年末年始になると、テレビの通常番組が終わって「特番」ばかりになる。そんな中でも最近目立って多いのは、「戦国大名」や「お城」のブームだ。僕もずいぶんお城は行ってる。山や温泉が優先だったけど、お城や名水なんかもずいぶん行った。小さいときは自分も戦国時代や戦国大名に関心が強かった。今はゲームなんかでも扱われているから、ファンが多いのも判る気がする。でも…と思うんだけど、僕はどんどん戦国大名が嫌いになってきたのである。それは何故かを書いてみたい。
(1570年頃の戦国大名)
その前に、なんで戦国大名に愛着を持つ人が多いのかを簡単に。「戦国大名」と言っても、全国ブランドは限られている。でも多くの地域に戦国大名がいた。ほとんどは城跡だけになってルけど、お城もあった。その大名や城は今となっては「町おこし」の観光資源だ。もしかしてNHKの大河ドラマにでもなれば、多くの人が訪れる。金目当てと言うだけでは不当だろう。地域のアイデンティティであり、郷土の英雄である。地域を誇りに思う人にとって、戦国大名が重要な歴史の核となるのも判る気がする。
その前に考えておくべきなのは、「地方行政」の連続性である。律令制で決められた畿内七道の66ヶ国(壱岐と対馬を入れると、68国)が江戸時代まで続いた。明治になって「道府県」に変わるが、ほぼ昔の国を合わせて県になっている。それも当然で、もともと日本は山がちだから、山や川の自然国境がある。戦国大名もさかのぼれば多くは守護大名や地頭などから発した一族が多い。甲斐国はそのまま山梨県で、四囲を山で囲まれた盆地地帯だから、地方統一権力が作られやすい。それが源氏名門の武田氏で、南北朝時代に守護となってから続いてゆく。
(1581年頃の戦国大名)
そのように今に続く地理的、政治的な連続性がある地域では、戦国大名が今も郷里の英雄なんだろう。でもちょっと調べていくと、どうも戦国大名が嫌になってくる。もちろん彼らは思想や大義のために戦っているのではなく、自家の生き残りをかけて戦っている。家というか、時には「自分自身の権力」を守るためでもあり、親も子もない非人情の世界を生きていた。典型的なのが武田信玄で、正直嫌になってくる。甲斐だけで見ると、治水もした名君だが、信濃に侵攻すると新たな占領地の方が年貢も重い。立場を変えれば「露骨な侵略軍」だったのである。
侵攻された信濃の大名が越後の上杉謙信(長尾景虎)を頼った。謙信は「義」のために立ちあがったなどと言う人いるが、果たしてどうなんだろうか。もともと上杉氏は室町幕府の「関東管領」で、上杉の名前を禅譲されたわけだから、関東に出兵する理由はある。しかし、本国が雪に閉ざされた冬に関東に侵攻することが多かった。一時は小田原まで侵攻したんだから、オスマン帝国のウィーン包囲のような感じか。すごいと言えばすごいけど、そこまでする意味があるんだろうか。実際、関東制覇はならずに撤退するしかなかったんだし。
織田信長を「革命家」ともてはやす人がかつては多かった。今では「楽市楽座」は信長以前からあったし、「長篠の戦い」の鉄砲戦術も見直されている。もう少し生きていたら、朝廷から征夷大将軍に任じられていた可能性があると今では思われている。それにしても信長は「殺し過ぎ」だろう。一方で信長の統一権力に抵抗した「一向一揆」も、かつては「農民戦争」などと革命のロマンを思い入れる人がいた。しかし、今では本願寺も戦国大名のような勢力だったとされる。
戦国大名は勝った側、続いた側が名前が残って、知名度が高くなる。負けて滅んだ明智光秀や石田三成も人気があるじゃないかというかもしれないが、織田豊臣権力内部で上層にあった人だ。織田・豊臣・徳川の統一戦争最終盤に関わる人物だから、知名度が高くなる。真田幸村(信繁)なども同様で、そこまで行くと「敗者のロマン」を感じられるわけだ。そのような「決勝トーナメント敗退」ではなく、一次リーグ敗退組、つまり朝倉や浅井などは評価が低い。あるいは「地方大会」の敗者である九州や四国、東北などの小さな大名もあまり出て来ない。
日本ではタテマエ上は律令制がずっと続き、天皇と左右大臣などの朝廷機構が明治になるまで続いていた。武家の頂点である「征夷大将軍」は天皇に任じられた軍事官僚のトップにすぎない。だが実質は将軍家力が全国を支配していた。つまり「軍事政権」だったわけだ。明治維新以後も、政権を運営していた人の大部分は「武士階級出身」で、内面は武士精神だった。だからこそ、近代になって日本が軍事国家として「成功」したわけだろう。日本史の主要な時期が「軍事政権」だったことが、現代日本の経済や教育などに多くの影響を与え続けたのではないかと思う。
イギリス人だったら、自分たちはニュートンやシェークスピアを生んだと歴史を誇るだろう。日本人はなんと言えるだろうか。世界文化に貢献した人が誰かいるだろうか。そういう人が故郷から出た方がずっと誇るべきことだと思う。戦国大名などをいつまで誇りにしていていいんだろうか。僕はつい思ってしまうんだけど…。ついでに書いておくと、後北条氏(特に北条氏康)と毛利元就はもっと評価が高くなってもいいと思う。毛利元就など嫌な人物だと思うけど、のし上がる実力は戦国ベスト級だろう。
(1570年頃の戦国大名)
その前に、なんで戦国大名に愛着を持つ人が多いのかを簡単に。「戦国大名」と言っても、全国ブランドは限られている。でも多くの地域に戦国大名がいた。ほとんどは城跡だけになってルけど、お城もあった。その大名や城は今となっては「町おこし」の観光資源だ。もしかしてNHKの大河ドラマにでもなれば、多くの人が訪れる。金目当てと言うだけでは不当だろう。地域のアイデンティティであり、郷土の英雄である。地域を誇りに思う人にとって、戦国大名が重要な歴史の核となるのも判る気がする。
その前に考えておくべきなのは、「地方行政」の連続性である。律令制で決められた畿内七道の66ヶ国(壱岐と対馬を入れると、68国)が江戸時代まで続いた。明治になって「道府県」に変わるが、ほぼ昔の国を合わせて県になっている。それも当然で、もともと日本は山がちだから、山や川の自然国境がある。戦国大名もさかのぼれば多くは守護大名や地頭などから発した一族が多い。甲斐国はそのまま山梨県で、四囲を山で囲まれた盆地地帯だから、地方統一権力が作られやすい。それが源氏名門の武田氏で、南北朝時代に守護となってから続いてゆく。
(1581年頃の戦国大名)
そのように今に続く地理的、政治的な連続性がある地域では、戦国大名が今も郷里の英雄なんだろう。でもちょっと調べていくと、どうも戦国大名が嫌になってくる。もちろん彼らは思想や大義のために戦っているのではなく、自家の生き残りをかけて戦っている。家というか、時には「自分自身の権力」を守るためでもあり、親も子もない非人情の世界を生きていた。典型的なのが武田信玄で、正直嫌になってくる。甲斐だけで見ると、治水もした名君だが、信濃に侵攻すると新たな占領地の方が年貢も重い。立場を変えれば「露骨な侵略軍」だったのである。
侵攻された信濃の大名が越後の上杉謙信(長尾景虎)を頼った。謙信は「義」のために立ちあがったなどと言う人いるが、果たしてどうなんだろうか。もともと上杉氏は室町幕府の「関東管領」で、上杉の名前を禅譲されたわけだから、関東に出兵する理由はある。しかし、本国が雪に閉ざされた冬に関東に侵攻することが多かった。一時は小田原まで侵攻したんだから、オスマン帝国のウィーン包囲のような感じか。すごいと言えばすごいけど、そこまでする意味があるんだろうか。実際、関東制覇はならずに撤退するしかなかったんだし。
織田信長を「革命家」ともてはやす人がかつては多かった。今では「楽市楽座」は信長以前からあったし、「長篠の戦い」の鉄砲戦術も見直されている。もう少し生きていたら、朝廷から征夷大将軍に任じられていた可能性があると今では思われている。それにしても信長は「殺し過ぎ」だろう。一方で信長の統一権力に抵抗した「一向一揆」も、かつては「農民戦争」などと革命のロマンを思い入れる人がいた。しかし、今では本願寺も戦国大名のような勢力だったとされる。
戦国大名は勝った側、続いた側が名前が残って、知名度が高くなる。負けて滅んだ明智光秀や石田三成も人気があるじゃないかというかもしれないが、織田豊臣権力内部で上層にあった人だ。織田・豊臣・徳川の統一戦争最終盤に関わる人物だから、知名度が高くなる。真田幸村(信繁)なども同様で、そこまで行くと「敗者のロマン」を感じられるわけだ。そのような「決勝トーナメント敗退」ではなく、一次リーグ敗退組、つまり朝倉や浅井などは評価が低い。あるいは「地方大会」の敗者である九州や四国、東北などの小さな大名もあまり出て来ない。
日本ではタテマエ上は律令制がずっと続き、天皇と左右大臣などの朝廷機構が明治になるまで続いていた。武家の頂点である「征夷大将軍」は天皇に任じられた軍事官僚のトップにすぎない。だが実質は将軍家力が全国を支配していた。つまり「軍事政権」だったわけだ。明治維新以後も、政権を運営していた人の大部分は「武士階級出身」で、内面は武士精神だった。だからこそ、近代になって日本が軍事国家として「成功」したわけだろう。日本史の主要な時期が「軍事政権」だったことが、現代日本の経済や教育などに多くの影響を与え続けたのではないかと思う。
イギリス人だったら、自分たちはニュートンやシェークスピアを生んだと歴史を誇るだろう。日本人はなんと言えるだろうか。世界文化に貢献した人が誰かいるだろうか。そういう人が故郷から出た方がずっと誇るべきことだと思う。戦国大名などをいつまで誇りにしていていいんだろうか。僕はつい思ってしまうんだけど…。ついでに書いておくと、後北条氏(特に北条氏康)と毛利元就はもっと評価が高くなってもいいと思う。毛利元就など嫌な人物だと思うけど、のし上がる実力は戦国ベスト級だろう。