読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

パーネ・アモーレ<イタリア語通訳奮闘記> 田丸久美子 文春文庫

2008-07-29 21:16:41 | 読んだ
このパーネ・アモーレは著書の言うところの
「処女出版。この歳で捧げる処女があったのは大発見。」
なのである。
最初に読んだ「シモネッタのデカメロン」よりは、シモネタが少ないものの、これだけあっけらかんとしてシモネタを著されると、こちらも「シモネタモード」になってしまう。

そして最大の問題は、この本で得た(?)「シモネタ」を披露したくなることである。

しかし、著者は生れ落ちたときからシモネタ好きではなかったのである。
イタリア語の通訳になってイタリアの文化に直接触れるようになってからそうなったのである。
本文庫の解説を書いている米原万里さんによれば
「厳格で禁欲的な少女時代の反動と解釈できるかもしれない」
なのである。

そういわれれば「(通訳・翻訳には)基本的知識と日本語こそが重要」という著者には、「優等生」の面影がたくさんある。
どれだけ、シモネタを連発しようと、イタリア語と日本語に対する、或いはイタリア文化と日本文化に対する敬虔な探究心と粘り強い勉学心が、本書を読むと伝わってくるのである。

それから、通訳という職業は「言葉ができる」という技術が必要であるが、先ずもって必要なのは「人が好き」ということではないだろうか。その「人」がどのような人物であれ「人だから好き」だというのが必要、若しくは前提なのだと思う。

人と人との意思疎通はコトバだけはない。だから、コトバを訳すだけでは意思の疎通が十分に図れないのである。
「嘘つきは通訳の始まり」
というコトバは、そのあたりのことを一言で表しているのだと思う。

何はともあれ、米原万里さんの著したものといい田丸さんの著したものといい、通訳の人たちの著すものは、実は「日本文化論」ではないかと思うのである。

で、こういうものを「読書感想文」で書いたらいいと思うのである。
もっとも私の場合は、その読書感想文でシモネタをどう扱って、そのことが最優秀賞になるかまったく評価されないのか、興味があるのだが・・・。

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