尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『碁盤斬り』、格調高い運命ドラマ、草彅剛が名演

2024年06月01日 21時58分54秒 | 映画 (新作日本映画)
 『凶悪』『孤狼の血』などで知られる白石和彌監督の新作『碁盤斬り』は、最近の日本映画の中でも出色の出来だった。古典落語「柳田格之進」を基に話を発展させた白石監督初の時代劇。2時間を越えるが、常に緊張感が漂う画面が素晴らしい。草彅剛が演じる主人公柳田格之進に対し、敵役柴田兵庫斎藤工)が登場すると、人間を見つめるテーマ性がくっきりと浮かび上がってくる。このラスト近くの展開は落語にない部分らしい。脚本の加藤正人は自ら小説化(文春文庫)もしていて、貢献が大きい。

 柳田格之進はかつて彦根藩に仕えていたが、身に覚えのない罪を着せられ藩を追われた。妻も失い、今は江戸の裏長屋に娘お絹清原果耶)と暮らしている。その事情は後半になって明らかになるが、とにかく「冤罪被害者」でありながら卑屈にならず清廉潔白に生きている。碁が得意だが、碁を打つ時も真っ直ぐに碁を打つことを心がけ、賭け碁などはしない。草彅剛はこの主人公をまさに彷彿とさせる名演で、最初に見た時はその見事な生き方に敬愛の念を抱くだろう。同じように彼を敬愛したのが、質屋を営む萬屋源兵衛國村隼)だった。碁会所でふとしたことから知り合い、その高潔な碁風にひかれていったのである。
(格之進とお絹)
 裏長屋に浪人が娘とひっそり暮らすというのは、例えば2023年の『せかいのおきく』(阪本順治監督)と同じで、多くの時代劇に共通する定番設定だ。それなりの武士がそこまで落ちぶれるには、秘められた過去がある。そこは普通あまり突っ込んでは描かれないが、この映画では後半になってその部分に合ってくる。さて、格之進と源兵衛はよき碁友となり、月見の会に招かれることになる。この時萬屋で五十両が紛失するという事態が起き、格之進は部外者として疑いを掛けられる。武士に向かってあらぬ疑いを掛けるとは言語道断。同じ頃かつての冤罪の真相も判明し、父と娘は悲愴な決意をするのだが…。
(格之進と源兵衛)
 ところがこの辺りから、清廉な人格者と思っていた格之進の「もう一つの面」が見えてくる。あまりにも狷介(けんかい=頑固で自分の信じるところを固く守り、他人に心を開こうとしないこと)で融通が効かない。もちろん支配階級である武士が「正しさ」を貫くのは当然ではあるが、柴田兵庫は後に格之進に向かって言う。「賄(まいない)は世の習い」で、収入の低い下級武士にはやむを得ぬ習慣だった。格之進がそれをいちいち取り上げて上訴したために、何人もの武士の妻子が苦しむことになったと。
(柴田兵庫)
 「柴田兵庫」という人物を創ったことで、運命ドラマは格段に深くなったと思う。ここではラストには触れないことにする。実はこの落語は名前を知ってはいたが、聞いたことがない。長い話なので、演目が公表されるホール落語じゃないと演じる機会が少ない。だから僕はラストは知らずに見たわけだが、知ってても同じように見入ったと思う。一応想定通りに落ち着くのだが、格之進はまだ腑に落ちなかったようだ。映画を見ていて「こういう人」は時々いるなあと僕は思った。格之進のように「正しい人」「義を貫ける人」である。間違ってはいないが周囲にあつれきを生むのである。どう対応すれば良いのだろう。
(白石和彌監督)
 白石和彌監督は2018、2019年など一年に3作品も監督していた。コロナ禍でペースが落ちたようだが、何だか久しぶりに見た気がする。初めての時代劇はどこにも破綻なく一気に見られる。当時の碁盤などは日本棋院が全面的に協力して古風を再現しているという。それも見事。碁を打つシーンが多いが、碁のルールを知らなくても見られる。それは和田誠監督『麻雀放浪記』(阿佐田徹也原作)と同様だ。(そう言えば、怪作『麻雀放浪記2020』の監督は白石和彌だった。)なんと言っても草彅剛が『ミッドナイトスワン』を越える名演だった。「狷介」ぶりを見事に演じていて見ごたえがある。

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