尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「桜を見る会」問題、安倍前首相の議員辞職が必要

2020年11月30日 22時43分18秒 | 政治
 安倍前首相時代の「桜を見る会」に関する疑惑が再燃している。直接的にはホテル・ニューオータニで開いた「前夜祭」をめぐって、後援会側の補填があったのに政治資金報告書に記載していなかったことが問題になっている。秘書が東京地検の任意聴取を受けて、記載義務があったと認識していたと認めたと言われる。

 事情聴取を最初に報道したのは、11月23日の読売新聞だった。その後、NHKが続いた。勤労感謝の日で夕刊がないから、他の新聞メディアは丸一日遅れで続くことになった。読売、NHKはとりわけ親安倍と言われたから、そこがまず報じたことで、「裏で何が起こっているのか」と憶測が広がった。もっとはっきり言えば、菅内閣の意向を受けて検察情報をリークしたのではないかということだ。菅首相の答弁能力に不安を持ち、最近元気を取り戻した(と言われる)安倍氏の再登板を期待する声さえ自民党内に見られた。それが菅首相に不快感を与えていたのだそうだ。
(秘書の事情聴取を報じる読売新聞)
 ぼくはそういう問題には関心はない。告発を受けていたんだから、地検はいつかは調べないといけない。恐らくはニューオータニ側の領収書を先に押収していただろうから、安倍事務所側に言い逃れの余地はない。もともと普通の常識さえあれば、安倍首相の国会答弁がおかしいことは誰でも判る。政治資金規正法違反は当初から疑えなかった。

 ここで考えるべきことは、この「政治資金規正法違反」問題ではないと思う。政治資金の処理という観点で言えば、5年間で1千万未満(910万と言われている)は、(毎年続いていたことを別にすれば)起訴されない可能性もあるラインだという。しかし、この問題の本質は何なのだろうか。確かに同じ構図の問題で、かつて小渕優子経産大臣が就任早々で辞任することになった。同じ基準を適用するとすれば、首相辞任が必至となる。だから徹底して言い逃れを続けたのだと思うが、ニューオータニ側の領収書を公開するだけで首相側の主張が正しいかどうかははっきりした。それをしないんだから、首相の言い分に問題があると普通は思う。
(「桜を見る会」前夜祭の構図)
 僕が思う最大の問題は「安倍前首相の政治的責任」である。マスコミは「安倍首相に説明を求める」といった論調である。(不思議なことに、スクープした読売新聞は社説を載せていない。産経でさえ「説明」を求めているのに。)しかし、そんな生ぬるいレベルで済むのか。野党側も「参考人招致」を要求しているが、本当は「証人喚問」を要求するべきだろう。問題の焦点は、「国会で、意図して虚偽答弁を続けていたのか」である。秘書がどんな説明をしようが、常識があればおかしいと判るはずだ。「秘書の説明」で済ませるかどうかという問題じゃない。安倍首相(当時)の政治的な責任(政治不信をもたらした責任)は非常に大きい。
(「国会で説明した」と語る安倍前首相)
 ところで「公職選挙法」における「有権者への寄付行為禁止」でも告発されている。報道による限り、この立件は難しいという。前夜祭は食事も少なく、参加者の不満も大きく「寄付を受けた」という認識が立証できないということらしい。しかし、これは本末転倒した考えだろう。夕食会だけならそうかもしれないが、そもそも「桜を見る会」に大量に参加したこと、招待枠を広げて優遇したことそのものが問題なのである。「国政の私物化」である。それは「公職選挙法」違反というか、「背任罪」や「職権濫用罪」になるのか。

 法律問題はともかく、明らかにおかしいじゃないかと思うのが普通だろう。それは「法律違反」と言うよりも、それ以上に「政治的責任」だと思う。国会で問題答弁を続けてことを含めて、どういう認識を持っているのか。それを説明するだけではダメで、ちゃんと責任を取るべきだ。それは首相だったときは首相辞任で済むかもしれないが、今は一議員である。国権の最高機関をないがしろにした責任を国会議員が取るためには、議員辞職しかない。河井夫妻、秋元司議員なども未だ止めていないのに、何で自分が辞めなきゃいけないのか、などと思ってはいけない。憲政史上最長の総理大臣を務めた人物には、より高い倫理水準が求められる。
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