読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

孤独のグルメ2 久住昌之:原作 谷口ジロー:作画 扶桑社

2015-12-02 23:38:22 | 読んだ
実は、発売されてすぐに購入した。
テレビではSeason5が始まった。BSのやつを録画しているが、まだよく見ていない。

近頃テレビの録画は「このて」のものが多い。
吉田類の酒場放浪記、おんな酒場放浪記そして夕焼け酒場はずっと録画していたのだが、この秋からは、孤独のグルメ、BARレモンハート、ワカコ酒と増えてしまった。

で、思うのだが、原作のあるものの実写化は難しい。

今週から放送している、孤独のグルメ、レモンハート、ワカコ酒のうち、原作の漫画のほうがいいと思うのはレモンハートで、孤独のグルメとワカコ酒は実写版に軍配を上げてしまう。

レモンハートは酒のウンチクものなので、漫画でもテレビでも想像するしかない。
孤独のグルメとワカコ酒は、おいしいものを食べるもの(ワカコ酒は酒も飲むが)だけに、顔の表情と実写でおいしさが伝わる。

そういえば、近頃は、本を読むよりテレビを見るほうが多くなってきた。
その理由は「想像力」なのかもしれない。

観る(見る)ということは、読むよりも情報が入ってくる。
以前は活字を読むことによって、いろいろと想像ができていたのだが、近頃は想像することが面倒くさい。

「想像力の欠如」というのは、先ず第一に想像することができなくなることだとは思うが、実は想像するものが現実的な者になってしまうことなのではないだろうか。
子供のころ、いろいろな物語を読むと、いろいろがことを想像した。
極端な話、小公子を読むと、イギリスの貴族の生活だけではなく、例えば自分もどこかに遺産をくれる親戚がいるのではないか、その時はどうふるまおうか、とか、もう想像というか妄想は広がっていったものであった。

また、青春時代に例えば司馬遼太郎の小説を読めば、ああ土方歳三に逢えたらどうしようかとか、勝海舟に師事したいとか、そんなことまで思ったものだが・・・

今は、本を読んでもそこまで想像はしない。
そういうことか。もうちょっと別な生き方があるんじゃないか。
などと、どちらかといえば登場人物を批評していたりする。

また、テレビドラマ特にサスペンスはどんな難しいトリックであっても、まあ2時間後には解決する。大体1時間半も経てば犯人はわかる。
それに、物語自体大きなどんでん返しがあろうと、出演者で大体わかる。
という安心感がある。
これが、本を読んでいると、犯人を捜すのも疲れてくる。

自分はあとどれくらいで犯人にたどりつくのか?
これ、月刊誌の連載などはつらい。

そんな「カラダ」になってしまったのである。

そしてもう一つ。
近頃は「食べる」ということにあまり魅かれない。
食べる量も少なくなったし、油ものはちょっとなあ、というカンジ。

というわけで「孤独のグルメ」
読んでもあまり面白くなくなってきた。(この比較は、以前夢中になって読んだときとのもの)
実写版で松重豊がおいしそうに食べる姿のほうは、「おおっ!」という感動がある。

食べ物に対する「姿勢」、食べ物に対する独特の「感覚」、何でも食べる「胃袋」
は、原作があってのことなのだとわかっているのであるが・・・

やっぱり実写版がいい。
つまり私は「堕落」したのかもしれない。
嗚呼。

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