尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「映画俳優 志村喬」展を見て、志村喬を振り返る

2015年10月18日 22時03分50秒 |  〃  (旧作日本映画)
 フィルムセンターで「生誕110年 映画俳優 志村喬」をやっている。また大ホールでは、関連作品を4回にわけて上映している。見ている映画が多かったり、旅行や仕事でうまく合わなかったりしたが、今日(10.18)の今井正「砂糖菓子が壊れるとき」はいつも見逃しているので、見ておこうと思った。その後、展覧会の方も見て、もう一本「男はつらいよ 寅次郎恋歌」も見て来た。

 志村喬(1905~1982)と言えば、何と言っても黒澤明の「生きる」である。あるいは「七人の侍」である、とまあ、誰もがそう思う。映画ファンならいつかは見るだろうし、見れば永遠に忘れられないのが志村喬という俳優である。他にも、「酔いどれ天使」や「野良犬」、「醜聞」など黒澤映画の初期には欠かせない俳優だった。「戦後」という時代のイメージを、多くの黒澤映画で共演した三船敏郎とともに形作った一人である。だけど、どういう人なのか、あまりよく知らない人が多いだろう。

 もっとも志村喬には、僕の敬愛する澤地久枝さんの「男ありて」という評伝風の作品がある。1994年に出たこの本は、出た当時に読んで感銘を受けたが、もう20年以上前のことになってしまい、細部は忘れてしまった。だから、この展覧会で、家族のこと、舞台俳優時代、戦前の主に時代劇の脇役が多かった時代、夫人のことなどがいっぱい判って興味深かった。黒澤作品のシナリオなども展示されているが、個人的には志村喬という人の個人的な部分が面白い。というのも、このいつも仏頂面している感じながら、時に感情をあらわにするほどの激情を見せる、貫録たっぷりの老俳優がずっと好きだったのである。まあ、日本映画が好きな人で、志村喬を嫌いな人は誰もいないだろうが。

 黒澤映画の印象が圧倒的な志村喬だけど、もちろんその他のたくさんの映画に出ている。戦前・戦中期に時代劇の出演が一番多いことを今回知った。中でも、先の澤地さんの本の題にもなっている「男ありて」のプロ野球監督、あるいは「お吟さま」の千利休役などは非常に感銘深い。戦前の「鴛鴦(おしどり)歌合戦」という不思議なミュージカル時代劇では達者な歌も披露している。「ゴジラ」では博士役だし、「次郎長三国志 第八部 街道一の大親分」の身受山鎌太郎という親分役の貫録はものすごい。この役はその後も演じたし、任侠映画での親分役は他にも何本かある。これがなかなかいい。

 「砂糖菓子が壊れるとき」はマリリン・モンローの人生を日本に移した曽野綾子の原作を今井正が映画化したもの。今井作品としては大したものではないが、主演の若尾文子を見るという意味では非常に大切な映画だと思った。志村喬は恵まれない女優だった若尾を見出し売り出して、結婚を申し込む芸能プロの社長。ちょっと無理がないでもないが、こういう役柄もオファーされる俳優だったのである。志村喬の社長は、熱海の別荘で倒れて、あっという間に死んでしまう。

 「男はつらいよ」シリーズでは、寅さんの妹さくらの夫、博の父親役をやった。何回も出てる印象だが、リストを見たら3回だった。意外な感じがする。第一作で、さくらは裏の町工場の労働者と仲良くなり、いろいろあるが親が結婚式にやってくると、これがインド哲学を教える老大学教授だったという設定。いかにも志村喬にふさわしい役柄だった。出た回数は少ないが、寅さんシリーズの重要メンバーである。

 「寅次郎恋歌」(1971)は第8作で、シリーズの評価が高くなって、この映画から洋画ロードショー館での公開も始まった。最近見直した寅さん映画は覚えているのだが、リアルタイムで見た映画はどれがどれだか、よく覚えていない。この映画も見たと思いつつ、よく覚えていなかったのだが、志村喬の父親が寅さんに「日常生活の大切さ」を説く場面で、見ていることをはっきり思い出した。その後、志村喬が柴又へやってきて、幼い満男(中村はやとの時代)を膝にのせて可愛がっている場面があった。

 この展示のチラシの志村喬は喫煙シーンの写真が使われている。昔は男は大体喫煙者だし、会議中はもちろん、医者も患者もタバコを吸っている。「砂糖菓子…」でも、産婦人科医が患者の家族に説明するシーンで喫煙している。「映画の中のタバコ」をずっと調べてみれば面白いと思う。それはともかく、「生きる」や「七人の侍」など名場面がいくつもあるのに、何も喫煙シーンをチラシにしなくてもいいだろう。喫煙写真をチラシに使うというのは、今は避けるべき行為だと思う。
(追記)(10.19)
1.志村喬は兵庫県北部の生野銀山が生地だったとこの展示で初めて知った。生野銀山に志村喬記念館があるということも出ていた。いつか行ってみたいものだ。書き忘れ。
2、志村喬の役柄として、「牝犬」(木村恵吾監督、1951)の、京マチ子の色気に迷って人生を棒に振る男というのがあった。「生きる」と同年の映画である。いうまでもなく、「嘆きの天使」のエミール・ヤニングスと同じだが、ヤニングスは志村喬の好きな俳優に入っていた。京マチ子はマレーネ・ディートリッヒにも負けないビッチぶりを発揮している。堅気の会社員だった志村が、浅草の踊り子に夢中になった部下を探しに行って、逆に人生を誤ってしまう。こんな情けない役を堂々と演じられる人はいない。
3.助演の任侠映画では、マキノ雅弘監督、高倉健主演の「侠骨一代」(1967)が最高だと思う。
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2 コメント

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『男ありて』は、 (さすらい日乗)
2015-10-19 08:19:39
先日、久しぶりに映画『男ありて』を見て、驚愕しました。
こんなにひどい映画だったのかと。
今見ると信じられないくらい自己中心的な男の映画で、その意味では昔の日本の男は自己中そのものだったことを現わした貴重な作品だと言えますが。
沢地久枝の本は素晴らしいと思います。

実際の志村喬夫妻は、あるレストランで見かけたことがあります。渋谷の東急本店の上で、一緒に行った女性が「あのひと、有名な方じゃない・・・」と言い、私もやっと気づきました。
非常に静かにお二人で食事されていました。
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そうなんだ… (ogata)
2015-10-19 21:24:28
 時間を隔てて映画を見直すと、いろいろ判りますね。堀川弘通監督の「白と黒」を見直したら、入院している小林桂樹がベッドで喫煙しているシーンがあって、驚愕したことがあります。特に映画は、その時代の通念が画面に映し出されていることが多いのでしょう。

 「男ありて」は、僕も名作だと思い込んでいたのですが、今回の企画で見直してみたいと思います。澤地久枝さんの「男ありて」は、文庫から消えているので、どこかで出して欲しいですね。
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