1.ロードショー/古時計 1976年3月
フォークソングというのは、最初はプロテスト・ソングのような社会に物申すというようなカンジであった。次には身の回りのことを歌にするようになった。このときも最初はメッセージがあるようないわば硬派であったし、純文学の私小説のような哲学的なあるいは思想的なものがあったように思える。
それが叙情的なものがはいってきて、更にはいわゆる「軟弱」というようなものもでてきた。
私はけっして「さだまさし」を軟弱だとは思わないが、この古時計のロードショーは軟弱だなあと思うのである。
この詩に描かれているようなことをうたってどうするんだ!
と思っていたのである。
映画館のロビーで恋人がほかの女の子といるのを見て、
2年もつきあってきて近頃冷たいのはそういうわけだったの?
愛ってそいういうものなの?
みたいな歌である。
私は一言言いたい。
そういう男であったことを知らなかったあなたが悪い、そして今気づいてよかったじゃないか。
なにをいつまで、そんな男にくっついとんじゃ!責任者出て来い!
って、人生幸朗かっつうの。
2.あの唄はもう唄わないのですか/風 1975年12月
「風」はかぐや姫の解散後に伊勢正三がつくったグループである。
風のデビューは「22才の別れ」であり、これは必ずヒットするということがわかっていたものであった。
だから、実質は次のうたがデビューといってもよい。
すごく期待していた。
で、この歌を聴いたとき、まあいいんだけど、でもちょっと違うんでないの?というカンジであった。
詩も曲もいいと思う、おもうんだけどなんだか型にはまったようだ。
例えば「22才の別れ」「なごり雪」は、コード進行が「へエーそういくのか」と思うところがあった。
というわけで、このあと熱心に風の唄を聞くことが少なくなってしまったのである。
3.となりの町のお嬢さん/吉田拓郎 1975年9月
拓郎の唄といえば、どちらかといえば重いカンジであるが、この唄は軽くてリズミカルで、ちょいとびっくりしたものだった。
この歌は「青春」というカンジで、いかにも吉田拓郎らしい詩で、すごいなあ、と感心したものだった。
また、サビの部分ではファルセットになって、これは歌もうまくなったなあ、とほめてあげたものだった。
そのファルセットの部分がネックになって、なかなか唄いこなすことができず、徐々にキライになっていったものだった。
4.オレンジ村から春へ/りりィ 1976年3月
りりィの歌って、特別いいなあと思ってじっくりと聞くことはなかったのだが、若い時分ラジオを聴いていると、なぜかすっと心に入ってきて、五輪真弓よりりりィだなって思っていた。
この「オレンジ村から春へ」は資生堂の春のCMソングで、多分口紅だったと思うが、兎も角、おお!いい歌ジャン、と思っていたら、運よくエアチェックができて、早速歌詞を書きコードをつけて、レパートリーにしてしまった。
で、今回久しぶりに聞いたのだが、思っていたより軽めであった。
当時はもう少し重かったように感じていたのだが・・・
この歌と対になって私の心の中に残っているのは「カールおじさんのうた」で、それは多分「村長さん」というところからきているのではないかと思っている。
それにしても、この歌は私のベスト10に入る好きな歌である。
♪春がきいてたよ オレンジは好きかい?♪
ってなんだかとっても春っぽくていいんだなあ。
5.北鎌倉/岡本正 1975年9月
好きな歌である。
でだしの波の音に続く、リズムをとるギター・ベースの音が、思わず足でリズムを刻ませる。
♪北鎌倉で降りて 歩いてみませんか♪
という出だしが、いわゆる「ステキ」である。
亡くなった恋人を思い出して、鎌倉を歩いている男が、孤独なようでいてでもなんだか幸せそうでもあり、不思議な感じである。
6.言問橋/クラフト 1976年7月
クラフトといえば「僕にまかせてください」である。
この言問橋は、聞いたことがあるようなきもする。
でも、当時はこういう類の歌は「軟弱」であるとして、聞こうとしなかったのである。
それは多分、自分が軟弱であるからではないか、と今にしてみれば思えるのである。
自分がしっかりしていれば、軟弱であろうとそうでなかろうと、受け止められるはずである。
そうしておいて好きか嫌いかである。
そういう意味で食わず嫌いできかなかった歌だと思う。
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フォークソングというのは、最初はプロテスト・ソングのような社会に物申すというようなカンジであった。次には身の回りのことを歌にするようになった。このときも最初はメッセージがあるようないわば硬派であったし、純文学の私小説のような哲学的なあるいは思想的なものがあったように思える。
それが叙情的なものがはいってきて、更にはいわゆる「軟弱」というようなものもでてきた。
私はけっして「さだまさし」を軟弱だとは思わないが、この古時計のロードショーは軟弱だなあと思うのである。
この詩に描かれているようなことをうたってどうするんだ!
と思っていたのである。
映画館のロビーで恋人がほかの女の子といるのを見て、
2年もつきあってきて近頃冷たいのはそういうわけだったの?
愛ってそいういうものなの?
みたいな歌である。
私は一言言いたい。
そういう男であったことを知らなかったあなたが悪い、そして今気づいてよかったじゃないか。
なにをいつまで、そんな男にくっついとんじゃ!責任者出て来い!
って、人生幸朗かっつうの。
2.あの唄はもう唄わないのですか/風 1975年12月
「風」はかぐや姫の解散後に伊勢正三がつくったグループである。
風のデビューは「22才の別れ」であり、これは必ずヒットするということがわかっていたものであった。
だから、実質は次のうたがデビューといってもよい。
すごく期待していた。
で、この歌を聴いたとき、まあいいんだけど、でもちょっと違うんでないの?というカンジであった。
詩も曲もいいと思う、おもうんだけどなんだか型にはまったようだ。
例えば「22才の別れ」「なごり雪」は、コード進行が「へエーそういくのか」と思うところがあった。
というわけで、このあと熱心に風の唄を聞くことが少なくなってしまったのである。
3.となりの町のお嬢さん/吉田拓郎 1975年9月
拓郎の唄といえば、どちらかといえば重いカンジであるが、この唄は軽くてリズミカルで、ちょいとびっくりしたものだった。
この歌は「青春」というカンジで、いかにも吉田拓郎らしい詩で、すごいなあ、と感心したものだった。
また、サビの部分ではファルセットになって、これは歌もうまくなったなあ、とほめてあげたものだった。
そのファルセットの部分がネックになって、なかなか唄いこなすことができず、徐々にキライになっていったものだった。
4.オレンジ村から春へ/りりィ 1976年3月
りりィの歌って、特別いいなあと思ってじっくりと聞くことはなかったのだが、若い時分ラジオを聴いていると、なぜかすっと心に入ってきて、五輪真弓よりりりィだなって思っていた。
この「オレンジ村から春へ」は資生堂の春のCMソングで、多分口紅だったと思うが、兎も角、おお!いい歌ジャン、と思っていたら、運よくエアチェックができて、早速歌詞を書きコードをつけて、レパートリーにしてしまった。
で、今回久しぶりに聞いたのだが、思っていたより軽めであった。
当時はもう少し重かったように感じていたのだが・・・
この歌と対になって私の心の中に残っているのは「カールおじさんのうた」で、それは多分「村長さん」というところからきているのではないかと思っている。
それにしても、この歌は私のベスト10に入る好きな歌である。
♪春がきいてたよ オレンジは好きかい?♪
ってなんだかとっても春っぽくていいんだなあ。
5.北鎌倉/岡本正 1975年9月
好きな歌である。
でだしの波の音に続く、リズムをとるギター・ベースの音が、思わず足でリズムを刻ませる。
♪北鎌倉で降りて 歩いてみませんか♪
という出だしが、いわゆる「ステキ」である。
亡くなった恋人を思い出して、鎌倉を歩いている男が、孤独なようでいてでもなんだか幸せそうでもあり、不思議な感じである。
6.言問橋/クラフト 1976年7月
クラフトといえば「僕にまかせてください」である。
この言問橋は、聞いたことがあるようなきもする。
でも、当時はこういう類の歌は「軟弱」であるとして、聞こうとしなかったのである。
それは多分、自分が軟弱であるからではないか、と今にしてみれば思えるのである。
自分がしっかりしていれば、軟弱であろうとそうでなかろうと、受け止められるはずである。
そうしておいて好きか嫌いかである。
そういう意味で食わず嫌いできかなかった歌だと思う。
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