リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年3月~その1

2011年03月11日 | 昔語り(2006~2013)
内も外も春の嵐注意報

3月1日。火曜日。曇り空。気温はプラス。午前10時30分の目覚ましで起床。早起きといえば、早起きだけど、今日はカレシが親友のリチャードとランチをする日。ちょっと仕事の手が空いたから、一緒にダウンタウンまで行って買い物をすることにして、そろって早起き。朝食のテーブルでああだこうだと日程を話し合って、今日はダウンタウンまで車で行くことにした。

車を止めて駐車メーターに(今度は忘れずに)しっかり2時間分、2ドル硬貨を3個入れて、カレシはあっち、ワタシはこっち。けっこう風が冷たいけど、雪は歩道の日陰の片隅にちらほら残っている程度。まずは銀行できのうママから届いた小切手をとりあえず口座に入金して、地下街に下りたくなるのを無視してそのまま事務用品のStaplesへ直行。ポストイットやらクリップ、カレシのプリンタのインクカートリッジやら細々したものを買い、コンピュータ売り場で、そういえばこんところマウスの反応が鈍くなったなあと思いつつぶらぶらしていたら、(いつもそうだけど)店員が「何かお探しで?」と来た。いや、ぶらぶらしているだけで・・・と応えて、ふと思い立って新しいPCとプリンタの出張セットアップについて聞いてみた。別の大手エレクトロニクスの店のテクニカルサービスに来てもらおうと考えていたんだけど、キカイはここで買ったものだし、せっかく「何かないか?」と聞いて来たんだし・・・。

販売が専門の店員が若いテクニカルアドバイザーを連れて来て交代し、そのアドバイザーが店のマネジャーを連れて来て、まずはオフィスの様子や設備、何をどうしたいのかを説明して、ブレーンストーミング。しまいにオフィスの見取り図を描いて、ここにこれがあって、こっちにあれがあって、ここに何を置いて、こっちは何。まずボトルネックになったのはプリンタをシェアするPCが2つの別々のネットワーク(と電話回線)に接続しているつながっていることで、ワイヤレスの設定は中間にサーバを置くなどしなければ難しい。結局はUSBでつなぐのが一番と言うことになったけど、今度はPCとプリンタの置き場所が離れていて、その間に出入り口があるために、オフィス中にケーブルを引くことになって、コストがかかる。そこでマネジャー氏が、サイドテーブルのようなオフィス家具がちょうどプリンタを置ける大きさなので、これをPCに近いところに置くことができれば問題は解決するし、ケーブルよりも安くすむよと提案。じゃあ、ワタシとカレシの空間を分ける本棚の端に置けばいいや、ということで即座にOK。家具はあした午後に配達して、組み立てておくということになった。ふはあ、「ちょっと聞いてみよう」が延々と1時間半・・・。

候補に上げていたところに頼めば、この1時間半の話し合いに99ドルかかるところだったから、コンサル料なしで、おまけに推定4時間の作業の出張料金を持ち込み料金にしてもらったのはめっけもの。「ちょっと」聞いてみるもんだな。出張作業の予約を木曜日の午後に入れて、完了。木曜日ということはあさって。ということは、ワタシもカレシもあした中にデスクの周りやオフィスを片付けておかなければということか。だけどなあ、帰ってきて、毎日こもっている半径1メートル?のオフィスを改めてじっくりと見回して、ああ、出てくるのはタメイキ。まるでカテゴリ5のハリケーンが通過した後のようなこのオフィス(↓)、片付けると言ったって、いったい・・・。

今夜半からあすにかけてハリケーン並みの嵐が来るそうで、強風注意報が出ている。数年前にスタンリー公園の樹木を1万本もなぎ倒して行った嵐くらいの「凶悪」さなんだそうで、市役所も電力会社も倒木や停電に備えて準備万端とか。窓を開けておいたら、ワタシのオフィス、起きる頃にはきれいさっぱり片付いているかなあ。あ、オフィスの窓は開かないんだった・・・。

渡る世間はパワーゲーム

3月2日。水曜日。午前8時ごろ、ちょっと目が覚めたら、おお、かなりの風。天気はだいたい西から変わって来るんだけど、台風のように渦を巻いてくる低気圧の時はいつも南東の方向から吹いて来るおかげで、長辺が南側にある角地にあって、雨風が来る方に露出していて我が家は、東向きの切妻の下端で風がひゅうひゅうと鳴り、雨がもろにベッドルームの窓を叩く。けさは、あまり雨の音がしなかったけど、風はかなりのものだった。それでも、また眠ってしまって、改めて目を覚ましたら、まるで台風一過の青空・・・。

バンクーバー島と本土を結ぶフェリーは午後まで欠航だったというし、郊外ではかなりの停電があったそうだし、とにかくこの冬の最大の嵐だったことはたしかで、できることなら最後であった欲しいな。そういえば、きのうは3月1日。。やっぱり言い伝えの通り、3月はライオンのごとく吠えながらやって来たと言うことか。少し遅れて夜になりはしたけど。我が家の周りは停電も被害もスカイライトからの雨漏りもなしで、とにかくやれやれ。

あした予定の新しいコンピュータとプリンタの接続と設定のために、急遽いくつかオフィスの家具を動かして、模様替えすることになって、そのためにまずはゆうべ寝る前にパラパラッとにわか雨のように降って来た小さい仕事2件を特急で仕上げて納品。まあ、模様替えそのものはさして大げさなものではないけど、本棚一つを動かすにも、まずあっちこっちにうずたかく積み上げてある「ガラクタ」を撤去しなければ始まらない。家を建てたときに八角塔からずっと壁に沿って造り付けにしたデスクは、不規則な形で端から端まで10メートル以上。その上も下も、段ボール箱やらバインダーやら、とにかく目も当てられない状態で、徹底的に片付けるには今を逃したらチャンスはなさそうだもんね。

京都大学を初めとする有名大学の入学試験の問題がネットに投稿された事件は、投稿した学生が特定されたらしいけど、翻訳教育にも関わっている同業者がそのうち2つの和文英訳の問題とそれに対する「ベストアンサー」の回答を仲間内の掲示板に載せて、ひとつの答に「う~ん」の評。たしかに、翻訳者の目から見たら「う~ん」としか言いようがないんだけど、もうひとつの答は英語としてはまったく意味をなしていない。どうもネットの自動翻訳機能を使って訳したものを「答」として投稿したらしいということだった。それってカンニングと似たようなことじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう。少なくともいい加減だな。でも、ネットを使ってのカンニングには、ネットを使ってのカンニングで応じる、というのは皮肉といえば皮肉だな。少なくとも褒められたもんじゃないけど、ちょっと何かをググると同じ文面を掲載したブログがわんさとヒットするくらいだから、考えずにいわゆる「コピペ」するのが習い性になっているのかもしれない。

夜、テレビのニュースを見ていたら、どうも5月あたりには連邦議会の総選挙がありそうという話。なにしろ数年もの間ずっと少数政権だったんだけど、野党3党のうち、自由党とケベック連合がすでに予算案反対を決めていて、鍵を握るのは一番左よりの新民主党。この3党がそろって反対投票したら予算は確実に否決され、予算案の否決は内閣不信任と同じだからs、即議会解散、総選挙となる。もっとも、世論調査ではハーバー政権の支持率はライバルの自由党に対するリードを開いていて、今すぐに総選挙をしたら、保守党が過半数を確保する可能性があるというから、野党にはあまり有利とはいえない状況なんだけど、ま、そこは政党同士のパワーゲーム。どうなることか、おもしろそう。

だけど、今年は11月に市制選挙があるし、去年の7月から実施された統合売上税(HST)の賛否を今ごろ問う州民投票が当初予定の秋から6月に早まる可能性があるし、その州政府は与党が新しい党首を選んだばかりで、野党ももうすぐ党首選の投票があるから、ひょっとしたら今年中に州議会の総選挙もありそう。なんだか投票所に通い詰めのような忙しい年になりそうだなあ。ま、政治談議大好きのワタシは、なんとなく楽しみな気もするからいいけど。

さて、クライアントには臨時休業のお知らせをしたし、そろそろ「本日の営業終了」の看板を出して、腹ごしらえをしてから、デスクの下にもぐっての春の大掃除の前哨戦と行こうか・・・。

外では雷様が暴れても・・・

3月3日。木曜日。やっぱり割とは役目が覚めた。そそくさと朝食を済ませて、オフィスの春季大掃除。まあ、よくこんなにガラクタやら何やらがあるもんだと思うくらい、どこもかしこも山積み。作業ができるスペースを確保したところで、コンピュータの電源を外したり、当面は2台併用になるので、じっくりと配置を考えたり・・・。

結局、古いCPUはほぼ元の位置のままで、モニタを右側に90度移動。元のモニタの位置に新しいPCを置くことにした。これなら椅子を90度回すだけで両方を楽々使える。なにしろ、新システムにすっかり慣れるまでの「当面の措置」。

どんどん雲が厚くなる中、テクニシャンが登場したのは3時半を回った頃。さっそく旧システムのクリーンアップにかかり、「おっそいなあ」と感嘆。「よくこんなんで仕事できるね」と。いや、できなくなってきたから新しいのに切り替えようというわけなんだけど。システムの診断をやっている間に、新しいPCを手早く設定して、ネットの接続があっという間に完了。Office 2010をインストールして、新しい経理ソフトをインストールして・・・さすが、手際の言いの何のって。立ち上がった新システムの大きなモニター、明るいし、何よりも15インチから21インチへの格上げだから、すごく大きく見える。でっかい箱とでっかいCRTモニターの時代がずいぶん遠い昔になったような気がするなあ。

さて、一番の作業はプリンタのネットワーク化。新旧4代のPCでシェアしようと言うので、USBケーブルやら無線LANやら、聞いているだけで頭がこんがらがってくる。作業をテクニシャンに任せて、キッチンに上がって夕食のしたくを始めたところで、雪なんだか、あられなんだか、猛烈な降り。とたんに、突然バッと外で閃いたものがあって、頭上で猛烈な雷鳴。おいおい。こんなに近くゴロゴロやられては困るんだけど。それでも、2度目は少し遠のいて聞こえ、3度目はなく、そのうち雲が切れてさあっとさして来た夕日が虹をかけた。ベースメントでの作業には支障はなかったらしい。電源のバックアップとサージ防止のキカイを使っていたおかげかもしれないな。なにしろ、ゴロゴロドッカンなんてもんじゃない、あんな雷は初めてというくらいのすごさだったから。

できあがったスモークサーモンのパスタを「スナックにどうぞ」とオフィスで奮闘中のテクニシャンに差し入れして、夕食。終わった頃にはプリンタの設定も完了して、テクニシャンを送り出し、さあて、これからがいろいろとめんどう。まずは日本語環境の設定から。その後はメールソフトをインストールして細々と設定して・・・と、始めたはいいけど、メニューは日本語で表示されるのに、受信箱も送信箱も何もかも日本語の部分だけ「?」に化けている。困ったなあ。まあ、どれがどれなのかはアイコンを見ればわかるから何とかなるけど。、どうしよう。そうこうしているうちに、飛び込んできたメール第1号が仕事の話。あ~あ。

でも、タッチスクリーンはいいなあ。何でも指1本でやれてしまう。無線のキーボードとマウスのスイッチを切って、アプリケーションを起動したり、終了したり、画面をスクロールしたり、ファイルを選んだり、指先でちょいちょい。入力が必要なら左の端に隠れているソフトキーボードを引っ張り出せばいい。マウスを持つ手が痛いことが多くなったから、これからはちょっと楽をできそう。こういうことなら、技術の進歩はいいもんだなあ。

まあ、オフィスの後片付けはあしたにして、少し遊んでみようか・・・。

異国で立ち往生する女性たち

3月4日。金曜日。きのうはいつもの日常と違う一日でくたびれたのか、ベッドに入ったとたんにぐ~っすり。カレシはかなり早めに起き出したらしいけど、ワタシはとにかう正午近くまで寝て、それでもまだ何となく疲れた気分で起床。年なのかなあ、やっぱり・・・?

細かなファイルがごそごそと入って来たけど、今日とあしたは時差の関係で日本は週末。まあ、オフィスの整理整頓が半分、仕事が四分の一、遊びが四分の一と言う割り振りかな。カレシは「なんだ、iPadのお化けみたいなもんだな」と言うけど、タッチスクリーンの操作はマウス世代にはちょっと体得すべきコツがあるような感じがする。でも、カレシの言うとおり、近い将来の「マウス」の絶滅を予言するような技術だと言えるかもしれないな。新しいプリンタだって、コピー機、スキャナとして使う場合はタッチ方式のパッドで操作するわけだし、地下鉄でダウンタウンへ行くのに切符を買うにもタッチスクリーン。カレシとワタシが初めてPCを買ったのが1987年だったから、わずか四半世紀の間にコンピュータ技術は人類の歴史の観点から見たらナノ秒で進歩したということか。まあ、指先だけでさまざまな文明の利器を操作できるというのは、これからどんどん高齢化する先進社会では大きな意味があると思う。

DOSの時代から初めたワタシは、最初に普及したWindowsの(たしか)3.0に移行したときも同じようにマウスを操作するコツをつかむのにイライラした経験があるし、それよりずっと、ずっと前にたどって行けば、就学前に左利きを「矯正」するという、言うなれば脳全体の「新システム移行」を経験したおかげで、「やり慣れた方法が変わる」ということが相当なストレスになり得るのはよくわかるけど、理不尽とも言える左利き矯正のストレスに比べたら、コンピュータのOSの更新で脳みそが被るストレスなんて問題にならないと思うけどな。だって、キカイの思考過程なんて、人間がてんで好き勝手に使って来た「脳力」に比べたら、「あたりまえ」から外れることがないだけ、「mind reading(読心術)」が不要で、コツを体得してしまえば楽々じゃないの?

新聞サイトを巡回していて、地元のVancouver Sunのサイトにローカルの日本語掲示板に掲載されたら炎上しそうな記事があった。バンクーバーのYWCA(キリスト教女子青年会)理事長の話を取材した記事で、カナダ全国で衣食住どころか教育や医療サービスさえ受けられないでいるカナダ生まれの子供たちが数百人、いや数千人いて、バンクーバーだけでもYWCAが世話をしたケースでは50人以上になるとか。子供たちが基礎的な社会サービスさえ受けられないのは、父親がカナダ人であっても、母親が永住資格を持っていないためで、市内でYWCAが運営するシェルターのうちの1ヵ所だけを見ても、そこにいる女性の70%がそのケースに該当するという。

子供の父親とはカナダ渡航前に知り合っていたケースがほとんどで、インターネットで知り合ったり、女性の国で出会ったケースもあるが、学生ビザや短期就労ビザなどでカナダに来て知り合ったケースもある。共通しているのは、この女性たちがDVに遭いながらも永住権申請のスポンサーになるという相手の男性の言葉を信じて我慢をしていたのが、どうにもならなくなって別れを切り出したら男性がスポンサーになることを拒否、あるいは関係の破綻を理由に撤回してしまったために、生まれた子供がカナダ国籍を持ちながらカナダ国民としての当然の恩恵を受けられなくなってしまったのだという。

こういう話は移民大国のカナダでは別段めずらしいことではない。何年か前に移民法が大幅改正されて、それまで10年間で撤回可能だったスポンサーシップが撤回不能の3年間になったのは、外国から来た妻がスポンサーの地位を利用したDV夫の虐待に耐えてきたという歴史がある。第二次大戦、朝鮮戦争が生んだ戦争花嫁しかり。自国で出会いのない男たちがアジアから呼び寄せるメールオーダーブライドしかり。スポンサーが降りてしまえば、永住権を剥奪されて、子供をカナダに残して出身国に強制送還される可能性が高かった。カレシがワタシのカナダ国籍取得に猛反対した背景にもそういう心理がなかったとは言えない。つまり、今は「家族クラス」で永住権を申請するにはまずスポンサーとなる人が資格申請をしなければならなくなっているから、この記事の女性たちの相手が「スポンサーをやめた」と言うのは、スポンサーとなる承認を得るための「申請」を撤回したということになる。

記事を読んで日本人が知ったら騒ぎそうだと思ったのは、バンクーバーYWCAに相談に来た女性たちの三分の一が日本人だったということ。他にはメキシコ人が13%、アメリカ人が13%、その他がアジアとヨーロッパの各国から来た女性だったという。つまり、この数字では「カナダに来て、カナダ人男性との間に子供を産んだけど、何らかの理由によって永住権を得られないまま、働くこともできず、医療保険に入れず、子供に教育を受けさせることもできないでいる日本人女性」が他国からの女性に比べて目立って多いということになる。そこにはいろいろな解釈があるだろうけど、結婚するなり事実婚として認められる実績を作るなりして、永住権の申請手続きを完了してから子供を作っても遅くはないだろうに、どうしてそんな状況に陥ってしまったんだろうという疑問が浮かんでくる。
                                    
というのも、いったんスポンサー資格が認められて、相手が永住ビザを取得したら、たとえ結婚・事実婚の関係が破綻しても、契約期間中は扶養義務が継続し、相手が公的な生活保護などを受けた場合には政府がその費用を請求するしくみになっている。つまり、そういう手続きが完全に終わって、カナダでの地位が安定しないうちに子供が生まれてしまっているということだけど、先進国日本で大学教育を受けたであろうはずの日本女性がバンクーバーYWCAが扱った相談の三分の一を占めたというのは、どういう意味を持つんだろう。もちろん、子供の父親であるカナダ人男性のいい加減さは責められるべきだけど、日本では妊娠してから結婚する、いわゆる「できちゃった婚」が多いそうだから、その延長線上でのことだったのかな。でも、日本の法律では婚姻届を市役所に持って行って受理してもらえばそれで結婚が成立するけど、カナダの法律は違う。国境を越えたら「自国と同じ」を期待することはできないということは思い及ばなかったんだろうか。

この記事が日本のメディアの目に止まることはないだろうけど、ここにいる日本人たちがもし記事を読んだら(だぶん読んでいないだろうけど)どういう反応をするのかな。まあ、だいたいの見当はつくけど・・・。

報ハイウェイは渋滞中です

3月5日。土曜日。何となく疲れた気分のまま、正午直前に起床。朝食のオレンジジュースが、きのうスーパーが閉まる前に買い物に行くつもりで忘れてしまったせいでコップに半分ずつしかないはずなのに、ほぼいっぱい。カレシが冷蔵庫にあった白ワインを足したんだそうな。なるほど、オレンジジュースにシャンペンだと「ミモザ」。シャンペンは基本的にワインだから、バブルなしのミモザというところか。

今日はまずあしたの午後が期限の仕事の方を先に片付けて、納品を済ませてから、新しいシステムの設定をいじることにした。ネットへの接続は新システムの方に移ったので、旧システムは完全にオフライン。勝手に常時アップデートしていたものが停止したせいか、全体的にスピードアップして、作業がやりやすくなったから皮肉。やっぱり一番の元凶はエクスプローラだったんだろうな。カレシが自分のPCを調べて、いろいろなアプリケーションのアップデート探しがメモリの半分を食ってしまっていたとこぼしていた。なるほど、ノートン君はライブでアップデートしていたし、Flash Playerだ、Javaだと、やたらとアップデートのお知らせがあったし、Officeもいつのまにか微妙に変わっていたりしていたから、こういうのが勝手に「常時接続」で場所取りをしていたんだろうな。便利なようでどんどん不便になるような気がするのは、情報ハイウェイが渋滞しているせいってことなのか・・・。

新システムは現在一番の問題がメールソフト。ノリマツさんという日本人が作った「Becky!」というソフトをもう長いこと使っているんだけど、Windows 7対応の最新版をインストールしたのに、スムーズに行かない。送受信には問題がないし、日本語メールの表示も問題はないんだけど、メニューの文字がぜんぶ疑問符に化けてしまっている。「受信箱」も「???」だし、「送信箱」も「???」だし、メニューを落とすと、まあすごい「?」の行列。いや、「?」なのはこっちの方なんだけど。Beckyちゃん、どうしちゃったんだろう。あ~あ・・・。

まあ、あっちこっちをいじり回して、コントロールパネルの言語設定に戻って、「Unicodeに対応していないプログラムの言語」というのがあったので、ためしにSystem Localeというのを「日本語」に変えて再起動してみたら、あ~ら、見慣れた日本語のメニューに早変わり。なあんだ、簡単じゃないの・・と思ったら、今度は日本語のファイル名がついた添付ファイルを保存することも、開くこともできなくなってしまった。あ~あ、Localeを変える前にはファイル名は文字化けしたけど、とにかく指定のフォルダに保存できたんだけど、ファイル名が英語ならまったく問題がないのに、日本語だといくらクリックしても何も起きないし、転送もできないし・・・。困ったねえ、もう。

システムの切り替えというのは、仕事に支障が出ないようにやらなければならないから、ほんとにストレスがたまる。これが使い慣れたPCが壊れて、急遽買い替えという場合だったら、仕事どころじゃなくなって大変なところだった。タッチスクリーンはだんだん慣れて、これはすごく便利で使いやすいと思うようになって来たけど、稼業の心臓みたいなOffice 2010となるとまったく別の話で、はい、そうですかと引っ越すわけには行かないから、よけいにストレスがたまりそう。込み入った法律文書を訳す方がずっと楽だと思ってしまう。人間語と機械語のバイリンガルじゃないもので、思い通りに動いてくれないキカイを相手にしていると疲れる。(キカイはくたびれたときに機械語でなんと愚痴るんだろうな・・・。)ああ、情報ハイウェイのどっかにサービスエリア、ないのかなあ・・・。

大そうじをすると出てくる過去のこと

3月6日。日曜日。いい天気だけど、頭はなんとなくぼや~ん。身体はまだいいけど、脳みその方はとっくにあちこちで配線がショートしているような気がするけど、とにかく、今日は日本で月曜日の朝が始まる前にオフィスのレイアウトを整理しないど・・・。

デスクは新しいPCを古いPCがあったところに置いて、古いのは時計回りにL字型。これだと古いCPUを動かさずに済むから楽だし、新しいので資料を検索しながら、古いので翻訳作業を進められる。もう20年近く前、まだOSがあまり賢くなかった頃は(といっても今でもあまり賢いとはいえないけど)、当時は主力だったMac他に、PCがWindowsの日本語版と英語版1台ずつあって、1台のモニターをスイッチで共有していた。あの頃はKさんという日本人にシステムの日本語環境化や設定をしてもらっていたから、OSやソフトの世代が変わっても電話1本で出張して来てくれた。今頃はもう引退したのかか、あるいはビジネスをたたんで日本に帰ったのか・・・。

ハードウェアの配置が決まって、次は今まで足元にあったバックアップ電源をデスクの上に移動する作業。退役する古いファクスがモデムと共有している電話線を外したら、どれをどうつないでいいかわからなくなって、デスクの下に何本も這っている電話のコードとしばし格闘。一番長いのはなぜか7、8メートルはあるから呆れる。結局はモデムだけを保護することにして、不要になったコードは段ボール箱に貯まった「コレクション」行き。デスクの下にもぐったり、ドリルでコードを通すための穴を開けたりの大奮闘で、ああ、腰が痛い。でもまあ、夕方までにはオフィスは一応の「新装開店」にこぎつけた。やれやれ。ついでに山になっていたごみやガラクタを整理したから、デスクの上はすっきりした感じ。ま、いつまでこの状態が続くかは、極楽とんぼ流の風まかせだけど、こんなぐあい↓[写真]

大掃除のときの定番のようなもので、デスクの下に放置されて埃まみれになっていた書類のバスケットから印刷した古いメールが何枚も出てきた。日付は1999年。その頃、日本在住の外国人たちの「プライベートクラブ」みたいなPandAという小さなメーリングリストに、同業のイギリス人の紹介で仲間入りしてあれこれと議論や他愛のないおしゃべりをしていた。今は自然消滅して数年になる。メールの主はオレゴンに住んでいたアメリカ人のリーと東京に住んでいたイギリス人のロジャーで、どれもカレシとのことで悩んでいたワタシへのアドバイス。何度か離婚した苦労人のリーはワタシのことを「小さな妹」と呼んでくれて、第三のカウンセラーのような存在だった。一人娘を乳がんで亡くして、しばらくひとりになりたいからとリストを退会してから音信普通になった。ロジャーは男性の視線でワタシの疑問に答えてくれている。読み返してみて、あの頃いろんな人たちに話を聞いてもらって、みんなの精神的な支えに助けられて、人生最大の荒波を乗り越えられたんだと思うと、涙が出で来そうになった。今、リーは70代、ロジャーは80歳に手が届く年になっているだろうな。他の仲間たちもほとんどが60代後半から70代。みんな、元気でいてほしい。

今の自分の幸せを実感しながら、なつかしいメールをファイルキャビネットのパーソナルファイルに大事にしまって、新システムでWord 2010を使う練習を始める。いきなり2003からの移行だからか、かなり勝手が違うなあ。まあ、ぼちぼちカスタマイズすることにして、まずはブログ関連のファイルを移して練習、練習。Beckyちゃんはまだ少々ぐずっているけど、新システムへの移行はちゃくちゃく・・・と行っているといいけども。

カスタマイズできること、できないこと

3月7日。月曜日。いい天気。昨夜は霜が降りていたけど、日が昇ると春の陽気。それにしても朝っぱらからやたらと騒々しいと思ったら、家の外の三叉路を半分交通止めにして電柱を取り替える工事。今日中に納品する仕事があるんだから、電線をショートさせて停電なんてことにならないように気をつけてよね。

朝食の後、コーヒーを飲みながら、今日届いたばかりのMacLean’s誌をのんびりと読んでいたら、「Cross-border love」という記事に目を引かれた。グローバル時代とインターネット時代が重なって、カナダ人が世界のあちこちで異性と出会う機会が増えた。まあ、異国人同士の出会いなんて、人類が地球上に広がり始めた太古の時代からあったことだけど、二十一世紀の今はポスト9・11の時代。国境を越えて愛しあったカップルが結婚してカナダに落ち着こうとすると、「ビザ」という大きな壁が立ちはだかるというもの。それだって、ビザや永住権申請のプロセスを経験した身としてはさして新しい問題とは思えないけど、あれから世界の事情は大きく様変わりしたし、カナダの移民法も何度も改正されたし・・・。記事に登場するカップルは夫がカナダ人、妻がイギリス人で、留学先の香港で出会ったんだそうな。

紆余曲折を経て、法律の学位を持つ彼女は弁護士事務所で受付をしながら、永住権が承認されるのを待っている。その一方で、駐在先のメキシコで出会ったカナダ人男性とメキシコ人女性のカップルは、ビジターとして婚約者に会いに来るためのビザさえ拒否されて、とうとう別れてしまったという。年間25万人近い移民の大半は「家族」のカテゴリで、偽装結婚も多いらしく、毎年5組に1組は(たとえ法的に結婚していても)永住権申請が却下されているという。移民手続きを商売にしている弁護士たちは、役所には人間のロマンスの真偽を判断する権利はないと言うけど、偽装とまではいかなくてもカナダに留まるための便宜上の結婚が多いのも事実。「夫婦」とみなされるだけの関係があってもそこに「愛」があると立証するのは難しい。同じ国の人間同士だって、愛し合って結婚したのか、条件が合ったから結婚したのか、それを知っているのは当事者だけだろうと思う。

まあ、この世に男と女がいる限りは、人種や文化の違いに関係なく、どこかで出会えば熱烈な恋に落ちることがあるだろうし、逆に打算的な理由で結婚することだってあるだろう。地球上をいろんな人たちが駆け巡るグローバル時代になって、これまでの常識や法制度が対応しきれなくなっているということかもしれない。考えたら、ワタシたちの頃はカレシの側に法的な障害があったのに(移民の数そのものが少なかったから)移民局は個別の対応をしてくれて、今とは比べものにならないほど短期間で永住ビザが降りた。あのときの状況を今現在にあてはめたら、ワタシが配偶者として永住権を得られるどうかわからないな。ま、ワタシとカレシにとっては「国際結婚」はもう遠い昔の話。申請料などは一銭もかからなかった、ほんとにのどかな時代だったんだろう。生まれるタイミングが良かったということかもしれない。

記事によると、年齢差のある「国際結婚」の場合、妻がカナダ人で外国人の夫より年上だと却下される確率が高いのに、逆の場合はかなり低いとか。何だかすごく旧弊な思考があるような感じがするな。要するに、カナダ人のじいさまたちは外国から若い嫁さんをもらえるのに、カナダ人のばあさまたちはイケメンの若いツバメをゲットしても、カナダに連れて来れないということで、何だか不平等もはなはだしい。カレシは若いオンナノコと楽しい第??の人生を夢見ることができるのに、ワタシがカッコいい若いオトコと結ばれるのはダメって、男女同権、機会均等に反するでしょうが。ふん、かわいいだけでおつむは空っぽの若い嫁よりも、元気のいい若い婿さんもらうほうがカナダの経済にはずっとメリットがあると思うんだけどなあ。

さて、今日は背中と肩が痛いけど、オフィスは一応普通に営業できる状態になった。小さい仕事をやっつけて、新しいシステムのカスタマイズを始める。普通のユーザーはマニュアルと首っ引きでやるしかなかった大昔と違って、何だって「マイ何とか」でカスタマイズできる今はコンピュータとの付き合い方も十人十色だからおもしろい。ま、婿さんをカスタマイズすることはできないけど、キカイのtinkering(いじくり回し)はワタシの得意とするところ・・・。

宝くじで老後の生活資金って?

3月8日。火曜日。正午前に起きたけど、まだ何だか寝足りない気分。どうしてかなあ。ちゃんと寝ているつもりなんだけどな。やたらとおなかが空く感じがするし、やっぱりここんところちょっとストレス気味だったせいかもしれないな。でも、ここでへたれているわけにもいかないから、とりあえず朝食を済ませて、元気が出たところでまずは買い物。

今日は3ヵ所を巡回。その一は、Williams Sonoma。炭酸水を作る炭酸ガスのカートリッジが2本とも空になったので、新しいのと取り替えてもらいに行く。Soda Streamというブランドで、空のカートリッジを持って行くと新しいのが約4割引きになる。ロケット砲弾のような形をしたカートリッジ1本で約30リットルくらいの炭酸水ができて経済的だし、空き缶やボトルのリサイクルの手間もないのがいい。巡回のその二は酒屋。ワインの空き瓶を返して、新たに我が家のハウスワイン「Starborough」ソヴィニョンブランを1ケース。ついでにワタシのレミを買って、『TASTE』の最新号をピックアップ。これは無料の季刊誌で、公営の酒屋が発行しているとは思えないくらい豪華な雑誌で、有名レストランのシェフのおしゃれなレシピが楽しみ。巡回ショッピングの最後は野菜類の買出し。まだそれほどの値上がり感がないのはカナダドル高のおかげだろうな。

騒乱やら旱魃やら洪水やらで、世界的にいろんなものが値上がりしているそうだけど、北米のメディアの関心はもっぱらガソリン代の高騰。まあ、車社会だからなんだろうけど、公共交通機関の利用率が高まっているというのは環境的にはいいことだと思うな。電気自動車の改良と低価格化も進むだろうし、バイオ燃料に向けられる食料作物の割合も減るかもしれないな。食料品の輸入コストが上がれば都市近郊農業の「工場化」による地産地消が発展するだろうし、北国で1年を通して新鮮な野菜を栽培するためにソーラー発電の技術革新も進むだろうな。その先には何が待っているんだろう。あんがい物流と消費のグローバリゼーションが後退して行くのかもしれないな。

きのう読んでいた雑誌には義務教育のカリキュラムにお金の扱い方や経済知識を教える科目を取り入れる州が増えていると書いてあった。なにしろカナダでは世帯あたりの借金の割合が借金漬けといわれるアメリカのそれを超えているんだそうで、インフレが起こって金利が上昇し始めたらかなり危ない状況の仮定が多いという。もっと危なっかしいのは老後が視野に入っているベビーブーム世代の生活設計。ひと頃は世論調査をすると、「親の遺産」が老後の生活資金源の上位に上がっていたもんだけど、最近は「宝くじの賞金」が上がっているんだそうな。公営の宝くじは低所得者層の生活資金を吸い上げるから悪であるという意見がよくあるけど、どうやら最近は中流階級が宝くじ購買層の主流になっているらしい。一攫千金で悠々自適の老後を、ということらしいけど、その確率は何千万分の一。宝くじに投入する資金をコツコツと貯めたほうが効率的なんじゃないのかなあ。

バンクーバーは家の値段が超ばか高くて、平均的な市民にはどんなに条件が悪いところでも戸建てはおろかタウンハウスやコンドミニアムも高嶺の花。特にオリンピックで開通した地下鉄沿線は相場が急騰して、市がもくろんでいる総合再開発の計画もご破算になりそうな状況だとか。でも、今日ウェストサイドで目に付いた「売家」の看板には軒並み「売約済」の札がついていた。日本円にして軽く1億や2億はするはずだけど、普通のカナダ人が買えないとしたら、いったい誰が買うんだろうと思うけど、ほとんどが中国本土からの移民だそうな。中国経済が日本を追い抜いたのは知っているけど、国民の所得水準がまだ高いといえない中国で、いったいどうしたらそんな資金を貯められて、国外へ持ち出せるのか、ちょっとしたミステリーだな。みんなジャンボ宝くじで大当たりしたラッキーな人たちなんてことは、どう考えたってありえないよなあ。

ま、あと2年と1ヵ月に迫った「定年」の後の人生を一攫千金に頼らなくてもいいように、ワタシはぐいっと腕をまくって、きりりと鉢巻を締めて、しっかりと日々の糧を稼ごうっと。

女の敵は女は女の敵

3月9日。水曜日。なんかあまりよく眠れていない。ごみの収集で騒々しかったせいもあるけど、1時間かそこいらおきに目が覚めて、別にごちゃごちゃ考えごとがあるわけじゃないのに、眠りに戻れない。ま、それでもシステムの切り替えは順調だし、あちこちをいじってみては、「あ、なんだ、こうするのか」と発見して、さっさとカスタマイズ。だんだんワタシ「らしい」システムになって来た。

きのうは「国際女性デー」だったんだって男女同権、機会均等、女性の自決権の確立を求めてウーマンリブが先進世界を席巻してからずいぶん久しいな。最近は「ウーマンリブ」という言葉さえ聞かないから、きっともう死語になったのかもしれないな。ワタシがカナダで公務員になった頃は女性の地位向上のための運動が盛んだった。どんな運動でも先駆者が変革を急ぐあまりに極端に走る傾向があるけど、北米のウーマンリブもその例にたがわず先頭に立った女性たちは「男偏重」を社会の隅々から排除しようとしたっけな。その多くは女性を含む一般社会に定着することなく忘れられけど、たとえば、「man」を「person」に置き換えた多くの語が今ではごく普通の語彙になっている。この30年に法制度も社会制度も男女の機会均等の精神を踏まえた変化を遂げてきたと思うけど、最近は「男のおちこぼれ」が話題になる。大学は医学部も男性の領域だった工学部も今では女性が大変を占めるようになり、女性が元気すぎるために男性が意欲をなくしているという議論さえ出て来る。おいおい、それも女のせいだと言いたいの・・・?

対照的に、中国に抜かれたとはいえまだ世界トップクラスの経済大国である日本は、国連の人間開発指数や女性の社会進出度のような評価は先進国グループにさえ入らない低いランク。政界にも産業界にも男性に立ち混じって指導力を発揮している女性が極端に少ないし、機会均等法があるのにキャリアを伸ばす女性は少ないし、世界の先進国に倣って産休や育児休暇の制度を導入しても、子育てをしながら働き続ける女性は専業主婦になる女性よりもずっと少ないだろう。若い女性たちは働き続けうるよりも男に養われたいと思っているらしい。収入の少ない男は家族を養う気概がないと批判されるし、身を粉にして養ってやれば家事や育児に参加しないのは最低だと批判されるし、結婚したくなくなる気持ちもわからないではないな。女性の社会進出を促進する制度は一応は先進国並みなのにどうしてだろうと思うけど、小町横町の井戸端会議から察するに、建前と本音を使い分ける企業文化に加えて、女性自身が専業対兼業、子持ち対子なし、既婚対未婚等々、女性同士で足を引っ張り合う二項対立の社会観に縛られているように見える。

昔からの政治戦略に「divide et impera(分割統治)」というのがあるけど、日本の女性社会の現状はまさに分割統治の観があると思う。女性社会を分断して、おいしい思いをしているのが誰なのか。やっぱり古い世代の男だろうな。自分がなければ結局は他人のものさしで自分を測ることになる。たぶんそこをうまく利用して、表向きは女性を蝶よ、花よと煽てて、裏ではすべてを自分の位置を基準にした上下関係で評価する風潮を作って煽られた女性同士を対立させて、自分たちの領分を守っているのかもしれないな。女性同士が団結して政治や企業を動かせば、専業主婦でも働く奥さんでもアラなんとかの独身でも、みんながそれぞれに生き易い人生を選択できると思うんだけど、うまく謀られてしまっているような感じがしないでもない。

最近の小町に、たとえデスクワークでも長く働き続けるのは無理だという20代の女性からの投稿があってかなりの賑わいだったけど、「働く女性はなぜ働かない女性に冷たいのか」とこぼし、体力がどうのこうのと言い訳をした挙句、しまいに「なぜ働かないという選択が評価されないのか」というよくわからない主張になったから非難ごうごう。まあ、要するに働きたくないということなんだろうけど、理解ある婚約者がいるんだったら「働かない」選択をして、後は自分がしたいことをのんびりやって人生を過ごせばいいだろうに。若い人が身体も精神もすごくひ弱そうなのがいつも不思議なんだけど、今からそんなへたれだったら、老後まで行き着くどころか、先に国が滅びてしまうかもしれないよ。せっかく「女性の日」があるんだから、女性は何をしたらいいか、何ができるか、ちょっと考えてみたほうがいいかもね。かのジェームズ・ボンドだって女装して考えたんだから・・・。

何もかもそれどころじゃない

3月10日。木曜日。わりとよく眠れた気分で目が覚めた。システムの移行が軌道に乗ってきて、おまけに今日は納期の心配がないからかもしれない。人間の身体のシステムはうまくプログラムされているらしい。旧システムではよくプログラムが応答しなくなって、強制終了するたびに「問題を報告せよ」というメッセージが出た。いつもその頃にはかっかと頭に来ているもので、「送るな(Don‘t Send)」をカチッ。あれと同じようなものなのかもしれない。ワタシの身体のシステムはプログラムがうまく作動しなくなったら(つまり、ストレスホルモンのグルココルチコイドが増えすぎたら)自動的に報告を「送る」ことになっているんだろうな。ふむ、なんか単純にできているような気がしないでもないけど・・・。

外は明るいけど、かなりの風。まっ、雨や雪をご同伴してでなければ春何番目が吹くのも乙なもんだなあ、と思っていたら朝食の最中にささ~っと曇って来て、さ~っと雨。へえ~と思っているうちにいつの間にか雨が上がっていた。まずは洗濯機を回して、電話料金とケーブル放送の料金の支払い。新システムのキーボードは無線だから、タッチのソフトキーボードでパスワードを入力した。どれだけ安全性が向上するのかはわからないけどね。郵便をチェック。ロンドンにあるFolio Societyから新しい限定版発行のお知らせ。スペンサーの『The Faerie Queene』で、箱入り3冊セットが通し番号つきで1000セット。白い革に金色のデザインは豪華そのもの。だけど、送料・保険料・税金込みでゆうに1000ドルを超えるから、小さい頃にデパートで母によく言われた「触らないで見るだけよ」を実行。こういうのは番号が「1」ならいつか少しは価値が上がるのかもしれないけど、そうでなければ趣味の域を出ないな。まあ、本を積読するのが(今のところ)ワタシの趣味だから。

・・・のんきにブログなど書いていたら

カレシがどたどたと階段を駆け下りてきて、「日本の北の方で大地震だって」と。さっそく日本の新聞サイトを見たら、震度6とか7とか。マグニチュードは8前後というから、被害がたくさん出そうだな。津波警報も出ているし、何でもかんでも「それどころじゃない」という感じ。東京でもすごい揺れだったようだけど、みんな、大丈夫なのかなあ。火事も発生しているというし、ほんとに大丈夫なのかなあ。テレビをつけて、BBCのニュースを見なくちゃ・・・。


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