尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ポワチエ、ボグダノビッチ、ベネックス、恩地日出夫ー2022年1月の訃報①

2022年02月05日 22時18分51秒 | 追悼
 2022年1月の訃報特集。映画監督の訃報が相次いだので、1回目はそれをまとめて。そう言えば2月1日没の石原慎太郎も監督した映画がある。1958年の「若い獣」と1962年の国際オムニバス映画「二十歳の恋」である。これは他国編がアンジェイ・ワイダ、フランソワ・トリュフォーなどなので、なんで日本編に石原慎太郎が選ばれたのか不思議だ。

 まずはシドニー・ポワチエ(Sidney Poitier)で、1月6日没、94歳。シドニー・ポワチエは「黒人初のアカデミー主演男優賞受賞者」として知られる。受賞したのは1963年の「野のユリ」だが、テレビでも見ていない。1958年の「手錠のままの脱獄」で知られたが、これはテレビで見て面白かった。1967年の「招かれざる客」「夜の大捜査線」などでは「立派な黒人」を演じている。後に「優等生役」ばかりだとして批判されたが、時代を切り開いた意味は大きい。彼あってこそデンゼル・ワシントンモーガン・フリーマンが出て来られた。2001年にアカデミー名誉賞を受け、2009年には大統領自由勲章をオバマ大統領から授与された。
(オバマ大統領から勲章を受ける)
 巨大資本で作られるハリウッド映画では、時代の制約が大きい。ポワチエはその時代に求められたものを演じるしかなかった。では立派ではない「普通の黒人」は差別されても良いのか。あるいは俳優は善人も悪人も演じられてこそ本物ではないか。本人も役柄には不満があったようで、72年の「ブラック・ライダー」から監督も兼ねるようになった。ウィキペディアには8本が載っている。娯楽作が多く、僕も見た記憶はない。あまり評価はされなかったが、そういう作品もやりたかったんだろう。「夜の大捜査線」は後に劇場で見たが、たまたま南部に来ていたポワチエが殺人事件の容疑者になる。しかし、彼は実はフィラデルフィア警察殺人課の敏腕刑事だった。彼はやむなく人種差別的な署長と協力せざるを得なくなる。アカデミー作品賞を受賞した立派な映画だった。
(「夜の大捜査線」)
 映画監督のピーター・ボグダノビッチ(Peter Bogdanovich)が6日に死去、82歳。この名前はセルビア系だと言うが、僕は若い頃に覚えてしまった。1971年の「ラスト・ショー」(キネ旬1位)、72年の「おかしなおかしな大追跡」、73年の「ペーパー・ムーン」(キネ旬5位)の3連打によって、当時の若い映画ファンは彼の名前を記憶した。その後、76年「ニッケルオデオン」、81年「ニューヨークの恋人たち」(オードリー・ヘップバーン最後の作品)、84年「マスク」(シェールがカンヌ映画祭女優賞)、90年「ラスト・ショー2」、93年「愛と呼ばれるもの」(リバー・フェニックスの遺作)などなかなか興味深そうな作品がある。2014年の「マイ・ファニー・レディ」まで何本か公開されているが、僕は見た記憶がない。あまり評判にもならなかったと思う。
(ピーター・ボグダノビッチ)
 「おかしなおかしな大追跡」はバーブラ・ストライサンド、ライアン・オニール主演のスラップスティック喜劇でとても面白かった。「ペーパー・ムーン」は聖書を売りつける詐欺師親子を描き、テイタム・オニールが史上最年少の10歳でアカデミー賞助演女優賞を受けた。テイタムは女子野球を描く「がんばれ!ベアーズ」などで名子役スターだったが、その後は不本意な人生だったようだ。テニス選手ジョン・マッケンローと結婚するも、彼女の麻薬中毒で離婚。父親のライアン・オニールからも虐待されたと告発している。しかし、その親子で出た「ペーパー・ムーン」は最高に面白いコメディ映画だった。と言いつつも、やはり何といっても「ラスト・ショー」(The Last Picture Show)が最高の思い出である。
(「ラスト・ショー」)
 50年代初頭、テキサス州の小さな町。若者たちが集まる場所は映画館ぐらいしかない。その映画館もとうとう閉館になるという。題名はその最終上映のことで、最後は西部劇の「紅い河」。この町で高校生が愛し合い、悩みながら様々な人生行路を送る。日本では72年夏に公開された。同じ年に日本では「旅の重さ」があった。自分も高校生だから、高校生が出て来る青春映画に思い入れした。カップルがもめたり、フットボールコーチの年上の妻に惹かれたり、何やってるんだの傷つき傷つけ合う若き日々。そして思い出の映画館にも最後の日が訪れる。いや、心で泣いた。そして主演のシビル・シェパードに憧れたのだった。
(シビル・シェパード)
 フランスの映画監督ジャン=ジャック・ベネックス(Jean-Jacques Beineix)が13日に死去、75歳。80年代初期にデビューしたリュック・ベンソンレオス・カラックスとともに、フランス映画の「恐るべき子どもたち」、BBCなどと呼ばれたが、もう亡くなる人が出る時代なのか。81年の「ディーバ」で注目され、83年の「溝の中の月」を経て、86年の「ベティ・ブルー 愛と激情の日々」が代表作となった。89年に「ロザリンとライオン」92年の「IP5/愛を探す旅人たち」を作った。その後ドキュメンタリーを作ったりしているが、2001年の「青い夢の女」が最後の長編劇映画になった。闘病が長かったといわれる。僕は最後の方は見てなくて、やはり「ベティ・ブルー」なんだろうなと思う。80年代に活躍が集中していて、自分が仕事で忙しかったこともあるが、やはりフランス映画はゴダール、トリュフォー、ロメールだと思っていて、あまり見てないのである。
(ジャン=ジャック・ベネックス)
 日本の映画監督、恩地日出夫(おんち・ひでお)が20日死去、88歳。僕にとって恩地監督は東宝青春映画なのだが、訃報ではテレビの「傷だらけの天使」を見出しにしていた。テレビドラマの演出家はあまり意識してなかったけど、サスペンス劇場みたいなドラマを多数作っている。1960年に監督に昇進、66年の内藤洋子主演「あこがれ」、68年の酒井和歌子主演「めぐりあい」で知られた。劇映画では91年の「四万十川」、03年の「蕨野行」も立派な映画だった。また85年「生きてみたいもう一度・新宿バス放火事件」は見てる人が少ないと思うけど、テーマに関心があったので確か新宿の小さな映画館に見に行った。発掘・再評価されて欲しい映画。初期作品の「女体」「あこがれ」「めぐりあい」は武満徹が音楽を担当していて、4月上旬にシネマヴェーラ渋谷の武満映画音楽特集で上映される。特に「めぐりあい」の抒情的なテーマは有名で、見てない人には大切な機会だろう。
(恩地日出夫)
 ついこの間「勝負は夜つけろ」(1964)について書いたばかりだが、その井上昭監督が9日に死去した。93歳。大映で中野学校、座頭市、眠狂四郎などのシリーズを担当した。後にテレビで「ザ・ガードマン」や「遠山の金さん」など多数を演出した。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 石原慎太郎をめぐってーいく... | トップ | 海部俊樹、水島新司、池明観... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

追悼」カテゴリの最新記事