ、東京で電車が時刻表通りに走らない、ガソリンが足りない、停電するのかしないのかわからない、行きつけのコンビニやスーパーの店頭に商品がない(聞くところによると高級スーパーでは品不足は起こらなかったらしい)、放射能が降って来る・・・あたりまえがあたりまえでない状態になって、対処しあぐねている人は多いと思う。

こんないつもとは違う状況が長く続けば誰だって疲れてしまって、あたりまえの「日常」に戻りたくなる。だけど、平常の生活に戻っていいかどうかなんて掲示板で他人に聞いてみなければ決められないような人は、もし「まだダメだ!」という答が返ってきたらどうするんだろうな。あんがい「平常じゃない生活をどうやってすごしたらいいか教えて」ということになるのかな。こういっちゃ何だけど、今の日本にとってはこういう「自己中及び/または教えてちゃん」が海外にいてくれて良かったのかもしれない。太平洋戦争以来の非常事態であっても(太平洋戦争がどれだけの「非常」だったのか知らないだろうし)あんまり母国の役には立てないんじゃないかというという気がするから。ま、みんなそれぞれに自分の「平常」に戻って、前方を見渡して、何をどうするのが一番いいのかを考えてみるのが一番じゃないのかと思うけど。

やっぱりこれが私の日常

3月23日。水曜日。よく寝た。正午前に起床。すっごくいい天気で、家の外の桜並木は目に見えてピンク色が濃くなってきた。トロントでは雪だそうな。ついでにオタワも大雪に埋もれて、という具合になればいいんだけど、あっちは総選挙がほぼ現実問題になってやたらと熱くなっているからなあ。それにしても、先頭で政権打倒の旗を振っているイグナチエフが「ボスである国民が決めることで、ボスが選挙を要求しているんだ!」とぶち上げていたけど、どの世論調査でも「今は選挙なんかしたくない」と言っているのに、全然国民の声を聞いてないじゃないの、あんた。

きのうの夜から始めて寝る前に仕上げる予定だった超特急の仕事。なにしろ与えられた時間が短い。社長がわざわざ時間帯を超えて電話して来たりで、ちょっとあたふたしたけど最後は少し時間が延びた。それで今日は朝食後から一心不乱に仕上げの作業。たまの英日で、すいすいと行くかと思ったらどっこいそうは行かない。こんなめちゃくちゃな英文書を書いたのはどこの誰なんだ!とぶつぶつ言いながらキーをたたく。グローバル時代で猫も杓子も世界への情報発信は英語。それで日英の需要が増えてワタシも潤っている。だけど、たまに英日を頼まれると、なぜか英語のようで英語になっていないような、英語という言語が崩壊しつつあるんじゃないかと思ってしまうくらいにキョーレツな英語文書ばかり。昔は中国発のにすごいのが多かったけど、最近はEU発のにもすごいのがあるどうしてワタシのところにばかり来るんだろう。あいつなら何でも引き受けるからと思われているのかなあ。疲れるよ、もう・・・。

カナダ食品検査庁(CFIA)が日本からの輸入される食品の放射能汚染監視を強化することにしたそうな。ま、福島を中心とする4地域の乳製品と果物、野菜だけが対象らしいけど、新聞によると、日本からカナダに輸入される食品は上位品目はごま油、ホタテ、ソース類や調理品、緑茶といったもので、輸入量はカナダが輸入する食品全体のわずか0.03%以下だそうだから、(当面は)監視強化というのは妥当だろうな。もっとも、0.03%以下なんて微々たるシェアだったら、韓国系スーパーに韓国産の代替品がたくさんあるし、輸入禁止になっても日本の食材がなくなっていることに誰も気づかないかもしれないな。逆に、生鮮食品の供給元であるメキシコやカリフォルニアで原発事故があったら大変なことになる。そうでなくても、メキシコとカリフォルニア州南部の霜害の影響でトマトの収穫量が激減して、バンクーバーでは今トマトの値段がばか高い。放射能汚染で輸入制限・禁止なんてことになったら、夏まで野菜が食べられなくなってしまう。それはだんぜん困るな。

同じ新聞にカナダの医療支援チームがまた日本での支援活動のためにバンクーバーを出発したと書いてあった。ハイチの大地震で活動した経験者がほとんどで、宮城県出身のボランティアが通訳として同行して、今度は2週間ほど活動して来る予定だという。放射能は気にはなるけど、リスクを冒す価値があるんだと言って飛び立って行ったそうな。よし、カナディアンの心意気を見せて来いよ!

ああ、これがワタシの普通の生活。この2週間の間にいろいろと考えて、いろいろと改めて発見することが多かったけど、その一番は「言わなくてもいいところで言わなくてもいい人に言わなくてもいいことを言わないのがいい」という教訓。まあ、人間大好きで口数の多い極楽とんぼのことだから、日本的に空気を読むことができなくて、つい気を許しては言わなくてもいい(あるいは言わない方がいい)ことを言ってしまうかもしれないけど、少なくとも自分の日常に戻ってほっとした気分でいる間はここだけの話にしておけそう・・・。

コスモポリタンなところが好き

3月24日。木曜日。いい天気。きのうのばたばた仕事でくたびれたせいか、まさに爆睡という感じ。なんか元気が出てきた気分・・・。

ニュースサイトをチェックしていたら、みずほが滞っていた振込みを全部クリアしたというので、まだ早いかと思ったけど、銀行のサイトをチェック。う~ん、15日。に日本のクライアントから送金されるはずだった先々月分の支払がまだ入ってない。時差のせいで明日になるのかなあ。まあ、今月は日本円にして10万円くらいだから、こっちも別にあわてないけど、ひょっとして小口過ぎて後回しにされていたりして。何が起きているかわからないから、それでも別に驚かないけど、明日になっても入金してなかったら、クライアントに連絡しといた方がいいだろうな。もしも未処理だったら送金依頼をキャンセルして来月分とまとめてもらってもいいんだけど、そんなことをしたらまたみずほのシステムが混乱してダウンしてしまうかも。しょうがないなあ、もう。

産経新聞のサイトに、「恩返しをしたい」という諸外国からの支援が日本側の杓子定規な扱いで受け入れられず、善意が中に浮いているという記事があった。東南アジアのある国が送ろうとした数万枚の毛布は、日本側が指定した規格サイズに合わないと受け入れに難色を示したとか。救助犬の派遣を要請しておきながら検疫ががどうのこうのと言い出して派遣は土壇場でキャンセル。米は余剰米があるから「いらない」。食料品は「安全基準のチェックができていないし、日本語の表示がないからダメ」。おそらくほとんどが東南アジアの国々なんだろうな。アメリカが食料品やアメリカサイズの毛布を送ると言ったら、やっぱり同じだったのかな。何十万人が寒い避難所で苦難を強いられているのに、お役人は規格だの検疫だのって、困ったお国だねえ・・・。

朝食の後、日当たりがぽかぽかするキッチンでコーヒーを飲みながら、バンクーバーで開かれていた移民に関する国際会議に関連でテレビでやっていたニュースの話になった。移民が今のペースで続くと、20年後の2031年にはカナダの15歳以上の人口の半分が外国生まれか、少なくとも片方の親が外国生まれということになると予測されていて、スウェーデンとポルトガルについて世界で3番目に移民の受容に成功している国ということになっている。それでも、急速な「国際化」に対する不安や不満が表面化してきているという。まあ、昔の移民と違って、今は宗教や生活習慣をそっくり移住先に持ち込んで、頑なに故国と同じ生活を続けようとするグループも多いし、はては宗教の自由をたてに逆に戒律を押し付けようとする集団もある。それができるところがカナダの「いいところ」なんだけど、カナダの文化や慣への同化を拒むグループが大人数になったときにその「いいところ」が失われはしまいかという懸念を持つ人たちが増えても不思議はないと思う。

メトロバンクーバーなんかすでに200あまりの「ethnic(民族)グループ」が住んでいて、5人に2人は外国生まれという「コスモポリタン」。これくらい雑多な民族がいれば、A国人はいいけど、B国人はダメとか嫌だといちいち区別して付き合おうとしていたら日常生活が立ち往生してしまうと思う。バンクーバーっ子のカレシ曰く、「英語教室の生徒はみんないつもバンクーバーには人種差別がないからいいと言っていた」。ワタシも「差別」と言えるような扱いに遭遇したのはビクトリアに住んでいたときくらいで、それも2度か3度。もう31年も前の話。あの頃は異人種カップルはまだ珍しかったから、2人のときに「?」な場面がなかったとは言えないけど、それでも日本でほどには人目を引かなかったな。近頃は異人種カップルなど8組に1組とか言われるくらい増えたから、誰も気にも留めないどころか、すれ違ってもたぶん男と女の人種が違うことなんか気づきもしないだろうな。(ワタシだってカレシが「外国人」とは気づかないもん。)

ちょっと皮肉のつもりで、ワタシはいつもカナダ人は人種差別主義だ、白人至上主義だと不平たらたらの民族グループからずいぶん差別されたと言ったら、カレシは「そうだろうなあ」と思いのほか肯定的に聞こえるような返事。へえ、わかってるんだ、アナタも・・・。

遠くへ旅に出たくなるとき

3月25日。金曜日。起きたときは雨模様。よく眠っているけど、まだなんだかぐったりと疲れたような気がするときがある。まっ、日本にいたらとっくに「定年」になっている年だんもんね。カナダの定年まであと2年と1ヵ月。このまま尻つぼみになれば深く考えなくてもいいから助かるけど、なんだか仕事が増えてきそうな、うれしいのかうれしくないのか自分でもわからない予感・・・。

連邦議会では野党3党の不信任案を通して、いよいよ選挙。まあ、どう見ても「さあ、選挙だあ」と張り切っているのは、うまく勝てたら総理大臣になれるイグナチエフだけ。といっても、自由党は支持率で与党保守党にかなりリードされているから、無謀と言ってもいいギャンブルだけど、なんだってそんなにニコニコ張り切ってるんだろうな。どうしてか説明でないけど、この人はテレビの画面に映っているだけで、イラ~っと来る。もって生まれた顔の好き嫌いはどうしようもないとしても、象牙の塔から降りてきた人の鼻持ちならない上から目線の物言いが障るのかな。まあ、選挙は投票が終わるまで何がどっちにどう転ぶかわかないから、5月の初めになるらしい投票日まで、おもしろくなりそう。

ロンドンのFolio Societyに注文してあった本のうちの3冊が届いて、そのうちの1冊を朝食後のコーヒーのお供に読み始めた。ジャック・ケルアックの『On The Road』で1957年に出版された作品。かってはヒッピーたちのバイブルみたいなものだった。読み始めると、これが「ビート詩人」のスタイルなのかと一気に目を覚まされるような新鮮な文体で、1日。座り込んで読んでしまいそう。少し前にイギリス暮らしが長かったアメリカ人ビル・ブライソンの『The Lost Continent: Travels in Small-Town America』を読み、その前にはこれまたヨーロッパが長かったジョン・スタインベックの『Travels with Charley』を読んで、アメリカ人には「何かを求めて彷徨する」遺伝子があるのかもしれないと思ったけど、きっと人間には誰でも「ここにない何か」を探したいという欲求を持っているんだろうな。今のワタシが還暦を過ぎたおばさんでなかったら、いたたまれずに「あてもない旅」に出てしまうかもしれない。いや、もしもひとり身だったら、年など考えずに迷うことなく旅に出てしまっているかもしれないな。

そういえば、ワタシが不安いっぱいの青春時代に入った頃、『遠くへ行きたい』と言う歌が流行っていた。人生の夢多きときのはずなのに、どこを向いても窮屈な規則や社会通念やしがらみばかりで、悶々としていたのがワタシの青春時代だったかもしれない。日本に伝播したヒッピー文化もすぐにただの表層的な流行に成り下がって、失望したワタシはヒッピーにはなれずじまい。大学へ行っていなかったから学生運動は末席にさえ加われず、内部闘争に発展するに至っては「知識人」にいやと言うほど失望し、ベトナム反戦運動のデモ隊もうさん臭い集団にしか見えなくて、ワタシの人生の展望はお先真っ暗・・・は大げさだけど、いつも自分の居場所は「ここではないどこか」にあるはずで、その「どこか」を探しに出る自由がないだけだと思っていた。

クリスマスケーキ年令の25歳の夏に、ペンパル夫妻の招待を受けて夏休みを過ごしに単身でカナダに来たのは、霧の中を見透かそうとしているだけのようだった「青春時代」に訣別するつもりだった。だからこそ自由を与えられたんだろうけど、そこで会わないはずだったカレシに会って、ワタシの人生、方向が見つかったのか、それともコンパスが狂ったのか。Somewhere over the rainbow・・・虹の向こう。でも、宝物はその虹のふもとに埋まっているという。ひょっとしたら、ワタシは38年前に「青春」という虹が消える間際にそのふもとにたどり着いたのかもしれない。紆余曲折の自分探しはまだまだ続くのかもしれないけど、少なくとも居場所にたどり着けたのは、ワタシの彷徨遺伝子の導きだったのかどうか。しきりに旅に出たいという気持になるのは、季節のせいだけではないのかも・・・。

ジャーナリズムと国際化と我々主義

3月26日。土曜日。春うららの陽気で、外の桜並木はほぼ満開。気の早いのはもうちらほらと散り始めている。すごくしっかり眠った気分で、けさはここのところ少しばかり上がっていた血圧も105/66といたって普通のレベルに戻った。

正午のニュース、一番手はもちろん選挙。総督に議会解散の許可をもらい、投票日は5月2日。。月曜日か。そういえば、カナダでは日曜日に投票することはないな。いつも週日の午前8時から午後8時まで。投票所に行くという名目で2時間くらいの遅刻か早退が認められるのは、労働法にそういう規定があるらしい。選挙と言う形での政治参加は国民の義務だからだろうな。モントリオールの新聞が世論調査の結果を各政党のシンボルカラーで色分けした円グラフにして載せていた。「首相として適任なのは?」という問いには、青49%、オレンジ34%、赤17%、水色なし。「下心があるのはどの党首だと思うか?」という問いには、赤46%、青39%、オレンジ10%、
水色5%。「どの党首を一番信頼するか?」という問いには、青42%、オレンジ34%、赤15%、水色9%。ちなみに、青は保守党(ハーパー)、赤は自由党(イグナチエフ)、オレンジは新民主党(レイトン)、水色はケベック連合(デュセップ)。選挙の焦点はトップから「医療」、「景気」、「税金」、「雇用」の順で、野党が不信任案を通した「政治倫理」は5番目。なんだか、やらなくてもいい税金のむだ使いになるだけの選挙・・・。

朝食後はしばし読書してから、オフィスに下りて「お気に入り」のニュースのフォルダを開いて、まず地元の新聞をチェックして、Google News(カナダ版)をチェック。トップニュースの他に(すべて英語だけど)「ワールド」、「日本」、「EU」、「アジア太平洋」、「ヘルス」、「科学技術」、「カナダ」とセクションを設定してあって、ベースメントに篭っているワタシの「世界に開かれた窓」。それからBBCとロイターズをチェックして、日本が朝になる頃に(Japan Timesを含めて)日本の大手新聞サイトをチェック。こんなところがだいたいの日課なんだけど、地震以来日本の新聞サイト(読売、朝日、産経、毎日の順)を集中的に見ているうちに「優先順」が大きく入れ替わって、今はMSN産経の「[速報]ニュース一覧」が一番になってしまった。Yahoo!速報ニュースもスポーツ新聞が出回る早朝の時間をやり過ごせばもう読売を見なくてもいいくらい。でも、一番の収穫は北海道から沖縄までの地方の新聞が集まった「47News」に出会ったことだろうな。ネットの大手新聞はあたりまえのように「Tokyo-centric(東京中心)」の視点でしかないという気がしていたけど、なんだかここで改めて「日本」を発見したような感じがする。(なつかしい「道新」こと北海道新聞もあるし・・・。)

ジャーナリズムと言うのは、世界にいろいろな出来事を伝える役目だろうとは思うけど、災害や戦争や犯罪やとにかくいろんな「できごと」の現場を見聞きしていれば、自然とその人の感じたことや信条が報道記事に入ってくる。だからこそ、ワタシはできるだけ多くの記事を読んで、報道する人の政治色や文化や価値観のバイアスをできるだけ仕分けして、自分なりに「理解」したいし、そうすることが他の誰でもない「自分」という主体性を維持する最後の防衛線だと思うから、毎日時間をかけてニュースを読んでいる。でも、やっぱり日本に関しては「現場」にいない悲しさなのかどうか、日本にいて常時テレビで映像を見ることができる人に「日本のてテレビを1日。見たらどうだ」と言われて、一瞬足下がぐらりとよろけて、改めて日本はワタシには遠い外国になったんだと悟って、(カレシが見ていないところで)つい泣いてしまった。悲しくて泣いたのか、別の感情で泣いたのかはわからないけど・・・。

世界のどこの国であれ、たぶん人間は根本的に細かに仕分けされて、自分がそのどこに属するかが見える方が精神的に安穏なのかもしれない。たまたま日本にある翻訳団体の理事会選挙。日本の法律に基づく非営利団体に改組して、日本人の会員が増えたのはいいけど、(客観的に見てセミリンガルのたぶん若い)自称完全バイリンガル日本人がゆくゆくは「日本国籍者」を加入要件にするとぶち上げて立候補したり、それに異議が出ると日本の政治家に働きかけるぞとでもいうような(ガキっぽい)威嚇をしてみたり、日本にある団体なんだからもっと日本色を出すべきで、非日本人会員は欧米の常識を押し付けるなと言い出したり、(ワタシがカナダで英語で暮らしたのと同じくらい長く日本で日本語で暮らしたドイツ人の)どうみたってそこらのゆとり教育日本人よりも立派な日本語の投稿を「カトコトだ」と評したり、英語では言いたいことを表現し切れないと言うから「日本語の投稿は問題なし」と言ってるのに、今度は日本語の投稿を読みきれていないと文句を言ったり、なんか荒んでいるなという気がして来る。

元々日本在住の非日本人の日英翻訳者たちが別の非日本人の(モノリンガル分野の)団体から分離して立ち上げた団体なんだけど、日本の法人に改組したら「我々日本人」派の日本人会員が増えたんだろうな。(日本人だけの団体が他にいくつもあるんだからそっちに加入すればいいのに。)まあ、日本に「庇を貸して母屋を取られる」ということわざがあるから、国際化の最前線にあるような翻訳業界にまでそれに逆行する一種の「国際化はがし」現象が及んで来ているということなのかもしれない。この団体もやがて日本人だけのものになって、そうなれば毎年バイリンガルな交流を続けてきた国際会議もなくなるのかもしれないな。ま、母屋を支えてきたベテランは大方が「前世代」の人間だし、なぜそういう流れになったのかは日本社会に日常生活の拠点がないワタシには考えるのもめんどくさい。(いつでも脱退できるわけだし。)

それにしても、北米人が、ヨーロッパ人が、アジア人が、そして日本人がそれぞれに描く「国際化」、「交際交流」、「国際コミュニケーション」って何なんだろう。孔雀の尻尾じゃあるまいし、そんなにも「我々○○人は」と虚勢?を張り合うほどに違うのかな。やっぱりキプリングが言った通り、「東は東、西は西。交わることなき・・・」なのかな。この丸い地球の上で、人類は何万年、何千年も交わってきたはずじゃなかったのかなあ、確かに戦争もして来たけど・・・。

世界は放っておいても刻々と変わる

3月27日。日曜日。いい天気。起床は正午前。まあ、いい傾向かな。ヨーロッパは今日から「夏時間」になるらしい。ロシアは「夏時間」のままで恒久的に固定することにしたとか。日本では節電のために「夏時間」を検討するとか、しないとか。世界大戦後の占領時代に導入したそうだけど、日本にはなじまないとかで、主権を回復したとたんに廃止にしたらしい。エネルギーの節約と言っても、仕事が終わっていつまでも明るいとつい車に乗って遊びに出かけてしまうから、ガソリンの消費が増えて逆効果だという説もある。でも、夜中まで残業して家路につく頃は暗くなっているだろうから、サラリーマンには関係ないかな。ま、何にしても慣れればなんとかなるんだけど、今は何でも時計がついてるからめんどくさいことこの上ない。果たして日本で普及するのか・・・。

ケルアックの『On The Road』は主人公がヒッチハイクを重ねて、やっと目指すデンバーに着いたところ。降り立ったところが「ラリマー・ストリート」。はあ、たった6ヵ月前にワタシたちが歩いていたあのラリマー・ストリートか。赤レンガの建物が並んだ古いダウンタウン。60年経った今は見る影もなく寂れていたらしい通りは、倉庫などを改装してレストランなどが並ぶファッショナブルな通りになっている。なんとなくなつかしい。再来月のシアトルの会議も、会場から歩いて行けるところにレンガの古い街並みが残るパイオニアスクエア地区があるな。たしかスターバックスの本社があるところで、エリオット湾に向かって突き抜ける道路にシアトル草分けの人の名前がついている。「ラリマー」という名前も「西部」を目指して移動して行った開拓者の名前なのかな。

メールをチェックしたら、協会の理事会選挙はまだがたがたやっている。候補者の1人が「国籍条項」を持ち出したのは、日本の公職選挙法でそうなっているからなんだそうな。ちょっと待てよ。非営利団体がいつから人口500人足らずの「村」になったんだろう。村議会選挙じゃあるまいし、日本国籍の村民だけに投票権があるなんて法律はないし、公職選挙法が政策論議を禁じているんだから黙れと言われてもねえ。しまいには「会に別の規則があるのはわかっているけど、公職選挙法に則るのが自分の方針だ」と来たから、ワタシも口をあんぐり。「日本人の、日本人による、日本人のための」団体にするのが「政策」なら、それはそれで理事に当選したら理事会に諮って、会員に諮って決めればいいことだと思うけど。まあ、いくら日本人の感性を逆なでするからって、外国籍の会員を排除したら協会は「限界集落」になるだけなんだけどな。最終的にはさすがに国籍条項は政策から外したらしいし、公職選挙法違反で訴えるのもやめたらしいけど、「規則ではそうでもオレの方針はこうだから」って、若い人だろうに明治の頑固じじいみたい。

それにしても、この団体も最近はずいぶん変わって来たと思う。日本人が日本語で応答したら、「やっぱりツーカーで伝わって、ほっとする」と言う人がいた。そうか。そうじゃないと言いながら、結局は日本語を深く理解できない非日本人とはツーカーで気持が伝わならないから疲れると言うことか。それじゃあ小町なんかで外国人夫とわかり合えなくて疲れると嘆いている国際結婚妻とあまり変わらない。結局は、伝える努力をしなくても伝わる付き合いを求めているということかな。だけど、日本語人は英語人の英語を深く(あるいはまったく)理解できなくて、できても英語人並みの英語は書けないし、片や英語人は日本語人の日本語を深く(あるいはまったく)理解できなくて、できても日本語人並みの日本語は書けないのが共通の事情。だからその間に「翻訳業」という職業が成立して、我々翻訳者が日々そのギャップを埋めようと汗をかいているんだけど、相手の思想や文化やユーモアが日本人のツーカー的感性や思想や文化に合わないなんて言っていたら、いったいどんな翻訳になることやら。

まあ、ワタシは投票を済ませたし、ここで意見をぶち上げても何にもならない。堂々と意見を投稿すればいいんだろうけど、やっぱりこういう人たちは怖いから場外観戦ということにしておいて、今日からニュースのフォルダにBloombergを追加。カナダ連邦議会選挙の舌戦2日。目の様子を読んで(といってワタシは浮動票じゃないけど)、リビアの方に目を向けてみる。フランスとイギリスは本音はアメリカを先頭に立てて空爆させたかったんだろうけど、NATOに指揮権を持たせたヒラリーは頭がいい。大統領選挙に打って出ないのはもったいない気がする。アメリカだって、先頭に立った火中の栗を拾ってみたところで、やけどをしても同情も感謝もないどころか、またぞろ「オマエが悪いから」と言われるだけだと思っているだろうな。でも、今度はなぜかフランスが珍しく威勢がいいと思っていたら、カレシ曰く、「カダフィが大統領選挙の選挙資金を出したと言ったもので、サルコジは怒り心頭でカダフィの首を狙っているのさ」。ふむ、ほんとかなあ・・・。

わかり合えるのは死と税金だけかも

3月28日。月曜日。正午少し前に目を覚まして、そのまま起床。夜来の雨。ニュースで日本の原発から飛来したと思われる放射性物質が雨水と採取した海草から検出されたそうな。じこニュース専門のラジオ局は「ついに来たぞ~」と(欧米人のユーモアで)煽っておいて、続けて「でも、健康には害はないのでご安心を」。あはは、日本の政府発表やマスコミの報道と同じことを言ってるじゃないの。カレシが「コーヒーカップを持って外へ出たらnuke itできるぞ」となんとも冴えないジョーク。Nukeはもちろん「核」のスラングだけど、「nuke it」と言うのは「電子レンジでチン」すること。電子レンジが一般家庭に人気家電になった頃には「電子レンジを使うと放射線に被爆して危険だ!」と騒ぐ人たちがたくさんいたっけな。その電子レンジも今はどこにもあるし、たぶん誰も冷凍食品を温めるたびに放射能を浴びているとは思いもしないだろうな。実際のところ、浴びているのかどうかもわからないし・・・。

朝食が済んで、『On The Road』の一節を読んでから、午後5時が期限の仕事に突進。仕事自体は毎年やっていることだから勝手がわかっているんだけど、郵便局のBeckyちゃんが定期的に巡回チェックしては「メールですよ~」と知らせてくれるもので、中断されてばかり。クライアントからだったら返事を出さなければならないから無視するわけにもいかず、メールをチェックしてみたら、非営利団体の理事会選挙を公職選挙法に則ってやりたい人と、英語では言いたいことが日本語のようにツーカーで伝わらないことで切れたらしい中年おじさんとが、まあ怒涛のごとく投稿。英語人の英語流のウィットを「日本人には失礼」と言いながら、自分は駅裏の赤ちょうちんで管を巻いているサラリーマンのような口調で、これが自分のスタイルだとおっしゃる。他人の反論やコメントに対していちいち反応して投稿していたら仕事の方がお留守になるんじゃないかと思ってしまう。実際にヒマなのかもしれないけど、「言わなくてもいいところで言わなくてもいいことを言わない」という方針もありだと思うけどなあ。仕事、はかどるし・・・。

まあ、「オレ様ルール主義」の人はワタシの理解の限界を超えているから横においておくとして、日本語人対英語人のつばぜり合いだったのが、何だか日本語人同士で上から目線だの子供っぽいだのとう舌戦になりそうな雲行きだったから呆れていたけど、とにかく仕事の邪魔でしょうがないから、この御仁の投稿は「Killフィルタ」をかけて、期限に向けて猛烈ダッシュ。何とか午後5時の期限に間に合わすことができて、息抜きにトレッドミルでとことこ走りながら、つらつらと考えてみた。(ひたすら走るトレッドミルは漠然とした思考にうってつけ・・・。)昔から、日本暮らしが長い英語人会員とアメリカ暮らしが長い日本語人会員の間で論争が大げんかに発展して、双方とも投稿停止処分になることがよくあった。言語は英語。それでも、どっちも個人攻撃ぎりぎりまで行きながらも、翻訳者としての信条に則ってけっこう辛抱強く持論を展開していたけどな。

対照的に、きのう「国際結婚妻と変わらない」と評した「ツーカー日本語人」(男性)の主張は、かねてから小町などで漠然と感じていた「気分」とでもいうものに共通する心理があるように思う。どこの誰であれ、翻訳者、国際結婚者、海外駐在・在住者には常に異言語と異文化と対峙して、その影響に晒されているという共通点がある。国際関係もビジネスも人間関係も、異言語同士の関係であれば、どちらかが相手の言語を使うか、両方に精通する媒介者を立てるかしないと、コミュニケーションが成り立たないと思う。そういう状況で国際結婚妻がよく嘆くような、「あっちは自分の言語でしゃべっているのに、こっちには外国語だから言いたいことの半分も伝えられないのは不公平」、「私だけ努力するのは不公平」という感情が出てくるのはわからないでもない。

この「何で私ばかりが」という感情の裏には、「私が損をしている」、「私の損になることは嫌」という気持があるのでないかと思う。日本人は平等イコールみんな同じと教えられて来ていると思うから、日本にある団体の板なのに、英語人は何の苦労もなく自然に自分の言語で議論できて、母語でない言語で対応して疲れるのは自分ばかりなのはフェアじゃない、と言う気持を持つのもわかるような気がする。ま、たまたま選挙運動で日本人会員が人種差別されていると言って国籍条項を持ち出した人がいたもので、鬱積していた「不公平だ(損をしている)」という気持が表面に出た、要するに、キレたということなんだろうな。

だったら何で異言語を扱う商売を選んだのかと聞きたくなるけど、たぶんそれは「言葉の違いでわかり合えない」と嘆いている国際結婚妻に何で異人の嫁さんになったのかと聞くのと同じようもなものかな。絶対に100%分かり合えることはないというなら、せめて99%に近づけるように互いに努力すればいいだろうと思うけど、バブル崩壊の後の失われた10年が20年を過ぎてしまって、漠然とした(今どき風にちょっと過激にいうと)疲弊を感じている人が多いのかもしれない。それが、ワタシが蔓延しつつあるように感じていた「伝染病」で、(匿名掲示板と言う特定の狭い集団の)女に限らず、実社会の普通の人間も感染するということなんだろう。

人間て、なまじっか言葉と豊かな感情と空間を超越する伝達手段を持ったばかりに、逆に互いに大いなる努力しないと分かり合えなくなって来ているのかな。それとも、言葉の壁というのは、今なお残る「バベルの塔」の廃墟なんだろうか。まあ、ワタシにはわからないし、別にわからなくてもいいことなのかもしれないけど。さて、みんな息切れして自然休戦になったようだし、所得税の確定申告の書類をそろえる作業にかかろうか。死と税金。世界共通で100%わかり合えるのはこれくらいなのかも・・・。

十年一日の毎日は贅沢な暮らしかも

3月29日。火曜日。雨の予想だったけど、起きたときは曇り空。出かけなければならないから、うれしい天気。昼のニュースで、福島原発からと思われる放射性よう素が検出されているけど、健康に害のあるレベルではないから心配ない、と言っていた。ありゃりゃ、BBCで顔なじみになったエダノ氏と同じことを言ってるなあ。でも、よくよく考えたら他に言いようがないだろうなという気もしてくるな。「検出された」という事実を伝えるからには、「でも大丈夫」と付け加えておかないと、何千キロも離れて半減期を過ぎているとは言えパニックが起きる可能性は大きいと思う。まあ、そうでなくとも、二十一世紀は「不安の世紀」というタイトルがつきそうな様相だし・・・。

朝食のテーブルで、まずカレシが今日の「巡回ルート」を決定。酒屋で空き瓶を返して、レミとベルモットとジンを買って、ダウンタウンではまず会計事務所に確定申告の書類を届けて、Hマートで野菜などを仕入れて、帰りにWhole Foodsによってお目当てのシリアル等々を仕入れて、セイフウェイには寄らずにそのまま帰宅、という段取りだそうなで、朝食が終わったとたんに「早く出ないと時間がなくなる」とせかせか。何のことはない、5時からテレビでホッケーの試合があるんだそうな。そっか、今日の試合に勝つと西部カンファレンス初優勝だもんね。一卵性双生児のセディン兄弟は総合点で1位と2位。昨シーズンは兄のヘンリクがアートロス杯を獲得したけど、今シーズンは弟のダニエルが首位。「シーズン最後の試合で同点だったら絶対にあいつにパスしないよ」とヘンリク。おもしろくなりそうだもんね。

カレシのスケジュール通りに順に用足しをして、買い物を済ませて、帰ってきたらまだ3時半で余裕たっぷり。やれやれ、急がしといて・・・。セイフウェイに寄れたのになあ。ゆうべのうちに送るだけにしておいた仕事をさっと送って、今日はもう開店休業ということにして、買って来た魚の処理にかかる。Whole Foodsではオヒョウのステーキと、直径10センチはあるでっかいほっぺた。顔なじみになったカウンターのお兄ちゃんに6個頼んだら「大きいよ。今朝入ったばかりで新鮮だから、多すぎたらフリーザーに入れるといいよ」とアドバイス。そこで、4個と2個に小分けして冷凍。Hマートでは高麗人参の一番小さいパックを買ってみた。ここのところカレシが風邪気味だと愚痴っていたから、これでなんちゃってサムゲタン風のスープができたらしめたもの。

少なくとも秋まで休むつもりでいた英語教室が急に再開することになって、カレシはこの2週間ほど打ち合わせやらなにやらでイライラ。こういう折衝は苦手な方だから、ストレスになりまくって、オレ様になってみたり、やたらと絡んできたり。でも、どうやらもう1人のボランティア先生が水曜日のクラスを担当してくれることになって、カレシは火曜日に初級クラスを担当することで話が決まったらしい。宗教上の理由からボランティアをしているというバハイ教徒の青年で、ESL教師の資格を持っているそうな。カレシがずっと前から教えたがっていた初心者クラスだし、週一回なら生活のリズムにもさして障害にならないし、ずっと居眠りやあくびをしていたカレシのボケ防止にもよさそうだし。

ま、来週からまた火曜日は特急簡単ディナーの日になるわけだけど、ちょうどよく近くのカレッジで5月の末から始まる演劇クラスは火曜日の夜。早速受講の申し込みをしようかな。体中を動かして、大きな声を出せる演劇は何よりのガス抜き。にぎやかなヨガみたいなもの・・・と、遊ぶ気満々でいたら、なんか大きそうな仕事の話が舞い込んで来た。テーマは資源開発らしい。ふむ、福島原発の問題が起きて、あんがいこの分野でも仕事が増えるのかもしれないな。忙しくなりすぎるのは困るけど、俗に年よりの冷や水と言うけど、実際に年を取って来ると、刺激一杯の毎日よりも、一見してつまらなそうな毎日が健康法と言えないこともないな。つまり、カレシはボランティア先生をしながらの隠居生活、ワタシは(当面は)金稼ぎをしながらのぐうたら主婦生活で、ちょこちょこ思いがけないことは起きるけど、毎日同じような暮らし。ある意味、すごく贅沢なことだと思う。月が替わるし、気持をリセットして、10年かけてでき上がった文字通り十年一日のごとき二人の日常に戻ろうね。(あのさあ、そのトドみたいな大あくび、何とかならない?)

味覚のツボと笑いのツボ

3月30日。水曜日。なぜかあまりよく眠れないまま、正午前に起床。何か頭の中に淀んでいることがあって深く眠れないのに、午前7時前にはもうリサイクルトラックがガラガラガッシャン(早すぎるって。)しばらくすると、今度はごみ収集トラックがゴォ、ガァ、ガシャン、ゴォ。ほんとにこの自動収集方式と言うやつは騒々しい。おまけに、まず北方面、そして南方面と片側ずつ往復するもので、いつも2回起こされるから、春眠なのに暁さえないような感じ。予報では雨がざあざあ降っているはずなのに、多少は湿っぽいけど曇り空。弥生3月も今日と明日。いつもの時間にシーラとヴァルが掃除に来て、ヴァルは玄関を入るなり「もうすぐ私たちの月だよ~」と第一声。うん、ヴァルもワタシも4月が誕生月。ああ、もう4月か・・・。

家の中がすっきりきれいになったところで、ぽちぽちと仕事を始める。これを済ませて、月末と四半期末の処理をやっておかなければ、きのう問い合わせがあった大きな仕事が「ゴー」になったら、またあたふた状態になってしまう。現実になるかどうかは営業さんの腕次第だけど、あたふたするかどうかはワタシのやる気次第。どうも今年はのりが悪いから・・・と、言いつつ、半ページくらいのところで脱線。新しいWordのカスタム化を始めた。デフォルトで並んでいるコマンドはほとんど使わないものが多いから、カスタム仕様のタブを4つ作って、「All Commands」のリストからいつも使うものや手近にあると便利なものを片っ端から取り込んで、グループごとに並べ替えたり、外したりと、午後いっぱい試行錯誤して、一応「マイWord」の体裁ができた。残るは古いWordで使っていたマクロとショートカットキーの設定だけで、デフォルトのままで使っている人には「使えない」Wordのでき上がり。仕事よりこっちの方がおもろしろいから困るけど。

食事の支度の時間になって、今日の食材を解凍していないことに気がついた。魚類はけっこう流水で速く解凍できるけど、ランチのフォーに使うつもりでサーロインのローストを冷蔵庫で解凍してあったので、思い立って「カレー」。電気釜を持ち出してご飯を炊き、玉ねぎとにんじんとじゃがいもと薄切りにした肉をいためて、水を入れて、グリコカレーを入れて、カレー粉をおまけにたくさん入れて、日本式カレーライスのできあがり。福神漬けがないけど、カレシが作ったトマトと玉ねぎとハラペーニョのサルサがうまく合っていた。ご飯にたっぷりカレーをかけて食べながら、二人して、去年新宿駅の小さなスタンドで立ち食いしたカレーはおいしかったね、と懐古の気分。うん、あのカレー、たぶんC級グルメで、2人で食べて500円玉でおつりが来たし、「実」がほとんど入っていなかったけど、なぜかすごくおいしかったなあ・・・。

久しぶりにまとまった?肉を食べて、仕事の続き。いやになるくらいにはかどらない。キーを叩いているところへ、カレシが後ろからまとわりついてくるもので、ちょっぴりイジワルな、だけど飛び切り冗談っぽく切り返したら、カレシがおなかを抱えて笑い出して、結局、二人とも大爆笑。そこでふと、ワタシたちっていわゆる「笑いのツボ」が同じみたいだなあと思った。ずっと昔から同じようなタイプのコメディが好きで、一緒に見ていて同じところで笑っていたよね。毎日生活を共にしている人と「わかり合えない」もどかしさのひとつに笑いのツボが違っていて、笑いを共有できないことを上げる人がかなりいた。たしかに何がユーモアなのかは人種や文化によって感性が違うだろうし、同じ国の中でも地域間で微妙に違っている。ということは、ワタシたち、わかり合えているってこと・・・?

まあ、どこまでわかり合えているかは神のみぞ知るだけど、36年も同じ文化社会の中でひとつの言語で笑ったり、ふざけてみたり、、けんかをしたりしながら曲りなりにも毎日を暮らしていれば、いやでもそれなりに「似たもの夫婦」になって来るのかな。あっ、仕事をしないと・・・。

4月は何かと「新」がつく月

3月31日。木曜日。就寝した頃はかなりの雨が降っていたけど、起きた頃には晴れ上がっていい天気。日差しも強くなってきていると見えて、昼にはもう温室の屋根が開いていた。野菜の種が次々と芽を出して、「早く庭に下ろさないとひょろひょろになってしまう」とちょっと焦るカレシ。うん、温室育ちのひょろひょろトマトは食べられないかも。

今日のローカルニュースは、2013年からスカイトレインと地下鉄に導入される改札システムで使うカードの名称が決まったという記事。公募で集まった名前から3つを選んで、その中から「Compass」が1位になったそうな。交通機関の「パス」だからなかなかいい選択だな。ロンドンや香港のシステムを設計、運営している会社が請け負っているそうだけど、要はSuicaと同じようなシステム。1986年のバンクーバー万博(交通博)でスカイトレインが開通して以来「改札口」と言うものがなかったのが、ひとっ飛びで近代化というところかな。おお、やっと!という感じ。なにしろ改札口がないから無賃乗車が後を絶たず、交通警察なるものを作って、抜き打ちで切符の検査をやってみても焼け石に水で、運賃収入の損失は25年間で1億ドルとも言われる。(ワーホリなどで来た日本人も無料だと勘違いするのかどうか知らないけど、ちょくちょく無賃乗車で捕まるらしい。)去年東京で初めて使ったSuicaは西も東もわからない観光客には便利この上なかった。導入されたら真っ先にCompassカードを買うぞ。2013年が楽しみ・・・。

仕事をひとつ片付けて、また「休みモード」。ほんとに気持が乗ってこないなあ。はて、日本は金曜日だから、引き合いの仕事が今日中に確定しなければ丸々「ウィークエンド」。しばらくの間まとめて休みたいような気がしきりにしているんだけど、3月はほんっとに疲れたという感じがする。災害に遭った人たちや、放射能や停電や品不足に対処しなければならない人たちはもっともっと疲れているだろうと思うけど、ワタシも(「も」なんて言うと叱られそうだけど)足下がぐらついたり、心が彷徨っているような感じがして落ち着かなかったせいで、どろ~んと疲れた気がする。エダノさんも菅さんもあの防災服とか言うのをやめてスーツに戻ったそうだし、ワタシも(関係ないけど)カレンダーをめくって気持の切り替えをするか。それにしても、なんで災害が起きるたびに閣僚がみんなおそろいの制服を着なければならないのかな。誰だったから忘れたけど、ずっと前に防災服を着ていなくて批判された政治家が「いいわけ」をしていたような記憶がある。どっちみち対策本部とかいうところで座っているだけだろうに、ジーンズにシャツじゃだめなの?

小町を見ていたら、震災に関連して「被災した彼との婚約を(見捨てたという評判を立てられずに)解消したい」という相談で盛り上がった後、今度は海外在住組に「日本に行こう」と呼びかけるトピックで盛り上がっている。日本へ行って、国内旅行して、外食して、たくさんお金を使って日本経済に貢献しようと言う趣旨だけど、被災しなかったために支援金や復興資金をもらえない中小企業や零細な自営業は多いはず。被災地から遠く離れていても、観光客が激減して困っているところも多いだろうう。ああだこうだと言うのはしばらく休みにして、母国のためにこぞって出かけたらいいと思う。バンクーバーのダウンタウンにたむろって何から何まで文句ばかり言っているニちゃんねら日本人の(仮想的に有能な)若者たちも母国に駆けつけて腕まくりをしたらどうかと思うけど、彼らの場合はあんがいどいている方が母国のためになるかもしれないな。みんながそれぞれの思うところに従ってできることをするのが一番いい。

陸前高田市で数万本の松が根こそぎになった中、津波が去った後にたった1本だけ立っていた松の木の凛とした姿を見て、この3週間で初めて声を上げて泣いた。あの松の木が枯れてしまうことのないようにしたい。うんと涙を流して泣いて気持が落ち着いてきたところで、ワタシなりに東北の人たちのために何ができるのか考えてみよう。日本の4月は「新」の月だもの・・・。


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