読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

泣き虫弱虫諸葛孔明 第参部 酒見賢一 文春文庫

2015-03-02 23:00:19 | 読んだ
出だし
「今、三国志がヤバい。」
から始まる。
今、いろいろな三国志が本だけでなく漫画なども出ていて、数えきれないということなのだそうだ。

だから、三国志に登場する人物たちの設定も様々であることから、自分が敢えて孔明について書くことについて無力さを噛みしめている、のだそうだ。

第参部は、劉備が孔明を軍師として迎えたにもかかわらず、劉備の変な倫理感から荊州を乗っ取ろうとしなかったため、曹操軍団に攻められ「衆寡敵せず」で逃げたのであるが、劉備を慕う民衆まで引き連れて逃げたことから、散々な目に合って、ようやく江夏郡夏口まできところから始まる。

で、命からがら、やっとの思い、這う這うの体で(いかんいかん、酒井賢一、井上ひさしの本を読むとこういう重ねをしてしまう)逃げてきたのに、劉備軍団は3日3晩の宴会が続いている。
この宴会は
「最後の一人が觴(さかずき)を持ったままげろを吹きだしつつ気絶するまでは終わらない。なぜそこまでしなければならないのか、誰にも分からない。」
そうなのだ。

作者は、孔明を主人公に物語を書いている割には孔明をあまり好きではないのではないか、あるいは好きすぎて・好きすぎて・好きすぎて(今度はAKB希望的リフレインがでてきてしまった。)身びいきのあまり悪口を書いているように思える。

曰く
「・・・と卑劣な策を爽やかに提案した。」

「・・・と孔明は、楽しくて仕方がないというように笑いながら邪悪なことを述べるのであった。孔明というのはこういう奴なのである。」
 

「(曹操が龐統に孔明とはどういう男かと聞いた時の龐統の答え)変質者です。ただ自然と植物を愛好しており、悪い奴ではありません。」


第参部は「赤壁の戦い」がメインであるが、この赤壁の戦いを著者はこうまとめている。

「曹操と孫権とを無理矢理にでも戦わせ、どちらが勝っても上前をはねるという非道な策略である。もしこの策を曹操か孫権が行っていたとすれば、極悪非道、外道畜生呼ばわりが直ちに決定の、悪魔野郎の烙印を一発で押されることになったろう。しかし、劉備、孔明がやると仁義と正義の愛の奇策となり、皆はその智恵に拍手喝采せねばならなくなるのだ。『三国志』史上最大の決戦、ベスト歴史ロマンズ・ウォーといえる”赤壁の戦い”というのは、劉備、孔明から見れば結局この程度のものなのである。なんとなくみみっちい感じがしてならない。」

まったく同感である。

小学生の時に初めて三国志を読み、その後も「柴田錬三郎」とか「吉川英治」とか「陳舜臣」などを読んだのが「赤壁の戦い」とは、曹操と孫権の争いで、劉備も孔明も明確な功績なんかないのに、なぜ、こんなにもてはやされるのだろうか、疑問であった。

陳寿が書いた三国志では、劉備・孔明については何も書いておらず、裴松之が味付けをして、更に「三国志演義」が面白おかしく脚色し、更に更にのちの作家がいろいろと想像して付け加えた、らしい。(酒見賢一的解釈)

まあ、日本でいうならば「講談」と同じで、あることないこと面白おかしく『盛った』のであろう。
『盛った』ほうが絶対に面白いし。

そもそも、愛と仁義の人・劉備と天才軍師・孔明なのに、蜀をやっと建国できて終了なのである。この二人なら、中国どころか世界統一もできるはずなのに。

さて、孫権が曹操と戦うことをためらっていると、孔明が舌先三寸で、戦う方向に持っていく、のであるが、呉の錚々たる者たちが、いちいち言い含められるのである。
孫権、周瑜、魯粛、張昭など、絶対にそれなりに対した人物であるのに、なんだか結構バカに描かれる。
そのあたり、著者も大きく疑問を呈しているのだが、結局やっぱりその方向で描かなければならないのである。

近頃の三国志では、周瑜や曹操がイイヤツになっていたりするのであるが、その場合いやな奴には孔明がならなければならないはずだが、孔明を悪党には描けない。だからやっぱり、面白くするには劉備と孔明がいい奴にならなければならない。
孔明の悪口を書きながらも、著者だって孔明を悪党にはかけないので、物語は、やっぱりそっちの方面で進むのだ。

といいつつ、やっぱりかわいそうなのは周瑜と魯粛である。なぜ、あんなに、孔明に虚仮(こけ)にされなければならないのか。

ということなのからか、この物語では、呉の人々は「広島弁」を使って会話する。
つまりは「仁義なき戦い」の場面を想像してもらえばよい。

この背景には、呉という国が「孫権」を王として主従の関係で成り立っているのではなく、諸豪族の連合体であって、いわば孫権は神輿として担がれているわけで、何かを決定するためにいちいち豪族たちの会議で決めなければならないという状況がある。
その状況を「広島弁」を使うことによってうまく描き出している。とはいえ、仁義なき戦いを知らない人には、その状況や面白味があまり伝わらないと思うのだが。

というわけで、赤壁の戦いは、劉備・孔明の思う通り、つまり、曹操も孫権も一時的に引っこまざるを得ない状況にした。

こうしておいて、これから、劉備と孔明は、関羽、張飛、趙雲を率いて、蜀漢の建国に向かうのである。

それを、酒見賢一がどう描くのか、非常に楽しみである。
すでに第4部の単行本が出ているので読もうと思えば読めるのだが、文庫本がでるまで待とう。


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