トリュフォーの全映画の4回目。1970年代に入ってくる。
⑫家庭(1970) ☆☆★
アントワーヌ・ドワネルものの第4作目。これまで順調に公開されてきたトリュフォーだが、この作品は1982年まで公開されなかった。単館系映画館でドワネルものを一挙上映する企画で公開されたと記憶する。ドワネルものの最後の2本は「映画的記憶」に頼った面が大きく、映画的に自立していない感じが否めない。トリュフォー作品には「日本への言及」が多いのも特徴だが、特にこの映画は「日本」が大きく登場している。「日本人にしか判らないジョーク」も存在するから、もっと早く公開されて欲しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7d/d8/e8dcdacd51f7548805bbd1e065ab39ec_s.jpg)
「夜霧の恋人たち」の恋人、クリスチーヌと結婚、子どもも生まれるが、アントワーヌは仕事で会った日本娘「キョーコ」に惹かれてしまう。その様子をコミカルに描くが、一体何してるんだか。このキョーコも変な描写で、リアルな日本人ではない。パリでモデルをしていた松本弘子という人が演じている。姓が「山田」となっているが、これは友人で映画評論家の山田宏一から取ったものだという。そこに敬意を表して★ひとつアップ。
(松本弘子と)
⑬恋のエチュード(1971) ☆☆☆☆
73年キネ旬13位。世界的にもあまり評判を呼ばなかった作品だが、僕は昔から大好きで、何回見てもやはりいいと思う。今回見ても、評価は変わらなかった。でも、「突然炎のごとく」より上とまでは思わない。「突然炎のごとく」の原作者、ジャン=ピエール・ロシェのもう一つの長編小説「二人の英国女と大陸」の映画化で、設定が正反対になっている。つまり、「男2対女1」が「男1対女2」へと。しかも女性二人は姉妹である。ジャン=ピエール・レオの演じるクロードは、パリで母の知人の娘、英国人のアンと知り合う。ロダンに憧れ彫刻の勉強に来たのである。二人は惹かれあうものを感じ、今度はクロードが英国の海辺の村に住む姉妹を訪ねる。そこには姉のアンと妹のミュリエルが母と住んでいた。クロードは二人の娘と語り合い、テニスをし、サイクリングをする。アンは彼が妹にふさわしいと思って、二人の仲を進めるが、母親はすぐの結婚を認めず冷却期間を置くことになる。以後、細かく書いても仕方ないけど、パリと英国で、クロードと姉妹の長いすれ違いの日々が始まるのである。
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このクロードを演じるジャン=ピエール・レオは気まぐれな青年をうまく演じて、代表作とも言えるが、「優柔不断な青年」という印象が強い。そういう演出なんだけど、「突然炎のごとく」のジャンヌ・モローが神秘的な神々しさがあったのと比べると、確かになんだという気がするのも仕方ない。全体に暗い画面が多いことも当時の観客に嫌われたのではないか。(僕はそういう暗い映画が好きなんだけど。)僕はアルメンドロスの撮影とドルリュ―の音楽が醸し出す、格調高い愛の年代記に十分満足するんだけど。愛は移ろいやすく、悔いが残るものである。時間の流れの中で結ばれたり別れたり…、そういった誰もが思い出す人生の哀歓を、美しい風景の中に定着させた名作だと思う。
⑭私のように美しい娘(1972) ☆☆☆
軽妙洒脱な悪女ものコメディ。トリュフォーの中では軽い作品で、明るい語り口が面白い。キネ旬23位。「あこがれ」のベルナデット・ラフォンが刑務所の囚人で出てきて、女性と犯罪を研究している社会学者のインタビューを受ける。彼女は幼少の頃より、秩序意識が少なく性への関心のまま野放図に生きてきた。しかし、その天衣無縫な魅力に男は参ってしまい、逮捕前は何人も男と同時に関係を持っていた。社会学者も結局その魅力にとりこまれてしまい、彼女の事件を再調査。害虫駆除業者を塔から突き落とした事実はないことを証明、彼女は無罪釈放となるものの…。誇張されたコミカルな演技で軽快に映画は進み、楽しく見られる。だから面白いとも言えるんだけど、まあ小品的な印象。
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⑮アメリカの夜(1973) ☆☆☆☆★
アカデミー賞外国語映画賞。監督賞ノミネート。キネ旬ベストテン3位。その年のベストワンは「フェリーニのアマルコルド」、2位はベルイマンの「叫びとささやき」とレベルが高かった。「アメリカの夜」というのは、フィルターをかけて昼間に夜景を撮る技法のこと。フランスで言う業界用語で、この映画で一般化したかもしれない。昔の映画を見てると、よく使われていたものである。「現実ではなく演技を撮影する」劇映画そのものの象徴として使われている。「映画撮影現場を舞台にした映画」だが、劇中劇(映画内映画)の映像は出てこないで「舞台裏」だけを描いている。純粋に映画の撮影現場をドラマにした脚本がよく出来ている。昔から好きだったが、3年前に「午前10時の映画祭」で再見した時にはちょっと期待外れだった。今回で3回目だけど、見直したらやはりすぐれた作品だと思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5c/b0/001630d5c986c7749cf323fd3c87561f_s.jpg)
監督自身をトリュフォーが演じていて、「パメラを紹介します」という映画を撮る設定。南仏にオープンセットを作って、クレーンや移動レールで大規模な撮影をしている。映画の裏では、何度も撮り直したり、脚本の書き直しが遅れたり…はまだいいとして、俳優どうしの内輪もめ、恋愛沙汰などトラブル続発。そういう「現場の大変さと面白さ」が全開の映画で、映画愛を封じ込めたような作品になっている。最初の公開時には「映画に愛をこめて」と言う副題がついていた。主演女優役のジャクリーン・ビセットの精神的に危うい女優役がやはり素晴らしい。助監督やスクリプターなどの裏方役の俳優もきちんと描き分けられていて、映画作りがよく判るが、それ以上に「仕事とは何か」という意味で見所が多い。
⑫家庭(1970) ☆☆★
アントワーヌ・ドワネルものの第4作目。これまで順調に公開されてきたトリュフォーだが、この作品は1982年まで公開されなかった。単館系映画館でドワネルものを一挙上映する企画で公開されたと記憶する。ドワネルものの最後の2本は「映画的記憶」に頼った面が大きく、映画的に自立していない感じが否めない。トリュフォー作品には「日本への言及」が多いのも特徴だが、特にこの映画は「日本」が大きく登場している。「日本人にしか判らないジョーク」も存在するから、もっと早く公開されて欲しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7d/d8/e8dcdacd51f7548805bbd1e065ab39ec_s.jpg)
「夜霧の恋人たち」の恋人、クリスチーヌと結婚、子どもも生まれるが、アントワーヌは仕事で会った日本娘「キョーコ」に惹かれてしまう。その様子をコミカルに描くが、一体何してるんだか。このキョーコも変な描写で、リアルな日本人ではない。パリでモデルをしていた松本弘子という人が演じている。姓が「山田」となっているが、これは友人で映画評論家の山田宏一から取ったものだという。そこに敬意を表して★ひとつアップ。
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⑬恋のエチュード(1971) ☆☆☆☆
73年キネ旬13位。世界的にもあまり評判を呼ばなかった作品だが、僕は昔から大好きで、何回見てもやはりいいと思う。今回見ても、評価は変わらなかった。でも、「突然炎のごとく」より上とまでは思わない。「突然炎のごとく」の原作者、ジャン=ピエール・ロシェのもう一つの長編小説「二人の英国女と大陸」の映画化で、設定が正反対になっている。つまり、「男2対女1」が「男1対女2」へと。しかも女性二人は姉妹である。ジャン=ピエール・レオの演じるクロードは、パリで母の知人の娘、英国人のアンと知り合う。ロダンに憧れ彫刻の勉強に来たのである。二人は惹かれあうものを感じ、今度はクロードが英国の海辺の村に住む姉妹を訪ねる。そこには姉のアンと妹のミュリエルが母と住んでいた。クロードは二人の娘と語り合い、テニスをし、サイクリングをする。アンは彼が妹にふさわしいと思って、二人の仲を進めるが、母親はすぐの結婚を認めず冷却期間を置くことになる。以後、細かく書いても仕方ないけど、パリと英国で、クロードと姉妹の長いすれ違いの日々が始まるのである。
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このクロードを演じるジャン=ピエール・レオは気まぐれな青年をうまく演じて、代表作とも言えるが、「優柔不断な青年」という印象が強い。そういう演出なんだけど、「突然炎のごとく」のジャンヌ・モローが神秘的な神々しさがあったのと比べると、確かになんだという気がするのも仕方ない。全体に暗い画面が多いことも当時の観客に嫌われたのではないか。(僕はそういう暗い映画が好きなんだけど。)僕はアルメンドロスの撮影とドルリュ―の音楽が醸し出す、格調高い愛の年代記に十分満足するんだけど。愛は移ろいやすく、悔いが残るものである。時間の流れの中で結ばれたり別れたり…、そういった誰もが思い出す人生の哀歓を、美しい風景の中に定着させた名作だと思う。
⑭私のように美しい娘(1972) ☆☆☆
軽妙洒脱な悪女ものコメディ。トリュフォーの中では軽い作品で、明るい語り口が面白い。キネ旬23位。「あこがれ」のベルナデット・ラフォンが刑務所の囚人で出てきて、女性と犯罪を研究している社会学者のインタビューを受ける。彼女は幼少の頃より、秩序意識が少なく性への関心のまま野放図に生きてきた。しかし、その天衣無縫な魅力に男は参ってしまい、逮捕前は何人も男と同時に関係を持っていた。社会学者も結局その魅力にとりこまれてしまい、彼女の事件を再調査。害虫駆除業者を塔から突き落とした事実はないことを証明、彼女は無罪釈放となるものの…。誇張されたコミカルな演技で軽快に映画は進み、楽しく見られる。だから面白いとも言えるんだけど、まあ小品的な印象。
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⑮アメリカの夜(1973) ☆☆☆☆★
アカデミー賞外国語映画賞。監督賞ノミネート。キネ旬ベストテン3位。その年のベストワンは「フェリーニのアマルコルド」、2位はベルイマンの「叫びとささやき」とレベルが高かった。「アメリカの夜」というのは、フィルターをかけて昼間に夜景を撮る技法のこと。フランスで言う業界用語で、この映画で一般化したかもしれない。昔の映画を見てると、よく使われていたものである。「現実ではなく演技を撮影する」劇映画そのものの象徴として使われている。「映画撮影現場を舞台にした映画」だが、劇中劇(映画内映画)の映像は出てこないで「舞台裏」だけを描いている。純粋に映画の撮影現場をドラマにした脚本がよく出来ている。昔から好きだったが、3年前に「午前10時の映画祭」で再見した時にはちょっと期待外れだった。今回で3回目だけど、見直したらやはりすぐれた作品だと思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5c/b0/001630d5c986c7749cf323fd3c87561f_s.jpg)
監督自身をトリュフォーが演じていて、「パメラを紹介します」という映画を撮る設定。南仏にオープンセットを作って、クレーンや移動レールで大規模な撮影をしている。映画の裏では、何度も撮り直したり、脚本の書き直しが遅れたり…はまだいいとして、俳優どうしの内輪もめ、恋愛沙汰などトラブル続発。そういう「現場の大変さと面白さ」が全開の映画で、映画愛を封じ込めたような作品になっている。最初の公開時には「映画に愛をこめて」と言う副題がついていた。主演女優役のジャクリーン・ビセットの精神的に危うい女優役がやはり素晴らしい。助監督やスクリプターなどの裏方役の俳優もきちんと描き分けられていて、映画作りがよく判るが、それ以上に「仕事とは何か」という意味で見所が多い。
オカッパ髪がトレードマークで、これはパリでも有名になったようです。
どれだったか忘れましたが、トリフォーの映画を見た時「あっ松本弘子だ」と思ったことがあります。
すでに亡くなられているようです。