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読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

午前中に・・・ 吉田拓郎

2009-06-25 23:38:59 | 観た、聴いた
「午前中に・・・」は吉田拓郎の最新のCDアルバムである。

そして、現在、最期の全国ツアー「TAKURO YOSIDA Have A Nice Day LIVE2009」が行われている。

私、29日の「東京エレクトロンホール宮城」のチケットを入手しているので、もう、今からワクワクドキドキなのであるが・・・

で、ふと思い出したのである、そういえばまだ最新アルバムを聴いていない。
実はコンサート会場で購入しようかと思っていたのである。
でも、予習をしないとならない。

というわけで「TUTAYA」でレンタル。

今回のアルバムの曲は「拓郎らしい」というのが大きな印象。
メロディアスな拓郎というよりも、初期の頃のメッセージ色の強い語りかけるような訴えるような、それでいてオレは俺の道、という「拓郎らしさ」である。

これからもっと聞き込んで、29日には一緒に歌いたい、と思うのだが、近頃はなにしろ物覚えが非常に悪くなっているので・・・

兎も角29日まで聞き続けていこう。

ちなみに今のところこのアルバムでいちばんのお気に入りは「Fの気持ち」である。

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まにあうかもしれない 吉田拓郎

2009-01-08 23:21:28 | 観た、聴いた
「まにあうかもしれない」はアルバム『元気です』に収められている。

『元気です』は私の高校時代に発表されたものである。

この「まにあうかもしれない」は高校時代からずっとつきあってきた歌である。

その時々、時代時代、年齢によって受け止め方が違ったりしたが、そのつど「まだまにあうかもしれない」という思いを強めて、踏み切ったり立ち止まったりしたものである。

♪僕は僕なりに自由に振る舞ってきたし 僕なりに生きてきたんだと思う♪

という出だしは、いつでも僕の思っていることだったし、多少の制限はあったとしても自由であったし、僕なりに生きてきたと思っていたことは確かである。
しかし

♪だけどだけど理由もなく 滅入った気分になるのは何故だろう♪

と思うのである。そんなに僕の生きかたに不満などはないのである。
だけど、やっぱり心の底では「こんなはずじゃない」と思っているのかもしれない。それは

♪思ってることとやってることの違うことの苛立ちだったのか♪

ということなんだろう。

そして

♪だから僕は自由さを取り戻そうと
 自分を軽蔑して自分を追い込んで
 なんだか自由になったように
 意気がっていたのかもしれないんだ♪


だけど、やっぱりそうであってはいけないと思うのである。

♪まにあうかもしれない 今なら
 今の自分を捨てるのは今なんだ♪


と思うのである。
まったくその通りだと、いつでもこの歌をうたうたびに思うのである。

続いて

♪まにあわせなくては 今すぐ 
 陽気になれるだろう 今なら
 大切なのは 思い切ること
 大切なのは 捨て去ること♪


そうだまったくそうなのだ。今のままではいけないと思うのである。
だけど

♪そうすりゃ自由になれるなんて 思っているほど 甘くはないけれど♪

と自覚はしているつもりだ。

♪だけど今は捨て去ることで
 少しくらいはよくなると思えるんだ
 まにあうかもしれない 今なら
 まにあうかもしれない 今すぐ♪


やっぱりやらなければならないものから逃げてはダメなんだと思う。

♪なんだか自由になったように
 意気がっていたのかもしれないんだ
 まにあうかもしれない今なら
 今の自分を捨てるのは今なんだ♪


詩だけ読むとなんだか暗いようなのであるが、曲がわりと軽いというかあっさりしているというか、ドライなのである。
だから、素直に歌えるというか聞くことができるというか・・・

ちなみに詩は岡本おさみ 曲は吉田拓郎である。

いつでもこの歌に励まされてきた。
そしてこの歌をうたうことで自分を正当化してきたように思える。

だけど、今の自分を本当に捨てることができたのだろうか、それは今でも疑問である。
そして、これからもこの歌をうたいながらはげまされながら行くんだとおもう。

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篤姫 -NHK- 最終回

2008-12-14 22:56:12 | 観た、聴いた
とうとう最後まで観てしまった。
習慣というのは恐ろしいものである。

今年の1月には
「これはマンガである」
「歴史をバカにしている」
と思っていたのであった。

しかし、なんとなく面白く
「ケッ」
とか思いながらも、やめられなかったのである。

主演の宮崎あおいでもなく和宮の堀北真希もなく、周囲のベテランたちがよかったように思える。

ひとつには、若い役者たちが精一杯演じているのに対して、軽くそして滑稽味を出していたところにあると思う。
ゆえに、宮崎あおい、堀北真希という若い女優、そして若い男優(瑛太、松田翔太、平岳大ら)の硬さが、生きてきたように思える。

今回は大奥が舞台とあって、女優陣のあでやかさが楽しみでもあった。
中でも稲森いずみはよかった。
時代劇が似合う女優である。(義経のときの常盤もよかった)

物語は幕末のおおきな移り変わりが全て篤姫がかかわっていたように描かれている。これは物語であるからかまわないのであるが、歴史的事実と誤認をする者がでてくるのがイヤというかコワイ。

現代的感覚からみた幕末、ということで観ていたのであるが、もしかしたら「この物語は幕末の人物たちを用いたフィクションです」という断り書きが必要なのかもしれない。

というわけで、今年は見てしまったが、年々大河ドラマの質というか歴史解釈が自由、斬新になってきていて、時代考証(セリフや考え方)や歴史認識についてガッカリすることが感じられるようになってきたので、来年は観るのをやめようかなんて思っているのである。

来年の主役:直江兼続の兜に「愛」という文字が用いられていて、それが大きく扱われていることに、もうなんだかアヤシイものが感じられるのである。
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村治佳織ギター・リサイタル

2008-11-21 22:43:20 | 観た、聴いた
今夜は、村治佳織ギター・リサイタルに行ってきた。

いつだったか忘れたが偶然彼女の演奏を聞き、クラシック・ギターって素晴らしい、と早速CDを買ってきたのであった。

それ以来、折に触れて彼女の音楽を聴いていたのであった。

時々行けないこともない場所で行われるコンサート情報を見つけては、どうしようかと迷い、結局あきらめていたのであった。

それが今回地元でコンサートということで、前売り券発売日にきっちりと席を確保し、今日のコンサートを待っていたのであった。

いやあよかったなあ。
第1部はバッハの曲を4曲。
『重厚・荘厳』というバッハを見事にギターで表現していた。

ギター1本でなんということだ!
と思った。
細くしなやかな指がきれいに動き音が響く。

第2部はピアソラ、そしてピアソラへのオマージュ「あるタンゴ弾きへの哀歌」、ブラジルの作曲家・ヴィラ=ロボスと続き、ラストの3曲は「スペイン」を舞台にした曲で、会場は一気に村治佳織の世界となった。

「アルハンブラの想い出」を目の前でナマで聞けるなんて非常に興奮してしまった。

アンコールでは「禁じられた遊び」を披露してくれた。

それからギターも素晴らしかったが、綺麗だったしカッコよかった。
又機会を見つけて聞いてみたいものである。

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ハープ(早川りさこ)&チェロ(植草ひろみ) 親しみクラシック 

2008-11-20 23:42:53 | 観た、聴いた
今夜は地元で開催された「ハープ&チェロ」のコンサートに行ってきた。

これはサブタイトルに「親しみクラシック」とあるが、さらに「けんみん1000円コンサート」ともある。

チケット1000円である。
これで、ハープの早川りさこさんとチェロの植草ひろみさんという一流の演奏家(ハーピスト&チェリスト)の演奏を聞くことができるのである。

日本も文化国家になったと実感するのである。
一昔前なら、こんな片田舎にこのような人たちがきてコンサートが行われるなんて考えることもできなかった。
そういう意味では、日本は恵まれた、といえるのであるが、多くの人たちはマダマダ恵まれてなんかいないと思っている。
「恵まれる」とか「幸福」という基準はないのであるから、それは仕方のないことなのだが・・・それにしても次から次へと人の欲望というのは果てしのないことであります。

そんなことはどうでもいいのでありますが・・・

今夜はじっくりとチェロとハープを堪能しました。
特に、ハープという楽器がどのような構造でどのようにして演奏しているかという解説もあり、「なるほど」と思ったのでありました。

さて、肝心の演奏でありますが、早川さん植草さんは親同士が知り合いで、二人は幼馴染で同級生、ということから息のあった、そして二人の個性が尊重され生かされていた演奏で、外は初雪のあとの木枯らしでありましたが、なんだかポカポカとあったかい雰囲気に包まれました。

チェロの特に低音部が好きでなのでありますが、生でしかも近くで聞きますと身体全体に響いてくるようですし、ハープは非常に心地よい響きで心休まるカンジでありました。

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日本シリーズ 埼玉西武ライオンズ優勝

2008-11-09 22:28:17 | 観た、聴いた
日本シリーズ第7戦を3対2で制し、埼玉西武ライオンズが優勝した。

私は、アンチ巨人であり、なおかつ楽天ができるまでは西武ライオンズのふぁんであったことから、西武ライオンズを応援していた。

昨年のパリーグで第5位ということ、若い力の爆発が頼みのこと(つまり甘い細かい野球はできないこと)、巨人を優勝させてWBCの監督としての原の価値を高めたいこと、などから、今年はなかなか難しいのではないかと思っていた。

第5戦で2勝3敗になったときは「あきらめ」ようかと思ったのである。
なにしろあまり試合内容がよくない。

涌井の第1戦と、岸の第4戦くらいがまあまあの内容であったが、この2試合は彼らの力で勝ったもので、チームとして巨人を崩していたとは思えない。

第6戦も第7戦も投手陣の「気力」で勝ったようなもの。
打撃陣には「工夫」が少なかった。

とはいえ、ライオンズの優勝はめでたい。
今年の日本シリーズでは「力」のある投手は素晴らしい、ということをしみじみ感じた。

「力」とは威力のあるボールとコントロール、そして気力である。

ハラハラ・ドキドキというより愚痴とぼやきの観戦であった。

はやく東北楽天ゴールデンイーグルスが日本シリーズで優勝する姿を見たいものである。

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真田太平記 NHKテレビドラマ DVD

2008-10-27 21:30:20 | 観た、聴いた
昭和60年4月から61年3月までNHKで放映された「真田太平記」全45回をDVDで一気に観たのである。

45回×45分なので、全部で2025分、約34時間である。
10月18日から26日まで9日間、一日平均4時間弱である。

池波正太郎の「真田太平記」を読んだのは、このテレビ放映のあとだった。
だからいつか見たいなあと思っていたのである。
何年か前だったがNHKの昼間に再放送されていることに気づいたのは相当経ってからであり半ばあきらめていたのであった。
それが、今回レンタルのDVDが出たということで早速借りてみたのである。

真田太平記は、有名な真田幸村の兄・信之が主人公のようなものである。
というのは、彼ら兄弟の父・昌幸が前半では大活躍だし、全編を通して女忍者・お江が真田の草の者として縦横無尽の働きだし、勿論・幸村もやってくれる。
まあ、真田から観た戦国時代から江戸時代という歴史ものにもなっている。
文庫本では12巻の大長編である。

これをテレビドラマ化したのであるので、ある意味「ダイジェスト版」というものなのだが、完成度は高い。

偶然と不条理が概ねを支配するこの世の中にあって「自分」というものを通していくにはどうしたらいいのか、ということが描かれている。
そして、それは非常に困難なのである。

自分の意地や欲を通すため、いろいろな細工をしてみたり、我慢をしたり覚悟をしたりして、なんとか踏ん張ってみるのだが、意地を通したり欲をかなえても、結局人は嬉しさと哀しさが半々なのではないだろうか。

人の心には一時的には100%の満足感があるものの、トータルすると50対50であれば相当の幸せなのではないか。
つまり、自分を知り自分の力の限りを真正直に発揮して生きたとしても、幸せだけではなく、喜怒哀楽があり、それゆえにこそ人生なのである。
なんてことを池波正太郎の小説を読むと感じるのである。

幸せと同じくらいに哀しみを抱えているのが人間なのである。
それを感じられないのは人間ではない、と言い切ってみたくなるのである。

真田太平記に登場する人物たちの中で魅力的なのは、深い哀しみを抱えながら日々を一生懸命生きている人たちである。
それは、真田昌幸・信之・幸村だけではなく、お江や壺谷又五郎をはじめとした真田の草の者たち、敵対する甲賀忍者の猫田与助だってそうなのである。

この物語、大阪夏の陣で真田幸村をはじめとして真田の草の者たちの多くが亡くなった時点で終えてもいいのではないか、なんてはじめは思っていたのである。
しかし、実は、その後つまり江戸幕府が最後の完成を図ろうとする時期のほうが、面白かったのである。

それは、真田で生き残った信之と草の者で生き残ったお江が組むときなのである。
信之は昌幸や幸村のように忍者を使った謀略や戦をしなかった人であり、お江は昌幸や幸村の人柄に魅かれて働いていたのである。

その二人が徳川と豊臣の戦いが済んだ後、ある種の「生きがい」を見失ってしまいそして出会うのである。

この世でわが身を縛っているのは義理と人情そして欲である。
その義理と人情と欲を振り払うでなく、義理と人情と欲を踏まえて物事を解決していくさまは痛快である。

人は同じ時間同じ場所で、同じ方向を見ていても見えるものは違う。
何をどう見るのか、そしてそれをどう解釈するのかで、人生とは違うものになるのである。

この1週間真田太平記のDVDを見ながら、もう一度読み直してみよう、と思ったのである。

追伸
 真田太平記の舞台である、沼田、岩櫃、上田、松代を旅した記録が、嘉壽家堂本店のSpeak Visualの「真田一族を訪ねて」にありますので、興味のある方はどうぞご覧ください。

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bjリーグ 仙台89ERS vs 富山グラウジーズ

2008-10-25 23:12:52 | 観た、聴いた
本日、バスケットボールのbjリーグを観戦してきた。

仙台89ERSのホームゲーム開幕戦である。
開幕戦であるが仙台での開催ではなく、私の地元で行われた。
昨年はチケットの売り上げに協力ということで、まあ「義理」で観にいったのであるが、試合を観たら面白かったので今年は積極的に観戦に行ってきたのである。

楽天の野球もそうなのであるが、試合前、試合中、試合後それぞれにさまざまな工夫がされてあり、今のスポーツ観戦は退屈することなく時間を過ごせるようになっている。

まだ、サッカーのベガルタ戦は観たことがないのだが、多分サッカーもそうなのであろう。

というわけで、本日も楽しく退屈することなく時間を過ごせたのであった。

それに試合に勝った(82-70)ので「なおさら」であった。

第1クオーターの中盤あたりから点差を広げ、前半終了時点で11点差であったし、昨年は1度も負けていない相手だったので、これは楽勝だなあ、と気持ちもゆったりとしていた。

そうしたら最終クオーターで同点70-70になってしまい、そこからは会場が一つとなって応援をするという、じつにどうも「演出」ではないかと思うような試合展開であった。

仙台には宮城県出身者が多く(富山にも一人いた)応援のし甲斐があるというものである。
また機会があったら観にいこう。
こんどは「ジンギスカン」にあわせて踊れるよう「タオル」も買うことにしよう。

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東京タワー オカンとボクと、時々、オトン -映画(DVD)-

2008-10-20 20:38:05 | 観た、聴いた
この物語は、タイプとして好きなものではなかったので、映画もテレビドラマも見ていなかったのである。

では、何故今頃になって観たのであろうか。
それは、先日この物語のロケ地に行ってきたからなのである。

筑豊の炭鉱町として撮影された場所が、割と近いところにあるのは知っていたのである。
しかし、物語の概要が好きなタイプではない、ということから積極的に行ってみようとはしなかった。

ところが先日、岩手宮城内陸地震のあとの山の様子を見るのと「きのこ」を食べたいため買いに歩いたのである。
ところがなかなかお目当ての「きのこ」が見つからず、ドライブを続けるうちに偶然のようにこのロケ地にたどり着いたのである。

というようなわけで、ロケ地を観た。ロケ地を見たからには物語りも観ようと思いDVDを借りてみたのである。

物語は私の思ったとおり「ウェット」なものであった。
このウェットというのが私は苦手なのである。

母は若いころ父と別れ自分を苦労して育ててくれた。
やっと母に親孝行ができるようになったころ、母はガンになる。

原作者は私より6~7歳下である。
画面に登場する昔の風景は丁度私が育ったころのものであり郷愁を誘うものであった。

いまこのロケ地を残すよう地元の人たちが運動をしている。

 


 

写真は映画を見る前であったので、何がなにやらよくわからずに撮ったため、物語とうまく連動しなかった。

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せんくら2008 ~仙台クラシックフェスティバル2008~

2008-10-13 19:10:17 | 観た、聴いた
10月11日から13日までの3日間「せんくら2008」(仙台クラシックフェスティバル2008)が仙台で開催された。

3日間いろいろな音楽を聴きたかったのだが、他の用事と財布の都合で12日だけ行ってきた。

開催している場所が地下鉄の駅ぞいに4つあるのだが、今回は1つの場所(仙台市青年文化センター)に限定して、いわゆる「はしご」はしなかったが、そのためにゆったりとした気分で聴くことができた。
青年文化センター内でも4つの会場があるので、その中では「はしご」をしてはいたのであるが・・・

先ず最初に聞いたのは<長谷川陽子>のチェロである。
昨年は藤原真理さんのチェロと聞いたのであるが、チェロの音って、「なんかチョーいいカンジ」なんだよねえ。
ゆったりとした気分になるというか、落ちつくというか。
こういう機会がないと、なかなかチェロの独奏というのはなかなか聴くことができないので、このプログラムを選んだのである。

次は「山下洋輔」である。
今年は2つ続けて聴いたのである。
昨年は1つだけだったし、山下洋輔を45分1000円で聴くことができるなんてあるわけがないし、なんてたって期待を裏切らないだろうと思ったわけで・・・・

プログラムは同じだけれど、ジャズは一期一会という言葉もあったので、何が何でも二つ聴こうと思ったのであった。

いやあよかったですよ。
1回目も2回目も同じ曲でありましたが、同じ弾き方ではありませんでした。
一期一会でありました。
但し、トークの内容とギャグは同じでありましたが・・・

続けざまに聴いているようであるが、それぞれの合間にはそれなりの時間的余裕があるわけで、長谷川陽子さんは11:45-12:30 山下洋輔さんの第1部は13:00-13:45、第2部は15:15-16:00であります。

そして17:30からは鮫島有美子さんのソプラノ歌曲であります。
いい気持ちで聴きました。
ドイツ歌曲と日本歌曲という構成でしたが、どうしたらあのような優しい声で人を包むことができるのだろうか?ということを思ってしまった。
「声」というものの魅力というか魔力というのがあるんだと思う。

これで一応前売りについては終了したのであったが、最後に当日券を購入して「俵万智と明川哲也(元ドリアン助川)の短歌と歌のコラボレーションのようなものを聴いてきた。
このようななんだかよくわからないものをやるのが「せんくら」のいいところで、昨年は落語家の立川志らくのお話と落語というのもあった。
というわけで、なんだかよくわからないこのコラボも聴いてきたのであった。

せんくらのいいところは、自分でプログラムを組み立て、自分の好みの音楽を聴くことができることと、意外な音楽に出会えることである。

今年は「無料」というのが減ったために、意外な音楽に出会える(空き時間にふらっと入る)ということが少なかったが、クラシックというとどうしても構えてしまうことがあることを払拭するような、そんな試みだと思う。

今年で3回目。毎年訪れているがぜひ来年も開催されることを望むのである。
望むばっかりで何にも力になれないのだが、なんとかそのあたり「よしなに」と思う。

追伸
 昼食を摂りにちょっと外へ出て、ラーメンを食べた。「麺屋三昧」というところである。
 今回は「ゆず塩ラーメン」を食べた。健康上の理由などからスープは全部飲まないことにしているのであるが、今回は全部いただいてしまったのである。
 もしお近くにいったならばぜひお試しあれ。

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定禅寺ストリートジャズフェスティバル (第18回・2008)

2008-09-15 21:21:44 | 観た、聴いた
9月13日、14日と、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル イン 仙台」が開催された。

今年は3連休でゆっくり聞くことができると思っていたら。
14日には、地区の敬老会。15日には結婚式。
と用事が重なり、13日のみ聴きに行ったのである。

写真は定禅寺通りの中央路側帯(緑地)
 

曇り空からときどき雨がぱらついたりはしたが、あまり暑くもなくまずまずのコンディション。

ジャズフェスティバル、といいながら、ジャズばかりではなく、いろいろなジャンルの音楽が街のいたるところで演奏されています。

ジャズはちょっとなあ、としり込みしている方々、どこかであなたの気に入る音楽があるはずです。(ただし演歌はやってません)
また、ジャズって難しい、と思っているかた、難しくないジャズに出会えるかもしれません。

気軽に音楽を聴くことができる、それがジャズフェスティバルだと思います。

さて、実は今年のジャズフェスは私にとって今までとはちょっと違うものでした。
というのは、娘が出演したからです。

女性3人のトリオで、ボサノバっぽい音楽を披露しました。

         
              

屋内であったので街の音もなくゆったりとした気分で演奏ができたと思います。

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結婚しようよ 吉田拓郎 & 映画

2008-09-06 15:37:32 | 観た、聴いた
映画館で観ようと思っていた「結婚しようよ」をDVDを借りてきて観た。

題名の「結婚しようよ」は吉田拓郎が歌ったもので、拓郎がメジャーになった歌、そしてその後の「帰れ!帰れ!」コールの要因ともなった歌である。

この歌はファンの間でも「好き・嫌い」或いは「賛否」などがあったのだが、ノー天気な僕には、拓郎の歌、であることでいいのである。

「結婚しようよ」の歌が当時強烈な印象を与えたのは、この歌のとおり拓郎が結婚したということである。
歌をつくってヒットしてその歌のとおり結婚するなんて、前代未聞、驚天動地、有言実行、であった。(どういうことだ?)

というわけで、非常に印象に残る歌であった。
また、当時なぜこの歌を歌うことがファンの間で嫌われ多くのコンサートで「帰れ!」コールとなるのか、よくわからなかった。

フォークのファンの心の狭さ、みたいなものが田舎の少年であった僕の心に植え付けられ、あんな奴らのようになるものか、と思ったものであった。

さて映画である。
映画では吉田拓郎の歌が20曲、場面場面で流れる。

主人公の香取卓(三宅裕司)は52歳のサラリーマン、妻と大学生の娘二人と暮らしている。
香取家のルールは、家族そろって夕飯を食べること、である。
このルールが物語のひとつの柱となっている。

長女の結婚と次女のライブ活動、香取夫婦の馴れ初め、などが描かれて、クライマックスの結婚式へと向って話は進んでいく。

この映画は、夫婦、家族、というものについて考えさせてくれる。
それは香取夫婦だけではなく、香取の顧客で田舎暮らしをはじめる菊島夫婦、そして新しく夫婦になろうとしている長女たちを通じて考えさせるのである。

主人公が、拓郎の歌をバイブルのように支えとして、体制に呑み込まれないように反発し、自然に生きていくことを望み、いつまでも俺たちは・・・と思っていたのに、実はすでに形式的であったり権威的であったりする存在になっていたことに気づき、がっくりする、というのは、ものすごく共感できるものであった。

主人公の気持ちの動きは手にとるようにわかるのである、しかしそれを客観的に観ることができるので、なんといおうか気持ちが泣き笑いの状態になってしまったのである。

50歳をすぎたのに、我々の世代の上には「団塊」がいて、まだまだ若造扱いである。
しかし、若い人たちからは十把ひとからげで形式的・権威的と思われ、今まで生きてきたことに疑問符がつき、これからの人生はまったく見えない、ものになってしまっている。

夫婦とか家族というのは理屈を超えてつながっているものである。ハズなのである。
なのに世の中は夫婦も家族も崩壊していっているようである。

若いころに持っていた「夢」をすてたことは「挫折」なのか、或いは体制に順応してしまったことは「転向」なんだろうか。

いろいろなことを思いながら、涙を流し鼻水をすすり上げて観終えたら、なんだかすがすがしい気持ちになっていた。

まだまだ「明日」は明るいと思ったのである。


追伸
 嘉壽家堂本店のSpeakに『吉田拓郎のこと』というページを追加しました。ごらんいただければ幸いです。

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オリンピック 野球

2008-08-23 23:27:27 | 観た、聴いた
今年の夏は「涼しい」と思っていたら、21日からは「寒い」と感じるようになってしまった。
半袖では夜はいられない。

そんな夏ではあったが「オリンピック」で連日連夜忙しい思いをしていた。
別段、オリンピックの役員とかボランティアとかしていて忙しいというわけではなく、観戦で忙しかったのである。

ついでに申し上げれば、14~17日くらいは「お盆」であって、親戚の法事等もあり懐かしい人たちと出会ったりしていたし、21・22日は盛岡市で行われた第25回全国自治体政策研究交流会議と第22回自治体学会岩手・盛岡大会に行っていたので、オリンピック観戦もそれらの合間をぬって効率的に行わなければならず、なかなか大変だったのである。

オリンピック出場選手は「目指すのは金メダル」とほとんど言う。
部員10名程度でまだ未勝利の高校野球部の選手が「目指すのは甲子園」というのと同じで、心底そのように思っているのか疑わしいところもあるのだが、その中でも自他共に認める「金メダル候補」というのはいる。

そのなかで『野球』に関して言えば、そんなに大口をたたいていいのかなあ、と思っていた。多分これは多くの人たちが感じていたと思うのである。

それは選手選考の段階であったり、壮行試合の段階であったり、予選リーグの段階であったりしたのだが、兎も角こちら側としては徐々にその「金メダル」というコトバが虚しく響くようになってきて、昨日の段階では「銅メダル」と目標が下がり、ついにはメダルなしという結果となってしまった。

野球に関して言えばモチベーションが「いまひとつ」というのがあり選手にはかわいそうだと思う。
韓国では「徴兵免除」ということがある。アメリカではメジャー昇格ということもある。キューバはオリンピックこそが最高の舞台というがある。
しかし、日本では「いまひとつ」なのである。

4年後のオリンピックを目指して強化策がとられたわけでもなく、選手選考からチーム作りにあたってもわずかな期間しかなかった。
負けたことについて言えば数々の理由があり言い訳がある。

だけど、負けることについて冷静に予測していたのだろうか、つまりは彼我の戦力分析がしっかりできていたのだろうか、分析していての「金メダル」発言であったとしたら、見切り発車をしたように思うのだ。

他の競技では、たとえば女子サッカーでは、金メダル或いはメダルが獲れる、といわれていたが、3位決定戦で負けたときの選手はわりとサバサバしていたように思う。それは選手たちが彼我の戦力分析がしっかりできていたからではないか。

ところが野球では選手たちが涙したり呆然としたりしている。
これはこれまでのオリンピックでも同様である。
戦力の分析が選手たちには伝わっていなかったのか、或いは完全に優勢というように伝わっていたのかはわからないが、負ける要素というのは少ないと、選手が思っていたのだと思う。

野球は他の競技と違って「4年間の重み」というのがなかなか反映できないのだと思う。
そういうなかで「金メダル」といい続けた、或いは言い続けなければならなかった、そういうところに「敗因」があるのではないかと思うのである。

というわけで、急に気温が下がり、ああ夏も終わりだなあ、と思うまもなく季節が変わってしまったようで、それと同様に野球が負けて、気持ちの温度も下がって、なんだか「いよいよだなあ」なんて思ったりしているのである。

つまり、いよいよ本読みに没頭しよう、なんて思っているのである。

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オリンピック ソフトボール 金メダル

2008-08-21 23:05:48 | 観た、聴いた
このオリンピックで一番夢中になってみていたのはソフトボールである。

選手起用、作戦、投手の配球、打撃、守備、全てにわたって文句を言いながら、愚痴をこぼしながらも、声援をしていたのである。

今夜の決勝は、今までと違ってよかった。

何がよかったかといえば、一に気迫、二に狙いである。

昨日のオーストラリアとの準決勝では「私が私が」という思いが強くて、何もかも打ちにいって、ことごとく失敗をしていた。
ただし、上野投手だけは連投の疲れもあったのだろうが、それまでのように「私が」という我意を出せなかったため、素晴らしい投球であった。

その投球が本日も続いた。
昨日の試合で投球というものの極意のようなものをつかんだのではないだろうか。

速く威力のあるボールは絶対に必要であるが、それだけでは押さえ込むことはできない。
これは、野球でもソフトボールでも同じである。
たとえできたとしても1試合ぐらいである。

バッティング投手をするとわかるのだが、打たせようと思って投げているのに、そうそう打たれないのである。
打撃というのはそういうものなのである。

だから速く威力のあるボールでなくても、タイミングとか狙いを外せば、打ち取ることも可能なのである。

そういうことを上野投手は昨日の試合で会得したのではないかと、本日の試合を観ていて思ったのである。

アメリカと試合をして3つのうち1つは勝てると思っていたが、最後の最後で勝てたのは「運」でもあると思う。もし昨日勝っていたなら、今日は負けたであろう。
昨日の延長12回を戦い勝ったのが「運」を呼んだのだと思う。

打者は昨日までは何も考えていないように見えたが、今日は中盤あたりから狙う球或いは打ち方など考えて実行していたように思える。
これを予選の段階から徹底していれば、もう少し安心をしてみていられたのに、と思うのだが・・・

何はともあれ金メダルはよかった。
これで明日からは落ちついて過ごすことができそうである。

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プラハ放送交響楽団仙台公演

2008-07-01 23:42:42 | 観た、聴いた
6月28日土曜日、プラハ放送交響楽団仙台公演に行ってきた。

威張るわけではないが「S席」である。エヘン。
といったって、ある幸運から手に入れたものではある。

超一流の交響楽団を聴くのははじめてである。

いやあよかった。
先ずはじめの「モルダウ」有名な曲である。
この有名な曲、目の前をヨーロッパの河が流れているように感じた。
それは紛れもなくヨーロッパの河である。
我々がいつも見ている日本の川ではなく、テレビとかでしか見たことのないヨーロッパの河を実感させられた。
そういう演奏であった。

そしてピアノ協奏曲やソプラノやテナーの歌を挟んで、ベートーヴェンの交響曲第5「運命」である。

一つの音なのであるが幅広く底ふかく聞こえるのである。
つまり皆が同じ音を出しているのである。
これって当たり前のことだろうが、これまで聴いてきたのではなんだか一つには聞こえなかったのである。

一つの音が深く広いというのは初めての経験である。
それだけも感動なのに、曲はあの「運命」なのである。

「運命」というとなんだか凄まじいドーンと来るイメージであるが、今回は「ドーン」というより「じんわり」と迫ってくるカンジであった。

音楽というのは底ふかく幅広いものなんだなあ、とあらためて感じたのであった。

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