尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ゴーン事件考④国策捜査編

2020年01月13日 22時51分47秒 | 社会(世の中の出来事)
 森法相宣わく、日本では「的確な証拠によって有罪判決が得られる高度の見込みのある場合に初めて起訴する」ということだから、カルロス・ゴーン被告は「有罪判決が得られる高度の見込み」があるわけである。しかし、有罪率は99%であり、わずかながらではあるが無罪判決の可能性もある。ただし、「被告・弁護側が無罪を証明すれば」である。森法相ツイッターで「潔白というのなら司法の場で無罪を証明すべきだ」と発言し、さすがに「証明」は「主張」に訂正したけれど、刑事裁判の実務感覚では「弁護側が無罪を証明しない限り、なかなか無罪にならない」というのが実感だと思う。

 弁護側の反証どころか、起訴状も不明なまま裁判は凍結されそうだ。だから、実際にどのような判決だったかは判りようもないんだけど、あえて言えばやはり「有罪の可能性が高い」のだと思う。それはこの事件の性格や経緯、あるいは日本の裁判の判決傾向を考えると、なかなか無罪判決は難しいだろうと考えるからだ。「有価証券報告書編」で書いたように、僕は今回の「事件」は形式犯であり、法律上も議論の余地があると思っている。しかし、それでも起訴しているわけだから、証拠上も法解釈上も文言上は有罪になり得るものがあるんだと思う。
(2019年4月、保釈時のゴーン被告)
 今回は検察側は日産側と「司法取引」をしていた。日産側が自ら書類を提出しているんだから、「有罪」証拠がないとおかしい。それは「形式上」のものかもしれないが、近年の裁判では「形式」さえ満たしていれば有罪が出ていることが多い。僕が思い出すのは、2004年に起こった「立川反戦ビラ配布事件」である。イラクへの自衛隊派遣に反対するビラを自衛隊官舎内で配布したというものである。3人が「住居侵入罪」で起訴され、1審で無罪ながら、2審で罰金20万、10万となり、最高裁で確定した。

 この事件の場合、そもそも階段や通路が「住居」かという問題もあるが、一応「立ち入り禁止」区域だったことは間違いない。だが商業チラシなどは自由に配布されていた。そっちは違法性を問わず、反戦ビラを取り締まるのは「表現の自由」に反するのではないか。1審では「住居侵入罪」の成立を認めながら、処罰するほどの違法性はない(可罰的違法性阻却)とした。これは僕には常識的な判断だと思うが、上級審で覆されてしまった。何人も他人が管理する場所で無断で政治的意見を表明する自由はないというのである。ちなみに被告たちは、75日間勾留されていた。

 そのような「何としてでも有罪」は、特に「国家的な重大事件」の場合に多く起きる印象がある。反戦ビラ事件は軽微な事件だが、イラクへの自衛隊派遣は国家的な大問題だった。経済事件や汚職事件などの場合は、「国策捜査」という言葉もある。鈴木宗男氏の事件に連座した外務省職員(当時)の佐藤優氏は、ほとんど犯罪を構成しないような事案で逮捕され、偽計業務妨害で懲役2年6ヶ月、執行猶予4年が確定した。執行猶予が付くレベルの事件でありながら、512日間勾留された。保釈後に出版した「国家の罠」では、検事が「国策捜査」と発言したと書かれている。

 「国策捜査」なんてものはないという意見もあるが、それはその通りだと思う。特捜部の事件がすべて政治が決定しているなんて言ったら、今「IR汚職」が捜査されている理由が判らない。だが「検察がメンツを賭けて有罪を求める」レベルなら、裁判所が「忖度」することはあると思う。裁判官が政権を気に掛けるとは思わない。だが「上級審の判断を気にする」のはあるだろう。自分たちが下した判断が最高裁で逆転するならば、「出世」に差し支えるだろう。それに裁判官と検事は人事交流がある。あり得ない感じだけど、「判検交流」はけっこう盛んである。同じ事件で担当替えはしないけれど、裁判官と検事は「国家秩序を守る」立場で共感しているのではないか。

 ゴーン事件は、国際的大企業で起きた事件で世界的な反響を呼んだ事件だ。「今さら無罪でした」では、日本の「国家的メンツ」はつぶれてしまう。それもあるだろうが、この事件は2016年に成立した刑訴法改正で実現した「司法取引」の適用第2例だった。刑事司法における司法取引そのものが争点になるだろう。弁護側は当然のこととして憲法違反を申し立てるだろう。司法取引そのものに対する憲法判断が問われる。そこで「違憲判断」をすれば、多くの裁判に影響を与える。そういう裁判になるんだから、2年、3年では決着しない。間違いなく10年は掛かる。そして恐らくは、形式的な根拠が整っているとして有罪が確定する。執行猶予レベルの事件だけど。そんな裁判に付き合いたくないと思ったとしても、そのこと自体は責められないような気がするんだけど。
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