読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

魔境異聞-太祖墓陵- 坂東眞砂子 オール読物10月号

2007-10-04 22:06:58 | 読んだ
坂東真砂子の小説は、面白い。
面白いったって「笑える」面白さではない。
どちらかといえば怪異風である。(怪異そのものも多い)

今回の魔境異聞は、江戸時代の国学者・平田篤胤が天狗小僧寅吉こと嘉津間と再開し、嘉津間の話を聞くというお話である。

嘉津間は、幼い頃天狗に誘われ仙境に行き、長年底に住んでいた童子で、その仙境の話を微にいり細を穿ちはきはきと語る少年であって、篤胤は寅吉の話に夢中になり、3年ほど弟子という形でともに暮らした。そして嘉津間は師に呼ばれたといって忽然と姿を消した。
それから15年後の再開である。

なぜ篤胤は仙境の話に夢中になったかといえば、篤胤が考えていた「顕世(うつしょ)=此の世」とは別にある「幽世(かくりょ)」が寅吉の語る話とおなじで、自分の世界観が正しいことの証だと思ったからである。

さて、今回の嘉津間の話は・・・

師から魔境を見て来いといわれてkは空を飛んででかけ、ある都に降り、山の頂上で「女たちの着物は袖はなくて腕は丸出し、裾も前掛けほどしかなく、膝小僧も腿も丸出し」にしているのやら「豆腐や蒲鉾形をした建物」「牛もなくて走る車」などを見る。(この辺は笑えます)

そして、その先の草地に降りたら、男の顔を踏んづけてしまった。
男の顔は土器で作られていた。

なぜ男は土器の中に閉じ込められたのか。
嘉津間は土器の中に閉じ込められた男・暁民の話を聞いた。

秦の始皇帝の墓の兵馬俑と暁民の関わりが話された。

いやあナカナカ面白かった。
こういう発想というのがすごい、と思った。
私好みの物語なのである。

何故「俑」が作られ始皇帝の墓に収められたのか、その謎を「魔境」ということと併せて考える。
遠い昔はもしかしたら「魔境」や「妖魔」が本当にいたのかもしれない。

私は、人の気持ちというものがもっと世の中に大きな影響を与えていたのではないかと思うのである。
つまりは恨みを持って死んだ人や、此の世に大きな未練をもって死んだ人、を思う生きている人が多かった。そういう人が「妖魔」や「魔境」を生んだのではないか。

そういう考え方をする私にとっては、なるほど、とうなづける物語なのである。

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