1995年公開の岩井俊二監督『Love Letter』が4K版でリバイバル上映されている。2024年に中山美穂の急逝という信じがたいニュースを聞いた後、どこかで中山美穂追悼映画祭をやらないのかなと思っていたのだが、『Love Letter』の30年記念上映(4K版作成)企画が進んでいたとは知らなかった。この映画なくして追悼にならないから、他の企画は出来ないわけだ。映画の一番最後、クレジットが終わった後に、中山美穂への追悼(英語)が追加されているので、最後まで席を立たずに見なければならない。
この映画の監督である岩井俊二のことは当初全く知らず、新しいところから才能が現れた感じがした。その後テレビ出身の映画監督は普通になっていくが、この時点では知名度がなく、僕も最初はマークしていなかった。しかし、評判を聞いて見てみると丁寧な描写、練り上げられた脚本、小樽ロケの魅力、適度なセンチメンタリズムが快く、何度か繰り返して見ている。(10年ぐらい見てないけど。)今見ても全く古びてなくて、この映画で中山美穂の魅力が永遠に残されたと思うと、見ていて何だか厳粛な気持ちが湧いてくる。東アジア各国で大ヒットし、今に至る小樽観光ブームを呼び起こしたことでも名高い。
すべてが名シーンと言ってよいような映画だが、何と言っても心に残り続けるのはラスト近くの山に向かって中山美穂(渡辺博子)が「お元気ですか?」「私は元気です」と叫ぶシーンではないか。声出し可能上映会があれば参加したいぐらいである。もう古い映画なので、以下で内容に触れる(いわゆる「ネタバレ」)ことにするが、基本は「藤井樹」(ふじい・いつき)という同姓同名の生徒が小樽の中学の同じクラスにいたことから起こるドラマである。二人は性別が違い、(今の学校は男女とも「さん付け」だと聞くけれど)、ここでは「藤井樹さん」(酒井美紀)、「藤井樹くん」(柏原崇)と表記する。藤井くんは卒業直前に神戸に転校する。
大人になった「藤井樹くん」はすでに2年前に冬山で亡くなっている。彼には婚約者渡辺博子(中山美穂)がいて、三回忌のときに彼の実家に寄り母親(加賀まりこ)から中学の卒業アルバムを見せて貰う。(卒業時には転校していたので、集合写真の上方に特別に載っている。)その時卒アルに付いていた住所録を見て「藤井樹」の住所を腕にメモする。もちろん転校生の住所は掲載されないから、これは実は「藤井樹さん」のものだった。(前後が女子の名前になっているので、注目を。)当時は卒業生全員の住所が男女別名簿順でアルバムに載っていたのである。(自分の場合も、勤務校も同様。)今では考えられないことだろう。
渡辺博子は2年経ってもまだ心の整理がついていない。そこで届かないはずの手紙を「藤井樹くん」と思い込んだ住所に出してみる。それは「大人になった藤井樹さん」(中山美穂二役)に届いてしまうわけだが、今は小樽市立図書館に勤める藤井さんは、「変な手紙が来た」と同僚にこぼしながらも、つい「私も元気です」と返事を出す。これはあの世から届いた手紙なのか? 困惑する渡辺博子だが、今は樹の山仲間だったガラス工芸家秋葉(豊川悦司)から思いを寄せられ、藤井を忘れかねつつ彼の求愛を受け入れている。そんな時、小樽のガラス工芸展の案内があり、秋葉は一緒に真相を探そうと渡辺博子を小樽に連れ出すのである。
二人は「藤井くん」の住所(今は道路になっている)を見てから、もう真相が判明して「藤井さん」の家を訪ねる。それは「旧坂別邸」という家を借りてロケしたということだが、残念なことに2007年に焼失してしまった。(なお小樽ロケの情報を紹介するサイトは多い。神戸という設定の「故藤井樹」の家も小樽で撮影された。)結局は会えないで(昼間は図書館で仕事しているんだから当然だけど)、家の前で手紙を書いて投函する。それで終わるはずが、藤井樹さんは返事を出し、渡辺博子は「藤井樹くんの思い出を教えて欲しい」と書き送る。その気になれば思い出すもんだということで中学時代の思い出が描かれるが、後は映画の楽しみに。
ここでちょっと違った観点からこの映画を見てみたい。今まで何度か書いているが、「同姓同名の生徒が同じクラスにいるのは不自然だ」という問題。僕は今まで3年の内1年だけ同じなんだと思い込んでいたが、今回見直したら「3年間同じクラス」だった。昔は2、3年時はクラス替えをしないことも多かったけど、そもそも複数クラスある学校でどういうクラス編成をしたのか。現実にクラス内でからかわれているし、教師も間違って答案を返している。「実害」が生じているのだ。まあ警察関係者は刑事ドラマを見て「あり得ない」と思ってるんだろうし、同じように教師は学園ドラマを見て「あり得ない」と思って見るのである。
この問題は小規模校にすれば解決するし、同じ学年でも「違うクラスから図書委員に選ばれる」ことはあるだろう。僕はこういうことを書いて、この映画は現実性が薄いと批判しているのではない。教師から見て不自然な点があっても、それを忘れさせるほど面白く出来ている。例が適切じゃないかもしれないが、アメリカで昔たくさん作られた「西部劇」のほとんどは「先住民の描き方が不当」である。しかし、政治的に全く正しくない映画であっても、見ている時はそれを忘れて手に汗握る傑作は存在するのだ。
その他細かいことを言い出せば不思議なことは多いのだが、まあ省略することにする。岩井俊二はこの後『スワロウテイル』、『四月物語』、『リリイ・シュシュのすべて』、『花とアリス』、『リップヴァンヴィンクルの花嫁』、『ラストレター』、『キリエのうた』などを作り続けているが、やっぱり長編デビュー作の『Love Letter』が最高傑作なんじゃないだろうか。キネ旬ベストテン3位、毎日映コンや日本アカデミー賞の優秀映画賞。どの賞も新藤兼人監督の『午後の遺言状』にトップをさらわれた。中山美穂はブルーリボン賞や報知映画賞の最優秀女優賞を取ったが、キネ旬などは『午後の遺言状』の杉村春子だったのは、時の運とはいえ残念だった。
ところで今日見ていて、この物語の構造は「先に死んだもの小説」だなと思った。それは伊予原新『青ノ果テ』を書いた時に思いついたのだが、夏目漱石『こゝろ』や大江健三郎、村上春樹などの多くの小説で使われた物語構造である。自分は昔から「腐れ縁」小説や映画(『浮雲』や『夫婦善哉』など)が好きなのだが、その変形なのである。つまり「思い切れない」心情が心に沁みるのである。なお撮影の篠田昇(1952~2004)は『花とアリス』までの岩井作品や相米慎二『ラブホテル』『夏の庭』、行定勲『世界の中心で、愛をさけぶ』を担当した人である。早世したが、都立白鴎高校の3期上の同窓生なので特記しておきたい。
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