1.銀の指環/チューリップ 1974年1月
チューリップの曲は好きだが、そのなかでもこの銀の指環はベスト3に入る。
4行の詞にシンプルな曲、というのは私の好きなタイプ。
基本的にはこういうシンプルで元気のいいのが好きである。
失恋の歌だけどいいノリである。
大合唱したい歌である。
1974年、高校3年生の私は、こういう恋
「<二人でちかった愛のしるし>として<銀の指環>をかわす」
に憧れていたが、私の太くて短い指には、指環は似合わないということにその後気づくのであった。
2.沖縄ベイ・ブルース/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 1976年11月
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド(DTBWB)は、シンプルな曲で売れしばらくはその傾向であったが徐々に複雑化していった。
そのことは、いわゆる音楽性が高まってきたということと「勢い」から「安定」への転換なのだろうから、別に駄目ということではないのだが、ついていけなくなったりすることがある。
これは例えばアイドルが大人への転換をはかることと似ている。
で、DTBWBは、宇崎竜童の歌い方と曲がマッチしてきて、徐々に自分の形のようなものが出来上がってきた。
その形が好きなのか嫌いなのか、ということであるが、私としてはついていけない方向であったような気がする。
3.尾崎家の祖母(おさざきんちのばばあ)/まりちゃんず 1975年3月
まりちゃんずというグループが、なんだか過激な歌をうたっているらしい、という情報は当時持っていたような気がする。
しかし、その歌をはっきりと聞いたことはなかった。
なにしろ「放送禁止」になるような歌だったし、あえてそのレコードを買おうとも思わなかったので、結局聞くことはなかった。
当時から常識人であった私には(?、苦笑)眉をひそめさせるような歌詞でもあったので、そのユーモア或いはシャレというのが理解できなかった。
この「尾崎家の祖母」はその後93年にリバイバルヒットしたが、その時には眉をひそめる人もいなかったんだろう。
なんとなく吹っ切れたように歌っていたのをテレビで見た。
リードギターがあのCharということは知っていたが、今回このCDで改めて確認して「オーッ」と思ったのであった。
4.おまえのサンダル/かぐや姫 1974年3月
かぐや姫のアルバム「三階建ての詩」に収められていた。
神田川、赤ちょうちんの系統の歌である。(と思っている)
悲しい、貧しい、当時は4畳半フォークという分類をされていた。
三階建ての詩には「なごり雪」や「22歳のわかれ」なども収められており、この歌は「ああ、あの系統ね」と聞き流していた。
それに当時、このような恋には憧れていないものねえ。
だって
♪きつい暮らしと 涙の他は 何も与えなかった♪
ですからねえ。
5.おやすみ/小泉まさみとこんがりトースト 1974年8月
初めて聴いた曲である。
この頃から、それまでのフォークソングがイロイロ分類されてきた。
ニューミュージックという分類も出てくる頃である。
つまり、それまでのキメゴトみたいなものが崩れてきて「それもあっていいんじゃない」という感覚になってきたんだと思う。
だから歌に対するアンテナも広げないとついていけない状況だったのだが、こちらとしてはアンテナを広げるような環境ではなくなってきたのであった。
6.踊り子/下田逸郎 1974年10月
当時の私の感覚とでは、この曲は限りなく演歌に近いと思っていた。
別に演歌が嫌いなわけではないのであるが、こういうテーマであればそっちでやってよ、という気持ちであった。
繰り返すようであるが、こういうテーマはそっちでとか、というのはもう古い考え方であって、演歌であろうがポップッスであろうが、それまでのいわゆる「フォークソング」と呼ばれていたものの影響を大きく受けてきていて、それらが融合するようなそんな時代であった。
そういう状況を感じてはいたのであるが、やっぱり、まだまだそれまでの感覚というのは捨てられないのであった。
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チューリップの曲は好きだが、そのなかでもこの銀の指環はベスト3に入る。
4行の詞にシンプルな曲、というのは私の好きなタイプ。
基本的にはこういうシンプルで元気のいいのが好きである。
失恋の歌だけどいいノリである。
大合唱したい歌である。
1974年、高校3年生の私は、こういう恋
「<二人でちかった愛のしるし>として<銀の指環>をかわす」
に憧れていたが、私の太くて短い指には、指環は似合わないということにその後気づくのであった。
2.沖縄ベイ・ブルース/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 1976年11月
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド(DTBWB)は、シンプルな曲で売れしばらくはその傾向であったが徐々に複雑化していった。
そのことは、いわゆる音楽性が高まってきたということと「勢い」から「安定」への転換なのだろうから、別に駄目ということではないのだが、ついていけなくなったりすることがある。
これは例えばアイドルが大人への転換をはかることと似ている。
で、DTBWBは、宇崎竜童の歌い方と曲がマッチしてきて、徐々に自分の形のようなものが出来上がってきた。
その形が好きなのか嫌いなのか、ということであるが、私としてはついていけない方向であったような気がする。
3.尾崎家の祖母(おさざきんちのばばあ)/まりちゃんず 1975年3月
まりちゃんずというグループが、なんだか過激な歌をうたっているらしい、という情報は当時持っていたような気がする。
しかし、その歌をはっきりと聞いたことはなかった。
なにしろ「放送禁止」になるような歌だったし、あえてそのレコードを買おうとも思わなかったので、結局聞くことはなかった。
当時から常識人であった私には(?、苦笑)眉をひそめさせるような歌詞でもあったので、そのユーモア或いはシャレというのが理解できなかった。
この「尾崎家の祖母」はその後93年にリバイバルヒットしたが、その時には眉をひそめる人もいなかったんだろう。
なんとなく吹っ切れたように歌っていたのをテレビで見た。
リードギターがあのCharということは知っていたが、今回このCDで改めて確認して「オーッ」と思ったのであった。
4.おまえのサンダル/かぐや姫 1974年3月
かぐや姫のアルバム「三階建ての詩」に収められていた。
神田川、赤ちょうちんの系統の歌である。(と思っている)
悲しい、貧しい、当時は4畳半フォークという分類をされていた。
三階建ての詩には「なごり雪」や「22歳のわかれ」なども収められており、この歌は「ああ、あの系統ね」と聞き流していた。
それに当時、このような恋には憧れていないものねえ。
だって
♪きつい暮らしと 涙の他は 何も与えなかった♪
ですからねえ。
5.おやすみ/小泉まさみとこんがりトースト 1974年8月
初めて聴いた曲である。
この頃から、それまでのフォークソングがイロイロ分類されてきた。
ニューミュージックという分類も出てくる頃である。
つまり、それまでのキメゴトみたいなものが崩れてきて「それもあっていいんじゃない」という感覚になってきたんだと思う。
だから歌に対するアンテナも広げないとついていけない状況だったのだが、こちらとしてはアンテナを広げるような環境ではなくなってきたのであった。
6.踊り子/下田逸郎 1974年10月
当時の私の感覚とでは、この曲は限りなく演歌に近いと思っていた。
別に演歌が嫌いなわけではないのであるが、こういうテーマであればそっちでやってよ、という気持ちであった。
繰り返すようであるが、こういうテーマはそっちでとか、というのはもう古い考え方であって、演歌であろうがポップッスであろうが、それまでのいわゆる「フォークソング」と呼ばれていたものの影響を大きく受けてきていて、それらが融合するようなそんな時代であった。
そういう状況を感じてはいたのであるが、やっぱり、まだまだそれまでの感覚というのは捨てられないのであった。
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