読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

鬼神の如く 葉室麟 小説新潮2014.1-201412月号

2015-01-29 15:52:36 | 読んだ
とうとう、インフルエンザ(A型)になってしまった。
というわけで、自宅謹慎、いやいや自宅監禁、いやいや自宅療養中です。
皆様お気をつけください。
(インフルエンザに罹ったおかげで、生まれて初めて点滴なるものを体験しました)

さて、小説新潮に12回にわたって連載された「鬼神の如く」である。

題材は「黒田騒動」である。

黒田騒動といえば、栗山大膳、倉八十太夫、黒田忠之である。

今回の物語の主人公は、栗山大膳である。

そのほか、徳川家では、秀忠、家光、幕府では土井利勝、井伊直孝、更に宮本武蔵、柳生但馬、柳生十兵衛、夢想権之助など、歴史好きにはおなじみの人物たちが登場する。

黒田騒動は、黒田藩主の黒田忠之が宿家老・栗山大膳に反発し、自らの寵臣・倉八十太夫を重用したことにより、栗山大膳が忠之を謀反人として幕府に訴え、幕府の裁定により謀反は認められず忠之は本領安堵、大膳は南部藩お預け、倉八は高野山へ追放となったことである。

騒動の割には裁きは軽かったように思える。
「これは、黒田忠之の父・長政が関ヶ原の折に、調略と戦双方に活躍をした事により、神君・家康公より子々孫々まで黒田家を粗末にしないという感状をもらっていたからだという。

とまあ、いろいろとあるのだが、おおむね「××騒動」というのは、今も昔も、当代の当主が「公平無私」でないことが原因である。
公平無私でないということは、つまり、自らを頼みすぎるということである。
自らを押し出そうとすると、先代から続いている「しきたり」「文化」「人」は邪魔になる。そして自分を助けるものは「改革者」となる。

つまりは改革派と守旧派の争いで、改革派が勝つには相当の力を要する。
あまり守旧派を甘く見ないことが必要なのだ。

さて、この物語では、いわゆる守旧派の栗山大膳こそが新の改革者であった。

徳川幕府の当時の方針は、大名を改易をして幕府の権威を高めることにある。
豊臣恩顧の福島、加藤、あるいは、秀忠の弟の松平忠輝など、大名の改易は相次いでた。

これで危機感を持った栗山大膳は黒田家を守るために「謀」をめぐらし進めていく。

大名改易とキリシタン弾圧という背景と、戦国の気風がまだ残る人たちと新しい時代の人たち。
幕府の安定化、長期政権の樹立を行うためには、幕府の創設よりも多くの犠牲が必要である。

これは中国の歴史を見ても同様であり、明治維新の際にも、その後の萩の乱、佐賀の乱、西南の役といわゆる創世記の人たちの争いというのあるものだし、それは悲惨な結果となっている、が、これがなければ政権は安定しない。
今だって、各党のなかで同じような争いがあるではないか。

ということから、栗山大膳は、大名改易やキリシタン弾圧(黒田家の先代長政、先々代如水はキリシタンだった)を他人事と考えず、更に甘いお坊ちゃまの忠之の考えなしの行動をいさめなければならないことから、何重にもめぐらした謀を実行に移す。

この物語の面白いのは、実は大膳をよく理解していたのが忠之や倉八十太夫であった、ということである。

黒田騒動にかかる物語は初めて読んだが、なかなかに面白かった。

というわけで、静養期間中はおとなしく本を読んでいようと思う。

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