尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『ゴッドファーザー』『ゴッドファーザーPartⅡ』再見

2022年06月04日 23時01分46秒 |  〃  (旧作外国映画)
 フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』『ゴッドファーザーPartⅡ』を続けて再見した。今年は第一作から50周年になるので、デジタル修復版を「午前10時の映画祭」で上映していた。池袋の新文芸坐で続けて上映するので、朝10時45分から第1作、14時20分から第2作を延々と見た。その間に関東地方は激しい雷雨に見舞われていたというが、映画の間に通り過ぎてしまった。かなり疲れていたんだけど、全く退屈せずに見られたのは、やはり面白くて良く出来ているからだ。この種の映画の古典になったほど、脚本、演技、撮影、音楽、編集が見事に融合していて、飽きる間もない。
(「ゴッドファーザー」
 以下、映画を見ていることを前提に書くので了解を。『ゴッドファーザー』(1972)はマリオ・プーゾ(1920~1999)の同名のベストセラー小説の映画化。監督のコッポラとマリオ・プーゾが共同で脚色し、アカデミー脚色賞を受賞した。非常によく出来たシナリオで、それを見事に映像化した『ゴッドファーザー』もアカデミー賞作品賞を受賞した。アメリカで大ヒットして、『ゴッドファーザーPartⅡ』(1974)が作られた。続編もアカデミー賞作品賞、脚色賞を受賞したが、数多いシリーズ映画で続編がアカデミー賞作品賞を受賞したのは、この作品だけである。当時僕は第2部の方が傑作だと思ったが、今回見ると甲乙付けがたい。

 日本でもヒットしたし、両作ともベストテンに入っている。しかし、どっちも第8位である。1位は『ラスト・ショー』(1972年)、『ハリーとトント』(1975年)で、その頃は身近な世界を事細かく見つめたようなアメリカ映画が日本で評価されていた。ベトナム戦争のさなかで、アメリカでは「ニュー・シネマ」と呼ばれた低予算映画がヒットして、映画会社はテレビ社会に対応出来ず地盤沈下していた。この頃からようやく「超大作」を作ることでハリウッドの復活が顕著になっていく。

 しかし、この映画がこれほどヒットするとは予想されてなかった。監督のフランシス・フォード・コッポラ(1939~)は『パットン大戦車軍団』(1970)でアカデミー脚色賞を得ていたが、まだ30歳を越えたばかりの若い監督である。監督としては低予算映画を作っていた若手に過ぎない。主演のマーロン・ブランドは『波止場』(1954)でアカデミー賞を受けたが、その頃は「わがままな大物俳優」のイメージが定着し作品に恵まれなかった。2代目マイケル役のアル・パチーノは舞台で注目されていたが、世界的には無名。今見るとオールスター映画なのだが、皆『ゴッドファーザー』で知られたのである。
(コルネオーネ一家)
 その後の第2部、第3部を通して描かれるのは、マフィア組織のボスの座がどのように継承されていったかである。もっと言えば、2代目マイケルがいかにして「冷酷非情なボス」になったかである。本来ボスの座は長男ソニージェームズ・カーン)が継ぐはずで、マイケルは大学進学を許されていた。戦争開始時(真珠湾攻撃の日)に軍隊に志願し、一家でただ一人従軍した。大学ではイタリア系ではない恋人ケイダイアン・キートン)に家業には就かないと言っていた。しかし、父が銃撃され、兄ソニーが惨殺された後で、一家を代表して復讐に乗り出さざるを得なくなる。

 「敵」は警察ともつながっていたため、マイケルは警官も暗殺せざるを得ず、その結果シチリア島に逃れることになる。そこで一目惚れした相手と結ばれるが、妻も暗殺される。このような過酷な体験がマイケルを変えたのは間違いないだろう。父の銃撃事件をもたらしたのは、麻薬をめぐる問題だった。戦争直後であり、これからはギャンブルや売春だけでなく麻薬に乗り出すしかないと考える組織が出て来て、コルレオーネ一家に協力を求める。だが父のヴィトーは他の一家の妨害はしないが、自分の組織では麻薬は認めないと宣言する。その時にソニーは儲けを逃すのかと父に反論する。そのことで父を排除して、ソニーの時代になれば一家は変わるかもと思わせてしまった。これがマイケルにとって「一家の団結を乱すものは容赦しない」という教訓になったのか。
(「ゴッドファーザーPartⅡ」)
 ただ彼としては本気で、「合法ビジネス化」も考えていたのだろう。だからマイケルが実権を握ってからは、組織を二分していずれは一家ごとラスヴェガスに移転することを計画する。しかし、全米で、あるいは革命直前のキューバまでも進出する「一大娯楽産業」になっていく中で、他組織とのあつれき、議会やFBIの追求、妻ケイの離反など悩みが尽きない。その中で家族の問題を大きく扱うのが、イタリア系組織を描くシリーズの特徴だ。ちょうど同時期に、日本で『仁義なき戦い』シリーズが作られた。これは東映の岡田茂社長がアメリカでの『ゴッドファーザー』大ヒットを聞き、日本でもヤクザの実録映画の企画を命じて始まったとされる。

 しかし、結果的に両シリーズの感触はかなり違う。共通するのは見た後でテーマ音楽が耳から離れなくなることぐらいだろう。『仁義なき戦い』の山守親分(金子信雄)は各組織の上に乗っているだけで、専制君主ではない。そのため権謀を尽くして生き残りを策謀し、徹底的に「無責任」である。「無責任の体系」としての「天皇制」を体現しているとも言える。一方でアメリカのマフィア組織はボスが専決し、部下はボスに信服する。マイケルはヒトラーやスターリンを思わせる非情なボスになっていく。生き残るための冷酷さが妻や長男を遠ざけてしまい人生に悲劇をもたらす。そのギリシャ悲劇のような運命劇がこのシリーズだ。
(若き日のヴィト=ロバート・デ・ニーロ)
 『ゴッドファーザーPartⅡ』はマイケルをめぐる組織間の争いと同時に、父ヴィトーの少年時代が並行して描かれる。200分を越える、当時としては異例なほどの大作だが、実質的に二つの作品が融合しているのである。この作り方は明らかに新しいもので、当時の僕が第1部より面白いと思ったのは、この作り方の新鮮さが大きい。少年時代のヴィトーは若手のロバート・デ・ニーロが演じて、アカデミー賞助演男優賞を受賞した。このデ・ニーロを見ると、シチリアを追われてアメリカに移民した少年時代、やがて地域ボスとしてのし上がっていく様子が実によく判る。ここが見どころで、アメリカの移民社会の実態を描いた意義は大きいと思う。

 僕は特にこのシリーズが好きなわけではなく、公開時に(恐らく名画座で)見ただけである。だからおよそ半世紀ぶりなので、細かいことは忘れていた点が多い。しかし、見れば大体その後の展開が判った。それは物語として基本的な構造で作られているということだろう。悲劇ではあるが、意外感がないのはそのため。第1部は妹コニーの結婚式から始まるが、それは黒澤明『悪い奴ほどよく眠る』の影響だという。他にも儀式が重要なところで出て来る。特にコニーの子どもの洗礼式で、マイケルが名付け親になるシーン。それと同時にマイケルは「同時多発粛清」を命じていて、その子の父も殺される。その時マイケルは神父に誓いを立てているところなど、実に悪魔的なまでの凄みである。

 その後、1990年になって第3部が作られた。2020年になって修復、再構成された『ゴッドファーザー<最終章>:マイケル・コルレオーネの最期』が公開された。今回はそれも2回だけ夜に上映されるんだけど、大変だからパス。バチカンのスキャンダルも取り込みながら、長男が後を継がずオペラ歌手になってパレルモでデビューする。イタリアを舞台に壮大な映像が繰り広げられるが、当時見た記憶では「まあ一応面白いし、その後も知りたいし」のレベルでは満足したが、映画の出来そのものは中の上かなと思った。

 このシリーズを通してゴードン・ウィリスが撮影していて、陰影の深い映像美が素晴らしい。ウッディ・アレンの『アニー・ホール』『カメレオン・マン』などの撮影監督である。また聞けば誰もが判るほど有名になったニーノ・ロータの「愛のテーマ」が効いている。フェリーニ映画で知られるが、他では『ロミオとジュリエット』と『ゴッドファーザー』が有名。第2部でアカデミー賞を得ている。妹コニー役のタリア・シャイアは監督の実妹で、後に『ロッキー』で知られた。詳しく書く余裕がなかったが、一家の養子となって育てられたトム・ヘイゲンロバート・デュヴァル)は一家の懐刀役で見事な存在感を出している。『仁義なき戦い』シリーズの成田三樹夫みたいな感じで素晴らしかった。話題は尽きないが…。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画『帰らない日曜日』、秘... | トップ | ライオネル・ホワイト『気狂... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 〃  (旧作外国映画)」カテゴリの最新記事