尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

留年してはいけないのか?-高校授業料問題を考える③

2011年08月22日 00時11分18秒 |  〃 (教育行政)
 さて、この問題を書いてしまおう。今まで書いたことは、そもそも高校授業料無償化は国際的常識であり人権問題であるということ。朝鮮高級学校通学者への適用凍結は差別であり、民主党政権の説明した制度の理解からもおかしいということ。今、菅政権が退陣間近になり、この二つの点は改めて確認しておく必要があると思う。でも、まあこの2点なら他にも言ってる人はいるだろうと思う。

 今日書くことは、ほとんど誰も知らない。関係する生徒と教員と学校事務職員くらいしか知らない。
 さて、制度の趣旨は「若い世代の学びへの支援」だと昨日書いたけど、高校は義務教育ではない。行かなくてもいいし、中途退学する生徒もかなりいる。一方、高齢になって夜間定時制に入り直すとか、20歳を超えて通信制に入学するということも多い。(僕も何十人と知っている。)では、年齢制限の制度を作るべきだろうか?例えば、20歳を超えた成人生徒は有償とするとか。
 そういう制度はない方がいいだろうと思う。で、実際そういう仕組みは作られなかった。高校卒業は、いろいろな資格を受験する前提となっていたり、求人に応募する条件だったりするので、できるだけ多くの人が高校は修了していた方がいい。いろいろあって20歳超えてやり直したり、高齢になって高校へ行きたいというような人は、生涯学習や健康増進の見地からも支援した方がいい。もともと定時制や通信制の授業料は安いんだから、数からいえばわずかな生徒のために徴収の手間の方がかかってしまう。

 で年齢制限はないのだが、「年限制限」は入ってしまった。つまり、全日制高校では3年、定時制・通信制高校では4年、その間の授業料が無償となる。従って、いわゆる「留年」「落第」したら、卒業する年は授業料がかかるのである。実際、自分は昨年度に定時制高校(単位制)の5.6年次生を担当したので、4年までの生徒は無償になったのに担任した生徒は授業料がかかった。

 高校の課程は、全日(ぜんにち)、定時、通信と3つある。全日制や定時制の多くの学校は、「学年制」を取っている。通信制と全定の一部の高校は「単位制」である。(アメリカなんかは高校はみな単位制なんではないかと思う。)日本では小中は落第がないので、同年代集団として学年進行して、クラス集団で授業を受ける。ほとんどの高校も同じで学年単位で授業を受けるが、高校は「落第」がある。大体の全日制高校で、出席不足、成績不良の科目があると「進級」が認められない。(細かい決まりは学校ごとに少し違うだろうが。)これを学校用語では「現級留置」(げんきゅうりゅうち)と呼び、略して「げんとめ」と言ったりする。普通は「留年」と言うだろう。病気や事故などで長期入院したりする場合は別として、全日制高校ではなかなか留年がしにくい。同年齢集団からはずれるのは恥かしいので自主退学する場合が多いし、事実上学校にいられないようなムードの転学指導を行うところもあるのではないか。しかし、とにかく様々な理由で留年する生徒がいる。病気で入院すれば「休学」できるのに(休学中は授業料がもともとかからない)、戻ってきて卒業の年に授業料がかかったりしたらおかしいではないか。(さすがにそういう場合は特例で免除する都道府県が多いらしい。)

 一方、単位制の高校(通信制や一部の定時制高校)などでは、「正規の年限は4年」としながらも、早ければ3年でも出られるし、健康や経済的問題があれば5年、6年かける生徒もいる。通信制では事実上もっと長くいる生徒がいるかもしれない。5年、6年かけるのを勧めるわけではないけれど、自分で経験したことで言えば、病気などですぐに登校できる状態ではない生徒はかなりいる。多くの元気な生徒が卒業した4年目くらいから徐々に登校できるようになり、成人になって卒業する生徒もいる。どのくらいいるかと言うと、自分の経験した高校で言えば1割を超える生徒が5年、6年目までいる。(在籍は6年間というルール。)これはかなりの割合ではないかと思う。

 だから、5年、6年目になると授業料がかかるわけだが、今度はそれまで適用されていた「授業料減免措置」が生きている。生活保護家庭はもとから無料だし、経済的に困窮する家庭は(面倒な書類がいっぱいいるが)授業料が減額される。ところで5年以上いるということは、親も病気で働けないとか単親家庭で経済的に苦しい場合などが多く、生徒もアルバイトが大変だったり病気持ちで長く通院している場合が多いように思う。単なる印象だが、5,6年までいる生徒の半数程度は減免の対象ではないかと思う。

 これではわざわざ「年限制限」をする意味は何なのだろうかと思う。もともと定時制、通信制は授業料が安いのに、面倒な事務手続きばかり多くて、徴収金額より徴収事務費の方が多いくらいではないか。そういう観点からも無意味だが、そもそも単位制高校の存在理由からして、何年かけても卒業まで頑張るという生徒を支援するべきだ。元気な生徒はアルバイトもして3年で卒業していく。具合が悪くてアルバイトもできない生徒が5年目、6年目になると授業料が発生する。逆だろ、と思ったりする。ウィキペディアによれば、半数以上の都道府県が年限を超えた生徒の授業料を取っていないという。しかし、東京都では徴収している。国は正規の年限分しか出さない。都立学校の問題だから都議会で条例で、正規の年限を超えたら取ると決めた。取ってない県では、県の負担で無償にしているのである。だから東京を始め、もう高校生全員を無償にして欲しいのだが、国自体が制度を変えて欲しいと思う。

 やり直しのきく社会、いろいろのコースが用意されている社会の実現のために、高校授業料無償と言う以上は「高校生である間は全員が無償」と言う方がすっきりするではないか。この問題は関係する人は極めて少ないのだが、実は大変大事な問題をはらんでいるのではないか。考えて欲しい。
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