尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「あゝ、荒野」はすごい

2017年10月22日 18時34分47秒 | 映画 (新作日本映画)
 寺山修司の長編小説を菅田将暉ヤン・イクチュン主演で撮った岸善幸監督作品「あゝ、荒野」。前後篇合わせると5時間もする長い映画だけど、ものすごい熱気と迫力に心打たれる映画だった。時代を60年代から21世紀に動かして、大震災から10年、東京五輪から1年という2021年に設定した。(後篇は翌年の2022年。)今以上に閉塞した「近未来」の社会で、もがく人々を描き出す。ネット配信中心の公開で、映画館の大画面で見られる機会は限られているようなので、要注意。
 
(淀川長治風に)
 「あゝ、荒野」如何でしたか? 凄かったですねえ。痛かったですねえ。でも、ホントはこの映画、怖い、怖い、怖い映画なんですねえ。2021年、日本にもテロが起こってるんですねえ。自殺する人も多いんですねえ。そんな時、新宿で知り合った恵まれない二人が、ボクサーを目指します。トレーニングを積んで、ついにプロボクサーになります。それで勝って、勝って、チャンピオンを目指すっていうのが、今までのボクシング映画。でも、この映画は違うんですねえ。(淀川風終わり)

 この映画のベースは、ボクシング映画。ちょっと細身の菅田将暉も半年に及ぶ肉体改造トレーニングで、どんどんボクサーみたいになっていく。韓国の映画監督、俳優のヤン・イクチュンも、内気で吃音の理髪師という難役を見事にこなしている。この二人のボクシングシーンは数あるボクシング映画の中でも出色の激しさだ。だが、ボクシングというスポーツを見ているというよりも、ほとんど生き方のぶつかり合いであるような設定が心に突き刺さる。

 ところは新宿。ラブホテルはそのまま介護施設になっている。そんな片隅にぼろい「海洋(オーシャン)拳闘クラブ」が時代に取り残されたように立っている。元ボクサーのユースケ・サンタマリアが選手を探していると、そこに沢村新次(菅田)と仁木健二(ヤン)が現れる。新次は父が自殺し、母に捨てられ、振り込め詐欺に関わり仲間うちの裏切りで捕まり、少年院を出てきたばかり。裏切って友人を障がい者にした裕二(山田裕貴)に復讐をしたいが、今はボクサーになった裕二にかなわない。健二は吃音と対人恐怖で人と交われないまま生きてきた。韓国人の母が死ぬと、日本人の父に連れて来られて日本に住むが、元自衛官の父の暴力に耐えかねていた。

 という「超訳あり人生」の二人が、プロボクサー「新宿新次」と「バリカン健二」となって、どのように生きていくか。後篇ではついに「宿敵」の裕二と新次戦が組まれる。しかし、新次が兄貴と慕うバリカンは、自分を見つめなおすために、あえて他のジムに移籍し、新宿新次との対戦を望むのだった。という壮絶なボクシング試合が後篇に出てくる。これはどうやって撮ったんだというほどの迫力で、5日間続けて撮影されたという。何台ものカメラでドキュメント風に撮影され、痛みが見るものに伝わる。

 そういうボクシング場面の中に、新次をめぐる人々が描かれる。また、「自殺防止委員会」を名乗る活動を続ける人々が描かれる。バリカン健二の父は、かつて自衛隊の海外派遣時に暴力をふるい多くの人々を自殺に追い込んだと非難されていた。その一人が新次の父だった。今は病気を持って、自殺を願っている。そういう人々を救おうとする「自殺防止委員会」の活動は、ついにある日の一大イベントに至る。その頃に日本では、「社会奉仕プログラム法」ができていて、多額の奨学金に苦しむ人が自衛隊や介護施設で働くと減額される仕組みが出来ていた。「経済的徴兵制」と呼ぶ反対運動が盛んに行われている。後篇ではついに政府が「社会奉仕」を志願から義務にしようとしている。

 新次が新宿で知り合った曽根良子木下あかりの大熱演)は、被災者である。10年前の大津波で家を失い、その後「仮設」で暮らしてきたが足の悪い母を置き去りにして新宿に出てきた。体を売ったりして最底辺で生き抜いてきて、新次と知り合った。新次は彼女を大切にしながらも、時にはボクシングのためにおざなりの対応を取る。たまにはどこかへ行きたいと訴え、バリカンを含め三人で海へ行くシーン。津波で唯一残った小さな赤い靴を投げ捨てるが、波に揺られて戻ってくる。

 この映画の迫力はどこから来るのだろうか。寺山修司の原作は読んでないけど、このような複雑な人間関係を描くのではなく、もっと詩的な小説でバリカンが主人公なんだという。それを21世紀に移したことで、「仲間殺し」の社会というテーマがくっきり立ち上がってきた。永山則夫の犯罪が「仲間殺し」だったように、この映画に出てくる人々はみな連帯するのではなく、仲間どうしで傷つけあって生きている。その息苦しさ、苦しさが見ているものにも伝染するかのごとき、つらい映画である。だけど、それでも肉体で何ごとかを表現しようとした新宿新次とバリカン健二の苦闘を通してしか、僕らの未来は見えてこない。そういう力強い肉体のメッセージを発しているのがこの映画だと思う。

 ラストの新次とバリカンの長い長い闘いは、まさに生きる苦しさが伝わってくる。映画内で彼らを見ている人々も、皆泣いている。実際に撮影していたスタッフも、泣いて見ていた。それほどの苦しい映画だし、見ているこちらも辛くて、怖くて、見続けるのが大変だ。まあ、ホントに打ち合っているわけではないわけだが、これが映像の表現力だろう。岸善幸監督(1964~)はテレビマンユニオンでドキュメンタリーを作っていた人で、劇映画は昨年の「二重生活」がデビュー作。原作に寄りかかっている感じで、僕は途中でどうもを思い始めたのでここでは書かなかった。(門脇麦はなかなか良かったけど。)今回は良かったと思う。まあ、ネット配信を考えたか、クローズアップの多い手法に少し違和感もあるけど、逆に心に訴える迫力が増しているかもしれない。
コメント (1)
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