ウクライナの映画監督セルゲイ・ロスニツァ(1964~)の『ドンバス』(2018)が日本で「緊急公開」された。この映画は2014年にウクライナから一方的に独立を宣言した「ドネツク人民共和国」を舞台に、13のエピソードで語られた作品である。統一的なストーリーはなく、事態をよく知らない人には映画の中身がよく理解出来ないのではないか。しかし、2022年になって、この地域で起こっていることは世界的な関心事になった。だからこそ「今見るべき作品」として「緊急公開」されたわけだが、見るものの映像リテラシー(読解力)が試される映画とも言えるだろう。
セルゲイ・ロスニツァは21世紀になって、様々な映画祭で受賞するなど注目されていたらしい。ドキュメンタリーと劇映画をともに作っていて、日本では近年『アウステルリッツ」『粛清裁判』『国葬』という3本のドキュメンタリーが公開された。しかし、劇映画の上映は初めてである。2018年のカンヌ映画祭「ある視点」部門監督賞を受賞している。「ある視点」部門は本選(コンペティション)に次ぐ「独自の作品」を対象にしていて、この年の審査員長はベニチオ・デル・トロだった。『ボーダー 二つの世界』というスウェーデン作品がグランプリ、他にビー・ガン監督『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』などがあった。
(ウクライナ地図=2014~2021)
一番最初は劇団員がメイクしているシーンである。彼ら彼女らはその後「地元住民」としてテレビで証言する。ロシアが解放してくれたなどとしゃべるわけである。「クライシス・シアター」とホームページでは呼んでいる。つまり、ロシアが流しているニュースは「フェイクニュース」だということになる。ただし、そこで注意すべきことは、「ドネツク人民共和国」で自由なロケが出来るわけがないことである。まるで記録映画のように撮られているが、もちろん場所はウクライナ側で、ウクライナの俳優が演じている「劇映画」のはずである。では、この映画こそウクライナ側のフェイクニュースなのか。恐らく違うだろう。ロシアだけでなく、「占領軍」の情報は疑って掛かる必要がある。ロシアによる「地元市民のねつ造」はあるんだと思う。
(偽りのインタビュー)
ここで使われたエピソードは全く自由に創造されたものではない。SNS等に挙げられた数多くの動画の中から取捨選択して作ったということらしい。西側のジャーナリストが取材に来て、司令官は誰かと聞く。アイツだ、アイツだと皆が言い合うシーンがある。兵士たちがジョークで遊んでいるように見えるけれど、このエピソードが意味するところは違うだろう。多くの戦争報道では司令官ははっきりしているし、自分から名乗り出るものだろう。ここで示唆されていることは、「ドネツク人民共和国」といっても、実は「ロシア軍が指揮している」ということなんだと思う。そのことは外部には明かさないことになっていて、指揮系統は部外秘なんだろうと思って僕は見ていた。しかし、他の見方もあるのかもしれない。
また「捕虜」を木に縛り付けて、皆でいたぶって「公開制裁」を加えるシーンがある。「捕虜」は自分は調理担当で、武器は取っていないと弁明するが、それでも「ウクライナに殺された」側の住民は激高して許さない。初めはただ若者たちがいたぶっていただけという感じだが、次第に多くの大人が集まってくる。そして、リンチを加えてしまう。こういうのは恐らくSNSにアップされた動画があるんだと思う。どっちの側であれ、一度殺し合いを始めてしまうと感情面のつながりは完全に消えてしまうのである。
(「捕虜」の公開制裁)
この映画を見ると、「独立派」(つまり親ロシア派)は完全に「ロシア」である。「ノヴォロシア」と自ら言っている(というシナリオ)で、「ファシスト」から郷土を守ると言っている。ドイツのジャーナリストが取材に来ると、「ファシストが来た」とはやし立てる。いや、自分はファシストじゃないと弁明するが、戦後ドイツの歩みを知らないのか。もちろん知っていて言ってるのだろう。つまり、ウクライナ側を「ファシスト」「ネオナチ」と罵声を浴びせているのは、単なる「記号的悪罵」であることがよく判る。日本でもロシア側の主張を真に受けて、ウクライナはネオナチが支配していたかのように論じる人がいるが、せめてクルコフ『ウクライナ日記』を読んで、『ドンバス』を見て論じるべきだろう。
(セルゲイ・ロスニツァ監督)
ロスニツァ監督はウクライナ侵攻後に激しくプーチンを非難しつつ、ロシア全般を否定してはいけないとも言っているらしい。その結果、ロシア側から非難されると同時に、ウクライナ映画界からも非難されている。そのような立場を考えてみても、この「ドンバス」という映画はロシアの侵略を批判する文脈で製作されたのは明らかだ。しかし、ここまで相手側を生き生きと描き出せるのは驚きだ。ここまでこじれてしまうと、もう元に戻れないのではと思ってしまう。映画ではどうしても「支配者」(ロシア)に従う人が出て来るので、「黙っている人々」が何を思っているのかはよく判らない。
ロスニツァにはまだまだ未公開の映画がたくさんある。もしかしたら外国の動画サイトにあるかもしれないが、そこまで探す気はない。2014年の「マイダン」という記録映画はぜひ見てみたい。「ウクライナ情勢」という問題意識抜きでは見られない映画だが、関心のある向きには必見。ミニシアターや名画座など上映会場が限られるが、是非。なお、「上映情報」はリンク先を。
セルゲイ・ロスニツァは21世紀になって、様々な映画祭で受賞するなど注目されていたらしい。ドキュメンタリーと劇映画をともに作っていて、日本では近年『アウステルリッツ」『粛清裁判』『国葬』という3本のドキュメンタリーが公開された。しかし、劇映画の上映は初めてである。2018年のカンヌ映画祭「ある視点」部門監督賞を受賞している。「ある視点」部門は本選(コンペティション)に次ぐ「独自の作品」を対象にしていて、この年の審査員長はベニチオ・デル・トロだった。『ボーダー 二つの世界』というスウェーデン作品がグランプリ、他にビー・ガン監督『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』などがあった。
(ウクライナ地図=2014~2021)
一番最初は劇団員がメイクしているシーンである。彼ら彼女らはその後「地元住民」としてテレビで証言する。ロシアが解放してくれたなどとしゃべるわけである。「クライシス・シアター」とホームページでは呼んでいる。つまり、ロシアが流しているニュースは「フェイクニュース」だということになる。ただし、そこで注意すべきことは、「ドネツク人民共和国」で自由なロケが出来るわけがないことである。まるで記録映画のように撮られているが、もちろん場所はウクライナ側で、ウクライナの俳優が演じている「劇映画」のはずである。では、この映画こそウクライナ側のフェイクニュースなのか。恐らく違うだろう。ロシアだけでなく、「占領軍」の情報は疑って掛かる必要がある。ロシアによる「地元市民のねつ造」はあるんだと思う。
(偽りのインタビュー)
ここで使われたエピソードは全く自由に創造されたものではない。SNS等に挙げられた数多くの動画の中から取捨選択して作ったということらしい。西側のジャーナリストが取材に来て、司令官は誰かと聞く。アイツだ、アイツだと皆が言い合うシーンがある。兵士たちがジョークで遊んでいるように見えるけれど、このエピソードが意味するところは違うだろう。多くの戦争報道では司令官ははっきりしているし、自分から名乗り出るものだろう。ここで示唆されていることは、「ドネツク人民共和国」といっても、実は「ロシア軍が指揮している」ということなんだと思う。そのことは外部には明かさないことになっていて、指揮系統は部外秘なんだろうと思って僕は見ていた。しかし、他の見方もあるのかもしれない。
また「捕虜」を木に縛り付けて、皆でいたぶって「公開制裁」を加えるシーンがある。「捕虜」は自分は調理担当で、武器は取っていないと弁明するが、それでも「ウクライナに殺された」側の住民は激高して許さない。初めはただ若者たちがいたぶっていただけという感じだが、次第に多くの大人が集まってくる。そして、リンチを加えてしまう。こういうのは恐らくSNSにアップされた動画があるんだと思う。どっちの側であれ、一度殺し合いを始めてしまうと感情面のつながりは完全に消えてしまうのである。
(「捕虜」の公開制裁)
この映画を見ると、「独立派」(つまり親ロシア派)は完全に「ロシア」である。「ノヴォロシア」と自ら言っている(というシナリオ)で、「ファシスト」から郷土を守ると言っている。ドイツのジャーナリストが取材に来ると、「ファシストが来た」とはやし立てる。いや、自分はファシストじゃないと弁明するが、戦後ドイツの歩みを知らないのか。もちろん知っていて言ってるのだろう。つまり、ウクライナ側を「ファシスト」「ネオナチ」と罵声を浴びせているのは、単なる「記号的悪罵」であることがよく判る。日本でもロシア側の主張を真に受けて、ウクライナはネオナチが支配していたかのように論じる人がいるが、せめてクルコフ『ウクライナ日記』を読んで、『ドンバス』を見て論じるべきだろう。
(セルゲイ・ロスニツァ監督)
ロスニツァ監督はウクライナ侵攻後に激しくプーチンを非難しつつ、ロシア全般を否定してはいけないとも言っているらしい。その結果、ロシア側から非難されると同時に、ウクライナ映画界からも非難されている。そのような立場を考えてみても、この「ドンバス」という映画はロシアの侵略を批判する文脈で製作されたのは明らかだ。しかし、ここまで相手側を生き生きと描き出せるのは驚きだ。ここまでこじれてしまうと、もう元に戻れないのではと思ってしまう。映画ではどうしても「支配者」(ロシア)に従う人が出て来るので、「黙っている人々」が何を思っているのかはよく判らない。
ロスニツァにはまだまだ未公開の映画がたくさんある。もしかしたら外国の動画サイトにあるかもしれないが、そこまで探す気はない。2014年の「マイダン」という記録映画はぜひ見てみたい。「ウクライナ情勢」という問題意識抜きでは見られない映画だが、関心のある向きには必見。ミニシアターや名画座など上映会場が限られるが、是非。なお、「上映情報」はリンク先を。
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