尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

和泉雅子、加藤武、曽根中生のトークショーを聞く

2013年02月17日 23時37分30秒 |  〃  (旧作日本映画)
 土曜日は、昼間に新文芸坐の小沢昭一追悼上映加藤武のトーク。夜にポレポレ東中野へ行って、曽根中生監督のトーク。そして、日曜日に銀座シネパトスの銀座映画特集で、和泉雅子、川本三郎のトーク。なんだか怒涛のシネマトーク漬け。思えば、全部日活映画だ。今日の話から書くと、僕があれだけいっぱい読んでる川本三郎さんも、話を聞くのは初めて。川本さんも和泉雅子さんは初対面だという。あまりの面白さに絶句という感じで、僕も今まで聞いた数あるトークの中でももっとも面白かった
(和泉雅子)
 和泉雅子は、浦山桐郎監督の2作目「非行少女」で知られた。他にも日活青春映画で多くの役を演じたが、後に冒険家、登山家のイメージが強くなった。それも面白いんだけど、銀座生まれで銀座育ち。生粋の「銀座っ子」で、美空ひばりを「美空しばり」と発音する。この「江戸弁」の連発に場内大受け。映画に出るときは「方言矯正」が必要だったというほど。ちゃきちゃきの江戸っ子で、そういう人がいることにビックリ。東劇の5階にストリップ劇場があり、実家の食堂が出前を頼まれると一緒について行った話。その他、戦後の銀座の生き字引と言う感じ。日活には13歳でスカウトされ、高橋英樹、渡哲也らと同期生。いじめのない実に楽しい撮影所だったという。

 今日上映された「二人の銀座」は、今もデュエット曲として知られる。ベンチャーズが銀座を車で見て作った曲に永六輔が歌詞をつけ、先に歌が売れた。越路吹雪が自分には合わないとくれた曲だという。しかし和泉雅子は歌が下手。歌は上手だが「味がない」山内賢と「味しかない」自分が一緒に歌ったことで成功したという話は爆笑。とにかく話がはっきりしてて嫌みがなく、銀座が商人の町で下町だということがよく判る。川本さんも、もっとテレビのワイドショーで使ったらと場内に呼びかけていた。ホント、銀座の新旧を特集するのにピッタリだから、是非「和泉雅子と訪ねる銀座の今昔」という特番をお願い。

 小沢昭一特集も満員。加藤武は麻布中学時代からの自他共に許す「畏友」である。今村昌平監督の「果しなき欲望」という快作で、クセの強い役柄を共演している。当日上映の「大当たり百発百中」「競輪上人行状記」でも共演している。今、小沢昭一著「わた史発掘」(岩波現代文庫)を読んでるんだけど、麻布中学時代の思い出は加藤武と対談している。これはもともと「話の特集」の連載(1976年~77年)だという。その対談を聞いてた若い人が「教練」「禊(みそぎ)」の意味が分からないと言ってる。いやあ、35年前でそうか。僕が中学の頃は、すでに麻布も開成、武蔵と並んで「御三家」と言われる難関私立になっていたけど、戦前は府立に落ちた生徒の行くところだったことがわかる。フランキー境、大西信行なんかも同級。ここで右翼ながらさばけてた国領先生という人が出てきて傑作。
(加藤武)
 思わず本の話をしてるけど、小沢昭一が「軟弱右翼青年」だった頃の話。そういう戦争体験を経て、「日本国」と「日本列島」は違う。「愛列島心」はあるが「愛国心」はないという信条を持つに至る自伝的エッセイの傑作だ。ちなみに解説を麻布出身の川本三郎さんが書いている。加藤さんの話は、もう夢だといいと思いながら葬儀に臨んだ話だけど、声も丈夫でまだまだ元気という感じ。小沢昭一の芸域の広さ、「役者」と「者」と両面を持っていた話。加藤武は、舞台、映画、テレビで活躍してきたけれど、なんといっても「仁義なき戦い」の打本組長が圧倒的な印象だ。歳とるごとに友人が少なくなることが寂しいと思うが、まだまだ活躍して欲しい。

 上映された「競輪上人行状記」は、1963年の西村昭五郎監督の傑作である。前に見て判っているんだけど、細部はほとんど忘れていた。一番勘違いしていたのは、「人類学入門」が関西の話だし、生臭坊主=今東光=河内のイメージが混濁し、なんだか小沢昭一が関西の生臭坊主を演じる話のように思い込んでいた。しかし、これは東京の下町の映画だった。空襲で焼けた本堂の再建を目指す貧乏寺の「葬式坊主」にはなりたくない小沢昭一は、なんと青梅の奥で中学教師をしている。バレーボール部の顧問で、バレーの指導をしてるシーンがある。こんな話だったか。

 しかし、兄が急死し、夏休みに寺に戻っているうちに父親に勝手に辞表を送られ、僧侶になる。兄嫁の南田洋子が好きで、父親に一緒になれと言われて、一度はマジメな僧侶をめざすが、父親も死に、「葬式坊主」を続けながら、本堂再建資金も集めなければ…と言ううちに競輪にはまってしまう。で、いろいろあって、どんどん「堕ちていく」中で解脱は得られるか。場内大爆笑のラストに至るまで、快調に飛ばしていく。直木賞作家で、実際にギャンブル好きで知られた寺内大吉の原作をうまく生かしている。実際の寺内は、浄土宗の宗務総長を経て、増上寺貫主まで務めた人物だから、こういう話は自分の精神的安定のために書いていたのか。

 西村昭五郎は、その後日活青春映画などを何本か撮るがあまりパッとしない。ロマンポルノになって「団地妻」シリーズが大ヒットして、日活の救世主になった。ロマンポルノを一番撮った監督である。団地妻シリーズに主演し、ロマンポルノの女王と呼ばれたのが白川和子だが、1973年に結婚して引退する。記念映画が「実録白川和子 裸の履歴書」で、ポレポレ東中野で上映。曽根中生監督に加えて、途中から白鳥あかねさん(スクリプター、シナリオライター)に話を聞く。
(曽根中生監督)
 曽根監督はシネマヴェーラ渋谷が2010年1月に特集を組んだときは、「行方不明」と言われていた。映画界を去って四半世紀経ち、大震災後の2011年の湯布院映画祭にゲストとして現れた。大分県臼杵市でヒラメの養殖事業に携わっていたという。曽根監督は「嗚呼!花の応援団」シリーズや「博多っ子純情」などでも知られるが、初期ロマンポルノを支えた監督の一人でもあった。最近は映画のトークなどで上京することもあるが、貴重な機会だと思い話を聞いて置きたかった。なんだか東国原某氏のような風貌で、ボツボツと思い出を語る姿は印象的だった。まさに人様々、いろいろな人生を垣間見るような、トークショー三昧だった。
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