尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

鄭義信「赤道の下のマクベス」を見る

2018年03月14日 23時17分04秒 | 演劇
 新国立劇場でやっている鄭義信(チョン・ウィシン)作・演出の「赤道の下のマクベス」を見た。25日まで。最近冬の間は前売券を買わないので(数年前にチケットがあるからと具合悪いのに無理して見に行って長引かせてしまった)、お芝居を見るのも久しぶり。一番の感想は、シネコンの座席に比べて、新国立の座席はお尻が痛くなるなあということだ。

 この作品は、朝鮮人戦犯問題を扱っている。はっきり言って、僕はテーマへの関心で見た。シンガポールのチャンギー刑務所に、6人の戦犯が収容されている。3人が日本人3人が朝鮮人で皆死刑判決を受けている。他に看守の英国人が3人いて、合計9人の男だけが舞台に出ている。奥に死刑台があり、左右に3つづつの独房がある舞台美術は見事だ。演技も素晴らしいんだけど、長くなるから以下ではテーマに関する問題にしぼって書くことにしたい。

 この問題は非常に重たい。舞台ではバカ騒ぎ的なシーンもあるが、そこにも当然死の影が射している。テーマ的にやむを得ないが、死刑執行のシーンまであって、さすがにどうかと思った。僕は暗くて重いストーリイは嫌いじゃないんだけど、前半を見終わった時は、この劇を紹介するのはやめようかなとも思ってしまった。多くの人に問題を知ってもらいたいけれど、それにしてもと思ったぐらいだ。でも終了後に若い観客の感想をたまたま聞いてしまった。春休みに入ったからか、大学生ぐらいの観客も多かった。それはいいんだけど、「6人いるんだから、3人の看守を襲っちゃうのかと思ってた」と大声でしゃべっている。いくら何でも、そりゃあないだろ。

 BC級戦犯とよく言われるが、日本の場合C級(人道犯罪)の訴追はなかったから、この劇でも全員B級戦犯(通常の戦争犯罪)である。ちょうど同じ時期に(2.24~3.10)に劇団民藝が木下順二「夏、南方のローマンス」を上演していた。この劇は2013年4月に上演されたときに見ているので今回は見なかった。その時に『「夏、南方のローマンス」とBC級戦犯問題』を書いた。BC級戦犯問題に関してはそこでも書いているが、植民地出身者の戦犯問題はそこでは取り上げていない。

 植民地(台湾、朝鮮)の出身者は、戦争末期になるまで「徴兵」がなかった。(志願兵制度は日中戦争初期に設けられた。当然のことだが、中国との戦争に朝鮮、台湾の青年を動員して兵器の訓練を施すことは、「逆効果の危険性」があった。)しかし、日本で人出不足が深刻化すると、「軍属」として捕虜収容所の下級職員などにたくさんの植民地出身者を使った。連合国は捕虜の虐待を重視したので、多くの朝鮮人、台湾人が戦犯として裁かれた。ウィキペディアの記述を見ると、朝鮮人148人、台湾人173人だった。その中には死刑となった者も多かった。

 BC級戦犯裁判では、通訳の不備、日本軍上官の偽証、連合国軍人や現地民衆の復讐心による不確実な証言など問題が多かった。捕虜虐待や民衆の虐殺などは現実にあったわけで、日本兵なら「日本の責任」としてやむを得ないと考えて自分で納得したものが多い。でも、なんで朝鮮人が日本の戦争犯罪を背負わなければならないのか。その不条理に耐えがたい思いをしただろうが、さらに戦後の朝鮮では「対日協力者」として家族も白眼視されることもあった。

 この劇では、「若くて泣いている李文平」「一度は釈放されたものの再び死刑判決を受けた金春吉」、そして「獄中で「マクベス」を読んでいる朴南星」と3人の朝鮮人が描かれる。題名にあるように、朴南星が劇の中心で、演劇が好きで獄中でも余興の芝居をしている。軍属の朝鮮人が文庫のシェイクスピアを読んでいるというのは、ちょっと無理がある。だが、マクベスを「補助線」に使って考えるというのが、この演劇の眼目だ。

 マクベスは夫人にそそのかされて、王を暗殺して自分が王になる。だけど、マクベス本人には責任がないのか。マクベスも自分なりに権力を握りたかったわけだろう。マクベスにも責任がある。自分らも、日本軍に使われて裁かれたが、自分でも死刑台への道を歩んでしまった。独立軍に入る道だってあったじゃないかというのは、当時の戦犯には無理がある。現時点での思考が当時のセリフとして語られるのには疑問があるが、非常に大事な問いだと思う。

 だけど「日本軍の責任をなぜ朝鮮人が負うのか」という大問題の前に、僕は目の前で展開される彼らを見ているともっと違う問題もあると思う。それは「冤罪」と「死刑」という問題である。戦争で多くの人が殺された。被害者側が敵国軍人の死刑を望むだろうことは理解できる。だから、死刑の前に戦争をなくさないといけない。でも戦争の後に、同じように国家が生命を奪う死刑を再考しないといけなかったじゃないか。演劇を離れて内容に関する話ばかり書いたけど、どうしてもテーマ的に楽しんでみるということができない。だけど、日本人として考えなければいけない問題だ。

 なお、この朝鮮人戦犯問題は今も続いている。有期刑で釈放された人に対しても、日本国家は軍人恩給などを一切払っていない。戦犯裁判では日本人として裁かれ、その後は外国人として排除された。そのような対応はヨーロッパ諸国ではなかった。とても恥ずかしいことだと思う。この問題を研究した本には、林博史「BC級戦犯」(岩波新書、2005)や内海愛子「朝鮮人BC級戦犯の記録」(1982、岩波現代文庫2015)などがある。どっちも読んだはずだが見つからなかった。
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