リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2013年1月~その2

2011年01月31日 | 昔語り(2006~2013)
現代版「大学は出たけれど」

1月16日。水曜日。午前11時50分、目覚ましで起床。気温はプラス3度。今日は掃除日だけど、シーラとヴァルの到着が遅れていて、ちょっとゆったりと朝食。使った食器を食洗機に入れ、キッチンカウンターのリサイクル品を片付けて掃除の準備完了というところで登場。ヴァルが開口一番に「パトカーがぐるぐる回っているけど、どうしたの」。ええ~?そこへ隣のパットから電話。(真っ昼間に)現れて裏庭に放置してあった銅のパイプを持って行こうとした泥棒を3度目の正直で取り押さえようとしているところを、非番で家にいたキース(警察官)が窓から見て即通報。泥棒はパトカーが来る前にパットを振り切って逃げたそうで、走り回っていたパトカーはまだ近くにいると見て探していたんだろうな。はたして捕まえたのか・・・。

今日届いたMclean’s、誌に「新下層階級」と題して、大学を卒業しても取得した学位とつながる職に就けずにいる若い人たちの話が載っていた。その例として取り上げられた3人の専攻は「応用言語学」、「歴史と政治学」、「広告」。いずれも大学の学位(日本なら「大学卒」の肩書き?)こそがゆとりのある中流階級の未来を確実にすると思っていたのに、その学位を生かせる職に就けず、レストランのサーバーやカフェのバリスタ、小売店の店員をしたり、無給のインターンシップを転々としたりしているという。そういう若者たちの多くは多額の学生ローンの返済に苦しみ、自分たちの親と同じレベルの生活は一生望めそうにないと思い始めているとか。

併せて載っていた『100万ドルの約束』という記事は、大学団体が大学卒と高校卒の生涯賃金を比較して喧伝し続けてきた「100万ドル以上の差」に疑問を投げかけている。(これだけ差がつくんだから、授業料の値上げくらいがまんせい、ということらしいけど。)たしかに、大学教育が高収入を保証て来たけど、何でもとにかく「学位」を取りさえすればいいってもんじゃないのは自明の理じゃないのかな。医者やエンジニアは高度な専門教育が必須の職業だから高収入で、30年、40年働けば100万ドルの差が出るというのはわかる。でも、マーケティングや広告関連、映画関連の仕事などは特に最高学府で4年も勉強して来なくたってやれそうだし、実際に、学位を取ったといっても収入は高卒と比べてそれほど多くないか、悪くすると以下らしい。

一方で、カナダの技能労働者の不足がますます深刻化しているというのは皮肉な話。労働市場にどうしようもない需給のミスマッチが起きているらしい。根底にあるのは中流イコール「ホワイトカラー」という、裏返せば「ブルーカラー」を下層階級として見下す思想だろうと思う。まあ、人間には何につけても少しでも他人より「上」でありたいという願望があると思う。(「下になりたくない」という消極的な上昇願望もあるらしい。)だから、学歴や収入、ルックス、所有物といった目に見えるものに縦軸しか計れないものさしを当てて、自分の相対的な位置を測っては、安心、慢心、失望、羨望、嫉妬、僻み、蔑視といった感情に振り回される人間もたくさんいるわけだけど。教育業界がそういう心理をうまく利用して「平家にあらずんば」式の洗脳をして来たということはないだろうなあ。大学だって運営費がかかるのはわかるけど、そのために「ほんとに学位が必要?」と思うようなMickey Mouse学科を次々と作って来たんだとしたら、日本で流行っている資格ビジネスとあまり変わらないような感じ・・・。

記事の筆者は3つも学位を持っている大学教授だけど、重機の修理工である高卒の娘婿の収入は見習いから始めて数年で義父を追い越してしまったそうな。大学卒の中間管理職より高収入の配管工や電気工、技能労働者も少なくない。どれも「ブルーカラー」の職業だけどな。要は、学びたいから大学へ行くのならともかく、「生涯収入の差」が目的で(場合によっては借金して)大学へ行くのなら、労働市場の需給を見据えないと一生の失望になりかねないということだろうな。でも、「市場」の原理で動く労働市場のことだから、需要と供給を釣り合わせるのは至難の業だと思う。昔あった職業で今は求人すらなくなったもの、どれくらいあるだろうな。

やっと2012年度の経理業務ができる

1月17日。木曜日。午前11時半に目覚ましで起床。今日はいい天気。カレシを英語教室午後の部に送り出して、しばし読書。ファインマン先生の本も残りあと何ページか。次は何を読もうかなあ・・・。

オフィスに下りて、まずは眼科の予約。去年、日本へ行く直前に新調したばかりの右のコンタクトレンズをうっかり流してしまって、(コンタクトは2年くらいごとに検眼して新調して、前のバージョンを予備として保存しているので)古い方のレンズに切り替えた。ワタシのコンタクトは左は手前、右は遠方を見るようになっているので、左は新しいレンズのままにしておいて、日本から帰って改めて新調するつもりだったのが、なんだかんだでいつの間にか半年以上経って、最近は何となく右目と左目がうまく連携していない感じ。と言うわけで、やっと重い腰を上げてオンラインで予約願い。ところが、折り返し「65歳になるまで待てますか?」という電話がかかってきた。目の検査は子供と65歳以上は保険対象外なので129ドルかかるけど、65歳になると59ドルで済むんだそうな。まあ、ちぐはぐなレンズで半年も何とかやって来たから、この先3ヵ月ちょっとでそれが変わるとは思えない。ということで、予約は誕生日の翌週の月曜日に決定。なるほど、シニアになるとこういうご利益もあるわけか。他にどんないいことがあるのかなあ・・・。

カレシが帰ってくる前に、2011年度の帳簿復旧のしあげ。無事に12月まで終わって、仕訳帳の最後の番号が同じなのを確認して、12月の財務諸表を印刷・・・あら、オリジナルと数字があっていないところがある。現金残高が172ドル多くて、売掛金の残高が162ドル少なくて、前払費用が10ドル少ない。数字は小さいし、帳尻は合っているんだけど、所得税申告のために送ったものと同じでないとまずいよねえ。でも、おひとり様の超零細ビジネスはこういうときに解決がシンプルでいいな。まず、売掛金として計上するべき162ドルを現金取引扱いにしていたのを訂正。次にオフィスの保険を、オリジナルでは間違って現金払いの雑費に計上していたのに、「正しく」前払費用からの雑費に訂正(これは2012年度で調整しないとならないな)。それでやっと貸借対照表の数字が全部ぴたりと合って、大震災と原発と節電の影響だろうけど、創業以来23年で下から3番目に低調な年だった2011年度もめでたく「完」。

これでやっと2012年度の帳簿を開くことができる。ログをアップデートしたら、去年の実績は23年のうちで10番目で、23年のほぼ平均。最高の年の売上は最低の年の3.4倍。この収入の波が大きくて安定しないのが自営業の頭痛の種ではあるけど、一匹狼ビジネスで従業員はいないし、扶養家族もいないから楽といえば楽。ほんとにワタシってラッキーだと思う。それを考えたら、少しぐらい忙しくて遊べなくても、文句は言えないなあ。それにしても、カナダドル高、何とかならないのかなあ。比べ物にならない規模だけど、トヨタやホンダが円高で苦労するのと原理は同じ。アメリカドルと円で稼ぐワタシのビジネス、サービスの輸出扱いだから、カナダドル高だと手取り額が目減りしてきつい。おまけに安倍さんが総理大臣になったとたんに円の相場まで転げ落ちるように下がって来ている。ああ・・・。

それでも、カナダでの36年間の「生涯賃金」を推定して、フリーにならずにずっと「事務・秘書」の職種に留まっていた場合の推定額と比べてみたら、その差がなんと100万ドル。うへえ、ずいぶんと荒稼ぎしたもんだ。まあ、一度は燃え尽きてしまうくらいしゃかりきになって仕事して来たんだもんね。俗に「You win some, you lose some(勝つときがあり、負けるときがある)」と言うけど、人生の「勝ち負け」はまさにそのときの運しだい、風向きしだい。順風のときは力いっぱい羽ばたき、凪ぎのときは疲れた羽をちょっと休めながら満を持して順風を待つ、いわば極楽とんぼ的な人生も長い目で見たら悪くはないということかな。もっとも、べた凪がいつまでも続くのは困るけど。さて、次の仕事が後ろから押して来ているから、急いで2012年度の帳簿付けをして、決算をやってしまわないと・・・。

一介の人間が言えばただのノイズ

1月19日。土曜日。目が覚めたらもう午後12時45分。夜の間は冷え込んで霧が出ていたけど、起きてみたらいい天気で、ポーチの温度計は7度。このまま春が来ればいいけど、というのは希望的観測だけど。大きな懸案事項が解決したせいか、ぐっすり眠って夢を見ていた。小学校の同級生たちが、去年会わなかった人も含めて、みんあ大人になって出てきた。でも、見せ合っていた絵や工作は小学生の頃のまま・・・。

一日がんばったおかげで、2012年度の1年分の帳簿付けが完了。円や米ドルの換算がからむので、手間がかかることこの上ない。ちゃんとまじめに記帳をやっていれば問題はないんだけど、去年は仕事量が1年間で前年の2倍の英単語40万語と忙しかったし、会計ソフトの切り替えを2つのソフトでトライしてどっちも失敗したから・・・と、反省するというか、しゃあないよなあと肩をすくめるか。でも、第4四半期の売上税申告に必要な数字が出たから、とりあえず減価償却の計算といった決算の作業は所得税申告の時期までお預けとする。やれやれと経理係の帽子を脱いで、生産係の帽子を被って、仕事・・・。

今日からプロホッケーの「短縮」シーズンが始まる。オーナー会(雇用者)が選手会(組合)をロックアウトして、泥沼的な交渉が続いていた。労働争議といっても、何億円という年俸をもらうスター選手たちが「労働者」というのは想像しがたいけど、プロスポーツはビジネスそのものだからストもロックアウトも起きる。ロックアウトの間、選手たちは自主トレしていたんだろうけど、かなりのスター選手がヨーロッパのリーグで出稼ぎプレーしていた。結局のところ割を食うのは紛糾の当事者たちではなくて、競技施設やその周辺のレストラン、バーで働く低賃金の人たちだから、何だかなあと思うけど。メディアとホッケーファンは欣喜雀躍といったところで、試合のあるアリーナ周辺には行列ができ、メディアも早くもどのチームが優勝するかと予想合戦。何となくローマ帝国の末期もこんな様相だったのかなあと思わないでもない。

ニューファウンドランドの大学で、学生たちの地理の知識に疑問を持った社会学の教授が簡単なテストをしてみたら、「地図を読めない」大学生が多数だったそうな。イギリスやフランスがどこにあるかと聞かれてアフリカ大陸の中に印をつけたり、ヨーロッパはどこかと聞かれて南アメリカに印をつけたり、地図の三大洋の名前を聞かれて答えられなかったり(毎日大西洋を見ているというのに)、世界地図なんか見たことがないのかと思うくらい。小学校の教室に世界地図を貼っていないのかな。貼ってあるけど興味を持つ子供がいなくなったのかな。外へ出ればどこにいるか知らなくても道を教えてくれるGPSという便利な道具があるし、家の中ではテレビやモニターに世界中の出来事がほぼリアルタイムで映し出してくれる。今どき世界地図なんか無用の長物で、ニュースで「マリ」とか「アルジェリア」と聞いても、地図帳を開いてどこにあるのか探す人はいないだろうな。だって、目の前のモニターにちゃんと「ある」じゃないの、ねえ。

テストをした教授は「ニュースに出て来る国が世界のどこに位置するかを知らないで、どうやってそこで起こっていることを歴史的、文化的背景の視点を持って見ることができるのか」と言っていた。地理的な視点も歴史的な視点も、人間の世界観に奥行きを与える不可欠の要素だと思うけど、インターネット時代の今どき、モニターという平たい板の上に表示される情報にはもはや時空間的な奥行きはない。隣町で起こっていることも、地球の反対側で起こっていることも、今現在の情報も、10年前の情報も、一様に平たい画面に表示され、しかもその画面は日に日に小さくなっている。すべての情報がモニターという目の前にある平たい板に「今」映し出されているものであり、すべてが時間も距離も剥ぎ取られて「今」という一点に凝集しているように見える。もしかしたら、人類はしだいに時空間の観念を失いつつあるんじゃないかと思う。

読み終わった『ご冗談でしょう、ファインマンさん』の最後のセクションはカリフォルニア工科大学での卒業式の式辞。題して「Cargo Cult Science(カーゴカルトの科学)」。ひょっとして21世紀の世界には一種の「カーゴカルト」が蔓延りつつあるのかもしれない。そう思うと、人類の未来に漠然とした不安を感じるけど、政治家でも評論家でも学者でも活動家でもなく有名人でもなく大学教育も受けていない「一介の人間」であるワタシが何を考え、何を言ったところで、モニターの後ろのただのノイズなんだろうな、うん。

人類はやっかいな動物だ

1月20日。日曜日。2人ともかなりよく眠って、起床は正午過ぎ。何となくもや~っと霧っぽい。ポーチの温度計はプラス5度。東京にはまたぞろ雪が降るという予報が出ているようだし、ロンドンやパリでは大雪で空の便が大変なことになっているらしい。でも、今日のワタシははもろにオフィスにこもっての仕事日・・・。

BBCとロイターズが、アルジェリアの天然ガス施設を襲った武装勢力がイギリス人の人質を脅して「探しているのはアメリカ人。(アメリカ人でなければ)殺されないから出て来ても大丈夫」と隠れている外国人たちに呼びかけさせたと報じていた。その後そのイギリス人は「用済み」になって殺されてしまったらしい。呼びかけを聞いて隠れていた人たちの相当数が外へ出たという報道が真実だとすると、武装勢力は(特に9・11以来の)人間心理の底流を理解していたということで、聖戦を隠れ蓑にした砂漠の無法集団といえども侮れないということだな。「自分はアメリカ人ではないから助かる」と安心して出て行ったとしたら、人間が多かれ少なかれ心の奥深くに閉じ込めている不都合な感情が恐怖の極限で檻を破って出て来たということなのかな。もちろん、極限状態に置かれた人間の心理は平穏な日常を享受している人間には想像もつかないし、そういう状況での判断の是非を問う資格はないんだけど、つくづく「人類」と言うのは恐ろしい生物だと思った。帰って来ない人たちに、鎮魂・・・。

自分も間違いなくその人類に属する生物なんだけど、とかく人間と言うのはまあ何とやっかいな動物なんだろうと思うことが多い。第二次世界大戦後の数十年の間に人間の理性によって合理的な民主社会が可能になったように見えたのは、悠久の人類史の中の突風的な「異常」だったんじゃないかとさえ思えて来る。ワタシ個人としては自分に可能な限りの広い視野を培って、「Live and let live(共存共栄)」の精神でなんとか「真っ当な」人間として存在したいと思いはするけど、どうあがいても平和運動家にも、社会活動家にも、環境保護運動家にも、国際政治家にもなれそうにない。たぶんなりたいと思わないんだろうけど、かといって人間界の出来事に心を動かされないわけではないし、人間不信とか人間嫌いでもない。だって、自分も人間なんだから、人間不信は自分さえ信じられないということで、それじゃあ生きて行くのが辛そう。内向きだなあと思うけど、少なくとも他の人間を暴力や脅しや心理的圧力で自分の意に沿わせようとしない(と思う)のがせめてもの救いになっていればいい。ま、裏返せば「自分は自分(Live and let live)」主義のちっちゃな人間だと言うことになるのかもしれないけど。

アメリカの大統領就任式は明日だと思っていたら、今日ホワイトハウスで宣誓式があったというニュース。何でもアメリカ合衆国憲法が大統領の任期が「1月20日」から始まると規定していて、新大統領はその日の正午までに就任の宣誓をしなければならないんだとか。しないとどうなるのかは知らないけど、今回はその日が日曜日なのでホワイトハウスで内輪の宣誓を済ませて、祝日(マーティンルーサーキングJrデイ)の明日改めて議事堂の前で集まった市民に囲まれて「宣誓式」をすることになったそうな。アメリカも国の内外で何かと問題を抱えてタイヘンな時代だから、オバマ大統領もエライ仕事を選んだもんだな。国内を見ると、財政、予算、外交、銃規制などなど、議会(国民の意見)が真っ二つに分かれての角突き合いで、これじゃあ決められない政府じゃなくて「決まらない政府」になってしまいそう。

でも、テレビを見ていたカレシがいみじくも言ったもんだ。「政治があれだけ二極化しても、国中に何億丁もの銃がごろごろしているのに内戦が起きないのはエライ。他のところだったら反対派が武装して、国中で政府側と銃撃戦をやっているところだ」。そうだなあ、曲がりなりにも民主主義を機能させているということだろうな。国を二分して100万人以上が死んだ南北戦争に懲りて、そこから学んだこともあるだろうと思うけど。それにしても、武装して政権を乗っ取ろうとする勢力がいない穏やかな民主主義国って、世界にどれくらいあるんだろう。人類が文明開化して以来、そういう穏やかな国・地域・民族は増えているのか、減っているのか・・・。

夢の中での体験

1月21日。月曜日。起床は正午直前。外はすごい濃霧。普通にベッドに入って、半分も眠らないうちに、怖い夢を見て目が覚めた。あまりにも鮮明だったので、心臓はドキドキしているし、続きを見そうな予感がするしで、なかなか眠りに戻れなくて、おかげでちょっと寝たりない気分。正体不明の「黒いもの」に追い回されて、殺されると覚悟する怖い夢をよく見たのはずいぶん昔の話だけどなあ。でも、楽しい夢は起きたとたんに忘れてしまうのに、怖い夢はいつまでも覚えているのはどうしてなんだろうな。

自分が殺された夢を見たこともあったけど、あれは夢の中で体外離脱を経験したということなんだろうか。夢の中でも臨死体験のようなものがあるのかな。あるとすれば、あんがい肉体の死ではなくて魂の死なのかもしれないな。現実の臨死体験では「光」に遭遇することが多いそうだけど、ワタシがそういうスピリチュアルな意味で「光」に遭遇したのは創作クラスで瞑想しているときだった。自分の奥深くにあるストーリーを書き出すのが狙いのクラスだったので、いつも最初に目を閉じて先生の声に導かれながらそれぞれの心の奥にある「サンクチュアリ」へ降りて行った。その日はそのサンクチュアリに「誰かが会いに来ていますよ」と言うことだった。でも、ワタシの目の前に現れたのはつかみどころのない白い「光」。その光が(女の子の声で)「I knew I’d find you here」と言った。確かにそう聞こえた。「ここならきっと見つかると思っていたの」と。

先生の言葉で我に返って、思い浮かぶまま夢中で書きなぐったストーリーは、身も心もぼろぼろになって暗いところに座り込んでいる「女」が女の子の声の「光」と出会い、誰かと聞いたら「あなたよ」と言われ、その光にせがまれて「あの歌」(アヴェマリアだった)を歌っているうちに、ぱあっと開けた大空に舞い上がって、やがて光の女の子(逸れて迷子になっていた自分)とひとつになる・・・という荒唐無稽なものだった。たしかにストーリーは支離滅裂だったけど、あの出会いの体験は本当だった。本当だったから、そのクラスが終わった後で先生のプライベートスタジオに2ヵ月通って、夕鶴のおつうのように身を削って書き上げた一連の抽象画的な「シーン」がワタシの「Deconstruction & Reconstruction(解体と再構築)」のプロセスになったんだと思う。自分が殺される夢を見たのはたぶんその頃だったかもしれないな。

夢の中で眠りに落ちて、そこで夢を見ていて、その夢から覚めて「ヘンな夢を見ちゃった」とそばにいた人(親しい友だち)に話している最中に本当に目が覚めたこともあったな。夢の中で夢を見たことは覚えていたけど、どんな夢だったかは忘れていた。小さいときに家にあった「明治粉ミルク」の缶に描いてあった女の子が持っていた「明治粉ミルクの缶」に「明治粉ミルク」を持った女の子」の絵が書いてあって、その女の子が持っている「明治粉ミルクの缶」に・・・「明治粉ミルクの缶」がどこまで続くのかと聞いて母を困らせたもんだけど、夢の中で夢を見ている夢を見ている夢を・・・人間の心理は何層になっているのかな。底の底があるのか、それとも無限に続くのか・・・。

人間は夢や瞑想の中で、霊的なというのは大げさだとしても、けっこう形而上学的な、不思議な体験をするものらしい。それを信心深い人だったら(神様のお告げとか)霊的に解釈しようとするかもしれないし、「考える人」だったら拳骨に顎を乗せて哲学的に解釈しようとするかもしれないし、理屈っぽい人だったら心理学的に解釈しようとするかもしれない。信仰心も宗教心も持たないまったくの無神論者だって眠れば夢のひとつやふたつは見るはずだけど、どんな解釈をするんだろうな。何らかの意味合いのようなものを見出すのかな。ニヒリストだったらどうなんだろうな。ニヒリストだって夢くらい見るんじゃないかと思うけど、目が覚めた時点できれいさっぱりと忘れてしまうのかな。なんかもったいないような気がする。たしかに、怖い夢はその方がいいとしても、ワタシとしては楽しい夢やスピリチュアルな意義のありそうな夢は見たいと思うけどな。そうすると、「夢見る夢子さん」の定義がまったく変わってしまうかなあ・・・。

カルチャーの香りと魚の匂い

1月22日。火曜日。起床は正午。やっと霧が晴れた。きのうの夜コンサートから帰って来たときは視界が50メートルもあるかと思うくらいの濃霧で、道路標識も近づくまで見えないから、さすがのカレシも大きくカーブした道路やトラフィックサークルを回るのにいつもよりは慎重な運転。それでもちょっと怖かったくらいで、五里霧中とはまさにこのこと。でもまあ、中国の猛烈スモッグに比べたらただの霧だし、海の塩を含んでじっとりと重く感じた釧路の夏の霧とも違って、バンクーバーの冬の霧はきめが細かくて軽い感じがする。

ゆうべのコンサートのメインはジョン・キムラ・パーカーが弾くグリーグの『ピアノ協奏曲』。経歴に間違って「アメリカ生まれ」と書いてあったりするけど、れっきとしたバンクーバーの生まれ育ち。おじさんとお母さん(ケイコさん)がピアノの先生ということで、弟のジェイミーも、従弟のイアンもピアニスト。でも、3人の中ではこの人がやっぱり最年長の貫禄で一番うまいと思う。顔を紅潮させての熱烈な演奏は、つい引き込まれて、身を乗り出して、息を止めて聞き入ってしまうくらいの迫力で、カレシもかなり身を入れて聞いていたくらい。もっとも、休憩後のプロコフィエフの『交響曲第5番』は、カレシには「前衛的」すぎて、「いつになったら終わるのかと、そればっかり考えていた」。でも、居眠りしてなかったねと言ったら、「あれだけ打楽器を鳴らされて、居眠りなんかできるわけないだろ」とのこと。ごもっとも・・・。

今日は仕事日だけど、何となく気合がかからない。きのうの夕方に半分ちょっと納品して、残りは3000文字くらい。まあ、最終期限が明日の夜だから、まだ余裕はあるか。メールをチェックしていたら、Arts Club劇団から来週水曜日にあるオープニングナイトの座席のお知らせ。いつも何だかんだ機会があるたびに寄付しているし、今年はグランヴィルアイランド劇場の座席を新調するのにワタシとカレシと2席分寄付したので、いつの間にかけっこうな金額になって、「Artistic Director’s Circle(芸術監督サークル)」という優待者名簿に載ってしまったらしい。前回は舞台裏ツアーだけで芝居は別の機会にしたけど、今回は招待客用に良い席をブロックしてあるというので芝居も一緒に見ることにした。割り当てられた座席は前から3番目のほとんど中央。へえ、寄付すると税額控除できるだけじゃなくて、気前よく出せば何かとおもしろい特典があるんだ・・・。

でも、ゆうべは普段のウォーキングシューズを履いて行って、コンサートの後でついでの買い物をして来たら、それほど歩いたわけではないのに捻挫した足が痛み出して、今日はまた少し腫れてしまったから、おめかししてのレセプションは無理かな。ヒールは完全にアウトだけど、まだ1週間あるからペッタンコの靴なら履けるようになるかな。ならないかな。ちょっとググって見たら、靭帯だけではなくて腱に炎症が起きているからいつまでも腫れが引かないようなことを言ってたけど、カレシの言うように一度クリニックに行って診てもらった方がいいのかな。でも、たかが足の中指1本で、何かめんどうくさいなあ・・・。

さて、仕事は夕食後ということにして、今日の夕食はゆうべ初めて見て買って来た「陸上養殖」の銀ザケ。海の中に囲いを作ってのサケの養殖ではよく餌による海洋汚染や寄生虫の問題が起きるけど、陸上に大きなタンクを作って淡水で養殖すると、海洋汚染も寄生虫の心配がないし、餌や健康の管理も行き届くので、環境に優しい養殖方法だそうな。ただし、海に下って育った野生の鮭とは餌が違うこともあって、味はタイセイヨウサケに近く、魚臭さがないという話。そうだなあ、サケを料理すると、いつまでもキッチンに魚の臭いが残っていることが多い。値段は養殖のタイセイヨウサケと同じくらいだそうだし、ものは試し。身はわりと締まっている感じだけど、鼻を近づけて嗅いで見ると、たしかに魚っぽくない甘みのある匂い。味は食べてのお楽しみ・・・。

りんごとオレンジの比べ合い

1月23日。水曜日。雨。ああ、やっと雨になった。気温が上がったということで、今度はずっと雨模様の予報だけど、少なくとも雪よりはずっといい。朝食をしながらテレビの昼のニュースを見ていたら、大陸の東側ではカナダからアメリカにかけて猛烈な寒波。トロントの最低気温はマイナス20度、モントリオールはマイナス26度。内陸のプレーリーやアメリカ中西部はマイナス40度に下がったところもあるそうで、気温がプラスの予報なのはバンクーバーくらい。やあい、あっかんべえ。でもまあ、ワタシはマイナス36度を経験したけど、マイナス20度まで行ったら、後はいくら下がっても感覚は同じような気がするな。

家の中は快適すぎるくらい快適だから、今日は外に出ないで、仕事の残りに精を出すことにした。というよりは、午後10時が期限なのに、何とも扱いにくい表が何ページも続いているから、精を出さないことには間に合わない。日本語から翻訳した英語文が元の日本語文と同じ長さになることなんてないけど、そこを割引しても、Power Pointのスライド構成もWordの表機能の使い方もイマイチという印象。日本人は「形」を扱うのが得意だと思っていたけど、意外とそうじゃないのかもしれないな。もしかしたら、頭の中に「4百字詰め原稿用紙」のテンプレートが刷り込まれていて、文を書くときはやっぱりどうしても縦20文字、横20行の思考になってしまうのかな。同じ意味の文でも、書いてみると日本語よりも英語の方が長くなる(スペースをとる)のが普通で、それは表意文字の漢字と表音文字のアルファベットの違いによるものだと思うけど、つまるところ、日本語と英語はapples and oranges(りんごとオレンジ=水と油)だから、比べてもしようがないか。

そのりんごとオレンジを比べて、「どっちが便利だ/不便だ」とやっているトピックが小町にあって、読んでいるとけっこうおもしろい。質問は「英語を母国語並みに扱える」人に向けられたもので、英語に関して、「複数形は必要か」、「表音文字しかない言語は使いやすいか」の2つ。日本語しか知らないが、質問1については一瞬たりとも日本語に複数形があったらいいのにと思ったことがなく、「人類の言語に複数形はなくてもいいのではないか」と思うし、質問2については、日本語は表音文字のかなと表意文字の漢字が極めてバランスよく配置されていて非常に読みやすいように思うが、「表意文字は便利だと感じるものなのか、難解にするだけのよけいなシステムなのか」。質問自体が何を知りたいのかよくわからないんだけど、いくら母国語並みに扱えると言っても、バイリンガル環境に生まれたのでなければ、所詮は外国語として英語を習得したわけで、その過程で感じた100%主観的な評になるのは当然だろうな。そもそも、英語を母国語並みに扱えるから、英語を母国語並みに理解しているとは限らないんだけど。

でもまあ、日本語が母語の人たちが自分たちの母語ではない、まったく異なる英語について複数形の要不要、表音文字の便不便を日本語基準で論じていると、結局は「だから日本語の方が優れている」という流れになって来るからおもしろい。いうなれば、りんごとオレンジを比べて、りんごは種が芯の中にあって邪魔にならないけど、オレンジは散らばっていて食べにくいから、りんごの方が優れていると言うようなもんだけど、どうも最近は掲示板のやり取りにも「だから(人、文化、思考その他諸々を含めて)日本の方が優れている」と言う含みのある意見の投稿が増えて来ているようで、ここにもある種のナショナリズムが芽を出しているのかな。でも、まったく異なるものをよく知らないで(あるいは主観的な先入観を持って)自分が慣れ親しんでいるものと比べて優劣をつけてみても、どうなるってもんじゃないだろうにな。仮想的な優越感でシアワセな気分になれるというのなら、良かったねえとしか言いようがないけど。

もしも、英語しか知らない人が日本語について「複数形がないのはおかしい」、「漢字、ひらがな、カタカナが混じっていてめんどうくさい」と言ったら、どういう答が返って来るかな。まあ、英語しか知らない人は、複数形は不要だと言われても、表音文字の英語は文字を見て意味を理解できる日本語に比べて使いにくいと言われても、英語しか知らないんだから何とも答えようがないんじゃないのかな。ふと、個々には意味をなさない文字の組み合わせで意味を伝える表音文字文化とは違って、表意文字の漢字は個々の文字を見ただけで意味が伝わるようになっているから、正確な「形」がことさら大事なんだろうし、「言わなくてもわかってくれるはず」のコミュニケーション文化が生まれる土台にもなったのではないかと思ったけど、どうなんだろうな。ワタシにとっては、英語は英語、日本語は日本語。そもそも何のためにりんごとオレンジを比べるかがわからないから、もう一度読み直してみようか・・・。 

両手にますかけ線というのがあると運が良いらしい

1月24日。木曜日。午前11時半に目覚まし。せっかく何かおもしろい夢を見ていたのに、バタバタと起きたら忘れてしまった。残念。今日はカレシが英語教室ダブルヘッダーで忙しい日。ワタシは仕事が終わったから「遊びモード」。外は雨模様。キッチンに下りていったら、カレシが「足を見せろ」というので、ほらっと右足を突き出しら、「まだ少し赤いし、何か腫れてるなあ」。月曜の夜に靴を履いて出かけら痛みがぶり返して、火曜日は1日中痛かったけど、きのう1日中テーピングしておいたら、ほとんど普通に歩けるようになった。今日は調子がいいから、この分ならクリニックに行かなくても、テーピングとマッサージで間に合うんじゃないかと思うけど。「う~ん」と首をかしげるカレシ・・・。

携帯が見つからない、ティッシュを忘れたとひと騒ぎのカレシを送り出して、飛び込み仕事がないようにと(仮想的に)指をクロスしながら、メールをチェックしたら、劇団の個人寄付担当のパルミーダさんから「来週の金曜日にお茶しませんか」みたいなメール。創立50周年記念のいろいろな行事の計画を聞かせてくれるとか。へえ、高額寄付者になっちゃったおかげでこの待遇。まあ、年金が入って来たら、その分の仕事の収入は「遊び資金」ということにして、寄付は続けるつもりだし、遺言状の中にも遺贈先として入れるつもりだし、いずれ仕事よりも遊びの割合が決定的に増えたら劇場の案内係か何かでボランティアしたいなと思っていたから、いいタイミングでこっちからもいろいろと聞いてみようっと。

遊びモードになると気が緩むのか、何かやらかすのがワタシの癖。引き出しに手を挟んでイタタッ。ごしごしとさすりながら、ふと手を見て思い出したのがワタシの「ヘンな手相」。勤め人だった頃にアシスタントとして雇ってくれたワーホリのオンナノコが、どういう経緯だったか覚えていないけど、ワタシの手の平を見て、「ヘンなのぉ~」。何がヘンなのかと思ったら、親指と人差し指の間から始まる2本の線が離れていることで、「ふつうははしっこがくっついてるもんだよぉ」と。たしかに、2本の線は右手も左手もかなり離れているけど、それが何か?「そのてそう、すんごくかわってるぅ」。てそう?手相って、昔よくおいじさんが道路際に椅子とテーブルを出してやっていた、当るも当らぬも何とかのあれ?へえ・・・。

あのやり取りを思い出して、よく手のひらを見てみたら、たしかに、両方とも離れた2本の線の上の方のが手のひらの真ん中あたりでその上にあるもう1本の線と鉄道の切り替え線路のような線でつながっている。へえ、これが変わった手相なのか~と思ってググってみたら、手相の説明や運勢占いのサイトがぞろぞろ出てきて、手のひらに縦横に刻まれている大小のしわしわにみんな名前が付いているから驚き。遊び半分でちょこちょこ調べてみると、離れている2本の線は上が「知能線」で下が「生命線」、小指側から伸びている一番上の線が「感情線」というらしい。生命線と知能線が起点から離れているのは「積極的、大胆、人から指図されるのが嫌い」で、離れているほど「人が思いつかないようなことを考えたり、やらかしたりする」タイプだそうな。で、なんと「国際結婚向き」なんだとか。へえ・・・。

ちょっと下向きの知能線とやや上向きの感情線の間をつなぐように橋渡ししているほぼ水平の線は「ますかけ線」と呼ばれる線の一種らしい。左手にも右手にも同じようにあって、左手の方を横にしてみると「N」の真ん中の斜線のように見える。このますかけ線とやらが小指側では感情線と重なり、親指側では知能線と重なっていて、2本の線が上と下に枝分かれするところが「操車場の線路」のように見えているということらしい。あちこちで見たますかけ線付き手相のイラストを総合してみると、ワタシの手には「二重感情線と二重知能線を持つますかけ線」があるということになるらしい。両手にある人はあまりいないということだけど、どうやら良くも悪くも波乱万丈の人生が運命付けられているらしい。うへっ。

まあ、これまでのワタシの人生は波乱万丈だったかと聞かれたら、仮死状態で、おまけに左利きに生まれて来てこの方、そうだったのかもしれないとは言えるかな。だけど、もう少しで65歳になるんだから、これから先はもう波乱万丈は願い下げにしたいもんだな。まあ、運気とやらの波が激しい手相だとしても、ますかけ線があると強運がついて回るそうだから、それで波乱万丈を乗り切って来れたんだとすれば、ワタシのヘンな手相は神さまの賜物というところか。鰯の頭も何とかと言うことだし、たしかに何かと運が良かったと思える人生、幸運に感謝して、残る年月を大事にしていかなきゃ・・・。

別れてもなお・・・

1月25日。金曜日。また楽しい夢の途中で起こされた。今度は目覚ましではなくて、カレシ。「リサイクルボックスを出しておくのを忘れた」と。あ、今日はごみ収集の日だったのか。収集車の音で目が覚めなかったけど。「さっき通ったから目が覚めたんだよ」とゴミ出し担当のカレシ。ゴミの容器は一杯になっていなかったので、今日はリサイクルボックスだけ出すようにしたのに、結局出し忘れたんだとか。ま、来週でもいいよねと言っていたら、朝食中にリサイクルトラックがガチャン、ドシャン。「なんだ、こんなに遅く来るんだったら、起きてすぐ出したのに」とむくれるカレシ・・・。

今日のテレビはちょっとした騒ぎ。ケベックの大富豪と別れた女性が扶養料と財産分与を要求していた訴訟で、カナダ最高裁判所がケベック州は事実婚のカップルに法律婚の場合と同じ権利を与えなくても良いという判決を出した。この世界的に有名な大富豪は7年も同棲して3人の子供を生んだ女性に対して、法律上は結婚していなかったのだから、扶養料も財産分与も必要ないと主張していた。(ただし、養育費は潤沢に払っているらしい。)ケベック州では事実婚のカップルの割合が全国の倍の30%にもなるのに、州の民法は事実婚を「婚姻」と認めていないのがそもそもの問題。カナダでは、多少の違いはあってもだいたいどの州でも法律婚も事実婚も同性婚も同じ「婚姻関係」として扱っている。だから、同棲して「事実婚」と認められれば「配偶者」として永住権を取れるわけだけど、ケベックではもし別れても一銭ももらえないことになり得るな。最高裁判所の判断が同等扱いしている他の州に何らかの影響を与えるのか、それともケベック州が民法を改正して他の州に倣うのか。はて、どうなるのか。

まあ、法的に結婚してもしなくてもカップルのお金に関しては扱いが同じなら、いつでも別れられるし、事実婚のままで子供が生まれても嫡出子と非嫡出子を差別的に扱う法律もないから、法律婚そのものの影が薄くなって来ているんじゃないかな。ワタシなんか、結婚を民事契約制度にしたらいいんじゃないかと思っているくらいで、そうしたら、法律婚も、事実婚も、同性婚も、みんな「契約婚」。婚姻契約書に互いに違反したらどのような処置を取るかを決めておいて、証人を立てて盛大な調印式をすれば後々簡単だろうと思うけどな。(現実にはそうは簡単にいかないだろうけど。)

カナダでは、結婚するために「結婚法」という法律のお世話になって、離婚するためには「離婚法」という法律のお世話になるわけだけど、「離婚法」の条文の方が「結婚法」の何倍も長いからおもしろい。子供の処遇や親権のこと、財産のことなど、当事者の間で取り決めることが多いからだと思うけど、原則として「破綻主義」が基本なので、日本のような有責配偶者とか慰謝料といったものはない。もっとも、くっつくのは簡単だけど離れるのは大変だという点ではどこでも同じなんだろうけど。それにしても、訴訟で仮に「エリック」と名づけられた億万長者の男性、10億ドル(約1千億円)と言われる資産があるのに、ちょっとケチすぎやしない・・・?

捨てて良いごみ、捨ててはならないごみ

1月26日。土曜日。起床は午前11時55分。「朝のうちに起きるか」とカレシ。だいたいは曇りで、ときどき晴れそうになったり。天気予報では来週には最低気温が5度くらいまで上がるらしい。もうすぐ2月なんだから、そろそろ春の気配がしてもいい(陽気が良ければ気の早い桜が咲き出してもいい)頃だけど、厳しい冬が多かった1980年代にはバレンタインの頃にマイナス二桁ということもあったから、油断はならないか。

今年から2月に新しく何だか趣旨のよくわからない州の祝日(第2月曜日)ができたので、市役所から送られて来ていた新しいごみ収集の予定表に切り替えようとしたら、普通なら1年分なのになぜか5月の半分までしかない。あれっ?と思って説明を読んだら、ゴミ収集のルールが変わるとのこと。バンクーバーのごみ収集は週1回で、祝日ごとに1日ずれて行く仕組みなので、ちょっとばかりめんどうくさい。それで、毎年今ごろに市役所から年間の予定表が送られ来る。市を南地区と北地区に二分して、それぞれの地区をさらに月曜日から金曜日に対応する5つのゾーンに分けて色分け表示してある。我が家は「南地区の緑ゾーン」で、新ルールがいの一番に5月8日から実施される。

改めて送付される予定表に切り替わったら、家庭の生ごみを一般ごみ容器に入れるのが禁止されて、「グリーンカート」と呼ばれる植栽ごみ用の容器に入れることになり、一般ごみの収集は隔週(グリーンカートとリサイクルは週1回)になるということだった。2020年までに「最もエコな市」の栄冠?獲得を目指して、家庭の食べ残しや食品の調理くずを堆肥生産にリサイクルしようというのが狙いで、一般ごみの容器に捨てられなくなるのは、生や調理済みの野菜や果物、ティーバッグ、コーヒーのかす、肉や魚、骨、パスタや麺類、穀類、パン類、乳製品、食品で汚れた紙容器やペーパータオル、ナプキン、その他。どれも(生物分解するものや堆肥化可能なものも含めて)ビニール袋は入れずにそのままグリーンカートに入れなければならない。ということで、後日市役所からキッチンカウンターに置ける生ごみ用の容器が配布されるとか。へえ、親切だなあ。

料理しながらごみを分別するのはちょっとめんどうな気もするけど、専用容器も無料でくれるんだし、ごみ埋立地が満杯にならずに済んで、堆肥の大量生産で化学肥料の使用量が減るならいいか。でも、ゴミ容器とグリーンカートからの収集は運転手がトラックの中からリフトを操作するので、禁止されたものが入っているかどうかなんて実際にはわからないと思うけどな。監視カメラがあっても、ビニール袋や不透明な空き袋なんかにごちゃっと入れたら、逆さまになった容器の中身がどさっとトラックの中に落ちる一瞬に「生ごみだ!」なんて見分けられるはずがない。空港ではよく麻薬や肉類を嗅ぎ出す犬がいるけど、まさか、いちいち犬に嗅がせるわけにもいかないだろうし、どうやって違反を監視するのかな。ごみ捨てホットラインなんかを作って、違反したご近所さんを通報させるのかな。やだなあ、よその家の臭いごみ容器をのぞいて回る人なんか、いるの?

まあ、我が家は生ごみのほとんどを庭で堆肥にしているもので、一般ごみとして出す量は極端に少ないし、紙類はほとんどをリサイクルに回すので、収集の日に一般ごみの容器を出すのも普段から隔週か、ときには3週間に1度でしかない。(その代わり自分たちでリサイクルデポに持って行くつもりの紙や雑誌の類が家中にどんどんたまって困るけど。)まあ、新ルールでも不便するわけではないけど、実は我が家では野菜や魚を庭で堆肥にしているもので、ごみ収集の機械化で、各戸に専用のごみ容器が配布されたときに、カレシが置く場所がないからいらないとごねたもので、(収集料を払っているのに)グリーンカートを受け取っていない。ごみの中には堆肥に入れたくないものもあるだろうし、寒さで虫が不活発になる冬には堆肥化のペースが落ちて生ごみが余るかもしれないから、もらった方が良さそう。ということで、カレシを説得する意気込みでそう提案したら、「あ、レーンに出しっ放しにすればいいから、月曜日にでも電話しとくよ」。は?あのとき、あんなにごねたのに・・・?

自分の考えと違うからって、それはないでしょ

1月27日。日曜日。起床は午前11時55分。ちょっと眠い。なぜかうまく寝つけなくて、1時間おきくらいに目が覚めていたような感じ。どっちに寝返りをしても、仰向けになっても、どうしても体がしっくりしない。どうしてなのかわからないけど、時たまそういうことがある。別にいつもと変わったことはなかったんだけど。

今のところ仕事がないから、とりあえず朝食後はしばしの読書でのんびり。『ご冗談でしょう、ファインマンさん』が終わったので、今度はビル・ブライソンの『Notes from a Small Island』(『イギリス見て歩き』というタイトルで日本語訳が出ているらしい)。前に読んだ『The Lost Continent: Travels in Small-Town America』は故国アメリカでの失われた原風景探しの車の旅だったけど、こっちは一家でアメリカへ移り住む前に今一度イギリスを見ておくためのひとり旅。ドーヴァーに始まって、ウェールズからスコットランドの北の端まで、イギリスに「居場所」を見つけたアメリカ人がしっかりイギリス英語表現で書いている。

朝日新聞を見たら、アルジェリアの人質事件の実行犯にカナダ人がいたというアルジェリア政府の発表を報道していた。それ、もう1週間近く前の発表だけどなあ。無料で読める部分までの記事には、カナダにはケベック州を中心に多数のアルジェリア出身者が住んでいて、過去にもイスラム過激派やアルカイダ系のテロリストがモントリオールを拠点に活動していたと書いてある。わざわざ説明しているのは、日本人はカナダが多民族国家であることを知らないと思ってなのか、あるいは日本人が一般的にイメージしている「カナダ人」のことじゃないよと言いたかったのか。カナダのメディアは「カナダ人」としか報道しなかった。まあ、ワタシたちにはその「カナダ人」の民族的・宗教的背景はすぐにピンと来るんだけど、アルジェリア人とかモスレムとかは公に言わないし、ポリティカリーコレクト(政治的に正しいこと)じゃないという暗黙の圧力を感じて言えないようなところもある。

たしかに、人種や民族の如何を問わず、カナダの市民権を持っていればみんな「カナダ人」であって、差別や迫害は言語道断。そうなんだけど、「○○系」カナダ人とハイフンをつけて民族の文化的、宗教的アイデンティティを前面に押し出すように推奨していたのは誰だったかな。(白人以外の)マイノリティにカナダの社会や文化への同化を期待するのは(白人の)傲慢であり、ポリティカリーコレクトではないと主張した、いわゆる「活動家」と称する人たちだったな。ワタシからすれば、「ハイフン付きカナダ人」を押し付ける思想こそ差別や疎外を助長するものに思えるんだけど。でも、強制連行されて来たのならともかく、カナダの開放的な移民制度を利用して自由意志で移住して来た人たちに、カナダの文化や習慣を尊重してほしい、いずれは同化して「カナダ人」になってもらいたいと期待するのがどうしてそんなに傲慢なのかなあ。故国の宗教や文化を捨てろとは言ってはいないのに、逆に故国の習慣や風習、法律にそのまま従って生活をする権利があると言う方が傲慢だと思うけど、そういうことを口に出して言うと、いわゆる人権活動家に「ポリティカリーコレクトじゃない」と攻撃されるんだろうな。やっかいな世の中になったもんだと(心密かに)思う。

何にしても人間世界には少なくとも二通りずつあるもので、人権活動家にも二通りある。本当に真剣に虐げられた人たちのことを思いやって命がけで活動している人たちと、自分の思想や行動の正しさと崇高さに自己陶酔して社会を見返そうとする人たち。オタワのカールトン大学の「自由言論ゾーン」に立っていた誰でも何でも書き込める掲示板を「妥当でない意見がある」という理由で破壊した、人権問題専攻で大学生を7年もやっている「キャンパス活動家」のスミスという学生は後者の典型例だろうな。7年かけて悟りを開いたのか、あるいは7年もかけてまだ人権とは何かを理解するに至っていないのか。どっちしても7年も大学生をやっているうちに、自分の思想は唯一正しいものであり、それに同意しないのはすべて偏見や憎悪に満ちた人でなしか狂信家であり、異論はすべてhate speech(憎悪発言)だという思考に固まってしまったんだろうな。

人権活動家を自称して「言論の自由」を封じるという矛盾に陥っているわけで、大学というのは言論や思想の自由を守る砦であって、そういう金縛りにあったようなナルシシスト的思考を育てるところじゃないと思っていたけどな。まあ、ソ連を初めとする「人民の政府」があの頃「西側」と呼ばれた欧米よりも言論や思想の統制に熱心だったから、やっている本人も自分の思考が擁護しようとしている人権の蹂躙、ひいては全体主義につながるものだとは考えたこともないだろうと思うな。別の角度から見れば、自分の考えは絶対に正しいんだから、異論はすべて誤り(ポリティカリーコレクトではない)、つまり、是か非か、可か否か、白か黒かという、二者択一しかしない「デジタル思考」が根底に潜んでいるんじゃないかという感じがしないでもない。

ジャストインタイムにはぎりぎりでもある

1月29日。火曜日。正午を大きく回って目が覚めた。ああ、のんびり寝ていられないのに。今日は午後4時が期限の仕事が残っているのに。2時間はかかりそうなくらい残っているのに。ということで、夢心地のカレシを肘鉄で(やさしく)起こして、せわしない1日の始まり。

日曜日の夜遅く(つまり、月曜日の丑三つ時)、日本時間では月曜日の午後に飛び込んで来た仕事。原稿を見て、あ、契約書か。さして込み入った内容でもなさそうだから、お安い御用。この稼業23年の間に、英日、日英の両方向でいったい何百件の契約書を訳したことか。そう思ってそのまま店じまいして寝てしまったのが運の尽き。起きて仕事にかかろうと思ったら、カレシが「トラックの保険を更新しに行こうと思うけど、歩けるか」と聞いて来る。家の中ではいいけど、靴を履いて歩くのはまだちょっと。(保険の更新くらい、ひとりで十分でしょうが。)新聞サイトを見たら、あらら、VISAのネットワークがダウンして、カナダ中でクレジットカードを使えない状態になっているらしい。じゃあ、今日は仕事をがんばるから、保険と買出しは明日にしよう。

仕事モード100%になってしばらくしたら、テレビの前でごろごろしていたカレシが「VISAの障害は解決したらしいよ」と報告しに来た。良かったね。何しろ、買い物でカードが使えなくて、手持ちの現金がなくて困った人たちが万の単位でいたらしい。(空港でカードが使えないために手荷物の料金がタダになったというラッキーな人もいたらしいけど。)世の中、便利さは人間が望んできたことではあるけど、何でもかんでも便利になればなるほど、その便利が消えたときの不便さがひどくなるな。半分上の空で返事をしながら仕事の方に(半分)集中していたら、急に「保険を更新して、ついでに野菜を買って来ようよ」とカレシ。う~ん、そういえば、ワタシも野菜が不足気味だなあ。

仕事の方は順調だし~ということで、「ま、いっか」の精神でお供することにした。ところが、いざ出かけるとなったところで、エコーのバッテリがほぼ上がっている。もうちょっとでエンジンがかかりそうで、なんかしょぼい音がしてかからない。あ~あ。「金曜の夜には大丈夫だったのに」と大むくれのカレシ。それでも、家に戻って、トラックのキーを持って来て、改めて出発。かれこれ35年もお世話になっている保険代理店のオフィスには先客がいて、カレシのむくれ度が瞬間風速的にピ~ン。オーナーのグレッグが「もう5分くらいかな」というので、後ろのカレシを振り返ったら、何もなかったような顔で「じゃあ、先に買い物をして来よう」。うん、そうそう、ぶっちぎれる前にオルタナティブを考える、と。

というわけで、モールまでひとっ走りして、どっさり野菜を買い込んで、オフィスに戻って、保険を更新する手続き。あっちにサイン、こっちにサインで、1年間ざっと13万円。念のために小切手帳を持って行ったけど、VISAでの支払いはすんなり、あっという間に通って、グレッグが「こんなに早いのは珍しい」。なんでも、カードが「承認」されるまで、遅いときはすごく遅いらしいしばしクレジットカード談義の後、宣伝のカレンダーを2枚もらって帰って来た。すでに午後4時で、夕食の支度の時間。足はずきずき・・・。

中断した仕事は夕食後に突貫作業。最初はありきたりの条項だったのに、進むほどに条文が長くなって、とうとう「反社会勢力」に関する条文まで飛び出した。契約書の条項として初めて見たけど、契約に盛り込まなければならないほどやーさんがはびこっているのか、あるいはもしもやーさんに関わってしまった場合にえらいことになるのか、それともやーさんと関わると法律で罰せられるのか。そこのところはわからないけど、「反社会勢力」の定義はやーさんや総会屋だけなんだろうか。日本の契約書は細かな定義づけが足りないなあと常々思っていたけど、解釈によってはおもしろいことに発展し得るかな。

そんなこんなで、今日は朝食もそこそこにねじり鉢巻でホームストレッチ。スペルチェックをして、ファイルを圧縮して、メールに添付して、「送信」ボタンをクリックしたのはきっかり期限の午後4時。いやあ、これこそトヨタが考え出した「ジャストインタイム生産システム」(カンバン式)の真髄というもんだな(と自分で自分を褒める)。そういえば今日、トヨタからカレシのトラック(タコマ)のリコールのお知らせが来ていたっけ。最近はトヨタやホンダのリコールが多いような気がするけど、何でも電気系統の問題でエアバッグが作動しなくなる可能性があるとか。Just in timeというのは「ぎりぎりの時間で」という意味があって、うまく行って「ふはぁ、間にあったぁ~」という感じなんだけどな。まさか、そうやってJRの駅の階段を駆け上がるような感じで車を作っているわけじゃないと思うけど、もしかして、もしかして、エコーの電気系統にも欠陥があってバッテリが上がってばかりとか・・・?

ボーイングのおかげで・・・芝居の話

1月30日。水曜日。ハッと目が覚めたら午後12時半。いつもより遅れるとはいえ、今日は掃除の日。起きなくちゃ~と言ったら、カレシは「はあ・・・」。シーラとヴァルが来ちゃうよ~と耳栓越しに言ったら、がばっと起きて「忘れてた~」。今日は芝居に行くので、忙しいんだから・・・。

ちょうど朝食が終わる頃に来たので、ヴァルがオフィスの掃除を終えるのを待って、まずはメールチェック。予約が入っていたシリーズの2つの仕事のうち、2つ目のファイルが先に来て、最初のは入稿遅れになっていたのがキャンセルになったとのお知らせ。ただし、この先3つ目、4つ目が入る可能性があるとか。でもまあ、今のうちに2つ目をやっておけば楽かもしれないけど、1日、2日くらいは遊んでいても良さそう。とりあえずHSTの還付申告をオンラインで済ませて、ばんざ~い、後は「休みモード」。

今日は芝居の前に「芸術監督のサークル」のレセプションがあるので、早いうちに軽い夕食を済ませてお出かけ。どうやら個人的に1年に1000ドル以上寄付するとこのサークルに入ってしまうらしい。劇場の前から待機していた(サンフランシスコのケーブルカーにそっくりの)観光用トロリーバスに乗って、レセプション会場の高級自動車ディーラーのショールームへ。「どうですか」と差し出されるおしゃれなカナッペをつまみながら、ワイングラスを片手に、ずらりと並んでいるぴっかぴかのジャガーやランドローバー、ベントレー、アストンマーティンを見て回る。ベントレーの真っ赤なコンバーティブルはさすがにかっこいいな。カレシ曰く、「これが中年の危機の薬か」。銀色のアストンマーティンには2500万円の値札。カレシ曰く、「税は別だってさ」。ということはHSTなどの税金を足したら3千万円・・・?

芸術監督の挨拶があって、新入り(ワタシとカレシの他にあと2人)の紹介があって、理事長のジャンさんと握手して、劇場の真正面までまた観光バス。(住んでいるとまず乗ることはないからいい体験だな。)用意されていた座席は前から4列目のほぼど真ん中。両隣に座った人たちもサークルのメンバーと見えて、同年代同士だったので、名乗りあって握手して、ライトが落ちるまで世間話。なるほど、こういう世界もあるんだなあと、ちょっと馬子にも衣装の気分で目をぱちくり。ほとんどが50代、60代以上と言う感じだったけど、30代くらいの今どきのヤッピーみたいな若い人たちもいる。でも、劇団に1年に1000ドル以上寄付するくらいだから、みんなきっと芝居が大好きなんだろうな。

出し物はフランスのマルク・カモレッティ作の『ボーイング・ボーイング』。フランスで1960年に初演してから19年間も続演してギネスブックに載ったという茶番狂言。原作ではフランス人だったキャラクターが英語版ではアメリカ人になっている。パリに住むプレイボーイのアメリカ人建築家バーナードはグロリア(TWA)、ガブリエラ(アリタリア)、グレッチェン(ルフトハンザ)の3人の国際線エアホステス(CA)と同時に「婚約」している。(3人の名前の頭文字がどれも「G」なのがおもしろい。)航空会社の時刻表はバイブルみたいなもので、3人が同時にアパートに現れないようになっている。一番大変なのはお相手が変わるたびにベッドルームの写真を変え、料理の内容を変えなければならない家政婦のベルタ。(そのせいかパンチとウィットの利いたせりふが一番多い。)

ニューヨーク便に乗るグロリアを送り出し、ランチの時間しかいられないガブリエラを迎える準備をしているところへ旧友のロバートが転がり込んで来て、しばらく泊まることになる。グレッチェンの便が遅れて午後11時着と聞いて余裕たっぷりの気分。結婚願望のあるロバートに「この方法をまず試してみるべき。あきないし、ひとりだけに束縛されないし」と得々とぶち上げたのは良かったけど、航空会社が推進力が高くて速くなった新型ボーイング機を投入したもので、完璧だったバーナードの緻密なスケジュールは大混乱に陥ってしまう。ガブリエラは朝まで搭乗しなくても良くなるし、遅れるはずだったグレッチェンは早く着いてしまうし。3人とも「フィアンセ」バーナードのアパートがパリでの「我が家」と思っているので、オルリー空港から「愛しのダーリン」のところへまっしぐら。2人が顔を合わせないようにとあたふた、どたばたしているうちに、グロリアの乗った便が北大西洋上が悪天候のために引き返して来てしまって、しっちゃかめっちゃか。

1960年代の古典的なスチュワーデスの制服がまたなんともかっこいい。ミニが目新しかった頃。グロリアはピンク、ガブリエラはグリーン、グレッチェンはブルー。それぞれの性格づけと色がつながっているのもおもしろい。昔のスチュワーデスは帽子がかっこよかったな。この芝居がまだパリで続演していた頃、秘書学校の友だちで全日空のスチュワーデスに採用された人がいて、クラス中の羨望の的だったな。(なぜか「性に合わない」と半年で辞めてしまったけど。)最後はグロリアがメキシコ人に求婚されて3人の「フィアンセ」を持っていたことがわかり、ロバートとグレッチェンが恋に落ち、バーナードはガブリエラと結婚することになってしまう。いやあ、こんなにゲラゲラ笑ったのはほんとに久しぶりだなあ。涙が出るほど笑いっぱなしだった。やっぱり芝居はいい。ああ、満足・・・。

ごみのたわごと

1月31日。木曜日。目覚まし、午前11時30分。今日も忙しい日だけど、カレシは目を覚ましたとたんから「よく眠れなかった。眠いよ~」とぶつぶつ、ぐずぐず。どうして?「きのうは一度も居眠りできなかったからかなあ」。あっ、そう。バスルームへ行く途中で寄り道して窓の外を見たら、道路掃除はまだやっていない。

きのうの午後、市役所が「道路清掃のため駐車禁止、1月31日午前9時~午後5時」の標識を立てて行った。秋から冬にかけてよく歩道の際の掃除があって、ブラシの付いた清掃車が来る。落ち葉などが側溝を排水口を塞がないためだけど、以前は「月曜~金曜、午前9時~午後5時」という標識を使っていて、カレシが市役所に「何月何日と指定しろ」と怒鳴り込んでいた。いつ来るかわからないと放っておいたら、いつのまにかトラックを別の場所に持って行かれたこともあった。(そのときはまた市役所に盗難届けを出すとか何とか抗議して、結局元の場所に持って来させたけど。)でも、今度はこうやって要求した通りに「何月何日」と指定して来たんだから文句は言えない。カレシはぶつぶつ言いながらも、小さいエコーは標識のない向かいのマージョリーの家の外に止めさせてもらい、トラックは角を回って家の前に移動。

ゆうべ出かける前に標識をよく見たら、「1月31日」だけ紙に手書きしてテープで張ってあった。ははあ、「月曜~金曜」の標識しかないけど、あのブロックは特にうるさい住民がいるから(初めから決まっているはずの)予定日を書いた方が無難ということだったのか。へえ、相手が市役所でもうるさく言ってみるもんだな。(もっとも、ワタシも何年も前に市の公園委員会にねじ込んで午前5時の芝生刈りを止めさせたんだけど。)道路清掃車が轟音を立ててやって来たのはカレシが午後の英語教室に出かける前で、それも2回。おまけに出かけている間にさらにしつこく4回。カレシが帰ってくる頃には落ち葉のかけらさえないくらいにきれいになっていた。まだ5時じゃないけど掃除は終わったんだからと、いつもの場所にトラックを止めたカレシ、「清掃車なんて大げさなものを使わなくても、置いといてくれればオレが掃除して堆肥にしたのに」とぶつぶつ。え、ほんと?「たぶんやらないけどさ」。はあ・・・。

清掃といえば、日本の有力新聞が福島原発の手抜き除染の問題で関係者からの通報?を募っていたと思ったら、英語版で世界に発信したらしく、有力新聞の一部が取り上げていた。記事は配信記事で別に目新しくないけど、北米の新聞には記者のブログ欄や記事について読者がコメントを書き込む欄を設けているものが多くて、ときにはニュースそのものよりも、コメント欄での喧々諤々のやり取りの方がおもしろかったりする。そういったコメントやブログの一部を今度は海外での反応といったのりでちょこっと報じていた。その中には「日本人らしくない」というコメントがあったそうで、手抜き除染のニュースを読んだときにワタシは真っ先に「ああ、やっぱり」と思ったけど、このコメントで今度は別の意味で「ああ、やっぱり」と思った。日本の政府やメディアが外国向けに意図的に描いて来た「ニッポン神話」を信じている人がまだくさんいるんだな、と。

自分の国ではないどこかの遠い国に理想郷を見て憧れ、崇拝するのは世界共通の人間的現象だと思うけど、日本の人たちも海外に広められた礼儀正しくて、正直で、信頼できて、完ぺき主義で、自然を愛し、家族の絆が強く、思いやりがあって、協調的で、和を乱さす・・・というような「日本(人)」のイメージを心からそうだと信じているのかな。福島の手抜き除染だけでなく、事故や災害のたびに明るみに出る手抜き工事(笹子トンネルもなんか手抜きっぽい)や、さまざまな「ずさんな」処理や呆れたポカミスや、どう見ても根底に「ごみは(外から)見えないところに掃き込んでしまえばいい」という発想がある企業や教育現場でのスキャンダル隠蔽事件などのニュースをどういう気持ちで見聞きしているんだろうな。他人のごみは見たくないと思うのか、汚いものを見せるなと怒るのか、ごみがたまったら掃除しろよと言うのか・・・。

まあ、ごみのたわごというところだけど、家の外へ掃き出したごみは見えないだろうから、いいか。


コメントを投稿