尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

イオセリアーニ、ライアン・オニール、ドロール他ー2024年12月の訃報①

2024年01月04日 22時23分18秒 | 追悼
 2023年12月の訃報特集。一般的には12月に亡くなった人をあまり思い出せないんじゃないかと思う。今回は一回で終わると思っていたが、振り返ると特に日本で「忘れられていた」(高齢により活動期から時間が経ってしまったため)訃報が結構多かった。まず外国人の訃報から。ジョージア、フランスの映画監督オタール・イオセリアーニが、12月17日にトビリシ(ジョージアの首都)で死去、89歳。2023年に日本でほぼ全作品上映の映画祭が行われた。とぼけたユーモアや人生賛歌が人気で、今後の上映も期待したい。ソ連の「グルジア」時代に作った『落葉』『田園詩』などが岩波ホールで上映され、我々はその名前を知ることになった。しかし、社会風刺の効いた作品が疎まれ、ソ連で上映出来なくなり、1979年にフランスに移住して映画を作り続けた。
(オタール・イオセリアーニ)
 フランスに移っても作風は全然変わらず、『蝶取り』(1992)『素敵な歌と舟はゆく』(1999)、『月曜日に乾杯!』(2002)、『ここに幸あり』(2006)など、人生を肯定する映画を作った。深刻にならず、好きなように生きる人物を描くことが多く、それが理想だったんだろう。その反面、登場人物のドラマ的な葛藤には乏しく、計算された映像でつづる詩のような作品が多い。2010年の『汽車はふたたび故郷へ』で自伝的にジョージア時代を描き、2015年の『皆さま、ごきげんよう』は再びパリの人々を温かく描き遺作となった。まあ、作風が似てて飽きるところもあるが、ほのぼのしてて気持ちが晴れる。
(イオセリアーニ監督『落葉』)
 アメリカの俳優ライアン・オニールが12月8日に死去、82歳。もうほとんど70年代の人で、昔の人気を知らない人が大半だろう。テレビで活躍後、70年に大ヒット作『ある愛の詩』(Love Story)に主演した。「アメリカン・ニュー・シネマ」全盛期に真逆の大恋愛+難病ドラマが大受けしたのである。オニールの「愛とは決して後悔しないこと」というセリフも有名。(なお、「詩」を「うた」と読ませるのもこの邦題から。)続いて、娘のテイタム・オニールが10歳でアカデミー賞助演女優賞を獲得(最年少記録)した『ペーパー・ムーン』(1973)、キューブリック監督の大作『バリー・リンドン』(1975)の18世紀ヨーロッパを渡り歩く主人公などで知られる。その後は度重なる恋愛遍歴や闘病(白血病やガン)が話題になった。21世紀になって、テイタムが自伝を発表し父親に虐待されたと告発したが、子どもたちは薬物中毒で苦しむことが多く、父親の責任を否定出来ない。
(ライアン・オニール)
 俳優では韓国のイ・ソンギュンが12月27日に死体で発見された。薬物疑惑が取り沙汰されていたため自殺と見られている。48歳。『パラサイト 半地下の家族』で、主人公一家が取り入る社長を演じていた人である。他に映画『キングメーカー 大統領を作った男』、テレビドラマ多数。
(イ・ソンギュン)
 イタリアの政治哲学者アントニオ・ネグリが12月15日死去、90歳。アメリカの哲学者マイケル・ハートとの共著『〈帝国〉』や『マルチチュード』でグローバル化時代に多国籍企業や国際機関が権力を持つ世界秩序を論じて、大きな影響を与えた。一方で、1979年にモロ元首相暗殺事件などテロ事件の指導者とみなされ逮捕・起訴されたことでも知られる。事件への直接的関与はなかったものの、過激な言論活動の責任に関して有罪となった。1983年に獄中立候補して国会議員に当選、不逮捕特権で釈放され、フランスに亡命して活動した時期もあった。マルクスやスピノザの研究者としても知られ多くの邦訳もあるが、全然読んだことはない。
(アントニオ・ネグリ)
 フランスの政治家ジャック・ドロールが12月27日死去、98歳。フランスのミッテラン政権で財務相などを務めた後、1985年から95年まで欧州委員長となり、欧州単一通貨「ユーロ」導入を進めて「ユーロの父」と呼ばれた。93年には欧州連合条約が発効し、EU(ヨーロッパ連合、それまではヨーロッパ共同体=EC)となった。ヨーロッパ統合に夢を求めた時代の代表的政治家である。
(ジャック・ドロール)
 アメリカ初の女性最高裁判事サンドラ・デイ・オコナーが1日死去、93歳。1981年にレーガン大統領によって指名され(上院で承認)、2006年に引退するまで務めた。それ以前はアリゾナ州議会議員やアリゾナ州裁判所判事などをしていた。最高裁内では次第に保守派から中間派に移り、キャスティングボートを握ることが多かったとされる。
(サンドラ・オコナー)
ファニータ・カストロ、12月4日没、90歳。キューバ革命指導者のフィデル・カストロ、ラウル・カストロの実妹で、7人の兄弟姉妹の中でただ一人革命反対派となり、1963年にアメリカに亡命した。
ロバート・ソロー、12月21日死去、99歳。アメリカの経済学者。1987年にノーベル経済学賞。ハーバード大学でサミュエルソンと共同で研究した。
レファト・アラリール、パレスチナの作家、詩人で、12月6日にイスラエルのガザ空爆で死亡した。44歳。ガザ・イスラム大学教授。没後に彼の詩「If I must die」(もし私が死なねばならないなら)が世界に知られるようになった。

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