早朝の散歩コースのひとつが相模川の川堤。産業道路(県道46号相模原茅ヶ崎線)から湘南銀河大橋のある川堤に出る。そこから大東化学の裏辺りまでを歩く。川堤を歩けるのはこの辺りまでで、あとは住宅街を抜けて産業道路に戻る。
この日はあることに気づいた。住宅街のマンホールの蓋が「湘南ひらつか」だった。少し歩いたら、えぼし岩がデザインされた、見慣れた茅ヶ崎のマンホールの蓋に変わった。不思議に思って調べてみると、「湘南ひらつか」のマンホールのあった場所は平塚市だった。相模川から東はすべて茅ヶ崎市だと思っていたが、平塚市の飛び地があったのである。
相模川は関東大震災による流路変更とその後の河川改修でほぼ現在と同じ流路となり、その結果としてもともとは地続きだった須賀村と馬入村の領域は相模川の両岸に離れ離れになった。しかし境界変更は行われなかったため、相模川東岸の一部が飛び地のようになったということらしい。
市役所に行くにも、学校に行くにも、川を渡る生活は不便ではないのだろうか。関東大震災から100年以上も経っているというのに、特別なこだわりでもあるのだろうか。妙な話である。